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死刑制度についてひと言お願いします
1
:
boro
:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。
429
:
loveless
:2004/01/21(水) 01:28
>>426
人権さん
最近、このような「残虐極まりないが、被害者が一人なので、求刑死刑
判決無期懲役」というケースにだんだん驚かなくなりました。
(やはり数年前に、検察が、被害者一人という理由で無期はおかしいと
上告した件が却下されたのが大きいと思います。このとき却下した
最高裁の判事は誰だったか。。。)
それにしても、(3)のような理由で死刑回避の理由を説明する判事
がほかにもいたような気がしたのですが、これって世間一般的に
容認されている理由なんでしょうか?
私は、人権さんと同じように「へぇ、だから?」くらいにしか
思いません。
また、ひょっとして、今が、人権さんが420で触れられているように
刑法の抜本的見直しで、死刑廃止を盛り込むための準備段階
なのでしょうか?
(微妙な時期には死刑判決は出さない。。。オウム除く)
430
:
松葉屋
:2004/01/21(水) 22:01
死刑の執行をためらう法務大臣を国民の側から法的に制裁を加えることは
できないのでしょうか。
431
:
黒たん
:2004/01/23(金) 06:29
>>429
(3)のような理由で死刑回避の理由を説明する判事がほかにもいたような気が
したのですが、これって世間一般的に容認されている理由なんでしょうか?
私は、人権さんと同じように「へぇ、だから?」くらいにしか思いません。
同感です。おかしな言い方かも知れませんが、どうしてこれだけの酷い事して
いてこんな軽い刑...といいますか、納得いかないところがありますよね。傍で
見聞きしている我々でさえそう思いますもん、当事者(原告側、被害者)はもっ
ともっとそう思うのではなかろうかと。
確かにどれだけ酷い事をしでかしたとしても、逆に幼少期の劣悪な家庭環境下
で犠牲になっていた。そういう意味で言えば「被害者」であるのかも知れない。
だけどそんな中でも真面目に一生懸命やっている人だっていくらでもいると思
うし、劣悪な環境だったから(罪を犯すのは)至仕方ないというのは理由になら
ない、言い訳だとさえ思います。何をしてもいいのかよ...って。
>>426
「反省・謝罪しているか」否か果たして確実に判断することが可能なのでしょ
うか。人の心の中など他人には窺い知れない部分があり、結局裁判官といえ
ども見誤る場合がないとは言えないのではないでしょうか。
人の心ほど難しい部分ってないと思うから、そういう事もおのずと出てきます
よね。又人間だから間違いはある、裁判官だって人間だから...でも極端な話、
人の命だって係わってくるワケじゃないですか。「見極め違い」が生じてしまっ
たが為に、新たな犯罪・被害者・死者が出る場合だってあるのだから、そうい
う意味において人命が係わって...とも、なりますよね?
そういった事等を、考慮しているのだろうかという気がします。
432
:
人権
:2004/01/29(木) 15:20
沼津ストーカー殺人事件で、又「求刑:死刑→判決:無期」という判断
が出ましたね。しかも三島事件の時と同じ裁判長(高橋祥子)。
マスコミ報道によれば、
「残虐かつ凄惨(せいさん)な犯行だが、計画性はなく、
被告に矯正の余地は残されている」
「被告は犯行当時、境界性人格障害で、家庭や学校など成育環境の影響を
否定できず、量刑上考慮せざるを得ない」
「人格障害や犯罪傾向の改善は困難だが、矯正、治療の余地は残されている」
とのことですが、「計画性」があろうがなかろうが、被害者にとっては
関係ないでしょう。
「人格障害や犯罪傾向の改善は困難」とまで言っておきながら、
「矯正、治療の余地は残されている」と判断する根拠はどのあたりに
あるのか、直接聞いてみたい気がします(無理でしょうけど)。
この男は以前にも同様のメッタ刺し事件を起こしているそうです。
将来出所したのちに再び犯行に及ぶ「余地も残されている」
のではないでしょうか(もちろん控訴されて異なった判断が
示される可能性はありますが)。
どうも裁判官自身なるべく死刑判決を回避したいという姿勢が
伺えるように思います。それが確固とした廃止論に基づくもの
なのか、単なる事なかれ主義の様なものなのかはよく分かりませんが。
433
:
人権
:2004/01/30(金) 01:19
続けて失礼します。先の沼津の事件の判決を受けての御遺族のコメント
が新聞に掲載されていました。
「極刑以外は全く考えていなかった。娘の人権はどこへ行ってしまったのか」
<死者には人権を想定することはできない>という考え方もあるよう
ですが、何か釈然としない思いが残ります・・・
そもそも登校時に待ち伏せているのですから、「計画的でない」とは
言えないのではないでしょうか。
434
:
昔
:2004/01/30(金) 05:51
まったく、法律って弱者の味方ではないのですね、
被害者の過去も未来も全て奪い、残された遺族を絶望においやり、あげく
計画性が無かったとか、反省しているとかで15年や20年の懲役ですから、
人生今時80才位までは生きる訳で、償いにしては短すぎますよね
435
:
黒たん
:2004/01/30(金) 06:17
>>432
どうも裁判官自身なるべく死刑判決を回避したいという姿勢が
伺えるように思います。それが確固とした廃止論に基づくもの
なのか、単なる事なかれ主義の様なものなのかはよく分かりませんが。
という人権さんのお言葉に同感です。又、人権さんがおっしゃっていたストー
カー殺人の一審判決の事が取り上げられてなおの事…。
どれだけ被害者が肉体的&精神的苦痛を大いに味わわされて→最終的に殺され
ても、そこに至るまでの経過等は一切関係ないのか…それこそ、言葉は悪いで
すが
「人一人殺しただけでは死刑にならないのか」
とか、「無期懲役」というのが便宜的に使われているのかとさえ思えてしまうと
ころがあります。最近とみにそう感じますね…。
ただホントのホントによく見極めた上でというならまだしも、もし「便宜的」に
なんていったらたまったもんじゃない。「ふざけるな!!」でしかないよねって思
います。傍で見聞きしている側でさえそう思いますもん、被害者(遺族)サイド
の方々はもっともっとだろうなと。
なんかスゴク穿った見方なようで申し訳ない&言い訳めいてるかも知れませんが、
が、でもそう思わせるようなところが感じられるなと。そういう見方をなくさせ
る様な、でもそれより何より中立かつ公正に見極めるのが裁判官の仕事であり立
場なのだから…。
436
:
元愛媛県民
:2004/01/30(金) 15:30
犯罪はもっと客観的に見るべきなのではないでしょうか。
犯人がどんな境遇で育ったのか、あるいは裁判で反省の態度を見せているかどうかなどは
犯罪行為とはまったく関係はありません。
法律学者は「因果関係」というものをあれだけ厳密に問うのに、犯人に対して「責任論」という場面になると、
犯罪者救済のためにそれを使っているとしか思えません。
「家庭環境が貧しいから犯罪をおかした」「犯行を心から反省している」
こんなことを大新聞が書くのはやめてほしいと思います。
そういったことが容易に「自分が犯罪者になったのは家庭環境のせいだ」
「反省しているのだから死刑にはならない」ととんでもない発想につながっていくのだと思います。
438
:
bibo
:2004/01/30(金) 22:14
あなたは、目前の罪を悔い改めた死刑囚の首を自分の手で
刎ねることができますか?
440
:
miyuki
:2004/01/31(土) 13:26
>>438
では、悔い改めているという判断はどういった所で出来るのでしょうか?
441
:
loveless
:2004/01/31(土) 22:56
>>432
その一方で、オウム真理教の土谷被告の判決が死刑となり、
これで教団関係者の死刑判決は11人となりました。
国家に対する挑戦には、やはり厳しい。。。
442
:
loveless
:2004/02/14(土) 18:17
中国で覚せい剤を密輸しようとした日本人が死刑判決(執行猶予なし)
を受けました。
日本に比べてあまりに厳しい。。。(で、こんな法律の中でも
めげずに犯罪を続けているような輩が日本へ出稼ぎに来たりする)
隣の国がこのような厳しい刑罰を科している状態で、仮に日本だけで死刑を
廃止しても、地域のバランスが崩れそうで、(廃止は)改めて時期尚早では
ないかと思いました(犯罪者を大量輸入しそう。。。)
ちなみに新聞によると、このように中国からの覚せい剤持ち出しで逮捕された
人の多くが、ホームレス等の普段あまり犯罪に関わらない人達で、見知らぬ人
から数十万程度の報酬で中国行きを頼まれるとの事。
法律を知らないと損しますね。。。
443
:
ほげ
:2004/02/21(土) 00:10
ワタシは死刑廃止論者ですが、
現時点では大勢の意見に従わざるをえないと考えています。
その個人的な死刑廃止論の根拠ですが、
まずしばしば語られる2点の問題点、
1.刑務官/裁判官の人権問題
2.冤罪の可能性 があると思います。
やはり合法的な殺人というものに
人間は手を染めるべきではないでしょう。
そしてもう1点、実は上の2点より重視しているのですが、
たとえば殺人という大罪に対して、死刑がその応報になっているか、
という点について強い疑問を感じています。
これは個々の生死観宗教観に依存する問題になってきますが、
死イコール絶対的な無だとはとても思えないのです。
(死後の世界についてオカルト的な与太話を信じているわけではありません)
生前に犯した大罪に対する応報は生前に与えられるべき。
死刑はその大前提を壊してしまうものであると考えています。
(そこで死刑廃止時は刑期の長期化や懲役の厳格化も必要でしょう)
もっとも、現在の多くの日本人はワタシとは違う生死観を持っているようであり、
現行の死刑制度をしぶしぶ認めているといったところです。
444
:
むむ・・・
:2004/02/21(土) 00:59
>>443
おっしゃる通り、死刑の賛否については個々人の思考に前提条件があり、議論して終息するものではないと思います。
私は死刑賛成派です。根拠は、「人を殺した者は死刑」という単純明快な発想で十分だと思っています。
情状酌量はそのあとの話です。
445
:
Katsu
:2004/02/21(土) 02:18
>>443
>生前に犯した大罪に対する応報は生前に与えられるべき。
>死刑はその大前提を壊してしまうものであると考えています。
この点については、ちょっと疑問があります。
死刑は生きているものに行う極刑です。
死んだものに対して死刑はありません。
446
:
元愛媛県民
:2004/02/21(土) 09:43
これは個人的な意見ですが、いままでマスコミ、政治家の発言、行動をみていると、
死刑廃止派の人たちの多くは親中国、親北朝鮮の発言をしているのが非常に気になっています。
意見は人それぞれ自由ですが、死刑に反対ならば中国や北朝鮮のように人権が無視され、軽々しく死刑が
おこなわれている国に、なぜ批判的な発言をしないのか・・・・。
私は死刑賛成派ですが、中国の死刑はあまりにも軽微な犯罪に対しておこなわれすぎていると思っています。
死刑廃止派の人たちは、「日本でおこなわれる死刑」に反対ではなく「人間に対しておこなわれる死刑」に
反対しているのだと思うので、中国政府に対しても抗議すべきではないでしょうか。
447
:
ikkuynn
:2004/02/21(土) 12:25
今回の中国の覚醒剤密輸(疑惑)事件、判決を受けた日本人は、死刑が確定した
のでしょうか?「判決を不服として控訴した」といった話を聞かないので…。それ
とも、もともと中国では三審制が採られていないのでしょうか?ややスレ違いかも
知れませんが、死刑判決に不服さえ述べられないとすれば、問題だと思うので…。
448
:
草田男
:2004/02/21(土) 14:23
中国は二審制です
449
:
かわち
:2004/02/21(土) 14:44
草田男さんのおっしゃるとおり、中国は二審制ですが、
ほとんど上訴して、覆ることはないようです。
また死刑判決の場合、嘆願で「執行猶予付き死刑」に
減刑されることもありますが、これは執行猶予期間に
重大な事件を起こさず、捜査に協力すれば(これは明記されてませんが)
最短懲役15年まで減刑されるという制度です。
いくら経済面で民主化が進んで来ても
人権・言論の点でまだまだ中国は民主化されて
いないようですね。こういった刑事罰の不均衡が
中国人犯罪者の日本流入を加速させている側面は
否定できないと思います。
450
:
元愛媛県民
:2004/02/21(土) 16:17
たしか、殺鼠剤を食べ物に混入し数十人を殺した犯人は、控訴しその日のうちに、棄却されて
死刑になったのではなかったでしょうか。
451
:
ikkunn
:2004/03/02(火) 03:29
死刑制度の犯罪抑止力について、一言。
マスコミが大々的にとりあげているせいなのかも知れませんが、最近、死刑判決
を覚悟の上で犯罪に及んだ、と思われる凶悪犯罪が発生しているので、気になって
書き込みさせていただきました。
例の池田小の児童殺傷事件、及び神奈川西部の連続通り魔事件の(元?)被告人
らは、いずれも自ら死刑を望んでいるとの旨の意思を、公開の法廷の場で表明しま
した。
仮に彼らが本心から死刑判決を受ける事を望んでおり、それを恐れないとするの
ならば、果たしてこれらの犯罪を国家権力によって抑止する術はあるのでしょうか?
死刑に犯罪抑止力がある事は、疑い無い事実だと思います。大多数の人間は、い
かなる方法であれ、国家権力によって自らの生命を絶たれる事など望みはしないで
しょう。しかし「死刑になっても構わない」と考えて凶悪犯罪に及ぶ者がいるとす
れば、これらの者に対する「現行の」死刑制度の犯罪抑止効果(一般予防機能)に
疑問を感じざるを得ません。また実際にその者が死刑に処せられても、被害者の遺
族(等)の感情は、少しも癒される事はないでしょう。従って、その「報復機能」
をも果たせないと思います。
死刑を恐れない(と表明する)犯罪者に、中世のような残虐な刑罰を望む訳では
ありません。また、本心から「絞首刑」を恐れないと思う犯罪者はごく稀だと思い
ます。しかし「死刑にしてくれ」と自ら表明する犯罪者には憤りを感じます。死ね
ば済むとでも思っているのでしょうか?
私は、基本的には死刑制度の存続には賛成です。ただ、わが国の現行の死刑制度
が「極刑(=最も重い刑)」であるとは思いません。これに代わる極刑の創設を望
みます。憲法36条の範囲内で考えれば、それは絞首刑よりも、むしろ終身刑であ
ると私は思います。
452
:
白たん
:2004/03/02(火) 15:22
死刑判決を望むような生物的な危険分子は死刑によってその子孫を根絶しなくては
いけません。それが本人の望むことかは問題ではありません。
453
:
ゼロ
:2004/03/03(水) 01:56
>死刑に犯罪抑止力がある事は、疑い無い事実だと思います。
死刑が犯罪の抑止力になっている、というデータは実はないようです。
むしろ、逆に死刑を廃止したあとに犯罪が減ったというデータはあるようですが
犯罪が減ったという事実と死刑廃止との因果関係ははっきりしていないらしいです。
また、だからといって死刑を廃止しても犯罪は増えない、とは言い切れず
これだけは実際に廃止にしてみないと分からないことです。
法務省ははっきりと死刑には犯罪抑止力があると主張していますが
その根拠となるデータは見たことがないです。
死刑判決を覚悟で犯罪を犯すというのは年に1度あるかないかだと思います。
全体の1%くらいかもしれません。だからといって無視していいものでもないです。
人によっては死刑よりも終身刑のほうがツライと思う者もいるとは思いますが
やはり死刑の方がイヤだと思う者が圧倒的に多いと思います。死刑判決が出ると
いうことは「更生の余地なし」というほかに、生かておいておけないという
国側の判断であり、そうなること自体、精神的にショックではないかと思います。
日曜を除いた?毎日の朝、もしかしたら今日あるかもしれないと思いながら
過ごさなければならない恐怖を味わうだけでもツライですね。その点から言えば
終身刑は刑務所から出られないもののずっと生きていられるわけですから・・・。
誰も人殺しになるために生まれたわけでも、人に殺されるために生まれてきた
わけでもないのに、こうなってしまうことは悲しいことです。
エラソーなこと言ってすみません・・・。
454
:
えふ
:2004/03/06(土) 18:09
そういえばこの前の麻原こと松本智津夫裁判で、坂本弁護士の同僚の方が
「当たり前ですが死刑では1度しか死にませんから・・」
とおっしゃっていたのが印象深かったです。
もしも何度も死んだりできるものであれば、量刑への論争ももう少し簡潔に
なるのかも知れませんが・・・(不可能ですね)
私個人は死刑への賛否を云々できる明確な意見がないのですが、どんな量刑を
導入してもきっとどこからか異論は出てくるのだろうと思います。
終身刑が導入されて、その生活費(??)もその受刑者自身の年金などが充てられる
などすれば多少はマシなのかも知れませんが・・・。
455
:
みふ
:2004/03/13(土) 20:19
何人殺しても、死刑は1度ですんじゃいますから、もっと重い刑があればいいと私は思います。死刑については「賛成派」です。人権とかなんとかすべて無視してよいなら、「目には目を、歯には歯を」がいいと考えます。例えば、山口県光市の母子殺人事件の犯人は、1度釈放され、普通の生活をし、愛する人と家庭を持ち、子供の寝顔を見るにつけ「ああ、幸せだな」と思うころ、妻と子供を国が」殺せばいいんです。被害者と同じ事されないとわからないと思うんです。どれだけの重罪を自分が犯したのか。そうもいかないんでしょうけど。憤りを感じるたびに思います。同じ事してやらなきゃわからん!と。前述、えふさんのカキコにもありますが、受刑者の生活は我々の税金でまかなわれているのですから、いたずらにだらだらと生かしとくことは無いと思います」。冤罪は別ですが。
456
:
鯊
:2004/03/15(月) 10:48
>455
気持ちはわかるんですが、『妻と子供を国が」殺せばいいんです。』はキツイ。(笑)
457
:
kei
:2004/03/16(火) 16:03
そうそう、鯊さん、気持ちはわかるんですよね(笑)。
手段はともかく、罪の重さをわからせる・・ということには賛成。
458
:
人権
:2004/03/31(水) 16:22
『現代思想』(青土社)の3月号に「死刑を考える」という特集が
組まれています。「考える」となっていますが、実際には廃止論の
特集で存置派からの発言はないようです。
それにしてもN氏のように存置派からの疑問・問いかけをただ
「ためにする言いがかり・あら探し」としか捉えようとしない姿勢
には疑問を覚えます(もちろん中には言いがかりもあるでしょうが)。
459
:
M_I
:2004/04/07(水) 14:55
>妻と子供を国が殺せばいいんです
僕もこのようなワダカマリ(?)に対し極端な事を考えてしまいますが、
加害者の親が加害者を責任を持って始末して欲しいと思いますね。
出所が制御できず野に放たれたソレが何の関係もない他者に対し危害を加える。
というのは迷惑極まりないでしょう。一方でどういう訳か親御さんの意図しないところで
環境か運の悪さか知りませんがソレらが親の知らぬところで悪くなるのも事実のようでして、
そんなソレにどう対処してよいか分からない彼らも不憫でもあるのですが。
しかし、やはり考えもなしにポンポン産みよる人も多いのでは?
460
:
いやあ通りがかりです。
:2004/04/11(日) 18:25
私は死刑制度の意義について、やや懐疑的ですが。
死刑制度に問題があるとすれば、「復讐権」という
ものを国家・政府が独占して、勝手に代行している
ところに問題があると思います。
国家がわざわざ、もう死んでしまった被害者のために、
犯行後何年もたってから、加害者を殺しても意味が
ないですよねえ。
抑止力云々については、すぐ上で書かれている通り、
あまり期待できないどころか、かえって犯行が
エスカレート(顔を見られたら即殺す)となりかねない
ような気もします。
461
:
ほのか
:2004/05/10(月) 03:03
>「復讐権」というものを国家・政府が独占して、勝手に代行している
ところに問題があると思います。
「復讐」を被害者の遺族によって行なうという死刑制度もどうかなと思います。
「復讐」とはいえ、「殺人者」になってしまうわけですから。
アメリカのように注射による死刑を行い、それを被害者の遺族がその執行場面を
見ることができるということにするのもいい案だと思います。注射ではなく
点滴でもいいと思います。
462
:
loveless
:2004/05/11(火) 01:59
>>460
復讐に関しては、死刑に限った話ではないと思います。
たとえば、娘をレイプされた父親がその加害者に対して
復讐のため暴行を加えても父親は罪になります。
これは復讐の復讐などのように負の連鎖を阻止して
社会を安定させるために必要なことと思います。
そういう意味では、復讐権を個人から取り上げて
国家が代行するというのは、刑法の基本的な
考え方の一つのような気がします。
463
:
占
:2004/05/12(水) 07:58
死刑を廃止し、刑罰を廃止し、「復讐」という観念のない社会をつくれば
凶悪犯罪自体が減少するので安上がりです。
犯罪としての殺人の動機は復讐です。それが主観や妄想であれ。
これは、相手が見知らぬ不特定である、通り魔だってそう。
社会への復讐、女性への復讐(性犯罪)。
復讐の国家殺人(死刑)・リンチ(刑罰)が公にある限り、
殺人や凶悪犯はなくなりません。
子は親の背中を見て育ち、人間はその社会を見て育つ。
それに、いま犯罪者は刑務所における虐待と出所後の差別で、再犯者へと
むりやり作られています。そこでは教育・矯正など行われていません。
刑務所は廃止。教育には、ただの学校と寮で十分。
464
:
Low
:2004/05/12(水) 23:04
刑罰のあり方については、社会秩序の維持、被害者感情の満足、犯罪者の更正といった
様々な目的が絡み合っているだけに正直どうあるべきかとは言えません。
ただ、死刑廃止論には反対です。
極刑といわれるものが、どう考えても改善不能な人間を社会から永久に隔絶することを目的にしたものと考えた時、
死刑以外の手段で、わざわざ血税を使って生かしておく意味があるのか、という単純な理由です。
さすがに、誤審の可能性は憂慮しますが…。
人道的観点から死刑を廃止する国は多いですが、その前に軍隊を無くせないのかとよほど思います。
どうも進歩的な発想は、その足元が怪しい気がします。
465
:
ゼロ
:2004/05/13(木) 01:18
死刑制度について考えるとき、いつも永山則夫のことを思い浮かべます。
確かに永山は自分とは無関係な人を4人射殺しました。うち2人は強盗目的での
殺人で、充分死刑に価する犯罪を犯しました。一度は無期懲役判決になったものの
差戻し審で死刑になり確定し、酒鬼薔薇事件のあった1997年の8月に処刑
されました。永山よりも死刑が先に確定した死刑囚が多くいたのもかかわらず
永山が犯行時19歳だったということで法務省が少年犯罪を意識したことで
先に処刑されたのだと思います。永山の小説は「無知の涙」をはじめとして
多くの刊行物を次々と出版しました。中には犯罪に関する書物もあり
書籍では売れたほうだと思います。そして本を売って得た印税は被害者の遺族へ
償いという形で支援者の手を借りて手渡しています。ヘンな言い方ですが
小説家としても犯罪者としても貴重な人を失ったように思います。
466
:
無邪気
:2004/05/24(月) 23:30
死刑反対派の皆さんに伺いたい 難しい理論や哲学は私には理解できないが
もしも あなた方の家族.知人が意味も無く殺されたら・・(特に強姦.放火.
営利誘拐等)そして 数年経って(精神病.薬物なら数年でしょう)
罪を償ったとして貴方の近所で幸せな生活を始めたら・・・
そして 同じ犯罪をいつ起こすかわからない・・・
アナタガタハ ソレデモ シケイニ ハンタイ デスカ???
467
:
死刑廃止に反対
:2004/06/17(木) 20:05
免罪符が交付されたとき、かえって犯罪が増加したので抑止力として
存続させるべきです。
468
:
草田男
:2004/06/29(火) 18:38
国会閉会から死刑執行はあったのだろうか、
469
:
墨子
:2004/07/02(金) 20:34
私は死刑賛成でなおかつ公開処刑の復活が望ましいと考えています。公開処刑のような
視覚的トラウマを周囲に与える手段があることで犯罪を犯したくないと言う精神構造
をつくることが可能になると思います。現在、いわゆる残虐刑が次々に廃止されてますが
その結果として頭としては刑罰があることがわかっていても体の方が短絡的な犯罪
をおこすようになっていっていると思います。つまり、単に厳罰化というだけでなく
周囲により多くのトラウマを与えることが寛容と思います。死刑制度自体については
冤罪の問題が唯一の争点だとおもっています。人を「死刑」にした人間を「死刑」に
できないのは如何なものかと思いますので。
470
:
ayane
:2004/07/03(土) 11:38
初めて書き込みさせていただきます。
死刑については、刑罰としての存続を希望しています。
日々を精一杯生きている市民が犯罪に巻き込まれ、被害者となった時、
唯一の拠り所とできるはずの法律が、加害者の権利ばかりを声高に叫ぶのは、
間違っていると思います。
犯罪抑止力としての観点からも、簡単に廃止はできないのでは。
471
:
ろった
:2004/07/03(土) 22:14
死刑に賛成の部分は被害者家族の意識しかない。
その被害者家族の気持ちは復讐なのだろうか?
もし、それが復讐的な心理を根拠に死刑にしているのならば
反対だなぁ。人間が人間を合法的(現在合法なのだから)に
死刑にするとしても、合法じゃなければ人を殺すことになる。
この先、死刑廃止になったら過去の合法死刑が間違っていた
(その言い方は極端だが)ということにならないだろうか。
それに統計が本当ならば死刑制度での犯罪抑止力がないから
意味がないんじゃないだろうか?
死刑をなくして終身刑をとりいれてはどうだろうと思う。
472
:
Low
:2004/07/04(日) 04:30
私は拷問や残虐刑の禁止までは賛成ですが、あくまで死刑廃止には反対です。
その理念は素晴らしいと思いますが、誰もがその理念に共鳴できるわけではないからです。
本来自然界には生死に正邪の概念は無く、人間社会もその延長上にあるに過ぎないのだから、死刑というものは単なる社会のルール上のペナルティです。
その社会の中に、あらゆる殺人を容認しない理想を持った人がいる事は喜ばしいですが、現実に殺人を何とも思わない人がいる以上、対抗力としてのペナルティを無くす必要性は感じられないですし、そのペナルティの存在が「悪いものだ」という認識は、そういう価値観を持った人以外には無い(多少はあるかもしれないけど)ものです。
そういう意味では、その理念なり理想なりが社会の中で体勢を占めるようになれば、嫌でも死刑は消えて無くなることでしょう。
ところで死刑反対派の方達は、理想論以外ではどんな理由で日本における「よほどの極悪犯罪を犯し確実な証拠でもなければでなければ、今や下されなくなった死刑(ゆえに誤審はゼロに等しいとして)」が駄目なのでしょう?
残虐刑の類には反対ですが(場合によっては、終身刑は現行死刑より残虐かもしれません。)、速やかに命を断ちさえすれば、コスト的な問題だけでも死刑のメリットはあると思いますが。
473
:
pikaru
:2004/07/04(日) 07:56
足跡ついでに意見をカキコします。
私の意見としては死刑に対しては反対です。なんでかというと人が
人を殺すことを容認してほしくないからです。犯罪者を死刑にする
のは、法律をもとに殺すことだと思います。被害者が加害者を殺し
たいと思い、死刑にしたら加害者と同じように殺人を犯したことに
なるんじゃ。
自分が被害者になっても、この意見をいえるとは思えませんが、理
想論として私の意見はこんなとこです。
474
:
ろった
:2004/07/04(日) 09:55
私は死刑(人の命が関わる問題)を
コストで考えることはできない。
現実に金がかかるのであるが、
現実にそういうコスト面で考えられない
私もいる。
475
:
V3
:2004/07/04(日) 20:22
「被害者感情」や「復讐権」だけでは、今後予想される国際NGOや外国政府
からの批判に対して説得力の面で弱いように愚考します。もちろん、これらに
対し「内政干渉」と反論しても、あまり効果がありません。
今後も日本が制度として死刑を続けていくにあたっては、国はどういうときに
人命を奪うことも辞さないのか という原則をしっかり打ち立て、理論武装
をしておく必要性があるように思いました。
476
:
ダランボール
:2004/07/06(火) 07:09
死刑の存廃は、いまという時代を生きている人が、その是非を論じるだけでなく、
法制史の観点から、歴史になにかをすこし付け加えるつもりで論じる必要があるのでは
と考えています。国家制度とか、そういうレベルの問題で済むものでもない。
そもそも、「生きるにあたいしない人間」というのは、近代の法的価値観
からは存在しない(わたしは死刑廃止派では全然ありませんが)。わるいことを
したとしても、誰でも生きる価値はある(人権)。
日本でも類似の事例はありますが、中世のヨーロッパならば、人間が生きている
生活圏の外部に、犯罪者を追放する領域があって、ひどいことをしたら、「社会」から
離縁させられて「森をさまよう人」となり、誰になにされても殺されても何もいえない
(非)存在へと犯罪者は形態を変えることができた。
現代の「社会」にそのような外部は存在していませんから、社会でな
にもかもひきとらなければいけない。これは確かに理不尽です。
近代という時代(18,19世紀)は、将来的に犯罪も殺人も発生しなくなる、という完成
された(理想的)な社会の状態から逆算して、とりあえず、人間の価値、生きる価値
を理念でもって実体化して、それが今に至っています。
二つの大戦を経て、そのような楽天的な人間観ではやっていけないということは
判明しました。しかし、私たち(人類一般)は、すでに近代の権利や価値を大量に
継承してしまっているので、「自分」という存在が、生きる価値を剥奪されてしまう
ということは想像すらできないのです。その点では、犯罪者もそうでない人も同様
です。 完成された社会をつくりだす近代の思想計画は、挫折したのです。
ただ、ここで法制度の古い層である復讐などを持ち出す感情的な議論をしていては
先につながっていかないと思います。必要なのは、うわっつらだけの批判でない近代
批判であり、人間の「生きる価値」あるいは快適に生きる価値そのものをいったん批
判することではないでしょうか。
477
:
V3
:2004/07/06(火) 07:48
法制度の古い層である復讐などを持ち出す感情的な議論を批判し、いわゆる
「刑は犯罪への応報である」という考え方を否定しながら、その一方で
「快適に生きる価値」を否定し、「(世が世なら社会的に追放されるべき
人には )快適に生きる権利を批判すべき」と 結果的には前段で否定した
結論を積極的に主張することになる部分が、私には理解しにくいです。
478
:
ダランボール
:2004/07/06(火) 08:30
「快適に生きる価値」を否定 するものではないです。批判すべきではないだろうか
ということです。人間が人間に対する自己批判として。犯罪者の快適に生きる権利
だけを批判せよと言っているのではないです。「論理」的にそれほど難しいことで
はないと思います。
わたしが主張したいのは、犯罪のない社会−人間性の価値を楽天的に肯定した
平和な社会−をきずけるという近代固有の認識を批判し、必要な場合は根本から
それを改めて、広く共有できるあたらしい認識へとつなげていく必要があるの
ではないか、ということです。誰かが個々の事件について、死刑だ!と声を上げ
るだけで済む時代では、もうないでしょうということです。 死刑を論ずるなら、
今的なトピックにのっとって、法や制度の改正を論じることも必要だと思いますが、
法制史や哲学の議論も必要ではないか、ということです。
479
:
V3
:2004/07/06(火) 10:03
「人は犯罪を犯さない自由な意思がある」という「近代思想計画」的な考え方
が余りにも楽天的過ぎるというのは、そうだろうと思います。そういう自由意思
を集めたからといって、確かに犯罪なき「平和な社会」ができるとは限りません。
ただそのことと「一旦快適に生きる価値そのものを批判する必要性がある」こと
とのつながりが分かりにくいです。
480
:
ダランボール
:2004/07/06(火) 10:40
おっしゃる通りです。ただ、人間(個)−社会という近代モデルは、
そもそも楽天的な人間観、自由観にもとづいたものであるからこそ、
そのような人間観を継承した現在、死刑というところに象徴的に問題
が発生する状況になっていると考えられます。平和な社会が達成でき
なければ、近代モデルそのものを疑い、さらに、近代の人間の価値
生き方をいったん留保する(批判はそこからはじまります)ところ
から考える、ということが重要ではないかと思います。憲法を見ても
「人間は快楽をもとめる」などとはけっして書いていませんが、根本
にあるのは、人間=快を求める存在という思想です。しかも、各々が
自分の快を追求してよろしい、という思想です。 このような目に見えない
思想がいまも当然あります。ヒトは空気みたいにこの人間観を吸収して、その
ような考え方をしています。これでは、解釈によっては殺人も是になってしま
います。それが問題なのです。憲法を具体的にどうせよ、というとまた面倒な
話になるのでしませんが、ある意味で「人間は罪を犯す可能性を持っている」
「人間が自由を享受し物質的に豊かになることは、精神的な成熟とは無関係で
ある」ということを、共通の認識として持っていることが必要ではないでしょうか。
宗教家ならば「人間は罪深い存在である」という一文を憲法に入れろ、という
かもしれません。でも、それに近いことをやったところで何もよくならなかったのです。だか
ら、近代の思想家はいったん人間をニュートラルな自由な存在、それだけで価値の
ある存在として規定した。ただ、それも、限界に来ているとわたしは考えています。
他にも形は多少ちがっても、同様な考えの人はいるのではと思っています。
481
:
Low
:2004/07/07(水) 05:59
そもそも生きるに値しない人間というものはいない、というのは確かです。
価値観はその時々の状況によって違うわけですから、戦場の勇者も単なる殺人者もやっている事は同じでも、時の社会がそれをどう捉えるかによって180度異なる取り扱いを受けるわけです。
しかし、人権によって誰でも生きる価値があるとされた事には大きな疑問を感じます。
人権とは本来自由権であって、権力からの自由を確保する為の権利です。
自由権の淵源は自然権の思想、即ち人は誰でも生まれながらにして、自由に生きる権利を持っており、それは人である限り当然に有するものという発想です。
そもそも自然としての人間には「生きる価値」や「善悪」を考える必要は無いのです。
生まれてきた以上、好きにすればいいということです。
人権の中心規定たる憲法13条に幸福追求権というものがありますが、これこそが「人間は快楽を求める」ということを認め奨励した条文に他なりません。
しかし、「公共の福祉に反しない限り」という条件付きです。
権利には当然に内在的制約(他者加害の原理)があるので、他人に迷惑になるような幸福追求はそもそも認められていないということです。
憲法は個人の生まれながらの自由を標榜しつつも、権利の限界も認めたということです。
権利の制約手段の一つとして、権力による殺人を容認する事については大賛成というわけではありません。
しかし、対立する権利の矛盾・衝突は、あくまで客観的合理的な権利・利益の比較衡量によってバランスを考えてなされるべきだと思います。
今は一人を殺しても、まず死刑にはなりません。加害者の人権に天秤が傾いている時代です。
アメリカの一部の州のように、死刑を無くして懲役150年とか量を重くすればいいという問題ではないと思います(そもそも「人道的観点」から死刑を廃止している国々の土壌はキリスト教の思想です。死刑の廃止が先進的な発想かどうかは、かなり怪しい気がします。)。
482
:
V3
:2004/07/07(水) 12:53
人格の一回性・再生不能性を考えるとき、それの持つ人権を他の権利・利益と
比較衡量するとか、比較した結果に基づいて制限されるべきという考え方は、
すでに死刑廃止派から批判されたところであります。
483
:
V3
:2004/07/07(水) 13:09
ところで、死刑廃止派はよく「統計的に見て死刑制度に(凶悪犯罪の)抑止
効果が見られない」と主張します。
例えば、国際テロリストが(憲法で)死刑の廃止されたドイツで犯罪の準備を
行い、死刑制度のあるアメリカで犯行を行い逮捕され、アメリカで死刑を宣告
されたとします。この場合、結果から見れば「アメリカは死刑制度があるのに
凶悪犯罪を防げなかった」という結論は、まあ言えるでしょう。ただ、
「ドイツは死刑制度がなくても凶悪犯罪を(ドイツで起こっていないから)
防げた」という結論は 妥当なものでしょうか。よく分かりません。
なので、こういうことを統計的に主張することは、あまり信用していないのです。
484
:
Low
:2004/07/07(水) 19:21
>すでに死刑廃止派から批判されたところであります。
どのような批判だったのでしょう?
いつ頃のレスか分からないので、それだけで終わられてもすっきりしません。
死刑の威嚇力については、合理的利益衡量ができる人にしかききめが無いと思われます。テロリストのような確信犯や、突発的・衝動的・短絡的な犯行には効果は薄いでしょう。
組織的・計画的な犯行の類には、重い刑の方が抑制効果を発揮しやすいといっていいと思います。
例えば、国内の外国人犯罪の増加も他国と比較して軽い量刑が誘因となっている事等が挙げられます。
統計の結果は、国情の違いをどこまでカバーしきれているか疑問なのでアテにしていません。
485
:
V3
:2004/07/07(水) 20:11
批判の内容については、死刑廃止論のサイトをいくつか見れば載っています。。
それによれば、刑の軽重だけからみれば、別に死刑で(刑を重くする必要が)ある
必要はないとされます。
また「威嚇力」についても、多分「ある」「ない」の水掛け論に終始するのがオチ
だと思います。
これまでの死刑存置論は、個別の事件の判決では社会通念や市民感情に支えられても、
「国が人命を奪うこともいとわないのは、どのような論理によって正当化されうるのか」
という部分が十分に議論されてきたのか、疑問です。このため、例えば
・犯罪抑止力がないのではないか
・死刑と無期懲役(終身刑といってもいい)との峻別は人間の英知では不可能
・犯罪被害者の救済と刑とは別問題
等の主張に対して、どうしても説得力の面で弱い。仮に「誤審」の問題を措くとしても。
「応報」や「威嚇力」などの、既に死刑廃止論者に乗り越えられてしまっている
ものとは何か違った理由付けが、何かないものかと愚考しています。
486
:
Low
:2004/07/07(水) 21:47
仮に死刑廃止論に完全に「乗り越えられた」のであれば、理屈では死刑の存在理由は無いということになるでしょう。
でも現実にはなくなりそうにない、なぜか?
憲法9条においては理想的な法を頂きながら、現実とのギャップゆえに改憲・軍隊を保有する必要にせまられるのと同様、機が熟していないということです。
死刑があることがよいことだから賛成しているのではなく、死刑廃止の土壌となるべき治安も価値観も満たされていない現状では、到底世論が納得するはずも無いのです。
死刑がなくてもよいと思える時期が来れば、死刑は無くてもよいと思います。しかし、現実にそんな時期が来るとは思えませんが。
死刑に関する従来の理由付けを完全に論破できているというなら、あえて死刑を残す為に新たに説得材料を探す意味等はありません。戦争批判を論破できないのと同様、そもそも理想論には勝てないものです。
結局死刑とは理屈で存在しているわけでは無いと思います。それは人が犯罪を犯す根源的な欲求と近い領域の問題です。
人間社会のほとんどの場面で理想では生きていけないから、現実的な対応がなされている。
死刑もその一つとしてあり続けるだけであり、別にそれでもいいのではないかと思います。
長文連続カキコが多くなりすみません。そろそろ消えます。
487
:
V3
:2004/07/07(水) 22:19
少年法の問題もそうですが、死刑存置賛成を主張するには、まず死刑廃止論が
どういう根拠でなりたっているか、死刑存置論の何をどういう理由で批判して
いるのか、それを十分に踏まえる必要があると思っています。廃止論はいまや
世界の潮流であり、その前には「日本の国情」とか「理想論」「現実策」
「時期尚早」だけでは、個別の裁判に対してはともかく、通用しません。
488
:
GORIE
:2004/07/14(水) 09:29
「死刑」に値する罪。
被害者遺族は、加害者が死刑になれば気が済むのではなく、「仕方ないから死刑で
あきらめる」のだと思います。
死刑になったところで、殺されてしまった人は生き返らず、2度と元通りの生活はできない。
本当なら自分で手を下したいでしょう。
死刑判決を受けた人で、心から悔い改める人ってどれくらいいるのかな??
「女子高生コンクリ」事件の犯人の再犯で、ふと考えてしまった。
今回の被害者に対して、あの事件をハクのように言ってたらしい。
刑に服した期間は無駄だった、と思わざるを得ない・・・・・。
現実問題、税金で沢山の凶悪犯罪者を生涯養うのも大変なこと。
489
:
wel
:2004/07/14(水) 19:31
はじめまして、welといいます。
このスレッドを全て読んではいないんですが、個人的な意見を。
基本的に死刑には賛成なんですが、これを執行する人が苦しんでいる、
というのを本で読んだことがあるんです。
だから、なるべくならこういった人を出さないような制度というか、
システムといったものを考えて実施するならいいな、と思います。
要するに、あまり無関係の人を巻き込まないようにといった感じで。
何気に
>>2
さんの緑化ネタは懐かしい上に、できたとしたら本当にいい案だと思います。
まあ、非人道的だと叩かれるのがオチなんでしょうけど・・・
実際にそういう風に容赦無く人が裁かれる世の中だったら、
今より世の中は確実に良くなっているのかもしれませんね・・・
490
:
とおりすがり
:2004/07/15(木) 12:49
死刑の是非は、ともかく、個人的に思うのは、
刑罰は、その犯罪に対して課せられるもので、抑止効果などは、そもそも2次的
なものなのでは?と思います。
基本的には、最低でも、奪ったものと同等のもので償わせるのがスジかと。
命を奪ったのであれば、命で償うのは必定。
勿論、そうしたところで、元には戻りませんし、被害者がそれを望んでいるかはわかりません。
ですが、それを聞く事が出来ない以上、死刑にすべきではないでしょうか。
つまり、今よりもっと厳しくあるべきと思います。
あらゆるケースにそれのみで対応できるとは思いませんが、
人を殺しても、10年もすれば出てこれるのでは、誰でも不公平だと感じるのでは
ないでしょうか?
少なくとも、一人(以上)の人権(命)を奪った以上、その人間の人権は、
考慮するべきではないと思います。
他者の人権を一方的に奪った人間の人権を考えている時点で、すでに不公平ですから。
491
:
人権
:2004/07/15(木) 13:59
先日、知人の女性を殺害・放火したとして強盗殺人等の罪に問われて
いる被告に対する控訴審で一審の無期懲役が支持されましたが、やはり
殺されたのが一人であるという点が量刑に大きく関わっているようですね。
「殺害されたのが一人の場合は死刑を回避する」という判断がほぼ定着
しつつある感じがします。見方によれば(少なくとも部分的には)死刑
が事実上廃止されたと言えなくもない。
問題は生命を保証された(まだ確定していませんが)被告が刑に服す
過程において真に罪を償うことができるか、被害者(遺族)から見て
「改悛の情著しく死刑が回避されたことが正しい選択であった」と
確信できる境地にまで達することができるか否か、だと思います。
ただ、一人では死刑にならないということは被害者の命と加害者の命
とは等価ではないということにもなるわけで(加害者の生存権は保証
される)、殺害人数を過大に考慮しているようにも思います。
いずれにせよ「無期懲役に処せられ仮出獄ののち再び殺人を犯す」という
最悪の事態だけは避けてほしいですね。
492
:
特命希望
:2004/07/15(木) 15:32
まったく同感です。
493
:
特命希望
:2004/07/15(木) 15:34
すみません、書き込み失敗しました。
>490
とおりすがりさんのご意見にまったく同感です。
494
:
GORIE
:2004/07/16(金) 10:35
刑務所で、真人間になれるのかな?
何年いても中身が変わらない人も沢山いるし。
だいたい10年以上も刑務所にいたら、シャバに出たとき浦島太郎だ。
環境などの同情の余地が無い殺人の場合、凶暴なDNAがあるんじゃないか!?
と私は思う。
少年犯罪でも同じ。
少年なら更正可能っていうのは、もはや捨てなきゃいけない考えでは?
これからもっと増えると思う。 少年犯罪。
少年のほうが残酷だし、好奇心も旺盛だし、歯止めが利かない。
「コンクリ」殺人みたいにあまりに残酷な事件の場合は、死刑もありなんじゃないかと思う。
まして再犯だなんて、少年時代の前科も考慮したら死刑にしてって署名したいくらい。
495
:
loveless
:2004/07/18(日) 23:43
>>491
「死刑は例外的な措置である」「被害者が一人では無期懲役が妥当」と、
従来よりも突っ込んだ(先走った?)判断が述べられていますね。
あと、現在最高裁で審理中のものとして、「逆恨み殺人」の持田被告の
事件があります。もし、これが無期になったら、初犯だけでなく
再犯でも「被害者が一人では無期懲役が妥当」が定着しそうです。
496
:
人権
:2004/07/21(水) 16:10
確かにlovelessさんの御指摘のようにより廃止論に近いような判断ですね。
でも、「人の命は地球より重い」はずなのに殺害された人数に余りに
こだわるのもどうかなとは思いますが。
仮に持田被告が無期懲役になるようなことがあれば、逆恨みを恐れて
被害者が萎縮するような事態も考えられます(特に強姦のような
親告罪の場合)。
497
:
qwerty
:2004/08/06(金) 16:09
一人でも殺せば死刑ということになると
「一人殺すも二人殺すも同じ。どうせ死刑になるのだから・・・」
という事態が発生してしまう恐れがあります。
死刑より重い刑がない以上、連続殺人や大量殺人のことを考えれば
ある程度やむを得ないかと思います。
498
:
えふ
:2004/08/06(金) 19:08
多少論点がずれるかも知れませんが、外国のように
死刑ではないにしろ、仮釈放なしの量刑があれば多少違うのかもと思ったりします。
もっとも、事件報道を見た時には「死刑でも足りないでしょー」と
思うのも本音なんですが。
499
:
toko
:2004/08/11(水) 00:00
スレッドを読んでいるだけでもいろいろ考えさせられることがあり、とても短文には
まとめきれませんが…
“どちらかと言えば”死刑廃止論者、かな。やっぱり。
無惨な犯罪の犠牲になった人や、その遺族などのことを思えば、それはもちろん厳罰
が与えられることを望みます。
ただ、これはもう生理的な問題ですが、「大義名分のある殺人」というものに、どう
しても抵抗と胡散臭さを感じてしまうのです。
それが戦争であろうが、死刑であろうが。
また、一部に見受けられる「犯罪者に人権はない」という主張にも、やはり胡散臭さ
を覚えます。
心情としてはとてもよくわかりますけれど、何というか、それは一種のすり替えでは
ないのかな、と。
どなたかが引用されていましたが、人権というのは「生来」持っているものなので、
その人の言動によって与えられたり奪われたりする性質のものではないんじゃないか
と、基本的な疑問を抱いているわけです。
じゃあ、凶悪な犯罪者から人権(≒命)以外に何を奪うんだと言われれば、今のとこ
「…自由、かな? あと財産とか、社会的地位とか…」程度しか思いつかないですが。
とりあえず終身刑制度は、まじめに検討する価値があると思っています。
500
:
えふ
:2004/08/11(水) 01:35
>じゃあ、凶悪な犯罪者から人権(≒命)以外に何を奪うんだと言われれば、今のとこ
>「…自由、かな? あと財産とか、社会的地位とか…」程度しか思いつかないですが。
>とりあえず終身刑制度は、まじめに検討する価値があると思っています。
そうですね。世間一般の反応でもやはり無期懲役(という名の実質有期刑)と
死刑の間に開きがありすぎるというところだと思います。
終身刑や、海外のような社会奉仕活動(監視付き)などは導入されてもいいように
私個人は思います。
あとは以前からさんざん半分冗談半分本気で言ってきた「地雷撤去」ですかね。
ここの掲示板を法務省関係者が読んでくれれば話が早いんでしょうけど。
501
:
とおりすがり
:2004/08/11(水) 01:51
一人でも殺せば死刑ということになると
「一人殺すも二人殺すも同じ。どうせ死刑になるのだから・・・」
という事態が発生してしまう恐れがあります。
それを言い出すと、2人殺すも3人殺すも、それ以上も同じ。となるのでは?
また、逆の発想で、一人殺しても死刑にはならないから大丈夫。とはならないのでしょうか?
しかし、一人殺したら、死刑になるからと言って、思いとどまる人が何人いるでしょうか?
それもはなはだ疑問です。
そもそも、自分のした事には、きちんと責任を持つのが社会の一員として当然
なのですから、まだ生きていたいと思う人の権利を一方的に侵害し、
その人の人生を無慈悲に奪い去った責任は、死以外にはありえないと思います。
命の重さが、万人で同じなら、命の代償は命ではないでしょうか?
1人殺して、13年やそこらで出てくる事が、平等とはとても思えません。
※一方的に虐殺した殺人に対しての意見です。すべて杓子定規で
裁けるとは思っていません。
502
:
s
:2004/08/12(木) 16:32
死刑を執行する刑務官の心情を考えると死刑は廃止したほうがいいのかなと思います。
えふさんのおっしゃるように「終身刑」は必要になってくると思います。
しかしそのままではコストがかかりますのでその間に長期的な強制労働を課してコストの低減と被害者への補償や加害者への苦しみを与える必要があると思います。
503
:
g
:2004/08/16(月) 01:17
かって侵略で5千万人アジア人を虐殺した日本人が
なぜいまぬくぬくと生きてるのですか?
加害者家族として全員死ぬべきだ。
殺人だとか刑罰なんて口にする資格もない。
504
:
庶民
:2004/08/17(火) 23:37
結論から死刑は必要でしょ。
死刑が廃止された場合終身刑(要新設)が最高刑となるわけですが
長期の収監は苦痛とはならないので、罰いう単純な観念で考えた場合
やはり死刑は最高刑としては良いものだとおもいます。
なぜ長期の収監が罰とならないか。
答えは簡単、人間は環境に慣れるからです。
あんなに狭いところに数十年と閉じ込められたとしても生きている限り
人間は希望をつくり適応していきます、楽しみさえ見つけて生きていくでしょう。
まぁ数十年と収監され突如釈放されたほうが浦島太郎状態でキツイでしょうけどね。
それはともかく単純に人を殺す=死刑でもいいくらいだと思います。
殺人にも色々あり中には情状を考慮しない場合もあるでしょう、これらは
個別に対応するとして強盗殺人、強姦殺人、放火殺人、誘拐殺人等は単純に死刑でしょ。
一人殺しても、二人殺しても同じだから...との意見は当の殺人をした人間が考えることでは
ないとおもいます。犯人は殺したい人間を殺し、また予定外でも瞬間に殺す必要(見られたとか、逃走の邪魔をしたとか)
ある者を殺すわけです。一人殺しても、二人殺しても同じだから...というのは、こちら側の意見、裁判等の犯人の回想として
出てくる意見であって殺人をやるときには考えないでしょうね。
死刑制度はあくまで維持で終身刑の新設、同時に少年への対応のさらなる引き下げを期待しています。
505
:
オペロ〜ン
:2004/08/18(水) 22:13
誰しも少なからず「人を殺したい」と思ったときはあるんではないかと思うんです。ねたんだりうらんだりして。
私はこういうことを考えたことがあります。
もし自分が殺人を犯した場合、何年になるかはわからないが、刑務所へ入れられるだろう。しかしいずれ出られるだろう。
しかし殺された方は、その時点でもう人生が終わり。何もできない。
となると、殺人は犯してしまったが、生きている自分の方が得なんじゃないか、と。
あと考えたのは、504さんのカキコミと同じような話なんですが、刑務所に入った場合、その間は生活に困らないのではないか、と。
おとなしく日々を食事もあるし、むしろ規則正しい生活もできてよいのではないか、と。
もっとも入ったことのない人間が考えたことなので、何とも根拠はないんですが。
ちょっとふざけたような書き方になってしまいましたが、こう考えると、やはり死刑は必要のような気がします。
私も殺人を犯した者には、即死刑でいいんじゃないかと。
こういうのを考えたことがあるんですが、たとえば包丁で刺して殺した者には、同じように包丁で刺して死刑。
サリンで殺したものには、やはりサリンでもって死刑。
絞殺の場合もやはり絞殺。バラバラ殺人ならバラバラに・・・。
こういう死刑だったら、殺人を犯すものも少しは考えるんじゃないでしょうかね?
いや、これは本当、まじめに思ったんです。
殺された側と同じ苦しみを受けるのが、罪を償うことになるかと思ったんです。
もっともやたら手間はかかると思うんですけれども。
あと、もし死刑がないとしたらどうなんでしょうかね?
終身刑はもちろんとしても、罰金を払わせる。5億とか10億とかで。
孫とかひ孫の代になっても払わないといけないとか・・・。
あっ、子供みたいな話になっちゃってすいません・・・。
506
:
えふ
:2004/08/19(木) 00:36
確かに「目には目を」式の刑罰にも一定の効果はありますが、
誤審があった場合に取り返しがつかないという大問題がありますね。
また残虐な刑罰を禁じている憲法(でしたよね?)に牴触するというのも。
あとは犯行に至るまでの経緯がいろいろなのでひとくくりにするのも難しいのでしょうね。
もちろんオベロ〜ンさんの思ってらっしゃる事は良く分かりますし、
私も前に「麻原限定」でそういう内容を書いた記憶がありますので(笑)。
もし、催眠術やバーチャルリアリティで「被害者が受けた全ての痛み」を
加害者に与えられるのであれば、などと思いますね。
あくまでも「痛み」だけですよ。実際に切ったり刺したりするのではなくて。
507
:
特命希望
:2004/08/19(木) 07:40
たとえ死刑判決を受けたとしても、死刑執行までに長い長い時間があるわけですよね。
その間、死と向き合う恐怖があるにせよ、心の準備ができるわけでしょ。
殺害された方は恐怖のどん底で死んでいったんですからね。
それを思うとオペロ〜ンさんの意見は、多くの人の本音ではないかしら。
508
:
梔子
:2004/08/20(金) 02:53
「先生に言いつけてやる」と言われると子供は焦る。学年があがれば
内申書を気にする。先生も内申書も気にしない者は「先生に〜」は全く効かない。
そうなると警察の出番になる。この警察も少年法だ2、3年で出られるだと
見くびるくらい悪人には通用しなくなる。
そうやって進めていくと登場する極悪人。彼に有効なものは殺す以外になかろう。
死刑は極悪人、つまりは先生や警察、世間体のなにもかも気にしない輩を
殺す役割として必要ではないか。
二人殺すも三人殺すもどーせ死刑だと開き直るものがいるから死刑は役に立たないと言うが
二人も三人も殺す人間はおおむね前科がある。あるいは逮捕に手間がかかった場合である。
それは行政の不手際であって刑罰の是非とは関係がない。
509
:
qwerty
:2004/08/23(月) 18:37
>>504
衝動的に一人殺してしまった後に「どうせ死刑になるのだから」と自暴自棄になって
二人目、三人目と次々と・・・
という事態は充分考えられます。
510
:
504
:2004/08/23(月) 23:14
>509
衝動的に立て続けに殺しをすることはありうるでしょ。
ただし一人殺したからもうどうでも良いとは考えないと思いますよ。
そこまで考えるなら人間なら殺人を犯さないでしょう。
衝動的に殺してしまうのは死刑うんぬんとかでなくて単に箍が外れる状態
というか結局死刑うんぬんとかはすべてが終わった後に思うことだと思いますよ
511
:
qwerty
:2004/08/24(火) 00:29
>>510
論点がずれていないかい?
元々は殺したのが一人ならば死刑にならないケースが多いことの是非の話なんだけど。
一人ならば死刑にならない
→衝動的に一人殺してしまった後にそこで思いとどまる。
一人でも死刑になる
→衝動的に一人殺してしまった後にヤケになって逃げながら次々と殺しを行う。
こういった差がでてくる可能性はあるでしょ。
512
:
とおりすがり
:2004/08/24(火) 10:29
>511
実際にそれで思いとどまる輩がいるかどうか、甚だ疑問ですが、
2人目であろうと(死刑になりたくないから殺さない<捕まりたくないから殺す)でしょうから。
また、過去の事件を見ても、2人目は死刑になるから思いとどまったというようなのを
みた記憶もないですし・・
それはおいて置いたとして、
もし、本当に2人目を殺したら死刑だから思いとどまる輩がいるのであれば、
1人でも殺したら絶対に死刑ということで、殺人を思いとどまる輩がいると
いうことでは?
そうでなくて、これは既に殺した人間限定に対する意見だという事であれば
上でも言いましたが、
2人殺したら死刑になるという事でやけになるなら、
最初に2人殺した人間は、死刑だからやけになりますよね。
じゃ、3人からにひきあげますか?
殺人の多くは1人しか殺さないから。といいたい所でしょうが、
それは、あまりにも理念がなさすぎじゃないでしょうか?
命の代価は命でしかあり得ないと思います。
それでも、贖いきれるものではありません。
513
:
504
:2004/08/24(火) 10:34
殺人=死刑だとやけになって次々に殺すという訳でしょ。
この可能性はありますね。でもこれは死刑に限らず刑罰すべてに
当てはまると思いますよ。
まず1人を殺させないための抑止力です。
やけになって大量殺人を起こす人も出てくる可能性はありますが、
死刑をはじめ刑罰というのはまず犯罪を起こした場合どうなるかという
結果を見せてそれを抑止力とする訳です。
あなたが懸念されている事はまた少し違う事だとおもいます。
514
:
qwerty
:2004/08/26(木) 00:34
>>513
>衝動的に殺してしまうのは死刑うんぬんとかでなくて単に箍が外れる状態
あなたが言った通り、刑罰の重さは衝動的な行為の抑止力にはなり得ない。
しかも一人でも殺せば極刑となれば、衝動的な殺人が大量殺人に発展する恐れが
あることを否定できないのも認めていますよね。
つまり、どうしても防ぎ得ない衝動的な殺人を大量殺人に発展させないためには
少数と多数では刑罰に差があってしかるべきということ。
また少数と多数の間に厳密な線引きはできないが、衝動的に一人殺してしまう事態にくらべて
衝動的に二人殺してしまうことははるかに少ないであろうということで、ひとまずその辺に線を
引いておいて妥当であろうということ。
一人とか二人、三人という数字自体は重要な問題じゃない。
実際に衝動的に二人殺してしまうような事件が多いのなら、二人と三人の間に線を引けばいい。
とにかく少数でも殺せば極刑というのが定着するのは危険をはらんでいるということを否定できますか?
515
:
とおりすがり
:2004/08/26(木) 09:17
>つまり、どうしても防ぎ得ない衝動的な殺人を大量殺人に発展させないためには
少数と多数では刑罰に差があってしかるべきということ。
また少数と多数の間に厳密な線引きはできないが、衝動的に一人殺してしまう事態にくらべて
衝動的に二人殺してしまうことははるかに少ないであろうということで、ひとまずその辺に線を
引いておいて妥当であろうということ。
この意見は、論理としては、理解はできます。
”さらなる被害者を出さない為”というのは、基本的に正しいとは思います。
が、言葉を弄んでいるだけのようにも感じます。
自分の愛する人が無碍に虐殺されたにもかかわらず、加害者は15年もしたら出てきた時
(少年であれば、もっとあっさり出てくるでしょう。)
その量刑はさらなる被害者を出さない為に、仕方のない事だと受入れられるものでしょうか?
一方的に人生を奪われた被害者の、無念の心情に思いをはせ、尚且つ
そういえるのであれば、私とは違い、相当、達観された方なのでしょう。
加害者を死刑にしても、被害者は帰ってはきません。
更に、上記の意見を頭で理解しても尚、
一方的に命を奪った代償は、命であってしかるべきだと、私は思います。
516
:
旅人
:2004/08/26(木) 15:41
極刑があるからこそ、私は悪い事はしてはいけないと自制心が働いていると思っています。
もし殺すぐらい相手を憎んでしまったら、死刑になる覚悟で事に及ぶと考えます(たぶん
よって死刑は残すべきと思うます。
517
:
504
:2004/08/26(木) 16:30
>514
いまいち分かりにくいですね。
518
:
504
:2004/08/26(木) 17:10
ごめんなさい、いまいち文面から意味を汲み取れません。
もういちどお願いします。
最後のだけ分かったのですが、
>とにかく少数でも殺せば極刑というのが定着するのは危険をはらんでいるということを否定できますか?
これはどういった事ですか?
人を殺せば死刑で問題でしょうか?
前置きすると怨恨の殺人なんかは個別に配慮は必要でしょうし、
理由によっては死刑でなくても構いませんよ。
またお解かりだと思いますが、当然誤認逮捕、マスコミによる先行した
推測による誘導も論外ですよ。
これ以外にどういった危険があるのでしょうか?
線引きをするなら殺人=死刑でしょうね。
これ以外だと今と同じ矛盾をもったまま死刑という判決を出しにくい状態が
続くだけでしょう。
519
:
ゼロ
:2004/08/26(木) 19:04
殺すつもりはなく傷つけようとして暴力をふるったらたまたま死んでしまった。
いわゆる傷害致死はどうでしょう。また、誤って人を殺してしまった場合は
どうでしょう。車で人を轢いてしまった。歩行者が100%悪いという状況でも
殺人は殺人ですね。いわゆる業務上過失致死はどうでしょう。やっぱり死刑に
するべきなんでしょうか。85歳の女性が90歳の夫を介護疲れからつい首を
絞めて殺してしまった。やっぱりこれも死刑にすべきなんでしょうか。
このような「殺人」はよくあることで、その全体の比率からすれば
かなりの比率を占めますが、ニュースとして扱われることは少ないですね。
ましてや今、オリンピックのニュースでいっぱいですから余計です。
ニュースで大々的に報じられるのは一方的に殺した方が悪いような
殺人事件が多いので殺人事件はそういうものばかりだと錯覚してしまう
ことなんだと思います。現在、傷害致死や過失致死を除いて
純粋な殺人で死刑になっているのは100人に1人くらいでしょうか。
オウム事件があるから50人に1人になってるかもしれませんが、、、。
520
:
はれい
:2004/08/26(木) 23:47
>519
傷害致死、過失致死と「殺人」は別でしょう・・・・・・・
罪状も分かれているし。
「殺人」であっても”最初から殺意があったか””計画的な殺人か”なども吟味されるでしょう?
521
:
qwerty
:2004/08/27(金) 10:43
>>515
>言葉を弄んでいるだけのようにも感じます。
失礼な。私は真面目に考えていますよ。(別に怒っているわけではありませんが)
現状、死刑の一つ下の刑が軽すぎるというのは認識しています。
過去レスでいろいろ指摘されているように、終身刑などの必要性には同意します。
しかし、それは「一人でも死刑」を肯定する理由にはならないでしょう。
>一方的に命を奪った代償は、命であってしかるべき
その論理を根拠にしているのであれば、
>>519
に対してはどうですか?
罪状が分かれていようが関係なく「命の代償は命」ということになるんじゃないですか?
>>516
死刑そのものの是非を言っているわけではありません。
また、人間 自制心が切れてしまうことは充分あり得ます。
522
:
qwerty
:2004/08/27(金) 11:13
>>518
簡単に言うと
あなたは私の主張が正しいということを認めている。
あなたはあなたの主張がおかしいということを自分自身で認めている。
ということを説明しているのですよ。
523
:
504
:2004/08/27(金) 11:40
>522
>あなたは私の主張が正しいということを認めている。
あなたはあなたの主張がおかしいということを自分自身で認めている。
ということを説明しているのですよ。
それは違いますよ。
すべての殺人がどっかで線引きをできると考えているあなたの考えに
矛盾があるのですよ。
それを私が指摘しているだけです。
前の書き込みで殺人=死刑だと余計に殺人に走る加害者がでるかもとの
指摘に対して私はその可能性も考えられると確かに書き込みました。
しかしそのような行動をとるのは圧倒的少数のはずです。
これは現状が証明しているでしょう。
あえてこの事を書き込まなかったのは、あなたがこの事を認識している
と考えていたので細かな指摘をしませんでした。
今までであなたが指摘したような事態がどれだけ起こりましたか?
つまり死刑だからもっと殺してやると考え行動した加害者がいるのでしょうか?
宅間なんかは最初から死刑を意識して凶行に及んでいるので違うでしょう、
最近ではそのような事態は起こってないのでは?もう少し遡ってもぼくの
記憶にはありません。
何度も書き込んでいるように死刑という刑を犯行を犯した被告だけに当てはめて
考えるのは短絡的です。
死刑という刑を抑止力にするためには実際に死刑を執行し、結果を
社会に知らせるべきだと考えているのです。
524
:
qwerty
:2004/08/27(金) 12:36
>>523
説明が理解できないのに、なぜ否定できるのでしょうか?
人の話など聞かずに自分の主張をくりかえしているだけですね。
>すべての殺人がどっかで線引きをできると考えているあなたの考えに
>矛盾があるのですよ。
>それを私が指摘しているだけです。
すべての殺人を一律にとらえるわけにはいかない、
一律でなければどこかに線を引かなければならない、
引いた線の位置が正しいとか正しくないとか言う話は問題の本質ではない、
と言ってるだけなんですけど。
そもそも私の主張を誤読しているわけなんだけど、矛盾の指摘というのはどれですか?
>前の書き込みで殺人=死刑だと余計に殺人に走る加害者がでるかもとの
>指摘に対して私はその可能性も考えられると確かに書き込みました。
>しかしそのような行動をとるのは圧倒的少数のはずです。
>これは現状が証明しているでしょう。
現実、殺人=死刑ではないのだから、現状は何の証明にもなりません。
私の主張の基本は
殺人=死刑はかえって惨事を引き起こす恐れがある。
だから、必ずしも殺人=死刑とは限らない現状は間違っていない。
なんですけど、理解してます?
さらに、何度も言ってますが衝動的に起こってしまう殺人については
死刑が抑止力にならないという点についてはどうですか?
525
:
とおりすがり
:2004/08/27(金) 12:56
>>言葉を弄んでいるだけのようにも感じます。
>失礼な。私は真面目に考えていますよ。(別に怒っているわけではありませんが)
気分を害すような言い回しになった事はお詫びします。
ただ、1人殺しても、自暴自棄にさせない為に、極刑でないのはしかたないという
論理は、私にしてみれば、1人目の被害者の命を軽んじた机上の空論のように
感じてしまいますという事です。
515でも述べたとおり、それが、”さらなる被害者を出さない為”という
素晴らしい考え方を根拠にしていても、どこか既にボタンをかけちがえているように
思えてなりません。
>しかし、それは「一人でも死刑」を肯定する理由にはならないでしょう。
死刑を肯定する理由は、「一方的に命を奪った代償は、命で贖うのがスジ」と思うからです。
>その論理を根拠にしているのであれば、
>>519
に対してはどうですか?
罪状が分かれていようが関係なく「命の代償は命」ということになるんじゃないですか?
過去の記事を読んで頂ければ、その論理というのを、誤解されているのがわかると思います。
私の主張は、490にあるとおりです。
しかし、490、501でも言っているとおり、
あらゆるケースにそれのみで対応できるとは思いませんし、すべてを杓子定規で図れるとは
考えてもいません。
過失致死が一方的な虐殺とは思ってませんし、殺人にしても、情状酌量されるべきものも
存在はすると思っています。
全てが死刑。など、あろうはずもありません。
その線引きは、司法がするものでいいと思っていますが、
一方的に虐殺されたものも、1人だからという理由で、15年ほどで出られるような
現状には、甚だ疑問を感じますし、たとえ終身刑があっても、平等になっているとは
思えないという事です。
基本に置くべきは、一方的に虐殺されてしまった被害者であり、その家族です。
加害者の人権や抑止力といった事を考えるのは、その次であるべきではないでしょうか?
殺された被害者が、もういいよ。と言ってくれたなら、死刑でなくてもいいです。
ですが、それを故意に言えない状態にした加害者は、唯一助けてもらえる口を
自らが、ふさいでしまったのだと、私は思います。
526
:
504
:2004/08/27(金) 13:00
分かり易くなりました。
>現実、殺人=死刑ではないのだから、現状は何の証明にもなりません。
現状でも死刑は存在していますよ。
殺人=死刑との形ではありませんが、あなたの意見だと死刑に限らずとも
いいのでは?つまり捕まりたくないから次々と人を殺しつつ逃げるとかでも
いいと思いますよ。この方があなたに対してハードルは低いと思いますが、
現実に捕まりたくないから次々と殺人を犯しつつ逃げている例はありますか?
稀だとおもいますが?
次に
殺人=死刑はかえって惨事を引き起こす恐れがある。
だから、必ずしも殺人=死刑とは限らない現状は間違っていない。
との事ですが、刑法が世論や被害者感情からかけ離れつつあるのを
問題視しているわけです。
>殺人=死刑はかえって惨事を引き起こす恐れがある。
という前提は上記の私の意見で否定します。
圧倒的に少ない例よりも頻発する事例を主に検討すべきです。
次に
>衝動的に起こってしまう殺人については
死刑が抑止力にならないという点についてはどうですか?
すでに抑止力になっていますよ。
多くの人が証明する意見を書き込んでいますよ。
つまり人を殺すと死刑になるかもしれない...
人を殺すととんでも無いことになると認識しているではないですか?
527
:
qwerty
:2004/08/27(金) 14:35
>>526
>衝動的に殺してしまうのは死刑うんぬんとかでなくて単に箍が外れる状態
>というか結局死刑うんぬんとかはすべてが終わった後に思うことだと思いますよ
理性がはたらいている状態ならばともかく、キレてしまえば刑罰のことなど考えないということは
あなた自身で言ってるじゃありませんか。
>すでに抑止力になっていますよ。
>多くの人が証明する意見を書き込んでいますよ。
「衝動的な殺人」についての効果はだれも証明する意見など書き込んでいませんね。
というか、死刑制度そのものの議論の中で抑止力としての効果について意見が分かれていて
はっきりとした結論が出ていないのをご存知ないのですか。
「証明する意見」というのも変ですねえ。
意見で証明するのではなく、事実で証明しなければおかしいですよ。
528
:
qwerty
:2004/08/27(金) 15:07
「証明」の件はちょっと揚げ足とりでしたね。失礼
仮定の話をしているときに、むやみと証明なんて使わないほうがいいですよ。
>現状でも死刑は存在していますよ。
>殺人=死刑との形ではありませんが、あなたの意見だと死刑に限らずとも
>いいのでは?つまり捕まりたくないから次々と人を殺しつつ逃げるとかでも
>いいと思いますよ。この方があなたに対してハードルは低いと思いますが、
>現実に捕まりたくないから次々と殺人を犯しつつ逃げている例はありますか?
>稀だとおもいますが?
私は「殺人=死刑だったら」という話をしているということを理解していますか?
現実は殺人=死刑ではないのだから、現状は何の証明にもなりませんと何回言えばわかるのですか?
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