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素朴な疑問
3312
:
れん
:2007/05/20(日) 17:08:15
再挑戦者さん
犀角独歩さんが述べておられるように、本門(教相・色法)本尊は寿量品に説かれた久遠実成の釈尊であることは、蓮師が報恩抄で明記されるところであり、また富士門流の祖師である興師も「南無妙法蓮華経の教主釈尊・久遠実成の如来」(原殿書)とお題目の教主を久遠実成の釈尊と示されており、この点特に異とするところはありません。初期富士門・特に目師門弟の著述に引用される蓮師記述とされる“三法妙の図”を読みますと仏法妙(本門、仏法妙を能開とし、衆生法妙・心法妙を所開とする)に対応するのは“寿量品の釈迦仏”(宝軽法重事)であり、心法妙(観心、心法妙を能開とし、衆生法妙・仏法妙を所開とする)に対応する蓮師の遺物は御筆漫荼羅であると愚考しますので、敢えて記すなら久遠実成の釈尊の色法(仏像)が本門本尊(教相)であり、心法(題目)が観心本尊に相当するのではないでしょうか?初期富士門では広宣流布・国主帰依を待って本門本尊(久遠実成の釈尊の仏像)を造立し、それまでは観心本尊(敢えて飛躍的に言えば御筆漫荼羅?)のみを安置するという意見だったと思いますが、いつまでたっても広宣流布の兆しがないこと、かつ御影信仰の興隆と室町期の中古天台の教学・慶林日隆師の教学の摂取により、末法の教主を日蓮とみなすに至り、御影本尊観から日蓮本仏観に進んだのが富士の本尊観の変遷と思います。
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