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生長の家傍流掲示板/別板1
1
:
トキ
:2012/07/21(土) 15:25:37
このスレッドは、生長の家の「本流復活」について考える、のサブ板です。
生長の家に関連する話題なら、上記に話題に限定しないで、広く受け付けます。また
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。
投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。
*投稿に当たっての注意点
*このサイトは、「生長の家“本流宣言”掲示板」等と違い、自分の発言を自分で削除できません。
削除御希望の場合は、管理人までご一報下さい。(削除要請は、削除希望の記事を投稿したのと同じ端末から投稿をして下さい。)
*必ず、スレッドのトップにある「掲示板の使い方」をご覧下さい。
*インターネットのサイトという性質上、不特定多数の人が閲覧します。プライバシーに触れる問題
や名誉毀損の可能性のある表現などは、控えて下さい。
*サイトの運営方針としては、削除は原則としてしない方針です。他者の投稿が問題のある投稿だと感じた場合は、
「削除要請」ではなく、ご自分の意見を投稿するという方向での解決をお願いします。
*生長の家の共鳴者を対象にしたスレッドです。下品な表現や特定の人物を侮辱する言葉はご遠慮下さい。
たとえ、自分と違う意見の人でも、敬称はつけましょう。相手に対する敬意と礼儀を忘れない様に
お願い申し上げます。
*谷口雅春先生への批判は、目的外ですので、投稿をしないで下さい。
*「したらば」は長文の書き込みをした場合、一部が表現されない場合があります。その場合は、「下部左
部分」にある「全部読む」を押して下さい。
このサイトについて
*宗教法人「生長の家」、「谷口雅春先生を学ぶ会」「ときみつる会」「生長の家社会事業団」「新教育者連盟」
などの諸団体とは関係はありません。
*「ポスティング ジョイ」や「生長の家“本流宣言”掲示板」などのサイトとは一切関係がありません。
管理人からのお願い
*投稿者の身元の詮索は止めましょう。ただし、最初に簡単な自己紹介をして下さると、後のトラブル防止になります。
*「工作員」も歓迎します。同時に、特定の人を「工作員」などと議論をする事はしないで下さい。
*教団援護派、本流復活派、中間派、分裂肯定派など、どなたも歓迎します。また、相手の存在そのものを否定するような内容
の反論はしないで下さい。
*議論が感情的になった場合は、管理人がストップをかけます。その時は、協力をお願いします。
*その他、ご不明の点は、管理人である「トキ」まだお尋ね下さい。
削除について
投稿した文章を削除して欲しい場合は、削除希望の文章の番号を書いて、同じスレッドに、同じ端末
から「削除要請」と書いて、投稿して下さい。削除要請の文章も削除して欲しい場合は、其の旨も書いて
下さい。削除は、原則として、投稿者本人からの要請があるものに限ります。管理人が気がついたら、削除
しますが、深夜早朝や用事のある時は、気がつくのが遅れる場合があります。ご理解下さい。
出会い系サイト等のリンク、明らかに目的外の投稿、犯罪を予告する書き込み等以外は、削除はしません。
それ以外で、問題となりうる投稿は、原則として、相談の上で、削除します。
その他、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。
管理人「トキ」 敬白
224
:
初心者
:2012/09/25(火) 23:09:54
役行者様
いくら生長の家でも、人間が外の世界をそのまま見ているとは考えていないで
ありましょうね。そのままでないとすれば、なにをどうやって見ているのかという
ことが問題になります。
この問いかけにたいして、役行者は「無意識」ということをいっておられますが、
ようする世界とは脳内における現象、あるいはさらに深奥で起きている現象という
ことになるはずであります。
外の世界と見えていたものが、じっさいは内にあったということです。貧・病・争の
苦難に満ちた世界は、外にではなく内にあったということです。不完全と見えて
いた世界もまた内にあったということであります。
外の世界は、貧・病・争の苦難に満ち世界とはちがっているでありましょう。貧・病・争
は、あくまでも脳内でつくられた概念でしかありません。外にはない現象でありま
す。
外の世界はまた、不完全とも完全とも、どちらとも決めかねるような世界でありま
しょう。完全、不完全は脳内でつくられた概念にすぎないからであります。「如来」と
いう言葉がありますが、外の世界はまるで「如」という文字が示すがごとく、人間に
はわけのわからない世界ということになるでありましょう。
このような世界をどのように表現すればよいのでしょう。外の世界もまた「現象は
ない」と否定しなければならない世界なのでありましょうか。
225
:
役行者
:2012/09/26(水) 09:56:03
初心者さま
難題な領域に入ってきました、エンパシーということで総裁先生は表現されていると思うのですが、ちょっと弱いので持論の考察を述べます。
そのままとは、生長の家では、実相と読むことがあります。
例えばある方の脳の右脳が開発され、左脳との繋がりか深まり、つまり、潜在意識のその奥のアラヤシキと云われる深層意識の心が現象世界に顕れているとしましょう。
その方の意識も観るもの聴くもの歓喜あふれる極楽浄土であるはずです。
果たしてそうなのでしょうか、その方はそのままの世界を観ているはずです、それは外に展開されている奥の実相を観てのことなのではないでしょうか。
確かに、オノオノ一人ひとりの世界は、個別に現象世界に顕現してます。
しかしその意識は、過去から積み上げたもの、今
一人ひとりが蘊蓄しているもの、すべて人類共通の意識の中にプログラミングされております。
つまり、地球そのものの生命体として、人類の意識があり、それが業となり現象世界に展開されていると思うのです。
我々は外を見ているようで内を観てます、その方の意識のあり方次第で、地球そのものの業を外界に観ている可能性もあります。
どんなに山奥に籠もろうが、人類の業からは免れることができないと、釈迦・イエスの半生を観てもそうおもいます。
ですから、地球という生命体そのものも、内なる人類の意識で織りなされている世界なのではないでしょうか。
地球そのものも、如く来る存在なのではないでしょうか。
すべて、意識・業の展開されている世界なのですから、現象はない!と云っても過言ではないと思われます。
初心者さまが述べておられるホログラムの世界は、オノオノの世界から宇宙大の世界まで展開されているとききます。
ホログラムとは、人類の意識の集合体的要素もあるのではないでしょうか。
このホログラムにより、より深くこの人類の構造が解明されてゆくと思います。
このことで、宗教界にも斬新な構造改革が展開されることを期待してます。
226
:
初心者
:2012/09/26(水) 12:17:00
役行者様
世界をホログラムととらえれば、究極的には「内も外もない」ということになる
はずでありますが、このあたりの領域に入っていきますと、わたしにも理解でき
ていないことが多々あり、議論が立ち行かなくなる可能性があります(たとえば、
脳はホログラムの装置そのものなのか、それともホログラムによって映し出され
た映像なのかというような問題に入っていかなければならなくなると存じます)。
それでここでは、内と外を区別して考えることにいたします。
その「内」とは何かといえば、それは脳内につくられた映像的世界です。では「外」
とは何かといえば、それは「情報の世界」とするのがもっともわかりやすい考え
方になるかと存じます。
映像的世界とはイメージ化された世界です。つまりそこには、具体的な形をした
世界が展開されているということです。これにたいして、情報の世界はイメージ化
された世界ではない、と考えられます。つまり、情報的世界には具体的な形という
ものが「ない」ということであります。
この形のない世界から、具体的な形をもった世界をつくり出すのが脳のはたらきで
あると考えられます。これがどのような仕組みかといえば、情報的世界に内蔵され
た膨大な情報から必要な情報が引きだされ、その情報をもとに具体的な形をした
イメージ的世界がつくり出されている、というような仕組みであると考えられます。
ここで役行者様が述べておられる
>確かに、オノオノ一人ひとりの世界は、個別に現象世界に顕現してます。
しかしその意識は、過去から積み上げたもの、今
一人ひとりが蘊蓄しているもの、すべて人類共通の意識の中にプログラミングされております。
との考え方が必要になってくるものと考えます。情報的世界からどの情報を引き
出すべきか、その情報をもとにどのようなイメージをつくり出すべきか、これは
各人が勝手にやれることではなく、人類共通のプログラミングのようなものが
仕込まれていると考えるのが自然ということになりそうです(そうでなければ、
脳内の世界は人によってそれぞれ異なったものになってしまうはずです)。
ですから、この意味では、
>つまり、地球そのものの生命体として、人類の意識があり、それが業となり現象世界に展開されていると思うのです。
我々は外を見ているようで内を観てます、その方の意識のあり方次第で、地球そのものの業を外界に観ている可能性もあります。
どんなに山奥に籠もろうが、人類の業からは免れることができないと、釈迦・イエスの半生を観てもそうおもいます。
との考え方が出てくるのは、わたしとしても理解できるところであります。
問題は以下のお考えです。
>ですから、地球という生命体そのものも、内なる人類の意識で織りなされている世界なのではないでしょうか。
地球そのものも、如く来る存在なのではないでしょうか。
すべて、意識・業の展開されている世界なのですから、現象はない!と云っても過言ではないと思われます。
わたしの以上の説明でいえるのは、人類の共通プログラミングによってなされて
いるのは、情報的世界から必要な情報を読み取ることと、読み取った情報にもと
づいて、脳内に映像的世界をつくり出すことのふたつであります。
このことからいえるのは、人類の共通プログラミングは、外の世界である情報的
世界にはいかなる変更もあたえていないということであります。共通プログラミン
グは、たんに情報的世界から情報を読み取るだけですから、情報的世界に影響を
あたえて情報的世界に内蔵された情報を書き換えるということは「ない」という
ことがわかるはずであります。
以上のことから、情報的世界は人類意識によっていかなる影響も受けることはな
く、したがって「意識・業が展開する世界」でもないということがわかります。情報的
世界にかぎれば「現象はない」とはいえないということでもあります。ホログラム
宇宙論が正しければ、こうした結論になるかと存じます。
227
:
役行者
:2012/09/26(水) 14:18:00
初心者さま
ホログラム装置を情報的世界 とし、ホログラム映像を、脳内の映像的世界とします。
ホログラム装置にプログラミングされている無限数の情報のなかから引き出し、脳内に映像的世界を映し出すのは、それぞれ当人の力量であると思います。それがマイナス的映像であろうと、ポジティブな映像であろうと、自動装置的に機能しようと、セレクトした本人の責任であると思うのです。そこに人間の自由が与えられている思います。
一方、このホログラム装置なのですが、人類のあるゆる情報がここに埋蔵されていると思うのです。その中には、勿論、たとえば、日本的民族意識などもふくまれているのですよね。でなければ日本人共通の感情が生まれません。
ということを踏まえ、
>情報的世界に影響をあたえて情報的世界に内蔵された情報を書き換えるということは「ない」ということがわかるはずであります。<
だとすれば、人類の共通プログラミングは、どのように形成されるのでしょうか?
私は、心理学の云う、潜在意識の世界とこのホログラム装置とは深い関係にあると思うのですが・・・
228
:
役行者
:2012/09/26(水) 14:56:56
初心者様
余計なお世話かもしれませんが、
お忙しそうなのでゆっくりで構いません(笑)。
229
:
初心者
:2012/09/26(水) 21:01:11
役行者様
お気づかい、ありがとうございます。
>だとすれば、人類の共通プログラミングは、どのように形成されるのでしょうか?
するどいツッコミであります。役行者様のツッコミによって、これまで幾度となく
苦境に立たされてまいりましたが、またしても苦境であります。安易に共通プログ
ラミングを認めてしまったために、やっかいな問題に直面させられております。
いきなり本質的な問題に入らなければならなくなってしまいました。まずは
情報的世界とは流体的世界のことですが、これは、役行者様がいっておられる
ように、ホログラム装置それじたいと考えることができそうですね(さすがです)。
この流体的世界が世界の本質であると考えられるということです。世界が流体だ
ということは、脳も肉体も流体ということになります。脳や肉体だけでなく、すべて
の物質が、その本質は流体ということになります。
では固体として見えている世界とはなにかというと、流体である脳によってつくら
れた世界ということになるはずです。そうすると世界は、流体的世界と固体的世界
の2重構造になっているということがいえるということですね。心はどうかという
と、これも流体である脳によってつくりだされたものということになります。
これがなにを意味しているかというと、脳のなかに宇宙があるということなので
す。もちろんそれは固体としての宇宙です。この見えている全宇宙は、流体として
の脳のなかに構築された「固体の宇宙」であるということなのですね。
もちろん、宇宙には固体としての脳もあります。この脳もまた流体としての脳に
よってつくりだされたものです。ですからここでいいたいのは、この見えている
宇宙は、固体としての脳のなかにあるのではなく、流体としての脳のなかにある
ということです。
これが意味するところは、あまりにもSF的であります。わたしたちは脳のなかで
暮らしているということなのですから。もちろん、ここでいう脳とは、流体としての
脳です。わたしたちは、流体としての脳によってつくりだされたホログラム映像で
あるということなのです。
ということはですね、流体としての脳は本物の脳であるということです。本物の
宇宙にある本物の脳ということになります。
人類意識も民族意識も、本物の脳のなかにあります。本物の脳は、宇宙に存在する
すべてのものをつくりだしています。ですから、人類意識も民族意識も、すべてが
本物の脳によってつくりだされているということがいえます。
ラテン系の民族意識もアフリカ系の民族意識も、本物の脳がつくりだしたもので
す。わたしたち日本人の固体の脳は、そのなかの日本的民族意識を体験している
ということです。
本物の脳のなかに固体の脳があり、この脳が固体的世界を認識している。これも
また真実ということになるでありましょう。こうした仕組みにプログラミングが
必要なのかていえば、それははっきり申し上げて、よくわかりません。
以上、役行者様のお力添えによりまして、本物の宇宙発見時とどうよう、たとえ
苦しまぎれとはいえ、新たな宇宙像の構築に成功いたしました。
この見せかけの宇宙が、本物の宇宙にある本物の脳によってつくられていると
すれば、見せかけの宇宙が不完全であるがゆえに、不完全な宇宙をつくりだした
本物の脳も不完全であり、したがって本物の脳も現象だということはできるかも
しれません(ここまでいいますか?)。
いずれにしましても、以上の考えは暫定的なものとお考えください。
230
:
役行者
:2012/09/28(金) 14:12:27
初心者さま
すみません、所用があって遅れました。
早速ですが、確かに脳は精密、緻密で解明不可能なほどの高度の情報的世界であると思います。そこから神秘なる世界を明らかにしてゆくというのは斬新な発想だと思います。
きっと、そこに神が創造され情報的世界の一端を見ることが可能かと確かに思います。
さて、流体としての脳(ホログラム装置)によって形造られたのが私たちを含める地球上の森羅万象であると初心者さまは説いていると思います。
ですから、個体的脳も流動体的脳(ホログラム装置)によって造られた、ということでしょう。
>この見えている宇宙は、固体としての脳のなかにあるのではなく、流体としての脳のなかにあるということです。<
>流体としての脳は本物の脳であるということです。本物の
宇宙にある本物の脳ということになります。<
>人類意識も民族意識も、本物の脳のなかにあります。本物の脳は、宇宙に存在する
すべてのものをつくりだしています。ですから、人類意識も民族意識も、すべてが
本物の脳によってつくりだされているということがいえます。<
初心者さまはきっと心理学の世界にも精通されていることであろうと、前提の上で、話を進めさせていただこます。
本物の脳である情報的世界と、心理学で云う、潜在意識の世界との関連性を探ると何かヒントがあるような気がするのです。この潜在意識の世界は帰納法的に存在を確かめられたと伺っています。そのように消極的に発見された世界は、実は、流動体的なホログラム装置の世界と深い関連性があるのではないかと仮説を立てるとどうなるのでしょうか・・・
そうすると、あくまでも仮説なのですが、宇宙の創成の時はもちろん、一方的に
>流体としての脳です。わたしたちは、流体としての脳によってつくりだされたホログラム映像であるということなのです。<
というように、流体としての脳からのホログラム映像で流体からの影響しか受けないかも知れませんが、個体的脳が誕生し数十億年が経った今、個体的脳から流体的脳への影響もあるのではないかと思うのですがどうでしょうか?
ご検討の程、お願いいたします。
>この見せかけの宇宙が、本物の宇宙にある本物の脳によってつくられていると
すれば、見せかけの宇宙が不完全であるがゆえに、不完全な宇宙をつくりだした
本物の脳も不完全であり、したがって本物の脳も現象だということはできるかも
しれません(ここまでいいますか?)。<
分かります。理がとおっています。
231
:
うめ
:2012/09/29(土) 07:16:00
初心者様
新しい視点に新鮮さを感じて読ませていただいています。
>人類意識も民族意識も、本物の脳のなかにあります。本物の脳は、宇宙に存在する
すべてのものをつくりだしています。ですから、人類意識も民族意識も、すべてが
本物の脳によってつくりだされているということがいえます。<
とすれば、本物の脳こそ すべての根源ということですか
232
:
「訊け」管理人
:2012/09/29(土) 10:40:11
1557 :「訊け」(初心者さまへ):2012/09/29(土) 08:06:22 ID:???
>>1541
初心者さま
こんにちは。昨日キャバ嬢から「(心底)キャバ好きね」と言われてしまった、「訊け」管理人です。・・・(中略)・・・酔いが醒めませんが、以下の問いに対してご返信致します。
>>ここで質問です。個人精神はどのようにしてつくられているのでしょうか。超個人精神が個人精神をつくりだしたということなのでしょうか。また個人精神は、映像世界を体験するためにつくりだされたと考えてよいのでしょうか。ご説明いただければとおもいます。<<
この質問ご趣旨は、「生長の家ではどう教えられているのか」というものだと、解釈します。そこで私のブログから関連記事を転写致します。
ところで貴殿が仰られた語、「個人精神」ですが、この意味が判然と致しません。語義ですが、この「個人精神」とは(生長の家で言うところの)「仮相」「迷い」「虚相」のことを指すのでありましょうか。
もしもこの語をこう定義頂けるならば、以下二点ほど、興味深い文をご紹介可能かと思います。「完全である神の分身」――少なくとも生長の家ではこう、我々を定義します。そして「それではなぜ?」という疑問が出て来るわけですが、「完全であるはずの我々が、なぜ迷うのか」と。
雅春先生曰く「〝迷いは何処から来たのか〟 というのは仏教でも重大な設問になって」おります。そして、「〝迷い〟本来無し」と一刀両断に絶ち切る解答は、従来からあるわけですが、それでも、「では、その本来無き迷いが、どうしてあるかの如くあらわれて来るのか」という設問が残ります。
この問いに雅春先生は、どうご解説になっておられるでしょうか。回答は以下であります。
○『神 真理を告げ給う』より
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1349
また関連情報としまして、以下もご紹介致します。ブログ記事にしようとして、断念したものなのですがここで、紹介致します。なお、一見されますとこの御文章ですが、「霊や輪廻転生関連?」というものに、なろうかと思います。ですが、精読くだされば貴殿ご提示の問いに関連することが、お分かりになると思います。
同御文章にて雅春先生は、熱心な信徒からこんな問いを受けられます――「先生、結局のところ我々の意識も〝現象〟ですよね?」と。
さて、この熱心な信徒さんに対して雅春先生は、いかにご回答あそばされておられるでしょうか。
○ 『實相研鑽一』より(分割掲示)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1350
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1351
233
:
「訊け」管理人
:2012/09/29(土) 10:40:50
>>初心者さま
>> 70億の不一致 <<
それに関しては、聖典板謹写にあります。雅春先生はこのようにご解説、されておられます。
>>1351
(聖典板)より
◇実相は具体的なもの
谷口雅春:そんなことない、そんなことないですよ。実相の中に〝個生命〟があるんだ、だからあんたの考えは前提が違うんだ。実相といったらズンベラ棒で、目も鼻も何もなしに、空気みたいなエーテルみたいなものだというんじゃないんですよ。実相の中には〝実の相(すがた)〟があるから実相と言うんで〝空〟じゃないんだ。あんたは〝空〟みたいな実相を考えているが、そんなズンベラ棒な意味じゃない、現象よりもっと具体的なものがあるんです。それが実相です。その具体的なもの――実相が、縦、横、厚みの現象世界へ映って出ているので、それはちょうど、テレビ・スタジオの(実物の)テレビのスターがテレビ・セットへ映って出ているように、生まれ変わっているのであって、テレビ・スターがいつもテレビ・スタジオの中におるのと同じように、いつも個生命が実相の世界の中におるのです。
234
:
初心者
:2012/09/29(土) 11:04:58
うめ様
>とすれば、本物の脳こそ すべての根源ということですか
宇宙の仕組みはそれほど単純ではないとおもいます。
ここでは、本物の脳がすべての根源であるかどうかというよりも、まずは
本物の脳がどのようにして世界をつくり出しているのか、その仕組みに
ついて、想像力を働かせつつ考えてみるというのが、まずは必要なことだ
と考えています。
ただし、個人の意識が経験している世界にかぎれば、本物の脳が根源で
あるはずです。
235
:
初心者
:2012/09/29(土) 11:07:38
訊け様
実相のなかに個があるするとすれば、一切者である全からこの個はどのように
して生じたのでありましょうか。
236
:
初心者
:2012/09/29(土) 11:10:17
訊け様
不一致を生じさせる仕組み。この仕組みを問うております。
237
:
初心者
:2012/09/29(土) 11:29:39
役行者様
本物の宇宙の本物の地球には、70億の本物の人類が住んでいて、そこには70億の
本物の脳があります。この70億の本物の脳が、70億の現象宇宙をホログラム映像
としてつくり出しています(本物の宇宙は平面です)。
個人が経験している宇宙とは、70億のなかの1つの現象宇宙です。役行者様と
わたしは、じっさいには異なったホログラム宇宙を経験しています。その異なった
ホログラム宇宙を同一のものとして経験できるのは、「部分に全体と等しい
情報がある」というホログラムの仕組みによってです。役行者様とわたしは、
「等しい情報」から、それぞれのホログラム宇宙をつくり出しているということに
なるはずです。
238
:
初心者
:2012/09/29(土) 11:52:47
役行者様
70億のホログラム宇宙が「等しい情報」からつくり出されているとすれば、
自と他とは等しき存在ということになるはずです。じっさいには、自と他の
あいだの不一致があります。このような不一致がどうして生じるのか、
これを訊け様とのあいだで問題にしております。
「迷い」を不一致の原因にすることはできません。「迷い」は結果であって、
原因ではないからです。
239
:
初心者
:2012/09/29(土) 12:32:16
訊け様
個が迷いを生じさせているのではなく、迷いが個を生じさせている、という
ことなのでしょうか。
であれば、迷いは個が生じさせたものではないということになりますね。
「迷い」と呼ばれているものの正体とはなんなのでしょう。
240
:
「訊け」管理人
:2012/09/29(土) 13:21:28
うーん、少々お時間を頂戴できますか?現在、難しい資料を作成中でして。
午前中、光明さんと遊び過ぎたツケが・・・
拝
241
:
「訊け」管理人
:2012/09/29(土) 14:31:43
うーん、今少々時間が出来ました。それで初心者さまのご提示論点に関して
ブログ記事を巡回しております。ですが・・・・
うーん、スマッシュヒットなご文章が、どうも見当たりませんね。
ですのでもう少し、時間をくださいませ。
拝
242
:
初心者
:2012/09/29(土) 14:35:52
訊け様
お仕事ちゅうにお手数をおかけして申し訳ありません。ゆるりといきましょう。
243
:
「訊け」管理人
:2012/09/29(土) 14:47:55
>初心者さま
たぶん、こういうことだと思います。雅春先生のご解説で行けばその、「個」(物質)ですけれども、
◇ 五官(仮相)から観れば「個」(物質)と映る。
◇ 実相から言えば「個」とは「すべて神性(仏性)」
ということです。
と、言う事でその「迷いの起源」にテーマを移しますと、あくまでも「五官から」観れば迷いとは、「個が生じさせた」になりましょう。でもしかし、一方の実相から言えば「迷いなし」ということに、なります。
それでは「じゃあ」ってことになりますよね?(^^)「じゃあ、個はどこから生じたのよ?」という・・・・
その辺をスッキリ説明してくれた御文章、どこかにあったはずなんですがね・・・少々探索させてください。
拝
244
:
「訊け」管理人
:2012/09/29(土) 14:49:46
>>お仕事ちゅうにお手数をおかけして申し訳ありません。ゆるりといきましょう。<<
ああ、助かります。
なお、本流勢との対戦はどうも「お流れ」のようですね。ですのでこれも、助かります(笑)
拝
245
:
初心者
:2012/09/29(土) 15:07:07
訊け様
>それでは「じゃあ」ってことになりますよね?(^^)「じゃあ、個はどこから生じたのよ?」という・・・・
そうです。「個とはすべて神性」という話ではなく、ほんらいひとつであるはずの
神性が個として体験される仕組みをお聞きしております。
246
:
「訊け」管理人
:2012/09/29(土) 15:19:27
>>245
ああ、なるほど。それでは『実相研鑽一』(聖典板に謹写したもの)のつづきを
入手する必要が、ありそうです。
あの本は既に、返却してしまったのです・・・・。
追伸
まあ無論、入手前であれレス致します。他の各種聖典をあたってみます。
でも(『実相研鑽一』以外の聖典で)「神性が個として」ある趣旨の記述、少なくとも記憶にないんですよねえ・・・
さて、どうしたものか。
247
:
初心者
:2012/09/29(土) 15:31:40
訊け様
世界が個の意識によってつくり出された映像だとすれば「知覚の一致」が説明
できないと雅春先生は説明しておられますが、ホログラムの「部分には全体と
等しい情報がある」とする考え方でいけば、世界がたとえ個の意識によって
つくられた映像であったとしても「知覚の一致」は説明できるのではないでしょう
か。あとの問題は「個とはなにか」ということになるはずです。
以上のような「知覚の一致」の問題を、訊け様はいかがお考えになられますでしょうか。
248
:
「訊け」管理人
:2012/09/29(土) 15:34:44
>>ホログラムの「部分には全体と等しい情報がある」とする考え方でいけば、<<
うーん・・・この部分が自分の頭では、追いついていかないですね。
これ、以前に貴殿が投稿されておられましたけども、あの時も意味がさっぱり解りません
でした。うーん・・・・もう少し、初心者さまの投稿を拝読します。
拝
249
:
「訊け」管理人
:2012/09/29(土) 15:52:21
>さくらマネ
ねえ、さくら。
上記の件解説して・・・・
拝
250
:
初心者
:2012/09/29(土) 16:10:20
訊け様
わたしにだってホログラムの原理や仕組みはわかりません。ただひとつ
いえるのは、ホログラフィー装置というものが現実に存在し、それが立体
映像をつくりだしているということです。
ホログラフィー装置は、立体映像のもとになる情報が収められたフィルムを
小さく切り刻んだとしても、その小片から元の完全な立体映像が再生できる
というのが、その特長でもあるようです。
小さく切り刻んだフィルムから元の立体映像が再生できるということは、
小さな部分にも、再生に必要とされるすべての情報がふくまれていると
いうことを意味します。
ホログラムの仕組みの発見はノーベル賞に値するものであったようですから、
素人にたやすくわかるものではないのでしょうけども、「部分に全体と等しき
情報がふくまれている」というのが、ホログラフィー装置の驚異的な特徴で
あるのは、どうやら間違いなさそうです。
ホログラフィー装置が現実に存在するということからいえるのは、部分が
全体と等しき情報を持つことは可能であるということです。
251
:
役行者
:2012/09/29(土) 16:29:19
初心者様
また、訊けさあも、参考にしてください。
>70億のホログラム宇宙が「等しい情報」からつくり出されているとすれば、
自と他とは等しき存在ということになるはずです。じっさいには、自と他の
あいだの不一致があります。このような不一致がどうして生じるのか、
これを訊け様とのあいだで問題にしております。<
認知の不協和が、なぜ生じるか?ということにも繋がりますね。
私のキャパで考えながら、応えてゆきます、まとまりつかないでしょうが、ご了承のほど。
まず、父母未生以前の自分がいます、そのことを哲学で云えば、アプリオリ、つまり先天性ですよね。
今生で自分が経験する前にすでに知っていたこと、ですよね。
これと、後天的に経験による知をまず、分けなければならないかと思います。
正直、区切り目が難しいですがざっくりと分けます、先天的にプログラミングさせている情報的世界は人類共通の情報のみと仮定します。
流動的情報的世界から70億の人類共通の意識だけが受け継がれるとします、ならば生まれたばかりの赤ちゃんは、だれもが平等に認知できるはずです。
その後、後天的な認知が始まります。いまトピックスの領土問題の例を挙げ説明します。
韓国では、幼少の頃から竹島は韓国の領土であるという徹底した認知教育を受けます。
これは後天的なものでしょう、つまりこのような韓国の民族意識のホログラム装置(情報的世界)は個に属するのか、先天的な情報に属するのか?
となると、どちらとも言えないと思うのです。これは、後天的部分的情報世界に属するのではないでしょうか。少なくとも日本人にはこの感情は理会できないでしょう。
民族問題だけでなく、個に関することでも、後天的に無限数の情報を経験によりプログラミングされます、個の脳内にオリジナルの映像的世界を映し出されるのは、それぞれ当人がプログラミングした、また、させられた情報的世界からによることが多くなるからではないでしょうか。
それがマイナス的映像であろうと、ポジティブな映像であろうと、自動装置的に機能しようと、また、人類共通の情報世界から得た映像であろうと、セレクトした本人の責任によると思うのです。つまり、認知の不一致が生じるのは、自由を与えられているため、後天的な固有な情報的世界から得た映像だからだと思います。
もちろん、仮説から導いています。
252
:
「訊け」管理人
:2012/09/29(土) 16:29:29
少々余談をお許しください。
本日は初心者さまとのやり取りが無かったならば、非常に不機嫌な一日に
なりそうでありました(笑)いやー、久しぶりに心底、呆れております。
「悪本来なし」なのですが現在、ニセ者の自分が主導権を握っており・・・
(中略)・・・「ヘタレのクセに」な方が年長者だったりすると、もう、脱力
する他ありませんね。まあこっちは部外者(アーンド若輩者)・・・なにを言って
も論点をスライドされ、最後には人格批判(しかも創作)・・・
追伸
ああこの文章、また大量コピペされるんだろうな、と(笑)
拝
253
:
熊
:2012/09/29(土) 19:30:52
居説に排除です!NEW (1995)
日時:2012年09月29日 (土) 04時53分
名前:光明
管理人様の日々運営及びご苦労ぶりに熱く御礼申し上げます!
虚説を許してはなりませんから、ですから一連の件は管理人様のご決断を支持するものです。
分かる人には分かります。
某掲示板がなんだか騒いでまして「批判」「批判」批判・・・・教団に失望している人が失望させてはなりませんよね。
ごまんといる良識派
今こそ結集!!!
この管理人様のもとで
熱い発言を期待1!!
254
:
トキ
:2012/09/29(土) 19:47:02
「居説」ですか・・・・・(笑)
255
:
さくら
:2012/09/30(日) 00:19:07
>>249
訊け監督
初心者様
役行者様
すみません、お邪魔いたしまして。
役行者さまにおかれましては、久しくご無沙汰でございました。
すべてをじっくりと理解できたとはいえないので、流れを遮ったらごめんなさい、、
ホログラムとか本物の宇宙論、それが生長の家の教えと関連してどういう展開になるのか、興味深いですね。
訊け監督。
・・文章をよんでなかなか頭にはいりませんでしたが、笑、、
ホログラムのシステムですが、単純化してしか理解してないのですけど
・・これが、「部分には全体と等しい情報がある」とする考え方ということですね。
ホログラフィー装置というのは、初心者様がおっしゃったように、
平面のフィルムの板に書き込まれている情報から、立体映像をつくる光学装置のようです。
そのフィルムの表面は情報の渦のような縞模様になっているのですが、・・まあ、わたしもよくわからないのですが、数学的なフーリエ変換とかによって、どこを切り取っても部分には、全体と同じ情報が含まれる状態になっているということみたいです。
たとえば、大きな一枚のフィルムに、りんごの情報を映し出すためのレーザーを当てると、りんご全体の映像が映る。
そのフィルムをどんなに小さく切り取っても、やはり、りんご全体の映像が映し出される。
・・つまりそのフィルムにおいて、部分と全体の情報量は等しく含まれている、そういえるのが、ホログラフィーのシステムのようです・。
プリブラムという科学者が、この装置から、脳のホログラフィー理論を唱えていて、
初心者様は、そのことを使って、ほんものの宇宙を表現し説明されておられるようですね。
人間の脳、だけでなく、宇宙全体がホログラフィーの仕組みになっている、と考えられるのではないかとおもいます。
256
:
さくら
:2012/09/30(日) 00:20:14
・・イメージとしては、まるでいりこのように、どこを切り取っても、この世のすべてのものは宇宙全体の情報を等しくもっているということになるのではないかな、とおもいますが・・。
ひとつの花の中にも、一人の人間の中にも、等しく宇宙全体の情報が本来潜在的に持っていて、
ただ形や表れが違うのは、それぞれいふさわしい波動に共鳴した映像をうつしている、という感じでしょうか。
その仕組みがホログラムで、部分と全体は等しい、という理論になったのではないかとおもうのですが・・。そうでしょうか、初心者様?
わたしがイメージしたのは、マンダラです。
南方熊楠が、生命のシステムとか宇宙のシステムの複雑な仕組みを探っていくうちに、
マンダラにたどり着くんですけど、これが、このホログラフィーの仕組みにとても共通のイメージがあるとかんじました。
曼荼羅は、平面に書かれているのですけど、いりこのように多重構造になっていて・
まず中心があって全体としてひとつのまとまった世界ができていますが、その周りに小さく描かれたひとつひとつの絵もまた、完成されたひとつの世界ができていて・・
全体と部分がおなじ情報量・というか、世界観をもってることが描かれているようなのですね?
宗教的に、宇宙原理のブラフマンと個人本体アートマンの合一とか、
梵我一如といわれる世界観とは、こういうことをいうのでしょうか。
ホログラフィー理論や、悟りの世界を描いたマンダラや、雅春先生の説かれた実相哲学、、・・科学的なDブレーンの仕組みなどが、つながるものがあれば、面白いですけどね。
257
:
初心者
:2012/09/30(日) 08:06:34
役行者様
>本物の脳である情報的世界と、心理学で云う、潜在意識の世界との関連性を探ると何かヒントがあるような気がするのです。この潜在意識の世界は帰納法的に存在を確かめられたと伺っています。そのように消極的に発見された世界は、実は、流動体的なホログラム装置の世界と深い関連性があるのではないかと仮説を立てるとどうなるのでしょうか・・・
以前、役行者様は、「本物の宇宙にアラヤ識がある」と、たしかこのようなことを
おっしゃられました。これについて考えてみましたが、おそらく役行者様は正しい
ことをいっておられるという気がしてまいりました。
問題を複雑にしているのは、本物の脳と映像としての「この世の脳」の2つの脳に
ついて考える必要があるからだとおもいます。これらを混同すると、まったく理解
不能の世界像があらわれてまいりますね。
これらの混乱を解消して、納得のいく世界像を構築しようとするなら、本物の脳に
アラヤ識があると考えたほうがよいような気がしてまいりました。
「無意識は言語のように構造化されている」といったのはジャック・ラカンですが、
これを、本物の宇宙には「本物の言語」があり、無意識は、この世の言語とは文法が
異なった本物の言語のように構造化されている、との意味でとらえることもできそ
うです。このあたり、真実をさぐる手がかりがありそうな気がいたします。
>それがマイナス的映像であろうと、ポジティブな映像であろうと、自動装置的に機能しようと、また、人類共通の情報世界から得た映像であろうと、セレクトした本人の責任によると思うのです。つまり、認知の不一致が生じるのは、自由を与えられているため、後天的な固有な情報的世界から得た映像だからだと思います。
「後天的」な問題を扱うとすれば、どうしてもソシュールやラカンに言及しなければ
ならなくなるような気がいたします。もちろん、ソシュールにしても、「この世の脳」
だけに関連させて考えるのではなく、本物の脳の問題としても考える必要があり
そうです。
「認知の不一致」の問題はやはり構造的に考えなくてはならないのでしょうね。
相当にやっかいなことになりそうな気がいたします。
258
:
初心者
:2012/09/30(日) 08:58:04
さくらちゃんへ
マンダラのたとえはわかりやすいですね。マンダラはこの世の真理を図案化して
説明しようとしたものだともいわれているようですが、わたしは、マンダラは本物
の宇宙のホログラフィックな原理を説明しているのではないかと考えます。
中心があって、部分としての周辺があって、それがまた全体を形づくっている。
こうした「フラクタルな構造」ともいえる複雑な図案によって、「部分と全体は等し
い」とする本物の宇宙の仕組みを語ろうとしたものではないかと想像しています。
昔の人は、おそらく気づいていたのでしょうね。ただ言葉では説明できないので、
マンダラで説明するしかなったのでしょう(今でも言葉で説明し尽くすのは無理
だとおもいますが)。
マンダラが、平面である本物の宇宙を説明しようとしたものであるとすれば、
これは生長の家でいう「ヨコの真理」を説明したものであるといえそうです。では、
「タテの真理」を語るものはなにかといえば、これが以前こちらでも書いたこと
がある、チベット仏教の「キルコル」と呼ばれるマンダラなのですね。
チベット仏教のキルコルは、神の波動の降下を説明したものだといえそうです。
神の波動がどのような仕組みで本物の宇宙にまで降下してくるのか、その仕組み
を図案化することで説明したのがキルコルであるはずなのですね。
降下の仕組みは、物理学者のデイヴィッド・ボームが、「直観知性の領域」、「純粋
可能性の領域」、「内臓秩序の領域」の3層構造で科学的に説明しているということ
はこれまでにも述べてきたことですが、この3増構造の仕組みを、おなじように
語ったのがチベットのキルコルと考えられるのです。
ボームの考え方でいえば、3層構造のいちばん下に位置する「内臓秩序の領域」が
本物の宇宙といえそうですが、キルコルの思想ではこれをニルマナカーヤと呼ん
でいるようです。ニルマナカーヤに、意識の元型であるアラヤ識がある。これが
キルコルの思想のようです。
役行者様はなかなかに鋭いことをいっておられますが、もしかしたら、過去に
チベットの修行僧の時代があったのかもしれませんね。そういえば、吉本ばなな
もチベットでの修行が長かったといわれているようです。役行者様とはお知り合い
の仲なのでしょうか。
259
:
初心者
:2012/09/30(日) 09:34:33
さくらちゃんへ
大脳科学者のカール・プリブラムは、長期にわたる研究の結果、「脳はホログラムで
ある」との結論をくだした人です。ただ、プリブラムが「ホログラムである」と結論
づけた脳は、現代の脳科学の研究対象である「この世の脳」とはあきらかにちがっ
ていますね。プリプラムは本物の脳について語っていると考えなければ、ツジツマ
の合わないところがどうしても出てくるような気がいたします。
プリブラムの主張するフーリエ変換は、本物の脳のなかでおこなわれていると
見るべきではないでしょうか。本物の宇宙の流体模様をフーリエ変換することで、
立体映像へとつくり変える。こうした作業を本物の脳はおこなっていると考えます。
こうした作業で重要な役割を果たしているのが、オートポイエーシスと呼ばれる
システムであるはずです。オートポイエーシスとは、自らの作動をもって自らと
なすことができるシステムであると考えますが、このオートポイエーシスこそが
ロゴスであるとするのが、わたしの考え方でもあるのです(驚くべきことに、おなじ
ことが、ある著名な人物によって語られていました。あえて人物の名は伏せます)。
本物の宇宙を、「神から排出された、神にとっての非自己」とするのがわたしの
考えであるということは、すでに述べております。ところが神は、非自己である
はずの本物の宇宙に、ひそかに自己をまぎれこませておられるにちがいない
のですね。
この、神がひそかにまぎれこましておられる自己がオートポイエーシスとして
現象的にはあらわれているような気がいたします。オートポイエーシスこそが
ロゴスであると考えます。
260
:
初心者
:2012/09/30(日) 10:18:47
さくらちゃんへ
キルコルの思想で「リクパ」と呼ばれているのが神の波動であるはずです。
神のなかに潜在する、リクパを降下させようとする力が「ゴオウ」です。ゴオウの
潜在力を顕在化させる作用を持つのが「ランシン」です。ゴオウとランシンの
2つの働きよって降下してきたリクパを受け止めて拡散させる役割をになうのが
「イェシェ」です。
本物の宇宙でも、イェシェの働きによってリクパは拡散させられます。ここで重要な
役割を果たすのが「トクチェ」です。
トクチェとは慈悲です。トクチェは、リクパを本物の宇宙にまんべんなく行き渡らせ
る役割をにないます。どこにも隙がないように、リクパを行き渡らせます。
ホログラムの「部分と全体は等しい」とする原理を実現しているのはトクチェ、
つまりは慈悲であるのかもしれません。
261
:
初心者
:2012/09/30(日) 10:37:23
役行者様
>それがマイナス的映像であろうと、ポジティブな映像であろうと、自動装置的に機能しようと、また、人類共通の情報世界から得た映像であろうと、セレクトした本人の責任によると思うのです。つまり、認知の不一致が生じるのは、自由を与えられているため、後天的な固有な情報的世界から得た映像だからだと思います。
役行者様は重要なご発言をなさっておられます。神の波動の降下は「セレクト」なの
ですね。波動がそのまま降下してくるのではなく、セレクトした波動があらわれる
のですね。
「セレクトした波動があらわれる」とは、本物の宇宙はセレクトした波動をつくり出し
ているということなのです。神の波動がそのまま降下してくるというのではなく、
セレクトした波動を本物の宇宙がつくり出しているということなのですね。
この「セレクト」というのは重要な概念だとおもいます。ただこれは「自由」という
よりも、「セレクトするしかない」というのが実情ではないかと考えます。
262
:
役行者
:2012/09/30(日) 11:04:26
初心者さま
さくらさま
>「認知の不一致」の問題はやはり構造的に考えなくてはならないのでしょうね。
相当にやっかいなことになりそうな気がいたします。<
確かにやっかいです(笑)
しかし・・・初心者さまはやっかいなことが好きそうですね^^;
>役行者様はなかなかに鋭いことをいっておられますが、もしかしたら、過去に
チベットの修行僧の時代があったのかもしれませんね。そういえば、吉本ばなな
もチベットでの修行が長かったといわれているようです。役行者様とはお知り合い
の仲なのでしょうか。<
吉本ばなな様とご一緒できていたとは、光栄です、たぶん奈良時代のわが役行者一代目が、飛行の術を使って、チベットまで詣でていたのでしょう!(^^)!
実際、ばなな様とは同世代で、学生時代、浅草あたりの寂れた飲み屋で袖振り合っていた縁なのかも知れません(笑)
263
:
「訊け」管理人
:2012/09/30(日) 11:52:53
>>役行者さま
>>さくらマネ
ご解説をありがとうございます。もう少し精読します。精読しないとこれ、初心者さま
が「納得」される聖典箇所、探索不能ですね・・・・まあ、外形を整えることくらいは出来ます
けども、そんな時間はもったいないし・・・
もう少し、探索します。(すみませんね、初心者さま・・・)
拝
264
:
初心者
:2012/09/30(日) 14:04:12
訊け様
包装紙は立派でも、総裁の発言に中身はほとんどないような気がするんですけど
ね(中身があれは、日時計主義やお絵書きといった活動方針が打ち出されること
はないはずなのですが)。
中身のないものを虚説といいつのり、それを討つのが神意であるといっているの
が本流ではないでしょうか。
ないものをあるとおもわせる。ここでも「不在の論理」がもちいられているような
気がいたします。
ところで訊け様は、包装紙のなかに何が入っているのかご存じなのですか?
265
:
さくら
:2012/09/30(日) 14:21:02
初心者さま
またキルコルについては、ゆっくり読みたいです。
面白い!
…ちょっと、本流の話を、失礼します。
>生長の家の教義が、現総裁によって、異なるものに変えられているときにおいては、
現象的対処法としての軍備と同じような、現象的対処としての、
防衛処置としの総裁批判が、必要だということだと思っています。
これは、あちらのアクエリアス様のお言葉をおかりいたしますかわ、
これが、本流の理屈だとおもいます。
総裁の「思想」の中身は知らないが、
ただ、状況証拠から(これには組織の歴史の背景の理由があるとおもいます。)
「雅春先生の教えを異なるものに変える」
と判断し、撃っているということです。
わたしがおもうのは、雅春先生の教えを異なるものに変えるような
「思想」があるとは、思えません。
これは、ただ、雅宣総裁の判断力であり、
それに対する反発心が、正体だとおもいますが。
266
:
さくら
:2012/09/30(日) 14:25:15
※状況証拠…雅春先生の本を絶版にすることや、経本をつくり「甘露の法雨」を補うといったこと、
大東亜戦争日本責任論…などなどのことです。
267
:
初心者
:2012/09/30(日) 14:48:34
さくらちゃんへ
アクエリアン様にしても、具体的な質問にたいしては、答えを避けておられる
ようにおもいます。
「異なるものに変えられている」といっておられるようですが、「ではその異なる
ものとは何か」とたずねても答えられないのですよ(ほんらいなら、その答えに
もとづいて議論すべきなのですけどね)。
総裁はなにやら虚説を心のなかで唱えている印象があるので、それがなんである
かはわからないにしても、防衛処置としてそれを討つのが神意であるというの
が、どうやらあちらの言い分ということになるようですね。
あちらの論理は、そのほとんどが「不在の論理」でしょうから、「なにがあるのか」と
問われてもいっさい答えられないといったところなのでしょうね。うっかり答えて
議論になれば必ず負けるということがわかっているのでしょう。だから答えられな
いのです。
268
:
「訊け」管理人
:2012/09/30(日) 14:53:36
>>264
初心者さま
>>ところで訊け様は、包装紙のなかに何が入っているのかご存じなのですか?<<
ま――ったく存知あげません。故に総裁批判、していないのです。(※1)と、申しますか存知あげないのに批判できるとしたらそれ、オカシイですよね。でも本流にはエスパーが多い(※2)みたいです。
でも講習会での総裁ご講話ですが、素晴らしいものでしたけどもね。(※3)「実相と現象」に関するテーマでのご講話でしたが少なくとも、「雅春先生の教え」を〝継承していない〟との判断は、出来ませんでしたけれどもね。(知的誠實さのある方ならば、皆同じ結論になると思います。同席した白鳩姉さん達も、同意見でしたけど)
総裁に非がないとは、申しません。ですが、本流で言われているほど「愚かな人なのか?」と問われれば、クエスチョンマークです。根拠はその、講習会ご講話になります。(※4)あのご講話はぜひ、教団でWEB公開して欲しいのですけどもねえ・・・・・ぜったいお勧めの内容でしたよ。
<註>
※1 知らぬゆえに総裁批判、していないと「総裁派」になります・・・・もう、脱力することしばしばです。
※2 本流は雅宣総裁ご著書、読まずに批判されます。きっとエスパーなんだと思ってます。
※3 総裁疑惑のある貴殿にこんなこと、申しているとまた「誹謗中傷に」さらされる私です・・・・(アホかと)
※4 あと総裁ですが「酒池肉林」系のスキャンダル、これがないのが素晴らしいと思います。三代目ですよ?巨大宗教組織の・・・・本流派は現総裁、評価するべきは評価するべきなのでは?そう思いますがね・・・(現状は「全否定」でしょ?しかも「全否定」しなきゃ、人に非ずな雰囲気です)
269
:
「訊け」管理人
:2012/09/30(日) 15:10:14
<補足>
以下の文章は後日、大量コピペされると面倒なんですが書きます。
現総裁はあんな方々――人の主張を「理解しようともされない人たち」ですが、そんな組織をまとめていかれるのは苦労が絶えぬと思います。この点には深く、同情します。(私だって組織の長です。苦労は理解できるつもりです)
正統な批判ならば、「上等」で受けるのが組織の長だと思います。なのに、ああ、なのに・・・・・そんな感じはします。いや無論、私は現総裁のことを深く、存知あげませんよ。ですけれどもねえ・・・本流の情報精度から類推するに、「そこまで非道な人なの?」な疑惑は浮上してます。いや、私やトキさんに関する「決め付け」「断言反復」を見ていると情報精度、自ずと判明するでしょう?・・・・・・あの掲示板ですがああ、こんな規準でものを語るのかと。「語っちゃえる人たちなのか」と。
・・・・なにかで読みましたけど、現総裁も過去の運動の清算(使途不明金等)で、苦労されたご様子です。まあ、反動がデカすぎて「環境問題にシフトした」のはやり過ぎだと思いますけど、過去愛国運動があのような方々でなされていたならば・・・・・想像ですけど、「ご同情申し上げる」次第ですし、「たいへんだったろうなあ」とも思えます。
(※ この文章のコピペは禁止します)
270
:
噂の真相
:2012/09/30(日) 16:52:20
使途不明金で苦労されたのは、谷口清超先生だと思いますよ。
谷口雅春先生が昇天され、総裁となられた谷口清超先生は、
それまで教団が連携して活動を行ってきた保守系団体との関係を絶ちました。
連携、ということは資金面でも協力関係にあったわけで、
関係を絶ったのは、教団から不正に流れる資金を食い止める目的だったと聞いています。
昭和60年(61年だったかもしれません)の青年会全国大会で青年会長の交代がありました。
その背景には青年会幹部が保守系団体へ不明瞭な資金を提供していたというウワサです。
生政連の復活をめざしている「学ぶ会」は、保守系団体とも連携しているんでしょうね。
でなければ、大物政治家が講演会を呼ぶなんてことはできませんよね・・・。
271
:
うのはな
:2012/09/30(日) 18:31:51
大量コピペといえば、別版、掲示板方針版ができたとたんに、自分のブログの苦情がどうとか
自分の話に必死の人がいました。
それらはトキ様との間で、まとまったのでしょうか。
272
:
初心者
:2012/09/30(日) 19:55:01
>>270
本流の本筋は政治活動ですよね。政治活動に必要なのが活動資金だとおもい
ますが、本流は必要な資金をどうやって捻出するつもりなのでしょうか。
総裁批判とカネの流れは表裏一体の関係にあるといっても過言ではないでしょう。
虚説にはいっさい興味なし、興味があるのは活動資金ということではないでしょうか。
知っている人はみなさんご存じでしょうけど、知らない人たちが踊らされている
のは問題ですね。
273
:
神の子様
:2012/09/30(日) 21:15:26
本流脳には呆れる…
本流の和解批判は、全部手前勝手に真理を利用するための言い訳。
それに気づいてない。みっともない身内褒めに終始。
274
:
神の子様
:2012/09/30(日) 21:25:52
>270政治と宗教の関係は、結局、金と票集め。
雅春先生も理想も燃えながら、この問題に突き当たられたのでしょうから。
政治活動からの撤退は、雅春先生の御意志に反することじゃなく、潔癖な清超先生がいち早く金の流れをとめた。そういうこたなんでしょうかね。
み教えを守るのに現教団へのあの執着…?なんの目的?踊らされる信徒心配です。
275
:
?
:2012/09/30(日) 23:06:32
傍流も落ちたものだ 様NEW (2054)
日時:2012年09月30日 (日) 22時19分
名前:全く同感
合掌
傍流も落ちたものだ 様が引用されておられる
>生長の家傍流掲示板/別板1
http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/
272 :初心者:2012/09/30(日) 19:55:01
本流の本筋は政治活動ですよね。政治活動に必要なのが活動資金だとおもいますが、本流は必要な資金をどうやって捻出するつもりなのでしょうか。
総裁批判とカネの流れは表裏一体の関係にあるといっても過言ではないでしょう。
虚説にはいっさい興味なし、興味があるのは活動資金ということではないでしょうか。
知っている人はみなさんご存じでしょうけど、知らない人たちが踊らされているのは問題ですね。 <
を読み 初心者様はなぜこんなこと 言うのかなと疑問に思いました。
初心者様の一連の文章を読み返そうと思いました。
傍流も落ちたものだ 様 有難うございました。
合掌
276
:
初心者
:2012/10/01(月) 00:09:11
トキ様
どうやらトキ掲示板の名をおとしめたのは、わたしが初めてであるようです。
「傍流も落ちたものだ」ということは、これまでは立派な掲示板と見られて
いたということですよね。名をおとしめて申し訳ありませんでした。
277
:
うのはな
:2012/10/01(月) 03:26:44
初心者様、御心配に及びませんよ。
トキ掲示板をおとしめたのは、マンガ絵多数掲載のあの方です。
8 名前:神の子様 投稿日: 2012/10/01(月) 00:04:11 ↑トキ掲示板や訊けブログを炎上させている張本人がよく言うわ・・・
278
:
初心者
:2012/10/01(月) 09:03:39
うのはなさま
トキ掲示板の名をおとしめたのはわたしでございます。
すべての責めはわたしにあります。
279
:
「訊け」管理人
:2012/10/01(月) 09:43:36
>>276
個人的には、大爆笑です。ですが爆笑の真意はたぶん、相手方には伝わらないでしょうね。
拝(笑)
280
:
うのはな
:2012/10/01(月) 16:06:12
1883 :復興G:2012/10/01(月) 15:38:23 ID:vWpLkCzM
>>1877
:さくら様。
皆々さま。
合掌 ありがとうございます。
しばらく掲示板を見ないでいましたら、膨大な書き込みがにぎやかに行われていて、読むだけでも大変になっていました。
ざっとみたところで、私の感想を述べさせていただきます。
「和解派」vs「本流」の擬似戦争ですか?
「和解派」が「和解」の旗を振りながら戦いを挑むというのは、まったくわからない話ですね。本気で和解を考えていない証拠でしょう。その点は、「靖国見真会」参加者さまのおっしゃることに理があると思います。
私も、「和解派」を名乗っていたことがありましたが、口だけ「和解」をとなえて自らを省みることをしない人と同じ仲間にはされたくありませんから、「和解派」とは自称しないことにします。
さくら様の姿勢には感動しています。さくら様は、常に自らを省みながら、謙虚に、しかも真に勇気ある発言をされていて、尊敬と、切に応援の気持ちをもちました。
私は、本気で和解を考えるなら、「すべては自分の責任」として己にきびしく、そして「すべては既に和解し大調和している」という実相を観つづけながら行動することが必要であると思います。既に大調和している! その思いを貫きとおしながら、神の御導きのままに、倦まずたゆまずできることをし続ける――常不軽菩薩として、たとえ石をぶつけられようともすべての人を礼拝する行を続けるのでなければ、「和解」なんて全くの絵空事でしょうね。
ありがとうございます。
281
:
初心者
:2012/10/06(土) 19:21:30
これはたぶんギリシャか、ローマか、あるいはその近辺で起きた話だ。その昔、
コラクスという名の、裁判で絶対に勝てるという秘儀を売り物にする、レトリックの
名人がいた。この名人にテイシアスという人物が弟子入りした。裁判に絶対に勝て
る秘儀を伝授してくれたら礼金はたんまりはずむという約束だった。
コラクスは裁判で絶対に勝てるという秘儀をテイシアスに伝授した。ところが
テイシアスは礼金の支払いをしぶった。怒ったコラクスは裁判所に訴えた。
「裁判でワシが勝てば、テイシアスは判決にしたがって礼金を払わねばならぬ。
ワシが負ければ、裁判で絶対に勝てる秘儀をテイシアスに伝授したことになる
のであるから、テイシアスは礼金を払うという約束を守らねばならぬ」。これが
コラクスの言い分であった。
しかしこの言い分には矛盾があった。「裁判でワシが勝つ」ということは、テイシア
スは裁判で絶対に勝てるという秘儀を伝授してもらえてなかったことになる。
「ワシの負け」であれば、テイシアスは判決にしたがって礼金を払わなくてもすむ
ことになる。もちろん弟子のテイシアスはこの矛盾をついてきた。
どちらの言い分にも理があるにせよ、困ったのは裁判官だろう。コラクスを勝たせ
れば、テイシアスは秘伝を伝授されていなかったことになるので礼金を支払う
義務はない。テイシアスを勝たせれば、コラクスは秘儀を伝授したことになるので
支払いを受ける権利が生じる。判決はどうだったのか、それは知らない。
まともな裁判官なら、「見たところ、裁判で絶対に勝てる方法はなさそうだ。ない
ものをあるかのように見せたコラクスの負け」と裁定をくだすだろう。コラクスは
すかさずテイシアスに言うだろう。「この判決こそが裁判で絶対に勝てる秘伝なの
じゃ。授業はこれで終わりじゃ、さあ金をだせ」と。
282
:
「訊け」管理人
:2012/10/06(土) 20:14:30
>>281
素晴らしくおもしろい話ですね。使わせて頂きます。
うん、ためになった。
拝
283
:
色なし風
:2012/10/06(土) 23:51:52
>>281
この「リトリック」は、
巧みな「リトリック」にごまかされるとか、ものは言いようとかに例えられている、ことばのあやという意味で
実質を伴わない表現上だけのことば、表現の巧みなことばを使った議論法のこと。どちらかの立場からでも説得の方法を
見つけ出す術なので、コラクスとティシアスのように詭弁的であやしげな論法も出て来る論述の構成と言われている。
284
:
うのはな
:2012/10/07(日) 09:15:46
本流対策室で志恩さんが左翼の手法と訊け管理人のしつこさについて書かれていましたが、
なんの手法かしらないけれど、訊け氏は以前部室版で、わたしに対して、貴女の矛盾をうつためでした。
これは背教でした。謝罪します。とひとりかっこつけていました。
そのときの訊け氏の論理からすると、志恩さんなどに執拗に迫っているのも
「背教行為」ということになるんでしょうね。
いつも理屈だけ踊ってるみたいで、疲れますね。
285
:
うのはな
:2012/10/07(日) 09:17:42
そして、最近ではさくらさんが私に対してうのさんの矛盾をどうたらこうたらと
話していました。怒怒怒なんていうのもマネしたり、訊け氏の二番煎じに励んでいます。
286
:
うのはな
:2012/10/07(日) 09:25:33
154 名前:大阪のおばちゃん 投稿日: 2012/10/06(土) 21:10:01 ID:???
こちらもあちらもかわりませんな。
非難の応酬、あちらもこちらも同じ穴の貉!
こちらは上から目線のお方が、広告塔のよう!
もう掲示板は見んとこ!
155 名前:トキ 投稿日: 2012/10/06(土) 21:30:59 ID:/Kocoiho
>>154
どうも、管理人の不徳の至りで、申し訳ありません。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ほんとにどっちが管理人なのかわかりませんね。
ここの方針版でものっけから訊け氏が自分のブログの苦情をここにだとか、教区版
でもコントをし出したり、どこでもおれさまの島だってかんじです。
トキさんは謝ったり、合掌してたらそれで済むと考えているようです。
もう本流はトキさんなどに「具体的な和解案を」だとか政治家みたいなことを
尋ねないでほうがいいと思います。無駄ですよ。
287
:
うのはな
:2012/10/07(日) 09:29:38
>尋ねないほうがいいと思います。に訂正します。
こんな文でも自分のブログに移して粘着色塗りして中傷やひまつぶしに
利用する人がいますからね。
一応訂正しておきます。
288
:
色なき風
:2012/10/07(日) 09:41:29
うのはなさん
ほんとうに、そうですね。うのはなさんの言うとおりです。
手法とか、議論法とかは、政治の議会演説、儀式の演説とかにも使う弁論法ですが、
普通の会話の時に使いますと、ことばとことばの戦いになりがちです。
却って、互いの心が伝わりにくくなり、相手を不愉快にさせてしまう事が多いように思います。
289
:
色なき風
:2012/10/07(日) 09:45:42
怒怒怒とかうのは、議論法とか、手法では、ないですもの。
どんどん,使っていいと思います。(笑)
うのはなさんは、表現が個性的で、文才がとてもある人だと思います。
いつも楽しみに拝見しています。
290
:
神の子様
:2012/10/08(月) 01:11:32
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐→
あっ!本島から訊け氏宛に「矢文(やぶみ)」が飛んできた!
ナニナニ、フムフム…。
「義を言う暇があれば、いい加減に目を覚ましなさい!喝ッ!」だってさ。
すんげえ「上から目線」(笑)。差出人を“ゾージョーマン”と名付けよう(大爆笑)。
291
:
神の子様
:2012/10/08(月) 08:25:35
受取人がゾージョーマンの間違いでは?
292
:
「訊け」管理人
:2012/10/08(月) 09:17:40
BGM
http://youtu.be/GT1XjF0DCk4
(山が燃え、鳥が舞い、雲は流れ、波はしぶく。タギる薩摩の風が吹く)
>>珍文団〝やっせん坊〟どん達(後段に全文訳あり)
いやー、体育ン日までオイと遊んでくいやってほんなこて、ありがとございもす。しかしおはんら、腕を上げもしたな〜。まず訊けブログ記事「改ざん」の件は、よか太刀合いじゃったど。具体の例は出さジの「断言」じゃ。コイは反復されればさすがに、ヒッタマがっ(ビックリ)でなあ。
こいからはイケメン福山ブログじゃが「男ン風上にも置けん改ざん、やりよるぞー!」「無礼な男じゃ、訊けわー!!」な線でのキャンペーンを、はいっていきやんせ。くりかえしくりかえし桜島んゴト(の様に)反復断言されれば、ひとたまりもなか。
じゃっどん(しかし)「具体的改ざん箇所」は、提示せんことぞ。具体例を出せば「あれ訊けさあ?別に改ざんはしておいもはん」てなことに、なっでなあ。キャンペーンが無駄になりもんそ。この点考慮のうえでやりやんせ。具体例の指摘には「応ぜぬ!」しかし「改ざんがあっとじゃー!!」な断言反復・・・(中略)・・・いやすごか太刀合いに、なりもんそ。キバイやんせ(がんばってください)
そいなら、おやっとさごあしたっ!(お疲れさまでしたね。ご自愛ください。)
拝
<全文訳>
体育の日であるにも拘らず、いつも私と遊んでくださりありがとうございます。感謝感謝です。まずは、私のブログ記事に「改ざん」があるとの指摘、素晴らしい攻撃でしたよ。根拠を示さずの「断言」です。これは反復されれば非常に奏功でありましょう。
これからは訊けブログ、「非常に悪質な改ざんがなされている」――この線でキャンペーンをはってください。反復断言されればたぶん、ひとたまりもないでしょう。でも、具体例は出さぬこと。これが重要ですよ。具体例を出せばキャンペーンが、無に帰してしまいます。「あれ?別に改ざんなんで無いんじゃ」になりますから、この点考慮の上で攻撃を、継続されてください。期待しております。お疲れ様でございました。脳内をご自愛ください。
拝
293
:
初心者
:2012/10/09(火) 20:31:21
具体的言及の不在。これがなければ本流は成り立たんでしょう。
294
:
うのはな
:2012/10/10(水) 08:06:28
方針版
232 名前:神の子様 投稿日: 2012/10/10(水) 07:40:18 聞けさんは何度もあなたに謝罪してるじゃないですか。
どこまで不遜な態度を示されますか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いいえ。一度部室版でこれは背教でしたと言って以来、これといって謝っていません。
その後、部室版やそれ以外の場所で、また谷口雅春に訊けブログなどで、どれだけ
もめたブログをつくってきたか、その内容をよく読んでください。
295
:
うのはな
:2012/10/10(水) 08:41:05
>怒怒怒とかうのは、議論法とか、手法では、ないですもの。
どんどん,使っていいと思います。(笑)
いや、特に意味もなく、訊け氏の性格などに対して怒っている様子を表した
だけですが、そんなことでも、なにかの一文でも、訊け氏は自分のブログなどに
移して、マネたりからかったり、自分の遊びにつかうので、かえって不調和を発生させ
こちらの神経にも触るので、極力書くのを控えてるんです。それ以来。
296
:
うのはな
:2012/10/10(水) 17:00:18
日本教文社も認めた!
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&ampampampampmode=res&ampampampamplog=486
297
:
初心者
:2012/10/10(水) 17:52:25
さくらちゃんへ
本流のいう「虚説」とはなんなのでしょうね。その正体とは、いったいなんだと
いえるのでしょうか。
それはやはり本流にとって都合のわるいもの、ということになるのでしょう。
じつは以前から、生長の家はロゴス中心主義であるということをいっており
ますが、この意味では、生長の家は反ソフィアでもあるはずなのですね。
本流にとって都合のよくないもの、それはソフィアの思想ということがいえる
のかもしれませんね。
総裁の思想とソフィアの思想に関連性はあるのでしょうか。以前こちらで「エコ
ソフィア」について語りあったことがありますが、けっきょくたどりついたのが
「森の思想」でしたね。「虚説」といわれる総裁の思想とソフィアの思想の関連性
を考えたときに、「森の思想」という共通点が、どうやらあらわれてくるようです。
これははたして偶然なのでしょうか。けっしてそうとはおもえませんね。
「森の思想」の原点はアニミズムということがいえそうです。アニミズムに
ついてはあまり詳しくはないのですが、広く万物に神が宿るとする思想と
いうことにしておきます(正確でなければ修正は可です)。
では総裁の思想はアニミズムなのかといえば、総裁自身がそうとは考えて
おられないにしても、ブログのエントリーを5つ6つ読んだ感触では、その思想
にアニミズム的なパターンが内包されているという漠然とした予感はあった
ような気がいたします。
このあたりは精査する必要があるにしても、ソフィアと総裁の思想の共通点
をアニミズムとすると、本流のいう「虚説」の正体が、うっすらとではあり
まずか、見えてきますね。
そもそもロゴスとはなんであったかといえば、これもこちらでギルガメッシュに
からめて話したように、自然の征服と破壊への欲求であったということがいえ
るのですね。
自然の征服と破壊を実現しようとすれば、邪魔になるのはアニミズムですね
(このあたりは梅原猛が「森の思想」として語っているようです)。なぜアニミズム
が邪魔になるかといえば、自然界の万物に神が宿っているとすれば、それを支配し
破壊することには心理的抵抗感がどうしても生じてしまうからです。
こうした問題を解決する切り札として登場したのが、唯一絶対の神を信仰する
一神教であったのですね。唯一絶対の神が世界を支配していると考えれば、
森の樹木に神が宿っているのではないかとする怖れからは解放されますね。
樹木をいくら伐採したところで、一神教の信仰のもとではたたりなどあるはずは
ないので、安心していくらでも切り倒すことができます。こうして自然破壊が
着々と進められてきたというのが人類の歴史であったということがいえるので
はないでしょうか(このあたりの問題は総裁もふれておられるのかもしれません)。
本流はどうやら原発推進派のようですが、これはまぎれもないロゴスの思想
ですね。産業を発展させて国を豊かにする。そのためには原発はどうしても
必要であるとの理屈が成り立つというわけですね。
こうした理屈を背後で支えているのが、いうまでもなく一神教の思想なのです。
もしも総裁が、その思想のなかでアニミズムへの傾倒を隠喩的にでも示唆し、
一神教を否定するような方向を少しでも指し示しているとすれば、本流にとって
これは、国家の存立をゆるがしかねない「ゆゆしき事態」ということになります。
本流にとって都合のよくないもの、それがアニミズムの思想であるとすれば、
本流が総裁の思想を「虚説」として討たねばならない理由のひとつが、ほんのり
とではありますが見えてきますね。
298
:
さくら
:2012/10/13(土) 22:59:37
>>297
初心者様
返信、遅くなって申し訳ありません。
さくら、ひとつのことしか集中できない、不器用者なのですよ、(言い訳)。
ソフィアの思想、懐かしい気がいたしますね、
・・いま掲示板ではこういう自由なことが語りづらい感じですが・・
ここは島だから良いですよね、。
これはとても示唆のある歴史の認識だとおもっています。
キルガメッシュから始まった「神殺し」の歴史、これは自然破壊を生みましたが、
文明の興亡や信仰の対象の変化というのは、気候変動や自然破壊ととても密接な関係にあると知りました。
紀元前1200年頃からの気候変動による民族の移動などでも、
地中海の文明都市において、バアル神という天候を支配する神への信仰へと移行する精神的な変化があったようなのですが、
この神は、自然をつかさどる大地母神のシンボルの蛇を持ち、
天候の支配と同時に豊穣多産の神で、つまりアニミズム的な神のようです。
この頃、モーゼの時代ですが、出エジプトの際の異常気象の様子が、旧約聖書には神の怒りとして記されていますね。
その後、モーゼ一行が向かったカナンの地で安定すると、
人々は、例のバアル神の信仰に走り、モーゼを導いた唯一絶対神であるヤハヴェの信仰が揺らぐということが起こります。
「ヤハヴェのバアル化」と記されるこの出来事は、
・・まあ、日本において例えれば、神仏融合のような、文化的融合の意味もあり、
決して堕落的な思想ではなかったといわれています。
異民族異文化が互いの価値を損なわずに共生し、融合させるような意味合いがあったということです。
日本の神道的な宗教もそうですが、ロゴスに陥らない智恵のある宗教には、
この融合の力がありますね。融合し、新しい価値を生み出す力。
この力のない宗教が、排除の論理を持ち出し、支配を広げようとするのだとおもえます・。
しかし、これを一神教の信仰からすると、邪教に走り堕落した信仰として、
預言者エリアによる「ヤハヴェ回復運動」がおき、
そこから「唯一神教」の道が確立するんですね
これは気高い運動として、キリスト教では評価されています。
とても象徴的なのが、大地の神のシンボルである蛇は、アメニズム信仰では、
それを神の使いとして扱っているのですが、
一神教の場合、大地のシンボルである「蛇」邪悪なものとして殺す、という性格をはっきり持つ宗教だということです。キリスト教のアダムとイブを堕落させた蛇はその象徴ですが。
蛇殺しの宗教、つまり、大地への信仰を認めない宗教でもあります。
神は唯一天におられ仰ぎ見る存在としてあるということですね。
モーゼのシナイ山で一神教であるヤハヴェとの厳格な契約「十戒」、
これは、神と人間、人間と人間の契約が事細かに記されていますが、
実は、人間と自然という関係はここではまったく記されていません。
それが一神教の始まりの契約なのです。
一神教において、ソフィア的思想は、当然排除されているということですね。
これは穿ちすぎであることは分かっていますし、その自覚は総裁にはないということは知っておりますが、
神と人間。人間と人間の契約に、
森の思想である、人間と自然という関係を、補うというソフィアの使命を
無意識のうちに感じ取った可能性はなきにしもあらず、かもしれません。
総裁にこの自覚が確実にあれば、これは、ソフィアの思想とロゴス的国家主義の対立ということにもなるかもしれないですが・・。
まあ、総裁の自覚より、もし、その背後を感じ取ってつぶそうとする勢力があれば、
その直感力の方に、感心しますね、。
299
:
初心者
:2012/10/13(土) 23:37:35
さくらちゃんへ
ようやくおいでくださったようですね。お待ちしておりました。
「へび殺しの思想」は重要な観点ですよね。たしかグラハム・ハンコックでしたか、
この人の対談本にそのことが詳しく説かれていました。一神教はやはりへび殺しの
思想なのですよね。
たとえばあるシャーマンのオキテでは、山で出会ったへびを心ならずも殺してしま
ったときには、丁重な言葉をもちいて謝罪しなくてはならないようです。
一神教に特有とおもわれる「支配の論理」では、こういった面倒事は省くことが
できますね。一神教の思想を取り入れることで、アニミズムの思想、つまりは
自然界の万物に畏怖の念をいだかなければならない思想から解放される利点が
このあたりにあるとおもわれます。
>総裁にこの自覚が確実にあれば、これは、ソフィアの思想とロゴス的国家主義の対立ということにもなるかもしれないですが・・。
まあ、総裁の自覚より、もし、その背後を感じ取ってつぶそうとする勢力があれば、
その直感力の方に、感心しますね、。
おそらく総裁はアニミズムの自覚をもってはおられないでしょう。ただその思想性
には、アニミズムへの動因力がはらまれている可能性がありますね。これを感じ
取った勢力が総裁の思想をつぶしにかかったとしても、なんの不思議もありません。
とりあえずこの線で、「支配の論理」について語れるところまで語ってみたいとこ
ろではありますね。どうなるやら、さきのことはわかりませんけど。
「ヤハヴェのバアル化」から「ヤハヴェ回帰運動」へといたるくだりは、いま起きて
いる問題にむすびつけてみても、なにやら示唆的なことがらが語られているよう
な気がいたします。
300
:
さくら
:2012/10/13(土) 23:48:55
もちろん、雅春先生は、もともとロゴス的国家主義や一神教を確立しようとして、
生長の家を始められたわけではありませんし、その意図もなかったですね、。
神道的アニミズムの思想や、道教的仏教思想の山川草木国土悉皆成仏のお悟りも
とかれましたし、萬教の帰一を説きました。
本来、宗教の融合を実現できる宗教となりえるものです。
・・ところで、古事記は、日本の国家の成り立ちを最初に言葉で表したという意味で、
国家のロゴスの始まりといわれますね。
はじめにコトバあり。コトバは神なりき。
これが、言葉になる前、コトバは、ロゴスにはなりえなかったのでしょうか・。
これは、ロゴス的国家主義に利用されたところがあるのか、
・・わかりませんが。
301
:
さくら
:2012/10/13(土) 23:50:07
あ、
初心者様。
>>229
読まずに、
>>300
を投稿しました・・
いまから読みますね、
302
:
さくら
:2012/10/14(日) 01:19:01
>>299
初心者さま
>たとえばあるシャーマンのオキテでは、山で出会ったへびを心ならずも殺してしま
ったときには、丁重な言葉をもちいて謝罪しなくてはならないようです。
これも面白い対比ですが、
キリスト教では、被造物はすべて人間により支配されるためにつくられていると考えますので、自然は人間の犠牲になるようにできている、という思想ですね。
ですから、文明のために自然破壊があることは、むしろ神の摂理と考えられてきたわけです。(最近のキリスト教の動きは、これを反省し、自然への感謝を取り戻すような方向にいっているようですが。)
ところで、原始的宗教では、「いけにえ」という儀式がありますが
これは、もちろん人道的にも残酷なことです。
しかし、キリスト教的には、なによりもまず、自然のために人間が犠牲になることは、許されないという観点があるようですね。
地中海文明で自然破壊が進んで砂漠化したことにより、砂漠の思想、つまり一神教の支配が進んだ頃、ヨーロッパ地方はまだ森に覆われていまして、森への信仰が息づいていました。
その中で、森の聖なるオークの木への信仰があったのですが、この木へ不敬を働いた者は死をもって償うのが当然であり、「いけにえ」として捧げられていたことが分かっています。
これは実際、何百体も死体が見つかっているということです。
キリスト教的には、この儀式について「野蛮な文明」と表現されますが、
本来、どういう思想からくるかといいますと、
「自然の命と、人間の命は同価値である」というところに立っているのですね。
また、自然の秩序と回復のためには、ときに人間は犠牲を必要とする、と考えられていました。
これを「闇の文明」として「光をあてる」ことを使命としたのがキリスト教であり、
「聖なる森など存在しない。森は、人間に奉仕するために存在する。人間の幸福のために、犠牲になるのは被造物のほうである」として、森は破壊され次々に教会が立てられていきます。
「森の闇」は消え、そこにすむ被造物も、精霊も存在の場所を失っていくことになりました。
当然、そうした思想では、万物に神が宿るという、畏敬の念も存在しません。
従来生物の住処であったはずの森の場所には、人間が支配するようになりましたから、そこにいる生物のほうが、駆除し排斥すべき「害虫」となり、被害をもたらす動物であるようになってしましました。本来は人間のほうが、勝手にその場所を侵したということですが。
こういう思想てきなものが、自然破壊を生んできたことの背景にはあったようですね、。
「ヤハヴェのバアル化」は必要とされている、という考え方ができますね。
それは、秩序を乱す邪教を受け入れるということでは、むろんありません。
異質なものを融合し、それでもなお価値有るものを生み出すことができる、
ソフィア的な思想が必要だということかもしれませんね。
303
:
さくら
:2012/10/14(日) 07:32:12
初心者さま
もともと、キリストは、アニミズム的な教えを説いていたのではないかと思います。
仏教的なものにも、ほんとは近いものがあったかもしれないかな、と。
砂漠の気候は、森の文化をもつ風土と、宗教的思想の成り立ちがずいぶんちがってきますね。
でも、人間の中に神性が宿るということを説き、人間による自然支配をよしとした教えではありませんでした。
キリスト教的な思想が自然破壊を促進するようになったのは、キリストの教えを利用した、人間至上主義というか、教会の権力階級至上主義的なものに利用されていった歴史があったからでしょうか。
宗教的なロゴスもずいぶん人間の文明の中で、利用されてきたのですね、
304
:
初心者
:2012/10/14(日) 09:17:40
さくらちゃんへ
おそらく総裁は、いまだ体系化はなされていないにしても、確固たる思想性を
その内面に築いておられることでしょう。その思想性の形成過程で、本流の思想が
果たした役割とはなんであったか、このことを、これまでよりさらに踏み込んで
捉えなくてはならない時期にさしかかっているという気がいたします。
本流はしかし、総裁の内面で培われた思想性がなんであるかには気づいていない
はずです。ただ「ちがうもの」、「あってはならないもの」、「駆逐すべきもの」との
感覚がはたらいていて、それが「虚説」という表現になって表出されているものと
考えられます。
わたしはじつは、本流の掲示板で書き込みをはじめたころまでは、総裁こそは
近代主義を体現する人物であり、本流はそれに対抗しようとする勢力であると
思い込んでおりました。しかし、しばらくして、それはまったく逆の認識であった
ことに気づかされました。
本流こそが近代主義の体現者であり、総裁はその対抗勢力と考えたほうが、現状
をうまく説明できる気がするのですよね。総裁は、一見すると近代主義的な言説
に依存しておられるように感じられますが、それはむしろ、本流の近代主義的思考
に、おなじ土俵で対抗するための手段であり、洗練された手法でもあると考えた
ほうがずっとわかりやすいとおもえるようになったのですね。
近代主義の思想をひと言でいえば、自然にたいする「支配の論理」であり「収奪の
論理」であると考えますが、こうした論理に、総裁と本流、どちらが近いかと考えれ
ば、わたしが述べていることの意味はわかっていただけるとおもいます。
おそらく総裁には、のちに本流と自称するようになる人々の言動をとおして日々
接しなくてはならなかった「支配の論理」と「収奪の論理」への違和感があった
のでしょう。むろんこうした違和感は無意識的なものであったのでしょうけれど、
それが今ある思想性を形成する原動力になったと考えることもできる、ということ
です。いささか強引ではありますが、まずはたたき台として、こうした観点から
今おきている問題の深層を捉えてみたいところですね。
ところで「神の摂理」ですが、この表現を心ならずももちいたために、ある方から
批判を受けてしまいました。やはり使いなれない言葉はもちいないほうがよいですね。
これに代わる言葉としてわたしがもちいるのが「オートポイエーシス」です。超越的
ななにかをこの世にあらわす仕組み。オートポイエーシスにこうした意味合いを
持たせることがあるということを、ひとまずは了解しておいてください。
305
:
初心者
:2012/10/14(日) 11:03:41
さくらちゃんへ
>・・ところで、古事記は、日本の国家の成り立ちを最初に言葉で表したという意味で、
国家のロゴスの始まりといわれますね。
『古事記』には、ちょっとした違和感を持ちつづけています。なにかしらの定式化
された思想が語られている。当然のことながら、そんな気がいたします。
その思想とはおそらくロゴス中心主義です。ロゴス中心主義は、万物の起源を
問わずにはおれないという、ひとつの心的傾向であるともいえます。万物の
起源を問うという意味では、一神教の思想も、現代科学も、そして『古事記』も
根はひとつという気がいたします。
万物の起源を問うことじたいは、それが正しいのか正しくないのかと考えても、
おそらく答えがだせる問題ではないでしょう。ここでの問題は、万物の起源を
問うことでなにがおきるか、ということであるはずですね。
万物の起源をあきらかにしようとする過程で実現されるのは、「すべては〜の
ため」といったような発想ではないかと考えます。「すべては神の国の実現の
ため」とか「すべては理想社会実現のため」とか「すべては人間の幸福のため」
とかの言いまわしが、当然のごとく多くの人々によってもちいられるようになる
はずです。
こうした過程で必然的に起きるのが、ある「項」の特権化と、べつのある「項」の
従属化ですね。たとえば、人間という「項」を特権化し、自然という「項」を従属化
するということがふつうに起きてくるはずです。
こうした特権化と従属化がなぜ起きるかといえば、万物の起源はひとつである
からです。もしも世界に起源がないとすれば、どれが優れていてどれが劣っている
かを決めることはできないということになるはずです。強引に決めたところで、
それを説明できる思想がないので、優劣の逆転はいつ起きたとしても不思議では
ないということになります。
万物の起源が決まれば、その起源を頂点にした、万物のヒエラルキー化が可能に
なります。いちばん上が、万物の原因たる起源で、その下にその起源にもっとも
近いとされる存在が組み込まれます。さらにその下には、次の順位の存在が
組み込まれます。「すべては〜のため」といった言いまわしが、これによって可能
となります。
こうしたヒエラルキー化は恒常的なもので、順位が変わるということはありま
せん。ある「項」が特権化され、べつのある「項」が従属化されれば、この関係は
永遠に変わることがないといえます。世の中のすべての事象が、こうしたヒエラル
キー化のもとに運営されてゆきます(こうした考え方を唯物主義というのかも
しれません。しかし、唯物主義と決めつけることである考え方を否定できるとする
のも、ヒエラルキー化の効果であるということを忘れてはならないでしょう)。
いずれにしても、ロゴス中心主義とは、こうした世の中のあり方を維持できる思想
であるということがいえるはずです。ロゴス中心主義は人間にとって、とっても
都合のよい考え方でもあるので、人類はこうした思想をよろこんで取り入れようと
します。『古事記』で説かれていることもまた、そのうわべのアニミズム的な印象と
は異なり、とくに国家にとって都合のよいロゴス中心主義の思想を語ろうとした
ものではないかとの疑念を払拭できずにおります。
上記の考え方に異論はありましょうけども、万物の起源を問うということが、人間
にとって都合のよい結果をもたらしてくれるということだけは、どうやら間違い
なさそうです。
306
:
初心者
:2012/10/14(日) 19:38:24
さくらちゃんへ
このあたりで結論めいたことをいっておきましょう。
本流のヒエラルキーでは、国家、人間、自然の順番にうえから並ぶのでしょう。国家
と人間の関係では、国家が特権項であり、人間は従属項となります。人間と自然の
関係では、人間が特権項であり、自然は従属項です。いうまでもなく、国家と自然
の関係では、国家が特権項であり、自然が従属項となります。
総裁は、こうしたヒエラルキーを逆転させたか、消滅させた可能性がありますね。
ヒエラルキーの逆転ということでいえば、国家は従属項で人間が特権項になり、
人間が従属項で自然が特権項となり、国家が従属項で自然が特権項になる、と
いうように、本流とは逆の関係を想定しておられるのかもしれません。
ヒエラルキーが消滅させられていれば、特権項と従属項の関係も消滅させられます。
いずれにしても、国家を絶対的な特権項にしておきたい本流とすれば、以上のごと
く想定される総裁の思想は、けっして都合のよいものであるはずはなく、「虚説」と
して討たねばならない思想ということになるはずです。もちろん本流がこうした
ことを意識的に考えているとはかぎりません。無意識のうちに、「自分たちとは
ちがう」との違和感をいだいているだけ、の可能性もあります。
意識的にせよ、無意識的にせよ、本流にしてみれば、国家が特権項とされない考え
や思想は、すべて「虚説」になるということですね。
307
:
今昔物語よりコピペ
:2012/10/14(日) 22:28:51
< 号 外 >
10・10「唐松模様」
=生長の家と自然(2)=
またしても&ampampampldquo;雅宣教&ampampamprdquo;の信徒欺瞞解釈
http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/
308
:
さくら
:2012/10/14(日) 22:47:41
初心者さま
17世紀頃は、温暖化のあとの小氷河期という気候悪化に伴って、食糧危機とペストの流行が発生し、イギリスでも人々は生活苦と精神的荒廃で鬱憤がたまっていたような社会だったようですが、
その時、キリスト教社会でなにが起きたかというと、いわゆる「魔女狩り」がありました。
悪者を仕立てて社会の鬱憤の矛先を向けさせるというのは、いつの時代にもあったのでしょうね、。魔女裁判で殺されたのは、900万とも言われてます。
実態は、根拠のない大量虐殺ということですよね。
密告制で、「魔女」と人にいわれれば、もう無抵抗で拷問にかけられる。その理由はなんの根拠もありません。ただ、「人と違う」、言ってみれば、これだけです。
障害を持っていたり、顔のつくりが違っていたり、逆に美人だったり恵まれた境遇からの嫉妬だったり・・つまり、世間からの感情の嫌悪と生理的嫌悪の強く与えるものは「魔女」、そういうことだったようです。
(・・この掲示板が17世紀のイギリスなら、初心者様は間違いなく「魔男(それも大物?)」として密告されてますよ、笑。理由はひとつ、「真の生長の家」と違うこと云うから、笑。
わたしはそれに反発して、やはり魔女、といわれるでしょうか・笑。)
さて、魔女は、森の精霊、大地の女神の象徴としてありますね。
キリスト教社会の中で、魔女に対する凄まじいほどの嫌悪は、
やはり、森への信仰、アニミズム的精霊に対する恐れや抵抗の現われとも言えるかもしれません。
こうした思想的背景がなければ、いくら嫌悪の対象となるといっても、ただの女性たちにあれほどの残酷な仕打ちができるでしょうか・。
それが社会的弱者や、「自分と違うもの」に対する残酷な行為にあらわれたのは、大変残念なことです。
宗教センスというのは、直感的把握やしみじみした情緒的感性というのは、とても大切なものですが、これは感情的嫌悪や生理的嫌悪からの判断とはまったく違ったものだとわたしは感じております。
物質的なメカニズムの話ですが、セロトニンという、悟りの脳内物質(自分で勝手にそう呼んでます)というようなものがありますね、
これは、とてもしみじみとした深い感覚を与えてくれるようです。
また、これは、神ながらといわれる状態で、物事をスムーズに動かしてくれたりするものとして働いてくれるのではないかとおもっています。見えない背後を直感的に感じられる能力を高めてくれるのではないかとおもうのです。
逆に、言葉や物事の表面的あらわれに反応して、感情や嫌悪をあらわにするのは、
アドレナリンやドーパミンですね、本能的判断に働くものだとおもいます。闘争的で短絡的です。
それは、生き残るためには欠かせない大切な物質ですが、宗教的判断力には、向いていないと感じます。
・・とここまで、
>>306
を読む前に書きました。
・・国家の意識については、考えが及びませんが・、すこし考えます、
309
:
志恩
:2012/10/15(月) 02:11:58
訊け君
訊け君、私は,訊け君のお爺い様(父方のご祖父様)の詳しい話を、以前、伺ったことあったなあと思い出しましてね、
それで探し出して、その貴方の文を読み返したのですが、改めて、読みまして、ビックリしたことがあるのです。
陸軍大尉であったお爺ぃ様の所属部隊が、「都城23聯隊」。
そして、「第6師団」「杭州湾上陸作戦」と来ましたら、
あの「南京虐殺事件」を起こしたと、大騒ぎになった真犯人に仕立て上げられた(新聞に捏造された)あの連隊名だった。
お爺さまから、その話、聞いた事ありましたか?ひどい濡れ衣を着せられましたが、捏造だと、判明されて、よかったですね。
「都城二十三聯隊」(文章)
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/asahi-hodo/23rentai.html
なぜ「南京事件」は捏造されたか(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=9jWIHnks7uo
「南京虐殺されたといいながら」(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=9gQYECnR4XY&ampampampampfeature=related
310
:
志恩
:2012/10/15(月) 02:13:50
訊け君へ
その、あなたの文を貼付します。
トーキングスティックボード
>>1057 :「訊け」管理人:2012/04/08(日) 07:44:54 ID:???
>八咫烏さま (前略)
―――――――――――――――――――――――――――――
そしてその隣を、世界最強の第六師団が進む。
『坂の上の雲』司馬遼太郎
―――――――――――――――――――――――――――――
・・・私はこのくだりを読むたびに、まあ、誇らしい気持ちがしておりました。いや、なんの話かと申せば、我が祖父の話であります。
その祖父がおりました連隊(都城二十三聯隊)はこの、「世界最強の第六師団」の基幹部隊でありました。祖父は陸軍大尉(終戦時)でありまして、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかも「敵前上陸二回」「夜間斬り込み二回」の猛者でもありました。「まあホント、あんなの(祖父)が万単位でいたわけだろ?そりゃあ敵さん、逃げるわ」てな感じですね。
・・・しかもこの祖父、私は同居しておりましたのです。もうエブリデーが、戦場でありまして、まあ、これはこれで迷惑だったのですが、楽しい思い出でもあります
(時間を聞かれた際の返答は「ヒトフタマルマル」とかw有り得ない話で笑われますがw)
たとえば祖父は毎夕孫を前に、演説をするわけです。内容はたいてい「大薩摩藩の栄光」とか「大日本帝国の栄光」など(笑)曰く「
我が祖先はかつて、あの大英帝国と砲撃戦をやったのだ!お前達も頑張らんか!」とか、「杭州湾上陸戦は楽勝で、演習のときの方が死者が多かった!」(※1)とか
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「リンガエン湾の敵前上陸戦では、さすがの俺もクソを漏らした」とか、「前に逃げたら米軍が逃げた」とか(笑)まあそれはそれはエブリデー、
激烈な話をライヴで聴けたわけであります(笑)人格形成上私に、なにか不調和な面があるとすればそれは、この第六師団祖父の責任であります(笑)
一方の祖父の話、これもせねばなりません。母方祖父は沖縄の軍医でありました。
父方祖父(第六師団)とはフィリピンの野戦病院で知り合い、その後私の父と母は見合いをすることになるのです。
ええ、マッカーサーがフィリピンにいなかったら、私は生れてなかったかもしれません(笑)
こちらの軍医祖父、六師団祖父とは正反対の性格でありました(笑)こちらは非常に明るい人であり、野球の名手でありました。
孫の私に野球を教えてくれたのは、この祖父でもありました。まあ、いい意味でアバウト、さらにはけっこうな色男でありました(笑)
なにせ戦地に向う際にはなんと、芸 者 が ズ ラ ー っ と見送りにきたという、そんな伝説を有している不良軍医でした(笑)六師団祖父なら激怒するような話ですが・・・(中略)
・・・そして、なにせ沖縄出身です。昼間っから「エイサー」とか踊っているわけです。酒飲みながら近所の人と「がははははは(笑)」なんて感じで、過ごしておりました。「あそこの先生は酒飲みながら手術する」そんなウワサが立ったのも、この頃でありましたか。
・・・・・・・・・・まあ、そんなこんなで私、『生命の實相』に出会います(笑)
「いきなりそこまで話が飛ぶのか!?貴様!?」あーぜんぜんまとまりませんが、時間が来ました。まだまだ非常に中途半端ですが、必要ならば再度自己紹介、
「青春篇」(「フェリス坂の戦死」収録)を掲載致します。今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。
<註>
※1 「杭州湾上陸戦は楽勝で、演習のときの方が死者が多かった!」
どんだけ迷惑な演習でしょうか。第六師団(笑)
311
:
志恩
:2012/10/15(月) 02:20:16
訊け君、
別の文書もあります。
日中戦争 捏造された南京大虐殺(文書)
http://www.geocities.jp/huckbeinboxer/kokubou009.html
312
:
志恩
:2012/10/15(月) 02:23:37
どこかに書いてありましたが、都城23聯隊は、規律正しい模範的な聯隊で、
実は、評判のいい聯隊だったそうです。
313
:
志恩
:2012/10/15(月) 08:09:55
捏造記事を書いた新聞は、
やはり、捏造で有名な『朝日新聞』だった。ひどいもんです。
314
:
うのはな
:2012/10/15(月) 10:10:22
106 名前:神の子様 投稿日: 2012/10/15(月) 09:57:38 うるさい女ですね。
他人は鏡
315
:
初心者
:2012/10/15(月) 10:11:15
さくらちゃんへ
>地中海文明で自然破壊が進んで砂漠化したことにより、砂漠の思想、つまり一神教の支配が進んだ頃、ヨーロッパ地方はまだ森に覆われていまして、森への信仰が息づいていました。
おそらくは地中海文明の最終的な覇者であったローマ帝国は、世界帝国として
繁栄したかのような印象がありますが、ヨーロッパの広い地域をしめていたで
あろうゲルマンの地には、ついには足を踏み入れることができなかったようです
(このことが逆に、ヨーロッパではいまだにゲルマン民族をさげすむ風土を
形づくっているようですね)。
それでもローマは、局所的にはゲルマンの地に侵攻していたらしく、黒い森のなか
に白い川を発見しました。白い川、それはエルベ川ですが、ローマ人からすれば、
川が白くみえるほどに、ゲルマンの地はうっそうとした森におおわれていたという
ことでしょう(もちろん、「白い川」とは高所からながめると、そのように見えたと
いうことです。たしかにエルベ川は、多少は白くみえるのかもしれません)。
そうした森は、ゲルマン民族にとって、素朴な土俗信仰とむすびついたアニミズム
の地でもあったようですが、自然を支配するにあたって、これを不都合とみた
カトリック教会は、徹底した教化政策を実施し、ついにはアニミズムをゲルマン社会
から放逐することに成功したといいます。
キリスト教の教勢拡大により、アニミズムの消滅したヨーロッパでは、自然破壊が
正当化され、森は徐序に開発されていったはずです。その結果もたらされたのが、
当時のヨーロッパの人口を3分の1に激減させたとされるペストであったともいわれ
ているようですが、もしもこれが事実であるとすれば、ヨーロッパを広範囲に襲っ
たペストの流行を、アニミズムの側からの反撃ととらえる見方もできないわけでは
ないといえそうです。
>キリスト教では、被造物はすべて人間により支配されるためにつくられていると考えますので、自然は人間の犠牲になるようにできている、という思想ですね。
ですから、文明のために自然破壊があることは、むしろ神の摂理と考えられてきたわけです。(最近のキリスト教の動きは、これを反省し、自然への感謝を取り戻すような方向にいっているようですが。)
「すべては人間の幸福のため」とする考え方が一神教の思想を取り入れることで
正当化されるというのは、おそらく間違いないでしょうね。アニミズムの思想では、
「すべては人間のため」と考えることはできないでしょうから、人間を万物の中心
に置こうとすれば、一神教の思想を取り入れるよりほかはなかったであろうという
ことは、容易に想像できるような気がいたします。
ただ問題は、「すべては人間のため」とするのが、たんなる思想にとどまらなかった
ということですね。それは人間の心理まで規定してしまったようです。生物という
のは、自分を外界に適応させることで生きようとするものなのですが、人間は
ちがっています。外界を自分に適応させようとするのですね。
寒ければ暖房を使います。暑ければ冷房です。遠ければ、乗り物を使って近づけ、
あるいは通信機器をもちいて、すぐそばにまでもってこようとします。自分を外界
にあわせるのではなく、外界を自分のおもうように変えようとするが人間なのです。
生長の家の根本の思想はなんでしょうか。それもまた、外界を自分のおもうように
つくり変えるということにつきるのではないでしょうか。根本にあるのは、一神教の
思想によってその考え方が正当化された、外の世界を自分のおもうようにつくり
変えたいとする、大部分の人類に共通する欲求であるような気がいたしますね。
こうした欲求を実現するために生長の家が必要とされたのでしょう。生長の家が
人々によって必要とされた心理構造をたどっていくと、一神教の思想が実現させた
「すべては人間のため」とするロゴス中心主義の考え方にたどりつきますね。
316
:
さくら
:2012/10/15(月) 11:03:36
>>305
>その思想とはおそらくロゴス中心主義です。ロゴス中心主義は、万物の起源を問わずにはおれないという、ひとつの心的傾向であるともいえます。万物の起源を問うという意味では、一神教の思想も、現代科学も、そして『古事記』も根はひとつという気がいたします。
神紙制度(二番目のカミって字が出なくてすみませんm)、として国家を支えた神道ではなく、
人の生活の中から土着信仰として生まれたとされる神道には、伝統的生活習俗や、文化的活動にも溶け込んで伝えられたものです。
これは、生活の中で息づいて伝えられてきたもので、今もって、はっきりその起源というものがわからないのですね。
このような形を 「見えない神道」と表現されるようですが、
折口信夫は、志摩半島の岬にたった時のつよい郷愁を、
>此は是、曾ては祖々の胸を煽り立てた懐郷心(のすたるぢい)の、間歇遺伝(あたゐずむ)として、現れたものではなからうか。
と表現されています。
このようにロゴスとして伝えられたというものでなく、
わたしたちの文化的遺伝子みたいなものの中に内蔵された情念のようなものが、時につよい郷愁のように噴出することがある…それをあたゐずむ、と表現したようです。心意伝承のようなものなのではないかとおもいます。
本来の宗教は、このあたゐずむの復活というか、そういう、郷愁をおこすような感覚のあるものなのかもしれませんね。
…ごめんなさい、初心者さま。
じかんないので、あとで、
>>315
読みますね〜
317
:
さくら
:2012/10/15(月) 11:38:29
初心者さま
先に言っときますね、
ネガキャン、さかんに始まってます、笑(←いやこれ、ふざけて笑ってるんじゃないんですけどね、)
淡々と、はなしましょう。
トキさまが止めるようなほどのことなら、潔くやめましょう。
それだけのことです。
よろしくお願いいたします。
感謝拝。
318
:
神の子様
:2012/10/15(月) 17:07:55
掲示板の悪い流れを断ち切るひとこと
↓↓↓
319
:
うのはな
:2012/10/15(月) 17:17:10
1678 :★「訊け」司会★:2012/04/28(土) 23:59:02 ID:???
>今日は良かったです。感謝 次回はいつですか・
未定でございます(笑)すみません・・・・追って連絡致します。
ちなみに次回の司会者は、たぶん「う●はな」さまあたりです(笑)
さあそれでは、オレもそろそろ「いいことして」寝ようかな(笑)
※ いいこと
バットの素振り(早朝野球に向けw)
320
:
「訊け」管理人
:2012/10/15(月) 17:19:22
BGM
http://www.youtube.com/watch?v=Ce3oeypITdg&ampampampampfeature=related
こんにちは。浅田真央チャンと安部総裁の区別がつかない「訊け」管理人です。いやー本日は実に多忙でして、なんか、難しいことを考える余裕がありません。ですんで本島はお休み中なんですが・・・(中略)・・・そしたら何ですか。この
>>318
書き込みは。
いやーたしかに、先程本島を見て参りましたが・・・(中略)・・・ワルーい運気を感じます。ここは一発、雰囲気を変えねばなりませんね。それでは以下、三名の偉人に登場してもらいます。
<具志堅用郄の偉大さ>
(マクド・ドライブスルーにて)
「マイクに向って(ご注文の商品の)名前をお願いします」
「・・・・・具志堅用郄です」
<長嶋茂雄の偉大さ>
(10ゲーム差をつけられたジャイアンツ。今後の方針を聞かれ)
「ん〜・・・・ネバーギブアップ、しません」
<宇津井健の偉大さ>
(名前の〝漢字〟を聞かれた際の返答)
「宇津井健の〝宇津井〟に、宇津井健の〝健〟です」(真顔)
拝
321
:
さくら
:2012/10/15(月) 17:22:48
うのちゃん、ちょっと話変わるけど、今日の聖典版1423の謹写の箇所、
よかったです。ありがと。
322
:
うのはな
:2012/10/15(月) 17:31:18
上の戦争の歌 最悪ですね。320 妻にも嫌がられてるでしょう。
さあそれでは、オレもそろそろ「いいことして」寝ようかな(笑)
※ いいこと
バットの素振り(早朝行事に向けw)
毎晩、空振り三振のぼくが、あしたは朝からがんばってみますってか?
おつかれさまです。
323
:
うのはな
:2012/10/15(月) 17:32:50
訊け妻がいいそうにない言葉
>今日は良かったです。感謝 次回はいつですか・
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