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鷹目遊里史板

174夕凪:2007/02/14(水) 00:23:31
伸びる尼崎特飲街
特飲店はもと“新天地”と“難波新地”とに約130軒あった。

いずれも市の中心部で、近くに小学校もあり婦人会を中心に世論の反撃が高まって
昭和27年春 全国で一番厳しい売春取締りの市条例ができ、
同年秋業者は市街地から遠く離れた初島と戸ノ内の2ヵ所に集団移転をする事になった。

中心部さえ潰せば、不便な移転先では自然客足も減って自滅するだろうと言う
市警察当局の予想だったが、2ヵ所とも大繁昌。

殊に「神崎新地」と銘打った戸ノ内は、土地開発会社の大変なキモいりで、
最初移転した73軒の他、新規開業6軒を加え今や付属マーケットや商店を合せると
200軒と言う一大歓楽街となってしまった。

土地開発会社は「政府が本当にやる気なら何故売春禁止法を作らなかったのだ。
防止法は集娼を散娼化するだけだ。
われわれは完備したモデル特飲街をここに実現させてみせる」と大した意気込みである。


                        1956年のグラフ誌より


●以下は掲載写真の解説文です。

?歓楽街ができるまでは身の丈ほどもある雑草が茂っていた
 開発会社がここに投下した金は約4億円と言われ
“防止法ができたからと言って廃業したのでは借金が残るばかり”と
 必死の顔つきだがマーケットの方は2年後を見越してか
 ほとんど借り手も無いようだ

?神崎新地は市の東部 もと飛行機工場跡を土地会社が買取り
 業者に坪1,500円で分譲したもの 現在は坪1万5千円

?大阪からの入口“大門”には開発会社の手で交番が建てられ
 巡査3人が常勤して専ら客の喧嘩を取締っているが
 朝の掃除は女が交替でやっている
??※交番の写真には“モスリン橋巡査派出所”との看板が見られます。

?防止法が成立してから開店した店もあった
 小さい店で32坪、最大は80坪 室数も5〜16間となっている
“新しい夜具”“整った衛生設備”と宣伝し
「完備した施設のこの神崎新地を認め 散娼 街娼を一掃せよ」と言う


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