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古代科学史掲示板

1管理人:2018/05/08(火) 19:42:26
赤井川・ウトナイ湖・幌満隕石ルート
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000001M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000001_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000001_3M.png

連休中は、北海道各地のクレーター探索をしていました。

今回は、一昨年掲示板で論議して、先の会報7号にも掲載した北海道各地のクレーター落下ルート(図1参照)のうち、岩淵先生ご指摘の赤井川のクレーター状地形を起点として、ウトナイ湖、幌満・様似(隕鉄の採れる鉱山がある)へと伸びるラインを探索してきました。

詳細なルートについては、また後日お知らせしますが、図2のようになります。図3はウトナイ湖です。

概ね25度前後のラインとなり、地軸の傾斜角から年代を推定できると思います。

それで、先日も指摘したのですが、ウトナイ湖も、支笏湖同様に、半月型のクレーターです。

なぜ、隕石の落下の際に、円形ではなく、半月型のクレーターとなるのかが課題でしたね。

この件を物理学的に解明したいと思います。



282管理人:2019/07/05(金) 15:53:21
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

さっそくお返事ありがとうございます!またゆっくりかんがえさせていただきますね!
とりあえず、これから週末出かけます!

283 史実探偵: 平 素人:2019/07/06(土) 04:11:42
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
管理人さまへのお返事です。

> さっそくお返事ありがとうございます!またゆっくりかんがえさせていただきますね!
> とりあえず、これから週末出かけます!

 お休み3連休ですか、それとも・・・^^。 いいですね。どうぞごゆっくり。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



284管理人:2019/07/09(火) 00:42:38
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメント遅れました^^!
>
> > さっそくわかちあいありがとうございます!被災地に集まる傾向というのは、初耳です!?
>
> 被災(自然災害)の大小によっても多少かわりますが、筆者のいう四千年前の巨大隕石の衝突は、その間で最大(Φ10km?)のものでした。

> 被災の直後は、その地域を離れますが落ち着いてくれば「なにがあったか」の探求心が生じます。最たるものとして「神秘の国・東方探検」は歴史のしるところです。その時代、もしそこが岩表地帯に変わった! 発生した泥流津波で30mを超す恐山、白波立ち行く紀伊の古座、琵琶湖津波で岩表化した石山寺、日本海の片V字巨大津波でなった天橋立・黄泉が浜、等々があります。そこは、四千年前の事変を刻んだ地でもあります。
>

日本には、比較的多く・・・というか、平さんの隕石落下によるリアス式海岸生成のご指摘を聴いて以来、いろいろ調べれば調べるほど、日本の複雑な港湾地形のほとんどがクレーター由来と考えるに至ってきたことがありましたね。



> このような場所は、他者が移入(渡来)してきても神という信仰が発生した聖地ですから、決して他に渡したくなくて争いとなります。北海道では自然の山そのものを神と考えるアイヌの人達は、薬石を探して山に入る徐福兵隊に激しく抵抗した。だから北海道には徐福伝説がすくないのかな~~?  徐福達にすれば戦いが目的ではなく薬石の探索が大目的であり(別紙報告書)、大陸に似た山野では求める薬石無しと判断したのでしょうか? それに他の地とちがって熊とも戦う人たちだから・・^^。
>

縄文人の伝承を探す必要がありますね。アイヌの伝承をこれから調べていく予定です!


>  <以上の例として>

>
> > 津浪と肥沃土の関係は、どうなんでしょう、成分的には、むしろ塩分過多でしばらく農作ができないのではないかと予想しましたが・・・。
> > ただ、確かに藻類とか、そういうのが運ばれると栄養はありそうですよね??
>
> 津波がはこぶ海水・塩分の関係は、まえに申し上げましたが、列島のような山地地形では以外に、一年もあれば海へ流れ出てしまいます。それに田地化した粘土質土壌では海水は土中に染入らなかったと、何年かまえの台風と大潮がかさなった瀬戸内高潮災害で経験しています。
> 巨大津波は、貝や魚とうの海生物を陸上に打ち上げ、岩石を細分化し、表土をうがち、草木をかき集め、それ等を陸上奥深くに運びます。経年して、それ等は、細土化や石灰化、ミネラル、腐泥・腐葉土となり、平野部に流れ出て広大な肥沃土をつくります。「魚沼産のコシヒカリ」は、そのいい例です^^。通常の風雨でもそのようなことは起こりますが津波では“大量に”という特徴があります。
>

なるほど、塩分が雨水で抜けるんですね。。ただ、川とか雨が少ない地域ならば、長くその影響が残り、不毛の砂漠へと変化したかもしれません。サハラ砂漠はその典型ではないでしょうか?





>  只今、6500万年前の(ビッグゲーム)では、北米の五大湖辺りの条痕で足踏みしていますが、大陸や盆地状地形での塩分は海へは流れ出にくく、以前に話したオーストラリアの大サンセイ盆地やサハラ砂漠に加えて、次のステージで予定している「ソルトレイク」「タクラマカン砂漠」等があります。南極大陸からの巨大津波は、それ等をシベリア平原へも押し寄せています。今では、それ等が流れ出て、北極海は栄養豊富な海となっているのは既知のとうりです。この件に関しては後述しますので少々のお待ちを・・・^^!

285 史実探偵: 平 素人:2019/07/15(月) 02:35:21
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
管理人さまへのお返事です。

      ・・・コメント遅くなっております ^^!
>
> 日本には、比較的多く・・・というか、平さんの隕石落下によるリアス式海岸生成のご指摘を聴いて以来、いろいろ調べれば調べるほど、日本の複雑な港湾地形のほとんどがクレーター由来と考えるに至ってきたことがありましたね。
>

 リアス式海岸の生成は、わたし「BC.2001年の大衝突で・・」の考えですが、『日本の複雑な港湾地形(リアス海岸のランドルト環状湾)のほとんどがクレーター由来と考えるに至って・・』は、わたしの考えではありません。それは、それをアッシャー・岩淵彗星と名付けられた岩淵先生のお考えです。岩淵先生は、それらの衝突地形は、デビット・アッシャー博士の言われる「対談で→母天体エンケ彗星のデブリだろう」と同一時期・視されています。岩淵先生とわたしは ≪そのとき発生したであろう巨大津波の規模を共通≫ にしていますが、巨大隕石のほうは、私が「巨大隕石の主核は釜石鉱山」とするのにたいし、先生は「その90%(私の覚えです^^!)以上は大洋側へ」とされています。そして、八郎潟あたりと、田沢湖、三陸海岸ライン上にあるリム形はその時のものではないかともされています。この詳しくは<彗星衝突による縄文超々巨大津波・文芸社>で述べておられますので必見です。さらにの違いは、先生が豊富な学識と地元のみぞ知る事案の解析にたいし、わたしのは97.5%が(既成論の再構築)人さまパクリの机上論^^!でしょうか(笑い)。ちなみに。今、大苦戦している「北米・オンタリオ湖に流れ入る条痕」ビッグゲームのほうは、97.5% が素人探偵の主観論です(~-~!)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



286 史実探偵: 平 素人:2019/07/19(金) 02:18:58
徐福たちは、童男童女を分散隔離し育てていた。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000291M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-201011.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



287管理人:2019/07/23(火) 00:27:55
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>
>  リアス式海岸の生成は、わたし「BC.2001年の大衝突で・・」の考えですが、『日本の複雑な港湾地形(リアス海岸のランドルト環状湾)のほとんどがクレーター由来と考えるに至って・・』は、わたしの考えではありません。それは、それをアッシャー・岩淵彗星と名付けられた岩淵先生のお考えです。岩淵先生は、それらの衝突地形は、デビット・アッシャー博士の言われる「対談で→母天体エンケ彗星のデブリだろう」と同一時期・視されています。岩淵先生とわたしは ≪そのとき発生したであろう巨大津波の規模を共通≫ にしていますが、巨大隕石のほうは、私が「巨大隕石の主核は釜石鉱山」とするのにたいし、先生は「その90%(私の覚えです^^!)以上は大洋側へ」とされています。そして、八郎潟あたりと、田沢湖、三陸海岸ライン上にあるリム形はその時のものではないかともされています。この詳しくは<彗星衝突による縄文超々巨大津波・文芸社>で述べておられますので必見です。さらにの違いは、先生が豊富な学識と地元のみぞ知る事案の解析にたいし、わたしのは97.5%が(既成論の再構築)人さまパクリの机上論^^!でしょうか(笑い)。ちなみに。今、大苦戦している「北米・オンタリオ湖に流れ入る条痕」ビッグゲームのほうは、97.5% が素人探偵の主観論です(~-~!)。


お返事ありがとうございます。今年はリアス式海岸なども探索しにいきたいところですね。10月ごろに、時間的な空きがあるので東北へ向かいたいと考えはじめてますが、平さんはいかがですか?

288 史実探偵: 平 素人:2019/07/23(火) 17:44:55
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000293_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000293_3M.jpg

管理人さまへのお返事です。

> 史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> お返事ありがとうございます。今年はリアス式海岸なども探索しにいきたいところですね。10月ごろに、時間的な空きがあるので東北へ向かいたいと考えはじめてますが、平さんはいかがですか?

 ご提案ありがとうございます。前回は私の提案で、拙論「釜石鉱山は巨大隕石の本塊だ!」として、その鉱山の内部の見学を画策して(株)釜石鉱山に問い合わせましたが、通常の業務もあり夏休み時期だけ人数を限っての見学を予約受付をされていて、その発案も時期をはずれていたことから、お流れになってしまいました。

大同小異はありますが、先さまは一度はお会いしておきたいお方^^。 岩淵先生に、私もお声かけしてみまますが、先様の方からお誘いのお声かけしていただけませんか。
私の場合、遠隔ということもあり、その行程の全てに参加することは叶わないので、“先様主導で” 計画して下さればとおもいます。

わたしは、<BC2001年末に東北におちた巨大隕石>の広報が大きな目的です。これが、日本のみならず世界にも認められ、東北北海道がジオパークに!とも思っています。参加者は選びません興味のある方はどなたでも・・・・^^。

尚、詳細があれば、↓下記のmyブログ「史実探偵局」のCOコメント欄の管理者のみへお願いします。・・どなたでもお待ちしています(笑い)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



289管理人:2019/07/28(日) 01:08:57
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>
> > 史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> > お返事ありがとうございます。今年はリアス式海岸なども探索しにいきたいところですね。10月ごろに、時間的な空きがあるので東北へ向かいたいと考えはじめてますが、平さんはいかがですか?

> 大同小異はありますが、先さまは一度はお会いしておきたいお方^^。 岩淵先生に、私もお声かけしてみまますが、先様の方からお誘いのお声かけしていただけませんか。

了解しました。すでに先生にもその旨お伝えしてますので、またご対面楽しみにしています!



> 私の場合、遠隔ということもあり、その行程の全てに参加することは叶わないので、“先様主導で” 計画して下さればとおもいます。
>
> わたしは、<BC2001年末に東北におちた巨大隕石>の広報が大きな目的です。これが、日本のみならず世界にも認められ、東北北海道がジオパークに!とも思っています。参加者は選びません興味のある方はどなたでも・・・・^^。
>
> 尚、詳細があれば、↓下記のmyブログ「史実探偵局」のCOコメント欄の管理者のみへお願いします。・・どなたでもお待ちしています(笑い)。


ぜひ、ご参加希望の方は、よろしくお知らせください!隕石クレーター研究会?発足に向けて話し合いましょう!

290 史実探偵: 平 素人:2019/07/28(日) 22:53:44
Re: 大事変(巨大隕石)が神になり聖地となった!!
     管理人さまへのお返事です。

 了解しました^^。 次報をお待ちしています。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



291 史実探偵: 平 素人:2019/08/30(金) 00:07:56
<オンタリオ湖へ流れ入る巨大津波の条痕か !?>
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000296M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000296_2M.jpg

      管理人さま、お帰りなさい^^。
[224] 南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-6 のつづきです。

6500万年前、月よりわずかに小さい大惑星が南極に衝突し南極大陸となった。
前述の南米、豪州、アフリカ大陸の 90%以上を覆った巨大津波は、北米大陸も例外ではない。
北米大陸の中央平原を北上し駆け抜けた巨大津波は五大湖へもなだれ込んでいる。
しかし、ここで次のような難題にぶつかった。

<オンタリオ湖へ流れ入る条痕>
筆者が想定する巨大津波は、数波〜10波を想定している。これ等の津波は地球の全方位をカバーし北極へ集まってゆく。そして、北極へ集まった津波は水位を増し、後々から来る南極からの押し波より勝る時がくる。つまり「北極の増水位が南極からの押し津波に均衡する時点」を過ぎると、今度は南極へ向かって津波は走り出す。前述の<南米シリーズ>では、太平洋の膨大な海水がリターンし、マゼラン海峡をものともせずスコシア海を形成したと謎解きした。

 この考えをもとに、巨大津波は北米中央平原を北上し数波の条痕をつくりながら五大湖へ流れ込み、北極からのリターン津波や増水位にはばまれその先端が赤線のような弧状に残ったか?と推したのだったが、その “標高水位”をよく調べてみると、・・・??
 西から、?キャナンデイクア湖    (標高)208m
      ?セネカ湖            133m
      ?カューガ湖           115m
      ?オワスコ湖           216m
      ?スカニースルズ湖        262m
      ?オノンダガ湖          109m
以上のように、何の規則性も見られない!! 北からの戻り水と南からの押し波とがガッチャンしたのであれば、ほぼ同じ高さであろうと推んだのだったが、全くあたっていなかった。ちなみに、五大湖は過去にその水位をいく度か変えているという。

<その時をイマジネーションしてみると>
 南極から発した巨大津波は、いったん赤道でその力を弱めるが北上するにしたがってだんだんと合流し、水位を上げてその力を蓄えてゆく。津波が海上を走る時、津波は押し波であるからして清水を運ぶ。ところが陸上に上がると、その表土を削り土石を持って進むのでその威力がましてゆく。二波、三波〜数波〜においても、同様にその表土を削りながら進むのだが、いったん更地にしてしまうと、水だけを運んでゆく。この事は津波の上流に何があるかや、その地形や状態によっても変わってくるとは<前シリーズ>で申し上げました。(注: 惑星の衝突粉砕によって生じる岩石等の含みは除外して考えています)
メキシコ湾を北上しハの字形の中央平原を北上した津波は、〇〇あたりを峠とし、下りながら五大湖へと流れ込む。下り津波は、より低いほうをさがしながら、集まりながら下ってゆく。岩石ゃ土砂を持つ下り流は、のぼってゆく津波より格段に威力を持つとは前述している。

  ・・・で、表題のオンタリオ湖へ流れ入る?〜?の条痕湖が出来たと予想したのだったが、・・・前述のように、その条痕湖の北端に<線引きした赤線>の標高水位は予想を違え、てんでバラバラであった???

  この条痕湖の成因は、その時の津波が成したかと思うのだが、いい考えが思いつかない。それとも中学時、ならった「北米大陸の東部一帯は褶曲作用でなった」のであろうか? かといって、<シリーズ>1〜6で前述してきた地球の90%以上を覆った超巨大津波の全てを否定することは出来ない。 わたしは、自論の 『南極大陸は6500万年前衝突惑星だ!』 をすすめるにあたって以下のような難題に突き当たってきた。・・・ ・・・、

その? 「大陸移動説」への疑問
 その始まりは、大西洋の東岸と西岸がパズル合わせのようにくっ付くからだと思うが、概略において、陸表と大洋の海底との成因はまったく異なる。おおまかに言うと、陸地は火成岩で海洋底は玄武岩だったかな^^!。(絶版報告書:ベイクドライスケーキ論で^^) そして、大陸移動論では玄武岩洋に浮かぶ陸地塊船として考えると、いったん冷えて固まった地球表殻は、原始地球体積の“増量が無い限り”離れてはいかない。(絶版:地球体積増加論)←これ等の考えの一部は、この掲示板でも図示しています^^!

その? 「南極大陸には石炭の露頭があり温暖期がありました」
 この謎解きは、いがいに簡単でした。いったん北極点へ向けて走り出した巨大津波は地表の動植物を北半球へ運ぶ。そして、その一部はリターン流にのって漂い流れて、いまだ衝突熱が冷めやらぬ南極大陸となった地表で蒸し焼きになった。鉄板上のモヤシのようかな^^!

その? 太平洋の赤道付近の海底に多量のマンガン塊と SiO2 塊あり。
 マンガン塊は衝突惑星内部のもの。SiO2 は岩石が衝突で溶けて水中で冷やされ固まったものと謎解きできましたが、なぜそれ等が突き当りのベーリング海峡付近まで運ばれずに赤道付近にとどまったのか?? この謎解きにはずいぶん苦労しました。巨大なアンモナイトなんかは太平洋北部海域で見つかっています。ある時、地球儀でそれを考えました。地球の赤道周囲は4万Km。南極で発した巨大津波は、赤道上で川幅が最大となり、その勢いは衰え、下流域の様相を示したのであった。「目から鱗」のたとえあり。平面地図でのみ考えを進めていた自分に気付いた。

その?  それでは、なぜ深海溝は津波の土石で埋もらなかったのか?
 この謎解きには、すいぶん時間がかかりました。月に匹敵するΦ3500kmの大惑星が衝突した。地球殻はヒビ割れ、その時はっした土石で、その海溝は埋まるはずだ。この思い込みがこの謎解きの大きな邪魔をした。その瞬間を人間の時間的感覚でとらえてはならない。人間には一瞬でも地球メロンにとっては、その体積が増すことにより徐々にその海溝を拡げていったのである。ちなみにメロンのほうは即、保護細胞で埋まるそうです(^^)。 話しは少しかわりますがこんな所には枕状溶岩の噴出があるそうです。

<その?> 北海に油田あり。
 この問題も解けずに、ずいぶん長いあいだ放置していた。大西洋を小溝のように北上した巨大津波であれば、そのすべてをシベリア平原奥に持っていったのではないか。この思い込みも、北極からのリターン流を考えれば解けてきます。津波の性質には、同じようなものを同じ場所に。そして、流れの端部分に置いていくことがあります。北海の海底油田は津波の逆流がもたらしたものでした。ちなみに、近年開発をされているブラジル沖の海底油田もそうなのでしょうね^^。

<その?>  南極横断山脈に2憶数千万年前の?岩石あり。
地球の誕生が46憶年。地球上でいちばん古い岩石がグリーンランドの38億年。
太平洋海底の塗り替わりが2憶年。これが現在、素人の得ている数字です。
この掲示板で先達さまから、「南極大陸横断山脈(端部?)に2憶数千万年前の岩石があるよ」と云われました。

 <これは、はっきりとした解ではありませんがと前置きして・・・、>
地球の惑星表面には、色々な生年の岩石が存在している。これと同じように月に匹敵する南極大陸となった衝突前の「南極衝突大惑星」にも、色々な生年の岩石があってもいいのではないか。この衝突惑星は、その全てが溶けたとはしていない。クラゲ状の足部は既存の陸部と衝突し、千々に砕け散ったが、その頭形の部分は、変質しながらも地表にその形をとどめているとしました。

 月に匹敵する大惑星が衝突すれば、「木っ端みじんとなる」 この思い込みが、謎解きの邪魔をする。地殻の約100kmは硬い巌であっても、地球の内部は約6,000℃以上の液状?である。その殻を打ち破れば、衝突惑星は容易に沈みゆく。たとえて、『厚氷の張った池に石を落とし、その石の全ては沈み込まずに、その表面上にとどまった状態』 だとした。衝突惑星のスピードは最大に見積もっても、60〜80km/sec。このスピードに目をとられてはならない。「近距離的、部分的には、その衝撃反応であっても巨視的、遠視的にみればゆっくりと合体したのである」と管理人さまと論したことがありました^^!。

 近時、小惑星探査機「かぐや」が、小惑星「りゅうぐう」の岩石を持ちかえるでしょうが、その岩石の生年が2憶数千万年前であれば面白いなと思っています。・・・^^!
 以上のように、難問難題が生じたときはその答えを急がず、ほかっといて時を待ちました^^!。
自論の『南極大陸が大隕石』が、現学に伝わらないのは、その史実がなかったからではない。この素人が到らないからだ。中2生でも分ることを言っている。目の鱗を取り去り“気付く”だけでいい。賢明な先様がたのご参加をお待ちします。

                 (中二症^^)史実探偵  平  素 人

表題の<北米オンタリオ湖に入る条痕湖の成因>の解は、一時保留して、つぎの「西部北米大陸に残る信じられないほどの津波痕跡」に移ります。・・・おたのしみに^^。


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



292 史実探偵: 平 素人:2019/09/04(水) 01:44:38
北米大陸西部をカバーし北上した巨大津波!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000297M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000297_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000297_3M.jpg

 南極大陸は、6500万年前の衝突惑星だ!-6 のつづきです。

> 6500万年前、月よりわずかに小さい大惑星が南極に衝突し南極大陸として残った。その時、発生した巨大津波は地球の 90%以上をカバーした。北米大陸においても例外ではなかった。
> ? 6,500万年前に南極から北上し、北米大陸の 「西側へ」上陸した巨大津波!!


この大陸の西岸は筆者が提唱する<片V字沿岸津波>になっている。この場合、北上直進津波と片V字沿岸津波と合わさりながら進み、そして、沿岸の土石を削りながらも進むので、その威力はすざましいものがある。第一波、第二波?は、ロッキー山脈の頂きをわずかに残すのみだったと思われる。それを受け入れられない 現学(あなたさま)に告げたい。

   この超巨大津波を観察するとき
 「わずか2mにも満たない人間的視覚を用いてはならない」と!!
  To be continued ^^♪ まだまだつづきます。・・・♪

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



293管理人:2019/09/08(日) 21:08:23
Re: 北米大陸西部をカバーし北上した巨大津波!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  南極大陸は、6500万年前の衝突惑星だ!-6 のつづきです。
>
> > 6500万年前、月よりわずかに小さい大惑星が南極に衝突し南極大陸として残った。その時、発生した巨大津波は地球の 90%以上をカバーした。北米大陸においても例外ではなかった。
> > ? 6,500万年前に南極から北上し、北米大陸の 「西側へ」上陸した巨大津波!!
>
>
>??この大陸の西岸は筆者が提唱する<片V字沿岸津波>になっている。この場合、北上直進津波と片V字沿岸津波と合わさりながら進み、そして、沿岸の土石を削りながらも進むので、その威力はすざましいものがある。第一波、第二波?は、ロッキー山脈の頂きをわずかに残すのみだったと思われる。それを受け入れられない 現学(あなたさま)に告げたい。


平さん、こんばんは。しばらく見逃してました・・(汗)

お知らせありがとうございます。

ロッキー山脈、気になるところですね!

294 史実探偵: 平 素人:2019/09/09(月) 12:37:59
Re: 北米大陸西部をカバーし北上した巨大津波!
     管理人さまへのお返事です。
>
> 平さん、こんばんは。しばらく見逃してました・・(汗)
>
> ロッキー山脈、気になるところですね!

 朝にお返事を送ったつもりが、おくれていませんでしたので再度の書き込みです^^!。
掲示板の維持管理の多大な労にいつも感謝しています。
北斗さまとのやりとりから云えば、十数年がたっているのですね。貴家の一日70〜200名を超える訪問者は、管理人さまの高学識とお人柄によるものでしょうか。それに加えて多彩なコメントにも惹かれます。それに比して当方へは「よくぞの3名^^」だけのようです。ことがなったら大騒ぎになるのにねえ(笑い)。

「古代史掲示板」へのコメンテーターをおよそ30名としてのこりの“モノ言わぬ”170名の方々は「どんなお人か?」が、とても気になります。
当方、ボケが入ってきていて、作文編集にはとても時間がかかります。
 ・・・のでので^^!  コメントありがとうございました。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



295 史実探偵: 平 素人:2019/09/11(水) 01:44:43
グレートベースンへ侵入した6500万年前の巨大津波!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000300M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-15.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



296これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/09/11(水) 23:14:58
Re: 北米大陸西部をカバーし北上した巨大津波!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>      管理人さまへのお返事です。
> 「古代史掲示板」へのコメンテーターをおよそ30名としてのこりの“モノ言わぬ”170名の方々は「どんなお人か?」が、とても気になります。
>

コメンテーターは、、、3名だw
197名はキシ氏が掲示板を覗く回数だったでしょう。
管理人さん、ここにもいないね…

297 史実探偵: 平 素人:2019/09/19(木) 00:35:14
南極大陸は6500万年前の衝突惑星だ!-7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000302M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000302_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000302_3M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-15.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



298これぞ!サンダー・ドラゴン大将軍!(dos/日本人のルーツ):2019/09/19(木) 04:46:29
(無題)
自分に酔ってないかいw ま、いいけど。

299 史実探偵: 平 素人:2019/09/23(月) 01:48:51
6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-35.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



300 史実探偵: 平 素人:2019/09/23(月) 17:57:02
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!のつづきです。

> > 確か平さんのほうで、隕石衝突と地軸傾斜変更に関するご意見あったと思いますが、その件について、もう少しお教えいただけませんか?
>

5.白亜紀末、地軸が傾くほどの天体衝突が南極にあったら何がおこるか。
   ↓my「報告書」題二章 恐竜はなぜ大絶滅したか、 より抜粋、
?地震と高熱が発生する。
?岩石を含む大津波(大泥流)が発生する。
?地殻、地表がひび割れる。
?マグマを吹き上げ、火山活動が活発になる。
?粉塵や粉塵が、天を覆い隠す。
?水蒸気を舞い上げ、雷、大雨、大洪水が発生する。
?一時期を過ぎると、気温が下がり氷河紀へと向かう。
?その他の、あらゆる転変地変がおこる。(地磁気の変移・逆転 もありますよ^^)

 〜中略〜
粉塵や粉塵は全天を覆い隠し、わずかに生き残った生物の存在おも一切許さないかのように太陽光をさえぎった。6500万年を境に地球史は塗り替えられた。地表は急速に冷えて、やがて氷河紀を迎える。しかし、分厚い噴煙や粉塵は、温まった海水と、地下から放出されるエネルギーを包み込み、地表が冷え切ってしまうのを防いだ。
  神は、生物の絶滅を、お救い賜うた。

 〜中略〜
<植物の進化から大事変(地軸の傾き)を推定>
植物の進化は、動物の進化に比べて一様に遅い。これは、存続していくための条件が少なくて済むからに他ならない。しかし、この白亜紀末に前後して裸子植物から被子植物へと移行(優位化)している。裸子よりも被子の方が気候の変化に強い。裏を返せば、大変な気候の'大変化'があったということで、これは '無季節から有季節' へ変化したことを意味する。(この時の大津波によって集められ)石炭化した植物に年輪はない。南極大隕石によって地軸が傾きを増したのだ。 以上 □
ちなみに、これによって一部の動物も卵生から胎児生に変ったのかな^^?

以前に、この衝突をコマに例えて、その胴部へぶち当たるより、軸部のほうへ当たるほうが小さい力で地軸は傾くと申し上げましたが、どちらの方向から衝突したかはこれからの課題です。ちなみに、東部大陸は「棚状」になっているのが特徴です。

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301管理人:2019/09/23(月) 19:29:48
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!のつづきです。
>  〜中略〜
> 粉塵や粉塵は全天を覆い隠し、わずかに生き残った生物の存在おも一切許さないかのように太陽光をさえぎった。6500万年を境に地球史は塗り替えられた。地表は急速に冷えて、やがて氷河紀を迎える。しかし、分厚い噴煙や粉塵は、温まった海水と、地下から放出されるエネルギーを包み込み、地表が冷え切ってしまうのを防いだ。
>   神は、生物の絶滅を、お救い賜うた。
>
>  〜中略〜
> <植物の進化から大事変(地軸の傾き)を推定>
> 植物の進化は、動物の進化に比べて一様に遅い。これは、存続していくための条件が少なくて済むからに他ならない。しかし、この白亜紀末に前後して裸子植物から被子植物へと移行(優位化)している。裸子よりも被子の方が気候の変化に強い。裏を返せば、大変な気候の'大変化'があったということで、これは '無季節から有季節' へ変化したことを意味する。(この時の大津波によって集められ)石炭化した植物に年輪はない。南極大隕石によって地軸が傾きを増したのだ。 以上 □
> ち


平さん、早速お返事ありがとうございます!

ちょっと調べていて、関連しそうな話を見つけました。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jamstec.go.jp%2Fj%2Fabout%2Fpress_release%2F20141027%2F


350万年前に、何かあったようです。

難しいのですが、地軸角は変化せずに、南極の位置だけすべるようにして変化するみたいな可能性とか、一時的に地軸が変化して元に戻ったという可能性はないですかね_??




302 史実探偵: 平 素人:2019/09/24(火) 03:16:25
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
http://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20141027/

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303 史実探偵: 平 素人:2019/09/24(火) 22:07:53
Re: 巨大隕石の衝突で傾きを増した地軸!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000308M.jpg

https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/9842

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



304管理人:2019/09/24(火) 23:56:11
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

。未完の部分があってもいいのです。それを提供してさらなる発展へとつなげるのが私たちの役目です。とも云われておりました。←以上は全くの言ではないのでその意だけをお汲み取り下さい。 さらに日本人の謙譲深さ(美徳)は他の国からみれば自論の自信の無さにうつっていると見られ、さらなる投稿数の増加をうながしてもおられました。
>

平さん、お返事ありがとうございます!
そうですね、歴史学に完成はあり得ないように感じます。常に問題点が生じてくる、そのいたちごっこだとおもうんですね。

日本の詰め込み教育が悪いんだとおもいますね。偏差値重視で知識を覚えることに重点を置きすぎて、自分の頭で考えて、皆の前でしっかりスピーチしたり主張することを軽んじた結果だと思います。

前例を少し発展させただけの論文が多すぎて、大胆で革新的なものが出てこない、これも日本の研究者の特徴です。そのうち、スパコンが彼らに取って代わるでしょう。もっと自分独自の切り口から物事を見るように教育させないといけませんね。

> >350万年前の突発性? がミソですね。わたしはこれを天体衝突と考えています。
>
> このような投稿案内をまともに受けて^^! ダメ元でいく度か投稿しましたが、限られた紙面積への投稿は60万のえりぬきの人達の峻烈な競争にたえねばならず、社会が求める時流にも乗っていなければなりません。このようなことは小保方さんの件でもありました。素人の中二症の発想で中坊程度の論説がとおるわけがありません。
>

まー、日本は人口が過密で雑多なものが多すぎる嫌いもありますね。もっと少ないところで勝負するとか、そういうことも考えてもよいかと思います。良いものは、記録にしておけば、いつかは評価されるでしょう。


>
> > 難しいのですが、地軸角は変化せずに、南極の位置だけすべるようにして変化するみたいな可能性とか、一時的に地軸が変化して元に戻ったという可能性はないですかね_??
>
>  むーーむ、むつかしい課題をいただきました。
> わたしは、天体の回転の発生をつぎのように考えています。A>B>Cの質量の物質がある時、その距離をべつにして、まずAとBが引き合い衝突合体。この場合Cの存在があるので、AとBを結んだ真芯どうしにはぶつからず、少しずれた位置に衝突するので回転が生じる。これに慣性の法則がはたらく・・・。一方、太陽のほうですが、惑星の質量を引力と遠心力でとらえてはいるが、その回転軸には影響を与えてないか、もし磁力等で修正があっても長大なのではないかと考えています。この件は先様のほうがはるかに詳しいので反対にこの考えでよろしいか? とうかがいたいくらいです^^!


なるほどですね、ビリヤードの玉突きの原理ですね!当てどころが悪いと、スピンする球がでてくるようなものでしょうか。

そういう意味では、ジャイアントインパクトのときなど、それにともなう自転速度や角度の変化が生じるのはしかるべきと感じますが、問題は小天体の衝突の場合はどうかとのことですね。

自転軸の角度を変えずに、中の球体だけが滑っていく、地球ゴマを思い出しますが、これはどういう慣性法則があるのかな?

この地球ゴマのユーチューブが、歳差運動やジャイロ効果についてわかりやすく説明してます。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DqpeD-5eeGcU

こうみると、自転速度が速いほうが、隕石衝突にも影響されにくそうですね。

金星はほとんど自転してなくて、横倒しになってますが、地球は自転していて、軸もある程度直立してます。

木星や土星はもっと自転速度がはやく、軸もほぼ直立です。

自転速度で軸の傾斜は決まってくるんじゃないですかね。地球の場合は、なんらかの原因で自転速度が木星などよりは遅くなっている分、歳差運動がみえてふらついてるわけです。

ただ、動画のように大きな物体が衝突すると、軸がぶれてしまうのですが、それをもとに戻そうとする安定化の働きがあるわけですね。

その安定化の構造において、先のように、内部の球体が滑ることでそれを促進する効果があるかどうか、ここが課題です。

内部球体の回転方向は、衝突直後は赤道方向から大きくずれると思うんですね。瞬間的にはポールシフトするんですが、数回転する間に、元の軸の角度へと戻る、その間に内部球体がどう滑るのかですが、南極と北極の位置が、軸が戻るときに元の場所に戻るのか、あるいは別の場所が新たな極となり戻り安定するのか・・・、この辺が気になるところです。




305 史実探偵: 平 素人:2019/09/28(土) 05:14:36
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000310M.jpg

管理人さまへのお返事です。

 <古代史版2019/ 9/27 [9862] Re: 6500万年前の地中海が移動して・・・>
・・に、上げて下さった地球史の色々な情報には興味もあり、その全ては消化しきれませんが大変勉強になります^^。ありがとう御座いました。なかの大陸移動説のなかで、現学説や先さまの考えとすこし^^?異なる部分がありますので申し上げておきます。

>この時期は、ちょうどパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成された時期で、その後プレートテクトニクスで図のように、大陸が分離拡散していきます。

>それで、その時期に、やはり小天体の衝突があったと考え、P-T境界の大量絶滅がそれによっておきたと考えると、恐竜絶滅のときと同様に理解しやすくなります。

>以前、平さんの天体衝突に伴うマントル内のプルーム上昇論を参考にして、小天体群の衝突に際して、こぶのようにして海洋から大陸となる陸地が隆起してきて、バンゲア大陸を造りだし、それがプレートテクトニクスで分散していく過程を論じたことがありましたね。
だから、この時期にはバンゲア大陸は一か所にまとまっていたわけです。


 地球の誕生史については、この超・古代史掲示板でその考えをいく度か述べましたが、私は「地球肥大化論」をとっています。これは「天体どうしが衝突を重ねて段々と増大化した」というもので、拙報告書が絶版となった今、その全てを語るには長文を要するので、ここではその図示だけにとどめます。なかで生物がいつ誕生して、その衝突で“種の絶滅”をしながらも生命が継続してきたかについては、大きな疑問があります。しかしながら現状の私たちが現存していることは否定できません。では、自説「地球肥大化論」の全てが間違っているのかというと、そうとばかりは言えません。

ジャイアントインパクトと、「ミドルインパクト」のお考えに共感します。ミドルはとてもいい表現ですね^^。ジャイアントとミドルの大きさはどの程度で区分けするのかは今後の課題ですが、加えて小天体の衝突もありそうです。僅かΦ1kmの天体衝突で人類は絶滅するという現科学の認識はおおいに改めるべきだと思っています。『どっこい、おいら(生命体)は、生きている^^!』 これは、最大比熱の水が地表大量に存在し、その衝突時の発熱や、隕石の冬による気温降下にクッションとして働いているからではないでしょうか。

大陸のでき方については、先さまや北斗さま>とは異なる考え方をもっています。
自説「焼き餅論」では小地球にジャイアントインパクトの南太平洋天体と北太平洋天体の衝突で出来たのが反対側の大西洋だとしました。又、対蹠地をつくった6500万年前の「南極大陸大隕石」のインパクトではプルームを押し上げ、その溶岩を噴出したとする、アイルランド、デカン高原、エァーズロック等としていますが、大陸の作成までには至っていないと考えています。

<ジャイロごま>
この動画情報の全画面はPCの関係で見れなかったのですが、素晴らしいと思いました。ありがとう御座います。もう一度ゆっくり観たいと思います。


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



306 史実探偵: 平 素人:2019/09/28(土) 20:42:52
ゴンドワナ大陸と古生代の化石の分布
https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/9872

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307管理人:2019/09/28(土) 23:40:05
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。

> >この時期は、ちょうどパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成された時期で、その後プレートテクトニクスで図のように、大陸が分離拡散していきます。
>
> >それで、その時期に、やはり小天体の衝突があったと考え、P-T境界の大量絶滅がそれによっておきたと考えると、恐竜絶滅のときと同様に理解しやすくなります。
>
> >以前、平さんの天体衝突に伴うマントル内のプルーム上昇論を参考にして、小天体群の衝突に際して、こぶのようにして海洋から大陸となる陸地が隆起してきて、バンゲア大陸を造りだし、それがプレートテクトニクスで分散していく過程を論じたことがありましたね。
> だから、この時期にはバンゲア大陸は一か所にまとまっていたわけです。
>
>
>  地球の誕生史については、この超・古代史掲示板でその考えをいく度か述べましたが、私は「地球肥大化論」をとっています。これは「天体どうしが衝突を重ねて段々と増大化した」というもので、拙報告書が絶版となった今、その全てを語るには長文を要するので、ここではその図示だけにとどめます。なかで生物がいつ誕生して、その衝突で“種の絶滅”をしながらも生命が継続してきたかについては、大きな疑問があります。しかしながら現状の私たちが現存していることは否定できません。では、自説「地球肥大化論」の全てが間違っているのかというと、そうとばかりは言えません。
>
> ジャイアントインパクトと、「ミドルインパクト」のお考えに共感します。ミドルはとてもいい表現ですね^^。ジャイアントとミドルの大きさはどの程度で区分けするのかは今後の課題ですが、加えて小天体の衝突もありそうです。僅かΦ1kmの天体衝突で人類は絶滅するという現科学の認識はおおいに改めるべきだと思っています。『どっこい、おいら(生命体)は、生きている^^!』 これは、最大比熱の水が地表大量に存在し、その衝突時の発熱や、隕石の冬による気温降下にクッションとして働いているからではないでしょうか。
>

地球肥大化ですが、初期の地球にはその可能性があったようですね。

問題はここ数億年間に、そのようなミドルインパクトがあったかどうか・・。

個人的には地球と金星のサイズがほぼ同じとのこともあり、一定の規則性にしたがって惑星が同じ大きさに生成されていったと考えますので、地球の大きさを大きく変えるものはなかったか、あるいは大きさは変わらず、密度が変化したであろうと睨んでます。

私のプランク定数仮説では、サイズが重要なのでして、密度や重量があまり重要ではないことは、水星、火星、月、冥王星のサイズが同じなのにそれぞれの密度が異なる事例にもあてはまります。木星と土星、天王星と海王星のサイズのペアも同様ですね。サイズが重要なんです!

> 大陸のでき方については、先さまや北斗さま>とは異なる考え方をもっています。
> 自説「焼き餅論」では小地球にジャイアントインパクトの南太平洋天体と北太平洋天体の衝突で出来たのが反対側の大西洋だとしました。又、対蹠地をつくった6500万年前の「南極大陸大隕石」のインパクトではプルームを押し上げ、その溶岩を噴出したとする、アイルランド、デカン高原、エァーズロック等としていますが、大陸の作成までには至っていないと考えています。
>

この件も同様に、地球内部のコア内へと小天体の物体が沈み込んでいったときに、どの程度までの盛り上がりが、許されえたかという問題に直面します。プランク定数で規定したサイズ以上になると不安定性が生じて、崩壊するはずですから、薄皮1枚前後しか盛り上がりはなかったと思いますが、その様相をどう明らかにできるかが課題ですね。

308 史実探偵: 平 素人:2019/10/10(木) 07:28:39
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000313M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000313_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。コメントありがとうございます^^。

 ひきつづき惑星誕生について考えています。
南極大陸周辺の「古生物の化石分布」で、拙論は完全ダウンしています・・^^!

> 地球肥大化ですが、初期の地球にはその可能性があったようですね。
> 問題はここ数億年間に、そのようなミドルインパクトがあったかどうか・・。

先の?〜?の、拙:惑星肥大化につづいて、「焼き餅・衝突ひび割れ論」の図と、自説:惑星肥大化曲線図(オニオンライン)をかかげます。(絶版:報告書より)

『問題はここ数億年間に、』は、とても痛いとこを突いてこられました^^!。図の縦軸は時間(t)を、横軸に質量(m)をとっていますが、年限は言えませんが地球のほぼ現状大の首部で大きな合体があり。わたしも数億年か・を思っていました(汗)。だとすると「地球生命はいつどこで??」という受け入れがたい問題が生じ、また地球生誕46年とも不整合が生まれます。この問題は、ご指摘をうけるまで固く目をつぶっていました^^。・・・・時がたち今は、小さい小天体においても水の存在がいわれるようになりました。

>
> 個人的には地球と金星のサイズがほぼ同じとのこともあり、一定の規則性にしたがって惑星が同じ大きさに生成されていったと考えますので、地球の大きさを大きく変えるものはなかったか、あるいは大きさは変わらず、密度が変化したであろうと睨んでます。
>
> 私のプランク定数仮説では、サイズが重要なのでして、密度や重量があまり重要ではないことは、水星、火星、月、冥王星のサイズが同じなのにそれぞれの密度が異なる事例にもあてはまります。木星と土星、天王星と海王星のサイズのペアも同様ですね。サイズが重要なんです!
> ・・・

「プランク定数」わたしにはレベルが高すぎてよく分かりませんが、宇宙空間の物質の存在は波状にあるとは認識しています。太陽系でいえば、太陽系誕生の時、太陽に近いほど濃い塵帯かなと思っています。話はかわりますが、太陽と水星の間に楕円軌道帯があって、そのスピードの速さと、強大な太陽の重力と、強力な光によって、観測不能な五月蠅的天体があり、それを太陽が黒点として捕食しているのではと疑っていますが、こんなこども染みたこと、今までに口にしたことありません。(^-^!)

追伸: 強大な太陽の重力と、強力な光の方はそれなりに納得できそうですが、五月蠅の猛スピードを考えていましが黒点増大の周期が11〜12年ですから笑止千万でした。

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309管理人:2019/10/03(木) 22:57:38
Re: 6500万年の南極に天体が衝突し地軸が傾いた!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメントありがとうございます^^。

>
> 『問題はここ数億年間に、』は、とても痛いとこを突いてこられました^^!。図の縦軸は時間(t)を、横軸に質量(m)をとっていますが、年限は言えませんが地球のほぼ現状大の首部で大きな合体があり。わたしも数億年か・を思っていました(汗)。だとすると「地球生命はいつどこで??」という受け入れがたい問題が生じ、また地球生誕46年とも不整合が生まれます。この問題は、ご指摘をうけるまで固く目をつぶっていました^^。・・・・時がたち今は、小さい小天体においても水の存在がいわれるようになりました。
>

さっそくお返事ありがとうございます・・、ノックダウン!されたようですが、どこか平さんの説に、私、まずいことでも話したでしょうか(汗)身に覚えがなくて・・。

> >
> > 個人的には地球と金星のサイズがほぼ同じとのこともあり、一定の規則性にしたがって惑星が同じ大きさに生成されていったと考えますので、地球の大きさを大きく変えるものはなかったか、あるいは大きさは変わらず、密度が変化したであろうと睨んでます。
> >
> > 私のプランク定数仮説では、サイズが重要なのでして、密度や重量があまり重要ではないことは、水星、火星、月、冥王星のサイズが同じなのにそれぞれの密度が異なる事例にもあてはまります。木星と土星、天王星と海王星のサイズのペアも同様ですね。サイズが重要なんです!
> > ・・・
>
> 「プランク定数」わたしにはレベルが高すぎてよく分かりませんが、宇宙空間の物質の存在は波状にあるとは認識しています。太陽系でいえば、太陽系誕生の時、太陽に近いほど濃い塵帯かなと思っています。話はかわりますが、太陽と水星の間に楕円軌道帯があって、そのスピードの速さと、強大な太陽の重力と、強力な光によって、観測不能な五月蠅的天体があり、それを太陽が黒点として捕食しているのではと疑っていますが、こんなこども染みたこと、今までに口にしたことありません。(^-^!)
>
> 追伸: 強大な太陽の重力と、強力な光の方はそれなりに納得できそうですが、五月蠅の猛スピードを考えていましが黒点増大の周期が11〜12年ですから笑止千万でした。

水面の上に石を落とすと同心円に波立つように、あるインパクトが一点で起ると、その衝撃は波として表現されます。疎密が繰り返される、その原理は、太陽の元の天体が爆発した後の太陽系付近の物質の分布も同様に、均一に分布していたのではなく、まさにご指摘のように密度の濃い部分と薄い部分があり、濃い部分に惑星ができあがっていっただろうと考えます。その波の波長ですね、これがプランク定数と関わってくるわけです・・!

そうですね、もしかすると、水星の内側にも、その密度の濃い物質領域がある可能性は否定できないかもしれません・・。ぜひ、その帯域について、確認してくださいね!




310管理人:2019/10/03(木) 22:58:22
バンゲア大陸関連
欧州地下に沈み込んだ大陸が見つかったそうです。バンゲア大陸の話もでてます!

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fheadlines.yahoo.co.jp%2Fhl%3Fa%3D20191003-00000004-binsider-int

311 史実探偵: 平 素人:2019/10/05(土) 04:22:41
Re: バンゲア大陸関連
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191003-00000004-binsider-int

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



312管理人:2019/10/07(月) 23:02:21
Re: バンゲア大陸関連
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


> そうですか。それは耳よりな話ですね。「地球体積の増大説」をとっている自分には、そのような現象はありうる話かと思います。地球重力は比較して大洋部より大陸部のほうが大きいとは既知のとおりです。したがってすでにある大陸の上に重ねてミドル天体が衝突すると自ずとそこの重力は高くなります。私は地中海あたりと東南アジアあたりも推めていませんでしたが、そうだったのですね^^!。
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsearch.yahoo.co.jp%2Fimage%2Fsearch%3Frkf%3D2%26amp%3Bei%3DUTF-8%26amp%3Bgdr%3D1%26amp%3Bp%3D%25E5%259C%25B0%25E7%2590%2583%25E3%2581%25AE%25E9%2587%258D%25E5%258A%259B%25E5%2588%2586%25E5%25B8%2583%25E5%259B%25B3%23mode%253Ddetail%2526index%253D0%2526st%253D0
>

重力地図の件はいつみても、興味深いですね!

> さらに、地表の重力は地殻の押し合い部でも生じているようです。それが地震によって解消されるのは先学の知るところです。面白い情報がありました。東北3/11の地震で東北の重力位置が変わっていたと、「欧州の重力探査衛星が記録していた」・・・、 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.gizmodo.jp%2F2013%2F12%2Fgoce.html
>

これは、完全球形なので、地図の標識でしょう(汗)
それにしても地震前後の重力異常は気になるところです。

>  ちなみに、自説「BC.2001年末の東北に落下した巨大隕石でも」太平洋側から列島側へと圧縮されていた ストレスがその衝撃を発端に “連鎖的に” 解消したとしています。



相当な衝撃だったでしょうから、ストレス地震が誘発されたことは考慮すべきかもしれません。


あと、今月半ばあたりに、釜石含めて、東北まわりたいとおもってるんですが、平さんは来られませんか?

313 史実探偵: 平 素人:2019/10/08(火) 21:30:13
Re: 会合関連^^
管理人さまへのお返事です。コメントありがとう御座います^^。

>
> あと、今月半ばあたりに、釜石含めて、東北まわりたいとおもってるんですが、平さんは来られませんか?

台風が心配ですがOKです^^。10/15の昼過ぎ 奥州市・水沢着で奥州市一泊を考えています。
奥州ではなくて釜石での一泊ありかとも思いますが、岩淵先生はご無理かとおもいます。この度は、周回ではなく先様や岩淵先生にお会いして、お話しやお礼を言っておきたいのが第一目的です。次報をお待ちします。下記の「史実探偵局」末尾のCOコメント欄のクリックで連絡がとれます。非公開ならば「管理人のみ」で、公開ならば興味ある多数人の参加をこばむものではありません^^!
 岩淵先生とも、どうぞのご連絡を~~!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



314管理人:2019/10/09(水) 13:41:20
Re: 会合関連^^
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメントありがとう御座います^^。
>

とりあえず、平さんブログのほうに会合の件コメントしておきましたので、ご確認宜しくお願いします!

315 史実探偵: 平 素人:2019/10/10(木) 01:55:17
Re: 会合関連^^
管理人さまへのお返事です。
>
> とりあえず、平さんブログのほうに会合の件コメントしておきましたので、ご確認宜しくお願いします!

myブログへのコンタクトありがとう御座いました^^。
一日早いですが、10/14日の釜石泊まりで考えます。何分日にちがないので宿や切符の手配がつくかどうか明日あたってみます。今回は先生や先さまにお会いしてお礼をいうのが主目的でありますから“一泊のみ”を考えています。14日がダメな場合は10/15日の奥州市泊まりになるかも知れません。台風19号で東海や東北新幹線のダイヤや、海上が荒れれば予定がくるってしまうので迷うところです。むしろ安全を見込んで24日、25日のあとのほうがいいかも知れませんね^^! 先生ともご連絡を!


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



316管理人:2019/10/10(木) 11:48:58
Re: 会合関連^^
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
> >
> > とりあえず、平さんブログのほうに会合の件コメントしておきましたので、ご確認宜しくお願いします!
>
> myブログへのコンタクトありがとう御座いました^^。
> 一日早いですが、10/14日の釜石泊まりで考えます。何分日にちがないので宿や切符の手配がつくかどうか明日あたってみます。今回は先生や先さまにお会いしてお礼をいうのが主目的でありますから“一泊のみ”を考えています。14日がダメな場合は10/15日の奥州市泊まりになるかも知れません。台風19号で東海や東北新幹線のダイヤや、海上が荒れれば予定がくるってしまうので迷うところです。むしろ安全を見込んで24日、25日のあとのほうがいいかも知れませんね^^! 先生ともご連絡を!
>
さっそくお返事ありがとうございます。
確かに宿は埋まってますね。
台風後の路面状況も気になるので、先生も動ける24日以降で考えましょうか?

317 史実探偵: 平 素人:2019/10/10(木) 21:22:38
Re: 会合関連^^
管理人さまへのお返事です。

さっそくのお返事ありがとうございます。

10/14日の釜石泊まりを手配してくれました^^。一応、15日の釜石から奥州市への切符も手配してくれてるようですが、できれば15日の朝、先さまの車に同乗させて頂き奥州市の先生とも歓談し、おそくとも14時30分北上駅発で帰路につきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。尚、釜石の宿の名称が分かりしだいTellをしますので、これもよろしくお願いいたします^^!。岩淵先生にはその旨でお話しておきました。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



318管理人:2019/10/11(金) 00:07:43
Re: 会合関連^^
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>
> さっそくのお返事ありがとうございます。
>
> 10/14日の釜石泊まりを手配してくれました^^。一応、15日の釜石から奥州市への切符も手配してくれてるようですが、できれば15日の朝、先さまの車に同乗させて頂き奥州市の先生とも歓談し、おそくとも14時30分北上駅発で帰路につきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。尚、釜石の宿の名称が分かりしだいTellをしますので、これもよろしくお願いいたします^^!。岩淵先生にはその旨でお話しておきました。


すいません、やはりダメです・・、その場合15日夜に水沢に到着するので、平さんと会うのが間に合いません。

予報では、14日は午後〜15日午前も荒れる模様で、バイクで苫小牧経由で八戸から水沢に向かうのは困難を伴いそうです・・・。


ひとまず25日以降に変更しましょう。



319 史実探偵: 平 素人:2019/10/11(金) 03:26:41
Re: 会合関連^^
管理人さまへのお返事です。

おっての ご連絡ありがとうございます。

> すいません、やはりダメです・・、その場合15日夜に水沢に到着するので、平さんと会うのが間に合いません。
> 予報では、14日は午後〜15日午前も荒れる模様で、バイクで苫小牧経由で八戸から水沢に向かうのは困難を伴いそうです・・・。

> ひとまず25日以降に変更しましょう。

 「15日の中止」そのほうがいいですね。
でも当方は、色々な人に都合をつけてもらったり、人を介しての宿や切符の手配をしてもらった手前、ことわりづらいものがあります^^!??それに口説き倒した〇〇は、すっかりその気になってます(笑い)。台風で行く手を阻まれない限り“釜石泊まり”をたのしんで来まぁ〜す^^。のでので、どうぞよろしく・・・

えらいお坊様が「あまり先の約束はしないようにしている」とおっしゃいました。先の少ないこのいのち。考えてまよって決めたことならばあとは悩まずなりゆきで・・、  (拝白)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



320管理人:2019/10/11(金) 08:09:13
Re: 会合関連^^
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>
>??おっての ご連絡ありがとうございます。
>
> > すいません、やはりダメです・・、その場合15日夜に水沢に到着するので、平さんと会うのが間に合いません。
> > 予報では、14日は午後〜15日午前も荒れる模様で、バイクで苫小牧経由で八戸から水沢に向かうのは困難を伴いそうです・・・。
>
> > ひとまず25日以降に変更しましょう。
>
>  「15日の中止」そのほうがいいですね。
> でも当方は、色々な人に都合をつけてもらったり、人を介しての宿や切符の手配をしてもらった手前、ことわりづらいものがあります^^!??それに口説き倒した〇〇は、すっかりその気になってます(笑い)。台風で行く手を阻まれない限り“釜石泊まり”をたのしんで来まぁ〜す^^。のでので、どうぞよろしく・・・
>
> えらいお坊様が「あまり先の約束はしないようにしている」とおっしゃいました。先の少ないこのいのち。考えてまよって決めたことならばあとは悩まずなりゆきで・・、  (拝白)。


14日朝までには台風は通過していることは確かですが、下記の台風予報のように、東北を直撃するので、線路上の樹木の除去などで14日午前中の電車が動く保証はないと思います。

私も14日午前中は宮古フェリーに乗るためには室蘭まででる必要があり、バイクなので道路状況が心配です。

こちらは台風予想。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jma.go.jp%2Fjp%2Ftyph%2F1919.html


できるならば、すぐ旅館はキャンセルして、電車も延期したほうがよいでしょう。その人も自分が勧めた相手に被害が及べば困るとおもいますし・・。

あと、下記のサイトにこんな投稿もありました。

米航空宇宙局(NASA)と海洋大気庁が連携して運用している気象観測衛星「スオミNPP」が日本に接近している台風19号を宇宙からとらえた。渦状の雲の幅は南北で2000キロ以上に及んでおり、米国内では「スーパー・タイフーン」として紹介されている。AP通信によれば、「ハギビス」と呼ばれている19号は大西洋上で発生するハリケーンの規模を示すカテゴリーでは最大級の「5」。米国内の気象専門家からは「存在しない6に相当する」という意見も出始めている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fheadlines.yahoo.co.jp%2Fhl%3Fa%3D20191010-00000203-spnannex-soci
「ハギビス」は前日までの24時間で最大風速を45メートルも増やしており(現在65メートル)、この発達スピードは地球で発生したハリケーン、サイクロン、台風の中で史上最速の部類。あまりに急速に発達したため、最初にあった台風の目の周囲に“2つめの目”ができたことが確認された。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkoukan2017.progoo.com%2Fbbs%2F


321 史実探偵: 平 素人:2019/10/11(金) 21:13:52
Re: 会合関連^^
管理人さまへのお返事です。

 釜石行きについてのご心配、たいへんうれしく思います^^。
先さまにお会いできないことになったのは大変ざんねんですが、釜石へは一度は訪れておきたいところです。一筋なわとはいかないのはもとより承知。それもこれも受け入れてたのしんでまいります^^。ただし電車が動かなければ・・・^-^!??ご心配ありがとう御座いました。



http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



322 史実探偵: 平 素人:2019/10/12(土) 06:33:33
Re: 会合関連^^
> 管理人さまへのお返事です。

??myブログへのコメントみました。5年来?の入信でみすごしてしまいました(汗~!)
??釜石行きについて、ご心配をおかけして済みません(深礼)。先走ったようです^^!

この度の件は、おおくの方に都合をたのんでの岩手行きです。電車がうごけば行かないわけにはいきません。その先は、臨機応変でたのしんでまいります。「台風一過」になればそれもよし(笑い)。

でも、先さまの場合は海行きがあり、かならず波高荒れはあります!。ごむりをする必要はさらにさらにありません!!??先さまは行動的なお方^^。山陽道を通りすがりでのお会いが、この先できるやも知れません。

尚、このパソコンは同居していた息子管理なので、メール関係は使うことができませんので悪しからずご了承ください^^! ありがとうございます。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



323管理人:2019/10/12(土) 11:34:25
Re: 会合関連^^
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> > 管理人さまへのお返事です。
>
>?? myブログへのコメントみました。5年来?の入信でみすごしてしまいました(汗~!)
>?? 釜石行きについて、ご心配をおかけして済みません(深礼)。先走ったようです^^!
>
> この度の件は、おおくの方に都合をたのんでの岩手行きです。電車がうごけば行かないわけにはいきません。その先は、臨機応変でたのしんでまいります。「台風一過」になればそれもよし(笑い)。
>
> でも、先さまの場合は海行きがあり、かならず波高荒れはあります!。ごむりをする必要はさらにさらにありません!!??先さまは行動的なお方^^。山陽道を通りすがりでのお会いが、この先できるやも知れません。
>

平さん、お返事ありがとうございます。とりあえず、私のほうは、明日台風すぎてから様子みて行くかどうか考えますね。
いくらか仕事が残っており、すぐには出発できない感じです。おそらくは月末から来月初頭にするような気がします。

よい旅行をお過ごしください。

324 史実探偵: 平 素人:2019/10/21(月) 07:20:15
10月/14日の釜石行き
<釜石を訪れたい>
台風19号は、ハギビスと名付けられ南北2千kmの風雨域をもち年間雨量の1/3が降った所もあるという。静岡県に上陸し福島や宮城、神奈川など12都県で75人死亡、14人が不明者となっている。河川の決壊は7県52か所(16日・朝日)、長野県では千曲川が決壊し新幹線車両7本が水浸しになった。列島の幹線も不通や運行停止が相次ぐなどの大打撃をうけた。釜石市で13日に予定されていたラグビーワールドカップ、ナミビア−カナダの試合が、この台風の影響で中止された。
その釜石に10/14日泊で行きました。
列島大動脈、山陽、東海、東北新幹線は、予定どおりの運行で新花巻14時41分着。花巻から釜石までの釜石線は途中の遠野止まりで、次の電車は2時間余り後の発車。泊りを予約している釜石まで行けない。それを知らずにホームへたたずむのは、私たち2人と釜石でお店が泥水被災した姉さまの手助け目的のご婦人と、あとから来た一日一組限定、(とおの屋 要)遠野の美味しいどぶろく^^が目的の30歳がらみ?のお兄さん2人の5人のみ。ここ新花巻で次の電車遠野までの2時間余は待てない。オザキさんと云われた(もう一人のお兄さんのお名を二度聞きしたのに思い出せない^^!)お兄さん達はレンタカーを即断!! 「真にもうしわけ御座いませんが、私たち3人を同乗させて頂けないでしょうか^^?」「いいですよ^^遠野までですが・」車行きで1.5時間は? かかったかな。お礼をいい分配を願い出ると「困っている人があったら助けてあげて下さい」と、固辞された。さて、残された遠野駅での3人。これからどうする?? 奇しくもオザキさんといわれるキャッシー中島似の御婦人が釜石の姉さんにTelすると、盛岡から帰りの姪ごさん母娘が約1時間ほどで遠野につくという。駅員さんに聞けば不通であった釜石行きの電車は、先ほど10分前に出たというし、次の電車は2・3時間後の発だという。それまで待つと釜石着は午後の10時はゆうに過ぎてしまう。ここでもその釜石行き御婦人の情にお願いしてのヒッチハイク^^!。釜石へ着いたのは6時頃。<3/11>で流された姪ごさんのお家がその海岸ホテルのすぐ近くにあったそうです。そして、カナダ選手30名が泊まられたと聞くホテルで合ったお客はただ一人の貸きり状態^^!。 翌朝、歩いた釜石駅までの道路では流れ出た泥土の片づけ作業がなされていて、注意しないと滑りこけるほどでした。もとより、観光が目的の釜石行きではありませんでしたが「人情け」というかえられない経験ができ、我が敬する奥州市の岩淵先生にもお会いすることができました。
 そして、もう一つ学んだことは、このような大災害時には、状況が色々とかわっているのにその錯綜した情報が一人歩きして伝わること。「その情報が何時、だれが、どこで出したか」を見極めることが大切かとおもいました。このようなことは「史記」にもあることで、その一字一句の全てが正しいとは限らないのではとも感じました。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



325管理人:2019/10/22(火) 23:15:16
Re: 10月/14日の釜石行き
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

平さん、こんばんは。先日の件は、大変お疲れさまでした。当日はお会いできなくて残念でしたが、
そうでしたか、やはり釜石方面もいろいろ被害が及んでいたのですね。ともあれ、ご無事でなによりでした。旅先での人との出会いは何よりうれしいものですね。

私のほうは、当日はバイクで釜石港から向かう予定でしたが、台風通過後とのこともあり路面の関係で二次災害になるといけないので、今回の東北・釜石行きは見送らせていただきました。

また、よい機会に釜石鉱山とそのクレーター中心部にある小川ダムについては、別途探索してみたいとは感じています。

また近いうちにどこかでお会いできること楽しみにしています。







326 史実探偵: 平 素人:2019/10/23(水) 00:49:37
Re: 10月/14日の釜石行き
管理人さまへのお返事です。

> 平さん、こんばんは。先日の件は、大変お疲れさまでした。当日はお会いできなくて残念でしたが、
> そうでしたか、やはり釜石方面もいろいろ被害が及んでいたのですね。ともあれ、ご無事でなによりでした。

ご心配をおかけしました~~!。奇しくも同性のオザキさん御二方のご厚情にあまえてのヒッチハイクでした。道路事情は釜石を知る御婦人オザキさん方の道行きがなかったら難しかったかもです。三陸鉄道は不通で翌15日から運行開始との放送がされていましたから来釜石中止は正解でした。またいつかどこかで会えるといいですね。ありがとうございました。

 古代史版のほうのピラミッド山形が気になってます・・・^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



327 史実探偵: 平 素人:2019/12/04(水) 04:05:34
題 - まだある卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸 !!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000332M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000332_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000332_3M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-6.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



328 史実探偵: 平 素人:2019/12/13(金) 12:25:58
卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-3.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



329青面金剛:2019/12/14(土) 05:37:34
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

☆ 先ず、何故、岡山県総社市岩屋に埋めたと推理できるのか、の一番重要なアプローチ部分が全くないのでは、坪背山と同様に、単なる思い付きレベルだと感じます。
 命主社と荒神谷と賀茂岩倉遺跡から、一気に、岡山県総社市岩屋に何故、飛ぶのかの説明が無い。
古文書の記述や、地元の伝承話と詳細に一致する、などの決め手が無いと、専門家の方々は、発掘候補地に加える事は有りません。発掘には、大勢のボランティアの協力と、税金からの支出が掛かりますので。

 荒神谷も賀茂岩倉も、近くに重要な祭祀場が有り、物部方に降伏した後、銅剣と銅鐸が奪われない様にと、谷の斜面に埋めた、と言われています。
地元の方々は、その埋めた地が荒されない様にと、「その谷に近づくと祟りが有る。」と噂を広めて、発掘の日々まで守られて来ました。

 総社市・岩屋寺金堂の裏手の崖の上の均地(なるち)は、帰り際に、立ち入り禁止の立て札が、有った事から、禁足地と思われます。この岩屋の地は、吉備津彦に攻め入られた、吉備の先住の王「温羅」と其の仲間たちの最後の決戦の場で、戦死された方々が埋められた墓地の上を、歩いて来たのでは無いでしょうか。

百済の王子 温羅 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fhisamitsu.exblog.jp%2F23653885%2F
大和朝廷に滅ぼされた温羅一族  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkono1.jp%2Flandscape%2Flandscape13891
吉備津彦温羅退治  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmb1527.thick.jp%2FN3-18-6urataiji.html
おかやま桃太郎ものがたり 吉備津彦と温羅
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fokayama-kanko.net%2Fdigitalbook%2F_SWF_Window.html

 温羅は製鉄技術で農機具や漁具などを広めたので、銅剣や銅鐸とは相容れない感じがします。
吉備の地で、出雲と共通性が有る古墳は、吉備地方では一番古い、三角縁神獣鏡など13面が出土した
備前岡山車塚古墳(岡山市)の方では無いかと思います。
備前車塚古墳  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkofun.info%2Fkofun%2F2957

松本1号古墳(島根県雲南市三刀屋町給下)
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.unnan.shimane.jp%2Funnan%2Fkankou%2Fspot%2Fiseki%2Fmusium06.html

《案内板表記》 「松本一号墳は、出雲地方でもっとも古い前方後方墳です。全長は50mを測り、雲南地方で最大の古墳です。また前方後方墳としては出雲地方で三番目の大きさです。前方部の先端がやや開くことから我が国でもっとも古い前方後方墳の一つ備前岡山車塚古墳(岡山市)との類似性が指摘されるなど、古代出雲を考える上で重要な古墳です」

>魏からの銅鏡数100個=出雲銅鐸数39個+<吉備銅鐸数23個>+神戸銅鐸数14個+野洲銅鐸数24個
><岡山県総社市岩屋の金堂寺裏の斜面に>筆者のいう23±α個の銅鐸

★ これまでに出土した銅鐸は全国で約500個。出雲銅鐸数39個と有りますが、加茂岩倉遺跡39口の他に、荒神谷遺跡に銅鐸6口が出土しています。基本的な下調べも不十分で、お近くの図書館にも通って無いと、お見受けします。

◎ 徐福が攻め入った地は鳥取で、倉吉が、それまでの都だったのでは、と解説しているブログを紹介します。
「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦
千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fysaino11jp%2Fe%2Fb6834d410c5f55068af442e4d97793fd

 倭国の都(鳥取県中部)
鳥取県中部は天孫が降臨されて(紀元前195年頃)、奈良時代に藤原氏に滅ぼされる(734年頃)まで倭国の都であった。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.google.com%2Fmaps%2Fd%2Fviewer%3Fmid%3D1EHG9ZjblLEN16jCK1CWjfhMtjgU%26ll%3D35.41365693365169%252C133.77201409999998%26z%3D10

〇 先祖からの伝承は数十世代を経て奇跡的に、繋がってきた遺産ですので、記憶の確かな内に、ここに書き入れるか、Dr・いずも氏か管理人さんに託すか、近くの出雲系の神社の宮司さんと氏子さん方に託すか、して置かないと、平さんが途絶えさせた事に成って終います。
「悪しき爪」の伝承についても、エピデンスは要りませんから、覚えている限り、記録として残さないと、後々の発掘者が、災難を被る事になり兼ねません。



330 史実探偵: 平 素人:2019/12/15(日) 04:37:58
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-13.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



331青面金剛:2019/12/16(月) 06:56:46
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 追伸 :「論より実行 !!」坪背山の天岩戸の原形、その坑道(=光道)を掘りだしたズリの確認を地元のメディアや、行政、博物館とうにお願いしてますが、いまだにナシのツブテです。当方のボケや、(遊びについやすお金もない^^!)もあり今はあきらめて「終活中」です。先様はお返事をくださった3/100人目になりました。
> ・・・朝になりました、以後よろしくです・・・(笑い)。

★ 「論」だけ掲げて「実行」を伴わない、のは平さんでしょう。足の不自由な身体障碍者でも無いのに、各方面にお願いした処で、「あんた、近場に住んでんだから、自分で直ぐ行けるじゃないの?」と言われるのがオチです。

 台風が接近している最悪の時に、釜石まで新幹線を乗り継いでまで、無駄足運んだ旅費で、出雲に数回は行けた筈です。

 旅費が無いなら、近所で定年後に暇を持て余している冒険好きに、連れて行ってもらう手も有る訳だし。お礼に畑で取れた新鮮な野菜を時々届けるのも有るでしょう。

 坪背山周辺は、戦前から戦後にかけて銅鉱の採掘が有りましたから、仮にズリが有ったとしても最近の物の可能性が有ります。千数百年前のズリなど風雨で流されている、と考えるのが自然でしょう。
 現場は登山道以外は、歩くのも困難な様です。携帯も圏外で古い坑道に落ちても助かりません。マムシも多いと聞きます。鷺銅山の事については、鵜鷺コミュニティーセンターに問い合わせる手が有ります。

鷺(さぎ)銅山〜大歳(おおとし)鉱山
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.geo.shimane-u.ac.jp%2Fgeopark%2Fsagi-otoshikozan.html

古代出雲『出雲と産銅』の謎(その1)
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Fshigechanizumo%2F43484585.html


独り言一人旅 214 <鷺銅山跡>
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Ffrom_iwamiginzan%2F27611815.html

「石垣で造られた平坦地は、工場・作業場の跡で辺りに孔や窪みがある。銅の山は、この山の上の斜面で、東西2つの峰を持つ龍山(りゅうざん:標高311m)と言う山で、路頭彫りの頃には山頂が低くなるほどに掘ったと言う。更に、林の斜面に分け入ると、坑道や竪坑の跡など沢山あると言い、下草刈りなどしない今は、草やシダが繁り、歩くのは危険だとも聞いた。

そんな話を地元で聞く前に、興味本位で林に入ったが、忠告の通りに気味悪く感じて、深入りはしないで戻ったほどだ。決して一人では入るな!との事であった。とは言え、鷺銅山跡も鷺浦の町も、調べて行けばまだまだ見所一杯だ。

双子山・龍山の頂上付近から西斜面には、上から田中鉱山・中山鉱山・鵜峠鉱山、そして鷺銅山の名前が、古い地図には記される。銅山に詳しいと言う地元の一人が、海に漁に出ているとかで、色々聞けなかったのは残念であった。ただ、鉱山と銅山とがあるのは、最期は石膏鉱山として栄え、やがて閉山になったと言うことのようであったが、詳しく聞けなかった。この日は時間も準備も無く戻ったが、いつか装備・陣容を整えて登って見たいものだ。

俄(にわか)勉強の身では、鷺銅山について詳しくを知る由もお伝えする術も無いが、鷺浦港の直ぐ東に周ると、旧中学校校舎を利用した<鵜鷺(うさぎ)コミュニティーセンター>があり、二階が歴史民族資料館になっている。整理も間に合わず雑然とある中に、銅鉱山・石膏鉱山の時代や、回船で栄えた時代の街の様子など記された、貴重な文献・地図・絵図・写真、鉱石・工具・道具などのほか、興味ありそうな民俗資料などが所狭しと並んでいた。豊かであった時代の痕跡など沢山あって、何時か整理され広く公開されると嬉しいところだ。 」

鵜鷺コミュニティーセンター
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.izumo.shimane.jp%2Fwww%2Fcontents%2F1375402079050%2Findex.html


332 史実探偵: 平 素人:2019/12/17(火) 02:54:15
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200804.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-1.html



333青面金剛:2019/12/17(火) 22:23:48
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>「この銅鐸の有る無しを確かめるのに・論はいらない」がぬけていました。

☆ 「論」が無くては、地元の発掘調査計画の検討委員会にも掛かりません。

> 朝夕の美しい太陽の両方を海上湖上に拝めるのは出雲のほかに(??)ありません^^。
> <鷺峠のズリ??について>

☆ 日御碕にも行かれたことが無いんじゃないですか? 一度、日御碕へ行けば、坪背山云々という発想は無くなるでしょう。鷺峠のズリは、道路上から、ドローンを飛ばして探す手も有りますが、ズリの上に雑草が茂っていたら見つからないかも。


 岡山県古代吉備文化財センター  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.pref.okayama.jp%2Fsite%2Fkodai%2F622638.html

「平成26年度に出土し、全国的にも希少な銅鐸であることが明らかとなった、総社市神明遺跡出土銅鐸も展示しています。その他にも、岡山市高塚遺跡の銅鐸出土状況や波止場状遺構などを復元したジオラマ、古代の堤防の一部も展示しています。」

平成 29 年度 岡山市埋蔵文化財センター講座第 4 回
弥生時代の青銅器 ー岡山市内出土の銅鐸を中心に− 安 川  満
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.okayama.jp%2Fcontents%2F000311137.pdf

総社・神明遺跡 銅鐸に「流水文」 国内4例目、全体像が判明
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdoutaku.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2015%2F08%2Fpost-3304.html

鬼ノ城内の発掘調査
最終金属加工の炉の調査が主なもののようでした。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkphodou.web.fc2.com%2Ftiraku%2Fblog-6%2Fpage9%2Ffiles%2Fcategory-9b3c30ce57ce.html

☆ 鬼ノ城は、古代の製鉄と鉄加工の地だった様です。禁足地で、吉備津彦との戦いに敗れた方々の埋葬地を、荒すだけに成りそうですので、地元の研究者も賛成しないでしょう。


334 史実探偵: 平 素人:2019/12/18(水) 01:36:01
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000339M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000339_2M.jpg

http://houshizaki.sakura.ne.jp/tuboseyama.htm



335青面金剛:2019/12/19(木) 13:30:44
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> > >「この銅鐸の有る無しを確かめるのに・論はいらない」がぬけていました。
> 「総社市岩屋に、大量銅鐸の有る無し <だけ> を確かめるのに・論はいらない」
> その<だけ>の言葉がぬけていました^^!。・それに行動力もぉ^^?(滝汗〜〜)
・・で、より多くの誰かさんに、託したいと思い、咎(デメリット)を承知でそのピンポイントの発表にうつりました。  ・・・で、より多くの参加者・共立者を募りませんか^^?
>????はい。出雲にも、行ったことがありません。
> 坪背山(壷背山)(つぼせやま)島根県出雲市

★ 禁足地での発掘申請には、よりハードルの高い「論」が必要とされ、それすら無いのでは、係官が申請書を一瞥しただけで、却下されてしまうのがオチです。

★ 総社市岩屋の方では「実行」と「行動力」を力説する人が、坪背山には行こうともしない。言っている事と、やっている事が正反対の人が、参加を呼び掛けた処で、誰も付いて行きません。

★ 管理人さんが、この次に、出雲へ行く時に、連れて行ってもらうのが、好いかも知れません。主な観光コースも巡っていないのでは、命主社と出雲大社(素鵞の社)、日御碕神社と伊奈西波岐神社を廻った後に、最後に坪背山を通るのが好いかも。

 私は一昨年に日御碕灯台の上まで登ってきました。平さんは無理かも知れません。

336管理人:2019/12/19(木) 22:45:26
鬼の岩屋
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000341M.png

https://www.jalan.net/kankou/spt_33208af2172073698/#basicInfoArea



337 史実探偵: 平 素人:2019/12/20(金) 07:03:44
Re: 鬼の岩屋
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000342M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-201607.html



338 史実探偵: 平 素人:2019/12/20(金) 23:36:31
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-10.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



339青面金剛:2019/12/21(土) 06:50:03
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  今後、それらが出土してから騒ぐか、素人の欠ける部分を補完されて楽しむかは、先さまや、この掲示板をご覧になっている皆さましだいです。
> (註)(?マーク)は、予想した埋封(まいふう;筆者の造語)場所で、未だ未掘です!

★ 結局、平さんは、自分が立てた説にも拘わらず、自分からは一切動かずに、他人に、けし掛けて居るだけの人。

>↑犬墓山石碑(この上にオニの生首をか?)
★ 平さんの文中には、地元の方々への配慮が見られません。

おかやま桃太郎ものがたり 吉備津彦と温羅
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fokayama-kanko.net%2Fdigitalbook%2F_SWF_Window.html

☆ この紙芝居にも描かれている様に、温羅は製鉄の技術力を以って、農機具や漁具や狩猟器具を広め、豊作や豊漁を地元にもたらしました。岡山では毎年、「ウラジャ」の踊りを若い方々が舞って、吉備津彦に敗れた「温羅と仲間たち」の功績を讃えています。

★ 発掘許可申請者が、「地元の方々へ配慮が出来る人物かどうか」、も許可の判断材料の一つです。平さんの無神経さでは、地元の方々とのトラブルを引き起こしてしまい兼ねない、と敬遠されてしまいます。

☆ 先祖から数十世代をも経て、奇跡的に繋がってきた、古伝承以外は、平さんの勝手な盲説でしかなく、平さんの人生と共に終わるだけ。
 「先祖からの言い伝え」を最初からオープンにして、各方面に持ち掛けていれば、何人かの専門家も動いた筈です。

★ 釜石まで遠出できたのなら、近場の出雲には、容易に行けるでしょう。平さんが「坪背山の現地レポート」をここに書き入れる時まで、この議論は、しばらく休止とさせて頂きます。


340青面金剛:2019/12/23(月) 02:38:39
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
?? 史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  今後、それらが出土してから騒ぐか、素人の欠ける部分を補完されて楽しむかは、先さまや、この掲示板をご覧になっている皆さましだいです。
> (註)(?マーク)は、予想した埋封(まいふう;筆者の造語)場所で、未だ未掘です!

★ 結局、平さんは、自分が立てた説にも拘わらず、自分からは一切動かずに、他人に、けし掛けて居るだけの人。古い坑道や竪坑が沢山残っている、危険の高い坪背山の探索を、他人に頼るのは、無責任極まりない。各方面から無視されて当然です。

>↑犬墓山石碑(この上にオニの生首をか?)
★ 平さんの文中には、地元の方々への配慮が見られません。

おかやま桃太郎ものがたり 吉備津彦と温羅
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fokayama-kanko.net%2Fdigitalbook%2F_SWF_Window.html

☆ この紙芝居にも描かれている様に、温羅は製鉄の技術力を以って、農機具や漁具や狩猟器具を広め、豊作や豊漁を地元にもたらしました。岡山では毎年、「ウラジャ」の踊りを若い方々が舞って、吉備津彦に敗れた「温羅と仲間たち」の功績を讃えています。

★ 発掘許可申請者が、「地元の方々へ配慮が出来る人物かどうか」、も許可の判断材料の一つです。平さんの無神経さでは、地元の方々とのトラブルを引き起こしてしまい兼ねない、と敬遠されてしまいます。

☆ 先祖から数十世代をも経て、奇跡的に繋がってきた、古伝承以外は、平さんの勝手な盲説でしかなく、平さんの人生と共に終わるだけ。
 「先祖からの言い伝え」を最初からオープンにして、各方面に持ち掛けていれば、何人かの専門家も動いた筈です。

 平さんが、過去30年間に各方面へ、約2000通の調査依頼の手紙を出した、その切手代だけでも、出雲へ10回も行けた筈で、出雲の地を一通り廻れてた事でしょう。平さんが、やっている事は、本末転倒した事ばかりで、馬鹿らしく成ってきます。

★ 釜石まで遠出できたのなら、近場の出雲には、容易に行けるでしょう。平さんが「坪背山の現地レポート」をここに書き入れる時まで、この議論は、しばらく休止とさせて頂きます。



341 史実探偵: 平 素人:2019/12/23(月) 02:51:48
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
http://houshizaki.sakura.ne.jp/tuboseyama.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



342青面金剛:2019/12/23(月) 22:23:07
Re: 卑弥呼が総社市に埋めてある23個の銅鐸掘り上げませんか^^?
??史実探偵: 平 素人さんへの返事です。

>  わたし一人がそこへ行っても「無駄足」になるだけ。

★ 詐欺師! 平さんが、ここの掲示板に、いい加減な説を繰り返し掲げて、自分一人では絶対に現地に行かないのは、別な目的で、参加者を集める「釣り」として、利用しているから。

★ 平さんが、自分の住んでいる町の名前すら教えないのは、別の目的が有るから。

★ 勾玉を「ポケットに忍ばせて持っていきたい。」と以前、書き込んでいた様に、発掘物を転売する、盗掘集団の客寄せ役だから。

★ 参加者から、旅費を借りた後に、トンずらする、旅費サギを目的としているから。

★ 参加者の金品を掠めるのが、目的だから。

★ 平さんは犯罪者集団の客寄せ役と疑わざるを得ない! 「先祖からの伝承」も全くの嘘で、作り話でしかない。平さんのHPも「釣り」。


343 史実探偵: 平 素人:2019/12/24(火) 03:03:12
人身供儀・その歴史、忘却の彼方に!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-9.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



344 史実探偵: 平 素人:2019/12/25(水) 21:33:53
続・童唄に隠された謎?・その歴史、忘却の彼方に!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-4.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



345青面金剛:2019/12/26(木) 06:06:23
Re: 続・童唄に隠された謎?・その歴史、忘却の彼方に!
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>『ひと山こえてぇ〜、ふた山こえて、み山(三上山)の前でぇ〜、た〜ぬきさん、狸さん踊ろじゃないかぁ』
>  この鞠つき童唄には、おそろしいまでの秘密が隠されていた。

>     岩の付く地名その西方????約1里・二山越え   西、及び荒神の付く地名
> <出雲> 岩倉           大黒山・仏教山    神庭荒神谷・西谷(さいたに)
> <吉備> 岩屋?(総社市)    *山 ・経山      黒尾地区 西谷?(にしたに)

>   人里から程よく離れた山の中腹、        ほぼ西南方で辺ぴな谷奥の南向斜面
>野洲町三上山から始めた謎解きでしたが、最終的には「この手鞠唄」が決定打となりました。大量の銅鐸の埋め場所の大岩山から、ふた山越えた、三つ目の山が三上山でした。一方、出雲の方を調べると加茂岩倉から西へ、大黒山ともう一つの山を越えた三つ目の山が仏教山で、これも△の山姿をしています。その<前>の斜面に大量の銅剣が埋めてあったことに、驚きを禁じえませんでした。

>  卑弥呼は「稚児を殺めた銅剣を、二度とその剣、その荒神に持たせてはならない!」

★ 前にも指摘した様に、銅剣の×印は、東出雲王家の富家の紋である、銅矛が交差した紋を示す、王権の象徴を意味します。
 一度指摘しても頭に入らなく、地元の方々に無神経な勝手な説を繰り返すから、地元の方々に白い眼を向けられるのが、平さん一人ならば兎も角、そのとばっちりを被りたく無いから、平さんとは歩きたくも無い。

◎ みやすみやまの おんばあと、たぬき

 西本昭子・作 末吉陽子・絵 新風舎 2006.10.25 刊

 岡山弁でつづる 「三休山」(みやすみやま) を背景にした いたずら好きのたぬき親
 子と おんばあ の おはなし。

 ぽんぽこぽんの すっぽんぽーん♪ ひとやまこえて ふたやまこえて みやすみやまの うえで ♪たぬきさん たぬきさん ♪あそぼじゃないか いま ごはんの まっさいちゅう ♪おかずは なあに うめぼし こうこ ♪ひときれ わたしにくださいな ♪あかちょこ べっちょこ いやしんぼう♪

 と たぬきさんが まりつきを・・。ほんに 近くに聞こえてくるような。

☆ 三休公園民話村 岡山県久米郡美咲町西川上400-11
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.okayama-kanko.jp%2Fspot%2F11880

岩倉山:標高394.2m 岡山県加賀郡吉備中央町上田西
岩倉公園  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.okayama-kanko.jp%2Fspot%2F11923

☆ 平さんが、その説を唱え続けたいなら、絶版本なので、図書館の館員に探してもらう事。三休公園民話村にも行った事が無いんじゃないですか?

三休山のおんばあと、たぬき 西本 昭子 作 末吉 陽子 絵

新風舎(ティルコーポレーション)2006/10 発売 (A5) ISBN:9784289007738
価格:1,210円??(本体:1,100円)

☆ 三休公園民話村から、岩倉山山頂へは、ほぼ南方向に有ります。荒神谷から賀茂岩倉の方向は、東南の方角で、神の通り道(神門)の方向です。




346 史実探偵: 平 素人:2019/12/28(土) 00:52:42
Re: 続・童唄に隠された謎?・その歴史、忘却の彼方に!
青面金剛さまへのお返事です。
 コメントありがとう御座います。・・もう下さらないと思ってたのですがぁ〜^-^?
わたしの意とすることは『 ここ掘れ、ワンワン^^』 先様のコメントはありがたいのですが、辛口コメントも、度を過ぎたモノはいかがかと思います^~! この先、その出土までには時間がかかると思います。それ等が出土しなければいいのですが、(もし?)素人の予見した場所に、予測した形でその坑道窟や大量の銅鐸が出土したらまずいことが世に残りますよね(^^)

> >  卑弥呼は「稚児を殺めた銅剣を、二度とその剣、その荒神に持たせてはならない!」
> ★ 前にも指摘した様に、銅剣の×印は、東出雲王家の富家の紋である、銅矛が交差した紋を示す、王権の象徴を意味します。

 先さまのご指摘のすべてを記憶している分ではありませんが、出雲には<富・とび>という地名(国土地理院)がありました。何故、これをトビと読むのか不思議でなりませんでした。飛び? 鳶?そのすべては思い出せませんが。加茂(カモ?)や、鷺峠をはじめとして、出雲には鳥の地名が他の地に比べて多いのが気になっていました。×印は、歴史の流れを考えると、「富家の家紋」が先にあったのではなくて、卑弥呼の封印の方が先であり「この剣、二度と使わじ」とした不使用の意や、封印の意があるのではないでしょうか。今では封書を閉じるとき×印を書く人は少なくなりましたが。この×は封をするって意味ですよね。その剣の茎(なかご)に無印のものが幾つかありましたが、これは素人の謎解きでおおいに参考になりました。つまり、それは使用しなかった新品・予備剣かと!! このように考えて歴史をさかのぼれば「富家」は由緒ある家筋になります・・^^。

> ◎ みやすみやまの おんばあと、たぬき
>  ぽんぽこぽんの すっぽんぽーん♪ ひとやまこえて ふたやまこえて みやすみやまの うえで ♪たぬきさん たぬきさん ♪あそぼじゃないか いま ごはんの まっさいちゅう ♪おかずは なあに うめぼし こうこ ♪ひときれ わたしにくださいな ♪あかちょこ べっちょこ いやしんぼう♪
>  と たぬきさんが まりつきを・・。ほんに 近くに聞こえてくるような。

 またまた、貴重な情報をありがとうございます。
わたしは「二山越えて、三山の前で、狸さん・・」の狸さんが推めていませんでした。「なぜ、それが狸さんなのか?」狐ではだめなのかと?「ぽんぽこぽんの すっぽんぽーん♪」 そうです。この形容は。狸の皮太鼓をたたく音だったのです! 「おんばあ」は卑弥呼です。一般に卑弥呼は美娘として描かれていますが、わたしは、そうと考えていません。娘時代と老期とはちがうでしょうが、史記には「千人の傍女にかしずかれ、その姿見たものなし」とあるようですが、女子は長髪が一般的な世の中。老期の卑弥呼は、幼児期に削がれたその耳を隠すおかっぱ頭。目の周りには歌舞伎役者のようなクマドリ。そしてお歯黒の歴史があることから、前歯の全てを抜いていたと推定しています。倉敷市・船穂町の里木貝塚では前歯を意識的に抜いたのでは?とする遺骨がでたとか。その遺骨が卑弥呼だとはしませんが、「お歯黒」は江戸時代まで残っていたようですから、巫女さんにおいては、同様なことが拡散したのではないでしょうか。

卑弥呼は、狸皮太鼓(鼓・つづみ)をたたき、その大量の銅鐸や銅剣を封印している。

卑弥呼の本拠が(自分の知識では)どことはいえないが、その<埋封・まいふう筆者の造語>のため、出雲・吉備・姫路・野洲へと移動している。でなければ「姫路」の地名は残ってはいない。興し(おこし)に乗って移動している。このシキタリは、浜松の姫街道(国土地理院)。地方によっては、今でも花嫁行列や、葬儀列として残っているのは皆さまの知るところです。このように。今の私たちが「何をしているか」から手繰っていくのが素人探偵のやり方です。みやまの前か?上か?の問題は残ります。青面金剛さま>ありがとうございました。

> ☆ 三休公園民話村 岡山県久米郡美咲町西川上400-11
> 岩倉山:標高394.2m 岡山県加賀郡吉備中央町上田西
> 岩倉公園

 行ったことも聞いたこともありません・・(滝汗〜^^!)。
こういった遺跡に桜の植樹は珍しくありません。今でこそ桜は観光木ですが、その昔をさかのぼれば「農事呪縛の木」であったことは、先さま方の知るところです。逆に「桜」の植樹があれば、その歴史の拡散かと(神戸・桜が丘)疑ってみるのも楽しいことです。「みやすみやま」にしても「宮山・みやま」にしても珍しくありません。今でも、里山に神社があればそれ等は「みやま」の呼称で呼ばれているのではないでしょうか? 「共通の文化があれば共通の事象あり」 何故、それが「三・み」なのか? 今では、その追求を、すっかり忘れていることが大きな問題だと考えています。

> ☆ 平さんが、その説を唱え続けたいなら、絶版本なので、図書館の館員に探してもらう事。

 図書館へいけば、そのネットワークをとおして、読みたい本を他の図書館から取り寄せてくださるのは知っていますが、只今は「 終活中^^!」そのエネルギーは残っていません。ので、ので・・・

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



347青面金剛:2019/12/28(土) 05:41:47
Re: 続・童唄に隠された謎?・その歴史、忘却の彼方に!
??忘却探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> わたしの意とすることは『 ここ掘れ、ワンワン^^』 先様のコメントはありがたいのですが、辛口コメントも、度を過ぎたモノはいかがかと思います^~! この先、その出土までには時間がかかると思います。それ等が出土しなければいいのですが、もし?素人の予見した場所に、その坑道窟や大量の銅鐸が出土したらまずいことが残りますよね(^^)

★ 結局、現地に一度も行かず、他人に、けし掛けて居るだけの人が、度が過ぎて、ふざけた事を書き込んでいれば、疑われるのも仕方ないでしょう。
 図書館にも行かず、地元の新聞も読まず、地元のテレビも見ず、地元のラジオすら聞かない人が、勝手に描いた説など、専門家が候補地に加える事は有りません。


> 加茂(カモ?)や、鷺峠をはじめとして、出雲には鳥の地名が他の地に比べて多いのが気になっていました。×印は、歴史の流れを考えると、「富家の家紋」が先にあったのではなくて、卑弥呼の封印の方が先であり「この剣、二度と使わじ」とした不使用の意や、封印の意があるのではないでしょうか。今では封書を閉じるとき×印を書く人は少なくなりましたが。この×は封をするって意味ですよね。その剣の茎(なかご)に無印のものが幾つかありましたが、これは素人の謎解きでおおいに参考になりました。つまり、それは使用しなかった新品・予備剣かと!! このように考えて歴史をさかのぼれば「富家」は由緒ある家筋になります・・^^。

★ 卑弥呼は、18代続いた出雲王国を侵略した側である、物部王国の同盟国側ですので、富家の方が先です。

 卑弥呼が祀られているのは、宇佐神宮の本殿・二之御殿に比売大神として祀られています。
宇佐神宮  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.usajinguu.com%2Fguide%2F

 鹿児島神宮の北東側に卑弥呼神社も有りますから、ここも祭祀の場の一つと考えられます。
鹿児島神宮  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkagoshima-jingu.jp%2Faccess.php

 日御碕に隠が丘という小高い丘が有り、出雲王朝の閉朝後に、三代続いた、物部方の王の墳墓では無いか、と言われています。

隠が丘  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-enmusubi.com%2Fentry%2Fkakuregaoka%2F

☆ 日御碕の遊歩道を歩いてみれば、岬の先に、「経島(ふみしま)」が見え、太陽の祭祀を行うならば、この場所だと実感します。
 この島は日御碕神社の神域として神職以外の一般の立入りは禁止されており、年に一度8月7日の例祭の時のみ、宮司だけがその島に舟で渡ることができます。
 別名夕日の祭りといわれ、刻一刻と日が沈む中で執り行われる様子は神々しさが漂います。

経島(ふみしま) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-kankou.gr.jp%2F370

日御碕神社  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-kankou.gr.jp%2F678


>  卑弥呼は、狸皮太鼓(鼓・つづみ)をたたき、その大量の銅鐸や銅剣を封印している。
> 卑弥呼の本拠が(自分の知識ではどことはいえないが、その<埋封・まいふう筆者の造語>のため、出雲・吉備・姫路・野洲へと移動している。
>みやまの前か?上か?の問題は残ります。

☆ 出雲から、難波や大和に向かうには、美作の出雲街道を通ります。

☆三休公園民話村 岡山県久米郡美咲町西川上  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.okayama-kanko.jp%2Fspot%2F11880
岩倉山:標高394.2m 岡山県加賀郡吉備中央町上田西
岩倉公園  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.okayama-kanko.jp%2Fspot%2F11923

☆ 吉備中央町の岩倉山の周辺には、加茂や神の名の付く地名が残る事から、祭祀の場が有った事が伺えます。

>  行ったことも聞いたこともありません・・(滝汗〜^^!)。

★ 地元の人間に、遠方の人が観光案内しなきゃならないのは、本当に馬鹿らしく成ってくる。

> こういった遺跡に桜の植樹は珍しくありません。今でこそ桜は観光木ですが、その昔をさかのぼれば「農事呪縛の木」であったことは、先さま方の知るところです。逆に「桜」の植樹があれば、その歴史の拡散かと(神戸・桜が丘)疑ってみるのも楽しいことです。「みやすみやま」にしても「宮山・みやま」にしても珍しくありません。今でも、里山に神社があればそれ等は「みやま」の呼称で呼ばれているのではないでしょうか? 「共通の文化があれば共通の事象あり」 何故、それが「三・み」なのか? 今では、その追求を、すっかり忘れていることが大きな問題だと考えています。

☆ 「みやすみやま」=宮住み山
 つまり、出雲王家の親族か、美作後南朝の宮様の、どちらかが住んでいた宮が有った、と思われます。久米郡の久米は、天皇・大王家の警護役の意味が有ります。

美作後南朝  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fpasocon-salon.floppy.jp%2Fakihisa01.html

>  只今は「 終活中^^!」そのエネルギーは残っていません。ので、ので・・・

★ 知らん! 釜石まで行けた体力が有るなら、次の桜の季節に、宮住公園と岩倉公園と、命主社と日御碕へ行ってこい!

 これだけ、教えてあげたのだから、もう、十分でしょう。後は、管理人さんと、Dr・いずも氏に頼みなさい。先祖からの伝承が本当に有るなら、書き残さないと、何も残りません。(終)


348 史実探偵: 平 素人:2019/12/30(月) 15:25:12
Re: 鬼の岩屋
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/kibisikoku0511.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



349鳩摩羅童子:2019/12/31(火) 21:10:07
発音付きチベット語オンライン辞典
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Tibet_dic.html

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



350鳩摩羅童子:2019/12/31(火) 21:30:53
言語道断 は、タミル語にある。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_17_1.html#n.532

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



351管理人:2019/12/31(火) 23:18:36
今年もお世話になりました
平さん、童子さん、またわかちあいありがとうございました。

鬼ノ城は、以前もライン面で分析したかぎりでは、神籠石ですね。山城説もありますが、神域説もあり、その石積みの低さが問題となっています。水門の活用法も考えどころですね。

細かいところは、また正月休みあたりで、ゆっくり拝読させていただきますね。

今年もお世話になりました。



352 史実探偵: 平 素人:2020/01/10(金) 00:07:23
あおさぎ・鳥祖卵生!
  年がかわりました。管理人さま、皆さま。 本年もよろしくです^^。

12/31 本日の夕方のことです。車での帰り道ライトのなかに、なにやらが? ブレーキを踏むと、アオサギでした。こんなことは初めてです。私の見るアオサギは昼夜は問いませんが、川の中かその岸辺にじっと佇み、魚を待つ姿しか見たことが有りません。何時捕食しているのかと疑うほどじっとしています。そのアオサギが道の真ん中に。スピードがでてないとはいえ危うく轢いてしまうところでした。停車すると。かの鳥は飛び立つでもなくゆっくりと道を譲ってくれました。私は近時「鳥祖卵生」という言葉をしりました。大まかにいえば人間の祖先は鳥であったという考えです。この中でアオサギは、その漂々とした佇まいと灰色をしていることから、死灰のなかから蘇る鳥とされているようです。萎えることなく絶えることなく続いてきた「この想い」にも存命中はむりとの思いが勝るようになった今日この頃ですが、水辺でもない道の真ん中に、車行き交う私のライトの前に何故いたのでしょうか。わたしには「急くことなく道を譲っておきなさい」とでも言いたかったように思えてなりません。こういった極大論(巨大隕石と大津波)は没後に認められるが世の常。「これでもか。これならば、」と広報を重ねてきましたが本懐にいたるまでには50年100年はかかるかもしれない。これがあなたに伝わらないのは、その史実がなかったからではない。わたしの論述がいたらないからだ。 年の節目に、□

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



353 史実探偵: 平 素人:2020/01/30(木) 09:25:35
Re: 神籠石
http://kaifuusoo-575.sakura.ne.jp/kaifu-/kougoishi.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



354管理人:2020/01/04(土) 18:17:31
Re: 神籠石
平さん、あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします。

神籠石についてご意見ありがとうございます。特に水門の存在は用途解明のキーポイントになりそうですね。

平説は、そうすると現在言えばダムのような役割を果たしていたことになるでしょうか。土砂崩れ止めの土塁ともいえそうですね。


神籠石の原型については、個人的には沖縄のグスクとの関係を模索していますが、そのグスク自体は山城と神殿の組み合わせとなりますから、その神籠石の構造がグスクと重なれば、立証できるのではないかと感じます。

その際に、水門の是非や、その位置などが同じかどうかも気になるところです。

また聖域の構築方法に共通性がないかどうかも調べる必要がありそうです。

先ほど、沖縄特集の番組をみてましたが、御嶽という聖域の紹介があり、洞窟や岩の重なり合う地点と、日の出の方角との関係性について触れていました。

また水流という点では、沖縄でも水田が造られていたそうで、湧き水の利用もなされていたそうです。水を通しやすい上層の石灰岩と通しにくい下層の泥岩との組み合わせで、そのような湧き水が流れ出るようになるそうです。

平さん的には、神籠石と貯水、流水の関係があると考えておられるのですよね。その辺、もう少し掘り下げてみてもよいかもしれません。





355 史実探偵: 平 素人:2020/01/05(日) 08:32:12
Re: 神籠石
管理人さまへのお返事です。ご丁寧なコメントありがとうございます。
  皆さまにとって本年も益々のお年になりますように^^。

> 神籠石についてご意見ありがとうございます。特に水門の存在は用途解明のキーポイントになりそうですね。

 今までは「神籠石」のことば自体を知らなかったのですが、祖先がその石列を何故、「籠・かご」の字をあてているのかに興味をもつようになりました。ご存知のように、竜は雨降らす水の神であり、その神に人里近くで天にも近い山頂で「雨降らせ給へや!」の祈りがあったのではないでしょうか。山城説のそれはその時期の解明で大切なことなのでしょうが、歴史的知識のない素人には卑弥呼以前の代に的をしぼっています。
地形的干天から瀬戸内沿いでは雨乞いが発達していたようで、管理人さまが特視?される北九州には「岩屋」の地名が数多くあるのには驚かされています。それに名前は思い出せませんが「〇〇平」は龍神への食台(myぶろぐ)だとしたこともありました^^!。

> 平説は、そうすると現在言えばダムのような役割を果たしていたことになるでしょうか。土砂崩れ止めの土塁ともいえそうですね。

 そうですね「ダム」と云うと水利の意がつよくなりますが、水田への水利にしては貯水量が小さすぎるので「呼び水儀式のための貯水」ではないかと考えています。そして、神籠石は「境界決め」の意が強いのではと思うようになりました。

> 神籠石の原型については、個人的には沖縄のグスクとの関係を模索していますが、そのグスク自体は山城と神殿の組み合わせとなりますから、その神籠石の構造がグスクと重なれば、立証できるのではないかと感じます。

 沖縄の「城・グスク」については全く知識がないのですが、以前、管理人さまの調査で「さいごはやはり現地調査で・」のことばがつよく残っていますし、私も、そのように思います。

> その際に、水門の是非や、その位置などが同じかどうかも気になるところです。
> また聖域の構築方法に共通性がないかどうかも調べる必要がありそうです。

そうですね! それが「雨乞い施設」だとの認識を得るには 学者の論理と解明が是非とも必要です。「水門の是非や、その位置!!」の追求には同感です。わたしは、以前「その海水や湖水(琵琶湖)の水を天にあげて雨水に変えて頂けませんか」と、ご先祖さまは祈ったのではとしたことがありました(笑い)。

> 先ほど、沖縄特集の番組をみてましたが、御嶽という聖域の紹介があり、洞窟や岩の重なり合う地点と、日の出の方角との関係性について触れていました。

わたしが、管理人さまや、先様方に強く願っているのはその件です。正月の番組で伊勢の夫婦岩のあいだからダイヤモンド富士が遠くにある映像をみました。祖先は 正月(≒冬至)の日の出に強い興味をもっています。但し、地球の歳差運動でその方向に変化ありとは先様がたが識るところです。今<渡来人>会報をみていて、私たちが神社にある盤石が山のどの位置(方向)にありかを知ることは先祖の考えをしるうえで大切と考えるようになりました。

 今、私たちが両の手を合わせたスリットや 盤石二つの間から初日ノ出がのぼってきました。わたしには、その強い日差しが四千年まえの巨大隕石が発した'<閃光>千光寺' 信仰の源に思えてならないのです。

> また水流という点では、沖縄でも水田が造られていたそうで、湧き水の利用もなされていたそうです。水を通しやすい上層の石灰岩と通しにくい下層の泥岩との組み合わせで、そのような湧き水が流れ出るようになるそうです。

山や、巨岩の隙間から、干天においても涸れない湧き水を聖水としてあがめることは 各地にもあるようです。沖縄と同様な石灰地に中米のセノーテがあるのは先さま方のしるところです。

> 平さん的には、神籠石と貯水、流水の関係があると考えておられるのですよね。その辺、もう少し掘り下げてみてもよいかもしれません。

 管理人さまぁ〜〜 素人の中坊的発想や論説ではどうにもならんとですよぉ〜〜
 それにボケが加わってきてますしぃ〜〜 (会報のほうに移りたいのですがぁ^^!)

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



356 史実探偵: 平 素人:2020/01/06(月) 04:09:12
渡来人会報「吉備・四国」を読んで
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/kibisikoku0511.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



357 史実探偵: 平 素人:2020/01/07(火) 15:09:57
Re: 渡来人会報「吉備・四国」を読んで
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/kibisikoku0511.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



358管理人:2020/01/08(水) 03:02:19
Re: 渡来人会報「吉備・四国」を読んで
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへ??&; 皆さまへ>
>
平さん、お返事遅れてすいません、別件でかかりっきりになってしまいまして・・・・。

ぜひ、吉備のほう、平さんのほうでも、現地への探索結果出てきましたら、よろしくお願いします。

なかなか吉備までは足を運びにくくなりました・・。

359鳩摩羅童子:2020/01/09(木) 22:27:38
稗田阿礼(ひえだのあれ) は、サンスクリット語 カモ。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_17.html

http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html



360 史実探偵: 平 素人:2020/01/11(土) 03:54:32
徐福達が日本史に与えた影響、その?〜?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-13.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



361管理人:2020/01/12(日) 01:36:35
印欧祖語と日本語との関係
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000366M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000366_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000366_3M.jpg

童子さん、平さん、今年もよろしくお願いします。

やはり印欧祖語が日本語とどうかかわっているのかがきになってきますね。

古代史掲示板でもお話してますように、インダス・シュメール、そして印欧祖語との関わりは、縄文時代後期に見えてくるような気がしてますが、言語面でどうみえてくるかが課題です。

縄文人がすでに圧倒的多数でいたでしょうから、そこに少数者が移住してどのくらい影響を与えれたかが課題ですが、津軽弁とかそのあたりに、仮に上記の要素がみえてくると面白いかもしれません。

東北方面の語彙は、やはり縄文人とのつながりが残っていることは、その分布図などからも明らかなようです。

図1,2,3は、小泉保『縄文語の発見』からの引用です。ご参照ください。



362 史実探偵: 平 素人:2020/01/12(日) 07:55:06
Re: 印欧祖語と日本語との関係
管理人さまへのお返事です。コメントありがとう御座います。

昨年は、大変お世話になりました。こちらこそよろしくお願いいたします。
資料をそえての早速のお返事ありがとう御座います。お手数をおかけしました
自分にとっての徐福は、Dr.いずも氏>の感化が大きいのですが、そのやりとりをピックアップしようと思うのですが、いまさらながら自分の長駄文にうんざりして、どこに何を書いたのかすら覚えがなくて・・、読み返しの苦戦をしています。

> やはり印欧祖語が日本語とどうかかわっているのかがきになってきますね。
> 古代史掲示板でもお話してますように、インダス・シュメール、そして印欧祖語との関わりは、縄文時代後期に見えてくるような気がしてますが、言語面でどうみえてくるかが課題です。

渡来人については、祖語やら、DNAやら、気象変動やら、突発的災害や、流行病、勢力拡大等の様々な要因がからんでくるのですね。わたしにとってはレベルが高すぎて考えがおよびません。なかでもDNA分布の研究は最先端になるのでしょうか・・・?? 

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



363管理人:2020/01/13(月) 01:23:55
Re: 印欧祖語と日本語との関係
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメントありがとう御座います。
>
> 昨年は、大変お世話になりました。こちらこそよろしくお願いいたします。
> 資料をそえての早速のお返事ありがとう御座います。お手数をおかけしました

> 渡来人については、祖語やら、DNAやら、気象変動やら、突発的災害や、流行病、勢力拡大等の様々な要因がからんでくるのですね。わたしにとってはレベルが高すぎて考えがおよびません。なかでもDNA分布の研究は最先端になるのでしょうか・・・??


平さん、今年もよろしくお願いします!

言語やハプロの話は、確かに理解しにくいことかと思いますが、古代史掲示板のほうに、平さんのメインテリトリーの話を書き込んでおきましたので、よろしくご参照ください。ご指摘の2000年前の大津波の実証可能性が見えてきてます!

364 史実探偵: 平 素人:2020/01/13(月) 20:51:25
Re: [10702] 4大文明と津波地層
管理人さまへのお返事です。
   古代史掲示板[10704]の投稿分をこちらへもコピペします^^!。

> ご指摘の(BC.)2000年前の大津波の実証可能性が見えてきてます!

   ありがとう御座います。うれしいです。

↓( コピペ^^!)
短日間のうちにすごい量の情報量ですね。それ等を四大文明にからめてのご考察、大変参考になります。じっくりと消化したいと思います。ありがとうございます。

岩淵先生や平の名前を出して頂きましてありがとう御座います。二人は、「四千年前の東北巨大隕石説」を持っているのですが、先さまも挙げられている、ミドルインパクトによる地球規模の気温降下、地震や巨大津波、そして火山の誘発等、人類を含めた生物への影響は多大なものがあります。それの一番身近なものである4000年前のものにしぼって喚起を願っているのですが未だ日の目を見ていません。

中で、世界共通の“地球規模の事象”として論じ合えることは、隕石の冬がおこす “海水位の後退” があります。わたしは推量値で、約1.6mの後退。気温ではおよそ13℃(〜16℃)の降下とみています。これが短期2〜3年のうちに変動することに大きな問題があります。生物相の変化移動はもちろんですが、稲作文明を持つ大陸では大きな影響が考えられます。そして浅海化がありますので魚介類の変移等を地球規模で「共通の論題」として論じあえたらいいなと思っています。ありがとうございました。

追記 「年代の決定合意の難しさ?」
 こういったものを論じ合うとき、何時の場合もその年代の食い違いが出ることがあります。巨大隕石の衝突という“一瞬のできごと”でも、何がしかの補正があったり、堆積する地層についても “巨大津波” の発生によって経年の異なるものが混ぜ合わされたり、津波が第二波、第三波・・による堆積状をていすることから、一般的な斉一説をとれない難しさがあります。そして、現科学の多くは、巨大津波が内陸奥深くまで運んだ貝やサンゴ類を『かつてここは海だった!』とする考えが定着しており、この考えを取り除くのは至難です。

 十年以上前だったと思います。九州大の女先生が貝類の年代測定に着目されたことがありました。ご存知のように貝類の生息地はあまり移動しません。ところが巨大津波の性質として、それ等を根こそぎして津波の端部や、先端部へ置き去ることがあります。これはすべての事象に当てはまることですが『流体が媒体となって各々の物質を運ぶ時、それ等は非常に効率よく似たものは似たもの同志で分別される同似集合の原理・作用(筆者提唱)』があります。この考えは現科学が巨大(orミドル)隕石と、それによって生じる巨大津波へ、シフトしないかぎり難しいと考えています。(そこで素人的ヒラメキ^^!、人のDNA調査は著しく進歩しているが貝やサンゴのDNAは変わらないのかな??、汗~~!)

 そして、津浪についても一元的な論じ方がされていることに問題があります。津波の波高は、地形・地勢によって 震源地の直近にあっても大きく変わります。津波のやつはズルい^^!から抵抗の少ない方へ方へと移動します。「津波は川を上る」といわれますが、これは川が遠浅状になっていて津波は楽に登れるからだと申し上げたことがありました。□

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



365管理人:2020/01/15(水) 00:01:20
Re: [10702] 4大文明と津波地層
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>
>
> 追記 「年代の決定合意の難しさ?」
>  こういったものを論じ合うとき、何時の場合もその年代の食い違いが出ることがあります。巨大隕石の衝突という“一瞬のできごと”でも、何がしかの補正があったり、堆積する地層についても “巨大津波” の発生によって経年の異なるものが混ぜ合わされたり、津波が第二波、第三波・・による堆積状をていすることから、一般的な斉一説をとれない難しさがあります。そして、現科学の多くは、巨大津波が内陸奥深くまで運んだ貝やサンゴ類を『かつてここは海だった!』とする考えが定着しており、この考えを取り除くのは至難です。
>
>  十年以上前だったと思います。九州大の女先生が貝類の年代測定に着目されたことがありました。ご存知のように貝類の生息地はあまり移動しません。ところが巨大津波の性質として、それ等を根こそぎして津波の端部や、先端部へ置き去ることがあります。これはすべての事象に当てはまることですが『流体が媒体となって各々の物質を運ぶ時、それ等は非常に効率よく似たものは似たもの同志で分別される同似集合の原理・作用(筆者提唱)』があります。この考えは現科学が巨大(orミドル)隕石と、それによって生じる巨大津波へ、シフトしないかぎり難しいと考えています。(そこで素人的ヒラメキ^^!、人のDNA調査は著しく進歩しているが貝やサンゴのDNAは変わらないのかな??、汗~~!)
>
>  そして、津浪についても一元的な論じ方がされていることに問題があります。津波の波高は、地形・地勢によって 震源地の直近にあっても大きく変わります。津波のやつはズルい^^!から抵抗の少ない方へ方へと移動します。「津波は川を上る」といわれますが、これは川が遠浅状になっていて津波は楽に登れるからだと申し上げたことがありました。□


津波の移動詳細については興味深いですね。

南海トラフの件を先ほども調べていたんですが、そろそろ近いようです。
固着域が外れはじめると、ちょうどやねの雪が落ちるようにして、一気にはがれるようです。・・・と雪国の人しかわからないかな・・。

それで津波ですが、複数の震源から複数の波が生じて、重なりあうことで、巨大化するようです。

今回の南下トラフだと8つ?くらいの震源域と津波が重なるようですが、隕石落下の津波の場合は1つか、あるいは複数の落下かでも大きさが変わりそうですね。

そして、津波がどこまで内陸へと向かうのか、ここがご指摘のとおり重要なポイントです。

通常の津波だとせいぜい沿岸だけですが、巨大化すると河をさかのぼることができるかどうか、そのメカニズムも解明が必要です。

黄河とか長江クラスの大河だと、傾斜が緩い分、内陸まで向かえる可能性もあるのではないですかな。

以前テレビで満月の日に、大河をさかのぼるシーンがありましたね。どこだったかな・・。

これこれ。黄河逆流。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.cnta-osaka.jp%2Fspot%2Fnature%2Fqiantang-river
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DjjoKcGytrUg

これで黄河文明が一度に滅んだとするとどうなるだろう・・・。



366 史実探偵: 平 素人:2020/01/16(木) 01:44:14
Re: [10702] 4大文明と津波地層
http://www.cnta-osaka.jp/spot/nature/qiantang-river

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



367管理人:2020/01/19(日) 20:24:31
Re: [10702] 4大文明と津波地層
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。
>

> 巨大隕石とプレート圧の開放で起きる、地震の規模と津波の波高は全く異なります。わたしは、それを巨大隕石は風呂の湯面を拳でたたいた時の波立ちであり、プレート圧の開放では、同じ力で湯中で拳を動かした時ほどの波高差があると例えています。私たち素人は陸地を巨大な一塊の巌(いわお)と考えがちですが、岩淵先生(分散説)私(主核説)の違いはありますが、提唱している小天体クラスでは、陸地も波状化して破砕(出雲半島)したのではと思っています。
>
> > そして、津波がどこまで内陸へと向かうのか、ここがご指摘のとおり重要なポイントです。

>?? ありがとうございます。 大潮で起こる逆流でさえ、中国では大迫力がありますね。よく観察すると、直角の波止に突き当たる津波が角奥(=湾奥)へいくほど斜状に高くなっていたり、川岸のほうが濁泥色になっているのが認められます。濁泥を持った“沿岸津波”ほど怖いものはありません。石が石をウガチその破壊力は格段に増していくからです。
> 四千年まえの東北に衝突した巨大隕石が発した巨大津波は、その比ではありません。岩淵先生は、その時の巨大津波が良渚文明を滅ぼしたとし、わたしは、その津波は内陸の「天津」まで届き、その様は「竜因」のようであったと地名に遺しているとしました。そして、朝鮮半島の東海岸には「方魚津・パンオジン」とか、「方津」の地名があります。その巨大津波は「朝方に大量の魚を持って来た」といっているのでしょうね。きっと^^! 半島にも詳しい管理人さまは、もっともっと津波に関係した地名が見つかると思います。
>?? 尚、津波のメカニズムですが、通常の波が風で起こる同位置での上下動に対し、津波の波は押し波移動だと解すればさほど難しいことではありません。数学にも秀でた先さまでは、風でおきる最大波高は水の重力により約38mだと導きだすのは難なきことだと思います。?? ちなみに<3/11地震>のときの津波最高到達地点は40m弱でした。
> そして、この動画を見てもう一つ気付いたことがあります。川の両岸で津波の力を散逸させない構造になっていることです。 ありがとう御座いました。


お返事遅くなりすいません!
津浪のメカニズム、気になるところですね。

津浪の威力の計算が知りたいところです。東日本大震災のときの津浪の数倍ある津浪が、2000年前に起ったようです。三連動型の東南海地震によるものと考えられているようですが、スマトラ沖地震クラスの威力だったのではないかと感じます。あのときは、はるばるインドまで数mの津浪が奥地にまで入り込むほどの威力がありました。

次回の南海地震もそのクラスになる可能性があり、どこまで内陸へと入り込むのかは、過去の津浪地層を追う事である程度予測できるかもしれません。

早急に迫られた課題のように感じますが、またお気づきの点ございましたら、宜しくお知らせください。

368 史実探偵: 平 素人:2020/01/21(火) 00:25:07
Re: [10702] 4大文明と津波地層
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-18.html

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369管理人:2020/01/22(水) 23:44:59
Re: [10702] 4大文明と津波地層
??史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>
>   津波の理論上の計算式は、(ご存知とは思いますが^^)
> 津波の波高hは、水路幅wに比例し、水深dの四乗根に反比例することが知られています。
>              1
>  h = w × −−−−−−−−−
>            4√ d
> 津波は港に入った波という意味で、沖合ではたいしたことがなくても、V字状の湾奥では猛威をふるいます。津波警報が出た時、船が沖合に避難するのはこのためです。わたしは、水路幅のほうはロートを水平に切った状態であり、水深は垂直に切った時を思い浮かべています。実際にはロートの中心線上からの進入か、それを外れての進入かでも違いますし、海底地形による抵抗や溢水があれば計算式より少な目になるのかな^^? そして、理由は判らないのですが岬でも高くなることが観測されています。
>
>

なるほど、こういう計算式があるんですね!


> >東日本大震災のときの津浪の数倍ある津浪が、2000年前に起ったようです。
>
> 管理人さまぁ〜 わたしはそれが分らんのですよぉ^^! 私と岩淵先生が論じる東北巨大隕石が4000年前。先さまが云われる大インパクトが2000年前。岩淵先生はアッシャー博士との話し合いで東北のそれはエンケ彗星のデブリ(破砕分体)だろうにおちついたようです。とすると、エンケ彗星の母体(本体)は、2000年周期で太陽を周回か?の疑いがあります。人々が、こっから先を紀元だとするには単なる一学者の論説ではなく、多くのひとが同意する何かの巨大インパクトがあったのではないでしょうか。ご存知のように、欧州には、巨大隕石?によるメシア願望があります。それに、海が割れたとか、ノアの方舟伝説とかもありますから、ローマあたりに巨大津波を伴うような巨大隕石があったのではと^^??? 根も葉もない妄想をしています(^-^!)



いえいえ、2000年前のは、プレート型津波です。三連動でしょう。

4000年前と4700年前のは隕石落下と睨んでいます。

あと、3700年前ごろにも、世界的な転機があります。ここにも津波地層があるのですが、ここでも隕石落下があった可能性を考えてます。



370 史実探偵: 平 素人:2020/02/04(火) 22:52:23
Re: [10702] 4大文明と津波地層
管理人さまへのお返事です。
   お返事ずいぶん遅くなりゴメンナサイ!(><)!。

> いえいえ、2000年前のは、プレート型津波です。三連動でしょう。
> 4000年前と4700年前のは隕石落下と睨んでいます。
> あと、3700年前ごろにも、世界的な転機があります。ここにも津波地層があるのですが、ここでも隕石落下があった可能性を考えてます。

 人類が「世界的な転機」を起こすには想像を絶するようなインパクトがあったのですね。先さまは、2000年前のはプレート型と推んでおられるのですね。プレート型と巨大隕石が起こす事変の大きな違いは「隕石の冬」が有るか無いかにあります。又、巨大隕石が陸部への衝突か、深さ3700mの海部への衝突かによっても、ずいぶんとその様相は変ると思います。つまり、水蒸気をあげれば早くに爆雨となって終息するし、陸部であれば成層圏へまで粉塵を舞い上げるので、その “微小の” 全てが地上に降りるまでは相応の時間がかかります。そして、火山活動を誘発するかしないかの影響もあると思います。

 わたしは、「地球の温暖化」は、CO2の増加とするのが世界のすう勢ですが、それより大きいサイクルは、巨大隕石(その規模にもよります)が舞い上げた粉塵が時間をかけてゆっくりと空気が澄んでいくからではないのかとみています。これを言葉にすれば、地球の温暖化の一番大きな原因は『濁り水(=濁り空気)の沈殿化だ!』と思っています。もちろん先さまが以前に揚げられた天体の運動も関係ありとは思いますが・・・^^!

 巨大隕石、又はプレート型地震が起こす巨大津波について、ですが、大きくは、大西洋、インド洋、太平洋の三つと考えています。津波の力は摩擦熱での消費がほとんどないから大洋ではずいぶん遠くまで運ばれます。(チリ沖津波が日本に届いた)しかし、津波の奴(力)は、ズルいから東南諸島や、中南米で邪魔されると、そこで力をそがれて大きくは越えられないのではないでしょうか??。thanks^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



371 史実探偵: 平 素人:2020/02/05(水) 14:46:41
此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000376M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000376_2M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



372 史実探偵: 平 素人:2020/02/08(土) 05:12:27
触らぬ神(暴論)に祟りなし^^?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000377M.jpg

https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-31.html



373青面金剛:2020/02/08(土) 05:15:26
Re: 此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
??机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>   出土した!あとになって「忙しかった」との言葉は聞きたくないものです^^!
>此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
> <岡山県総社市奥坂岩屋寺金堂裏斜面の均地上部斜面>
>吉備・総社市岩屋・未掘の銅鐸23個が埋めてある岩屋寺金堂とその上斜面
> その祟りがあっても、当方、一切の責任をおいかねますので、自己責任でよろしくお願いいたします。
> 埋蔵金を探し出すよりいとも簡単。あなたは、わたしの予言する所へ足を運べばいいだけだ!
> 但し、その封印を解くと、震えが止まらない程の 恐ろしい祟り(タタリ)があるかもヨ! (笑)
>  遺物が出土してからでないと動けない動かない。物証至上主義も美学だが、考古学をそんな
>   魅力のない学問にしたくない。推理好きで遊び好きの貴方の参加を是非に希望します。

>    (大量の銅鐸と銅剣の出土とその推定場所)
> <出雲> 岩倉             神庭荒神谷・西谷(さいたに)
> <吉備> 岩屋?(総社市)       黒尾地区 西谷?(にしたに)

★ 前にも指摘した様に、吉備津彦と温羅の決戦の場である、古戦場にある寺の御堂は、大勢の戦死者を追悼する為に、有る訳ですから、金堂の裏側の丘が立ち入り禁止ならば、そこは戦死者の埋葬地です。

★ 吉備津彦の温羅退治は、西暦174年後半で、吉備津彦の出雲侵入は、その約10年後の185年ですので、「出雲と同じやり方で埋めた」とする平さんの説は成り立ちません。

 吉備津彦温羅退治  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmb1527.thick.jp%2FN3-18-6urataiji.html

 古代史の復元  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmb1527.thick.jp%2Fmokuji.htm


★ Googleマップの検索欄に「岡山県 岩倉、荒神、西谷」を入れて地名検索を掛ければ、
 岡山県 吉備中央町岩倉山、倉敷市岩倉神社、井原市岩倉山神社。

 荒神は20ヶ所程も出てきます。西谷も数か所ヒットします。これらの地を一通り廻る事無しに、思い付きレベルで、勝手に決めつけた所で、全く根拠が有りません。

 更に、平さんの文中には、地元の方々を激怒させる無神経な表現が多々見られます。そんな罰当たりの説を、誰も受け継ぎたくないのは当然でしょう。


★ 考古学者のシュリーマンが、発掘に関するルールを定めていて、
『発掘候補地が、探索に危険な場所だったり、死者の埋葬地で霊障や祟りが懸念される土地である場合は、発掘提唱者の人生の枠内で収める事』があります。

 平さんは、机とパソコンの前という、安全地帯から、他人に、「危険な所に行ってくれ!墓を掘ってくれ!」と無責任に嗾けているのは、発掘のルールに反します。

 まだ軽トラックを運転できるのなら、吉備中央町の岩倉公園や三休山へ、日帰りで行って来れるのでは無いですか。
 後は、管理人さんがドローンの操縦に慣れておられる様なので、「坪背山にドローンを飛ばしてもらえませんか?」と頼むと好いかも。ドローンなら、古い坑道に落ちたり、マムシに咬まれるリスクも無いでしょうから。


374 机上探偵: 平 素人:2020/02/09(日) 00:37:37
此処に卑弥呼が埋めた大量の銅鐸23個が眠っている !!
青面金剛さまへのお返事です。
 レアなコメントありがとう御座います^^。この掲示板へ訪れるお人はたいてい「古代史掲示板」へもお出でる人だから1人/160人?ぐらいの希少価値があります^^。それを思うと有難い思いでいっぱいです。

>
> ★ 前にも指摘した様に、吉備津彦と温羅の決戦の場である、古戦場にある寺の御堂は、大勢の戦死者を追悼する為に、有る訳ですから、金堂の裏側の丘が立ち入り禁止ならば、そこは戦死者の埋葬地です。
> ★ 吉備津彦の温羅退治は、西暦174年後半で、吉備津彦の出雲侵入は、その約10年後の185年ですので、「出雲と同じやり方で埋めた」とする平さんの説は成り立ちません。
>
>  後は、管理人さんがドローンの操縦に慣れておられる様なので、「坪背山にドローンを飛ばしてもらえませんか?」と頼むと好いかも。ドローンなら、古い坑道に落ちたり、マムシに咬まれるリスクも無いでしょうから。
>

 先さまの色々なアドバイスや情報の提供は嬉しいのですが、私の元々は「南極大陸が大隕石→四千年前の東北巨大隕石→卑弥呼が埋めた大量の銅剣と銅鐸」のような現科学にないアウトレット論が売り^^ですから先さまが、専門家が、現史学からなんと云われようと「それを」ゆずる分けにはいきません。

 先さまは、拙論を「机上論」とさげすまれておられるようですが、 「中坊程度の机上論」でも解ることに “大きな意味” があります。皆さまが「何だぁ”そうだったのかぁ」と気づけばいいだけです。幾度も言いますが「これが、先さま方に伝わらないのは、その史実が無かったからではなく素人の論説法が拙いから」です。もちろん部分的には、誤りもあるとは承知しています・・・、

もとはと言えば「子ども心と遊び心」で始めたこと。卑弥呼については「十人十色」いろいろに論じるのも楽しいではありませんか。それが出土しなければガックリですが、もし出土したら・・ですよね^^?

尚、
★坪背山の「坑道排出ズリの確認」は猪ノ目茶屋跡から散策道を7分ほど登った右手の分かれ道の突き当り下斜面と推んでいますから、ドローンはいりません。ただ積雪を考えなければ、通常の注意で充分と思いますが??

★岩屋寺金堂の裏斜面の「23個銅鐸推定地」は下方に金堂が見える位置であり、この時期雪もなく、マムシはもちろん居ません。ただ散策道を外れた私有地か社有地かも知れないので、その<許可さえ>得られれば大して難しいとは思いません。但しこの時期、凍みていたり、落ち葉で滑りこけないように注意しなければなりません。(ゴメン、啓蟄すぎて道にシマヘビがぁ^^!)

 私ですかぁ^^? これからは全て成り行きで・・・、
30年あまりの広報をしてきました。それ等を受け取る受けとらないは現学や先さま方の自由! 当方少々ボケも入ってきました。わずらわしいことは嫌です。残り少ない人生。たのしまなくっちゃーね。「四国真ん中スイーツ電車」にいってきまぁす^^。

<評価の歩み>↓ どれか一つでもなれば、根ほり葉ほり調べられるのも嫌ですよね^^!

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375机上探偵: 平 素人:2020/02/11(火) 10:16:47
大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
 卑弥呼の時代、今から1700年ほど前、土地の私有化が進んでいない時、その大量の銅鐸を封印する土地を選ぶには、「どこでもいいや」という分けではなく、”何かの決まり”があるはずだ。

<銅鐸の出土>
多少のズレはあるが銅鐸がまとまっての出土は、出雲が39個、吉備の予測数(23個)、神戸14個、野洲で24個が出土している。後々ではあるが四国や淡路島、静岡?、それに北陸地方でも発見かっているようだ。
静岡での全斜面探査?以外は、何かの偶然からの出土であり、出雲岩倉では山斜面の道路新設中、野洲大岩山は新幹線施設の計画前?、神戸神岡(かむか)では住宅建設?? 時で、あり現状はとどめていない。
単品の発見でも、何かの工事中とか、鯉のぼりの竿立て穴とか、子供が持ち遊んでいたとかの発見であり、予測しての発見はまったくない。予測しての発見は史学者のゆめのようです。(笑い)

このように、何かの偶然からの現状破壊がほとんどであり、まとめての出土の場合は「山の中腹に」がわかっている。それも比較的浅い場所からと推測され、筆者は、当時の男性の平均身長を五尺余として、その埋め底を「四尺」とした。これ以上掘ると顔に土がかかり掘りずらいから(^^!)だとしました。土葬の場合もほぼこの深さであり、「四」=「死」の考えからの発生かと思います。

「山の中腹」だと聞いて、新幹線の途中下車ではあるが、野洲の銅鐸博物館、神戸の考古館?へ出向いたことがある。野洲では記憶に薄いが移転地であり峠状の道路脇だったかな。神戸では、ご親切にも地図でのコピーまで頂いたのに分からずじまい^^!。

「埋め地の方角は?」
人里から程よく離れた奥山で、片道3時間以内。これ以上かかると祀りごとをして、その日うちに帰ってこれなくなると推んだ。そして、「山の山頂からの方位は?」東西南北どこでもいいはずなのに、「どこでもいいや!」とはしていない。筆者は、それを東から東南までの間と推定した。理由は、冬至の旭光に由来しているとは前述しています。

「人里から程よく離れた所」
祖先は、人里から程よく離れた場所を「境内・けいだい」と定め、そこを冒してはならない聖域として一般の人々の立ち入りを禁止した。そこで雨乞い生け贄のための幼子を隔離して育てていたとしたのが(別紙)の「鬼ノ城・きのじょう」であった。総社市岩屋は、それよりさらに奥の「奥坂」にある。地名に「奥」の字がつけば人々の生活圏から外れていることを意味する。日本人には、戸障子はおろかロープ一本の「境界」でも、侵してはならないとする考えが潜在している。この考えは、中国の客家、欧米の鉄格子で遮る考えからは、とうてい理解できない。

総社市奥坂岩屋の「金堂」ですが
 金堂とは冬至の極光が射し「ひかり輝く」ことを意味する。全国の名ある社(やしろ)の向きが東から南までの間にあれば、あながち、この考えが当たっていないとは言えない。蛇足ながら、差し矢の風習はこのことから来ていると思っています。
岩屋寺・金堂には、この下方に真宗か真言宗の社寺らしき社屋はあるが、金堂に連なる社屋はない。そして、土壇の上に立つ建物の足が異常に高い。これは、そこに〇〇の神さまがおわすのではなくて、金堂裏の山体が重要であることを意味する。そしてこの社屋は前部の格子戸だけで周りは囲まれていた(?)、と思うが正確には思い出せない^^!。中に小さな毘沙門天の木彫が飾られていた。これは、「その射し矢=冬至の旭光=荒神さま」の御来光を阻み、この社屋の後ろに埋めた23個の銅鐸に“乗り移つらせないため”だと謎解きしました。

「お宮の前面が格子戸になっているのは何故??」
子どもの頃、このように考えたお人は、きっとあるはずだ。その子供心を思い出し、深く追求しなければ「この祖先からのメッセージ」は貴方には伝わらない。(ちょっと言葉が過ぎました^^!)このように、今の史学がその銅鐸を謎の遺物と呼び、その歴史をすっかり忘れてしまっていることが問題なのだ!。その前面を塞いでしまえば、その光神さまは入れないし、あらぬ所へ飛び散り、取り付いて悪さ(災い)をもたらすかも知れないと思ったのかな(^-^!)。
 この金堂の裏手の岩壁の下に、「溜井」のような跡があったのが気になっています。
 国土地理院・岩屋・金堂の地図を載せようと思っているのですが、手間取っています^^!

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376青面金剛:2020/02/12(水) 08:37:33
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> <銅鐸の出土>
> 多少のズレはあるが銅鐸がまとまっての出土は、出雲が39個、吉備の予測数(23個)、神戸14個、野洲で24個が出土している。後々ではあるが四国や淡路島、静岡?、それに北陸地方でも発見かっているようだ。
> 「埋め地の方角は?」
> 人里から程よく離れた奥山で、片道3時間以内。これ以上かかると祀りごとをして、その日うちに帰ってこれなくなると推んだ。筆者は、それを東から東南までの間と推定した。理由は、冬至の旭光に由来しているとは前述しています。

★  荒神谷遺跡  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.kojindani.jp%2Fiseki%2Findex.html

 銅剣358本と銅鐸6個と銅矛16本
「遺跡は『出雲国風土記』記載の出雲郡(いずものこほり)の神名火山(かんなびやま)に比定されている仏経山の北東3kmに位置する斐川町神庭(かんば)西谷にあります。銅剣が埋納されていたのは、小さな谷間の標高22mの南向きの急斜面で、昭和60年には、その時点からわずか7m離れて銅鐸(どうたく)と銅矛(どうほこ)が出土しました。」

   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.kojindani.jp%2Fpark%2Fpark.html


> 「人里から程よく離れた所」
> そこで雨乞い生け贄のための幼子を隔離して育てていたとしたのが(別紙)の「鬼ノ城・きのじょう」であった。
> 総社市奥坂岩屋の「金堂」ですが、金堂とは冬至の極光が射し「ひかり輝く」ことを意味する。
> 岩屋寺・金堂には、この下方に真宗か真言宗の社寺らしき社屋はあるが、金堂に連なる社屋はない。そして、土壇の上に立つ建物の足が異常に高い。これは、そこに〇〇の神さまがおわすのではなくて、金堂裏の山体が重要であることを意味する。中に小さな毘沙門天の木彫が飾られていた。これは、「その射し矢=冬至の旭光=荒神さま」の御来光を阻み、この社屋の後ろに埋めた23個の銅鐸に“乗り移つらせないため”だと謎解きしました。

★ 「中に小さな毘沙門天の木彫が飾られていた」事から、「お宮」では無くて、仏教の『お堂』です。銅鐸の時代に仏教は未だ渡来していません。

★ 百済の王子である温羅は、製鉄の技術で、農機具や漁具を地元に広め、豊作と豊漁を貰らした事で、地元民からの信頼を得て、地元の娘と結婚しました。

> 「お宮の前面が格子戸になっているのは何故??」

★ 「お堂」の前面が格子戸になっているのは、御供え物が、カラスやキツネなどに荒されない為。


☆ 荒神谷博物館も加茂岩倉遺跡ガイダンスも、古代出雲歴史博物館も訪れる事なしに、勝手な妄想を描いてるだけです。
 荒神谷も加茂岩倉も、近くに出雲王家の重要な祭祀の場が有りました。総社市奥坂岩屋は、出雲王家とは関係ないです。

 加茂岩倉遺跡ガイダンス
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkamo-iwakura.amebaownd.com%2Fpages%2F1404761%2Fpage_201711071032

 島根県立古代出雲歴史博物館  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izm.ed.jp%2F

 島根県立八雲立つ風土記の丘  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.yakumotatu-fudokinooka.jp%2F

 出雲弥生の森博物館
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.izumo.shimane.jp%2Fwww%2Fcontents%2F1244161923233%2Findex.html

 島根県立埋蔵文化財調査センター  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.pref.shimane.lg.jp%2Fmaizobunkazai%2F

 島根大学ミュージアム  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmuseum.shimane-u.ac.jp%2Findex.html



377机上探偵: 平 素人:2020/02/14(金) 02:06:56
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
https://kamo-iwakura.amebaownd.com/pages/1404761/page_201711071032

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378青面金剛:2020/02/15(土) 10:11:50
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 出雲の「仏教山」、吉備の「経山」、神戸に荒神山と大月荒神谷、野洲に三上山と「妙光寺山」があります。これ等の山は大量の銅鐸の出土地から<二山越えの三山の前>あたりにあります。そして、不思議なことに、直線、曲線(徒道)を問わなければ、ほぼ3km〜4kmであり。すなわち<1里 = 1離>ほど離れた場所にあります。
>  何故に仏教に由来する山名がついているのか、今だに解りませんが、四ヶ所の内三ヶ所までが<二山越えて一里離れた所>にあるのか不思議でなりませんでした。特に出雲の「仏教山」と吉備の「経山」は酷似しています。
> 出雲の仏教山を、「カンナビ山に否定する」がありますが、私は、カンナビ山の山姿は、ブログ「いずものこころ」で、その山頂は「丸くてなだらかな形をしている」と得ていたので剣山型の仏教山がカンナビ山であれば、その考えを変えなければなりません。出雲にカンナビ山は四山あり、その囲まれた中に宍道湖・中海があり、「四方の風を呼び八方の雨雲を呼び寄せ中海に慈雨を!」とも得ていました。
>  「仏教山 = カンナビ山(?)」から、妄想した^^!)のですが、仏教系の山名のまえに何か、ほかの山名(通称は何?)が付いていたのではないかと疑るようになりました^^?。
> その地元には史学で云われない「言い伝えやいわれ」があり、それ抜きでその地の歴史を論じてはならないと強く教示されています。『地元のことは地元にきけ!』

☆ 『出雲の仏教山を、「カンナビ山に比定する」』元は『神の山』『神奈備山』と呼ばれ、後の征服側が、出雲での神奈備信仰を隠蔽させるために仏経山と呼び名を変えてしまいました


> 伊奈西波岐神社に奥の院あり(勾玉・銅戈を打付けて竜の首根っこの縛り付け場所)が判明。
> タクシー運転手も避けるから(猪の目峠に隠された坑道・天岩戸あり)を確信した。

> 加茂岩倉遺跡ガイダンス <大量の銅鐸の埋めてあった場所は、>
> 狭く長い谷の最奥部である。そして奥の南側に張り出した丘陵の南東斜面に埋められていた。銅鐸出土地からの眺望はあまりよくない。
> 『狭く長い谷の最奥部南東斜面に(吉備では東向き斜面)、銅鐸出土地からの眺望はあまりよくない』多少の違いはありますが、筆者が23個の銅鐸ありと推定した岩屋の金堂の裏斜面に酷似しています。厳密にいえば金堂裏の上方斜面には南北50〜60歩の均地(なるち)があり、ここで封印のための祈祷儀式がされたと推みました。
> 『眺望はあまりよくない』が、その谷の先にある山と山との谷あいに1700年前の冬至の太陽が昇り旭光が射しこむ位置にその銅鐸が埋められていたのであれば最高ですよね。尚、その所に、光道(こうど)に類する地名や、いわれ・言い伝え、そして射り矢、入谷(いりや)に関する歴史があれば、「総社市奥坂岩屋に大量の銅鐸があり」は確定します。

☆ 『海風想』のHPに加茂岩倉遺跡の地形図に方位が示されてますが、加茂岩倉遺跡ガイダンスの建物と平行した、南南東向きの斜面に在り、「冬至の太陽が昇り旭光が射しこむ」のは、日の出からだいぶ時間が経過した、太陽の角度が可成り高く成らないと無理です。

『海風想』加茂岩倉遺跡  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkaifuusoo-575.sakura.ne.jp%2Fizumo-3-kamoiwakura.html


> 「加茂岩倉」の地名の由来はなんですか?? どこにその『岩はあるのですか?』総社市岩屋に鬼の差上げ岩と呼ばれている巨岩があるのはもちろんですが、その旭光を止める屏風岩や、山頂に重しの役目とみる大きな露岩があれば、加茂岩倉と総社市岩屋には大量の銅鐸を寝かせて(伏せて)埋めるという共通の文化があります。

☆ 同じページの下方に加茂岩倉遺跡の第一駐車場から見る岩倉の写真が有ります。また、加茂岩倉遺跡の北北東の約400メートルのに「矢櫃神社跡」があり、その奥側斜面には食いつくように大きな岩が座している。この大岩も、「磐座(いわくら)」として古くから祭祀が行われた場所であるといえる。
 うんなん旅ネット 加茂岩倉遺跡 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.unnan-kankou.jp%2Fcontents%2Fspot%2F274

☆ 『海風想』の磐富一馬氏は、同じページの更に下方で、加茂岩倉遺跡のガイダンス(資料館)に掲示されている航空写真を基に、『出雲タケルの姿』を示しています。

              西谷墳丘墓群(頭)

                            荒神谷遺跡(左腕)

         加茂岩倉遺跡(剣を腰に付ける位置)



  夜都米佐須伊豆毛多祁流賀波祁流多知都豆良佐波麻岐佐味那志爾阿波禮

 「出雲タケルさまが身につけていらっしゃる太刀。
    つる草のごとくたくさん巻き付けて、その身だしなみに感動する」(磐富一馬氏の口語訳)
  『海風想』  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkaifuusoo-575.sakura.ne.jp%2Fizumo-3-kamoiwakura.html

☆ 磐富一馬氏の説に補足するならば、右足の場所には、武内宿祢の墓が有る『神原神社』、
左足には『佐為神社(さいじんじゃ)』、右腕には『草枕山(酔ったオロチが枕に眠った山)』


               西谷墳丘墓群(頭)

   草枕山(右腕)                    荒神谷遺跡(左腕)

         加茂岩倉遺跡(剣を腰に付ける位置)


    神原神社(右足)                  佐為神社(左足)


☆ これが平さんの先祖からの伝承である「命主社と同じ様に『大の字』に埋めた」の意味では無いでしょうか。

☆ 日御碕での太陽信仰を、太陽の運行(冬至・春分・夏至・秋分)を基に分析した論文は、既出ですが、日の出日の入りの角度は、下記のブログで、

 蘇える出雲王朝  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyomiagaeru.exblog.jp%2F27467502%2F


 日御碕神社 海底遺跡
「日御碕神社の宮司さんから、経島で行われている夕日の神事が、昔は沖にある「タイワ」の瀬で行われていたという言い伝えを聞いたそうである。もし、経島ではなく、その海底遺跡で神事が行われていたのなら、夏至の沈む方位線もまた別のところに向かって引かれることになる。」


☆ 鯉喰神社は卑弥呼の墳丘墓の上に建てられて居る様ですが、足守川を挟んだ東岸が「加茂」の地で、上賀茂神社と賀茂神社が有ります。
 加茂氏は、祭祀を毎日司る役目ですので、祭祀の場に近い場所に住まねば成りません。片道3時間も掛けるのは、王家の方々が行事の時に、歩いて行ける距離です。
 吉備中央町の岩倉山の周辺には、加茂、賀茂の地名が残る事から、直ぐ近くに賀茂氏が住んでいた事が伺えます。

☆ 磐富一馬氏の『海風想』では、屏風折れの石垣は、太陽信仰の祭祀場と推察しています。

「石垣の上は大きな建物を造れるほどの広さは無く、幅は大股歩数で約10歩程度しかありません。
  方位を測ってみますと、舌状の突き出し方向は真東です。そうすると、この舌状に突き出した石垣の上から突き出し方向を見ますと、日の出地点は突き出しを中心に置いて右に左に日を振ります。
 すなわち、この高石垣は日の出を観測して農業の時期を知る、太陽信仰の祭祀場だったのではないでしょうか。どうりで豪華です。」

   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkaifuusoo-575.sakura.ne.jp%2Fkougoisi-kinojyou-1.html



379机上探偵: 平 素人:2020/02/16(日) 07:50:08
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
青面金剛さまへのお返事です。
 早速のコメント有難うございます^^。
  昨日、「四国まんなか千年ものがたり」に行きました。息子たちが呼んでくれた
スイーツ電車ですが、まるで通常を離れた別の時空に入ったような時を楽しんでまいりました。
車に弱い私、帰りの特急南風に車よいしましてパタンキューです^^!。

 一読ですが・、コメントやその情報には大変興味を^^ひく個所が目に入っています。
 しかし、今は頭が鳴りふかく考えることが出来ません。時間をください・・・。

 冬至の入光は、かなり時間がたってから・、総社でもそのような気がしていました?
 加茂岩倉から、荒神谷へ行く旧道・徒歩道がある・・☆
 文面に、岩・盤座、矢の字等々をみかける・・・・???

あとで、熟読します・・・ありがとうございました・・・後々に・・、

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entory-31.html



380机上探偵: 平 素人:2020/02/17(月) 06:59:45
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
http://kaifuusoo-575.sakura.ne.jp/izumo-3-kamoiwakura.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entory-31.html



381青面金剛:2020/02/17(月) 20:00:01
Re: 大量の銅鐸の埋め場所の決め方!?
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> しかし、射光・射的の考えは絶対に外すことは出来ないと考えています。
> 例えば、その埋め場所を低い位置に変えれば、日の出からの時間はかなり経過しますし、その位置をだんだん高くしていくと、日の出の時間に近くなってきます。
>  次に、「入光・入谷(いりや)」の考えがあります。
> 本坑と偽坑の位置の関係を知りたいと思います。
>  この話は、1700年前のはなしですから、現在は歳差により日の出の方向が72年に1度角、少しずつ時計回りにずれていますからそれを考慮しなくてはなりません。いずれにしても、先さまが強くもとめるように最後は実地検証が大切かと・・・^^!、

★ そこまで強い拘りを持っているならば、自分で直接、賀茂岩倉へ行って確認してこい!

☆ ”金鶏伝説”
 「加茂岩倉地区には、昔から「元旦の朝、初日の出が差し込む”大岩”の下に金の鶏がいて、年に一度この時だけ鳴く。その下を掘ると宝を授かる。だが、それを他人に話してはならない。」との”金鶏伝説”があった。」 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fuser.kkm.ne.jp%2Ftatetani%2Findex.html

「元旦に岩の中にいる金の鶏の鳴き声を聞いた人は幸せになるという金鶏伝説の大岩もあります。」
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.monaka-data.net%2Fdoutaku-monaka%2F


☆ 荒神谷・加茂岩倉遺跡及び『出雲国風土記』から推理する 古代出雲の測量法   吉 田??薫

「両遺跡の位置関係を知るため地図上(図-1.1)で線を引いてみると、両者 は不可分の関係にあることが一目瞭然である。まず、大黒山(315m)と高 瀬山(314m)を結ぶ線と、両遺跡を結ぶ線は直交する。さらに、大黒山と 両遺跡、高瀬山と両遺跡は等距離である。すなわち、底辺を共有する二等辺 三角形が描けるのである。 」

「ブロンズサークル??銅剣の数 358 本は年 365 日を想起させること、加茂岩倉遺跡から眺めると 荒神谷遺跡の方向は冬至の日没方向であることをヒントに、ストーンサーク ル(秋田県大湯環状列石:約 4000 年前の縄文時代後期の遺跡など)になら い、三種類の青銅器を環状に並べてみる。」

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fpeshimane.net%2Fwp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2015%2F02%2F2014-25

☆ 全国遺跡報告総覧 加茂岩倉遺跡  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsitereports.nabunken.go.jp%2Fja%2F2618

☆ 全国遺跡報告総覧 出雲神庭荒神谷遺跡  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsitereports.nabunken.go.jp%2Fja%2F13824

☆ 真幸ヶ丘公園の六角形の建物は『展望台』です。

☆ 鯉喰神社の南東の『王墓の丘史跡公園』にある真宮神社から南東へ約400m程に『岩倉神社』が有ります。倉敷市日畑203
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jinja-net.jp%2Fjinjacho-okayama2%2Fjsearch3okayama.php%3Fjinjya%3D28635

☆ 「ドローンは要りません」と言い、場所を搾り込んでいるならば、平さんが自分で行くしか有りません。 念のために、登山用品店などで売っている非常用のホイッスル(100均ショップにも探せば有るかも)と、クマ除けの鈴(マムシは金属の擦れる音を嫌うので。自治体で無料で貸し出してる場合もある)を付けて行くと好いでしょう。








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