[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
素朴な疑問
3538
:
れん
:2007/11/25(日) 18:57:41
追記です。
“葦名阿闍梨御房御返事”は、日尊門流の京都上行院の日印からの質問に対する返状で、内容としては、先に引用した文の通り、広宣流布時の本門寺における日蓮が図した大漫荼羅による仏像造立と、日興筆の御遷化記録にある日蓮の“御遺告”を引用して「一体仏、大聖御本意ならハ墓所傍被棄置哉、又造立無過者何大聖時、此仏四菩薩・十大弟子不被副造哉、御円寂之時件漫荼羅被出尋奉懸事顕然也、勿論也、惣して如此事等、御書始末を能々可有御了見候歟」と記して、未広布時においては大漫荼羅正意とすることを示しています。
以上ご参考まで。
3539
:
犀角独歩
:2007/11/25(日) 19:02:42
れんさん、早々のご教示有り難うございました。
教学史の批正、大変に参考になりました。
> 何時から西山が漫荼羅を戒壇本尊と位置付けるようになったのかが“素朴な疑問”
まさにこの点での疑義でした。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
3540
:
ふうてん
:2007/11/28(水) 13:51:23
すみません。またよろしくお願いします。
石山の御守り御本尊について教えてください。
この本尊は礼拝の対象ではないと聞きました。
で、僧侶とか法華講の人たちは、出張先や旅行先では、どうやって勤行してい
るのですか? 遙拝勤行ですか?
それとも、御守り御本尊に向かって勤行唱題しているのでしょうか?
それとも、別に携帯本尊というのがあるのでしょうか?
よろしくお願いします。
3541
:
偶ロム偶ログ
:2007/11/30(金) 16:04:12
>3510 ふうてんさん
通常、旅先での勤行は、大石寺の方角に向かって行なうものです。
戦前の法華講は、身に付けたまま勤行をしていました。
それから、「遙拝勤行」とはいいません。
石山であろうと、自宅であろうと、旅先であろうと、ただ、勤行です。
江戸期からの信徒で、小さな厨子に板本尊と御影が設えられたものを持って
いる方もおられますが、これはかなり長期間の旅のためのものかと思います。
また、守本尊は身に付けたまま、携帯できる大きさの御影に向かっての勤行
もあったといわれています。
3542
:
犀角独歩
:2007/11/30(金) 21:22:06
ふうてんさん
偶ロム偶ログさん
わたしは法華講のころ、「旅先では、大石寺の方向に向かって勤行すればよいのでしょうか?」と指導教師に質問したことがあります。
すると「なんで、御本尊様のないところで勤行するんだ?」と、とても不思議そうに返答されました。
ついで、「歩いているときも、車を運転しているときも、を題目を挙げています」というと、「なんで、御本尊様のないところで題目を唱えるんだ?」と、とても、不思議そうに言われました。
まあ、いまとなっては、石山の常識など、まるで関係ありませんが、以上が、石山大本営の、法華講時代に見聞した常識でした。
「御守様」は文字通り、御守りですね。
それにしても、勤行というのは、本来、それぞれの尊体の前でするものですね。それがないところでなしていったいどうするのでしょうか?
目の前に人がいないのに、丁寧に頭を下げて、挨拶の言葉を出すようなものだというのが、石山の感覚ではないでしょうか。
石山には、「戒壇の大御本尊の方向に向かって?」といったイスラム教のメッカに向かうお祈りみたいなものはありません。これをはじめたのは、創価学会ではないでしょうか。
3543
:
ふうてん
:2007/12/01(土) 12:11:02
偶ロム偶ログさん
> 通常、旅先での勤行は、大石寺の方角に向かって行なうものです。
> 戦前の法華講は、身に付けたまま勤行をしていました。
情報ありがとうございます。では方位磁石がいりますね。
今のGPS携帯は大石寺の方角は示してくれるのかな。
貧乏人なのでGPSは持っていません。(^_^;)
外国からだとさらにむつかしくなりますね。だから太陽が昇る東に向かって勤行でもいい。
と指導されているのでしょうか。でもロサンゼルスだと東より西に向いた方が日本は近い。
> それから、「遙拝勤行」とはいいません。
内得信仰と遙拝勤行の解説がバラバラで統一されてないので困っています。
> 携帯できる大きさの御影に向かっての勤行もあったといわれています。
なるほど、携帯本尊というのは御影のことですか。
犀角独歩さん
> すると「なんで、御本尊様のないところで勤行するんだ?」と、とても不思議そうに返答されました。
マジですか。僧侶は旅先では勤行してないんですか?
> これをはじめたのは、創価学会ではないでしょうか。
思うに、戸田会長が独房でも勤行していたというのが学会のバックボーンにありますから、
そこから、遙拝という行為は崇高な行為だと認識しているのでしょうね。
また、熱原の法華講衆も御本尊のないところで唱題したんですよね。
ちょっと僧侶の言い分はおかしいですね。自分が収監されたらどうするんでしょうか。
3544
:
問答迷人
:2007/12/01(土) 12:38:41
ふうてんさん
>また、熱原の法華講衆も御本尊のないところで唱題したんですよね。
日蓮聖人は、佐渡流罪以前は、曼荼羅を顕していません。その時の信徒・僧侶はどうしていたのでしょう。
曼荼羅を知らない訳ですから、曼荼羅を思い浮かべることも出来ません。
それでも只南無妙法蓮華経と唱える事は出来ますが・・・
3545
:
パンナコッタ
:2007/12/01(土) 12:42:55
過去に戸田さんの質問会で、こんなのがありました。
"御本尊様に向かわず仕事をしながら題目を唱えても、功徳は受けられるでしょうか?"
↓
戸「読誦の功徳と言って御本尊様に向かっては読、無い場合は誦〜云々」
(昭和三十二年十一月十五日 品川公会堂での最後の一般講義にて)
"関西の人が東に向かって題目を唱えるのは、大石寺が途中にあるから という事ですが?"
↓
戸「ああ、それでもいいですね」
(いつの発言だったかは、失念。諸天善神についてだったかな)
内容自体はともかく、こうした指導があったのは事実ですね。
3546
:
しゅんかん
:2007/12/01(土) 16:48:25
石山の勤行経典、初座は東に向かってですね。
私は子供の頃、住居が石山より西に位置しているから東なんだと思っていました、ですから西に向かって勤められる方もおられるんだと。
昨日再度、経典を見ましたが初座、東(総本山以西の場合)とは記していません。
朝五座、夕三座も合わせて以前より疑問に思っていました。
要山の勤行経典(教・・・・すいません、出先でして思い出せません)には五座、三座は記されていませんし東に向かっての下りもございませんね。
3547
:
んっ?
:2007/12/01(土) 17:29:50
>戸「読誦の功徳と言って御本尊様に向かっては読、無い場合は誦〜云々」
首題を能生たる末法の法華経と見れば正しいのかも?
>住居が石山より西に位置しているから東なんだと思っていました
初座は「東天に向かいて」で大日天王を代表として法味を差し上げる事。
此れに関しては笑い話があります。
A:朝の勤行をしようっと。
B:もう、昼だぞ?早く起きないから上に行ってしまってる。
私:Bさんは元旦勤行会のとき初座は下向くの?
B:・・・・。
3548
:
しゅんかん
:2007/12/01(土) 21:30:29
要山の勤行要典は「信行正軌」でした。
ふうてんさんの疑問と重なる部分があり、失礼とは思いましたが割り込ませていただきました。
3549
:
犀角独歩
:2007/12/03(月) 06:55:35
3543 ふうてんさん
> ちょっと僧侶の言い分はおかしいですね
ええ、わたしが3542で記した石山僧の言うことはたしかにおかしいと思います。
問答さんが仰るとおりです。漫荼羅正意を煎じ詰めるとこうした考えになるということでしょうね。
わたし自身は漫荼羅を勤行唱題の法具と考えていませんから、唱題はどこでも行える方法だと考えます。
ただし、観念文から読経の性質を考えれば、それぞれの尊体の御前に詣でることから、勤行は始まっているということは忘れてはならないと思います。
たとえば、いまの時代に日蓮が生きていたとし、東にある隣の建物に住んでいたとします。では、東に向かって「おはようございます」と挨拶をしても、その声は日蓮に届きません。やはり、御前に行き、挨拶をするでしょう。没後、日蓮は御影として崇敬され、その徳を賞嘆供養、つまり勤行をするわけです。御影堂に詣でず、日蓮に挨拶してどうするのだ、ということになりますね。
3550
:
天蓋真鏡
:2008/01/10(木) 01:46:27
漫荼羅が設計図なら、 宝塔・三国四師・四天王or宝塔・御影堂・四神殿
3551
:
しゅんかん
:2008/01/27(日) 03:03:53
本重寺の板本尊(南アルプス市の市指定文化財)
と言うのをネット上で知りましたが
この本尊は鏡文字に彫られていますが版木なんでしょうか?
版木としますと、御形木御本尊の作成に用いたと思われますが、
HP内の説明に「正中二年(1325)に秋山与一光定に日興が与えたものといわれている。」
と記されております。
http://www.city.minami-alps.yamanashi.jp/site/page/info/bunkazai/shi/chokoku/honju/
秋山与一光定とは檀越でしょうから、御形木御本尊作成に使用される版木を興師が授与
する、又、秋山与一光定が授持するの腑に落ち無いのですが。
この件ご存知の方ご教示、宜しくお願い致します。
又、本重寺とはどちらの派の寺院でしょうか?
3552
:
犀角独歩
:2008/01/27(日) 07:46:20
>3551
南アルプス市というのは、ずいぶんと思い切った市文化財指定をするものですね。
少しばかり、画像を修正し、見やすくしてみました。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/honjujihanboku.html
まあ、弘安5年の筆といえば、そうかもしれませんが、不動愛染と四大天玉が離れてしまっていますし、その原本はどんなものでしょうかね。
ただ、仰るとおり、これは判木で、これがいつごろのものであるのか、特定できれば、形木本尊の研究の参考にはなるかもしれません。
それにしても、「弘安五年(1282)に日蓮が日興に与えたものと同じ様式」というのは、どんな根拠によるのでしょうか。
3553
:
れん
:2008/01/27(日) 09:53:39
これは面白い版木ですね。説明の中の弘安五年云々は、身延曽存の弘安五年八月の伝日蓮筆漫荼羅でしょうか、似ていると言えば似てますね。
ただ、日興は印刷漫荼羅を否定していると伝承されているので(富士一跡門徒存知事)、どうかなぁ?という感じです。
ただし、犀角独歩さんが仰る通り、この版木は形木本尊の研究の材料の一つにはなると思います。
3554
:
パンナコッタ
:2008/01/27(日) 12:19:56
どうも、お世話になります。
本重寺は、椿城跡という事らしいんですが
http://shitteta.jugem.jp/?cid=1
伝承の類らしく確実とは言えませんね。
ただ、小笠原盛長という人は、波木井実長とは遠からずの親族だったみたいですね。
http://homepage2.nifty.com/nihon-castle/TOUKAIDOU/kaigenji.htm
3555
:
大縫 薫
:2008/01/27(日) 12:25:03
この本重寺は現在は日蓮宗ですが、無住です。
この版木は現在は区所蔵というかたちで近隣の檀家衆によって保管されているそうです。
嘗て、石山細井日達上人が現地を訪れ直接この版木を見分したと聞いた事が有ります。
3556
:
しゅんかん
:2008/01/28(月) 00:41:40
独歩さん、れんさん、パンナコッタさん、大縫 薫さん
ご教示有難うございました。
秋山与一光定とは、日華師か讃岐本門寺と関係の在るお方かな?と私の浅い知識ですが
考えております。
と、しますと秋山与一光定に興師が本尊(曼荼羅)を授与したとは辻褄は合いそうですね。
ただ、興師が授与した板本尊(版木)なのか?
と、真偽が定かでない代物を地方公共団体が不特定多数の人が拝見できるネット上
で記すのには学術的鑑定が必要では、と、思ったしだいです。
※学術的鑑定をされているのかな?
確かに、御形木御本尊の研究にはなりそうですね。
今回、本重寺の板本尊は先日、日本でも営業を開始したの検索サイト(百度)に於いて
「板本尊」で検索ヒットしたものでした。
ちなみに同じく「板本尊」をGoogleでは36番目にヒット、Yahooは200番目でも
ヒットしませんでした。
今後は百度でも検索してみる価値はありそうですね。
3557
:
問答迷人
:2008/02/14(木) 22:30:26
御本尊集に収められた大石寺所蔵の日蓮聖人の真筆曼陀羅は何幅有るのでしょうか、ご存知の方、お教え下さい。
3558
:
犀角独歩
:2008/02/14(木) 22:42:07
>3557
以下、3舗です。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/082.html
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/111.html
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/116.html
3559
:
独学徒
:2008/02/14(木) 22:45:57
問答名人さん、ご無沙汰していました。
>御本尊集に収められた大石寺所蔵の日蓮聖人の真筆曼陀羅は何幅有るのでしょうか、ご存知の方、お教え下さい。
富士学林図書館長であった、故山口範道師の「日蓮正宗史の基礎的研究」によれば、82、111、116の3幅のようです。
3560
:
問答迷人
:2008/02/15(金) 06:44:43
犀角独歩さん
独学徒さん
ご教示有難うございます。
驚きです。
大石寺は日蓮上人の唯一正当の宗派と聞かされてきたのに、たった3幅しかないというのは、極めて不可解な事ですね。なぜ、こんな僅かしかないのか、理由が知りたいと思います。どなたか推測で結構ですのでお教え下さい。
3561
:
れん
:2008/02/15(金) 07:42:17
問答名人さん
石山に日蓮御筆大漫荼羅が少ないのは、日道が日興や日目から日蓮御筆大漫荼羅を相伝されなかったことが大きいと思います。実際、日道が日目から“相伝”されたのを確認できるは日興から日目に授与された日興書写大漫荼羅のみですね。
日目が日興から授与された日蓮御筆大本尊(文永十一年十二月付け)、また他門に流出しましたが日目が日蓮から授与された大漫荼羅(弘安二年二月付け)などは、日目から日郷に相伝されたのですから、日興・日目に係る日蓮御筆大漫荼羅は日道に一舗も相伝されなかったというのが史実のようです。
今、石山にある確実な日蓮御筆大漫荼羅三舗(弘安三年三月付けのも授与書が削られた跡がある)は、それぞれ日興・日目以外の個人授与のものですから、日道以降の日道門下の首長の歴代が、門下僧俗等に伝承されていた日蓮御筆大漫荼羅を石山に寄進させものと見て間違い無いと愚考します。
3562
:
問答迷人
:2008/02/15(金) 07:54:40
れんさん
ご教示誠に有難うございます。
>今、石山にある確実な日蓮御筆大漫荼羅三舗(弘安三年三月付けのも授与書が削られた跡がある)は、それぞれ日興・日目以外の個人授与のもの
やはりそうでしたか。唯授一人血脈相承は、曼陀羅相伝の史実・事実の上から、史実・事実に反するといわざるを得ませんね。
3563
:
れん
:2008/02/15(金) 08:50:56
問答名人さん
仰る通り、大石の寺の唯授一人血脈相承なるものは、日蓮御筆大漫荼羅相承の上から見ても、史実・事実に反すると愚考します。
日有の雑雑聞書に「大石寺は四帖の聖教とて先師の作これあり(中略)去れば此の大事は門徒の首長計り伝へて本尊を書くべし余は書くべからず」とありますから日有以前に日道門下において、日有の先師…おそらく日行・日時の時代に石山の唯授一人血脈相承の原型の思想が形成されたのは間違いないと思います。
日道門下がかくの如き思想を胚胎するにいたったのは諸賢の以前からのご指摘の如く、仙波における中古天台の血脈義の摂取と、このような思想を主張し展開することによって、日目の跡を継承した日郷門跡に対して優位に立とうとしたと言うことだと考えます。
3564
:
れん
:2008/02/15(金) 19:52:51
伝教大師最澄は、比叡山の大乗戒壇について「一乗戒建願記」を残していますが、あれだけ筆達者であった日蓮が戒壇に関して、最澄の一乗戒建願記のような記述を残さなかったのは何故でしょうか?日蓮自ら「本門戒壇」の名目を挙げながら、最澄の一乗戒建願記的な記述を残さなかったことが、さまざまな異見を生んでいる温床だと思うのですが…。
3565
:
顕正居士
:2008/02/15(金) 22:11:12
将来建立の戒壇(事壇)は天台宗山門流の中の日蓮党が一定の勢力を形成した後に
三井の戒壇の先例に擬し比叡山戒壇から別立する思想が生じたのでありましょう。
日蓮自身は天台宗山門流を自分の新思想に説得したかったのであり、親鸞に別宗派
を創始する意思が無かったと同様でしょう。また三秘中戒壇の一秘は後世に託したと
評されるように日蓮には本門戒の具体的構想はまだ皆無でした。日蓮に事壇の思想
が無く理壇主義であったというわけではないが、本門戒の構想自体がなく、山門戒壇
から独立するしないというような勢力はまして彼の一代には全然形成されませんでした。
3566
:
犀角独歩
:2008/02/16(土) 07:24:36
日蓮の本門戒壇観に関しては、彰往考来山から提示された『大崎学報』154号所載の都守基一師「『法華取要抄』の草案について」が参考になりました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50434021.html
3567
:
独学徒
:2008/02/16(土) 08:20:43
犀角独歩さん、おはようございます。
都守基一師といえば、つい先日バレンタインデーの日に、法華宗本門流の研究発表大会にて、立正安国論諸本に関する研究発表をされました。
これがまたすばらしい内容でした。今後、法華宗本門流の機関紙「無上道」に掲載されると思います。
宗祖真蹟断簡で、中尾先生が判読困難とされた箇所を判別され、結果、その判読困難とされていた箇所は、「日秀日弁」および「浄行」と判読されたようです。
「日秀日弁」の連名が見え、丁付けに「五」、その他の内容から、『伯耆殿並諸人中御書』(全十九紙)の一部ではないかと推測されています。
以前、冨士教学研究会にて、久成寺蔵「御血脈次第」を紹介し、そこに「浄行」の名が見えましたが、今回の真蹟断簡の判読によって、宗祖が弟子を「浄行の一分」と見ていた事実があったことに驚きました。
いずれ関連項目を、冨士教学研究会のブログか談義所にて紹介したいと思います。
今日は天気も良いので、これより家族で誕生寺に出向いてきます。
3568
:
れん
:2008/02/16(土) 18:50:17
顕正居士さん
ご教示有難うございます。寺門と言えば、日興門流上代に見える薗城寺申状につき石山日有は「江州薗城寺の天下えの申状は叡山に迹門の理の戒旦を立つ上は薗城寺にも又迹門の事の戒旦を立つべしと申状なり。然間是こそ末代本門の事の戒旦の立つべき証拠なれとて大石寺の重宝と仰せられ給ふなり云々」と述べており、顕正居士さんの仰るように、日蓮党ことに日興門流では、文献上は室町期まで時代は下りますが、三井寺すなわち薗城寺が朝廷に提出した戒壇建立勅許申請の申状の先例を、日蓮党・日興門流の未来本門の事壇建立の証拠としていたことが読み取れ興味深いものがあります。
犀角独歩さん
御提示の都守師の論文のコピーは私も所持し、存じておりました。都守師の論文に示されてあるように日蓮は本門戒壇を密事としますが、日蓮が本当に本門戒壇、ことに事壇建立を真剣に考えていたならば、最澄が一乗戒建願記に自身が建立を目指す戒壇院の儀相とその意義を明確に述べた如く、日蓮も自ら記した本門戒壇の特に事壇の儀相・意義を明確に記して残して置くべきだったのではないかと思いました。日蓮党の中で日本全国に広く教線を伸ばした日興とその門下には事壇論が見えますが、悩ましいのは、日興門下の事壇の儀相は、重須系の日代・日順、ならびに日目系でも尊門は仏像安置としますが、日目系でも日郷の後継の日伝には仏像ではなく法華経一部安置とする異見があり、一枚岩とは言えぬ部分が存することです。ですから、日蓮もいかに密事とはいえ、戒壇について最澄の一乗戒建願記に準ずる著述を残すべきだったのではないかと思った次第です。
独学徒さん
新出の日蓮御筆断簡ですか。伯耆殿並諸人御返事の一部である可能性が高いとのこと、日蓮の場合、一種の筆癖でしょうか、上行と書くべきところ浄行と記している真蹟がありますので、その御筆写真を見ないと何とも判断ができませんが、これまた興味深く思いました。
3569
:
明了曰解
:2008/02/18(月) 20:42:31
応答のの途中に申し訳ありません。
素朴な疑問を提示させていただきます。
戒壇の御本尊は、
紙幅の真筆御本尊を模写するのでなく、
なぜ直接に刻印したのでしょう。
戒壇の御本尊を未来永劫に残したいとゆう動機はわかります。
技術として彫刻を選んだことも自然と理解できます。
しかし、真筆の御本尊に刃を入れることがどうしてできたのか。
(日蓮大聖人が自ら刻印されるなら解りますが)
御本尊に対する当時者の心理と考え方がどこにあったのか。
わたしの理解のいたらないところです。
御意見をお聞かせください。
(今の宗門なら、仏師が彫刻し、御内証を相伝された猊下によって開眼されて、
日蓮大聖人が彫って魂を垂れたと同じ正真の戒壇様ですと言いそうですが、
開眼本尊が戒壇の御本尊では、
真偽など、どうでもよい論理になってしまいます。)
3570
:
犀角独歩
:2008/02/18(月) 21:17:29
>3569
はじめまして。なかなか興味深い問題提議ですね。
この点を考えるのに、では、一体、いつ頃から、漫荼羅を彫刻することが起こったのかを考えてみる必要があるでしょう。
3571
:
驢馬くん
:2008/02/18(月) 21:57:46
犀角独歩さんのブログや独学徒さんのブログに記されていた蒋野寅道師という方はどのような方なのでしょうか。教えていただけませんでしょうか。
3572
:
犀角独歩
:2008/02/18(月) 22:02:10
> 3571
さて、このリクエストは、どうしましょうか。
この界隈では、著名な方で、こんなご質問がくるとは思いませんでした。
3573
:
独学徒
:2008/02/18(月) 22:47:15
明了曰解さん、はじめまして。
>しかし、真筆の御本尊に刃を入れることがどうしてできたのか。
ご期待に添えない回答となりますが、本門戒壇之大御本尊は、底本は大石寺・北山本門寺の宝蔵にあります。
真筆の御本尊に刃を入れてなどいません。
犀角独歩さんのブログを拝読されることをお勧め致します。
創価学会は嘘をついて、私たちを騙してきたのです。
せっかくのチャンスですので、この機会に真実を見聞されることをお勧め致します。
>>3572
犀角独歩さん、個人情報に関することは、ネット上では控えた方がよいと思います。
驢馬くんさん、はじめまして。
オフ会などにご参加されれば、ネット上では出せない話も聞けますよ。
機会があったらご参加なさって下さい。
3574
:
驢馬くん
:2008/02/18(月) 23:21:03
投稿さえもなかなか勇気のいることで、毎日、このブログなどを拝見して学んでおります。やはり個人情報になりますね。書籍などにもあたってみます。ご投稿の皆様のように、詳しくないものですから、一度お尋ねいたした次第です。
3575
:
犀角独歩
:2008/02/19(火) 03:17:49
驢馬くんさん
独学さんのご指摘のとおりであると存じます。
3576
:
パンナコッタ
:2008/02/19(火) 13:51:34
明了曰解さん、
事実は独学徒さんのおっしゃるとおりですね。
仮に言われているような事があったとしても、漫茶羅の文字の重なりは板彫りでは
どんな細工をしたとしても表現し切れない事に作成者は、ぶち当たるでしょう。
それ故にレイアウトをずらした配置の板漫茶羅は、蓮祖真筆を当てて彫り込むという
事は、製作に当たっても無かった公算が強いでしょう。
むろん文字の重なりに意味を持たせた蓮祖の意志とは、存在意義も含め無関係なのですが。
拳骨和尚さんのブログ2月5日付けに、No.123 御本尊集成の物がupされており
http://plaza.rakuten.co.jp/mandara1000/diary/?PageId=1
金泥や版物とは違う、蓮祖の筆がどういうものであるかが判ると思います。
驢馬くんさん、
昨年夏のオフ会で自分がお会いしたときの印象は、大変聡明な方と感じましたよ。
3577
:
鳥辺野
:2008/02/19(火) 19:13:38
明了曰解さん、
はじめまして、宜しくお願い致します。私も犀角独歩さんのブログを推薦いたします。特に
こちら、
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html
及び
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_003.html
によって、私の本佛感は180度変わりました。
また、日蓮大聖人真筆御本尊集はこちらです。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html
そして、独学徒さんのブログです。私も時々参加させていただいております。
http://blog22.fc2.com/fujikyougaku/index.php?style2=pop-k17&index
3578
:
明了曰解
:2008/02/20(水) 21:05:03
ご意見ありがとうございます。
>3570 犀角独歩さん
板本尊自体は戒壇の御本尊は別にして、大聖人滅後には製作されていたようですね。
身延に日向の小さな板本尊があると、日亨上人は話していました。
>3573 独学徒さん
日禅授与本尊が2つあるとは、知りませんでした。
本尊をめぐる人の思惑と身勝手さとゆうものが浮彫りにされているようで、
興味深いですね。
>3576 パンナコッタさん
>3577 鳥辺野さん
勉強させていただきます。
大聖人直筆、日興書写、模写、模刻、形木、写真版と様々な本尊。
ん〜ん、分身散体とはいえ、本尊とは何なのでしょう。
難しい問題を含んでいますので、結論が出せるとは思いませんが、
核心に一歩でも近づきたいと思っています。
日亨上人が、
『わしの紫宸殿の御本尊は立派じゃ。写真からとったんじゃから、すっかりそのままです。
写真からとって、それを引伸ばしてやったんですから御正筆とすこしも変わらない。』。
なんて自慢していましたが、そうゆうもんなんでしょうか。
3579
:
独学徒
:2008/02/20(水) 21:27:55
明了曰解さん、
「分身散体」は当然ながら御伽噺の世界の話ですが、それにしてもコピー曼荼羅とは全く無縁の事だと存じます。
それを信徒会員を騙すための言葉として使ってきたのが創価学会ですね。
所謂「本門戒壇之大御本尊」は、日禅授与の御本尊の「分身」かも知れませんが、創価学会員が拝んでいるものは、「本門戒壇之大御本尊」の分身でもなければ、相貌も全く別物の、日寛のセンスで書かれた日寛の曼荼羅の製版印刷物ですね。
したがって、創価学会配布の印刷物を拝んで得られる功徳は、顕正会配布の印刷物でも、正信会配布の印刷物でも、日蓮宗配布の印刷物でも、同様の功徳が得られることでしょう。
どうせ同じ功徳ならば、日寛の独自センスで書かれたものの印刷物よりも、宗祖日蓮大聖人図顕の大曼荼羅の印刷物の方がよろしいかと存じます。
『本尊とは勝れたるを用ゐるべし』(本尊問答抄・日興写本現存)、よく創価学会を含む大石寺信仰圏で使われる御書ですね。
日蓮大聖人御図顕の大曼荼羅の印刷物と、日寛曼荼羅の印刷物、勝劣は誰の目にも明らかですね。
ご友人には、創価学会配布の印刷物よりも、宗祖日蓮大聖人御図顕の大曼荼羅を印刷して、表装してプレゼントしてはいかがでしょうか。
本尊をめぐる身勝手さは、その時々の情勢で、ころころ主張を変える、創価学会の本尊義であろうと存じます。
3580
:
偶ロム偶ログ
:2008/02/21(木) 00:09:09
明了曰解さん
「分身散体」(ぶんしんさんたい)の語は比較的新しいものと思います。
戦後は昭和三十年代の半ばくらいから多用されていますが、このころの「分身散
体」語は、白土三平の忍者漫画の影響もあるかもしれません。
大石寺では古来「分身散影」(ふんじんさんよう)と言われてきました。
日向氏の所謂「日蓮幽霊板本尊」については後世のものとの説もあります。
堀上人の紫宸殿本尊については、退座後に写真製版されたもののようです。
つまり「時の猊下」の「開眼」はされていません。
隠尊だからそれでもOKと考えてのことでしょう。
>>本尊をめぐる身勝手さは、その時々の情勢で、ころころ主張を変える、創価学会の本尊義であろうと存じます。
おっしゃるとおりだと思います。
また、日蓮正宗についても、
「 本尊をめぐる身勝手さは、その時々の情勢で、ころころ板を変える、日蓮
正宗の本尊義」
は看過することはできません。
3581
:
明了曰解
:2008/02/21(木) 19:54:16
>3579 独学徒さん
友人に宗祖日蓮大聖人図顕の大曼荼羅の印刷物をプレゼントをとのおすすめ、
今のわたしには、日蓮大聖人の真筆を写真に撮ったり、印刷をして配るなど、
目を瞑って運転をすることのように思われますのでいたしません。
また違った意味からも私自身はそのような事はいたしません。
日禅授与本尊の件は、本来は、盗難や焼失に備えて、
あるいは、秘蔵のための影武者的な存在として作られたかもしれない事が、
当時は責任逃れのためなのか、心配のためなのか、よい知恵と思ったのか、
時代を経ると真偽や正統の喧騒と不確実の元になってしまう危うさ。
行為が思惑とは違った捉えかたに変遷してしまう主観性。
その意味で興味深いと思っております。
>3580 偶ロム偶ログさん
「分身散影」。勉強になりました。
“影”との表現は御本尊七箇相承の文からきているのでしょうね。
身延にある日向の板本尊がそれかどうかは別にして、
富士一跡門徒存知の事にみられるように、
日向・日頂・日春等が形木として彫ったようなことはあったようですね。
また、他宗でも図顕の板本尊は以前からあったとなにかで読んだ記憶があります。
ご意見の内容すべてについて返事をしたいのですが、
論点が広がり、私自身わけが分からなくなる恐れもありますので、
なにとぞ、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
(別な機会で触れることもできると思います。)
地球史上未曾有の日蓮大聖人図顕の真筆の御本尊、いずれは消失も免れ難いですが、
総て、人間の宝として1箇所に護持されてほしいと願っております。
また、伝説、憶説、風説、推説が真実といわれていても、事実は1つしかないでしょう。
虚心坦懐・衆賢茅茹の心を持って事実に迫っていきたいと願ってもおります。
物理学などでは1つの事象にたいして、真実に迫るにはまず仮説から入ります。
よく、仏法は演繹法的で科学は帰納法的だと創価などではよく耳にする言葉ですが、
科学もじつは演繹的なアプローチなのです。帰納的なのは実証方法がといえます。
Aという仮説を立てるときは、必ず反Aという仮説も同時に、
ひとつひとつ実証的に確認しながら仮説に迫っていきます。
そのため一人の人生では証明しきれないことも普通です。
化城のごとく新たな登攀の峰を望むこともあるからです。
私達が学校で習う物理学は仮説を真実のように習っていることも多いのです。
日蓮大聖人の本尊とは?
ただの文字、文書としか見えない。
紙であり、墨であり、
木であり、樹脂であり、金箔であり、
化学繊維であり、インクである。
盲目ではもちろん、光がなければ見ることすらできない。
その事実から真実は見えてくるのでしょうか。
長くなるのでやめますが、いまひとつの仮説がわたしを支配しています。
知識を集め、勉強し、考えてみたいと思います。
3582
:
独学徒
:2008/02/21(木) 20:33:35
明了曰解さん、創価学会の信徒さんには、一寸飛躍しすぎた意見でしたね。
失礼しました。
しかし創価学会の日寛曼荼羅の印刷物は、正直、3000円は高すぎですね。
おまけに好き勝手に改竄しているので、写真製版と違って、創価学会製変造日寛曼荼羅であることは動きませんね。
お金まで取られて、このような印刷物をわたされ、おまけに選挙、新聞、財務に会合と、ろくな目にあいません。
このような団体の被害者を出さないためにも、これ以上創価学会に入る人を出さないことが大切ですね。
創価学会に入会しなくとも、日蓮の教えは実践できますし、創価学会の信仰で得られる「功徳」は、創価学会に入らなくとも得られるものばかりですからね。
ご精進をお祈り申し上げます。
3583
:
パンナコッタ
:2008/02/21(木) 22:39:02
明了曰解さん、
>盲目ではもちろん、光がなければ見ることすらできない
蓮祖は、弘安三年太才庚辰卯月十三日"盲目 乗蓮"に、漫茶羅を授与していますよ。
(No.091)これが仮説でも何でもない、厳然とした事実です。
まずはきっちりと、事実を認識なさるのがよいのではないでしょうか。
また、宗教社会学的な面から見ると、
【法則1-1】
宗教とは、本来自明ではない超自然的なものに関する事柄を自明なものに変換し、
人々をそのようにふるまわせる社会的装置である。
(岩井洋 関西国際大学人間学部助教授 宗教の法則より引用)
これも、厳然とした事実です。
3584
:
明了曰解
:2008/02/23(土) 15:51:48
>3583 パンナコッタさん
御書に「此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、
例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり、」
とあります。
日蓮大聖人の本尊とは?を思推するうえで、人が当り前に捉える事柄を挙げただけです。
なにか思いこみがあるようなので誤解をとくと、
私は、御本尊はそのまま日蓮大聖人であり、生命根源の法であると思っています。
また創価には自在会という目にハンディをもつ人達のコミュニティーがあり、
私には私の使命があるんだ、と地涌の菩薩の自覚に燃え、
信心根本に友の励ましや社会への貢献に汗する、
困難に挑戦する勇者たちが、功徳に輝いていることも知っております。
御書に「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの侭と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の侭なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云。」
とあります。
一般的な論理と理解はしますが。
私は仏法は超自然的なものでなく、まったく自然そのものと捉えています。
どこかの話でなく、この現実にこそある、そこを離れてありえないと思っています。
自然なものでも自明でないものはいっぱいあるものです。
”自明なものに変換”する作業を今私やりたいと思っています。
目で見ることができない物資が核分裂や核融合するとき膨大なエネルギーを発散します。
ウランやプルトニウム以外でも、環境条件がととのえば何でも膨大なエネルギーを発散します。
超新星爆発で何が起こっているでしょう。ブラックホール、ホワイトホール、ワーム・・・。
時間も空間もゆがみ、物質も光も秘められ、とても想像できないような世界。
でもこれも自然なのです。
3585
:
明了曰解
:2008/02/23(土) 18:01:25
疑問の最初に戻ると、
A、真筆に直接刃を入れて彫ったのが今の戒壇の御本尊。
A−A 他に彫らせ、日蓮大聖人が開眼。
AーB 他が彫り、時の貫首が開眼。
推測:1、彫った人は墨染の漫荼羅を仏と思ってなかった。
2、大聖人(時の貫首)も開眼しないかぎり、ただの紙と文字と位置づけていた。
儀問:不信の人(?)が刃を入れたのか。
御書を読む限り、2、は信じがたい。
1、2、の推測を裏づける御書や相伝があるのか。
B、真筆を写しとり(もしくは模写)それを彫ったのが今の戒壇の御本尊。
B−A 他に彫らせ、日蓮大聖人が開眼。
BーB 他が彫り、時の貫首が開眼。
推測:1、真筆の御本尊を時を待ち秘蔵するため。
2、彫った人は写しとった漫荼羅を仏と思わなかった。
3、大聖人(時の貫首)は写し取った漫荼羅は開眼しないかぎり、ただの紙と文字と位置づけていた。
儀問:1、であるとすると、日興授与の弘安2年の真筆はどこにあるのか。
3、の推測を裏づける御書や相伝があるのか。
となりますが、A・Bを全否定する命題もありますが。後日にします。
ご意見を賜りたいと思います。
ちなみに、私はB-αに近い考えです。
3586
:
独学徒
:2008/02/23(土) 21:10:32
明了曰解さん、
本門戒壇之大御本尊は、平成16年の10月に、真っ赤な偽物であることが、誰の目にも明らかなように図形鑑別を持って証明されているのです。
貴方の質問は、この掲示板には馴染まず、未だに本門戒壇之大御本尊を、本物と勘違いしている人たちの集まる場所にてされたほうが、よろしいかと存じます。
難しい教学や理論理屈などは必要ないのです。
目で見て明らかな図形鑑別にて、偽物であることが証明されている現在にあって、貴方の質問内容は全く意味を成しません。
3587
:
独学徒
:2008/02/23(土) 21:20:40
まあ、パンナコッタさんへのレスではありましたが、恐らくパンナコッタさんも御義口伝は御書とは認識されておらず、偽書と考えていらっしゃるのではないでしょうか。
所詮、創価学会も日蓮正宗も、顕正会も正信会も同列で、偽書・真偽未決書ばかり引用します。
ここでは私が参加し始めた時にはすでに、真蹟現存以外は文証として扱わないルールで議論がすすんでいるのです。
引用前に、まず自身が引用しようとしている御書が、真蹟現存かどうかぐらいは確認して投稿すべきだと思います。
真蹟現存御書をもとに、勝手な解釈を加えずに論証できたならば、きっと一目おかれると思いますよ。
3588
:
明了曰解
:2008/02/23(土) 21:25:19
>3582 独学徒さん
>しかし創価学会の日寛曼荼羅の印刷物は、正直、3000円は高すぎですね。
>おまけに好き勝手に改竄しているので、写真製版と違って、
>創価学会製変造日寛曼荼羅であることは動きませんね。
わたしは、破門された以上けじめとして、
お預かりしていた日顕の特別御形木様を寺にお返しました。
今は創価から授与していただいた日寛上人の御形木様を御安置しています。
私には日蓮大聖人の御本尊の優劣をことさら言う神経が釈然としません。
日蓮大聖人は総ての人を仏にしたいと願って御本尊を遺し、
広宣流布の誓願を私達に託したのに、
それを、お前の御本尊は直筆じゃない、時の猊下書写でない、
古臭い印刷物じゃないかと笑う心が卑しく思えます。
優れた御本尊なら題目1篇で成仏でき、
劣った御本尊では題目5000万遍・折伏1万人でないと成仏できないとでも言うなら、
私は題目5000万遍・折伏1万人のほうを選びます。
自分のためは当然として、人の幸せを願ってできるだけ多く唱題したいし。
より多くのひとにこの仏法を語り、御遺命である広宣流布に近づけるなら、
それのほうがいいと思うものです。
>お金まで取られて、このような印刷物をわたされ、おまけに選挙、新聞、財務に会合と、
>ろくな目にあいません。
選挙も、新聞も、財務も、会合も、折伏も、守る会も自らの発意からやっています。
修行なのだから多少汗を流すくらいは厭いません。
見栄や背伸びして嫌々やることはありません、できる範囲でやればいいのです。
私の師匠は、私にそう指導してくださいました。
>このような団体の被害者を出さないためにも、
>これ以上創価学会に入る人を出さないことが大切ですね。
申し訳ありません、500m四方の地域ですが今年に入って3人の方が入会いたしました。
>創価学会に入会しなくとも、日蓮の教えは実践できますし、
>創価学会の信仰で得られる「功徳」は、
>創価学会に入らなくとも得られるものばかりですからね。
そのとうりです、創価学会員でなくとも、
御本尊を抱きしめるようにして、広宣流布に生きる勇気と慈悲の人なら同志です。
日蓮大聖人の子であり、地涌の菩薩です。
御書に「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして
南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、
然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、
剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」
とあるとおりです。
3589
:
明了曰解
:2008/02/23(土) 22:00:34
>358 独学徒さん
あまりに思いやりのないお言葉ですね。
素朴な疑問スレッドに書いてる意味がありません。
それに、今の戒壇の御本尊が本物と私は断定していません。
本物と偽者の主張の両面を伴いながら疑問を晴らしたいと思っているのです。
それよりも、本尊とは何かに軸足をおいてさぐっているのです。
3590
:
明了曰解
:2008/02/23(土) 22:03:55
訂正 3589の
>358 独学徒さん は >3586 独学徒さん に訂正します。
3591
:
明了曰解
:2008/02/23(土) 22:06:58
>3587 独学徒さん
>真蹟現存以外は文証として扱わないルールで議論がすすんでいるのです。
了解いたしました。
それと、私は、一目おかれなくてもいいです。
3592
:
パンナコッタ
:2008/02/23(土) 22:17:46
こんどは御義かよ、やれやれ・・・
明了曰解さん、
「此の経の文字は〜」は、日興を初めとする上代弟子の写本もない録外文であり
真偽は未決です。此処の掲示板は挙証を明示せばならず学会の御書そのままに
日蓮遺文としては受け取れない所です。
また、自分が提示した御本尊集No.091をチェックすれば、稲田師の推察から"盲目"の意味が
お分かりになるはずです。
個人的な思いこみの部分に関しては、不問です。
「久遠とははたらかさず〜」は、御義口伝ですので此処の掲示板では問題外です。
蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽についての過去スレを良くお読みになると良いでしょう。
「総じて日蓮が弟子檀那等〜」の生死一大事血脈抄も、上代写本のない録外であり
文永九年の法義には疑義がありますし、中古天台の"天台法華宗牛頭法門要纂"の引用等から
日蓮の名を騙った偽書でありましょう。
板漫茶羅に関しては、蓮祖は一切関係ないでしょう。
また疑問の点に関しては、形木の版を考えてみればいいでしょう。
信者が見れば尊びはしますが、御本尊として奉るような事は誰もしないでしょう。
3593
:
独学徒
:2008/02/23(土) 22:31:18
明了曰解さん、
>私には日蓮大聖人の御本尊の優劣をことさら言う神経が釈然としません。
ところが、これは他でもない創価学会がやってきたことなのですよ。
貴方の家には、「折伏経典」はありますか?
本尊の優劣を主張し、他宗・他門を卑下してきたのは、創価学会であり池田先生です。本当に酷い団体であり、酷い先生ですね。
それが今になって、自分たちにとって都合が悪くなると、本尊の優劣を論じることを問題視する。
まったく創価学会のいい加減さはここにあります。つまり過去に自分たちがしていたこと、言っていた事を、今は都合が悪くなったから、同じ事をする人を悪しく扱う。
今さら何をいうかといいたいですね。
明了曰解さんは、御書を学習する以前に、創価学会が過去にどのような主張をし、どのように他宗・他門を非難していていたのかを学習ることが先だと思います。
私でも昭和30年代から昭和50年代までの大白蓮華を150冊以上は所蔵しています。52年路線のころの資料も山ほどあります。
創価学会が、その時々の情勢で、いとも簡単に主張をころころ変えてきたことが、創価学会の出版物だけで良くわかります。
貴方も人に創価学会をすすめる以上は、せめて創価学会の出版物ぐらいは、過去にさかのぼって学習することですね。
>本物と偽者の主張の両面を伴いながら疑問を晴らしたいと思っているのです。
偽物であることが証明されている以上、疑問が晴れることはありません。
>できる範囲でやればいいのです。
お笑いですね。私は少なくとも貴方よりは学会の役職を経験していると思いますよ。
その経験からいって、「出来る範囲」なんて大嘘です。
青年部の人材グループや、金○会などが、どのような活動を強いられているかご存じ無いのでしょう。
>御書に「総じて日蓮が弟子檀那等・・・・
すでに指摘の通り、真筆不伝の真偽未決書です。
引用の前に真蹟現存かどうかを確認の上、ご投稿戴けますと幸甚です。
3594
:
問答迷人
:2008/02/23(土) 23:11:19
明了曰解さん
>それよりも、本尊とは何かに軸足をおいてさぐっているのです。
僕は、日顕師書写の特別御形木本尊を安置しています。日蓮正宗に本人は席を置いているつもりでいましたが、寺院参詣をしないからか、行方不明にされてしまっています。それゆえ、もはや何等の連絡も来ません。
まぁ、法華講の講頭をしながら、日顕師に、クロウ裁判は勝ち目が無いから取り下げたほうが良い、等と直訴した為に、講頭を罷免されました。
本尊とは何か、難しいですが、日蓮曼陀羅は、神力品付属の妙法蓮華経の五字を受持させるための道具建て、だと考えています。本尊は、恐らくは、妙法蓮華経の五字であり、それが、観心本尊抄に述べられる、無始の古仏なんだと思っています。
ご高察を拝聴したいと存じます。
3595
:
明了曰解
:2008/02/25(月) 18:46:21
>3593 独学徒さん
私自身のことを例に言っているのに、大嘘とは笑えました。
46年間私はそうしてきました。
会員を慈しみ、守り、励ますのが幹部です。
なにか勘違いしていて、傲慢で身勝手な幹部づらするやつは
師子身中の虫とも言え、創価に居られなくなるよう戦ってまいります。
人材グループは確かに師弟の厳しいものが要求されたでしょうね。
私は覚悟も無いから、入らなくて良かったと思っています。
まあ、社会て戦うのも厳しいものがありましたけどね。
3596
:
明了曰解
:2008/02/25(月) 18:48:15
>3594 問答迷人さん
日蓮大聖人の漫荼羅は、
たしかに五字が首題で、南無が境地の冥合を表わし、
日蓮初めに唱うるところの七字となっています。
しかし、それでいいのかというとそうではなくて、
十界を互具と開き、仏界即九界そして九界即仏界としています。
(仏界即九界を5字相対の漫荼羅、九界即仏界を南無相対の漫荼羅とみてもおもしろい)
仏像信仰のように五字でいい、としないのが日蓮大聖人の心でしょう。
仏というも凡夫というも日蓮、人間をはなれてどこにも無い、
生命の実相と成仏の要諦を表わされたのが御本尊ではないでしょうか。
根源の法が南無妙法蓮華経なのですから、
そこから生じた総ては南無妙法蓮華経を父母とした胎内の赤子のようなもので
生じた総てが南無妙法蓮華経の種子を秘しているともいえ、
生じた総てから離れて南無妙法蓮華経は無いと思います。
それと、これはあくまでも仮説ですが、
日蓮大聖人が表わされたように書かれ、彫られ、写された曼荼羅には、
人と法が、自然に例外なく備わるのではないか。
思考するうちにふとその思いが過りました。
凡愚な私にはただの文字にしか見えませんし、仏にしか解からないことなので、
これが真実かどうか判りません。
思索のご参考に。
3597
:
問答迷人
:2008/02/25(月) 19:01:38
明了曰解さん
>根源の法が南無妙法蓮華経なのですから
南無妙法蓮華経が法で、しかも、「根源の法」である、という文証は有りますか。明文が有ればお教え下さい。
3598
:
明了曰解
:2008/02/25(月) 19:06:27
訂正
私の書込みの「漫荼羅」を「曼陀羅」に訂正いたします。
お恥ずかしい限りです。
3599
:
独学徒
:2008/02/25(月) 19:14:13
明了曰解さん、
>私自身のことを例に言っているのに、大嘘とは笑えました。
これはおかしいでしょう、貴方は以下のように云っている訳です。
>>私の師匠は、私にそう指導してくださいました。
つまりあなた自身の事ではなく、貴方の師匠つまり創価学会の永遠の師である、池田先生の指導がそうだということを、貴方は仰った訳でしょう。
しかし、貴方より事実を知っているものから指摘をされると、「私自身のことを例に」とすりかえるのはいかがなものでしょうか。
>なにか勘違いしていて、傲慢で身勝手な幹部づらするやつは
いくら貴方が戦っても、このような幹部は陸続とあらわれますよ。なぜならば、永遠の師たる池田先生がそうだからです。
もし本気で学会浄化を願うなら、諌めるべきは途中の幹部ではなく、最高指導者の池田先生でなければなりません。
しかし、みな怖くてそこには手をつけられないのですね。学会員は。所詮そこが学会員の限界です。
「途中の幹部は悪いが、池田先生は間違いない。」改革派気取りのものたちも、所詮はこのような腰抜けばかりですね。
創価学会の幹部の悪態も、組織悪も、すべての責任は、最高指導者の池田先生の責任です。
責任逃れのように、「名誉会長」の呼称を利養するのは、潔さのかけらもないというものです。
所詮幹部も被害者でしょう。諌めるべき相手を間違えてはいけません。
戦うなら、池田先生を相手に戦ってこそ、真の学会浄化の運動でしょう。
3600
:
独学徒
:2008/02/25(月) 19:16:49
また誤字がありました。
誤:利養するのは
正:利用するのは
大変失礼しました。
3601
:
明了曰解
:2008/02/25(月) 20:25:57
3597 問答迷人さん
>南無妙法蓮華経が法で
とすると伝えたい事と違ってきてしまいます。
ん〜難しいのですが、もう少しお時間をください。
3602
:
犀角独歩
:2008/02/25(月) 22:35:18
>3588>私の師匠は、私にそう指導してくださいました
ここでいう師匠というのは池田さんのことですか。
個人的にこんな話はどこで聞いたのでしょうか。
まさか出版物や、衛星放送で聞いたことを、個人的に受けたと偽った話ではないでしょうね。
>3596
こんな創価学会の影響を、もろ受けたことを自分で考えたことのように描いたうえで、問答さんに「参考に」などと言うのは失笑を禁じ得ません。なんら挙証義務も果たしていませんね。
>3598>「漫荼羅」を「曼陀羅」…お恥ずかしい
日蓮は漫荼羅と書いていますが、すると日蓮の記述は恥ずかしいということでしょうか。
3603
:
独学徒
:2008/02/25(月) 22:42:03
明了曰解さんの仰ることは、ナルシストの学会員に特有の考えです。
今の創価学会の現状を、何とか肯定したい気持ちはわかります。
しかし、ここで求められるのは、ナルシストの個人解釈ではなく、明確で確実な日蓮大聖人の御書の裏づけです。
真蹟現存の御書を、勝手な解釈を加えずに、証文として用いることが大切だと思います。
それを抜きに、勝手気ままな言辞を続けることは、これまでの諸先輩方の議論を棒に振るようなものです。
創価学会の信仰を続けられることはもちろん自由ですが、ここではひとつ客観的な思考にたたれて、これまでの諸先輩方の議論を無駄にしないよう、同じ土俵で議論に参加されることを希望します。
3604
:
明了曰解
:2008/02/26(火) 19:35:27
問答迷人さん
E=mc² E:エネルギー
m:質量
c:光速
2:乗数
物体の持つエネルギーを現した物理式です。
厳密に言うとある条件下での式で、物体が運動していたりすれば係数が付加されますが、
質量がエネルギーと等価であることを示したものに変わりはありません。
E=mc²は法則です。 しかしエネルギーと質量と光と乗数は法則ではありません。
これで理解していただけると助かるのですが。
“根源”は生命としても良いのですが、
(生命は色と心、不二をもって体となす実在と機能と作用が伴うもので、
宇宙がそのまま生命だと思っています。)
無始無終、久遠元初、の意味あいに似合う言葉として使いました。
それでも私が思推する内容をうまく表現できません。
3605
:
犀角独歩
:2008/02/26(火) 20:29:40
明了曰解さん
もういい加減にしませんか。
管理者さん
投稿規約に明らかに違反していると思います。
3606
:
管理者
:2008/02/26(火) 20:59:30
明了曰解さん
貴方の書込みは、以下の当掲示板の書込みルールに違反しています。
【書き込みの基本原則】
1.意見交換、相互理解の場との主旨から、話合いを重んじてください。
相手の応答を無視して、投稿を続けないで下さい。独学徒さん、犀角独歩さんの応答を無視して、投稿を続ける事は、ルール違反となります。
さらに、問答迷人は、明文は有りますか、と質問していますが、お答えがまるで噛み合っていません。これでは、話し合いを重んじる事にはなっていないです。
同様の投稿を続けられると、ルール違反で、削除、投稿禁止まで行ってしまいますので、ご注意申し上げます。
3607
:
しゅんかん
:2008/02/27(水) 00:38:11
相変わらず頓珍漢(腰砕けされるかも)な問い合わせかも知れませんが、どなたか宜しくお願い致します。
石山や団体が取り上げる蓮祖の御書に付いて真偽云々を記されてますが、その真偽又は真偽未決はどなたが
判断されているのですか?
(公正な判定を下すには宗門外の第三者機関が望ましいと思っておりますが、その様な機関に拠るものでしょうか)
身延や隆門、真門、什門の各派に於いても独自の御書で日々研鑽を積まれている事と思います。
この各派で使用される書にも真偽が掛けられているのでしょうか?
私は現在、執行海秀先生著の日蓮宗教学史(平楽寺書店)を読ませて戴いておりますが、本書中にも
「・・・偽書」「・・・ではなく後世の作」と記されているものがよく見られます。
遺文の書も随分と多く出版されているようですね。
現在、私でも購入可能なものに
1(浅井要麟 編、昭和新修日蓮聖人遺文全集、平楽寺書店)
2(新修略註 日蓮聖人遺文集、清水龍山外編)
3(日蓮聖人遺文集、法華会編)
4(類纂 日蓮聖人遺文集平成版、獅子王学会、桜井智堅監修)
5(昭和定本 日蓮聖人遺文、日蓮教学研究会)
等が在ります。
又、現宗研に於いても真蹟遺文を載せられていますね、これら(5書籍と現宗研アップ)
には偽の御書は含まれていないのですか?
以上、宜しくお願い致します。
3608
:
犀角独歩
:2008/02/27(水) 02:12:52
しゅんかんさん
少しくお久しぶりですね。
> 真偽又は真偽未決はどなたが判断されているのですか
これが「誰が」という特定の個人はいないでしょうね。それぞれの研究者が、その研究成果からということではないでしょうか。ただ、近代のことで言えば、『平成新修日蓮聖人遺文集』は、一つのスケールになっているのは事実でしょう。
この書は真蹟遺文以外は載りません。
お手元にない方のために記します。
この遺文集の末には編纂に関わった方々の名が載ります。
発願編集 日蓮教学研究所客員所員
連紹寺不軽庵隠棲 米田淳雄
顧問 身延山短期大学学長
立正大学名誉教授 宮崎英修
顧問 立正大学教授
日蓮教学研究所所長 浅井円道
顧問 立正大学教授
日蓮教学研究所所員 高木豊
顧問 立正大学教授
日蓮教学研究所副所長 小松邦彰
協力 立正大学講師
日蓮教学研究所所員 寺尾英智
協力 日蓮教学研究所研究員 都守基一
それぞれの役職名は発見当時のもので奥付に拠れば「平成6年10月13日」となっております。錚々たるメンバーです。この中のお一人、小松邦彰師が、この書を使用し、福神勉強会で遺文講義が継続中です。
この書の編纂は徹底した真蹟主義で、真蹟現存のもののみを収録しています。編纂者の役職を一瞥すればわかりとおり、「日蓮教学研究所」のスタンスと言うことになるでしょう。
一方、しゅんかんさんも挙げておりますが現代宗教研究所では、そのHPの資料編で真蹟と写本で2分しています。写本とは真偽云々を基準にしたのではなく、真蹟有無を基準にしています。
当掲示板では、以上の点を踏まえて、真蹟主義を採ってきたわけです。
写本の中にも「日蓮真筆の可能性はあるのでは」というのは当然の疑問ですが、しかし、厳正な議論をするためには、真蹟を前提としてきたということです。
しゅんかんさんは、過去の議論をご存じないかも知れませんが、当掲示板で真蹟主義を採ってきた理由の一つに以下のような、わたしの分析があります。
【本覚】 真蹟:未決=0:96
【無作】 真蹟:未決=1:75
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014117251/58
「本覚」という成句は、殊に本仏論では不可欠な言葉ですが、真蹟にはまったくその使用がなく、写本にばかりあります。この点は「無作」も同様です。さらに無作三身、三身即一身、自受用報身といった重要語句についても、同様の使用の相違があります。
まあ、それはともかくとして、以上のように真蹟と写本では確たる使用語彙の相違がある以上、疑いもなく写本を真筆として扱うことは出来ないということです。
冒頭に挙げた遺文集をまず、精読すれば、真偽に関するスケールがある程度、身につきます。真偽未決といわれるものは、真蹟遺文では使用されていない語彙、つまりは、その語彙が持つ思想性に係る臭みがあり、到底、日蓮の教説は感じられないということです。
語彙は、常に思想性を帯びるわけですが、日蓮の教説における思想性を考えるに当たり、日蓮が使用していない語彙を有する書を基準にする蛮勇は起きません。
ですから、まずは真蹟集(現宗研のデータベースの使用を奨めます)から、語彙を検索し、その有無をまず探ってみる作業は意味をもちます。
こうして作業を進めるといまの大石寺圏の教学、要は、大石寺、顕正会、創価学会の教学は、日蓮の真蹟に由来せず、写本遺文における真蹟遺文に載らない語彙によって構成されていることが判明します。こちらでの議論は、つまり、このような前提によって交わされているいるものです。
日蓮本仏論といった、本覚、久遠元初自受用報身如来、無作三身などの真蹟遺文にはない語彙によって成り立つ教学的な態度がここで一蹴されるのは以上の分析成果に基づいているわけです。
(こうした分析は、興風談所の御書システムでは、もっと厳正に採用されています。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/
ただ、奇妙なのは、こうした厳正な遺文分類をしながら、日蓮本仏論を述べ、さらに所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽すら言わない保身に不思議を感じます。)
3609
:
犀角独歩
:2008/02/27(水) 02:16:18
【3068の訂正】
誤)役職名は発見当時
正)役職名は発刊当時
「まあ、それはともかくとして」は取る。
3610
:
しゅんかん
:2008/02/27(水) 21:51:27
独歩さん
早速のご教示ありがとうございます。
>特定の個人はいないでしょうね。それぞれの研究者が、その研究成果からということではないでしょうか。
◆団体やグループ、と云った形態が多いようですね。
私の明記させていただきました5書にも偽や真偽未決が掲載されているやもしれないと・・・
あっ!この件についてのコメントは結構です。
ご教示戴きました『平成新修日蓮聖人遺文集』ですが、この著にも疑義を唱える方はおられるのではないのでしょうか?
特に石山系から「この著は身延系の人員で固められ証憑たりえない」と云う声はございませんか?
又、蓮祖の真蹟現存と云う事ですが、其の現存品は全て重文か国宝に値すると思われますが国の認定が在るのでしょうか?
立正安国論・如来滅後五五百歳始観心本尊抄(国宝)
撰時抄(重文)等と指定を受けてますね。
浅学者ですから、どうしてもこの様に公的機関の認定を受けていると安心感が得れるのです。
私は各門派合同による真蹟遺文集が編集され、日蓮門下の普遍的な共通認識たりえる
著を発刊される事を願うばかりです。(既に在るのかな?)
3611
:
独学徒
:2008/02/27(水) 22:41:42
しゅんかんさん、横レスにて失礼します。
>私は各門派合同による真蹟遺文集が編集され、日蓮門下の普遍的な共通認識たりえる
著を発刊される事を願うばかりです。(既に在るのかな?)
一応、昭和底本が、そのあつかいの遺文集ですね。
現宗研のHPにアップされているテキストも、昭和底本をもとにしています。
昭和底本は大石寺を含む、各派日蓮系教団の代表が、編纂に携わっています。
大石寺では、富士宗学要集で有名な堀日亨師や、富士年表で有名な柿沼師が関わっています。
日蓮宗教学研究発表大会などでも、引用に使われるのは、昭和底本が主流です。
1巻・2巻が正偏で、3巻が続編です。正偏は編纂当時、真蹟あつかいされていた書で、続編は疑義濃厚であった書で、御義口伝や二箇相承は続編に入っています。
しかし、正偏入集の書でも、疑わしいものは多くあり、日蓮宗教学研究発表大会などでは、昭和底本の中で真蹟現存と身延曾存のものだけをピックアップして、証文としているようで、それが大崎ルールのようになっています。
3612
:
独学徒
:2008/02/27(水) 22:43:45
また誤字です。
誤:昭和底本
正:昭和定本
失礼しました。
3613
:
パンナコッタ
:2008/02/28(木) 12:35:55
しゅんかんさん、国指定の重文であれば、
撰時抄、注法華経、不動愛染感見記、強仁状御返事、兄弟抄、諸人御返事、
神国王御書、大学三郎御書、貞観政要、法華証明抄、盂蘭盆御書、等があり
http://www.bunka.go.jp/bsys/index.asp
断簡も自筆遺文として指定を受けていますし、
他に県や市町村の指定を受けている物もあります。
また日興筆の、日蓮遷化記録も国の重文指定を受けていますよ。
3614
:
犀角独歩
:2008/02/28(木) 19:28:58
しゅんかんさん
> 石山系から「この著は身延系の人員で固められ証憑たりえない」と云う声はございませんか
なにか、最近、こちらの流行語のようになってしまいましたが、もし、こんな声が挙がろうと「問題外」です。
3615
:
しゅんかん
:2008/03/01(土) 00:11:42
独学徒さん
ご教示有難うございます。
>昭和底本は大石寺を含む、各派日蓮系教団の代表が、編纂に携わっています。
◆そうですか、発刊されていたのですか。
各門派の長年の歴史、思惑があって真蹟遺文として纏めるのは容易い事ではないと云う事ですね。
3616
:
しゅんかん
:2008/03/01(土) 00:20:44
パンナコッタさん
ご教示有難うございます。
私は、平成新修日蓮聖人遺文集が手元にございませんが、この書に収められている遺文は全て
国宝か重文扱い等(都道府県の重文)なのでしょうか?
3617
:
しゅんかん
:2008/03/01(土) 00:35:12
独歩さん
お返事有難うございます。
>なにか、最近、こちらの流行語のようになってしまいましたが、もし、こんな声が挙がろうと「問題外」です。
◆お返事は少し時間を下さい。
3618
:
彰往考来
:2008/03/01(土) 10:17:39
明了曰解さん、亀レスにて失礼します。彰往考来といいます。
>3598 私の書込みの「漫荼羅」を「曼陀羅」に訂正いたします。お恥ずかしい限りです
これは変だと思います。なぜ「漫荼羅」ではいけないのですか?
また、貴殿のスレッド3596には、「日蓮大聖人が表わされたように書かれ、彫られ、写された曼荼羅には」
とあり、「曼荼羅」とあります。これはどうなのですか?
松本佐一郎氏は『富士門徒の沿革と教義』(昭和54年復刻第一刷(初版:昭和44年)、大成出版社、199頁)に、
「曼荼羅は曼陀羅とも書き、Man dala の訳語。壇、道場、又は輪円具足、功徳聚の意で、諸仏菩薩を安置し、その功徳を聚集して一大法門を成じ、仏世界を造るの謂である」とあります。
また、この個所の注(1)には、「外の書き方もあるが日蓮宗では用ひる人が無いから略す」(200頁)とあります。
要は、Man dala の音訳であり、「漫荼羅」と「曼陀羅」と「曼荼羅」は同義ではありませんか?
なお、松本佐一郎氏が「外の書き方もあるが日蓮宗では用ひる人が無いから略す」としているのは正しくありません。
『山中喜八選集Ⅰ 日蓮聖人真蹟の世界 上』(平成4年、雄山閣出版)の凡例には、
「聖祖は、大漫荼羅・大曼荼羅、あるいは大曼陀羅・大漫陀羅」など種々の表記を用いられているが、論文の表題及び本文については、御本尊の御讃文に最も多く用いられ、しかも晩年に至って定型化した「大漫荼羅」に統一した」
とあるように、日蓮聖人が「漫荼羅」を多用されているのです。そのため私も、史料・文献からの引用を除き、「マンダラ」と書く時は「漫荼羅」で用語統一しています。
よって、貴殿が「漫荼羅」と書くことをお恥ずかしい限りとされている理由が全くわかりません。そのような書き込みをされた以上、責任を持ってご説明ください。
彰往考来
3619
:
パンナコッタ
:2008/03/01(土) 19:40:22
しゅんかんさん、
開目抄、清澄寺大衆中、顕謗法抄、等の身延曾存分も収録されていますので、
すべてが指定を受けているというわけではありません。
また底本記載の一行断簡も新修には未掲載があり、確認未確認はされているようですが
指定その物を受けていない物も多々あるようです。(管理者の申請によるところが大きいでしょう)
一行断簡の参考
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/shinseki.htm
文化財保護法抜粋
http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/top-page/bunkazaihou.html
3621
:
しゅんかん
:2008/03/01(土) 21:31:28
パンナコッタさん
重ね々有難うございます、大変勉強になりました。
3622
:
マターリ
:2008/03/06(木) 18:05:48
比叡山・延暦寺からみた、日蓮聖人に対する評価について、お聞きしたい
と思います。
山田恵諦氏の書いた「一隅を照らす」という本を読みました。これによると
伝教大師は、比叡山を修行の場と定め、若い僧に12年間の修行をさせよう
と考えました。12年間のうち、前半の6年間は、師匠につきお経や経論を
学び知識を習得します。そして後半の6年間は、書物を捨てよ、お経を去れ
と教えられます。つまり、後半は、ほったらかしにして、実際にどうすれ
ばよいか自分で発明しろ、ということだそうです。
この12年間が終わると、卒業試験のようなものがあります。第一に、学問
も実行もともに良くできる者を「国宝」として比叡山に残し、後輩の指導に
あたらせる。第二に、学業はできるけれど実行が不十分な者は「国師」。
一方、実行はできるけれど、学業が不十分な者は、「国用」と呼ぶ。
この国師と国用は、地方に派遣して、地方の指導者と協力して、一般の
人々を導いたり、地方の文化・産業の発展に力を尽くすようにしたそうで
す。
ところで日蓮聖人は、比叡山での修学が10年間ということで、その間に
何年か、京都遊学があるようです。すると、比叡山の規定の12年間に満た
ないことになります。ひょっとして、卒業試験を受けられず、国宝・国師・
国用のどれにも、なれなかった可能性があると思われますが、いかがで
しょうか?
比叡山を下りた後の活躍を考えると、比叡山時代はどうでも良いとも考え
られます。しかし、比叡山での日蓮聖人の、立ち位置というものを確認し
ておきたいと思いますので、宜しくお願い致します。
3623
:
顕正居士
:2008/03/07(金) 00:52:40
籠山12年は学生(がくしょう、正規の出家者、官僧、年分得度者)のことです。
比叡山は最澄が南山律を捨てたことにより破戒の山となった。良源は学生
ですら五戒を護ればよいとしたほど(これは緩くしたのでなく厳しくした)。
年分得度の制度などは鎌倉時代にはもう行なわれていなかったでしょう。
高い身分の出身者をこの時代でも学生と呼びはしますが、妻帯していること
が普通です。日蓮の師俊範も実子静明に相続しました。日蓮の比叡山に
おける身分はわかりませんが、学生ではなかったでしょう。
3624
:
マターリ
:2008/03/07(金) 17:32:38
>顕正居士さん、レスありがとうございます。
日蓮は、学生ではなかったようで、身分はわからないとのことですが、
学生以外に考えられる身分としては、例えばどんなものがあるのでしょう
か?
いちおう学生について調べてみると・・・寺院において学問を学んだり、
研究をする僧侶。学生僧。修学僧。学僧。
これから推測すると、日蓮は学生だったと、言えなくもないと思えますが、
どんなものでしょうか?
3625
:
顕正居士
:2008/03/07(金) 20:56:21
親鸞の比叡山における身分が昭和に論争されたことがありました。
親鸞は公家の出身ですが摂家などではありませんから学生ではなく堂衆であった
ろうという意見が始まりでした。恵心尼の書簡に「だうそう」とあるからです。
堂衆というのは起源は学生の下僕で武装しており僧兵とも重なります。
しかし親鸞は教行信証という漢文の大著をものしていますから無学なはずの堂衆
であったというのも変。結局、常行三昧堂に勤務する中間的身分の「堂僧」という
ものであったのでないかと決着しました。日蓮の身分もなんらか中間的なもので
あったと思います。日蓮の比叡山の師俊範は慧心流を実子静明に相続しましたが
静明には子が無かったので正親町天皇の皇子心賀を養子に迎えて相続しました。
学生は元来の年分得度者に相当するので相当な身分の方であったようです。
3626
:
マターリ
:2008/03/08(土) 09:31:40
>顕正居士さん、詳しく教えていただきまして、ありがとうございます。
身分には、学生・堂衆・堂僧があり、日蓮は、その中間的な身分だった
んですね。
学生は、相当な身分の方ということですので、日蓮は該当しないようで
す。
3627
:
顕正居士
:2008/03/08(土) 12:51:59
なお年分度者というのは律令時代に行なわれていた制度で定員は年に10名で
国家試験に合格した者です。官僧といい官費が支給される役人です。これ以外
はすべて私度僧です。天台宗は年2名(顕・密各専攻)の枠が与えられました。
3628
:
犀角独歩
:2008/03/09(日) 07:31:34
外出しており、やや、間を置いたレス失礼いたします。
また、顕正居士さんのいつもながら秀逸なご教示、横から拝読し勉強になりました。御礼申し上げます。
> 比叡山・延暦寺からみた、日蓮聖人に対する評価
これは時代によって、ずいぶんと変化があるのだろう思えます。
わたしが資料を渉猟してうなったのは『破日蓮義』でした。これは、中世の日蓮党に関する延暦寺の考えを示す一つの資料といえるのではないでしょうか。また、ここでは日蓮側はまったく敗退しています。一部ですが、わたしのHPにアップしています。
『破日蓮義』
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/hanitirengi.html
しかし、近代の天台宗と日蓮宗は、こうした対決的な歪みはなく強調しあっているように見えます。その好例が清澄寺の、天台宗から日蓮宗へ寄贈であったり、また、先に出版された『始唱黎明』(横川定光院護持顕正会)といった写真集をみても、その友好ぶりは観察できます。
3629
:
独学徒
:2008/03/09(日) 10:48:35
犀角独歩さん、天台宗側の日蓮評価ですが、昨年の1月に富士教学研究会のブログで紹介しました、『心慶筆「宗要集雑帖私見聞」』も祖滅後そう下らない時代(1317年)の天台宗側の日蓮評価を垣間見ることが出来ると思います。
http://fujikyougaku.blog22.fc2.com/blog-entry-38.html
また『破日蓮義』に対する日蓮宗側の反論は、日蓮聖人註画讃で有名な円明院日澄の『日出台隠記』の一部が、法妙教会のHPにアップされています。
http://www.homyou.hello-work.jp/siryou1.html
しかし「横川定光院護持顕正会」とは、どこぞの団体のせいで、最後の三文字が妙に気になりますね。
3630
:
犀角独歩
:2008/03/09(日) 11:33:18
独学徒さん
有り難うございます。
まず、訂正。「定光院護持顕正会」は「定光院護持顕彰会」の間違いでした。わたしらしいミスでした(笑)
『破日蓮義』の全文をもっていたのですが、いまそれが見当たりません。
ご紹介のページや、わたしの抜き書きは、問答中、安楽行品に係るところとなっていますが、圓信の突っ込みは、冒頭から強烈であったと記憶しています。
うる覚えですが…、要は日蓮党が「法華宗」と名乗るとは何事か。
法華宗とは伝教大師が、大陸で灌頂を受け、授かってきたからこそ、名乗れることである。また、日蓮党が引用する法華六大部ことごとく、法華宗(天台宗)が中国法華宗から授かってきたものだ。その相伝者でもない日蓮党が、何をもってこれを引用し、文章とすることができるのか、といった調子です。この点は摂折論においても同様で、これは天台義であって、その正統な継承でもない日蓮党などお呼びでないといった論調です。
原文がいま手許にないので、圓信は「相承」としたか「相伝」としたか確認できませんが、ともかく、「経巻相承批判」といったところです。法華宗でもないものが、勝手に法華宗の名と、章釈を使うなということです。…これは手厳しいところです。また、至極ごもっともなご意見と、わたしは受け取りました。
石山も、経巻相承批判を口にしますが、天台宗からすれば、天に唾する類ということになるのでしょうね。
3631
:
犀角独歩
:2008/03/09(日) 11:36:30
【3630の訂正】
誤)文章とすることができるのか
正)文証とすることができるのか
3632
:
独学徒
:2008/03/09(日) 20:44:19
犀角独歩さん、
>「定光院護持顕正会」は「定光院護持顕彰会」の間違い・・・
なぜかホッとしました。(笑)
>圓信は「相承」としたか「相伝」
原文は相承となっています。
『破日蓮義』、『日出台隠記』ともに長編なので、全文アップは確かに労作業ですね。
談義所2の方に、少しずつでも、両著をアップしたいと思うのですが、ハードディスクもかなりきつくなってきまして、そろそろパソコン内も整理しなければと思っています。
私は、かなり以前に、大日本仏教全書に掲載の両著をコピーしたのですが、今となっては、何巻に出ていたか思い出せません。
3633
:
犀角独歩
:2008/03/09(日) 21:50:59
独学徒さん、有り難うございます。
そうでしたか。「相承」でしたか。わたしは、圓信、けっこう好きです。
もちろん、祖師日蓮も好きですが、そのあとの日蓮党へのつっこみ、なかなかのものですよね(笑)
ぜひともアップしてください。『破日蓮義』は簡単な漢文ですから、原文のままでいいと思いますよ。
3634
:
天蓋真鏡
:2008/03/11(火) 18:37:26
私は私達は日本人は 空海と台密の相違 日蓮と日蓮宗の相違 三国四師の相違 を見極めずに 21世紀まで来てしまったのですね
3635
:
マターリ
:2008/03/15(土) 18:34:58
>犀角独歩さん、独学徒さん、いろいろ教えていただき、ありがとうござ
います。遅レスで申し訳ありません。『破日蓮義』を拝読しました。
日蓮党は、天台大師の摩訶止観を中心に反論しているようですが、やや
説得力に欠けているように思います。
日蓮が原始仏教や小乗経に巡り会ってさえいたら、と、ため息が出ます。
『心慶筆「宗要集雑帖私見聞」』を拝見しましたが、日蓮も言葉につまっ
たとのことで、とてもリアリティーがありました。
『日出台隠記』での円明日澄上人からの反論も、天台大師の摩訶止観が中
心のようで、あまり心に響きませんでした。
日蓮が、四安楽行を無視または軽視したのは、天台大師の影響と思います
が、これを重視さえしていれば、その後700年間における無数の殉難者を
出さずにすむことができたのではないでしょうか?
西暦1世紀に法華経を執筆したのは、インド・ガンダーラ地方の僧か在家
だと聞いています。彼らの心情を察するに、とにかく苦労して書いた法華
経を未来に残して欲しいと思ったでしょう。そのためには、法華経教団が
難に会って壊滅したのでは、元も子もありません。
法華経の経典だけ残っても、伝える人がいなくなっては何にもなりません。
必死の思いで、安楽行品を書いたものと思っています。
3636
:
顕正居士
:2008/03/16(日) 05:00:34
智邈も湛然も安楽行品を末法の方軌としています(中国の末法は日本より500年早い)。
これは法華経の結構上からそうでしかあり得ないですし。不軽品は特異な物語ですが
これも精神的に四安楽行に包括されると解釈しています。この板でも論じられました。
一切経金口の建前から涅槃経の聖戦思想(武力折伏)も認めていますが、安楽行と
異なる方軌があってそれが折伏だとかいうのではない。智邈は経説を最終的には自己
の一念の現象に帰着させますから、涅槃経の折伏を自心の有への執着を打破する喩え
とし法華経の非暴力思想と矛盾しないように解釈したようであります。
3637
:
顕正居士
:2008/03/16(日) 05:19:04
今日でも日本仏教諸宗派とチベット仏教ニンマ派以外は具足戒を堅持しています。
だから中国で聖戦思想が肯定されることはあり得ない。対して日本仏教では最澄
が具足戒を放棄しすぐに比叡山は殺人まで肯定する無戒状態になった。その現状
を追認するために末法灯明記が制作され智邈や湛然の断片を文脈を無視して引用
するようにもなった。その現状追認の伝統に日蓮は染まっており、宗教戦争を排除
しようとした鎌倉政権と衝突することになった。三大秘法の一である戒壇に何らの
詳説を残せなかった理由です(三秘抄は比叡山からの独立問題が起こってからの
制作と想定)。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板