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素朴な疑問

1539犀角独歩:2004/07/16(金) 10:03

平和創価さん:

1534〜7のご投稿、たいへんに興味深く拝読しました。

『種種御振舞御書』は、れんさんをはじめ、皆さんが既にご紹介なさっておられるように、後世の成立であり、複数の書を併せたものであるというのがいちおうの信頼できる見解であろうと存じます。ただ、そのなかに実際に蓮師、本弟子六人方などが話し記したこともあるとは想像できます。該当の「光物」については、道師『三師御伝土代』にその記述が見られるわけで、もし、この書が同師のものであれば、かなり上古の伝説ということになります。今回のご投稿は、しかし、書の真贋を問うのではなく、記述の信憑性から、光物が何であったのか、お考えになっておられるのですね。

「九月十三日の夜なれば月大いにはれてあり」

という同書の記述は、天文シミュレーションと一致しないわけなのですね。

光物について、たしか創価学会出版の池田さんの対談集で、エンリケ彗星でしたか、彗星説を挙げていた記憶がありますが、この信憑性は如何ばかりでしょうか。

ご指摘されている隕石説ですが、これについて、わたしの体験を一言。
もう30年も昔のことなのですが、夜空を眺めていると、眩いばかりの光体が地平線にほぼ平行に、波打つように走り抜けていったのです。空の雲も、黄色にも、朱色に明るく照らされました。その大きさは一円玉ほどもあったように見えました。わたしは一瞬、UFOかと思ったのですが、冷静に考え直し、隕石であろうと結論付けました。その隕石は大気圏への入角の関係で地上に落ちず、また宇宙へはじき飛ばされたのではないのかと想像しました。地球引力に寄せられた隕石にそんなことが起きるのかどうかは別として、わたしは実際にこのような自然現象を目の当たりにした経験があります。

あと、この光物は、蓮師を救おうとした人が上げた花火であったとか、種々説はあったようですが、梅の木に掛かった‘星’とともに、これが蓮師の一念心によって起こった超常現象か否か、また、偶然であっても、それを蓮師が宗教的な体験と捉えたのか、あるいは『種種御振舞御書』の記述がまったくの創作物語なのか…、まずは平和創価さんが試みられているような科学的なアプローチ、また、同書への科学的な文献研究などによって、その実否を問うていくほかないと思えます。

あまり、参考になるレスともなっていませんが、実に興味深いアプローチでしたので、惹かれた投稿させていただいた次第です。


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