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本尊と曼荼羅

12いちりん:2002/04/06(土) 14:35

「本尊」って、「根本として尊敬する」という意味らしいのですが、
根本として尊敬する「方」ととらえることもできるし、根本として尊敬する「もの」ととらえることができましょうか。

日蓮思想にあっては、根本として尊敬する「方」は、「本仏」ですね。根本にして究極な最高仏。

それは、一般的には『法華経』の如来寿量品にあらわされた「久遠の本仏」ですよね。
富士門流にあっては、これは「日蓮大聖人」ということになりましょう。

「肝心の日蓮さんは、どうとらえていたか」となると、自らが本仏であって、自らが自らを拝んでいたということになりましょうか。
やはり、日蓮さんは、如来寿量品にあらわされた「久遠の本仏」を最高に信奉されていたと、わたしは思いますが。

もひとつ、根本として尊敬する「もの」となりますと、これが仏像であったり、仏画であったり、曼陀羅図であったり、御神体であったりしますよね。

富士門流にあっては、日蓮さんのあらわした曼荼羅が本尊ですね。いわゆる「御本尊」「御本尊様」と。

この「御本尊」じたいに、力がある。
この教えが、ものすごくわかりやすく、実践的であるといえましょうか。

「正しい御本尊」に祈れば、「すばらしい結果=功徳」があらわれる。
祈るとは、お題目を唱えること。
それは、たとい信仰心がなくても、実践すれば、きちんとあらわれるのであると。信仰心、強い祈り、真剣な祈りがあれば、さらにすばらしい結果があらわれる。
戸田さんのことばでいえば、御本尊は、なにしろ「幸福製造機」なのである。

逆に、この「正しい御本尊」を誹謗したり、不敬すれぱ、とんて゜もないよくないこと=罰がてきめんにあらわれる。どうだ、すごいだろ。こわいだろ。ありがたいだろ。……という感じで、布教がされてきましたよね。

なんといいましょうか。
その、具体的な「もの」としてあらわれていること。
具体的な「行」として、お題目などが定まっていること。
そのあたりが、すごいなあと思ったりしますよね。

他の宗派というのは、その本尊というのは、そんなに厳密じゃない。こだわってないんですね。


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