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鷹目遊里史板

235:2007/04/27(金) 00:46:00
墨田区立緑図書館
墨田区立緑図書館は、2004年5月の企画展示会で、
「荷風と玉の井」というコーナーを設けています。
(私のルポが、遊里史板過去ログ2004年夏季号にあります)

また同様の企画展示をするのかもしれませんが、
今のところ情報はつかめていません。

なにかわかったら、ここにアップします。

http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/

236夕凪:2007/04/27(金) 06:51:56
すみだ文化講座と資料展 (緑図書館)
眠眠さん情報ありがとうございます。

私も2004年5月の企画展示会「荷風と玉の井」に行きましたが、
保健所(?)による玉の井と亀戸の調査資料が印象に残っています。

既に御覧かとは思いますが、今回の資料展について検索してみました。

●墨田区立緑図書館 すみだ文化講座と資料展のご案内 5月13日(日)〜6月24日(日)
ttp://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/library/info/sumidabunkakouza/index.html

○座談会「玉の井・鳩の街」? 5月20日(日) 14:00〜16:00

 講師:日野秀夫氏(すみだ史談会役員)     ttp://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/library/picture/syouwa_syoki/syouwa_syoki_01/index.html

 講師:山本高樹氏(ジオラマ製作者)
ttp://www.hiyori-geta.com/main_gallery.html

○座談会「玉の井・鳩の街」? 6月17日(日) 14:00〜16:00

 講師:小島惟孝氏(墨田区文化財調査員)

237ナカムラ:2007/04/29(日) 21:57:19
松阪・川井町、愛宕町
ナカムラです。ご無沙汰しております。

連休後半に、
●富田・住吉町
△四日市・諏訪町
△松阪、川井町(西廓)、愛宕町(東廓)
●尾鷲・中央町
●名張・上八町 等を巡ってこようと思っています。

ネットレベルですが、松阪の状況が、全く分かりません。
何かご存知の方があれば、ご教示下さい。
いつも、すみません。

>順子どの
「都電と東京風俗史」を興味深く拝見しました。

小生も、東京の赤線地帯は今の交通機関を当てはめれば、「何故こんな所に」という地域にあって不思議に思っていました。

映画・墨東奇譚で、津川雅彦ふんする永井荷風が都電で玉の井に通う場面で、今回の論考のようなことを思い巡らせたことを思い出しました。

238今里X:2007/04/30(月) 13:34:30
愛宕町
写真板がスタートした頃にアップしたんですが、画像がどこに保存したかわかりません。
愛宕町は現在も歓楽街でスナックや居酒屋や風俗店があります。
近くにナカムラさん好みの龍のレリーフのある風呂屋がありますよ。
煙突が高かったのですぐわかると思います。
ぼくは川井町はとばしてるのでわかりませんので、ナカムラさんの更新を楽しみにします。

239今里X:2007/04/30(月) 13:50:55
尾道
ttp://www.hiyori-geta.com/main_gallery.html
「坂の上の遊郭」と作品名が付けられている建物ですが、おそらく尾道では中ぐらいに有名な民家です。
ぼくも新開・新地を度外視すればこの建物が頭に浮かびます。

正直、尾道ならば平坦地の久保町よりも、こういう傾斜地に張り付くように青楼が群立していてほしいと夢想するんですが…

240夕凪:2007/04/30(月) 23:13:25
新町 廓湯
慶安年間(1648〜1651)に遊客のために設けられたと伝えられる。

横に交番があるのは、ここに江戸時代の新町廓の西大門と番所があった名残りである。
井戸の辻という。
西大門は新町廊早々時の寛永年間(1624〜1643)に開かれた最古の出入口だから由緒が深い。
明治初年(1868)にとり払われた。

また廓湯の東側の路地を「はやしうら」といった。
天保10年8月(1839)発板の『大阪新町細見の図』に
「新町よりねりものなどとおるとき、このはやしうらより北東へとねりなおす
故にはやしうらというなり」とある。

新町焼ではこの路地より西へ4丁目の西の端まで全て焼失した。
従って、廓湯もその後に再建されたものである。

??????????????????????????????????????天王寺さんの古本祭りで購入した本より

※残念ながら、今の新町交番は別の場所にあります。
 資料によると廓湯の場所は、SZK自販近畿本社のある一角の南西カド辺りかと思われます。

※「遊客のために設けられた」と言う事は、まさか男湯のみ?

241今里X:2007/05/01(火) 00:21:49
創業350年
由緒正しいお風呂屋さんですね。
井戸の辻ということは、足を洗う井戸も廓湯の設備の一部だったりして…
現在、廓湯のあったあたりは仕事でしか用のないオフィス街なので、何か不思議な感じがします。

242:2007/05/01(火) 23:41:18
ありがとうございます
>ナカムラさま

拙稿、見てくださってありがとうございます。
今後は、赤線と都電が健在だった時代の小説や記録で、
都電を使っていたことを実証できればと思ってます。

http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/

243ナカムラ:2007/05/01(火) 23:55:49
松阪市白粉町・宝温泉
>今里Xどの

宝温泉は廃業されて、建物も解体されたそうです。
愛宕町は現役の風俗街なんですね、行った方が怖かったと言っていました。
注意して歩きます。

名張は、観光協会に聞いたら、平尾と桜ヶ丘が該当の地域と教えられたのですが、本当なのでしょうか・・・。


>順子どの

また、続きがあれば、教えて下さい。
楽しみにしています。

244今里X:2007/05/02(水) 01:28:44
名張、松阪など
上八町は貸座敷で営業してたようですが、平尾の方は貸座敷の許可かどうかぼくはわかりません。
おそらく戦前にあったとすれば遊廓ではなく花街として営業してたのでは…と思います。
時代的には上八町の方が古く、平尾の方が新しいはずです。
「遊廓」「花街」「赤線」のどれで聞くかによって返事が変わるかも知れません。
名張は遊所跡としてはあまり魅力的ではないと思いますので、銭湯巡り重視で行かれるのがいいかと…。

松阪の龍のレリーフの宝温泉は解体ですか?
銭湯ファンではないですが、近代建築好きとしてはとても残念です。
愛宕町は遊廓時代の街並みと風俗エリアの位置は重なりつつ、少しずれてるので、あまり気にすることもないかなと思います。
川井町の方は、ぼくが松阪を訪れた当時にもいくつかの町並みなどのホームページで紹介されてたりしたのですが、移動時間の都合などで行かなかったところです。
愛宕町と比べて現役営業中でない分、古いまま残ってるかも知れませんよね。

名古屋発レトロを訪ねて2のNobuさんのところでもナカムラさんを見かけましたが、ときどきこちらの掲示板にカキコされる楽天地くんはNobuさんの師ですよ。笑
今はなき『名古屋路地裏案内』というホームページを運営されてた方ですが、現在は惜しくも休止中。
リンクされてた方々がmixiでコミュニティを作ってるくらい(一部では?)大人気のホームページでした。
ぼくは最後のオフ会に仕事の都合で参加できなかったのがほんとに悔やまれます。

ぼくの師はもちろん鷹目さんです。
気がついたら師の影を踏みにじってたりしますが…orz

245ナカムラ:2007/05/02(水) 22:08:33
『名古屋路地裏案内』
>今里Xどの

有難うございます。

名張は、銭湯がメインです。写真板で紹介いただいた銭湯に浸かってきます。
遊所跡散策はサブです。

明日、9:00前には四日市に着く予定です。
Nobuさんには残っていないよと言われているのですが、とりあえず、4時間くらい時間を取っています。

『名古屋路地裏案内』は、拝見したことがあります。
先日、東京の船橋湯という、最も古い建物の銭湯の廃業を契機に、仲間が集まったのですが、中京軒はレトロ銭湯の宝庫だという話になりました。

レトロ銭湯だけでなく、Nobuさんが紹介しているような素敵は町並みが多いですね。遊所跡についても、東京、大阪、京都を上回る宝庫なのではないでしょうか。

246鷹目:2007/05/03(木) 13:07:50
(無題)
>皆様へ
 別業用のCGIと格闘中の為、後日まとめてカキコします。

>今里Xさん
 「オレの屍を乗り越えて行けぇぇッ!!」って一回言ってみたいモンです(笑)。

247yutaka:2007/05/09(水) 23:44:36
名古屋へ
ご無沙汰しております。
明日、明後日と東海方面に行って来ます。前回見逃した名古屋城東園から伊勢市界隈を探索予定です。本当は麻吉旅館にでも泊まりたい所ですが、予算の関係で新幹線ビジネスパックホテル付きです。18切符時期でないのがちょっと残念ですね。

248眠眠:2007/05/11(金) 16:34:10
玉の井の展示会の件
先般調査をお願いした玉の井の展示会については、「ダ・ヴィンチ」のネット版に詳細が掲載されてました。これで大体判りました。

http://web-davinci.jp/contents/news/index.php#0405

現地に出かけられた方、展示の内容や座談会の状況などを報告して下さい。
遠方なので出かけられませんので、ここでの報告を楽しみにしています。
ご協力宜しくお願いします。

249楽天地:2007/05/14(月) 17:40:09
城東園
ぼくはネット上ではじめて出会った人が今里Xさんで、イロハを全て教わりました(質問攻めでご迷惑ばかりかけていましたが^^;)。このサイトへ導いてくださったのも今里Xさんです。

>yutakaさん
城東園はここ半年ほどですっかり雰囲気がなくなってしまい驚いています。

250yutaka:2007/05/16(水) 03:45:13
城東園
>楽天地さん
城東園は今回で2回目です。前回は町名に惑わされ「城東4丁目」辺りをまわっ
ていたので、「跡」が分かりませんでした。今回は多レン人を目標に探索しつつ、見つ
ける事が出来ました。数軒の建物も残っていましたが、空き地も目立っていま
す。地下鉄出てすぐの所に広大の空き地が在ったので、もしや此処だったらと一
寸肝を冷やしました。

251今里X:2007/05/16(水) 22:05:11
城東園
>楽天地さん。まいどです。
某掲示板でスレッド立てるだけでなく、自身でカキコしたりして盛り上げ役もしてたので、あれだけの良スレになったと思います。
普通はスレ立てしたあとはほったらかしの人がほとんどですから。笑
東海方面で興味を持ったり、影響を受けた人は多いと思いますよ。
ぼくも東海地方の概要と現状はすごく勉強になりました。
ネット上ではじめて出会った人がぼくだったのは災いだったかも知れませんけど…笑
何も無い稲永遊廓に行ってるわりに港陽園や城東園って見に行ったことないのでいつか行きたいですが、そのうち何も無くなったりして。

252今里X:2007/05/18(金) 13:51:25
西中島
岡山の中島遊廓では西中島方が少しだけ貸座敷営業の許可が早かったようです。
他の遊里が明治十年十月なのにくらべて、明治九年四月に遊廓設置が許可され、明治十年二月に西中島を許可地として集娼されたようです。
実際には以前より芸娼妓が営業している状態で、明治九年に検黴所や私立女紅場などが準備されたりで、出来上がったものにお墨付きを与えた状況ですね。

ちなみに大阪の西中島もアレですが…笑

253夕凪:2007/05/25(金) 21:27:31
京都花街 歴史をつくった奥座敷
NHK教育テレビの『知るを楽しむ 歴史に好奇心』と言う講座番組で
表題の番組が7月に放送されます。概要は下記の通りです。

案内人:相原恭子(作家) 著書『京都 舞妓と芸妓の奥座敷』←あの鷹目隆次氏も推薦!

 第1回 7月 5日(木) 都を再生させた芸
 第2回 7月12日(木)??西洋人をも魅了した美の化身
 第3回 7月19日(木) 幕末の志士とお座敷の魅力
 第4回 7月26日(木) 文芸の生まれ出る花街

  ※毎週木曜日 午後10時25分〜10時50分
  ※再放送は翌週木曜日 午前5時5分〜5時30分
?? ※只今テキスト絶賛(?)発売中 683円(税込)

NHK教育テレビにて近日放送! 乞う御期待 !!

254MARU:2007/05/26(土) 06:40:22
どうも
面白い本です、現在上巻しか発売されていませんが。

小沢昭一著 色の道商売往来―平身傾聴裏街道戦後史 (文庫)

あの「小野」さんと対談していたとは、、、、おどろき

255夕凪:2007/05/26(土) 08:05:58
近代遊廓志稿
あの『近代広島尾道遊廓志稿』を編著された忍甲一氏が
同じく日本炎災資料出版より『近代遊廓志稿』を出版されました。

 半世紀前迄此様官許売春制度が活在シタ。
 刷・電拠嘘八百聞倦疲厭退屈ノ執友ニ芳信!

 全20章・付録、B5判・874頁=限定74部 \20,000(送料共)

 なお編著者の忍甲一氏の肩書きは邦州娼霊慰撫大学・学長となっています。

 またiタウンページ等で調べましたが日本炎災資料出版は見つかりませんでした。

256今里X:2007/05/27(日) 23:34:56
良さそうですね。
自費出版みたいですね。
74部で20000円なら良心的価格だと思いますが、ホントに74部?

257鷹目:2007/06/02(土) 09:34:31
書籍色々
 後でカキコしますと言いながら、一ケ月後に出没したダメ管理人ですww。そんなこんなで気が付くと色々と書籍が出ていますね。最近は未読蔵書の読破が中心で新刊古本そんなに買っていません。最近買った本はクトゥルー物ぐらいですかね。『京都花街 歴史をつくった奥座敷』 『色の道商売往来―平身傾聴裏街道戦後史』は書店で見てきます。『近代遊廓志稿』はどうしよう???

258鷹目:2007/06/02(土) 09:59:38
粉河
 そんなこんなで昨日休日だったので和歌山の粉河町へ行ってきました。ここを訪れた根拠は『阪口祐三郎伝』(昭和30年)に「粉川」の名称が、『南海鉄道案内』(明治30年、ただし私のは昭和53年復刻版)にこんな記述がありました。

 >青楼(三軒あって芸妓が13人あるという)という

 それでやっと訪れた訳ですが、結果は・・・。風俗営業(料理屋)の鑑札があがっていた旧店舗を一軒みつけただけでした。参拝客あいての旅館も新築され、まったく雰囲気もありません。まあ門前のメーンストリートが昭和後期に拡張され、きれいになってしまったというのも原因の一つだとおもいますが。
 門前町全域を廻った訳ではないので、もしかしたら別の物件もあるかもしれません。まあそれは次回のお楽しみと。

 今回の粉河以外で和歌山は、番廓、阪和新地、不老園花街、黒江新地、東新地、湯浅新地、湯浅花街、糸谷遊廓、田辺新地と紀北方面主要地は廻りました。あとは、アロチ自体は知ってますが、もう一度きちんと東廓は見ておきたいのと、夏が過ぎたら新和歌浦も。その他まだ細かいのがちょろちょろありますが、資料的なものを探さないとどうしようも出来ないですね。
 最終的には紀南方面も泊まりで行きたいものです。

259夕凪:2007/06/03(日) 23:16:05
デベロッパー大軌 (生駒編)
大正3年(1914)、奈良−上本町間に大軌が開通し、
生駒駅から宝山寺まで13町の新参道が形成されると、
元町1丁目、本町における宅地化が進行し、ここに生駒新地が形成される。
さらに生駒門前町としての性格も信仰的から遊興的に変化し、
ダンスホールや劇場も新設されて、料理屋、芸妓置屋の数も急増する。

大正5年〜10年(1916〜1921)のわずか5年間に元町1丁目、本町の中枢部、
いわゆる生駒新地として市街化される地域が
すべて東大阪土地建物会社の所有地になっており、
その面積は2町1反5畝12歩(約6,300坪)に及んでいる。

この土地会社は、大正5年(1916)、大軌によって設立された別会社で、
大軌が宅地経営に着手する大正13年に合併された。

大軌による土地整理事業が実施され、現在の市街地区画が完成するのは、
分筆届によると昭和7年(1932)で、これ以降宅地分譲が急増する。

このように生駒新地は、大軌による鉄道資本によって形成されてきたのである。

※生駒鋼索鉄道による、鳥居前〜宝山寺開通は大正7年(1918)
 もちろん大軌の系列会社です。そして大正11年(1922)大軌に吸収。

 西田和夫編著『奈良−その地域像の変遷−』(1981年)よりの中途半端な要約

260今里X:2007/06/05(火) 01:27:45
舞妓Haaaan!!!試写会
行って来ました、上七軒歌舞練場。
開演とともに上七軒芸舞妓の『祇園小唄上七軒バージョン』『上七軒夜曲』、しかし『北野小唄』は割愛されてしまったようです。
舞妓はんが曲紹介のときに『北野…』といいかけて『上七軒夜曲』と言いなおしてましたし…笑
舞台挨拶は主演の怪優阿部サダヲ氏、二枚目堤真一氏、銭形雷の小出早織ちゃん、そして水田伸生監督でした。

本編は見てのお楽しみですが、スピード感のある展開で二時間あっという間の内容です。
最後のオチもニヤリとさせるものでした。
予告編の石段と木の橋でアレッと思いましたが、花街シーンのロケは意外と金沢市の主計町茶屋街が多かったです。
クライマックスは上七軒歌舞練場ですが、上七軒歌舞練場で上七軒歌舞練場のシーンを見ると上七軒歌舞練場の中に上七軒歌舞練場があるようでナニがナニかわからなくなって…脳髄が…脳髄が… 笑

ちなみに主人公は舞妓ファンサイト管理人でした。(爆)

261ぼわぞー:2007/06/05(火) 12:27:35
うちも
行って来ました(笑)。上七軒歌舞練場。

ロケ地は主計町を中心に、あちこちを上手につぎはぎしてはりましたねぇ。
石塀小路の天井小路の向こうから走ってきたかと思うと、
走り抜けて後姿のシーンは祇園??
実際の場所を考えながら見ていたら、私も頭がぐるぐるしてきました。

上七軒歌舞練場のビアガーデンにも行ってみたいです。

262今里X:2007/06/05(火) 14:49:33
夢川町にまた行きたい…
ぼわぞーさん姐さん、おおきに。
ぼくはくじ運が無いもので… 言いだしっぺの役得でぼわぞーさん姐さんに助けていただきました。
帰りはぼくも上七軒をグルッと回りましたけど、舞妓はんには会えませんでした。
その後、出町柳まで歩いて夜の京都観光をしながら帰りました。

263ぼわぞー:2007/06/05(火) 16:33:17
こちらこそm(_ _)m
教えてもらえへんかったら、試写会があることすら知らないままでした。

まぁ、出町柳まで歩いて帰らはったんどすか。
今里おにぃさん、健脚どすなぁ〜。

で、五番町経由ではなかったんですか?f^ ^;
私は自転車で約45分かけて帰りました。
上七軒は車以外では行きようがないので、
祇園のようには人通りが多くないのが寂しいですね。
その分、風情があるとも言えますが…。

264今里X:2007/06/06(水) 01:05:26
いろいろ
行きしなは急いでたのでタクシーで行って、帰りはバスがわからなかったので、歩いてしまいました。
千本の字が見えたときは「五番町」と思ったんですが、終電のことを考えて寄るのはやめました。
ましてや五條楽園には…

自転車で45分はちょっと遠いですね。
たしかに上七軒は交通が不便な印象が強いうえに、ちょっと奥まってて道路から見えないですし。
昔の商店街や遊廓みたいにネオンのアーチみたいな派手な目印があってもいいんじゃないかと…笑

>夕凪さん
生駒新地は最初は下で開発とともに上にいったんでしょうか?
たしかに下の方が古い目の遊所らしい建物が多かったですし、ちょっと前まで下にも検番があったはずですから。

>鷹目さん
粉河探訪お疲れ様でした。
和歌山は一時期廃娼県だったから遊廓が少ないんでしょうか。
たしか公許遊廓は歴史的に認めざるを得ない場所3か所のみですし。

265yutaka:2007/06/06(水) 03:42:46
舞妓の休日
映画ネタで失礼いたします。
今月、スカパー&ケーブルにて放映中の「舞妓の休日」はちょっとお勧めかもしれません。1961年大映映画、玉緒サンが綺麗です。ロケ&セットですが、冒頭「都をどり」から始まり、京都の町並、京阪バス、坂本駅、京都市電も走っていますよ。

266k_taii:2007/06/09(土) 12:19:20
韓国、中国の遊郭建築
 釜山の赤線地帯が(今は非合法ですが)旧緑町遊郭跡に存在するのはご承知でしょうが、
そこにはまだ1軒だけ格子窓のある建物が残っています。その近くにある、影島にも
旧遊郭が存在したことと、2軒の建物が残っていることがわかりました。行きたい。
 上海にも貸座席免許が与えられた建物が外見を修復され保存されていますが、日本の
建物にそっくりな慰安所は近年の再開発でなくなってしまいました。上海周辺の慰安所は
100軒以上あったみたいですが、洋館や団地のような建物が多く、特徴のあるものは
少ないみたいでした。

267ナカムラ:2007/06/11(月) 19:54:42
碧南・衣浦荘跡
こんにちは。

先週、碧南市に行って、「新川温泉」と衣浦荘跡に行ってきました。
なかなか見応えのある街でした。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~masayuki/kinuuraso20070602.html

268鷹目:2007/06/12(火) 23:44:57
(無題)
>夕凪さん
 毎度です。
 しかし、読めば読むほど大軌って面白い会社ですね。そのバイタリティーってどこから来ていたのか、知りたいですね。

>今里Xさん
 毎度です。
 しかし出町柳まで歩きとはご苦労様です。結構面白そうな映画だったみたいですね。
 やっぱりあとは紀南をどうにかしたいです。

>ぼわぞーさん
 毎度です。
 ぼわぞーさんも『舞妓Haaaan!!! 』試写会行かれてたんですね。ストーリーとは別な楽しみ方もされたようですね。
 私も上七軒歌舞練場のビアガーデンにも行ってみたいです。

>yutakaさん
 毎度です。
 せっかく面白そうな映画を教えていただいたのに私が契約しているチャンネルでは放送がないようです(泣)。残念です。
 CSと言えば年明けぐらいにCSで中村獅童の『AKASEN』を見ましたが、正直面白なかったです。

>k_taiiさん
 お久です。
 韓国の赤線跡ですが・・・。中韓の跡も機会があれば見てみたいですが、時間が・・・。

>ナカムラさん
 お久です。
 衣浦荘跡写真見せていただきました。言われるように写真を通してでも見ごたえがある町だと言うのがわかります。ここも行ってみたいですね。

 今朝、こんな夢を見ました。いつものメンバーで奈良・三重あたりから名古屋方面に向けて散策におもむいたのでした。途中個々に別れて散策するも、落ち合う駅で次に乗るはずだった電車が大雨の為、運休になったと連絡が入り、集合し、話し合うと言う内容でした。なんか何年か前の名古屋行き思い出しましたね(笑)。
 散策会も開催したいのですが、今土日仕事なもので・・・。秋のオフ会(百番予定)までにはどうにか仕事のパターンを変更して、意地でも開催します。

269えもん:2007/06/13(水) 23:34:30
(無題)
御無沙汰しています。えもんです。
GWに九州へ行ってきました〜〜〜〜!
以前、mixiで鷹目さんに教えていただいた呼子の場所へもいってきました。
いろいろ写真もとったんですが、PCが壊れてしまったので、、、アップできずです。。
そのうちPC復旧したらどこかに写真アップしますね。


>>今里Xさん
平日は仕事があるので、舞妓Haaaan!!!いけなくてめっちゃ残念でした(><)
毎月25日に北野天満宮の天神さん(骨董市みたいなもの)があるので
上七軒はよくいくんです。。最近は、お茶屋さんの跡に
がま口やさんや、着物屋やさんが入っているんで、
一般の人でも気軽に建物の中に入ることができますよ。
夏は歌舞練場でビアガーデンあるそうですね♪
上七軒の着物屋さんで、チケット頂けそうなので今年はいってみようかなーと思ってます

270鷹目:2007/06/14(木) 23:00:45
ビア飲みてい
>えもんさん
 お久です。
 GWは九州ですか。うらやましいです。PC復旧したら是非写真も見てみたいものです。

 上七軒のビアガーデンいきたいものですが、やはりアクセスの面では非常に不便ですね。私も上七軒に赴いたとき、一回目は京都駅からバスで、2回目は鷹ヶ峰で吉野太夫花供養を見て、それから南下しながら上七軒、五番町を散策してJR二条駅まで歩いていきました。
 京都の人には申し訳ないですが、車以外では中途半端な位置なんですよね・・・。

271yutaka:2007/06/16(土) 11:07:31
西九州探索
こんにちは。今月末に九州方面に行って来ようと思います。今回は西九州方面、長崎入りで福岡帰りです。長崎は以前に丸山、出雲町を探索したので、今回は「青本」の戸町、佐世保からスタート予定です。
残っているか、更地駐車場かは時の運です。
西九州フリー切符利用なので、他に何か情報があったらお知らせ下さい。
>えもんさん
呼子界隈も良さそうですね!予定地候補に登録です。

272ナカムラ:2007/06/16(土) 11:40:07
和歌山行
こんにちは。
7月の3連休に、関空から入って、和歌山・海南市の銭湯に行く予定でおります。

できれば、建物が多く残っている遊所跡を、1つ、2つ回ってこようと考えています。
湯浅新地や貝塚あたりを候補としているのですが、他にありますでしょうか。

それと、2泊目は、生照温泉、源ヶ橋温泉、美章園温泉などの超高名な銭湯を見て、
写真は無理でしょうが、飛田新地を歩いてことうと思っています。

273夕凪:2007/06/16(土) 18:11:40
青線 春日野新地 (神戸市)
青線春日野新地は、昭和27年7月、戦災で大きく変容した春日野商店街の一隅に誕生した。

当時、業者9人が、料理屋営業の許可を受けて、接客婦40人をかかえていた。
この地域は附近に多くの大中工場をひかえ、その従業員を相手に、相当繁盛していた。

こんな実情だったので、業者は、(売春防止)全面施行の直前まで売春を放棄せず、
施行前夜の33年3月31日に至ってやっと閉鎖した。

その結果、旅館・・・3、飲食店・・・3、料理屋・・・1、金融業・・・1、住宅・・・1、計・・・9の転廃業をした。
なお転廃業に根強い執着をみせたので、取締当局はその後の動きを見守っていたが、
現在まで売春事犯は1件も出ていない。

                      兵庫県発行の1959年の資料より

274鷹目:2007/06/16(土) 19:05:18
雨が気になる季節ですが
>yatakaさん
 お久です。
 今月末九州ですか。梅雨が気になるところですが、晴れに恵まれると良いですね。

>ナカムラさん
 毎度です。
 和歌山行きとは関東からだとアクセス面で大変ですね。
 南大阪、和歌山だと確かに貝塚は比較的まとまって残っています。あとは海南ぐらいですかね。湯浅は甚風呂があり、ナカムラさん的には良い町かもしれませんが、アクセス面では非常に不便です。JR和歌山駅から往復2時間〜3時間は考えておいた方がいいと思います。

>夕凪さん
 毎度です。
 春日野新地は、何名かのかたが気にしているようですね。この地区で大事件があったとか・・・。

275夕凪:2007/06/16(土) 19:43:20
和歌山県連合会
業界紙の年賀広告より (昭和32年)

01.阪和新地組合、02.天王新地組合、??03.海南新地組合、??04.下津料理組合、05.箕島検番組合、
06.湯浅検番組合、07.御坊南新地組合、08.御坊北新地組合、09.田辺検番組合、10.新宮新地組合
11.串本新地組合、12.勝浦新地組合、??13.白浜社交倶楽部、14.白浜浜木綿社交倶楽部

                                  ?????? 以上

276ナカムラ:2007/06/16(土) 23:57:12
鳩の街
鷹目さん、夕凪さん、有難うございます。

4年振りで鳩の街を歩いてきました。

飲み屋街と、地味な建物が一軒無くなっていたくらいで、あまり変化はないようでした。
ただ、細いドアのある旧櫻井は、空家になっていました。

エリア内の「松の湯」に入ってきましたが、
赤線内の銭湯故か、章仙画の写実的な裸婦5人のタイル絵があります。

店には風呂は無かったと思いますので、客も、あるいは同湯に浸かったのかなぁなんて考えながら浸かっていました。50年前のふくよかだった日本女性が、リアルに描かれています。

中学生が見たら、きっと、大きくなってしまうと思います。(笑)

夕食は、エリア内の中華屋で、一杯やってきました。

277夕凪:2007/06/17(日) 11:50:23
兵庫の集娼地区
●赤線

 01.福原(神戸市) ・・・・・・・・・・・・ 汚名挽回に総力結集
 02.二葉新地(神戸市)
 03.戸田町(西宮市) ・・・・・・・・・・ 転廃業後はきわめて平穏
 04.八上新地(篠山町)
 05.明石(明石市) ・・・・・・・・・・・・ 県下の転廃業第一号
 06.高砂(高砂市)
 07.梅ヶ枝(姫路市)
 08.飾磨湛保(姫路市)
 09.相生川尻(相生市)
 10.洲本(洲本市)

○青線

 01.春日野新地(神戸市) ・・・・・・ 全面施行直前まで営業する
 02.初島新地(尼崎市)
 03.神崎新地(尼崎市)
 04.伊丹新地(伊丹市) ・・・・・・・・ 偽装売春の世評もある
 05.関根新地(加古川市)
 06.夢前新地(姫路市) ・・・・・・・・ 今後の動向を強く注視
 07.城崎新地(城崎町) ・・・・・・・・ 逆もどりしやすい観光地


            兵庫県発行の1959年の資料より

278今里X:2007/06/17(日) 12:55:23
スタンドセンターは?
現役バリバリのアソコ(笑)が含まれてないですよね…?

相生・加古川・夢前・城崎はまだ行ってません。
相生は駅から町がちょっと遠くめんどくさいのでサボっています。
加古川は黄線さんは行ってるんじゃないかな?
夢崎は資料は無いですが、町の規模的なことで注目してたところです。
城崎はむかし楽天地くんへのレスで間違ったことを書いてしまった記憶があります。
あとで地図関係を見てみたらアッ?ってなりました、無責任ですが…。(笑)

W県K市のK新地・A新地、ぼちぼち写真板に…

279夕凪:2007/06/17(日) 13:53:21
工都の御目溢し
●昭和23、24年ごろ、市内の難波新地、新天地、パーク座、浮世小路、杭瀬、高田方面に、
 約350人のモグリ売春業者が、売春婦約850人をかかえ娼家を経営していた。

 これらは、市街の中心部にありながら、公然と風紀を乱し、
 その状態は目にあまるものがあったので、26年に売淫条例が制定され、
 これらを強力に取り締まった。

 ところが業者の多くは海外引揚者や戦災者
 その他経済的に窮迫している者で占められていたので、
 取締は容易に徹底せず、かえって取締の目をぬすんでますます悪化していった。
 その上、暴力や麻薬覚せい刑事犯の巣クツとなり、犯罪を生む温床化したのである。

 このため、市民の世論も高まり警察の強力な取締が要望され、
 市当局へも風紀上弊害のない地域へ移転させてほしいと要請された。

 そこで市当局は初島(海岸埋立地)、神崎(工場跡)へ集団移転の方針を立て、
 30年4月から9月にかけて、業者の大半が移転し、
 県下屈指の青線地帯を形成するに至った。

                 ?????? 兵庫県発行の1959年の資料より

○「移転させた」と書いた後で、
 「だが、しかし・・・・・・」とは面子にかけても書けないんでしょうネ?
  ましてや町全体がとは・・・・・・

●そう言えば、今年、尼崎市が発行した『図説尼崎の歴史』でも
「昭和30年に多くの業者が初島新地と神崎新地(戸ノ内)に移転しますが、
 元の場所で営業を続ける業者もありました。
??2か所の新地は昭和33年の売春防止法施行後も営業を続け、
??これら特飲街の解消にはなお年月を要しました。」と言うふうに書かれています。

280夕凪:2007/06/17(日) 21:28:29
青線 夢前新地 (姫路市)
■昭和25年(1950)4月ごろ、広畑地区に大工場ができてから、
 この地域一帯に散在娼家がふえ、27年12月に至って青線夢前新地となった。
 そして、近接していた赤線湛保とともに発展してきたものである。

■ここには、33年1月現在で、業者11人、売春婦・・・32人、引き手・・・2人があり、3月30日に閉鎖、
 そして旅館・・・6、料理屋・・・1、小料理屋・・・1、カフエー・・・1、遊技場・・・1、荒物商・・・1、
 計11の転廃業を行なった。

 しかし最近ではモグリ売春をしているとの風評もあり、今後の動向は強く監視されている。

                       兵庫県発行の1959年の資料より

281夕凪:2007/06/17(日) 22:09:04
赤線 飾磨湛保 (姫路市)
■この地には、明治9年(1876)ごろ私娼家数軒があって、
 おもに船頭を相手に売春を行なっていたといわれ、
 明治39年(1906)3月湛保港工事の着工とともに、
 遊郭として指定許可を受けている。

 昭和33年1月には、業者8人、売春婦23人、引き手10人があり、3月30日まで営業した。

 住宅・・・2、貸間・・・2、旅館・・・1、飲食店・・・1、就職・・・1、家主に返却・・・1、
 計・・・8の転廃業を行なった。

 最近再び売春業に移行しつつあるという噂もあるので、取締当局は目を光らせている。


                      兵庫県発行の1959年の資料より

282夕凪:2007/06/18(月) 22:40:56
兵庫縣連合會
業界紙の年賀広告より (昭和32年)

 ☆01.伊丹新地特飲料理業組合
  02.西宮料理席貸組合
 ☆03.加古川新地料理席貸組合
  04.高砂席貸業組合
  05.福原三業協同組合
  06.福原新地会
  07.二葉新地料理席貸業組合
  08.明石料理屋席貸組合
  09.相生席貸組合
  10.篠山席貸業組合
 ☆11.城崎新地組合
  12.飾磨席貸業組合
  13.姫路席貸組合
  14.洲本料理席貸業組合

※『全國遊廓案内』に名前のある、新川や室津(網干駅下車)は、
 ??やはりここでも見られませんでした。

283今里X:2007/06/18(月) 23:35:42
スッゴイ絶倫でないと…
新川遊廓は戦後の赤線青線時代は営業してないんじゃないでしょうか?
ぼくの目が節穴(笑)かも知れませんけど、数回足を運んだんですけど、何かこう名残のようなものは見かけることはできませんでした。

室津は海運から鉄道時代に変わってから辺鄙な港町になってしまってるし、古くは相生で働く工員たちが室津へと山を越えて近道して遊びにいったそうですけど、泊まりで遊ぶのならともかく、チョンの間はスッゴイ絶倫でないと無理でしょうね。(笑)
相生に遊所があるのなら楽な方に行ってしまうのは人情ですよね。

また、大阪府の組合員名簿でも数ヶ所の遊所が掲載されていないので、兵庫県連合会に入ってないところがいくつもあるのかも知れないですね。

284夕凪:2007/06/19(火) 07:02:03
マリリンに逢いたい
●おっしゃるとおり金毘羅参詣等の船客で賑わった室津も、
 汽車の開通後は寂れてしまったようですね。
 ある本に明治40年(1907)には港楼1軒だけであると書かれていました。

 でも『全國遊廓案内』(昭和5年:1930)には
 貸座敷3軒、娼妓は30人とあると言う事は、
 一時は少し盛り返したんでしょうか?

○島に住むシタイ盛りのオス犬が、離れた島のオサセのメス犬とイタスために、
 海を泳いで会いに行き、パンパンとイタシタ後、
 また海を渡って家に帰ると言う、動物純愛映画(?)がありましたが、
 男の一念○○○を通すとかは、なかったようですね。
 近所の新地ではなく、少し離れたとこへも行かれるように・・・・・

●新川はやはり戦争で壊滅したんですかね !?

285えもん:2007/06/19(火) 21:42:40
お酒好きですよ♪
>>鷹目さん

上七軒は本当に、、交通の便が悪いですよね
何か特別な用事がなければ、、足を運ぶことも滅多になかったり。。。
鷹ヶ峰からJR二条まで歩いたとは、凄すぎです。。。

>>yutakaさん
はじめまして。九州!ときいて、飛んできました〜
長崎方面へいかれるんでしたら、お薦めは途中にある佐賀/武雄温泉です。
武雄温泉の建物は、東京駅を設計した辰野金吾氏の建築です。
竜宮城のような門が印象的で、重要文化財にも指定されていますが、
その昔は、その門を3つ作る計画があり、そのうちの一つは遊廓街へ通じる門だったそうです。
(武雄温泉本館にその設計について詳しく明記してありました)
現在は旅館として運営している宿も、昔はそのような営業をしていた所もあります。。
昔の風情の残る温泉街。
電車で長崎までいかれるのでしたら、
佐世保線なので、ちょっと方向が違うけれど、呼子よりもいきやすいとおもいます。
また、武雄温泉からバスがでている、嬉野温泉もお薦めです。
古くからある温泉街には当時の面影が残っていますよ。

ちなみに、武雄/嬉野秘宝館というものもあります(ものすごい寂れっぷりにびっくり。。。)
御参考までに

286黄線:2007/06/20(水) 02:01:17
(無題)
加古川は以前に写真を撮ってきました。
JR加古川駅の西側繁華街じゃなく、
東側の住宅街にコの字型に料亭風の建物が並んでいます。
※ただし詳しく調べてないので遊郭後だったか自分は自信がありません。

新川遊郭について当時の神戸新聞のコピーを調べてみました。
「県警売春取締総本部の調査によると、県下17地区の赤、青線(業者五百三十二軒、売春婦約千七百六十人)」云々。
S33の売春防止法実施直後の神戸新聞より

夕凪さんのすごい資料とも数が一致しますので、
やはり新川遊郭は戦後には無くなっていたかと・・・。
恐らくは白線と化していたと思われます。

287夕凪:2007/06/20(水) 07:03:35
青線 関根新地 (加古川市)
■戦後、町の中心部にある市場周辺や駅前附近に、多くの散娼がはびこり、
 風紀を乱していたので市民の世論が高まり、警察当局の取締りが強く望まれた。

 これとともに業者に対しても、風俗上弊害が無い地域への移転が促され、
 昭和30年(1955)1月から4月にわたって、関根地区に移り、
 青線関根新地が形成された。

■33年1月には、業者15人、売春婦・・・88人、引き手・・・6人がいたが、
 3月28日に至って店を閉じた。
 そして料理屋・・・6、カフエー・・・4、小料理屋・・・2、飲食店・・・1、キャバレー・・・1、
 住宅・・・1、計15の転廃業が行こなわれた。

 しかし現在では、偽装売春の世評が高く、取締当局はその動きを厳重に注視している。

                     兵庫県発行の1959年の資料より

288yutaka:2007/06/20(水) 09:39:27
武雄温泉
>えもんさん
初めまして。
情報ありがとうございました。
出発前の情報収集って愉しいものですね。
「近代庶民生活誌」を眺めながら、地図サイトで確かめたりしています。
1月の九州探索時は久留米、日田、小倉を中心に回りましたが、今回はふとした思いつきで西九州にしました。「跡」探索も含め、温泉、電車に乗るのも好きなので、武雄温泉も愉しんで参ります。

289夕凪:2007/06/20(水) 23:42:09
青線 城崎新地 (城崎町)
■大正14年(1925)の北但大震災で焼失した城崎町の復興計画として、
 各地に散在していた料理屋業者を集め、遊興地帯が設定された。

 こえて昭和21年(1946)8月、当地に駐留軍の療養所が設けられ、
 これを相手とした青線城崎新地が発祥した。

■33年1月には、業者15人、売春婦・・・50人、引き手・・・25人がいたが、
 3月25日に閉鎖、その結果料理屋・・・8、旅館・・・3、住宅・・・1、
 カフエー・・・1、ヌードスタジオ・・・1、売却・・・1、計15に転廃業した。

 しかし何分にも観光地であるため、ともすれば売春業へ逆もどりする可能性が強く、
 その実情には注目が集まっている。

                  兵庫県発行の1959年の資料より

290夕凪:2007/06/21(木) 06:57:59
青線 伊丹新地 (伊丹市)
■昭和26年(1951)11月ごろ、伊丹市緑ヶ丘に陸上自衛隊4千人が駐屯する事になったので、
 これを対象としてこの青線が生まれた。

 33年1月には、業者17人、売春婦・・・93人、引き手・・・29人があり、
 法施行直前の3月30日に閉鎖した。
 そして料理屋・・・8、旅館・・・4、間貸・・・4、住宅・・・1、計17に転業した。

 最近では、自衛隊において隊員の綱紀粛正を厳格にしたため、客足が減り、
 営業不振に陥って、わずか4軒が残っているのが現在の姿である。

                       兵庫県発行の1959年の資料より

291今里X:2007/06/21(木) 17:56:29
青線 伊丹新地 (伊丹市)2
昭和39年
いんなか 丸美 扇家 ナポリ ことぶき
末吉 清栄 おた福 春美 入舟 ちづる
マーキュリー
まゆみ 木村荘 とみや荘 みゆき 青柳荘
万両荘 恵美 千代
第二やよい 旭荘 銀鈴荘 吉美ちゃん 藤荘 栄楽
よしの 木村荘
伊丹神姫タクシー 梅ヶ枝 新世紀 やよい荘 サロンママ 大番 小判 竹葉
三楽 松鶴

昭和44年
いんなみ エリート ふじや ことぶき荘
丸福 青栄 おた福 ちづる
まゆみ 福娘荘 とみや荘 栄楽 とみちゃん いずみ 青柳荘
アケミ 思い出
花月 旭荘 銀鈴荘 吉美食堂 藤井荘 栄楽
一二三 つたや 木村荘
梅ヶ枝 小町 百合 末広 ゆめ エンゼル あざみ あずさ サロンママ 大番 静香 小判
万富 ゆかり 松鶴
タワー オーロラ 筑波 君の家

昭和47年
エリート 一歩 ふじや ことぶき荘
おた福
一二三
旭荘 銀鈴荘 藤井荘 栄楽
末広 エンゼル あざみ サロンママ 大番
万富 ゆかり
タワー オーロラ 筑波 君の家

昭和49年
末広 あざみ
松屋
タワー オーロラ 筑波 君の家

292今里X:2007/06/21(木) 18:24:52
青線 伊丹新地 (伊丹市)3
防止法施行のほとぼりのさめた頃が全盛期だったりして…

昭和48年前後に北側3分の2が、倉庫になってしまい、それまでに立ち退きの話は進んでたようで、後発のお店以外は北側から廃業していってるようです。
昭和40年代前半がいちばん軒数が多かったんじゃないでしょうか?

現在は残った南側の小さい一角も、工場や倉庫・住宅に建て替わってしまって幻のように消えてしまってます。

また、三本松の店のあった地域と新地は離れてるので花街と青線の接点はないと思うんですがどうでしょう?
伊丹の三本松は昭和10年代までは花街として営業してたようですけど、戦後は復興しなかったのではないかと思いますけど。

293鷹目:2007/06/21(木) 23:00:08
播州って
 播州地方って結構謎と言うか数が多いし、発祥が不明なのが多いですね。

>黄線さん
 お久しぶりです。
 兵庫は恥ずかしながら、尼崎と伊丹と篠山しかまだ訪問したことがありません。加古川など散策にちょうど良いところがあれば、散策会もやってみたいものです。

>夕凪さん
 毎度です。
 昭和27年の温泉観光案内では、城崎温泉には芸妓60名、接客婦25名とあります。花街と青線、別々だったのか否かよく判りません。

>今里Xさん
 毎度です。
 伊丹は写真展の段取り時に散策しましたね。あれからどうなっているのでしょうかね?

294今里X:2007/06/22(金) 00:01:22
兵庫県つづき
赤穂なんかも行ってみましたけど、なんかいまいちはっきりしないですね。
龍野はかなり大きい花街で川の港があるので、歴史的にはけっこう古いんじゃないかと思うんですが、あまり良い資料は出会えてません。
龍野小唄の歌詞くらいでしょうか。(笑)

鷹目さんと行ってから、もう一度三本松の遺構はないかと探しに行きましたけど、比較的新しい旅館が一軒、神社の横にあったくらいですね。
大正・昭和の三本松はもうちょっと南が中心かなと思います。
古い商工地図では検番も駅よりの方になってますしね。
伊丹も新地・三本松ともども残って無いところを無理やり搾り出して(笑)写真板に近々アップします。

西宮は戦災で遊廓はなくなったようですけど、その上に再建されたみたいですが、アーチもありますね、それも、最近の…orz
まるっきり普通の飲食街というか…、残念ですが。

城崎はリベンジしたいです。
前回は知人と行ってカニでジンマシンでるわ、インフルエンザで高熱はでるわで、瀕死で帰ってきました。
それで温泉街もあまりウロウロしなかったので小さいもんだと思ってたんですが、結構大きい町だったんですね。

295鷹目:2007/06/22(金) 00:04:29
そうだ
 城崎には十四、五年前に友人達とカニを食べに行きました。そのときは、まだ旅館の周辺施設案内にヌードスタジオの文字がありました。一軒だけでしたが結局は入っていません・・・(笑)。

296今里X:2007/06/22(金) 00:21:27
カニづくし
惜しい、もう少しで城崎新地実体験じゃないですか。

でも、やっぱりカニなんですね…
城崎と言えばカニ、カニと言えば城崎ですからね。
他のメニューも用意してぇなと思いました。

297夕凪:2007/06/22(金) 07:25:08
赤線 戸田町 (西宮市)
■徳川時代、宿場女郎がはびこって西宮遊郭として世に知られるようになったもので、
 公許されたのは明治43年ごろといわれる。

 昭和20年(1945)8月5日の空襲で焼失し、一時は廃墟に化したが、22年ごろから復活した。

■33年1月において、業者27人、売春婦・・・86人、引き手・・・28人があったが、
 3月15日法の全面施行を前にしてに閉鎖。
 間貸・・・5、料理屋・・・4、旅館・・・4、住宅・・・3、小料理屋・・・3、飲食店・・・3、
 カフエー・・・3、遊技場・・・1、就職・・・1、計27の転廃業を行なった。

 その後、この地域の状態は平穏そのもので、問題となるような事態は発生していない。


                       兵庫県発行の1959年の資料より

298夕凪:2007/06/23(土) 05:54:22
赤線 相生川尻 (相生市)
■県下において、最も古い室津遊郭が衰微し、その業者が造船所のある隣接相生町に移転、
 相生遊郭として生まれたものである。

■33年1月において、業者6人、売春婦・・・25人、引き手・・・6人がいたが、
 3月30日に至って店を閉じた。

 そして旅館・・・3、遊技場・・・1、住宅・・・1、質屋・・・1、計6とそれぞれ転廃業し、
 現状においても売春をする恐れはほとんど無いようである。

                       兵庫県発行の1959年の資料より

299鷹目:2007/06/24(日) 18:40:59
(無題)
>今里Xさん
 事前に言っておけば、別メニューでますよ。その時、一名カニがダメな人間がいたので一人だけすき焼きを食べていました(笑)。

>夕凪さん
 ご苦労様です。私は最近入手より未読本の読破中心な物で助かります。

 兵庫は、尼崎・伊丹(今里さんと)、篠山(散策会)と行きました。他にも散策会で周れる場所ありますかね・・・?

300夕凪:2007/06/24(日) 21:21:29
柳原と新川
禁門の変(1864)で朝敵になった長州征伐を行なうため、
兵庫が重要基地となったので、軍勢の宿舎がいる。
そこで(柳原の*)遊女屋を1ヵ所に集めて宿舎にあてたのだが、
やがて長州征伐も終わってからは、柳原の宿舎は閑散となった。

そこで、宿屋の主たちが寄りあって、元通り遊女屋を許可してもらいたいと
勤番所に願い出たが、取り上げてもらえなかった。
それでも宿屋は、芸妓と娼妓の両掛けを区別した表格子に張り紙を出して、
店を張った。

その後、柳原は西国街道の宿場町であったから、
“旅の恥はかきすて”られては、
芸娼妓が混交してアイマイ屋になりかねないと言うことで、
再び宿屋の主たちの相談となり、
茶屋、置屋、貸座敷に分離する事を決め、
柳原は芸者町、新川は遊女屋になっていった。


        君本昌久著『いろまち燃えた』(1983年、三省堂発行)より

301夕凪:2007/06/24(日) 23:17:57
赤線 明石 (明石市)
■徳川時代の初期、大蔵谷街道に構えられた本陣、副本陣の周囲に宿場ができ、
 ここに発祥した。
 明治4年(1871)、宿場内に散在しいていた遊女宿が、
 中崎海岸(現在の明石市東本町)と望海の浜(現在の明石市船上)に集められた。

 望海の浜は、地の利を得ず次第に衰えて消滅したが、
 中崎海岸は年とともに繁盛し、明治15〜20年頃、くるわ好みに店を改造、
 明石遊郭の基礎を築いた。

 明治40年ごろ明石貸座敷組合を結成、
 幾多の変転を経て売春防止法施行の日を迎えたのである。

■閉鎖は県下の各赤線地域にさきがけて、33年2月28日に行なわれ、
 全業者が廃業、組合も解散して、長い歴史をもつ紅灯を消したのである。

 33年1月当時の業者は14人、売春婦55人、引き手24人がおり、
 これが間貸・・・4、住宅・・・3、旅館・・・3、就職・・・2、機械修理業・・・1、家主に返却・・・1、
 計14に変容してしまった。

 その後一時は、大水族館や潮湯温泉を建設する計画もあったが、その実現はほど遠いようだ。

                        兵庫県発行の1959年の資料より

302夕凪:2007/06/25(月) 00:26:46
明石貸座敷業一覧表
?千歳楼、?花月楼、?山本楼、?可祝楼、?尾西楼、
?錦松楼、?金波楼、?一力楼、?三州楼、?いろは楼、
?栄楼、 ?西栄楼、?第一末広楼、?第二末広楼、
※いずれも所在地は東本町

         昭和12年(1937)の観光案内より

303黄線:2007/06/25(月) 12:16:13
夢前、姫路
先週土曜日、夕凪さんの書き込みに触発されて、
姫路を訪ねてきました。家からは車で一時間弱です。

夢前川
山陽電車夢前川駅は駅前の北側が古い小さな商店街。
路地を入ると何軒かスナックや料理屋がありますがここではなさそう。
駅北側の住宅地に大きな産婦人科がありました。
駅南側(埋め立て地)は大型商業施設と大駐車場。
駅西側(夢前川駅〜広畑駅の元繁華街らしい所)は多くの場所が更地。
ここは廃墟化したあいまい屋風の店が多く今でもスナックが多い。


飾磨
港に通じる飾磨駅前の商店街(飾磨街道)は風情のある建築が残っています。
飾磨港は港を囲む場所に娼館風の建物はなし。
ただし地域は古いまま残っているので丹念に探せば何かあるかも知れません。
また旧国鉄の飾磨駅周辺に赤線が多かったらしいのですが今はみなとドームという大型施設に変わっています。

戻る際に思案橋という所を見つけました。
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/200604eki/11.html

どちらもさらに探せばあるかなという感じでした。

304黄線:2007/06/25(月) 12:19:38
続き
>どちらもさらに探せばあるかなという感じでした。

これは見た感じほとんど何もなかったということです。

305夕凪:2007/06/25(月) 23:37:04
赤線 梅ヶ枝 (姫路市)
■約600年前、姫路城北市川沿いに宿場があり、その飯盛女が遊女化して、
 時代の推移とともに隆盛してきた。
 明治7年(1874)に至り、大阪鎮台の兵員因果が姫路に駐屯したのを機に、
 遊郭として許可を受けた。

■昭和33年1月には、業者16人、売春婦110人、引き手が40人いたが、3月15日に閉鎖した。
 そして旅館・・・14、料理屋・・・2に転業をした。

 現在では市の観光当局や各種団体の積極的援助もあって、団体客の誘致に成功、
 旅館業として健全な営業を続け県下唯一の完全転業として注目のマトになっている。

                     兵庫県発行の1959年の資料より

306今里X:2007/06/26(火) 00:27:25
隠語
もとは梅ヶ坪という地名で、「ツボ行こか〜」と隠語があったそうです。
現在でも「山」とかいいますからね。(笑)

307夕凪:2007/06/26(火) 06:45:28
赤線 洲本 (洲本市)
■貸座敷業としての許可は、明治13年(1880)に受けており、
 遊郭を形づくって洲本港の発達とともに隆盛をきわめた。

 法全面施行前の昭和33年1月には、業者17人、売春婦54人、引き手が30人にも及んだが、
 3月25日閉鎖した。

 そして旅館・・・11、間貸・・・2、飲食店・・・1、水産加工・・・1、みやげ物商・・・1、就職・・・1、
 計・・・17の転廃業をした。

 このうち芸者置屋に再転業したものが、最近ひそかに売春をしているとの風評もあり、
 取締当局は、その動きを厳重に見張っている。

                      兵庫県発行の1959年の資料より

308夕凪:2007/06/26(火) 06:54:05
赤線 高砂 (高砂市)
■遊郭としての歴史は古く、明治17年(1884)貸座敷業としての許可を受けている。

 昭和33年1月には、業者1人、売春婦4人、引き手2人がいたが、
 3月30日に廃業し、業者は神戸に移住、店舗は住宅になった。


                     兵庫県発行の1959年の資料より

309夕凪:2007/06/26(火) 07:03:42
赤線 八上新地 (篠山町)
■明治40年(1907)、歩兵七十連隊の設置とともに形成された遊郭で、翌41年許可されたもの。

 昭和33年1月には、業者10人、売春婦14人、引き手13人がいたが、3月30日に至って閉鎖。

 飲食店・・・2、住宅・・・2、自動車運転者・・・2、呉服商・・・1、農業・・・1、公務員・・・1、
 郵便局員・・・1に転廃業した。

 その後の動静は全く健全である。
                      兵庫県発行の1959年の資料より

310夕凪:2007/06/26(火) 22:33:11
赤線 二葉新地 (神戸市)
■戦災を受けた福原の業者の一部40余人が、昭和19年(1944)に移転し、
 この特飲街を開いたものである。

 この地の業者は、福原が戦後に新旧業者の混成であったのと異なり
 伝統を持つ業者の集合体として、組織も強固で、統制のとれた営業を続けていた。

■33年1月には、業者43人、売春婦102人、引き手44人がいたが、
 法全面施行前の3月15日、一斉に店を閉じた。

 そして料理屋・・・19、飲食店・・・8、旅館・・・4、間貸・・・4、住宅・・・4、カフェー・・・1、
 鉄工業・・・1、お好み焼・・・1、売却・・・1、計・・・43の転業を行なった。

 その後、株式会社機構のパレスモード会と称する派遣仲居制のようなものを始め
 一時は業績も上がっていたが、警察の取締を受けて2、3の業者が検挙されたため、
 自発的に解散する事になった模様である。

                    兵庫県発行の1959年の資料より

311k_taii:2007/06/27(水) 00:22:08
名古屋に行ってきました
行きは東京-名古屋、2800円の激安夜行バス。おかげで5時41分名古屋発桑名行き
からスタートでした。桑名ではタイル貼りの建物が2軒もあって満足しました。
次は隣の駅の長島。こんなのどかなところにあったのかといぶかりながら、予想した
場所へ。お金のかかった立派な建物が1軒、他はわかりませんでした。
また名古屋を経由して、今度は衣浦温泉へ。ちょうど雨が激しく降っていて簡単に
まわるしかありませんでしたが、ベンガラ色の建物は良かったです。転業旅館に泊まろう
かと思いましたが、まだ早い時間なので、後ろ髪を引かれながらも、安城へ向かいました。
安城ではまさしく妓楼1軒、料理屋1軒。それと現役の芸妓寮と置屋、料理屋2軒が
あり、ビックリしました。安城からは岡崎、板屋町へ。
和風の建物が点々と残っていましたが、ずいぶん建替えられたとのことでした。
翌日は豊川へ。2軒残っていました。1軒はベンガラ色の転業旅館で、円福荘と名前の
入った電柱がありました。2軒とも腰部にタイルが貼られていました。
最後は新城に行きました。駅からのメインストリートと右に折れる通り2本にあった
そうで、駅前に3軒も旅館がありました。建物は5−6軒ありましたが装飾が少なく
(そのため今でも残っているのか)おそらくその建物だったろうと推測できるのみ
でした。でも当時は規模が大きかっただろうと思いました。
 1日半で7箇所まわりましたが、もう歳なので1キロ、500メートル歩くのが
ずいぶん辛くなってしまいました。何回もタクシーに乗ろうかと思いましたが、
そうすると簡単に現地まで着いてしまい、面白みも半減するので今回は我慢しました。
 次は埼玉の越谷の赤線跡を探しに行きます。

312:2007/06/27(水) 06:41:33
どうも
k_taii様 、MARUと申します。
名古屋お疲れ様でした、次回の越谷ですが
私は25年前住んでいました、当時越谷駅東口降りて右方面に<トルコ>が一軒あり
また付近はキャバレ-などがありましたが、現在は駅前周辺も再開発され
古い建物自体が少なくなっていると思います。
新しく建てたテナントビルにピンサロなどのお店が多いようです。
あと、駅からかなり外れたところにストリップが一軒、
蒲生と新田の境あたりにも<トルコ>が、、、たしか「湯房マミ-」とか言っていたような
記憶違いだったらごめんなさい。


古い建物とか街並みなら、まだ草加のほうが少し残っているような、、、

あまり意味の無い情報かと思いますが、書かせていただきました。

313今里X:2007/06/27(水) 22:17:58
(無題)
>k_taiiさん
「タクシーに乗ろうかと思いましたが、そうすると簡単に現地まで着いてしまい、面白みも半減するので…」
まさに神髄ですね。ぼくもまったく同感です。
体力的な限界や障害があったりするかたが車での移動が中心になるのは仕方ないですけど、歩けるコンディションなら歩いて辿り着いたときの感動はひとしおですよね。
夜行バス利用の上に1.5日で7ヶ所はかなりハードすぎないですか?
ぼくの場合は1日1〜2ヶ所と、現役の疑いありの場合は夜の偵察(笑)で1ヵ所のペースですね。
ただ、昔からやってる近代建築探訪も含めてなので、その辺が限界みたいです。

>夕凪さん
戦前から二葉町の花街のあったエリアに福原の業者が雪崩れ込んできたんでしょうか?
そこのところがちょっと調べてみたいところです。

314夕凪:2007/06/28(木) 23:12:50
赤線 福原 (神戸市)
■福原が遊郭として許可されたのは古く明治元年5月のことである。
 その頃は、現在の東川崎町宇治川尻にあり、
 明治3年6月鉄道敷設のため今の所に移転した。

 それ以来発展を続けたが、昭和19年3月17日の神戸大空襲で全焼し、
 この地域の業者は、長田区二葉町と丸山町方面に移った。

 戦後、福原復興が着手され。
 旧業者も帰り、また新しい業者も加わって、再び隆盛していった。
 ただ二葉町に移った業者は、そのまま残ってそこに新しい特飲街をつくった。

■昭和33年1月現在における福原の状況は、業者251人、売春婦685人、引き手290人の
 多きを数えていた。
 これを業態別にみると、料理屋145、旅館71のほか、無許可35があり、
 これも半ば公然と売春業を行なっていた。

 この地域は昭和33年3月15日、売春防止法の全面施行を見こして閉鎖された。
 その結果は、旅館・・・83、料理屋・・・66、住宅・・・32、カフェー・・・19、小料理店・・・18、
 飲食店・・・10、間貸・・・5、お好み焼・・・4、貸店舗・・・4、キャバレー・・・3、質屋・・・1、
 理髪店・・・1、遊技場・・・1、芸者置屋・・・1、トルコ温泉・・・1、ヌードスタジオ・・・1、
 家主へ返却・・・1、計・・・251で、きわめてバラエティに富んでいた。

■最近、福原が再び赤線化しているとか、暴力の町になっていると言った風評もあるが、
 実情はそれほど悪化してはいないようだ。
 ただ一部の悪質な業者があって強引な客引きをしたり、
 暴利を貪る行為をしているのは事実である。

 そこで、去る3月6日この地域の料理屋旅館、飲食店等の350人の業者が集って、
 汚名挽回の総決起大会を開いた。
 そして明るい町づくりに総力を結集する事になったので、今後の福原は、
 この努力によって次第に健全さを取戻す事だろう。

                      兵庫県発行の1959年の資料より

315k_taii:2007/06/28(木) 23:54:46
こんばんは
 MARUさんへ、越谷の赤線の場所は埼玉新聞のS33年版の記事に書いてありました。
ちょうど北越谷と越谷の中間あたりにあり、規模は業者7軒とのことでした。記事の
写真を見ると、とても50年たって残っていけるような建物でなかったので、現在
残ってはいないでしょうが、一応場所の確認だけでもと考えています。
 川口(1軒?)、浦和、朝霞は何も残ってませんでした。
 今里Xさんへ、普段はどこか一箇所日帰り温泉に行くのですが、今回はうまく入れられ
ませんでしたので結構ハードなものになってしまいました。赤線跡はたくさん訪れて
カンを養わないと見つけにくいので基本は歩きです。タクシーの運転手さんは8割
ぐらいは、赤線跡を知っているので自分で一回歩いて分からなかったときと、電車の
時間で制約のあるときだけ利用しています。

316MARU:2007/06/29(金) 22:03:45
なるほど、、、
k_taii様、北越と越の間ですか、、、、とすると
元荒川近くの旧日光街道沿いかなと想像しています。
元荒川の土手は桜の名所で花見のころは
赤い提灯が下がりにぎやかなもでした。
この時期越谷は気温が上がりますので、熱中症などにお気をつけてください。

317夕凪:2007/07/07(土) 08:03:56
奈良三廓の置屋さん
●奈良元檢藝妓置屋

 ?米濱樓、?萬玉樓、?開勢樓、?阪井樓、?青海樓、?松の家、
 ?宮城樓、?川口席、?京富席、?福住席、?弘の家、?酔月

●郡山藝妓置屋

 ?京富樓、?京咲樓、?竹嶋樓、?京縫席、?山村席、?京咲支店

●生駒藝妓檢番? 置屋業組合

 ?藤梅席、?浪花席、?濱繁席、?朝日席、?和泉席、?千歳席、
 ?高砂席、?京屋席、?新駒席、?勝家席、?松田席、?住吉席
 ?巴席、?静席、?都席、?榮席、?武蔵野席、?大和家席、
 ?河内屋席

                     以上

318ぼわぞー:2007/07/07(土) 11:01:18
しばし京都人
地下鉄の掲示板等にポスターが貼られており気になっていたのですが、
今日になってようやくネット検索しました。

京都歴史回廊文化塾「しばし京都人」
※申込み締切:7月11日(水)

7月18日(水)に開催される

・浅田次郎氏による講演「輪違屋糸里−−その舞台」
・島原太夫道中+舞+胡弓の演奏 見学

などが皆様にも関心のある項目でしょうか。
詳しくはこちらを↓
http://www.kyotoec.com/rekishikairou/01/index.html

319鷹目:2007/07/09(月) 10:17:10
やるな!京都人
>ぼわぞーさん
 毎度です。
 やhり7月18日開催の分が一番面白そうですね。けど、水曜日はいけないです。残念。

 いっそ、京都支部で特別講座として開催してもらおうかな(笑)。

320k_taii:2007/07/09(月) 23:38:31
マイナーな場所ですいません
埼玉県の越谷にあった赤線跡に行ってきました。場所は越谷と北越谷の中間で川べりに
ありました。旧街道に面して1軒、そこから1本奥に入った細い通りに赤線街があった
そうです。当時はまわりに飲み屋さんなんかがあって、ずいぶんにぎやかだったそうです。
廓内の銭湯では開店前の女性達がたくさん来ていたとも言っていました。(80歳超の
おばあさん談)しかし、現在は可能性がある建物が1軒あるだけでした。

321MARU:2007/07/10(火) 05:39:13
ありがたい情報です
k_taii様、探索お疲れ様です。また、結果報告も本当にありがとうございます。
マイナ-と仰られていますが、貴重な情報です。
関東方面の情報は中々ありませんからね、、、、
私も、そのうち探索してきます。

322今里X:2007/07/13(金) 17:51:07
海南新地概要
大正初期までは各地に散在。
大正7年、市電延長に合わせて塩田跡地を造成して黒江新地開業。地名より船尾新地と書かれたり、次に東側に新地ができたの西の新地と呼ばれることもあるようだ。
大正13年、日方地区に紀勢線開通を見込んで東新地開業。
昭和13年1月、黒江新地・東新地の3検番が統合して海南検番組合を結成。
昭和33年4月、売防法施行によって置屋廃止、海南料理組合として存続。
参考「海南市史」

>ナカムラさん
写真板でいろいろ聞きたいことはあったようですが、時間の限られる旅行とはいえ現地で探す手間を省くのは良くないですよ。
そういう手間にこそ得るものは多いですから。

323ナカムラ:2007/07/13(金) 20:55:04
海南新地
>今里Xどの

有難うございます。

そうなんですよねぇ・・・。
最近は、以前よりもかなりせっかちな旅をしているなぁという、疑問を感じていました。

昔は、予備知識無しで街を歩いていましたので、ゆっくり時間を取っていました。
先入観が無いので、よく見て、よく考えて、よく感じていました。。。

明日は9:00前に関空に入る便なのですが、台風に向って異動するか思案中です。

324今里X:2007/07/14(土) 00:03:58
台風
台風のときの和歌山はハンパじゃないので、抜けたあとにする方がいいかと…
海南は小さい町なので新しい埋立地を避けてグルッと回ればしれてますしね。
「迷わず行けよ。行けばわかるさ!」ですが、台風だけは危ぶんでください。

325ナカムラ:2007/07/14(土) 00:12:41
台風
凄そうな台風ですね。

行って苦労。さらに、帰れないという可能性もありそうなので
ご忠告に従い、翌週に順延します。

日程が短くなるので、海南のみ。
貝塚、堺、飛田はまた先になりそうです。

326旧赤線族:2007/07/14(土) 09:45:49
(無題)
ナカムラ様
貝塚にはまだ結構いい物件があります。
自分の散歩コースでしたので。
隣の泉佐野駅近くの若宮町(駅の南側の踏み切りを海側に超えたあたりに)にも
いい旧遊郭建築のような建物(お座敷遊びをする店だったようですが)があります。
ご参考まで

327今里X:2007/07/14(土) 13:06:39
断食宣言じゃないよ
オフ会等を活用してこそこそと情報収集にいそしむ人がいますので、掲示板に書き込みをするのが意味の無いことに思えてきました。
今年1月よりオフでの活動に見合っただけ掲示板上でも活躍するように注意したのですが、積極性が感じられませんでした。
これ以上いてると、後から入ってきた年長者をいじめてるふうに見られます。
そんな訳で、ぼく自身も仕事も含めて忙しくなってきたこともあり、ここで断○宣言(笑)をさせてもらいます。
これからは情報収集に長けた方にぼくの分もがんばっていただきたいと思います。
ながらくお世話になりました。

なお管理人の鷹目さんは公正高潔な信頼のおける方なのですのでご心配なく。

もう編集は、最後にします。でわでわ。

328夕凪:2007/07/15(日) 09:17:39
藝能懇話(第2号) 「お願い」より
  本会は資料の発掘ということを、大きな目標に掲げております。
  そのために、未紹介の貴重な資料を積極的に紹介したいと考えております。

  そこで、本誌掲載の資料をお使いになる場合、
  所蔵の関係機関・個人の御意向を最優先し、充分配慮してお使い下さい。
  一部引用の場合も出典の明示をお願い致します。

  開きかけた貴重な秘庫が再び閉じられることのないよう、
  お互いの心遣いを大切にしましょう。


●上記は大阪(上方)の諸芸能の歴史に興味をもつ方々の集まりである
 大阪藝能懇話会の会誌に記載されていた一文です。

 (上記文章の意図とは違いますが)
 鷹目さんが主催・管理して下さっている、この「鷹は舞い降りた」の場合も、

 HPあるいはHPをきっかけとしたルートから恩恵を得るだけでなく、
 自分の持っている情報を、HPに書き込む事によって恩恵を還元し、
 お互いを刺激しあい、知識の向上を計るべきかと思います。

 言い換えれば、情報のギブ&テイクの微妙なバランスへの、
 お互いの心遣いがあってこそ
 開きかけた貴重な秘庫が徐々に開かれていくのではないでしょうか。

 原点であるHPを大切にしたいと思います。

※「心遣い」はHP内よりも、外部への配慮がより必要なのは言うまでもありません。
※昔から「冷やかしゃ廓の一の客」と言うように、ROMるのも全然結構かと思います。
 (例えが悪いかもしれませんね、すみません。)


エラソウな気持ちで書いたつもりはありません、一投稿者である私の独り言です・・・・・

329今里X:2007/07/15(日) 12:49:16
遺言じゃないよ
夕凪さんお心遣いありがとうございます。
見た目と違い(笑)気短かなところがあるので、頭を冷やすために少しの間ひとりで離脱して勉強してきます。
半年ガマンしましたが無理でした。
細かくイラつかせられるのは蓄積しますからね。
仕事はもちろんのこと資料などで整理しなければならないことが山積みになってしまってるので、現在の消化不良の状況を克服しないといけません。
しかしホトケのXになって帰ってこれるかはどうかわかりません(笑)。

-------------------------------------------------------------

敢えて○言を書きますが…。

掲示板で目新しい所を紹介しても、読まれた人が「行って来ました」だけでは、そこから話題がひろがらないです。
「行って来ました。有難う…」と掲示板に書いてくれる方は、かなり気を遣ってくれているのはわかりますけど、そこで、現地で調べたり聞いたりしたりしたこと、疑問などを書いてもらえれば、話題が広がっていくことでギブアンドテイクのバランスも取れるのでありがたいのですが。

多くない経験での話ですが、地方都市の郷土史に興味のある人は、遊里関係に限らず突っ込んだ話をするととたんに口の重くなる人が多いように思います。
本来は関東・東海・関西の大都市圏以外から、現地情報を書き込みしていただける方がいてくれればありがたかったのですが。
もし、そういう人がロムってても、何か書き込みをしてみようとは思わない状況だと思います。

オモテはこんな感じで、中でこそこそされていたら、いろいろ書いてて意味があるのかというジレンマに一年以上前から陥っていました。
そんな状況で、せっかくの書き込みにレスをしてなかったりしたこともありまたけど。
ぼく自身も鷹目さんのホームページで勝手にやってるわけですが、乗りかかった船なんでどこまでできるかやってみましたが、いったん降りることにしました。

mixi経由などから、新たに興味を持たれた人にお願いがあります。
鷹目さんの希望でもありますが、新しい人、とくに若い人が入ってきていただけると活性化するのまちがいないので、興味を持たれたら、話題のレベルなど気にする必要なく、どんどん掲示板やオフ会などで活躍してください。
徐々に蓄積されてきた知識や資料や話題を先輩方が持っていますので、よろしくお願いします。

これ以上、編集しません。でわでわ。

330夕凪:2007/07/16(月) 22:42:47
赤○キンちゃん気をつけて
●'69年に庄司薫さんが発表した『赤頭巾ちゃん気をつけて』と言う大ベストセラーがあります。
 また同年に芥川賞を受賞しました。

 当然ながら映画化の話がもちあがりましたが、多くの読者から
「映画が唯一絶対の存在になってしまい、胸の内に作り上げたイメージが否定されてしまうようだ・・・」と
 (映画化)反対の声が山のように集まったそうです。

 その読者の声への、著者である庄司薫さんの答えは下記のようなものであったかと思います。

 ?作家が小説を発表すると言う事は、読者のあらゆる解釈の自由を認める事であり、
  それはもはや作者にとって基本的にはどうしようもない事である。
 ?読者の一人(=映画監督)が、小説とは別の、映画という独立した作品として作りあげたものである。
 ?したがって原作者はこれに中途半端な形での干渉を行なうべきではない。
  (=やるからには徹底して自分の映画として関わるべきである。)

●今回の件に関連して言えば、掲示板や、OFF会等を通じて得た恩恵を、
 掲示版以外の部分で、(できれば掲示板にもフィードバックして欲しいとは思うものの)
 どのように利用しようとも、それはどうしようもない事であると思っています。
 もちろんこんな事を言っていると拡大再生産にはつながらないのかもしれませんが・・・・・
 どっかで突き放さざるを得ないのではないでしょうか。

 ボクの場合、その代わりと言ってはなんですが、「こんな本持ってんねんでェ」と言う
 プチ自慢 or 自己満足を得ているのかなァと思っています。
 やはりボクはオ○ニー小僧なんでしょうか・・・

 ※この小説のタイトルをパロディにした「赤ス○ンちゃん気をつけて」と言う
  AVがあるそうですが、小説とは一切関係はありません?

 やはり基本は掲示版! これを利用しない手はないと思います。

 2度でも3度でも昇天して、○○○のXとなって帰ってきて下さい。

331k_taii:2007/07/19(木) 00:23:30
伊豆長岡温泉
 YUTAKA さんのHPに刺激され、伊豆長岡温泉で1泊してきました。伊豆長岡駅から
すぐの新開地では現在、建物は1軒も残っていませんでしたが、当時を知る方から
12−13軒の店が営業していたことを聞きました。現在は2軒のスナックと3軒の
転業旅館となっていました。
 温泉場では各地に分散して営業していたみたいですが、残っているのは○座とよばれて
いる一角だけでした。一番奥の建物は印象的で、裏側に入り口(門)2箇所、2階には
瓢箪や扇子の切り抜きの明かり窓がついていました。カフェー調の建物もありましたが
近所のスナックのママはそんなに古くないと言っていました。でも感じはそうなのですが。
あとは3−4軒。ここは新しい建物では現役との話しもありましたが、確認は出来ません
でした。

332k_taii:2007/07/19(木) 00:38:07
質問
 泊まった旅館のそばにすごく凝った作りのバーがあったのですが、ずいぶん以前に
廃業したらしく、ビール200円、ビール大250円の料金表が残っていました。
 この値段はどれぐらい前の値段なのでしょう?私自身は酒を飲まないので、見当が
つきません。ご承知の方がいらっしゃいましたら申し訳ありませんが教えてください。
現在は一律1000円となっていました。

333:2007/07/19(木) 08:34:50
ビールのお値段
>k_taii さん

伊豆長岡温泉の湯は如何でしたか?
以前は歓楽温泉街のイメージが強かったのですが、最近ではごくフツーの住宅地だったり、マンションだったりして、あの路地裏を探すまでには別の方向に散々歩き回りました。
ご質問のビールのお値段ですが、朝日文庫「値段の(明治・大正・昭和)風俗史」によりますと一般小売価格でビール大瓶1本昭和37年で115円、昭和40年代は120円〜160円位と記されています。
基本的にスナックなどの飲み物の平均的金額(ボッタクリバーは除く)は原価の3倍ですから、ビール大250円だったら昭和40年代位ではないのでしょうか。
まあ、スナックですからママさん含め「頂いて宜しいかしら?」と言うことも勿論ありますし、その他付加料金もあるかも知れませんよ。
ちなみに、歓楽街スナックの料金に関しては、殿山泰司 著「三文役者のニッポンひとり旅」を読むと面白いですよ。

334夕凪:2007/07/19(木) 23:40:37
イッパ○ 2,500円 !?
●伊豆長岡の人気高い?純?赤線

 その一帯を、地元の人たちは、?切り通し?と呼んでいる。

 その?切り通し?の中へ入って行けば、黙っていても、女の手がのびて来て
??「2,500円よ、遊んでいかない」なんて・・・
 女たちは一応バーを根城にしているのだが、酒は飲まなくてももちろんOKだ。

 人口1万1千人、旅館数60余軒、芸妓置屋40余軒、芸妓130余人、バーその他の飲食店40余軒、
 従業員100余人、年間宿泊客100万人、他の同規模の温泉場には、たいてい海あり川ありと
 言うように観光資源がある。ところが伊豆長岡の場合は、要するに四方が田んぼ。
???尾張名古屋は城でもつ、伊豆長岡、女でもつ?

 芸者さんが、ご要望に応じるのはどこだって同じことだが、金はかかるし、面倒である。
 土地っ子も観光客も?切り通し?を利用する。

 その?切り通し?は奥行き約50m、幅3mの露地だが、食い物屋、射的場、
 そしてバー10数軒がギッシリと軒を並べている。
 このバーの前に立つ女の100%が金2,500円をもって相手になる。


                     1967年の週刊誌の風俗記事の要約


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