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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

1473晃司:2004/07/13(火) 10:34
問答迷人さんが富士門ネットのあり方の全面改変と宣言されましたので
この富士門自体が改変されるのではないでしょうか、画期的な改変が楽しみです

独歩さん、レスありがとうございます
御本尊さんを戒壇と曼陀羅とに分けたと致してもまだ分けたらずと思うのですが
それは形あるものと形ないものという分け方なんです
例えば重要文化財並びに仏像がもし焼失した場合
信者さんは困ります、でも魂があるから新しい物を作り魂を入れれば同じであるという発想はいかがかとも思うのです
同じように考えますと
形あるもの戒壇並びに曼陀羅が焼失したらどうでしょうか
新しいものを作ってしまうのでしょうか

私のHPの演題に胸中の肉団・・・という御書の一節を引用していますが
それが真跡かどうかは別にしまして
我が胸中の肉団に生わしているというこれが重要かと思い引用しています
http://www.geocities.jp/kouji_s36/(これがそうです)

この興味深いであろうとされた質問が活気満ちますよう希望いたしたいと思います

現実に今在るものは在る内は活用させていただけば良いと思います
しかし無くなって嘆く前に無くても嘆かない意識作りも大切であると考えています

1474犀角独歩:2004/07/13(火) 10:57

1473 晃司さん:

ちょっとわからないんですが、HPをほんとにざっと見ただけなのですが、スピリチュアリズムとか、生命主義とかから、水を販売している人なんですか?

1475晃司:2004/07/13(火) 11:18
えっと水の販売はしていません
水はプラシーボ効果を引用するために記載しています
現実にアトピー性皮膚炎が治りました

スピリチュアルはニューエイジ思想の内なる対話という引用です

私は生まれてから今まで学会員一筋です
今は幽霊会員となっております、
学会内でもこの話をしていくので嫌われているようです
今では誰も話しかけてこないな、私が話し出すと長いから

1476空き缶:2004/07/13(火) 15:04

 横レスです。

 日女抄にも真偽の問題があるとする理由は、①真筆あるいはそれに順ずる直弟子写本等も不伝であること。②遺文中に中古天台本覚法門「修禅寺決」と同意の内容がある等でしょうか。
 
 日蓮宗系では、本覚思想自体が日蓮の思想ではないと思っているようです。
 また、昭和定本日蓮聖人遺文にて続編に入っている「十八円満抄」などは、修禅寺決の十八円満法門をそっくりそのまま写した形になっています。
 飯高談林等の日蓮系談林の多くで、天台本覚法門が摂取され、数多くの偽書が誕生したのでしょうが、この「修禅寺決」の日蓮門下における位置は相当なものだったのでしょうか。

1477晃司:2004/07/13(火) 15:29
戒壇が本物かどうか、書き物が真跡かどうか、あるいは故意に偽書云々と疑うよりも

形在るかないを問うことはいかがでしょうか
真実の戒壇であっても本物のお手紙であっても焼失すれば「無い」ということになるはずです
ということでこの問題提起となりました
何故本門戒壇なんでしょうか、題目である大御本尊様への帰一ではないのですか

1478大宮:2004/07/13(火) 16:11

>何故本門戒壇なんでしょうか、題目である大御本尊

??? 戒壇は戒壇、題目は題目、本尊は本尊じゃないの

1479晃司:2004/07/13(火) 16:17
>>1478
1468番で提案させていただきました
富士門流のホームページの趣旨が
本門戒壇大御本尊様への帰一を目指す、団体を超えた信徒のネットワークです。
この説明に対して下記のように質問しました

どうも完全なる納得ができません
何故本門戒壇なんでしょうか、題目である大御本尊様への帰一ではないのですか
戒壇と本尊とは形在る存在です、題目は形がありません
形在るものはいつかは壊れる、壊れるものに執着し所有することは悲しい
私はそう思うのです
再び、何故本門戒壇なんでしょうか、題目である大御本尊様への帰一ではないのですか

ここで戒壇は戒壇、題目は題目、本尊は本尊ですが
形在る存在と形無い存在にわけることで質問をさせていただいております

1480大宮:2004/07/13(火) 16:46
題目である大御本尊様って、なに?

1481晃司:2004/07/13(火) 16:54
口で唱える「南無妙法蓮華経」のことです(ないもの)
目で見る場合は曼陀羅のように書いてあるものとなります(あるもの)

1482大宮:2004/07/13(火) 17:06
何で形がない題目が戒壇なわけ? why

1483大宮:2004/07/13(火) 17:09
あ、そうか、そう書いているんじゃなくて
形がない題目が本尊?
なんで、そんなことがいえるわけ?

1484大宮:2004/07/13(火) 17:10
形って、目で見えるか見えないかの区別?

1485大宮:2004/07/13(火) 17:15
>何故本門戒壇なんでしょうか

そりゃ、戒壇の大ご本尊さまにそう書いてあるからだよね

1486大宮:2004/07/13(火) 17:17
なんで、形があるものとないものに分けなきゃあかんの?
いちおう、ここまでで一区切り、答え待ち

1487空き缶:2004/07/13(火) 17:34

晃司さん、貴方の主張はずっと以前より正信会にて主張されている内容です。

菅野憲道師の『正信覚醒運動のめざすもの』では、ほぼ同じ主張がなされています。

創価学会よりも、正信会の方が貴方向きの思想かもしれませんね。

いずれにしましても、最近の創価学会や日蓮正宗宗門では、かつて正信会や日蓮宗が主張していたことを、さも新しげに主張するケースが目立っているようです。
私も日蓮宗や正信会の書籍を手にするたびに、目から鱗が落ちる思いです。

1488大宮:2004/07/13(火) 17:38
つぶやきね、題目って大聖人さまのお言葉を借りれば法華題目=妙法蓮華経の五字
この五字って漢字で書いた五文字ってことでしょう。
声に出して唱えるのが唱題(唱法華題目)
だから唱えた声が本尊じゃなくて、書かれた五文字が本尊なんじゃないの??

1489晃司:2004/07/13(火) 17:46
まとめていいですか
形があるのは戒壇と本尊です、形がないのは題目です
形とは目に見えるではなくて実際に有るという存在です
何故戒壇の御本尊かという質問はですね私が質問をしている質問です
戒壇に書いてあるから戒壇の御本尊であるというそういう質問ではありません

形があるものないものにわけるのは
形云々ではなくて題目である大御本尊様への帰一ではないのですかという質問なんですが

1490晃司:2004/07/13(火) 17:49
>>1487
そうですか、私は正信会という思想は知りません
でも形在るものはいつかは壊れる、壊れるものに執着したり所有したりせず
手放し調和を目指すって主張されているのですか?

1491晃司:2004/07/13(火) 17:52
>>1488
ですから形在るものと形無いものとに分けました
声に出す南無妙法蓮華経とは声ですから字自体がないと思うでしょ
でもね、イメージとして唱えています、つまり声(ないもの)で南無妙法蓮華経という
その全体をイメージとして声に出しています

1492大宮:2004/07/13(火) 17:55
あれ、そうなの。そんなこと言ってたボンさん、おった?
己心の妙法(蓮華経)とかいうのは、聞いたことあるけど
声に出さないと本尊ならんていうのは…声仏事をなす!
でも「声仏事を為す之を名けて経と為すと、或は三世常恒なるを経と云うなり」
だよね、声は本尊じゃなくて、経でしょ

1493大宮:2004/07/13(火) 17:57
声ってさ、出した瞬間に消えてなくなっちゃう
形あるものが壊れるよりもっともろいじゃん

で、なんで声だと調和するの なに言ってるかわからん?
説明してください

1494大宮:2004/07/13(火) 18:03
>>題目である大御本尊様って、なに?
>口で唱える「南無妙法蓮華経」

こんなこと、どこで大聖人さまが言ってるの?
なんか聾唖者差別みたいでやな展開
自分の思い込みで言われてもなあ

1495空き缶:2004/07/13(火) 18:04

 晃司さん>1487は、日蓮正宗宗門がかつて正信会の教義を皮肉って「本尊=目には見えないもの」と書いたことがあります。

 菅野師の主張がそのまま、晃司さんのお考えとは申しませんが、もし晃司さんが日蓮を信仰される方でしたら、きっと学ぶべきところのある論文であろうと思います。

1496大宮:2004/07/13(火) 18:07
「口で唱える南無妙法蓮華経が大御本尊様」と晃司さんが思うのは、
どうぞご自由にってとこだけど、それと富士門流のホームページの趣旨と
ぜんぜん関係ないもんなぁ
というより大聖人様の教えとも関係ないよね

1497晃司:2004/07/13(火) 18:12
どうも話が私の質問したいこととそれているように思います
私は1469番の問答迷人さんの
富士門ネットのあり方の全面改変を然るべき時期に実施したいと思っております
と仰ってくれていますのでそれを待つことにします

1498大宮:2004/07/13(火) 18:15
「それている」たってねぇ … …
問答迷人さんの富士門流のホームページの趣旨の全面改変て
「口で唱える南無妙法蓮華経が大御本尊様」への帰一!?
うそだあ

1499晃司:2004/07/13(火) 18:56
>>1498
>口で唱える南無妙法蓮華経が大御本尊様への帰一

これは違うと思いますよ
それから聾唖者さんに対する題目ですが
題目とは意識ですからね単なる声で処理は出来ません
イメージとして声に出すと申しているように
声が出ない、目が見えない、耳が聞こえない
でも声となるのですよ

では改変が画期的なものと信じてお待ちしています

1500大宮:2004/07/13(火) 19:35
>1479 題目である大御本尊様への帰一
>1481 口で唱える「南無妙法蓮華経」
ていうから、「口で唱える南無妙法蓮華経が大御本尊様」
と言ったわけさ、そしたら、
>1499 これは違うと思いますよ
違う?? はあ?
>1489 形があるのは戒壇と本尊です、形がないのは題目
だってさ、最初に題目=大御本尊様って言ったよ
これは形がないわけだよね。それに帰一だっていったんでしょが
なのに、形があるのが本尊で、ないのが題目
じゃなに、本尊は形があって、御本尊様(題目)は形がないって?
本尊(形)、御本尊(無形)、何がどう違うのさ はあ??
こんな改変できないでしょうが??

1501晃司:2004/07/13(火) 20:22
>>1500
大宮さん
あの〜
口で唱える「南無妙法蓮華経」は私が言ったもので
これは違うと思いますよと言ったのは問答迷人さんは違う意味の
富士門ネットのあり方の全面改変だと思いますよ
まずは最初に戻ってね

>形があるのが本尊で、ないのが題目
>じゃなに、本尊は形があって、御本尊様(題目)は形がないって?
>本尊(形)、御本尊(無形)、何がどう違うのさ はあ??

えっとですね
初めに日蓮さんは題目を発しました、これが題目です(形のないもの)
次いで
本尊を作りました(曼陀羅等)(形在るもの)
次いで
その居場所を決めました(戒壇)(形在るもの)
です

御本尊さまというのはね三つ揃って御本尊さまというというのが既存の教学なんですよ

1502空き缶:2004/07/13(火) 21:24
晃司さん

>御本尊さまというのはね三つ揃って御本尊さまというというのが既存の教学なんですよ

そんなことはないと思いますよ。以前より「本門之題目」を根本とし、他のものは「形式の中の形式」と創価学会池田名誉会長も発言されています。

それから先ほどは正信会の菅野師の著書を紹介いたしましたが、もっとわかりやすいのが故伊芸益道師が「日興跡条々事への復帰」(大石寺法門研究序説)の「日興門徒の本尊観」という章で「色体巻軸本尊」(形となって目の前にある本尊)を批判しています。

晃司さんは、自身の哲学的感懐より日蓮の本尊観をとらえ、ここで新しい提案をされていることと存じますが、それと「日蓮の真意」・「日興の真意」は別のものであり、文献学的考証を重んじるこの掲示板の性格と矛盾点があると思います。
したがいまして晃司さんの求めている論議と、ここで展開されている論議とは基本的に主旨が異なるものと思われます。

1503晃司:2004/07/14(水) 07:17
>>1502
空き缶さん、おはようございます
既存の教学というのが
人によって何処までが過去と捉え
手放すべきと捉えるか提案させて貰っています

ここの掲示板の主旨はスレッド事に性格があると思います
それから問答迷人さんが更新すると宣言されましたのでその展開を待ってからでもよろしいかと思います
また
最新の富士門流の掲示板であっても
宗教の本論とは幸福です
部活動のように一つのテクニックを養うための場ではないと思います
宗教という名の集まりは幸福という築き上げと情報交換です
この掲示板は議論によって自分の知識だけを養う掲示板なのでしょうか?
もし知識だけを養う掲示板であるなら私は去ります、
それは各論でしかないからです

1504犀角独歩:2004/07/14(水) 09:23

1503 晃司さん:

> 初めに日蓮さんは題目を発しました、これが題目です(形のないもの)

違います。羅什がサダルマプンダリーカスートラを妙法蓮華経と訳した、この経題(経典の題名)を題目というのです。漢字で書かれた五文字を言います。
それを五重玄に解釈したのが天台であり、この(妙法蓮華経)五字を唱えることをはじめたのは天台(宗)です。それを踏襲して唱題を行として確立したのが蓮師です。

> 本尊を作りました(曼陀羅等)(形在るもの)

これも違います。蓮師は観心本尊という己心のなかに久遠実成釈尊を観たのです。これが本尊です。その一形態に漫荼羅本尊があるということです。

> その居場所を決めました(戒壇)(形在るもの)

そんなことは蓮師は言っていません。

> 御本尊さまというのはね三つ揃って御本尊さまというというのが既存の教学

そうではなく、興師門その他を既存の教学といえば、戒壇・本尊・題目は戒定慧の三学に配し、それを倶伝することを仏教というのです。

自分の考えを恰も蓮師のように、また、その後の継承者の教学のように語ることは甚だ不可です。

> 宗教の本論とは幸福

何でこのようなことが言えるのでしょうか。
しかし、では学会が好きな「幸福」とかいうこの言葉を否定しようと言うものではありません。あなたがどう言おうと、それは勝手ですが、仏教が宗教であれば、それは幸福を目指したものではなく、成仏を目指したものであったでしょう。ではその成仏を絶対幸福とか訳のわからない解釈をしたのは学会ですが、それをそのまま、当たり前のことのように書かれれば異議を唱えないわけにはいきません。

空き缶さんの指摘に何を勘違いしたか、本論・各論とか言い出し、幸福がどうということは「三つ揃って御本尊さま」に対する疑義への何の回答にもなっていません。
また、この点については大宮さん(はじめまして)がいう、本尊(有形)・御本尊様(無形)の違いへの疑問も同じくあなたは何も答えていません。

また、ここでは各論がどうだとやっているわけではなく、蓮師、あるいは興師が、実はどのような教学思想の持ち主であったのか、個人の勝手な解釈、後世の改竄を取り除いて、その素意を考えることを真剣にやってきました。その点を本論が幸福などと言って論をすり替えてよい謂われはありません。

1505犀角独歩:2004/07/14(水) 09:24

―1504からつづく―

> 既存の教学というのが人によって何処までが過去と捉え手放すべきと捉えるか提案

教学がなければ、こんな大それたことは無理でしょう。
そもそも既存の教学が何であるのかをわからなければ捉えようもないでしょう。

なお、仏教は、そもそも有形・無形を問題にしていないのは三諦論に明らかです。有無ではなく空仮中です。仏教は有論から、無論を言ったものではありません。
また、題目は形がないものではなく言語音声(ごんごおんじょう)という形を持っているからこそ、人々は認識できるわけです。これは心についても同じであって「心有らん人」などと蓮師は‘有’と記しました。
わたしには、あなたの 本尊・戒壇(有形):題目(無形) という分別が既に間違っているために、議論にならないのが、上述、空き缶さん、大宮さんとの食い違いであると見えます。

建造物として戒壇、紙に書かれた遺文、漫荼羅は火にくべれば燃えて無くなるから、そんな形あるものに拘らず、無いもので考えようというアプローチは、わたしは頷けません。

これでは蓮師が禅宗を批判して言う「禅宗等の人云はく「一代聖教は月を指す指なり。天地日月等も汝等が妄心より出でたり。十方の浄土も執心の影像なり。釈迦十方の仏陀は汝が覚心の所変なり。文字に執する者は株を守る愚人なり。我が達磨大師は文字を立てず」ということと何ら異なるところがないからです。
以上、やや批判的に記しましたが

> 形在るものはいつかは壊れる、壊れるものに執着し所有することは悲しい
私はそう思う

という点については、仏教で言う「無常」観そのものであり、この点については異論はありません。しかし、上述の如き、投稿に混乱を来し、また、他の投稿者と整合性、止揚に基づく会話を成り立たせず、自論を押し付けられても議論にはならないでしょう。出来れば真摯な議論が出来ればよいと思う故に記しました。

1506晃司:2004/07/14(水) 10:05
>>1504
独歩さんおはようございます
初めにことわっておりますと書いています1470番
その中でのご注意と言うことで受けとめておきます
ただし解釈の違いであって自分が絶対に正しいと言うことはあり得ませんので
そういう解釈で述べさせていただこうと思います
勝劣を争うことが本論ではなく幸せ観を与えてあげることが本論です
またどうも単語に拘られるようなので少し変えてみます

初めに日蓮さんは南無妙法蓮華経を発しました、これが唱題に出てくるお題目です(形のないもの)
次に一形態に漫荼羅本尊を作りました(曼陀羅等)(形在るもの)
次に世代にその居場所を決まりました(戒壇)(形在るもの)

それでですね
私は議論をしたいのではありませんのでご理解下さいませ
1468番の質問に対してご回答下さいませ

一つ言えることは
独歩さんは文証理証を追求して現証を求めないのですね
私は乃至法界というようにすべての人に(知識や知恵が出来ない)簡単で幸福観が得られる
そういった方法を教えるのが仏教の本論だと思っています
出来ればこのスレッド或いは別スレッドで
真跡、偽書などの追求をする議論のないスレッドにしたいと願っています
問答迷人さんが富士門ネットのあり方の全面改変を然るべき時期に実施したいと仰って下さっておりますので
それを待ちたいと思います

1507晃司:2004/07/14(水) 10:09
>>1505
> 形在るものはいつかは壊れる、壊れるものに執着し所有することは悲しい
私はそう思う
という点については、仏教で言う「無常」観そのものであり、この点については異論はありません

ではこの点でのスレッドとして下さい
質問をされると私流を答えることになります
それではくり返しと言うことになりますので
すると
>上述の如き、投稿に混乱を来し、また、他の投稿者と整合性、止揚に基づく会話を成り立たせず、

こういったことにはならないと思います

1508犀角独歩:2004/07/14(水) 10:26

晃司さん、富士門ネットのあり方の全面改変への議論に加わるのであれば、重複になりますが、以下の点をまずは答えられては如何でしょうか。

「空き缶さんの指摘に何を勘違いしたか、本論・各論とか言い出し、幸福がどうということは「三つ揃って御本尊さま」に対する疑義への何の回答にもなっていません。
また、この点については大宮さん(はじめまして)がいう、本尊(有形)・御本尊様(無形)の違いへの疑問も同じくあなたは何も答えていません」

わたしは自分もそうしてきたことですから申し上げますが、自分の考えを修正・訂正することは何も間違ったことでも、恥ずかしいことでもないと思います。また、議論の中で日々精進していくことは、「一つのテクニックを養う」「自分の知識だけを養う」ことではなく、自分が信じ・行動する確かな糧を得るために必要なことであるとわたしは思います。

自分への学への怠慢を向学批判にすり替えても、学は少しも増さず、それ故、信もまた進歩変哲のない独り善がりに陥るばかりです。

1509晃司:2004/07/14(水) 10:27
そうだ、ちょっと横道になりますが
私は学会員ですが(他には何も経験はありません)
オリジナル思想を持っています
すべては良きことのために起こるよきっと教会という教会です

ここではね、難しい知識や教養はなくても
あるよりはない方が良いと教えています
叶えたい願いがあるなら思い続けることです、夢に見るくらいに思ってみよう
叶えたいと思うことは簡単ですがなかなか叶わない、
でも思い続けることが大切なんです

こういうことを伝えています
仏とは
ありのままの自分を認めたことといいます

仏教とは
そういったことを教えることで

成仏とは
それに気付くことです

余談ですいませんでした

1510晃司:2004/07/14(水) 10:40
>>1508
全面改変というのが
私の質問の戒壇による帰一ではなくて題目による帰一ではないのですかという
質問による回答で前面改変となっている思っています
ですからそれを待ちましょう
そしてそこには勝劣を争う議論のないスレッドも登場することを願っています

ですから富士門ネットのあり方の全面改変への議論に加わるのであれば
という議論には加わりません

三つ揃ってという解釈も独歩さんの気が済む答えは発することができないでしょう
だって私はきっと教会流で喋ることになりますから
三つ揃うとは既存の教義を学んだ所では三大秘法からです
ですが私は一大秘法を三大秘法と言ったとご理解下さい

>本尊(有形)・御本尊様(無形)の違いへ

本尊とは形ある存在と捉えています、(曼陀羅等)
形ない存在を御本尊様と捉えています(唱題に出てくる南無妙法蓮華経という単語を題目)

>自分への学への怠慢を向学批判にすり替えても、学は少しも増さず、それ故、信もまた進歩変哲のない独り善がりに陥るばかりです

これこそ伝えたいことです
学(知識や教養)を手放し直感とインスピレーションを養うこと(気付き)

1511管理者:2004/07/14(水) 10:48

晃司さん

どのようなスレッドをご希望なのか、管理者にはよく理解できません。もう一度、スレッドテーマのご提案をお願いいたしたいと存じます。

1512犀角独歩:2004/07/14(水) 11:02

晃司さん:

> 勝劣を争う議論

誰がそんなことをやっているのですか。学会ですか。
ここには勝とうと思っている人が言葉に詰まり逃げ出すことはあっても、真摯に資料文献を呈示しながら真面目に議論している人で勝劣を争っている人など一人もいません。事実を求めているだけです。

> 学(知識や教養)を手放し直感とインスピレーションを養うこと(気付き)

オカルトとか、神秘主義が好きなんですね。
南無妙法蓮華経、「日蓮さん」も一般の人からすれば、充分に知識であり教養であると思いますが。

どのみち、あなたの言うところは蓮師とも、富士門とも無縁のところでしょう。それなのに、富士門ネットについて問うのはどうしてでしょうか。
わたしは真跡とは思いがたいですが、蓮師門下は

「行学の二道をはげみ候べし。行学た(絶)へなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」

という篤い志を懐いており、その点をわたしは尊いと思います。
そうしないあなたが富士門の、それも富士門ネットに拘る理由は何一つ無いのではないでしょうか。

> 単語に拘られるようなので少し変えてみます…

ですから、こうではないですよ。
1504に記したとおりです。

> 私は議論をしたいのではありませんのでご理解下さいませ

では何をしたいのですか。

> 1468番の質問に対してご回答下さいませ

既に申し上げたとおり、晃司さんの発題が間違っていると申し上げました。

> 何故本門戒壇なんでしょうか、題目である大御本尊様への帰一ではないのですか

これは富士門ネットに問うべきことで、わたしへ問うのはお門違いです。
ただし、わたしは本門戒壇本尊への帰一へ従来記してきたとおり反対です。

> 戒壇と本尊とは形在る存在です、題目は形がありません

これは既に記しましたが、まったく了解できません。
できないわけですから、回答は出来ません。

> 形在るものはいつかは壊れる、壊れるものに執着し所有することは悲しい
私はそう思うのです

この点については異論がないと答えました。

> 再び、何故本門戒壇なんでしょうか

これは先に述べたとおり、わたしが答えるべきことではなく、わたしの考えとも違います。

> 題目である大御本尊様への帰一ではないのですか

これに回答するためには「題目である大御本尊様」の意味がわからないかぎり答えようがありませんので、大宮さんも同趣旨の質問をされていたので、まずはこの意味を晃司さんが解説されることが先決です。

> 独歩さんは文証理証を追求して現証を求めないのですね

そんなことはありませんよ。
晃司さんさんはご自身でも記されているとおり、創価学会しかご存じないのでしょう。ですから、あなたが仰る現証とはその井の中を出ません。つまり、外の現証を結果的に求めていないことに気付けませんか。

> …すべての人に(知識や知恵が出来ない)簡単で幸福観が得られる
そういった方法を教えるのが仏教の本論だと思っています

わたしは「簡単で幸福観が得られる…仏教…本論」なるものに至りませんので、無責任に放言をしないだけです。しかしそれは、個人的に何ら法悦、至福を味わったことが無いという意味では、もちろん、ありません。

では、それはどんなもので、それがまた、どのような根拠で文理の証があるのでしょうか。是非ともご呈示ください。

> 議論には加わりません

そうであれば、独り善がりの一方的な書き込みは、わたしにとっても皆さんにとっても実に迷惑な雑音に過ぎないことになります。
わたしもあなたの質問に答える必要もないし、あなたの投稿は見もせず、読み飛ばすだけです。

1513晃司:2004/07/14(水) 11:05
>>1511
ところで管理者さんと問答迷人さんは別人さんなのですか?

スレッドはそれぞれ宗派組織思想いろいろあるでしょうから
勝劣を争わずというのが基礎となります

この富士門ねっとの主旨が
本門戒壇大御本尊様への帰一を目指す、団体を超えた信徒のネットワークです。
となっていますがどうも完全なる納得ができません
何故本門戒壇なんでしょうか、題目である大御本尊様への帰一ではないのですか
戒壇と本尊とは形在る存在です、題目は形がありません
形在るものはいつかは壊れる、壊れるものに執着し所有することは悲しい
私はそう思うのです

ここで語句に誤解が生じましたので
南無妙法蓮華経へ帰一ではないのですかに変更しますが
問答名人さんの
富士門ネット発足当初は、三大秘法抄(太田金吾抄)が真書であるとの認識で、その三大秘法抄の記述に従い、無批判に日蓮聖人の御遺命が本門戒壇の建立にある、との認識で居りました為、そのような表現になっております。三大秘法抄は偽書ではないか、との疑義が出されている以上、本来ならば「日蓮聖人の教えに帰一」とすべきものだと思います。富士門ネットとしては、訂正を考えて来た経緯は有りますが、未だ手付かずとなって居り、申し訳なく思っています。富士門ネットのあり方の全面改変を然るべき時期に実施したいと思っております

これをお待ちします、そしてこの新しい分野での新しいスレッドも待つことにします

1514晃司:2004/07/14(水) 11:13
>>1512
すでにオカルトなどという決め付けで勝劣を争っているではありませんか

> 何故本門戒壇なんでしょうか、題目である大御本尊様への帰一ではないのですか
>これは富士門ネットに問うべきことで、わたしへ問うのはお門違いです。
>ただし、わたしは本門戒壇本尊への帰一へ従来記してきたとおり反対です。

独歩さんへもともと質問はしておりませんが
非常に興味深いテーマなので、わたしも参加させていただきます
とご自分から参加されております
ですから当初の質問にのみご回答下さいませ
また管理人さんより回答がありました、その回答に回答していますので
そちらの結果をお待ち下さい

1515問答迷人:2004/07/14(水) 11:15

晃司さん

>1506 問答迷人さんが富士門ネットのあり方の全面改変を然るべき時期に実施したいと仰って下さっておりますので
それを待ちたいと思います

まだしばらく時間が掛かってしまいそうです。よろしくお願いいたします。

>そしてそこには勝劣を争う議論のないスレッドも登場することを願っています

富士門掲示板には論争禁止スレッドがいくつかあります。ご紹介しておきます。

「つぶやきスレッド」「組織活動の嫌な点についてお聞かせ下さい」「信心して良かったと感じた時は、どんな時ですか」「井戸端スレッド「山門前」」

1517晃司:2004/07/14(水) 11:21
>>1516
>まだしばらく時間が掛かってしまいそうです。よろしくお願いいたします

了解しました、ゆっくりどうぞ

>本来ならば「日蓮聖人の教えに帰一」とすべきものだと思います

新しい富士門ねっとが日蓮聖人の教えに帰一に変わった
という画期的な期待をお待ちしています

1518問答迷人:2004/07/14(水) 11:27

晃司さん

>ところで管理者さんと問答迷人さんは別人さんなのですか?

問答迷人が、現在は富士門掲示板の管理者を勤めさせて戴いて居ります。多重ハンドルネームでは有りません。管理者としての立場での発言は、当然のことながら「管理者」と書き込みます。管理者の立場を離れて、一人の掲示板参加者として発言する場合には、「問答迷人」と書き込んでいます。御理解賜りたく存じます。

1519晃司:2004/07/14(水) 11:41
本門戒壇の大御本尊への帰一という大目標を掲げる富士門信徒同士が、
法華講・正信会・創価学会・顕正会という組織の壁を乗り越え、
精神的結束力を高めて、異体同心の戦いを誓い合う場

富士門という存在が成長ある存在になるためには
法華講・正信会・創価学会・顕正会という組織の壁を乗り越えるのが一番ですね
それには戒壇が問題となっていきます
ですから日蓮聖人の教えに帰一が望ましいと思うのです
また教えとして争うようではもう終わりと思っても過言ではないとも思います

1520問答迷人:2004/07/14(水) 12:08

晃司さん

>また教えとして争うようではもう終わりと思っても過言ではないとも思います

意味が取れません。「日蓮聖人の教えに帰一」と言うのは簡単ですが、中身が本当は問題なのです。「日蓮聖人の教え」が何なのか、それに迷うが故に、日蓮聖人を祖師と仰ぎながら、四分五裂しているのが現実です。この点をどのように晃司さんは考えられて居られますか。

1521晃司:2004/07/14(水) 12:23
>>1520
心機一転問答迷人さん、こんにちは

>また教えとして争うようではもう終わりと思っても過言ではないとも思います

ここで戒壇が大切な教えであると主張があってそこを争うようでは
改変した意味がありません、からです

私はポジティブ思想のきっと教会ですから、簡単に捉えます
只南無妙法蓮華経のみです

もちろん声に出せない人は目で読んでもいいのです
只只、南無妙法蓮華経と唱えることです

1522空き缶:2004/07/14(水) 12:59

晃司さん、おはようございます。

やはり文証無き論議は、説得力に欠けます。日蓮の教えは「経文を先とせり」ですので、おっしゃられることを裏付ける文証がなければ空回りであろうと存じます。

独歩さんご指摘の通り、「教外別伝不立文字」では他宗の理念となってしまいます。なお「日蓮本仏論」や創価学会での「凡夫本仏論」などは禅系の思想が存分に発揮されたところであろうと存じます。
ここでは宗祖日蓮の元意(本懐?)というか、多くの富士門徒が結束するにふさわしい急進軸の一つとして、「本門戒壇之大御本尊への帰一」としていたのではないでしょうか。

しかし、本来「富士門徒」とは「本門戒壇之大御本尊」を特に特別なものと拝しない、京都要法寺・伊豆實成寺・西山本門寺・北山本門寺・保田妙本寺・小泉久遠寺などを中心とした門流も含まれます。
したがいまして、「日蓮正宗圏の結束」ではなく「富士門徒の結束」とされたところに、私のような珍客も仲間入りすることができたのではないでしょうか。

1523晃司:2004/07/14(水) 14:04
>>1522
空き缶さん、こんにちは
文証は必要ですか、必要な人には必要かも知れませんね
例えば風邪
なかなか治りにくいもの、効能書きがなくても薬は飲めるし効く
風邪が治ることが一番大切なことで
効能書きは製薬会社が他者よりも多く売りたいからでしょう

ただ風邪ぐすりかどうかを判断できればよいと思われます
私のきっと教会では効能書きはありません、ですから空き缶さんのご要望は満たせません
これは初めに申しております

ただ今回は問答迷人さんがもう少ししたら新HPにしてくれますので
それからそこをみて参加できる人が参加すれば宜しいかと思います
私がみて参加できないようであれば参加は致しません
待てと言われている以上待ちましょう、それまでは必要最小限の問答と致しましょう

1524空き缶:2004/07/14(水) 15:15
晃司さん

>文証は必要ですか、必要な人には必要かも知れませんね

これでは日蓮の教えとは何ら関係のない、単なる晃司さんの独り善がりではないでしょうか。そのようなことは自分のHPの中だけでやっていれば良いのではないでしょうか?

>待てと言われている以上待ちましょう、それまでは必要最小限の問答と致しましょう

晃司さん、貴方は文証を嫌うゆえか否か、物事を自分流にしか捉えられないのではないでしょか。
私とも、管理人さんとも、その他の多くの方とも話しが全くかみ合っていないと思います。

1525晃司:2004/07/14(水) 15:38
>>1524
いろいろお気を使って貰って恐縮ですが
私は私のホームページでもちゃんとやっています

私は学会員でこの富士門のホームページの主旨が気に入りました
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/6622/
そこで提案させて貰った次第です
ですから新しい内容になったらそちらに従います

それでですね、この辺で終わりにして貰えませんか?
レスあればレスしなくては欠席裁判のような形になりますので後味が嫌なんです
宜しくお願いします

投稿するのであれば人の趣旨を避難するよりも
私が提案した所だけをレスして下さいませ、(1468番でお願いします)

人の非難云々はもう結構ですので宜しくお願いします

1526犀角独歩:2004/07/14(水) 16:05

晃司さん:

非難されるようなことが投稿されれば、それを非難する投稿をするのは自由です。

どうでもいいですが、オカルト、神秘主義をオカルト、神秘主義というとなぜ勝劣を争うことになるんですか。

また、「争う」ことを否定しながら、「異体同心の‘戦い’」とここに争いを奨励する理由は何でしょうか。また、真跡遺文のなかでただの一度も使われない「異体同心」を恰も蓮師の教えのように記す理由は何でしょうか。

それと「きっと教会」とは何でしょうか。教える会という限り、あなたが何かを教えるのでしょうか。

> 文証…効能書き…多く売りたい

などと言って「日蓮」の名を語るとは驚くばかりです。

「天台大師云はく「修多羅と合ふ者は録して之を用ひ、文無く義無きは信受すべからず」等云云。伝教大師云はく「仏説に依憑して口伝を信ずること莫(なか)れ」等云云。円珍智証大師云はく「文に依って伝ふべし」等云云。上にあぐるところの諸師の釈、皆一分一分、経論に依って勝劣を弁ふやうなれども、皆、自宗を堅く信受し、先師の謬義をたゞさゞるゆへに曲会私情(きょくえしじょう)の勝劣なり。荘厳己義の法門なり」

と文証の重要性を言います。その文証を売らんがための効能書きとよくぞここまでの言辞を吐けるものかと驚くばかりです。つまりは文証を重視した蓮師への天台並びに蓮師への冒涜以外の何ものでもありません。まさにあなたの言うことは「荘厳己義の法門」としか映じません。

文章を蔑如するのみならず、現証を重視すれば、その現証とは、当人の独り善がり、あるいは思い込み、個人的感覚を出ないわけでしょう。それを指摘すると、今度は「勝劣を争う」と来る。事実を指摘することと、勝劣を争うことはまるで別の話です。

なお、特に禁止事項に抵触しない限り、議論は自由なので、わたしは待つことはいたさず、従来どおり、投稿をいたします。

1527空き缶:2004/07/14(水) 16:15

晃司さん、非難しているわけではありません。日蓮の教えでは文証は重要な正邪判別の基準であることを申しております。

文証無く、ただ「私はこう思う」では論議にならないと申している次第です。「晃司哲学」が日蓮の真意と主張されるなら、それなりの文証を挙げていただきたいのです。
唯一文証とした「日女抄」は真偽未決、これではチョッとねー・・・

1528晃司:2004/07/14(水) 16:38
>>1526
独歩さん、
待つと言うことは嫌なんですか
でもね、私は独歩さんのお気に入りになれる回答は出来ませんよ
何度も言っているように初めにことわっていますので

>オカルト、神秘主義をオカルト、神秘主義というとなぜ勝劣を争うことになるんですか

当ホームページはオカルト思想ではないのにオカルトと呼ぶのはいかがでしょうか
それは人を見下してみておられます、そこから争いに発展するものです

>また、「争う」ことを否定しながら、「異体同心の‘戦い’」とここに争いを奨励する理由は何でしょうか

異体同心の戦いを奨励していませんが、していましたか?どこですか、訂正しますので教えて下さい

>それと「きっと教会」とは何でしょうか。教える会という限り、あなたが何かを教えるのでしょうか

すべては良きことのために起こるよきっと教会といいます
すべては良きことのために起こっているということを教えています
これは無条件の愛の実践で功徳の起きるメカニズムを学ぶときの教材です

ところで独歩さん
それだけの文証理証でいっぱい幸福感は頂けました?身の財、心の財、蔵の財において
私はこれを思いも寄らぬ偶然らしき一致と呼んでいますが

私は沢山の身心環境においていただきました
功徳の大きさは人によって違いますので具体例は証しませんが満足しています

1529犀角独歩:2004/07/14(水) 16:57
1519

> 当ホームページはオカルト思想ではないのにオカルト

オカルトに見えるものをオカルトと言ってはいけないのですか。
何の証拠にも拠らず、自己満足が奇跡的に起きる、これはオカルトの類ではないでしょうか。

オカルト [occult]
神秘的なこと。超自然的なこと。
「―現象」
(三省堂提供「大辞林 第二版」)

> 人を見下してみておられます

わたしは見ておりませんが。文証を効能書きといい、挙証義務を全うしようとする方々、真剣に研鑽する人々を現証から見下していると晃司さんは見えます。それ故の抗議投稿です。

> そこから争いに発展するものです

現証から文証を見下す、そのような姿勢が今回の争いを呼んでいます。
ご自身にその要素が見えないから他人のせいと思うのでしょう。

> 異体同心の戦いを奨励していませんが、していましたか?どこですか、訂正しますので教えて下さい

1519に「異体同心の戦いを誓い合う場」と書いておりませんでしたか。

> 無条件の愛の実践

無条件の愛の実践が真実ならば、人の批判を甘んじて受けて言い返したりしなければよろしいのではないでしょうか。
文証主義者を差別しているようには見えても、無条件の愛を実践しているようにはとても見えませんが。

> 功徳の起きるメカニズムを学ぶときの教材

教材? 証拠は不用ではなかったのですか。

> 文証理証でいっぱい幸福感は頂けました?

誰から頂くのですか。
ただし、主観の範囲ですが、わたしは充分に幸福ですが。

幸福比べ、満足自慢をし合いたいのですが。
わたしはそんなナルシズムには興味はありません。

> …教えています

あなたは教祖なのですか。

1530問答迷人:2004/07/14(水) 17:16

晃司さん

>ただ今回は問答迷人さんがもう少ししたら新HPにしてくれますので

僕は、もう少ししたら、等とは申し上げていません。「日蓮聖人の教えに帰一」と言葉だけでスローガンを掲げることはある意味で簡単ですが、それだけでは中身と言うか、具体性が有りません。それで、おぼろげながらでも、「日蓮聖人の教え」の輪郭が誰の目にもはっきりしてきた段階で、富士門ネットの目的を新しい内容に書き換えたいと思っているわけで、今は、残念ながら、当掲示板御参加の方々の中だけで考えても「日蓮聖人の教え」の中身が誰の目にも明らか、という訳では有りませんので、当面は、新しい内容にしたくても出来ない、という事です。誤解の無いようにお願いいたします。

叉、日蓮聖人は現証を大切にされましたが、それはあくまでも文証、理証が揃っていると言う前提です。文証、理証を無視した現証は、「利根と通力に依るべからず」と逆に退けられています。晃司さんの仰ることは、文証も要らない、理証も要らない、現証こそが重要なのだとしか僕には取れませんので、日蓮聖人が制止された「利根と通力」そのものではないのかと思います。僕は、文証、理証の積み重ねの上に、日蓮聖人の教えが如何なるものかを捉えようとしなければ、日蓮聖人からお叱りを頂くと思いますので、あくまでも文証、理証に拘ります。そして、その上での信仰で有るべきだと捉えています。

1531晃司:2004/07/14(水) 17:32
>>1529
>オカルト [occult] 神秘的なこと。超自然的なこと

そう意味でのオカルト発言でしたか
カルト集団での意味合いと誤解していました、失礼しました

>文証を効能書きといい、挙証義務を全うしようとする方

効能書きは風邪薬の例え話です、そういうのを揚げ足取りと思いますが

>1519に「異体同心の戦いを誓い合う場」と書いておりませんでしたか

見ましたが書いていません、四団体の引用は富士門ネットより引用していますが

>無条件の愛の実践が真実ならば、人の批判を甘んじて受けて言い返したりしなければよろしいのではないでしょうか

無条件の愛とはそう意味合いではありません
私の場合ですと勤行唱題にあたります、お願い事をしないで行う行為

>教材? 証拠は不用ではなかったのですか

例え話には使います

>主観の範囲ですが、わたしは充分に幸福ですが。

そうでしょ、どんな宗教でも満足感は得られるのです、それが立証されました

>あなたは教祖なのですか

いいえ、

1532晃司:2004/07/14(水) 17:41
>>1530
そうですかがっかりしました

では私はこれで失礼をします、以後投稿は致しません

みなさん、お付き合い下さってありがとうございました

1533犀角独歩:2004/07/14(水) 18:07

晃司さん、書いているうちに去ってしまったようなので、まあ、まとめと言うか、書いたので取り敢えず投稿します。

>> 1519に「異体同心の戦いを誓い合う場」と書いておりませんでしたか
> 富士門ネットより引用

なるほど。これはわたしの勘違いでした。撤回し、謹んでお詫び申し上げます。

> 無条件の愛…私の場合ですと勤行唱題…お願い事をしないで行う行為

慈悲といわず、愛というわけですか。
「無条件の愛」というのは神が人に対する恩寵のようなイメージが先立ちますね。寧ろ、そちらのほうが一般的ではないでしょうか。誤解を生みと思います。もし「無条件の慈悲」の一念を獲得するために勤行・唱題をしている、お願い事をしないというのであれば、わたしはこの限りにおいては賛同します。

ただし、わたしが晃司さんのHPをオカルトと記した理由は

『我即宇宙の実践』というところで
> 宇宙とは意識を意味し、人は宇宙と意識で繋がっている
> 宇宙にはなんでも具わっていてそのうち必要なものを引き出せば良い
> 間脳を開いて宇宙意識と境智冥合

などという文言が見えるからです。
宇宙が意識であるとは一体全体何のことであるか皆目見当も付きませんが、宇宙に必要なものが具わっているというのは神秘主義で言うアカシック・レコードの転用と思えます。また、宇宙意識という神秘的なものがあるいうこと自体、神秘主義的であると思えます。

このような西洋神秘主義を境智冥合という教学と混合することは、快く思えません。それはたしかに文証も理証もあるわけがないでしょうが、それによって得た幸福感は「かなり危ないものではないのか」というのが正直な印象です。ただ、これは悪口ではなく、ある種の危機感です。これはもはや富士門流信仰という範疇ではありません。

このような方向性は、ある面、創価学会教学の到達点であって、しかし、それに危惧を訴える声は既に昭和50年前後には既に挙がっていました。石田次男さんがその急先鋒でした。
また、誰であったか忘れましたが、創価学会を「笑うファシズム」と酷評した人がいました。彼らの笑い声、まして、彼らの言う絶対幸福という体験は、それをなぜ外部者は気味の悪いものとしてとらえるのか、この点をわたしは考えてみたいと思っています。

以上の危機感が、本日の頻繁な投稿の原動力となりました。
晃司さんには、ここ二日間の皆さんの投稿を単なる批判と取らず、思慮の糧とされることを祈るばかりです。

1534平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/07/15(木) 13:29
『種種御振舞御書』について疑問に思っていたことを、識者の方々にお尋ねします。
この御書は建治2(1276)年3月55歳御作となっていますので、龍ノ口の法難
の4年半後に書かれた御書であると言うことになります。正筆は現存せず、写本だけ
が残っており、内容が極めて神秘的であり誇大表現があるために偽作であるという説
もありますが、私は御真筆があったものの考えて書いていきます。
文永8年9月12日は現在の太陽暦に直しますと1271年12月24日になります。
私が極めて不思議だと思うのは日蓮大聖人が正に首を斬られようとした時に現れた光物
体と、日蓮大聖人が月天を諫めた後に梅の木の枝に掛かった明星のような大星のことで
す。「いかに・やくそくをば・たがえへらるるぞと申せし時、江の島の方より月のごと
く・ひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる、十二日
の夜のあけぐれ人の面もみへざりしが物のひかり月夜のやうにて人人の面もみなみゆ」
御書914頁。天文シュミレーションで調べたところこの夜の月の出は鎌倉では午後8
時35分月の位相は68%、月齢は20となります。「あけぐれ」には「昧爽」という
ルビがふられています。「昧爽」は「昧旦」のことであり未明の意味です。「さては十
二日の夜・武蔵の守殿のあづかりにて夜半に及び頸を切らんがために鎌倉をいでしに」
御書912頁とありますので、既に光物体が出たのは9月13日になった後と思われま
す。太陽暦10月25日の御前1時には月齢20の月は南東に掛かっていました。しか
し月齢20では人の顔を見る程の光度はありません。南東には雲が掛かっていたのかも
知れません。ここで興味深いことがあるのですが、太陽暦10月20日から22日まで
はオリオン流星群があり、21日に極大を迎えるということです。オリオン座は南東(
辰巳)の方に掛かり北東(戌亥)の方に流星を放つのです。1時間辺り25個の流星が
あるのです。しかしこの日は25日であり、オリオン座流星群の日とは3日もずれてい
ます。また流星では人の顔を見ることはできませんしまたオリオン座流星群はペルセウス
座流星群のような大流星雨を降らせることはできません。またこの光物体は複数ではなく
単一の物であり、はっきりと縁取られていたものです。人の顔が見えるくらい明るい流星
ならば、6500万年前に恐竜を全滅させた程の大隕石でなければなりません。しかしそ
のような隕石が鎌倉時代に落ちたと言う記録は日本にも外国にもありません。海に落ちた
としても大津波が来るはずです。御書914頁の光物体は流星ではない別の何かであると
私は思います。それも人を恐怖のどん底に落とすような何かであると思います。御書91
5頁の「天より明星の如くなる大星下りて前の木の枝に・かかりてありしかば・もののふ
ども皆縁よりとびをり或は大庭にひれふし或は家のうしろへにげぬ」も流星ではないと思
います。流星ならば木に激突するなずであり、木の枝に掛かるなどどいうことはありませ
ん。これも隕石ではない人を恐怖のどん底に突き落とすような別の何かだったと思います。
私は私なりの結論を持っていますが、それはここの掲示板に書き込むことは差し控えさせ
て頂きます。識者の方の冷静なご判断と御返事をお待ちしております。

1535平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/07/15(木) 13:33
>文永8年9月12日は現在の太陽暦に直しますと1271年12月24日になります。
失礼しました。12月24日ではなく10月24日でした。訂正します。

1536平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/07/15(木) 13:41
「天より明星の如くなる大星下りて前の木の枝に・かかりてありしかば」は「天より
明星の如くなる大星下りて前の梅の木の枝に・かかりてありしかば」です。
また「御前1時」は「午前1時」です。御書の引用を誤りまして大変失礼しました。

1537平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/07/15(木) 16:39
『種種御振舞御書』の文永8年9月13日は現在の太陽暦では1271年10月
25日に当たります。私はこの『種種御振舞御書』を真書と考えていますが、1
00%と真書とは考えてはいません。文永8年9月13日の月の出は太陽暦に直
し更に正確な天文シュミレーションにかけると、午後9時28分になります。日
蓮大聖人が月天を責めた時にはその日の月齢は21、月の位相は62%です。あ
の当時の人達が午後9時以降に起きていたのか不思議です。1271年10月2
5日の夜に月が南東に昇るのは翌日の、文永8年9月14日の午前2時頃です。
9月13日には遅い時間でもまだ東の地平線近くにしか月は昇って来ていません。
日蓮大聖人が月天を諫めた時間が真夜中近くならば合点がいくのですが、なかな
かそうもいきません。また御書915頁には「やがて即ち天かきくもりて大風吹
き来たりて江の島のなるとて空のひびく事・大なるつづみを打つがごとし。夜明
れば十四日の卯の時に十郎入道と申すもの来たりて云く」とあります。卯の時と
は午前6時と7時に当たります。50歳に近い年齢で睡眠時間5時間以下と言う
のでは大変だと思います。また旧暦9月13日は新暦10月25日に当たり、急
に雷雲が近付くような季節ではありません。むしろ初冬に近いと言えましょう。
この『種種御振舞御書』が後世の偽作かどうかは別のスレで議論するとして、こ
の内容について深く識者の方々に御意見を伺いたいと思っています。

1538みかん:2004/07/16(金) 03:42
>晃司さん

すでに撤退されたので見ていらっしゃらないかもしれませんが、

>えっと水の販売はしていません
>水はプラシーボ効果を引用するために記載しています
>現実にアトピー性皮膚炎が治りました

意味がよくわからないのですが、あなたは
「活性水素水」に特別な効果があるという立場なんですか?
それとも単にプラシーボ効果であって、水道水でもミネラルウォーターでも
井戸水でも、効果があると思って飲めばプラシーボ効果(偽薬効果)
があるという立場なんですか?

1539犀角独歩:2004/07/16(金) 10:03

平和創価さん:

1534〜7のご投稿、たいへんに興味深く拝読しました。

『種種御振舞御書』は、れんさんをはじめ、皆さんが既にご紹介なさっておられるように、後世の成立であり、複数の書を併せたものであるというのがいちおうの信頼できる見解であろうと存じます。ただ、そのなかに実際に蓮師、本弟子六人方などが話し記したこともあるとは想像できます。該当の「光物」については、道師『三師御伝土代』にその記述が見られるわけで、もし、この書が同師のものであれば、かなり上古の伝説ということになります。今回のご投稿は、しかし、書の真贋を問うのではなく、記述の信憑性から、光物が何であったのか、お考えになっておられるのですね。

「九月十三日の夜なれば月大いにはれてあり」

という同書の記述は、天文シミュレーションと一致しないわけなのですね。

光物について、たしか創価学会出版の池田さんの対談集で、エンリケ彗星でしたか、彗星説を挙げていた記憶がありますが、この信憑性は如何ばかりでしょうか。

ご指摘されている隕石説ですが、これについて、わたしの体験を一言。
もう30年も昔のことなのですが、夜空を眺めていると、眩いばかりの光体が地平線にほぼ平行に、波打つように走り抜けていったのです。空の雲も、黄色にも、朱色に明るく照らされました。その大きさは一円玉ほどもあったように見えました。わたしは一瞬、UFOかと思ったのですが、冷静に考え直し、隕石であろうと結論付けました。その隕石は大気圏への入角の関係で地上に落ちず、また宇宙へはじき飛ばされたのではないのかと想像しました。地球引力に寄せられた隕石にそんなことが起きるのかどうかは別として、わたしは実際にこのような自然現象を目の当たりにした経験があります。

あと、この光物は、蓮師を救おうとした人が上げた花火であったとか、種々説はあったようですが、梅の木に掛かった‘星’とともに、これが蓮師の一念心によって起こった超常現象か否か、また、偶然であっても、それを蓮師が宗教的な体験と捉えたのか、あるいは『種種御振舞御書』の記述がまったくの創作物語なのか…、まずは平和創価さんが試みられているような科学的なアプローチ、また、同書への科学的な文献研究などによって、その実否を問うていくほかないと思えます。

あまり、参考になるレスともなっていませんが、実に興味深いアプローチでしたので、惹かれた投稿させていただいた次第です。

1540シェスタ:2004/07/16(金) 10:31
平和創価さんへ

陰暦の13日で月齢が21というのは、ありえません。なぜなら、月齢で日にちを
数えるのを陰暦と呼ぶからです。日付が13なら月齢も13です。
誤差があったとしても1日〜2日程度でしょう。

ソフトはステラナビゲータですか?

1541平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/07/16(金) 18:54
>>1539 犀角独歩さん
貴重な御意見有難う御座います。日蓮大聖人の事跡と御書を科学的に検証することの
重要性を感じました。
>>1540 シェスタさん
現在旧暦と言われている月齢と日付がほぼ一致するのは天保暦です。日蓮大聖人が御
使用になった暦は貞観4年(862)から貞享2年(1685)まで使用された宣明
暦です。日本で使用された暦は元嘉暦(692〜697)、儀鳳暦(697〜764)、
大衍暦(764〜858)、五記暦(858〜862)、宣明暦(862〜1685)、
貞享暦(1685〜1755)、宝暦暦(1755〜1798)、寛政暦(1798〜
1844)、天保暦(1844〜1873)の9種類です。鎌倉時代の宣明暦は日付と
月齢と日付が全く一致していません。ナギピーソフトの「こよみちゃん」を使って文永
8年9月13日をグレゴリオ暦の1271年10月25日を弾き出しました。また天文
シュミレーションは「ディスタントサンズ2」です。これは非常に正確なソフトで、推
古天皇36年3月2日(628年4月10日)の皆既日食を正確にシュミレーションし
ました。1271年10月の朔は5日でありますから、それを1とすると25日は21
に当たります。月齢は天保暦から1を引きますから20でしたね。失礼しました。でも
あの文永8年9月13日(1271年10月25日)の午後9時28分にかなり右半分
が欠けた位相(光る部分)62%の月が昇って来たのですよ。ここで私は思ったのです
が、日蓮大聖人はどのようにして当時の暦を知っていたのかということです。鎌倉時代
にカレンダーなどがあったのでしょうか。日蓮大聖人は絶対に日付を間違えなかったと
言えるのでしょうか。4年半も前の日付を正確に覚えていたと言えるのでしょうか。ま
た素朴な疑問がわいてきました。鎌倉時代の人はどのように暦を知ったのでしょうか。
現代のように新聞やテレビがある訳ではないのですからね。
まあシャスタさん「窓の杜」というサイトから「こよみちゃん」をダウンロードしてみて
下さい。ナギピーソフトでシェア料金500円で完全な「こよみちゃん」を開くことがで
きますよ。また天文シュミレーションの「ディスタントサンズ2」は驚く程正確ですよ。
まだ販売されているかも知れません。そんなに高くはありませんので、是非トライしてみ
て下さい。

1542平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/07/16(金) 19:33
>>1540 「シェスタ」さん
「こよみちゃん」はここからダウンロードできます。シェア料金500円だけで延暦
年間の旧暦から明治5年までの旧暦を現代のグレゴリオ暦に直すことができます。
    ↓
http://www.nagi-p.com/

1543シェスタ:2004/07/16(金) 19:48
平和創価さんへ

10月25日というのはグレゴリオ暦です。 1271年はユリウス暦ですか
ら、7日ほどマイナスしなければなりません。こよみちゃんでも、10月18
日と出力されます。

ディスタントサンズ2というソフトはよく知りませんが、ほとんどの天文ソフ
トは、1582年以前はユリウス暦とみなして計算しますから、日付もユリ
ウス暦で入力してやらなければなりません。

【1271年早見表】
 宣明暦       9月13日
 ユリウス暦    10月18日
 グレゴリオ暦   10月25日

ですから、10月25日ではなく10月18日です。結果、依智の星下りの奇
瑞のあった日の、鎌倉の月の出は午後4時となります。もちろん、25日で入
力すると月の出は午後9時半頃で、貴殿と同じ結果になります。

つまり、あなたは9月13日を調べているのではなく、実は、9月20日を
調べているのです。これだと、月齢が21になるのも納得できます。

1544雖念:2004/07/16(金) 20:04
>平和創価さん(1541)

平和創価さんはじめまして、雖念と申します。
種々御振舞御書の「光物」に関しては、当スレッドの855-875で議論されましたので、ご参照いただくとよいかと存じます。
私自身は、874に投稿しましたように、「光物」の正体は球雷と考えるべきではないかと存じますが、太陽暦の10月25日にこうした現象が見られるのかどうかが疑問です。
もっとも、北陸では冬に雷がなりますので、気象条件次第でありえない話でもないと思っています。

1545愚鈍凡夫:2004/07/16(金) 21:30

横レス失礼します。小生が普段使っているソフトで調べてみたのですが、シェスタさんと同じ答えでした。

1271(文永8:辛未)年9月13日(旧暦)
1271年10月18日(ユリウス暦)
1271年10月25日(グレゴリオ暦) 甲戌 先負 五黄 十三夜

小生が使用しているソフトはフリーソフトですが、使い勝手がよく、歴史年表を作る際に重宝しています。

旧暦表示付きカレンダー【Calend Mate】
http://homepage1.nifty.com/OkaLab/Program/CalendMate.html

参考資料

旧暦の仕組み
http://homepage2.nifty.com/o-tajima/rekidaso/calendar.htm

1546愚鈍凡夫:2004/07/16(金) 22:12

>>1539:
で犀角独歩さんが

> 光物について、たしか創価学会出版の池田さんの対談集で、エンリケ彗星でしたか、彗星説を挙げていた記憶がありますが、この信憑性は如何ばかりでしょうか。

と、仰ってるのは下記のことだと思います。

随筆 新・人間革命:黎明の竜の口
http://www.mahoroba.ne.jp/~felix/SGI/Marathon/tatsunokuchi.html

1547平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/07/16(金) 23:17
>>1543 シェスタさん
貴重な御意見有難う御座います。「ディスタントサンズ2」で調べました所、
1582年10月5日から10月14日は無効な日となっており、やはりシェ
スタさんがおっしゃる通りでした。文永8年9月13日はユリウス暦の10月
18日であり、月の出は16時2分であり、月の位相は89%で満月に近い光
度を持っていました。まだ午後8時でも南東の空に明るく輝いていました。そ
うなると『種種御振舞御書』の「九月十三日の夜なれば月大いに晴れてありし
に夜中に大庭に立ち出でて月に向かひ奉りて」と言う記載は真実であるという
ことになります。まことにまことに感銘致しました。私の不勉強を痛感した次
第であります。そうなるとこの御書が犀角独歩さんがおっしゃっていたように
後世の偽書であるとしても、実際に龍ノ口の法難に立ち会った人の記憶を忠実
に表している部分がかなりある御書であると言うことが言えます。愚鈍凡夫さ
んの御意見も正しかったのでした。
さて雖念さんの光物体が球雷であるとの御意見も可能性はあると思います。こ
れは球電とも呼ばれる現象であり、昔東京の麻布の民家で起きたということを
本で読んだことがあります。10月17日に龍ノ口に現れた南東から北東に光
り渡った光物体と、18日の夜に梅の枝に掛かった大星も球電である可能性が
あります。球電現象は雷雨の前後に起きるものです。大星が梅の枝に掛かった
後に「やがて即ち天かきくもりて大風吹き来たりて江の島のなるとて・空の響
く事・大なるつづみを打つがごとし」と御書にありますが、これは雷雲が近付
いて来たことを表しています。球雷であるという雖念さんの考えは御書の叙述
と科学的な根拠と一致しており、これまたこの御書が実際に起きた事を忠実に
表したものであることを裏付けることであると思います。皆様の真剣な探求心
にはまことに頭が下がる思いです。

1548犀角独歩:2004/07/17(土) 02:17

こうして、皆さんの議論で少しずついろいろなことが見えてくるのは、楽しいものです。
わたしは、このような場で前言を覆すことは何ら恥じることではないと思います。
皆さんのご賢察を拝しながら、真実に近づきたいと思うばかりです。

1549平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/07/17(土) 16:46
>>1545 愚鈍凡夫さん
貴重な御意見有難う御座いました。さて私は紹介されたサイトのソフトをダウン
ロードしたのですが、さっぱり開くことができませんでした。「ディスタントサ
ンズ2」には月の位相は表示されても月齢が表示されないと言う欠点があります。
まあ月の位相の%に29.53を掛ければ大体の月齢は出てきますが。「旧暦表示付
きカレンダー【Calend Mate】」はどのようにして開いたのかお教え頂ければ幸
いと思います。私は昨夜から悪戦苦闘しながら、とうとう今まで開けない始末で
す。ダウンロードとインストゥールは終わったのですが、開くことが全くできま
せん。「こよみちゃん」でも月齢は表示されません。前に月齢表示のソフトはあ
ったのですが、パソコンが古くなったため一緒に捨ててしまいました。御書の科
学的な考証の目的があったならば捨てなかったものをと悔やんでいます。

1550愚鈍凡夫:2004/07/17(土) 19:19

>>1549:創価平和さん、ご苦労様です。 m(_ _)m

無事にインストールが済んでいれば、「C:\Program Files」のフォルダに「Calend Mate」というフォルダが新たにできていると思います。その中の「CalendMate.exe」のショートカットをデスクトップにでも作成して下さい。なお、ショートカットの作成には、「ショートカット工房」が便利です。

Calend Mate(Windows95/98/Me/パーソナル)
http://www.vector.co.jp/soft/dl/win95/personal/se289934.html

ショートカット工房(Windows95/98/Me/ユーティリティ)
http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se158270.html

もし、VB6のランタイムがインストールされていなければ、下記のアドレスのランタイムライブラリから「Visual Basic 6.0」をダウンロードして下さい(VB6であればどれでも結構です)。
解凍したdllすべてを「C:\Windows\system」フォルダにコピーして下さい。これで準備OKです。

Common Archivers Library
http://www.madobe.net/archiver/index.html

1551愚鈍凡夫:2004/07/17(土) 19:47

訂正
名前を間違えました(ギャグではありません)。 (^▽^;)
創価平和さんではなく、平和創価さんです。ごめんなさい。 m(_ _;)m ゴメン!!

1552雖念:2004/07/17(土) 20:04
光の柱

通信手段が発達した現在では、「火球」が現れれば、目撃情報が寄せられ、天文台が直ちにコメントを出し、こうして新聞に紹介されますが、私たちは視覚的に確認できないと、もうひとつ安心できません。
http://www.sankei.co.jp/news/040716/sha152.htm

また、現在では写真やビデオが発達したため、「奇跡」も「怪奇」も姿を消しつつありますが、以下の光の柱なども、昔の人がみたら「神の降臨」「神のみしるし」としか表現のしようがないと思いませんか?

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&amp;d=20040717&amp;j=0047&amp;k=200407177299

1553愚鈍凡夫:2004/07/17(土) 21:27

もし、「Calend Mate」が文字化けするようでしたら、VB6のランタイムを下記のものにアップグレードして下さい。

Visual Basic 6.0 Service Pack 6 Runtime Set(Windows95/98/Me/ユーティリティ)
http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se152941.html

1554平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/07/17(土) 23:43
>>1553 愚鈍凡夫 さん
アドバイス有難う御座います。パソコンの操作を練習して開けるようにしていきます。
>>1552 雖念さん
これは大変なことですね。犀角独歩さんも30年前に隕石が地上に落下する反動で地球
圏外に弾き飛ばされた現象を見たということをおっしゃっていましたが、雖念さんが15
52で紹介された現象は単なる球雷とか隕石ではないと思います。私が21歳の時に大學
の正門で見た丸い光りの塊は三つの正三角形の形をとって夜空にもの凄いスピードで急
上昇していきました。忘れもしない、とある年の9月30日の夜でした。またこれはそ
の前年の9月4日の夕方でしたが、私が田園の農道でトランペットを吹いていたところ、
オレンジ色の光る物体が私から20メートルぐらいの至近距離まで近付いて来たことが
ありました。私は驚いて自転車に乗り猛スピードで逃げたところ、そのオレンジ色の光
物体は白い大星に変わって西の空に急上昇して消えていきました。インドでムノチュア
(引っ掻く物)というオレンジ色の光物体物が現れて死者や怪我人が出たと言うことが
以前民放の番組で報道されましたが、私が見た光物体と同じような物でした。私が見た
光物体は直径が20センチぐらいでガラスの中に火を灯したような物でした。これは球
雷とか球電やプラズマのような物ではなく、無線で操縦されている物体であると思いま
す。私は20歳前後の時に残像を持つ光物体を夜によく見ました。頭は白い光球であり、
尾を残像に長く持つのです。飛行機は残像など絶対に持ちません。UFOかどうかは分
かりませんが、このような現象は絶対に捨て置くことはできない現象であると思います。
雖念さんは島崎藤村の『夜明け前』という長編小説をお読みになったことがありますか?
私は22歳頃にこの小説の「光物体が飛んで人々が大騒ぎした」という下りを読んでぞっ
としたことがあります。正に『種種御振舞御書』の光物体であると思いました。私は流星
を見たことがありますが、あの21歳の時に見た光物体は極めてゆっくり飛んでいました
し、三つの光点が急上昇したのは隕石や球電ではないと思います。また20歳の時に見た
光物体は私の所にゆっくり降りてきて、私が逃げた後に西の空に急上昇して消えました。
やはりあの文永8年9月12日の光物体はあれだと私は思います。このような史実や現代
の光球の出現を荒唐無稽なことであると考えて無視していることは極めて不真面目なこと
であると思います。昔の伝説を全てお伽噺と考えて科学的考察をしようとしない現代科学
者の姿勢は極めて不真面目であると思いますし、自己の地位の保身や経済的な利潤の維持
を優先して真実を解明しようとしない科学者達には私はいらだちさえ感じます。『竹取物
語』に似た記述は外国にも有りますし、縄文時代後期の遮光器型土偶に似た土人形は同時
代のイラン近くの中東からも出土しています。縄文時代後期の縄文土器や土版にもあの遮
光器型土偶の大きい目が描かれているのです。時期が一致していることに空恐ろしささえ
私は感じます。人は多数者の意見に押されて自分の意見を潰すという悪い性質があります。
日蓮大聖人は多数者の意見に対抗して自身の確信を貫き通されました。あの龍ノ口の法難
の光物体は彗星ではないと思います。彗星は夜明け前や日没時に見られ長時間見られる物
です。あの光物体は短時間現れ人の顔さえ見られるくらい明るい物でした。近未来にこの
ことが解明されるであろうと私は思っています。

1555愚鈍凡夫:2004/07/18(日) 02:30

横レス失礼します。下記のような現象があるそうです(この現象の目撃者は以外に多いのではないですか。小生もその一人です)。

**************************************************
夕方西の空に見られる飛行現象について

2000年10月22日に北海道において隕石の落下のように見られる飛行物体が目撃されて以来、同様の目撃情報が当サイトの掲示板に報告されることが多くなりました。
10月22日の現象については飛行機の可能性がもっとも高いと考えていますが、飛行機の所属等については結論が出ていないようです。

いずれにしても、晴れた日の夕方西の空に(明け方の東の空にも見える)火を噴きながら落下していくように見える飛行物体は、99%飛行機であるといって過言ではありません。
特徴は、「30秒〜数分にわたって見える」「先端に黒い部分がある」「先端が短時間光る」「途中で方向を変える」などです。
(中略)
夕方飛行物体を目撃した場合には以上の点に注意し、それでも不明の場合にはご連絡ください。
隕石の落下の場合は、飛行時間が30秒以下の場合がほとんどで、直線的に飛行します。

http://www3.cnet.ne.jp/c-shimo/Dscf0025.jpg
「日本火球ネットワーク」ホームページより
**************************************************

Japan Fireball Network
http://www3.cnet.ne.jp/c-shimo/

1556シェスタ:2004/07/18(日) 11:24
平和創価さんへ

> 日蓮大聖人はどのようにして当時の暦を知っていたのかということです。鎌倉時代
> にカレンダーなどがあったのでしょうか。

鎌倉時代にもカレンダーはありました。もともと手書きの暦が配布されていましたが、
鎌倉時代末期からは、印刷された暦にかわっていきました。国立国会図書館のHPで、
当時の暦を画像で閲覧できます。

http://www.ndl.go.jp/koyomi/rekishi/03_index_01.html
http://www.ndl.go.jp/koyomi/rekishi/pic02_2_lar.html

なぜ、暦が配布されていたかといいますと、農作業に必要だったからです。
お百姓さんが種をまいたり、稲を刈り取るのには、どうしても暦が必要だった
のです。また、陰暦ですから、漁業にも使用されました。

あと、宣明暦は世界でも優秀な暦のひとつで、現代の暦とくらべても、そんなに
遜色はありません。以下はそのパラメータです。833年に2日という誤差です。

宣明暦の1年   365.2446日
現 代の1年   365.2422日

あと、1日の変わり目は、現在は午前0時ですが。鎌倉時代は午前3時でした。
これらに関しては、以下の書籍に、かなり詳しく書かれてあります。

日本・中国・朝鮮 古代の時刻制度
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4639012802/qid=1090109417/250-6693226-9158619
アマゾンでは品切れになってますね。大きな図書館にいけば、読めるかもしれません。

こちらは、天文関係のフリーソフトがダウンロードできます。
http://www.vector.co.jp/vpac/filearea/win95/edu/science/space/index.html

1557シェスタ:2004/07/18(日) 11:44
こちらで、天文関係のフリーソフトがダウンロードできます。
http://www.vector.co.jp/vpack/filearea/win95/edu/science/space/index.html

URLに記述ミスがありました。訂正します。

1558愚鈍凡夫:2004/07/18(日) 14:06

暦の先進国中国では、皇帝は「天子」とも呼ばれ、「天帝」から、この世のすべての支配を委託されたただ一人の人物であるという位置づけで、この皇帝に諸国の王が随順の証として、皇帝が支配する時間を受け入れる。という意味があったようです。つまり皇帝のみ発行を許されている「暦」を頂くという意味ですね。従って、古来より日本にも中国から暦は送られてきたようです(臣下の証だったようですね)。
日本が自前で暦を作れるようになってからは、中国の例に習ったのか、天皇以外に暦の発行は許されませんでした。そういう意味では、暦は権威の象徴であったようですね。

旧暦の仕組み7
http://homepage2.nifty.com/o-tajima/rekidaso/calendar7.htm

1559平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/07/18(日) 16:35
>>1558 愚鈍凡夫さん
「旧暦表示付きカレンダー【Calend Mate】」を先程開くことができました。この
ソフトはフリーソフトでありながら極めて正確でありかつこよみちゃんよりも古い
時代から計算できる優れたソフトですね。月の位相%に29.5を掛けて私は月齢
を算出していたのですが、文永8年9月13日の夜の月齢が「ディスタントサンズ
2」の%に29.53を掛けた結果とこのソフトの月齢がほぼ一致しました。いや
もう凄いソフトですね。暦に関する知識といい、愚鈍凡夫さんの博学には脱帽しま
す。さすがに犀角独歩さんと鎬を削っているだけのことはあると思いました。また
私の不勉強を痛感した次第です。
>>1557 シェスタさん
天文シュミレーションのご紹介有難う御座います。優れたソフトはシェア料金が掛
かっても使用していきたいと思います。私が使用している「ディスタントサンズ2」
は非常に優れたソフトですのでシェスタさんも一度お試しになってはいかがかと思い
ます。

1560愚鈍凡夫:2004/07/18(日) 17:06

平和創価さん、「Calend Mate」が使えるようになって良かったですね。
パチパチパチ o(^ー^)o☆o(^ー^)oパチパチ

> さすがに犀角独歩さんと鎬を削っているだけのことはあると思いました。

あまりにも犀角独歩さんに失礼ですから、ジョークということで。 (@Д@; アセアセ・・・
あ〜オソロシィ・・・・・・。 (O.O;)(o。o;)

余談ですが、緯度経度ならここで簡単に調べられますよ(○○市○○区のように指定)。

SEARCH(日本緯度経度検索)
http://www.interq.or.jp/mars/tozai/data/search.html

1561平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/07/18(日) 20:16
愚鈍凡夫さん、シェスタさん、貴重な御意見有難う御座いました。
さて私は今日16時にメールを送信した時に後の部分を削除しました。それは極めて
日蓮大聖人の門下として不謹慎なことであると思いカットしたのですが、このことは
2ちゃんねるでこの3月から外部の人達と議論して来たことなので犀角独歩さんにも
お聞きしたいと思います。私はあの議論の後の2ヶ月後に発病し、病院通いになった
次第です。今は快復していますが万全ではありません。その議論とは言うも恐ろしい
日蓮大聖人の死因です。今日16時にそのことを付け加えたのですが、恐ろしくなり
削除して送信しました。しかし、このことを科学的な分析をしないで置くことは我々
にとってマイナスであると思い、敢えて投稿します。
犀角独歩さん、愚鈍凡夫さん、シェスタさん、雖念さん。
日蓮大聖人は60歳で亡くなられました。(年齢は全て満年齢です)弟子の日興上人
は87歳、同じ弟子の大聖人より1歳年上の日昭は102歳まで生きていることを考
えますと大聖人は何かの病気で亡くなられたと思います。大聖人は建治3年の暮れか
ら下痢が始まり、翌年の6月には最悪の状態になられました。一度快癒されたのです
が弘安4年の12月にはかなり酷い状態になられております。翌年弘安5年10月1
3日に亡くなられるのですが、日蓮大聖人の死因は一体何なのでしょうか?外部の人
は「大腸癌」という説を日蓮研究者の学説から引き出しています。私はそれに反論し
たのですが、その書き込みが私自身に対する呵責となって体調を崩させたのではない
かと思います。大聖人の激しい下痢と痩せ病は肝臓病と関係があると私は思い、外部
の人にメールを送り続けたのですが、私の身体がおかしくなってしまいました。私は
日蓮大聖人の死因は大聖人が食物が少ない所にお酒を好まれたたの肝硬変ではないか
と思います。佐渡流罪はそれに拍車をかけるものだったと思います。肝硬変になると
激しい下痢が続くことがあるのです。また栄養障害に酒が加わると肝臓を壊します。
私はそのようなことを考えて外部の人達に「日蓮大聖人癌死」説を否定したのですが、
私の書き込みが気になり、私自身が呵責に苛まれるようになりました。
犀角独歩さん、愚鈍凡夫さん、シェスタさん、雖念さん。アドバイスを頂ければ幸いです。
あとシェスタさん。やはりあなたのソフトの「ステラナビゲータV2」の方がいいと言う
ことが分かりました。

1562雖念:2004/07/18(日) 21:35
平和創価さん:

> 大聖人は建治3年(1277)の暮れから下痢が始まり、翌年(1278)の6月には最悪の状態になられました。一度快癒されたのですが弘安4年(1281)の12月にはかなり酷い状態になられております。
(西暦表示を併用いたしました。)

大腸がんの特徴は、血便や便秘だとあります。下痢とは反対に、お通じがわるくなるのですね。

*******************************  引用開始   ********************
(自覚症状は)血便です。貧血を起こすこともあります。出血している場所によって表れ方も異なり、結腸の場合は便が黒っぽくなります。S状結腸や直腸など出口に近いと、便秘など便通異常を起こします。最後におなかがはっておならも出ないような腹痛に至りますが、この段階では、すでにがんは進行しています。五十代以上で過去にないような血便や便通異常のある場合はぜひ検査を受けてください。
http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/00/ken/20040220/ftu_____ken_____000.shtml
*******************************  引用終了   ********************

平和創価さんは、肝臓病原因説を考えていらっしゃいますが、以下の記事は肝臓病原因説とは言えないでしょうか?

*******************************  引用開始   ********************
晩年の日蓮聖人の病の原因
A:1993年10月28日の『宗門新報』に興味深い記事がありましたので、ここにその要旨を紹介します。本紙において、日蓮聖人の身延期の病は、山梨地方病ではないかとの報告がなされました。入梅時の甲府盆地では道草に日本住血吸虫という病原虫がいて、その病原虫は宮入貝という貝を中間宿主にして成長し、水辺などで人体に伝染します。日蓮聖人は5月17日に山梨にきて、約1ケ月も山梨地方を巡られております。丁度、入梅の時期に甲府盆地の湿地帯を進まれたのです。この病気は初めは下痢から始まり、やがて肝臓を痛めます。供奉の日興上人などは鰍沢の生まれで抵抗力があったのか、あるいは日蓮聖人のように常に身延に常住していなかったので、発病が軽かったものと思われます。この山梨地方病は昭和になるまで、その原因がわからず、昭和になってその病原と処置方法がわかり、排水工事などをやって患者数が激減したといわれております。
 http://www.asahi-net.or.jp/~IA8D-TKMR/contents4.html
*******************************  引用終了   ********************

1563愚鈍凡夫:2004/07/18(日) 22:25

雖念さん、水を差すようでごめんなさい。日本住血吸虫症は癌になりやすいそうです。

**************************************************
日本住血吸虫症

日本住血吸虫症は戦前は日本にも流行していましたが、駆除政策がおこなわれ現在、新たな感染者の発生はありません。しかし、以前に日本住血吸虫症に感染し治癒したご老人(陳旧性日本住血吸虫症)の方は多くいます。

陳旧性日本住血吸虫症の方は肝硬変、肝臓ガン、胆道ガンになりやすいことがわかっているのですが、また大腸ガンにもなりやすいといわれています。これは日本住血吸虫症の卵が肝臓や大腸粘膜内にいつまでも残るためのようです。

「大腸.com」より
**************************************************


創価学会2代会長の戸田さんは肝硬変による心不全で亡くなったようですが、蓮祖の死因は何でしょうね。「衰病(おとろえやまい)」「下痢(くだりはら)」「やせやまい」から連想するのは、やはり大腸癌でしょうか。ただ確かなことは、いかなる病であったにせよ、1282(弘安5)年10月13日に入滅されたということですよね。その時、総てをやり遂げたといったような人生に満足した死だったのでしょうか。

「答えて云く一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、」(「報恩抄」 学会版P328)

「問うて云く如来滅後二千余年竜樹天親天台伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(「法華取要抄」 学会版P336)

とありますが、
個人的に、この「三つの秘法」の論理的完成を成さずに死んでいくことは断腸の思いではなかったかと想像します。せめて、あと10年の寿命があったなら、今に伝わる日蓮仏教も違ったものになっていたかもしれないと思います。

参考資料

あの頃のこと第20回
http://the49.hp.infoseek.co.jp/emyo_t/em1406a2.htm

日本住血吸虫症と大腸がん、大腸癌、直腸癌、大腸検査、大腸ポリープ、血便、総合サイト
http://daichou.com/japonica.htm

波木井殿御報「常陸の湯」について
http://homepage1.nifty.com/kakurai/hitatinoyu/oosakigakuhou.htm

1564シェスタ:2004/07/19(月) 07:14
平和創価さんへ

本題とは関係ないですが。

> 「ステラナビゲータV2」の方がいいと言うことが分かりました。

えーと、現在はV6ですね。
http://www.astroarts.co.jp/products/stlnav6/tryout/index-j.shtml

以下のページも、お気に入りに加えておけば、何かの時に役に立つと思います。

暦のページ
http://koyomi.vis.ne.jp/

一般天文・気象情報リンク集
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8y-ktu/link.htm

1565犀角独歩:2004/07/19(月) 12:50

最近の皆さんの投稿は面白いですね。
つい読む耽って、そのあと、言語かも出来ない思いを楽しんでいます。

蓮師の死については、死因は雖念のご呈示も参考にしながら、死因は決し切れませんが、概ね1563に愚鈍凡夫さんが記されたように戒壇義不成就で病死されたのだとわたしも考えています。

わたし自身は蓮師を本仏と考えるわけではありませんから、別段60歳で亡くなろうが、病死であろうが、それをそのまま受け止めるばかりです。
事実と相違する肥大した想像の産物より、蓮師その人の実像のほうが遙かに胸を打ちます。

関連するかどうか。シャキャムニの涅槃を記す現代語訳『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)の記述を思い出しながら、平和創価さんの投稿を拝読していました。

「さて、尊師が鍛冶工チュンダの食物を食べられたとき、激しい病が起り、赤い血が迸り出る、死に至らんとする激しい苦痛が生じた」(P110)

この食事がシャキャムニに死をもたらしたと言います。
シャキャムニもこうして、こうして激烈な血便の末、死に至りました。どこか蓮師の死と相通じるものを感じます。

それはさておいて、シャキャムニを死に至らしめた食事を供養したチュンダを気遣い、アーナンダ(阿難)に伝言したと言います。ほぼ記せば、シャキャムニの生涯にとって「二つのすぐれた食事」があったと言います。一つは悟りを生じるときに受けたスジャータの乳粥、そして、もう一つはチュンダの死に至らしめた料理であった…。
チュンダへ非難を防ぎ、そして、チュンダを思うこの件をわたしはこよなく愛します。

わたしは60歳で夭折したからどうとか、あるいは志半ばで倒れたからダメだなどという気は毛頭ありません。死は一定(いちじょう)で、生まれたものはやがて、病み、老い死んでいく、そのありのままを受け容れ、心を乱さぬことを教えたのがシャキャムニの教説であると思い、また、だからこそ、その教説を仰ぎます。

蓮師餓死に臨み、身延を出で、池上に向かうに興師に代筆させた『波木井殿御報』(弘安5年9月19日)

 畏(かしこ)み申し候。みち(道)のほど(程)べち(別)事候はで、いけがみ(池上)までつきて候。みちの間、山と申し、かわ(河)と申し、そこばく大事にて候ひけるを、きうだち(公達)にす(守)護せられまいらせ候ひて、難もなくこれまでつきて候事、をそれ入り候ながら悦び存じ候。さては、やがてかへ(帰)りまいり候はんずる道にて候へども、所らう(労)のみ(身)にて候へば、不ぢゃう(定)なる事も候はんずらん。さりながらも日本国にそこばくもてあつか(扱)うて候み(身)を、九年まで御きえ(帰依)候ひぬる御心ざし申すばかりなく候へば、いづくにて死に候とも、はか(墓)をばみのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候。又くりかげ(栗鹿毛)の御馬はあまりをもしろ(面白)くをぼへ候程に、いつまでもうし(失)なふまじく候。ひたち(常陸)のゆ(湯)へひか(引)せ候はんと思ひ候が、もし人にもぞとられ候はん。又そのほか(他)いたはしくをぼへば、ゆ(湯)よりかへり候はんほど、かづさ(上総)のもばら(藻原)殿のもとにあづけを(置)きたてまつるべく候に、しらぬとねり(舎人)をつけて候ひては、をぼつか(覚束)なくをぼへ候。まかりか(帰)へり候はんまで、此のとねり(舎人)をつけ(付)をき候はんとぞんじ候。そのやうを御ぞんぢのために申し候。恐々謹言。
  九月十九日                       
日蓮    
 進上 波木井殿 御侍
  所らう(労)のあひだ、はんぎゃう(判形)をくは(加)へず
候事、恐れ入って候。

この時、蓮師は衰弱の極みに達し、二度と身延に戻ることは出来ないと覚悟されていたと拝察します。その上での、心遣いの文面は、「ご本仏だから、少病少悩、すべてをやり遂げて…」とあとから自分たちの教学から潤色変造された蓮師より、わたしは遙かに有り難く尊い存在と思います。


平和創価さん、わたしは脱会後、極度の神経障害を克服した経験があります。そのきっかけとなった‘気付き’は以下の一説でした。

「(あるメンバーは)やめると気が狂うという観念を(略)埋め込まれていた。驚いたことに、彼はやめたあと本当におかしくなった。両親は彼を病院へ連れていった。医師たちの意見では、彼はたしかにおかしい、実際分裂症だ、というのだった。青年はこの診断を、自分のリーダーが正しかった証拠だと解釈した。
 あるメンバーは)もしグループをやめようものなら自己破壊を起こすのだと条件づけられていた。そして実際やめてみると、まさにそのことが起こりはじめたのだった ―― 救出カウンセリングに出会うまでは」(『マインド・コントロールの恐怖』P306)

1566雖念:2004/07/19(月) 14:18
愚鈍凡夫さん:>1562(その1)


蓮祖の死因に関して定説がないということは、「診断」に必要な情報の量や質が限られているということかと思います。当時の医療レベルは、「医心方」「金匱要略」「傷寒論」程度かと思いますが、証を重視し、症候論的には舌診や脈診を重視したもので、現代医学のそれとは、大きな違いがあるのではないでしょうか?

また、自覚症状があったとしても、それを口にされたかどうか、また記録されたかどうかという問題もあるかと思います。

寄生虫疾患が最初に頭に浮かぶのは、ほんの数十年前までは日本でも感染症や寄生虫疾患が大きな問題であったからです。
私が子供のころ、(ほんの数十年まえです)小学校の児童会で、「川の水を飲まないようにしましょう」と、いう議題について話し合ったことがあります。山間僻地では、上水道の設備がなく、一部の家庭では、井戸水や煮沸した川の水を飲用していた時代でした。
蓮祖の時代も同様に、井戸水は、貴重な飲料水で、洗濯や野菜洗いには川の水を用いていたと考えられますから、甲斐の風土病である日本住血吸虫症に感染していた可能性はあると思います。しかし、この疾患の場合肝障害による腹水が特徴的とされ、(画像あり)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/1781/china/sj.html
また、咳や喘息様の発作、けいれんや視力障害をともなうこともあるとされていますが、
このような症状があれば、記録に残らないとは考えにくいので、凡夫さんのおっしゃるように、やはり住血吸虫症とは少しちがうような気がします。
では、いったいなんでしょうか?調べてみると、慢性の下痢をきたす、疾患だけでもずいぶんありますね。炎症性腸疾患、腸結核、大腸アメーバ、寄生虫、クラミジア、大腸がん、胃がん、膵がん、慢性膵炎、甲状腺の病気、副甲状腺の病気、腎臓の病気、糖尿病など、たくさんあるようです。(凡夫さんに教えていただいた、daichou.comの中にありました)
http://www.daichou.com/geri.htm

「波木井殿御報「常陸の湯」について」から、病気に関する部分を編年体で抜粋してみました。1273年からやせ病が起きたとすると、1282年で入滅されるまで10年の歳月を経ていますが、がんにかかって10年生存できるかどうか?
 また、発病を1277年としても6年の生存ということになりますが、がんで(現在の医療水準で考えた場合)治療らしい治療もせずに、6年間生存できることは普通によくあることなのかどうか? そんなことが、問題になるような気がします。

1567雖念:2004/07/19(月) 14:19
愚鈍凡夫さん(その2)

******************************* 一部抜粋して引用   *****************
1273年(文永10年)ごろからやせ病起こる
1274年(文永11年)身延に入山なさる
1277年(建治3年)発病し下痢を病まれた
1278年(建治4年)正月から不調となり療養の巧もなくて11月・12月ごろは食欲がなく衰弱の一途をたどった。
1279年 ずっと病臥をつづけられていたように見受けられる
1281年(弘安4年) 5月の末、聖人は重態におちいられ、のちに少しく恢復された
1282年(弘安5年)10月15日門下某に口授して常忍への手紙の代筆をさせられ、終わりには聖人みずから筆をとって花押を加えられている
1282年 (弘安5年)9月、身延をたち、道中つつがなく武蔵国千束郷池上に安着された聖人は波木井の南部実長に池上到着の旨を報ぜられたが、疲労が甚だしくしてみずから筆をとることができず、日興に口実代筆させられた。
10月8日、本弟子6人を選定して滅後の法灯とし、10月13日、61才をもって入滅された。
*******************************  引用終了   ********************

1568雖念:2004/07/19(月) 14:29
犀角独歩さん:(> 1565)

まことに、おっしゃるとおり死因云々よりも病に望んでの蓮祖のお姿にこそ、心うたれるものがあります。長年の病苦を乗り越え、越し方を恬然とみて、その中で供養に感謝し、弟子たちを励まし続けたお姿がしのばれます。

「みちの間、山と申し、かわ(河)と申し、そこばく大事にて候ひけるを、きうだち(公達)にす(守)護せられまいらせ候ひて、難もなくこれまでつきて候事、をそれ入り候ながら悦び存じ候。」

独歩さんが引用されたこの一節と同様に、入滅の前年に記されたこの一節も、心に残っています。
 
「ゆき(雪)はかさなり、かん(寒)はせめ候。身のひゆる事石のごとし、胸のつめたき事氷のごとし。しかるにこのさけ(酒)はたたかにさしわかして、かんかうをはたとくい切りて、一度のみて候へば、火を胸にたくがごとし、ゆに入るににたり」
上野殿母尼御前御返事 【C0・弘安四年一二月八日・南条時光母尼】

1569愚鈍凡夫:2004/07/19(月) 16:36

雖念さん、いつもながらの丁寧なレス、有り難うございます。 m(__)m

ああっ、忘れてました。
>>1565:で犀角独歩さんが紹介されている「現代語訳『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)」のダイジェスト版が下記のHPで読めます(少々長いです)。興味のある方はどうぞ。

ブッダ最後の旅 1『大パリニッバーナ経』等より
http://www2.big.or.jp/~yba/asia/nehan01.html#01

1570愚鈍凡夫:2004/07/19(月) 20:14

あれれっ、ずれてる。 (‥ゞポリポリ

ブッダ最後の旅 1『大パリニッバーナ経』等より
http://www2.big.or.jp/~yba/asia/nehan01.html

1571菱村正敏:2004/07/19(月) 21:59
日蓮は60まで生きたのですから、当時では大往生でしょう。また死因は、
生まれ落ちたからでしょう。

1572犀角独歩:2004/07/20(火) 11:35

― 2、3日の逗留のつもりが、病気悪化して出立できなくなり、10月13日辰の刻(午前8時前後)、旅の空で世を去ったのである。…日蓮はまだ61歳であった。
「南無妙法蓮華経は獅子吼の如し、いかなる病もさわりもあるべからず」
と豪語した彼(日蓮)も、その題目を唱えて、わが身に奇跡は起らなかった。 ―(森山諭著『創価学会の間違いをただす』日本イエスキリスト教団東京協会出版部発行 P27)

実に不快な記述です。御書の引用は好い加減で、真跡を遺さない『経王殿御返事』「南無妙法蓮華経は師子吼(く)の如し。いかなる病さは(障)りをなすべきや」を言うのでしょうし、斯く言うこの教団が仰ぐイエスも、信仰者以外から見れば、若くして磔刑に遭い、死期に臨んで神に恨みを言ったではないかと言い返したくもなりますが、まあ、それは置きます。『立正安国論』に法華経による国家祈祷を提唱し、また、個人に充てては「病息消滅・不老不死」を言い、しかし、その当人が病にあって死せば、このような言われようになるものかも知れません。これが現実です。これは他宗から見た一般的な見方であるとは思います。

わたしは、雖念さん、また愚鈍凡夫さんが、その死因について考えるような率直な思惟に賛同します。何故ならば、事実を知りたいからです。建長5年より三十星霜を経る蓮師、末期(まつご)に何とも人間味溢れる心境と名文を遺した落涙を禁じ得ません。


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