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鷹目遊里史板
1
:
鷹目
:2006/03/12(日) 14:04:22
一流への道
≫活魚料理店の水槽を撮らずして一流とは言えないでしょう。
道は険しいな・・・。
>bananaさん
情報ありがとうございます。そちらも次回候補に入れておきます。会場選定が一番悩みます(笑)。
164
:
旧赤線族
:2007/01/28(日) 12:03:37
泉佐野の若松町
泉佐野駅の南側の踏切を海側に越えたあたりに
和風ビジネスホテルが数件あり、その一角に
和風建築の遊郭のような立派な建物が一件
残っています。 それ以外にも数件それらしい
残骸があります。
残っている一軒は民家のようです。
書物にもででいませんが、お座敷遊びをする店
というのが一件だけ検索で出てきましたが。
実情はよく知りません。
なお、年齢は40手前のさえないサラリーマンですので
赤線は実体験したことはまったくありません。
ただ、建物を見ていると吸い込まれそうになるんです。
先祖が赤線通いしてたかな。
大阪の南の出身なもので限定されたところしか知りません。
165
:
鷹目
:2007/01/28(日) 12:37:10
新地通り
>旧赤線族さん
松→宮ですよね。
位置は確認してんですが、どうもいつ頃出来たのか判らないのですよね。花街として泉佐野の名前が挙がっている資料があることはあるんですが・・・。
166
:
鷹目
:2007/01/28(日) 12:41:28
五條小唄
一 芸者ワルツで ステップか 五條楽園花えくぼ
柳並木と ぼんぼりが ほのかに浮かぶ 恋のみち
二 甘い夜風か 三味の音か かわす情に ほだされて
むせぶ瀬音の 加茂の川 恋は せつないものか知ら
三 雨の木屋町 いと柳 恋しと想ふ あなた故
たゞ一筋の 高瀬川 人目忍んで 来たものを
四 見知らぬ人と 知り染めて 添ふに 添はれぬ 胸のうち
想ひ焦がれる 大文字 焦がれこがれりや 火ともなる
作詞 松森明
作曲 浅田憲司
編曲 浅田純一郎
歌 泉セツ子
歌 栢チエ子
作詞作曲者歌手等について情報求む!
167
:
旧赤線族
:2007/01/28(日) 16:00:29
(無題)
大変失礼しました。
ご指摘どおり若宮町です。
だいたいこのあたりです。
いい物件があるのは。
ttp://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34%2F24%2F28.475&lon=135%2F19%2F3.228&layer=1&sc=2&mode=map&size=m&pointer=on&p=&CE.x=388&CE.y=300
168
:
夕凪
:2007/01/28(日) 23:50:58
わが一生いかにか過さむおりふしに、おもくばあわれ心ゆらぎて
鷹目さん
組合長さんから五條楽園の名前の由来は聞かれましたでしょうか?
ちなみに私の手持ちの資料(1958年)には下記のように書かれていました。
七条新地と五条橋下はよく一つと見なされていました。
赤線の女が廃止されましたが、新検芸者(雇仲居)として組合が出来
「五條歓楽街」と称してやる様です。 ※島原も「島原地域歓楽街」?
歓楽街にしろ楽園にしろ、なんでそんな名前にしたんでしょうか?
いつからその名称を使ったんでしょうか?
そもそも七条新地の転業策はどんなものだったんでしょうか?
また組合には「都の華」等の巽会の資料等は保存されていましたでしょうか?
>>旧赤線族さん、私は小さい頃から「赤線」に慣れ親しんでおりました。
「赤線」を吸っていたそうです・・・・・?
私は二十歳過ぎ !??? by いとこい
169
:
嶋原G
:2007/02/01(木) 16:15:32
橋本の或る元妓楼について
京街道と大谷川沿いにあり、現在「Y温泉 旅館T」と書いてある看板を掲げ、
玄関には男女が踊る絵柄がある透かしステンドグラスがあるあの建物は、元妓楼である。そんなことは既に承知の上なのだが、元来のT楼という屋号であった家屋、今は無い。
「T楼について」
戦前の地図上でT楼は妓楼であり駅の近くにあった。
1960年の地図上でT楼は貸席となり、やはり駅の近くにあった。
1967年の地図上でT楼はお茶屋となり、やっぱり駅の近くにあった。
1972年の地図上で、元来あったT楼は無くなっている。
建物はあるみたいだが空家のようだ。
その後、取壊され現在はガレージになっている。
「T旅館について」
戦前の地図上でT旅館がある場所にはI楼があった。
1960年の地図上でI楼は廃業したのか不明だが空家になっている。
当時、既にT楼へ所有権移転してたのか?
1960年に許可が出た温泉利用するため旅館へ、改築してたのか不明である。
1967年の地図上で空家だった家屋は、T旅館になったようである。
1967年当時、T楼はお茶屋と旅館、両方経営していたことになる。
以降、現在も旅館だが1977年温泉は廃止。
「I楼について」
現在、旅館Tにある透かしステンドグラス及びその他装飾は、I楼の遺構と見なされる。特に透かしステンドグラスの右横にある磨りガラスに書かれてるローマ字が、
I楼の屋号であるということをお気づきだろうか?
夕凪さんに感謝いたします。
170
:
夕凪
:2007/02/06(火) 06:57:49
自由国民バイブル版 と 旅行の手帖 (ふたりっ子編)
【全国女性街ガイド】(1955.8.20)の原形となった赤線案内のガイド記事を収録していると
言われる【旅行の手帖】や、その前身である【自由国民・バイブル版】を見ていると、
??本文等の内容が全く同じ双子の兄弟である号が複数ありましたので御報告致します。
※( )は発行日です。
1.【旅行の手帖 No.20】(1955.5.?)??特集・全国の美女・民謡祭礼めぐり
????【旅行の手帖 No.23】(1955.8.20)??特集・全国の美女・民謡祭礼めぐり
????※渡辺寛「よるの女性街・全国案内版」収録
??※詳しくは過去ログ(2005.11.1)の鷹目さんの書き込みを御参照下さい。
??2.【自由国民・バイブル版・第9号】(1953.9.10)
??????全国都市と女性美の特集 追篇・今日の京阪神なんでもわかる案内記
??【旅行の手帖 №12】(1954.2.15) 京阪神見物から各都市の遊び場まで
??※両紙の関係は2007.1.5の書き込みを御参照下さい。
??3.【旅行の手帖 №19】(1955.4.20) 東京・ヨコハマ なんでもわかる 1955年版
【旅行の手帖 №24】(1955.9.20)??東京・ヨコハマ なんでもわかる
??※渡辺寛「赤線地帯 あのまち・このはな 花街めぐり」収録
もちろん極一部の号しか見ていませんので、他にも双子がいるかもしれません。
??どうも双子の正体は、好評な号の増刷だったように思われます。
??※【全国女性街ガイド】については興味深い考察が、某古本屋さんの日記に書かれていました。
171
:
今里X
:2007/02/07(水) 21:30:48
夢よもう一度
『ひらかた散歩』という本に昭和三十三年以降の櫻新地のようすが書かれたがあったので、関連部分を抜粋して下記に転載します。
もともとは枚方新聞に連載していたものをまとめて出版したそうで、他の記事も簡潔で読みやすく枚方周辺の紹介をされてるので、図書館や古書であればおすすめです。
-----------------------------
廓の町「桜新地」より
明治の文明開化も、四民平等、女性解放にはいたらず、それらの娼家を風紀上よろしくないと、淀川大橋詰の一画に移されたのは明治も末の四十二年三月のこと。そのころ、竹川堤といわれた淀川の堤防には美しいサクラ並木があったので「桜新地」と名付けられた。
そしてこの付近は、上流の橋本や中書島遊廓などとともに淀川べりの歓楽街として栄えた。とくに枚方は、芸妓もかかえ格式も高く、枚方菊人形が開園された当初は、アトラクションの菊おどりに彼女たちが競演し、観光枚方の情緒をたかめる役割もはたしていたらしい。
こうして、赤線はなやかな昭和の盛んなときには置屋四十数軒、接客婦百数十人を数える不夜城のにぎわいをみせていた枚方遊廓も、ついにその長い伝統の灯を消し、接客婦たちを解放させられることになった。昭和三十三年四月に実施された「売春防止法」のためである。しかし、管理売春(単独売春)の取締まりだけに重点を置いたザル法---注目された下宿街への転向も、業者の死活問題などにからみいつしかもとの芸妓街へと復活。
いま健全な歓楽街へ桜町と名を改めた通りをゆくと、スタンド、料亭といった新しい看板のミセもみられるが、どの家も構えはむかしのままの紅柄(べにがら)格子。なかには夢よもう一度と思わせるようなミセまである。だが、客があるのかないのか、ひっそりと閉ざされたその出格子のうちは暗く、はなやいだ脂粉のざわめきならぬ一種の妖気すら漂よっていると感じさせられるのだ。
昭和42年2月
『ひらかた散歩』枚方新聞社 昭和54年
172
:
夕凪
:2007/02/12(月) 23:08:58
工都のオデキ“二つの顔”
尼崎市内には、二つの“色町”がある。通称“初島”と“神崎”新地。
“シマ”こと初島新地とは南初島町22,000?のこと。
表向きは料理屋、小料理店、バー、飲食店として許可を受けた家屋が180軒。
ほとんど木造簡易モルタル塗りの家で、ひしめき合っている。
“従業婦”と呼ばれる女性は450余人。
南は神崎川沿いの大防潮堤、北にボーリング場、
東に自動車学校、西にゴルフ場ある新興歓楽街。
神崎新地とは、戸ノ内字○開、○ノ割、四○田、○割、壱○島の合体、
がっしりした木造2階建の旅館をはじめ料理屋、スタンドなど計116軒
“女従業員”400余人。
神崎川と猪名川で三角形に仕切られた中洲の一角で、
やや古風な建築様式の歓楽街である。
戦後、進駐軍の指示で公娼制は廃止、市も1952年2月「売春取締条例」を公布した。
その頃市内には杭瀬、難波、出屋敷を中心に“色町”があちこち散在していた。
33年売春防止法施行直前、この散在する色町を市内のどこか一ヵ所にまとめては・・・
との保護司会の突き上げですったもんだのあげく、現在地に集中移住した。
当時、南初島は葦の生えた湿地帯。戸ノ内は雑草の生い茂る荒地だった。
この未開地が今は阪神間指折りの“色町”として栄えているだけに
「わしらの力で開発してきた土地だ」という地元民の自負心はかなり強い。
「売防法では完全な売春取締りはできない」と警察も足踏み状態だが、
初島繁華街組合は「警察はこの町の見方ですよ」とも言う。
暴力団風の男たちが入り込んでくるとすぐ組合から中央署へ連絡、
客や組合の夜警員との間にトラブルが起きない手を打つ。
家屋の転売は原則として組合を通じて行い、暴力団関係者への転売は避ける。
いかがわしい男が仲介した女性は雇わない―と、
この地区が暴力団の資金源になる事は無いと力説した。
ここの女性たちの職場にも、かつての“くるわエレジー”などは見られない。
しかし所詮は勤労者の町を背景とした「デキもの」ではないか・・・。
「婦人の中にさえ、婦女暴行の多い尼崎なら仕方ないでしょう―と言う人がいる。
とんでもない錯誤ですよ。女は身をきれいにしてこそ心の支えをうるものなのです。」
と言った北部住宅街の主婦の言葉を読者はどう考えるだろうか・・・。
全国紙(尼崎版)の連載記事をまとめた本(1966年)の要約
173
:
嶋原G
:2007/02/13(火) 00:16:08
ある議事録
夕凪さんの書き込みに関係あるかと思われます。
警官と業者の結びつきというものは想像以上に根深いのであります。
1、2の例を挙げますと、赤線、青線区域の警官のみならず、署長クラスの転任、就任に際しましては、華々しい歓送迎の宴が催されておりまして、多額の金品が贈与されておるのでございます。あるいはまたさらに、付近の交番の増改築の場合、殆どといってよいくらい、業者の寄付に依存しておると言われます。
過日、私は兵庫県の尼崎市へ参りました。同市におきましては、従来の歓楽街が住宅街のまん中になったために、子女に及ぼす影響が問題となり、婦人会等の反対運動の結果、転廃業ということになりました。
ところが業者は、元某紡績工場の空襲による焼跡4万6千坪を買収いたしまして、大々的に遊廓の建設を急いでおります。現に100名の女をかかえ、来年いっぱい1600名の女を持つ一大遊廓を作り上げるのだと豪語いたしております。
私も、その規模の人なるに驚き、かつあきれたのでありますが、そういうことが現在でも許されるでございましょうか。
そこで国会に売春防止法成立の公算大なるとき、かかる建設をして、法案通過のときはどうするのか?と質問いたしました。ところが彼らは、傲然といたしまして、あんな法律が通っても平気だ、幾らでも抜け道はある、既にそれぞれの関係方面と打ち合せつつやっておるのだから心配はないと断言いたしております。
しかも驚いたことに、その大門通りといわれる入口には、実に立派な交番が建っておりました。あとで建設の青写真を見せてもらったところ、その中に交番がある。これは業者が建てて警察へ贈ったのだと申しておりました。
私は議員であることを隠して参りましたので、内容を全て聞くことができたのでございますが、これは何たることでしょうか。業者を取り締る警官が、その供応を受けますることさえあるに、なお警察の公の出張所であるその交番を業者から贈られているこの現状で、果して真の使命が果せるかどうか、ここに問題が内包されておるのでございます。これが見て見ぬふりどころか、陰で業者を指導し擁護する結果となるのであります。
現在の青線業者や赤線業者の中に、相当数の署長上りを始め、多数の警察官が業者となっており、さらに業者の用心棒として警察に顔をきかせておる者さえ多数ございますのは、このことを最も雄弁に物語っているのではないでありましょうか。
もし、当局が、真に決意を持って法を守るために忠実であるならば、現に調布の如く、九州八幡の如く、業者は自発的に転廃業し、みずから正業に更生し得るのであります。
昭和31年 参議院議事録より抜粋。
174
:
夕凪
:2007/02/14(水) 00:23:31
伸びる尼崎特飲街
特飲店はもと“新天地”と“難波新地”とに約130軒あった。
いずれも市の中心部で、近くに小学校もあり婦人会を中心に世論の反撃が高まって
昭和27年春 全国で一番厳しい売春取締りの市条例ができ、
同年秋業者は市街地から遠く離れた初島と戸ノ内の2ヵ所に集団移転をする事になった。
中心部さえ潰せば、不便な移転先では自然客足も減って自滅するだろうと言う
市警察当局の予想だったが、2ヵ所とも大繁昌。
殊に「神崎新地」と銘打った戸ノ内は、土地開発会社の大変なキモいりで、
最初移転した73軒の他、新規開業6軒を加え今や付属マーケットや商店を合せると
200軒と言う一大歓楽街となってしまった。
土地開発会社は「政府が本当にやる気なら何故売春禁止法を作らなかったのだ。
防止法は集娼を散娼化するだけだ。
われわれは完備したモデル特飲街をここに実現させてみせる」と大した意気込みである。
1956年のグラフ誌より
●以下は掲載写真の解説文です。
?歓楽街ができるまでは身の丈ほどもある雑草が茂っていた
開発会社がここに投下した金は約4億円と言われ
“防止法ができたからと言って廃業したのでは借金が残るばかり”と
必死の顔つきだがマーケットの方は2年後を見越してか
ほとんど借り手も無いようだ
?神崎新地は市の東部 もと飛行機工場跡を土地会社が買取り
業者に坪1,500円で分譲したもの 現在は坪1万5千円
?大阪からの入口“大門”には開発会社の手で交番が建てられ
巡査3人が常勤して専ら客の喧嘩を取締っているが
朝の掃除は女が交替でやっている
??※交番の写真には“モスリン橋巡査派出所”との看板が見られます。
?防止法が成立してから開店した店もあった
小さい店で32坪、最大は80坪 室数も5〜16間となっている
“新しい夜具”“整った衛生設備”と宣伝し
「完備した施設のこの神崎新地を認め 散娼 街娼を一掃せよ」と言う
175
:
今里X
:2007/02/14(水) 10:25:25
新天地と灘波新地
新天地は以前に写真板にアップしましたけど、灘波新地がいまいちわかりません。
くっついてたのか、ちょっと離れてたのか?
「オデキ」の本(書名忘れたw)に神崎の遊女の霊を弔う祭りの記事があったと思うのですが、その祭りは現在も行われてるのかどうなのか気になるところです。
176
:
ブール
:2007/02/17(土) 00:07:57
五條楽園歌舞練場
久々にこちらのサイトを覘かしていただきました。
五條楽園歌舞練場でのオフ会、とても愉しくなりそうですね。
昨年、新聞紙上でたまたま歌舞練場が多目的ホールとして復活という記事を見て、
自分も入館できる日がいつかくるのでは?と思っていました。
オフ会の当日の予定が決まっていないため、まだ参加の申し込みが出来ませんが、
ぜひ参加させていただきたいと願っています。
五條楽園歌舞練場になる前は、どのような施設として使用されていたのでしょうかね?
隣のガレージは七條新地女中組合の事務所?があったようです。
やはり、芸のお稽古場でしょうか?
私もいつも五条楽園を応援しています。何も力になれてませんが〔笑〕
177
:
鷹目
:2007/02/17(土) 20:18:45
五條楽園応援委員会だったり
>ブールさん
お久です。
そうです、今回ひょんな事から五條楽園歌舞練場でオフ会を開催することになりました。今回のオフ会は、従来と参加者の層が違うため、内容は私自身正直予想できません。が、まあ楽しいものになるとは思います。・・・いえ、楽しい会の無理やりにでもします(笑)。
参加申し込みは一応3月10日までと公式にはアナウンスしてますが、HPよりの申し込みはある程度融通出来るようにするつもりです。ですので予定がうまく合えば、参加申し込み宜しくお願い致します。
今回は遊里史研究会兼五條楽園応援委員会と言うことでこれからも楽園を応援しつづけますよ。本当はうだうだ言わず登楼するのが一番の応援かもしれませんが(笑)。
178
:
夕凪
:2007/02/17(土) 23:31:52
日本花街志(全四巻)
●加藤藤吉氏による『日本花街志』(全4巻)と言う本があります。
その第1巻は古本屋さんでチョクチョク見かけるのですが
第2巻以降は見た事はありません。
手持ちの第1巻に挟まれていた刊行予告のリーフレットによると
第2巻以降の内容は下記目次の通り予定されていたようです。
第1巻 情怨百年史、紋章の研究(1956年7月10日発行)
第2巻 各地花街沿革、芸妓学校史、年中行事考(未刊行?)
第3巻 制度の解剖、狭斜風俗考、各流婦人傳(未刊行?)
第4巻 近代花街年表、用語辞典(未刊行?)
また発行時期は毎月1回発行の予定とありました。
未完の理由は資金ができなかったのでしょうか?
なお著者は1894年生まれで、第1巻刊行当時62才でした。
179
:
今里X
:2007/02/18(日) 01:58:33
狭斜風俗考
第1巻刊行後、志半ばに鬼籍に入られたとか・・・
第2巻以降は後世に託すということでしょうか?笑
各地花街沿革、年中行事考、近代花街年表、用語辞典など鷹目さんのHPでも進行中ですが、芸妓学校史なんかはマニアックすぎ。
狭斜風俗考は裏板ですか・・・
180
:
夕凪
:2007/02/18(日) 09:55:47
愛艶の秘史
●芸妓学校史
めまぐるしく移りゆく世相に一番敏感なのは花街の教養と情操である。
芸妓学校の歴史は彼女たちの絶えざる人間の昂揚と愛艶の秘史でもある。
※でも昭和初期の金融恐慌時に芸妓は激減し、娼妓が激増しましたね・・・・・
●狭斜風俗考
この稿は本全集の附録的な役割を果たすもの、
著者独自の観点から、花街の人物、店舗、料理その他
広範囲に亘る風俗の解説とを添えて面白い。
※狭斜:色まち。遊里。(某漢和大字典より)
⇒長安の遊里の道が斜めで狭く、車も通れなかった事から。
刊行予告より
●神崎川水まつり
いま毎夏、神崎川水まつりが行われ、打上げ花火、灯ろう流しで
納涼気分を楽しんでいるが、
遊女たちの弔いに起因した尼崎では最も大きな年中行事の一つだ。
1966年の本より
※工都のオデキは潰すとやはり・・・・・
181
:
嶋原G
:2007/02/20(火) 03:22:06
楽園が舞台になった映画
「はて何だったろう?」と悩み続けて幾年月。漸く、判明しました。
以前、何年か前にスカパー!で観た記憶があります。
1957年公開作品『女だけの街』です。
この年に、中書島を描いた『廓より無法一代』も公開されたようです。
182
:
ブール
:2007/02/22(木) 22:49:45
(無題)
>鷹目さん
お誘いどうもありがとうございます。参加させていただく場合は、いろいろと宜しくお願いいたします。
歌舞練場で以前、ゆかた会や、上げさらい会なるものが行われていたのでしょうか?
大太鼓が五條楽園の名物であった、という記事も見つけました。
歌舞練場には大太鼓がひっそりと眠っているのでしょうか…
私も登楼が一番の貢献と思いますが… 個人的には一人で部屋でお茶を飲んだりして過ごしたいです。全く無理な注文で、少しも五條楽園に貢献できない今日この頃です〔笑〕
183
:
鷹目
:2007/02/24(土) 00:57:17
楽園
>島原Gさん
毎度です。ほう、楽園が舞台になった映画ってあったんですね。小説ではたしか『棹歌』というのが楽園を舞台にしているはずなんですが未見です。
>ブールさん
毎度です。歌舞練場の二階が舞台もある大広間でそこで発表会が行われていたそうです。ですので照明、音響設備といった舞台装置も備えています。大太鼓に関しては、前回お邪魔したときは見ていないです。次回訪問したときにでも聞いておきます。(楽園名称の由来も)
184
:
嶋原G
:2007/02/24(土) 23:44:34
只今、捜索中
鷹目さんへ
実は『棹歌』、ある方によって最近、知りました。
映画は祇園や島原だけじゃなく楽園・五番町・中書島が舞台もあったのですよ。
あと橋本ですが、五社英雄監督作品には必ずと言っても良いほど背景ででますが、
現在、自分が判ってる限りでは舞台が橋本というのが無く、只今捜索中です。
185
:
夕凪
:2007/02/25(日) 20:22:09
新天地と難波新地
尼崎の赤線の歴史は浅い。
終戦直後、阪神電車尼崎駅裏にできた闇市が、その始まりだった。
闇市周囲のスタンドバーが売春宿をつとめてくれた。
最近は肝心の闇市より売春街が勢力を増してきた。
赤線が無かった工場都市の手頃な近さに青線ができて、
工員たちも大悦びしたのもうなづける。
「風紀上えらい問題になりましたなあ。いっそのこと、公認の赤線にしてしまって・・・」
そんな声がおこって23・24年頃に、闇市から女を追放、
市内の難波新地に「新天地」なる赤線をつくったものだ。
ところが時代とともにそこが市の中心部になってしまい、
またしてもときの中央警察署長などから追放論が出て
再度、湾岸の埋立地に「初島新地」
神崎川沿いの東端に「戸ノ内(=神崎)新地」の二ヶ所をつくった。
尼崎の面白いのは、赤線も残っていて、しかも青線もそっくり営業を続けていることだ。
神田南通りにあるのが問題の旧青線。
土地の人はこれを「パーク」と呼んでいるが、
バラック建ての、いとも妖しげなスタンドが35件も並んでいる。
これは、もともと「新天地」から赤線が初島や戸ノ内に追いたてを喰らった時に、
新しく土地を買ってヤカタを建設するほどの資力の無い業者が作ったものである。
そこで働く女給は夏に三百人。冬は百人。夏冬で人数がちがうと言うのも面白い。
1966年の盛り場案内より
186
:
黄線
:2007/02/26(月) 01:06:39
オフ会
鷹目様
以前に木江のおちょろ船について書き込みしたことのある黄線です。
最近殺人的に忙しくてここを覗くこともあまり出来ませんでした。
五條楽園歌舞練場のオフ会に参加できそうなら申し込んでみたいのですが(^^;)
しかし、わたくしネットでの同好の知り合いも全然いない為に、
せっかく行って浮いてしまったり、皆さんに気を遣わすようなことがあったら
申し訳ないし・・・という感じなのですが、
私のような新参者でも参加できるような雰囲気でしょうか?
都合がつけば是非とも参加してみたいと思っています。
参加される方の層について教えて下さい。よろしくお願い致します。
187
:
鷹目
:2007/02/26(月) 19:59:08
オフ会などなど
>島原Gさん
毎度です。中書島は『廓』の映像化ですか?五番町は『五番町夕霧楼』が映画になっていますよね。京都じゃないですが、山口瞳『血族』が小林圭樹主演でドラマ化されていたのはびっくりしました。CSでやっていたので最初見ていたのですが、退院したら終わっていました(泣)。
>夕凪さん
ご苦労さまです。
最近ねた不足で資料的カキコは助かります。ちと尼崎ではないですが、おそらくここのメンバー未踏某所単独散策予定です。そのときに資料が見つかればカキコします。
>黄線さん
お久です。
初心者でも問題ないですよ。第1回目なんて誰も顔を知らない状態でやって、それが今まで続いているんで。むしろ初めての方大歓迎ですね。
お問い合わせのオフ会の層は、今回は女性陣も多く、約半数は初見の方です。でも中核となるのは常連さんで年齢層は30代から40代男性です。もちろん20歳代の男性もおりますし、今回は連絡が取れなかったですが、以前は50〜60代の方の参加もありましたよ。いままでは遊里、風俗、オタネタ、旅行記、まともな話題(??)で盛り上がっていましたね。
お時間が取れそうなら、一度参加してみてください。
188
:
嶋原G
:2007/02/26(月) 22:37:12
『「廓」より無法一代』
鷹目さんへ
そうです。「廓」の第一部だけですが脚本はちょっと変えられてますね。
以前、スカパー!で放映してたのを見て録画したかどうか判りません。
もし出てきたら、一報入れます。
えっ「血族」が!知らなかった。
あと滝田ゆうさんの「寺島町綺譚」が以前NHKでドラマで放映してました。これは所有。
189
:
ナカムラ
:2007/02/26(月) 23:56:51
山口瞳「血族」
横浜の放送ライブラリーで見ることができますよ。。。
横浜観光の折にいかがでしょうか。
近くに、福富町や曙町もあります。
http://bpcj.or.jp/search/show_result.php?query=27389&pagetop=0&category=0&sort=3
190
:
鷹目
:2007/02/27(火) 19:46:55
映像化
>島原Gさん
『廓』の第一部が映像化ですか。そういえば小説の方は購入してから約3年ほど経ちますが、いまだ読む時間が取れません。『寺島町綺譚』は知らなかったです。
>ナカムラさん
横浜の放送ライブラリーですか!横浜を含め関東西部、是非散策したいものです。
しかしN○K、以外に遊里小説ドラマ化しているんですね。侮れぬ!
191
:
嶋原G
:2007/02/28(水) 15:11:18
実は
実は自分も『廓』は今月早々に漸く読みました。
読んだあとに中書島の資料を色々読むと、かなりツボに嵌りました。
192
:
夕凪
:2007/03/04(日) 00:20:10
市民の灯台 49拠点
●竹谷巡査派出所(中署)
開所式、1954年9月18日。
出屋敷と、阪神国道をつなぐ商店街の真中にある。
特飲街の密集地。
喧嘩、暴行、傷害、酔っぱらい、ETC。
昔から事故の多いのは、
昭和通り派出所と大洲橋派出所に相場が決っていた。
余り多いので大洲橋から分れて、この派出所ができた。
夜は売笑婦が良民の袖を引き、
うかうか夜道を歩けないとまで言われていたのだが、
この派出書ができて、漸く悪習は改まろうとしている。
又附近に工員寮があって、毎月給料日となると、街が賑わうこと。
○この資料に掲載されている年表には
1954年1月4日難波新地特飲店に接客婦絞殺事件が起こった
との記載がありました。
1955年の警察の資料より
193
:
夕凪
:2007/03/04(日) 01:09:16
都市の暗部 ― 特飲街の移転 ―
昭和20年代、尼崎市内に数か所の売春街が出現します。
いわいる「アオセン」と呼ばれる非公認の営業であり、
表向きは飲食店を装っていたことから「特殊飲食店」
(通称特飲街)と呼ばれていました。
昭和26年10月14日付の神戸新聞阪神版は、
市内には難波新天地(ナニワ)・難波新地・パーク街(神田南通)・
浮世小路(竹谷町)といった特飲街があり、
1,000人もの女性が売春を行っていると報じています。
これらは市内中心部で住宅地や学校にも近いことから問題となり、
市は昭和27年2月に売春防止条例を施行、
警察による取り締りも強化されます。
こうしたなか、地元とのあつれきを避けるための郊外移転案が浮上し、
昭和30年に多くの業者が初島新地と神崎新地(戸ノ内)に移転しますが、
元の場所で営業を続ける業者もありました。
2か所の新地は昭和33年の売春防止法施行後も営業を続け、
これら特飲街の解消にはなお年月を要しました。
平成19年の役所の資料より
194
:
夕凪
:2007/03/07(水) 08:30:17
市民の灯台 49拠点 ?
●戸ノ内巡査派出所(北署)
1921年8月6日設置。
もと伊丹警察署戸ノ内巡査駐在所。
園田村が尼崎に合併されると共に現在の名前となる。
沖縄出身者が管内には多数住んでいる。
一方、町には特飲街が出来つつあり、これから発展して行く兆しがある。
同時に派出所の仕事も多忙多様性を帯びてくるであろうことも予想される。
195
:
夕凪
:2007/03/07(水) 21:27:09
市民の灯台 49拠点 ?
●昭和通巡査派出所(中署)
1931年3月設置。
繁華街を附近にもち、竹谷派出所と共に、
風俗営業関係、質屋古物関係の事件を扱うことが多い。
この方面の件数では、断然他の派出所を引きはなしている。
阪神国道に位置し、交通量の多いことも特徴である。
二階建ての建物は、派出所として異例にぞくするといっていいだろう。
石段を三つ四つ登って入口があるのだが、そんな位置も、
この派出所のもつ特殊区域であることを考慮に入れての上のことだろう。
196
:
夕凪
:2007/03/09(金) 08:02:21
尼崎市 売春等取締条例
新聞社のグラフ誌に「全国で一番厳しい売春取締りの市条例」と表現された
尼崎市の売春条例を下記アドレスから見る事ができます。
?? 1.売春等取締条例(1954年2月12日公布・施行)
?? 2.売春等取締条例執行心得(1954年2月12日制定)
?? ttp://reiki.city.amagasaki.hyogo.jp/
※ 例規検索システム → ログイン → 用語検索 → 検索語【売春】で検索実行
197
:
今里X
:2007/03/26(月) 19:21:58
オフ会にて…
昨夜のオフ会では彷徨人さん、ブールさん、黄線さん、ぴら金のゆみこさんら、掲示板やホームページでお馴染みの方にもオフで会うことができてうれしかったです。
濃い方ばかりなので話せる時間が短かったのは残念でしたが充実した一日でした。
198
:
ブール
:2007/03/26(月) 20:02:45
オフ会
昨夜のオフ会では、参加された皆さんどうもありがとうございました。
初めての参加だったのですが、皆さんに話しかけていただきとても充実した時間を過ごすことができました。
彷徨人さん、隣でうるさく話しかけご迷惑をおかけしました。とても楽しいお話ありがとうございました。
199
:
鷹目
:2007/03/26(月) 20:09:53
昨日のオフ会
昨日は皆さん、ありがとうございました。
彷徨人さん、ブールさん、黄線さん、ぴら金のゆみこさん、楽天地さん、名古屋のAさんら掲示板等で御馴染みの方々や久々に会う東海組の方々にお会いできて良かったです。
私自身時間が短かったなと感じていましたが、みなさんそのようですね(笑)。
どんな話の内容だったか、書きたいのは山々ですが人数が多すぎて話の内容、覚えきれていないですわww。すみません。
でも無事終わってほっとしてます。本当に。
200
:
鷹目
:2007/03/26(月) 20:11:23
続いて昨日の反省点など
備忘録として書いときます。
★初めての試み
料理を仕出しで注文。
ビンゴゲームの開催。
くじで席を決める。
★失敗
HNと本名がダブってしまった。
仕出のガラの処理。
ビンゴ景品の不備。
浮いてしまう人間を出したこと
オフ会時間、3時間でも短かった。
★今後の課題の一つ
女性割引、学生割引価格の設定。
研究会書き込みをもう少しやわらかい内容にし、女性や初心者が書き込み、参加しやすいようにする。
大人数の対応。
頭が痛い。あ、当日はリンパ腫れてのど痛かったんですけどねww
201
:
嶋原G
:2007/03/26(月) 21:46:09
反省
ガラ処理に関して、かなり反省してます。
202
:
今里X
:2007/03/26(月) 22:21:44
反省
景品は見えてた方が好きなのを選びやすいかと? いわゆる「ビニ本」の方が…
今回のような場合なら施設使用料と仕出し料理代を会費として、飲み物おつまみ各自持参でも良かったかも。笑
バイキング式食事、不便な場所、博物館など入館料の必要な場合、体力の必要なイベントなんかは、女性割引や学生割引があってもいいかなと思います。
鷹目遊里史板が堅いめなのと、続鷹目伝言板が下ネタ系なのは歴史(笑)があるし、柔らかい話題はmixiのトピック式の方がカキコしやすくないですか?
●遊里と周辺の飲食店
●旅行・宿泊・おみやげ
●エンタメ・映画・芝居・音楽 …などなど、ぼくも気になります。
203
:
銀月
:2007/03/26(月) 22:54:19
ご苦労様でした。
鷹目様、皆さんありがとうございました。
遅刻&むっちゃ浮いていた銀月です。
これまで書き込みもしていないし、人見知りする性格なので、私自身の責任です。
あの建物はぜひ見学して見たかったので、機会を与えてくれた方々に感謝しています。
主催された方々の苦労を考えると、失礼な事していたと反省しています。
書き込みもしていきますので、これからも宜しくお願いします。
204
:
夕凪
:2007/03/27(火) 00:06:03
タカメ ならぬ カタメ
ボクが遊里史版に書き込む内容が固めなのは、少し太郎・次郎してます(=猿まわしの太郎・次郎=反省)
ただ遊廓だとか、赤線のリアルな時代を知らないボクが、当時を思い描くには、
現存する建物等の遺物や、先人の残してくれた本や史料から辿るかしかありません。
そうした本や史料を、いかに自分なりに読みこなし、再構成して書き込んだとしても、
更に、そこにボクのオリジナルなものを付け加えるのは容易ではありません。
それならば先人の残してくれた史料あることを明記した上で、
できるだけ原典に近い内容で書き込んだ方が、
良心てきであり、楽でもあります。
まあ、そうした同好の志押し記録を紹介していく事で、
多少なりとも同好の士の参考になればとも思っております。
もちろん、わかりやすくて、原点の史料に忠実な内容を書き込めれば
More better なのですが・・・・・・・
205
:
鷹目
:2007/03/27(火) 20:21:53
時間短かったですよね
>銀月さん
毎度です。
先日はゆっくりとお話する時間が取れず、申し訳ございませんでした。私の落ち度なので気にしないで下さい。
歌舞練場借りるのが3時間が一区切りでしたが、オフ会と終え考えてみるともう少し(後一時間程度)時間がほしかったですね。4時間だったらまた話す機会も増え、状況が変わっていたかもしれません。
せめて見学したかった建物の内部を見学して頂き、満足していただけたなら、こちらも救われる気がします。
懲りずに次回もご参加ください。濃いメンバー一同(笑)お待ちしております。
206
:
彷徨人
:2007/03/27(火) 20:56:33
ありがとうございました
鷹目様はじめ会を運営していただいた方々,どうもありがとうございました。また,いろいろなお話を聞かせていただいたブールさんはじめみなさん方,ありがとうございました。
このような会への参加ははじめてでしたが,同じ趣味をもっている者同士ということで,口下手な私でも大変気軽にお話ができたのがとてもうれしかったです。
私は当日の夜,橋本の多津美旅館に泊まってまいりました。女将さんは電話で話をして受けた通りのとても温かい方でした。一人で経営してみえるようです。建物は昭和初期に建てられたまま,おおまかなところはほとんどさわっていないそうです。玄関から見えるダンスをしている男女のステンドグラスはみなさんもご存じだと思いますが,朝食を食べに入った食堂には外からは見えない女の人や窓のステンドグラスもあり,感激しました。
泊まったのは2階ですが,歩く度にきしんだりする一枚板でできた床,そして階段の手すりの彫刻などなかなか味がありました。女将さんの話によると,2軒左隣にも同じような建物があったと言われたので,たぶんそれがインコのステンドグラスのあった建物ではないかなと思いました。また,「昔は電車が橋本に停まると電車の中がからっぽになった」という話をよく聞いたとおっしゃってみえました。また,雑誌「太陽」の人も写真を撮りにきた,という話も。でも,現在はほとんど工事現場の人ばかりなので,そんなことはないようです。
そんな話を聞きながら旅館をあとにしました。その日は,その後石清水八幡宮や石切さんに参って帰りました。OFF会からいい流れで楽しい2日間の旅ができました。
207
:
:2007/03/27(火) 22:21:59
お疲れさまでした
ご無沙汰しております。
今回の会、友人(女性)に誘われたこともあって、ぜひ参加したかったのですが、私主催のお花見会が24日(土)になってしまい、体力的に無理でした。
残念でしたけども、また次回に期待しています。
PS.私の「ブログ日記」、「性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)」という分類項目を立てました。少しは見やすくなったかと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/
208
:
嶋原G
:2007/03/28(水) 02:19:36
こんばんは
彷徨人さんへ
こんばんは。
インコ窓のはまった建物は、駅の近くにあり、廓の北東(右)端にありました。
仰有ってる建物は、京街道沿いにあったインコの系列店です。
しかしその系列店であった建物も今から約1年ぐらい前に、
惜しくも取り壊されました。
209
:
今里X
:2007/03/28(水) 13:29:42
橋本、ノスタルジィ
いつ頃をつい最近と言うかですが、ぼくが初めて訪れた2001年にはインコは飛び立った後でいませんでした。
そのときでも空き地が多かった記憶があります。
嶋原Gさんの関係者がカメラに収めたのはいつ頃か、いちど聞いてみてください。
小中学生の頃、父の運転のクルマで京都・滋賀方面に行楽に行くときに土手の上の道から見えた橋本は異様な空気が漂っていて、いつもそこを通るのが楽しみでした。笑
国道が空いていて迂回せずにそのまま国道1号の方に進んだときはがっかりでした。
2001年に初めて橋本を訪れて水路にかかってる橋上に立ったときに子供の頃見た記憶の場所と橋本遊廓が合致しました。
210
:
嶋原G
:2007/03/28(水) 17:30:40
嗚呼、橋本
私が保管してるインコ建物写真の撮影は1989年ぐらいです。
建物自体は地図で追って見る限り今から約10年前ぐらいに取壊されたようです。
211
:
今里X
:2007/03/28(水) 20:01:49
(無題)
嶋原Gさんが書き換えてしまったので、ぼくのレスがおかしくなってますが、「多津美旅館の2軒左隣にも同じような建物」=「つい最近(約1年前)取り壊された建物」=「インコの系列店」と言うことですね。
インコの店のことかと思ってレスしてました。OTL
212
:
彷徨人
:2007/03/28(水) 20:12:06
敬服いたします
何気なく思って書いた私の推測に対しまして,これだけレベルの高い返事が交わされるのを読んで,大変驚きました。嶋原さんや今里Xさんの調査・研究の質の高さには,本当にびっくりしています。ありがとうございました。
213
:
嶋原G
:2007/03/28(水) 20:19:20
ごめんなさい
今里Xさん、ごめんなさい。ややこしいことをしまして申し訳ないです。
仰有るとおりです。
インコの系列、全盛当時4店舗あったみたいです。
流石にここでは旧屋号を書けないので、混乱させてしまい申し訳ございません。
インコが本店で、多津美の左隣にあったのが支店です。
214
:
今里X
:2007/03/28(水) 20:49:59
やはり本店なんですね。
いえいえぼくの読み違いですみません。
しかし本店は格が違いますな。(゜∞゜)y−゜゜
外観に関しては古典的な店が多い中、洋風意匠にこだわりがあったのかな。
あれだけ目立ってもOKということはチカラのあった店だったんでしょうね。
215
:
嶋原G
:2007/03/28(水) 21:55:33
そうみたいですね。
色々資料や地図を見てますと、経営者は有力者一族だったようです。
あそこは、結構洋風多いですね。何なんでしょうかね?
一度、建築系から調べてみようと思います。
216
:
今里X
:2007/03/28(水) 22:07:13
いよいよ半世紀…
週末で売春防止法施行50周年、鷹目さんのホームページもカウンター100000目前ですね。
ちょうど1年後に売春防止法全面施行50周年ですか。
Gさんとともに写真板埋め立て工事、手間取りましたがとりあえず完了。
ひさびさに100件超えました。
90〜100件を維持するようがんばりまっす。
掲示板にも、まとまってきたものからカキコしていきます。
217
:
今里X
:2007/03/28(水) 22:49:26
そう言えば…
>彷徨人さん
彷徨人さんは数年前ピンクバレーのBBSなどに京都府郊外の遊廓探訪のカキコされてたことなかったですか?
218
:
えもん
:2007/03/29(木) 02:58:28
お疲れ様でした。
こちらへの書き込みは初めてです。
先日は楽しいオフ会を開いていただきありがとうございました。
以前から行きたかったあの場所へ行くきっかけの一つにもなりました。
周辺の町を歩くこともできたし、とても満足しました。
みなさんありがとうございました。
----------------------------
実は、数年前からこちらのサイトはロムってまして
いつも勉強させていただいています。
これからもよろしくお願いいたします。
そこで質問なのですが、中間報告に記載されていた池田新地について
記述のあった町内にカフェー調?の日本家屋があります。
(古い土壁の家屋に似合わないタイルがたくさん貼り付けられています)
まだ物件は残っているんでしょうか?
タイルはあまり古くないようなので、
家主さんが趣味で貼り付けただけなのかなと推測してたんですが、
とてもアンバランスなので。壁の一部でも撮影できればアップするのですが
あいにく手元にないもので申し訳ありません。
219
:
彷徨人
:2007/03/29(木) 07:30:48
(無題)
>今里Xさん
ありません。というか,このようにインターネット上に書き込むこと自体2年前ぐらいからチョコチョコといった感じだもんですから………
220
:
今里X
:2007/03/29(木) 12:55:11
(無題)
>彷徨人さん
ぼくのハンドルネームの記憶違いだと思います。
京都府北部の遊所跡をかいつまんで書き込みした方がいてましたので。
>えもんさん
池田新地のお店は一ヶ所に集まってなくて町内アチコチに点在してたようです。
戦前と戦後で営業の「やり方」も変わってたようですね。
221
:
鷹目
:2007/03/29(木) 20:09:11
話の進行が早い・・・
>彷徨人さん
お疲れ様でした。やはり共通の話題があるとこういう時に便利ですね。多津美旅館、一般の個人客でも泊まれるのですね。機会があれば泊まってみたいものです。
>順子さん
お久しぶりです。
前日に東京で翌日京都というのは辛いですよね。年に2回程度はオフ会を開催しているので、日程が合えばお越しくださいませ。
>島原Gさん
毎度です。インコの家、約10年前に取り壊しですか。その頃に興味を持っていれば、写真を撮りにいったのに残念です。
あ、強襲、お疲れ様でしたww。
>今里Xさん
毎度です、幼少の頃から遊里に縁があったのですね。流石だ。
>えもんさん
はじめましてですよね、こちらではw
池田新地、平成16年の正月過ぎに今里さんと訪れ、撮影をしたのですが、スマメがクラッシュして何も写真に残っていません(泣)。それ以降訪ねていないので現状がわかりません。このような書き込みがされたことだし、久しぶりに訪れてみようかなと思います。
あのオフ会で知りましたが、潜在的にロムって下さっている女性結構いらしゃったんですね。
222
:
今里X
:2007/03/29(木) 21:36:47
懐古趣味?
近所の近代建築の劇場が鉄の球で壊されたり、移転してオバケ屋敷になった消防署、映画館跡の秘密基地、阪神高速から見おろした大阪中央公会堂、同じく車窓から見た橋本遊廓、京都の外環状線から見える三栖閘門などなど、ちょっと美化されて記憶に刻まれてるので、それと似たような場所をついつい探してるんだと思います。
223
:
鷹目
:2007/03/29(木) 22:08:51
多分業務連絡
今年一年、試みとしてイベントはMIXIでも告知していきたいと思います。まあ、○○が○○すると言い出して、○○○が○○とおっしゃる可能性は非常に高く、どちらかと言うとリスキーなことですが、最悪、盾と人身御供で今年一年は我慢してもらいたいと。
224
:
今里X
:2007/03/29(木) 22:37:06
暗号解読
(>Д<)ゝ”了解!
225
:
えもん
:2007/03/29(木) 22:47:37
(無題)
>>今里Xさん
ありがとうございます。点在してたんですね。
私が見たその家は長屋のように繋がっている土壁のアパートメント?のようなところでした。
知人が近所に引っ越してきたので最近よくその辺りをウロウロしています。
今度はカメラをもって散策してみますね♪
>>鷹目さん
こちらでもよろしくです。
なんと写真に残ってないんですね。。。勿体無い・・・_| ̄|○
池田の町にある白壁土蔵の建物をみると
タイムスリップしたような気分になりますね。
古い洋風の建物も何軒かあるようだし、今度探検してみようと思います♪
226
:
ぼわぞー
:2007/03/29(木) 23:40:45
はじめまして(?)
日曜日のオフ会ではお世話になりましたm(_ _)m
こちらには初めての書き込みです。
橋本遊廓の話題から思い出したのですが、
上司(70代)が「橋本遊廓の中には、廓内で使う花紙を漉いている紙漉き場があった」と
おぼろげな記憶に語ってくれたことがあります。
おおやけに書くにはちと微妙な話題ですが、
花紙(桜紙)の紙漉き…なかなか興味深い話しだと思っています。
来週は仕事で沖縄に行ってきます。
折角なので宿を波之上にとってみました。早朝散策が楽しみです。
227
:
嶋原G
:2007/03/30(金) 20:55:14
いいですね
ぼわぞーさんへ
いいですね。沖縄。泳ぐのですか?(笑)
冗談はさておき、橋本に紙漉場があったのですか。
渡し船は知ってますが、これは初耳ですね。
228
:
鷹目
:2007/04/11(水) 01:55:11
橋本
>ぼわぞーさん
はじめまして(笑)。
橋本で紙をすいていたんですね。橋本は宿場で渡し舟もあるので今では想像もできないですが、それなりに大きかったのではないかと思います。ですので宿場内で漉いていた紙屋の副業的なものか、廓自体それなりに大きかったまたは繁盛していたと言うことが推測することが出来ると思います。
戊辰戦争がなかったら今の橋本はどういう風になっていたんでしょうね。
229
:
今里X
:2007/04/05(木) 20:14:09
今年もそろそろ
ttp://www.tiki.ne.jp/~akama-jingu/
もうすぐゴールデンウィーク、下関の先帝祭の季節がやってまいりました。
上臈道中を追うも良し、近代建築巡りも良し、竹崎町で遊ぶも良し?
上臈道中は遊廓跡の新地西町の南側の伊崎町からスタートし、遊廓跡豊前田町を通り、遊廓跡稲荷町裏町などのある唐戸まで、要所要所で外八文字の道中を披露。
クライマックスの上臈参拝は龍宮造りの水天門から本殿へ天橋をかけ、上臈が外八文字でつぎつぎ渡って参拝します。
もし行かれる人は、今年の日程・道中参拝のスケジュールは事前に検索してみてください。
近代建築めぐりは、下関唐戸と門司港のあいだを短い間隔で渡船が運行しているので便利でよかったです。
竹崎町のソープ街は未調査です。
おそらく秘湯研究家のtさんは潜入しているはずですが…
230
:
嶋原G
:2007/04/07(土) 12:52:35
報告アリ
昨日、用事で市内の北へ行ったので、ついでに某資料館で色々調べました。
島原に、あった特殊浴場は地図観点から、s59(1984)発行当時には記載ありましたが、
s62(1987)発行当時には記載が無く、有料駐車場になってました。
s59〜s62の間に壊されたと思われますが、ちょっと腑に落ちないので、
次回は市内の東にある某図書館へ行ってきます。
紙漉ですが、全くわからずです。次回も調べてきます。
以上報告おわり。
231
:
今里X
:2007/04/08(日) 21:27:08
会いたい、見たい、すがりたい
お疲れ様でした。
ぼくは和歌山に18キップの消化に行ってきました。
和歌山県立図書館にも行って統計資料など見てきましたが、遊廓調べ等の項目では、貸座敷指定地しか掲載されていなかったので、天王・阪和などの新地系は確認できませんでした。
232
:
:2007/04/12(木) 21:09:27
「赤線」と都電の路線
ご無沙汰しています。
「赤線」と都電の路線の関係についてまとめた
「都電と東京風俗史」と題する小文を私の「ブログ日記」にアップしました。
http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/diary/200704080000/
http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/diary/200704120000/
よろしかったらご覧になってくださりませ。
ご意見・ご感想いただけたら幸いです。
http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/
233
:
嶋原G
:2007/04/13(金) 13:40:40
或る調査報告書(別府)
九州関係の国政調査の結果の報告をいたしたいと思います。
売春防止法施行に伴う実態調査をいたしましたが、これは、視察いたしました場所のうち、特に私共は別府が問題であると思いまして、やはりこの問題解決の為には別府のこれに関する実情を特に明らかにしたいと思うので、大分県の実情に重点を置いたわけであります。
それについて御報告いたしますと、別府は御存知のように観光都市でありまして、この別府を中心に、大分県においては今年の2月現在で、いわゆる赤線業者といわれる者が354軒、その従業婦が1366名と見られております。このほかに、簡易宿泊所、間貸し、飲食店、バー等の接客業中、売春に従事する者と推定される者が、売春関係業者で382、推定売春従業婦が1052名であります。また、これら売春等の周旋をなす者としてポン引き、輪タク屋、露店商等約90名の存在が推定されるのであります。
これは大分県全体についてでございますが、その県下の業者のうちで別府市にあるものを見ますと、貸席業者が119、その従業婦が520、売春関係業者が160、推定売春従業婦が1025名でありまして、全県下の売春業者の43%、それから従業者の61%を占めておる状態であります。営業の規模におきましても、別府市は県下他の場所とは比較にならないほど、即ち断然他を圧しておるというありさまであります。
業者及び従業婦の転廃業等の動向について見ますると、売春防止法施行後における貸席業者、即ち赤線業者及び従業婦の転廃業は頗る消極的でありまして、格別進展を見たとは思えないのであります。昭和31年5月以降本年5月までの間に計33軒が転業いたしたにすぎません。これら転廃業の動機を見ますと、営業不振を理由としておるというものであります。そして、これら転廃業先の業態を調べてみますと、それが簡易宿泊所になったり、あるいは貸間業、料理飲食店、物品販売業、貸家業その他であり、中に若干不明のものもあるという状態であります。これら赤線の区域の従業婦は、前借金の状況により他に住みかえまたは廃業をした様子でありますが、詳細は不明であります。赤線以外の推定同業者の増減状況については実態を把握しがたい実情であります。
昭和32年国会議事録より抜粋。
234
:
眠眠
:2007/04/26(木) 20:14:41
東京の情報をお願いします。
雑誌「荷風」12号に、墨田区立緑図書館で「荷風と玉の井展」を開催するという記事が載ってました。この件で詳しいことが判る方、内容について掲示板でお知らせ下さい。
こちらは名古屋なので詳細が不明です。東京の方宜しくお願いします。
235
:
:2007/04/27(金) 00:46:00
墨田区立緑図書館
墨田区立緑図書館は、2004年5月の企画展示会で、
「荷風と玉の井」というコーナーを設けています。
(私のルポが、遊里史板過去ログ2004年夏季号にあります)
また同様の企画展示をするのかもしれませんが、
今のところ情報はつかめていません。
なにかわかったら、ここにアップします。
http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/
236
:
夕凪
:2007/04/27(金) 06:51:56
すみだ文化講座と資料展 (緑図書館)
眠眠さん情報ありがとうございます。
私も2004年5月の企画展示会「荷風と玉の井」に行きましたが、
保健所(?)による玉の井と亀戸の調査資料が印象に残っています。
既に御覧かとは思いますが、今回の資料展について検索してみました。
●墨田区立緑図書館 すみだ文化講座と資料展のご案内 5月13日(日)〜6月24日(日)
ttp://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/library/info/sumidabunkakouza/index.html
○座談会「玉の井・鳩の街」? 5月20日(日) 14:00〜16:00
講師:日野秀夫氏(すみだ史談会役員) ttp://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/library/picture/syouwa_syoki/syouwa_syoki_01/index.html
講師:山本高樹氏(ジオラマ製作者)
ttp://www.hiyori-geta.com/main_gallery.html
○座談会「玉の井・鳩の街」? 6月17日(日) 14:00〜16:00
講師:小島惟孝氏(墨田区文化財調査員)
237
:
ナカムラ
:2007/04/29(日) 21:57:19
松阪・川井町、愛宕町
ナカムラです。ご無沙汰しております。
連休後半に、
●富田・住吉町
△四日市・諏訪町
△松阪、川井町(西廓)、愛宕町(東廓)
●尾鷲・中央町
●名張・上八町 等を巡ってこようと思っています。
ネットレベルですが、松阪の状況が、全く分かりません。
何かご存知の方があれば、ご教示下さい。
いつも、すみません。
>順子どの
「都電と東京風俗史」を興味深く拝見しました。
小生も、東京の赤線地帯は今の交通機関を当てはめれば、「何故こんな所に」という地域にあって不思議に思っていました。
映画・墨東奇譚で、津川雅彦ふんする永井荷風が都電で玉の井に通う場面で、今回の論考のようなことを思い巡らせたことを思い出しました。
238
:
今里X
:2007/04/30(月) 13:34:30
愛宕町
写真板がスタートした頃にアップしたんですが、画像がどこに保存したかわかりません。
愛宕町は現在も歓楽街でスナックや居酒屋や風俗店があります。
近くにナカムラさん好みの龍のレリーフのある風呂屋がありますよ。
煙突が高かったのですぐわかると思います。
ぼくは川井町はとばしてるのでわかりませんので、ナカムラさんの更新を楽しみにします。
239
:
今里X
:2007/04/30(月) 13:50:55
尾道
ttp://www.hiyori-geta.com/main_gallery.html
「坂の上の遊郭」と作品名が付けられている建物ですが、おそらく尾道では中ぐらいに有名な民家です。
ぼくも新開・新地を度外視すればこの建物が頭に浮かびます。
正直、尾道ならば平坦地の久保町よりも、こういう傾斜地に張り付くように青楼が群立していてほしいと夢想するんですが…
240
:
夕凪
:2007/04/30(月) 23:13:25
新町 廓湯
慶安年間(1648〜1651)に遊客のために設けられたと伝えられる。
横に交番があるのは、ここに江戸時代の新町廓の西大門と番所があった名残りである。
井戸の辻という。
西大門は新町廊早々時の寛永年間(1624〜1643)に開かれた最古の出入口だから由緒が深い。
明治初年(1868)にとり払われた。
また廓湯の東側の路地を「はやしうら」といった。
天保10年8月(1839)発板の『大阪新町細見の図』に
「新町よりねりものなどとおるとき、このはやしうらより北東へとねりなおす
故にはやしうらというなり」とある。
新町焼ではこの路地より西へ4丁目の西の端まで全て焼失した。
従って、廓湯もその後に再建されたものである。
??????????????????????????????????????天王寺さんの古本祭りで購入した本より
※残念ながら、今の新町交番は別の場所にあります。
資料によると廓湯の場所は、SZK自販近畿本社のある一角の南西カド辺りかと思われます。
※「遊客のために設けられた」と言う事は、まさか男湯のみ?
241
:
今里X
:2007/05/01(火) 00:21:49
創業350年
由緒正しいお風呂屋さんですね。
井戸の辻ということは、足を洗う井戸も廓湯の設備の一部だったりして…
現在、廓湯のあったあたりは仕事でしか用のないオフィス街なので、何か不思議な感じがします。
242
:
:2007/05/01(火) 23:41:18
ありがとうございます
>ナカムラさま
拙稿、見てくださってありがとうございます。
今後は、赤線と都電が健在だった時代の小説や記録で、
都電を使っていたことを実証できればと思ってます。
http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/
243
:
ナカムラ
:2007/05/01(火) 23:55:49
松阪市白粉町・宝温泉
>今里Xどの
宝温泉は廃業されて、建物も解体されたそうです。
愛宕町は現役の風俗街なんですね、行った方が怖かったと言っていました。
注意して歩きます。
名張は、観光協会に聞いたら、平尾と桜ヶ丘が該当の地域と教えられたのですが、本当なのでしょうか・・・。
>順子どの
また、続きがあれば、教えて下さい。
楽しみにしています。
244
:
今里X
:2007/05/02(水) 01:28:44
名張、松阪など
上八町は貸座敷で営業してたようですが、平尾の方は貸座敷の許可かどうかぼくはわかりません。
おそらく戦前にあったとすれば遊廓ではなく花街として営業してたのでは…と思います。
時代的には上八町の方が古く、平尾の方が新しいはずです。
「遊廓」「花街」「赤線」のどれで聞くかによって返事が変わるかも知れません。
名張は遊所跡としてはあまり魅力的ではないと思いますので、銭湯巡り重視で行かれるのがいいかと…。
松阪の龍のレリーフの宝温泉は解体ですか?
銭湯ファンではないですが、近代建築好きとしてはとても残念です。
愛宕町は遊廓時代の街並みと風俗エリアの位置は重なりつつ、少しずれてるので、あまり気にすることもないかなと思います。
川井町の方は、ぼくが松阪を訪れた当時にもいくつかの町並みなどのホームページで紹介されてたりしたのですが、移動時間の都合などで行かなかったところです。
愛宕町と比べて現役営業中でない分、古いまま残ってるかも知れませんよね。
名古屋発レトロを訪ねて2のNobuさんのところでもナカムラさんを見かけましたが、ときどきこちらの掲示板にカキコされる楽天地くんはNobuさんの師ですよ。笑
今はなき『名古屋路地裏案内』というホームページを運営されてた方ですが、現在は惜しくも休止中。
リンクされてた方々がmixiでコミュニティを作ってるくらい(一部では?)大人気のホームページでした。
ぼくは最後のオフ会に仕事の都合で参加できなかったのがほんとに悔やまれます。
ぼくの師はもちろん鷹目さんです。
気がついたら師の影を踏みにじってたりしますが…orz
245
:
ナカムラ
:2007/05/02(水) 22:08:33
『名古屋路地裏案内』
>今里Xどの
有難うございます。
名張は、銭湯がメインです。写真板で紹介いただいた銭湯に浸かってきます。
遊所跡散策はサブです。
明日、9:00前には四日市に着く予定です。
Nobuさんには残っていないよと言われているのですが、とりあえず、4時間くらい時間を取っています。
『名古屋路地裏案内』は、拝見したことがあります。
先日、東京の船橋湯という、最も古い建物の銭湯の廃業を契機に、仲間が集まったのですが、中京軒はレトロ銭湯の宝庫だという話になりました。
レトロ銭湯だけでなく、Nobuさんが紹介しているような素敵は町並みが多いですね。遊所跡についても、東京、大阪、京都を上回る宝庫なのではないでしょうか。
246
:
鷹目
:2007/05/03(木) 13:07:50
(無題)
>皆様へ
別業用のCGIと格闘中の為、後日まとめてカキコします。
>今里Xさん
「オレの屍を乗り越えて行けぇぇッ!!」って一回言ってみたいモンです(笑)。
247
:
yutaka
:2007/05/09(水) 23:44:36
名古屋へ
ご無沙汰しております。
明日、明後日と東海方面に行って来ます。前回見逃した名古屋城東園から伊勢市界隈を探索予定です。本当は麻吉旅館にでも泊まりたい所ですが、予算の関係で新幹線ビジネスパックホテル付きです。18切符時期でないのがちょっと残念ですね。
248
:
眠眠
:2007/05/11(金) 16:34:10
玉の井の展示会の件
先般調査をお願いした玉の井の展示会については、「ダ・ヴィンチ」のネット版に詳細が掲載されてました。これで大体判りました。
http://web-davinci.jp/contents/news/index.php
#0405
現地に出かけられた方、展示の内容や座談会の状況などを報告して下さい。
遠方なので出かけられませんので、ここでの報告を楽しみにしています。
ご協力宜しくお願いします。
249
:
楽天地
:2007/05/14(月) 17:40:09
城東園
ぼくはネット上ではじめて出会った人が今里Xさんで、イロハを全て教わりました(質問攻めでご迷惑ばかりかけていましたが^^;)。このサイトへ導いてくださったのも今里Xさんです。
>yutakaさん
城東園はここ半年ほどですっかり雰囲気がなくなってしまい驚いています。
250
:
yutaka
:2007/05/16(水) 03:45:13
城東園
>楽天地さん
城東園は今回で2回目です。前回は町名に惑わされ「城東4丁目」辺りをまわっ
ていたので、「跡」が分かりませんでした。今回は多レン人を目標に探索しつつ、見つ
ける事が出来ました。数軒の建物も残っていましたが、空き地も目立っていま
す。地下鉄出てすぐの所に広大の空き地が在ったので、もしや此処だったらと一
寸肝を冷やしました。
251
:
今里X
:2007/05/16(水) 22:05:11
城東園
>楽天地さん。まいどです。
某掲示板でスレッド立てるだけでなく、自身でカキコしたりして盛り上げ役もしてたので、あれだけの良スレになったと思います。
普通はスレ立てしたあとはほったらかしの人がほとんどですから。笑
東海方面で興味を持ったり、影響を受けた人は多いと思いますよ。
ぼくも東海地方の概要と現状はすごく勉強になりました。
ネット上ではじめて出会った人がぼくだったのは災いだったかも知れませんけど…笑
何も無い稲永遊廓に行ってるわりに港陽園や城東園って見に行ったことないのでいつか行きたいですが、そのうち何も無くなったりして。
252
:
今里X
:2007/05/18(金) 13:51:25
西中島
岡山の中島遊廓では西中島方が少しだけ貸座敷営業の許可が早かったようです。
他の遊里が明治十年十月なのにくらべて、明治九年四月に遊廓設置が許可され、明治十年二月に西中島を許可地として集娼されたようです。
実際には以前より芸娼妓が営業している状態で、明治九年に検黴所や私立女紅場などが準備されたりで、出来上がったものにお墨付きを与えた状況ですね。
ちなみに大阪の西中島もアレですが…笑
253
:
夕凪
:2007/05/25(金) 21:27:31
京都花街 歴史をつくった奥座敷
NHK教育テレビの『知るを楽しむ 歴史に好奇心』と言う講座番組で
表題の番組が7月に放送されます。概要は下記の通りです。
案内人:相原恭子(作家) 著書『京都 舞妓と芸妓の奥座敷』←あの鷹目隆次氏も推薦!
第1回 7月 5日(木) 都を再生させた芸
第2回 7月12日(木)??西洋人をも魅了した美の化身
第3回 7月19日(木) 幕末の志士とお座敷の魅力
第4回 7月26日(木) 文芸の生まれ出る花街
※毎週木曜日 午後10時25分〜10時50分
※再放送は翌週木曜日 午前5時5分〜5時30分
?? ※只今テキスト絶賛(?)発売中 683円(税込)
NHK教育テレビにて近日放送! 乞う御期待 !!
254
:
MARU
:2007/05/26(土) 06:40:22
どうも
面白い本です、現在上巻しか発売されていませんが。
小沢昭一著 色の道商売往来―平身傾聴裏街道戦後史 (文庫)
あの「小野」さんと対談していたとは、、、、おどろき
255
:
夕凪
:2007/05/26(土) 08:05:58
近代遊廓志稿
あの『近代広島尾道遊廓志稿』を編著された忍甲一氏が
同じく日本炎災資料出版より『近代遊廓志稿』を出版されました。
半世紀前迄此様官許売春制度が活在シタ。
刷・電拠嘘八百聞倦疲厭退屈ノ執友ニ芳信!
全20章・付録、B5判・874頁=限定74部 \20,000(送料共)
なお編著者の忍甲一氏の肩書きは邦州娼霊慰撫大学・学長となっています。
またiタウンページ等で調べましたが日本炎災資料出版は見つかりませんでした。
256
:
今里X
:2007/05/27(日) 23:34:56
良さそうですね。
自費出版みたいですね。
74部で20000円なら良心的価格だと思いますが、ホントに74部?
257
:
鷹目
:2007/06/02(土) 09:34:31
書籍色々
後でカキコしますと言いながら、一ケ月後に出没したダメ管理人ですww。そんなこんなで気が付くと色々と書籍が出ていますね。最近は未読蔵書の読破が中心で新刊古本そんなに買っていません。最近買った本はクトゥルー物ぐらいですかね。『京都花街 歴史をつくった奥座敷』 『色の道商売往来―平身傾聴裏街道戦後史』は書店で見てきます。『近代遊廓志稿』はどうしよう???
258
:
鷹目
:2007/06/02(土) 09:59:38
粉河
そんなこんなで昨日休日だったので和歌山の粉河町へ行ってきました。ここを訪れた根拠は『阪口祐三郎伝』(昭和30年)に「粉川」の名称が、『南海鉄道案内』(明治30年、ただし私のは昭和53年復刻版)にこんな記述がありました。
>青楼(三軒あって芸妓が13人あるという)という
それでやっと訪れた訳ですが、結果は・・・。風俗営業(料理屋)の鑑札があがっていた旧店舗を一軒みつけただけでした。参拝客あいての旅館も新築され、まったく雰囲気もありません。まあ門前のメーンストリートが昭和後期に拡張され、きれいになってしまったというのも原因の一つだとおもいますが。
門前町全域を廻った訳ではないので、もしかしたら別の物件もあるかもしれません。まあそれは次回のお楽しみと。
今回の粉河以外で和歌山は、番廓、阪和新地、不老園花街、黒江新地、東新地、湯浅新地、湯浅花街、糸谷遊廓、田辺新地と紀北方面主要地は廻りました。あとは、アロチ自体は知ってますが、もう一度きちんと東廓は見ておきたいのと、夏が過ぎたら新和歌浦も。その他まだ細かいのがちょろちょろありますが、資料的なものを探さないとどうしようも出来ないですね。
最終的には紀南方面も泊まりで行きたいものです。
259
:
夕凪
:2007/06/03(日) 23:16:05
デベロッパー大軌 (生駒編)
大正3年(1914)、奈良−上本町間に大軌が開通し、
生駒駅から宝山寺まで13町の新参道が形成されると、
元町1丁目、本町における宅地化が進行し、ここに生駒新地が形成される。
さらに生駒門前町としての性格も信仰的から遊興的に変化し、
ダンスホールや劇場も新設されて、料理屋、芸妓置屋の数も急増する。
大正5年〜10年(1916〜1921)のわずか5年間に元町1丁目、本町の中枢部、
いわゆる生駒新地として市街化される地域が
すべて東大阪土地建物会社の所有地になっており、
その面積は2町1反5畝12歩(約6,300坪)に及んでいる。
この土地会社は、大正5年(1916)、大軌によって設立された別会社で、
大軌が宅地経営に着手する大正13年に合併された。
大軌による土地整理事業が実施され、現在の市街地区画が完成するのは、
分筆届によると昭和7年(1932)で、これ以降宅地分譲が急増する。
このように生駒新地は、大軌による鉄道資本によって形成されてきたのである。
※生駒鋼索鉄道による、鳥居前〜宝山寺開通は大正7年(1918)
もちろん大軌の系列会社です。そして大正11年(1922)大軌に吸収。
西田和夫編著『奈良−その地域像の変遷−』(1981年)よりの中途半端な要約
260
:
今里X
:2007/06/05(火) 01:27:45
舞妓Haaaan!!!試写会
行って来ました、上七軒歌舞練場。
開演とともに上七軒芸舞妓の『祇園小唄上七軒バージョン』『上七軒夜曲』、しかし『北野小唄』は割愛されてしまったようです。
舞妓はんが曲紹介のときに『北野…』といいかけて『上七軒夜曲』と言いなおしてましたし…笑
舞台挨拶は主演の怪優阿部サダヲ氏、二枚目堤真一氏、銭形雷の小出早織ちゃん、そして水田伸生監督でした。
本編は見てのお楽しみですが、スピード感のある展開で二時間あっという間の内容です。
最後のオチもニヤリとさせるものでした。
予告編の石段と木の橋でアレッと思いましたが、花街シーンのロケは意外と金沢市の主計町茶屋街が多かったです。
クライマックスは上七軒歌舞練場ですが、上七軒歌舞練場で上七軒歌舞練場のシーンを見ると上七軒歌舞練場の中に上七軒歌舞練場があるようでナニがナニかわからなくなって…脳髄が…脳髄が… 笑
ちなみに主人公は舞妓ファンサイト管理人でした。(爆)
261
:
ぼわぞー
:2007/06/05(火) 12:27:35
うちも
行って来ました(笑)。上七軒歌舞練場。
ロケ地は主計町を中心に、あちこちを上手につぎはぎしてはりましたねぇ。
石塀小路の天井小路の向こうから走ってきたかと思うと、
走り抜けて後姿のシーンは祇園??
実際の場所を考えながら見ていたら、私も頭がぐるぐるしてきました。
上七軒歌舞練場のビアガーデンにも行ってみたいです。
262
:
今里X
:2007/06/05(火) 14:49:33
夢川町にまた行きたい…
ぼわぞーさん姐さん、おおきに。
ぼくはくじ運が無いもので… 言いだしっぺの役得でぼわぞーさん姐さんに助けていただきました。
帰りはぼくも上七軒をグルッと回りましたけど、舞妓はんには会えませんでした。
その後、出町柳まで歩いて夜の京都観光をしながら帰りました。
263
:
ぼわぞー
:2007/06/05(火) 16:33:17
こちらこそm(_ _)m
教えてもらえへんかったら、試写会があることすら知らないままでした。
まぁ、出町柳まで歩いて帰らはったんどすか。
今里おにぃさん、健脚どすなぁ〜。
で、五番町経由ではなかったんですか?f^ ^;
私は自転車で約45分かけて帰りました。
上七軒は車以外では行きようがないので、
祇園のようには人通りが多くないのが寂しいですね。
その分、風情があるとも言えますが…。
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