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池田教ってどんな宗教?

116犀角独歩:2003/10/28(火) 13:49

Leoさん:

ご投稿を拝見していました。
向学的な姿勢、また、その穏やかな遣り取り、見習うところがたくさんあります。敬服いたします。

さて、

> 本尊が「蓮祖御筆漫荼羅」を根本とするならば、「蓮祖御筆漫荼羅」所持の組織(寺院など)から下付を受けるのが筋(従ってそのような組織に所属する必要がある。(売店で買うのではないと思いますが...))
ということを意味するものでしょうか

というご質問について、以下、わたしの考えです。
まず、ご質問のごときとはまったく考えていません。
話を他門に広げますと、拡散してしまいますので、興門に限って記します。
その前提で、蓮師の考えとして、弟子・檀那に対して漫荼羅を全員に下付したわけではなかったろうと思えます。となれば、蓮師の提示する修業において、漫荼羅奉懸は必ずしも必須条件ではなかったであろうと想像できます。

蓮師の本尊観は久遠釈尊本尊で、やや勇気を持って広げれば妙法五字本尊です。
具体的に拝んでいらっしゃったのは随身一体仏であったでしょう。蓮師が漫荼羅を拝んでいたことを示す資料は窺えません。

次段階として、興師は漫荼羅奉懸、進んで安置を促し、そこで勤行をしていたように思えます。また、漫荼羅(正確には妙法五字)を直ちに本尊とする考えをもっていたと見えます。もちろん、一方で一尊四士という仏像安置を述べるわけですが、取り敢えず、この点は置きます。漫荼羅に限って言えば、講師指導の許、重須教学では何ものを本尊としたかは文献に見えます。

「日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず。唯御書の意に任せて、妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべしと。即ち御自筆の本尊是れなり」

ここに明確に「御自筆の本尊」、興師の直接の表現で言えば「御筆御本尊」であることが明記されています。しかし、傍らで興師が漫荼羅を書写下付されたことも事実ですね。これはしかし、御筆本尊と書写本尊を明確に分けて扱う襟度に基づくものでしょう。

さらに次の段階ですが、では、蓮師・興師は漫荼羅を複製することを意識していたかという点を考えてみる必要があろうかと思うわけです。蓮師は特定の人を選んで図示下付したわけですから、そのような姿勢から複製を造ることを考えていたとは決して思えません。だからこそ、興師門の向・頂・春師批判があったのでしょう。

「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり」

当然、興師もそのような姿勢から御筆漫荼羅の複製を作ることはしなかったはずです。
御筆漫荼羅が本尊である。これを鉄則として、しかし、

「日興の弟子分に於ては在家・出家の中に或は身命を捨て、或は疵を被り、若しは又在所を追放せられ、一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり」

と以上の条件を遂ぐ弟子・信徒に限っては書写し、これを下付することはあったことが知られます。ここに御筆と書写の謹厳実直な姿勢が拝せる故に左記のごとくにわたしは記したのです。

その後、漫荼羅は形木に刻まれ、版木印刷がされるようになり、現在では製版印刷までされるようになりました。その是非は各人の考えはあるでしょうが、少なくとも蓮興二師の事跡を仰ぐ限りそのようなことはなかったとわたしは思います。ですから、現在においてもその祖師の信仰を仰ぐのであれば、書写のそれも印刷漫荼羅を拝む謂われはないとわたしには思えます。御筆漫荼羅を拝するとき、やはり、わたしはいまでも法悦に打ち震えるのは、恥ずかしながら、偽りのない事実です。


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