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池田教ってどんな宗教?

1問答迷人:2002/03/08(金) 16:47

ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/ikeda.htm


日蓮正宗の側から、創価学会の池田さんを中心とした、組織のあり方
を批判して、以前より、池田教、ということを言ってきました。
この呼び方には、本来、日蓮正宗の信徒団体として、日蓮正宗の伝統
教義に則った活動であるべきが、そこから逸脱して、大きく独自展開
していった創価学会に対する非難の意味が篭められています。
本気で世界広宣流布を考えるなら、さまざまな試行錯誤、応用展開が
必要不可欠であり、そういった現場の苦心惨憺を宗門は本当にはわか
らないのだという不満が創価学会にあったことは事実だと思います。
ある程度、伝統教義の応用展開をしなければ、どうしようもない、と
いう創価学会の思いと、頑ななまでに、教条主義的に過ぎると批判
されても、基本的な伝統教義は譲れない、とする宗門の間には、良い
意味での緊張関係が以前よりあったと思います。
しかし、十年前、本来の最も基本的な、僧俗和合という路線を蹴破
り、両者は分裂してしまいました。一番迷惑しているのは、信徒で
はありませんか。宗門と学会との関係について、皆さんのご意見を
求めます。

101MILD SEVEN:2003/10/27(月) 20:04
二重投稿をお赦しください。

昔のアニメ・北斗の拳を想い出します。
羅王=池田と重なって連想するのは私だけでしょうか?

102犀角独歩:2003/10/27(月) 20:37

MILD SEVENさん:

『創価学会のまちがいをただす』
「キリスト教折伏」に答えて
 森山諭著
 日本イエス・キリスト教団東京教会出版部発行
 昭和38年3月20日初版

という本をご存じですか。
全面的に賛同というわけではありませんが、なかなかよくまとまっています。
こんな適切な批判が、いまから40年前にあったのに、その後、創価学会がバブルのように強大化してしまったことを、元会員でありながら、残念に思います。
参考に、以下、目次を載せます。

第1章 誤った情熱
富士山麗の閲兵式、折伏大行進、殉教的気分、全員日蓮正宗信者

第2章 日蓮の略歴
誕生から出家、法華経の成立、ヨハネ伝と法華経、立宗と折伏、身延山から入滅まで、

第3章 日蓮正宗の沿革
白蓮阿闍梨日興、日蓮正宗の主張、日興の門弟、二箇相承、板本尊、真骨論、日寛組織教学を大成す、北山本門寺との論争、創価学会の結合

第4章 二箇相承は真実か
正しい宗教批判、誤算はご破算にせよ、二箇相承は真筆がない、身延相承書を糾明する、池上相承書を糾明する(嘘の正体1、2、3、4、5、6)

第5章 板本尊は真実か
正宗側の主張、真実の礼拝と偶像化、板本尊の実体、偽作の証拠(1−10)

第6章 真骨論と肉牙論
キリストの復活と日蓮の遺骨、文証と理証とが之を否定する、身延謗法説の逸脱、宗祖日蓮を侮辱する、文証が身延別当を否定する、身延墓所は日蓮の本願、学会員は謗法の寺に埋葬する、日興は遺骨を重視しなかった、子供だましの肉牙説

第7章 日蓮本仏論のまちがい
彼らの主張、出典に照らして、日蓮の眼目は日本の外に出ない、日蓮は釈迦の御使と自称した、仏教よりの逸脱

第8章 創価学会の沿革
牧口氏と戸田市の出会い、日蓮正宗への入信、創価教育学会の発足と牧口氏の思想、当局の弾圧、創価学会の再建、戸田氏の死去、池田3代会長

第9章 生命論のまちがい
あいまいな生命観、色心不二のまちがい、因果応報のまちがい、無始無終のまちがい、不生不滅のまちがい、釈迦久遠仏説のまちがい

第10章 価値論のまちがい
その内容、真理は認識概念ではない、ナチズムに通じる、価値判断のまちがい

第11章 幸福論のまちがい
目的と課程のはきちがい、不幸の原因、まことの幸福、反価値の悪現象

第12章 十界論のまちがい
キリストの再臨とミロクの再誕、キリスト教と観世音菩薩、呪術的題目、皮相浅薄な十界論、宿命観への逆転

第13章 「キリスト折伏」に答えて
「キリスト教折伏」に答えて、処女降誕について、復活について、昇天について、教義について、奇跡について、罪の問題について、予言について、死について、生命について、
結び
参考文献
推薦のことば

103犀角独歩:2003/10/27(月) 20:38

MILD SEVENさん:

『創価学会のまちがいをただす』
「キリスト教折伏」に答えて
 森山諭著
 日本イエス・キリスト教団東京教会出版部発行
 昭和38年3月20日初版

という本をご存じですか。
全面的に賛同というわけではありませんが、なかなかよくまとまっています。
こんな適切な批判が、いまから40年前にあったのに、その後、創価学会がバブルのように強大化してしまったことを、元会員でありながら、残念に思います。
参考に、以下、目次を載せます。

第1章 誤った情熱
富士山麗の閲兵式、折伏大行進、殉教的気分、全員日蓮正宗信者

第2章 日蓮の略歴
誕生から出家、法華経の成立、ヨハネ伝と法華経、立宗と折伏、身延山から入滅まで、

第3章 日蓮正宗の沿革
白蓮阿闍梨日興、日蓮正宗の主張、日興の門弟、二箇相承、板本尊、真骨論、日寛組織教学を大成す、北山本門寺との論争、創価学会の結合

第4章 二箇相承は真実か
正しい宗教批判、誤算はご破算にせよ、二箇相承は真筆がない、身延相承書を糾明する、池上相承書を糾明する(嘘の正体1、2、3、4、5、6)

第5章 板本尊は真実か
正宗側の主張、真実の礼拝と偶像化、板本尊の実体、偽作の証拠(1−10)

第6章 真骨論と肉牙論
キリストの復活と日蓮の遺骨、文証と理証とが之を否定する、身延謗法説の逸脱、宗祖日蓮を侮辱する、文証が身延別当を否定する、身延墓所は日蓮の本願、学会員は謗法の寺に埋葬する、日興は遺骨を重視しなかった、子供だましの肉牙説

第7章 日蓮本仏論のまちがい
彼らの主張、出典に照らして、日蓮の眼目は日本の外に出ない、日蓮は釈迦の御使と自称した、仏教よりの逸脱

第8章 創価学会の沿革
牧口氏と戸田市の出会い、日蓮正宗への入信、創価教育学会の発足と牧口氏の思想、当局の弾圧、創価学会の再建、戸田氏の死去、池田3代会長

第9章 生命論のまちがい
あいまいな生命観、色心不二のまちがい、因果応報のまちがい、無始無終のまちがい、不生不滅のまちがい、釈迦久遠仏説のまちがい

第10章 価値論のまちがい
その内容、真理は認識概念ではない、ナチズムに通じる、価値判断のまちがい

第11章 幸福論のまちがい
目的と課程のはきちがい、不幸の原因、まことの幸福、反価値の悪現象

第12章 十界論のまちがい
キリストの再臨とミロクの再誕、キリスト教と観世音菩薩、呪術的題目、皮相浅薄な十界論、宿命観への逆転

第13章 「キリスト折伏」に答えて
「キリスト教折伏」に答えて、処女降誕について、復活について、昇天について、教義について、奇跡について、罪の問題について、予言について、死について、生命について、
結び
参考文献
推薦のことば

104犀角独歩:2003/10/27(月) 20:44

また、二重投稿になってしまいました。
この書き込み共々一つは消してください

105犀角独歩:2003/10/27(月) 21:29

『創価学会のまちがいをただす』から少し抜粋

第10章 価値論のまちがい
 第3項 ナチズムに通じる

「価値論がただ誤れる観念論というに止まらず、その中には、彼らがいう悪、すなわち公害を含んでいることは注目を要する。
 『親孝行は三種あり、親に物を与うるを小善となし、親の意にたがわざるを中善となし、法華経の功徳に回向する事が大善である。故に我々の折伏行は最高善をすすめるもので、大善人と言わなくてはならない……我々は牧口先生の価値論を広く説き、世界の誤れる哲学を打ち破り、我々の輝かしい広宣流布の使命を、世界の人々に認識させるには、この値論によって説かなければならないのである』(折伏経典77頁)
 これではっきりするように、値論は結論において、『大善とは法華経に回向し、自行化他することであり、結果的に見て、それに反することが大悪である』となるから、彼らの邪義邪宗と決め込んでいるあらゆる宗教を撲滅して、日蓮正宗を広宣流布するために、それを妨げる公害を排除しなければならないと信じている。そのために、彼らの折伏行為によってどれだけ社会一般が大事な時間を奪われていることか。しかも、先に述べたように、最高善である法華経流布のために、公害を除こうとする思想には、テロリズムに発展する危険性がある」(P114)

文中の「日蓮正宗」を「創価学会」に置き換えれば、まさに最近、頻繁に眼にする投稿内容の同轍であることがわかります。なお、上述の“公害”とは折伏経典に値論論説明中、公利の対概念とされるものです(初版P73)

わたしはここで森山師がいうテロリズムに言論の暴力も含まれると思います。
他宗教、思想の生存権を認めず、自分たちの考え一色で染め直すことが広宣流布であるというのは、かつてナチズムが優生保護といって、自分たちが劣っているとする民族、思想を撲滅せんとした独善と何ら変わらないものです。このようなものが広宣流布であってはたまりません。

106MILD SEVEN:2003/10/27(月) 22:48

犀角独歩さん:

原点はまた、新しい。
我々はリバイバルを常に求めています。

異端に負けぬよう、お互い前進して行きましょう!
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

107Leo:2003/10/28(火) 00:18
犀角独歩さん。横レス失礼いたします。

>「日蓮正宗とは別の宗教」であるというのであれば、他宗のコピーなど使うのは論理矛盾です。池田さんが書写した漫荼羅を拝むほうが矛盾はありません。
>どなたのか判断に拠れば、蓮祖の漫荼羅を書写したものは誰が書写したものでも蓮祖漫荼羅だそうですから、池田さんが書写しようが、会員が各自で書写しようが
>蓮祖漫荼羅ということになるのでしょう。そのようにして、独立・破門の事実を闡明にすべきでしょう。

私個人としては池田氏が創価国建国の父(ないし創価ひょうたん島のドン・ガバチョのような存在)であるとことは認めますが、
日頃の言動や著書からは池田氏が日蓮聖人の法門を継承しているとはとても思えません。
池田氏漫荼羅が本尊となった時点で学会を辞めると思います。

>わたしは、しかし、この考えには反対です。漫荼羅は蓮祖御筆漫荼羅とその書写を分けて扱うのが興師の考えであり、
>その姿勢にわたしは納得するからです。

少し、質問させて頂きたいと思いますが、よろしいでしょうか。非素朴な疑問です。
(私は色々な人のご意見を伺いたいと思っております。基本的に非難するのは学会バリバリ系だけです)

本尊が「蓮祖御筆漫荼羅」を根本とするならば、「蓮祖御筆漫荼羅」所持の組織(寺院など)から下付を
受けるのが筋(従ってそのような組織に所属する必要がある。(売店で買うのではないと思いますが...))
ということを意味するものでしょうか。

108Leo:2003/10/28(火) 00:28
非素朴な疑問です。→ 非常に素朴な疑問です。

109Leo:2003/10/28(火) 00:47
顕正居士さん。レスありがとうございます。

>みかんさんのおっしゃるとおりです。
>石田次男さんという六派哲学と六師外道の区別がつかないデムパ系のコピぺから
>はじまった脳内理論です。中杉博士やしぶけんさんに騙されないようにインド哲学の

中杉さんは私もデムパ系と思います(それに石田氏を引用します)。
確かにしぶけんさんも学会生命論を批判しますね(石田氏系ということですね)。
(Libraさんの宇宙生命論批判は石田氏系とは独立と思いますしデムパ系でないと思います)

私はデムパ系になりたくないので(デムパ系や荒しになるために仏教・哲学を学んでいるのではありません)、
顕正居士さんはじめとする諸先輩の話を伺いにこの掲示板に再び来ました。

>入門書1冊くらいよみましょう。

そのようにしたいと思います。さっそく『はじめてのインド哲学』(講談社現代新書)、
『インド人の論理学』(中公新書)を入手しました。
(他によい書籍がございましたらご紹介いただけると幸いです)

110Leo:2003/10/28(火) 01:36
みかんさん。レスありがとうございます。

>田村芳朗先生は法華宗本門流ですよ。日蓮宗ではありません。

なるほどです。法華宗本門流は本能寺が大本山で日蓮宗とは区別されるということですね。

>創価学会などの宇宙生命論は仏教教義とはことなりますが、宇宙生命論は梵我一如説とは違うのではないかと疑っています。
>宇宙生命論が梵我一如説だから仏教教義に反するという言説をよく見かけますが、そう単純ではありません。検討の余地があるでしょう。
>「宇宙即我」=(梵我一如の思想)とは即座には言えないと思いますが。検討しないと。
>ブラフマン(梵)と彼らの言う宇宙・宇宙生命が同一の存在だとは思えません。
>またアートマン(我 が)と我(われ)は明らかに違います。
>アートマンとは、ものごとに不変独立の本質、常一主宰の実体、自性のことであり、単なる我(われ・わたし)のことではありません。
>あと密教で言う梵我一如とウパニシャッドの梵我一如は区別しないといけないと思いますが。
>宇宙生命論は宇宙生命論として批判しないと逝けないのであり、宇宙生命論が○○だから仏教教義と違うというのは誤ったアナロジーではないでしょうか。
>また、心者雖念不直相鴨さんが指摘されるような思想は初期だけはなく、本尊抄などにも見られるでしょう。一心法界義であり、華厳に由来して
>天台経由で日蓮に入った思想だと思います。これはべつに仏教教義に反しません。

基本的に了解しました。
(Libraさんのサイトからのコピペです...下記はすでにご存知かもしれませんが)どのように思われますでしょうか。

「本来、仏教は、生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る。それが釈尊の悟りです。
それを「縁起」とも言い、「空」とも言い、「妙法」とも言うのです。」
(池田大作他『法華経の智慧』第3巻、聖教新聞社、p. 129)

少なくとも、初期仏教では「生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る」
という思想はないように思います。

「「仏とは何か」を追求し抜いて、仏とはほかならぬ自分のことであり、宇宙の大生命であり、
それらは一体であるとわかった。 “足下を掘れ、そこに泉あり”という言葉は有名だが、
自身の根源を堀り下げていく時、そこに万人に共通する生命の基盤が現れてきた。それが永遠の宇宙生命です。」
(同上、p. 328)

「根源」や「基盤」の語は「実体」を連想し、誤解を招くものではないでしょうか。

・宇宙生命論は仏教ではない(Libraさん) 
http://page.freett.com/Libra0000/z001.html

勤行─大宇宙と自身の生命交流の儀式(「やさしい教学」『聖教新聞』)
http://page.freett.com/Libra0000/063.htm
「勤行の意義を比喩的に言うならば、「大宇宙と自分の生命の交流の儀式」」とあります。

「一心法界義」がみられるとの件は了解しましたが、それは果たして中心的思想なのでしょうか。
宇宙と交流するのが勤行・唱題なのでしょうか、それとも法華経のエッセンスであるところの題目を
受持するのが勤行・唱題なのでしょうか。私は前者と後者は異なるように思うのですが...

「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に
彼の因果の功徳を譲り与え給う」
(「観心本尊抄」、『全集』、p.246)」

「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を
生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」
(「生死一大事血脈抄」、『全集』、p.1337)

111Leo:2003/10/28(火) 02:03
>少なくとも、初期仏教では「生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る」
>という思想はないように思います。

初期仏教では「生きとし生けるものに幸いあれ」という思想はありますね。
学会ではなぜそのようなよい思想をお教えないのでしょうか。
(敵対者攻撃に都合が悪いからでしょうか...?)

「生きとし生けるものを、ひとつの黄金の大生命の個々の現れと観る」というような
流出説や他には師弟不ニばかりが強調され、好まれるように思います。

112Leo:2003/10/28(火) 02:05
学会ではなぜそのようなよい思想をお教えないのでしょうか。
→学会ではなぜそのようなよい思想を教えないのでしょうか。

ミスタイプしてしまいました。皆様おやすみなさい。

113顕正居士:2003/10/28(火) 05:29
Leoさん。

仏教などの異端思想を含めたインド哲学通史は下記を推薦します。
教科書として用いられているから入手は容易です(→google検索)。

中村元『インド思想史』(岩波全書 1969)
金倉圓照『インド哲学史』(平楽寺書店 1981)

次に『木村泰賢全集』の第1〜第2巻を読みましょう。
http://www.daihorin-kaku.com/books/3001-5.htm
第一巻『印度哲学宗教史』
第二巻『印度六派哲学』
古書を探せば全巻揃15000円ほどでも入手できることがあります。

114顕正居士:2003/10/28(火) 08:34
宇宙生命論はまずいろいろな近代思想がまざって生じた思想の潮流でしょう。
シェリングの同一哲学。ベルクソンの生の飛躍。T.シャルダンの臨界点など。
宇宙生命論には単純から複雑へ、不完全から完全へ意識が進化するという
思想がふくまれており、先に完全な存在があってそれから宇宙が展開すると
いう古代的中世的の思想とことなっています。

「宇宙生命(手塚治虫と火の鳥) 」
http://www.asahi-net.or.jp/~he5h-hsgw/sfprog/cosmos.html

しぶけんさんの「池田大作の妙法観とその誤り」
http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/MAJI/M2/2-3.htm
も宇宙生命論と梵我一如を一緒にしています。しかし「宇宙の根源法」とか
「宇宙のリズム」とかは「池田氏のオリジナル」であるというのはもっともです。
日蓮正宗の信仰の対象は「久遠元初の無作三身」という人格(仏格)である
というのも正しい。けれど宇宙生命論もその中心に意識をおきます。だから
「池田大作の妙法観」批判は適切ですが、それを宇宙生命論や梵我一如と
一緒にしており、「池田氏のオリジナル」という指摘と矛盾してしまいます。

Libraさんもこれらを混同しています。

115無徳:2003/10/28(火) 13:10
みかんさんや顕正居士さんのご意見も解りますが、池田氏は南無妙法蓮華経は「宇
宙根源の法」であり、宇宙そのものが生命存在であり一実体であると主張していま
す。

したがって、仏法上のメルクマールとも言える非実体論とは相容れない非仏教的な
言説であり、限りなく「凡我一如」説に近いものと言えるのではないでしょうか?

116犀角独歩:2003/10/28(火) 13:49

Leoさん:

ご投稿を拝見していました。
向学的な姿勢、また、その穏やかな遣り取り、見習うところがたくさんあります。敬服いたします。

さて、

> 本尊が「蓮祖御筆漫荼羅」を根本とするならば、「蓮祖御筆漫荼羅」所持の組織(寺院など)から下付を受けるのが筋(従ってそのような組織に所属する必要がある。(売店で買うのではないと思いますが...))
ということを意味するものでしょうか

というご質問について、以下、わたしの考えです。
まず、ご質問のごときとはまったく考えていません。
話を他門に広げますと、拡散してしまいますので、興門に限って記します。
その前提で、蓮師の考えとして、弟子・檀那に対して漫荼羅を全員に下付したわけではなかったろうと思えます。となれば、蓮師の提示する修業において、漫荼羅奉懸は必ずしも必須条件ではなかったであろうと想像できます。

蓮師の本尊観は久遠釈尊本尊で、やや勇気を持って広げれば妙法五字本尊です。
具体的に拝んでいらっしゃったのは随身一体仏であったでしょう。蓮師が漫荼羅を拝んでいたことを示す資料は窺えません。

次段階として、興師は漫荼羅奉懸、進んで安置を促し、そこで勤行をしていたように思えます。また、漫荼羅(正確には妙法五字)を直ちに本尊とする考えをもっていたと見えます。もちろん、一方で一尊四士という仏像安置を述べるわけですが、取り敢えず、この点は置きます。漫荼羅に限って言えば、講師指導の許、重須教学では何ものを本尊としたかは文献に見えます。

「日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず。唯御書の意に任せて、妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべしと。即ち御自筆の本尊是れなり」

ここに明確に「御自筆の本尊」、興師の直接の表現で言えば「御筆御本尊」であることが明記されています。しかし、傍らで興師が漫荼羅を書写下付されたことも事実ですね。これはしかし、御筆本尊と書写本尊を明確に分けて扱う襟度に基づくものでしょう。

さらに次の段階ですが、では、蓮師・興師は漫荼羅を複製することを意識していたかという点を考えてみる必要があろうかと思うわけです。蓮師は特定の人を選んで図示下付したわけですから、そのような姿勢から複製を造ることを考えていたとは決して思えません。だからこそ、興師門の向・頂・春師批判があったのでしょう。

「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり」

当然、興師もそのような姿勢から御筆漫荼羅の複製を作ることはしなかったはずです。
御筆漫荼羅が本尊である。これを鉄則として、しかし、

「日興の弟子分に於ては在家・出家の中に或は身命を捨て、或は疵を被り、若しは又在所を追放せられ、一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり」

と以上の条件を遂ぐ弟子・信徒に限っては書写し、これを下付することはあったことが知られます。ここに御筆と書写の謹厳実直な姿勢が拝せる故に左記のごとくにわたしは記したのです。

その後、漫荼羅は形木に刻まれ、版木印刷がされるようになり、現在では製版印刷までされるようになりました。その是非は各人の考えはあるでしょうが、少なくとも蓮興二師の事跡を仰ぐ限りそのようなことはなかったとわたしは思います。ですから、現在においてもその祖師の信仰を仰ぐのであれば、書写のそれも印刷漫荼羅を拝む謂われはないとわたしには思えます。御筆漫荼羅を拝するとき、やはり、わたしはいまでも法悦に打ち震えるのは、恥ずかしながら、偽りのない事実です。

117犀角独歩:2003/10/28(火) 13:53

【116の訂正】

誤)講師指導の許
正)興師指導の許

118犀角独歩:2003/10/28(火) 14:57

116をやや補足しますが、漫荼羅複製には、板漫荼羅の如き彫刻複製(模刻・謹刻)も含みます。その意味から楠板(反丸材木?)に彫刻された漫荼羅相貌を本尊と言うことには憚りを禁じ得ません。それ故、さらに「之」を写したという学会を含む石山の、いわゆる御形木、または印刷ラミネートした本尊の「下付」という儀は蓮興両祖の素意とは明らかに違うものであると、少なくとも歴史資料から見る限り、そのように拝察されます。

なおさらのことですから、御筆漫荼羅所蔵者からその複製を買う、貸し下げられるなどということは考えてみなかったことでした。

ただ、以上は、蓮興両祖の素意から考えるところであって、現行、その祖を仰ぐ方々が、顕正居士さんがご紹介なさる如く、ネットから御筆漫荼羅画像をダウンロードして、自身の安置漫荼羅とされようが、それはそれで各人の自由であろうと思います。また、その他販売も意に任せるところでしょう。ただ、蓮興両祖の考えとは違うと申すばかりです。

119顕正居士:2003/10/28(火) 17:37
無徳さん。

「宇宙の根源法」は非仏教的ではありません。「無量義とは一法より生ず」(無量義経)。
「宇宙のリズム」も初座の勤行をしてお天道さまにエネルギーをささげなくちゃあでしょ。

「池田氏のオリジナル」であっても日蓮正宗の中にあったこと。無徳さんはもっと純粋な
日蓮仏教を想定しているのでしょうが、それは実在しないから説明しないとわからない。

そして上のことがらはインド哲学、そのなかの不二一元論とは関係がなさ過ぎるという
ことです。

120無徳:2003/10/28(火) 19:01
顕正居士さん早速のレスありがとうございます。

私は池田氏が小説「人間革命」の中で戸田二代会長の獄中の悟りとして、戸田氏が
獄中にて無量義経の徳行品第一を読み進める中で、

「仏とは、生命なんだ!生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分自身の命
にあるものなのだ。いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!」

としています。
無量義経における無量義なる概念が「宇宙根源の法」であるとの解釈にも、かなり
違和感がありますが、ひとまずそれを措いても仏とは生命の表現であり、自己の中
にあると共に、宇宙もある生命という一実体なのだとする解釈は非仏教的であり、
凡我一如思想に限りなく近いと思います。

それに、もし仏が生命であるとするならば、あらゆる生命的存在は元々仏であるこ
とになりますから仏道修行は無用となります。

これは、天台本覚論どころではなくなります。この点は如何でしょうか?

121無徳:2003/10/28(火) 19:22
訂正__(誤)宇宙もある生命__(正)宇宙にもある生命

122MILD SEVEN:2003/10/28(火) 20:05

<トラウマ> 過去の対創価戦にて。

現在、ネット上の優しい討論はそれなりにやっていますが、以前、学会幹部や。元学会員の教会員への直接対決・討論等で、相手が発狂状態になった事があります。
創価のカルト洗脳は、とても罪深いと思います。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

123Leo:2003/10/28(火) 23:09
顕正居士さん、こんばんは。

>仏教などの異端思想を含めたインド哲学通史は下記を推薦します。
>教科書として用いられているから入手は容易です(→google検索)。

ご紹介ありがとうございます。
なるほど、入門書とは教科書として用いられているようなものでしたか。
一冊ずつ入手して読んでみようと思います。

>宇宙生命論はまずいろいろな近代思想がまざって生じた思想の潮流でしょう。
>シェリングの同一哲学。ベルクソンの生の飛躍。T.シャルダンの臨界点など。
>宇宙生命論には単純から複雑へ、不完全から完全へ意識が進化するという
>思想がふくまれており、先に完全な存在があってそれから宇宙が展開すると
>いう古代的中世的の思想とことなっています。

戸田氏の生命論はそのような潮流を受容するために創作されたと捉えられる
でしょうか。

>日蓮正宗の信仰の対象は「久遠元初の無作三身」という人格(仏格)である
>というのも正しい。けれど宇宙生命論もその中心に意識をおきます。だから
>「池田大作の妙法観」批判は適切ですが、それを宇宙生命論や梵我一如と
>一緒にしており、「池田氏のオリジナル」という指摘と矛盾してしまいます。

「池田大作の妙法観」は「日蓮正宗の信仰」と異なるという指摘は当を得ているが、
「古代インドの思想」と「かなり似通っています」(アナロジー)と指摘するのみ、
「池田氏のオリジナル」という指摘と矛盾ということなのですね。
(加えて日蓮正宗が別途非難する「池田本仏論」とも矛盾します...)

>Libraさんもこれらを混同しています。

そのようでしょうか。Libraさんも「クールロジック」「誤りから学ぶ」がモットーの方なので
ネットに復帰された際にお話ししてみたいと思います。

124心者雖念不直相鴨:2003/10/29(水) 00:13
Leoさん、みかんさん、顕正居士さん、MILD SEVENさん、犀角独歩さん、無徳さん:

ご教示ありがとうございました。急な出張で数々のご教示をいただきながらレスが遅れて申し訳ありません。ご教示いただいた内容が私の知識や理解を超えていますので勉強した後に、また再質問させていただこうと思っています。

125Leo:2003/10/29(水) 00:39
犀角独歩さん、こんばんは。

>というご質問について、以下、わたしの考えです。
>まず、ご質問のごときとはまったく考えていません。
>話を他門に広げますと、拡散してしまいますので、興門に限って記します。
>その前提で、蓮師の考えとして、弟子・檀那に対して漫荼羅を全員に下付したわけではなかったろうと思えます。
>となれば、蓮師の提示する修業において、漫荼羅奉懸は必ずしも必須条件ではなかったであろうと想像できます。

>蓮師の本尊観は久遠釈尊本尊で、やや勇気を持って広げれば妙法五字本尊です。
>具体的に拝んでいらっしゃったのは随身一体仏であったでしょう。蓮師が漫荼羅を拝んでいたことを示す資料は窺えません。

>次段階として、興師は漫荼羅奉懸、進んで安置を促し、そこで勤行をしていたように思えます。また、漫荼羅(正確には妙法五字)を
>直ちに本尊とする考えをもっていたと見えます。もちろん、一方で一尊四士という仏像安置を述べるわけですが、取り敢えず、
>この点は置きます。漫荼羅に限って言えば、講師指導の許、重須教学では何ものを本尊としたかは文献に見えます。
(引用途中略させていただきます)
>と以上の条件を遂ぐ弟子・信徒に限っては書写し、これを下付することはあったことが知られます。ここに御筆と書写の謹厳実直な
>姿勢が拝せる故に左記のごとくにわたしは記したのです。

「日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず。唯御書の意に任せて、妙法蓮華経の五字を以て本尊と為すべしと。即ち御自筆の本尊是れなり」
「「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり」
「日興の弟子分に於ては在家・出家の中に或は身命を捨て、或は疵を被り、若しは又在所を追放せられ、一分信心の有る輩に忝くも書写し奉り之を授与する者なり」
これらは『富要』、「富士一跡門徒存知の事」ということでよろしいでしょうか。

>その後、漫荼羅は形木に刻まれ、版木印刷がされるようになり、現在では製版印刷までされるようになりました。その是非は
>各人の考えはあるでしょうが、少なくとも蓮興二師の事跡を仰ぐ限りそのようなことはなかったとわたしは思います。ですから、
>現在においてもその祖師の信仰を仰ぐのであれば、書写のそれも印刷漫荼羅を拝む謂われはないとわたしには思えます。
>御筆漫荼羅を拝するとき、やはり、わたしはいまでも法悦に打ち震えるのは、恥ずかしながら、偽りのない事実です。

御筆漫荼羅を直接拝したことがないので、想像をめぐらせますが、
御筆漫荼羅を拝されるのは、蓮師にお会いになられたような感動と拝察します。

(漫荼羅は美術と異なり、アナロジーになっていましますが)御筆漫荼羅とそれ以外を区別するのは、
絵画などの芸術家オリジナルの美術を想像するとき、納得できるように思います。

>116をやや補足しますが、漫荼羅複製には、板漫荼羅の如き彫刻複製(模刻・謹刻)も含みます。その意味から楠板(反丸材木?)に
>彫刻された漫荼羅相貌を本尊と言うことには憚りを禁じ得ません。それ故、さらに「之」を写したという学会を含む石山の、いわゆる
>御形木、または印刷ラミネートした本尊の「下付」という儀は蓮興両祖の素意とは明らかに違うものであると、少なくとも歴史資料から
>見る限り、そのように拝察されます。

日蓮正宗は(学会はなおさらのこと)、本尊について蓮興両祖の祖意とは異なるということですね。
Libraさんの説では法華経は書写でも書籍でも同じ内容であり本尊も同様という認識で、私はそれを歓迎していたのですが、
それは祖意とは異なるということになるかと思います(この件、Libraさんがネットに復帰した際お話ししてみたいと
思います)。

>なおさらのことですから、御筆漫荼羅所蔵者からその複製を買う、貸し下げられるなどということは考えてみなかったことでした。

学会では本尊を買うという意識はなく、売店でも売っていませんが、ある宗派の売店で漫荼羅が売っているという話を
聞いたことがあったので「複製を買う」はその意味です。

(余談ですが...)
学会では、最近御守り本尊を入会候補者のような状態の方に安易に配布してしまうというようなこともやっていました。
そもそも学会では「本尊流布数」をカウントしており(「本尊流布数」は「学会世帯数」とイコールかと思います)、
そのような姿勢から複製本尊が必要とされているように思います。分世帯を前倒しで「本尊流布数」し、本尊を家庭で
「お巻き」して保管している場合もあるほどです。

126MILD SEVEN:2003/10/29(水) 06:26

あるサイトで、こんな投稿を見つけました。下記。

創価学会について一言。

確かに創価学会全てが悪いとは思いません。きっと良い人も沢山いるのでしょう。
でもそれを帳消しにして更に大きくマイナスにしまう位に反社会的な人もいるし、理解できない行動を取る人達が大勢いる。地域の為の活動を重点にやっていても、選挙の強引な勧誘や強要で普通の人々は大抵嫌になる。阪神淡路大震災にいち早く駆けつけても、それが創価学会の本心なのか、政治手段なのか理解に苦しむ。池田はその数日後ハワイへ飛びフラダンスですから・・・。
人々が創価学会を誤解しているのではなく、創価学会自体がその土壌を自分達で作っていることに何故彼らは気付かないのでしょう?
いったいどれだけの人の悲しみや、どれほどの苦しみを彼らが生み出しているのか、僕は彼らに問い質したい。題目、勤行では解決出来ないことがこの世の中に星の数ほどあることに彼らは気付いているのでしょうか。

もう一つ、あれほどまでに宗教団体として攻撃的になる必要があるのでしょうか?それも一般の人が理解できない要因の一つだと思います。一般信者以外に、妨害や攻撃、破戒活動を専門でやっている人達もいるのでしょう。僕の彼女がそんなことを疑いもなくやっていたとしたら、僕はきっと関わった学会員全員を(この先は自分でも怖くなるので書きませんが・・)仮定の話でも有りえそうだから学会は怖いんです。普通じゃない。全ての人にやさしく出来ないものですかね。創価学会。

宗教団体は究極の営利団体だと思います。特に新興宗教ほどその色が強くなる。
信者を獲得しなければ儲けが薄くなりますからね。創価学会は日本人の特性をうまく利用出来たと思います。精神世界ではなく、物質主義。成果や結果が物質となって返ってくるんですから、それはうれしいですよね。そして、大勢いれば怖くない・・・。集団だと右って言えば皆右向くので怖くないですよね。何やってても守られていると錯覚しちゃう。居心地が良いですからね。きっとその代償は喜んで支払うでしょうね、人間は弱いから。そしてなんたって抜けたら地獄ですから・・。

127MILD SEVEN:2003/10/29(水) 06:31

宗教って何????????????????????????????
もっと真面目にやってください!
大作大先生!

怪しい怪しい。
変な指導者。

128顕正居士:2003/10/29(水) 07:22
無徳さん。Leoさん。問答迷人さん。

生命主義や生命論は別にスレッドを立てたらどうでしょう。
生命主義とは何かがまず捉えにくいが、それはあらゆるところに普及しているせい
であり、日本の宗教や思想を考えるときに最も重要なキーワードの一つでしょう。

「『生命』で読む日本近代」
http://www.campus.ne.jp/~tktk/f07/f0701/seimei.htm
「宮澤賢治の生命観―大正生命主義における位置」
http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/extract/miyazawa/miyazawa.htm

日蓮系の方の文章をいくつか。

「草木國土 悉皆お陀仏」
http://www.hept.himeji-tech.ac.jp/~okadamk/seppou2000_02_13.htm
「生命の四大属性」
http://plaza15.mbn.or.jp/~hongemyousyuu/sidaizokusei.html
「現代科学から四十五字法体段を考える」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho36/s36_165.htm
「仏教思想史の中の日蓮教学」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho29/s29_111.htm

129犀角独歩:2003/10/29(水) 12:54

Leoさん:

> これらは『富要』、「富士一跡門徒存知の事」

仰るとおりです。

> (漫荼羅は美術と異なり、アナロジーになっていましますが)御筆漫荼羅とそれ以外を区別するのは、絵画などの芸術家オリジナルの美術を想像するとき、納得できるように思います

いえ、これは analogy とはなりませんでしょう。
むしろ、蓮祖が特定の個人に図示下付した漫荼羅が他の衆生、あるいは自分自身に充てたものでもあると考えようとするほうがよほど類推、あるいは拡大解釈というものだとわたしは思うのですよ。

たとえば蓮祖が興師に漫荼羅を図示して下付したとします。このとき、蓮祖は図示しながら、興師との関係に思いを巡らせ、興師その人のご自分との関係、行学の軽重、性格その他様々なことに思慮を巡らせて、その漫荼羅の相貌を決定されていかれたと思います。文字一文字一文字に興師への慈愛も籠めて書されていかれたでしょう。蓮祖の漫荼羅は分類するのが憚れるほど、様々な図示相貌がありますね。その相違は、もちろん、蓮祖ご自身の心象と大きく関わってお出でであったでしょうが、それとともに、授与者の有様によっても変わっていたのだと想像できます。

図示のそのような性格から考えるとき、一舗一舗の漫荼羅は授与者のためのオリジナル創作であって、その授与者のためのものであることがわかります。漫荼羅のこのような側面を考えるとき、授与者が明記された漫荼羅を他者が我がものの如き扱うのはほとんど意味をなさないことになりませんか。ただ、その授与者が没し相続される場合、新たにその意味を籠めようとしたのが興師の添書であったと拝察されます。たぶん、この段階では蓮祖が弟子と定めた師弟の次第から蓮祖没後継承された教導権を、次代の師と認める授与者の相続者がそれを受け容れる形で継承されることになるのでしょう。

しかし、700年前の上述の如き心的交流を拝することは、既に現在にあっては御存生の昔に思いを馳せ、聖筆をただ仰ぎ見るばかりです。かつて筆をふるった聖人の息遣いとそのご心情、それを受け取った弟子・檀那の喜び、そして、相貌の差異に見られるその意味に深い思いを注ぎたくなります。

このような次第がある以上、安易に利益のために御筆漫荼羅を複製にすること自体、蓮祖の御意を穢すものであるとわたしには思えます。

もちろん法華道場の諸尊勧請の法式のためという側面は想像できるわけで、この場合、かくのごとき儀としての扱いは没後永年と意味をなすでしょう。しかし、この場合、わたしは御筆、オリジナルであることに意味があると考えます。

Libraさんとはこの点、話し合ったことはありましたが、コンセンサスに至ることはありませんでした。この理由は、そもそも漫荼羅本尊というものの意味に関する理解が異なっていたからでした。もちろん、そのような意見の相違をもって彼との友好関係が損なわれたわけではありませんので、また、機会があればこの点の議論は続行してみたいと希望しています。

130犀角独歩:2003/10/29(水) 12:54

―129からつづく―

なお、学会を含む石山系教義において御筆漫荼羅と書写漫荼羅を同様に扱う傾向がありますが、これは本来、書写者の権威を被った結果なのであって、わたしは間違いであると思います。その根拠は先にも示した『富士一跡門徒存知事』の一節です。

「日興弟子分の本尊に於ては、一一皆書き付け奉る事、誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事、最も其の恐れ有り」

ここに蓮祖筆を「聖筆」、興師(以下)筆を「凡筆」と明確に分けて論じています。
つまり、この時点では明らかに御筆と書写が分別されて考えられています。蓮祖を師と仰ぐ立場からすれば、その祖の御筆とそれ以降の末の弟子が記したものが同様であるなどと考えること自体、僭越なことでしょう。

しかし、中世以降、日蓮本仏の思想がやがて濫觴を見、それは派祖本仏を足場にする当代本仏思想へと転落していきます。その段階では当代はもはや日蓮その人と同一視されることになりますから、その当代書写の漫荼羅と御筆漫荼羅の差異は無しとする思いに煽動されたと思われます。しかし、わたしはこのようなご都合主義には何ごとも妥協しません。

複製漫荼羅本尊について、わたしは各人がそれを鄭重に扱う信仰心について何も否定しません。しかし、それを御筆漫荼羅と同等と考えるところには大いに異義があります。それは御筆漫荼羅を直ちに拝すれば、容易に理解されるところでしょう。その諸尊座拝などについては、それがデータ化されたワープロ文字であろうが知ることはできるでしょう。
しかし、紙を選ばれ、その紙面を木槌で叩き平滑にした上で、自在無碍に図された蓮祖の筆遣い、その躍動は書写から印刷、ワープロ文字では決して再現できるものではありません。けれど、御筆には限りがある以上、その書写は致し方のないことでしょう。しかし、御筆(聖筆)重視の前提に基づいて、それは行われるべきでしょう。すなわち、興師のごとくです。ただし、言うまでもなく、ルーカスさんも指摘されていましたが、興師漫荼羅からして蓮祖漫荼羅とはその相貌は異なります。しかし、これを偽漫荼羅と断罪する蛮勇はわたしにはありません。御筆漫荼羅を敢えて書き変えた何かの理由があったのであろうと思うからです。あるいは披見できる御筆漫荼羅に限りがあったため、その尽くしきれなかった面もあったのであろうとも想像できます。

それにしてもかつて創価学会は漫荼羅本尊を「幸福製造器」と言い、のちには「宇宙(生命)を記したもの」と言い出し、最近ではどうやら「世界広布のための“武器”」だそうですが、このような考えに賛同できる謂われは、以上の史実からして、わたしは持ち合わせておりません。もちろん、Leoさんがそのようなお考えに泥む方であるとは基より思っておりません。

また、創価学会が寛師書写漫荼羅か授与者名を消し去って印刷頒布するやり方は、そもそも寛師の意図を蔑ろにするものであるとわたしには思えます。また、元来、その相貌を書き分けるのが守本尊ですが、守にあらざる漫荼羅を縮小して携帯にしてあたかも守本尊に扱うのは無知以外の何ものでもないまことに横暴な所行であると思うわけです。まして、その縮小印刷物の横に写真を入れられるようにするなど、その意図するところは嫌悪を懐かざるを得ません。いずれにしてもそれらの配布はラミネート印刷であれば3000円、携帯アクセサリーでは5000円以上となっているとのことですから、これはただの商売というしかありません。

なお、他派寺院売店で販売されている印刷漫荼羅本尊について、少し触れます。
他派の信者方は、これら印刷漫荼羅を、購入した場合、ただそれを仏壇に安置しません。ご自身の檀那寺に持参し、師僧と仰ぐ教師住職に、裏書をしてもらい開眼とするとのことでした。私はこの有様には一定の襟度を受け取ります。

Leoさんへのレスとしては脱線した部分もあります。お詫び申し上げます。

131Leo:2003/10/30(木) 00:23
犀角独歩さん、こんばんは。レスありがとうございます。

>図示のそのような性格から考えるとき、一舗一舗の漫荼羅は授与者のためのオリジナル創作であって、その授与者のため
>のものであることがわかります。漫荼羅のこのような側面を考えるとき、授与者が明記された漫荼羅を他者が我がものの
>如き扱うのはほとんど意味をなさないことになりませんか。ただ、その授与者が没し相続される場合、新たにその意味を
>籠めようとしたのが興師の添書であったと拝察されます。たぶん、この段階では蓮祖が弟子と定めた師弟の次第から
>蓮祖没後継承された教導権を、次代の師と認める授与者の相続者がそれを受け容れる形で継承されることになるのでしょう。

学会配布の漫荼羅のオリジナルは寛師漫荼羅であり浄圓寺の日證師が授与者とのことですね。
学会では蓮祖の漫荼羅の如く扱われますが(他に本尊にまつわる学会的因習・伝説のようなものも多々あります、
それは指導的方便なのかもしれないですが...)、学会に未だ籍を残す私としても、ご指摘を受け、学会配布の漫荼羅は、
あくまで寛師漫荼羅であること、もともと日證師のための相貌、継承者は浄圓寺であったことを念頭におく必要が
あると思った次第です

>しかし、700年前の上述の如き心的交流を拝することは、既に現在にあっては御存生の昔に思いを馳せ、聖筆をただ仰ぎ
>見るばかりです。かつて筆をふるった聖人の息遣いとそのご心情、それを受け取った弟子・檀那の喜び、そして、相貌の
>差異に見られるその意味に深い思いを注ぎたくなります。

「かつて筆をふるった聖人の息遣いとそのご心情」「それを受け取った弟子・檀那の喜び」
「相貌の差異に見られるその意味に深い思い」私も思いを馳せます...

>また、創価学会が寛師書写漫荼羅か授与者名を消し去って印刷頒布するやり方は、そもそも寛師の意図を蔑ろにするもの
>であるとわたしには思えます。また、元来、その相貌を書き分けるのが守本尊ですが、守にあらざる漫荼羅を縮小して
>携帯にしてあたかも守本尊に扱うのは無知以外の何ものでもないまことに横暴な所行であると思うわけです。

ご指摘はもっともだと思いました。

>まして、その縮小印刷物の横に写真を入れられるようにするなど、その意図するところは嫌悪を懐かざるを得ません。
>いずれにしてもそれらの配布はラミネート印刷であれば3000円、携帯アクセサリーでは5000円以上となっているとの
>ことですから、これはただの商売というしかありません。

私は学会では本尊を買うという意識はないと申しましたが、本尊授与の時納付金を納めますので、購入とみなされても
否定できないと思います。私は携帯本尊は興味なく注意しておらず携帯本尊が頻繁に配布されるようになった時期以前に
組織活動を離れましたので、携帯本尊が仏具店に売っているのかも、いくらで配布(購入)されるか知らない状況です。
話が少しずれますが、近年は本尊授与の際寺院での「御受戒」は出来なく、「入会勤行会」となっています。

>なお、他派寺院売店で販売されている印刷漫荼羅本尊について、少し触れます。
>他派の信者方は、これら印刷漫荼羅を、購入した場合、ただそれを仏壇に安置しません。ご自身の檀那寺に持参し、
>師僧と仰ぐ教師住職に、裏書をしてもらい開眼とするとのことでした。私はこの有様には一定の襟度を受け取ります。

他派ではそのようにされているのですか。学会では数年前の(名誉会長でなく)会長指導で、本尊は自分で題目を
あげて開眼しなさいとなっていました(数年前の大白蓮華の巻頭言でもそのように記されていたと記憶しています)。

132MILD SEVEN:2003/10/31(金) 23:37

生活保護不正疑惑 (公明市議)

「生活実態なし」市は支給打ち切り

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 宮城県多賀城市で、公明党市議と同居している義母をアパートに一人住まいだということにし、生活保護を長期に受給していたことが発覚。市議会は不正受給疑惑を調査する特別委員会を設置しました。「福祉の党」を自称する公明党の「地域サポート」の実際は――。


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<市議会が調査特別委設置>

本人「穏便に」
 
九月二十四日の市議会本会議。決算の討論でこの問題を取り上げた日本共産党の藤原益栄議員に、公明党の女性議員がかみつきました。「事実無根。撤回せよ」

 「それなら言わせてもらう」と藤原議員。こんな事実を明らかにしました。疑惑の当人である公明党の根本朝栄議員が、第三者立ち会いで藤原議員に「(受給した保護費の)二年分を返還するから穏便に」と要請してきた、という内容です。

 休憩後、女性議員は「撤回要求を取り消す」。さらにその後、「私の発言を議事録から削除してください」。

 疑惑についての評価はともかく、公明党議員も認めざるをえなかった“事実”とは――。

 発端は藤原議員あての女性の市民からの電話でした。根本議員の妻の母(84)は市内のアパートに住んでいるとして生活保護を受けているが、実際は住んでいない。おかしいではないか。

 「半信半疑で行ってみると、若者向けのワンルーム。ベッドははしごで上る中二階。これが老人の部屋かと驚いた」

5年間も…
 実は、市も独自に事実をつかんでいました。鳥山文夫保健福祉部長はその経過を「ケースワーカーが訪問しても不在。議員宅に行ってみると、そこにいた」と語ります。市は独居の実体がないとして六月末で保護を打ち切りました。

 市が有力な判断材料にしたのがアパートの水道使用量。過去五年間の年間使用量は四−十立方メートルと、一般単身者の一カ月分しか使っていませんでした。つまり少なくても五年間は生活実態がなく、不正常な形での生保支給だった可能性が大きくなりました。この五年間の支給額(医療費含む)は約千五百万円。義母は一九八九年から生活保護を受けていました。昼間の数時間、根本宅から五、六分のアパートに行き、給食宅配やホームヘルプサービスを受けていたといいます。

 創価学会はいま、町内会役員や民生委員などに進出し、地域住民とのパイプをつくろうとする「地域友好」活動を展開。公明党はこれを「地域サポート」と呼んで全国的に力を入れています。その一つが行政施策の仲介やあっせん。それがこんな実態として表面化しました。

<<<市民から怒り>>>
 
「市には、行方不明の息子の国保税滞納三十万円を理由に年金暮らしの老夫婦の土地建物を差し押さえた例もある。その一方でなぜこんなことが野放しになるのか」と藤原議員。いま、市民から怒りや激励の声が同党議員団に来ています。

 「あれが通用するなら、うちのばあさんもアパートを借りて保護をもらうぞ」「まじめに税金を払うのがばからしい」。根本議員の近隣に住む女性(59)は「地元では以前から話題になっていた。でも相手が相手だから口に出せなかった」といいます。

 市はなぜもっと早く事実をつかめなかったのかという疑問の声も少なくない。その一方で「受給者の事情に変化があれば申告してもらわないと。作為的にやられると市は把握できない」ともらす市幹部も。日本共産党の小林立雄議員団長は「あいまいな決着をしないで、が市民の声。団をあげてこれに応えたい」といいます。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-09/15_01.html

133MILD SEVEN:2003/10/31(金) 23:57
創価の宗教としてのレベルを、これでよく表しています・・・・。

134Leo:2003/11/01(土) 08:14
学会は選挙前3ヶ月は選挙支援だけになります(体制としては6ヶ月前からとのこと)。
普段の指導でも政治参加への正当化を強調します。皆さんもご存知のように選挙活動を法戦という
宗教活動であるかのような呼び方をします(その割に、候補者演説などの選挙関係使用予定を会館の
ホワイトボードに書かないように指示される)。公明党員は学会員で構成されます。
それほど政治活動が重要であれば宗教団体を返上して政治団体になるのが筋なような気がします。
(信教の自由をたてに宗教弾圧などと叫び政教一致を正当化するためや会員のモチベーション
 を保つため宗教団体である方が都合がよいのかもしれませんが...)

135犀角独歩:2003/11/01(土) 15:58

公明新聞、公明グラフとか、まだ聖教新聞配達所で扱い、学会員の配達員が一緒に配っているんですか。
聖教新聞と公明新聞、一緒に配達されてくるのが政教一致を物語っていると、わたしは常々思っていました。
まあ、「自由な感想」です。

136Leo:2003/11/01(土) 17:21
>公明新聞、公明グラフとか、まだ聖教新聞配達所で扱い、学会員の配達員が一緒に配っているんですか。
ええ、そうです。

>聖教新聞と公明新聞、一緒に配達されてくるのが政教一致を物語っていると、わたしは常々思っていました。
政教一致は聖教新聞と公明新聞もそうですね。公明新聞の配布も学会員なしではままならないのではないでしょうか。

137犀角独歩:2003/11/01(土) 17:48

Leoさん、こんばんは。

やはり、この点は変わっていないんですね。
わたしが在籍当時もそうでしたが、宗教活動に出て行って、選挙一色。
これは異常事態ですよね。

これが反対だったらビックリします。どこかの党大会に行ったら、政治の話そっちのけでお祈りが始まったり、宗教講話がはじまったら、「なんだここは??」と思いますね。

もっともわたしの友人は、かつて座談会に連れ出したら、選挙の話一色を見聞して、「今日はいい勉強になりました。政教一致の実態をつぶさに拝見させていただきました」と嫌みを言って帰っていきました(笑)

138Leo:2003/11/01(土) 18:34
犀角独歩さん、こんばんは。

そうですね。選挙ばかりやっている宗教団体はほんとうに異常事態です。

(話がずれますが)本幹衛星中継は正月から「敵対者攻撃」です。
敵対者も世間に知られていない敵対者ですし...そういうのも異常事態と思います。

139危機予防期待99:2003/11/01(土) 20:30
横から失礼、、。 「敵対者への攻撃を強めヨ、、」と言うことでしょうか、。 ヤハリというか性懲りもなく、、か「シツコイ、?」のかはわかりません、、。 普通に見ても「若干〜少しは歪んだ点が存在」するようですネ。 某S会の末端の会員らが「意識、覚醒〜不可能」な「状態?=洗脳?」などを複雑に活用しているのでしょうか?
 やはり常識的にも「限りなく⇒⇒旧オウム教に近い洗脳的な狂信的指導?」などが「日常的に存在する?」のでしょう、。 これが「与党に連座?」中なので「コワイ?」かと存じますが、。

140Leo:2003/11/01(土) 21:12
正月の衛星中継の幹部指導(講話)では、普段からの「敵対者攻撃」をより強調するわけではないです。
幹部は正月も「敵対者攻撃」が頭から離れないという意味です。
(その一年の目標でもあるから正月に話すのかもしれないとも思いますが...)

141Leo:2003/11/02(日) 01:00
>池田教ってどんな宗教?
につき、また>138、>140に関連して、2003年1月の『大白蓮華』の「巻頭言」(会長、pp.14-15)を紹介します。
いわゆる池田教の特徴が濃厚にあらわされていると思います。

「広宣流布とは、濁劫悪世において、民衆を苦しめる「悪」と戦い、正義をうちたてる精神闘争である。」

 「民衆」とは下記のように《創価学会における》「民衆」のことであるが、その「民衆」を苦しめる
「悪」と戦う(学会敵対者攻撃)ことによって、正義をうちたてる(正義を勧請する)観念的闘争が
広宣流布とのことである。

「今の日本も体同異心の国であり、第六天の魔王の所領である。権力抗争に明け暮れ、私欲を優先して
まとまらず、文字通り魔が盛んに跳梁し、分断を欲しいままにしている。さらに、魔性は創価学会に
おける民衆の団結を妬み、それを破壊しようと躍起になっている。この魔性に勝つには、信心の利剣と
異体同心の団結しかない。異体同心とは、それぞれの個性を尊重しつつ、各人が信心で団結する一念の
なかに築かれていく。」

 自由社会においては会社でも政党でも宗教団体でも組織同士の自由競争がおこるのが自然で、
まとまらないのが当然である。組織間の宗教戦争状況で骨肉相食む場面もある。
このような状況を信念と組織全体主義で対抗するという。

「異体同心の軸は「師弟不ニ」である。」

 組織全体主義の軸はグル中心とのことである。

142探訪者007:2003/11/02(日) 01:11
ドーモです、、。 久しぶりに「大白蓮華」の???をご拝聴しました、、。 貴重な資料と情報はとても御参考になります、、。
 「創価原理主義?なるものが??」なのかは誰も今は55%しかわかりません? でも着々と「シコシコと創価原理主義?なる怪物?」があなたの投稿から「一日一日と大きく育ちつつ有る、、」ようですネ、。 アリガトー、、。

143Leo:2003/11/02(日) 04:30
>池田教ってどんな宗教?
他の特徴としては、法華信仰を組織信仰にスリかえたところがあると思います。

「学会の組織が成仏への直道」
(創価学会教学部編『教学の基礎 仏法理解のために』聖教新聞社、2002年、p.320)

「大聖人の仏法を語り合い、信心を励まし合って行く創価学会という広布の組織に連なり、
異体同心で活動していくこと自体が「仏になる道」を歩んでいることであり、これより
ほかには成仏への道はないのです。」
(同上、p.321)

144Leo:2003/11/02(日) 13:00
>143の補足としては、信仰上の「信」が組織および最高指導者への「信」にスリかえられる
というところもあります。

>池田教ってどんな宗教?
折伏の意味も変容しています。

折伏(しゃくぶく)
〔仏〕相手の悪や誤りを打破することによって、真実の教えに帰服させる教化法。破邪。
(『大辞林 第二版』)

上記が、本来の折伏の意味ですが、学会指導では「悩みのある人をつれてきなさい」
「相手が悩みを打ち明けたら折伏の半ばだ」とされます。
折伏は通常無宗教※の《悩みのある人を勧誘》する意味となっている。
(※例外としてはご存知のように脱講がある)

145Leo:2003/11/02(日) 15:23
学会のおかしいところを指摘だけしていても仕方がないので研鑚モードに入りたいと
思います...

146MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:18
池田創価王国に反対! です。

<<<世界中のキリスト教と普通の仏教界は池田創価に絶対反対!>>>

この運動は広がってます。

正統派 対 カルト の陣営に分かれます。

自由陣営 対 独裁体制陣営(北朝鮮や池田創価やオウム等)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
しかし、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

147MILD SEVEN:2003/11/04(火) 01:18
池田創価王国に反対! です。

<<<世界中のキリスト教と普通の仏教界は池田創価に絶対反対!>>>

この運動は広がってます。

正統派 対 カルト の陣営に分かれます。

自由陣営 対 独裁体制陣営(北朝鮮や池田創価やオウム等)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

創価学会員の中には内部改善を望む者もいるでしょう。
潜在的に少なからぬ・・・。
しかし、池田創価の洗脳で理解力低下した多くの池田狂信者連中を恐れて表に出て来ない。
現実は厳しい。
今の段階では・・・。

http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
http://8022.teacup.com/momo7/bbs

148創価大学:2003/11/04(火) 01:26
http://www.milkcafe.net/souka/index.html

149創価大学:2003/11/04(火) 01:26
http://www.milkcafe.net/souka/index.html

150Libra:2003/11/05(水) 01:58
【宇宙生命論と梵我一如説】

 わたしは、「宇宙生命論が梵我一如説だから仏教教義に反する」(>>94)と主張してい
ますが、石田次男さんのコピペをしているわけではありませんし、石田次男さんの理論に
依拠しているわけでもありません。しかし、偉い方に、「お前のは脳内理論だ」といわれ
るのであれば、そのとおりなのかもしれません。ちなみに、わたしの脳内理論では、創価
学会の「宇宙生命論」に限らず、「新宗教における生命主義的救済観」はすべて「梵我一
如説」と大差ないということになります[注]。

  [注] 【オフィルさんへ(2/4)】(No. 33)〜
      http://www.ne.jp/asahi/my/www/bbslog2_004.html

 「密教で言う梵我一如とウパニシャッドの梵我一如は区別しないといけない」(>>94
といわれても、わたしには、両者を区別することにどのような実益があるのかが全くわか
りません。どなたかご教示下さい。わたしは、両者の思想内容にいかなる差異があるのか
今もってわかりません。ということは、わたしも、石田次男さんと同じくデムパ系という
ことになるのでしょう(今日まで気がつきませんでした)。そんなわたしにもわかるよう
に、ご教示いただければありがたいです。

 あと、伊藤先生や小川先生もデムパ系ということになるのか否かについても、偉い方に
教えて頂ければ幸いです。

  中国仏教の底流─万物一体の思想(伊藤隆寿)
  http://page.freett.com/Libra0000/081.htm
  
  密教の即身成仏は作り話(小川一乗)
  http://page.freett.com/Libra0000/061.htm

151Libra:2003/11/05(水) 02:07
 新しくスレッドが立っているのですね。失礼しました。>>150に対するレスは、「生命
主義、生命論について」の方におねがいいたします。

152Libra:2003/11/05(水) 02:33
 【漫荼羅と本尊について】

 わたしは「法華経は書写でも書籍でも同じ内容」(>>125)だと考えますが、これは自明
だと思います。

 漫荼羅とは、日蓮が法華経の中に入り込んで、自ら体験した、「虚空会の付嘱の儀式」
の情景をそのまま図顕したものであるというのが、わたしの脳内理論です[注1]。

  [注1] 本尊論メモ(Libra)
      http://page.freett.com/Libra0000/z013.htm

 仮に漫荼羅が印刷されたとしても、そのことによって、そこに表現されている情景に差
異が生じるなどということは生じないと思いますし、日蓮直筆の漫荼羅を通して「虚空会
の付嘱の儀式」の情景を追体験された方が書写されたとしても同じだと思います。

 ちなみに、わたしは、日蓮本仏論を否定して、日蓮上行再誕論を肯定しますので、漫荼
羅(で表現されている情景)の中の日蓮は東を向いていると考えます[注2]。

  [注2] 【日蓮は東を向いている】(No. 609)
      http://www.ne.jp/asahi/my/www/bbslog2_003.html

153犀角独歩:2003/11/05(水) 14:34

152 Libraさん:

お久しぶりです。

一点だけ。わたしが御筆漫荼羅(日蓮真筆)というのはLibraさんの論点とは、ぜんぜん違うところにあります。152に記される漫荼羅観は、特に異論はないのです。

ですが、蓮祖は元来、自分の図示漫荼羅(御筆)が複製されることを想定していなかったであろうし、また、図される漫荼羅は実に様々であって、授与者に合わせて図されたと目される部分がある。となれば、蓮祖に複製の意図がなければ複製すべきではないし、各個人用に記されたものであれば、他者がそれを用いるのは蓮祖の意図とはずれるといっているわけです。

ただし、蓮祖が弟子に書写を許さなかったか?と考えるとき、そのようなことはないようです。しかし、興師は、書写の漫荼羅であってもその複製を許したとは思えないので、漫荼羅の授与は書写に限るというのが本来の興師の儀であったろうという点を述べているのに過ぎません。

この点と漫荼羅の相貌が御筆、書写、印刷、ネット画像が同じであるというのは、まるで違う論点です。

154Libra:2003/11/05(水) 15:26
>>153 犀角独歩さん

 論点が違ったのですね。ごめんなさい。

> 蓮祖は元来、自分の図示漫荼羅(御筆)が複製されることを想定していなかった
>
> 蓮祖に複製の意図がなければ複製すべきではない

 すべての人がもれなく、自分と一緒に法華経の中に入り込んで、虚空会の付嘱の儀式を
体験し、釈尊の因行果徳の二法が具足するところの妙法蓮華経の五字を釈尊から直接授か
ることができるように、というのが漫荼羅図顕の「蓮祖の意図」の根本であるとわたしは
理解しています[注]。複製することによって、この「蓮祖の意図」が阻害されるとはわた
しには思えませんので(>>152)、「複製すべきではない」とも思いません。

  [注] 本尊論メモ(Libra)
     http://page.freett.com/Libra0000/z013.htm

> 各個人用に記されたものであれば、他者がそれを用いるのは蓮祖の意図とはずれる

 「各個人用に記されたもの」であっても、上に記した「蓮祖の意図」の根本は変らない
と思います。《他者がそれを用いたときには、法華経の中に入り込むことができない》と
はわたしには思えませんので(>>152)、「他者がそれを用い」たとしても、「蓮祖の意
図とはずれる」ということにはならないとわたしは考えています。

155Libra:2003/11/05(水) 17:30
 どうやらわたしの常識は「デムパ」に犯されているようなので、一応確認させていただ
きたいのですが、このスレッドでは、「べきである」とか「べきでない」とかいう命令文
は議論の対象にしてよいのですよね。うーん。なんか、自信がなくなってきた(涙)。

 犀角独歩さんが「蓮祖に複製の意図がなければ複製すべきではない」(>>153)と発言
しておられるので、ちょっと安心。

156犀角独歩:2003/11/05(水) 18:31

Libraさん:

ここはたぶん、見解は合わないと思いました(笑)

漫荼羅観が全然違うわけです。虚空会の儀式ということですが、これは創価学会教学ですね。富士門ではご承知のとおり、霊山の儀式です。相伝によれば、ですが。

それと「虚空会の儀式を体験する」とか「法華経の中に入り込む」って何ですか??
漫荼羅にそんな用途があるとは知りませんでした。

また、「因行果徳の二法が具足するところの妙法蓮華経の五字」とは『観心本尊鈔』の意を受けたものでしょう。けれど、妙法五字は本尊でしょうが、漫荼羅ではありませんね。釈尊の因行果徳の二法が具足するのは漫荼羅ではなく、五字の妙法でしょう。口に唱える題目にも具足していませんか。なんで「漫荼羅に」となりますか。

>「蓮祖の意図とはずれる」ということにはならないとわたしは考えています

そうですか?
たとえば、「日眼女授与之」と記された漫荼羅が、どうして万人に通用することとなりますか。だいたい、なぜ、「万人に」としなければならないのでしょうか。

Libraさんの漫荼羅本尊観というのは、こういっては何ですが、ずいぶんと学会チックなんですね。いや、デムパ系ということでしょうか? 少なからず驚きました。
これはもちろん、批判ではなく、感想です。

157Radio:2003/11/05(水) 18:53
>>150

これと
>>94
>アートマンとは、ものごとに不変独立の本質、常一主宰の実体、自性のことであり、単なる我(われ・わたし)のことではありません。


http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1015575530/r423
>己心や一心は因縁生起するもので、アートマン(我 が)とはことなるからです
>また法界も因縁生起するもので、ブラフマン(梵)とは異なるからです

を参照してください。分かると思います。
あるいは生命および宇宙生命の定義と、ブラフマンおよびアートマンの定義を較べてみてください。まったく違いますから。

真言宗とウパニシャッドの違いですが、梵も我も全然違うものですよ。較べてみてください。

伊藤先生の記事は読んでいません。
小川一乗先生の記事はざっと読みました。小川先生は真宗の学者でしょ? 特定の宗派のイデオロギーを背景に、修行も体験もしたことのない他宗の成仏観を「作り話」と否定するのは、仏教徒としても仏教学者としても宗門人としてもやってはいけないことだと思いますが。
特定のイデオロギーを背景に、○○は仏教である、仏教でないと腑分けしていくことは学問的に見えて、実は単に学者自身のイデオロギー的信仰告白でしかないと私は思います。わたしが批判仏教に興味がないのはそういう理由からです。彼らの仏教徒としてのイデオロギー的信仰になんら興味がないからです。わたしは仏教徒ではありませんから。

あと私は「デムパ系」「脳内理論」という言葉を使っていませんので、それについては言った人と議論してください。

論敵を「偉い方」と言うようなイヤミは論争の仕方として下品なのでやめた方が良いと思います。

これは以前も言いましたが、仏教学者の論文や著書を読むより、原典の文献研究をなさったほうが良いと私は思うのですが。

158みかん:2003/11/05(水) 18:54
あ。ハンドル間違えたw。

↑みかんです

159みかん:2003/11/05(水) 19:15
>>115

>みかんさんや顕正居士さんのご意見も解りますが、池田氏は南無妙法蓮華経は「宇
>宙根源の法」であり、宇宙そのものが生命存在であり一実体であると主張していま
>す。

実体、実在という言葉の意味が若干違うと思いますがどうでしょうか。

日本語の日常語で実体、実在というと、たしかにある、存在するという意味ですが、哲学ではそうではありません。
一切の変化を離れ、何者とも関係なく、それ自体で自足して存在する。何者にも影響されない。何者にも影響しない。
そういうあり方が、実在です。そういうあり方をしている物が、実体です。

インド哲学で言うところの我(アートマン)もそのような概念です。

つまり、万物が変化し、相互に影響し合って成り立たせ合っているという因縁生起の思想とは正反対なわけです。実体論というのは。

で、宇宙生命や生命論を言う人は、生命という言葉に「ダイナミック」な「動的」な含意を持たせます。

これが、古典的実体論との根本的な違いです。

たしかに宇宙生命論者は、宇宙生命を言うことで、世界の根底に「一実在」を立てています。しかし、それが古典的な意味の生成変化しない「実在」ではないのです。

生命論、宇宙生命論は実在論、実体論に「変化」「生成」を取り込んだ思想だと言えると思います。

(生命という言葉自体が危険で傾きを持った物ですが、それはまたいつか)

160みかん:2003/11/05(水) 19:18
>>98
霊魂説に基づく輪廻転生説があったとして、それが直ちに有我説とイコールではないと思います。
なぜなら、霊魂が、変化し因縁生起する物であると考えることが可能だからです。もしそうであればそれは無我説の範囲内です。

ひろ先生の密教に関する本は読んだことがないので何とも言えません。

生命論が日蓮どころか仏教と無縁であるのは言うまでもありません。

161みかん:2003/11/05(水) 20:33
誤解があるかも知れないので言っておきますが、
私が「○○説は仏教説とは異なる」と言う場合に
「間違っている」とは言っておりませんので念のため。

仏教義、仏教説とは違うが、独自の価値を持つ思想体系であることを否定しません。

162Libra:2003/11/05(水) 22:09
>>156 犀角独歩さん

> 虚空会の儀式ということですが、これは創価学会教学ですね。富士門ではご承知のとお
> り、霊山の儀式です。

 わたしが無知なせいなのでしょう。わたしには、両者の内容的な差異が全くわかってお
りません。

> それと「虚空会の儀式を体験する」とか「法華経の中に入り込む」って何ですか??
> 漫荼羅にそんな用途があるとは知りませんでした。

 それは、おそらく、わたしの理論が脳内理論にすぎないということでしょう。

> 妙法五字は本尊でしょうが、漫荼羅ではありませんね。

 わたしの説明[注]を読まれた上で、そのような指摘をされるのであれば、わたしの説明
に不備があるのでしょう。わたしは妙法五字が漫荼羅だとか、そんなことはいったつもり
もありませんが、そう理解されてしまう説明になってしまっているにちがいありません。

  [注]  本尊論メモ(Libra)
     http://page.freett.com/Libra0000/z013.htm

> たとえば、「日眼女授与之」と記された漫荼羅が、どうして万人に通用することとな
> りますか。

 内容が同じだから。この一言に尽きます。が、これはデムパ系の脳内理論。同意されな
いほうが賢明かと思います。

> Libraさんの漫荼羅本尊観というのは、こういっては何ですが、ずいぶんと学会チックな
> んですね。

 「学会チック」だから正しいとか、誤りだとか、そのような発想にはわたしはついてい
けないようです。

> いや、デムパ系ということでしょうか? 少なからず驚きました。

 いや、本人が一番驚いているのです(笑)。

> これはもちろん、批判ではなく、感想です。

 ありがとうございました。

163Libra:2003/11/05(水) 22:16
>>157 Radioさん

 わたしはあなたのことを全く存じ上げませんが、「以前も言いました」とあるので、お
そらく、わたしがうっかり失念しているのでしょう。申し訳ありません。

 「原典の文献研究をなさったほうが良い」とのことですが、わたしにはそんな能力も、
時間的・経済的余裕もありません。

 わたしの理論は脳内理論にすぎませんから、無視なされるのが賢明かと存じます。

164Libra:2003/11/05(水) 22:20
>>159 みかんさん

 みかんさんでしたか。失礼しました。

> 実体、実在という言葉の意味が若干違うと思いますがどうでしょうか。

 「若干違う」といわれればそうかもしれないですね。

> 宇宙生命や生命論を言う人は、生命という言葉に「ダイナミック」な「動的」な含意を
> 持たせます。

 この点がそんなに重要だったのですか。ご教示ありがとうございました。

165Libra:2003/11/05(水) 22:29
 わたしは、「下品」であり、かつ、「学会チック」であり、「デムパ系」であるという
ことで意見は収束したようにおもいます。おそらくはそれが真実なのでしょう。

 わたしは、このような場にはふさわしくない人間かもしれないと気がつきましたので、
自発的に退場したいとおもいます。わたしの発言で不愉快な思いをされた方がもしおられ
ましたら申し訳なくおもいます。

 ではでは。

166Libra:2003/11/05(水) 22:47
 わたしのことはどういわれてもかまわないのですが、小川先生のお名前を汚したままに
するのはちょっとまずいだろうということで、見苦しいですが、最後にもうちょこっとだ
け。

> 特定の宗派のイデオロギーを背景に、修行も体験もしたことのない他宗の成仏観を「作
> り話」と否定するのは、仏教徒としても仏教学者としても宗門人としてもやってはいけ
> ないことだと思いますが。

 1.「作り話」云々の点は、今の論点(密教と梵我一如との相違)とは無関係。だが、
   小川先生の「選択」の態度[注1]は、仏教徒として立派だとわたしはおもう。

  [注1] 「選択」とは(小川一乗)
      http://page.freett.com/Libra0000/090.htm

 2.密教の「我則大日」という考えが、「すでにインドでは古期ウパニシャッドの時代
   の梵我一如の思想にもとめることができる」とは宮坂宥勝先生のご見解[注2]。

  [注2] 宇宙生命それじたいを本体とする法身大日如来(宮坂宥勝)
      http://page.freett.com/Libra0000/035.htm

 3.「タントラ仏教が絶対者と自己との合一をめざす、ブラフマニズム的宗教だという
   ことは、密教学者ならずとも多くの学者が承認している」とは吉水千鶴子先生のご
   見解[注3]。

  [注3] タントラ仏教はブラフマニズム的宗教(吉水千鶴子)
      http://page.freett.com/Libra0000/022.htm

#小川先生、ごめんなさい。

167顕正居士:2003/11/06(木) 02:25
>>95 でわたしがデムパと形容したのは石田次男さんのコピペです。インド哲学史
の入門書1冊でも読めばおかしいとわかるはずだから、中杉さんやしぶけんさんの
説にも?になるだろうと。Libraさんの名はありませんね。
次に
>>114 で創価学会の生命論と生命主義一般と不二一元論をLibraさんも混同して
いますよと。ここは石田さんとは関係がない。

しかし命令文の真偽を論じられるとか*、原典など読む気はないとかおっしゃるに
いたっては、デムパ、あらしというしかありません。そこまでLibra教が確立して
いるなら仕方ないでしょう。原典など読まなくとも、真理が現成するのでしょうし、
布教もそれで出来るのでしょうから。

*「大阪を首都にするべきだ」という文に真偽はありません。「大阪を首都にする
と大阪の税収が増える」という文には真偽があります。たいがい真ですね。

168Leo:2003/11/06(木) 02:58
こちらの掲示板が挙証義務のルールが出来たということで(デムパ系が減る)安心して見に来ていなかったのですが...
Libraさんおかえりなさい。
しかし、Libraさんが自称でデムパとは驚きますよ、ノリツッコミでしょうか...?

169犀角独歩:2003/11/06(木) 10:36

162 Libraさん:

最近のLibraさんは言いたいことを言うだけいって、他の言うことはまるで聞かない、相容れないという頑なさに変わってしまいましたね。どうしましたか。

>> それと「虚空会の儀式を体験する」とか「法華経の中に入り込む」って何ですか??
>> 漫荼羅にそんな用途があるとは知りませんでした。
> それは、おそらく、わたしの理論が脳内理論にすぎないということでしょう。

そうですか。脳内理論であれば、議論の対象となりませんね。

> 本尊論メモ(Libra)

これに拠れば、妙法蓮華経=本門釈尊ということのようですが、わたしはこの考えには反対です、とだけ申し上げておくことにします。

>> たとえば、「日眼女授与之」と記された漫荼羅が、どうして万人に通用することとな
>> りますか。
> 内容が同じだから。この一言に尽きます。が、これはデムパ系の脳内理論。

何が内容が同じなのでしょうか。たとえば日眼女授与漫荼羅と、石山、あるいは学会で使う寛師漫荼羅の相貌は同じではありません。

> 同意されないほうが賢明かと思います。

「同意しないほうが賢明」と自ら言う書き込みをわざわざする理由はなんでしょうか。

> 「学会チック」だから正しいとか、誤りだとか、そのような発想にはわたしはついていけないようです。

正しいとも、誤りだとも言っておりませんが。
「宇宙生命論」という学会教学を批判しながら、漫荼羅本尊解釈になると学会教学の影響を残している驚きを率直に記したまでです。

一方的に自分の考えを提出し、他との考証の一切を示さないのであれば、書き込みをただの自己宣伝となってしまいますよ。掲示板の書き込みはそうであってはいけないと思います。Libraさんらしからぬ冷静さのない遣り取りを残念に思いました。

170犀角独歩:2003/11/06(木) 12:46

【169の訂正】

誤)他との考証の一切を示さないのであれば
正)他との交渉の一切を示さないのであれば

171末法のABC:2003/11/07(金) 21:14
この教?は「人様を???した点??」では「最大の??」であり、、かつ「人様を???した点では???」の「マヤカシの???」のようです、、??

172みかん:2003/11/10(月) 03:29
>>166 Libraさん
別に真言宗の法身大日も自己も、因縁生起するもので実有(実在)ではないと思いますよ。
法身大日は単に、因縁生起しているこの法界(われわれが今現に生きているダルマそのものの世界)への名付けに過ぎません。
法身大日は、常住不変、恒常、常一主宰の絶対者、実在者、単一者ではないです。外部から世界を成り立たせる根拠ではありません。

で、そのような大日と自己がじつは同じ法(ダルマ)に依っている、縁起していると気づいても
べつに、不思議ではないですね。それが覚り体験、真言宗の即身成仏だと私は思います。
べつにそのような体験は、仏教義に反しないと思いますよ。

そしてその覚り体験は、日蓮法華宗の覚り体験と何ら選ぶところのない物だと思います。なぜなら同じ仏教だから。同一鹹味だから。

真言宗の体験・思想がウパニシャッドやバラモン教やヒンズー教の影響を受けているかといわれたら受けていると思います。
そして、民間レベルや、仏教教義をきちんと理解していない僧侶に、法身大日が実有なる絶対者だと誤解されていたかというと、誤解されていたと思います。

しかしそれは、天台法華宗や日蓮法華宗において久遠実成釈迦仏が絶対者と誤解されていたり、浄土宗、浄土真宗に於いて阿弥陀仏が絶対者と誤解されているのと同じ事です。

それらが、実有・実体ではなく因縁生であるという「事実」は変わりません。そしてその事実を知っているかぎり、仏教教義の本質を外してはいないと思います。

173みかん:2003/11/10(月) 03:38
本仏が日蓮だろうが釈迦だろうが、
私には知ったことではありませんが、
本仏も因縁生起するものだ。絶対者ではない
そもそも「実在」しないということは
仏教の基本、当たり前、ですね。
だれがいつの時代にどこの国で本仏、迹仏など
という言葉を発明して区別しだしたのか不勉強ゆえ知りませんが、
よく考えてみるとナンセンスな観念ですよね。
なにしろ、すべての仏の覚り・智慧・慈悲は同一であり、
すべての仏の説く法は同一鹹味であるというのは、
仏教の基本理念だからです。

それは人工的なイデオロギーではなく、
仏教が指さしているところのもの=法(ダルマ)
は同じだから言えることです。それはこの世界が因縁生起
しているという事実そのものだからです。

174真善美:2004/07/28(水) 15:49
こいつら創価がどういうものなのか分かってないようです。
これ以上被害者を出さないために本当の創価を教えてやってください。

http://tobunken.at.infoseek.co.jp/

175ラスカル:2005/12/04(日) 12:51:55
文化大革命とかやりたいわけではありませんが。池田教が日顕宗から離脱したなら、日寛書写曼陀羅付足印刷疑惑を振り払う為に学会の戒壇は此れだって建てれば良い。腹�トリプルフロアドーム(3階建て円堂)ガブリエルフロア(宝物庫→御会式≒虫払・如来シャクソン、祖師日蓮、当座上人)、ラファエルフロア(灯台本尊・当座上人書写曼陀羅)ウリエルフロア(控室・煉獄希望画)、漫陀羅に3遍題目の巡礼、法華本門寺根源(日蓮聖人真筆本尊)、本化亦垂堂(創造も破壊も無い自然調和世界)◆漫画文化にも宗教を魔法や超能力で表現して、密教が善で顕教が悪という慣例というか贔屓にする事が多いかな、と。エンターテイメントだからというのでしょうが。いずれにしろ、少欲知足の聖僧が出ない限りエンターテイメント化は治まらないでしょうか。

176ラスカル:2005/12/04(日) 20:03:52
ジャクスイ→(しんにょう))→スイジャク〔天照太神宮の事〕

177ひきこもり:2006/03/03(金) 22:04:54
科学的、普遍性のある在り方が、真の広宣流布を実現するものと
思います。

178今川元真:2006/03/04(土) 11:42:09
科学的・利・善・美、 普遍性・法華経、? 真は科学が分析解析する対象。花は気高くしなやかに咲く。雑草なんて無い。

179iひきこもり:2006/03/05(日) 20:27:51
つまり法華経や日蓮大聖人御書に、科学と対立する根本的な誤りがあった場合には、
創価も宗門も存在理由を失うのではないと言うことではないのですか。

宗門や創価は、自身の教義を否定する科学の進展を妨げるべきべはないと思います。
宗門は伝統に固執しすぎ、創価は発展に固執したために、悲劇が起きたのだと思いま
す。

池田教と言う文句ですが、これは「当体義抄」の解釈にあると思います。師弟不二を
曲解した結果、そうした言葉が出るのでしょう。

宗門に対して日顕宗と創価は言っています。宗門は創価を「池田教」と言った返しで
しょう。日顕御隠尊猊下は1922年生まれ。丁度大聖人が生誕された700年後に
お生まれになったのです。池田先生も同時期です。日蓮大聖人が御本仏と言う「開目
抄」の解釈を否定しなければ、この問題は解決しないでしょう。

180今川元真:2006/03/06(月) 07:17:45
御書・遺文の全体を通してだと「『日蓮は本仏と同等に尊い』と形容している」としか言えません。末法無戒の世であるが故に。同様・同義・同質、何れのパーセンテージも誤差が問題になるので、「皆成仏道なので」と後付けで言わざるを得ません。

181今川元真:2006/03/09(木) 10:32:58
ヒトの眼は外界を精巧緻密に捉えてますが、意識・感覚が研ぎ澄まされてないと認識判断の別に表せないと云います。 一念三千・変妙化生、 摩可止観・妙法蓮華

182天蓋真鏡:2006/10/29(日) 17:51:30
日蓮大聖人と牧口常三郎、日寛上人と池田大作、法華一乗と世界市民、価値創造と自然科学、平和と環境、其他。本仏論は皆成仏道、正法論は三国四師、等で質疑応答しなくても済むくらい難易度が無い事に思い考えます。自分で究めようとすれば、ヒト其れぞれ極め付きに辿り着くのに大変でしょう。

183天蓋真鏡:2007/01/14(日) 18:51:51
師匠を超えられない弟子は、かわいそう。 BY池田大作 豪華→業火、 できないならやるな  BY大古       できないやつを役員にして愚痴の点呼盛り 健康管理できなくて哀れ通り越してキモイ。 盆に墓の地べたに供物ばら撒く。夫婦で墓掃除行け。 先祖から排水垂れ流して家を溝で排水溝で囲む。水周りの呪いなんてあるかな。 冷戦本橋家でした。

184再挑戦者:2007/01/17(水) 19:04:40
 、、あくまで私見ですが、この団体はヤハリ、、何かが懸念されます、、、。
 他者をボロクソに罵詈雑言するような「公開処刑を?連日、平然と、?」、、機関紙で口を汚くアオリ、、「弱いものイジメ、、」を実践中です。  

 これらを読んだ会の子弟らは、「、、イジメ予備軍の二世軍団、、」として「イジメをしっかりと受け継ぐ、?」、でしょう、。
  同時に、、ほかの他門、他宗の僧侶方が「、一杯、居酒屋、、スナック、、赤ちょうちん、、クラブ、、料亭、、などでの飲食は要注意」でしょうか、?   その接待方方に、、傍系方が多数、お見受けられるようです、、。 そこで、しっかりと、だらしない生クサ坊主の体たらくを、上層部に報告、、?、、」、、しているようです、、。
 そして、部内宣伝では「、、これが、坊主の姿だ、、!!、、 だから、我が方こそ一番・イノチだ、!!」、、と言う、逆宣伝に利用さないよう「自粛と自己制御」、、が、、今こそ、強くご期待が高まる現実のようでしょうか、、。 愚視でしたが、、。

185再挑戦者:2007/01/20(土) 21:29:24
 横から失礼します。
 ドーモ大石寺関連、、や その末寺の方方などの豪遊も話題のようです。
 贅沢な有り余る経済・財政のためでしょうか、近隣の街角からのうわさが某筋に報告されているようです。
 即ち 背広は着ているが、短髪な方方がゴルフ三昧 、 カラオケ三昧、 家族での温泉場めぐり 、、 などの此の世の天界を御楽しみにゾッコン 
などが散見されますようです。 正しく「 楽於小法、、= ニセ坊主、、」、、が横行のようでしょうか ?? 愚考、、でした、、。

186犀角独歩:2007/01/20(土) 22:13:40

豪遊など、まだ可愛らしい程度ではないでしょうか。
こんなものが坊さんだと思えば、腹も立ちますが、単なる職業のためのコスプレだと思えば、さもやありなんというばかり。

ただし、在研集団の指導者の私物化、豪遊どころか、天皇貴族並みの生活やら、会の親族経営とその豊満な金銭事情を、坊さんを吊し上げて、会員から、目を逸らす遣り方もどうかと思いますが。

187チョイ見た:2007/01/20(土) 22:36:27
 、、、、、。 豪遊、、、も、、、?  良く観察しますならば、、ドッチ もどっち の感じ も ?
 S会などは、存在・維持の最大公約数の一番== 庶民の == 一票 、、がお命のようですか、、、、。
 他方、お寺さんなどは 、、ご供養、、 が お命 でしょうか、、?
 ここでは、 貧しい庶民への暖かいお心が欠如していませんでしょうか ?
 日蓮様の御慈悲・御心とは 、、乖離の度合いが大きいようです  、、 ?

188犀角独歩:2007/01/20(土) 23:45:59

S会などと略す必要はないと思います。創価学会のことでしょう。
このスレもその会用のものです。

やや古い資料で恐縮ですが、平成4年、最高幹部の納税額(所得ではありません)が以下のようになっていました。

名 誉・池田 8,715万円
会 長・秋谷 1,842万円
副会長・八尋 1,761万円
理事長・森田 1,387万円
副会長・上田 1,301万円
副会長・青木 1,024万円

秋谷さんの月収が460万円、副会長(2、300人いましたか)が200〜400万円。
池田さんには専用施設が全国にもあり、箱根には温泉もあったんではなかったですか。海外に行くときには、お抱えの料理人に、専用の椅子まで持ち込もうとして顰蹙を買ったときもあったといいます。ゴルフだ、家族での温泉旅行より、ずっと金満じゃないですか。別段、会員は、騙され搾取されて気の毒だとは思いますが、こんなトップに傅いておいて、他宗の坊さん批判もないものだということです。

もっとも石山の坊さんの肩などもつ気も毛頭ありません。彼らにとって、湯水のように金が集める‘彼らにとっての’幸福製造機は、すでにその正体はバレています。今後の信徒増加は、もはやありません。遊びたければ遊んでいればよい、しかし、孫子の代に安泰はないよ、ということでしょう。

まあ、情報に振り回されないことでしょう。

189チョイ見た:2007/01/22(月) 17:47:50
、、、サスガ、、。 鋭い、 的を得た御意見、、、は、、、、感服、、、致しました、、、。
 御 心労をお掛けいたし深く陳謝を表明します、、、ゴメン下さい、、、ませ、、。

190:2007/01/23(火) 14:16:43
この人の書く文は、「、」が多すぎて非常に読みにくい。
如何なる意図で書かれているのかは分かりませんが、嫌悪感を否めません。
お願いですからまともな文を書いていただけないでしょうか。

191再挑戦者:2007/01/25(木) 19:56:04
  そうですか、、、。  そんなに ?? ですか  ?
 此処は、知能の低い低脳者を相手にする場所ではない、、? か、、。
 小生のような、小学校四年で不登校、、イジメ 〜 その他 〜 で ロクナ教育が皆無んお 落ちコボレ、、、を自認中の者 です、。
 マトモな文さえ書けないような、アホンダラ〜〜〜バカモノ 
などは 投稿など おこがましい、、、!!! ハイ、、、 是がでの別な面「「「「  差別根性  === 格差 社会 」、、ではないでしょうか。

192再挑戦者:2007/01/25(木) 20:12:20
 、、、言いすぎました、全文を、、取り消しを祈願いたします、、。 ゴメンなさい、。

193富士山大好き:2010/11/06(土) 15:22:23
前公明党代表の太田氏は池田大作氏を評して「宗教家としては?だが政治家としては100%だ」
というような趣旨の発言をしたと伝え聞いたことがある。
事の真相は確かめようが無いが、池田の一面を鋭くついた言葉であると思う。
良くも悪くも創価学会が一時的とはいえ、爆発的に広がったのは池田氏の清濁併せ呑む政治家的な
資質なしではあり得なかったと思う。
人間・池田大作で行けばよかったものが、いつしか誰が悪いのか本人か取り巻きか
は知らんが、仏様になってしまった。これでは坊さん側の法主信仰と同じだ。
そもそも日蓮仏法にそんな発想自体がナンセンスではないか?池田氏が日本人だろうが
朝鮮人だろうが、そんなことどうでもいいと同じように仏様だろがなかろうがどうでも
いいではないか。こんな発想をした時点でカルトである。
だから創価学会は駄目になったのだ。

194ひきこもり:2010/12/03(金) 21:57:27
>>193
池田先生への個人崇拝がいけなかったのだろう。昭和40年代から個人崇拝が高まり、
日蓮大聖人は池田先生、日興上人は戸田先生、日目上人は牧口先生の生まれ変わりとか
聞いた事がある。今地震かな?

195阿仏棒:2011/01/06(木) 07:31:16
おけましておめでとうございます

いずれ池田先生を拝んでもいいようになりますよ
池田先生は末法の御本仏です

まず法華経の教えにのっとり邪法を砕き、正法を広めようとしたこと
それにともない眷属が出現したること
大功徳をもって日本を世界一の経済大国にしたること
にもかかわらず世界中から極悪人とののしられること

これらのことから池田先生が末法の本仏なのは疑いようも無い

196エマ:2011/01/25(火) 22:41:40
そうですね。

池田先生を拝む人が増えると、更に邪教として世間が見るでしょうから創価学会の評価は当然下がるでしょうし、創価学会員が白い目で見られることを私は嬉しく思いますのでもし池田先生を拝むときが来ましたらご一報ください。阿佛棒様へ


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