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素朴な疑問

1504犀角独歩:2004/07/14(水) 09:23

1503 晃司さん:

> 初めに日蓮さんは題目を発しました、これが題目です(形のないもの)

違います。羅什がサダルマプンダリーカスートラを妙法蓮華経と訳した、この経題(経典の題名)を題目というのです。漢字で書かれた五文字を言います。
それを五重玄に解釈したのが天台であり、この(妙法蓮華経)五字を唱えることをはじめたのは天台(宗)です。それを踏襲して唱題を行として確立したのが蓮師です。

> 本尊を作りました(曼陀羅等)(形在るもの)

これも違います。蓮師は観心本尊という己心のなかに久遠実成釈尊を観たのです。これが本尊です。その一形態に漫荼羅本尊があるということです。

> その居場所を決めました(戒壇)(形在るもの)

そんなことは蓮師は言っていません。

> 御本尊さまというのはね三つ揃って御本尊さまというというのが既存の教学

そうではなく、興師門その他を既存の教学といえば、戒壇・本尊・題目は戒定慧の三学に配し、それを倶伝することを仏教というのです。

自分の考えを恰も蓮師のように、また、その後の継承者の教学のように語ることは甚だ不可です。

> 宗教の本論とは幸福

何でこのようなことが言えるのでしょうか。
しかし、では学会が好きな「幸福」とかいうこの言葉を否定しようと言うものではありません。あなたがどう言おうと、それは勝手ですが、仏教が宗教であれば、それは幸福を目指したものではなく、成仏を目指したものであったでしょう。ではその成仏を絶対幸福とか訳のわからない解釈をしたのは学会ですが、それをそのまま、当たり前のことのように書かれれば異議を唱えないわけにはいきません。

空き缶さんの指摘に何を勘違いしたか、本論・各論とか言い出し、幸福がどうということは「三つ揃って御本尊さま」に対する疑義への何の回答にもなっていません。
また、この点については大宮さん(はじめまして)がいう、本尊(有形)・御本尊様(無形)の違いへの疑問も同じくあなたは何も答えていません。

また、ここでは各論がどうだとやっているわけではなく、蓮師、あるいは興師が、実はどのような教学思想の持ち主であったのか、個人の勝手な解釈、後世の改竄を取り除いて、その素意を考えることを真剣にやってきました。その点を本論が幸福などと言って論をすり替えてよい謂われはありません。


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