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仏教における仏、成仏とは
1
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/08/01(月) 10:28:57
仏教系宗教のほとんどが信仰することによって得られるとする成仏、この仏とはなんなのでしょう。
そして元来無我を説く仏教が、現代の仏教系宗教のほとんどにおいて、ウパニシャッド思想のアートマン説(有我)を肯定しているように感じる。
ブッダ(仏陀)と呼ばれた釈迦、この仏陀の言葉の意味するところは目覚めた人と訳される。
釈迦在世当時のインドでは、バラモン(ウパニシャッドの思想)が司るの国であった。
ウパニシャッドはアートマンはあるとし、生命の本体はアートマンであり、生命(アートマン)は不老、不滅、不死、安泰であると説く。
第一章 ブッダの背景
仏教の無我説は何もない真空状態の中に突然生まれてきたのではなく、それなりの理由があって生まれてきたはずです。否定の主張にはそれが否定した、ある特定の主張の存在が前提となっているはずだからです。だれも肯定していないところにわざわざ否定の主張をするわけがありません。つまり、アートマン否定の背景にはアートマン肯定説があったはずです。それがまさにバラモン教であり、ウパニシャッドの思想(バラモン教の哲学的展開)です。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_1.html
佐倉哲さんのエッセイ集より
第二章 ブッダの沈黙
しかし、仏教は、たとえば、「アートマンは有る」というウパニシャッドの主張に対して、同じ次元で「アートマンは無い」と単純に言い返したのではありませんでした。仏教の批判は、ウパニシャッド(やその他の宗教各派)の主張が依って立つ土台そのものに向けられた、もっと根本的なものだったからです。つまり、ブッダは、「アートマンは有る(無い)」という主張は間違っていると批判したのではなく、そのような問答は無意味であると批判したのです。ここに仏教のアートマン批判のもっとも顕著な特徴があります。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html
佐倉哲さんのエッセイ集より
第三章 ブッダの主張
人間の知識や経験の届かない、形而上学的問題に関しては、ブッダは「わたしが説かないことは説かないと了解せよ」と沈黙をもって応えましたが、人間の知識や経験の届く範囲に関して、とくに人間存在については、ブッダは「わたしが説くことは説くと了解せよ」と言って、いくつかの重要な主張を残しました。アートマンについても、死後においても生残るなどという形而上学的空想問題としては沈黙を保ちましたが、経験や知覚の世界の問題としてはアートマンに関して明確に無我の主張をしました。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_3.html
佐倉哲さんのエッセイ集より
このようにウパニシャッドのアートマン説(有我)に対し、ブッダは人間が知覚できる範囲として徹底的に否定し、無我(非我=アンアートマン)を説いた。
であるならば、仏教における仏、成仏とは、人間が特別な存在になるのではなく、形而上学的な事柄についての迷妄から、覚めた人のことではあるまいか。
2
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/02(金) 04:04:40
>>1
ここまでだと解脱かw
世の中のすべては縁起の法の中と、理解できることが悟りかな?
フルナさん的解釈じゃ、悟り=阿羅漢なのかな。
そしてその悟ったことを人々に説いていくことが菩薩かな?
ところで最近フルナさんは何処にいるんだろ・・・
3
:
フルナ
:2005/09/02(金) 18:59:38
こんばんは。
>フルナさん的解釈じゃ、悟り=阿羅漢なのかな。
ぼくの解釈と言うより、一般的な解釈でしょうね。解脱=阿羅漢でもあると思います。
>そしてその悟ったことを人々に説いていくことが菩薩かな?
観世音菩薩などは菩薩と言うより仏ですから、ここで言う菩薩というのは、皆と共に成仏を目指すリーダー的存在ですかね。一般の衆生よりは一歩進んでいる人であればOKで、阿羅漢の境地に達しているか否かとは別だと思います。
4
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/02(金) 20:04:46
きゃー フルナさん、きたわ^^
> >フルナさん的解釈じゃ、悟り=阿羅漢なのかな。
> ぼくの解釈と言うより、一般的な解釈でしょうね。解脱=阿羅漢でもあると思います。
...ψ(。。)メモメモ...
> >そしてその悟ったことを人々に説いていくことが菩薩かな?
> 観世音菩薩などは菩薩と言うより仏ですから、ここで言う菩薩というのは、皆と共に成仏を目指すリーダー的存在ですかね。一般の衆生よりは一歩進んでいる人であればOKで、阿羅漢の境地に達しているか否かとは別だと思います。
わめは何かねぇ、人は菩薩であればいいなんて思っちゃったりするのですよ。
っていうか、成仏・仏ってのは人様から評価・勲章みたいなもので、その域に達するとかそんなことじゃないなんて思ったりする今日この頃です。^^
5
:
フルナ
:2005/09/02(金) 20:18:37
>>4
法華経には授記のシーンがたくさん出てきますね。でも、たいていは気の遠くなるような未来に成仏するよって感じです。
これは大胆な仮説ですが、現実的には、成仏というのは我々が歩いて銀河の果ての惑星まで行こうというくらい大変なものなのではないかと思います。でも、挑戦し続けるのが生命に課せられた宿命というか、「進化」が生き物の運命であるように・・・。
そういう意味では、我々は「永遠の菩薩」で十分なのかもしれません。
6
:
フルナ
:2005/09/02(金) 21:38:20
錯覚と言われるのを覚悟で書きます。
テーラワーダを知って以来、「苦」をあまり感じなくなった気がします。実証論で言うなら、テーラワーダ仏教は有効だと思います。
しかも、テーラワーダと法華経とは決して矛盾しない。都合良すぎですか?
7
:
フルナ
:2005/09/04(日) 23:44:41
こんばんは。
↓これ、必読です。騙されたと思って読んでみてください。
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html
8
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/05(月) 00:08:30
フルナさん、こんばんは〜^^
> ↓これ、必読です。騙されたと思って読んでみてください。
>
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html
前にも言いましたが、このサイトは昨年に見ましたなんて書こうと思ったら、新しいページだわw汗 ってことで、しっかり読んでみようと思います。^^
が、これは上座部仏教の教義の肯定説みたいな御説法で、学会が学会教義の正当性を論じているみたいな印象を受けちゃいますね。(^^;;
でも仏教史を覆すような論は、斬新で面白くもありそうです。(^。^)
わめは、客観的・合理的に、また無信仰の方から学ぶところが多いようには感じますが。
「仏教の源流から」スレ
http://kangaeyou.hp.infoseek.co.jp/925_1029381997.html
#364
9
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/05(月) 00:36:58
フルナさんには大変申し訳ない感想ですが。m(_ _"m)ペコリ
輪廻などの形而上学的事柄を、理屈抜きで”ある”って言っちゃうところが、・・・似たり寄ったりだなぁって感じちゃうわめです。(^^;;
それも”ブッダ”が経験した、説いたと結論付け、だから正しいと言ってるところなんて、やっぱり学会の唯一絶対正義を彷彿してしまいますw
わめ的には、ブッダもただのおっさんです。
でも、縁起・無我など、誰人も今だその教えを破ることができないことを、ブッダが説いたとするなら、素晴らしい”人”だと思います。
10
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/05(月) 00:47:14
ちなみに、Libra師匠のこのページも更新されてた♪
「輪廻説は仏教ではない」
http://freett.com/Libra0000/z006.html
11
:
フルナ
:2005/09/05(月) 06:53:32
おはようございます。
わめさん、ぼくのわがままに付き合ってくれてありがとうございます。別に押し付けるつもりはなかったんですが、単に読み物として面白いと思ったので・・・。
「輪廻説は仏教ではない」も読ませてもらいました。結局のところ、「無我」をどう捉えるかがポイントですね。
ぼくだって、輪廻などない方がいいのです。こんな生きにくい世の中にまた生まれたいとは正直思えない。サラリーマンやってると痛感しますよ。
でも、もし「ある」としたら、やはり悪趣に赴くのはいやですし、できれば解脱したい。そうやって心を育てる努力をすることは、結局今世の自分のためにもなる。釈尊も言われたように、「来世があった場合は二倍得をする」と。
このスレッドの目的は何ですか?仏の定義を探って、わめさんはどうするおつもりなのでしょうか?
12
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/05(月) 09:44:56
フルナさん、(ノ゚Д゚)おはよう なわめです^^
> わめさん、ぼくのわがままに付き合ってくれてありがとうございます。別に押し付けるつもりはなかったんですが、単に読み物として面白いと思ったので・・・。
仏教史的な説明は、斬新で面白かったです。^^
でも、フルナさんだってお分かりだと思うけど、右がいいと思ってる方に、左がいいとのお話には反発を持たれてしまうのではないかと。 >創価学会がいいと思う方にテーラワーダ
それより右もいいけど左もいいよ、乃至、右も左もだめよのほうが説得力がありそうです。
> 「輪廻説は仏教ではない」も読ませてもらいました。結局のところ、「無我」をどう捉えるかがポイントですね。
そそ^^、五蘊無我の五蘊=一切を一切じゃなくここまで(色とか)が五蘊などとして、ブッダが説かれていない「真のアートマン」を持ち出さないと、輪廻は”ある”とできないわけです。
> ぼくだって、輪廻などない方がいいのです。こんな生きにくい世の中にまた生まれたいとは正直思えない。サラリーマンやってると痛感しますよ。
「輪廻説は仏教ではない」でも書かれてますが、脳が壊れていくことで心が壊れていくというアルツハイマー病患者での事実は、心(性格やその方の人間性等)は脳の働きであると言えると思います。
輪廻があるとした場合には、前世で脳が壊れるわけですから、心も壊れた状態もしくは心とは別の何かが輪廻するわけで、まったく別人格の自分になっているように思うのです。
それなら、人が死んで焼かれ土に返り、またそれが植物などに吸収されそれを動物が食べ、人は意識・人格を無くしながらも、何らかの形で存在していくのと何ら変わりはなく、それは縁起そのものじゃないかと思うのです。
そういった意味で一個の生物は、無数の命を取り込んで(ながら)生存活動を続けているわけで、またその一個の生命も死によって、他の多数の生物の中に取り込まれていく。これを輪廻と言ってもいいんじゃないかと思うし、そういったことを指すのが輪廻なら”ある”と思います。
> でも、もし「ある」としたら、やはり悪趣に赴くのはいやですし、できれば解脱したい。そうやって心を育てる努力をすることは、結局今世の自分のためにもなる。釈尊も言われたように、「来世があった場合は二倍得をする」と。
↑で書いたような輪廻であるならば、来世と言う概念の輪廻はないと思うのです。
> このスレッドの目的は何ですか?仏の定義を探って、わめさんはどうするおつもりなのでしょうか?
ブッダの時代、人々が妄想・妄信・我執等の心の呪縛から解放されることなど、どれほど難しいことかは、想像に難くないと思うのです。だから当時としてブッダの悟りは,センセーショナルなことだったのも頷けます。
仏・成仏とは、妄想・妄信・我執等の心の呪縛から解放され、ありのままをありのままに見れる方だと思っています。言わば夢から覚めた人=仏陀(呼称)
今も仏・成仏にまで妄想・妄信・執着(願望)する方が多いと思うのですが、そのような人たちを見たら、ブッダは嘆くだろうなぁなんていう気持ちで立てたスレかもw汗
13
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/05(月) 10:09:53
あ、こんなことも考えてみたのですが、
来世があるとして、来世に今世の何を持ち越すことができるのか?
脳が壊れちゃうわけですから、記憶・知識・心・その方の人間性(個性)などは持ち越せない。
善行・悪行の結果はその方の人間性(個性)に反映(これも前述のように脳の働き)されていくと思いますが、それも持ち越しようがないのではないかと思うのです。
なのでわめ的には、食べ物を粗末にしたらもったいないオバケがでるぞ〜の「もったいないオバケ」みたいなもの、悪いことをしたら来世で無茶苦茶苦しむことになるぞの「来世」の捉え方でいいのではないかと思うのですが、それをことさら強く信じてしまうと、心の呪縛を生むことになってしまうと思うのです。
なので一種のことわざとしておくのが一番いいのじゃないかな?
現代じゃ来世を信じる方も少なくなって、功罪の効の効き目が薄く、心の呪縛を生む罪部分が大きくなって、あまり良いことわざとも思えませんが・・・
14
:
フルナ
:2005/09/05(月) 20:08:45
こんばんは。
わめさん
わかりました。とりあえず輪廻の有無は棚上げにして、今後は「今をどう生きるか」との視点で語り合えたらいいですね。
ぼくは、既に述べたとおり、なんとか「苦」を感じないような生き方をしたいと考えていますし、テーラワーダの教えは大変有効だと実感しています。
わめさんの「覚悟」って、ある意味「開き直り」のようなものなのでしょうか?あっでも、覚悟ってどちらも「さとり」と読みますよね。
15
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/05(月) 20:31:48
フルナさん、こんばんは〜^^
> わかりました。とりあえず輪廻の有無は棚上げにして、今後は「今をどう生きるか」との視点で語り合えたらいいですね。
ハイ(^-^)/ でも「今をどう生きるか」ですかw むっ難しい課題ですねw
でも、考えてみるのは有意義かもですね^^
> ぼくは、既に述べたとおり、なんとか「苦」を感じないような生き方をしたいと考えていますし、テーラワーダの教えは大変有効だと実感しています。
わめ的には、宗教=学校のイメージで、いずれ巣立っていくべしって思ってます。
んで、わめは退学しちゃったんだけど、もう学校には入学したくないって感じなのかなw汗
> わめさんの「覚悟」って、ある意味「開き直り」のようなものなのでしょうか?あっでも、覚悟ってどちらも「さとり」と読みますよね。
普通に使われるような覚悟って意味で使ってったけど、覚悟って字はいい字ですね。w( ̄o ̄)w オオー!
でも「開き直り」っていうか、どうにでもなれ的な意味で使ってるわけじゃないっすよw
何が起こるかわからない、その何が起こっても覚悟している自分かな・・・
16
:
フルナ
:2005/09/05(月) 20:39:42
学会の言う「所願満足の人生」──これが本当に可能なら、それはそれで素晴らしいことかもしれません。でも、現実にはすべてが思い通りになるなどということはあり得ません。
いくら祈ったって、無理なものは無理なのです。それを「祈れば叶うはず」と錯覚するからこそ、学会員ならではの「苦」を生み出していると言えないでしょうか?結果、幹部からは「信心が足りない」と言われ、ますます祈りながら苦しむこととなる。
日蓮仏法は希望の哲学とも言われますが、特効薬も効かなければただの劇薬です。学会の信心で幸福になった人というのは、このあたりのバランスをうまくとることのできた人なのではないでしょうか?
17
:
フルナ
:2005/09/05(月) 20:45:51
>>14
わめさんは退学されたんですか?ぼくは、生涯学習のイメージですね。
>でも「開き直り」っていうか、どうにでもなれ的な意味で使ってるわけじゃないっすよw
わかってますよ。野球なんかでも、開き直ることでいい結果が出たという話はよく聞きますよね。ある意味「無我」の境地に通じるものがあるのでは?
18
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/05(月) 21:08:30
フルナさん、わめです^^
わめは色々な宗教ウォッチングをしてますが、どこも似たり寄ったりで、その教義や師の言われることを、何の疑いも持たず信仰していくと言うのがそのパターンのようです。
そして、自分の人生で起こることを、その信仰の教義に当て嵌めてしまう。信じて疑わないなら、その人にとっては「所願満足の人生」なのかもしれませんよ。
> いくら祈ったって、無理なものは無理なのです。それを「祈れば叶うはず」と錯覚するからこそ、学会員ならではの「苦」を生み出していると言えないでしょうか?結果、幹部からは「信心が足りない」と言われ、ますます祈りながら苦しむこととなる。
うーん、これはもう疑いを持ち出した方のことではないでしょうか。信じきってる方は、錯覚も現実とみてしまえるように思えますが。
> 日蓮仏法は希望の哲学とも言われますが、特効薬も効かなければただの劇薬です。学会の信心で幸福になった人というのは、このあたりのバランスをうまくとることのできた人なのではないでしょうか?
宗教は言うなれば薬物であると思います。薬物に依存していること自体に問題があるように思います。
> わめさんは退学されたんですか?ぼくは、生涯学習のイメージですね。
学校で学ぶことは、よくて社会のシュミレーションじゃないかと思うのです。実社会に出て学ぶことが、大切なことのように思ったりします。^^
19
:
フルナ
:2005/09/06(火) 06:41:28
わめさん、おはようございます。
>宗教は言うなれば薬物であると思います。
「宗教はアヘン」ということですかね?確かに、そのような要素はあると思います。しかし、それによって救われる人がいるなら、全否定はできないとも思います。
ちなみに、正統な初期仏教は宗教とは呼べない気がするのですが、いかがでしょうか?わめさんにとって、もはや仏教は不要なものなのでしょうか?
20
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/06(火) 11:11:17
フルナさん、(*゜ー゜)vオハヨ♪ってもうお昼前だw爆
> >宗教は言うなれば薬物であると思います。
> 「宗教はアヘン」ということですかね?確かに、そのような要素はあると思います。しかし、それによって救われる人がいるなら、全否定はできないとも思います。
宗教を薬物と言う表現では、フルナさんが言われるような”アヘン”的なイメージが浮かんできそうですねw汗
もちろん宗教にはそういった要素もあると思うのですが、悪いイメージばかりを持たれるのもわめ的には不本意ですので、宗教は医術との表現に変更します。^^
医術なら薬物〜外科手術まで含め、また精神医学・精神病理学も医術ですから、例えと言うより宗教そのもののイメージにぴったりじゃないかと思ったりします。^^
宗教は医術、体や精神の悪いところを治すためのもの、更に持ち上げれば予防医学も含まれそうです。
ですからわめも全否定ではありません。
ただ宗教と言う医術は、依存症になりやすく、現代においては病気を治す効果より、病気を生み出す罪科が大きくなってきていると言いたいのです。
> ちなみに、正統な初期仏教は宗教とは呼べない気がするのですが、いかがでしょうか?
正統な初期仏教ですか、言い言葉ですね。わめはその正統な初期仏教の中でも、縁起の概念のみを認めます。ですから縁起の概念は諸法無我・諸法無常で誠に合理的なことを説いているわけで、宗教とは呼べないかもしれませんね。
そして縁起の概念を正しく観る”涅槃寂静”が重要だと思います。でも”涅槃寂静”と言っても、現代はブッダの時代のように迷信などに迷いこむ人は少なく(結構いるかw)、科学も発達し、物事を合理的に考えやすく、そのための情報も豊富であるわけですから、”涅槃寂静”と言う言葉の持つ魅力はそれほどないと思いますが、それでも”涅槃寂静”と言うその魅力的な言葉に、囚われてしまう方もおられるでしょうから危険性は無視できませんが。
またこの縁起の概念から外れた事を説く宗教、縁起の概念をおおげさに神秘的・呪術的に説く宗教が、上記にあげた宗教の罪科だと思います。
> わめさんにとって、もはや仏教は不要なものなのでしょうか?
わめにとって縁起の概念は最重要で、これを仏教と呼ぶか呼ばないかがその答えかもです。^^
21
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/06(火) 11:53:26
縁起の法とか縁起の思想とかより、縁起の概念との表現が、その言葉に囚われにくいと思い使いましたが、それでもまだ神秘的に感じる方もおられるかもしれません。汗
ですのでちょっと補足して縁起の概念を、すべてのモノは関係性の中で生起し、自立自存するモノなど何もない。すべてが関係性としての存在である。それを私に置き換えて”関係性の中の私”以外に私はいないし、関係性の中から関係性の一部である私を取り出すこともできない。
と言った当たり前の意味で、縁起の概念と書きました。^^
22
:
フルナ
:2005/09/06(火) 18:02:21
わめさん、レスに感謝です。
>宗教は医術との表現に変更します。
そうですね。ぼくも、薬物という表現に釣られたかも。仏教では「応病与薬」なんてことばもありますし、医療とは縁があると思います。
>わめはその正統な初期仏教の中でも、縁起の概念のみを認めます。
なるほど。ようやくわめさんのスタンスがわかってきました。わめさんは、内部改革をするために学会に留まっていると理解しているのですが、このあたりの関連はどうなっているのでしょうか?
例えば、ぼくがわめさんの立場なら、「功徳と罰」論に洗脳された学会員を救うため、正統な仏教の教義(縁起の理法等)を幹部に気づかれないように伝える努力をするだろうと思うのですが、そういうことでしょうか?
23
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/06(火) 18:26:10
フルナさん、おかえり〜(予想)^^
> >わめはその正統な初期仏教の中でも、縁起の概念のみを認めます。
> なるほど。ようやくわめさんのスタンスがわかってきました。わめさんは、内部改革をするために学会に留まっていると理解しているのですが、このあたりの関連はどうなっているのでしょうか?
内部改革は考えてませんw汗
学会はむしろよからぬ方向に進むのを望んでいたりします。(^^;;
他の方のブログのコメント欄に書いたことを一部抜粋。
『今以上に巧妙になると、内の人の疑心を奪っていくことになり兼ねないし、新たな犠牲者をより生み出すことになりはしないかと心配です。(^^;;
それに学会員にも自主・自立を促したいわめには、欠陥だらけの組織であって欲しいです^^』
> 例えば、ぼくがわめさんの立場なら、「功徳と罰」論に洗脳された学会員を救うため、正統な仏教の教義(縁起の理法等)を幹部に気づかれないように伝える努力をするだろうと思うのですが、そういうことでしょうか?
学会内では正攻法は通じません。池田氏の記事(例えばSGI提言)などから、フルナさんの言う「正統な仏教の教義(縁起の理法等)」の部分を抜き出して、「池田先生もこのようにおっしゃっています。」みたいな感じで話さないと効果はありません。(^▽^;)
↓など、フルナさんにも以前読んで頂いたコメントを再リンク♪
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1105189880/40
24
:
フルナ
:2005/09/06(火) 18:50:35
夕食を済ませたら、わめさんのレスが。
>内部改革は考えてませんw汗
>学会はむしろよからぬ方向に進むのを望んでいたりします。(^^;;
つまり、トロイの木馬よろしく、内部にいて他の学会員をして学会の矛盾に気づかせ、あわよくば学会を崩壊させようと・・・。
反対という訳ではありませんが、崩壊後の受け皿も必要なのではないかと。それに、ガンである池田氏が退陣すれば、結構まともな組織になるかもしれませんし。
学会員が今の信心を失ったとき、「縁起の理法」だけで支えられるかどうか・・・。
25
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/06(火) 19:24:48
フルナさん、夕食後のわめです。^^
> つまり、トロイの木馬よろしく、内部にいて他の学会員をして学会の矛盾に気づかせ、あわよくば学会を崩壊させようと・・・。
わめ如きに何ができるかは分かりません。(^^;;
> 反対という訳ではありませんが、崩壊後の受け皿も必要なのではないかと。それに、ガンである池田氏が退陣すれば、結構まともな組織になるかもしれませんし。
他の受け皿を求めるようでは意味がないと思っております。(>▽<;; アセアセ
そのような何かに、依存してしまう心を変えていきたいと思っているのです。
池田氏退陣後はどうなるかは分かりませんが、後釜に池田氏のようなカリスマ性はないと思いますので、目を覚まされる方も増えていくのではないかと期待したいところです。^^
> 学会員が今の信心を失ったとき、「縁起の理法」だけで支えられるかどうか・・・。
厳しいかもしれませんが、依存していたから何かを失うわけで、そのような妄想から覚めなければ、また別の宗教や思想に依存し、学会をやめたところで何も変わらないのではないかと・・・
26
:
フルナ
:2005/09/06(火) 19:52:11
わめさんのご意見はよくわかりました。
質問ばかりで恐縮ですが、結局のところわめさんは解脱を目指しているのでしょうか?
27
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/06(火) 23:39:54
フルナさん、夕食後寝てしまったわめです。(^^;;
> 質問ばかりで恐縮ですが、結局のところわめさんは解脱を目指しているのでしょうか?
わめは、解脱とか仏教用語ではピンっとこないのですよw汗
何故ならその定義がよく分かってないからで、それより
>>14
でフルナさんが、「今をどう生きるか」のほうがしっくりきますので、こちらに沿ってお返事したいと思います。<(_ _)>
「今をどう生きるか」も、今後もやっぱこの掲示板やブログのタイトルのように、「EnjoyLife」=「楽しい人生」とか「充実した人生」を送りたいかな。
わめがそのような人生を送るためにも、やっぱ世の中縁起(関係性の中の自分)だから、周囲(ネットも含め)の方達にも、楽しい・充実した人生を送ってもらえなきゃわめもそうなれないかなだろうとの思いで、リアルやネットで皆さんそうなって欲しいよ〜ってメッセを送っているつもりです。
またこのメッセを送ることが、今のわめの楽しみでもあるわけです。
フルナさんだって、わめとよく似ているんじゃないかなって、勝手に推測してますよ。^^
28
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/07(水) 02:44:16
フルナさん、皆さん、19〜23時まで寝てしまい、まだ目がキラキラなわめです。^^
> 質問ばかりで恐縮ですが、結局のところわめさんは解脱を目指しているのでしょうか?
この質問に対する答えと言うか、この質問をされたフルナさんに、わめからの贈り物を差し上げたいと思います。
Libra師匠の資料集より『呪縛からの解放─法華経の宗教性(友岡雅弥)』
http://freett.com/Libra0000/042.htm
特に『「悟りなどはない」というと、語弊があるかもしれないが、解脱すべき、悟るべき「自己」という考えこそ、我執の最たる者ではないだろうか。』との言葉を贈りたいと思います。
フルナさん、誤解しないで聞いて頂きたいのですが、決してあなたを非難したいのではありません。フルナさんにとって残された課題は、この「我執を棄てる」ことだけかもしれないと思っただけです。
今後のご活躍に役立てていただければありがたいです。<(_ _)>
29
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/07(水) 11:09:08
>>12
で
> そそ^^、五蘊無我の五蘊=一切を一切じゃなくここまで(色とか)が五蘊などとして、ブッダが説かれていない「真のアートマン」を持ち出さないと、輪廻は”ある”とできないわけです。
『ブッダが説かれていない「真のアートマン」』と書きましたが、わめの誤謬?かもと思えるテキストを見つけましたので下記にリンクします。
でもここでも結論は、アートマン肯定はブッダの説ではないと述べているようです。
曽我さんのWebサイトより《スッタニパータはアートマンを説く反仏教!》
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/suttanip.html
30
:
みれい
:2005/09/08(木) 11:16:19
>> 反対という訳ではありませんが、崩壊後の受け皿も必要なのではないかと。それに、ガンである池田氏が退陣すれば、結構まともな組織になるかもしれませんし。
>他の受け皿を求めるようでは意味がないと思っております。(>▽<;; アセアセ
そのような何かに、依存してしまう心を変えていきたいと思っているのです。
池田氏退陣後はどうなるかは分かりませんが、後釜に池田氏のようなカリスマ性はないと思いますので、目を覚まされる方も増えていくのではないかと期待したいところです。^^
>> 学会員が今の信心を失ったとき、「縁起の理法」だけで支えられるかどうか・・・。
>厳しいかもしれませんが、依存していたから何かを失うわけで、そのような妄想から覚めなければ、また別の宗教や思想に依存し、学会をやめたところで何も変わらないのではないかと・・・
宗教依存症の人からいきなり依存している宗教を引っこ抜くのは
アルコール依存症患者からいきなり酒を奪い取るようなもので、
受け皿は必要ないというのはちょっと乱暴ないい方の気がします。
(もっとも荒い言い方が時々でるわめさんのカキコなので、そこが本意でなく、
この掲示板を見て新たな思想、宗教や法華経の捉え方をみいだしてくれる学会員がいる事を願っているようにも思えますが)
で、そうなると、この掲示板をみて何かに気づく学会員さんもいてもいいと思うし、
フルナさんのお勧めテーラワーダ佛教に興味を持たれてもいいと思うし、
いずれにしても依存性の少ないものに移行できれば(それが学会内部から起こればベターですが)依存症も治ってくる可能性もあると思います。
もっとも心配なのは同じ傾向の日蓮正宗系のカルト性の濃い宗教などにハマる事や、ご本人が信念と思ってきたものを引っこ抜かれて生ける屍になってしまい、そこから抜けられなくなってしまうことです。
日本酒からウォッカに切り替えるだけで依存症そのまま、みたいな。
長い目でみればそれらも無駄ではありませんが、苦しむのを放っておく事もないかと。
最終的には受け皿なんて必要ない事に気づくとしても、過程としてはやはり受け皿はいくつか必要だと思うのです。
フルナさんは依存症のダメージの方を心配されていると思うのです。
うちの母は結局宗教依存のまま死にました。本人はそれも幸せかもしれません(家族は大迷惑でした)。
父はアルコール依存症から、(すでにアルコールによって脳障害を患いましたが)断酒の会を経て断酒に成功しました。
いろんなカタチの幸せの選択肢を与えられる方がいいんじゃないかな、と思うのです。
そして以前Libraさんともお話しましたが、日蓮正宗の教義自体に、反証主義を受け入れがたい面がある部分も見逃せない点です。
(何年か経ってまた新たな展開があったかもしれませんが)
31
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/08(木) 11:46:22
みれいしゃん、コメントアリガト!(´▽`)
わめのコメントって、言葉足らずと言うか結構過激ですねw
みれいしゃんに指摘されて改めてよく分かります。(^^;;
わめは今も学会員でありながら、その依存状態を抜け出せたと思っているのですが、そのような方が退会される場合は、他の受け皿は必要ないと思うわけです。
ですが、学会依存の学会員を、学会から強引に引っこ抜こうとする場合には、フルナさんやみれいしゃんの言われるような、受け皿も必要だと思いますし、みれいしゃんの書かれたお父さんのお話、アルコール依存症から断酒の会みたいに、学会依存症から依存症克服の会みたいなものがあると非常にいいとは思います。^^
ただ、依存症克服の会ではなく、他の宗教団体に移行する場合は、みれいしゃんも心配されているようにカルト性の濃い宗教にまた依存してみたりは怖いし、逆に今度はカルト性の低い宗教に依存では、依存症は軽くなるかもしれませんが、カルト性の低い宗教から抜け出すことは、中々難しいのではないかと危惧してしまいます。
でも依存傾向が低くなれば、それで良しとしなければいけないのかな? 少なくとも強依存状態からは抜け出せるわけですから・・・
まだこの辺は、わめとしては考えがまとまらないようです。ヽ(´Д`;)ノアゥア...
32
:
みれい
:2005/09/08(木) 14:45:31
>でも依存傾向が低くなれば、それで良しとしなければいけないのかな? 少なくとも強依存状態からは抜け出せるわけですから・・・
日本では依存症の対策は悲しいほどとられていませんし、認知もされていません。
依存症は本人のつらい体験や気質や性格や遺伝も関わってくるので依存症になった理由に対しての「適切なケア」が必要になってくるでしょう。
それが宗教であるかもしれないし、そうでないかもしれません。
ちなみにアメリカでは「依存症」(アディクション)も差し障りない程度ならば「個性」として捉えるようです。
オタクとかマニアも日本ほど異端扱いしないでしょうし、きっと宗教に対してもそうなのではないかと。
むしろ日本は「みんな同じで一緒」が好きな国なので依存傾向は元々強く、国民性の違いなのかもしれません。
「依存症」から抜け出たその先も普通に「拠り所」は皆なにかしら求めるはずなので「彼岸(かのきし)」への行き方は、そこはもう本人次第だし、
あとは導きたいと願う人たちの力かなと思ってます。
そんなわけで佛教だけでなく、いろんなキリスト教のありかたも見てると、すでにキリスト教じゃないのでは!という思想を持ったキリスト教さんもいて楽しいです。
33
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/08(木) 15:08:07
みれいしゃん、適確で、わめの心を打つ、アドバイスをありがとうございます。<(_ _)>
そうですね、わめだっでおもっきり縁起に依存してました。^^
どうせ縁起に依存していない者なんて一人もいないのだし、縁起依存会でも作っちゃおうかなw笑
スローガンは「我々は我々であって我々でない! すべてが縁起なんだ!」と。
う〜ん、インパクトがないなw(´・ω・`)ショボーン
冗談(?)はさておき、人が何かに依存しなければ生きていけないとしたら、より良いものに依存していきたいですね。^^
35
:
Leo
:2005/10/19(水) 23:58:17
はて?書き込みがないのにスレが上がっているのは神通力でしょうか(^^
>スローガンは「我々は我々であって我々でない! すべてが縁起なんだ!」と。
> う〜ん、インパクトがないなw(´・ω・`)ショボーン
インパクトあるかもです! わめさんの縁起の悟達です(^^b
インターネットも縁起、対話も縁起。縁起に依存すればおのずから
「勝負」「衝突」は回避され「寛容」「慈悲」「ヒューマニズム」がひらく
かもしれない。
36
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/20(木) 00:50:17
> はて?書き込みがないのにスレが上がっているのは神通力でしょうか(^^
エロサイト誘導の書き込みがありましたので削除しましたが、それでもスレは上がるのですね。(^_^;)
> >スローガンは「我々は我々であって我々でない! すべてが縁起なんだ!」と。
> > う〜ん、インパクトがないなw(´・ω・`)ショボーン
>
> インパクトあるかもです! わめさんの縁起の悟達です(^^b
あらwΣΣ(゚д゚lll)ガガーン
> インターネットも縁起、対話も縁起。縁起に依存すればおのずから
> 「勝負」「衝突」は回避され「寛容」「慈悲」「ヒューマニズム」がひらく
> かもしれない。
(*゜▽゜)*。_。)*゜▽゜)*。_。)ウンウン
縁起という言葉も仏教用語なわけで、縁起の宣揚が宗教をイメージされるのも、”縁起”からすればいい迷惑にならないか心配ですw汗
37
:
Leo
:2005/10/20(木) 02:12:29
>縁起という言葉も仏教用語なわけで、縁起の宣揚が宗教をイメージされるのも、”縁起”からすればいい迷惑にならないか心配ですw汗
(一応)縁起によって従来の宗教の固定観念を突破しよう(開こう)シリーズでした。
わめさんのイメージする非・宗教って初期仏教か哲学かな?そっちの方向も模索してみたいな。
学会指導(学会指導を例に出してしまってヘンですが)でさえ仏法対話には仏教用語使うなみたいなのがあるくらいですし。
>「宗教はアヘン」ということですかね?確かに、そのような要素はあると思います。
ちなみに俺の宗教は一番偉いんだぞーというのを「宗教はエヘン」といいます。
仏教には元来「エヘン」はないのですね。空ですから。ところで、
「およそ、縁起しているもの、それを、われわれは空であること(空性)と説く。
それは、相待の仮説(縁って想定されたもの)であり、それはすなわち、中道そのものである。」
(三枝充悳訳『中論(下)』レグルス文庫 )
「相待の仮説」って「暫定真理」と同じイメージですね。縁起は大聖人がよりどころとした天台大師でも、
「一切法を心に約して観ずる」「一念三千」説や「仮空中の三諦」として説明されてます。
「根塵あい対して一念の心起こるに即空即仮即中なりとは、もしは根もしは塵、ならびにこれ法界なり、
ならびにこれ畢竟空、ならびにこれ如来蔵、ならびに中道なり。
いかんが即空なるや。ならびに縁より生ず、縁生はすなわち主なし、主なきはすなわち空なり。
いかんが即仮なるや。主なくしてしかも生ず。すなわちこれ仮なり。
いかんが即中なるや。法性を出でず、ならびにみなすなわち中なり。」
(『摩訶止観』)
天台大師も宗教というより結構哲学ですね。ちなみに天台大師は隋の煬帝の先生だったです。
(意に反して)煬帝は暴君になって(されて※唐の歴史を正当化するためにより悪役にされたかもしれない)しまいましたが。
そういえばアレキサンダー大王の先生はアリストテレスだったなー。
ポパーの弟子にジョージ・ソロスという投機家がいるし。
偉い先生の弟子にはお騒がせな人もいるということで。
38
:
Leo
:2005/10/20(木) 02:29:48
ちなみにジョージ・ソロスは池田先生の推定年収の100倍の年収、投機で影響力を発揮したり(改革?)、
東欧に多額の寄付をしたり(慈善?)、「開かれた社会」の実現を目指している。
よいのか悪いのかよくわからない。
39
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/20(木) 02:40:36
Leoさん、従来の宗教の固定観念を突破しようすることはいいことだとは思います。
でも縁起という言葉・概念によって、わめは新たな固定観念が生まれることには反対なのです。
40
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/20(木) 02:42:43
人間の不幸は智慧が足りないことよりも、この人の持つ固定観念こそがその根源ではないかと・・・
41
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/20(木) 02:56:31
Leoさん、酔った勢いでわめの妄想でも書いちゃおうかとw笑
両手一杯に広げた手、左手に理性を、右手に心情を。
理性はより真理を探求し、それは縮小であり、根源である。
心情は本来真理の広がりであり、それを基点(真理)とし、限りなく広がる膨張であり、未来である。
こんなことがこの世界に相応しいルールじゃないかと・・・
でも、このルールに従わなくても人間は生きていけるわけで、その行いによりまた世界は変化(膨張)しながら実相を現していくわけで、言わば何でもアリだとは思いますが、それはいずれこの新生代を終焉に向かわせることになるだけで、こんなことは地球上でも何度も繰り返されてきた、何でもないことだとは思います。
だけどこのようなことは知っておいていいことだと思いますし、できれば”この世界に相応しいルール”に沿って生きていくことを、人は試してみてもいいんじゃないかと思ったりするわめがいます。
以上、わめの戯言でした。
42
:
Leo
:2005/10/20(木) 03:05:58
>でも縁起という言葉・概念によって、わめは新たな固定観念が生まれることには反対なのです。
>人間の不幸は智慧が足りないことよりも、この人の持つ固定観念こそがその根源ではないかと・・・
【固定観念】
「心の中にこり固まっていて、他人の意見や周りの状況によって変化せず、行動を規定するような観念。固着観念。」
(『大辞林 第二版』)
固定観念はこり固まって変化しないこと。それに対して世の中は変化している。
変化しない自分と変化する世の中のギャップが不幸のもとでしょうか。
そもそも人類の進化はまわりの変化に対応した結果ですから変化を拒むのは進化や進歩をやめることです。
初期人類の環境に重大な変化が起こった。気候が変化し森がなくなり平原が出現した。
平原を歩くために二本の足で歩くようになった。
場合によってはやみくもな進化や進歩はいらないかもしれないですが不幸の解決は重要ですね。
>両手一杯に広げた手、左手に理性を、右手に心情を。
>
>理性はより真理を探求し、それは縮小であり、根源である。
>心情は本来真理の広がりであり、それを基点(真理)とし、限りなく広がる膨張であり、未来である。
>
>こんなことがこの世界に相応しいルールじゃないかと・・・
「世界に相応しいルール」って「変化」なのかな。固定化・肥大化したものは滅びる(例 恐竜)。
「限りなく広がる膨張」心だけでなく宇宙広宣流布したいな。
(広宣流布といっても宗教を広めるのでなく、人類がゆりかごである地球から出発することですね、
これからは地球島国根性じゃだめすよ)
43
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/20(木) 03:15:00
Leoさん、コーヒーで酔い覚ましなわめです。笑
> 「世界に相応しいルール」って「変化」なのかな。
変化は膨張じゃないかな。
宇宙には始まりという基点と、そこから膨張し続けているという・・・わめの固定観念だこりゃw爆
基点を求めるのは理性の自然な姿だと思うし、心情は広がり続けるというのも自然な姿だと思います。
誤ったものを基点にしないことを固定観念が邪魔します。
より真理に近いものを基点とし、心情を羽ばたかせていければいいなぁ〜って思うわめです。^^
44
:
Leo
:2005/10/21(金) 00:29:35
>変化は膨張じゃないかな。
>宇宙には始まりという基点と、そこから膨張し続けているという・・・わめの固定観念だこりゃw爆
>基点を求めるのは理性の自然な姿だと思うし、心情は広がり続けるというのも自然な姿だと思います。
>誤ったものを基点にしないことを固定観念が邪魔します。
>より真理に近いものを基点とし、心情を羽ばたかせていければいいなぁ〜って思うわめです。^^
わめさんは唯心論を主張されているのではないと思いますが基点(という固定観念ないし実体視)を仮定しないのが仏法ではないでしょうか。
一念三千説は発生論を拒否するものである(安藤俊雄)
http://freett.com/Libra0000/121.html
「簡単にいえば智ギの心具説は心のみならず、色・声あるいは仏・衆生の一切法の一一が即一切であり、
三千法界を本具する全体であることを表示する原理であって、本来の唯心論の如き諸法の中で心性とか
阿梨耶識の如き特定の根本識を想定して、そこから一切法の生成を説明しようとする唯心論的な
発生論的世界観を拒否するものであったはずである。」
「つまり、一心と一切法(三千)の前後・本末などを論じてはならないということである。
以上のごとき観点から、具体的に地論・摂論二宗の唯識説を取りあげて、批判を加えてもいる。」
(田村芳朗「天台本覚思想概説」『天台本覚論』岩波書店)
45
:
Leo
:2005/10/21(金) 00:58:03
>宇宙には始まりという基点と、そこから膨張し続けているという・・・わめの固定観念だこりゃw爆
「基点」と「膨張」を「牢獄からの脱出」と捉えると大いに「心情を羽ばたかせ」られるかもしれません。
「一宗教団体」という「牢獄」から、世界や宇宙という「広い牢獄」に「心情を羽ばたかせ」てみるのが
よいかもしれません(すでにわめさんはそのようにして「心情を羽ばたかせ」ているのだと思いますが...)。
フレームワークの神話(カール・ポパー)
http://freett.com/Libra0000/111.html
「ウォーフとその幾人かの後継者は、われわれがある種の知的牢獄、われわれの言語の構造的規則によって形作られた
牢獄のなかに住んでいると示唆してきた。わたくしはこの比喩を受け入れる用意があるが、
しかしわれわれは通常この牢獄に気づいていないというかぎりでは、これは奇妙な牢獄だということを付け加えねばならない。
われわれは文化衝突を通じて牢獄に気づきうるのである。しかしそのとき、まさに気づくということによって、
牢獄から脱出できるのである。十分に努力し、新しい言語を研究し、母語と比較することによって、われわれの牢獄を超越できるのである。
その結果はまた新しい牢獄であろう。しかし、これははるかに大きく広い牢獄であろう。
そして再び、われわれはこの牢獄に悩むこともないであろう。
というよりむしろ、新しい牢獄に悩むことになれば、われわれにはつねにこの牢獄を批判的に検討し、
いっそう広い牢獄へと脱出する自由があるのだ。
この牢獄はフレームワークである。牢獄を好まぬ人びとはフレームワークの神話に反対するであろう。
こういう人びとは、別の世界から来た相手との討論を歓迎するであろう。
というのは、この討論によって、みずからがいままで気づいていなかった鎖を発見し、
それを断ち切り、みずからを超越する機会が与えられるからである。」
46
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/21(金) 01:00:06
Leoさん、こんばんは^^
> わめさんは唯心論を主張されているのではないと思いますが基点(という固定観念ないし実体視)を仮定しないのが仏法ではないでしょうか。
チョンガーさんには、わめの考えは唯物論的だと指摘されました。汗
基点を仮定するのは仏法じゃないですか。涙
何だか観念的なお話でわめにはよく分かりません。(^^;;
でも人って今日を今日だと仮定していると思うし、今を基点とし新たなスタートってのもアリだと思うし、そういった意味では、わめ達が知る世界はこの宇宙しかないわけで、その宇宙に始まりがあったと仮定するのはいけないことなのかな? と言うか宇宙に始まりがあると言うのは有力な説だと思うし、宇宙膨張説も有力じゃないかな?
47
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/21(金) 01:13:38
>>45
Leoさん、この「知的牢獄」っていいですね。♪
> われわれは文化衝突を通じて牢獄に気づきうるのである。しかしそのとき、まさに気づくということによって、
> 牢獄から脱出できるのである。十分に努力し、新しい言語を研究し、母語と比較することによって、われわれの牢獄を超越できるのである。
牢獄から脱出も( ・∀・)イイ!
> その結果はまた新しい牢獄であろう。
( ̄  ̄) (_ _)うんうん そして牢獄の壁にぶつかるようならまた脱出。
常に牢獄の中にいることの自覚が大切ですね。
じゃないと訂正する準備ができませんしね。^^
48
:
Leo
:2005/10/21(金) 01:19:40
わめさん
>チョンガーさんには、わめの考えは唯物論的だと指摘されました。汗
物が固定的実体なく変化すると捉える(縁起)なら唯物論的でも(もちろん唯心論的でも)ないです。
>基点を仮定するのは仏法じゃないですか。涙
>何だか観念的なお話でわめにはよく分かりません。(^^;;
>でも人って今日を今日だと仮定していると思うし、今を基点とし新たなスタートってのもアリだと思うし、
基点が「現在を軸」であるならアリと思います。
>そういった意味では、わめ達が知る世界はこの宇宙しかないわけで、その宇宙に始まりがあったと仮定するのはいけないことなのかな?
>と言うか宇宙に始まりがあると言うのは有力な説だと思うし、宇宙膨張説も有力じゃないかな?
現代宇宙論を否定するのでなくて、発生論的発想は一念三千説に相反するので要注意かもしれないと思いました。
(宇宙が無から発生するのは縁起と反しないかなどLibraさんに年末質問したいです)
あと、わめさんの意見を否定するのでなく私の疑問シリーズだと思ってくださいです。
49
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/21(金) 01:27:46
> 物が固定的実体なく変化すると捉える(縁起)なら唯物論的でも(もちろん唯心論的でも)ないです。
(´▽`) ホッ
> 基点が「現在を軸」であるならアリと思います。
もひとつ( ´o`)п< <(ホ) (^▽^)良いホが出ましたな
> 現代宇宙論を否定するのでなくて、発生論的発想は一念三千説に相反するので要注意かもしれないと思いました。
> (宇宙が無から発生するのは縁起と反しないかなどLibraさんに年末質問したいです)
わめは、宇宙が無からの発生には懐疑的です。(^^;;
宇宙も何かの原因・関係性によって生まれたのではないかと思いまする。^^
って無からの発生が事実なら、事実に勝てるものはありませんけど。
> あと、わめさんの意見を否定するのでなく私の疑問シリーズだと思ってくださいです。
批判は歓迎♪〜 ( ̄▽ ̄)ゞラジャ
50
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/21(金) 01:37:04
Leoさん、ハーイ、シツモーン! (/*・・)o
> 基点が「現在を軸」であるならアリと思います。
とりあえずの基点を宇宙の始まりとして、そして未来系として宇宙は膨張しエントロピーは増大し、時間は流れると言う仮定の元に、現在を軸として考えるのはいいかな?
そう考えると、(現在を軸に)理性は源・真理を求め(基点側に働き)、心情は広がり続ける(未来系)というのもまんざら悪くない?
51
:
Leo
:2005/10/21(金) 22:44:06
>とりあえずの基点を宇宙の始まりとして、そして未来系として宇宙は膨張しエントロピーは増大し、時間は流れると言う仮定の元に、現在を軸として考えるのはいいかな?
>そう考えると、(現在を軸に)理性は源・真理を求め(基点側に働き)、心情は広がり続ける(未来系)というのもまんざら悪くない?
( ̄  ̄) (_ _)うんうん。心が基点に注目すると同時に心が広い範囲に行き渡る(心の大きさは計測できないので
このような表現がよいのではないかと)というのは一念三千しているのではないでしょうか。
(心が基点に注目するばかりでもなく、広い範囲に行き渡るばかりでもない)
「きてん 【基点】
物事のもととなる点。特に、計測や作図の際にもととする点。」
(「大辞林 第二版」)
「しんじょう【心情】
心の中で思っていること。こころの状態。」
(同上)
「ひろがる【広がる】
(2)広い範囲・面積に行き渡る。広まる。」
(同上)
「しんり【真理】
(1)正しい道理。だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。」
(同上)
52
:
Leo
:2005/10/22(土) 00:46:32
とりあえず見えてきたのが仏教という(いわゆる)牢獄と宇宙という(いわゆる)牢獄ですね(広すぎ)。
なんか面白くなってきたかも(・∀・)
53
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/22(土) 14:24:11
Leoさん、牢獄は広いほうがいいよ。^^
本来の仏教も宇宙的広さがあると思うけど、その”教え”にこだわると途端に窮屈な狭い牢獄になってしまうような気がする。
54
:
Leo
:2005/10/22(土) 17:20:30
わめさん
>Leoさん、牢獄は広いほうがいいよ。^^
( ̄  ̄) (_ _)うんうん。
宇宙(そら)は 広いな大きいな
星は輝き 銀河渦巻く
宇宙(そら)は果てない 広大無辺 膨張してどこまで 続くやら
宇宙(そら)に 宇宙船(おふね)を飛ばして
行ってみたいな よその星
(今日はなんか童謡モード?)
>本来の仏教も宇宙的広さがあると思うけど、その”教え”にこだわると途端に窮屈な狭い牢獄になってしまうような気がする。
牢獄のたとえで、わめさんが心配していることがなんかわかった気がしましたです。
55
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/23(日) 02:08:41
Leoさん、何だか楽しそうでわめも(..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^)ウレシーーー!!
> 牢獄のたとえで、わめさんが心配していることがなんかわかった気がしましたです。
これ、分かるも何もモロだと思いますよ。
まずはかなり狭い目の牢獄にいると信じさせて、修行によって1ラック上への牢獄へといった気にさせる。
まぁそんな繰り返しじゃないですか。
でも元々そんな狭い牢獄にいなかっただけのことなのに・・・
人間って何かに拘っちゃうと誰しもそうなっちゃうのかな。ちょっとさびしいっす。
56
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/23(日) 02:52:22
> でも元々そんな狭い牢獄にいなかっただけのことなのに・・・
あ、誤解しないでね、本覚思想じゃないからw汗
57
:
Leo
:2005/10/23(日) 03:10:45
わめさん、こんばんは。
> でも元々そんな狭い牢獄にいなかっただけのことなのに・・・
狭い牢獄にいたというのも先入観のひとつでしょうか(^^;
>あ、誤解しないでね、本覚思想じゃないからw汗
大丈夫す(^^;
最近思うこと。
フルナさんの紹介されている初期仏教(上座仏教)の「ヴィパッサナー瞑想」は中国天台の「止観」
と類似性があるように思います。(ルーツが同じなので当然かもしれません)
摩訶止観考
http://www1.ttv.ne.jp/~riko/makasikan.html
ヴィパッサナー瞑想
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html
智慧にも執着するなという点は示唆的です。
(智慧にも執着しないといってもある宗教団体の一部の方のように最初から智慧を放棄してしまうのは間違いですね...)
〜もうひとつの生き方 I 〜 (1)智慧もサマディも悟りではありません
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi63.html
「智慧があっても、「私には、智慧があるのだ」という状態でいると、そこには、とらわれがある、
執着があるのです。悟りというのは、無執着の状態であって、私もいないし、私のものもない状態なんですね。」
うーむ。「精神のエネルギー」というものは本当にあるものだろうか。
人間の心のはたらきが言葉や文字(情報)として他の人の記憶に残ったり影響を及ぼすということなら
わかる気がするのですが。
〜因縁の話 6〜 因果を理解すると囚人も自由になれる
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi71.html
「でも消滅変化していく精神のエネルギーは、物質の消滅変化とはずいぶん違う法則で動いているのです。
あるエネルギーがある場所でなくなったとしても、消えてしまうことはあり得ない、
どこか別のところに現れるもの、という考え方を、仏教では普通の常識として持っているのです。」
58
:
Leo
:2005/10/23(日) 03:15:26
補足
>(智慧にも執着しないといってもある宗教団体の一部の方のように最初から智慧を放棄してしまうのは間違いですね...)
ええとこれはいきなり「仏法は勝負」(ギャンブル?)状態のことです。
59
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/23(日) 03:40:18
Leoさん、難しく考えすぎかもw
牢獄に入っているものは、単に実体のない自分と言う意識だけじゃないかな?
実体のない自分と言う意識も、生体(主に脳)が元になっているだけ。
事実としてはそれだけしかないような・・・
60
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/23(日) 03:43:10
わめは単純にこれだけしかとしか理解してないw(単細胞だな。汗)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1118979037/1
61
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/23(日) 03:49:01
わめの独り言で書いたこっちも同じかな。 これだけなような気がしますが・・・
人である以上、誰もがそうであるように、私もまた自分自身を意識できる。
私はこの意識を自らの生命と感じる。
この肉体が滅んだ時、肉体と共にこの意識は消え去るのであろう。
つまりは生命の死である。
我が意識が肉体と共(少し遅れてだが)に生まれ、この世を知る。
生まれる前も、また死後も、この世の存在は知覚出来ないから推測でしかないが、この世は、私が生まれる前から存在し、私の死後も存在するであろう。
生物としての生体活動を終え、我が肉体は焼かれ煙となり、灰となり土に返り、この世に何かしらの形で残っていく。
我が意識、我が遺物もまた、他者の意識に何かしらの影響を与え、この世に何かしらの形で残っていく。
私の心情は、理性に従う。理性は、真実なるものを指し示す。
心情は、個性の現れであり、個々の心情は広がり続けていくものであろう。
云わば水面に投げ入れた石ころと、そこから広がる波紋のように、理性は波紋の源を探り、心情は波紋が広がるように。
この世とは、云わば人間ブッダの説いた「縁起の法」のようなものである。
仏教において、無我・空・無常と表わされることはあるが、これは皆縁起の思想を指し示す言葉と認識している。
縁起の法とは、すべてのものは依存関係(以下関係性と略す)にあると説く。
個としての存在のように見えるものすべて、この関係性の中でのみ存在していると言えよう。
この関係性の中で私は生まれ死んでいくのである。
否、生まれたのも死んでいくのも私の意識だけなのである。
62
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/23(日) 03:54:04
意識以外は、有機物・無機物との変化はあっても生まれるとか死ぬとかはないような・・・
生まれるとか死ぬとかは、それこそ意識で感じるだけのものじゃないかと。
63
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/23(日) 03:55:35
酔った勢いで乱暴に書いてしまったw汗
寝ますwオ(*゜o゜*)ヤ(*^0^*)ス(*゜▽゜*)ミィ(゜-^*)ノ""マタネ♪
64
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/23(日) 04:07:21
あ、おまけの妄想
高度な人工知能のロボットを、赤ちゃんのように母親(もどき)や周囲の人間が扱うと、そこに意識が芽生えたりして・・・
意識が芽生える=実は生命の誕生、なんて考え方は飛躍しすぎかな?w笑
65
:
Leo
:2005/10/23(日) 10:35:25
私は最近「縁起・空・無我」という言葉・思想と「止観」や「ヴィパッサナー瞑想」が同じものを
示しているのではないかと気になっています。
(古畑任三郎モード)
>わめは単純にこれだけしかとしか理解してないw(単細胞だな。汗)
>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1118979037/1
「またこの意識は、生存中の様々な経験を、脳かあるいは何らかの器官を通じ、
物質(生化学的)的に記録しているものとおもわれる。これは遺伝的要素として
子孫にも影響を与えていくものである。」
意識がDNAに作用するということは完全に否定はできないかもしれないですが、
(進化によってDNAが変化するわけですが、DNAに短期間で変化するROMのような可変部分は
あるものでしょうか)
世代を通して情報として伝播されるものの方が多いように思います。
物質を用いずに空間に情報を記録することができれば別ですが...
>高度な人工知能のロボットを、赤ちゃんのように母親(もどき)や周囲の人間が扱うと、そこに意識が芽生えたりして・・・
>意識が芽生える=実は生命の誕生、なんて考え方は飛躍しすぎかな?w笑
アイボなどの玩具ロボットに近いものがありますが、もっとセンサー(五感)が精密になって
プロセッサーの性能が上がりメモリもかなり増えないとだめかもしれません。
多分赤ん坊の方が現在のどんなロボットよりも高度に外界を認識していると思います。
66
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/23(日) 13:27:58
Leoさん、こんにちは。^^
> 私は最近「縁起・空・無我」という言葉・思想と「止観」や「ヴィパッサナー瞑想」が同じものを
> 示しているのではないかと気になっています。
「止観」と「ヴィパッサナー瞑想」、心に対するこだわりまでよく似てる気がします。^^
でも縁起の思想とは、個の方向に向かおうとするところでぴんとこないな・・・
> 意識がDNAに作用するということは完全に否定はできないかもしれないですが、
> (進化によってDNAが変化するわけですが、DNAに短期間で変化するROMのような可変部分は
> あるものでしょうか)
> 世代を通して情報として伝播されるものの方が多いように思います。
進化というよりこれもエントロピーの増大なんじゃないかと思います。
世代を通して情報として伝播=遺伝的要素として子孫にも影響と違うかな?
> アイボなどの玩具ロボットに近いものがありますが、もっとセンサー(五感)が精密になって
> プロセッサーの性能が上がりメモリもかなり増えないとだめかもしれません。
将来的に、意識を持てるほどの人工知能ロボットが作れるのかも疑問ですけど。(^^;;
> 多分赤ん坊の方が現在のどんなロボットよりも高度に外界を認識していると思います。
そういう意味じゃなくて、赤ちゃんの時からまったく他者、他者との会話に関わらせず育てた場合、自意識は目覚めない可能性があるのじゃないかと言いたかったのです。
つまり意識は関係性の中で生まれる(芽生える)のじゃないかと。
意識が芽生えなければロボットと同じ、ロボットに意識が芽生えれば人間と同じ、このようなおばかなことを考えてみたw笑
67
:
Leo
:2005/10/24(月) 01:20:51
わめさん、こんばんは。
>進化というよりこれもエントロピーの増大なんじゃないかと思います。
>世代を通して情報として伝播=遺伝的要素として子孫にも影響と違うかな?
エントロピーとは熱力学でのエントロピーを意味して、均一化される(あるいは乱雑になる)という意味でしょうか?
エントロピーとは情報理論でのエントロピーを意味して、情報量が増大するという意味でしょうか?
生物(個体)が生きている間は熱力学的にはエネルギーを消費することによってエントロピーを(逆に)小さく保つのですね。
>そういう意味じゃなくて、赤ちゃんの時からまったく他者、他者との会話に関わらせず育てた場合、自意識は目覚めない可能性があるのじゃないかと言いたかったのです。
会話はできないけどなんらかの自我や自意識は生じるのではないでしょうか。
それは動物に自意識があるかという問題になるかもしれない。
ただヒトはヒトに育てられないとヒトにはなれないようです。
アヴェロンの野生児
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%87%8E%E7%94%9F%E5%85%90
>つまり意識は関係性の中で生まれる(芽生える)のじゃないかと。
うーむ。意識はきわめて哲学的な対象ですね。関係性は関係すると思いますが...
>意識が芽生えなければロボットと同じ、ロボットに意識が芽生えれば人間と同じ、このようなおばかなことを考えてみたw笑
あるテストにパスすれば機械に意識があるという考え方もあるようです。
チューリング・テスト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88
68
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/24(月) 01:53:35
Leoさん来ないと一日が終わった気がしないわめです。^^
> エントロピーとは熱力学でのエントロピーを意味して、均一化される(あるいは乱雑になる)という意味でしょうか?
> エントロピーとは情報理論でのエントロピーを意味して、情報量が増大するという意味でしょうか?
乱雑になる・情報量が増大するの両方の意味かも。
> 生物(個体)が生きている間は熱力学的にはエネルギーを消費することによってエントロピーを(逆に)小さく保つのですね。
メモメモφ(o__o)
> 会話はできないけどなんらかの自我や自意識は生じるのではないでしょうか。
> それは動物に自意識があるかという問題になるかもしれない。
人でも動物でも関係性無しに自我や自意識って芽生えるのかな?
赤ちゃんがどのようにして自我が目覚めるのか、自我の目覚めの前に母親である他者を認め、母親から語り掛けられ、初めて自我が生まれると言うのを、結構以前にWeb上で読んだことがあるのですが、わめはなるほどって納得しちゃいました。
> >つまり意識は関係性の中で生まれる(芽生える)のじゃないかと。
>
> うーむ。意識はきわめて哲学的な対象ですね。関係性は関係すると思いますが...
生命って呼んでるものは、結局意識のことじゃないかと思ったりします。
意識=生命であって、その拠り所とする肉体(機械)は縁起そのものじゃないかと・・・
こう考えるわめなので、意識(生命)以外に死ぬものはないと思えます。
それ以外に何か生命らしきものは事実としてあるのかな・・・?
69
:
Leo
:2005/10/24(月) 23:35:28
わめさん、こんばんは。今日の仏法対話(←なんのこっちゃ?!)。
>こう考えるわめなので、意識(生命)以外に死ぬものはないと思えます。
>それ以外に何か生命らしきものは事実としてあるのかな・・・?
生物が無生物から区別される一般的な特徴は、
・自己増殖能力
・エネルギー変換能力
・恒常性(ホメオスタシス)維持能力
だそうです。死は恒常性の破綻、つまりエントロピーを小さく維持できなくなるということなのですね。
生物
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9
>仏教における仏、成仏とは
仏教にエントロピーを適用しようとすると(←?!)、エントロピーが自然には増大していることを恐れることなく、
必要以上に小さくすることに執着することもなく、均衡を保つということでしょうか。
(究極的には自然のエントロピーの増大に「リズム」を合わせるということでしょうか?)
そういえば(あまり関係ないけど思い出す)僕の友人のご宝前(お仏壇の前)エントロピー高かったなー
(ちらかっていた)。
70
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/24(月) 23:45:41
Leoさん、今夜もレスアリガト!(´▽`)
> 生物が無生物から区別される一般的な特徴は、
> ・自己増殖能力
> ・エネルギー変換能力
> ・恒常性(ホメオスタシス)維持能力
> だそうです。死は恒常性の破綻、つまりエントロピーを小さく維持できなくなるということなのですね。
これは
>>62
で書いた、「有機物(生物)・無機物(無生物)との変化」とわめはみてます。^^
> >仏教における仏、成仏とは
>
> 仏教にエントロピーを適用しようとすると(←?!)、エントロピーが自然には増大していることを恐れることなく、
> 必要以上に小さくすることに執着することもなく、均衡を保つということでしょうか。
> (究極的には自然のエントロピーの増大に「リズム」を合わせるということでしょうか?)
自然(宇宙)のエントロピーの増大=広がりとして、体は合わせて大きくなりませんからせめて心情でも大きくしていこうかと。笑
でもとりあえず知り得る範囲の基点からの広がりじゃないと、どこに逝っちゃうやら怖いかも?w汗
> そういえば(あまり関係ないけど思い出す)僕の友人のご宝前(お仏壇の前)エントロピー高かったなー
> (ちらかっていた)。
ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!
71
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/24(月) 23:51:41
Leoさんもわめも・・・
> ・自己増殖能力
> ・エネルギー変換能力
> ・恒常性(ホメオスタシス)維持能力
間違いなくこのような生物だと思うけど、これを生命とは呼びたくないな・・・
やっぱり有機物と言う表現が似合うようなw
わめがLeoさんって書く時、そのLeoさんは意識としてのLeoさんを指しているように思うし、そのわめも有機物としてではなく、わめと言う意識が書いているように思います。^^
72
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/24(月) 23:52:57
有機物と言うより生体かw汗
73
:
Leo
:2005/10/25(火) 00:12:17
わめさん、どうも。
>わめがLeoさんって書く時、そのLeoさんは意識としてのLeoさんを指しているように思うし、
>そのわめも有機物としてではなく、わめと言う意識が書いているように思います。^^
意識があれば、究極的には体が有機物で構成されていなくてもよいのかもしれません(^^;
(アニメの引用で恐縮ですが、映画「マトリックス」にも影響を与えたという...)
攻殻機動隊
ttp://www.ntv.co.jp/kokaku-s/
実体的な“魂”“霊魂”という存在には懐疑的ですが、意識や関係性によって育てられたことによって
生じた自我として捉えれば、機械と人間の境界がある可能性はあります。(自分的には結論は出てませんが...)
そういえばこのアニメに出てくる草薙素子は子供のときの記憶(回想場面)があります。
義体(サイボーグ)
「 義手、義足等の延長線上にあるもので、失った肉体を補うために作られた人工の肉体のことを義体という。」
アンドロイド
「体は全身サイボーグと同様のもので、サイボーグの脳のかわりに、AIが搭載されている。
外見は全身義体化したサイボーグと同様で、自律して動くこともできるが、
人間とはゴーストを持たない点が決定的に異なる点であり、AIの限界でもある。」
ゴースト
「オリジナルと寸分違わぬ肉体を、義体という形で作ることはできるようになっても、
そこにゴーストは宿ることは無い−−ということから逆説的に存在が証明された
「個」を限定する因子のことを「ゴースト」と呼んでいる。現在使われている言葉として
近い意味をもつのは“魂”“霊魂”などである。他人との区別より自己を限定するもの、
自分を自分として証明する証拠である。」
74
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/25(火) 00:24:37
> 意識があれば、究極的には体が有機物で構成されていなくてもよいのかもしれません(^^;
わめもそう思います。^^
> 意識や関係性によって育てられたことによって生じた自我として捉えれば
わめは意識と言うか自意識と言うかが、自我なんじゃないかと思うのですが・・・
75
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/25(火) 12:09:32
Leoさん、わめです。
>>73
ゴースト
ゴーストですか、これが自意識のような気がします。
そして自意識は他者との関係性の中で芽生えるものと思いますので、だから「オリジナルと寸分違わぬ肉体」を作れても、そこにはゴーストは存在しないのではないかと。
わめ的な考え方すれば、生身の赤ちゃんといえど、他者との関係性がなければそこにゴーストは存在しえないと思うのです。
(自意識じゃない)ゴーストとは生命の尊厳でしょうか?
実体のない(自意識じゃない)ゴーストを生命の尊厳とするのは、それが一概に悪いと言うのではないですが、縁起を超越したものがあるとする、また現実の世界を軽視した考え方のように思います。
76
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/25(火) 12:23:33
自己レスです。(^^;
> わめ的な考え方すれば、生身の赤ちゃんといえど、他者との関係性がなければそこにゴーストは存在しえないと思うのです。
でもこれって今のところ仮説ですね。(^^;;
両親と言う関係性から生まれたのですから、自意識(の種?)が生まれた時から備わっていると言う考え方もできますが・・・
77
:
Leo
:2005/10/25(火) 23:21:52
わめさん、こんばんは真夜中のジェットストリーム(←なんのこっちゃ?!)でなく、Leoです。
>でもこれって今のところ仮説ですね。(^^;;
>両親と言う関係性から生まれたのですから、自意識(の種?)が生まれた時から備わっていると言う考え方もできますが・・・
脳には生まれつき顔を認知する機能がある
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000799.html
だそうです(両親から授かったところの...生まれつき備わっている能力の例)。
顔を認知する機能があっても顔が目の前にあらわれなければその能力は発揮できません。
ですので「他者との関係性がなければ」は妥当と思われます。
>仏教における仏、成仏とは
仏性が存在するだけでは成仏できない、ブッダとの関係性がなければ成仏できない。
ブッダとの関係性とはブッダの教えを受持すること。大聖人は題目の五字の受持を説いた。
でしょうか...
(ヴィパッサナー瞑想などもひとつの方法かもしれませんが...)
78
:
Leo
:2005/10/25(火) 23:40:24
テーラワーダ仏教
http://www.j-theravada.net/kogi/index.html
の疑問
>法(ダンマ)の六徳
>「実証できる、何時でも、誰にでも体験することができるものです。」
>「普遍性があり、永遠たる教えです。」
>「「どなたでも確かめて、試して見て下さい」と言える確かな教えです」
「科学」・非科学の境界設定の基準として「反証可能性」がありますが、
法(ダンマ)は「反証可能性」があるのでしょうか。
>心療カウンセリング(1)〜仏教は心の科学〜
>「仏教の目的はわかりやすくいえば「超越」することなんですね。心の次元を突き破って、
> 超越すること。それははっきりしているのです。」
>「つまり、人間に戻るのではなく、人間性を超えようということなのです。そこはまず、理解しておいてください。」
>「わかりやすくいえば仏教は、スーパーマンの教えなのです。空を飛ぶとか、壁を突き破るとか、
> そういうスーパーマンではなく、智慧、精神的に、人間の次元を飛び出してしまうということなのです。」
「超越」したら「反証」できなくなり、「科学」でなくなるように思います。
方便(新宗教ノリ)なのだろうか。「壁」や「常識」を「突破」する教えだったらわかるのですが。
>「そのように科学の世界では、自然法則を乗り越えることにトライする。仏教では、心の法則を乗り越えることにトライする。」
「科学」は「自然法則を乗り越える」のでなく、今まで常識とされた「自然法則」が刷新されるのではないでしょうか。
79
:
Leo
:2005/10/25(火) 23:58:25
テーラワーダ仏教
http://www.j-theravada.net/kogi/index.html
の疑問 その2
>〜もうひとつの生き方 I 〜 (1)智慧もサマディも悟りではありません
>
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi63.html
「言葉では、何も言えない」ものの「反証可能性」はあるのだろうか。
「反証可能性」がないとすると「科学」でありえないのではないだろうか。
それとも「悟り」は一種の「思考停止」なのだろうか。
>「そして、尊者はこう説明するのです。智慧ある人、サマディを持ち徹底的な集中力を持つ人はありのまま、
> 現象を観ています。自分の解釈も論理も一切ありません。すべての現象がどのように生まれて
> 消えるかということを観られるのは、この超越した智慧と超越した集中力がある人だけなのです。
> そのような人が超越した智慧と超越した集中力をもって、ありのままにものごとを観ていると
> 「最終解脱は起こるのです」…それが答えでした。」
>「言葉を超えた智慧が生まれても、それは解脱じゃない。すべての現象が無常であり苦であること、
> 無我であることを感じ続けていて、精神的に落ち着いていても、それ自体は悟りということにはならない。
> しかし、このようにものごとを観ていくと、心は何ものにもとらわれない状態を作るようになる。」
>「そもそも、心とは「取る」「とらえる」ものです。「心」という何かがあるのではなく、
> 対象をとらえるのが心であり、瞬間瞬間の作用が心なのです。だから、何ものにもとらわれない心というのは、
> あり得ない話なんです。ですから、仏教では、この状態に、「主語」がないのです。主語なしに『解脱』『涅槃』と呼びます。」
> 「そこには心もないし、とらえるものもないということですから、言葉では、何も言えないんですね。」
80
:
Leo
:2005/10/26(水) 00:02:52
テーラワーダ仏教
http://www.j-theravada.net/kogi/index.html
の疑問 その3
テーラワーダ仏教〜テーラワーダ仏教とは
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi10.html
>「皆さんもまたお釈迦さまの教えが時代遅れと思うなら、また科学の法則に照合して矛盾があるならばそれを指摘してください。
ハイ。
> 原始仏教という響きが何となく古くさい印象を与えはしますが、お釈迦さまの教えにしたがっている唯一の仏教であり、
> 2500年間いっさいの改変をしていない真理の教えと言う事実に誇りをもって学んでください。」
「お釈迦さまの教えにしたがっている唯一の仏教」「500年間いっさいの改変をしていない真理の教えと言う事実」
うーん、自己正当化のにおい。
82
:
Leo
:2005/10/26(水) 00:10:42
素朴な疑問。
>「お釈迦さまの教えにしたがっている唯一の仏教」
たとえばお釈迦様は仏像を拝んでいたでしょうか?
別にお釈迦様が仏像拝んでいけないといってないし生前は礼拝して挨拶してたから
いいんじゃないかというのかもしれない。
何が「お釈迦さまの教え」か特定できるものでしょうか。
(Libraさんは「お釈迦さまの教え」は「縁起・空・無我」と特定しているのだと思う)
>「2500年間いっさいの改変をしていない真理の教えと言う事実」
どうやって確認できるのでしょうか。
「「2500年間いっさいの改変をしていないから」という答えはナシで。
83
:
Leo
:2005/10/26(水) 00:18:33
わめさん
>わめはこのご意見には疑問が一杯です。(^_^;)
>仏性が存在する?
僕的には仏性とはブッダのような人になる可能性と捉えています。
>ブッダとの関係性がなければ成仏できない?
ブッダから教え(情報)を貰わなければブッダ的な成仏はできないのではないでしょうか。
ブッダには直接会わなくとも教えは伝わっていると思います。
>ブッダは何と関係して成仏したのでしょう?
そこに来ますね。
ブッダ自体は誰から教え(情報)を貰ったのでしょうか。古の仙人からか自然からか。
今のところは確証ないです。
>またブッダは成仏して特別な存在になったのでしょうか?
>成仏とは特別な存在になること?
外見は普通の人間で、内面に変化(縁起の法を覚知した)が起こったと思います。
84
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/26(水) 00:19:14
(ノ゜⊿゜)ノあうぅ!! Leoさんの投稿に割り込んじゃったみたいw
ってことで
>>81
とこれはとりあえず削除します。
あとで再アップしますね。^^
85
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/26(水) 00:21:56
Leoさんの
>>83
の投稿は、この投稿に対するコメントです。
>>81
を削除してしまったごめんw
Leoさんトウジョウ! (・____________________・)ノ" ビローン
> 顔を認知する機能があっても顔が目の前にあらわれなければその能力は発揮できません。
> ですので「他者との関係性がなければ」は妥当と思われます。
結局アンドロイドも人間もその他の生物もその器の違いだけで、特別なゴースト?があるとはわめには思えないのですが・・・
器も関係性から変化(生まれるは使いたくないな)、意識も関係性から芽生えるのではないかと、そして意識は器があってこその意識で、器は時間の流れの中で生体・無機物の変化をしていく。
当然意識は器が無くなればなくなると、こんな単純な考えじゃダメ?w汗
> >仏教における仏、成仏とは
>
> 仏性が存在するだけでは成仏できない、ブッダとの関係性がなければ成仏できない。
> ブッダとの関係性とはブッダの教えを受持すること。大聖人は題目の五字の受持を説いた。
> でしょうか...
わめはこのご意見には疑問が一杯です。(^_^;)
仏性が存在する?
ブッダとの関係性がなければ成仏できない?
ブッダは何と関係して成仏したのでしょう?
またブッダは成仏して特別な存在になったのでしょうか?
成仏とは特別な存在になること?
86
:
Leo
:2005/10/26(水) 00:26:33
>結局アンドロイドも人間もその他の生物もその器の違いだけで、特別なゴースト?があるとはわめには思えないのですが・・・
>器も関係性から変化(生まれるは使いたくないな)、意識も関係性から芽生えるのではないかと、
>そして意識は器があってこその意識で、器は時間の流れの中で生体・無機物の変化をしていく。
>当然意識は器が無くなればなくなると、こんな単純な考えじゃダメ?w汗
アニメ「攻殻機動隊」の作者は人間の脳(と同等あるいはそれ以上のもの)は近未来の科学では製作できない、
そして人間の自我や意識をゴーストと呼んでいるのではないでしょうか。
機械にあって生物にないものがあるのか、ないのか、なにか見落としがないのか、自分的には確証が得られてないです。
いずれにせよハードウエアがなくなれば意識もなくなるでしょう。
87
:
Leo
:2005/10/26(水) 00:33:04
(自己レス)
>いずれにせよハードウエアがなくなれば意識もなくなるでしょう。
テレビをみていたら物質がなくなって記憶がなくなっても、空間に場として記憶が保持されるという
仮説をみたことがあります。どうも考えにくいのですが。
あと、生物のような細胞がなく、宇宙空間で粒子や電磁場で構成される生命体の仮説もなんかも
テレビでみかけました。
88
:
Leo
:2005/10/26(水) 01:21:53
わめさん
>(ノ゜⊿゜)ノあうぅ!! Leoさんの投稿に割り込んじゃったみたいw
あまり気になさらないでください。ケンチャナヨ。
それにしても今日は加速的に書き込みをしてしまった(^^;
89
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/26(水) 12:13:38
>>78
〜
>>82
Leoさんがテーラワーダ仏教に疑問を感じるのはよーくわかります。^^
「お釈迦さまの教えにしたがっている唯一の仏教」なんて言ってる時点で、ブッダの教えを固定化してしまって、ブッダの”教え”が不変の真理になって、無常になっていない気がします。(^^;;
わめは、ブッダが指差すものが(暫定)真理であって、教えは法灯明自灯明であり無常ではないかと思います。
90
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/26(水) 12:39:39
>>83
> 僕的には仏性とはブッダのような人になる可能性と捉えています。
仏性と言う言葉は読む方に誤解を招く恐れがあり、否定時以外は使わないほうがいいように思います。(^^;;
わめ的には、Leoさんはすべてではありませんが、既に「ブッダのような人」以上になっている”可能性”があるように思います。
> ブッダから教え(情報)を貰わなければブッダ的な成仏はできないのではないでしょうか。
> ブッダには直接会わなくとも教えは伝わっていると思います。
うーん、ブッダ的な成仏など今となっては分かるすべも無く、教えとしては苦を抜くことを目的としていましたから、涅槃寂静の状態かもしれませんが、ブッダ的な成仏と言うものに拘っていてはブッダ自身が嘆くような気がします。
> ブッダ自体は誰から教え(情報)を貰ったのでしょうか。古の仙人からか自然からか。
> 今のところは確証ないです。
わめは在りのままを在りのままに観ることから、縁起と言う(暫定)真理を知り、その縁起の上から”当時”として、相応しい教えを説いたのではないかと思っています。
ブッダとの関係性は必要ないように思います。
> >またブッダは成仏して特別な存在になったのでしょうか?
> >成仏とは特別な存在になること?
>
> 外見は普通の人間で、内面に変化(縁起の法を覚知した)が起こったと思います。
内面に変化は誰しも起こっていると思いますが、内面に変化(縁起の法を覚知した)が起こったことが成仏なのでしょうか?
わめは仏・成仏って、元々はブッダの言葉ではないと思いますし、人々の願望に応える方便として使われただけではないかと思ったりします。
91
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/26(水) 12:52:45
>>86
> アニメ「攻殻機動隊」の作者は人間の脳(と同等あるいはそれ以上のもの)は近未来の科学では製作できない、
同感です。^^
> そして人間の自我や意識をゴーストと呼んでいるのではないでしょうか。
人が作り出せるものとしてクローンがありますが、そのクローンには意識(自意識・自我)があるように思います。
> 機械にあって生物にないものがあるのか、ないのか、なにか見落としがないのか、自分的には確証が得られてないです。
そうですね、見落としがあるのかもしれません。
ないと断定することは避けるべきでしょうね。
でも、あるとするのはもっと避けるべきだと思います。
>>87
仮説がもしも正しくても、意識の有無までは分からないと思いますし、意識単独での存在は考えにくいと思います。
92
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/26(水) 12:56:19
>>91
自己レスです。(^^;;
> 人が作り出せるものとしてクローンがありますが、そのクローンには意識(自意識・自我)があるように思います。
そのクローンには意識(自意識・自我)の種?がある可能性と、種?の有無に関わらず他者との関係性で意識(自意識・自我)が芽生えそうに思います。
93
:
Leo
:2005/10/26(水) 23:22:08
わめさん、こんばんは。
>Leoさんがテーラワーダ仏教に疑問を感じるのはよーくわかります。^^
>「お釈迦さまの教えにしたがっている唯一の仏教」なんて言ってる時点で、ブッダの教えを固定化してしまって、ブッダの”教え”が不変の真理になって、無常になっていない気がします。(^^;;
それはそうすね(^^;
でも正直僕がもっと若くて制約少なかったらテーラワーダ仏教に走ってたかもしれません(^^;
結局あれも違うこれも違うと宗教ジプシーになってしまうかもしれないので宗教団体にお世話になるのは創価学会を最後にしておきます(^^;
>わめは、ブッダが指差すものが(暫定)真理であって、教えは法灯明自灯明であり無常ではないかと思います。
やはり暫定真理かもしれません。竜樹は言葉の表現を戯論といいますし、天台の「摩訶止観」の最終章は「法を破すること遍ねかれ」
となってます。初期仏教ではなおさら...
「常に気づきある者たちが、悪しき諸法(性質)を拒んで〔世を〕歩むなら、まさに、彼らは、束縛が滅尽した覚者たちであり、世における婆羅門である。」
(「ウダーナ」)
「 真髄ならざるものについて「真髄である」と思い、さらには、真髄について「真髄ならず」と見る者たち――誤った〔思慮〕分別を境涯とする彼らは、
〔法の〕真髄(実:真実・本質)に到達しない。
しかしながら、真髄を「真髄である」と知って、さらには、真髄ならざるものを「真髄ならず」と〔知って〕、正しい〔思慮〕分別を境涯とする彼らは、
〔法の〕真髄(実:真実・本質)に到達する。」
(「ダンマパダ」)
「〔世尊は答えた〕「モーガラージャンさん、常に気づきある者として、世〔界〕を『空[くう]である』と観察しなさい。
自己についての誤った見解を取り去って、このように、死を超え渡る者として存するように。
このように、世〔界〕を観察する者を、死魔の王は見ないのです」〔と〕。」
(「スッタニパータ」)
94
:
Leo
:2005/10/26(水) 23:39:07
>わめ的には、Leoさんはすべてではありませんが、既に「ブッダのような人」以上になっている”可能性”があるように思います。
いえいえ(^^; 僕は全然修行が足りません。ブッダ以上のなにかがあるとすると出家していないこと(在家で頑張っていること)ぐらいです。
>うーん、ブッダ的な成仏など今となっては分かるすべも無く、教えとしては苦を抜くことを目的としていましたから、
>涅槃寂静の状態かもしれませんが、ブッダ的な成仏と言うものに拘っていてはブッダ自身が嘆くような気がします。
確かに拘り過ぎはよくないですね。
>わめは在りのままを在りのままに観ることから、縁起と言う(暫定)真理を知り、その縁起の上から”当時”として、相応しい教えを説いたのではないかと思っています。
>ブッダとの関係性は必要ないように思います。
「ブッダとの関係性」というと眷属や師弟のように束縛をイメージされるかもしれませんが、
縁起をいわれたのはブッダであるし、教え(情報)を頂いたという意味での「関係性」です。
もとよりブッダは後世の人間を束縛しようなどと思っていないのではないでしょうか...
(束縛より解放ということで)
> 人が作り出せるものとしてクローンがありますが、そのクローンには意識(自意識・自我)があるように思います。
たとえば一卵性双生児は自然界のクローンの例です。
人工的クローン(があるとして)も双生児と同じように赤ん坊から出発して、オリジナルの方と外見や性格は似ているでしょうが
別の自意識を持つと思われます。(生まれる縁が少し違うだけで親子や兄弟と同様ですね)
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