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本尊と曼荼羅
30
:
川蝉
:2002/04/09(火) 13:35
問答迷人 さん今日は。
「一閻浮提第一の本尊を此の国に立つべし。月支、震旦にも未だ此の本尊ましまさず。・・所詮地涌千界の為に此れを譲り与へ給ふ故なり。」(本尊抄・学会版254頁)
とありますように、八品において説かれ付属された本門の御本尊を末法の始めに於いて、地涌千界(特に上行菩薩)が顕すことになっていると云う意ですね。
その遣使還告の上行である日蓮が、確かに図顕したという意を御署名花押にて表していると解釈されています。
すなわち、署名花押は、宗祖が本尊図顕主・宗主導師であることを示すものと見るわけです。
「中央題目と署名花押は一連のもので、題目は法、宗祖は人であり、中尊は人法一体の日蓮大聖人である」と云うようには解釈しません。
第一義的に、中尊を日蓮大聖人とすることは、本尊抄の教示から云って無理であると考えています。
立正安国会刊の御本尊集を見ると、題目と署名花押との間に、天照大神や八幡大菩薩が書かれていますし、題目と署名花押とが大きく離れている曼陀羅が多くあります。
>私は、曼荼羅の中尊は、日蓮聖人がお題目を唱えて居られるお
>姿、と捉えてきましたが、間違いでしょうか。
お言葉の趣旨が、はっきり掴めないので、なんとも云えませんが、宗祖ご在世には、御本尊の前に宗祖が坐り、弟子信徒はその背後にすわって、読経唱題していたのでしょう。
ですから、わざわざ、曼陀羅本尊に、お題目を唱えている宗祖の姿を記す必要はなかったと思います。
御本尊の前に宗祖が坐られて、導師となって、ともにお題目を唱えて居てくれると、宗祖滅後の私どもが、観想する事は別に問題はないと思います。
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