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本尊と曼荼羅

5独歩:2002/04/05(金) 12:29

Libraさん:

私は4に引かれる山中師の「曼荼羅は本尊ではないという立言は決して許されない」というの、やや言い過ぎではないのかと感じます。

通常、讃文は「仏滅後…未曾有之大曼荼羅」とされるのに、万年救護は「大覚世尊…大本尊」となっています。ここから、仏=大覚世尊、曼荼羅=本尊という等式は、容易に想像されるわけですから、山中師の言はわからないでもありません。しかしでは、なぜ、このような言い換えを、この曼荼羅に限ってされたのか?という点が明確にされない限り、結局、この等式は証明されないでしょう。


Libraさんは、この言い換えの理由をどのようにお考えになられますか。

文永11年というのは、曼荼羅図示としては、いわば初期、第二段階(身延入山の年)の始まりであって、その後、10年近く図されていく曼荼羅には「未曾有曼荼羅」と認められていく、考えようによっては初期の試作段階の記述と見ることもできないこともないと思うわけです。

また「後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之」を聖人が自ら上行菩薩を宣言したと読むことは、もちろん可能ですが、しかし本尊抄一巻の記述からすれば、この段は、「後五百歳のときに、始めて上行菩薩が出現して本尊を立てるであろう」という意味とも取れるわけです。

此時地涌千界出現本門教主釈尊為脇士一閻浮提第一本尊可立此国

しかし、ここでいう本尊は本門教主釈尊なのですから、つまり曼荼羅中に、本尊教主釈尊の出現について書き留めておいたものであると考えることは可能ではないでしょうか。


それと勝呂師の「本尊の形式と思想を区別せよ」というのは、つまり、本尊“奉安”の形式と思想を区別せよという文の運びですね。

大曼荼羅・一尊四士・一塔両尊四士、また石山義を付加すれば、三宝一体、三宝別体、御影堂式(曼荼羅・蓮祖御影)、客殿式(曼荼羅・蓮祖御影・興師御影)、さらには曼荼羅・興師御影・目師御影という形式もあるでしょう。しかし、これは“奉安”の形式を言うのであって、これを本尊のというところに、そもそもの混乱があるのではないでしょうか。

厳密に言えば、本尊というのは根本とする尊崇の対象、つまり、仏・菩薩をいうのであって伽藍に奉安される曼荼羅・仏像・尊像を言うのではないはずです。仏像・曼荼羅を直ちに本尊と言ってしまうところに器物崇拝は発生するわけですね。

聖人において、本尊は久遠実成・教主釈尊、ここに混乱はありません(もっとも富士門では日蓮本仏を言い出し混乱させていますが)。

混乱があるのは、滅後以降の弟子たちが種々考案した仏像・曼荼羅の奉安についてであると思うわけです。


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