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本尊と曼荼羅

31Libra:2002/04/09(火) 14:51
川蝉さん:

 本当にお久しぶりです。相変わらず不勉強で、しかも頑固な私ですが、よろしくお願い
いたします。

 川蝉さんは、>>24 の中で「本門法華宗」の本尊観を述べられ、「人(本仏釈尊)と法
(事の三千)一体」という表現も使われていますが、浅井円道氏の以下のご説明について
はどのようなご印象をお持ちでしょうか。

  ──────────────────────────────────────
   日蓮聖人遺文を繙くと、本尊の表現形式に関しては法華経・首題・大曼荼羅、釈迦
  仏・一尊四士・二尊四士などの区別があることについては既に最近では大崎学報一○
  四号に望月歓厚・鈴木一成・執行海秀の三先生の綿密な報告がある。しかもそれらは
  表現形式上の一応の差別にすぎないのであって、形式の根幹たる理念においては人法
  一体であることは、江戸末期の優陀那和尚も妙宗本尊略弁に「我宗ノ本尊、二種ノ別
  アリト謂ハ祖意ニ達セザルナリ。豈ニ二種ノ所尊ヲ立テ初心ヲ迷惑セシムルノ理アラ
  ンヤ」(充洽園全集三・三八九)と言った通りである。

  (浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、
    1974年、p. 251)
  ──────────────────────────────────────

 私自身は、曼荼羅の中尊の五字は「教主釈尊」であり、「釈迦の報身(智慧)」である
と考えてきました。

  本尊論メモ
  http://www.be.wakwak.com/~libra/z013.htm

  犀角独歩さんとの対話
  http://www.be.wakwak.com/~libra/z021.html

 浅井円道氏の「日蓮聖人の仏身論の特徴」(『印仏研』28-Ⅱ)という御論文によれば、
「江戸末期の優陀那日輝は『綱要正議』の中で、首題は極理ではなく、仏の智慧である」
と主張されているそうですが、このような立場について、川蝉さんはどのように思われま
すでしょうか。

  日蓮聖人は報身仏を中心に据えている(浅井円道)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/106.html


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