[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
本尊と曼荼羅
12
:
いちりん
:2002/04/06(土) 14:35
「本尊」って、「根本として尊敬する」という意味らしいのですが、
根本として尊敬する「方」ととらえることもできるし、根本として尊敬する「もの」ととらえることができましょうか。
日蓮思想にあっては、根本として尊敬する「方」は、「本仏」ですね。根本にして究極な最高仏。
それは、一般的には『法華経』の如来寿量品にあらわされた「久遠の本仏」ですよね。
富士門流にあっては、これは「日蓮大聖人」ということになりましょう。
「肝心の日蓮さんは、どうとらえていたか」となると、自らが本仏であって、自らが自らを拝んでいたということになりましょうか。
やはり、日蓮さんは、如来寿量品にあらわされた「久遠の本仏」を最高に信奉されていたと、わたしは思いますが。
もひとつ、根本として尊敬する「もの」となりますと、これが仏像であったり、仏画であったり、曼陀羅図であったり、御神体であったりしますよね。
富士門流にあっては、日蓮さんのあらわした曼荼羅が本尊ですね。いわゆる「御本尊」「御本尊様」と。
この「御本尊」じたいに、力がある。
この教えが、ものすごくわかりやすく、実践的であるといえましょうか。
「正しい御本尊」に祈れば、「すばらしい結果=功徳」があらわれる。
祈るとは、お題目を唱えること。
それは、たとい信仰心がなくても、実践すれば、きちんとあらわれるのであると。信仰心、強い祈り、真剣な祈りがあれば、さらにすばらしい結果があらわれる。
戸田さんのことばでいえば、御本尊は、なにしろ「幸福製造機」なのである。
逆に、この「正しい御本尊」を誹謗したり、不敬すれぱ、とんて゜もないよくないこと=罰がてきめんにあらわれる。どうだ、すごいだろ。こわいだろ。ありがたいだろ。……という感じで、布教がされてきましたよね。
なんといいましょうか。
その、具体的な「もの」としてあらわれていること。
具体的な「行」として、お題目などが定まっていること。
そのあたりが、すごいなあと思ったりしますよね。
他の宗派というのは、その本尊というのは、そんなに厳密じゃない。こだわってないんですね。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板