apprivoiserの訳
最近、サンテクジュペリの「星の王子さま」の翻訳独占権(?)が切れたということで、雨後の筍のごとく、いろんな翻訳が出てます。んで、4月開講のNHKのラジオフランス語講座の応用編でも、これをテキストにしているのですが、そこで大いなるギモンがあります。というのは、王子さまがキツネと出会う場面で、キツネと親しくなりたい王子さまにキツネは「Je ne suis pas apprivoise」と答えます。で、この「apprivoiser」の訳が、例の岩波版の内藤訳以下、そのラジオ講座のテキストに至るまで、「仲良くなる」という、実に生ぬるい訳語をあてているのです。この「apprivoiser」の元々の意味は「飼い馴らす」ということですよね。野生の動物を「家畜化する」ということだと思うのですが、そこから、キツネは「野生の獣を飼いならそうとする人間と僕とは、そう簡単に友達になれないんだよ」ということを言っていると思うのですが、そんな「仲良くなる」といった、生ぬるいというより、敢えて「誤訳」といっていいと思うのですが、そういう訳語が次々と踏襲されているというのは、いったい「なぜ?」と、私などは思います。こうやって、「規制緩和」されたのですから、そこらのところはそれぞれの訳者が「正確に」訳すべきだと思うのですが。
lienの訳語
書いたついでですので、もう一つ、その星の王子さまに出てくる「creer des liens」ですが、これはこれまでの岩波版の内藤訳でも、「絆を創る」だったと記憶していますが、この「lien(s)」は、辞書を引くと、「鎖」という意味もありますよね。実はこれまで私はそのキツネと王子さまとの会話の中で出てくるこの「creer des liens」を「鎖で結びつける」というふうに、かなりネガティブな意味に解釈していたのです(もちろん、アイロニカルな意味もこめてですけど)。というのは、たまたま大学時代の原典購読の授業で、星の王子さまのうち、このキツネとの出会いの部分だけ、原文で読まされる機会があったからです。それもあって、「apprivoiser」という、日常生活ではたぶんあんまり使わない動詞を覚え、また、この「creer des liens」というステキな表現も、ずっと、頭にこびりついていたのです。そうこう考えていくと、翻訳という作業もなかなか難しいですが、そこに「解釈」という知的作業の醍醐味もあるような気がします。
絆を創る
ええと、内藤訳では、確か、「ぼくは飼いならされてないから」とか言うキツネに、その意味が分からないPetit prince が、「飼いならすってなあに」ときいたら、「仲良くなるってことさ」とキツネが答えたんですよ。それで「apprivoiser」の新しい意味が「creer des liens 」、つまり、異なる2者の関係を、優勢な方が劣勢な方を抱合して自分に従わせるという形から、新しい関係を creerする関係に
liens
というのは日常的に普通に使われる言葉ですよね。「リンク」もこれでしたね。creer des liensも、ごく日常的な表現ですか?
日本語と外国語でしばしば動詞の向きが違うことがありますね。特に、日本語として自然な表現を使うとそうなる、という。「仲良くなる」とか「縁ができる」というのは、働きかけでそうなった、というニュアンスで、creerの意味が出ませんね。
このところの「星の王子様」の話には、わたしはやや入れずにいました。と言いますのは、わたしは、食わず嫌いで、読んだことがないんです。原題はLe petit princeでしたっけ、それが「星の王子様」ですけれど、若い頃はこのタイトルだけで拒否反応でした。子ども向けの本では、ヴェルヌやアーサー・ランサム、サトクリフなどの冒険小説風のものが大好きで、王子様、には全く興味がありませんでしたので。今でも、その本よりは、テクジュペリの伝記なら読むかなあ、という程度です。
ルビッチ
ルビッチなんですね。私は彼の作品をほとんどカルチエラタンの名画座で見たので、日本語の表記も題名も知らなかったんです。今、ルビッチで検索したら、私の好きな「The Shop Around the Corner」は桃色の店(街角)とありました。James Stawart がなつかしい。ドイツ人でもこんなロマンチック・コメディーが創れて、原作がハンガリーの戯曲かなんかでしたよね。この中で、初老の店の主人が、浮気する奥さんに、君は僕と一緒に年をとってくれるのが嫌だったんだね、みたいなことを言うのがすごく身につまされました。まだ若かったんですが。そうか、一緒に年をとれるかというのがカップルなんだなあと思って。それに比べるとヒーローとヒロインの恋の顛末は印象が薄いでした。メグ・ライアンとトム・ハンクスでリメイクしたとか。あのEーメールの恋の映画がそれだったとは知りませんでした。
C'est l'histoire de quatre individus :
Chacun, Quelqu'un, Quiconque et Personne :
Un travail important devait être fait,
et on avait demandé à Chacun de s'en occuper.
Chacun était assuré que Quelqu'un allait le faire, Quiconque aurait pu s'en occuper, mais Personne ne l'a fait.
Quelqu'un s'est emporté parce qu'il considérait que ce travail était la responsabilité de Chacun.
Chacun croyait que Quiconque pouvait le faire, mais Personne ne s'était rendu compte que Chacun ne le ferait pas.
A la fin, Chacun blâmait Quelqu'un, du fait que Personne n'avait fait ce que Quiconque aurait dû faire.
サービス精神にあふれてます。考えさせられます。
ただ、この話では大事な仕事を4人に頼んできたのは「4人以外の外側の人間」だと考えられるので、住民と役所のような、すでに責任関係(役所は住民のサービス機関とか)がある間の2者のやり取りは適切じゃないかもしれません。この話の核は、「成員が同等な課題遂行能力を有するグループの中にいる『私と私以外』という意識の問題」だと思うんです。他の誰かができるからといってやらない自分は免責できるのかという話ですね。Blamer を「顔を青くした」と訳された方、このBlamerはブラスフェ−ム(冒涜)の語源の言葉なので、Bleu とは関係ないです。あ、考えるタネの最新記事にフランス語の発音の悩みを書いてます。コメントや、似たような体験があればどうぞ。
では次の質問。また仏文和訳。
解説つきでもどうぞ! 文字化けの問題があるらしいのでアクサンつけません。敷衍してくださっても、前後の文を勝手に足してくださってもOKです。(liberte の最後のEに右上がりアクサンです。)
La liberte, ce n'est pas faire ce que l'on veut, mais vouloir ce qu'on fait.