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本尊と曼荼羅

33川蝉:2002/04/09(火) 16:54
Libraさん今日は。
Libraさん提示の
浅井円道「本尊論の展開」、影山堯雄編『中世法華仏教の展開』、平楽寺書店、1974年、p. 251)の一節の趣旨は、宗学者の共通認識と思います。まったくその通りと思います。

ただし、本化妙宗の山川智応博士や高橋智遍居士は、正式本尊は大曼荼羅、一尊四士像は妙略であると区別しています。

文字形式も一尊四士像等の仏像形式も形式が異なるだけだと云うことですね。法本尊とか人本尊とかの論議は形式の違いに、とらわれたものと云う事ですね。

残念ながら、優陀那日輝師の『充洽園全集』は、手に入らなかったので『綱要正議』も読んでいません。
法本尊だと云う主張に対し、題目は単なる真如実相でなく、実相と一如した釈尊の証悟・智慧(境智冥合の妙智)であるとしいるのですね。

題目は釈尊の妙智、則ち三身即一の釈尊とし、故に法的表現の題目と釈尊とは即していると云う見解ですね。

優陀那日輝の「本尊略弁・付録」に
「当に知るべし。法に即するの仏を以て本尊と為し、仏に即するの法を以て題目と為すなり。・・無作三身の教主釈尊と十界具足の大曼荼羅と二なく別なし、ただ名体相異なるのみ」
と、あるそうです。

> 私自身は、曼荼羅の中尊の五字は「教主釈尊」であり、「釈迦
>の報身(智慧)」であると考えてきました。

報身と云っても三身具足の仏です。報身だけではありません。報身は智慧身でして、釈尊という人格的な仏と離れて別にある智慧だけをさして報身とは云わないのが、法華教学上の約束です。

>日蓮聖人は報身仏を中心に据えている(浅井円道)

まだ読んでいませんが、天台は寿量品の釈尊は報身仏としていますね。日蓮宗でも報身仏中心と捉えている人が多いようです。
「開目抄」(学会版198頁)に、寿量品の顕本は「応身・報身の顕本」であるとしていますね。

「日蓮流罪に当たれば教主釈尊衣を以て之を覆いたまわんか」(真言諸宗異目・141頁)

「霊山浄土の教主釈尊、宝浄世界の多宝仏、十方分身の諸仏、地涌千界の菩薩等、梵釈、日月、四天等冥に加し、顕に助け給はずば、一時一日も安穏なるべしや。」(撰時抄・292頁)

等の文を拝すると、宗祖はむしろ、常に見守り教導してくれている応身中心の三身如来として、信仰的には仰いでいたと云った方が良いとも思われます。
顕本法華宗が応身顕本論をいうゆえんですね。


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