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素朴な疑問
3239
:
彰往考来
:2007/02/17(土) 11:56:11
熱原法難の処刑日について(その6)
スレッド3238の続きです。
東京大学法華経研究会編『日蓮正宗創価学会』(昭和37年、山喜房仏書林、82頁)には「神四郎等の二十人は、その後獄中に投ぜられること半年、そのあいだ唯一心に題目を唱えて信仰ますます強盛であったが、弘安三年四月八日、神四郎、弥五郎、弥六郎の三兄弟は刑場に引き出され、発起人という廉(かど)によって哀れ斬罪に処せられ、残る十七人は付和雷同の従犯者として追放に処せられた」とあります。また昭和42(1967)年発行の東京大学法華経研究会編『日蓮正宗創価学会』(昭和42年改訂5版、山喜房仏書林、85頁)にも全く同じ文章が載せられています。昭和38年には堀日亨師の『富士日興上人詳伝』(創価学会)が発刊されていて91頁に、「神四郎等兄弟三人の斬首および他の十七人の追放は、弘安三年四月八日と定むるのが当然であらねばならぬことを主張する」とありますから、昭和38年ごろ日蓮正宗内は弘安3年4月8日説が主流であったと判断されます。これが昭和45年発行の『日蓮正宗大石寺』や昭和50(1975)年発行の東京大学法華経研究会編『創価学会の理念と実践』では明確な処刑日記載が消え、昭和53年の『日蓮正宗要義』202頁で明確に弘安2年10月15日説が現れるといった流れとなります。日蓮正宗内で弘安3年4月8日説から弘安2年10月15日説にコペルニクス的転回になっているわけです。弘安3年4月8日説は堀日亨師の説ですから、それを覆す論拠がなければなりません。その論拠は、私は日達師のご説法であったと考えます。
河合一編『熱原法難の歴史』(1993年第14刷(初版1978(昭和53)年10月15日)、聖教新聞社、103頁)には『大日蓮』昭和38年11月号掲載の第六十六世日達上人のご指南を掲載し、ここでは明確に弘安2年10月15日説をとっています。残念ながら『大日蓮』昭和38年11月号は眼福を得ていませんが、河合一編『熱原法難の歴史』の<注六>に「昭和38年10月6日 法華講関西地区連合会第一回総会「御法主上人猊下御言葉」」(184頁)とありますので、『大日蓮』昭和38年11月号掲載の第六十六世日達上人のご指南は昭和38年10月6日の御言葉であることが解かります。これはひょっとしたら昭和38年10月24日に発刊された堀日亨師の『富士日興上人詳伝』での弘安3年4月8日説への日達師の反論であったのかもしれません。発刊日は前後していますが、第六十六世日達上人が10月13日付けで序を『富士日興上人詳伝』で書かれていることから正式発刊前に第六十六世日達上人に届けられたと考えられます。少なくとも『富士日興上人詳伝』の記載内容は、創価学会発行の『大白蓮華』創刊号から第四十四号(昭和24年7月10日−昭和30年1月1日付発行)までに掲載された内容をまとめたものですから、昭和38年10月6日以前に堀日亨師の『富士日興上人詳伝』は公開されていたわけです。
『熱原法難の歴史』からの孫引きとなりますが『大日蓮』昭和38年11月号掲載の日達上人のご指南内容を少々長いですが以下に引用します。(つづく)
by 彰往考来
3240
:
彰往考来
:2007/02/17(土) 11:57:00
熱原法難の処刑日について(その7)
スレッド3239の続きです。
「では、三人が処刑されたのは、いつだったのでしょうか。第六十六世日達上人は、次のようにご指南くださっています。
「上野賢人殿御返事を拝しますと、この御書は一名『竜門御書』と申しまして、大聖人様の御真筆が本山に保存されております。これは弘安二年十一月六日の御書であります。この御書には、『此れはあつわらの事の、ありがたさに申す御返事なり』と、お添え書きがありまして、この御書を拝しますと、『をなじくはかりにも法華経のゆへに命を捨てよ』とあります。病気や飢饉や戦争のために捨てる命ならば、かりにも、法華経のために命を捨てよ、と南条時光殿にお書き送りになった御書でございます。これは熱原の人びとが、法華経のために命を捨てたことを示されておるのでございます。この御書は、十一月六日付でありますから、この時はもう既に熱原の神四郎、弥五郎、弥六郎の三人は、平ノ左衛門尉のために殺されてしまった後であるとゆうことがわかります。そこで、聖人等御返事、一名変毒為薬書と申しますが、これを拝しますと『今月十五日酉時御文同じき十七日酉時到来す。彼等御勘気を蒙るの時・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云、偏に只事に非ず』とお書きになっております。これこそ、熱原の人びとの処刑された時日と判明できるのでございます。(中略)大聖人は、神四郎が死に直面して、しかも自若として南無妙法蓮華経と唱え奉っておったことは、只事ではない、平ノ左衛門尉の身に十羅刹入りかわりて、法華経の行者を試み給うたと、仰せになっておるのでございます。故に、この十五日に神四郎は処刑せられたことは明らかであります」<注六>(「大日蓮」昭和38年11月号)」(『熱原法難の歴史』103頁)
さて、『竜門御書』には「此れはあつわらの事の、ありがたさに申す御返事なり」とあります。日達上人は、「熱原の人びとが、法華経のために命を捨てたことを示されておる」とされていますが、これは変です。御門下が弾圧で殺されて“ありがたさ”というでしょうか? ちょっとオーバーな表現ですが当時は日蓮教団と国家権力とがいわば戦闘状態とでもいえる状況でいつ誰が殺されても不思議がなかったのですよ。日達上人さ〜ん・・・平和ボケされていませんでしたかぁ?と私は朝晩、日達上人の御形木御本尊に問いかけています。“ありがたさ”とは南條時光が危険を顧みずに熱原法難で逃亡中の神主等を匿っていたことに対する御礼の言葉であると私は解釈します。「逃亡している弟子を匿ってくれて有難う」とは直接書けないので間接的に「此れはあつわらの事の、ありがたさに申す御返事なり」と書かれたのでしょう。南條時光が逃亡中の神主等を匿ったことは御書に出てきます。弘安三年七月二日の「上野殿御返事」に「かうぬし(藭主)等が事、いまゝでかゝへをかせ給て候事ありがたくをぼへ候」(『定本 日蓮聖人遺文 第二巻』昭和63年改訂増補版(初版昭和28年)、身延久遠寺、1766頁)とあります。ここでも“ありがたく”と出てきます。(つづく)
by 彰往考来
3241
:
独学徒
:2007/02/17(土) 12:12:56
彰往考来さん、以下の堀日亨師の記述は、「能持院日周筆 境持院日通筆 過去帳・日蓮門下系図」(以下「日蓮門下系図」)と相反します。
>、「辨師の俗姓は自門では不明であるが他門では熱原甚四郎國重の長男で富木殿の妙常日妙は其姉で下野公日忍は其弟、日頂日澄乙御前は其甥姪、天目も亦甥である様に云うてある」
「日蓮門下系図」では、
弥四郎国重の娘⇒日妙・日妙の子⇒日頂
(日妙は富木常忍の後妻、日頂は日妙と前夫との子)
神四郎の長男⇒日辨
◎弥四郎国重は南條家の血筋
◎神四郎は南部家の血筋
両者は別人。
となっているわけです。
これは堀日亨師の記載が滅茶苦茶であるか、もしくは「日蓮門下系図」またその作者が参考にしたものとは無関係であるか、そのようなことが考えられると思います。
3242
:
乾闥婆
:2007/02/18(日) 02:34:57
みなさま。
素朴な疑問なのですが、では「聖人御難事」の「余は二十七年なり」とは
蓮祖は何のことを言われているのでしょうか。
3243
:
犀角独歩
:2007/02/18(日) 09:06:29
3234 彰往考来さん
ご教示有り難うございます。
熱原法難は神事との関わりがありますね。
処刑後、神を冠されたというのは、説得性を感じるところです。
中世、神四郎と弥四郎国重が、どのように考えられていたかは、さらに皆さんのご賢察を窺いたいと思いますが、さらにもう一点、決し得ていないのは、「国重」というのは、これは名前なんでしょうか。
わたしは国重と聞くと刀工のほうを先に思い出すのですが、なにか職業、地位に掛かる呼称の可能性はないのでしょうか。
彰往考来さんのご投稿の続きをお待ちする傍ら、この点もお考えを披瀝いただければ有り難く存じます。
3244
:
彰往考来
:2007/02/18(日) 10:26:20
>3242 乾闥婆さん
>「聖人御難事」の「余は二十七年なり」とは
本件につきましては、かつて「他宗、他派をほめよう」のスレッド64(2005.12.15)に投稿しましたので参照ください。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1030610635/64
彰往考来
3245
:
彰往考来
:2007/02/18(日) 10:29:29
>3243 犀角独歩さん
>「国重」というのは、これは名前なんでしょうか
そうなんです。一連の熱原法難の資料をひもとく中で本件が謎なのです。
少し別のアプローチが必要ですがよいアイデアがない状態です。
彰往考来
3246
:
乾闥婆
:2007/02/19(月) 00:58:45
>3244
彰往考来さん。
ありがとうございます。
しかし「聖人御難事」は他の年数表記と違って、釈尊、天台大師、伝教大師のそれぞれの出世の本懐を遂げた年数に比較して表記されています。普通に読めば、それぞれの先師の出世の本懐に比すべきような事柄がその頃の蓮祖にあったと受け止められるのではないでしょうか。もちろんそれは「本門戒壇之御本尊」御図顕ではないのでしょうけれど。
3247
:
顕正居士
:2007/02/19(月) 04:56:14
聖人御難事
http://sgi.daa.jp/cgi/P1189.html
この書は続きを読めばわかりますが、本懐を遂げた年数を比較しているのではなく、
その間の難の大きさを比較しています。
なお日蓮の本懐とは
諸人御返事(平賀本土寺)
http://www.city.matsudo.chiba.jp/data/7d580f0a0022267/syonin.jpg
に述べるように、権力者にその主張が採用されること以外にあり得ません。
3248
:
臨時
:2007/02/19(月) 12:04:37
顕正居士さん一寸御教授願いたいのですが、「余は二十七年なり」における
「なり」はどのような意味になるのでしょうか?国語辞書によれば「なり」は
「成り」か「生り」または「為り」を意味するように思われなす。この文面か
らは「業」「鳴り」さらには「也」「哉」等を指す言葉とは思えません。
したがって、「余は二十七年なり」の「なり」は「成り」か「生り」または
「為り」のどれかにあたるのではないかと思われますがいかがなものでしょう。
難に会われた年数を意味することは私には思えないのですが御教授よろしく
お願いします。
3249
:
天蓋真鏡
:2007/02/19(月) 13:11:25
横レス失礼します。 ありがとうございます。真筆で主上(天皇)の語を確認取れました。国主は権力者を意味していると言う事になりましょうか。文章の後先を考えればすっきりするでしょう。
3250
:
顕正居士
:2007/02/19(月) 16:07:55
「なり」は「である、is、是」の意味。
AはBなり A is B A 是 B。
断定の助動詞といいます。
伝聞の助動詞の「なり」もありますが、それは終止形に着く。
動詞は「なる」で「なり」ではない。体言に着くのは断定の助動詞です。
3251
:
臨時
:2007/02/19(月) 21:35:24
顕正居士さん早速の御教授ありがとうございました。
そうですね、この「聖人御難事」で使われている「なり」は断定の助動詞で
あることはよくわかりました。
ただ私にはどうしても「仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年
に出世の本懐を遂げ給う」に架かっているように思えてならないのです。
特に「出世の本懐を遂げ給う」というところに連動しているように思えるので
す。
顕正居士さんがおっしゃっる「体言」とは「用言」つまりは動詞・形容詞・
形容動詞として使用される場合もあると考えてよろしいのではないしょうか?
とすれば、「なり」を「終止形」の活用形と考えれば、「である」とする単な
る断定形でなく、「断定」「疑問」「共感」「驚き」「同定」等々日本語の文
末によくある、様々な表現者の主観があらわされている場合にあたると考えて
もよろしいいのではないでしょうか?
つまり、宗祖は「仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず、竜樹天親天台伝
教は余に肩を並べがたし」として竜樹天親天台伝教の出世の本懐よりも釈尊の
出世の本懐に焦点を当てて、この「聖人御難事」を著わされたのではないでし
ょうか、したがって私には「余は二十七年なり」は宗祖の出世の本懐を意味す
ると読むほうが正解のように思われてしかたがありません。
失礼な点がありましたら文法的なことに疎い人間が書いたものとして御寛恕く
ださい。
3252
:
乾闥婆
:2007/02/19(月) 22:52:34
>3247
顕正居士さん。
>この書は続きを読めばわかりますが、本懐を遂げた年数を比較しているのではなく、
その間の難の大きさを比較しています。
文章の流れは釈尊・天台大師・伝教大師が出世の本懐を遂げるまでの年数のあいだに受けた難の大きさと比較していますので、蓮祖もまたその出世の本懐を遂げるまでの年数とその難、ということになるのではないでしょうか。
>なお日蓮の本懐とは諸人御返事(平賀本土寺)に述べるように、権力者にその主張が採用されること以外にあり得ません。
しかし権力者に自身の主張を受け入れさせるのは、蓮祖にとって、法華経を流布して日本を仏国土と為すことの手段に過ぎないのではないでしょうか。
3253
:
犀角独歩
:2007/02/20(火) 06:20:43
横レス失礼します。
> 権力者に自身の主張を受け入れさせる…蓮祖…法華経を流布…日本を仏国土
これは『立正安国論』の趣旨そのものですね。
3254
:
パンナコッタ
:2007/02/20(火) 12:41:10
横レス失礼します。
該当部分の原文を見てみますと
『佛ハ四十余年天台大師ハ
三十余年傳教大師ハ
二十余年ニ出世の本懐を
遂給其中乃大難申計
なし先々ニ申かコとし
余ハ二十七年なリ其間の
大難ハ各々かツしろしめせリ』
この文を見る限り、"二十七年"は大難に掛かっているように見受けられますね。
また後代の筆写時(活字化の時か?)に、「遂げ給う。其の中」とした読み下しに
混乱の一因があるように思えますね。
3255
:
しゅんかん
:2007/02/20(火) 12:43:50
独歩さん
古い内容ですが、創価学会の携帯式本尊についての板で、独歩さんと菊水護国さんのやりとりで叉、
お尋ねしたい点がございました御教示の程宜しくお願致します。
>No31
一般の仏具店で御影を買ったら、体内になにが入っているかちゃんと確認したほうがいいですよ。
〇石山はいかよう物が入っていないといけないと云っているのでしょう?
仏具店で購入できる様な2寸・3寸、叉それ以上の物でも木彫りの中に何かを
入れている物なのでしょうか?
>No135
緋衣の御影?
だって、菊水護国さんだって、薄墨の置くんでしょう。
〇石山に於いては御影様も薄墨が好ましいのでしょうか?
以上、宜しくお願致します。
3256
:
天蓋真鏡
:2007/02/20(火) 13:10:54
横レスすいません。●パンナコッタさん、「なるほどね」点線面が繋がってきた気がします。●私が21世紀の宿題にと思い描くのは【法華一乗(本尊・戒壇・題目)∈法華経・覚者仏像・漫荼羅本意】《真実一念三千、正法》●文字変換できなくてごめんなさい。
3257
:
顕正居士
:2007/02/20(火) 15:14:33
>>3252
仏国土を待望する如きは仏者に共通でありますから、「本懐」とか「目的」とかは
具体的なものでしょう。最澄の場合ですと、六宗に加えて天台宗が公許されましたが、
依然、南都僧綱の支配下にはあったので、これから独立することが悲願でした。
実現するのは最澄の滅後ですが、ほぼ期待できる情勢を作れたので、本懐を遂げた
と述べているかと思います。日蓮の場合はやはり諸人御返事の「公場対決」であった
でしょう。
3258
:
犀角独歩
:2007/02/20(火) 16:14:32
3255 しゅんかんさん
少しお久しぶりですね。
> 御影…石山はいかよう物が入っていないといけないと云っている
そのような具体的なアナウンスがあるかどうかわかりませんが、腹篭本尊を入れるのでしょう。
> No135
これはどこでしょうか、原文に当たれないんですが。
> 石山に於いては御影様も薄墨が好ましいのでしょうか?
というより、その以外は考えられない宗派ですね。
3259
:
れん
:2007/02/20(火) 19:56:10
横レス失礼します。
顕正居士さん
>3257
…日蓮の場合はやはり諸人御返事の公場対決であった…
としますと、熱原法難と連動して日蓮門下と他宗との「公場対決」の気運が高まっていたことを、暗に示すのが聖人御難事の文章ということでしょうか?
また「滝泉寺申状」はその前哨戦としての役割もあったということでしょうか。諸人御返事に見られるように前年の弘安元年から日蓮と他宗との公場対決の気運の高まりが見られ、幕府というか得宗家の日蓮門下の出訴の扱い如何では、公場対決の実現も考えられますから、日蓮は聖人御難事の文章を見るに弘安二年中に公場対決が実現すると睨み、あのような文章になったということでしょうか?
3260
:
顕正居士
:2007/02/21(水) 04:04:21
>>3259
難とは本懐を遂げるまでの間に起こるものであるから、三師について本懐というので、
自らは「今に二十七年」、本懐を遂げる過程にあるということでしょう。
この書は難の話ばかりで、最初の文以外に「本懐」のことはまったく出て来ません。
したがって「諸人御返事」との関連は特にないと思います。
この書は弘安2年10月、諸人御返事は先年の3月で、「公場対決」を期待できる状況
はこの書の時にはもう存在していなかったと想像します。
3261
:
天蓋真鏡
:2007/02/21(水) 04:16:40
横レスすいません。 ●顕正居士さん、鋭い。●まことの一念三千、真の十界互具。
3262
:
しゅんかん
:2007/02/21(水) 11:10:15
独歩さん
早速の御教示有難うございます。
>腹篭本尊・・・
〇あっ!この文言どこかで見た事が在りますが今、思いだせません。池上は御真骨で非常に稀の様ですね。腹篭本尊は石山特有と云う理由ではなく、身延もでしょうか?
>薄墨は当然・・・
〇私の関西での仏具店等は彩色、白木、金泥ぐらいしか見かけませんから、ですが当然ですね。別注されるんでしょうか、それとも東海・関東方面では販売されてるんでしょうか?
>見当たりません・・・
〇同じく創価学会の携帯・・・でした、すいません説明不足でした。
>少し久しぶり・・・
〇此処の所の皆さんのやり取りはとても私など知識も無く入って行けませんでした。少し考えたんですが、余りにも奥が深いので的を絞って勉強させていただこうと思っております。今、考えてますのは石山は何時、誰が何故、他門派と組みしない孤立する様な教義を唱えるに至ったのか。この辺りに絞ってと考えています。解らない事だらけです、今後とも独歩さんはじめ皆様方、宜しくお願いします。※PCでの時間がなく、今回初めて携帯での書き込みで読みずらいかもしれませんお許し下さい。
3263
:
乾闥婆
:2007/02/21(水) 12:38:12
>3257
>3260
顕正居士さん。
>日蓮の場合はやはり諸人御返事の「公場対決」であったでしょう。
>自らは「今に二十七年」、本懐を遂げる過程にあるということでしょう。
ありがとうございます。大分腑に落ちてきました。「五五百歳の仏記」、広宣流布こそ蓮祖の目指されるところであるでしょうから、公場対決は「日蓮一生の間の祈請並びに所願」であったのですね。本懐を遂げることへの並々ならぬ意志を「聖人御難事」から感じました。
3264
:
パンナコッタ
:2007/02/21(水) 15:14:55
横レス失礼します。
諸人御返事の約半月後の壇越某御返事の段階で、三度目の難を危惧する記述のため
公場対決の話は、この時期に無くなり却って弾圧が強まったように見受けられますね。
3265
:
しゅんかん
:2007/02/24(土) 16:41:01
石山の松竹梅(寺門?)についてご教示お願致します。
重ね亀甲や五三の桐が寺門のようですね。(重ね亀甲は形木本尊の表装にも使用されてます)
先日、御曼荼羅を表装に出そうと思いまして表具屋さんからの裂地のサンプルを
拝見させて頂きました。
その中で表装の部位で一文字(曼荼羅部の上下に使用する裂地)と云う裂地で
鶴丸を指定したのですが、お願しました所には鶴丸のみは無く
(鶴丸・重ね亀甲・松竹梅)と三つの柄が編み込まれていました。
重ね亀甲は存じておりましたのでNGと伝えました。
松竹梅は認識しておりませんでしたが、先ほど冨要を手に取りますと
ケースに松竹梅が見て取れます。(ケースには鶴丸・重ね亀甲・松竹梅と在ります)
この松竹梅も石山のみに関係がある物なのでしょうか?
宜しくお願致します。
3266
:
大縫 薫
:2007/02/24(土) 17:38:36
しゅんかん今日は!!
鶴丸紋の表装でしたら
http://www.okayama-kakejiku.jp/newpage1.html
錦司堂さんが有名です。
http://www.kyoushindo.com/
経新堂稲崎表具店
http://www9.ocn.ne.jp/~hyogu/index.htm
小沢表具店
稲崎表具店と小沢表具店は、正宗専門の表具店です。
文京区本郷の篠田表具店さんも御本尊表具の専門です。
その他、要山御用達の堤黙光堂さん 075-231-1878
これらの店舗に問い合わせをしてみたら如何でしょうか
3267
:
しゅんかん
:2007/02/24(土) 22:16:10
大縫 薫さん
早速のご教示有難うございます。
錦司堂さんは私も存知あげておりました。(有名なんですか?)
稲崎表具店・小沢表具店・堤黙光堂の三店ですが早速参考にさせていただきます。
3268
:
犀角独歩
:2007/03/02(金) 11:28:36
こちらとは関係ないのですが、とあるサイトを眺めましたら、シャキャムニが仏教の祖師であるような論調になっていたので驚きました。
バラモン教という文化圏にいたシャキャムニは、文字通りシャカ族の聖者であるけれど、その時代において、新しい祖師になったという認識はなかったのではないかと思います。修行者として、その当時、言われている覚者という自覚があったのみだろうと思います。
この点は、たぶん、日蓮も同様で、天台沙門といえば、天台法華宗という枠組みでしょうし、本朝沙門といえば、三国四師といった釈迦牟尼世尊以来の系譜に自身を置いたものでしょうから、新しい宗教を立ち上げたという認識は、なかったように思います。
3269
:
ラキ
:2007/03/11(日) 09:14:25
釈尊(仏)がいた時代から正法・像法・末法と時代分けしていましが、連師を末法のご本仏とした場合、仏の出現であり、正法時代とならないのでしょうか?
仏が出現しても末法は、末法となるのでしょうか?・・・
連祖が生まれた時代は、像法時代ですが、(連祖本人は末法との認識あり?)石山系の連祖本仏論で言うと、連祖滅後700年ちょいですが、現在は末法ではなく正法時代とならないのでしょうか?
3270
:
天蓋真鏡
:2007/03/11(日) 13:48:17
此の掲示板で論議してきたものを拝見すると、鎌倉時代の僧・日蓮は真言化した天台を法華一乗に仕立て治し末法の世が続くから法華経行者として修行して行きなさいと弟子を育てた人に思います。其れから、貴辺に任せるとか、己が信心が大事で成仏できなくても日蓮の所為にするべからずみたいな事を書いてある文言を見た事があります。人其れぞれ何時成仏するか解らないのなら何月何日頃から末法でなんて決め付けられないでしょう。其れと、実力が無いなら自分が謗法になるかもしれない参詣は止めておいた方が良いのでは無いでしょうか。
3271
:
顕正居士
:2007/03/11(日) 16:37:09
>>3269
富士派などの宗祖本仏論というのは日蓮という新仏が出現したという主張ではありません。
釈尊初発心の時の名字即菩薩の姿そのままが日蓮だというのです。日蓮の本果の姿が
五百塵点第一番成道の時の釈尊になります。つまり教相の末法は観心では久遠であって、
日蓮は釈尊の過去の姿になるのです。
「末法が釈尊の未来に非ず却て釈尊の過去也」(堅樹日寛「末法は釈尊の過去なる事」)
3272
:
ラキ
:2007/03/12(月) 00:22:08
顕正居士さん
解説ありがとうございます。
石山教学ではなくて他宗または一般の人から見た場合、連師が仏としたら、仏が誕生したから正法となるのか?
それとも、仏が誕生しても末法のままなのでしょうか?
どのように解釈したら良いのか、御教示して頂きたく存じます。
3273
:
顕正居士
:2007/03/12(月) 04:00:10
もし新仏が出現したらそれは末法なのか正法なのかということですか。
これは××仏の正法、末法という意味です。正法はその××仏の教えが
正確に伝えられている期間、末法はもう大いに変形してしまっているが
かろうじて存続している期間です。その後はもう形も留めません。
そして仏の出世は優曇華の花が咲くよりも稀で、たとえばこの娑婆世界の
次の仏、弥勒仏の下生までは56億7千万年もあります。
つまりたいがいの期間には仏教というものは存在しないというのが
仏教の世界観です。弥勒仏が現われる時代の人の寿命は大変長いので
その正法も非常に長く続きます。
3274
:
ラキ
:2007/03/12(月) 10:46:30
顕正居士さん
詳しい御教示ありがとうございます。
もやもやした、疑問が晴れてスッキリしたした。
本当にありがとうございました。m(_ _)m
3275
:
しゅんかん
:2007/03/15(木) 10:49:18
独歩さん、宜しくお願致します。
独歩さんのHPに於いて故、執行海秀先生の著を紹介されておられますね、
私も手に入れたく調べて見ましたが手掛かりがつかめませんご教示頂けますか?
①『興門教学の研究』海秀舎=一冊の書なのでしょうか。
②現在販売しているのでしょうか?
3276
:
犀角独歩
:2007/03/15(木) 18:41:18
しゅんかんさん
仰るとおりです。
神田の古本屋などでは、途方もない値段が付いています。
立正大学などの、日蓮系の図書館を当たられたほうがよろしいかと存じます。
3277
:
しゅんかん
:2007/03/15(木) 23:27:09
独歩さん
ありがとうございます。
絶版の様なのですね、ネット上での古書店でも目に止まりませんでしたが図書館
を当たってみます叉、古書店も気長にチェックしてみます。
3278
:
ラキ
:2007/03/17(土) 19:41:19
平成17年の夏期講習会で日顕上人の講義で、「戦争中御本尊の写真を持って戦争に行った」と言う話を聞いた記憶がありますが、何故、書写御本尊ではなく写真御本尊だったのでしょうか?
お守り本尊ではなく、大御本尊の写真をお守り代わりにしていたかった思いなのでしょうか?・・・
その辺の諸事情を知ってる方がおりましたら教えていただけないでしょうか。
3279
:
犀角独歩
:2007/03/18(日) 09:52:01
ラキさん
この本尊写真、O師が売ったと噂される彫刻本尊写真護、しかし、細井さんが『悪書板本尊偽作論を粉砕す』で
「某信徒が葦城氏と相談して写真を出したならば世間に知らしめて非常に効果があると考えて大石寺に願ってやったことである。
しかるに効果どころか甚だ面白くない結果となったので、その掲載を禁止したのである。その悪い結果とは此の写真を複写して本尊に売買する者があらわれ、或は偽作するものがあるとかいう事であった。恐らく安永君の門徒の者の行為ではないか?」(P11)
と、日蓮宗が行ったこととしています。ところが、ラキさんの投稿のとおりであるとすれば、それを所持していたのは、日顕さんだというわけですね。となれば、それは石山宗内で撮影されたものとなりますね。
興味深い話です。
3280
:
ラキ
:2007/03/18(日) 18:56:10
日顕さんが、戦争に行かれた時なので、個人で写真を撮る事は無理だと思いますので、宗門の偉い方の許可か?戦争に行く人に僧侶か寺属の方にだけ特別に内緒で渡していたのかもしてませんね。
日蓮宗どうのこうのの話は無かったと記憶してますので、石山独自の写真を使用していたと思われます。
3281
:
犀角独歩
:2007/03/18(日) 22:30:44
ラキさん、その発言の正確なところを知りたいですね。
3282
:
ラキ
:2007/03/19(月) 23:00:41
正確な発言記事を記載したいのですが、夏期講習の大白法がないので、確認できません。
日顕さんの発言の夏期講習は、5回目か6回目だったと記憶してます。
夏期講習には珍しく、時間を10分ぐらい延長したときです。
3284
:
ラキ
:2007/04/19(木) 01:32:27
昭和30年代に「日蓮正宗の基本を守り結局離脱に追い込まれた僧俗。」(自称?)
見たいな、事件が大石寺であったのでしょうか?
ネットで調べても判らなかったので、ご存知の方がおりましたら教えてください。
3285
:
顕正居士
:2007/04/19(木) 09:20:40
大阪蓮華寺(久保川師の蓮華寺とは別)のことではないでしょうか。
下のページの「戦後60年と日蓮正宗の歩み⑰」
http://www.fujimon.or.jp/keimyo.html
3286
:
ラキ
:2007/04/19(木) 20:14:18
顕正居士さん。
情報ありがとうございます。
他にも疑問に思っていた情報が載っていて、掘り出し物を見つけた嬉しさで、感激しております。
本当に、情報をありがとうございました。m(_ _)m
3287
:
偶ロム偶ログ(別HN御免)
:2007/04/22(日) 13:42:13
昭和30年代に「日蓮正宗の基本を守り結局離脱に追い込まれた僧俗。」(自称?)
僧ということであれば、旧蓮華寺と高知県の大乗寺、自称ではありません。
俗ならば東京蒲田の某会、この会については犀角独歩さんがお詳しいかと。
また、戸田会長推戴に反対して学会を離脱したグループもありました。
3288
:
犀角独歩
:2007/04/22(日) 23:03:33
> 3287
ご指名ながら、ちょっと、いまは思い当たりません。
ただ、昭和30年代のことといえば、顕徳会のことか、その他諸々。何について、ラキさんが問うているのかと。
3289
:
ラキ
:2007/04/23(月) 10:03:54
某巨大掲示板で見たのですが、昭和30年代に学会の圧力で「日蓮正宗の基本を守り結局離脱に追い込まれた僧俗。」が居た。
との、記載を見たのです。
石山でも戦後の復興をしなければならない時期なのに、多少の揉め事はあったにせよ”正宗の基本を守り”宗門から離脱した僧俗等が居たのかと思い、質問させて頂きました。
うちの住職に聞いても「知らない」と、無関心だったので、(教えたくなかったのか?)宗門として、汚点となるような隠したい事が有ったのかと、気になっております。
3290
:
藤川一郎
:2007/04/25(水) 09:25:59
「日蓮正宗の基本を守り結局離脱に追い込まれた僧俗。」
この投稿をした方の意図と日蓮正宗の基本を守ったか否かは別問題ですが、浅井氏が金科玉条のように使用する「時の貫首と雖も・・・」を主張して、自身らの正義を主張し、離脱していったのは
「大阪蓮華寺問題」と「高知大乗寺問題」の事では無いでしょうか?
3291
:
しゅんかん
:2007/04/28(土) 21:03:07
皆さ叉、ご教示お願致します。
石山に於いては法華経の一部読誦として他派、他門流を批判していますね。
福岡ふるさとの歴史再発見と云うHPに於いて、
正中二年銘梵字板碑の解説で
(法華経を一部読誦するのに現代の僧侶が唱えて9時間かかると言われており・・・)
と在ります、石山と正中二年銘梵字板碑の解説、一部読誦とは異なるのでしょうか?
ご教示お願致します。
3292
:
しゅんかん
:2007/04/28(土) 21:05:16
3291補記
福岡ふるさとの歴史再発見HP
http://www.educ.pref.fukuoka.lg.jp/bunka/cgi-bin/detail/detail.cgi?number=85
3293
:
ヨブ
:2007/05/05(土) 05:09:10
みなさま、はじめまして。
大聖人の仏法に莫大な関心があるものです。
ですが、宗教団体には入っていないため、
どこからどんな風に勉強を始めていけばよいのか分からず
困っています・・。
ところで、私は創価学会版の御書を持っているのですが、
日蓮正宗は平成に入ってから、平成新編御書を発刊したと知りました。
この御書はどのようにしたら手に入れられるのでしょうか?
日蓮正宗の信者じゃなくても、
正宗寺院に行けば売ってもらえるのでしょうか?
突然の投稿ですが、もしよろしければ教えていただけるとうれしいです。
よろしくお願いします。
3294
:
犀角独歩
:2007/05/05(土) 09:40:57
ヨブさん、はじめまして。
大石寺の出版物は、以下で購入できるのではないでしょうか。
株式会社 大日蓮出版
〒418-0116 静岡県富士宮市上条546−1
TEL 0544-59-0530
FAX 0544-58-0909
余計なことかも知れませんが、日蓮を真面目に研鑽しようとするのに、なぜ、大石寺の御書のようないい加減なものを欲するのでしょうか。批判資料にこそなれ、日蓮遺文の研鑽には不向きでしょう。
学術資料としてみるのであれば、定本は座右に置かなければならないでしょうし、確実な真蹟遺文ということであれば、『平成新修日蓮聖人遺文集』となりませんか。
定本に関しては現宗研のサイトで、データ版がダウンロードできます。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/bunken.htm
3295
:
犀角独歩
:2007/05/05(土) 09:58:45
れんさんほか、諸賢
(1)『三八教』の花押について
日蓮花押についてですが、『日蓮聖人真蹟集成』第2巻に載る『三八教』は、如何様な取り扱いとなるのでしょうか。
同書解説(日教研)では、正嘉元年とし、しかし、文永6年説(対象緑)も紹介しています。
正嘉元年の花押を日教研がいちおうでも認めているのはやや驚きですが、いっぽう、文永6年としても、鍵手がはっきりとしていること、バン字とみえる部分はあるものの、その後半がないことなどで日蓮の花押の体裁をなしているように思えません。如何お考えでしょうか。
(2)「本門本尊与四菩薩戒壇南無妙法蓮花経五字残之」の読みについて
もう一点。同書第1巻『法華取要抄』解説に『法華経行者逢難事』の以上の訓読を「本門ノ本尊ト四菩薩ト戒壇ノ南無妙法蓮花経ノ五字与(ト)之ヲ残シタマフ」(このP284)と田村芳朗師はしています。取要抄、報恩抄等との兼ね合いからすれば「本門ノ本尊ト四菩薩ト戒壇“ト”南無妙法蓮花経ノ五字」とするほうが相応だと思うのです。田村師の見解はともかくとして、この点はどのようにお考えになりますか。
ご賢察をお聞かせいただければ幸甚です。
3296
:
犀角独歩
:2007/05/05(土) 10:05:44
(3) 諫暁八幡抄の花押
もう一点。これは独学徒さんに主にお尋ねしたいのですが、編集・大石寺学頭/由井日乗『日蓮大聖人御真筆』(昭和14、5年頃刊)に載る『諫暁八幡抄』47紙の文末、花押はどのようになっているのでしょうか。ご承知のところあれば、ご教示ください。
3297
:
顕正居士
:2007/05/05(土) 10:17:42
>>3291
ご質問の趣旨が分からないですね。福岡の記事は大石寺とも日蓮宗とも関係ないようですが。
法華経一部読誦すると9時間というのはそんなものでしょう。1品20分弱×(28品+開結)。
ところでお経を読誦するのは何の意味があるのかと考えると、仏様にお経を聞かせるのは
無意味です。釈迦に説教です。だからこれは自分が暗記するためなのです。
方便品読不の論争とか、富士派に限りませんが、読誦は何のためにするのか、肝心なことが
消し飛んでしまった低レベルの議論が上代の日蓮宗には多かったようではあります。
3298
:
犀角独歩
:2007/05/05(土) 10:22:53
(4)祖翰難字集
あと一点。彰往考来さんが『富木常忍に授与された御本尊について』(
http://fujikyougaku.fc2web.com/ronbun/toki.html
)で取り上げられている京都頂妙寺/真如院日等の事績に係ることですが、『祖翰難字集』は、影本その他出版されているものなのでしょうか。これまた、ご承知の点がございましたら、ご教示ください。
3299
:
独学徒
:2007/05/05(土) 12:24:43
犀角独歩さん、
>3296
以前、昭和6年発行の由井一乗「日蓮大聖人御真筆写真集」は拝したことがあるのですが、その当時『諫暁八幡抄』に関しては、特に気に止める事はしませんでした。
コピーを持ち帰った部分は、日朗代筆の『伯耆公御房御消息』(御書全集未入集)と巻末の発行者その他の記された部分だけでした。
確かに、犀角独歩さんが注目するように、発行者由井一乗となっていますが、編纂者は堀日亨となっています。
『諫暁八幡抄』巻末の「日道花押」は、御書全集でも隠蔽工作がなされていますので、最初に禁忌を犯したのが、堀日亨師である可能性は十分にありますね。
しかし今は手持ちの資料では、可能性以上の事は判らず、ご期待に沿えず申し訳なく存じます。
話は変わりますが、由井一乗「日蓮大聖人御真筆写真集」所載の日朗代筆『伯耆公御房御消息』が御書全集に収録されなかったのは面白いですね。
弘安五年という日蓮最晩年の時、日朗が日蓮の側にいて、日興は駿河の国という日蓮から離れたところにおり、日朗が日蓮の代理者として日興に消息文を送られているわけです。
消息の巻末には「日朗花押」と認められており、しかも内容は今で言う所謂「御秘符」に関するものですね。
御書全集の編纂姿勢には、いまさらながら特定意図が反映されていることを痛感しますね。
3300
:
パンナコッタ
:2007/05/05(土) 12:38:04
三八教は、御書システムの系年備考では、
「真蹟本状奥に「三月十六日」の日付があり、且つバン字形とおぼしき花押があるが、これは他筆である。
寺尾英智はこれを京都妙顕寺五世朗源の筆跡と推定している(「京都妙顕寺所蔵の日蓮真蹟」『仏教思想仏教史論集』418頁)。
『日明目録』『高祖遺文録』『縮刷遺文』『定本』『新定』は正嘉元年三月十六日とする。『対照録』は日付は他筆であるので採用せず、
系年は「文永六年、或謂文永八年」とする。文中爾前経の円と『法華経』の円との相違が示されており、これは文永六年に系けられる
番号81「十章抄」、同じく文永六年に系けられる「双紙要文」(『対照録』下巻164頁)と共通しており、『対照録』の文永六年を可とする」
となっていました。
3301
:
犀角独歩
:2007/05/05(土) 13:02:09
○独学徒さん、有り難うございます。
『日蓮聖人真蹟集成』第1巻の兜木正亨師の解説は以下です。
「2A、日蓮大聖人御真筆写真帖 1帖
編集者 堀日亨 発行元 大石寺大学寮 昭和6年650遠忌記念刊
(内容)大橋書・重須女房御返事・龍門御書・上野殿御返事・上野母尼御返事・筵三枚御書
2B、日蓮大聖人御真筆 2巻
編纂 大石寺学頭由井日乗 昭和14、5年頃刊
(内容)宝軽法重事・衆生身心御書・減劫御書(以上巻1)・諫暁八幡抄(巻2)」(1-277)
由井一乗は「由井日乗」の間違いでした。
どうやら、独学徒さんが御覧になった写真帖から10年足らずして、別刊された巻2に諫暁八幡抄が所載されたようです。
> 「日蓮大聖人御真筆写真集」所載の日朗代筆『伯耆公御房御消息』が御書全集に収録されなかった…編纂姿勢…特定意図が反映
兜木師の記述には、この書が触れられていませんが、所載されているわけですね。学会分離以降、刊行された石山版では載せていますね。
仰るとおり、この日蓮の許の日朗、その代筆が離れた日興に送られたという位置関係は興味深いですね。
わたしは、日興は、日朗、さらに日昭を兄弟子として尊敬し、敬愛していたと信じたいと思います。
○パンナコッタさん、有り難うございます。
文自体は真蹟ながら、花押は他筆。文永6年説は花押からではなく、内容から、ということですね。納得できました。
3302
:
独学徒
:2007/05/05(土) 13:42:35
犀角独歩さん、
由井日乗でしたか、とんだ勘違いをしていました。
大変に失礼致しました。
3303
:
犀角独歩
:2007/05/05(土) 13:43:21
独学徒さん、いやいや、これはわたしの間違いでした。
失礼いたしました。
3304
:
れん
:2007/05/05(土) 21:01:32
犀角独歩さん
まず三八教は本文は蓮師真蹟ですが、末尾の日付・署名花押はパンナコッタさんご指摘の資料にあるように、後世の加筆にかかるものです。ほぼ同じ筆跡の日付・署名花押が妙顕寺蔵の蓮師真蹟の“八宗違目抄”の末尾にもありますので、三八教・八宗違目抄のそれは、パンナコッタさん御提示の資料にあるとおり後の妙顕寺歴代による加筆ですね。
法華行者値難事の本門三法門の部分の読みに関しては、独歩さんの方が無難ですね。日尊門流(日蓮本宗)中興の広蔵日辰は「四菩薩の戒壇」と読みを付していますが…、これはどうでしょうか?私は「本門ノ本尊ト四菩薩、戒壇ト南無妙法蓮華経ノ五字」と本門三法門の上から読み下しますがこれは私見です。 以上、雑文ながらご参考まで。
3305
:
犀角独歩
:2007/05/05(土) 22:48:59
れんさん、有り難うございました。
まずは、ご賢察を拝聴し、考えも整理がつきました。
また、事後報告で恐縮ですが、ブログにコメントを頂きました件につき、愚案を記しました。引き続き、コメント等、頂戴できれば幸甚です。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50957981.html
3306
:
犀角独歩
:2007/05/06(日) 17:22:49
こちらでは、画像がアップできませんので、『三八教』の後加の日付と日蓮花押を、わたしのブログにアップしました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50963427.html
3307
:
独学徒
:2007/05/06(日) 19:07:25
犀角独歩さん、
ブログのご紹介恐縮です。
れんさんご指摘の『三八教』と同筆の後加文である、『八宗違目抄』巻末部分を談議所の方にアップしてみました。
http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/index.html
3308
:
しゅんかん
:2007/05/06(日) 22:03:27
顕正居士さん
ご教示有難うございます。
稚拙な文、申し訳ありませんでした。
一部=一部分なのか?とも思ってる附しが在りました。
一部=法華経二十八品とは理解していなかったのでした。
3309
:
再挑戦者
:2007/05/19(土) 18:56:38
、、横レスゴメンします。
先日、日蓮宗・重鎮の某寺院に参詣した。
ボランテアの案内人が居ました。 でも、 庶民を無視するような、殿様応接にウンザリしました。
門板には「、、久遠実成の教主釈尊を本尊とする、!!!」、、です。
諸賢様、、何か、、変では、、ないでしょうか、、??
日蓮宗には、日蓮真筆のご本尊が120数体記録されておるが、ナぜ、、「、、本尊、、として成立、」、、がなされていないのでしょうか、???
日蓮さまが「魂を墨に託して書きて、候、、ぞ、、」、、と言う、お言葉を、余りにも軽視、、無視、のようでしょうか、??
日蓮さんの「魂、」を理解不能な「オチコボレ、のような方方には、、」、、所詮は、「、???、、」、、でしょうか、、??
3310
:
犀角独歩
:2007/05/20(日) 07:37:33
> 久遠実成の教主釈尊を本尊
とは、教相の本尊でしょう。漫荼羅とは別です。
3311
:
アンジ
:2007/05/20(日) 11:52:52
ちょっと失礼します
再挑戦者さん
人に読んでもらい、意見を求める文章ならきちんと書くことをお勧めします
内容云々ではなく、読みづらいです
3312
:
れん
:2007/05/20(日) 17:08:15
再挑戦者さん
犀角独歩さんが述べておられるように、本門(教相・色法)本尊は寿量品に説かれた久遠実成の釈尊であることは、蓮師が報恩抄で明記されるところであり、また富士門流の祖師である興師も「南無妙法蓮華経の教主釈尊・久遠実成の如来」(原殿書)とお題目の教主を久遠実成の釈尊と示されており、この点特に異とするところはありません。初期富士門・特に目師門弟の著述に引用される蓮師記述とされる“三法妙の図”を読みますと仏法妙(本門、仏法妙を能開とし、衆生法妙・心法妙を所開とする)に対応するのは“寿量品の釈迦仏”(宝軽法重事)であり、心法妙(観心、心法妙を能開とし、衆生法妙・仏法妙を所開とする)に対応する蓮師の遺物は御筆漫荼羅であると愚考しますので、敢えて記すなら久遠実成の釈尊の色法(仏像)が本門本尊(教相)であり、心法(題目)が観心本尊に相当するのではないでしょうか?初期富士門では広宣流布・国主帰依を待って本門本尊(久遠実成の釈尊の仏像)を造立し、それまでは観心本尊(敢えて飛躍的に言えば御筆漫荼羅?)のみを安置するという意見だったと思いますが、いつまでたっても広宣流布の兆しがないこと、かつ御影信仰の興隆と室町期の中古天台の教学・慶林日隆師の教学の摂取により、末法の教主を日蓮とみなすに至り、御影本尊観から日蓮本仏観に進んだのが富士の本尊観の変遷と思います。
3313
:
マハー
:2007/05/21(月) 20:21:25
先日、日寛の題目抄文段を読んで、日寛が釈尊実子三人説を採用していたのには驚きました。
報恩抄を読むと日蓮が釈迦の実子三人説に否定的なのが覗えます。
では日寛は実子三人説をどこから引っ張ったのか?
最澄の血脈系譜からか、はたまた慈恩大師の玄讃からか・・・
日寛の「中古天台の影響」をふと感じた一文でした。
3314
:
再挑戦者
:2007/05/26(土) 18:20:25
3311,アンジさま、失礼しました、今後はその方向に向けて自助努力したい所存です。
3312、れん様、3310、独歩さま、ご指導のほど痛く感涙します。
>、、,、広布の兆し、、云々、、<
これには、グサリと、説得力999%を超えるかと、存じます、。
只、当時、鎌倉時代の識字率、紙の生産量、郵便率、など、から勘案しますと、「、日蓮さまの意図する事柄の何%、が信者諸賢にに正確に伝達されたか、?」、と言う、更なる疑問を感じます次第です。
3315
:
再挑戦者
:2007/05/29(火) 20:44:19
、、ゴメン下さい。
諸賢方のご意見・御主張、などは、「、、現職・僧侶サイドからのご意見、?、」、、が多くを占有?していますよようですか、?
然るに、小生は「、、ロクニ背景も考慮もせずに?、信者サイドからの思い??、」を、? 発言させて戴きました、。 此処において、多種の食い違いと、読みズラさ、?、、が、存在したようでしょうか、?失礼しました、。 疑問は継続中ですが、、 早々、。
3316
:
再挑戦者
:2007/05/30(水) 22:01:46
、、ドーモ、、です。
昨今、「ササニシキ偽造で七名逮捕(読売新聞)」、のニュースがありました。 たかが「米、、!!」、、「、されどコメ、、??」、、でしょうか、?
只、我らは、笑っては、? 済まされないでしょう、? 是と、同じ「根っこを源流とする、、ニセ・ササニシキ、、問題
、?」、、に関連するようでしょうか、、?
寄ってたかって、、「、、日蓮さまの魂を、ニセモノへと誘導したパターンと相似形が、、?、」、懸念、、されますでしょうか、?
3317
:
れん
:2007/06/05(火) 06:25:03
再挑戦者さん
少なくとも、私の投稿内容に関しては、私のこれまでの見聞したことや文献調査等に基づき、自分の見解を書いておりまして、他の方(たとえば高僧など)の影響など受けてのものではありません。そこのところ、ご理解戴ければ幸甚です。
3318
:
マターリ
:2007/06/05(火) 21:27:22
日蓮聖人の文章について解釈に悩んでいます。教えていただきたく、宜しく
お願い致します。
秋元御書↓
是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此を害するは第一の功徳と説き
給う也。
治部房御返事↓
例せば父母を殺す人は何なる大善根をなせども天・是を受け給う事なし、
又、法華経のかたきとなる人をば、父母なれども殺しぬれば大罪還って
大善根となり候。
この文章の、「害す・殺す」というのを、そのまま受け取ると、とんでもない
ことになりますが、どう考えたら宜しいでしょうか?
3319
:
問答迷人
:2007/06/05(火) 21:59:44
マターリさん
ご参加有難うございます。
秋元御書、治部房御返事、いずれも真蹟遺文が有りません。これら、真蹟の無い御書をどう考えるか、難しいところです。
もし、これらが、蓮祖の文章そのままだとすれば、バリバリのポァ思想ですね。涅槃経の中に、仏教の教えでないものが紛れ込んでいると聞いていますが、これはその代表格だと思います。オーム真理教の麻原教祖の教えと同じですね。涅槃経に書かれているからといって、蓮祖がそれをそのまま踏襲したとは、僕は考えにくいのですが、仏教に有らざる考え方であり、排斥されるべきものと考えています。
3320
:
マターリ
:2007/06/05(火) 23:23:49
>問答迷人さん、教えていただき、ありがとうございます。
真蹟遺文が無いとすると、その先の解釈が難しくなりますね。
ところで撰時抄は、真蹟遺文なのでしょうか?↓
建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔を
ばやきはらいて彼等が首を由比の浜にて切らずば日本国必ず滅ぶべしと申し
候了んぬ。
3321
:
犀角独歩
:2007/06/06(水) 00:34:12
マタリーさん、はじめまして。
まあ、こう書いては語弊があるかも知れませんが、日蓮とはそんな人と、わたしは考えています。日蓮を自由平等、民主主義、平和の使者、非暴力の代名詞みたいに評価するのは、およそ、現実からかけ離れています。
折伏を殺の義という天台釈を採った日蓮ですから、法華不信者を殺すことを是とするのが日蓮の為政観だということですね。
ただし、日蓮が言う、折伏・摂受とは、今で言えば、刑罰と更生のようなものであると、わたしは考えています。涅槃経は、中国でまとまっていた経典ですが、いまで法律と仏教を併せ持った性質を有しています。つまり、為政者にとっては法律法典で、為政者は国を統治するために刑罰を以てせざるを得ずそれを意味したのが折伏っです。出家にとっては仏典です。出家は如何なる悪人も仏の前に救うことを前提にしますから摂受となります。今で言えば、死刑囚の最期に聖職者の教誨があるごとくです。救えるのであれば更生もあるでしょう。そして、この二つが一致することを祭政一致、王仏冥合となるわけでしょう。
このような関係を日蓮は『本尊抄』に「当知此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王 行摂受時成僧弘持正法」と言ったのでしょう。
要するに、日蓮がいった折伏=殺とは、為政者の権限範囲とした刑罰、いまでいう死刑執行の権限を示したことであると、真蹟遺文を精査すれば読めます。
ただし、現在の死刑執行に値する罪状は、複数に及ぶ殺人罪等ですが、日蓮が言う殺人に匹敵する罪状は「法華誹謗」という仏法違背であるという点で、「ポア」と重なる点があるのでしょう。しかも、その系譜は、日蓮から天台、涅槃経に遡れ、チベット仏教とも同等の意義を有していると言うことでしょう。
この事実を厳正にとらえ、「取捨得宜不可一向等」という釈に依ろうというのが、わたしが記してきたことでした。
3322
:
れん
:2007/06/06(水) 00:55:22
マターリさん、初めまして。
秋元書については、弘安三年あるいは四年に係る真蹟遺文“慈覚大師事”に「法門の事は、秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少々注して候。御覧有るべく候」とあり、その存在を確認できますから、後世の作品とは言い切れない部分があります。また撰時抄はほぼ全文真蹟が現存する遺文です。
日蓮聖人といえども、前近代の中世・鎌倉時代に生まれ生きた御方であり、鎌倉時代当時の日本の仏教学の常識のうえからネハン経のポア思想を受容していた一面も有していたことは認めざるを得ないでしょう。
ただ私が敢えて鎌倉時代とことわったように、蓮祖のそれは一切衆生の得道を思っての発言であって、遺文を委細に読めば解る通り、蓮祖は犯罪行為としての殺人思想を肯定していた訳ではもちろんありません。蓮祖のそれは、あくまで、その執行者は本化国主に限定されるものでしたでしょう。ご自身はあくまで聖僧として不軽菩薩の立行に徹していたのが事実です。
先に記したように、鎌倉時代という時代背景から蓮祖の中にはネハン経の負の部分を受容した事実があるが、現代の視点と常識から、勿論この部分の思想は理由の如何に関わらず全否定・捨て去るのは当然で、この点、門下は蓮師の露払いをするのは当然のことですね。
3323
:
パンナコッタ
:2007/06/06(水) 14:19:08
撰時抄なら、ご参考に。
http://www.city.mishima.shizuoka.jp/kakukaHP_system_kanrika/amenity/bunka/myohokkeji/myouhokkejibunka.htm
3324
:
マターリ
:2007/06/06(水) 18:21:09
>犀角独歩さん、れんさん、教えていただき、ありがとうございます。
偉大な仏教者なので、深い意味があるかとも思いましたが、ポア思想と重な
る部分がある、ということで、心がかえってすっきりとしました。
日蓮聖人も人間ですから間違いもあると思います。また、末法思想が流行し
た鎌倉時代にあっては、殺人ということが当たり前だったように思います。
秋元御書では、仙予国王が五百人の法師を殺し、阿育大王が十万八千の外道
を殺したと書いてあります。そして二人を褒め称えています。
しかし、二人と併記して覚得比丘が無量の謗法の者を殺したと書いてあり、
持戒第一の智者と誉め称えています。比丘とは出家した男子ですから、僧
が謗法の者を殺しても構わないという考え方ではないかと思えますが、
どのように考えたら宜しいのでしょうか?
れんさんが、おっしゃるような「その執行者は本化国主に限定」ではなく、
僧も執行して良いように受け取れます。秋元御書が真蹟だとすれば、
ですが。
>パンナコッタさん、絵曼荼羅には、びっくり仰天しました。
3325
:
犀角独歩
:2007/06/06(水) 19:37:50
マターリさん
厳正な判断をしようとするのであれば、それまでの信仰や、関係してきたグループと知り合いに、いやまして、日蓮その人に遠慮も出ようと言うのも人情ですが、それがかえって事実を正視することを歪めます。
わたしは、あなたのご判断は、資料からすれば当然の帰結だと思います。
半世紀前、世界最終戦争、聖戦だという日蓮門下の戦争翼賛論は、以上の脈絡から出た事実を、厳正に受け止め反省しなければならないでしょう。
いまだ折伏正意だという人々は、あなたが正視した文献を度外視して、日蓮を言論折伏の人に仕立て上げて是としようとしています。いまだに、そんな論理が尊ばれています。折伏 … 折り伏せるんだそうです。こんな言葉を使って、何とも感じない知性の鈍化、わたしは、このような態度を欺瞞であると思うのです。
「日蓮聖人が、そう仰っている」と嘯きます。ならば、法華誹謗の者の頚でも刎ねて歩ければいいのです。折伏正意をいいながら、後世の捏造に過ぎない彫刻を批判するわけもなく、摂受よろしく遊戯雑談をする自語相違の有様は、もはや、なに折伏なのかと、刎ねられないこの頚を傾げるばかりです。
なお、断罪執行者は『本尊抄』から離れれば、本化国主に限ることではないのは、涅槃経の規模からすれば、そのとおりであろうと、わたしも思います。
3326
:
マターリ
:2007/06/06(水) 22:03:14
>犀角独歩さん、レスありがとうございます。
王仏冥合とは法華経を国教化し、謗法の者にたいしては折伏し、死刑を前提
にして、改宗を迫ると考えて宜しいのでしょうか?折伏には殺の義があるん
ですね。私は、折伏というものを、軽く考え過ぎていました。
しかし、こうした国教化は、全体主義と同じような恐ろしい体制だと思いま
す。
太平洋戦争の発端は、2.26事件にあると考えていましたが、この事件に、
田中智学の国柱会が思想的に影響を与えたようですね。
また、太平洋戦争前のスローガン「八紘一宇」は、日蓮を中心にして「日本
國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」ということですから、
恐ろしいことです。
日蓮仏法を突き詰めていくと、こうした思想になっていくのは必然なので
しょうか?
また、満州事変の立役者は石原莞爾だったと思いますが、彼も国柱会の一員
なので、世界最終戦争の思想的背景には、日蓮仏法があると思います。
石原莞爾が満州に手を出さなければ、満州事変は起こらなかったと思います。
満州事変が起こらなければ、後の上海事変・日中戦争そして太平洋戦争も、
起こらなかった可能性もあり、彼の責任は重大だと思います。
3327
:
青蓮
:2007/06/07(木) 00:39:32
マターリさんはじめまして。私は王法=政治や権威権力ではないと思っています。何故かならば日蓮聖人は時の権力者に対してわずかな島の小主とも言われており、政治や権力だけを聖人が王法と捉らえていたならばそんな大切な王法をわずかな島の小主とは言われないでしょう。わずかな島の権威権力を仏法と肩を並べさせて何の意味があるでしょうか?その答えは法を下げるだけです。故に政治という狭い枠だけではなく社会のあらゆる生活(教育、経済その他の学問や職業を含めた広い意味を持つ)を指して王法と言われているのだと私は感じています。王仏冥合を政教一致のような方向に捉らえてしまうのは院政期ごろに見られる時の権力者の考え方と同じで、聖人の言う王法はもっと広い意味での考え方であると私は思います。
3328
:
犀角独歩
:2007/06/07(木) 07:46:20
マターリさん
ご投稿の歴史観は、ほぼそのとおりであろうと思います。
そのことを忘れて、折伏、本化、国主、国立戒壇などを軽々に口にせず、歴史的な反省を踏まえたうえで、未来を目指すのであれば、再構築かが必要なのだと考えます。
日蓮の思想を煎じ詰めていくと、必然的に戦前のようになるのかという問いですか。さて、この点はどうでしょうか。
戦後の創価学会の歩みは、いわば、国柱会の軍隊セッションを、折伏大闘争という民衆運動へ転化し、そこでは、原水爆反対、平和憲法擁護を中心に据えてきました。ところが、ここに来て、民衆主体から、自民党の連合から大資本主体へ傾き、いきおい、平和憲法擁護も揺らぎ、自衛隊の軍事強化から軍隊化へ、軍需産業による利権という方向性で、民衆と平和から乖離していっています。
ここでもし、日蓮を据えた「平和」を言うのであれば、つまるところ、戦前の悪夢に逆行するでしょう。この創価学会の変貌の原因を、日蓮の考えによると見るかは、意見の分かれるところでしょうか。
青蓮さん
3327のご投稿は、日蓮の王法二文論が考慮されていませんね。
日蓮にとって、王は正法護持と不信に二分立されているのであって、前者の場合、『本尊抄』に「此四菩薩現折伏時成賢王誡責愚王」という四菩薩としてとらえ、いっぽう後者の場合、ご引用の根拠となる所謂釈尊御領観による『法門可被申様之事』の「日本秋津嶋は四州の輪王の所従にも及ばず、但嶋の長なるべし」という一節と現るのでしょう。
正法護持の四菩薩応現・賢王は、御領主釈尊からの使いであるのに対して、不信の「嶋の長」とは違います。
この両者を、国王として束ねて同じカテゴライズをしないのが日蓮の発想です。国王に判断肢があるのではなく、法華護持の信不信に基準があるからです。
正法護持において執政する王仏冥合国家を考えた日蓮における国王観は、現代語で言えば、間違いなく「政治権力」でしょう。
では、ここで、マターリさんと青蓮さんが取り上げられた国王という一点に就き、戦前日本の日蓮門下における国王観を、いまいちど見直してみるとき、この天皇は正法護持の法華を以て立正安国を目指したわけではありませんでした。しかし、これをもって本化国主として、極論においては天皇本尊論まで鼓舞されたわけです。つまり、不信の但嶋の長を採って、正法護持の賢王のように扱ったという点が指摘できます。わたしは、この戦前の有様は、『本尊抄』の道筋から言えば、甚だ不可であると考えます。
では、さらに天皇が法華護持を正法流宣の仁となったモデルを考えてみます。ここでは、れんさんが「執行者は本化国主に限定」という道筋から考えられます。日蓮は武力行使、この本化国王の武力行使を肯定していたかどうか。それは、上述書にも、「日本一州上下万人一人もなく謗法なれば、大梵天王・帝桓並天照大神等隣国の聖人に仰つけられて謗法をためさんとせらるゝか」などと、記すわけですから、武力による「正法」弘宣を、日蓮はまったく受容していることがわかります。
以上、日蓮のおける国王の規模でしょう。
3329
:
犀角独歩
:2007/06/07(木) 07:47:59
【3328の訂正】
誤)日蓮の王法二文論
正)日蓮の王法二分論
3330
:
青蓮
:2007/06/07(木) 09:50:21
独歩さん
独歩さんの御見識毎回の如く勉強になります。個人的には鎌倉時代と現代社会という時代的な変遷を考慮してから現代にそぐわない鎌倉時代においては常識であったであろうと思われる日蓮原理主義的なものは現代ではどのように考えるべきかと展開していくのがむしろ宗祖の心に叶うものであろうと考えているのですがまだまだ無知である故に勉強不足な点のある事をお許し下さい。
3331
:
マターリ
:2007/06/07(木) 18:30:55
>青蓮さん、初めまして、宜しくお願い致します。
>犀角独歩さん、教えていただき、ありがとうございます。日蓮聖人の
王仏冥合論と、それに対する国柱会と創価学会の歩みが、よくわかり
ました。ありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します。
3332
:
犀角独歩
:2007/06/07(木) 18:37:37
青蓮さん
返レス、有り難うございます。
わたしたちが、真摯に日蓮の実像を考えようとするとき、日蓮を信仰する各集団、各個人の思惑が、その正視を妨げます。それぞれの信仰者が懐く日蓮のイメージは、願望によってデフォルメされ、時に歪んでいます。
わたしの3327のご投稿を拝見して、目についたのは「法を下げる」という一言です。この奇妙な(と敢えて言いましょう)表現は、創価学会とその周辺の得意な用法の一つですね。
たとえば、以下、livedoor で検索してみました。
http://search.livedoor.com/search/?k=search&ie=utf8&flag=1&q=%E6%B3%95%E3%82%92%E4%B8%8B%E3%81%92%E3%82%8B
一瞥してわかりとおり、ヒットするのは創価学会関連です。つまり、他の日門下、仏教一般で、こんな用法はないということです。
つまり、この考え方は日蓮に遡源できません。日蓮に遡源できない用法で、日蓮の素意を探ることを、わたしはナンセンスであると考えます。もっといえば、日蓮の思惟から程遠いと言うことでもあります。
自分が記したこと、考え方、遣り方は何の影響か、そのゲタを外してから、「さて、日蓮は」と正視しない限り、日蓮だと思うのは、後の信仰者が思惑で揺らめかせた陽炎を、実像であると延々と勘違いする砂漠を彷徨することになります。
もちろん、日蓮を信仰から眺めることは各人の勝手ですが、しかし、それぞれの思惑を押しつけられる筋合いはありません。真の日蓮に会いたいと思えば、まずは、自分が過去に見聞し、以上のような思惑に満ちて語られ染みついてしまった固定観念を打ち砕くところから始める必要があります。
わたしは常に自問するのは「何で、このように考えてきたのだろうか」ということです。その影響を去って自力で考える。そこで見える日蓮、また、日興は、自分の信仰対象としての日蓮と乖離してしまうことはしばしばです。しかし、わたしは正視をやめません。信仰者の執着に遠慮会釈もいたしません。
なぜならば、わたしが知りたいの実像の日蓮だからです。
3333
:
マターリ
:2007/06/07(木) 18:55:33
>犀角独歩さん、私は創価学会・非活動家とはいえ、毎日、曼荼羅御本尊
様に手を合わせています。物心つくかつかないうちから、ずっと御給仕
と唱題をしていますので、日蓮聖人に対する信仰が、しみついています。
日蓮聖人の負の部分を知ってしまった現在、どのように御本尊様に向かっ
たら良いのか、悩むようになりました。なかなか題目があがらず、信仰が
薄らいできたように思います。
学会にはもちろん、親にさえも話せない内容ですので、ご指導のほど、宜し
くお願い致します。折伏=殺と、親が聞いたら、即座に信仰をやめそうな気
がして怖いです。
どのような気持ち・姿勢で、御本尊様に唱題すれば宜しいのでしょうか?
3334
:
犀角独歩
:2007/06/07(木) 21:35:26
マターリさん、こんばんは。
まず、ご指導などとおこがましいことはできません。これは前提として、ご理解ください。
こちらの過去ログをどれほど、お読みになりましたか。
わたしが、ずっと記してきたことは、この「本尊」についてもあります。
そもそも、「本尊」語は、天台の用法にはまったく見られません。
顕正居士さんとの議論では、真言密教の用語とのことでした。つまり、その影響が法華天台に及び定着し、日蓮も依用したということでしょう。
日蓮が本尊というのは、寿量仏、つまり、教相から考えれば、法華経から考えられる久遠五百塵点成道の釈迦牟尼仏、観心から考えれば「我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏」。そして、『本尊問答抄』が真筆であれば「法華経の題目」でしょう。漫荼羅を本尊というのは、もはや例外に属します。
そのことから、わたしは、漫荼羅を本尊であるとは考えていません。
ただし、日興は漫荼羅を本尊といっています。この日興の考えに、わたしは、消極的です。わたしの日興嫌いは、こんな側面にもあります。
もっともいえば、本尊を策定する日蓮の発想には、仏法・仏教という見地からは、やや賛成しかねます。漫荼羅は、密教の影響としての漫荼羅であり、日蓮は、これを弟子檀那の允可証として活用したというのが、わたしの見解です。
以上の次第ですから、仏道修行において、ことさら、本尊と唱題を絶対視する必要性をわたしは感じていません。ただし、それを活用することを否定するということでもありません。もっと言えば、仏道修行において、信を絶対必須条件などと考えることもありません。以上がわたしの見解です。
この次第から、では、マターリさんの質問を摺り合わせてみてください。
何が違っていると思われますか?
3335
:
マターリ
:2007/06/07(木) 22:07:26
>犀角独歩さん、申し訳ありません、過去ログはまだ、ほとんど読んでおり
ません。初めてこの掲示板を拝見したのが、今週の月曜日ですので。
本尊に関する過去ログを、よく拝見してから、再びお伺いしたいと思います。
ありがとうございました。
3336
:
マハー
:2007/06/09(土) 16:08:35
>>3333
マターリさん
>日蓮聖人の負の部分を知ってしまった現在、どのように御本尊様に向かっ
>たら良いのか、悩むようになりました。
門外の私が日蓮を庇うつもりではありませんが・・・
秋元御書の
「是くの如き重戒なれども法華経の敵に成れば此を害するは第一の功徳と説き
給う也。」を、<ポア思想>と位置付けるのは拡大解釈かも知れませんよ。
(オウム事件から広く知られるようになった「ポア」は多義に及ぶので、一応私のこの投稿においては、「殺人奨励」程度の意味で使用します。)
「第一の功徳と説き給う也、況や供養を可展哉」と続きますね。
秋元殿は上級武家でしょう。何かしらの殺害と隣り合わせの立場です。
日蓮のこの引用は涅槃経からとのことらしいが、当然ですが、涅槃経に「法華経を誹謗する人」と出てくるわけではありません。
曇無讖訳の、大般涅槃経第十二では
我於爾時心重大乗。
聞婆羅門誹謗方等。
聞已即時絶其命根。
法華経ではなく大乗経典と出てくるわけです。
私は、日蓮が「害することが第一の功徳」ではなく「大乗の中で法華経が第一」との日蓮お得意の意に読みます。確かに、法華経が第一なのだから功徳も第一となるのでしょうが、ここでいう功徳とは、「地獄に落ちない功徳」です。(ややこしい書き方ですみません)
これは次に「以是因緣従是已来不墮地獄」とありますからね。
また地獄に落ちないのは、「害する方」ですね。「殺される側」ではありません。この辺が「ポア=殺人奨励」とはやや違うところだと思います。
私は、例え多くの戒律を護ったとしても法華経を誹謗すれば堕地獄であり、また、多くの戒を破ったとしても、「況や供養を可展哉」と、この手紙の文意と読みました。
横言失礼致しました
3337
:
マハー
:2007/06/09(土) 16:18:57
訂正
以是因・従是已来不墮地獄
↓
以是因縁従是已来不墮地獄
3338
:
犀角独歩
:2007/06/09(土) 18:24:26
マハーさん
ここのところの議論は『秋元御書』から事及んでいますが、日蓮の“殺”もしくは“折伏”については、まず『開目抄』から見るべきでしょう。つまり、
若有更為当断其首 如是等文 並是折伏破法之人
また、
止観云 夫仏両説 一摂・二折 如安楽行不称長短是摂義。大経執持刀杖乃至斬首是折義
ここでいう大経とは涅槃経ですね。両引用とも首を刎ねることを言っていますよ。また、これらの引用は功徳との対比で述べられるわけではなく、台学の五時判において法華・涅槃と束ねた見地を前提にしています。そのために、涅槃経の文は涅槃経を指すところ、法華経を指すことに転換されるレトリックを有します。この点を、わたしは過去に指摘し、法華・涅槃を束ねることに反対し、涅槃経を簡ぶことを述べました。
曽存ながら『光日房御書』には
念仏を、無間の業と申、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の邪法、念仏者・禅宗・律僧等が寺をばやきはらひ、念仏者どもが頚をはねらるべしと申上、故最明寺・極楽寺の両入道殿を阿鼻地獄に堕給たりと申ほどの大禍ある身なり
とまで記しているわけです。マターリさんの解読に別段間違いはありません。
ただし、わたしがマターリさんに記したことは、この解読についてではなく、本尊への勤行ということにつき、「本尊」義についてです。天台文献には、「本尊」語の用法がないこと、また、日蓮の教説から、漫荼羅を本尊とすることは例外に属すること、もっといえば、そもそも印刷複写漫荼羅が本尊といえるのか、さらにいえば、いま、行われている勤行が日蓮の言う勤行といえるのかという問題もあります。これら一切合切を、この段階で、マターリさんは再考され、そして、一体、何が残るのかを考えてみたらどうかというのが、わたしが記したことです。
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