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池田教ってどんな宗教?

1問答迷人:2002/03/08(金) 16:47

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/ikeda.htm


日蓮正宗の側から、創価学会の池田さんを中心とした、組織のあり方
を批判して、以前より、池田教、ということを言ってきました。
この呼び方には、本来、日蓮正宗の信徒団体として、日蓮正宗の伝統
教義に則った活動であるべきが、そこから逸脱して、大きく独自展開
していった創価学会に対する非難の意味が篭められています。
本気で世界広宣流布を考えるなら、さまざまな試行錯誤、応用展開が
必要不可欠であり、そういった現場の苦心惨憺を宗門は本当にはわか
らないのだという不満が創価学会にあったことは事実だと思います。
ある程度、伝統教義の応用展開をしなければ、どうしようもない、と
いう創価学会の思いと、頑ななまでに、教条主義的に過ぎると批判
されても、基本的な伝統教義は譲れない、とする宗門の間には、良い
意味での緊張関係が以前よりあったと思います。
しかし、十年前、本来の最も基本的な、僧俗和合という路線を蹴破
り、両者は分裂してしまいました。一番迷惑しているのは、信徒で
はありませんか。宗門と学会との関係について、皆さんのご意見を
求めます。

52●●反省会:2003/10/12(日) 20:43
 悪人撲滅祈念、、ですか。 まるで「五寸釘、、?」の現代版とは、?  洗脳とは恐ろしいですネ? 当時の「オウム」は鏡的な反面教師のようですか、、?
 今でも「コロット騙されるバカども?」が居るようですネ、。 これは「地獄行きの指定席」でしょうか、?

53$♪感得者:2003/10/12(日) 21:50
 洗脳とは;;? 「悪人撲滅〜全員当選?」という「紙片」を貼って「拝む」「某団体」があるようです、。コレハ恐ろしい事ではないでしょうか、、?

54$♯1213:2003/10/12(日) 22:08
 介入ゴメン、、。 「悪人撲滅〜全員当選」??とは?? これこそ「公安調査庁」に依る「精密調査」のキビシイ調査を期待します、。
 どこにも「五寸くぎ的な悪行」はゆるされません、。 どーか、「詳細の御再調査のほど」をお願い申し上げます、、。

55$♯1213:2003/10/12(日) 22:10
 介入ゴメン、、。 「悪人撲滅〜全員当選」??とは?? これこそ「公安調査庁」に依る「精密調査」のキビシイ調査を期待します、。
 どこにも「五寸くぎ的な悪行」はゆるされません、。 どーか、「詳細の御再調査のほど」をお願い申し上げます、、。

56$$£88:2003/10/12(日) 22:58
陰では「アル・カイーダも真っ青のテロ予備軍的なS会信者がゴロゴロしている現況」がほぼ判明した様です。
 ドーカ「公安調査庁=CIA=FBIの方々」に「御期待申しあげます、、」。

57公安調査庁様!!:2003/10/13(月) 19:03
 「仏壇」の前に「〇〇の撲滅を!」という「祈り」を強要する「教団の存在は、?」。
 是非とも「日本版アル・カイーダ??」の存在の可否を御調査して下さい、。

58MILD SEVEN:2003/10/13(月) 19:11

 <<<聖戦>>>

愛の教育や慈悲を捨て、呪いを選択した愚かな創価。
もはや仏教でも宗教でもありません。
秘密結社・過去のナチスと同種の悪霊が支配しています。

解放教育をしましょう!
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq

59MILD SEVEN:2003/10/13(月) 19:13

 <<<聖戦>>>

愛の教育や慈悲を捨て、呪いを選択した愚かな創価。
もはや仏教でも宗教でもありません。
秘密結社・過去のナチスと同種の悪霊が支配しています。

解放教育をしましょう!
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq

60MILD SEVEN:2003/10/13(月) 19:16
今日は、私の好きな時代劇の2本立てです。

ストレス?解消にもってこいです。

61某集団の恐怖者:2003/10/13(月) 19:48
 一集団が「特定候補の当選祈願をしたり、反対者を撲滅祈念したり」の団体が存在のようです、、。
 まるで「オウム教〜アル・カイーダの如く」では?? 公安調査庁様、、しっかりと「踏み込みの家宅捜査を実施」されてくださいませ、。

62日本の恐怖者:2003/10/13(月) 21:05
 普通に生活の中に「ある特定の氏名の撲滅や特定の全員当選を祈願した”紙片”を各仏壇前に張り、題目を強要する」のは「==ヒトラー時代」かと存じますが、、?
 このままでは確実に「オウム〜アルカイーダの様な」危険な団体がノサバルようです、、。

63神崎抜け作:2003/10/22(水) 16:30

緊急報告!

各地で、仮面ライダー達が暴れています。
いかがいたしますか?
改造人間を増やしますか?
世界征服は達成できますでしょうか?・・・池田魔人様が地獄の名球界入りする前に。

あれ?
ここは秘密基地じゃ〜ないのか?
やっ
やばい。

64ダビデの星:2003/10/22(水) 23:16
私は創価に反省を迫っています。
殺されるまで聖戦です。
つらいのは、生きている間だけです。これが堅気というもの。
創価なんかより、ヤクザのほうが全然マシと思う事があります。馬が合うところもある。
要は、半端な人間はダメだと言う事です。魅力が無い。創価には。
キリスト者は直接、竜と戦うわけではありません。代理戦争です。サタンも裁きの日を望んではいないでしょう。
半端な創価は哀れかな。
私はダビデの星を量産したいと思っています。
創価が阿修羅と言うなら、その発言の責任を取るがいいでしょう。
私は新生・日の丸です。
私の名は<自由>と言います。

65MILD SEVEN:2003/10/23(木) 03:34
「創価学会の折伏法」

創価は対話を通して洗脳しようと躍起になります。本部の指導は洗脳を研究されたものです。

また、集団でイジメ「画策」抜き、ある時ふっと優しくして、そのまま対話を通して学会員にさせてしまう手も使います。

更に、宗教などの話はせずに、人のいい人間を装い、長い時間をかけた友人関係の後、ある時期が来ると自分は学会員であると告白し、対話を通してやわらかく選択を迫ります。

私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。
残念です。
悔い改めさせましょう!

http://8022.teacup.com/momo7/bbs

66MILD SEVEN:2003/10/23(木) 17:33
私は創価から人生をメチャクチャにされた被害者のひとりです。
1988よりの集団でイジメ「画策」、一方的な迫害・・・。

私は私が創価から受けた苦しみをこれ以上誰にも味あわせたくありません。
悪の根を絶ちたいのです。
これが私の正義です。
憎しみや復讐ではありません。

創価はまったく反省しません。
自分達に不利な事は誤魔化します。
魔人池田狂信者です。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

67MILD SEVEN:2003/10/23(木) 22:19

<創価学会が仏教では無く、単なる新興宗教である事の確証>

創価学会は、現在本山から破門され、その教義は仏教を否定し迷路をさまよっています。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/newpage3.htm

池田狂の傲慢さは醜く、魔界の虜と判断されます。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

68愚鈍凡夫:2003/10/23(木) 23:53
日達師の資料を整理していて、こういうのを見つけました(長いので所々略しています)。

『おととしの秋くらいから去年を通じ今年の春にかけて、この何と云いますかね。学会が宗門に対する態度と申しますか、色々僧侶に対して批判的であり、また、教義的においても我々から見て逸脱している事が多々ある様に思われます。(中略)
 先月の中頃でしたか、北条副会長並びに山崎弁護士が来られた時に、私は申上げました。
 その時、「国際センターを造る」と。「創価学会と日蓮正宗ともう一つ上に、日蓮正宗国際センターというものをつくる」という趣旨で来られました。
 私は、はっきり断りました。日蓮正宗は、日蓮正宗としての一つの宗教法人である。大聖人様の遺命によって広宣流布を全うしなけれぱならない只一つの宗旨である。それをその上に、一つまた国際センターという、日蓮正宗国際センターというものが出来るとなれば、正宗としてはその上にーつまた、被宗教法人が出来る。我々は被宗教法人の下についていくんだから意味が無くなってしまう。日蓮正宗としての意味が、また、御戒壇の大御本尊をお守りしてるというのも、今度は出来なくなってしまう。その上の宗教法人において、「どうとかこうとか」云われたらば、こっちもその下につくんだから、何ともする事が出来なくなる。その意味から、はっきり断りました。(中略)
 どこまでも、もし、学会がこなければ、もう、それは「正本堂」を造ってもらって有難い、「正本堂」は、その時の、日蓮正宗の、少なくとも信心する人、の集まりによって、その供養によって出来た建物である。だからもし、学会が来なくて、こっちが生活が立たない、というならば、御本尊はまた御宝蔵へおしまいして、特別な人が来たならば、御開帳願う人があったら、御開帳してもいい」と、いう覚悟を決めたわけです。』(1974(昭和49)年7月27日 「宗門の現況と指導会」 総本山大講堂大講義室)

日達師は、この頃既に、創価学会について相当疑念を持たれていたようですね。
学会側の宗門をコントロール下に置こうとする行動・言動が、露骨に目立ってましたから。

69MILD SEVEN:2003/10/24(金) 03:10
創価はナチスと同種の悪魔です。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

70MILD SEVEN:2003/10/24(金) 03:15
創価に反省ってあるのでしょうか?

無ければ悪魔です。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

71愚鈍凡夫:2003/10/24(金) 07:11

池田さんは経済で宗門を牛耳ろうとしました。しかし、それに失敗すると私怨で宗門を呪い、それに厭きたらずに学会員総掛かりで日顕さんに呪いをかけ、日顕撲滅などと狂気の雄叫びを上げています。誰かを呪えば功徳があるとする教えは、仏法にはありません。創価学会の邪義です。
宗門のあら探しを弟子に指示し、ほぼ連日、機関紙で口汚く罵っています。
その殆どは、小さな事実を学会に有利なように解釈し、拡大させて、学会員に勘違いさせるという「小説・人間革命」手法を更に悪辣にしたものです。
まぁ、どちらに罰があったかと言えば、日顕さんよりむしろ池田さんでしょう。聞く処によると、今までに「心筋梗塞」で2度倒れ、今年は「脳梗塞」で倒れたと聞いています。池田さんも人生の終焉がすぐ側まで来ていますから、持病の「糖尿病」治療のため、そろそろ大食漢から脱皮し、粗食を心がけ、品行方正を旨とすべきでしょう。

もっとも、宗創問題はどっちもどっちという感があり、どちらかを支持する気はありませんが、金と組織力に物を言わせた池田さんの遣り方には、大蔵商事時代に培ったサラ金手法を教団運営にそのまま持ち込んだようなものです。
「無理を通せば、道理が引っ込む」
これは、池田さんの本音の人生観と言えるでしょう。

「ご存知のとおり、私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。
 その大聖人の仏法は、第二祖日興上人、第三祖日目上人、第四祖日道上人、および御歴代上人、そして現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿と血脈相承されている。」(1982(昭和57)年11月18日 「広布と人生を語る」第3巻)

「日達上人御遷化の後、御当代御法主上人猊下を非難している徒がいる。私は、命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると叱咤しておきながら、いまは手のひらをかえして、みずからがその根本を破壊しているのである。
 言語道断もはなはだしい。
 私どもは変わらざる信心できたし、これからも変わらざる信心でいくのである。」(1982(昭和57)年11月18日 「広布と人生を語る」第3巻)

こんな事を宣いながら、いとも簡単に掌を返す事ができるのは、池田さんの才能ですね。

「統一ドイツのヴァイツゼッカー前大統領と私は会見しました。立派な人物でした。
 大統領の「過去に目を閉ざす者は、結局のところ、現在にも盲目となります」という言葉は有名です。」(青春対話)

こんな立派なことも言っていたんですが。所詮、臭い物には蓋をするんですかね。

72Leo:2003/10/24(金) 07:59
創価学会では実際に呪詛をやってます。当然のことながら、呪詛は仏教の正統を標榜する団体のやるべきこと
ではないと思います。

(資料)
宇宙生命論の悪弊
http://www.ne.jp/asahi/my/www/note008.html

「「ヤマトモ・日顕許さんぞ!!!!」「ヤマトモ・日顕に正義の鉄槌を・・・」
っとそしたら、ある日を境に癌細胞が小さくなって三ヶ月したら完全に消滅したんだって、
だから、悪に対する怒りの祈りで叶わないのは無いんだ。
戸田先生も「悪に対する追撃の手をゆるめるな!」と仰せの通り、
悪を撲滅する正義の戦いをしてゆきましょう。」

73愚鈍凡夫:2003/10/24(金) 21:31

実態のない、馬鹿げた数字を紹介します(以前、よその掲示板にレスされていたものです)。

創価学会会員数

1975(昭和50)年 16,419,945
1976(昭和51)年 16,480,060
1977(昭和52)年 16,539,375
1979(昭和54)年 16,598,916
1980(昭和55)年 16,578,916
1981(昭和56)年 16,701,587
1982(昭和57)年 16,801,601
1983(昭和58)年 16,891,650
1984(昭和59)年 17,054,753
1985(昭和60)年 17,209,159
1987(昭和62)年 17,539,771
1988(昭和63)年 17,639,866

1989(平成01)年 16,522,058
1990(平成02)年 16,015,210
1991(平成03)年 15,395,428
1992(平成04)年 15,211,428
1993(平成05)年 13,577,516
1994(平成06)年 12,807,861
1995(平成07)年 12,335,547
1996(平成08)年 11,982,233
1997(平成09)年 11,028,455
1998(平成10)年 10,420,327
1999(平成11)年 10,843,572
2000(平成12)年 11,297,744
2001(平成13)年 11,780,211

文化庁編「宗教年鑑」より


創価学会発表(2003(平成15)年)
聖教新聞発行部数 550万部
大百蓮華発行部数 280万部

このギャップは何を物語るのでしょうか?(んなバナナ、ワケワカメ・・・・(?_?))
まぁ、「宗教年鑑」の数字は「言った者勝ち」みたいなものですから、誰も額面通りに受け取りませんが。

故西口浩副会長(当時:創価学会広報部長)は、テレ朝の「朝生テレビ」で司会の田原総一郎氏の質問に答えて、延べ1000万人もの学会員が脱会したことを認めたのは有名な話です。
これからも、「何処まで続く、ぬかるみぞ」でしょうね。

74愚鈍凡夫:2003/10/24(金) 21:46

訂正

誤→ 大百蓮華発行部数 280万部
正→ 大白蓮華発行部数 280万部

です、「大百蓮華」ではギャグですね。悪しからず。 m(__)m

75愚鈍凡夫:2003/10/25(土) 00:50

名誉会長の池田さんに思う

 創価学会は広布基金の時期になると、学会員に功徳を宣揚することで現世利益を強調する。
 そして、幹部同士のライバル意識をかき立て、広布基金の積み上げをさせることも忘れない。
 昭和36年7月に大客殿御供養金(約32億円)を集めた後、池田大作氏は「創価学会としては永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはいたしません」(1962(昭和37)6月16日 聖教新聞)と語っていたのだが、昭和40年10月には正本堂御供養金(約355億円)を集めた。
 それ以降、財務の裾野を拡大し、金銭の吸い上げは激しさを増している。
世界広布には金がかかると彼らはいう。
 学会施設作りだけではない、著名人と逢い、名誉勲章を貰うにも、莫大な金がかかるのであろうが、それらは、企業で言えば宣伝費のようなものである。馬鹿を見るのは一般の純粋な会員だけだ。
 彼らは、マインドコントロールが解けない限り、そのことには気づかないだろう。
 生きてる限り、功徳を餌に創価学会に搾取され続けるのである。
 また、池田大作氏の不可解さは、やらないと言ったことを実行する事である。
 先の財務の件もそうだが、衆議院には議員を送らないと言っていたのに、昭和42年1月の総選挙には25名の当選者を出したりしているし、何度も宗門に忠誠を尽くすことを宣言したりしているが、悉く反故にしている(当然、日達師の頃からである)。

 不可解ついでに、有名な池田さんの講演を引用してみたいと思う。
 非常に奇妙な内容なのだ。

「(広宣流布の暁に大石寺の不開門を開くのは誰かということについて)天皇という意味もありますが、再往は時の最高権力者であるとされています。すなわち、公明党がどんなに発展しようが、創価学会がどんなに発展しようが、時の法華講総講頭であり、創価学会の会長がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます。後々のために言っておかないと、狂いが生ずるから言うのです。私は謙虚な人間です。礼儀正しい人間です。同志を、先輩をたてきっていける人間です。そのため、かえってわからなくなってしまうことを心配するのです。そうなれば、こんどは皆さん方が不幸です。学会も不幸です。本山にも不祥事をしてしまう。その意味において、きょうは、言いたくないことでありますが、将来の、将来のために、私は言っておきます。私が、御法主上人猊下様、大聖人様に、不開門を開いて、このように広宣流布いたしましたと、猊下をお通し申して、一閻浮提総与の大御本尊様に御報告することが、究極の、広宣流布の暁の、その意義なのであります。」(昭和40年7月度本部幹部会)

 池田さん(当時は第3代会長)こそが『時の最高権力者』であると自ら宣言し、自分が不開門を開くのは仏法の方程式だというのである(そんな仏法哲理は聞いたことがない。どの経典に載っているのか教えて貰いたいものだ。それとも、創価学会だけに伝わる秘伝法門なのか?)。
 そして、そのことを知らない皆さん方(学会員)が不幸なので言っておくとのことである(俺はこんなに偉いんだ。だからお前たちは、俺を崇拝しろという意味か?)。
 権威者ならまだしも、最高権力者なのである(独裁者という意味か?)。
 そう言いながら、「私は謙虚な人間です。礼儀正しい人間です。同志を、先輩をたてきっていける人間です」と、謙虚で礼儀正しいことを自慢しているのである。
 普通、自画自賛しない人のことを「謙虚な人」、「礼儀正しい人」と言うのではないだろうか。

「千年のかるかやも一時に灰となる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり」(「兵衛志殿御返事」 学会版P1091)。

とある事を忘れてはなるまい。

76MILD SEVEN:2003/10/25(土) 05:10

<創価学会 内部改善を!>

創価に内部改善の勇士はいないものか?
現状の体質では、いるとしても?難しいのでしょうか?やはり。

でも、創価が体質改善出来なければ、霊的な大戦は避けられないと感じます。
本当の実力者は忍耐していますから。
私は感じます。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

77愚鈍凡夫:2003/10/25(土) 11:12

創価学会の犯罪に関する情報はインターネット上に溢れているので、半日もネットサーフィンをすれば、いっぱしの学会通になれるのではないだろうか。
そこで、犯罪とは違う視点から見てみようと思う。

その教義について、表向きは日蓮大聖人直結などと言っているが、実際は日蓮仏法ではない。むしろ、創価仏法と呼称すべきものであり、「池田直結」が本音である。
教義上の逸脱は日達師の頃から再三指摘されてきたが、「会長本仏論」は水面下に深く潜行しただけで、今も本質は変わっていない。
また、牧口・戸田・池田の三代会長を永遠の指導者としているが、これは、四代以降は組織上の責任者に過ぎないと言うことであろう。雇われ社長と何ら変わらない。最も気の毒なのは、生涯、池田さんを守り抜いて死んでいった北条浩さんであろう。葬式の場で、笑えぬブラック・ジョークを披露されたのだから。
宗教的カリスマを信奉するのはカルト宗教の特徴の一つであるが、創価学会はまさにこれに当てはまる。それは、蓮祖の言葉より池田さんの言葉のほうがはるかに影響力を持っているからだ。論より証拠ということであれば、創価学会がカルトであり、邪教である事は、延べ1000万人が脱会した事実が如実に物語っているのではないか。

財務について前レスを補足すれば、大客殿建立の御供養で経済的に圧迫されていた学会員に、追い打ちをかけるように正本堂建立の御供養を強要した(本門戒壇建立は2度とないことで、未曾有の功徳があると宣揚していた)。全財産を抛って、そののち路頭に迷った人たちは少なくない。学会相手の御供養金返還訴訟がそれを物語っているだろう。結局「正本堂」は、池田さんの虚栄心を満たし、「会長本仏論」完成のための道具に過ぎなかったのではないだろうか。振り返ってみれば、時期的に「正本堂」が必要であったとは思えない。
その後、創価学会は経済的に疲弊した学会員に何の救済措置も執らなかった。それどころか、「正本堂」の御供養で味を占めた首脳陣は、それ以降、財務の裾を広げていったのである。
おかげで、今や信濃町の学会村は、「宗教貴族」の溜まり場のようなものである。
一方、学会員といえば、不幸になればなったで魔の通力であると叱責され、幸福になればなったで功徳であると持ち上げられ、役職に応じた活動と、財務が暗に要求されるのである。
要するに、学会員の幸不幸について創価学会には何の責任もないのである。どっちに転んでも損はしないシステムになっている。
こういった宗教の特異性を利用した宗教ビジネスが跡を絶たないのは、創価学会の成功がモデルケースとなっているのではないだろうか。
社会的に影響力のある教団だけに、これからも監視の目を怠ってはいけないだろう。
さもなくば、
「世間がアッと言った時にはもう遅い」ということになりかねない。

78MILD SEVEN:2003/10/25(土) 17:46
愚鈍凡夫さんのご意見は、創価の実態をよく暴いています。
とても参考になります。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

79探訪者007:2003/10/25(土) 21:54
 創価首脳らは「正本堂供養でのウマミ、、、」は「想像以上のカネズルだと、、」と気づいたようですネ。 その後は「まさに金儲け一本ヤリの宗教ビジネスにオブラートで包みながら、見事に前進?してきた」ようですね。
それに「政治参加=公明党」が「陰の後援者としての力量発揮」する昨今になりました、、。 彼らは「批判=反対者らは”嫉妬するヤキモチ焼き”のバカども扱い〜撲滅の対象のまで格上げ中、、」のようです、。 庶民が「言いたい事もも言えなくなるのはゴメン」です、、。 今こそ「彼らの野望阻止=言論戦」に力を集中したいものですが、。ヨロシク、、!。

80愚鈍凡夫:2003/10/25(土) 23:03

>>78: あっ、MILD SEVENさんどうも有り難うございます。

>>79: 探訪者007さん

> 庶民が「言いたい事も言えなくなるのはゴメン」です、、。

小生も同感です。

81沖浦克治:2003/10/26(日) 00:10
 創価学会に池田大作と言う名の卓越した指導者はおりますが、池田教と言う宗教団体はこの世に存在いたしてはおりません。
 お間違えの無いようにお願いいたします。

82Leo:2003/10/26(日) 00:24
学会指導を肯定的に捉える良識的なある私の友人のひとりが「池田教と呼ばれてもよい」と話していました。
「池田教」は「池田思想」や「池田名誉会長を指導者とする創価学会」と同義であるし、むしろ誇らしい
ことではないのですか。(全国の会館で「池田XX会館」という名の会館は多いし、戸田記念講堂や
牧口記念会館につづいて生前であるのに関西に池田記念会館を建設したのは快挙ではないでしょうか。)
それに、日顕宗と言う宗教団体が存在しないに『聖教新聞』や『大白蓮華』で日顕宗という言葉が使われ
ていますが、それはいいのでしょうか。

83探訪者007:2003/10/26(日) 00:42
 御同感します。yahooの掲示板でも憶面もなく「◇◇先生に賞をくれるから、もらうのだ。でもその「もらう為の下工作の有無には?」には「無回答」のようでした。 かなりの「洗脳された方々が各HPに密命を帯びて潜り始めた」ようです。「選挙」が近いので「ナリフリかまわず、、」でしょうか。 洗脳後の行為とはいえ「コワイ団体」のようです。

84Leo:2003/10/26(日) 00:50
>「もらう為の下工作の有無には?」

北京大学に留学したことのある学生部メンバーの話だと、現地では池田氏の名は
北京大学の図書館に書籍を寄贈したり、講演をしたりした人して一部の人の記憶に
残っているのみだそうです。

85Leo:2003/10/26(日) 00:57
「創価学会の功罪を考える」 スレ No.396
「池田教ってどんな宗教?」スレ No.84
から、下記のように言えるのではないでしょうか。

入力
末端の会員により折伏(勧誘)と法戦(選挙支援)
処理
外国で寄贈や講演を行う
(現在はトップは外遊されていないようである)
出力
賞を貰う

86探訪者007:2003/10/26(日) 01:48
御情報参考になります。 全世界129カ所から「名誉博士号」や「多くの名誉市民号、」などなど、。世界同時不況のデフレ時代に「黄色人種という世界から差別されがちの一東洋人」にすぎない「□□先生が、なにゆえに多くの名誉?在る賞?」を「いとも簡単に?獲得可能?」なのでしょうか、、?? ちなみに「日テレが視聴率をカネで世論操作した」と言う件で「担当者が逮捕され上司が謝罪会見」したようです、。まじめに生きる者として「悪」は暴露されて欲しいものです、、。

87愚鈍凡夫:2003/10/26(日) 02:23

>>86:探訪者007さん、見過ごしていました、寝る前に一言。

> まじめに生きる者として「悪」は暴露されて欲しいものです、、。

その通りだと思います。探訪者007さんに1票。 (^_^)v

88Leo:2003/10/26(日) 13:09
>池田教ってどんな宗教?

10月25日の『聖教新聞』の「新・人間革命」にあるように「宇宙即我」(梵我一如の思想)がひとつの特徴だと思います。
このような思想が仏教でないもであることは衆知の事実であります。

しかし学会は仏教の正統を標榜しています。このようなことは外国産牛肉を国産牛肉と偽って販売する
ような誤りではないでしょうか。

(参考資料)
宇宙の中心生命であるブラフマン(高校の世界史の参考書)
http://page.freett.com/Libra0000/066.htm

> まじめに生きる者として「悪」は暴露されて欲しいものです、、。

私も同意です。

89Leo:2003/10/26(日) 13:11
このような思想が仏教でないもであることは
→このような思想が仏教でないものであることは

90Leo:2003/10/26(日) 22:29
自己レス。

>しかし学会は仏教の正統を標榜しています。このようなことは外国産牛肉を国産牛肉と偽って販売する
>ような誤りではないでしょうか。

こう言ってはみましたが、一部のキリスト教系振興宗教団体がキリスト教とみなされていないように
世間ではもともと学会が仏教団体とみなされていないかもしれませんね。

91MILD SEVEN:2003/10/27(月) 02:25

異端とされる三位一体を認めない教派。エホバの証人。モルモン教。統一教会。
ですね。
確かに、池田創価は法華経さえも否定していますからね。
やっている事は池田経でしょう。

これ以上、創価が体質改善無きまま政権に食い込むと、国民の税金を何に使われるか?不安です。
カルトの布教の為に世界に資金流失等、池田氏個人の勲章取りの費用かな?
本格的に世界征服の野望を燃やすでしょう。あの名誉会長連中は。
貧乏するのは一般国民・・・なんてことは阻止しましょう
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

92心者雖念不直相鴨:2003/10/27(月) 05:56
Leoさん:
はじめまして、もと学会員の心者雖念不直相鴨です。
88 について教えてください。

>「宇宙即我」(梵我一如の思想)がひとつの特徴だと思います。
このような思想が仏教でないもであることは衆知の事実であります

と、いうことですが、法華経や御書に「生命」の語がでてこない。「一念」≠「生命」となることは、今までの議論でわかりましたが、たとえば、以下の御文はどのように理解すればよいのでしょうか? 「一念」≠「生命」であっても、色心不二であり、「一念」も己身の体内の熱エネルギー的諸過程の反映(「生命」の言い換えです)であることを考えると、「生命」もしくはその類似概念を用いずに、現代語に訳するのは難しいような気がするのですが?

法華経の悟りと申すは、此の国土と我等が身と釈迦如来の御舎利と一つと知るなり。経に云く「三千大千世界を観るに乃至芥子の如き許りも、これ菩薩にして身命を捨てたまふ処に非ざること有ること無し」文。此の三千大千世界は、皆釈迦如来の菩薩にておはしまし候ひける時の御舎利なり。我等も此の世界の五味をなめて設けたる身なれば、又我等も釈迦菩薩の舎利なり。

戒体即身成仏義 〔C6・仁治三年〕/ 安房国清澄山住人 蓮長 撰

93Leo:2003/10/27(月) 08:21
心者雖念不直相鴨さん。はじめまして。

色々な捉え方があると思います。私は仏教の縁起観、天台宗の一念三千説が仏教の中心思想で
ありそれらが日蓮聖人の思想に受容されていると捉えております。

戒体即身成仏義は初期の御書であること、日蓮聖人は最初は天台密教や真言を否定していなかった
ため、それらの影響は濃厚であったのではないでしょうか。

田村芳朗氏(日蓮宗)なども『法華経』(中公新書)で「生命」という言葉を用いていますが、
仏教の縁起観、天台宗の一念三千説をふまえて用いていると思われます。

学会では、ご存知のように基本的に仏教の縁起観、天台宗の一念三千説は「釈迦仏教」として放棄されますし
「宇宙」や「生命」を実体化して捉えているのではないかと思います。

(参考資料)
大宇宙即御本尊(戸田城聖・池田大作)
http://page.freett.com/Libra0000/064.htm

我見(がけん)
〔仏〕「我執(がしゅう)」に同じ。
我執(がしゅう)
〔仏〕 自己の内部に不変の実体、本質が存在するとする、非仏教的な考え。我見。
(『大辞林 第二版』)

94みかん:2003/10/27(月) 16:42
田村芳朗先生は法華宗本門流ですよ。日蓮宗ではありません。

創価学会などの宇宙生命論は仏教教義とはことなりますが、宇宙生命論は梵我一如説とは違うのではないかと疑っています。
宇宙生命論が梵我一如説だから仏教教義に反するという言説をよく見かけますが、そう単純ではありません。検討の余地があるでしょう。

「宇宙即我」=(梵我一如の思想)とは即座には言えないと思いますが。検討しないと。

ブラフマン(梵)と彼らの言う宇宙・宇宙生命が同一の存在だとは思えません。
またアートマン(我 が)と我(われ)は明らかに違います。

アートマンとは、ものごとに不変独立の本質、常一主宰の実体、自性のことであり、単なる我(われ・わたし)のことではありません。

あと密教で言う梵我一如とウパニシャッドの梵我一如は区別しないといけないと思いますが。

宇宙生命論は宇宙生命論として批判しないと逝けないのであり、宇宙生命論が○○だから仏教教義と違うというのは誤ったアナロジーではないでしょうか。

また、心者雖念不直相鴨さんが指摘されるような思想は初期だけはなく、本尊抄などにも見られるでしょう。一心法界義であり、華厳に由来して天台経由で日蓮に入った思想だと思います。これはべつに仏教教義に反しません。

95顕正居士:2003/10/27(月) 18:12
みかんさんのおっしゃるとおりです。

石田次男さんという六派哲学と六師外道の区別がつかないデムパ系のコピぺから
はじまった脳内理論です。中杉博士やしぶけんさんに騙されないようにインド哲学の
入門書1冊くらいよみましょう。

96MILD SEVEN:2003/10/27(月) 19:04
創価学会は変ですね。<法華経を否定する池田大作大先生>に従うなら、学会の御本尊など燃やしてしまえばいいのに。
どうせ、本山のものと違うものだから。
池田経で、ご本尊でも創作すればいいのに。
それとも詭弁経かな?
これからは、創価学会・池田経と呼びましょう。

97犀角独歩:2003/10/27(月) 19:14

> 池田経で、ご本尊でも創作すればいいのに

「池田経」という表現は別として、この意見にはわたしは賛同します。
「日蓮正宗とは別の宗教」であるというのであれば、他宗のコピーなど使うのは論理矛盾です。池田さんが書写した漫荼羅を拝むほうが矛盾はありません。
どなたのか判断に拠れば、蓮祖の漫荼羅を書写したものは誰が書写したものでも蓮祖漫荼羅だそうですから、池田さんが書写しようが、会員が各自で書写しようが蓮祖漫荼羅ということになるのでしょう。そのようにして、独立・破門の事実を闡明にすべきでしょう。

わたしは、しかし、この考えには反対です。漫荼羅は蓮祖御筆漫荼羅とその書写を分けて扱うのが興師の考えであり、その姿勢にわたしは納得するからです。

98犀角独歩:2003/10/27(月) 19:34

わたしは個人的には「生命」という考えは「霊魂」「我(が=アートマン)に近似して見えます。また、この場合、梵に契当するのが法であるとする解説は近似値としてよくできた説明であると考えてきました。

みかんさんの呈する疑問は ひろさちやさんの密教解釈にもその原因があるでしょうね。
どのような考えべきであるか、その雛形を提示いただければ有り難いと思います。

なお、いま「生命」という言葉で代表される“実体”は十如是では「体如是」が長らく受け持ってきたものであり、その外的特性を「相如是」・内的特性を「性如是」として、この三如是の力・作・因縁果報が本末して等しいということで説明されたきたのが諸法実相でしたね。

わたしは個人的に「生命」という言葉がどんなことを指すか別として、この語彙で説明すれば、従来の教学的説明とはどのみち、違ってしまうのは事実であると考えます。ですから、「生命論は蓮祖教学とは無関係である」という点については動きません。もちろん、お立場、考えは違っても、みかんさんもこの点では同様の考えをお持ちであると拝察いたします。

99MILD SEVEN:2003/10/27(月) 19:58

犀角独歩さん;

純血が大切という事ですね。それは純潔。
異端は、いずれ狂気に陥るという事でしょうか。
池田氏の肉体の老化と共に、創価も狂気に陥るでしょう。
人生、迷いたくないものです。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

100MILD SEVEN:2003/10/27(月) 20:00

犀角独歩さん;

純血が大切という事ですね。それは純潔。
異端は、いずれ狂気に陥るという事でしょうか。
池田氏の肉体の老化と共に、創価も狂気に陥るでしょう。
人生、迷いたくないものです。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

101MILD SEVEN:2003/10/27(月) 20:04
二重投稿をお赦しください。

昔のアニメ・北斗の拳を想い出します。
羅王=池田と重なって連想するのは私だけでしょうか?

102犀角独歩:2003/10/27(月) 20:37

MILD SEVENさん:

『創価学会のまちがいをただす』
「キリスト教折伏」に答えて
 森山諭著
 日本イエス・キリスト教団東京教会出版部発行
 昭和38年3月20日初版

という本をご存じですか。
全面的に賛同というわけではありませんが、なかなかよくまとまっています。
こんな適切な批判が、いまから40年前にあったのに、その後、創価学会がバブルのように強大化してしまったことを、元会員でありながら、残念に思います。
参考に、以下、目次を載せます。

第1章 誤った情熱
富士山麗の閲兵式、折伏大行進、殉教的気分、全員日蓮正宗信者

第2章 日蓮の略歴
誕生から出家、法華経の成立、ヨハネ伝と法華経、立宗と折伏、身延山から入滅まで、

第3章 日蓮正宗の沿革
白蓮阿闍梨日興、日蓮正宗の主張、日興の門弟、二箇相承、板本尊、真骨論、日寛組織教学を大成す、北山本門寺との論争、創価学会の結合

第4章 二箇相承は真実か
正しい宗教批判、誤算はご破算にせよ、二箇相承は真筆がない、身延相承書を糾明する、池上相承書を糾明する(嘘の正体1、2、3、4、5、6)

第5章 板本尊は真実か
正宗側の主張、真実の礼拝と偶像化、板本尊の実体、偽作の証拠(1−10)

第6章 真骨論と肉牙論
キリストの復活と日蓮の遺骨、文証と理証とが之を否定する、身延謗法説の逸脱、宗祖日蓮を侮辱する、文証が身延別当を否定する、身延墓所は日蓮の本願、学会員は謗法の寺に埋葬する、日興は遺骨を重視しなかった、子供だましの肉牙説

第7章 日蓮本仏論のまちがい
彼らの主張、出典に照らして、日蓮の眼目は日本の外に出ない、日蓮は釈迦の御使と自称した、仏教よりの逸脱

第8章 創価学会の沿革
牧口氏と戸田市の出会い、日蓮正宗への入信、創価教育学会の発足と牧口氏の思想、当局の弾圧、創価学会の再建、戸田氏の死去、池田3代会長

第9章 生命論のまちがい
あいまいな生命観、色心不二のまちがい、因果応報のまちがい、無始無終のまちがい、不生不滅のまちがい、釈迦久遠仏説のまちがい

第10章 価値論のまちがい
その内容、真理は認識概念ではない、ナチズムに通じる、価値判断のまちがい

第11章 幸福論のまちがい
目的と課程のはきちがい、不幸の原因、まことの幸福、反価値の悪現象

第12章 十界論のまちがい
キリストの再臨とミロクの再誕、キリスト教と観世音菩薩、呪術的題目、皮相浅薄な十界論、宿命観への逆転

第13章 「キリスト折伏」に答えて
「キリスト教折伏」に答えて、処女降誕について、復活について、昇天について、教義について、奇跡について、罪の問題について、予言について、死について、生命について、
結び
参考文献
推薦のことば

103犀角独歩:2003/10/27(月) 20:38

MILD SEVENさん:

『創価学会のまちがいをただす』
「キリスト教折伏」に答えて
 森山諭著
 日本イエス・キリスト教団東京教会出版部発行
 昭和38年3月20日初版

という本をご存じですか。
全面的に賛同というわけではありませんが、なかなかよくまとまっています。
こんな適切な批判が、いまから40年前にあったのに、その後、創価学会がバブルのように強大化してしまったことを、元会員でありながら、残念に思います。
参考に、以下、目次を載せます。

第1章 誤った情熱
富士山麗の閲兵式、折伏大行進、殉教的気分、全員日蓮正宗信者

第2章 日蓮の略歴
誕生から出家、法華経の成立、ヨハネ伝と法華経、立宗と折伏、身延山から入滅まで、

第3章 日蓮正宗の沿革
白蓮阿闍梨日興、日蓮正宗の主張、日興の門弟、二箇相承、板本尊、真骨論、日寛組織教学を大成す、北山本門寺との論争、創価学会の結合

第4章 二箇相承は真実か
正しい宗教批判、誤算はご破算にせよ、二箇相承は真筆がない、身延相承書を糾明する、池上相承書を糾明する(嘘の正体1、2、3、4、5、6)

第5章 板本尊は真実か
正宗側の主張、真実の礼拝と偶像化、板本尊の実体、偽作の証拠(1−10)

第6章 真骨論と肉牙論
キリストの復活と日蓮の遺骨、文証と理証とが之を否定する、身延謗法説の逸脱、宗祖日蓮を侮辱する、文証が身延別当を否定する、身延墓所は日蓮の本願、学会員は謗法の寺に埋葬する、日興は遺骨を重視しなかった、子供だましの肉牙説

第7章 日蓮本仏論のまちがい
彼らの主張、出典に照らして、日蓮の眼目は日本の外に出ない、日蓮は釈迦の御使と自称した、仏教よりの逸脱

第8章 創価学会の沿革
牧口氏と戸田市の出会い、日蓮正宗への入信、創価教育学会の発足と牧口氏の思想、当局の弾圧、創価学会の再建、戸田氏の死去、池田3代会長

第9章 生命論のまちがい
あいまいな生命観、色心不二のまちがい、因果応報のまちがい、無始無終のまちがい、不生不滅のまちがい、釈迦久遠仏説のまちがい

第10章 価値論のまちがい
その内容、真理は認識概念ではない、ナチズムに通じる、価値判断のまちがい

第11章 幸福論のまちがい
目的と課程のはきちがい、不幸の原因、まことの幸福、反価値の悪現象

第12章 十界論のまちがい
キリストの再臨とミロクの再誕、キリスト教と観世音菩薩、呪術的題目、皮相浅薄な十界論、宿命観への逆転

第13章 「キリスト折伏」に答えて
「キリスト教折伏」に答えて、処女降誕について、復活について、昇天について、教義について、奇跡について、罪の問題について、予言について、死について、生命について、
結び
参考文献
推薦のことば

104犀角独歩:2003/10/27(月) 20:44

また、二重投稿になってしまいました。
この書き込み共々一つは消してください

105犀角独歩:2003/10/27(月) 21:29

『創価学会のまちがいをただす』から少し抜粋

第10章 価値論のまちがい
 第3項 ナチズムに通じる

「価値論がただ誤れる観念論というに止まらず、その中には、彼らがいう悪、すなわち公害を含んでいることは注目を要する。
 『親孝行は三種あり、親に物を与うるを小善となし、親の意にたがわざるを中善となし、法華経の功徳に回向する事が大善である。故に我々の折伏行は最高善をすすめるもので、大善人と言わなくてはならない……我々は牧口先生の価値論を広く説き、世界の誤れる哲学を打ち破り、我々の輝かしい広宣流布の使命を、世界の人々に認識させるには、この値論によって説かなければならないのである』(折伏経典77頁)
 これではっきりするように、値論は結論において、『大善とは法華経に回向し、自行化他することであり、結果的に見て、それに反することが大悪である』となるから、彼らの邪義邪宗と決め込んでいるあらゆる宗教を撲滅して、日蓮正宗を広宣流布するために、それを妨げる公害を排除しなければならないと信じている。そのために、彼らの折伏行為によってどれだけ社会一般が大事な時間を奪われていることか。しかも、先に述べたように、最高善である法華経流布のために、公害を除こうとする思想には、テロリズムに発展する危険性がある」(P114)

文中の「日蓮正宗」を「創価学会」に置き換えれば、まさに最近、頻繁に眼にする投稿内容の同轍であることがわかります。なお、上述の“公害”とは折伏経典に値論論説明中、公利の対概念とされるものです(初版P73)

わたしはここで森山師がいうテロリズムに言論の暴力も含まれると思います。
他宗教、思想の生存権を認めず、自分たちの考え一色で染め直すことが広宣流布であるというのは、かつてナチズムが優生保護といって、自分たちが劣っているとする民族、思想を撲滅せんとした独善と何ら変わらないものです。このようなものが広宣流布であってはたまりません。

106MILD SEVEN:2003/10/27(月) 22:48

犀角独歩さん:

原点はまた、新しい。
我々はリバイバルを常に求めています。

異端に負けぬよう、お互い前進して行きましょう!
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

107Leo:2003/10/28(火) 00:18
犀角独歩さん。横レス失礼いたします。

>「日蓮正宗とは別の宗教」であるというのであれば、他宗のコピーなど使うのは論理矛盾です。池田さんが書写した漫荼羅を拝むほうが矛盾はありません。
>どなたのか判断に拠れば、蓮祖の漫荼羅を書写したものは誰が書写したものでも蓮祖漫荼羅だそうですから、池田さんが書写しようが、会員が各自で書写しようが
>蓮祖漫荼羅ということになるのでしょう。そのようにして、独立・破門の事実を闡明にすべきでしょう。

私個人としては池田氏が創価国建国の父(ないし創価ひょうたん島のドン・ガバチョのような存在)であるとことは認めますが、
日頃の言動や著書からは池田氏が日蓮聖人の法門を継承しているとはとても思えません。
池田氏漫荼羅が本尊となった時点で学会を辞めると思います。

>わたしは、しかし、この考えには反対です。漫荼羅は蓮祖御筆漫荼羅とその書写を分けて扱うのが興師の考えであり、
>その姿勢にわたしは納得するからです。

少し、質問させて頂きたいと思いますが、よろしいでしょうか。非素朴な疑問です。
(私は色々な人のご意見を伺いたいと思っております。基本的に非難するのは学会バリバリ系だけです)

本尊が「蓮祖御筆漫荼羅」を根本とするならば、「蓮祖御筆漫荼羅」所持の組織(寺院など)から下付を
受けるのが筋(従ってそのような組織に所属する必要がある。(売店で買うのではないと思いますが...))
ということを意味するものでしょうか。

108Leo:2003/10/28(火) 00:28
非素朴な疑問です。→ 非常に素朴な疑問です。

109Leo:2003/10/28(火) 00:47
顕正居士さん。レスありがとうございます。

>みかんさんのおっしゃるとおりです。
>石田次男さんという六派哲学と六師外道の区別がつかないデムパ系のコピぺから
>はじまった脳内理論です。中杉博士やしぶけんさんに騙されないようにインド哲学の

中杉さんは私もデムパ系と思います(それに石田氏を引用します)。
確かにしぶけんさんも学会生命論を批判しますね(石田氏系ということですね)。
(Libraさんの宇宙生命論批判は石田氏系とは独立と思いますしデムパ系でないと思います)

私はデムパ系になりたくないので(デムパ系や荒しになるために仏教・哲学を学んでいるのではありません)、
顕正居士さんはじめとする諸先輩の話を伺いにこの掲示板に再び来ました。

>入門書1冊くらいよみましょう。

そのようにしたいと思います。さっそく『はじめてのインド哲学』(講談社現代新書)、
『インド人の論理学』(中公新書)を入手しました。
(他によい書籍がございましたらご紹介いただけると幸いです)

110Leo:2003/10/28(火) 01:36
みかんさん。レスありがとうございます。

>田村芳朗先生は法華宗本門流ですよ。日蓮宗ではありません。

なるほどです。法華宗本門流は本能寺が大本山で日蓮宗とは区別されるということですね。

>創価学会などの宇宙生命論は仏教教義とはことなりますが、宇宙生命論は梵我一如説とは違うのではないかと疑っています。
>宇宙生命論が梵我一如説だから仏教教義に反するという言説をよく見かけますが、そう単純ではありません。検討の余地があるでしょう。
>「宇宙即我」=(梵我一如の思想)とは即座には言えないと思いますが。検討しないと。
>ブラフマン(梵)と彼らの言う宇宙・宇宙生命が同一の存在だとは思えません。
>またアートマン(我 が)と我(われ)は明らかに違います。
>アートマンとは、ものごとに不変独立の本質、常一主宰の実体、自性のことであり、単なる我(われ・わたし)のことではありません。
>あと密教で言う梵我一如とウパニシャッドの梵我一如は区別しないといけないと思いますが。
>宇宙生命論は宇宙生命論として批判しないと逝けないのであり、宇宙生命論が○○だから仏教教義と違うというのは誤ったアナロジーではないでしょうか。
>また、心者雖念不直相鴨さんが指摘されるような思想は初期だけはなく、本尊抄などにも見られるでしょう。一心法界義であり、華厳に由来して
>天台経由で日蓮に入った思想だと思います。これはべつに仏教教義に反しません。

基本的に了解しました。
(Libraさんのサイトからのコピペです...下記はすでにご存知かもしれませんが)どのように思われますでしょうか。

「本来、仏教は、生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る。それが釈尊の悟りです。
それを「縁起」とも言い、「空」とも言い、「妙法」とも言うのです。」
(池田大作他『法華経の智慧』第3巻、聖教新聞社、p. 129)

少なくとも、初期仏教では「生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る」
という思想はないように思います。

「「仏とは何か」を追求し抜いて、仏とはほかならぬ自分のことであり、宇宙の大生命であり、
それらは一体であるとわかった。 “足下を掘れ、そこに泉あり”という言葉は有名だが、
自身の根源を堀り下げていく時、そこに万人に共通する生命の基盤が現れてきた。それが永遠の宇宙生命です。」
(同上、p. 328)

「根源」や「基盤」の語は「実体」を連想し、誤解を招くものではないでしょうか。

・宇宙生命論は仏教ではない(Libraさん) 
http://page.freett.com/Libra0000/z001.html

勤行─大宇宙と自身の生命交流の儀式(「やさしい教学」『聖教新聞』)
http://page.freett.com/Libra0000/063.htm
「勤行の意義を比喩的に言うならば、「大宇宙と自分の生命の交流の儀式」」とあります。

「一心法界義」がみられるとの件は了解しましたが、それは果たして中心的思想なのでしょうか。
宇宙と交流するのが勤行・唱題なのでしょうか、それとも法華経のエッセンスであるところの題目を
受持するのが勤行・唱題なのでしょうか。私は前者と後者は異なるように思うのですが...

「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に
彼の因果の功徳を譲り与え給う」
(「観心本尊抄」、『全集』、p.246)」

「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を
生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」
(「生死一大事血脈抄」、『全集』、p.1337)

111Leo:2003/10/28(火) 02:03
>少なくとも、初期仏教では「生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る」
>という思想はないように思います。

初期仏教では「生きとし生けるものに幸いあれ」という思想はありますね。
学会ではなぜそのようなよい思想をお教えないのでしょうか。
(敵対者攻撃に都合が悪いからでしょうか...?)

「生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る」というような
流出説や他には師弟不ニばかりが強調され、好まれるように思います。

112Leo:2003/10/28(火) 02:05
学会ではなぜそのようなよい思想をお教えないのでしょうか。
→学会ではなぜそのようなよい思想を教えないのでしょうか。

ミスタイプしてしまいました。皆様おやすみなさい。

113顕正居士:2003/10/28(火) 05:29
Leoさん。

仏教などの異端思想を含めたインド哲学通史は下記を推薦します。
教科書として用いられているから入手は容易です(→google検索)。

中村元『インド思想史』(岩波全書 1969)
金倉圓照『インド哲学史』(平楽寺書店 1981)

次に『木村泰賢全集』の第1〜第2巻を読みましょう。
http://www.daihorin-kaku.com/books/3001-5.htm
第一巻『印度哲学宗教史』
第二巻『印度六派哲学』
古書を探せば全巻揃15000円ほどでも入手できることがあります。

114顕正居士:2003/10/28(火) 08:34
宇宙生命論はまずいろいろな近代思想がまざって生じた思想の潮流でしょう。
シェリングの同一哲学。ベルクソンの生の飛躍。T.シャルダンの臨界点など。
宇宙生命論には単純から複雑へ、不完全から完全へ意識が進化するという
思想がふくまれており、先に完全な存在があってそれから宇宙が展開すると
いう古代的中世的の思想とことなっています。

「宇宙生命(手塚治虫と火の鳥) 」
http://www.asahi-net.or.jp/~he5h-hsgw/sfprog/cosmos.html

しぶけんさんの「池田大作の妙法観とその誤り」
http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/MAJI/M2/2-3.htm
も宇宙生命論と梵我一如を一緒にしています。しかし「宇宙の根源法」とか
「宇宙のリズム」とかは「池田氏のオリジナル」であるというのはもっともです。
日蓮正宗の信仰の対象は「久遠元初の無作三身」という人格(仏格)である
というのも正しい。けれど宇宙生命論もその中心に意識をおきます。だから
「池田大作の妙法観」批判は適切ですが、それを宇宙生命論や梵我一如と
一緒にしており、「池田氏のオリジナル」という指摘と矛盾してしまいます。

Libraさんもこれらを混同しています。

115無徳:2003/10/28(火) 13:10
みかんさんや顕正居士さんのご意見も解りますが、池田氏は南無妙法蓮華経は「宇
宙根源の法」であり、宇宙そのものが生命存在であり一実体であると主張していま
す。

したがって、仏法上のメルクマールとも言える非実体論とは相容れない非仏教的な
言説であり、限りなく「凡我一如」説に近いものと言えるのではないでしょうか?

116犀角独歩:2003/10/28(火) 13:49

Leoさん:

ご投稿を拝見していました。
向学的な姿勢、また、その穏やかな遣り取り、見習うところがたくさんあります。敬服いたします。

さて、

> 本尊が「蓮祖御筆漫荼羅」を根本とするならば、「蓮祖御筆漫荼羅」所持の組織(寺院など)から下付を受けるのが筋(従ってそのような組織に所属する必要がある。(売店で買うのではないと思いますが...))
ということを意味するものでしょうか

というご質問について、以下、わたしの考えです。
まず、ご質問のごときとはまったく考えていません。
話を他門に広げますと、拡散してしまいますので、興門に限って記します。
その前提で、蓮師の考えとして、弟子・檀那に対して漫荼羅を全員に下付したわけではなかったろうと思えます。となれば、蓮師の提示する修業において、漫荼羅奉懸は必ずしも必須条件ではなかったであろうと想像できます。

蓮師の本尊観は久遠釈尊本尊で、やや勇気を持って広げれば妙法五字本尊です。
具体的に拝んでいらっしゃったのは随身一体仏であったでしょう。蓮師が漫荼羅を拝んでいたことを示す資料は窺えません。

次段階として、興師は漫荼羅奉懸、進んで安置を促し、そこで勤行をしていたように思えます。また、漫荼羅(正確には妙法五字)を直ちに本尊とする考えをもっていたと見えます。もちろん、一方で一尊四士という仏像安置を述べるわけですが、取り敢えず、この点は置きます。漫荼羅に限って言えば、講師指導の許、重須教学では何ものを本尊としたかは文献に見えます。

「日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず。唯御書の意に任せて、妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべしと。即ち御自筆の本尊是れなり」

ここに明確に「御自筆の本尊」、興師の直接の表現で言えば「御筆御本尊」であることが明記されています。しかし、傍らで興師が漫荼羅を書写下付されたことも事実ですね。これはしかし、御筆本尊と書写本尊を明確に分けて扱う襟度に基づくものでしょう。

さらに次の段階ですが、では、蓮師・興師は漫荼羅を複製することを意識していたかという点を考えてみる必要があろうかと思うわけです。蓮師は特定の人を選んで図示下付したわけですから、そのような姿勢から複製を造ることを考えていたとは決して思えません。だからこそ、興師門の向・頂・春師批判があったのでしょう。

「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり」

当然、興師もそのような姿勢から御筆漫荼羅の複製を作ることはしなかったはずです。
御筆漫荼羅が本尊である。これを鉄則として、しかし、

「日興の弟子分に於ては在家・出家の中に或は身命を捨て、或は疵を被り、若しは又在所を追放せられ、一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり」

と以上の条件を遂ぐ弟子・信徒に限っては書写し、これを下付することはあったことが知られます。ここに御筆と書写の謹厳実直な姿勢が拝せる故に左記のごとくにわたしは記したのです。

その後、漫荼羅は形木に刻まれ、版木印刷がされるようになり、現在では製版印刷までされるようになりました。その是非は各人の考えはあるでしょうが、少なくとも蓮興二師の事跡を仰ぐ限りそのようなことはなかったとわたしは思います。ですから、現在においてもその祖師の信仰を仰ぐのであれば、書写のそれも印刷漫荼羅を拝む謂われはないとわたしには思えます。御筆漫荼羅を拝するとき、やはり、わたしはいまでも法悦に打ち震えるのは、恥ずかしながら、偽りのない事実です。

117犀角独歩:2003/10/28(火) 13:53

【116の訂正】

誤)講師指導の許
正)興師指導の許

118犀角独歩:2003/10/28(火) 14:57

116をやや補足しますが、漫荼羅複製には、板漫荼羅の如き彫刻複製(模刻・謹刻)も含みます。その意味から楠板(反丸材木?)に彫刻された漫荼羅相貌を本尊と言うことには憚りを禁じ得ません。それ故、さらに「之」を写したという学会を含む石山の、いわゆる御形木、または印刷ラミネートした本尊の「下付」という儀は蓮興両祖の素意とは明らかに違うものであると、少なくとも歴史資料から見る限り、そのように拝察されます。

なおさらのことですから、御筆漫荼羅所蔵者からその複製を買う、貸し下げられるなどということは考えてみなかったことでした。

ただ、以上は、蓮興両祖の素意から考えるところであって、現行、その祖を仰ぐ方々が、顕正居士さんがご紹介なさる如く、ネットから御筆漫荼羅画像をダウンロードして、自身の安置漫荼羅とされようが、それはそれで各人の自由であろうと思います。また、その他販売も意に任せるところでしょう。ただ、蓮興両祖の考えとは違うと申すばかりです。

119顕正居士:2003/10/28(火) 17:37
無徳さん。

「宇宙の根源法」は非仏教的ではありません。「無量義とは一法より生ず」(無量義経)。
「宇宙のリズム」も初座の勤行をしてお天道さまにエネルギーをささげなくちゃあでしょ。

「池田氏のオリジナル」であっても日蓮正宗の中にあったこと。無徳さんはもっと純粋な
日蓮仏教を想定しているのでしょうが、それは実在しないから説明しないとわからない。

そして上のことがらはインド哲学、そのなかの不二一元論とは関係がなさ過ぎるという
ことです。

120無徳:2003/10/28(火) 19:01
顕正居士さん早速のレスありがとうございます。

私は池田氏が小説「人間革命」の中で戸田二代会長の獄中の悟りとして、戸田氏が
獄中にて無量義経の徳行品第一を読み進める中で、

「仏とは、生命なんだ!生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分自身の命
にあるものなのだ。いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!」

としています。
無量義経における無量義なる概念が「宇宙根源の法」であるとの解釈にも、かなり
違和感がありますが、ひとまずそれを措いても仏とは生命の表現であり、自己の中
にあると共に、宇宙もある生命という一実体なのだとする解釈は非仏教的であり、
凡我一如思想に限りなく近いと思います。

それに、もし仏が生命であるとするならば、あらゆる生命的存在は元々仏であるこ
とになりますから仏道修行は無用となります。

これは、天台本覚論どころではなくなります。この点は如何でしょうか?

121無徳:2003/10/28(火) 19:22
訂正__(誤)宇宙もある生命__(正)宇宙にもある生命

122MILD SEVEN:2003/10/28(火) 20:05

<トラウマ> 過去の対創価戦にて。

現在、ネット上の優しい討論はそれなりにやっていますが、以前、学会幹部や。元学会員の教会員への直接対決・討論等で、相手が発狂状態になった事があります。
創価のカルト洗脳は、とても罪深いと思います。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

123Leo:2003/10/28(火) 23:09
顕正居士さん、こんばんは。

>仏教などの異端思想を含めたインド哲学通史は下記を推薦します。
>教科書として用いられているから入手は容易です(→google検索)。

ご紹介ありがとうございます。
なるほど、入門書とは教科書として用いられているようなものでしたか。
一冊ずつ入手して読んでみようと思います。

>宇宙生命論はまずいろいろな近代思想がまざって生じた思想の潮流でしょう。
>シェリングの同一哲学。ベルクソンの生の飛躍。T.シャルダンの臨界点など。
>宇宙生命論には単純から複雑へ、不完全から完全へ意識が進化するという
>思想がふくまれており、先に完全な存在があってそれから宇宙が展開すると
>いう古代的中世的の思想とことなっています。

戸田氏の生命論はそのような潮流を受容するために創作されたと捉えられる
でしょうか。

>日蓮正宗の信仰の対象は「久遠元初の無作三身」という人格(仏格)である
>というのも正しい。けれど宇宙生命論もその中心に意識をおきます。だから
>「池田大作の妙法観」批判は適切ですが、それを宇宙生命論や梵我一如と
>一緒にしており、「池田氏のオリジナル」という指摘と矛盾してしまいます。

「池田大作の妙法観」は「日蓮正宗の信仰」と異なるという指摘は当を得ているが、
「古代インドの思想」と「かなり似通っています」(アナロジー)と指摘するのみ、
「池田氏のオリジナル」という指摘と矛盾ということなのですね。
(加えて日蓮正宗が別途非難する「池田本仏論」とも矛盾します...)

>Libraさんもこれらを混同しています。

そのようでしょうか。Libraさんも「クールロジック」「誤りから学ぶ」がモットーの方なので
ネットに復帰された際にお話ししてみたいと思います。

124心者雖念不直相鴨:2003/10/29(水) 00:13
Leoさん、みかんさん、顕正居士さん、MILD SEVENさん、犀角独歩さん、無徳さん:

ご教示ありがとうございました。急な出張で数々のご教示をいただきながらレスが遅れて申し訳ありません。ご教示いただいた内容が私の知識や理解を超えていますので勉強した後に、また再質問させていただこうと思っています。

125Leo:2003/10/29(水) 00:39
犀角独歩さん、こんばんは。

>というご質問について、以下、わたしの考えです。
>まず、ご質問のごときとはまったく考えていません。
>話を他門に広げますと、拡散してしまいますので、興門に限って記します。
>その前提で、蓮師の考えとして、弟子・檀那に対して漫荼羅を全員に下付したわけではなかったろうと思えます。
>となれば、蓮師の提示する修業において、漫荼羅奉懸は必ずしも必須条件ではなかったであろうと想像できます。

>蓮師の本尊観は久遠釈尊本尊で、やや勇気を持って広げれば妙法五字本尊です。
>具体的に拝んでいらっしゃったのは随身一体仏であったでしょう。蓮師が漫荼羅を拝んでいたことを示す資料は窺えません。

>次段階として、興師は漫荼羅奉懸、進んで安置を促し、そこで勤行をしていたように思えます。また、漫荼羅(正確には妙法五字)を
>直ちに本尊とする考えをもっていたと見えます。もちろん、一方で一尊四士という仏像安置を述べるわけですが、取り敢えず、
>この点は置きます。漫荼羅に限って言えば、講師指導の許、重須教学では何ものを本尊としたかは文献に見えます。
(引用途中略させていただきます)
>と以上の条件を遂ぐ弟子・信徒に限っては書写し、これを下付することはあったことが知られます。ここに御筆と書写の謹厳実直な
>姿勢が拝せる故に左記のごとくにわたしは記したのです。

「日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず。唯御書の意に任せて、妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべしと。即ち御自筆の本尊是れなり」
「「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり」
「日興の弟子分に於ては在家・出家の中に或は身命を捨て、或は疵を被り、若しは又在所を追放せられ、一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり」
これらは『富要』、「富士一跡門徒存知の事」ということでよろしいでしょうか。

>その後、漫荼羅は形木に刻まれ、版木印刷がされるようになり、現在では製版印刷までされるようになりました。その是非は
>各人の考えはあるでしょうが、少なくとも蓮興二師の事跡を仰ぐ限りそのようなことはなかったとわたしは思います。ですから、
>現在においてもその祖師の信仰を仰ぐのであれば、書写のそれも印刷漫荼羅を拝む謂われはないとわたしには思えます。
>御筆漫荼羅を拝するとき、やはり、わたしはいまでも法悦に打ち震えるのは、恥ずかしながら、偽りのない事実です。

御筆漫荼羅を直接拝したことがないので、想像をめぐらせますが、
御筆漫荼羅を拝されるのは、蓮師にお会いになられたような感動と拝察します。

(漫荼羅は美術と異なり、アナロジーになっていましますが)御筆漫荼羅とそれ以外を区別するのは、
絵画などの芸術家オリジナルの美術を想像するとき、納得できるように思います。

>116をやや補足しますが、漫荼羅複製には、板漫荼羅の如き彫刻複製(模刻・謹刻)も含みます。その意味から楠板(反丸材木?)に
>彫刻された漫荼羅相貌を本尊と言うことには憚りを禁じ得ません。それ故、さらに「之」を写したという学会を含む石山の、いわゆる
>御形木、または印刷ラミネートした本尊の「下付」という儀は蓮興両祖の素意とは明らかに違うものであると、少なくとも歴史資料から
>見る限り、そのように拝察されます。

日蓮正宗は(学会はなおさらのこと)、本尊について蓮興両祖の祖意とは異なるということですね。
Libraさんの説では法華経は書写でも書籍でも同じ内容であり本尊も同様という認識で、私はそれを歓迎していたのですが、
それは祖意とは異なるということになるかと思います(この件、Libraさんがネットに復帰した際お話ししてみたいと
思います)。

>なおさらのことですから、御筆漫荼羅所蔵者からその複製を買う、貸し下げられるなどということは考えてみなかったことでした。

学会では本尊を買うという意識はなく、売店でも売っていませんが、ある宗派の売店で漫荼羅が売っているという話を
聞いたことがあったので「複製を買う」はその意味です。

(余談ですが...)
学会では、最近御守り本尊を入会候補者のような状態の方に安易に配布してしまうというようなこともやっていました。
そもそも学会では「本尊流布数」をカウントしており(「本尊流布数」は「学会世帯数」とイコールかと思います)、
そのような姿勢から複製本尊が必要とされているように思います。分世帯を前倒しで「本尊流布数」し、本尊を家庭で
「お巻き」して保管している場合もあるほどです。

126MILD SEVEN:2003/10/29(水) 06:26

あるサイトで、こんな投稿を見つけました。下記。

創価学会について一言。

確かに創価学会全てが悪いとは思いません。きっと良い人も沢山いるのでしょう。
でもそれを帳消しにして更に大きくマイナスにしまう位に反社会的な人もいるし、理解できない行動を取る人達が大勢いる。地域の為の活動を重点にやっていても、選挙の強引な勧誘や強要で普通の人々は大抵嫌になる。阪神淡路大震災にいち早く駆けつけても、それが創価学会の本心なのか、政治手段なのか理解に苦しむ。池田はその数日後ハワイへ飛びフラダンスですから・・・。
人々が創価学会を誤解しているのではなく、創価学会自体がその土壌を自分達で作っていることに何故彼らは気付かないのでしょう?
いったいどれだけの人の悲しみや、どれほどの苦しみを彼らが生み出しているのか、僕は彼らに問い質したい。題目、勤行では解決出来ないことがこの世の中に星の数ほどあることに彼らは気付いているのでしょうか。

もう一つ、あれほどまでに宗教団体として攻撃的になる必要があるのでしょうか?それも一般の人が理解できない要因の一つだと思います。一般信者以外に、妨害や攻撃、破戒活動を専門でやっている人達もいるのでしょう。僕の彼女がそんなことを疑いもなくやっていたとしたら、僕はきっと関わった学会員全員を(この先は自分でも怖くなるので書きませんが・・)仮定の話でも有りえそうだから学会は怖いんです。普通じゃない。全ての人にやさしく出来ないものですかね。創価学会。

宗教団体は究極の営利団体だと思います。特に新興宗教ほどその色が強くなる。
信者を獲得しなければ儲けが薄くなりますからね。創価学会は日本人の特性をうまく利用出来たと思います。精神世界ではなく、物質主義。成果や結果が物質となって返ってくるんですから、それはうれしいですよね。そして、大勢いれば怖くない・・・。集団だと右って言えば皆右向くので怖くないですよね。何やってても守られていると錯覚しちゃう。居心地が良いですからね。きっとその代償は喜んで支払うでしょうね、人間は弱いから。そしてなんたって抜けたら地獄ですから・・。

127MILD SEVEN:2003/10/29(水) 06:31

宗教って何????????????????????????????
もっと真面目にやってください!
大作大先生!

怪しい怪しい。
変な指導者。

128顕正居士:2003/10/29(水) 07:22
無徳さん。Leoさん。問答迷人さん。

生命主義や生命論は別にスレッドを立てたらどうでしょう。
生命主義とは何かがまず捉えにくいが、それはあらゆるところに普及しているせい
であり、日本の宗教や思想を考えるときに最も重要なキーワードの一つでしょう。

「『生命』で読む日本近代」
http://www.campus.ne.jp/~tktk/f07/f0701/seimei.htm
「宮澤賢治の生命観―大正生命主義における位置」
http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/extract/miyazawa/miyazawa.htm

日蓮系の方の文章をいくつか。

「草木國土 悉皆お陀仏」
http://www.hept.himeji-tech.ac.jp/~okadamk/seppou2000_02_13.htm
「生命の四大属性」
http://plaza15.mbn.or.jp/~hongemyousyuu/sidaizokusei.html
「現代科学から四十五字法体段を考える」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho36/s36_165.htm
「仏教思想史の中の日蓮教学」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho29/s29_111.htm

129犀角独歩:2003/10/29(水) 12:54

Leoさん:

> これらは『富要』、「富士一跡門徒存知の事」

仰るとおりです。

> (漫荼羅は美術と異なり、アナロジーになっていましますが)御筆漫荼羅とそれ以外を区別するのは、絵画などの芸術家オリジナルの美術を想像するとき、納得できるように思います

いえ、これは analogy とはなりませんでしょう。
むしろ、蓮祖が特定の個人に図示下付した漫荼羅が他の衆生、あるいは自分自身に充てたものでもあると考えようとするほうがよほど類推、あるいは拡大解釈というものだとわたしは思うのですよ。

たとえば蓮祖が興師に漫荼羅を図示して下付したとします。このとき、蓮祖は図示しながら、興師との関係に思いを巡らせ、興師その人のご自分との関係、行学の軽重、性格その他様々なことに思慮を巡らせて、その漫荼羅の相貌を決定されていかれたと思います。文字一文字一文字に興師への慈愛も籠めて書されていかれたでしょう。蓮祖の漫荼羅は分類するのが憚れるほど、様々な図示相貌がありますね。その相違は、もちろん、蓮祖ご自身の心象と大きく関わってお出でであったでしょうが、それとともに、授与者の有様によっても変わっていたのだと想像できます。

図示のそのような性格から考えるとき、一舗一舗の漫荼羅は授与者のためのオリジナル創作であって、その授与者のためのものであることがわかります。漫荼羅のこのような側面を考えるとき、授与者が明記された漫荼羅を他者が我がものの如き扱うのはほとんど意味をなさないことになりませんか。ただ、その授与者が没し相続される場合、新たにその意味を籠めようとしたのが興師の添書であったと拝察されます。たぶん、この段階では蓮祖が弟子と定めた師弟の次第から蓮祖没後継承された教導権を、次代の師と認める授与者の相続者がそれを受け容れる形で継承されることになるのでしょう。

しかし、700年前の上述の如き心的交流を拝することは、既に現在にあっては御存生の昔に思いを馳せ、聖筆をただ仰ぎ見るばかりです。かつて筆をふるった聖人の息遣いとそのご心情、それを受け取った弟子・檀那の喜び、そして、相貌の差異に見られるその意味に深い思いを注ぎたくなります。

このような次第がある以上、安易に利益のために御筆漫荼羅を複製にすること自体、蓮祖の御意を穢すものであるとわたしには思えます。

もちろん法華道場の諸尊勧請の法式のためという側面は想像できるわけで、この場合、かくのごとき儀としての扱いは没後永年と意味をなすでしょう。しかし、この場合、わたしは御筆、オリジナルであることに意味があると考えます。

Libraさんとはこの点、話し合ったことはありましたが、コンセンサスに至ることはありませんでした。この理由は、そもそも漫荼羅本尊というものの意味に関する理解が異なっていたからでした。もちろん、そのような意見の相違をもって彼との友好関係が損なわれたわけではありませんので、また、機会があればこの点の議論は続行してみたいと希望しています。

130犀角独歩:2003/10/29(水) 12:54

―129からつづく―

なお、学会を含む石山系教義において御筆漫荼羅と書写漫荼羅を同様に扱う傾向がありますが、これは本来、書写者の権威を被った結果なのであって、わたしは間違いであると思います。その根拠は先にも示した『富士一跡門徒存知事』の一節です。

「日興弟子分の本尊に於ては、一一皆書き付け奉る事、誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事、最も其の恐れ有り」

ここに蓮祖筆を「聖筆」、興師(以下)筆を「凡筆」と明確に分けて論じています。
つまり、この時点では明らかに御筆と書写が分別されて考えられています。蓮祖を師と仰ぐ立場からすれば、その祖の御筆とそれ以降の末の弟子が記したものが同様であるなどと考えること自体、僭越なことでしょう。

しかし、中世以降、日蓮本仏の思想がやがて濫觴を見、それは派祖本仏を足場にする当代本仏思想へと転落していきます。その段階では当代はもはや日蓮その人と同一視されることになりますから、その当代書写の漫荼羅と御筆漫荼羅の差異は無しとする思いに煽動されたと思われます。しかし、わたしはこのようなご都合主義には何ごとも妥協しません。

複製漫荼羅本尊について、わたしは各人がそれを鄭重に扱う信仰心について何も否定しません。しかし、それを御筆漫荼羅と同等と考えるところには大いに異義があります。それは御筆漫荼羅を直ちに拝すれば、容易に理解されるところでしょう。その諸尊座拝などについては、それがデータ化されたワープロ文字であろうが知ることはできるでしょう。
しかし、紙を選ばれ、その紙面を木槌で叩き平滑にした上で、自在無碍に図された蓮祖の筆遣い、その躍動は書写から印刷、ワープロ文字では決して再現できるものではありません。けれど、御筆には限りがある以上、その書写は致し方のないことでしょう。しかし、御筆(聖筆)重視の前提に基づいて、それは行われるべきでしょう。すなわち、興師のごとくです。ただし、言うまでもなく、ルーカスさんも指摘されていましたが、興師漫荼羅からして蓮祖漫荼羅とはその相貌は異なります。しかし、これを偽漫荼羅と断罪する蛮勇はわたしにはありません。御筆漫荼羅を敢えて書き変えた何かの理由があったのであろうと思うからです。あるいは披見できる御筆漫荼羅に限りがあったため、その尽くしきれなかった面もあったのであろうとも想像できます。

それにしてもかつて創価学会は漫荼羅本尊を「幸福製造器」と言い、のちには「宇宙(生命)を記したもの」と言い出し、最近ではどうやら「世界広布のための“武器”」だそうですが、このような考えに賛同できる謂われは、以上の史実からして、わたしは持ち合わせておりません。もちろん、Leoさんがそのようなお考えに泥む方であるとは基より思っておりません。

また、創価学会が寛師書写漫荼羅か授与者名を消し去って印刷頒布するやり方は、そもそも寛師の意図を蔑ろにするものであるとわたしには思えます。また、元来、その相貌を書き分けるのが守本尊ですが、守にあらざる漫荼羅を縮小して携帯にしてあたかも守本尊に扱うのは無知以外の何ものでもないまことに横暴な所行であると思うわけです。まして、その縮小印刷物の横に写真を入れられるようにするなど、その意図するところは嫌悪を懐かざるを得ません。いずれにしてもそれらの配布はラミネート印刷であれば3000円、携帯アクセサリーでは5000円以上となっているとのことですから、これはただの商売というしかありません。

なお、他派寺院売店で販売されている印刷漫荼羅本尊について、少し触れます。
他派の信者方は、これら印刷漫荼羅を、購入した場合、ただそれを仏壇に安置しません。ご自身の檀那寺に持参し、師僧と仰ぐ教師住職に、裏書をしてもらい開眼とするとのことでした。私はこの有様には一定の襟度を受け取ります。

Leoさんへのレスとしては脱線した部分もあります。お詫び申し上げます。

131Leo:2003/10/30(木) 00:23
犀角独歩さん、こんばんは。レスありがとうございます。

>図示のそのような性格から考えるとき、一舗一舗の漫荼羅は授与者のためのオリジナル創作であって、その授与者のため
>のものであることがわかります。漫荼羅のこのような側面を考えるとき、授与者が明記された漫荼羅を他者が我がものの
>如き扱うのはほとんど意味をなさないことになりませんか。ただ、その授与者が没し相続される場合、新たにその意味を
>籠めようとしたのが興師の添書であったと拝察されます。たぶん、この段階では蓮祖が弟子と定めた師弟の次第から
>蓮祖没後継承された教導権を、次代の師と認める授与者の相続者がそれを受け容れる形で継承されることになるのでしょう。

学会配布の漫荼羅のオリジナルは寛師漫荼羅であり浄圓寺の日證師が授与者とのことですね。
学会では蓮祖の漫荼羅の如く扱われますが(他に本尊にまつわる学会的因習・伝説のようなものも多々あります、
それは指導的方便なのかもしれないですが...)、学会に未だ籍を残す私としても、ご指摘を受け、学会配布の漫荼羅は、
あくまで寛師漫荼羅であること、もともと日證師のための相貌、継承者は浄圓寺であったことを念頭におく必要が
あると思った次第です

>しかし、700年前の上述の如き心的交流を拝することは、既に現在にあっては御存生の昔に思いを馳せ、聖筆をただ仰ぎ
>見るばかりです。かつて筆をふるった聖人の息遣いとそのご心情、それを受け取った弟子・檀那の喜び、そして、相貌の
>差異に見られるその意味に深い思いを注ぎたくなります。

「かつて筆をふるった聖人の息遣いとそのご心情」「それを受け取った弟子・檀那の喜び」
「相貌の差異に見られるその意味に深い思い」私も思いを馳せます...

>また、創価学会が寛師書写漫荼羅か授与者名を消し去って印刷頒布するやり方は、そもそも寛師の意図を蔑ろにするもの
>であるとわたしには思えます。また、元来、その相貌を書き分けるのが守本尊ですが、守にあらざる漫荼羅を縮小して
>携帯にしてあたかも守本尊に扱うのは無知以外の何ものでもないまことに横暴な所行であると思うわけです。

ご指摘はもっともだと思いました。

>まして、その縮小印刷物の横に写真を入れられるようにするなど、その意図するところは嫌悪を懐かざるを得ません。
>いずれにしてもそれらの配布はラミネート印刷であれば3000円、携帯アクセサリーでは5000円以上となっているとの
>ことですから、これはただの商売というしかありません。

私は学会では本尊を買うという意識はないと申しましたが、本尊授与の時納付金を納めますので、購入とみなされても
否定できないと思います。私は携帯本尊は興味なく注意しておらず携帯本尊が頻繁に配布されるようになった時期以前に
組織活動を離れましたので、携帯本尊が仏具店に売っているのかも、いくらで配布(購入)されるか知らない状況です。
話が少しずれますが、近年は本尊授与の際寺院での「御受戒」は出来なく、「入会勤行会」となっています。

>なお、他派寺院売店で販売されている印刷漫荼羅本尊について、少し触れます。
>他派の信者方は、これら印刷漫荼羅を、購入した場合、ただそれを仏壇に安置しません。ご自身の檀那寺に持参し、
>師僧と仰ぐ教師住職に、裏書をしてもらい開眼とするとのことでした。私はこの有様には一定の襟度を受け取ります。

他派ではそのようにされているのですか。学会では数年前の(名誉会長でなく)会長指導で、本尊は自分で題目を
あげて開眼しなさいとなっていました(数年前の大白蓮華の巻頭言でもそのように記されていたと記憶しています)。

132MILD SEVEN:2003/10/31(金) 23:37

生活保護不正疑惑 (公明市議)

「生活実態なし」市は支給打ち切り

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 宮城県多賀城市で、公明党市議と同居している義母をアパートに一人住まいだということにし、生活保護を長期に受給していたことが発覚。市議会は不正受給疑惑を調査する特別委員会を設置しました。「福祉の党」を自称する公明党の「地域サポート」の実際は――。


--------------------------------------------------------------------------------

<市議会が調査特別委設置>

本人「穏便に」
 
九月二十四日の市議会本会議。決算の討論でこの問題を取り上げた日本共産党の藤原益栄議員に、公明党の女性議員がかみつきました。「事実無根。撤回せよ」

 「それなら言わせてもらう」と藤原議員。こんな事実を明らかにしました。疑惑の当人である公明党の根本朝栄議員が、第三者立ち会いで藤原議員に「(受給した保護費の)二年分を返還するから穏便に」と要請してきた、という内容です。

 休憩後、女性議員は「撤回要求を取り消す」。さらにその後、「私の発言を議事録から削除してください」。

 疑惑についての評価はともかく、公明党議員も認めざるをえなかった“事実”とは――。

 発端は藤原議員あての女性の市民からの電話でした。根本議員の妻の母(84)は市内のアパートに住んでいるとして生活保護を受けているが、実際は住んでいない。おかしいではないか。

 「半信半疑で行ってみると、若者向けのワンルーム。ベッドははしごで上る中二階。これが老人の部屋かと驚いた」

5年間も…
 実は、市も独自に事実をつかんでいました。鳥山文夫保健福祉部長はその経過を「ケースワーカーが訪問しても不在。議員宅に行ってみると、そこにいた」と語ります。市は独居の実体がないとして六月末で保護を打ち切りました。

 市が有力な判断材料にしたのがアパートの水道使用量。過去五年間の年間使用量は四−十立方メートルと、一般単身者の一カ月分しか使っていませんでした。つまり少なくても五年間は生活実態がなく、不正常な形での生保支給だった可能性が大きくなりました。この五年間の支給額(医療費含む)は約千五百万円。義母は一九八九年から生活保護を受けていました。昼間の数時間、根本宅から五、六分のアパートに行き、給食宅配やホームヘルプサービスを受けていたといいます。

 創価学会はいま、町内会役員や民生委員などに進出し、地域住民とのパイプをつくろうとする「地域友好」活動を展開。公明党はこれを「地域サポート」と呼んで全国的に力を入れています。その一つが行政施策の仲介やあっせん。それがこんな実態として表面化しました。

<<<市民から怒り>>>
 
「市には、行方不明の息子の国保税滞納三十万円を理由に年金暮らしの老夫婦の土地建物を差し押さえた例もある。その一方でなぜこんなことが野放しになるのか」と藤原議員。いま、市民から怒りや激励の声が同党議員団に来ています。

 「あれが通用するなら、うちのばあさんもアパートを借りて保護をもらうぞ」「まじめに税金を払うのがばからしい」。根本議員の近隣に住む女性(59)は「地元では以前から話題になっていた。でも相手が相手だから口に出せなかった」といいます。

 市はなぜもっと早く事実をつかめなかったのかという疑問の声も少なくない。その一方で「受給者の事情に変化があれば申告してもらわないと。作為的にやられると市は把握できない」ともらす市幹部も。日本共産党の小林立雄議員団長は「あいまいな決着をしないで、が市民の声。団をあげてこれに応えたい」といいます。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-09/15_01.html

133MILD SEVEN:2003/10/31(金) 23:57
創価の宗教としてのレベルを、これでよく表しています・・・・。

134Leo:2003/11/01(土) 08:14
学会は選挙前3ヶ月は選挙支援だけになります(体制としては6ヶ月前からとのこと)。
普段の指導でも政治参加への正当化を強調します。皆さんもご存知のように選挙活動を法戦という
宗教活動であるかのような呼び方をします(その割に、候補者演説などの選挙関係使用予定を会館の
ホワイトボードに書かないように指示される)。公明党員は学会員で構成されます。
それほど政治活動が重要であれば宗教団体を返上して政治団体になるのが筋なような気がします。
(信教の自由をたてに宗教弾圧などと叫び政教一致を正当化するためや会員のモチベーション
 を保つため宗教団体である方が都合がよいのかもしれませんが...)

135犀角独歩:2003/11/01(土) 15:58

公明新聞、公明グラフとか、まだ聖教新聞配達所で扱い、学会員の配達員が一緒に配っているんですか。
聖教新聞と公明新聞、一緒に配達されてくるのが政教一致を物語っていると、わたしは常々思っていました。
まあ、「自由な感想」です。

136Leo:2003/11/01(土) 17:21
>公明新聞、公明グラフとか、まだ聖教新聞配達所で扱い、学会員の配達員が一緒に配っているんですか。
ええ、そうです。

>聖教新聞と公明新聞、一緒に配達されてくるのが政教一致を物語っていると、わたしは常々思っていました。
政教一致は聖教新聞と公明新聞もそうですね。公明新聞の配布も学会員なしではままならないのではないでしょうか。

137犀角独歩:2003/11/01(土) 17:48

Leoさん、こんばんは。

やはり、この点は変わっていないんですね。
わたしが在籍当時もそうでしたが、宗教活動に出て行って、選挙一色。
これは異常事態ですよね。

これが反対だったらビックリします。どこかの党大会に行ったら、政治の話そっちのけでお祈りが始まったり、宗教講話がはじまったら、「なんだここは??」と思いますね。

もっともわたしの友人は、かつて座談会に連れ出したら、選挙の話一色を見聞して、「今日はいい勉強になりました。政教一致の実態をつぶさに拝見させていただきました」と嫌みを言って帰っていきました(笑)

138Leo:2003/11/01(土) 18:34
犀角独歩さん、こんばんは。

そうですね。選挙ばかりやっている宗教団体はほんとうに異常事態です。

(話がずれますが)本幹衛星中継は正月から「敵対者攻撃」です。
敵対者も世間に知られていない敵対者ですし...そういうのも異常事態と思います。

139危機予防期待99:2003/11/01(土) 20:30
横から失礼、、。 「敵対者への攻撃を強めヨ、、」と言うことでしょうか、。 ヤハリというか性懲りもなく、、か「シツコイ、?」のかはわかりません、、。 普通に見ても「若干〜少しは歪んだ点が存在」するようですネ。 某S会の末端の会員らが「意識、覚醒〜不可能」な「状態?=洗脳?」などを複雑に活用しているのでしょうか?
 やはり常識的にも「限りなく⇒⇒旧オウム教に近い洗脳的な狂信的指導?」などが「日常的に存在する?」のでしょう、。 これが「与党に連座?」中なので「コワイ?」かと存じますが、。

140Leo:2003/11/01(土) 21:12
正月の衛星中継の幹部指導(講話)では、普段からの「敵対者攻撃」をより強調するわけではないです。
幹部は正月も「敵対者攻撃」が頭から離れないという意味です。
(その一年の目標でもあるから正月に話すのかもしれないとも思いますが...)

141Leo:2003/11/02(日) 01:00
>池田教ってどんな宗教?
につき、また>138、>140に関連して、2003年1月の『大白蓮華』の「巻頭言」(会長、pp.14-15)を紹介します。
いわゆる池田教の特徴が濃厚にあらわされていると思います。

「広宣流布とは、濁劫悪世において、民衆を苦しめる「悪」と戦い、正義をうちたてる精神闘争である。」

 「民衆」とは下記のように《創価学会における》「民衆」のことであるが、その「民衆」を苦しめる
「悪」と戦う(学会敵対者攻撃)ことによって、正義をうちたてる(正義を勧請する)観念的闘争が
広宣流布とのことである。

「今の日本も体同異心の国であり、第六天の魔王の所領である。権力抗争に明け暮れ、私欲を優先して
まとまらず、文字通り魔が盛んに跳梁し、分断を欲しいままにしている。さらに、魔性は創価学会に
おける民衆の団結を妬み、それを破壊しようと躍起になっている。この魔性に勝つには、信心の利剣と
異体同心の団結しかない。異体同心とは、それぞれの個性を尊重しつつ、各人が信心で団結する一念の
なかに築かれていく。」

 自由社会においては会社でも政党でも宗教団体でも組織同士の自由競争がおこるのが自然で、
まとまらないのが当然である。組織間の宗教戦争状況で骨肉相食む場面もある。
このような状況を信念と組織全体主義で対抗するという。

「異体同心の軸は「師弟不ニ」である。」

 組織全体主義の軸はグル中心とのことである。

142探訪者007:2003/11/02(日) 01:11
ドーモです、、。 久しぶりに「大白蓮華」の???をご拝聴しました、、。 貴重な資料と情報はとても御参考になります、、。
 「創価原理主義?なるものが??」なのかは誰も今は55%しかわかりません? でも着々と「シコシコと創価原理主義?なる怪物?」があなたの投稿から「一日一日と大きく育ちつつ有る、、」ようですネ、。 アリガトー、、。

143Leo:2003/11/02(日) 04:30
>池田教ってどんな宗教?
他の特徴としては、法華信仰を組織信仰にスリかえたところがあると思います。

「学会の組織が成仏への直道」
(創価学会教学部編『教学の基礎 仏法理解のために』聖教新聞社、2002年、p.320)

「大聖人の仏法を語り合い、信心を励まし合って行く創価学会という広布の組織に連なり、
異体同心で活動していくこと自体が「仏になる道」を歩んでいることであり、これより
ほかには成仏への道はないのです。」
(同上、p.321)

144Leo:2003/11/02(日) 13:00
>143の補足としては、信仰上の「信」が組織および最高指導者への「信」にスリかえられる
というところもあります。

>池田教ってどんな宗教?
折伏の意味も変容しています。

折伏(しゃくぶく)
〔仏〕相手の悪や誤りを打破することによって、真実の教えに帰服させる教化法。破邪。
(『大辞林 第二版』)

上記が、本来の折伏の意味ですが、学会指導では「悩みのある人をつれてきなさい」
「相手が悩みを打ち明けたら折伏の半ばだ」とされます。
折伏は通常無宗教※の《悩みのある人を勧誘》する意味となっている。
(※例外としてはご存知のように脱講がある)

145Leo:2003/11/02(日) 15:23
学会のおかしいところを指摘だけしていても仕方がないので研鑚モードに入りたいと
思います...

146MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:18
池田創価王国に反対! です。

<<<世界中のキリスト教と普通の仏教界は池田創価に絶対反対!>>>

この運動は広がってます。

正統派 対 カルト の陣営に分かれます。

自由陣営 対 独裁体制陣営(北朝鮮や池田創価やオウム等)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
しかし、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

147MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:18
池田創価王国に反対! です。

<<<世界中のキリスト教と普通の仏教界は池田創価に絶対反対!>>>

この運動は広がってます。

正統派 対 カルト の陣営に分かれます。

自由陣営 対 独裁体制陣営(北朝鮮や池田創価やオウム等)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
しかし、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

148創価大学:2003/11/04(火) 01:26
http://www.milkcafe.net/souka/index.html

149創価大学:2003/11/04(火) 01:26
http://www.milkcafe.net/souka/index.html

150Libra:2003/11/05(水) 01:58
【宇宙生命論と梵我一如説】

 わたしは、「宇宙生命論が梵我一如説だから仏教教義に反する」(>>94)と主張してい
ますが、石田次男さんのコピペをしているわけではありませんし、石田次男さんの理論に
依拠しているわけでもありません。しかし、偉い方に、「お前のは脳内理論だ」といわれ
るのであれば、そのとおりなのかもしれません。ちなみに、わたしの脳内理論では、創価
学会の「宇宙生命論」に限らず、「新宗教における生命主義的救済観」はすべて「梵我一
如説」と大差ないということになります[注]。

  [注] 【オフィルさんへ(2/4)】(No. 33)〜
      http://www.ne.jp/asahi/my/www/bbslog2_004.html

 「密教で言う梵我一如とウパニシャッドの梵我一如は区別しないといけない」(>>94
といわれても、わたしには、両者を区別することにどのような実益があるのかが全くわか
りません。どなたかご教示下さい。わたしは、両者の思想内容にいかなる差異があるのか
今もってわかりません。ということは、わたしも、石田次男さんと同じくデムパ系という
ことになるのでしょう(今日まで気がつきませんでした)。そんなわたしにもわかるよう
に、ご教示いただければありがたいです。

 あと、伊藤先生や小川先生もデムパ系ということになるのか否かについても、偉い方に
教えて頂ければ幸いです。

  中国仏教の底流─万物一体の思想(伊藤隆寿)
  http://page.freett.com/Libra0000/081.htm
  
  密教の即身成仏は作り話(小川一乗)
  http://page.freett.com/Libra0000/061.htm

151Libra:2003/11/05(水) 02:07
 新しくスレッドが立っているのですね。失礼しました。>>150に対するレスは、「生命
主義、生命論について」の方におねがいいたします。


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