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仏教における仏、成仏とは

12わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/09/05(月) 09:44:56
フルナさん、(ノ゚Д゚)おはよう なわめです^^

> わめさん、ぼくのわがままに付き合ってくれてありがとうございます。別に押し付けるつもりはなかったんですが、単に読み物として面白いと思ったので・・・。

仏教史的な説明は、斬新で面白かったです。^^
 でも、フルナさんだってお分かりだと思うけど、右がいいと思ってる方に、左がいいとのお話には反発を持たれてしまうのではないかと。 >創価学会がいいと思う方にテーラワーダ
 それより右もいいけど左もいいよ、乃至、右も左もだめよのほうが説得力がありそうです。

> 「輪廻説は仏教ではない」も読ませてもらいました。結局のところ、「無我」をどう捉えるかがポイントですね。

 そそ^^、五蘊無我の五蘊=一切を一切じゃなくここまで(色とか)が五蘊などとして、ブッダが説かれていない「真のアートマン」を持ち出さないと、輪廻は”ある”とできないわけです。

> ぼくだって、輪廻などない方がいいのです。こんな生きにくい世の中にまた生まれたいとは正直思えない。サラリーマンやってると痛感しますよ。

 「輪廻説は仏教ではない」でも書かれてますが、脳が壊れていくことで心が壊れていくというアルツハイマー病患者での事実は、心(性格やその方の人間性等)は脳の働きであると言えると思います。
 輪廻があるとした場合には、前世で脳が壊れるわけですから、心も壊れた状態もしくは心とは別の何かが輪廻するわけで、まったく別人格の自分になっているように思うのです。
 それなら、人が死んで焼かれ土に返り、またそれが植物などに吸収されそれを動物が食べ、人は意識・人格を無くしながらも、何らかの形で存在していくのと何ら変わりはなく、それは縁起そのものじゃないかと思うのです。
 そういった意味で一個の生物は、無数の命を取り込んで(ながら)生存活動を続けているわけで、またその一個の生命も死によって、他の多数の生物の中に取り込まれていく。これを輪廻と言ってもいいんじゃないかと思うし、そういったことを指すのが輪廻なら”ある”と思います。

> でも、もし「ある」としたら、やはり悪趣に赴くのはいやですし、できれば解脱したい。そうやって心を育てる努力をすることは、結局今世の自分のためにもなる。釈尊も言われたように、「来世があった場合は二倍得をする」と。

 ↑で書いたような輪廻であるならば、来世と言う概念の輪廻はないと思うのです。

> このスレッドの目的は何ですか?仏の定義を探って、わめさんはどうするおつもりなのでしょうか?

 ブッダの時代、人々が妄想・妄信・我執等の心の呪縛から解放されることなど、どれほど難しいことかは、想像に難くないと思うのです。だから当時としてブッダの悟りは,センセーショナルなことだったのも頷けます。
 仏・成仏とは、妄想・妄信・我執等の心の呪縛から解放され、ありのままをありのままに見れる方だと思っています。言わば夢から覚めた人=仏陀(呼称)
 今も仏・成仏にまで妄想・妄信・執着(願望)する方が多いと思うのですが、そのような人たちを見たら、ブッダは嘆くだろうなぁなんていう気持ちで立てたスレかもw汗


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