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素朴な疑問
3622
:
マターリ
:2008/03/06(木) 18:05:48
比叡山・延暦寺からみた、日蓮聖人に対する評価について、お聞きしたい
と思います。
山田恵諦氏の書いた「一隅を照らす」という本を読みました。これによると
伝教大師は、比叡山を修行の場と定め、若い僧に12年間の修行をさせよう
と考えました。12年間のうち、前半の6年間は、師匠につきお経や経論を
学び知識を習得します。そして後半の6年間は、書物を捨てよ、お経を去れ
と教えられます。つまり、後半は、ほったらかしにして、実際にどうすれ
ばよいか自分で発明しろ、ということだそうです。
この12年間が終わると、卒業試験のようなものがあります。第一に、学問
も実行もともに良くできる者を「国宝」として比叡山に残し、後輩の指導に
あたらせる。第二に、学業はできるけれど実行が不十分な者は「国師」。
一方、実行はできるけれど、学業が不十分な者は、「国用」と呼ぶ。
この国師と国用は、地方に派遣して、地方の指導者と協力して、一般の
人々を導いたり、地方の文化・産業の発展に力を尽くすようにしたそうで
す。
ところで日蓮聖人は、比叡山での修学が10年間ということで、その間に
何年か、京都遊学があるようです。すると、比叡山の規定の12年間に満た
ないことになります。ひょっとして、卒業試験を受けられず、国宝・国師・
国用のどれにも、なれなかった可能性があると思われますが、いかがで
しょうか?
比叡山を下りた後の活躍を考えると、比叡山時代はどうでも良いとも考え
られます。しかし、比叡山での日蓮聖人の、立ち位置というものを確認し
ておきたいと思いますので、宜しくお願い致します。
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