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鷹目遊里史板

300夕凪:2007/06/24(日) 21:21:29
柳原と新川
禁門の変(1864)で朝敵になった長州征伐を行なうため、
兵庫が重要基地となったので、軍勢の宿舎がいる。
そこで(柳原の*)遊女屋を1ヵ所に集めて宿舎にあてたのだが、
やがて長州征伐も終わってからは、柳原の宿舎は閑散となった。

そこで、宿屋の主たちが寄りあって、元通り遊女屋を許可してもらいたいと
勤番所に願い出たが、取り上げてもらえなかった。
それでも宿屋は、芸妓と娼妓の両掛けを区別した表格子に張り紙を出して、
店を張った。

その後、柳原は西国街道の宿場町であったから、
“旅の恥はかきすて”られては、
芸娼妓が混交してアイマイ屋になりかねないと言うことで、
再び宿屋の主たちの相談となり、
茶屋、置屋、貸座敷に分離する事を決め、
柳原は芸者町、新川は遊女屋になっていった。


        君本昌久著『いろまち燃えた』(1983年、三省堂発行)より


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