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鷹目遊里史板

185夕凪:2007/02/25(日) 20:22:09
新天地と難波新地
尼崎の赤線の歴史は浅い。

終戦直後、阪神電車尼崎駅裏にできた闇市が、その始まりだった。
闇市周囲のスタンドバーが売春宿をつとめてくれた。

最近は肝心の闇市より売春街が勢力を増してきた。
赤線が無かった工場都市の手頃な近さに青線ができて、
工員たちも大悦びしたのもうなづける。

「風紀上えらい問題になりましたなあ。いっそのこと、公認の赤線にしてしまって・・・」
そんな声がおこって23・24年頃に、闇市から女を追放、
市内の難波新地に「新天地」なる赤線をつくったものだ。

ところが時代とともにそこが市の中心部になってしまい、
またしてもときの中央警察署長などから追放論が出て
再度、湾岸の埋立地に「初島新地」
神崎川沿いの東端に「戸ノ内(=神崎)新地」の二ヶ所をつくった。

尼崎の面白いのは、赤線も残っていて、しかも青線もそっくり営業を続けていることだ。
神田南通りにあるのが問題の旧青線。
土地の人はこれを「パーク」と呼んでいるが、
バラック建ての、いとも妖しげなスタンドが35件も並んでいる。

これは、もともと「新天地」から赤線が初島や戸ノ内に追いたてを喰らった時に、
新しく土地を買ってヤカタを建設するほどの資力の無い業者が作ったものである。
そこで働く女給は夏に三百人。冬は百人。夏冬で人数がちがうと言うのも面白い。

                        1966年の盛り場案内より


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