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池田教ってどんな宗教?

110Leo:2003/10/28(火) 01:36
みかんさん。レスありがとうございます。

>田村芳朗先生は法華宗本門流ですよ。日蓮宗ではありません。

なるほどです。法華宗本門流は本能寺が大本山で日蓮宗とは区別されるということですね。

>創価学会などの宇宙生命論は仏教教義とはことなりますが、宇宙生命論は梵我一如説とは違うのではないかと疑っています。
>宇宙生命論が梵我一如説だから仏教教義に反するという言説をよく見かけますが、そう単純ではありません。検討の余地があるでしょう。
>「宇宙即我」=(梵我一如の思想)とは即座には言えないと思いますが。検討しないと。
>ブラフマン(梵)と彼らの言う宇宙・宇宙生命が同一の存在だとは思えません。
>またアートマン(我 が)と我(われ)は明らかに違います。
>アートマンとは、ものごとに不変独立の本質、常一主宰の実体、自性のことであり、単なる我(われ・わたし)のことではありません。
>あと密教で言う梵我一如とウパニシャッドの梵我一如は区別しないといけないと思いますが。
>宇宙生命論は宇宙生命論として批判しないと逝けないのであり、宇宙生命論が○○だから仏教教義と違うというのは誤ったアナロジーではないでしょうか。
>また、心者雖念不直相鴨さんが指摘されるような思想は初期だけはなく、本尊抄などにも見られるでしょう。一心法界義であり、華厳に由来して
>天台経由で日蓮に入った思想だと思います。これはべつに仏教教義に反しません。

基本的に了解しました。
(Libraさんのサイトからのコピペです...下記はすでにご存知かもしれませんが)どのように思われますでしょうか。

「本来、仏教は、生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る。それが釈尊の悟りです。
それを「縁起」とも言い、「空」とも言い、「妙法」とも言うのです。」
(池田大作他『法華経の智慧』第3巻、聖教新聞社、p. 129)

少なくとも、初期仏教では「生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る」
という思想はないように思います。

「「仏とは何か」を追求し抜いて、仏とはほかならぬ自分のことであり、宇宙の大生命であり、
それらは一体であるとわかった。 “足下を掘れ、そこに泉あり”という言葉は有名だが、
自身の根源を堀り下げていく時、そこに万人に共通する生命の基盤が現れてきた。それが永遠の宇宙生命です。」
(同上、p. 328)

「根源」や「基盤」の語は「実体」を連想し、誤解を招くものではないでしょうか。

・宇宙生命論は仏教ではない(Libraさん) 
http://page.freett.com/Libra0000/z001.html

勤行─大宇宙と自身の生命交流の儀式(「やさしい教学」『聖教新聞』)
http://page.freett.com/Libra0000/063.htm
「勤行の意義を比喩的に言うならば、「大宇宙と自分の生命の交流の儀式」」とあります。

「一心法界義」がみられるとの件は了解しましたが、それは果たして中心的思想なのでしょうか。
宇宙と交流するのが勤行・唱題なのでしょうか、それとも法華経のエッセンスであるところの題目を
受持するのが勤行・唱題なのでしょうか。私は前者と後者は異なるように思うのですが...

「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に
彼の因果の功徳を譲り与え給う」
(「観心本尊抄」、『全集』、p.246)」

「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を
生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」
(「生死一大事血脈抄」、『全集』、p.1337)


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