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Web誌友会 板/2

1トキ:2013/01/20(日) 11:50:32 ID:UVsStHb2
「今の教え」と「本流復活」を考える・「web誌友会」 板 です。

*web誌友会についての話題は、このスレッドでお願いします。

 このスレッドは、生長の家信徒の人達のweb誌友会のために作成したスレッドです。

 上記に関連する話題なら、狭く解釈しないで、広く受け付けます。また
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*教団援護派、本流復活派、中間派、分裂肯定派など、どなたも歓迎します。また、相手の存在そのものを否定するような内容
 の反論はしないで下さい。
*議論が感情的になった場合は、管理人がストップをかけます。その時は、協力をお願いします。
*その他、ご不明の点は、管理人である「トキ」まだお尋ね下さい。

 原則として、身元がわかるような内容の自己紹介は避けたほうが無難です。

身元をかくすため、多少の作為(年齢を少しごまかす、住まいを変える)は、悪意がない限り、問題とはしません。

どの立場でも、(教団援護派、学ぶ会など)歓迎しますから、それは明らかにしても大丈夫です。

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 その他、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。

管理人「トキ」 敬白

4325ユタカ:2014/09/16(火) 00:52:06 ID:N20ePDNw

ユタカは SAKURAさんと同じで、自分で謹写させて頂いて、感動して感動の連続でした。

素晴らしい生命の実相のお勉強をさせて頂いて、本当にありがとうございます。

a hopeさん、 どうか、お勉強した真理を裁きにするのでなく、実相への感謝に変わると素晴らしいと思います。 合掌。。。

4326ユタカ:2014/09/16(火) 01:19:30 ID:N20ePDNw
そして・・・

自分も、、、、総裁、教団の悪口を言いたい放題、書いてごめんなさい。

心から、大反省しています。

4327a hope:2014/09/16(火) 09:38:48 ID:EsxzJUlc
みなさま、おはようございます!

まだ外出中ですが、ユタカさまに質問です。

ユタカさまはわたしに現象もしっかりと見るようにとご指摘下さいましたが、
ユタカさまは現象の雅宣総裁をご覧になって、
どの部分が実相でどの部分が仮相(迷い)だと思われていますか?

それとも、現象に現れて見える総裁のお姿全てが実相の現れであるから、
その姿に和解すべきであるとお考えですか?

4328ユタカ:2014/09/16(火) 12:58:21 ID:N20ePDNw
A hopesさま ご質問有難うございます。
>雅宣先生のご著書やブログ、祈りの言葉などを拝見していると、雅宣先生は「地球に自然破壊をもたらす罪深い人間」を認めていらっしゃるようにしか見えないのです。ですから、「雅宣先生の教え」は「生長の家」の倫理学から見ると「虚説」となってしまうのです。>「虚説」であるかないかは、わたしの『本心』が判断しているのではなくて、「聖典の教え」をわたしが解釈するとそうなってしまうのです。>この説明で、わたしがなぜ、「雅宣先生の教え」が「虚説」であると感じているかわかっていただけたでしょうか?
ーーーーーーーーーーーー
 このa hopeさまの見解ですと、谷口雅春先生が、人類の悩みを憂いて、その人たちを救おうとして出発した人類光明化運動も、谷口雅春先生が神の子の人間の「実相」を観ないで、悩み、苦しみ、病気の人達の「現象を認めて運動をしているから、生長の家の教え自体が虚説というようになってしまうと思いますが、どうでしょうか?
 先生も、そのような現象の方々をみて愛の心で出発したと思ったのです、またそのようなこともどこかの聖典に書いてありました。、雅宣先生の場合は同じように地球環境運動をなさっているととおもいました。
そいういう意味で、a hopeさまの神の目で愛の目で現象として見えていると処を見てほしいといいました。 ですから大雨で死者がでているのですから、環境運動はとても大切だと私はこう思うようになりました・
 A hope様は聖典に書いてあると仰いますが、聖典、生命の実相はまだまだ半分もここではお勉強が終わっていませんし、聖典といわれるものは他にもまだまだ沢山ありますので、この時点で、雅宣先生のお話を」 「聖典の教え」 を自分で解釈すると虚説になる。
と「聖典」っしゃるとこが私には、野狐禅 (ひとりよがりという感じで私は使いました)に陥りそうだとおもいました。何か、言葉足らずですみませんでした。。。

二番目の質問には、、、
私は教団に復帰しての信徒で、疑問や納得できない処を宇治の楠本長老に何度も何度も質問に行き、そして祈ったり、講話を聞いたり、と、それは、前に練成の様子を書いたのでそれを読まれて下さると分かると思います。そしてついに「有難い!!」と心から思えるようになりました。自分の中でとても納得いたしました。もう私は、昔のユタカではありません。
総裁のなさることを、理解して、総裁を神様として拝んでおります。
今、私の中では、雅宣総裁は、とても大切な 神様の顕れとして総裁先生のことを信じています。

そして、生長の家の運動は、すべて生長の家の大神さまが指揮を執って下さっていることを信じております。

ユタカ 拝

4329ユタカ:2014/09/16(火) 13:07:01 ID:N20ePDNw
a hopeさま

現象を見て というのは a hopeさまが実相にとらわれているように思いましたので、
そのように書いてしまい、大変失礼いたしました。

4330ユタカ:2014/09/16(火) 13:12:54 ID:N20ePDNw
>ユタカさまは現象の雅宣総裁をご覧になって、
どの部分が実相でどの部分が仮相(迷い)だと思われていますか?

そういう意味で、
総裁の実相は神様の顕れで、現状の地球に対して危機感を直観して運動をされているので、そういう意味では現象だと思います。

4331ユタカ:2014/09/16(火) 13:24:26 ID:N20ePDNw
>それとも、現象に現れて見える総裁のお姿全てが実相の現れであるから、
その姿に和解すべきであるとお考えですか?


現象と自分が見ていると
それは現象で、無い現象と和解できないと、ここでお勉強しました。 実在の総裁を拝むのが和解と思います。

4332ユタカ:2014/09/16(火) 13:45:14 ID:N20ePDNw
自分=見ている人 です

4333ユタカ:2014/09/16(火) 14:12:40 ID:N20ePDNw
>総裁の実相は神様の顕れで、現状の地球に対して危機感を直観して運動をされているので、そういう意味では現象だと思います。

「そういう意味」というところに注意して読んで下さい。実相と現象にあえて分けるならです。

ですが、生長の家の運動ですから、神様の運動であると思っていますよ、ユタカは。

4334ユタカ:2014/09/16(火) 14:47:01 ID:N20ePDNw
または、
a hope様のご質問には、最初に現象と仮定されているので、

無い現象に対して、 無いことの質問にはお答えできません。となるのかな???

ちょっと、よくわかりません。。。 すみません、、、。

4335a hope:2014/09/16(火) 20:38:28 ID:cEpBaIdo

トキさま ユタカさま みなさま ただいま戻りました!


わたしのいない間も、web誌友会を続けてくださってありがとうございました。 合掌。

ユタカさま、わたしはユタカさまのことを怒ってなどいませんし、少しも気分を害してなどいませんのでご安心くださいね。

わたしのいない間に、ユタカさまから、わたしa hope宛にたくさんのご質問をくださいました。

時間をかければ、すべてに誠実にお答えすることもできるのですが、今、とても躊躇しています。

なぜなら、質問者のユタカさまご自身が>>4325で、わたしに

<<a hopeさん、 どうか、お勉強した真理を裁きにするのでなく、実相への感謝に変わると素晴らしいと思います。 合掌。。。>>

とご提案してくださっているからです。

もし、わたしが、ユタカさまのご質問に聖典「生命の實相」の真理をあてはめながらお答えすれば、
ユタカさんのお言葉を借りれば、それらのわたしの「答え」の全てが、
また、「お勉強した真理」で「雅宣先生の教え」を裁くということになってしまうからです。

先にも言いましたが、わたしが雅宣先生のことに言及したのは、「仏心」さまからの質問があったからで、
それに誠実にお答えしただけなのです。

それはあくまでも、「雅宣先生の教え」に関してa hope個人の素直な見解を述べただけであって、
雅宣先生の人格や行動を批判したわけでも、悪口を言ったわけでもないので、「裁いた」という自覚がないのです。

それに、a hopeの見解が正しいものであるとは主張していません。

反対に、『正しい「生命の實相」による見解を教えてください』とお願いさせていただきました。

ユタカさまのご投稿内容は何度も拝見していますが、ユタカさまにわたしの見解が解っていただけないように、
わたしにも、ユタカさまの見解は理解できないのです。

ユタカさまとわたしは、おそらくこのまま「雅宣先生の教え」や「現教団の運動方針」の件で討論を続けても、
平行線だと思われます。

それでも、ユタカさまのご質問にお答えした方がよいでしょうか?

それとも、「雅宣先生の教え」と「運動」に関しては今後言及しないということで、
純粋な「生命の實相」のお勉強会に戻りましょうか?

4336ユタカ:2014/09/16(火) 22:34:25 ID:N20ePDNw
a hopeさま

ユタカは、あまり出演しないので、a hopeさまのご自由になさってくださいね。

今回は、宇治にいって悦びのあまり飛び出してしまいました。

4337a hope:2014/09/17(水) 09:25:28 ID:cEpBaIdo

>>4336 ユタカさま

わたしも宇治の練成は何度か受講していますから、その素晴らしさは充分わかっているのです。

今回、加美野先生が宇治別格本山を去られるという情報が流れていて本当に残念に思います。

ですが、すべてが神さまの御心によって動いているような気もします。


ユタカさま、わたしは今までずっと管理人トキさまの大きな愛に甘えて、
このweb誌友会板で自由に発言させていただいてきました。

これからも自由に発言させていただくつもりです。

ですから、ユタカさまもこれからも自由にご参加、ご発言くださいね!

ユタカさまのご質問には、ユタカさまのご要望があればお答えさせていただきます。

4338ユタカ:2014/09/17(水) 23:47:21 ID:N20ePDNw
トキさま

ユタカのPCだと、最新50と検索では4000までしか出てこないのですが、
4000番代が見れなくて話にならないのですが、ユタカのPCのせいか、トキ様の方ですか?

上にあがると、しばらく見えなくなってしまい話が全文見れなくて途切れ途切れで読むので、話がつながっていない気がします・

4300番位から再度閲覧する方法を教えて下さい。

ラスト50と検索では4000までしか出てこないのですが・・・・。ユタカだけ???

4339a hope:2014/09/18(木) 01:12:32 ID:cEpBaIdo

ユタカさま 杢さま(志恩さま)

実相哲学を論じる部屋で、杢さま(志恩さま)からご要望がありましたので、
ユタカまのご質問にお答えしたいと思います。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1387360729/494

(ユタカさまからは、「ご自由になさってくださいね」とのお返事をいただいていますものね)

4340a hope:2014/09/18(木) 01:18:14 ID:cEpBaIdo

(ユタカさまご質問)

>>4309
<<実相 実相のa hopeさま
総裁の書かれていることのどこが間違っていますか? その間違えを教えて下さい。>>


(a hopeの見解とユタカさまの>>4309ご質問へのお答え)

『虚説』というのは誤った思想であり見解である。
いわゆる『悪』と見えるもの(「罪」「病」「死」など)は誤った思想や見解が現象世界に投映されたものである。

――――――――――――――――――――――
●「虚説(迷い・サタン・異端・邪説・雑念)」→【現象世界に投映されると】→ 暗黒化し、「罪」「病」「死」など(仮相)が現れて見える。    
           
○「真説(真理・神・生命・愛・知恵)」→【現象世界に投映されると】→光明化し、「真」「善」「美」などの(実相)が現れてくる。
―――――――――――――――――――――

「虚説に和解してはならぬ」という場合の『虚説』とは、あくまでも「(誤った)思想・見解」のことであって、
現象に現れて見える雅宣総裁のお姿のことをさしているのではない。


だからユタカさまが総裁の実相を見つめ「総裁は信徒を神の子として拝んで、今必要な最前線の運動の指揮を執る素晴らしい総裁」
「間違った運動を指揮する総裁はいない!!総裁先生素晴らしい!!」と信じきることは、
もしかしたら正しい信仰の姿なのかもしれない・・・と、わたしは感じています。


ですが、実際に雅宣先生の思想・見解の表現されたご著書・ブログ・祈りの言葉等を拝見してみると、
わたしには、どうしても雅宣先生のご思想やお考え方に、現象を実在とみている『実相・現象二元論』や、
人間の罪や悪を認めた『善・悪二元論』のいわゆる『虚説』が見えてしまうのです。
それは、ユタカさまがご紹介してくださった、>>4309の「生長の家ってどんな教え?」の抜粋文からも確認できます。

<<午前中、私が「人間に罪はない」とか「神の子である」とか「仏様である」という話をしたのは、「実相において」人間は皆そうだという意味であります。
ところが、実相においては皆すばらしい神の子であるけれども、現象世界に生まれて自由を与えられると人間は「迷う」ことがあるという話もしました。
本来人間は神の子であるにもかかわらず、迷って、神の子にふさわしくない行動をすることがあります。 そういうことがあった場合には現象処理が必要です。>>

上の抜粋文は完全に二元論的考え方なので、わたしには違和感だらけなのですが・・・。


『実相においては皆すばらしい神の子であるけれども、現象世界に生まれて自由を与えられると人間は「迷う」ことがある』(実相・現象二元論)

本当に、現象世界に人間が生まれて「迷う」ことがあるのでしょうか?
「現象なし」「迷いなし」が生長の家の「実相一元」の教えなのだとわたしは認識しています。


『本来人間は神の子であるにもかかわらず、迷って、神の子にふさわしくない行動をすることがあります。』(善・悪二元論)

現象的に罪を犯してしまった人には「社会的制裁」等の現象処理も確かに必要かもしれませんが、
「生長の家」の創始者、谷口雅春先生は、そのように「実相」を悟らないために苦悩している人類に大慈悲の心を起されて、
「生長の火」をかざして人類光明化運動を始められて「生長の家」を出現されられたのですから、
その「生長の火」をまことに法燈継承されている「生長の家」の総裁であれば、
「そのような人には『人間神の子』の真理を伝道し、魂の救済をしてあげましょう。」
というご指導をされるのが当然なのではないかとわたしは感じてしまいます。


もし、わたしのこの見解が正しくて、「雅宣先生の教え」が虚説であった場合、
現在、雅宣先生は信徒の思考や考え方に大きな影響を与える「生長の家」の総裁ですから、
その教えを信仰する立場の信徒も皆、『虚説』を信仰していくことになってしまうのです。

そして『虚説』が現象世界に投映されれば、世界は暗黒化されてしまいます。

わたしは、雅宣総裁の実相を信じ礼拝するということは、総裁の「誤った教え」つまり『虚説』には絶対に和解せず、あくまで「NO」と拒絶し、
生長の家の総裁として大きな使命をもって現教団を守ってくださっている雅宣先生の実相のお姿には大いに感謝し、
そのお姿に和解すればいいのではないかと感じています。

4341a hope:2014/09/18(木) 09:23:05 ID:cEpBaIdo

「仮相(かりのすがた)は本来「無」と知るのが実相への和解」p59


だから、真に和解するとは、「ものそのもの」の完全なる実相を認めその実相と和解することであります。

「家ダニ」を見たならば、吸血鬼であるその仮相を見ず、互に調和した場所において相侵し相傷つけないように造られている「完全なる家ダニ」と和解することであります。

結局「和解する」とは、その「実相」を見て、その実相において完全を観ることであります。


対人関係、対物関係の和解は、そういうように物そのもの、人そのものの実相を見て、それと実相において和解してしまいますと、
相手の調和した実相があらわれて相手が自分に逆いまたは害しなくなるのでありますが、
「迷い」に対したり「誤れる見解」に対しては、われわれはいかなる態度をとるべきでありましょうか。

「迷い」に対して和解したら、真理が消えてしまうのであります。

「誤れる見解」に対して和解したら実相がくらまされてしまうのであります。

だからわれわれは、決して「誤れる見解」に和解してはならないのであります。

「誤れる見解」をわれわれは「虚説」と申しますが、虚説とはよく名づけたものであります。

「誤れる見解」は実相の世界にはない。

それは「虚説」すなわち「無い説」でありますからわれわれは虚説と和解することは絶対にできないのであります。

虚説に和解したら自分の完全なる実相が眩(くら)まされ、完全なる実相が眩まされたならば、
その投影として不完全なる現象すなわち不幸、病気、災厄等があらわれてくるのであります。

4342トキ:2014/09/18(木) 09:43:41 ID:Yzq10b2Y
>>4338

ユタカ様

 お問い合わせ、ありがとうございました。

 トキの端末では、そういう現象が出ませんでした。他の皆様のパソコンやスマートフォン
などではどうでしょうか? 一度、試して下さり、ご報告をいたただければ幸いです。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

4343トキ:2014/09/18(木) 09:56:49 ID:Yzq10b2Y
 横レス、失礼します。

 私のやや近所にラーメン屋さんができましたが、しばらくしてご主人が来て

「ぜんぜん、はやらない。」

と嘆かれるので、気の毒になり、食べに行った事がありました。
ところが、一口たべて、味が悪いと思いましたが、何となく言いにくく、
その旨を言わずに帰ってきたことがありました。その後、そのラーメン屋さんが
閉店した事をしり、「ああ、あのとき、正直に言ってあげたらよかった」
と後悔をした事がありました。もちろん、そのラーメン屋さんも神の子ですから、
実相は祝福し、讃嘆する必要はあるのですが、だからこそ、ご本人の事を大事に
思うのなら、その人が長期的な視点で見たら、幸福になるような態度を取る事が
大事だと考えます。

 これを現在の教団で言うと、今の教団の指導部の方針は信徒からはほとんど支持さ
れない、おかしな指導を繰り返しています。外部からも、教団は呆れられている
のが実情です。

 このような指導が続くと、ご本人達も不幸だし、それ以上に教団の信徒さんが
もっと不幸です。この時に、その言動の非なる事を教えてあげ、修正するように発言
をすることは、ある種の愛念かと感じます。

 対して、総裁を支持する人の中には、高給につられてヨイショの発言を繰り返す
人もいれば、本心では疑問を感じながらも集団心理に流されて総裁万歳を叫ぶ人も
います。私見では、こういう事は、信仰という観点からは良くないと思います。

 もちろん、憎しみや怨みの念で相手を攻撃するのはよくないですが、忠告をする
事は、別の観点から大いに賞賛されるべきだと思います。

4344a hope:2014/09/19(金) 10:22:53 ID:cEpBaIdo

>>4343トキさま

気の毒なラーメン屋さんと雅宣先生がダブりますね。

人間の魂の救済をするのが宗教なのだとわたしは思うのです。
地球環境を守って、現象人間の命を守るのが宗教の使命ではないですよね?

「現象は心の影」なのですから、地球環境だって人間の心が「実相(神)」に目覚めれば必ずよくなると思うのです。

わたしには、雅宣先生や本部は、その本来の「生長の家の教え」をないがしろにして、
本末転倒の運動をされているように見えてしまいます。

でも、わたしにそう見えてしまうのは、わたし自身に実相をみる力が足りないからなのです。

ますます、三正行に励まなくてはいけませんね!

4345トキ:2014/09/19(金) 19:56:30 ID:NerXWxVU
 生命の実相第14巻に「悪をなす自由」という章があります。

 「人間が悪をも犯しうる自由をなぜ神が与えたのだろうか、という疑問は
読者からたびたび提出される疑問である」

 教団であれ、私達であれ、なぜ間違うか、「悪」をおかすのか。宿題ですね。

(つづく)

4346トキ:2014/09/19(金) 20:04:13 ID:NerXWxVU
 谷口雅春先生は、こう書かれていますね。

 「善とは何であるか。それはまっすぐというだけではない、
善とは人格(すなわち自由の主体)が、その自由なる生命の
発露として正しい道に乗ったことを善という。強制されて正
しい道にのったのは善ではない。」

 と説かれ、

 「本当の善というものは、そして本当の生活というものは、
彫刻においえてノミの運びが横にも縦にもそれる自由がありな
がら、なおかつノミが正しい輪郭を穿ってゆくところに美が
あるように、生活において不正にそれる自由がありながら、な
おかつ正しい生き方をしてゆくところにあるのである。」

とも説かれています。

(生命の実相第14巻 20pと21p)

 間違いをしない人間はいませんが、間違ったとわかったら、
正しい方向へと方針を変える自由も人間は神様から与えられて
います。ただ、それに気がついていない人に、実際の周囲の評価
を教えてあげる事は、決して間違いではない、と信じています。

4347トキ:2014/09/19(金) 20:18:19 ID:NerXWxVU
>>4344

a hope様

 そうですね。新人が誘えないのは、この環境の話があるからです。
新人さんが話を聞きに来る動機は、信仰の話を聞きたいのです。それが、
実際には、どこかの雑誌に出ていたような、環境保護の話では、聞きに
来た人には時間の無駄なんです。

 別に環境保護が間違い、という訳ではないです。が、優先順位はあき
らかに間違っています。本部の職員は高い給料をもらっているので、し
たがうのは当然ですが、私のような末端のヒラ会員は、自分の魂の向上
という本来の目的に向かいたいです。

4348不生の仏心:2014/09/20(土) 13:16:02 ID:zTvAOV2w
>>自分の魂の向上という本来の目的に向かいたいです。

自分の魂の向上、なんというふざけた目的、自然と共に生きることは自分なんてものを抱えていてはできませんよ。

自分もなく他もないところ自他一体ではないですか。

自分の事なんて忘れたときにこそ命は輝くのでは。個の救いなんて言う人は欲かきさんじゃないの。

自分の魂の向上が本来の目的ですか、笑っちゃいます。

4349トキ:2014/09/20(土) 13:31:44 ID:Mecku48I
>>4348

 そうですね。では、大笑いして下さい。
私は、無視して続きを書きます。(笑)

4350不生の仏心:2014/09/20(土) 15:06:49 ID:zTvAOV2w
>>本部の職員は高い給料をもらっているので、したがうのは当然ですが

高い給料もらう本部職員であればトキさんは、信仰に関係なく言うことを聞くとな、 ホントあきれる日和見さんだね

4351トキ:2014/09/20(土) 19:55:44 ID:Mecku48I
「悔い改めとは自卑にあらず」とう御文章が生命の実相第14巻にあります。

 すこし書いてみますね。

 ”それから、「悔い改め」ということは、「自分は悪い」と感ずることではないのであります。”

と谷口雅春先生が書かれていますね。ちょっと、考えてみましょう。

(つづく)

4352トキ:2014/09/20(土) 20:05:30 ID:Mecku48I
 続けて、”「悪い自分」が無くなるということであります”と書かれているのですね。

つまり、11pには、”「自分は悪い」と思うだけでは悔い改めの動機に来ているだけで、
本当の悔い改めにはなっていないのであります。しかしわれわれは別に「自分は悪い」
と思わなくとも、「天地を貫く生命が自分に宿って自分を生かしているのである、そ
の天地を貫く生命こそ本当の自分である」と解って「われの置き換え」が完全にでき
ましたならば、釈迦のように始めから「天上天下唯我独尊」と悟っても、もはやその
人は悔い改めができているのであります。”

と書かれています。そして、13pでは、

 ”後悔と悔い改めとは文字がよく似ていますから混同しますが、悔い改めは、「悪いわ
れ」を置き換えて捨ててしまって更正してしまうのでありますが、後悔というのは、
「悪いわれ」をいつまでも持ち越して、それに引っかかってクヨクヨ思うことであり
ます。”

とも書かれています。

”よく似ていますが、根本的に相違しているのであります”

と書かれているのであります。

4353不生の仏心:2014/09/20(土) 20:10:42 ID:Y5abQZiU
>>「自分は悪い」と感ずることではないのであります。

「自分は良い」と感ずることでもないのであります。

4354a hope:2014/09/21(日) 09:55:45 ID:cEpBaIdo

>>4348 仏心さま

<<自分もなく他もないところ自他一体ではないですか。
自分の事なんて忘れたときにこそ命は輝くのでは。個の救いなんて言う人は欲かきさんじゃないの。>>

↑はトキさまへのメッセージかも知れませんが、横レス失礼します。
仏性さま、「生長の家の教え」では、そういう考え方はしないと思います。

 丁度、今月のテキスト第14巻、第三章にそのことに関連した文章がありますので、
謹写させていただきますね!

4355a hope:2014/09/21(日) 09:57:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第14巻 第三章 自他一体と個性生命 
「芸術における個性と普遍」 p34 〜

自と他は一体である。
神とわれは一体である――この事実を認めることが倫理の根本であり、あらゆる善徳はここから流れ出るのであります。
それならば普遍的な大我のみあって、個性生命というものはないのでしょうか。
個性生命とは、無いものを有るかのごとく観ずる迷いでありましょうか。
「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」ということは、個性生命は本来無い物であって、
個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。
そういうふうに説く思想家もありますけれども、「生長の家」では、そうは説かないのであります。
個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになると説くのであります。・・・(以下略)

4356a hope:2014/09/21(日) 10:01:17 ID:cEpBaIdo

(a hope所感と、仏心さまへの反論)

ですから、個人がその人の個性を発揮して、その人なりの方法で魂を向上させれば、
自他一体の真理が働いて同時に他の人も救われることになるのではないかと思います。

特に、相手の辛い心情に同悲の心を起こすことにより、魂を共振させ、
その上で自分が実相一元の心情になれば、相手も同時に魂を向上させるのではないでしょうか?

この一連の行為が、以前紹介させていただいた「祈り合いの神想観」なのだと思います。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4265

だから、「個人の魂の向上」=「人類全体の魂の向上」であり、それこそ「人類光明化」の基本だとわたしは信じています。

4357不生の仏心:2014/09/21(日) 10:30:19 ID:q9uMnXHU
a hopeさん
引用の文意と私の発言が違うかどうかは知りません。

個性生命は本来無い物であって、個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。
個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになると説くのであります。
_____________________________________________________________________________________
個性を没して全体の中に埋没する、これ言葉のマジックでは、個性を没することができますか?
個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになる、溶け込んだ状態の時の意識なるものはどんなものでしょうか?

『個性』とはどんなものでしょうか?その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?

4358不生の仏心:2014/09/21(日) 10:49:57 ID:q9uMnXHU

特に、相手の辛い心情に同悲の心を起こすことにより、魂を共振させ、
その上で自分が実相一元の心情になれば、相手も同時に魂を向上させるのではないでしょうか?
_____________________________________________________________________________________________
同悲の心だけでなく同喜の心を起こして総裁の魂と共振させて自他の魂を向上させてみてください。
慈悲喜捨と云いますが、捨徳とはどんなものでしょうか?

魂の存在とはどんなものでしょうか?肉体無しで魂有りなんですね生長の家は。

4359a hope:2014/09/21(日) 11:15:24 ID:cEpBaIdo

仏心さま

またまた、たくさんのご公案をいただき心より感謝いたします。 合掌。

わたしは「生命の実相」を悟っていないので、今自分のできる限りの能力で聖典を解釈しての所感をのべているにすぎません。
だから、自分の中では「個の生命(魂)」と「永遠の生命」との関係ははっきりとはわからないのです。

それでも、仏心さまのご公案を神想観をして神様からの知恵をかりながらじっくり考えてみたいのですが、
残念ながら、今日はこれから家族と出かけるので夜遅くにならないと戻りません。

お返事は、今日はできませんのでご了承ください。

それでは、仏心さま みなさま 素敵な休日をお過ごしくださいね!

4360a hope:2014/09/22(月) 12:57:24 ID:cEpBaIdo

(仏心さまからのご質問①)

個性を没して全体の中に埋没する、これ言葉のマジックでは、個性を没することができますか?


(a hopeお答え)

仏心さまのこのご質問の意図するところがよくわからないのですが、
『個性を没して全体の中に埋没する、』とのご指摘の文章は、一部分であって全体をみると、

<<「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」ということは、個性生命は本来無い物であって、
個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。>>

という、読者に対して語りかけている、もしくは質問して是非を問うような形になっていますよね?

これがどうして言葉のマジックなのでしょうか?


一般的に考えると『個性を没して全体の中に埋没する』とは、頂点に立つ者の専制体制等の社会的状況の中で、
なにかしらの社会的制裁等があるため、個人の「人格の自由」(発想・意志・行動等の自由)が発揮できない状態、
もしくは自分の現状の社会的立場を守るため、自ら「人格の自由」を発揮しない状態みたいなものではないでしょうか?

言い換えると、『個性を没して全体の中に埋没する』とは他から強制的に、もしくは自ら進んで個人の「人格の自由」を抑圧したような状態で、
否応なく全体の流れに身を任せているような状態だと思います。

一方、テキスト中のその後の文章「一個の時計の生命」の例を拝読すると、
「生長の家の教え」では『個性を没して全体の中に埋没する』という状況に陥ることは
「ありえないこと」であるという結論になっています。

そこのところの文章を、続けて謹写させていただきますね。

4361a hope:2014/09/22(月) 13:08:41 ID:cEpBaIdo

>>4355つづき p34 後から3行目〜

これを例にあげて説明するならば、「全体の生命」とは一個の時計の生命と同様な訳であります。

一個の時計の生命は仮に時を精確に計ることにあるとするならば、時計の各個の構成部分が、
この時計全体の生命の中に溶け込むということは、時計の各個の構成部分が(たとえば歯車なら歯車が)
その個性を精確に発揮することであります。

すなわち、一個の歯車は、その歯車としての個性――すなわち、歯の刻み方が正しく、温度によっても直径を増加せず、
精確なる速度で一定の方向へ完全な回転の仕方をするという個性――を完全に発揮することが、
時計の生命の中に歯車の個性を溶かし込むということになるのであります。

歯車の個性が発揮されればされるほど、時計の全体としての生命はいっそう完全に発揮されます。
だから、この場合は、歯車の個性を全体の生命の中に没し去るという語は当てはまらないのであります。
個性を没し去るのではなく、個性を生かせば生かすほど全体の生命に貢献することになるのであります。

右廻りの歯車はできるだけ完全に右廻りに廻転するのがよく、
左廻りの歯車はできるだけ完全に左廻りするのがよいのであります。
右廻りの歯車がその個性を没して、停(とま)ってみたり、左廻りになってみたりするのは、
全体の生命を生かすことにはならないのです。

このことがわかるならば、芸術においても、個性を生かした作品ほど、
その作品に全体の生命(普遍的生命)というものが生きているということになることがおわかりになるでありましょう。

4362a hope:2014/09/22(月) 13:16:05 ID:cEpBaIdo

(仏心さま 質問②)

個性を発揮すればするほど、全体の生命の中に溶け込むことになる、溶け込んだ状態の時の意識なるものはどんなものでしょうか?


(a hopeのお答え)

神との一体感を感じながらの個人の使命達成ですから、
素晴らしい「生き甲斐」を感じることができるのではないでしょうか?

4363a hope:2014/09/22(月) 14:48:43 ID:cEpBaIdo

(仏心さま 質問③ ④)

『個性』とはどんなものでしょうか?
その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?

(a hopeのお答え)

仏心さまのこの二つの質問のお答えには、聖典の内容を拝読していただくのが一番だと思われますので、
以下にテキストの文章を謹写し、その文中からお答えになる部分抜粋し(a hopeのお答え)に換えさせていただきます。

4364a hope:2014/09/22(月) 14:49:45 ID:cEpBaIdo

「行為における個性と普遍」p35 

行為における個性と普遍は、時計において、歯車の行為が個性を完全に発揮するほど、全体の時計の生命を完全に生かすという実例で明らかになったであろうように、
個性もわざと発揮してやろうと思って突飛な行動をとったり、わざと奇矯な行いをしてみたりすることが個性を発揮することでもないことは明らかであります。

個性とはその位置におかれたる小生命(大生命に対する)が与えられたる使命であり役割です。
歯車の歯の間隔(ピッチ)の精確さや、その一定の廻転比率や、回転速度などは、
これを時計全体の生命の遂行の上に歯車が与えられたる使命であり役割であるがゆえに、それは個性として尊ばれるのです。
だから個性を発揮するということは、その一個の歯車が本来設計されている使命のとおりに完全に生きるということであります。

設計されたる使命以外にのさばり出る「我儘勝手」ということは、この歯車の譬えをもっていえば、
わざと正円にならずに歪(いびつ)になってみることや不整な一方に片寄った長短ある歯車となってみることであって個性を発揮することにはならないのです。
そんな不整なでたらめになってみることは、誰でもルーズになりさえすれば、なれることであるから、個性を発揮したとはいえないのであります。

個性とはその人(または物)でなければ、他のものにはできないところの特色でなければならないのです。
すなわちその人(または物)が、大生命から設計されたとおりの特色(使命)を発揮するのが個性を発揮するということなのであります。

4365a hope:2014/09/22(月) 14:51:32 ID:cEpBaIdo

(仏心さまの質問③)

『個性』とはどんなものでしょうか

(聖典のお答え)

個性とはその位置におかれたる小生命(大生命に対する)が与えられたる使命であり役割です。


(仏心さまの質問④)

その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?

(聖典のお答え)

個性とはその人(または物)でなければ、他のものにはできないところの特色でなければならないのです。
すなわちその人(または物)が、大生命から設計されたとおりの特色(使命)を発揮するのが個性を発揮するということなのであります。

4366不生の仏心:2014/09/22(月) 21:22:44 ID:zTvAOV2w
a hopeさん
いろいろ書いて下さりありがとう
後ほど整理して返事しますね。

4367a hope:2014/09/22(月) 22:07:48 ID:cEpBaIdo

>>4358 仏心さま

<<同悲の心だけでなく同喜の心を起こして総裁の魂と共振させて自他の魂を向上させてみてください。>>


(a hopeのお返事)

仏心さまのおっしゃっている意味がよくわからないのですが、「同喜の心」というのは、相手の「喜び」に共感する心という意味でしょうか?

もしかして、雅宣先生や純子先生が八ヶ岳の森のオフィス周辺で毎日キノコ狩りをしたり、
マウンテンバイクに乗ったり、ハーブを栽培したりして優雅に自然と共に生活を送っているその喜びに魂を共振させて、
お二人のように魂を向上させなさいという意味でしょうか?

だとしたら、実相を見る力不足のわたしにはそれはとても無理です。

現在の日本には、人生に悩み苦しみ今日を生きて行くのだけでも精一杯の人たちが沢山いるのに、
わたしには、雅宣先生や純子先生はそんな人たちの悩みや苦しむ魂にはまったく無関心のように見えてしまうのです。
わたしには、お二人は自然と共に生きて行くことを喜んでいらっしゃるだけで、
「生長の家」出現の精神である人類の魂の救済に関しては全く無関心のように見えてしまうのです。
ですから今のわたしには、そのように見えてしまうお二人の「喜び」に自分の魂を共振させるなどということは、申し訳ありませんがとてもできません。

これはわたしの正直な気持ちですが、その他にもたくさんの「生長の家」の信徒の方が同じように感じていらっしゃるのではないかと思います。

4368a hope:2014/09/22(月) 22:10:04 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑤)

<<慈悲喜捨と云いますが、捨徳とはどんなものでしょうか?>>


(a hopeのお答えというか、ウィキペディアによるお答え)

仏教の「慈悲喜捨」について、少しwebで調べてみました。
これは別名「四無量心」のことですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%BF%83

そして、「捨徳」とは、この説明の中の「捨無量心」にあたるものだと思います。

捨無量心――相手に対する平静で落ち着いた心。動揺しない落ち着いた心を指す。
単なる無関心を「無智捨」と呼び、捨無量心とは似て非なるものとして、修行者に注意を促している。 (a hopeがウィキペディアの文章より抜粋し、まとめた文章です)

4369a hope:2014/09/22(月) 22:11:58 ID:cEpBaIdo

>>4366 仏心さま

ことらこそ、読んでくださってありがとうございます。 合掌。
お返事楽しみにしています!!

4370a hope:2014/09/23(火) 19:54:23 ID:brQxC10.

>>4358
( 仏心さま ご質問⑥)

魂の存在とはどんなものでしょうか?肉体無しで魂有りなんですね生長の家は。

(a hope お答え)

今はちょうどお彼岸なので「霊魂」についてお勉強すると、ちょうどいい霊供養になるのかもしれません。
以前、肉体が亡くなっても存在し続ける個人の霊魂に関しては、以前このweb誌友会でもかなり詳しくお勉強しました。
(テキストは「生命の實相」第9・10巻 霊界篇>>3626 から>>3750まで)

先ほどさっと読み返してみましたが、志恩さまやトキさまレンゲソウさま、神の子さんなどが、
小林春恵先生のご著書を紹介してくださっていたりして、
とても和やかな雰囲気の中でお勉強が進んでいた様子が伝わってきました。

このようなweb上でのお勉強会であっても、「生長の家の教え」や「生命の實相」をまじめにお勉強していると、
今は現象世界を去られた「生長の家」の大先輩方の御霊が、霊界からお導きくださったり、
ご加護してくださっているような気がします。
本当にありがたいです。合掌。

仏心さまも「魂の存在」について本当のことが知りたいのであれば、聖典を拝読されるのが一番確かだと思います。

これもとても不思議な現象ですが、今回の仏心さまのわたしへの質問への「お答え」になる文章が、
今ちょうど勉強しているテキストの箇所にページをおって順番に現れてくるのです。
やはり、わたしには、何かのお導きがあるような気がしてなりません。
(今回の質問のお答えは、14巻p37から説明されています。)

そこにも、霊魂が死後も存在するということを証明する事例がいくつか紹介されていますが、
前述した霊界篇にはさらにたくさんの事例が紹介され、解説も詳しくされています。
熟読されれば、「生長の家」が死後の霊魂の存在をどのようにとらえているかがわかると思います。

以上で、仏心さまからのご質問にはすべてお答えしました。
それでは、仏心さま、お返事をどうぞよろしくお願いいたします。

4371不生の仏心:2014/09/23(火) 20:18:05 ID:zTvAOV2w
『個性』と『個性生命』と同義語として引用で使われているようなので、先に『個性』を取り上げます。

◎『個性』とはどんなものでしょうか、に対し

●個性とはその位置におかれたる小生命(大生命に対する)が与えられたる使命であり役割です。

○「その位置に置かれた小生命」とは現象に顕現したものを指しているのでしょうか?
「与えられたる使命であり役割です。」誰が与えたのでしょうか。あなたはご自分の使命がはっきりわかりますか?すべての人それぞれが自分の使命をどうしたら知ることができるのですか?
生まれながらに中共の人の使命とは中国に尽くすことになりませんか?
創価学会二世にして学会の教義を信じている人の使命とは学会に尽くすことになりませんか?縁があればこそその位置に置かれたのですからね。

◎その個性を最大発揮するにはどうすればよいですか?に対し

●個性とはその人(または物)でなければ、他のものにはできないところの特色でなければならないのです。すなわちその人(または物)が、大生命から設計されたとおりの特色(使命)を発揮するのが個性を発揮するということなのであります。

○上の個性と同じで『個性』をはっきり知ることか出来なければ、発揮することができないように聞こえます。『個性の説明』であって、個性の自覚に至る説明にはなっていないと思いますが。「大生命から設計されたとおりの特色(使命)」とはどの人間に与えられたのでしょうか?「その位置に置かれた小生命」とはどの人間を指しているのでしょうか?
ちなみにあなたの他人ではできない特色は何ですか?
日曜に教区の錬成があり、最終日の会議の後で久し振りに講師会長と話をしました。理誌100萬運動時の青年会執行委員会の副執行委員長の一人です。本流が何とかという人たちと同時代に活動した人です。彼はその時「使命」を感得して生きていたのでしょうか?そして時代が下り今講師会長として教区の練成会の指導をしている、今の彼は使命を感得していないのでありますか?以前の強化部長、本流を形成する御仁の○○氏から誘いを受けたけれど行かなかったと話していました。彼に大生命が付与した使命とは何でしょうか?彼は時代時代生長の家とともに組織の役を受け生きてきました。「使命」を自覚できていない時に当たり、どのように生きていけば使命を感得できるのでしょうか?その答えは引用の範囲には書かれていないように思います。

4372不生の仏心:2014/09/23(火) 20:51:19 ID:iJ7jcr4U

●「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」ということは、個性生命は本来無い物であって、個性を没して全体の中に埋没することでありましょうか。

○智慧の言葉にある『宇宙には唯一つの實在がある。それは「永遠の我」という実在である。』と云う時、「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」と云うように「自分」と「阿弥陀仏」とか「全体の生命」と「一体」とかいうような、「自分」とか「一体」とかの感覚が存在しますか?私は「「無我」「無心」でいるときには「自分」「一体」とかの分離感はありません。「個性」をどういう意味で使っているかが問題でしょう。
「個性」を「個性生命」と同義語として同一文で使うことがマジックに感じるのです。

●一般的に考えると『個性を没して全体の中に埋没する』とは、頂点に立つ者の専制体制等の社会的状況の中で、なにかしらの社会的制裁等があるため、個人の「人格の自由」(発想・意志・行動等の自由)が発揮できない状態、もしくは自分の現状の社会的立場を守るため、自ら「人格の自由」を発揮しない状態みたいなものではないでしょうか?
言い換えると、『個性を没して全体の中に埋没する』とは他から強制的に、もしくは自ら進んで個人の「人格の自由」を抑圧したような状態で、否応なく全体の流れに身を任せているような状態だと思います。

○これは現象界での「行動」についての事であり、生命に「永遠の我」「全体の生命」と名付けるものと「個性生命」と名付けるものとが存在するかと云うテーゼの説明になっていますか?「個性生命」と云うものが永遠の存在であるか、肉体同様の仮存在なのかの説明にはなっていないのではありませんか?『個性』が巷で言う肉体あるが故の後天的に獲得した性格を指すのでなく、実相の世界と云われる永遠性のある世界に於いて個別の永遠性のあるものとして人間が存在するのか、そしてその実在人間に『個性』が存在するのか、それらがはっきりした上でなくては、話が進まないと考えます。

智慧の言葉にある『宇宙には唯一つの實在がある。それは「永遠の我」という実在である。』

この意味をお分かりですか?どのように受け取られていますか?

4373不生の仏心:2014/09/23(火) 21:57:02 ID:zTvAOV2w
●仏心さまのおっしゃっている意味がよくわからないのですが、「同喜の心」というのは、相手の「喜び」に共感する心という意味でしょうか?
もしかして、雅宣先生や純子先生が八ヶ岳の森のオフィス周辺で毎日キノコ狩りをしたり、
マウンテンバイクに乗ったり、ハーブを栽培したりして優雅に自然と共に生活を送っているその喜びに魂を共振させて、
お二人のように魂を向上させなさいという意味でしょうか?

だとしたら、実相を見る力不足のわたしにはそれはとても無理です。

○これは異な事を云われる。よく言われるように、『同悲の心』を起こし相手の悲しみを取り込んだうえで実相を観ることにより、相手の悲しみは無の本性を現して消える、それによって実相を観る力も付き、悲しみに泣きくれる人も共に救われる、相共に救われるとあなたが言ったのです。泣きくれることが錯覚より来るのと同じで、雅宣総裁が誤れる「喜び」に浸っているというのであれば、『同悲』と同じで先ず「喜びを同じく」した上で彼の実相を観るということを何故しないのでしょうか?悲しみには共感するけれど喜びには共感しないというのですか?

●霊魂が死後も存在するということを証明する事例がいくつか紹介されています

○之については以前書きましたが、『魂の向上』を果たし地上を卒業し高級霊界?にいずれ移行するということでありますと、訓練して魂の向上をしなくてはならない『魂』は何時存在に入ったのでしょうか?神の構図として天皇中心の地上世界が存在すると云いながら、地上を卒業した高級霊が存在するとするのなら、霊界にも天皇は存在し、地上を去った天皇(天皇の魂)は地上では最高権威者であったわけですが霊界ではどのようなことをされているのですか?
個別霊が永遠であるとすれば、霊界を含む一切の 人間の数は決まっているということになります。地上にはいつまで人間は誕生するのでしょうか?低級霊の住む天体から生まれ変わって来るというような事を云われていますが。神の子がなぜ低級霊と呼ばれるような魂に何時成ったのでしょうか?

4375a hope:2014/09/24(水) 09:46:15 ID:cEpBaIdo

仏心さま 

お返事をたくさんありがとうございます。
そしてまたまた、a hopeへのたくさんのご公案があって本当にうれしいです。合掌。

わたしは聖典を拝読していてその内容に感動はしますが、その内容について「考える」ということはまったくしません。

ですが、、仏心さまからご公案をいただくとそのことに関して自分の力で考えなくてはいけなくなるのです。

それが、とても自分自身のお勉強になっているような気がします。

ひとつひとつ、ゆっくりお返事させていただきますね!

4376a hope:2014/09/24(水) 10:04:16 ID:cEpBaIdo
>>4375補足

わたしは聖典を拝読していてその内容に感動はしますが、その内容について「考える」ということはまったくしません。

わたしは聖典を拝読していてその内容に感動はしますが、その内容【の真偽】について「考える」ということはまったくしません。

4377a hope:2014/09/24(水) 19:32:15 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑦)

「その位置に置かれた小生命」とは現象に顕現したものを指しているのでしょうか?


(a hopeのお答え)

「甘露の法雨」の『人間』の項目に

・・・神は人間の光源にして
人間は神より出でたる光なり。
光の無き光源はなく、
光源の無き光はなし。
光と光源とは一体なるが如く
人間と神とは一体なり。・・・

というくだりがありますが、仏心さまご質問の「小生命」(大生命に対する)は、
わたしには、この「甘露の法雨」の『人間は神より出でたる光なり』というイメージがとてもぴったりときます。

実相一元・善一元の絶対的世界におられる神さまが、光だけの世界では闇の暗さがわからないからと、
自分の分身である小生命(神の子)を相対的世界である現象世界(暗の世界)に放射されました。

小生命は本来「光そのもの」ですから、そのままの姿であれば、暗の世界を明るく照らすだけで、
やることなすことすべてが「善行」となってしまいます。

でも、すべての小生命が「光そのもの」の姿であったら、現象に「暗」はなくなりってしまい、
それでは誰も「光」(善)とは何かがわかりません。

そこで、神さまは、わたしたち現象人間に「人格の自由」をお与えくださり、
悪をも、罪をも犯す自由をお与えくださったのではないかと思います。

ですが実際には、現象世界のすべての出来事はスクリーンに映った仮相であって、
小生命そのものは本来「光そのもの」ですから、現象世界で人間が悪や罪を犯しているように見えているのは、
スクリーン上で映画俳優たちが上手に悪役を演じているようなものであって実在ではなく、
わたしたちに映像で「悪」や「罪」を見せてくれることで、「善」とはなにかを教えてくださっているのだと思います。


前置きの説明が長くなってしまいましたが、ですから、「その位置に置かれた小生命」というのは、
神さまから現象世界に放射された位置(現象世界に映されているその立場)ということになるのではないでしょうか?

4378a hope:2014/09/24(水) 19:34:48 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑧)

「与えられたる使命であり役割です。」誰が与えたのでしょうか。

(a hopeのお答え)

大生命(神さま)です。

4379a hope:2014/09/24(水) 19:36:11 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑨)

あなたはご自分の使命がはっきりわかりますか?


(a hopeのお答え)

はい。大きな使命としては人類光明化ですが、小さな使命としては自分自身が実相を悟ることです。

4380a hope:2014/09/24(水) 19:37:40 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑩)

すべての人それぞれが自分の使命をどうしたら知ることができるのですか?


(a hopeのお答え)

三正行に励めばいいと思います。

4381a hope:2014/09/24(水) 19:38:49 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑪⑫)

生まれながらに中共の人の使命とは中国に尽くすことになりませんか?
創価学会二世にして学会の教義を信じている人の使命とは学会に尽くすことになりませんか?


(a hopeのお答え)

人それぞれ置かれた立場がちがいますが、すべての出来事に意味があるとは思います。
それが本当の使命かどうかは、その人が「本当の生き甲斐」を感じるかどうかで判断できるのではないでしょうか?
今のわたしにとっては「生長の家の教え」が「本当の生き甲斐」=「悟り」へ向かう最高の指針となっていますから、
自分のできる方法で「生長の家」に尽し、恩返しをしたいと思っています。

4382a hope:2014/09/24(水) 19:40:42 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑬⑭)

上の個性と同じで『個性』をはっきり知ることか出来なければ、発揮することができないように聞こえます。
『個性の説明』であって、個性の自覚に至る説明にはなっていないと思いますが。
「大生命から設計されたとおりの特色(使命)」とはどの人間に与えられたのでしょうか?
「その位置に置かれた小生命」とはどの人間を指しているのでしょうか?


(a hopeのお答え)

上でもお答えしましたが、『個性』=『使命』をはっきり知るためには、三正行が大切だと思います。
すべての人間が神から放射された光であり「神の子」なのですから、すべての人間に使命は与えられているはずです。

だから、「その位置に置かれた小生命」とは、すべての人間を指していると思います。

4383a hope:2014/09/24(水) 19:41:44 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑮)

ちなみにあなたの他人ではできない特色は何ですか?


(a hopeのお答え)

ここにきて、急に、就職試験の面接を受けているような気分になりました(笑)。
真面目にお答えしますね。

「あきらめないことです。」

4384a hope:2014/09/24(水) 19:44:31 ID:cEpBaIdo

(仏心さま ご質問⑯⑰⑱)

日曜に教区の錬成があり、最終日の会議の後で久し振りに講師会長と話をしました。
理誌100萬運動時の青年会執行委員会の副執行委員長の一人です。本流が何とかという人たちと同時代に活動した人です。
彼はその時「使命」を感得して生きていたのでしょうか?
そして時代が下り今講師会長として教区の練成会の指導をしている、今の彼は使命を感得していないのでありますか?
以前の強化部長、本流を形成する御仁の○○氏から誘いを受けたけれど行かなかったと話していました。
彼に大生命が付与した使命とは何でしょうか?
彼は時代時代生長の家とともに組織の役を受け生きてきました。
「使命」を自覚できていない時に当たり、どのように生きていけば使命を感得できるのでしょうか?


(a hopeのお答え)

「生長の家」の講師会長として教区の練成会の指導もされている方でしたら、
わたしになど相談しなくても十分ご自分でお答えがわかっていらっしゃるのではないでしょうか?


<<彼はその時「使命」を感得して生きていたのでしょうか?>>

本当の生き甲斐・喜びを感じていらしたなら、そうだったのではないでしょうか?


<<彼に大生命が付与した使命とは何でしょうか?>>

「生長の家」にご縁があった方だったらすべての方が、人類光明化という使命を神さまから与えられているのだと思います。


<<「使命」を自覚できていない時に当たり、どのように生きていけば使命を感得できるのでしょうか?>>

何度もいいますが、三正行だと思います。
生長の家の信仰の基本に戻ることだと思います。


今日のお返事は、ここまでにさせていただきます。 感謝 合掌。

4385a hope:2014/09/24(水) 19:51:49 ID:cEpBaIdo

(補足)

わたしの言う「三正行」とは、

聖典・聖経の拝読
神想観
愛行

の三つですが、雅宣先生の祈りの言葉、神想観、讃歌、ご著書等は含んでいません。

4386a hope:2014/09/25(木) 09:48:11 ID:cEpBaIdo

みなさま、おはようございます。

仏心さまのご公案に答えてばかりですと、テキストの内容が進まないのでテキストの方も少しずつお勉強していきますね。


「虚説に和解してはならぬ」p60

虚説の中でも、最大の虚説は「物質はある」という見解であります。
『生長の家』誌友の中で近ごろ脱線し「物質もある、心もある」という二元論に誘惑されたり、
「現象も真我のあらわれである」という説に惑わされたりした人がありました。
その理由は、われわれは天地一切のものと和解しなければならないから、「物質はある」という説と和解したとき、
本当の真理がかえってわかるのだという理論から、虚説に対しても一応は耳を傾けなければならないというわけだったのであります。

われわれは天地一切の実在(もの)と和解しなければなりませんけれども、虚説に対して和解してはならないのであります。
「人は二人の主に使えることはできない」という諺があります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
実相をくらませばみずから迷うことになるのであります。
迷えば迷いの影を現象界にうつして、現象界がままならぬ相(すがた)にあらわれてくるのであります。

・・・ (略)・・・

「なんじの敵を愛せよ」といったイエス・キリストでさえも、「サタン」に対しては和解していないのであります。
イエスが四十日四十夜、精神統一の修行をしている時、そこに幻のように現れたサタンに対しては、イエスはそのサタンの邪説に耳を傾けようとしないで、
「神を試むべからず、サタンよ退け、主なるなんじの神を拝し、ただそれのみの事(つか)うべし」と、一喝しているのであります。

この場合、サタンとは異端、邪説、妄説、妄想、雑念のことであります。

「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、ただこれのみに事(つか)うべし」ということです。

そのほかの妄説妄想には決して、耳を傾けてはいけない。

ただ「サタンよ、去れ」と一喝しているところに、イエスの示されたる「サタンに和解するな」との範例をわれわれはみなければならないのであります。

4387a hope:2014/09/25(木) 09:50:05 ID:cEpBaIdo

>>4386 a hope 所感)

ユタカさまが >>4309で雅宣先生の「生長の家ってどんな教え?」中のご指導内容をご紹介くださり、
わたしが>>4340でそれは二元論で虚説になってしまうのではないか?
と意見させていただいた根拠となる文章が上に謹写させていただいた「虚説に和解してはならぬ」です。


<<「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、ただこれのみに事(つか)うべし」ということです。>>

とここには、はっきり、「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」と書かれていますよね。

4388a hope:2014/09/25(木) 19:27:37 ID:cEpBaIdo

>>1195の訊け管理人さまのご投稿に榎本恵吾先生の『試論・波状光明化への道』の御文章が紹介されています。

これは、わたしが「大和精神」と「生長の家の愛国運動」の関係について考えているときに訊け管理人さまがご紹介してくださったものです。

実相独在を貫かれた榎本恵吾先生のご意見は、わたしには素晴らし正論であると感じます。


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『試論・波状光明化への道』342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。
(つづき全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html

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残念ながら、現在は、「訊けブログで」は、つづきの全文を拝見できないようですが・・・

わたしは、今、生長の家の運動は、正に(一)の「實相現象の二元論」に進んでしまっているように感じています。

榎本恵吾先生は

<<吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。>>

と言い切っていらっしゃいます。

トキさま、訊けさま、ユタカさま、仏心さま、閲覧者のみなさまはどう思われますか?
是非、ご意見をうかがいたいです。

4389トキ:2014/09/25(木) 22:14:34 ID:2zHeYgV6
>>4388

 時間がないので、簡単になりますが、御許し下さい。

『試論・波状光明化への道』は私は詳細に拝見した事はないのですが、
運動に関する限り、問題はあったという印象はあります。少し前にこ
の掲示板の「生長の家政治連合」の最初のほうに書きましたが、組織
が拡大するに従い、信仰は信仰、運動は運動と別に考えるような傾向
はなきにしもあらず、という感想はありました。戦前や戦後の時期に
谷口雅春先生から直接教えを受けた信徒さんの中には、それを嘆く人
は確かにおられました。

 榎本恵吾先生はご自分の事はあまり言われる人ではなかったので、
そういうご文章を書かれていたのは知らなかったのですが、先生ご
自身も青年会をされていて、いろいろと悩まれたと書かれています。

 先生は特に偉大な先達から教えを受けておられたので、より明確に
問題点を指摘されたのではないか、と思います。

 とりとめもない文章になり、すみませんでした。

4390神の子さん:2014/09/27(土) 01:59:05 ID:pBuxGS.6
>>a hopeさん

>>(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。



この文章、間違いでは? 『唯神実相論 』なら 一元論で良いでしょう?
「唯心論」の間違い。とか・・・?

4391a hope:2014/09/27(土) 18:51:14 ID:cEpBaIdo

>>4389 トキさま

お返事ありがとうございます。
そういえば、信仰と運動に関しては、以前もよく話し合われた話題でしたね。

人々は魂の救いを求めて宗教に興味を持つわけですから、
その宗教団体に確実に魂を救えるような教義や体制がないのに、
現象の運動ばかりしていては、人々は違う宗教団体に流れていってしまうでしょうね。

もし、現生長の家教団の運動がうまくいっていないのであれば、
それは宗教としての教義に魅力がなく、迷える人を救える体制がないからなんでしょうね。

4392a hope:2014/09/27(土) 18:54:21 ID:cEpBaIdo

>>43890 神の子さん

ご参加ありがとうございます。合掌。

ご指摘の恵吾先生のご文章ですが、確かにちょっとコトバ足らずのような気もしますね。

わたしは、恵吾先生の(一)の文章を、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎ【現象処理をおろそかにした】為である。
「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。
(【 】内はa hopeが付け足しました。)

と、このように解釈しています。

「生長の家」の教義の基本は「唯心論」ではなく「唯神実相論」ですから、
その場所に「唯心論」が入るのはおかしいと思います。

わたしは、このように解釈しましたがいかがでしょうか?

4393トキ:2014/09/27(土) 21:32:20 ID:2bj1uyXc
 榎本先生の言われる事と意味が同じか、どうかはわかりませんが、
”個人指導”を真面目にすると、運動や活動の本当の意味がわかります。

 生長の家に駆け込んで来る人というのは、多くの場合、深刻な問題を
かかえて、どこにも相談に行けない、相談しても解決しない、という
状態なのです。そういう人に対して、真理を御伝えするというのは、
これは、本も読み、行も真面目にし、真剣な態度が必要になります。

 こうゆう地道な事をしていて、救われた、という人が出ると、相手
も本当に喜ぶし、自分も嬉しいし、そこに本当の信仰が見えると思い
ます。

 例えば、講習会で、弁当券と受講券を配って「顔だけ出してくれ」
と頼むのと、外見は似ていても、実際には天と地の差がある訳です。

 この点、「現象は現象として認める」と割り切ると、講習会で数字
をごまかすような話になってしまいます。

 ですから、現場の活動者は、よくよく気をつける必要があると思い
ます。

4394a hope:2014/09/29(月) 10:58:24 ID:cEpBaIdo

「光は暗(やみ)と和解せず」p63

「敵を愛せよ」と仰せられたイエスが、なぜ「サタンよ、退け」といわれて、「サタンを愛せよ」といわなかったのでしょうか。
「敵」というものも、その実相は完全な人間でありますから、「敵を愛せよ」とは、その実相なる完全な人間を見て愛せよという意味において、正しい真理であります。

しかしサタンというものはどうであろうか。
それは精神統一修行中に現れた妄想が客観化したものであります。
妄想というものは「本来ないもの」をあるかのごとく描いたのが妄想でありますから、その客観化であるサタンというものも、結局は存在するかのごとく見えても本来非実在であります。

それで、敵ならその敵の実相を見れば、敵の内性に神の子なる実相を見て愛することができますけれども、
異端、妄説、妄念、妄想は「本来無い説」――虚説でありますから、その実相を見れば、妄想は「本来無い」ということがわかるだけでありますから、
「本来無いもの」(虚説)に和解することは絶対にできないのであります。

光と暗は和解することができない。
光が近づけば暗は消えるほかはない。
それと同じく真説は虚説に近づけば虚説を消す働きになる。
真理が妄想の客観化なるサタンに和解せんとして近づけば、かえってサタンを消す働きにならざるをえない、
すなわち言葉でこれをいえば「サタンよ、去れ」の一喝とならざるをえないのであります。


虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。
また虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちがいであります。
虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真理が明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

(つづく)

4395a hope:2014/09/29(月) 11:00:17 ID:cEpBaIdo

>>4394 a hope所感)

「虚説」とは現象に現れて見える「悪」や「罪」(もしくは敵)のことではない。
誤った見解、思想、つまり妄想、のことである。

「悪」や「罪」と見える現象の出来事はすべてがわたしたちにとって学びであり、見方を変えればすべて「善」ともなるのだと思います。

ですが、「虚説」は、「ありえない説」「ウソ」なのですから、どんなに見方を変えても、それは「真説」にはならないわけですから、
「虚説」に対しては、わたしたちは毅然と拒絶した態度をとり続けないと、いつの間にか自分自身も「虚説」に惑わされることになり、
迷いに落ち、人生が狂いだすのだと思います。

<<光と暗は和解することができない。
光が近づけば暗は消えるほかはない。
それと同じく真説は虚説に近づけば虚説を消す働きになる。
真理が妄想の客観化なるサタンに和解せんとして近づけば、かえってサタンを消す働きにならざるをえない、
すなわち言葉でこれをいえば「サタンよ、去れ」の一喝とならざるをえないのであります。

虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳がないように思うのはまちがいであります。
また虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのもまちがいであります。
虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真理が明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。>>

そして、そういう態度をとることは、決して真理から外れたことではなく、むしろ「救われる人間も多い」とあります。

人類光明化運動を正常化するためには、虚説の否定と、真説の肯定が必須条件なのだとわたしは感じています。

4396a hope:2014/09/30(火) 10:59:04 ID:cEpBaIdo

>>4394 つづき)

わたしにも最近その例がありました。
「生長の家」の某支部をみずから造るべく申し出られまして、聖典『生命の實相』を数十部みずから進んで預かって帰られた方がありました。
その某氏は最近、「物質はある」「真我も迷う」の虚説を立てて「生長の家」の真説を迷わす機関誌を発行されたのであります。
それとともに聖典『生命の實相』を誌友その他に売られたまま、その公金を私用に着服費消しておしまいになったのであります。

わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃したのでありますが、
(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)その人が消費された公金に対しては少しも咎めず、
無条件にその金額を進呈して決して請求しませぬという深切な手紙を書いて、
その人の実相――決して公金を費消せぬような完全なその人の実相を見ることにしたのであります。
これがわたしの範例であります。

虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許すことにしたのであります。
どうかみなさんも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、
人間に対しては、その実相の包み(罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、その罪を赦す(その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。

要は「天地一切のものと和解せよ」との「生長の家」の第一最大の誡命(いましめ)は「天地一切のものの実相と和解せよ」ということであって、
仮相や虚説に対しては「サタンよ去れ」と排撃すべきなのであります。
釈迦もキリストも同じような態度で虚説を駁撃せられたのであります。

4397a hope:2014/09/30(火) 11:00:15 ID:cEpBaIdo

>>4396 a hope所感)

<<虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許すことにしたのであります。
どうかみなさんも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、
人間に対しては、その実相の包み(罪)を見ないで、その罪なき完全なる実相を見て、その罪を赦す(その罪を本来無いと見て捨てる)ことにしたいのであります。>>

虚説が現象界に反映されれば仮相(病気・生活苦・人間関係の等の不和等の良からぬ環境)が現れ
真説が現象界に反映されれば実相(健康・順調な生活・良い人間関係等の大調和した環境)が現れるのだと思います。

『本来、信仰とは、信ずれば信ずるほど、心が幸せになり、安心してゆくものですが、
信ずれば信ずるほど、不安になるものを “ 迷信 ” といいます。』

上のお言葉は、光明掲示板で明鏡さまがわたしに教えてくださった真理のお言葉ですが、
その教えが「真説」であるか「虚説」であるかの判断をするのに、この明鏡さまのお言葉ほど的を射ているものはないのではないかと思います。

みなさんは、心が幸せになり、安心できるような「教え」を信仰されていますか?

4398a hope:2014/09/30(火) 11:08:49 ID:cEpBaIdo
>>4397 訂正

人間関係の等の不和等の良からぬ環境→人間関係の不和等の良からぬ環境

4399a hope:2014/09/30(火) 21:54:44 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第28回 web誌友会 予告

期間  10月1日〜10月31日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p80〜p126まで
内容   第六章「恋愛・結婚・夫婦関係の倫理」 
     第七章「家庭の宗教生活化」
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4400a hope:2014/09/30(火) 22:04:55 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは。

早いもので、 今月も今日が最終日となりました。
a hopeは一生懸命勉強しているつもりなのですが、テキストの真理がとても深いので、なかなか先に進めません(;´∀`)。

今朝、やっと第四章の「和解の倫理」をお勉強し終わって、次は第五章「ロダンの鼻かけ像の倫理」に行く予定でしたが、
この章はページ数は少ないのですが、生長の家の教えが万教帰一であること、現象世界や肉体とは何なのか、
そして「唯物論」や「霊魂論」等の「人生観」とはどういうことなのかが凝縮して説明されていてとても内容が濃いです。

第五章もとても重要なところなので、丁寧にお勉強していきたいのですが、
論理的すぎてweb誌友会のテーマには向いていないような気がするので、
第五章のお勉強は「聖典引用板」の方でゆっくり謹写を中心にさせていただきたいと思います。
ですが、もちろん、みなさまにもコメント等でご参加いただけるととてもうれしいです。


そして、こちらのweb誌友会板では次の第六章「恋愛・結婚・夫婦関係の倫理」 第七章「家庭の宗教生活化」の内容を中心にお勉強を進めたいと思っています。
こちらのテーマの方が誰もが興味あるテーマですし実際的でweb誌友会にはふさわしいのではないかと思われるので・・・。


トキさま、みなさま、そして恋愛・結婚・夫婦生活・家庭問題のエキスパートである訊け管理人さまのご参加も熱望いたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、明日10月1日になりましたら、第28回web誌友会を開会させていただきます。

感謝 合掌。

4401a hope:2014/10/01(水) 09:06:40 ID:cEpBaIdo

10月に入りましたので、第28回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4402トキ:2014/10/01(水) 09:38:00 ID:iCx2Lxm6
 今回もよろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

4403a hope:2014/10/01(水) 09:42:57 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第28回 web誌友会 案内

期間  10月1日〜10月31日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p80〜p126まで
内容   第六章 恋愛・結婚。夫婦生活の倫理
     第七章 家庭の宗教宗教生活化
     第八章 無軌道の倫理
    
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

みなさま おはようございます。
ここのところweb誌友会の内容が「悔い改め」であったり、「和解の倫理」であったりして、
とても大切な真理だと思うのですが、
わたしたちが実際に生活で活かしていくという面からみると、ちょっと難しい内容だったかもしれません。

ですが、今回の内容第六章、第七章、第八章は、真理をどう実生活に生かしていけるかが具体的に書かれているので、とてもわかりやすいです。

第六章のテーマは「恋愛・結婚・夫婦生活の倫理」です。

まずは、「恋愛」です。

<<「生長の家」の倫理学では恋愛は一つの感情の芸術である。>>p80 6行目〜

わたしは、気功をしていた時に、「恋はエネルギー」だと教わり納得しましたが、
なんと、「生長の家」倫理学では、「恋愛は感情芸術」だと言っていますね。

興味津々です・・・(#^^#)

4404トキ:2014/10/01(水) 22:03:35 ID:iCx2Lxm6
 生命の実相第14巻の81pには、永井荷風の事が書かれています。この永井荷風は
フランスから帰国後、いろいろな女性と浮き名を流しました。その中の一人は、陸軍将校
の奥さんで、その陸軍将校は妻の不倫を知り、衝撃のあまり自殺を考えます。が、同僚の
説得で離婚をし、その後、再婚します。

 この陸軍将校は、本間 雅晴。最初の妻は、参謀次長をつとめた田村怡与造中将の娘で
したが、次の奥さんは、冨士子さんです。

 本間は後年、戦争裁判で米国に処刑されますが、証言台に立った冨士子さんは、
以下のような証言をしたのは有名です。

「私は東京からここへ参りました。
私は今も本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。
私には娘がひとりおります。
いつの日か、娘が私の夫、本間雅晴のような男性とめぐり会い、
結婚することを、心から願っております。

本間雅晴とはそのような人でございます。」(以下省略)

http://www.tamanegiya.com/honnmafujinn.html

という話を思いだしました。

脱線を御許し下さい。

4405a hope:2014/10/02(木) 00:33:08 ID:cEpBaIdo

>>4404トキさま

永井荷風に関する興味深いお話をお聞かせくださりありがとうございます。

最近はテレビドラマなどで「不倫や離婚の話」などがあたりまえのように放映されています。
そして、新聞の人生相談なんかでも、安易に離婚を勧めてしまうような回答が多いのには驚いています。

だから、わたしの身近な人たちでも平気で不倫をしてしまったり、すぐに離婚してしまったり、
そんなことがあたりまえのようになってしまっているような現実があります。。

こんな世の中になってしまうと、何が道徳的に正しいことなのかもわからなくなってしまいそうです。

そんな中で、富士子さんのように、最後の最後まで夫を尊敬し愛し続けることができるというのは、
現代では奇蹟に近いことなのかもしれませんね。

きっと良人である本間 雅晴も、心からに奥さまである富士子さんを心から愛されていたのでしょうね。

4406a hope:2014/10/02(木) 00:43:04 ID:cEpBaIdo
>>4405 訂正
心からに奥さまである富士子さんを → 奥さまである富士子さんを

4408 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:11:58 ID:zTvAOV2w
●ある日至道無難禅師が懇意な商家にいくと、折節その家が大がかりな掃除中で、ちらかしてあり、空いている一間に主人と話していました。
そこに別の商家の使いが来て、紙に包んだ金を渡して帰りました。
長らく話をして、禅師が去った後、主人は金のことを思い出して、懐や、たもとなど探したが見つかりません。しかたなく禅師の元へ行き、もし何かの間違いで持ち帰られた
のではないか、と訊ねると、禅師はそれだけの金を取り出して主人に与えました。

数日後に主人は、例の一間の鴨居の塵を払っていると、紙包みの金が落ちて来ました。主人は驚き、禅師のところへ走り、金を返して詫びると、禅師は何事もなかったように、
それは思い違いをなさったのでしょうと、無心にその金を受け取ったのでした。

●悪口を浴びて村中を「もらい乳」
白隠さんが駿河の原宿(現在の静岡県沼津市原)の松蔭寺に住職してからの話

あるとき、村の娘が父なし子を産みました。
娘の父親は、だれの子かと問い詰めましたが、娘は頑として相手の男の名は口にいたしません。
しかし、とうとう耐えきれずに、白隠さんの子だとウソをついてしまいました。
父親が日ごろから敬愛している白隠さんの子であれば、許してもらえるだろうという娘の浅知恵でした。もちろん白隠さんは、身に覚えのないことです。
娘の父親は松蔭寺に駆けこむや、「この生グサ坊主!よくも娘をキズものにしてくれたな。さあお前の子だ、受けとれ」と怒鳴りながら、赤ん訪を突き出しました。
白隠さんは何の言い訳もせず、「ああ、そうか」と赤子を受けとりました。
この日は飴湯や米の粉をといて与え、翌日からは村中を「もらい乳」して歩き回りました。
それまで、高僧・傑僧として尊敬されている白隠さん、一転してとんでもない破戒僧とさげすまれ、弟子たちはもちろん信者も離れていきました。
それにもかかわらず悠然ともらい乳して歩き、赤子を親身になって育てる白隠さんの姿に、当の娘のほうがこらえきれなくなり、ついに父親に本当のことを白状しました。
驚いた父親は、さっそく白隠さんに非礼をわび、赤子を返してほしいと恐るおそる申し出ましたこのときも白隠さんは「ああ、そうか」と、泰然として赤子を返したといいます。

●一人の乞食坊主が、村人に取っ捕まり、砂浜に首まで埋められました。
浜の塩焼き小屋に放火して、燃やした罪を被せての私刑(死刑)でした。
だんだんと、潮が満ちてきて、乞食坊主の目前に迫ってきます。
そのまま、潮に呑まれ海水をイヤと言うほど呑まされ、水死するのは、もう秒読みに入っていました。
そこで死んだとしても、不埒な乞食坊主が塩焼き小屋に放火して燃やし、その罪で、殺されたというだけで、誰にも知られず、誰の記憶にも残らず、歴史にも残らず、ましてや、
その乞食坊主の名を冠した宗教も興らなかったでしょう。
・・・たまたまそこを通りかかったヒトが、乞食坊主を、助けました。
事情を聞いてみますと村の人に、塩焼き小屋に放火した罪を被せられた、と言います。
・・・そうなのか?と問い詰めると、・・・違う、と乞食坊主答えました。
・・・違うなら、何故、違うと、否定しなかったんだ? というと
、・・・だって、そう相手が思っているのだから、仕様がない・・・
と、その乞食坊主、答えて、何事もなかったかの様に、何処かに歩き去った、というハナシが、伝わって居ります。

その乞食坊主の名は、良寛禅師。

この三人の禅僧の話と>>4396の雅春先生の話と、どちらに感動しますか?

4409 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:37:56 ID:zTvAOV2w

>>4396
わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃したのでありますが、
(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)その人が消費された公金に対しては少しも咎めず、
無条件にその金額を進呈して決して請求しませぬという深切な手紙を書いて、
その人の実相――決して公金を費消せぬような完全なその人の実相を見ることにしたのであります。
これがわたしの範例であります。

この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、その説くところへの反駁は許されるけれども、
トンチンカンさんがよく言われること、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』等の個人の生き方に
対する非難は許されないということになりませんか?

4410トキ:2014/10/02(木) 22:37:34 ID:gp2X4kJ6
 少し余談ですが、永井荷風には養子がいて、その養子が回顧録を書いています。
それを読むと、永井荷風はすごくワガママで、偏屈で、親族からは持て余しものだ
ったみたいです。文化勲章を受けた人ですが、人間的にはスゴく周囲には嫌われた
人という印象があります。最後はいわゆる孤独死を遂げています。

 本人は好きな事をして満足だったかもしれませんが、ワガママばかりを言って
いるので、友人も親族も離れて行ったみたいです。晩年になるとかなりの孤独
になり、大金をもってストリップ小屋に通い、踊り子に「先生、先生」と言われ
て悦に入っていたみたいです。言い方は悪いですが、お金の力で寂しさをまぎら
わせていたみたいで、寂しい人生だったと感じます。

 名もなく、誠実に生きる人のほうが、ずっと美しいと感じます。

閑話休題。

4411a hope:2014/10/02(木) 23:45:51 ID:cEpBaIdo

>>4408 仏心さま

web誌友会ご参加ありがとうございます。

えーっと、すでに話題は、恋愛・結婚・夫婦生活に移行していたのですが・・・
今回の仏心さまご投稿内容は、前回のテーマ「和解の倫理」についてですね。


ご紹介の3つのお話はどれも、無実の罪を着せられた僧侶たちが、
一言も言い訳をせず成すがままに罰をうけるというお話ですね。

ですがどのお話も結果的には無実が証明がされています。

三人の僧侶が無実の罪を着せられたことに関しては、何かの自壊作用だったのかもしれませんが、
その後、無実が証明されるという良い結果となったのは、その三人の僧侶が怒りや憎しみ等の悪い感情を起さず、
心穏やかに善処したからだと思います。

お三方とも偉大な僧侶ですから、きっと三界唯心所現の真理を体得されていたのでしょうね。

ですが、どうしてそれらの僧侶の伝説と、聖典の真理のお話を比較しなければいけないのでしょう?
仏心さまは、「生長の家の教え」が本当にお嫌いなのですね。

4412a hope:2014/10/02(木) 23:47:16 ID:cEpBaIdo

>>4409 仏心さま

<<この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、その説くところへの反駁は許されるけれども、
トンチンカンさんがよく言われること、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』等の個人の生き方に
対する非難は許されないということになりませんか? >>


これは「許す」とか「許されない」とかの問題ではなくて、自分自身の信仰の問題だと思います。
仮にも「生長の家」の人間神の子の教えを信仰している人間が、
「生長の家」総裁である谷口雅宣先生や純子先生の実相を観ることをせず、
人格批判をばかりしていればそれはとてもおかしなことだと思います。
ですから、わたしは今までもその件に関しては何度も訴えてきたつもりです。

ですが、お二人を「生長の家」総裁・副総裁として見たとき、お二人は社会的に大きな影響を与える公人なわけですから、
もし、そのお立場にふさわしくない行動をされたりすれば、公人として世間から批判されてしまうのは避けられないと思います。

実際にその行動の結果、「生長の家」のイメージを悪くしたり、信徒を激減させたりするような悪影響を教団に与えてしまうようなことがあれば、
それは現象処理としてして責任をとっていただくのは当然のことなのかもしれませんね。

4413a hope:2014/10/03(金) 00:06:42 ID:cEpBaIdo

>>4410 トキさま

<<名もなく、誠実に生きる人のほうが、ずっと美しいと感じます。>>

「野の百合の生きる道」を思い出しました。

わたしも大生命から与えられわたしの「使命」に誠実に生きていきたいと思います。

それではみなさま おやすみなさい。

4414トキ:2014/10/03(金) 20:32:02 ID:TNtMbJN.
 少し本題から外れますが・・・・。

 生命の実相第14巻の94pには、谷口雅春先生が、有名な某僧侶さんの聖典講義をラジオで
聞いた話が書かれています。

”その僧侶のいわれるには「本当の自分というものがこんなに醜く穢れた自分であるということ
を悟るのが宗教である」と声を激していわれたのにはわたしは思わずラジオのスイッチを切って
しまったのでありました。”

 谷口雅春先生は、この14巻では、人間の実相を見る事の大事さ、素晴らしさを説かれています
が、間違った考えを持った人の意見をおとなしく拝聴しろとは書かれていません。

 信仰とは理論理屈に終始するものではななく、実際の生活に生きてこその信仰だと思います。
 人生は短く、多忙な現代人には使える時間は限られます。

間違った意見を大人しく聞くのは時間の無駄だと感じます。

4415 不生の仏心:2014/10/03(金) 23:47:36 ID:zTvAOV2w
実際生活に生かすことが出来ず、理論理屈で組織に胡坐をかいた多くの先達がいたから、今の生長の家が出来たのでしょう。
個人指導をしっかりし個人の幸福を持ちきたす、そんなことをしていながら、あなたの教区を見るも哀れなものにしか出来なかったのではないですか。

素晴らしい真理を生きてきたというのであれば、貴女が嫌う今の結果は出て来るはずはないでしょう。

4416神の子さん:2014/10/04(土) 00:30:41 ID:???
組織の活動に助けられて講習会や本を売ってきた

お ま え さん に

100人中99人は

ふざけるな!!と怒りを覚えている事でしょう。

4417トンチンカン:2014/10/04(土) 13:06:56 ID:JWwiWw8o
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』、、と、「認識」して
いながらも、<自己弁護>に余念の無いマサノブ爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



<新、本流復活掲示板>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何としてでも自己弁護を貫いて逃げたいマサノブ君、哀れ・・・ (5289)
日時:2014年10月04日 (土) 09時53分
名前:怒れる信徒 代表


一昨日(2日)の夜、腹立ちと苛(イラ)立ちを隠せぬマサノブ君はパソコンに向かって、
次ぎのような投稿文を打ち込み掲載したのであります。最初にお断り申しあげておきます
が、投稿者、この「不生の仏心」なる人物は、紛れもなくマサノブ君本人か、彼の意を汲
む影武者である事は間違いありません。その理由は、完全な屁理屈の自己弁護の弁であり、
こんな内容の文章は、マサノブ君本人か、その意を受けた影武者君でしか書けません。教
団内の一般信徒や教団を去った元・信徒は誰も書ける者ではないからであります。先ず、
マサノブ君(=「不生の仏心」)の投稿文を転載いたします。


//////////////////////////////////////////////////


「トキ掲示板」<WEB誌友会>
4409 名前: 不生の仏心 投稿日: 2014/10/02(木) 21:37:56 ID:zTvAOV2w

>>4396
<< わたしにも最近その例がありました。「生長の家」の某支部をみずから造るべく申
し出られまして、聖典『生命の實相』を数十部みずから進んで預かって帰られた方があり
ました。その某氏は最近、「物質はある」「真我も迷う」の虚説を立てて「生長の家」の
真説を迷わす機関誌を発行されたのであります。それとともに聖典『生命の實相』を誌友
その他に売られたまま、その公金を私用に着服費消しておしまいになったのであります。
わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃
したのでありますが、(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)そ
の人が消費された公金に対しては少しも咎めず、無条件にその金額を進呈して決して請求
しませぬという深切な手紙を書いて、その人の実相――決して公金を費消せぬような完全
なその人の実相を見ることにしたのであります。これがわたしの範例であります。>>(「生
命の骨相」第14巻64頁)


この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしましても、
その説くところへの反駁は許されるけれども、トンチンカンさんがよく言われること、本
流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』
等の個人の生き方に対する非難は許されないということになりませんか?


///////////////////////////////////////////////////

< 感 想 >


① マサノブ君は、インターネットの拡散情報効果で、次第に自分の親不幸ぶり、ジキル
とハイドとも言うべき宗教家らしからぬ二重人格ぶりが、かなりの数の信徒に知れ渡って
しまったのであります。マサノブ君の「言行不一致」振りに愛想をつかして信徒の脱落現
象が進み、教勢は顕著な衰退を来たしているのであります。


② マサノブ君は、今や、宗教家としての反論不可能な「言行不一致」の実態と、左翼唯
物現象論に基づくスキだらけの屁理屈論を徹底的に「本流掲示板」によって追及されてい
る状態であります。完璧な理論体系を持つ開祖・谷口雅春先生の「生命の實相哲学」には
全く歯が立たないのであります。大閑人でパソコン大好き人間のマサノブ君は「枯れ松模
様」にも書きたくてウズウズしているが書けない。辛抱しきれずタマに書けば待ってまし
たといわんばかりに、開祖・谷口雅春先生の『御教え』をシッカリと理解している元本部
講師先生がたを筆頭に「本流」の論客からメッタ切りにされ、特に異才「トンチンカン」
氏の徹底的肩すかし・ハタキコミ論法には御手上げの状態であり、枯れ松林の中で“きの
こ狩り”をして積もるウップンを晴らすのが関の山・・・


③ しかし、どうしても反論だけは何とかして書いておきたい。そうでなければ“総裁”
の沽券に拘わると思ってか、マサノブ君は一作日(2日)上記のような反撃に出たのであ
ります。その屁理屈論法は、『生命の實相』の内容を逆利用して、明らかな神性隠蔽状態
にあるマサノブという現象人間の自己弁護、それも読むに耐えない最低レベルの自己弁護
論を展開したのであります。

4418トンチンカン:2014/10/04(土) 13:07:29 ID:JWwiWw8o

(つづき)

④ 真理の逆利用――<親兄弟に人間らしからぬ行動をなしている>自分(現象マサノブ)
は本来ないのだから、その現象マサノブへの批難は成り立たない(マチガイである)。本
来ないものへの批難は何の効き目もない。徒労だけだ。だから、本来なき現象・マサノブ
に対する批難は一切為さずに、神の子としての完全な自分(實相マサノブ)を見なさい!、
と説教しながら、マサノブ君自体は、神性隠蔽されている本来なきニセ・マサノブをいつ
までも実在化して行動しているのであります。この矛盾・・・


⑤ 「實相・マサノブ」を観よ!というならば、先ず、そのように言った本人が現在の自
分の言動が、「神の子人間」=實相マサノブに100%相応しい言動を為しているであろ
うか?と自己反省するのが第一であります。しかしマサノブ君はこの實相の「神の子人間」
に照らしての「自己反省」が出来ないのであります。だから、マサノブ君は、真理に照ら
しての間違った言動をどこまでも押し通すのであります。その間違った言動があくまでも
正しいと判断しているのであります。まことに悲しい現象・マサノブ君のすがたでありま
す。なぜ斯くも悲しい「現象・マサノブ君」の姿が現れているのか?それは、「實相・マ
サノブ君」を覆う「神性隠蔽」の遮蔽幕が何重にも厚く、想像以上に厚く巻かれていて、
その「神性隠蔽」の遮蔽幕の奥にある「神の子」の自覚(火種)が酸欠状態・窒息状態に
あるといえるのであります。


⑥ この様な余りにも厚い「神性隠蔽」の現象に対しては、完全円満な「神の子人間」で
ある實相マサノブ君を静かに直視諦観するのでありますが、人時所に応じての対処法によ
って、その「神性隠蔽」を気づかせてあげる行動も必要なのであります。マサノブ君の極
めて部厚い、想像以上に部厚い「神性隠蔽」は、「生長の家総裁」と言う地位にあるため、
マサノブ君以外からの、特に特別な目的を持った霊界の存在からの強力な力で更に、更に
“補強”されていると言う事が十分に考えられるのであります、(類友親和の法則)。故
にマサノブ君の場合にはその「神性隠蔽」を気づかせてあげ、少しでも早く「實相・マサ
ノブ君」の顕現のための直接行動が必要でありまして、これがマサノブ君に対する“忠告
”であります。マサノブ君は“批難”と受け取っておりますが、素直にわれわれ「本流」
信徒からの“忠告”と受け取って頂かねばならないのです。そのように“忠告”と受け取
るのが宗教家の採るべき態度であります。


⑦ 『生命の實相』第13巻倫理篇上巻125〜128頁には次のように書かれているの
であります。即ち、――

<< 第一の神性隠蔽(罪)としては「神我一体」の實相を包んで見ざること、第二の神
性隠蔽としては「自他一体」の實相を隠して見ざること、第三の隠蔽としては「隠蔽(つ
み)の隠蔽(いんぺい)」として自己弁解すること、第四の隠蔽としては外界が自心の展
開なる事実を観ず悟らず、外界を以って自分に対立するところの有限の世界として観じ、
自心の整理を先にせず、物に執し、ものを奪い合わんがために、兄弟と相争い、――ここ
にこれら四つの根本的神性隠蔽が相寄り相混じて、種々なる罪を構成するに到るのである。
そして、最後は「肉体我」の驕慢の極致に至り、「エデンの楽園」を追放されるに到る・
・・>>

上記の『生命の實相』からの文章は、余りにもそのまま、マサノブ君にあてはまり、マサ
ノブ君の自己反省ために書かれた文章か?と見間違えるほどであります。マサノブ君は今
回、「不生の仏心」なる名前で「本流」からの“忠告”を“批難”として受けとって大反
論をした積もりでしょうが、実はマサノブ君自体がこの様な真理を逆利用した自己弁護を
なすことによって、マサノブ君自身が“驕慢”の極致に至っていることを全世界の全信徒
に完全にさらけ出したのであります。それにしても、教団最高位に位置する総裁が、名も
なき末端信徒から“忠告”されるに至ったことはまことに情けない現在の「生長の家」教
団の実態であり・・・、まことに残念極まりなきものであります。


⑧ 最後に申します。マサノブ君は、「個人の生き方に対する非難は許されない」と書い
ておりますが、これも屁理屈的自己弁護・自己正当化であります。これに対しては「トキ
掲示板」で、a hopeさんが的確な回答をマサノブ君に呈しておられましたので、転載させ
ていただきます。「不生の仏心=マサノブ」君!シッカリと読みたまえ!

4419トンチンカン:2014/10/04(土) 13:08:26 ID:JWwiWw8o

(つづき)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/4412

「トキ掲示板」Web誌友会 板/2
4412 :a hope:2014/10/02(木) 23:47:16 ID:cEpBaIdo

>>4409 仏心さま
<<この生き方からしますと、たとえ雅宣先生の説くところが『虚説』なるものとしまし
ても、その説くところへの反駁は許されるけれども、トンチンカンさんがよく言われるこ
と、本流派の転載内容の、『生長の家を私物化している、親兄弟に人間らしからぬ行いを
する』等の個人の生き方に対する非難は許されないということになりませんか? >>

これは「許す」とか「許されない」とかの問題ではなくて、自分自身の信仰の問題だと思
います。仮にも「生長の家」の人間神の子の教えを信仰している人間が、「生長の家」総
裁である谷口雅宣先生や純子先生の実相を観ることをせず、人格批判をばかりしていれば
それはとてもおかしなことだと思います。ですから、わたしは今までもその件に関しては
何度も訴えてきたつもりです。ですが、お二人を「生長の家」総裁・副総裁として見たと
き、お二人は社会的に大きな影響を与える公人なわけですから、もし、そのお立場にふさ
わしくない行動をされたりすれば、公人として世間から批判されてしまうのは避けられな
いと思います。実際にその行動の結果、「生長の家」のイメージを悪くしたり、信徒を激
減させたりするような悪影響を教団に与えてしまうようなことがあれば、それは現象処理
としてして責任をとっていただくのは当然のことなのかもしれませんね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4420トンチンカン:2014/10/04(土) 13:33:15 ID:JWwiWw8o

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ご自分の「所業」を、他人になすりつけてはダメですよ、、マサノブ爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・マサノブ爺さん自身が「実際生活に生かすことが出来ず」に、『生長の家を私物化して
 おり、親兄弟に人間らしからぬ行いをする』のですよね・・・ <言行不一致>


・「理論理屈で組織に胡坐をかいている人」、、こそが、マサノブ爺さんでしょ・・・
 <詭弁、屁理屈、ゴマカシ>は、マサノブ爺さんの専売特許!!


・「個人指導」、、なんて、マサノブ爺さんに出来るのですか・・・


・「今の教団」を、「見るも哀れなものにしか出来なかった」のは、マサノブ爺さんご自
 身ではないのですか・・・ (戦々恐々、疑心暗鬼の渦巻く教団内部)






(参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4415 名前: 不生の仏心 投稿日: 2014/10/03(金) 23:47:36 ID:zTvAOV2w

実際生活に生かすことが出来ず、理論理屈で組織に胡坐をかいた多くの先達がいたから、
今の生長の家が出来たのでしょう。
個人指導をしっかりし個人の幸福を持ちきたす、そんなことをしていながら、あなたの教
区を見るも哀れなものにしか出来なかったのではないですか。

素晴らしい真理を生きてきたというのであれば、貴女が嫌う今の結果は出て来るはずはな
いでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4421a hope:2014/10/04(土) 20:25:55 ID:cEpBaIdo

>>4416神の子さん
>>4417~トンチンカンさま

web誌友会ご参加ありがとうございます。

仏心さまが、このweb誌友会に時々ご参加くださり、わたしにたくさんのご公案をくださっています。
その内容を拝見していると、正直わたし自身も、仏心さまが雅宣先生や本部の意見の代弁者のような印象を持ってしまうことが時々あります。

ですが、掲示板上の最低限のマナーとして、そのような「決めつけ発言」、
もしくはそういう「決めつけ発言」のあるご文章の他の掲示板からの転載はご遠慮お願いいたします。

仏心さまからのたくさんのご公案は、わたしにとってとてもお勉強になっていますし、
わたしたちに現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを与えてくださっていると思うのです。
だから、わたしは仏心さまのご登場にはいつも心から感謝しています。

どうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

4422トンチンカン:2014/10/05(日) 10:08:40 ID:JWwiWw8o

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「生長の家の教え」が本当にお嫌いな、「雅宣先生や本部の意見の代弁者のような印象」
の人、、、 現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを得られる・・?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・「生長の家の教え」が本当にお嫌い、、なら、「生長の家」を辞めて出て行けばイイので
 すよね・・


・「生長の家の教え」が本当にお嫌いな人、、が、「生長の家」の上層部の人の様なのです
 よね・・


・このような人の、「詭弁」や「屁理屈」を聞いて、現在の「生長の家」の問題解決策を
 考察するきっかけを得られると、本当に思っているのですか???


・いままでに、具体的に「どのような問題解決策」が得られたのでしょうか・・


・「哲学もどき」の問答で、時間稼ぎをしているだけのようにしか思えないのですが・・





(参考)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
4411 :a hope:2014/10/02(木) 23:45:51 ID:cEpBaIdo

ですが、どうしてそれらの僧侶の伝説と、聖典の真理のお話を比較しなければいけないの
でしょう?
仏心さまは、「生長の家の教え」が本当にお嫌いなのですね。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
4421 :a hope:2014/10/04(土) 20:25:55 ID:cEpBaIdo

仏心さまが、このweb誌友会に時々ご参加くださり、わたしにたくさんのご公案をくだ
さっています。
その内容を拝見していると、正直わたし自身も、仏心さまが雅宣先生や本部の意見の代弁
者のような印象を持ってしまうことが時々あります。


仏心さまからのたくさんのご公案は、わたしにとってとてもお勉強になっていますし、
わたしたちに現在の「生長の家」の問題解決策を考察するきっかけを与えてくださってい
ると思うのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4423神の子さん:2014/10/05(日) 10:15:02 ID:pBuxGS.6
流れ、無視で失礼します。


>>)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎ【現象処理をおろそかにした】為である。
>>「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。
>>(【 】内はa hopeが付け足しました。)
>>と、このように解釈しています。
>>「生長の家」の教義の基本は「唯心論」ではなく「唯神実相論」ですから、その場所に「唯心論」が入るのはおかしいと思います。


唯神実相論に傾き過ぎは いけないっということかぁ・・ふ〜ん 難しいですね。
「常に唯神実相論を、実相独在を念頭に置いて生きよ。」 って言いそうな先生のような気がしてましたので・・

でも、まぁおっしゃってる意味(ニュアンス)はわかりますよ。
わざわざ返事くださって有難うございました。

4424神の子さん:2014/10/05(日) 10:16:25 ID:pBuxGS.6
上の4423のコメントは、a hope様宛て でした。


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