したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家傍流掲示板/別板1

315初心者:2012/10/15(月) 10:11:15
さくらちゃんへ

>地中海文明で自然破壊が進んで砂漠化したことにより、砂漠の思想、つまり一神教の支配が進んだ頃、ヨーロッパ地方はまだ森に覆われていまして、森への信仰が息づいていました。

おそらくは地中海文明の最終的な覇者であったローマ帝国は、世界帝国として
繁栄したかのような印象がありますが、ヨーロッパの広い地域をしめていたで
あろうゲルマンの地には、ついには足を踏み入れることができなかったようです
(このことが逆に、ヨーロッパではいまだにゲルマン民族をさげすむ風土を
形づくっているようですね)。

それでもローマは、局所的にはゲルマンの地に侵攻していたらしく、黒い森のなか
に白い川を発見しました。白い川、それはエルベ川ですが、ローマ人からすれば、
川が白くみえるほどに、ゲルマンの地はうっそうとした森におおわれていたという
ことでしょう(もちろん、「白い川」とは高所からながめると、そのように見えたと
いうことです。たしかにエルベ川は、多少は白くみえるのかもしれません)。

そうした森は、ゲルマン民族にとって、素朴な土俗信仰とむすびついたアニミズム
の地でもあったようですが、自然を支配するにあたって、これを不都合とみた
カトリック教会は、徹底した教化政策を実施し、ついにはアニミズムをゲルマン社会
から放逐することに成功したといいます。

キリスト教の教勢拡大により、アニミズムの消滅したヨーロッパでは、自然破壊が
正当化され、森は徐序に開発されていったはずです。その結果もたらされたのが、
当時のヨーロッパの人口を3分の1に激減させたとされるペストであったともいわれ
ているようですが、もしもこれが事実であるとすれば、ヨーロッパを広範囲に襲っ
たペストの流行を、アニミズムの側からの反撃ととらえる見方もできないわけでは
ないといえそうです。

>キリスト教では、被造物はすべて人間により支配されるためにつくられていると考えますので、自然は人間の犠牲になるようにできている、という思想ですね。
ですから、文明のために自然破壊があることは、むしろ神の摂理と考えられてきたわけです。(最近のキリスト教の動きは、これを反省し、自然への感謝を取り戻すような方向にいっているようですが。)

「すべては人間の幸福のため」とする考え方が一神教の思想を取り入れることで
正当化されるというのは、おそらく間違いないでしょうね。アニミズムの思想では、
「すべては人間のため」と考えることはできないでしょうから、人間を万物の中心
に置こうとすれば、一神教の思想を取り入れるよりほかはなかったであろうという
ことは、容易に想像できるような気がいたします。

ただ問題は、「すべては人間のため」とするのが、たんなる思想にとどまらなかった
ということですね。それは人間の心理まで規定してしまったようです。生物という
のは、自分を外界に適応させることで生きようとするものなのですが、人間は
ちがっています。外界を自分に適応させようとするのですね。

寒ければ暖房を使います。暑ければ冷房です。遠ければ、乗り物を使って近づけ、
あるいは通信機器をもちいて、すぐそばにまでもってこようとします。自分を外界
にあわせるのではなく、外界を自分のおもうように変えようとするが人間なのです。

生長の家の根本の思想はなんでしょうか。それもまた、外界を自分のおもうように
つくり変えるということにつきるのではないでしょうか。根本にあるのは、一神教の
思想によってその考え方が正当化された、外の世界を自分のおもうようにつくり
変えたいとする、大部分の人類に共通する欲求であるような気がいたしますね。

こうした欲求を実現するために生長の家が必要とされたのでしょう。生長の家が
人々によって必要とされた心理構造をたどっていくと、一神教の思想が実現させた
「すべては人間のため」とするロゴス中心主義の考え方にたどりつきますね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板