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物語スレッド

11パンゲオンの腹(8):2006/07/17(月) 18:58:58

「隠されたはじまり以前の一族」を滅ぼしたことで、
紀元神群は世界の支配者としての一応の地位を築き上げるに至りました。
ところが彼らもいい加減なもので、
世界の支配者になったら何をしてやろうということは全然考えていませんでした。
別に家来や貢物が欲しかったわけでもなし、
世界の行く末にも興味があるわけでもなかったので、
結局紀神たちは放任という形でしか世界に関わろうとしませんでした。
紀神たちは特に世界に害をなすでも益をもたらすでもなく、
のんべんだらりとそのままの暮らし続けました。

12パンゲオンの腹(9):2006/07/17(月) 23:20:26

そんなとき、何者かが【人類】という魔法を唱えました。
【人類】とはその名の通り、【人類】を生み出す魔法です。
そういうわけで、唐突にわれわれ人類が誕生しました。
人類はあっという間に数を増やして世界中に広がりました。
やがて彼らは村を作り、さらに集まって街を作り、遂には国が出来上がりました。
最近なんか元気な連中がいるなーと思いながらぼんやり眺めていた神々でしたが、
この頃になってようやく事態が普通でないことに気がつきました。
とはいえ、いくら数が多くても所詮は人間。
神々を脅かすほどの存在であるとはとても思えません
うまく手玉に取れば楽をしてタダ飯にありつけるぞ、
神々の認識はその程度のものでした。

13メクセトさん:2006/07/17(月) 23:22:50
【今日のメクセトさん.5】
宿敵、【黒の女王】の軍勢を打ち倒し、彼女を俘虜の身にしたメクセト。
彼女の絶世の美貌をその目に出来ると、大喜びで宮廷の王の間に引き出した彼だったが、彼女は既に老いていた。

メクセト「……婆ぁ、じゃのう」
大臣「……(あんた、一国の当主に開口一番何て事を言うんだよ!)」
メクセト「まったく、久々にその美貌を拝めると思ったのに興ざめじゃ。よい、もう飽きた、さっさと処刑せよ」

衛兵達にひらひらと手を振って、彼女を退場させようとするメクセト。
しかし、さすがに堪りかねたのか、大臣がいつになく声を張り上げて、それを静止する。

大臣「陛下!」
メクセト「なんじゃ、大臣、無口なお主がいつになく五月蝿いのぅ」
大臣「……(言わないだけだで、あんたに言いたいことは山ほどあるんだよ)。なりません、陛下。彼女に対しては諸侯はもちろんのこと、部下達からも除名嘆願書が出されております。これを無下にしては陛下の御威光に関わりますし、後々の厄介ごとに繋がりかねません(ただでさえ、あんた他人から嫌われているんだから、さらに嫌われるような真似は勘弁してくれ)」
メクセト「退屈しなくて良いではないか。まぁ、良い、余は寛大じゃ。それではこうしよう。大臣、彼女には子供が4人いたな?」
大臣「……(また馬鹿な事を考え付いたな、こいつ)。はぁ、報告には四人の息子がいるとあります」
メクセト「黒の女王、喜べ、命は助けてやる。代わりに、お主の息子のうち3人の命はもらう。どの息子の命を救うか選ぶが良い」
大臣「……(この馬鹿、全然条件として簡単じゃねぇよ)」

その時、無言で俯いていた黒の女王は突然顔を上げ、そして凛々しい顔で言った。

黒の女王「貴方には失望しました、王よ。私が自分の子供や民の命を投げ出してまで、自らの保身を図ると思いましたか?。だとしたら見当違いも甚だしい!。さっさと殺しなさい!。そして己の狭量さを世に示すが良い!」
大臣「……(なんて立派なお方だ。これこそ一国の主のあるべき姿だ)」

黒の女王の言葉に感動する大臣と、ふぅむと考え込むメクセト。
黒の女王の言葉は、さしものメクセトの心すら突き動かしたかに見えた……

メクセト「黒の女王、お主の言葉に余はいたく感動した。先ほどの話は撤回しよう」
大臣「……(こりゃ意外だ、そのぐらいは分かるぐらいの頭と心はあったか)」
メクセト「ただし、お主の息子の命は一人だけ貰う。どの息子が良いか選ぶが良い」
大臣「……(って、全然わかってねぇ!)」

しかし、メクセトの言葉に、ふんと鼻を鳴らして女王は嗤った。

黒の女王「断ります。民の命を守るが王、そして子の命を身を挺して守るが親というもの。人数の問題ではありません」

その時、宮廷に衛兵が一人入ってきて大臣に何かを耳打ちした。

大臣「陛下、手違いがございまして、報告に間違いがあったようです。黒の女王の子供達についてなのですが……息子達ではなく、娘達だったようです」

顔色を変えるメクセトと、顔色を青くする黒の女王。
慌てて黒の女王は叫ぶ。

黒の女王「王よ、後生ですから……」
メクセト「それで、その娘達というのは美人なのか?」
大臣「はぁ……いずれも黒の女王の若い時分に瓜二つの美貌の持ち主だとか……」
メクセト「よし、大臣、急ぎ余の後宮に部屋を四つ用意せよ!、大至急だ!」
大臣「……(やっぱりね)。かしこまりました陛下」
黒の女王「王よ後生です。せめて彼女達には速やかなる死を!」

王座より嬉々として立ち上がるメクセトと、隠れて溜息を吐く大臣。
「あぁ、それと」と思い出したように立ち止まって口を開くメクセト。

メクセト「あぁ、それと、そこの五月蝿い婆ぁは余が戻る前に縊り殺しておけ」
大臣「陛下!、なりません!!。部下達からも除名嘆願書が……」
メクセト「大臣、余は王なるぞ。王たるもの尊敬だけでなく時には怨嗟も受け止めるもの。それが出来なくして何が王か!?」
大臣「……(合ってるんだか、間違えているんだか)」

考え込む大臣を従え、メクセトは王の間より退場していった。
取り残された黒の女王は、今はいないメクセトの背中に叫び続ける。

黒の女王「陛下!、御慈悲を、どうか娘達には御慈悲を!」

【黒の女王】がその後、どのような末路を辿ったかについては歴史の語るところではない。

大臣「ところで、陛下。先ほど、久々に……、と申しましたが黒の女王とは御面識がおありでしたか?」
メクセト「ふん、余が筆を下ろしてもらった女こそ、彼女だったのよ。昔は眩い程の美人であったが、時の流れとは、げに恐ろしいものよのぅ」
大臣「……(ちょっと待て!、それあんたが幾つの時の話だよ!)」

14パンゲオンの腹(10):2006/07/18(火) 01:07:59

そうこうしている内に、人間の建国したジャッフハリムという国から
レストロオセという女王が現れました。
レストロオセは奸智に長けた女王で、
人間を脅しつけて甘い汁を吸ってやろうと近づいてきた精霊を逆に手玉に取り、
次々と自分の使役下に置いてしまいました。
レストロオセはさらに策を重ね、異神群を焚きつけて再び紀元神群と争わせました。
紀神たちはこれを何とか退けましたが、今までにない大きな損害を蒙りました。
皆殺しのデーデェイアや不死身のキュトスは、この戦いで死んでしまいました。
恋仲だったキュトスが死んでしまったことで、槍神アルセスは大いに悲しみました。

15パンゲオンの腹(11):2006/07/18(火) 07:45:16

異神との争いが終わる頃にはレストロオセはとうに死んでいましたが、
疲弊した紀元神群はなんとか自分たちの力を取り戻さなくてなはりませんでした。
紀神きっての知恵者であるアルセスは、ここでひとつの提案を挙げました。
彼はレストロオセの一件で人間の恐ろしさを目の当たりにしていましたが、
逆にその力を利用してやろうと考えたのです。
紀神たちは、人間の中で力の強い者、意志の強靭な者、頭の良い者、偉業を成し遂げた者に
【紀】の力を与えることによって自分たちの仲間に迎えることにしました。
6つの男根と28の睾丸、496の女陰と8128の子宮を持つ有翼の大蛸デーデェイアなどは、
このとき紀元神群の一員として紀人に昇じたうちの一柱です。

16パンゲオンの腹(12):2006/07/19(水) 01:08:40

それからまた数百年の後、人間の世界で新たな動きが生まれました。
遊牧民から出た覇王ハルバンデフが人間の国家を次々と征服し、
かつてない巨大な帝国を築いていったのです。
とはいえ、所詮は人間の世界の話。
自分たちには関係のないことだと、紀神たちは例によって傍観を決め込みました。
その予想通り、帝王ハルバンデフが死ぬと彼の国家はすぐに分裂しました。
ハルバンデフの偉業も、結局は一代限りのものだったのです。
しかし問題はその後でした。
ハルバンデフを生き返らせようと古代の魔術に訴えた狂える残党が、
よりによってパンゲオン世界の外への穴を開けるという大失敗をしでかしたのです。

17パンゲオンの腹(13):2006/07/19(水) 04:08:28

世界はパンゲオンの外の世界と繋がりました。
開けられた穴からは、紀神たちがかつて暮らしていた世界、
つまりパンゲオン以前の世界からの生き物が次々と流入しました。
人間たちにとってそれは見たことも聞いたこともない世界の生き物だったので、
いつしかそれは【地獄】と呼ばれるようになりました。
この出来事が、人の世にいう「第一次地獄解放事件」です。
事態がここに至って、紀元神群もようやく慌てはじめました。
パンゲオン世界にいるからこそ彼らは神でいられますが、
パンゲオン以前の世界では数いる生き物の一種でしかないのです。
パンゲオン以前の世界からの侵略者は、紀元神群にとっても紛れもない脅威でした。

18パンゲオンの腹(14):2006/07/19(水) 15:41:28

一刻も早く、外の世界との間に開いた扉を閉じなくてはなりません。
とはいえ、それが一筋縄ではいかないのは紀神たちも承知でした。
「納豆の神様」やら何やらの有象無象を相手にしていたときとはわけが違います。
今回の相手は、紀神たちにとっても互角の相手なのです。
しかしのんべんだらりとした生活を長いこと続けたせいで、
紀元神群はすっかり平和ボケしていました。
命に関わる危険な戦いを怖がって、誰もが尻込みをしたのです。
しかも頼みの綱である最強の紀神セラティスは、
このとき運悪く友達の家に遊びに行ってて留守でした。
紀元神群、はじまって以来のピンチなのでした。

19パンゲオンの腹(15):2006/07/19(水) 17:58:52

そんなとき、ある人間の魂が【地獄】に殴り込みをかけました。
それは生前、ハルバンデフの好敵手として人々から尊敬された英雄カーズガンでした。
死してなおハルバンデフとの決着を願う彼は、単身【地獄】に趣いたのです。
自分たちの身を危険に晒すことを嫌った紀元神群は、こぞってカーズガンを応援しました。
今や【地獄】の王に収まったハルバンデフを退治して、地獄の扉を閉めてしまうよう頼んだのです。
紀元神群はカーズガンに【紀】の力を与えて紀人とし、
魔王ハルバンデフを打ち倒すに足る様々な策を施しました。
紀人となったカーズガンは正面を切って地獄の難敵を屠り進み、
紀元神群は後方を支援する形でその後に続きました。

20パンゲオンの腹(16):2006/07/19(水) 19:34:34

やがてカーズガンは地獄の底に辿り着きました。
当然そこには魔王ハルバンデフが待ち構えていたのですが、
それよりも彼の隣にいる人物を目にして紀神らは驚きました。
ハルバンデフを意のままに操ることで影から地獄を治めていたのは、
なんとジャッフハリムの暴紀レストロオセだったのです。
カーズガンの後ろに続いていた神々は大いに混乱しました。
レストロオセが生きていた時代からは、もう既に千年が経とうとしているのです。
考える間も与えられぬまま、カーズガンとハルバンデフの決戦が始まりました。

21パンゲオンの腹(17):2006/07/19(水) 19:40:06

生前は一度としてハルバンデフに勝利することなかったカーズガンですが、
今や神となった彼の力はかつての比ではありません。
とはいえ、地獄の瘴気を受けて魔王となったハルバンデフも負けてはいませんでした。
さらに背後から念を送るレストロオセの妖しい術によって
ハルバンデフの膂力は恐ろしいほどに高まっています。
この術の正体をいち早く見抜いたのは、智の紀神ラヴァエヤナでした。
彼女は争いに不慣れなので直接地獄に降りてはいませんでしたが、
シャルマキヒュ神の千里眼を通じて地獄を覗き見ていたのです。
神々の図書館を預かるラヴァエヤナの記憶によれば、
レストロオセの操る術は「隠されたはじまり以前の一族」の技術に違いありませんでした。

22パンゲオンの腹(18):2006/07/19(水) 19:50:57

ラヴァエヤナはカーズガンを通じてレストロオセを問い詰めました。
レストロオセは今さら気付いたのかと言わんばかりに、あっさりと真相を白状しはじめました。
いえ、その態度はむしろ、物語のクライマックスで悪の黒幕が聞いてもいないのに
事件の真相をべらべらと語り出すときのそれそのものでした。
曰く、天地開闢以前からパンゲオンの腹の中にいた彼女らの祖先は、
やがて「隠されたはじまり以前の一族」と呼ばれる文化的社会を築き上げた。
しかしそれを紀元神群が不条理な理由で滅ぼした。
一人生き残ったレストロオセは一族の英知を結集し、
【人類】を唱えて紀元神群に対抗しうる唯一の種を作り出した。
そして彼女自身も人間としてジャッフハリムに生まれ変わり、王妃として紀元神群に打撃を与えた。
その後彼女は自力で紀元槍に触れて紀人となり、
紀元神群に更なる辱めを与えるために人の世を陰から操ってきたのだと。

23パンゲオンの腹(19):2006/07/19(水) 19:53:31

大威張りで哄笑しながら散々にネタバレしまくると、
レストロオセはとっとと秘密の脱出ルートからトンズラこいてしまいました。
残されたのはカーズガンとハルバンデフのみです。
その後も両者の激しい戦いが続きましたが、
レストロオセの援助を欠いたハルバンデフの力はカーズガンに一歩劣りました。
長い死闘の末、ついにハルバンデフは討たれました。
君主を失った地獄は勢いを失い、
カーズガンはすぐさまパンゲオン世界との間に通じた扉を封印しました。
こうして、第一次地獄解放事件はようやく収束を迎えました。
ひとまずめでたしめでたしでした。

24パンゲオンの腹(20):2006/07/19(水) 20:00:27

でも、よく考えるとあまりめでたくもありませんでした。
黒幕のレストロオセはまんまと逃げおおせてしまったわけですから、
いつまた同じような事態が起こるか分かりません。
紀元神群は例によって大慌てになりました。
そんなとき、友達のきゅーちゃんちからセラティスが帰ってきました。
この忙しいときに何をしていたのかと、皆はセラティスをなじりました。
こっちは死ぬとこだったんだぞ、
そもそもお前が連中にゲルシェネスナなんかぶち込むからこんなことに、
お前もうおやつ抜き、
隠し持ってる恥ずかしいポエム印刷して世界中にバラ撒くぞ、
そんな風に矢継ぎ早に責められてしまったので、
普段は無表情系不思議少女で通っている戦闘美少女セラティスも遂には泣き出してしまいました。
セラティスが拗ねて隠れてしまったので、
紀元神群は再びレストロオセに対抗する手段を失ってしまいました。

25パンゲオンの腹(21):2006/07/19(水) 20:04:27

セラティスの協力が得られないとなると、紀元神群は八方塞がりです。
正面切ってレストロオセと戦って負けるとは思いませんが、
また同じようなことがあれば大きな痛手を負うことは必至でした。
それになにより痛いのは嫌です。
紀神たちは少し迷って、すぐに撤退を決めました。
自分たちがパンゲオン世界から隠れてしまえば、
レストロオセといえども流石に追ってはこれないでしょう。
どうせパンゲオン世界に大した執着はないのです。
そうと決まればさっさと引越しというわけで、
数千年の間パンゲオン世界に君臨していた紀元神群は遂に身を引きました。

26パンゲオンの腹(22):2006/07/19(水) 20:05:55

紀元神群は紀元槍の中に身を隠すようになり、遂に世界は彼らの支配から解放されました。
パンゲオン世界にはまだ「南東からの脅威の眷属」などの異神が残ってはいましたが、
彼らとて必ずしも人間より優れているというわけではありません。
世界の真理に着々と近づき、ますます強大な力を得ようとしている人間達からすれば、
これらの異神の脅威は単なる異種族問題程度のものでしかありません。
こうして神話の時代は終わりました。
人を弱者とするケールリング人間観は徐々に語られなくなり、
人を強者とするヨンダライト人間観が広く認知されるようになりました。

27パンゲオンの腹(23):2006/07/19(水) 20:13:11

今でもときどき、紀神たちが人間の前に姿を現すという噂はあります。
アルセス神は恋仲だったキュトス神を甦らせるため、
人の姿を借りてあてどもなく世の中を放浪しているといいます。
飽きもせずに筋トレしているセラティス神や、
何を考えているのか分からないマロンゾロンド神もときどき目撃されています。
なんとなく気に食わないという理由で人間嫌いなペレンケテンヌルも、
人々に嫌がらせするため下界に降りることがあるそうです。
そしてそういったチャンスを狙って、
呪詛レストロオセがいまだ紀神への復讐の機会を窺い続けていることも忘れてはいけません。
今や神々の名前はすっかり昔のものとなってしまいましたが、
彼らの脅威は常に私たちと紙一重の世界にあるのです。
レストロオセや紀神たちの脅威を完璧に防ぎきる方法はただひとつ。
……この壷をお買いなさい。

28東亜年代記(3):2006/07/21(金) 17:32:04
東亜大陸と言っても、本大陸の南の亜大陸、その東部地方のことでは無論ない。
【東亜】なる大陸名、それはかの極東の民族が独自に付けた大地の名前、後に大陸が統一され、侵攻の手が亜大陸の東の海に浮かぶ円環諸島まで伸び、【泡良】と呼ばれるまでの名前に過ぎない。
【泡良の国】とは、東の大陸から西の諸島までを支配する広大な国なのである。

29パンゲオンの腹(まとめ):2006/07/23(日) 04:24:10
>>3>>4>>6>>7>>8>>9>>10>>11>>12>>14>>15
>>16>>17>>18>>19>>20>>21>>22>>23>>24
>>25>>26>>27

30パンゲオンの腹(転載&微修正):2006/07/23(日) 14:16:55
http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20060720/1153324196

31タマラの冒険(仮)(1):2006/07/28(金) 23:31:14
キュトスの姉妹の34番目、本名がクリアケンポロイドで通称がエミリニェロギッポロネーシャであるタマラ語りて曰く、

ワタクシが北の海を単身旅していた時のことです。
エクリエッテに頼んだ睡蓮のボートとウツボカズラの寝袋のお陰で、
船旅は大層楽しい物でしたわ。
ところが、ある四月の凪の夜、まるでダム穴が空いたかのような轟音が響き渡りました。
ぐっすりと寝ていた私はウッキー(ウツボカズラの名前ですわ)から這い出し、
外の様子を伺いました。
見回した周囲には、明り一つありません。
当たり前とは思いますまい、星々も四つの月も見えないのですから。
どこからともなく生暖か臭い風が吹いてくるばかりです。
慌てふためいたワタクシは、とりあえずウッキーに篭って遺書を書き始めました。
姉妹一人一人への恨み言を綴っていき、リアトニスまで書いたその時です。
目の隅に小さな小さな猫又がいるではありませんか。
手の平サイズの猫又を見るのは初めてでしたから、書く手も休めて呆然と見つめてしまいました。
猫又はマイペースに毛づくろいをしておりましたが、しばらくしてワタクシの顔を見ると

32タマラの冒険(仮)(2):2006/07/29(土) 19:00:01
夜空に燦然と輝くあの金塊の星のように煌く一粒の弾を吐き出しましたの。下の口から偽犬の吐息のように噴き出したその唾液まみれの弾丸はなんと猫又の排泄物――と失礼、言葉が汚のうございました――猫又の畜生野郎の糞味噌だったのです。ちなみに糞味噌というのはジッキ地方に伝わる大豆と肥料と麦などを混ぜたとても芳ばしい香料ですの。林檎につけると美味しいので皆さん今度試してみては?
さて、ゲロったそのクソはフィルティエルトの平手打ちもかくや、という勢いでワタクシの背後にいたカツマの頭蓋に命中しました。

ええ、そうです。カツマはかねてよりワタクシのモノクル趣向が気に入らず、普通の眼鏡をかけろとネクリュセリテの如く執拗に迫ってきていたのです。今回の彼はワタクシの寝込みを襲おうとウッキーの中に隠れていたのですが、この小さな猫又には気付かれてしまったと言うわけです。兎の慟哭ですわ。
憐れカツマは四回転半錐揉み発射五秒後、オービル実験の失敗例の如く大断層の奥底へ旅立っていったのでございます。
さて、話を猫又に戻しますと、猫又はくるくると尻尾をワタクシに巻きつけながら、執拗にある方向を示しました。
そしてワタクシは気付きました。ここが何処であるのか。ワタクシは誰なのか。姉妹の存在意義とは何か。キュトスシステムの全理と、紀元槍のフラクタル図形の現状に於ける展開速度及び長年に渡り数学者を悩ませてきたフェイレアーの三角問題のバッチリな解法を。

そう、其処はフェルンゼーアーの体内だったのです。

33カーズガンの死(1):2006/07/29(土) 19:05:48
【カーズガンについての伝承 カーズガンの死】(1/4)
 占い師の言った通り、その晩は闇夜だった。
 小高い丘の上で、一人、カーズガンは馬上から眼下の集落を見下ろしながら呟く。
「こんな日が来るなんて考えてもいなかった」
 彼らは仲の良い親友だった。
 まるで血を分けた兄弟のようだ、と誰もが言った。
 どこへ行くのも一緒だった。
 どこまでも青く澄み渡った空の下で、草原を統一する、という誰もが成し得なかった夢を共に語り合った同志でもあった。
 あの別れの日ですら、それが永遠の別れではなく、すぐに再会し、共に轡を並べて草原を駆ける日が来ると信じて疑わなかった。
 それが、どうして……
「こんな日が来るなんて考えてもいなかった」
 手の震えを感じ、彼は、手にした剣の柄をさらに強く握り締める。
 全ては過去の出来事なのだ、と現実をかみ締めるために……感傷を捨て去るために……そして、逃げたいという、己が内からの声と欲求から目を逸らすために。
 それでも手の震えは止まらない。
 これが己が弱さだ、と彼は実感する。
 ……この弱さがあるから俺は勝てなかった……しかし、今日はこの弱さを捨てなければならない。
 彼は深呼吸をして歯を食いしばり、己が手の震えが未だ止まらぬのを感じながら、ゆっくりと背後を振り返る。
 そこには、闇夜に紛れて、彼が草原中から掻き集めた騎兵2千の姿があった。
 いずれも歴戦を潜り抜けてきた勇者達だ。
 だが、彼は知っている、この中の殆ど、いや誰一人として明日の朝日を迎えることが無く死を迎えるだろう事を……。
 ……そして、彼らをその死へと誘うのは俺だ……冷酷な殺人者にして処刑人は自分だ……だが、そうまでしなければ勝つことはできない相手なのだ。
 彼らの押し殺したような息遣いを感じながら、ふとカーズガンは思う、自分はいかなる死を迎えるのか?と。
 願い半ばに、あっけなく雑兵の手にかかるのやも知れない。
 歴史に名を残すような斬り死にを迎えるのやもしれない。
 それとも、敵の手に捕まり、カーズガンというその名に相応しく大鍋で煮られて死ぬのかもしれない。
 そうなると、死後、いかなるモフティが自分に与えられるのか……
 ……カーズガンだ
 彼は思う。
 ……俺の今の名はカーズガン、そして死して尚、人は俺をカーズガンと呼ぶ……過去も未来も、その名前以外に自分の名前はありえない
 根拠は無かったが、彼はそう確信していた。
 震えは止まった。
 もはや、彼は死を恐れてはいない。
 弱さも、躊躇いも、そして臆病さも今の彼には無い。
「勇者達、我らの願いは今かなう」
 彼は、兵を前にして言う。
「我らが策略は上手くいき、今や周辺諸国や草の民の多くがこの作戦に賛同し、各地で行動を起こしている
 偉大なる大地の母は、我らに味方しているのだ
 母は必ずや我らを守護し、我らの大義を叶えてくれるだろう
 勝利は、もはや疑う余地は無い」
 それは嘘だった。
 作戦に参加を約束した西方諸国は自らの国境を固めるばかりで、草原へと兵を進めなかった……つまり約束を違えたのだ。
 トゥルサは最初から動かなかった。
 北方帝国の生き残った諸侯達は、兵を出すふりこそしたが、草の民の兵と刃を交えることなくすぐに兵を引き返した。
 草の民の有力部族達は静観を決め込んだ。
 東の交易国家は兵を出さないばかりか、この計画を密告した可能性すらある。
 ただ、ボルサの戦いに参加した幾つかの部族と、トゥルサ国境の部族、そしてボルボス地方の農民達だけが兵を挙げていた。
 義理堅い連中だと、彼は心からの感謝の念を禁じえない。
 実際、それらの鎮圧の為に多くの兵員が割かれたのだから。
「今や、我らの義挙は大陸全ての人の見るところである。
 失敗は許されない」
 彼は、そこで言葉を切り、左手を挙げながら愛馬の馬首を翻す。
 その手が下ろされる時、彼らは突き進む……死に向かって……滅亡に向かって……そして、己が信じた正義に向かって
「行こう、諸君!
 刻は来た!
 我らの狙うはただ一つ!、殺戮鬼ハルバンデフの首である!」
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)

34カーズガンの死(2):2006/07/29(土) 19:06:26
【カーズガンについての伝承 カーズガンの死】(2/4)
 「運のいい奴め」
 カーズガンは舌打ちを禁じえない。
 月を覆っていた雲が晴れ、銀色の月光が丘を駆け下りる彼らを照らし出していた。
 もはや彼らの姿が敵兵に発見されるのは時間の問題だろう。
「用意周到な奴め」
 彼は歯軋りしたい気持ちだった。
 集落でハルバンデフの護衛についている兵の数は、彼の予想を遥かに上回っていた。
 軽く見積もっても自らの率いる兵の倍はいる。
 しかも、それらは寄せ集めの弱兵の群れなどではなく、遠目から見ても分かる、戦いの場数を踏んだ熟練兵による軍団だった。
「ここまで用心深い奴だったか、あれは?」
 彼は記憶を掻き集めて、現在の疑問を過去から解き明かそうとしたが、そうであったような気もしたし、そうでなかったような気もして頼りにならなかった。
 だから彼は考えるのを止めた。
 今はただ、一つの目的に向かって突き進めばよい。
 過去など、もはや必要ではない。
 必要なのは未来だ。
 だが、その未来に自分はいないだろうことを彼は覚悟していた。
 愛馬の腹を鐙で蹴り、今までゆっくりと音を立てさせないように歩ませていた馬を駆けさせると、彼は雄叫びをあげる。
 敵に発見されるのが時間の問題ならば、敵を動揺させ、一瞬でもその懐に飛び込む時間を稼がねばならない。
 勇者達の声が彼に続く。
 草原は、今や彩られていた
 死すら恐れぬ猛者達の声によって
 これから殺し合いを演じる者達の狂気によって
 そして、今から死へと向かう覚悟と前倒しの断末魔によって
 彼らは今や疾風と化し、また光の矢と化して草原を駆けていた。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)

35カーズガンの死(3):2006/07/29(土) 19:07:20
【カーズガンについての伝承 カーズガンの死】(3/4)
「流石だ」
 彼は認めざるを得ない。
 突然現れた敵にハルバンデフの軍団が動揺と隙を見せたのは一瞬のことにしか過ぎなかった。
 すぐに彼らは戦の準備を整え、カーズガンの兵達の前に槍衾を展開していた。
「これが草原を制した力と言うものか?」
 カーズガンは悟る、彼が率いる兵も勇者達ならば、ハルバンデフの率いる兵も紛れも無く勇者達なのだと。
 しかしながら、今更彼には引く術など無い。
 彼は鐙で愛馬のわき腹を蹴り、兵達の先にいる筈のハルバンデフ目掛けてその足を駆けさせた。
 その彼の前に槍を構えた兵達が立ち塞がる。
「どけ!」
 右手の剣を振り、彼は死を産み出す。
 今や戦神が、死の乙女が彼に乗り移り、もはや地上の如何なるをもってしても彼の目の前を塞ぐことは叶わない。
 やがて槍衾が崩れ、ハルバンデフへと続く一筋の道がその門を開こうとしていた。
 彼は、その僅かな隙間を縫うようにして陣の奥へと突き進む。
 幾人かの兵達がその背後を狙ったが、幾本かの矢が飛来し、彼らを打ち倒した。
 またさらに幾多の兵士を打ち倒して槍衾を超えた時、カーズガンの背後で人馬のぶつかり合う音が聞こえた。
 剣戟の金属音
 矢が空気を切り裂く音
 怒声と罵声
 馬達の嘶く声
 そして断末魔の悲鳴
 カーズガンの兵達は勇敢に戦ったが、多勢に無勢、カーズガンの後に続いて槍衾を超えることは適わず次々に打ち倒されていく。
 だが、彼が勇者達を集めたのは、まさにこのためだった。
 自らを追う兵士を一人でも減らすための、時間稼ぎのための捨て駒。
 目的の為に数多の戦神と死の乙女へと捧げた供物。
 今更ながら彼は、すまないという気持ちで一杯になる。
 だが、背後は振り返らなかった。
 彼は知っていた、この非情な敵に勝つためには自分もまた非情にならなければならないことを……
 それが人の世で非道と呼ばれる行為であることを……
「ハルバンデフ!」
 死者に、そして死に行く者達への手向けとばかりに、彼は声をあげてその名を口にする。
「ハルバンデフ!」
 途中、何度か彼の行く手を阻むべく槍や異国の武器を手にした兵達が立ち塞がったが、彼はその全てを斬り捨てた。
 もはや、彼を止めることは誰にも叶わない。
 やがて彼の目の前に、漆黒の馬に跨り、黒衣に身を包んだ男の姿が現れる。
 まるで血で塗ったように赤い、長槍を手にしたその男は……
「ハルバンデフ!」
 まごうことなく、今や諸国を蹂躙する、現世の魔王と化したハルバンデフの姿そのものであった。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)

36カーズガンの死(4):2006/07/29(土) 19:08:35
【カーズガンについての伝承 カーズガンの死】(4/4)
「ハルバンデフ!」
 全ての感情を込め、彼はその名を口にする。
 しかし、ハルバンデフは何も答えない。
 代わりに返してきたのは、手にした槍での心臓を狙った一撃だった。
 あわやの所でその一撃をかわし、彼は戦慄する。
 ハルバンデフの一撃には躊躇いが無かった。
 間違いなく、こちらを殺す気なのだ。
 ……あぁ、私は
 未だにまだ躊躇いがあるのだ、ということを彼は改めて思い知った。
 躊躇いがあってはこの魔王は倒せない。
 敵は、あの仲の良かった旧友ではなく、草原を制し、諸国を蹂躙した魔王なのだ。
「ハルバンデフ!」
 もう一度その名を叫んだ時、ようやくカーズガンから全ての躊躇いが消えた。
 二人は互いに、その首、その心臓、その急所を狙って激しく攻防を繰り広げた。
 防御をし損ね、攻撃を受けたほうが死ぬ……それはそういう戦いだった。
 最早、そこに兄弟のように仲が良かった親友同士の姿は無い。
 そこにいたのは生き延びるために互いを殺そうとする二匹の雄だった。
 何度目かに繰り出された槍先をはじいた時、その槍先はカーズガンの太腿に突き刺さった。
「がっ!」
 思わず苦痛の声を漏らし馬上で体勢を崩すカーズガン。
 そしてその首を取ろうと手を伸ばすハルバンデフ。
 しかし、カーズガンはそれを待っていた。
 彼は自分に伸ばしたハルバンデフの手を掴み、そして足に刺さった槍を掴むとそのまま力任せにハルバンデフを馬上から地面に押し倒した。
 その間にも槍は彼の腿に深く突き刺さったが、もはや彼の口から苦痛の悲鳴は漏れなかった。
 地面に落ちた拍子に、彼の肉を深く抉りながら槍が彼の腿から外れたが、それでも彼の口から悲鳴は漏れない。
 最早痛覚など、彼にとって無駄な感覚でしかない。
 最早彼は人ではない。
 最早彼は手段にして道具だ。
 人の身で『魔王』と畏れられた、ハルバンデフという存在を破壊し、殺し、消滅させるための道具だ。
 自分に振り下ろされるのだろう剣に備えて、掴んだその槍を、カーズガンはハルバンデフの右手ごと踏みつけた。
 力んだ拍子に、太腿から血が噴き出す。
 残った片足をハルバンデフの胸において押さえつける。
 魔王ハルバンデフは今や地に伏せられた飛べない鳥だ。
 腰に下げたもう一つの剣を抜き、カーズガンがその首を取れば全てがい終わる……はずだった。
 だが、カーズガンが振り下ろす剣の速度が一瞬だけ鈍った。
 昂ぶった殺意の奔流によって押し殺していた過去の郷愁……それが彼の腕を鈍らせたのだ。
 それが彼の命取りになった。
 そして昂ぶりすぎた感情も命取りになった。
 もし彼が何時ものように冷静ならば、彼がハルバンデフの右手ごと踏みつけている槍の先が無かったことに気付いたはずだ。
 それは僅か一瞬の出来事だったが、勝敗を決するには十分な時間だった。
 結局、カーズガンの振り下ろした剣は地面まで届かなかった。
 何時の間にか姿を消していた槍の先は、ハルバンデフの左手にあり、そして彼はそれを投擲してカーズガンの喉を貫いていた。
 それはカーズガンに致命傷を与えるには十分な一撃だった。
 カースガンは口から血の泡を吐き、そして剣を落として仰向けに倒れた。
 渾身の力を振り絞って立ち上がろうとはしたが、彼に出来たのはようやっと一度閉じた瞼を開くことだけだった。
 見開た瞼の奥のその瞳には空に輝く銀の月が映っていたが、もうそれが何であるかカーズガンには分かるはずもない。
 なぜなら、もうカーズガンには何も見えていなかったからだ。
 カーズガンには、もう見えない。
 ハルバンデフが立ち上がり、自分が落とした剣を手に近づいてくることも
 自分が討ち取られたそのことを、ハルバンデフの部下達が触れ回っていることも
 自分に従った部下達が次々に討ち取られ、最早草原に屍をさらしていることも
 屍と化した自分の身体から、曝すために首を切り離そうと敵の兵達が近づいてくることも
 全ての終わった草原を、月の銀色の光が照らし出していることも
 だからカーズガンには分かるはずはなかった。
 胴から切り離されたその首を掴んだハルバンデフのその両手が震えていたことも
 そして、その月光の中で、誰にも知られずに密かに、ハルバンデフの流した一筋の涙も……
 
 この日、草原の勇者であるカーズガンは死んだ。
 だが、同時に、ある意味において、ハルバンデフもまた死んだことを誰も知らない。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)

37タマラの冒険(超)(3):2006/07/29(土) 19:48:14
歌声は千里、気合は光年と申しますが、魚の焼き加減は灰になるくらいがよいというのはビークレット姉様の格言でございましたか。何れにせよ焼き魚ではないものに良い味を求めては仕方ないと諦めつつも、ワタクシはフェルンゼーアーを体内からムシャムシャモリモリギョレィピッピとばかりに生のまま食べ続けていました。お恥ずかしい事ですが、その有様は傍目からはバッカスが椰子の実の踊り食いをしているかのごとく映ったでしょう。
襲いくる魚人の群を砂糖菓子にしては丸めて整え、砂糖漬けにしては冷やして固め、帰りへのお土産を作りながらワタクシはフェルンゼーアーの突貫工事を一晩で終わらせましたの。
その途中、ツルがお亡くなりにあそばされたり小人が山田と融合したりと波乱万丈な展開が目白押しでございましたが、ワタクシは三日三晩をかけてフェルンゼーアーを完食いたしました。
腐っても食王(ショッキング)の座を魚住から奪い取った身でありますから、一度手をつけた魚を食べかけにしたままなぞという冒涜的フィランソロピーに溢れた行為はワタクシの中の三重騎士が許さなかったのでございます。
外に出ればそこは既に朝。青空ではウィータスティカの三兄弟が飛び回り、辺り一面にはオルガンローデと青竜騎士団との決戦の余波で巻き添えを食らった罪も無きシュルシュルの亡骸が。
1.5ナノセカンド程の黙祷の後、ワタクシは全速力で猫又に乗ってその場を去ったのでございます。
嗚呼、なんて愁悦なことでしょう。
なんとその後にワタクシを待ち受けていたのは、かの大賢人、エーラマーンの知り合いの知り合いの友達の叔父の親友の息子の恋人の曽祖父の名付け親のペットの仇その人だったのです。

かく言うワタクシも、エーラマーンとは知人の前妻の子供の親友の従兄の姑の出身地の村長の大賢者プリエリプトラスの知り合いを名乗る行商人キチオスの妹と姉妹の契りを交わした仲なのでございます。
さて、開口一番、大賢者中略仇様はこう仰いました。

「キュトスは、セルラ・テリスの子供を身篭っていたのだ」

38タマラの冒険(馨)(4):2006/07/29(土) 21:11:20
そしてマロゾロンドはハイダルの休日、塊竜の真髄はラメンの真理にありと申しますように、一般的な妊娠期間は十月十日、天才は十年十月です。
かの威力神、色々な場所をトレーニングしている内に肉体が蛤の逢引さながらに鍛え上げられて女神を孕ませるまでになったというのです。
しかしそれならば、かの神はお腹に御子を宿したままワタクシ達に分裂したということになります。
ならばワタクシもまた妊娠しているということになるのでしょうか。
そういえばワタクシ、生まれてからこの方月のものとやらが来た事がございません。これはひょっとして、ワタクシが妊娠しているというこのなのでしょうか。
なんということでしょう。
それは禮月の謙遜、長虫の飲酒よりも衝撃的な出来事でした。
飛来神群よりも唐突に、堅強な砲声が乗り移ったワタクシは、出家するべく旅に出かけたのでした。

39アルセスと猛禽の三兄弟:2006/07/29(土) 22:39:39
アルセスがウィータスティカの三兄弟にしつこく迫られているのにもかかわらず、反撃せずに逃げるだけなのには理由がある。

元々、あの三兄弟は三姉妹だった。
蚊、蠍、蝿という醜い姉妹は、あるとき納豆の軍団に襲われて死にかけた。
その時現れたのが、納豆の残党を追って来たアルセスとその従者だ。
巨大な槍を縦横無尽と振るい納豆を薙ぎ払う少年神と、金の鎖を巧みに操りながら主を補佐する従者。
やがて納豆の残党が全滅すると、アルセスは姉妹を一目見て、何の害もない脆弱な精霊だと知ると、「早く行くといい。ここは危険だから」と言って立ち去った。
その姿を見て、姉妹は一目でアルセスに恋心を抱いた。
しかし姉妹は自分達が醜いことを自覚していた。叶わぬ夢に焦がれながら、静に暮らしていたある日のこと、三姉妹の所に魔女がやってきた。
魔女は三姉妹を美しい精霊にしてやろうといった。
喜んだ三人はその申し出を受けた。魔女は不思議な霊薬を飲ませた。するとその次の日の朝、彼女達は美しく力強い空の王者、猛禽の精霊になっていたのだ。
だが、三人はあることに気付いて愕然とした。なんと姉妹の性別は反転し、三兄弟になっていたのだ。
既に魔女は何処とも知れぬ場所に去ってしまった後。最早元に戻る術など知る由も無い。
あまりのショックで三人は狂ってしまい、その純真な恋心を抱えたまま、アルセスを求めつづけている。

アルセスはその事を知っているが故に、三兄弟を憐れに思って好きにさせてやっているのだ。

40【宇宙戦艦セラテリス】チャットより転載&微修正:2006/07/30(日) 04:24:04

アレ艦長はじめ秩序連盟議員ドルネスタンルフ、将校ピュクティエト、参謀ラヴァエヤナ等々が乗員。

密入した民間人の少年アルセスがひょんなことから汎用人型兵器キュラギを動かしてしまってなし崩し的に戦闘員化。

でもピュクティエトに怒鳴られるかなんかしてアルセスあっさり逃亡。しかも狙ったかのようにタイミング悪く敵の急襲。

館内に残っていたアルセスの連れのキュトス(民間人)がキュラギを動かす。

でも当然のように死ぬ。

それを見て凹んだアルセス帰ってくる。またピュクティエトに殴られる。

ドルネスタンルフとラヴァエヤナとシャルマキヒュになんか言われて立ち直る。

突撃隊長シャルマキヒュが突撃して死ぬ。

死んだと思ったら片目失って帰ってくる。

アルセスまたピュクティエトに殴られる。

このあたりで作画が崩壊する。

ハルバンデフ大王がラスボスっぽく登場。

ラストバトルっぽい雰囲気。

宇宙海賊カーズガンが駆けつける。

カーズガンとハルバンデフの一騎打ち。アルセス役立たず。

ハルバンデフ死ぬ。カーズガンがなんか決め台詞言う。

なんか裏ボスで大破壊兵器レストロオセとかいうのが出てくる。

カーズガンとかシャルマキヒュ致命傷で退場。

「もうお前しかいない!」ピュクティエトがアルセスにツンデレ。

アルセス突撃。レストロオセをなんとか抑える。

レストロオセのパンゲオン機関が暴走。宇宙開闢&更新の危機。

アルセスもう無理。

人工知能セルラ・テリスいきなり喋り出す。

宇宙戦艦セラテリスのエンジン部が単身パンゲオン機関に突撃。自爆。パンゲオン機関破壊。

めでたしめでたし。


パンゲオン破壊の衝撃で並行宇宙開闢。

人工知能セルラ・テリスの意識が並行宇宙に飛ぶ。

紀神セラティス誕生。

セルラ・テリスのメモリを元にアルセスその他の乗員を並行宇宙に復元。

ラナさん が、入室されました。

紀元神群誕生。

→「ゆらぎの神話」に続く

41タマラの冒険(劫)(5):2006/07/30(日) 10:50:58
鴨の脚は金貨では買えません。
百足の脚は縄では燃やせません。
けれども猿の胸は油で洗えるのです。
笑い給う夢易く。其処に於いては金糸の咎も逃げますまい。

さてさて、ワタクシがピピョ厳寺院に出家して内部派閥の抗争を調停し、全農27尖鬼を全て打ち倒した後、アルビダ尼僧と決闘し、地上最高の栄誉ポルポルフィーナ二世の称号を得たところまでお話しましたか。
さて、めでたくポルポル二世となったワタクシはかねてよりの約束に従い、盲目の少年ボロロに鯨の丸焼きを送って差し上げましたの。大変喜んでいらっしゃって、泣きながら鯨さんに取りすがって泣いていたのが印象的でしたわ。
ポル二世の称号をボロローニャ少年に授けたあと、ワタクシはいつものようにまた旅から旅への風来坊托鉢修行編地獄車百景の遍歴に参りました。
そんなある日、ワタクシの目の前にあるものが立ち塞がりましたの。
それはなんとあの伝説上の幻獣、HF(フッ化水素)でした。

42紀動戦記アルセス(1):2006/07/30(日) 15:28:45
時は新史暦2885年。
人類は宇宙に進出し、その版図を大きく広げていた。
宇宙を貫く紀元槍の周囲に無数のコロニーを展開した【人類統一連邦】。
精陽系を中心とした星系に進出したアヴロノ達の【アヴロニア帝国】。
大宇宙の遥か彼方、最も進んだ技術を持ち、最も自在に宇宙を飛び回る【宇宙の民】、【兎共同体】。
多種族が混在する巨大王国【ガロアンディアン】。

宇宙竜や銀河猫、星々に遍く納豆が跋扈し、【南十字精】と呼ばれる精霊種族・脅威の眷属と呼ばれた宇宙海賊が横行する。
至る所に出没する飛来神群の被害はうなぎ昇りである上に、アヴロニアと人類統一連邦間の争いは未だ収まる様子を見せない。

これはそんな時代、平凡な少年アルセスと謎の少女キュトス、そして彼らを引き裂く運命と・・・。

ある一人の男、グレンテルヒという名の科学者の、壮絶な戦いの記録である。

続く。誰か書いて下さい。リレーっぽく

43紀動戦記アルセス(2):2006/07/30(日) 16:09:35
人類統一連邦領土内、辺境星系である幽陽系付近の宙域。
アステロイド・ベルトが蛇の如く長く連なり、低災害級の飛来神が飛び回る、天然ガスとリパーズ、炭素資源の豊かな宙域ではあるが、殖民時代に資源を大量に消費したのと、アヴロニアとの国境付近であることも手伝ってか、あまり人口は多くない。

そのほど近くに、一隻の船が航行していた。
それは、戦艦だった。
今時の戦艦としては珍しい流線形の機体は、大気圏内での活動を考慮したものだろう。流麗なフォルムと、後ろに流れる一筋の演算素子。後ろに束ねた長髪のようなそれは、付近の空間情報を予測演算する外部端末だ。
堂々とした純白の機体は、しかしあちらこちらの砲門や装甲が焼け焦げ、激戦の後を想像させる。満身創痍の機体。その名をセラテリスと呼ぶ。

正式名称、テリス級汎次元遡及型遊撃強襲艦【威力艦セラテリス】。
【秩序連盟】と呼ばれる、人類統一連邦の加盟国の幾つかが結束した新興の勢力が存在する。
セラテリスは、その秩序連盟の所属艦だった。
弱々しく、そして種動力が死んでいるのか遅々とした航行しかできないセラテリスの艦尾で、唐突に爆発が起こった。

44タマラの冒険(餡)(6):2006/07/30(日) 18:12:45
そうして、物質化された魂は十六次元の彼方へと飛び立っていったのでした。
その様はまるでかの六十二の頭を持つ多頭獣クトスの様に、新旧の蜜蜂は昼夜を問うて飛び回ります。
ワタクシは気付いてしまいました。そう、私は既に十二賢者山脈に到着していたのです。
頭上の猫又のコマタ(そう名付けましたの。名前の由来はアヴロノと納豆神にまつわる激烈なジャンケン闘争が関わってくるのですが、それはまたいずれお話しますわ)はナアナアと喜んでいます。
おお、その威容はまるで鴉の嘴、坂本じみたその荘厳さはワタクシを驚嘆させるに足るものでした。
さて、その時、ワタクシの背後から誰かが近付いて参りました。
「パオ! そこにいるのはタマラじゃないか」
なんとその方はワタクシの旧知であった、リーデ・ヘルサルその人でした。

彼の本当の名前はリー・デ・ヘリケ・ルサルト・ムルペルスルグ・ミョルンナガイリケ・スゥト・アロン・アムルス・ロンディアス・アルティ・ロモロモ・エミリニョリーア・焔宮というのですが、長すぎるのでリーデ・ヘルサルと縮めているのです。どうかワタクシ同様、呼びやすい名前で読んであげてくださいまし。
ワタクシはヘルサル様に向かい合い、パオ!と挨拶をしました。
しかし彼は顔を顰め、パオは久しぶりに会う相手への挨拶には不適当だと言いました。なんと言う偏見でしょうか。
彼とはパオ解釈に関して酷い見解の相違があるのです。前に会った時もパオーン理論の虚数空間における応用について論戦を繰り広げたのですが、結論は結局保留のままでした。
どうも今日という今日は彼にパオゲオ定数の何たるかを叩き込んでやる必要があるようです。
しかし。その時、まさにワタクシとヘルサル様のチョメパンゲオンが華麗に滑空したが如き大論戦が展開されようとしたその矢先―――。
ワタクシ達の頭上を、竜の大部隊が飛んでいきました。

45紀動戦記アルセス 登場人物:2006/07/30(日) 19:44:23
アルセス 主人公。ヘタレ。弱い。雑魚。しかし長い戦いの中で微妙に成長する。
キュトス ヒロイン。運命的っぽくアルセスと出会っていちゃついて引き離される。
マロゾロンド アルセスの幼馴染。無口。

【セラテリス】乗組員
アレ セラテリスの艦長
ドルネスタンルフ 秩序連盟議員にしてクルグ・ドルネスタンルフの搭乗者
シャルマキヒュ 将校。とても強い。クルグ・シャルマキヒュの搭乗者
ピュクティエト セラテリスの火器管制兼クルグ・ピュクティエトの搭乗者。実はアルセスの生き別れの兄。アルセスはそのことに気付いていない。 
ラヴァエヤナ 参謀。昔アルセスの町の図書館で司書をやっていた。アルセスとは数年ぶりに再会する。尚、ピュクティエトが出撃している間は彼女が火器管制を担当する。
バッカンドラ 紀戒整備主任。ラヴァエヤナに扱き使われている。
ガリヨンテ 艦内食堂のおばちゃん。銀河随一の名コック。
グレンテルヒ 紀戒神の開発者。アルセスの隠された素質を一目で見抜いた。
ペレケテンヌル 意思を持った紀戒神。グレンテルヒの搭乗する紀体。非常に性格が悪く、アルセスとは折り合いが悪い。
ハザーリャ 通信士。索敵系は彼の担当。

【自律紀動要塞アエルガ=ミクニー】
エーラマーン 作戦情報部所属。ただしデマが多い。
【二番遊撃艦ゲヘナ】
デーデェイア 戦死。

宇宙海賊ウィータスティカ
三兄弟。アルセスを付け狙っている。
あと納豆。他色々。

46紀動戦記アルセス(3):2006/07/31(月) 00:45:27
「艦体後方で熱源感知!? 馬鹿な、感知できなかった!?」
通信士の絶叫の直後、瞬間的にアレは艦を左舷に旋回させた。
瞬間、衝撃が艦全体を包む。
「被害状況はッ!?」
「後部第二、第三ブースター中破、航行に支障はありません」
「何だ今のは、敵の新型爆雷かっ!」
「ハザーリャ、索敵急げっ!!」
怒号の飛び交う艦橋で、アレは一人瞑目した。
度重なる追撃の手は、遂にこんな辺境の惑星にまで及んだらしい。
「敵、姿を現しましたっ!! これは、光学迷彩?!・・・いや違う。まさか、異相空間から直接【扉】を!?」
驚愕の声と共に、後方に出現したのは五隻の小艦隊。
アルミオルド級自律型突撃艦【貪蝗相】である。
鋭角のフォルムと、前方に突き出た一対の高重力発生機関。
あらゆる戦場にて怖れられた死神、【蝗の軍団】。
・・・ここまでか。
物資は尽き掛け、こちらの戦力はたった一隻の艦と疲弊した乗組員。
いずれも歴戦の勇士達だったが、激戦に次ぐ激戦はその戦意を確実に削いでいる。
「艦長! 私が出ます!」
格納庫からの入電。網膜に投影された映像内で喋るのはシャルマキヒュだ。
「バッカンドラ、私の紀械神を出す! ハッチを開けろっ!」
「ちょ、姐さん、無茶ですよ?!」
「その無茶が通らねば全員犬死だっ! 艦長、発信許可を」
「許可する」
平静に。あくまでも泰然として、アレは答えた。
この身は艦の柱。いかに絶望的な状況であろうとも、彼だけは揺らぐ事を許されない。
例え、その心が既に折れていたとしても。その痩躯だけは、決して曲がらぬように。
瞼を開く。老人は、いつものように、厳かに告げた。
「これより本艦は第三種戦闘態勢に移行する。ラヴァエヤナ、記録は」
「本艦は0887星系M−47地点においてアヴロニア軍所属と思われる戦艦五隻に奇襲を受ける。自国領域以外での異相空間への【扉】使用を確認しました。なお、この行動はラルビット条約に於ける第三条第一項に違反しており、そこに正当性は認められません」
「よろしい。本艦はラルビット条約第三条第二項に従い反撃権を行使する。宜しいかな、ドルネスタンルフ爵」
艦長席の真横に鎮座する巨漢――否、肥満体を超越した球体というべきか――に問う。
秩序同盟常任議員、ドルネスタンルフ。敵の狙いの一人が、この人物であった。
「承認しよう。・・・・・・済まないな、アレ。このような非常時に戦闘の理由作りなど」
「必要な事です。シャルマキヒュ、ピュクティエト両名は紀械神で出撃。火器管制はラヴァエヤナが引き継ぐものとする」
「「「了解!!!」」」
唱和する声とともに、艦内に満ちた混乱が収まっていく。
「全ブースター点火。紀械神射出と同時に、全速で敵射程から逃れる!」
アレの指令と共に、最初の火線が真空を駆け抜けた。

47紀動戦記アルセス(4):2006/07/31(月) 21:39:25
紀械神の操縦席は実は結構広い。シャルマキヒュは女性としては相当な長身だが、彼女が両手を広げても尚有り余るスペースがある。
豊かな髪を掻き揚げて、接続端子を首の後ろに取り付ける。軽い電流が走ったような痺れが背筋を伝わり、その長躯を震わせる。
何度やっても、この感覚はなれるものではない。そう思いながらも、その意識は逸り、戦場へと向かう。習性、いや、本能と言い換えてもいい。彼女が戦うという事は、生きるということと同義である。
シャルマキヒュにはこの年で人生を語るつもりなどまるでなかったが、しかし一つだけ、譲れない価値観がある。それは、論戦だろうと斬り合いだろうと、闘争とは生物全ての本義であり、それを否定する事は誰にも出来ないということだ。昂ぶる精神を押さえ込みながら、彼女はコンソールに手を伸ばす。
紀体の起動を開始する。モナド・エンジンが猛獣の唸りを上げ、紀体全体を、コックピットの内部を輝きで満たし――――。
シャルマキヒュは、次の瞬間、その場から消滅していた。

誤解の無いように予め断っておく。戦闘用紀械が人型である必然性など近代までは微塵も無かった。
新史暦2300代に至るまで、人類は宇宙航行手段に人型の紀械など全く使ってこなかったし、その必要性も無かった。
さて、人間が他の生物と比較して、身体的に優れている部分は何処か。
言うまでも無い、それは手だ。
二足歩行などその付属物に過ぎない。人類はその器用な手で道具を作り、使い、文明を切り開いた。ならば、再現するのなら腕だけでかまわない。他の部位が多脚だろうとキャタピラだろうと、そちらの方が宇宙空間に適応できるのならばそちらを採用するべきだ。
そう、あくまで宇宙開発、惑星植民というレベルでの話ならばそれでよかった。飛来神群や宇宙海賊との小競り合いでさえ人型機械など必要なく、円筒型、あるいは球形の戦艦があれば十分だったのだ。
しかし、新史暦2372年。奇しくも、ティリビナ機構との抗争が開始されたのと同年である。
汎遡及合一理論。通称を、存在意思説。極端に概要をまとめてしまえば、こうなる。
全ての分子・原子・それ以前のクォーク、量子的濃度に至るまで―――、
全存在は、意思を持っている。
その理論は、意思の定義を刷新した。
人間を始めとする知的生体の意思は脳内の電気信号、及びそのネットワークの連続性を基とするものではなく、肉体を構成する全【存在子】の意識総体であるというのである。
意識とは連続性に非ず、存在子が一定の割合で収束する相対的領域における存在子の同一組成、それによって意識の存在は確定される―――。

先ず始めに、時空間跳躍の基礎技術が崩壊した。
従来の地脈移植であるラビット航法、心理学を応用した【扉】開閉、位相紀子化による座標軸操作、そして最後の跳躍技術といわれた空間歪曲。それらを遥か眼下に捨て置いて、人類は時空を渡ったのである。方法は単純だ。対象を分解し、指定した地点で再構成する。
実を言えば、その技術は既に実用化されていた。
物質を量子にまで細密に分解し、既に濃淡でしか表現されない情報を【扉】で転送する。転送地点から目的地点までの相対的空間情報を操作して物質を再構成すると、瞬間移動が為されているというわけだ。
しかし、そこに自意識の連続性は無い。端的に言えばその行為は自らを一度殺し、それを材料として全く同じ存在であるクローンを生成するのと同じだ。
人間が行う事は決してない、猫の国の御伽噺の類の技術だった。
しかし、ここに常識は塗り替えられた。現在解析されている存在子は七億二千八十四個。そのうち生物を構成する存在子はたったの八十万足らず。
存在子の操作法が示され、量子段階以前のレベルで完全に再生された物質は、連続性の有無に関わらず全く同じ存在であるから、その技術の行使に躊躇はいらなかった。そこに意識の連続性はないが、意識は継続されるのだ。
時空跳躍を契機として、新たなる技術が次々と生まれていった。
その代表的なものが、存在合一である。
物質と物質を融合させるという「道具」使いたる人類の技術の頂点ともいえる技術。道具そのものと一体となり、自在に操作する。
そうして生まれたのが、人型紀械神である。人間の意識を同化させて自分の身として動かす為に、人型でなければ満足な高速機動ができないという理由であったが、結果としてその技術は成功を収めた。
紀械そのものとなった人類は、如何なる人工知能よりも高速で反応し、ナノセカンド単位で思考していた演算回路など及びもつかない超高速思考を行えるようになった。巨大な紀械である紀械神や小型のサイボーグ、紀械人。そういった技術が生み出されていたこの時代は、言わば技術が科学という概念を超越し始めた時代。
時は新史暦2885年。先鋭錘の時代、その末期である。

48紀動戦記アルセス(5):2006/07/31(月) 23:10:33
空間に投影された三次元映像を見ながら、少女は静かに嘆息した。
少女を不安にさせないための配慮のつもりなのだろう、見せられている艦外映像は何の変哲も無い隕石群だ。
この艦の命運が尽き果てた事など、先程の衝撃で既に悟っているというのに。
ふと、客室の扉が横にスライドして開く。目を向ければ、そこにいたのは白衣を纏った巨躯の中年だった。
「ん、ん――? よろしいかね? キュトスくん」
「どうぞ」
淡白に告げると、厳しい顔にかけた似合わない黒縁の眼鏡を片手で直し、こちらへ歩いて来る。
「ん、いやいや、全くもって遺憾ではあるが、君に一つ提案があるいいかね?」
「わかってます。脱出しろと言うのでしょう?」
「んん。話が早くて助かる。 実に、実に・・・助かる!」
少女―――キュトスは立ち上がると、手ぶらのままで外に出ていく。放置された巨漢が慌ててついて来る。
「いやいやいや。全く困ったものだねアヴロノの連中にも。このキュトスくんの重要性も理解せずただ我等の最重要機密だからと言う理由だけで奪いに来るのだからねまったく弱い馬鹿はこれだから困る」
「グレンテルヒさん」
唐突に、キュトスが足を止めた。
「んんん? 何だねキュトスくん。言っておくが私が眷属やアヴロノに技術協力したのは純粋に研究環境の為だけだよ?」
「いえ。それより今、誰かいませんでした?」
周囲を見回す。白と青でカラーリングされた通路にはダストボックスと、その隣に黒いゴミ袋が設置されている他は何も無い。何処にも人影などなかった。
「んー? 気のせいじゃないのかね。それより脱出だ。敵の狙いは君、そして私なのだからね。ドルネタンスフ君はおまけのようなものだよ」
「グレンテルヒさん、【ドルネスタンルフ】です」
「ん、ああ。ドネルスタンフ、だね?」
二人は益体もないやり取りを交しながらその場を立ち去っていく。
しばらく後。
「ば、ばれなかった・・・・・・。凄く危なかった・・・」
比較的大きめのゴミ箱の脇、真っ黒なゴミ袋が声を発した。否、そうではなかった。ゴミ袋だと二人が勘違いしたものは立ち上がって、その中から一人の少年が現れる。
「ふう、助かったぁ。マロゾロンドがいなかったら今ごろ見つかってたな」
ありがとう、と少年は真っ黒な布の塊に礼を言った。マロゾロンドと呼ばれたその黒布は、僅かに身体を動かして反応した。どうやら頷いたらしい。
「しまったな。冗句のつもりで密航してラヴァエヤナを驚かせてやろうと思ったんだけど。正直洒落にならなくなってきたみたいだ」
マロゾロンドが先程よりも少し大きく動いた。同意しているようだ。
「このままじゃ死んでしまうし、とりあえず脱出するのが最善。だけどこの艦にはラヴァエヤナが乗ってるし見捨てるわけにもいかないし」
唸りながら考え込む少年の服の袖を、マロゾロンドがそっと引いた。
「え? とりあえず格納庫に行ってみよう? ・・・・・・うん。そうだな。脱出するにしてもしないにしても、すぐに行動出来る場所に行ったほうがいいし。よし決まり。行こうか、マロゾロンド」
そうして、二人もまた通路を移動し始めた。
それが、少年の運命を変える選択とも知らずに。

49紀動戦記アルセス(6):2006/08/01(火) 00:19:13
加圧され、収束された空間内で電離した中性子が荒れ狂う。重水素が破壊を司り、嵐の如く衝突した原子核同士が膨大な熱量を発生。紅の紀械神が、雄叫びを上げた。突き出された二本の角、髭を模した光学センサ、竜鱗装甲に包まれたその威容は、正しく紀神と呼ぶに相応しい。胸部の空間位相指向装置とピュクティエトの存在子操作による核融合爆発が巻き起こり、紀械神【クルグ・ピュクティエト】の前方に超高熱の爆炎が放出された。前方にいた【蝗】三機が跡形もなく蒸発。余波に煽られて弾き飛ばされた一機を【クルグ・シャルマキヒュ】の銀鎗が刺し貫いた。
「まずは三機!! いいスタートだ!」
「何処が良いスタートだこの阿呆! 少し後先を考えろ!」
シャルマキヒュは頭を抱えたい気分だった。今の一撃はピュクティエトにとって最大の一撃であるが、そう乱発できるものではない。まして、彼は今までの戦いで疲弊しきっている。今ので相当紀体に負荷をかけた筈だ。
「突撃隊長! x47,y89,z189より敵影来ます!」
ハザーリャの通信で我にかえる。今は悠長な思考をしている場合ではない。眼前、セラテリスを追撃する貪蝗相を三隻まで分断させることに成功し、現在誘き寄せた三隻から次々と出撃してくる自律型兵器【蝗】を撃破している最中だった。
「シャルマキヒュよ。取り敢えずはあの戦艦を落とした方が話が早いと思うのだが」
「それが出来たら苦労はしない。近づけないからこそ、こうやってドッグファイトを繰り返しているのだろうがっ!」
襲いくる高速戦闘機を回避し、擦れ違いざまに荷電粒子を口腔から放つ。
「ふん、お前は犬というよりむしろ猫だろうが?」「減らず口を叩くなっ!」
確かにクルグ・シャルマキヒュの頭部は猫を模したものだが、それと中身は関係がない。全く、この男とはつくづく馬が合わない。そう思いながら、シャルマキヒュは銀鎗の組成を変化させる。シャルマキヒュの銀鎗はある種の液状金属であり、その形態を自在に変化できる。彼女が望めばそれは剣となり盾となり、あらゆる武装に可変する。指定する形状は鞭。猫の髭にも見えるその空間走査端子でシャルマキヒュは周囲の状況を把握する。三機連隊で移動するのはこれまで見てきた敵AIの通常の思考ルーチンそのままである。小隊単位で移動する無人兵器は、前方に一個、上方に一個、左下後方に二個。三隻の戦艦はこちらを完全に包囲し、嬲り殺すつもりだろう。
上等だった。敵がそのつもりなら、こちらもその敵意に全力を以って応えるまでだ。
左から来た敵を鞭で撃墜、しかしそれは囮で、背後に隠れた蝗が荷電粒子を放出。瞬時に空間を歪曲させ回避。シャルマキヒュの腕が閃き銀色の閃光が宇宙の虫を叩き潰す。脚部ブースターを点火、態勢を180度変化させ、下方から向かってきた一機を荷電粒子砲で撃ち落す。
前方に熱源を感知、収束発射された光学砲の一撃を難なくかわし、重力加圧された突進を鞭でいなす。残りニ機が左右から同時に接近、発射された核ミサイルを荷電粒子砲で撃墜し、もう一体の機動時空爆雷を存在干渉で空間転送する。銀鎗形態に戻した武器の周囲の空間を存在干渉、電磁加速による槍の一撃が蝗を断ち切り、振り上げた脚が後ろから迫る最初にいなした蝗を粉砕した。
残る一機を口からの荷電粒子で破壊する。

50紀動戦記アルセス(7):2006/08/01(火) 00:21:24

見れば、ピュクティエトも大熱量を全身に纏わせながら出力を抑えつつ戦っていた。知らず、シャルマキヒュは笑っていた。これならば行ける。このまま行けば、こちらが確実に勝利する。あとはセラテリスが持ってくれるか、それだけが勝負だが―――。
「不味いぞシャルマキヒュ! セラテリスが!」
ピュクティエトの声に、彼女は愕然とした。
自分達を置いて離脱した筈のセラテリスが、ここまで来ていたのだ。数百キロ向こう、感知できるほどの位置で、残る二隻と激戦を繰り広げていた。
―――くそ、振り切れなかったのか。
アステロイドベルトに突入して障害物を利用する事で逃げようとしたのだが、破壊されたブースターのせいか、逃げ切る事ができなかったらしい。
一目で解るほどの劣勢だった。このままでは、数分と持たずにセラテリスは撃沈する。
シャルマキヒュの決断は、一瞬の時すら要さなかった。
「まずいな、このままでは」
「わかっている。・・・ピュクティエト、よく聞け。今からお前はセラテリスの援護に向かえ」
「馬鹿を言うな貴様っ! こやつらはどうする?!」
ピュクティエトは蝗の群れを回避しつつ、牽制用の中性子弾を射出する。
心なしか、その駆動に乱れが生じたようだった。
「決まっている。私が全て引き受ける」
「正気かっ!?」
その問いに、シャルマキヒュは答えなかった。代わりに、周囲に群がる敵を一拍子で断ち切り、ピュクティエトに接近する。
紅の紀体に迫る脅威を切り伏せ、その道を切り開いた。
「行け。行って、我等の艦を守ってきてくれ」
一瞬の沈黙。ピュクティエトは何かを躊躇った後に、
「貴様が死ぬと骨を拾うのが面倒だ。・・・・・・精々、私の手を煩わせるな」
それだけ言って、紅の鬼神はセラテリスへ向け、全力で機動した。
追撃しようとした蝗達を、銀色の閃光が尽く撃墜する。
「少し待て虫ども。 貴様等の相手はこの私だ」
槍を可変させ、二振りの剣と為す。その鋼の頭部に凄絶な笑みの気配を張り付かせて、白き軍神は宙空を駆け抜けた。
     トップダウン
「来い、でくのぼう・・・・・・!!
 この私が、ドッグファイトの遣り方を教えてやるっ!!」

51リーデ・ヘルサルの書簡:2006/08/01(火) 22:57:29
 
アレット州ギールズ群フィリーフィリー街01147-558

バールズ=ウ・ハーン様

前略
お久しぶりです。前回の講演はお見事でした。回帰的神学についての解釈は
大分物議を醸したものですが、最近では学会は貴方の提唱した論文に賛同する方向に動いているようです。
さて―――、例の古文書についてのお話ですが。
あの時、レイサーム祭儀の時にお見せしたあの秘術は、実の所正式な意味での魔術ではありません。
いいえ。確かに世界の理から外れているという観点に立てばあれは確かに魔術・魔法の類ではありましょう。
ですが、そう。私も燃素体系は多少齧っておりますが、それによる発火現象とは、どうも根本的に異なるものなのです。
あの時私が使った道具は、猫の国の言葉で【ライター】と言うものです。
ええ、私が十二賢者山脈を探索し、その奥の洞窟で発見した無数のラーカス鉄鋼の碑文と、そこに安置されていた無限に連なるかと思われた書架。
その中から私が狼達の猛威から死に物狂いで逃れ、たった一冊だけ持ち出した書物【ノミト・デルフォス】に記されていたのが、その【ライター】に関する記述だったのです。
堆積岩の一種(バルジ海岸から採取してきました。猫の国ではこの石を【チャート】と呼ぶそうです)をハンマーで弾き、フレウテリス(猫の国では【アルティミシア】といいます)というこちらでは有り触れた多年草を燃料にして燃やすというものですが、これには全く魔術的要素を用いてはいません。
お疑いになるのも解ります。私も半信半疑でしたから。
ですが、ここは一つそういうものだとして話を進めさせていただきたい。
各地で証言される、石と石をかち合わせて炎を出す、だの、木の枝を擦りつけて炎を出すなどというオカルト話を信じたことは私は今まで一度もありませんでした。
当然、人類の原初からして炎とは魔法で出すものですし、燃素によって炎は作り出されるのです。それは子供でも知っている常識です。
そうでなければ、兄弟神である雷神の稲妻によって炎が上がるというだけのことです。
ですが、私は最近、その固定観念を覆そうかという気になってまいりました。
今回使った堆積岩はどうも通常の石とは趣が違うらしく(石に違いなどあるわけがない、という常識的な指摘はここではしないで下さい。そういう仮定なのです。馬鹿馬鹿しいことですが)どうも発火しやすい性質のものであるらしく、フレウテリスにもそういった【成分】が含まれているのだとか。
いえ、正直自分でもこの書物は手に余っているのです。どだいこういった魔学に関する事柄は自分のような若輩者には到底理解できるものではなく、言語研究に費やす時間も惜しいやらで全く原理が理解できない。そこでハーン様に一つご相談をと思い、筆を執った次第です。
手紙と一緒に、私が【ノミト・デルフォス】を訳した写本を同封します。お時間の余った時で良いですので、どうか一読し、ご意見をいただけない物かと―――――、


「ふん、下らん」
「先生? どうかしたんですかぁ?」
「ん、ああ。例の気狂いからの手紙だよ。馬鹿馬鹿しくて読む気にもなれん。猫だの猫語だの、挙句の果てには猫語には種類があるだのという論文を発表してきちんとした単語表と文法まで創作してきた架空言語学の権威だよ」
「それって、凄い人では?」
「才能の無駄遣いだ。お遊びだ。在りもしない獣やら言語やらを研究する意欲と能力があるのなら、もっとちゃんとした学門をだな、全くあの男は」
「先生、この書類の束は?」
「ああ、猫の国とやらの書物の訳だそうだ。いらんから捨てなさい」
「これ貰ってもいいですか? 友達にこういうの好きな娘がいるんですよ」
「ん? 構わないがリーゼ君。いい加減仕事に戻りたまえ」
「あ、はーい。  ふっふーん。ニースフリルちゃん喜ぶかなぁ」

52球神の御子(1):2006/08/04(金) 21:37:58
【始原の民 第四章 球神の御子】
レイシェルは肌を通り過ぎる冷たさに身じろぎをした。
眼を開けると、ぼんやりと視界が開けていく。光源は後方にあるのか、眩しさはあまり感じる事は無い。感覚がやや鈍い。眠りから覚めた直後に特有の気だるさが全身を舐めている。明順応に伴って分解されていく色素と共に、思考も散逸しているようだった。
ゆっくりと身を起こすと、鈍色の床、壁と順に見て、向かって左側にある鉄格子の存在を見つけられた。レイシェルは鉄格子の脇の方で眠っていたようだった。
そう。レイシェル。レイシェル=ドルネスタンルフ・ドーレスタ。
その家名に神の御名を翳す、始原より伝わる人類発祥以前の一族。
神の御子。
それは、幾柱かの神々が戯れに作り出した十人ばかりの【神の似姿】。
当時まだ人類は誕生しておらず、それらは単に神々に似ただけのちっぽけな存在だった。そして、その十人はやがて神々に見捨てられ、大地で細々と子孫を育み今日の日まで生き残ってきた。
やがてそれぞれの子孫は五つの家に分かれた。神々を祀る上げ、各々一柱の神を掲げて仕える、原初にして最も忠実なる神子。
一つは大家リグデェイア―――戦鬼神デーデェイアを祀る家。かつて紀人を輩出し、新しき神デーデェイアをこの世に送り出した大蛸の加護を抱く家。
二つはエリーワァ―――叡智の神ラヴァエヤナを祀る家。知識の番人、永遠の中立を担う家。
三つはアイリヴィ―――金錐神ペレケテンヌルを祀る家。因果の掌握者。魔法の大家。
四つはプルエルヤ―――環淵神ハザーリャを祀る家。生と死を司る闇に生きる家系。
そして最後がドーレスタ。球神ドルネスタンルフを祀る、今はもう途絶えた家。―――そう。たった一人を除いては。
正直、頭が痛かった。昨日一日でエリーワァの姫君に叩き込まれた知識は、これだけでもまだ不充分なくらい雑然とし、それでいて膨大だ。
よくもまあこれだけ混沌とした知識を伝え続けられるものだと思ったものだが、いずれにせよ今はそんなことは問題にならない。
四肢に束縛はついていない。身体は自由に動くし、不調は無い。むしろ体中に熱が行き渡っているようだ。連想するのは蛙かバッタだ。ばねに力を溜めて、一気に解き放つ。
問題は無い。今するべき事は、この危機的状況下からの脱出。いずれ来るであろう死の結末の回避。
ここは敵対勢力の枢軸、プルエルヤの孤城。その地下で、レイシェルは脱走を決意した。

53東亜年代記(4):2006/08/06(日) 00:04:03
やや小型の船が海を進む。船首の先には港がある。
と、港のあちこちの建物から大きく目立つ赤い旗が立っているのが見える。
赤い旗は『急時』を意味する。本来は海賊などの襲撃や津波が近いときなどに立てられる
ものだが、このときはやや事情が違った。
「やっぱり始まっちゃってるんだなぁ〜、戦争。」船長は言った。
「ずいぶん気楽な口ぶりだね。君も陽下(ヨウカ)人だろう?」
「まぁ一応はそうなんだけど、『祖国』って感じはしないなぁ〜
港と海だけがわたしの祖国ですよ。で、このまま進んでいいんですね?
ヘリステラさん。」
「当然だ。」ヘリステラと呼ばれた女はよどみなく答えた。

54Qlairenose fim te Ers(1):2006/08/06(日) 20:50:21
『鼻晒のクレア』
遠く、天を見上げた。 青に埋め尽くされた空間を綿のような雲が流れも速く通り過ぎて行く。風が強い。ともすれば硬く踏みしめている筈の大地から引き剥がされ、舞い上がる塵と共に飛ばされてしまいそうな程に。陽は中天に昇り地上を燦然と照らし、彼女は眩さに僅かに目を細め、顔を顰めた。
白い肌の片側に落ちるのは、高く連なる山脈の様に鋭い鼻梁から生る陰影であり、紫色に濁った瞳孔が僅かに収縮する。歪めた表情が表象するのは、反射的な動作だけではない。
彼女は―――クレアノーズは、焦っていた。
一寸一刻一節の猶予も無い。燦然と輝く陽光の真下、定められた時、整えた場にて彼女はその時を、それが来るのを待っていた。
何を―――?  決まっている。
神だ。

既にして準備は万端だった。結界の中心点を調整するべく姉妹の位置を指定・配置させ、長姉達には金鎖の新神を抑えてもらっている。そして、この結界の中心点でクレアノーズが迎え撃つ。
上方の守護者、結界の天位を守る七つの風の主がいなくなってから既に二つの月が巡っていた。結界の守りは欠け、彼女を始めとする姉妹達に付け入る致命的な穴が出来ている。そう、『彼』が動き出すのには充分なくらいの時間が経っている。
・・・・・・アルセス。
槍を担う神。最悪の少年神が、その目的を果たすには、充分な程に。

55Qlairenose fim te Ers(2):2006/08/06(日) 21:26:34

唐突ではあるが、彼女、クレアノーズは少年神アルセスが死ぬほど嫌いである。

憎い、殺したいと言っていい程に嫌悪を抱いている。何故か、と問われれば答えに窮するのは自分でも解っているが、しかしそれは彼女の自意識がこの世に現れた瞬間に確定した事項であり、彼女自身がどうこうできる問題ではない。
彼女は、キュトスの『憎悪』と『悪意』、そして『嫌悪』をその身に孕む。

例え話をしよう。
ある女が、愛しい恋人と恋をし愛し合い結婚し子供をつくった。穏やかな家庭を築き、幸せな毎日を送っていた。
ある日の事である。泣き喚く赤子を何とか寝かし付けた女は、夫にこう提案した。二人で少し出かけないか、と。まだ結ばれていないあの頃のように、二人きりで何処かへ行きたいと思ったのだ。彼女は初めての育児に戸惑い、疲れていた。自分は頑張っている。そんな自分に、少しくらいの報いがあってもよいだろう、そう思ったのだ。
しかし夫は反対した。行くのなら子供も連れて行くべきだ。子供を放り出していくなど、家族として、親としてあるまじき事だ、と。
その瞬間である。赤子が唐突に泣き出し始め、女はあやす為に必死になる。

そんな時、思うのだ。確かに夫の言い分は正しいかもしれない。しかし、少しくらい自分の事を労わってくれてもいいではないか。
確かに夫は自分が家事と子育てをし、美味しい料理を作ってくれていることに感謝の意を示し、優しく扱ってくれる。しかし、それは時間が経つにつれて形だけのものになっているように思える。
子供は煩く、世話ばかりに追われ家事をするのもままならない。自分の自由になる時間など無いに等しい。どうしてそんなことも分かってくれないのか。子供を大事にするのはいい。けれど、妻は大事ではないのか。
ああ、そもそも最近では気も利かなくなってきたし簡単な家事も手伝ってくれなくなった、仕事で遅くなると言いつつ酒に酔って帰り食事は既に済ませてきたと言う、自分は食事を作って深夜まで待っていたと言うのに全くでもおかしいなそういえばどうして私は彼を好きになったんだろう。
そもそも、あの程度の顔の男を、どうして、どこを愛せたというのだろうか。

・・・これが、キュトスとアルセスに当て嵌まるのかは分からない。しかしこうした事象はほぼ不可避の確度で恋人同士が迎えるものだ。
その時の不満・苛立ち、ふとした悪意が、どうして絶対的に芽吹かないと言えるだろう。
クレアノーズには、キュトスとアルセスの『破綻の芽』が植え付けられている。
つまり。彼女は二人の別離を象徴する、【喪失】性を受け継いだ姉妹である。

56Qlairenose fim te Ers(3):2006/08/06(日) 22:37:40

「クレア姉様88」
投げ掛けられた呼び声で、クレアノーズは思索を遮断した。特徴的な口調の多い姉妹ではあるが、この喋り方をするのは基本的に一人だけだ。
「準備は出来たのかしら、ワレリィ」
「ほぼ完璧です19。皆さんボクの指示どおりの場所で待機していますです55」
やや低めの声で喋る彼女、ワレリィは、クレアノーズの妹の一人にして、彼女たち姉妹の連絡役である。
短い髪に、細い手足。凹凸の少ない身体に、丸みの少ない面差し。少年然としている。そう形容される事が多い彼女は、実際服装を変えれば少年として充分通用しそうであった。
「違うでしょうワレリィ。貴方の指示ではなくて私のよ。私の指示」
「ボクが伝えてるんですから大して違わないじゃないですかぁ75」
頬を膨らませる少女に内心で微笑する。子供じみたその気性は、クレアノーズの嗜虐心をくすぐって、中々気に入る所だった。
「ほら、そんな風に剥れていると頬を針で通してしまうわよ。因みに私の針にはラティの毒が塗ってあるのだけど、あれが体内に入ると心臓の周りの冠状動脈を極度に収縮させて―――そう、あかぁい心臓が血液をきゅうううううっと波打たせながら不規則に鼓動を上げて、その頻度が徐々に、徐々に不安定に、不規則になっていくのよそうして呼吸困難と不整脈、最悪腎不全を引き起こし全身の脱力と胴体の激痛を感じつつ絶望すら許されないまま」
「おねがいクレア姉様ボクが悪かったからもう喋らないで1」
「冗談よ」
本気で懇願する妹が可笑しくて、クレアノーズは本音を掻き消して嘘を言う。彼女にとって嘘とは優しさだ。何故なら彼女の本心とは悪意と害意に満ちているからだ。
「そうだわ。帰ったら貴方に私の本でも書いてもらいましょうか」
「どうしてそうなりますかっ7!」
他愛ない遣り取りを交しつつ、しかしクレアノーズには分かっている。これが妹の、最高の、そして最後になるかもしれない労わりと親愛の情の表れであることを。
最後まで彼女の傍にいて、さりげない―――本人はそのつもりの―――激励を送る。自分に別れを告げに来る。
そんな優しい妹を疎ましく思いながら、自分がまだそんな柔らかい感情を抱ける事に軽い驚きを覚えた。
なにしろこのクレアノーズが『疎ましい』だ。これほど最大級の親愛の気持ちが自分に存在し得るのだろうか?
ああ、けれど。そろそろ、やっと、ようやく時間が来た。
「ワレリィ」
「・・・・・・はい48」
「行くわ。邪魔だから下がっていなさい」
「どうか姉様に・・・・・・、戦鬼神のご武運がありますよう6」
そう言って、クレアノーズにとって最も多く言葉を交した妹はその場から姿を消した。
さて、と彼女は上を見た。これから見えるのは一柱の神。自分では到底敵うべくも無い、絶大なる槍の神。
そう、敵うわけが無い。彼女一人、たったひとりきりで神に勝てる筈が無い。これは負け戦。被害を最小限に、されど敵にも一矢を確実に報いる為の一手。
力ある姉達が外れた紀人を倒しに行っているのは、確実を期す為だ。
敵を分断し、確実に戦力を削ぐ。あちらは各個撃破の好機と見て、結界の中核たるクレアノーズを狙いに来る。彼女さえ瓦解すれば、正式な中核継承の行われていない姉妹間で結界が断絶し、姉妹の中に眠るキュトス本体が目覚め出す。その後で一人ずつ槍で連結していけば、71の断片は不死の神となり復活を遂げるだろう。
そうならない為に。彼女が担う中核を、『未知なる末妹』に継承する。
その為の手段を全員で作り上げた。アルセスの紀性と槍の連結顕現を一時的に奪い、最後の妹へと連結する。アルセスには不可能でも、アーズノエルが最後の妹の存在を感知できている以上、彼女を通して連結する事は理論上可能である。
連結した妹に、クレアノーズが保有する結界中核の顕現を委譲し、自らは連結されないように自害する。出来るなら、アルセスの槍も道連れにして。
『貫き通すもの』たる連結槍ファラクランティアは存在を『連結』する。かの槍があるからこそ、彼は姉妹を無力化し捕獲して、一つに戻す事ができるのだ。仮にその槍を破壊できなかったとしても、結界の中核が誰にも見つけられない最後の姉妹になってしまっては流石のアルセスでもそう簡単に手出しはできない。
つまり、この戦いで彼女は捨石だ。厄介な伴神を倒し、結界の中核を安全な場所に移す為に必要な犠牲。援護は余計だった。この作戦で彼女以外の存在は余計なだけだ。
犠牲は一人で済む。そうして姉妹は維持され、あの忌々しく疎ましく、自分を退屈させない姉妹達は守られる。
クレアノーズには、それで充分だった。
不気味なほどに澄んだ心持ちだった。だが、それでいいとも思う。
空を、見上げる。
そして見た。   空中に、少年が立っていた。

57【アルセス・ストーリー】(1):2006/08/07(月) 09:18:50

「アルセス。こちらにいらっしゃい」

呼んだのはラヴァエヤナだった。知の神、書の守、ラヴァエヤナ。
槍の神のアルセスはゆっくりと振り返る。

「なんだい、ラヴァエヤナ。今日もまたおつかいかい?」
「いいえ、今は別の用事よ。あなたの槍を私にお見せ」

アルセスは槍を掲げた。紀元槍、世界の中心。
ラヴァエヤナは静かにじっと槍を見つめる。

「やはりそうだわ。この槍は死んでいる」
「死んでいる? 槍が?」
「その証拠に刃の輝きが褪せているわ。
 あなたは槍の所持者として、輝きを取り戻さないといけない」
「それは、一体どうやって?」

「紀元槍へ向かいなさい」

58【アルセス・ストーリー】(2):2006/08/07(月) 09:35:03

アルセスは旅の仲間を求めて同胞を訪ね歩いた。
まずは猫の戦士シャルマキヒュに助けを請うた。

「ねえ、シャルマキヒュ。僕と一緒に紀元槍まで旅をしないかい?」

シャルマキヒュは猫の耳をぴくぴくと動かした。

「お子様のお守りかい? そんなことなら願い下げだよ」
「そういうつもりはないけどさ。僕は喧嘩が弱いから、守ってもらうことはあるかもね」
「坊や、あんたはもう少し逞しくなった方がいい。私抜きで行っといで。
それに私は、可愛いジャスマリシュたちにここで稽古をつけてやらないといけない」

そう言われては仕方がなかった。
アルセスはシャルマキヒュの練兵所を去った。

59【アルセス・ストーリー】(3):2006/08/07(月) 22:05:25
次に向かったのはピュクティエトだった。だがアルセスが口を開くや否や、
ピュクティエトはその豪腕でアルセスの頬を思い切り引っ叩いた。
「この、軟弱者がっ! 安易に人を頼ろうとするな、そんなことだから貴様はいつも最弱と指を差されるのだ」
「いたた・・・、そんな事を言われても、実際僕は弱いし」
「最初から諦めてどうする! まったく、貴様が嘲られる度に、私が一体どんな思いをしていると・・・・・・」
最後のほうの声は掠れてよく聞き取れなかった。怪訝に思ってアルセスは訊ねた。
「え? 今なんて言ったの? 聞こえなかっ」
「ええいさっさと一人で行かんか馬鹿者め! 一人旅でもすれば貴様とて多少は見れる男になろう!」
ピュクティエトはアルセスの背中を思い切り蹴飛ばした。

60Qlairenose fim te Ers(4):2006/08/07(月) 22:47:55
これは、昔の話。  遠い遠い、過去の話。

「ねぇクレア。 世界って、なんだか広いと思わない?」
「は?」
それは確か秋空の下、夕焼けを眺めながら城のバルコニーで語り合っていた時の事。彼女の選ぶ話題は大概どれも突飛だった。それは彼女自身が特異な性格を備えているからであり、自分は彼女にとって『変な話を聞いてくれる存在』であるからだ。
「いきなり何を言い出すのよ、クー」
「え、うん。えっとね、なんだか世界が広いと自分が矮小な存在になったみたいで相対的にムカっとくるよね、っていうはなし」
訳の分からない理屈を持ち出し始めた一つ上の姉―――ルスクォミーズを呆れた目で見ながら、クレアは嘆息した。
「そう思うなら、少しでも大人物になれるように頑張ってみたら?」
「えー。でもさー、頑張ってるけどあんまり世界が狭くなった感じはしないよう」
子供っぽい口調と眦を下げて憐れを誘う仕草は九割が演技なので無視した。
クレアは姉の長い髪を指に絡ませた。
「それなら世界を壊して狭くしてみたら? 確か、セルラ・テリスだっけ?
その人に頼めば何とかなるんじゃない」
「クレア適当過ぎよ。 だいたい、そんなことしたら私たちも死んじゃうじゃない」
肩に重さを感じて横を見ると、ルスクォミーズが寄りかかってきていた。髪を弄んでやると、くすぐったそうに身を捩じらす。
「あのね、クー。それじゃあ訊くけど。 貴方は一体どうしたいの」
「んーと」
細い顎に指先を当てて、しばし考えると、ぱっとその顔が華やいだ。
クレアはげんなりした。彼女がこういう顔をする時は、大抵ろくでも無いことを言い出すのだ。
「世界最強になりたいっ」
そら見たことか。
はぁ、と。彼女と暮らすようになってから、何度目になるかわからない大きなため息をつくと、やれやれと首を振って、
「じゃあ、私はクーが手のつけられない怪力女にならないようにしっかりと手綱を握っておかなければならないわね」
「なによそれ」
「何って、いつも通りの話。クーがヘマしたら私がフォローして責任とってあげるのよ」
そういいつつ、クレアはそっと姉の頭を撫でて微笑む。あたかも慈母のように、姉のように。そして、
「まあ、そういった向上心があるのなら、私は全力で応援するだけね」
恋人のように。
ルスクォミーズはいつものように、その繊細なかんばせに花のような笑みを描いて、心底から嬉しそうに言った。
「んー。だからクレア好きー」
「シャーフリートは?」
「う」
わざと冷たい声で言い放つ。言葉に詰まるルスクォミーズに、畳み掛けるようにして次々と名前を並べていく。
「シェロン・ストラス」
「うう」
「ゲヘナ」
「あれはほら、不可抗力と言うかなんというか・・・」
「ワレリィもね」
「あー、あー、聞こえないー」
「―私は?」
「だっ、大好き」


それから。
少し出かけてくると言ったきり帰ってこなかったルスクォミーズが、
シャーネスを喰らったということをクレアが知ったのは、それから五日後のことだった。

それは、かつての話。
彼女が、ただのクレアと呼ばれていた頃の、他愛のない話。

61Qlairenose fim te Ers(5):2006/08/08(火) 22:19:45
「やあ、久しぶりだね、クレアノーズ」
「あら、いたのアルセス。存在感が卑小すぎて気付かなかったわ」
浮かべた笑みは、双方共に嘲笑だった。威圧感は無い。それでも、クレアノーズは決して眼を合わせなかった。いや、合わせられなかったというべきか。
旅人としては標準的な麻の衣服に、少し長い髪と優男ふうの細面。その手に持つのは身長を倍して超える長大な銀槍。
絶えずうねり曲がり形状を変えるその槍を、ファラクランティアと彼は呼ぶ。
風にたなびく双方の衣服は、形状が違えば翻る面積も違う。
クレアノーズのローブは大きく膨らみ、対するアルセスの衣服は僅かになびくのみ。
風の音のみの静寂が、刹那の間その場に満ちた。湖畔に水滴を垂らすが如く、その均衡を崩したのはアルセスが先だった。
「・・・まさか、君ひとりってわけじゃあないんだろう? 僕は弱いけれど、君一人に負けるほどじゃあない。どこかに増援か伏兵がいるのが見え見えだけど」
一体どこにいるのかしらん、と見回す少年を、彼女は一笑の下に切って捨てた。
「ハッ! 鼻で笑うのも労力の無駄遣いね能無しの坊や! いいかしら、確かに貴方は私よりも強いでしょう。けれど貴方の目的はなぁに? 私たちを殺す事? 違うでしょう私を捕らえる事でしょう。 ならば貴方の行動には自ずと制限がかかる筈。そこにつけ入る事が出来ない私じゃないし、その役目には私以外の誰かは邪魔よ」
右翼を折り、前にもってくる。クレアノーズは無造作に銀色の羽の一枚を掴むと、軽い調子で引き抜いた。
「el te tEet」
厳粛なセラー韻律で紡がれた粒詞構文は羽の一枚一枚に刻み込まれた精緻な封印に干渉し、その中に封じられたものを解放する。
それはあたかも、孵化しようとする雛のように。
淡色の光を放ち、表れたのは一振りの刀。
鍔はなく、柄尻から垂れ下がる銀糸の先には、半透明の『三角錘』。
刀区からふくらまで刀身に隙間無く刻まれているのは、眼前の神を称える詩歌である。
「対槍神用に調整した貴方を殺す為だけの武器。いかに貴方といえど、この刃の前には屈するほかは無い」
少年の笑みが、僅かに深くなる。微かな嘲笑から、好奇心によるものへと。
「そうか。振り子を大気と共振させて、間接的に僕に干渉するつもりなのかな? 成る程、それなら確かに僕をも傷付けられる。 それに、その武器は他の誰かが存在すれば存在するほど使えなくなっていく。干渉する対象が増えれば威力も拡散するからね。うん。君の判断は賢明だよ」
幾度も首を振りつつ、その表情は余裕に満ちたものだった。刀を構えながら、彼女は震えそうになる身体を必死に押しとどめた。
一見で刀の性質を看破された事もあるが、少年のなんら焦った所の無い様子がどこか底知れなさを感じさせていた。
けれど、ここで折れるわけにはいかなかった。当然だが、こんなものが当たる筈が無い。それでも、彼女は戦わなければいけない、否、戦わずにはいられないのだ。
体が揺らぐ。目を合わせることだけは出来ない。恐怖を押し込め、切っ先はただ正眼に構えるのみ。
「戯言はもういいわアルセス。何か言いたい事は?」
「そうだね。正直なところ、不毛な殺し合いなんてしたくないんだ。君たちはキュトスでもあるし、キュトスは不死なんだから、殺し合いなんて最初から無意味だよ」
その、瞬間。
「キャッハハハ!! 滑稽滑稽、滑稽極まりなく無様で醜悪、見るに耐えないおぞましさね! 最高、そして最悪だわククククククッ!!」
哄笑、いや、狂笑が誰もいない荒野に響き渡った。

62Qlairenose fim te Ers(6):2006/08/08(火) 22:21:36
その濁った紫紺の瞳をぎょろりと上向かせて、クレアノーズはまるで狂女の如く喚いて叫ぶ。
「ハ―――、キュトスが不死、ですって? 愚かね、愚かとしか言いようが無いわ。
誰が一体そんな事を信じているのかしら。だって私たちはキュトスではないのだから。キュトスの一部でありキュトスとしての過去がありいずれキュトスになりうる存在。ああ素敵、それじゃあ私たちの自意識はいずれ統合されて不死のキュトスになってしまうのかしら?
いいえ、いいえ! その答えは否でしかなく諾の答えは私たちの欺瞞であり詐称であり矛盾でしかない。私たちは分かたれた。そして己となり我を得、あろうことか長女ヘリステラはナンバリングをして私たちを姉妹にしてしまった!!」
そこで言葉を一旦区切り、彼女は翼を大きく広げて背筋を反らせた。恍惚と、快楽の絶頂に到ったように。手の平を額に当てて、大仰な身振りで言い放つ。
「嗚呼、ああ、なんてこと!
ただのキュトスの断片が、ただのキュトスの分身が、クローニングされた七十一分の一キュトス達が、なんと姉妹になってしまいました!
功罪、と呼びたければ呼ぶといいし、功績と称えたければ称えればいい。
兎にも角にも、ヘリステラの所行は私たちの存在を昇華し/貶めた。
もうわたしたちは戻れない。いいことアルセス、【戻れない】のよ。
少なくとも私たちの意思では、私たちの力ではキュトスにはなれない。
私たちが姉妹である限り、その概念を突破し、アーズノエルの紀念を崩壊させて統合しないと、貴方が彼女を取り戻す事など出来はしない」
その、おぞましさに。アルセスは確実に一歩たじろいだ。鬼気迫る狂女の絶叫は、彼をして動揺させる忌まわしさに満ちていた。
「そしてね。アルセス。
私たちは、私たちの半数以上は、キュトスになりたいなどとは思っていない。
ええ、貴方のことが大好きなセレブレッタ―――キュトスの【愛】性を受け継いだ彼女でもそれは望まないでしょう。
だって私たちは既に姉妹なのだから。この私はクレアノーズなのだから。
それを失いたいだなんて、思うはず無いでしょう?
いいかしらアルセス。そしてね、私はそれを許さない。【キュトス】を【禁ずる結界】は、私たち結界の六十二妹がいる限り崩れない。守護の九姉が結界の八方位と天上を護り、私たち六十二妹が結界そのものとなる。そうして私たちは充足する」
切っ先を向ける。瞳には敵意と、そして悪意がある。
裂けるように広がる笑みは、その秀麗な美貌を掻き消して醜悪ですらある。
その様を、人はなんと呼ぶだろう。
「拒絶。そう、拒絶するわアルセス。私は、貴方を、拒絶する。結界の六十二妹筆頭、ルスクォミーズに代わる代替中核。結界守護者クレアノーズ。
その名にかけて、【キュトスの姉妹】は終わらせない―――!!」
「こ、の・・・・・・っ!!」
魔女、と。
キュトスの魔女と、そう呼ばれた化け物が、その大地に立っていた。
浮上する。大地を蹴り虚空を踏みしめて、彼女の足の『ヘリスの革靴』が飛翔する。
「望むなら殺しなさい、私たち全ての意思を、ルスクォミーズとの戦いで確かめられた、私たちの絆全てに対する敵意と憎悪を以ってね!!!
その意思が在るならば、私たちを皆殺してから纏めてその槍で串刺しにするがいいでしょう。そうすれば話が早い。貴方の妄執は果たされる。ああ、ひょっとしたら、それも無様で面白いかもしれないわね? 」
飛びかかる。直線的に突き進むクレアノーズの剣閃に対するアルセスは、憎々しげに呟いた。
「口の減らない小娘風情が・・・!」
槍と刀が、中空で絡み合った。

63Qlairenose fim te Ers(7):2006/08/08(火) 23:23:47
荒野に響く金属音が、その速度を増していく。断続的だった音の間隔は徐々に狭まり、風を斬る刃の音は更に鋭さを増していく。
空を舞う二つの人影は、一見クレアノーズが圧しているかに見えた。
片翼とはいえ、まるでフェーリムさながらに天を舞い四方八方から斬撃を繰り出す彼女の刃は、アルセスの長い槍では守りに徹するのが精一杯であるようだった。元来、槍と剣、刀では十中八九槍が勝つ。二者に相当な実力差があったとしてもそれは覆らない。
だが、それはあくまでも地上という二次元の場での論法である。
空中に戦場を移した時、上下左右と敵が目まぐるしく動き回る以上、その対応の為に振り回す得物の速度は長ければ長いほど遅くなる。
これは地上でも言える事だが、槍は小回りが利かない。そして、その欠点がこと空中戦においては浮き彫りになる。
ならば舞台を地上に移せばよいのだが、しかし。
(空いているのは『天上』だけだ・・・・・・)
クレアノーズは内心で嗤う。『禁ずる結界』という概念を利用して自分の中核権限を破壊するつもりならば、その概念自体が規定する規則に乗っ取って戦わなければ意味が無い。
結界には、領域の遮断・隔絶と同時に、内界の変質という目的を持った物が存在する。この『禁ずる結界』は正にその類であり、結界を破壊したいならば予め定めておいた結界の弱点を正確につかなければならない。
逆を言えば、その弱点さえ守れば結界が壊れる事など決して無い。
そして、今回消失した結界の『穴』はシャーネスが守っていた天上。地上及び八方位は未だ他の姉達が守っている。
故に、彼が地上に降り立った瞬間、クレアノーズを倒す事で結界を破壊するという目的は達成できなくなるのである。
『守護の九姉』『結界中核』『ウィッチオーダー』。
『禁ずる結界』維持の為の三つの柱は、いかに神格といえども容易く破る事はできない。
刀を振るい、神を追い詰める。剣筋は見事なほどに立ち、体捌きも何時になく上々だ。これならばいける。このまま続ければ勝てる。
そう、思い込ませるほどに。アルセスは手を抜いていた。
「え?」
感じたのは浮遊感。既に浮いているというのに、しかしクレアノーズは一瞬のうちにして槍の柄で弾き飛ばされていた。
「な、」
「残念だけど、遅いよ。君じゃ僕には届かない」
冷淡に言葉を紡ぐその表情は、氷像の如く硬く無機質だ。
く、と呻く。元々、彼女は戦闘に向いた体質ではない。九姉に匹敵するか、或いはそれ以上であったルスクォミーズ。彼女の補佐の為だけにと鍛え上げてきたその能力は、付け焼刃如きで神に敵うまでは到らなかったというわけか。
ここに彼女がいれば―――。
一瞬、思ってはならないことを思ってしまった。
遠い地の彼女。かつて、ずっと共に在りたいと願った彼女。
眷属の勢力圏に居る彼女には、紀元神群――否、ゼオート神群の神であるアルセスは不用意に近づけない。彼の非公式な領土侵犯は即開戦へと繋がる。
他の神々はアルセスのキュトス探求を黙認しているが、それが神群同士の全面戦争に繋がるとなれば話は別だ。
救いがあるとすれば、その一点。かつて自分が無理矢理に中核を奪い、能力を『暫定的に』封じ込めて重要性を低くしたお陰で、今アルセスは自分に狙いを定めている。
くつ、と咽喉を鳴らした。おかしかったのだ。この期に及んでルスクォミーズの幻影しか頭に無い自分が。そんな事を考える資格は、彼女を裏切り、その居場所を密告した瞬間に無くなっていたと言うのに。
体勢を立て直す。クレアノーズは、眼前の少年神に語りかけた。

64Qlairenose fim te Ers(8):2006/08/08(火) 23:38:12
「ねえアルセス。貴方は、どうしてそこまでしてキュトスを求めるの?」
アルセスの足下を見ながら、クレアノーズは問うた。
予想外の問いだったのか。少年はしばし逡巡し、重く息を吐き出した。
「彼女が、僕の存在する理由だからだ。それ以上でもそれ以下でもないよ」
淡白に告げたその声音は、しかしそれだけではない事を言外に匂わせていた。そういうことはわかったけれど、しかしクレアノーズはアルセスの言葉自体はどうでも良かったのだろう。不敵に笑った彼女は、少年の胸を見据えて告げる。
「私も同じよアルセス。 私もね、たった一つだけ、生きる理由? そういうモノが在るのよ」
瞑目する。脳裏に浮かぶのは自分よりも高い背の、けれど華奢な女性の姿。
今の自分が、決して会うことを許されない、愛しい恋人。
「私は贖罪しなければならない。彼女を裏切った咎、彼女を失った罪、彼女に背負わせた重荷、それら全てと釣り合うだけの贖いで以って、何時の日か私は必ず彼女を出迎える」
おかえりなさい、と。当たり前のように言って、そしてずっと言えなかった言葉を。見失った彼女を、もう一度捕まえる為に。
「だからね、アルセス。私は、こんな所で、終わるわけにはいかないのよ!」
吼えると同時、クレアノーズはその胸目掛けて突進した。

65Qlairenose fim te Ers(9):2006/08/09(水) 00:29:18
鮮血が飛散する。アルセスの槍はクレアノーズが突き出した右腕の掌から骨を粉砕して肘先までを貫いていた。クレアノーズが左手で持った刀を翳し、振り子を眼前に持ってくる。
「無駄だよ。連結槍の権限を奪うつもりだろうけど、そのくらいは僕も読んでる。奇襲ならともかく、意識していれば権限を奪われるような事は無い」
「ハ・・・、それは、どうかしらね」
「何?」
訝しげに眉を寄せたその瞬間、アルセスは唐突に自分の後方から急速に接近してくる気配を感じ取った。
「何だ、今更誰が・・・」
そこでようやく思い当たったのは、彼が最初に考慮した可能性だ。
もし、クレアノーズの刀がただのブラフであり、彼女自身が囮でしかないとしたら?そうであるなら、後方から接近してくるその気配こそが本命である可能性が高い。
「糞っ」
毒づいて、突き刺さったままの槍を一気に引き抜く。クレアノーズを弾き飛ばし後方を振り向こうとして、
「な、に?」
その腕が。槍を持った彼の腕が、斬り飛ばされていた。
唐突に現れた少女がクレアノーズが投げた刀を掴み取り、振るった。言葉にすればそれだけのことが、アルセスには信じられない。何故なら、彼女には一切の気配が感じられず、扉が開く予兆すらも感知できなかった。
ワレリィではない、とアルセスは思った。少女は漆黒に染め上げられた服装と髪を持っていた。肌の色さえ黒檀のそれだ。この外見で、こんなことが可能なのはただ一人。
「ノシュトリかっ!」
失念していた。姉妹の一人、ウィッチオーダーの斥候たる、気配を分離させる能力の持ち主。分離した気配は遠隔操作可能であり、本体を察知する事は不可能に近い。
槍が離れていく。断たれた腕が落下していく。考え得る限り最悪の事態に、彼は。
気付いてしまった。より劣悪で、考えたくも無い事実に。今の今まで、ずっと自分が間違っていたという事に。
灰色に。塵や埃が舞うように、世界の残滓が虚空に浮かんでいる。さながらそれは、悪夢の顕現。
「残念無念、ひっかかったねアルセス神?」
ここにきて。先刻まで彼と相対し続けた女は、ようやく彼自身と目を合わせた。クレアノーズとは似ても似つかない、けれど完璧に彼女を再現した力は。
「カルル・アルル・アの灰園―――その姿は幻影かっ! アコロアト!!」
「その通りだよ。少し読みが浅かったね? 『自分』で言うのもなんだけどさ」
眼前の少女、アコロアトは長い髪を靡かせて、アルセスと全く同じ声色と口調で言い放った。
「浮遊するのに道具使って、刀はクレアねえに借りた本物だけど。姿までカルルとビレリアに遠隔幻術で誤魔化してもらったからね。いつばれるかと冷や冷やものだったよ」
「馬鹿な、それなら、クレアノーズは一体何処に・・・・・・」
言いかけて、ようやく気付いた。自分の後方に迫る、高速の気配。
それが、すぐ傍まで来ていることに。
振り向くが、誰も居ない。ただその先にノシュトリの気配という不可視のものが存在するだけだ。
そう思った、次の瞬間。
何も無い空間から、銀色の光が溢れ出て、まるで虚空という卵を破って孵化する雛鳥の様に。
気配の中に封印されていたクレアノーズが、解放されると共に哄笑を上げてアルセスの胴を袈裟懸けに切り裂いた。

「キャッハハハハハハハッ!! 貴方の負けよアルセェェス!!」
槍を掴み、彼の右腕を切り刻む。彼女が携えているのは、もう一振りの振り子の刀。
「誰も一振りしか無い、なんて言ってないのよ間抜け!! クク、アハハハハハッ、素敵素敵なんて素晴らしい血飛沫でしょうアルセスゥゥッ!!」
大地に膝をつき、最早息も絶え絶えの少年を見下ろしながら恍惚と叫ぶクレアノーズ。その顔を狂気に歪ませ、刀を振り上げる。
「さあお終いよアルセス。貴方はここで死に絶え、そして私たちは永劫に貴方如きに運命を左右されずに済む。レーラァとセレブレッタが悲しむでしょうけど、二人には我慢してもらうとしましょうか」
アコロアト、ノシュトリに左右を固められ、アルセスに逃げ場は無い。
いや、そもそも逃げる余力が残っていなかった。彼に刻まれた傷痕は、いつもなら一瞬で治る筈の体そのものを恒常的に破壊する呪いの傷だ。
アルセスはクレアノーズを睨みつけた。ここで終わるわけにはいかなかった。
彼の目的、それを達成するまでは―――。
しかし、無常にも刃は振り下ろされる。クレアノーズの哄笑を耳に、アルセスは歯を食いしばって目を閉じた。

66Qlairenose fim te Ers(10):2006/08/09(水) 00:44:48
振り下ろされた銀色の閃光は、しかし割って入った金色の光によって停止させられた。
誰もが――アルセスでさえもが――目を瞠った。
そこにいるのはここに居る筈の無い者。金糸の髪と全身に纏わせた鎖で刀を受け止める、かつての同朋、外なる姉妹。
フラベウファが、其処にいた。
「無事ですか、主様」
「どうして・・・ここに・・・?」
フラベウファは、有り体に言って満身創痍だった。
見える肌は焼け焦げ、全身に裂傷が刻まれ、その裂傷が呪いで腐り始めている。
だが、それでも。彼女は主を抱え、後方に跳び退るだけの余力を残していた。
「逃げ足だけは、誰にも劣ることが無いと自負しております」
言いながら、彼女は鎖を解き放った。波打つ鎖の鞭は三人を打ちのめし、近寄る事を許さない。
「う・・・済まない、フラベウファ」
「喋らないで下さい。お体に障ります」
フラベウファは背後に鎖を移動させ、円を描くようにして振り回す。
「何をする気っ」
気色ばんだクレアノーズが駆けるが、無数に踊り狂う鎖によって進路を阻まれる。
やがて、鎖で描いた円の中に光が満ち溢れる。
クレアノーズは気付いた。これは『扉』だ。
「稚拙なものでは在りますが、この場から脱するには充分と言えましょう。
それではクレア姉様、失礼をば・・・」
そう言って、かつての妹と、その主たる少年は、その場から姿を消した。

67Qlairenose fim te Ers(11):2006/08/09(水) 01:04:02
「終わりましたか58」
声は、いつも通りに後ろから来た。
振り向くと、そこにいたのは少年のような妹だった。
「ええ。一先ずは、ね」
クレアノーズは右腕の治療の為に運ばれていったアコロアトを思い、続々と集結しつつある姉妹の主戦力を見た。
ウィッチオーダーを始めとして、テンスナンバーなどの強力な姉妹が一堂に会し、今後の方策を練るのだと言う。
「貴方も大変ね。連絡役として飛び回らないといけないのでしょう」
「全然平気ですっ76」
元気良く答える彼女は、ふと声を縮めて言う。
「姉様、元気ありませんね・・・7?」
「そう? ・・・・・・そうかしら」
クレアノーズは、何故だかアルセスを取り逃がした時、特に悔しさや無念を感じなかった。どうしてだろう、と思う。自分は彼が嫌いで、自分を脅かす外敵である筈なのに、どうして。
答えは出ない。何が彼女を揺るがせたのか。何が彼女を苛つかせるのか。そういったものが分からないまま、クレアノーズは歯軋りを続けた。

ケルネー・ハーディリー著 『鼻晒のクレア』第三の紀 終

68【ウィータスティカと魔女アルセス】(1/7):2006/08/10(木) 08:17:06

キュトスの姉妹の二十五番、槍の紀神と同じ名を持つ魔女アルセスは
あるとき行き倒れているところをウィータスティカの三精霊に拾われた。
その出遭いは偶然に過ぎなかったが、幼い魔女と三人の精霊は徐々に絆を深め合った。
紀神と眷属の闘争に倦んでいた三精霊は、
やがてか弱い魔女アルセスを守ることに生きる価値を感じるようになる。

69【ウィータスティカと魔女アルセス】(2/7):2006/08/10(木) 08:20:51

三精霊と魔女のこの上なく穏やかな日々は、突然に終わりを迎える。
突然現れた紀神アルセスが、魔女アルセスに襲いかかった。
自分と同じ名を持つ少女の存在が、言語戦争で不利に働くことを恐れたためだ。
三精霊の長男アリアローは紀神アルセスの前に猛然と立ちはだかる。
彼は妹ダワティワに魔女アルセスの身を託し、紀神との死戦に赴いた。

70【ウィータスティカと魔女アルセス】(3/7):2006/08/10(木) 08:22:38

アリアローに促され、ダワティワは魔女アルセスを連れて駆け出した。
しかしアリアローの命を賭けた足止めは、そう長くは続かなかった。
その槍で兄を屠った紀神アルセスは、やがて逃れるダワティワに追いつく。
身を挺して少女をかばい、致命傷を受ける長女ダワティワ。
彼女は残る全ての命を魔力に換えて、少女アルセスを末弟の元に送り届けた。

71【ウィータスティカと魔女アルセス】(4/7):2006/08/10(木) 08:23:25

命を狙われる幼い少女を残酷な紀神の目から隠すため、
三精霊の末弟テンボトアンは偉大な父ラニミーフの遺体を掘り返す。
大魔女トルソニーミカの協力と父の遺した魔力によって、
テンボトアンはウィータスティカに厳重な結界を拵えた。
結界によって少女アルセスを隠した直後、紀神アルセスがテンボトアンの前に現れた。

72【ウィータスティカと魔女アルセス】(5/7):2006/08/10(木) 08:24:12
紀神アルセスはテンボトアンを打ち負かし、魔女アルセスの所在を問うた。
しかしテンボトアンは決して口を開こうとしない。
テンボトアンの不断の意志を見て取った紀神アルセスは、
彼の目の前でその兄アリアローと姉ダワティワの死体を辱めはじめる。
テンボトアンは血の涙を溢れさせたが、それでも屈しはしなかった。

73【ウィータスティカと魔女アルセス】(6/7):2006/08/10(木) 08:26:46

紀神アルセスはこの勇気ある末弟に期待することをやめ、彼に槍を突きつけた。
魔女アルセスよ、姿を現せ。さもなくばテンボトアンの首が飛ぶ。
三度そう声高に叫んだとき、魔女アルセスが結界から飛び出した。
テンボトアンを殺さないでと、涙を流しながら紀神アルセスに駆け寄った。
紀神はこの上ない笑みを湛え、その槍で幼い少女の心臓を貫いた。

74【ウィータスティカと魔女アルセス】(7/7):2006/08/10(木) 08:27:24

ウィータスティカには、末弟テンボトアンだけが生き残った。
兄も姉も、守らねばならなかった少女も死んでしまった。
テンボトアンは心を喪った。
後年彼は、世界を呑み込む大紀竜オルガンローデの製造に携わる。
その動機が紀神アルセスへの無限の復讐心からだったことは、想像に難くない。

75ある婦人の手記:2006/08/10(木) 13:33:15
思うに、私のような平凡な主婦がこのような怪事に関わる事になったのは教会で神父様が言うように自分の不徳のせいではなく、恐らくは人の理の届かぬ所で進む怪奇なる現象によってであろう。人知の及ばぬような、決して触れてはならないという、そうしたおぞましい事々に対して我々人類が出来る事など少ないが故に、私はここにせめてもの抵抗を残したいと思う。願わくば、この手記が私と同じ境遇に陥った誰かの助けになりますよう。

私の夫が戦地から帰還してきたのは夏も過ぎ去りやや涼しくなってきた秋のことである。海軍の機関士であった夫は特別な怪我も無く、私の願いどおりに無事に帰ってきてくれた。夫を出迎えた瞬間は日頃大して信じていなかったデーデェイア神に心から感謝したくらいだ。
ただ、一つだけ奇妙な点があった。夫の体が、以前に比べてふくよかになっていた気がするのである。元来夫は痩せぎすの男で、背丈こそ高いが横幅はそれほど無いのだ。しかし今の夫は腹や腕の肉付きが私よりも良いくらいであり、戦場で戦っていたというのにこれは一体どうしたことかと疑問に思ったのだ。
しかし、戦いで疲れているだろう彼にこんな事を尋ねるのは憚られた。私は奮発して外に風呂を用意し、お湯を沸かそうとした。しかし、夫の反応は激烈だった。熱湯は止めろ、張るなら水にしろと言うのである。
この言い種に私はまたしても違和感を覚えた。夫は熱い風呂が好きである。
大衆浴場の温度では足りないといって、贅沢をして私に鉄の缶を高熱で沸かさせたものであった。
奇妙なことは、それ以降にも続いた。
まず、夫は肉類を食べなくなった。豚の腸詰や羊肉、山羊のミルクを一切口にしなくなった。その代わり、海藻や魚などの食品を好んで口にする様になった。
まだある。夫は、家の中を模様替えし始めた。手始めに部屋の壁を青く塗り潰した。そして、何処から持ってきたか分からない、粘土細工や陶器の置物を置き始めた。その形状が、何と言うか、言い表せないおぞましさに満ちていたので、私は大層不気味に思ったのだ。
また、夫は祖父母から信仰していたデーデェイア教を止めた。夫の言い分では戦場で神を信じることが出来なくなったという事だったが、その時の夫の口調は奇妙な抑揚で、なにか粘つくような薄暗い響きを持っていた。
しばらく経ってみると、変化は顕著になった。夫は見る見るうちに肥満化していったのである。髭は伸び、腹と胸は膨らみ、目は落ち窪み、首は脂肪に埋没する。そして、身長がはっきりと分かるほどに縮んで行ったのである。
ここにきてようやく私は異常な事態が進行していることに気がついた。部屋に飾られた畸形のインテリアは蛸や長虫、その他なにかおぞましいものを表しているように感じられ、夫は毎日それを眺めては陶然としているのである。
ある日、私は夢を見た。遥か海底の奥にある、広大な都の夢を。
そこでは七本足の人間が一つの目玉を動かしながら岩石を運んでおり、ぬめぬめした細長い種族が魚を捕獲していた。その都市で最も権力の強い種族は蛸のような触手を持つぶよぶよに太った背の低い化け物であり、なんとなくその姿は、夫を連想させるものであった。時折感じる地響きは、なにか、とてつもなく巨大な生物がいることを示していた。
夢は毎晩続いた。そうしているうちに、私はようやく気付いたのだ。
自分の身体もまた、ぶよぶよと太ってきていることに。
気のせいか髪の毛が薄くなり、反対に髭が薄らと伸び始めた気がする。
そして、不思議と私は外界と接触して助けを呼ぼうと言う気にはならなかった。
ある日私は目撃した。夫が奇妙な文言をその指をしゃぶりながら唱えているのを。その言葉は、例の粘着質な響きのせいでよく聞き取れなかったが、私にはこう聞こえた。
「リク・リク・リク・ェテリケ・テロッテ・リク!」
その言葉は、一度聞いただけで私の耳に焼き付いて離れなかった。
そうしてしばらく経って、私はいつしか夫の奇行を影で覗きながら、自分もその奇妙な文言を繰り返し呟いている事に気がついた。そう、自分の指をしゃぶりながら。
口から手を出した時、私はとても恍惚とした気分になった。とうとう私の指も吸盤が生まれ、長く伸び始めていたのだ!!
夫は疾うの昔に長い十本の触手を伸ばし、眼球から光を発する術を獲得していた。羨ましい。私もすぐに夫に追いついて、夢に海底都市テロテに旅立つのだ。その為に夫はずっと待っていてくれるのだから、私も頑張らねば。
リク・リク・リク・ェテリケ・テロッテ・リク!!!!

76タマラの冒険(鍼)(7):2006/08/11(金) 10:23:26
蒼き竜フールクワイラッハと共にブリシュールとの決戦に赴いたワタクシですが、なんと言うことでしょうか、ブリシュールの正体は妖精に化身した悪魔。
それが後の世に言う十八魔王が一人、魔王アグラー=ストスムスとワタクシとの、最初の対峙でした。
かの魔王は貴族から魔王に成り上がった稀有な方であり、公の場に私服で登場するようなフランクフランキーな殿方でもあります。
今回の彼も、目の前に竜の大部隊とワタクシとコマタとヘルサルさまを前にしてパジャマ一枚という無防備な服装でした。
いいえ。いいえ。
決してわたくし達は寝込みを襲うなどという卑劣な真似はしていませんわ。エーラマーン様に誓って。
ですが睡眠中とはいえ流石は魔王。鼾で竜の大群を怯ませ、寝返りでヘルサル様の指を切り落とし、歯軋りでフールクワイラッハの戦意を喪失せしめました。
こうなればこちらの戦力はワタクシたちしかおりません。これでもワタクシ、通信勇者講座で二級まで登りつめた身ですから、そこらへんの魔王くらいならチョチョイのチョメチョメで倒せる実力はありましてよ。
えいやぁっ、という掛け声と共に砂糖の塊をぶつけてやると、魔王アグラーは一瞬にして砂糖菓子になりました。
しかし次の瞬間悲劇は起こりました。砂糖菓子になった魔王は、魔王菓子アグラーとして復活したのです。
彼は、いえ。今では菓子はと呼んだほうが適切ですわね。
菓子は竜の大部隊に自分を食べさせ満腹にして墜落させたり、虫歯にしてみたりと恐るべき攻撃によって完全勝利を収めたのです。
菓子は言います。タマラーよ。また何時の日か会おう、と。
ワタクシと菓子は再会の時を予感しながら、今一度の別れを告げたのでした。

77 球神の御子(2):2006/08/11(金) 17:53:11
鉄格子の向こう、見張りは居ない。
仄かに地下を照らす明かりを目の端に捉えながら、レイシェルは強く違和感を感じる。
見張りはいた筈だ。少なくとも、自分がこの地下牢に押し込められる前までは。その直後に気を失った自分を放置してもいいと判断したのか、それとも偶々ここから見えないだけなのか。
鉄格子は縦に下がった金属柱のみであり、横の柵は無い。腕が隙間から伸ばせる時点で碌な作りではないが、今はそれがありがたい。
限界まで顔を鉄格子に近寄せて通路を窺うが、人影は見当たらない。
すう、と息を吸う。素早く済ませるのがベスト。確実に済ませるのがベター。腕を通して、外側の鍵穴をその手に握る。
軽く力を込める。レイシェルは静かに息を整え、体内の空気を一度全て吐き出した。
イメージは、全身からあらゆる気体を放出するというもの。
エリーワァの姫君が言っていた。放たれた瞬間、その先に在るものが「無いもの」だと思え、と。
世界にあるのは呼気一つ。貴方が解き放ったキなるモノが及ぼす現象こそがキュラギなのです。
自分の憶えの悪さに始終舌打ちしていた彼女だったが、唯一この儀式的行為の出来だけは誉めてくれたものだ。
レイシェルは、指先の爪から毛先に到るまで、透明な何かが流れ出していくのを感じた。穏やかな清流のように滑り込んでいくエネルギーが鋼鉄の錠に触れた瞬間、レイシェルはその鋼鉄のイメージを全精力でもって消しにかかった。
そんなものは存在しない。自分の手の中にあるのは、先刻川から掬った水だけである。冷たい感触、鉄ではなく水、錠ではなく空。
空、空、空虚、虚脱、無、空白、白、白、黒、黒でなく、無色、透明、透徹。
四角でなく、円。円にして、球。
それを。球をイメージしろと。彼女は、彼女は、エリーワァの、姫君、姫君って呼ぶのやめなさい、姫、殿下、じゃあなんて、昨日一日で、初対面、でも、自分は平凡な農民、農民、球神? 御子 神子 巫子 ソレハナニ。


・・・・・・・・・・・・見えた。
瞬間だった。レイシェルの骨格の中心点、全ての関節部から音を立てて軋んだ潤滑油のようなそれは掌から滲み出し、錠前を包んだあとゆっくりと球状に包み込んでいく。
魔法だ、とレイシェルは思った。成功したのは四回目だ。一度は憶えてもいない子供の時。二度目は好きな娘に自慢したくて使ったとき。三度目はエリーワァの姫君に見せた時。
それがあなたの天性よ、という声が、何処からか聞こえた。
球状の液体に包まれた錠前は、レイシェルが握り締めるとそのまま霞と消えた。

78東亜年代記(5):2006/08/22(火) 18:52:16
草原の朝は早い。
背の低い津次山脈から昇る日が一日の始まりを告げる。三日の強行軍だったが、兵の士気は高い。
此度の戦に於いて投入された兵は二万。
錘下草原に展開した部隊は五隊に分かれ、左右が突出する緋蝶の陣で進軍している。
彼方に見えるは陽下の軍勢、天下に名を轟かせる二刀歩兵である。
『林江(リンコウ)』の将、新田時雅は口許に嘲笑を浮かべた。
陽下の軍勢は、斥候と事前の調査が示す数としては、総数一万二千。おそらく
実質的に戦えるのは一万に満たないだろう。
菱妓篤盛の代に入ってから、あの国は軍事力を衰えさせた。貿易にかまけた菱妓は、遂に自国の状況すら推し量れなくなったというのは最近では良く聞く話である。
朝廷の動きも不穏な中、少しでも隙を見せれば食われるのが世の常である。
新田は両翼を展開させた。狙うのは、多数を利用した包囲攻撃である。
両軍が、激突を開始した。

79【キュトスのタマゴ】:2006/08/30(水) 14:10:08

 まったくの偶然で、妙な卵を孵す羽目になってしまった。
切っ掛けは馴染みのスーパーで食用玉子を一ダース買ったときだ。

「おいおっさん、この玉子だけなんか種類が違わないか?」
「ん? あーあ、何だこりゃ? 誰か悪戯で混ぜやがったんかな。
 悪いね、後でバラ売りんとこから勝手に一個持ってってくれや」
「こっちの変なのはどうすりゃいい?」
「ああ、うちに置いといてもしゃーないからな。取っといてくれりゃあいいよ」

 取っとけと言われても、俺だってこんな食えるかどうかも分からん玉子に用はない。
扱いに困っていると、近所のアルセスってガキが教えてくれた。

「それはキュトスの卵だよ。最近ちょっとしたブームでね。
 一週間も温めると可愛い魔女が生まれるよ」

 なんと、タマゴと言えば中は黄身と白身だけだとばかり思っていたが、
たしかにそれ以外のものが出てくる可能性だってあるわけだ。

 生まれるものがあると知ってしまうと、処分するわけにもいかなくなった。
正直気乗りはしないのだが、このまま放置というのも薄情だろう。
妙に嬉しそうなアルセスから手順を教わって、ひとまず卵を温めることにした。

80【キュトスのタマゴ】(2):2006/08/30(水) 14:47:31

 お湯やらタオルやらを用意で頻繁に卵の温度調節を繰り返す。
何日か世話していると、遂にタマゴにヒビが入った。
ヒビは瞬く間に大きく広がり、殻がぱらぱら零れ落ちると中から幼い顔が覗いた。

81【キュトスのタマゴ】(3):2006/08/30(水) 18:11:56
「ぴぃ」
中から生まれたのは、小さな少女だった。
俺はソイツにてきとーに「ニースフリル」と名付けた。なんとなく犬っぽいソイツは、頭に犬の耳を生やしていたからだ。

82世界が砂ばかりだったころの話*01:2006/09/03(日) 14:37:53
今は昔、世界が砂ばかりだった頃の話。
砂の大地の果てに1つの部族がありました。この部族の長は世襲制で、今の酋長
には5人の息子と10人の娘がいて、一番上の息子と二番目の息子が後継候補で
した。
この二番目の息子は酋長になりたくてたまりませんでした。なぜなら一番上の兄
が酋長になってしまうと、伝統に則って、酋長の息子たちは部族の人々に食べら
れてしまうからです。
死にたくなかったので二番目の息子は上の兄よりも優秀なことを証明しようとし
ました。
このころ日々の糧を得る手段は狩猟でした。二番目の息子は槍を持って狩りにで
かけました。日の暮れた頃、二番目の息子は人の背丈ほどもあるトカゲを背負っ
て集落に戻りました。人々は感嘆し、次の酋長は二番目の息子に違いないと囁き
合いました。そこに一番目の息子が戻りました。一番目の息子も狩りの帰りで、
男が四人がかりでないと運べないほどのトカゲを持ち帰りました。人々はどよめ
き、遠巻きで酋長が深々とうなずきました。二番目の息子は苦い顔をしました。
その瞬間、二番目の息子の背負うトカゲが暴れ始めました。まだ生きていたので
す。二番目の息子のびっくりしている間にトカゲは逃げてしまいました。それを
人々は大口を開けて笑いました。あれは獲物に止めもさせないのか、情けの無い
! そして遠巻きで酋長が唾を吐きました。
二番目の息子は思わぬ辱めを受けましたが、落胆する暇はありませんでした。な
ぜなら一番目の息子が勝負を挑んできたからです。一番目の息子とて死にたくな
いのです。生きるためならば、弟とて追い落とします。

83世界が砂ばかりだったころの話*02:2006/09/03(日) 14:38:57
一番目の息子の勝負とは、井戸作りでした。この砂の大地の下には縦横に水脈が
走っています。砂を取り除いて岩盤に穴を開ければ、清々しい水が吹き上がりま
す。先に水脈を探し出し、井戸を掘り抜いたほうが勝ちでした。
太陽が姿を現すと、2人は同時に集落を出発しました。一番目の息子は東に、二
番目の息子は西に向かいました。一番目の息子が水脈を探していると、人々が集
ってきて手伝い始めました。二番目の息子が水脈を探していると、人々はすれ違
うたびに無言で唇を歪めました。二番目の息子は恥ずかしくて走るような勢いで
西の彼方へ歩きました。
集落からだいぶ離れたところで二番目の息子は良い場所を見つけ出しました。そ
こは砂丘の底で岩盤が露出していました。最近起きた嵐で砂が巻き上げられたの
でした。
二番目の息子は元気を取り戻して穴を開け始めました。岩盤はとても硬かったの
で、穴の開いたのは日が暮れた頃でした。
ふと砂丘を見上げるとラクダに跨った一人の人物が駆け下りてきます。その人物
は夕日を背にしていたので、二番目の息子は誰だろうかと目を凝らしました。
だから二番目の息子は気づくのが遅れました。その人物が棍棒を右手に握ってい
ることを。

84世界が砂ばかりだったころの話*03:2006/09/03(日) 14:39:48
ラクダは駆け下りてきます。二番目の息子とすれ違った瞬間、騎乗の人物は棍棒
を振るいました。
二番目の息子は音も無く倒れ、その頭から水ではないものが流れ出し、砂に染み
込みました。
騎乗の人はラクダから降りると、二番目の息子をさらに何度も殴りつけました。
それから染みの付いた棍棒を空に突きつけ、
空よ割れて雨風を降らせよ
風は地を潰すほど吹きつけ、雨は槍のように太く鋭くあれ!
続いて砂丘に棍棒を突きつけて、
砂が空を舞い、水に混じり、地に積もるものならば、即刻立ち去れよ
でなければ、永遠に自由を失って奉るものなき墓石となれ!
それだけ呪いの言葉を吐くとその人物は棍棒を井戸に投げ込みました。そしてラ
クダに跨ると東に向かいました。東に向かうとそこには二番目の息子の集落があ
りました。人物はラクダの歩みをゆっくりにして中に入って行きます。
住人が騎乗の人に話しかけました。
「お帰りなさい。弟殿は見つかりましたかな」
「どこまで行ったのか、十の砂丘を越えても見つからない。獣に襲われたのでな
ければいいのだが」
「…………襲われたのならば、あなたが次の酋長です。みなが歓迎するでしょう

 二番目の息子を殺したのは、一番目の息子でした。

85世界が砂ばかりだったころの話*04:2006/09/03(日) 14:41:08
 その夜は月夜でしたが、夜中になるとすすり泣くような風が吹き始め、地の果
てでは雲がもうもうと立ち始めました。そして酷い嵐が来ました。
 砂漠に降る雨はとても激しいもので砂の海を水の海に代えました。
 その雨が止むと水は地下水脈へと浸透していきます。
 地下水脈でぷかりぷかりと浮いていた二番目の息子の身体は流されていきまし
た。そしてあるところで岩盤にひっかかりました。
 その辺りの岩盤は長細い裂目が入っていて夜になると月明かりが差し込みまし
た。
 青白い光に照らされた二番目の息子の顔に僅かな生気が薫ります。二番目の息
子は瞬きをしました。そして一瞬だけ目を刺した光にまだ自分が生きていること
に気づきました。けれども五感の何もかもが漠然としていたのでそのうちに死ぬ
のだと思いました。とてもとても寂しいと感じました。兄に対する怒りや無念よ
りも悲しさが溢れてきて、涙が零れました。まるで槍で胸に大穴を開けられたよ
うな喪失感でした。
 そんな二番目の息子の様子を見ているものたちがいました。そのものたちは遥
かな高みにいました。二番目の息子を照らす月にいました。
 「あの青年を助けようではないか」
 「君は物好きだな」
 「あれは面白い人間だ。本当は強いくせに甘くて死んだ。同情を誘うよ」
 「同情だけかね?」
 「いや。もちろん面白そうだからだ。あれが機会を与えられたらどうするのか
。兄を殺しに行くのか、それとも新たな人生を選ぶのか」
 「―――――新たな人生として何を望むのか」
 「そうだ」
 「では、あの青年に槍を落とそう」
 月のものたちは槍を手にすると、青年に向かって投げました。槍は銀の糸のよ
うに宙を滑り、岩盤の細い隙間を抜けて、青年の胸に刺さりました。

86世界が砂ばかりだったころの話*05:2006/09/03(日) 14:41:42
 翌朝、二番目の息子は波の音で目を覚ましました。そして辺りを見回しました
。二番目の息子は海に浮いていました。どうやら地下水脈から海へと流されたよ
うでした。
 二番目の息子の目は海岸を捉えました。それで二番目の息子は身体の自由が聞
くことに気づく間もなく泳ぎ始めました。身体の傷が癒えているのに気づいたの
は砂浜に辿り着いた時でした。
 砂浜にうつ伏せに倒れたまま二番目の息子は荒い息を吐きました。そして顔に
手をやりました。そして驚きました。顔中毛だらけでした。触ってみるとどうや
ら首から上にだけ異常があるようでした。
 恐る恐る海に顔を映して見ました。そこには見たことも無い首が映っています

 それは猫という存在の首でしたが、砂漠から出たことの二番目の息子には判り
ませんでした。
 二番目の息子は困ってしまいましたが、どうすることもできず、とりあえず、
砂の上に倒れました。
波打ち際に近かったので足を波が洗います。
やがて二番目の息子は笑い始めました。最初はくすくす笑いでしたが、やがて大
口を開け始め、最後には息もできないほどの爆笑を始めました。そして叫びまし
た。
私は自由だ!
顔こそ獣になったが、私はどこにでも行ける、何でもできる!
なにより!
誰かを追い落とすために生きなくてすむ!
そして猫頭の青年は飛び起き、どこかへ走り去りました。

<終わり>

87【キュトスのタマゴ】(4):2006/09/03(日) 17:28:42

「そうそう、それはニースフリルだよ」

 アルセスにはそう説明された。
俺が名づけるまでもなく、こいつはニースフリルそのものだったようだ。
姉妹の38番目、得意な科目は考古学で趣味は遺跡漁りということらしい。
考古学はともかく遺跡漁りに連れて行くのはなかなか難しそうだ。

 一晩寝て起きると、ニースフリルはもう喋るようになっていた。
アルセスが言うには言葉の覚えが異常に早いというわけではなく、
卵に還る以前の記憶を少しずつ取り戻しているということだ。

「あんまり変な奴でもないみたいだね。まあひと安心。
 これからしばらく、世話になるからよろしくね」

 このニースフリルというのは、魔女の中ではなかなか扱いやすい部類に入るらしい。
我侭は言わないし、こちらから無茶をしない限り暴れることもない。
魔女達の騒ぐ声がアルセスの家からいつも絶えないことを思えば、なかなかに幸運だった。

88冥府からの脱出*01:2006/09/10(日) 10:16:57
 今は昔、葬式のやり方といえば水葬だった。人々は死者を棺に納めて川に流していた。棺は川を下って海に辿り着き、波に乗って世界の果てに流れ着いた。この時の世界は平らだったので、棺は海水とともに落下して冥府に着くものだった。
 冥府に着いた棺を死神たちが仕分けをした。蓋を開けて、死んだ身体から魂を抜き出し、秤にかけた。そして重い魂は砕いてから月に打ち上げ、軽い魂はぺしゃんこにして風に任せた。薄片になった魂は風に吹かれてどこかへ飛んでいった。
 ある時「これは一体、なぜなのだろう」と1体の死神が呟き、仕分け作業の手を止め、水平線を見た。波のない暗い水面の上、遥か彼方まで棺が並んでいる。どれもこれも小さかった。小さいのは子供用の棺だからだ。

89冥府からの脱出*02:2006/09/10(日) 10:18:08
 「なぜ子どもばから流れてくるのか」とその死神は隣にいた死神に尋ねた。
隣の死神は言われて初めて子どもの棺ばかり流れてくるのに気づいたようだった。そして「子どもがたくさん死んだから子どもの棺が流れ来るのだ」と答えた。
「それは判っている。その理由を知りたいんだ」
「知らない。そんなことには興味がない」
尋ねた死神はお話にならないと思ってその場を離れた。そして「地上のことは地上のものが詳しいだろう」と冥府の奥に下った。
冥府は命を失ったもののいくところだったが、その深部にはたくさんの命あるものがいた。というのは冥府に挑戦するものが後を絶たないからだった。あるものは不死を手に入れるために、またあるものは死者を蘇らすために冥府へと下った。そしてそのことごとくが冥府の主から罰を与えられた。
罪人たちは捕らえられると、その魂を抜かれて不死の身体に移し変えられてしまう。そして冥府に生息する空飛び鮫の餌にされてしまう。空飛び鮫は海の鮫と同じく凶暴であっという間に獲物の内臓を根こそぎ喰らってしまう。けれども罪人たちは不死の身体なので喰われる倍の速さで元に戻る。再生するまでの間、空飛び鮫は空腹に苛立ちながら罪人を中心に周回する。冥府の主はそうやって絶え間ない苦しみを罪人たちに与えていた。

90冥府からの脱出*03:2006/09/10(日) 10:19:26
 死神は疑問を抱いて阿鼻叫喚の中を下っていく。そして1人の男の前で立ち止まった。その罪人は腹から腸を引きずり出されていたが、眉をひそめるだけで声1つ上げていなかった。苦痛に飽きたような表情だと死神は思った。
 この男こそ命あるものの中でもっとも深く冥府に下ることのできたものだった。
 死神は空飛び鮫を追い払うと尋ねた。「最近子どもの棺ばかりが流れてくる。地上では何が起こっているんだろうか」
 男は生えてきた腹の肉を触りながら「戦争か、流行り病だろうよ。でなければ、火山の爆発か地震さ。」
 「それにしては数が多い」と死神は言い、空を指差した。空には月が出ていた。その月に向かって銀の小片が昇っていく。数があまりにも多い。まるで空を埋め尽くすかのようだった。
 「これは」と男。「絶滅戦争をしているのかもしれない」
 「絶滅戦争?」
 「種を滅ぼすために行われる戦争だ。敵対種族をことごとく何の例外も無く皆殺しにしてしまう」
 「そんなことが――――――いや、待て。棺に入っていたのは人間だけだ。絶滅戦争ではないだろう」
 「いや。人間は人間相手に絶滅戦争を仕掛けるよ。肌や使う言葉が違えば、人間にとっては別の種族も同然だ。おれは何度もそういうものを見てきたよ」
 「野蛮だな」
 「まったくだ。あんな馬鹿をしないで済むようにしてやりたかったんだがな」と男は傷だらけの自分の身体を見た。男は冥府に挑戦するもの中では変り種で、知識を求めて下っていた。
 「それで死神よ」と男。「お前はどうするんだ。絶滅戦争を知ってどうするんだ」
 「…………何かする必要があるのか」
 「あるね。知った以上は何かをすべきだ」
 「お前なら何をする」
 決まっているだろうと男は唇を歪めた。
 死神は不意に恥ずかしさを感じた。そして死神はその場を立ち去った。すると空飛び鮫が男に寄って行き、喰らい始めた。

91冥府からの脱出*04:2006/09/10(日) 10:20:46
 それ以来、死神は仕分け作業を怠るようになった。そして時折、空を眺めては地上を思い、罪人の男の問いかけを反復した。そんなある日、冥府は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。というのはあの罪人の男が脱走を企てたからだった。けれどもすぐに捕まってしまった。
 死神は思った。私もまた地上に行こうと。思い立つと行動は早いもので死神は冥府の主に許可を求めた。しかし冥府の主は仕分け作業を命じるだけで許可しなかった。
 それで死神は仕方なく黙って地上にいくことにした。地上への道を登っていくと他の死神に声をかけられた。
 「どこへいくのだ」
 「あなたには関係のないことだ」
 「地上にいくのではないか」
 「まさか」
 「地上にいくのだな」
 「そんなわけない。私に難癖をつけるのか」
 「やはり貴様は…………!」
 そんな押し問答をしていると他の死神がわらわらと集ってきた。そして地上へ行こうとした死神はみなから叩きのめされ、冥府の深部に捨てられた。
 身体のどこもかしこも痛くて仕方がなかった。けれども死神は歯を食いしばって立ち上がり、深部の奥を目指した。そこにはあの罪人の男がいた。
 「酷い有様だな」と男。「俺のせいと文句を言いに来たのか」
 「文句がないわけではないが、言いたいのは別のことだ。お前は地上を目指しているな?」
 「もちろん。おれにとって冥府は一時の宿だ、まあ千年以上も滞在するはめになってしまったが」
 「では、私に協力しろ。1人では地上にいけない。私と一緒に行こう」
 「ふむん。でも、いいのか。おれは地上に行ったら何をするかわからんぞ」
 「その時はその時だ。私は私の心に従いたい」
 男は微笑を浮かべた。人間にだけできる美しい表情だった。冥府に来る時にもきっと同じ顔をしたのだろうと死神は思った。そして死神もまた同じように笑おうとした。
 死神と罪人は地上に向かって歩き始めた。
 <終わり>

92【キュトスのタマゴ】(5):2006/09/12(火) 17:03:28
 生まれたのが静かな奴でよかった……という俺の安心は、
しかし数日後にはすっかり打ち砕かれていた。

「ニース! ニース! 遊ぼ! 遊ぼ! 遊ぼ!」

 家の表からけたたましい叫び声が響いてくる。
アルセスの家で暮らしているキュトスの魔女フラベウファが、
連日のようにうちに押しかけてくるようになったのだ。

「まったく、小姉さんは仕方ないなあ」

 フラベウファの声に反応して、ニースフリルは読んでいた本を閉じる。

「じゃ、ちょっと相手してくるね。
 あーあ子供のお守りは大変大変」

 仕方ないと言いつつ、ニースフリルもまんざらな顔ではない。
 玄関に出ると、フラベウファが喜色を顕わにして立っている。

「ニース、ニース、今日は何して遊ぶの?」
「そだね、じゃあこの家の中を探検して回ろっか。
 小姉さんは探検隊長、私は考古学者」
「わぁい! 御同行宜しくお願いします教授殿!」
「お前ら、頼むからもの壊さんでくれな……」

 貴重な休日も、この連中の相手だけであっさり潰れる。
普段は大人しいニースフリルも、興が乗ればフラベウファ並みに手に負えなくなる。
この前などは、埋蔵金を発掘するため本気で床を掘り返そうとしていやがった。
今さらながら、この卵を俺に押し付けた市場のおっさんが恨めしく思えてきた。

93魔女達の呟き:2006/09/25(月) 02:06:10
自らの殺めてしまった男の死体の前でアンリエッタは呟く
「あなたのこと、もしもっとよく分かっていれば、きっと嫌いじゃなかったんです。愛してあげることもできたかもしれないんです。でも、私にはそれが出来なかった。きっと貴方が悪いんじゃない、でも私が悪いんでもないと思います。誰が悪いなんて、きっと分かりませんよね、永遠に」
ふと、その頬を伝った涙に、あぁ、これが哀しいと言うことなんだ、と彼女は気付いた。
こんな感情は知りたくなかった、と彼女は思う。
けれど、もう遅かった。
「だから、人は地獄と言う贖罪の場を考え付いたのですね」
次第に体温を失い、あとは朽ちていく肉と血の塊になった彼の頭を抱え、その髪を優しく撫でながら彼女は、もう聞こえていないと言うのに彼に囁きかける。
「それでも、私はその地獄にすら行くことができないんです。きっとこれが罰なんですね」
返答は無く、塔の暗闇と静寂だけが彼女を包んでいた。
「もし、許されるのなら、それが出来るのなら、せめて私はこの名前を、貴方が付けてくれたこの名前を残したいと思います。貴方の愛の証として、そして私が犯した罪の証として」

「ふん、せっかく感情をあげたのに湿ってるねぇ」
塔の外、その魔法を使って塔の中の出来事を見守っていたムランカは言った。
「せっかく力を得て、しかも自由になったんだから喜んでもいいじゃないか。復讐だって遂げたのにさ」
彼女は塔から踵を返し、その場を後にしようとする。
この後のことは自分の知ったことではないし、どうすることだってできないからだ。
「でもさ、ほんの少しだけ、あんたのこと羨ましいよ」
彼女の呟いた、その言葉は誰の耳にも伝わらない。
さぁ、とふいた一陣の風に乗って、その言葉はどこかへ運ばれてしまったからだ。
そして、その風の行方は、彼女にはもちろん、誰にも分からないことだった。

94夜のハルバンデフ:2006/09/25(月) 02:44:19
「ふん、また今晩も現れたか」
幕舎の中、一人ハルバンデフは呟く。
それは、毎晩、ハルバンデフが独りになると現れる。
「毎晩、毎晩よく飽きないものだ。お前には感心すらする」
彼はそれに対して言った。
「余が怯えるのを待っているのか、だとしたら見当違いも甚だしいな。もう余には怖いものなど無い。いや、怖がることなど許されないのだよ」
彼の言葉に、それは無言だった。
「それとも自分の恨みを余に伝えようとでも言うのか?理解はしてやろう。だが、だからと言って余は公開などせぬぞ」
ふん、と鼻で嘲笑うようにして彼は言う。
いつも部下達の前で無口な彼には考えられないほど、その時のハルバンデフは多弁だった。
「それが証拠に、今日も戦で多くの敵を殺してやった。命乞いをするものもいたが、聞き届けてはやらなかった。思いつく限りの非道をもって殺してやったわい」
無言と静寂
しかし、それでもハルバンデフは己が非道を誇るようにしてそれに語った。
それでも無口なそれに対し、とうとうハルバンデフは感情を爆発させる。
「言いたいことがあるのだろう!だったら言え!恨みでも、呪詛でも、何でも言えば良いではないか!。なぜ無言のままなんだ、カーズガン!」
その時になって、やっとそれ、カーズガンの幽霊はハルバンデフに語りかける。
「お前を恨んじゃいないよ、ハルバンデフ。お前に殺されたことも、部族を皆殺しにされたことも、何も恨んじゃない」
「俺はお前の妻を殺したんだぞ!、俺自身がかつて愛していた女をこの手にかけたのだぞ!。それを恨まないとでも言うのか!?。だったら余程の馬鹿かお人よしだよ、お前は!」
「殺したのはお前じゃない。彼女は自害だった。他の男に辱められることを、そしてきっとこれ以上俺に抱かれることすら拒んで自らの死を選んだんだろうな。死んでからやっと分かったよ」
「だったら、なぜ俺の前に現れる!」
ハルバンデフは床に敷かれた高価な絨毯を乱暴に、そして踏みにじるようにして蹴りながら叫ぶ。
「俺の前に現れるんだったら俺を責めろ!、苛め!、恨め!、呪え!、今の俺は諸国から恐れられる、そして恨まれて呪われる「魔王」だ!。きっとこれからも、未来永劫そうだ!」
「だからだよ、ハルバンデフ。だからお前が哀れでこうして現れるんだよ」
激高したハルバンデフは、やにわに腰の剣を抜き、そして渾身の力でそれに対して投げつける。
しかし、剣は実体を持たないカーズガンの幽霊を通り抜け、幕舎の壁を切り裂いただけだった。
「お前は本当はそんなことができる人間じゃない。だが、今やお前にはその生き方しかできない。周りが、そして世界がその生き方しか許さない。だから、それがあまりに哀れでこうして現れるんだ。せめて俺だけがお前を分かって、許してやろうと思ってね」
「五月蝿い!、許しなどいらない!、必要ない!。去れ、消えろ!」
彼が叫ぶと、それは消え、幕舎にはまた彼一人だけが残された。
「今更……もう、遅いんだよ」
彼は両拳を握り締め、わなわなと身体を震わせながら呟いた。
「陛下?」
幕舎の外を警護していた兵士が恐る恐る幕舎の中を覗き込みながら言う。
「何か?」
「いえ、今幕者の中で何事かが起きたのかと……」
「何も起きてはおらん」
「しかし……」
「何も起きてはおらん。余がそういうのだからそうに決まっておろうが」
兵士は「はぁ」と答えて、警護に戻ろうとした。
下手にこの「魔王」の逆鱗にふれては、たとえ自分が何者であれ、自分の命、いや下手をすれば関係者全員の命が危ういことを知っていたからだ。
「待て」
しかし、自らの職務に戻ろうとしたこの兵士をハルバンデフは呼び止めた。
「今日落とした城の姫君を捕虜にしていたな」
「はい、王族の娘と言うことですが……」
「連れて来い」
「は、しかし……」
「余に意見するのか?」
 ハルバンデフに睨まれ、兵士は慌てて、王族の娘を連れてくるためにその場から離れた。
 ……無茶苦茶にしてやる、犯してやる、種を植え付けてやる、その身体に、心に敗北を刻み込んでやる
 ハルバンデフは思った。
 だが、彼は知っていた、きっとそれらを行っても自分の気が晴れないだろう事を、そしてまた翌日になればカーズガンの幽霊が現れ、彼のその行為を哀れむだろう事を。
「……世界が、俺をそう生きるようにしか許さない、か……」
 彼はカーズガンの言葉を思い出して呟いた。
 切り裂かれた幕舎の壁からは、わずかに月の光が差し込んでいた。
 その月の光は、彼が戦いの末にカーズガンを殺めてしまったあの晩の月と同じ月の光だった。

95ムランカの戦い(1):2006/10/09(月) 16:12:28
「……結局、塔から出なかったんだね、あんた」
 薄暗い塔の中、闇の先に向かって眉を顰め、その美しい顔をしかめてムランカは言った。
「折角自由になれたのに、どうしてそれを謳歌しなかったわけ」
「分かりません……何度もこの塔の外に出ようとはしたんです。でも、駄目でした」
「……わからないねぇ。もしかして罪悪感とか感じている?。あんな奴、死んで当然だったんだよ。あんたが罪悪感を感じる必要なんてこれっぽっちもないね」
 闇の先から返答は無かった。
 その闇に一歩踏み出そうとしたムランカに、「あぁ、ごめんなさい」と声がかけられる。
「今の姿、見られたくないんです」
 その言葉に、ムランカは彼女に何が起きているのかを察知した。
「……朽ちかけ始めているんだね」
「はい、もう左腕は一週間前に崩れ落ちちゃって……」
 不憫だ、とムランカは思う。
 「いつか朽ちる肉体」を持っているのはムランカも同じだ。だが、彼女の肉体は朽ちるときは一瞬だし、その朽ちる瞬間までは歳をとることはない。そして彼女の記憶はもちろん、意識も次の肉体に引き継がれる。だから「いつか朽ちる肉体」の寿命が来て朽ちることなど、彼女にとっては永遠の時を生きることの、退屈しのぎのイベントでしかない。
 人間の『死』とは本質的に違うのだ。
 だが、目の前の闇の中にいるアンリエッタにとっては違う。
 イレギュラーなキュトスの姉妹である彼女の肉体は歳をとるし、記憶は引き継がれても意識は、「奔流たる意識」に飲み込まれて存在するとは言え引き継がれない。そしてその肉体が朽ちるのも一瞬ではなく、ゆっくりと少しづつだ。
 それは人間の『死』に等しい。
 いや、それよりも拷問だろうと思う。
 病気や怪我によってではなく、崩壊の果てにもたらされる確実な『死』。
 それが始まれば、決して奇跡など起き得ず、ただ明確な結末だけが用意されている。
「それで、次の肉体は……決めてないよね」
「はい」
 ムランカの眼前の闇の先、アンリエッタは静かな口調で素直に答える。
「この10年、塔から出ることはありませんでしたから。それに、もう、足も萎えちゃって動かないんです」
 それに、こんな姿の『魔女』の後を継ごうなんて人、いませんよ、とアンリエッタは言った。
 健気なぐらいに素直だ、とムランカは思う。
 「いつか朽ちる肉体」が朽ちるとき、ムランカは相手の同意など得ない。
 その予兆を感じたら、そうなる前に用意していた候補の中から適当な相手の前に現れ、無理矢理言いくるめてその身体を文字通り『奪う』のだ。
 その肉体の意識は自分の「奔流たる意識」の中に飲み込まれ、本体たる自分に微々たる影響を与えることはあっても主体である自分に大きな影響を与えることはない。それが彼女にとっては当たり前な行為だし、それを疑ったことはもちろん罪悪感も感じたことは無い。それは息をするような、食事をするような当然な行為なのだ。
 ……なのに、彼女は
「それで、どうするつもりなのさ、あんた?」
「このまま消えちゃうのは駄目でしょうね」彼女は言う。「私の前にもこの意識を引き継いできた人達がいるんですよね。私が消えたらその人達が生きてきた証が消えてしまう……そんな勝手、許されませんよね」

96ムランカの戦い(2):2006/10/09(月) 16:13:03
 衝動的に彼女はそれをやってみたいと思うことがある。
 ……消えてしまう……存在しなくなる……居なかったことになる
 永遠の刻を生きる、言い換えれば死を許されない彼女には、その『死』に等しい行為は時に甘美に思える時がある。
 そして実際にそれを実行しようとした時もあった。
 ……それを止めたのは誰だったっけ?……コキューネーだったか、宵だったか、それともシャーネスかハルシャニアだったか……他の人間だった気もする……思い出せない……あまりに古い出来事だから……でも、何故かそいつ泣いていたな、あの時
 その事件の後も彼女には『死』の持つ意味など分からなかった。けれど、今、少しだけ『死』の持つ意味が分かった気がした。
 『死』は一つの世界の崩壊なのだ。
 ……そして、この娘はその事を知っているんだ……まいったな、あんた並みのキュトスの姉妹より遙かに賢いよ
「それじゃ、こうしない」
 ムランカは闇へと一歩踏み出す。
 闇の中でアンリエッタは息を呑み、ムランカを制止しようとするが、ムランカの歩みを止めることは出来なかった。
 闇の中で、ムランカはアンリエッタの姿を見た。彼女が言った通り、その身体はあちこちが朽ち始めていた。けれど、不思議とその姿が醜いとはムランカには思えなかった。
 そして、アンリエッタは見た、ムランカが胸元に抱えていたそれを。
 ムランカは、それをアンリエッタの残った片方の腕に優しく抱かせた。
 それは静かな寝息をたてて眠っていた。
「あんた知らないだろうけどさ、この先で馬鹿な人間達が戦争をやらかしたのさ」
「じゃ、この子は……」
 腕の中で赤子は目を覚まし、そして無邪気な笑みを浮かべながらアンリエッタに手を伸ばす。
 アンリエッタはなれない手付きで、赤子を揺すってあやした。
「この先の集落でね、死んだ母親が必死に抱いていた。彼女は最後までこの子を守ろうとしたんだね」
「……この子に後を継がせろと。でも……」
「大丈夫だよ。あたしがこの子、いや、あんたか、あんたが独り立ちできるまで面倒は見てやるよ」
 自分の腕の中の赤子の笑顔。
 それは彼女に一つの希望と一つの不安を抱かせた。
「アンリエッタと言う名前はね」その不安に応えるようにムランカは言う。「不幸になるための名前じゃない。幸せになるための名前さ。だからこの子、あんたはきっと幸せになれる。次はきっとね……」
 その言葉に、アンリエッタはようやく意思を固めた。

97【キュトスのタマゴ】(6):2006/10/12(木) 17:56:37
ちび共の相手をするのも疲れるので外に出た。
ついでに記帳でも済ませておこう。
最近は入るのも増えたが出費も増えた。合わせればトントンだ。

「やあ、ナプラス。フラベウファがいつも悪いね」

玄関で鉢合わせしたアルセスには、まったくだと答える。
アルセスの両手にはハルシャニアが抱きかかえられていた。
彼女が全身水びたしなのを見る限り、海に行った帰りなのだろう。

「機嫌が良さそうだな」
「まあ、そうね」

すました顔で頷くハルシャニアの様子は、やけに大人びて見える。
海で遊んだ直後のこいつは、いつもこんな調子らしい。
昨日フラベウファと一緒になってどたどた騒ぐハルシャニアを見ていた俺は、
彼女の見違えそうな態度に少し驚いた。

98氷の玉座(1):2006/10/16(月) 02:43:01
「この玉座は冷たい」
象牙と白磁、そして白豹の革で作られた純白の玉座を見て男は呟く。
「まるで座ると凍てつくようだ。『北方諸侯による連合帝国』、いや『北方帝国』というその名に相応しいぐらいに座った人間を凍てつかせる」
男は玉座の皮の手触りを確かめるように撫で、そして腰を下ろした。
かつて男はこの玉座に憧れていた。
いつかこの玉座に腰をおろし、広大な国家の全てをその手に統べることを夢見ていた。
そして、夢は叶った。
誰かの力によるものではなく、自らの力によって。
北方帝国を構成する諸侯全ての代表者にして北方帝国の皇帝。
それが彼だ。
けれど、手にしてみればその玉座は彼の思い描いていたものとは違った。
玉座は『皇帝』と言う人間を超えた存在のために作られたものでは無かった。
『皇帝』と言う人間のために作られたものでもなかった。
「人形のための椅子だったのさ」
皮肉な台詞を口にして彼は口元を歪める。
確かにその通りだった。
「北方帝国」という国家に、意思を持って政を行う『皇帝』という個人は必要ではなかった。
この国にとって必要なのは、諸侯達の代表者である央機卿の決めた政に対して「よきに計らえ」と一言答えるだけの人形だった。
「だったら、最初から精巧な人形でも作って座らせておけば良かったのさ」
無論、そのシステムのメリットというものを彼は知らないわけではない。
皇帝は君臨し、央機卿の政に対して許可と言う名の看過を行う。そうすれば、その政が失政であっても責任を負う事は無い。
そして、その事は何があっても国家と言う名の体制は維持されることを意味する。
「つまらん」
だが、彼は思う。そのような体制の下に『皇帝』と呼ばれ、玉座に座らせられるのは、生きて氷漬けにされるようなものではないかと。
だから彼は皇帝になった時に、少しづつ央機卿の権限を奪い、自らの権限を増やしていった。
「俺は氷漬けの人形にはならない。生きた、暖かい血の通う、人間としてこの玉座に座る」
しかし、その対価は、央機卿達による寵妃を使った暗殺未遂というものだった。
彼はじっと自らの両の掌を眺める。
寵妃を抱きしめ、愛し、その体温を確かめた掌だ。
だが、その寵妃は、もういない。この世のどこを探してもいない。
「央機卿制度の廃止の代償の対価と考えるべきなのだろうな……いや、俺が『皇帝』という名の人間になるための対価と考えるべきか」
だが、その対価は高すぎたのではないかと思う。

99氷の玉座(2):2006/10/16(月) 02:44:06
玉座に深く腰掛け、彼は皇宮内を通り過ぎていった風を感じた。そこには微かながら春の香りがした。
「あの娘はこの風を感じることは無かったな」
不憫と感じるべきなのだろうか、と彼は迷った。
だが、彼女だって央機卿の陰謀は知っていたし、加担していた張本人なのだ。
「ふん……」
彼は呟き、玉座に頬付けをつく。
国政権は手に入れ、北方帝国史上初の皇帝による親政は始まった。だが、国の経済を発展させようと、いかなる政策をとろうと貴族達や領主達、軍閥達はおろか国民の誰もがそれを快くは感じていないようだった。
「どんな善政を施こうと、また悪性を施こうと結果は同じだろうよ。結局奴らが欲しいのは『皇帝』という名の人形なのだからな」
気付くのが遅すぎた、と彼は思わないことも無い。
国盗り物語に憧れて、傭兵生活を捨てて皇帝へと上り詰めた彼だったが、これなら傭兵稼業の方がましだったか、と思わぬこともない。
「どうしたものかね」
「陛下」その時だった、皇帝の間に一人の官僚が入ってきたのは。「バキスタ卿より使者が参っております」
「バキスタ卿だと?」
彼は眉を顰める。直接の国交の無い西方諸国との外交は、名目上はどの国からも独立している機関であるバキスタ卿を通して行われる。
回りくどいことだ、と彼は思うが、西方諸国より無理矢理独立を勝ち取ったこの国の代償のようなものだ。
「要件は聞いてあるな。簡潔に申せ」
「『草の民』ハルバンデフの征伐を我が帝国に依頼したいとのことです。代償として戦費の負担と、成功の暁には褒章を出すと……」
褒章とはね、安く見られたものだ……
バキスタで西方諸国が、『草の民』の王ハルバンデフに大敗したことは彼も知っていた。その損害からおそらく、同じ規模での戦など、あと何年も叶わぬ話であろうことも彼は知っている。
断ってみるのも面白い話だな、と彼は思った。その場合、西方諸国は大混乱に陥るだろう。その大混乱の後で、兵を出して西方諸国を併呑してしまうのも面白いかもしれない。
かつての植民地が今度は宗主国になるのだ。
だが、まてよ、と彼は思う。受けてみるのも面白いかもしれない。揃えられるだけの兵を揃え、そして開国以来未曾有の戦争を起こすのだ。
「そうすれば、この国の体制も国民の感情も全てを狂わせ、壊すことができるかもしれない。その時こそ、人形ではない、人間の『皇帝』がこの国を治めるようになるのだ」
「陛下?」
「良い、使者と謁見しよう。すぐに参るので、謁見の間に待たせておけ」
彼は玉座より立ち上がり、そして振り返った。
「お前は、何人もの『皇帝』を人形にして凍りつかせてきた。だが、それも終わりだ。終わらせてやる」
彼、パトゥーサは大きく一歩を踏み出した。
それは、気を抜けば自らを凍りついた人形にしてしまう玉座の魔力からの脱出のための一歩であるはずだったが、彼にはまだ未来は見えなかった。

100氷の玉座(3):2006/10/18(水) 02:32:58
「それで兵は集まっているか?」
「今のところ、予定の8割というところです」
短期間でこの数は上々だ、と彼は玉座に腰掛けながら思う。
戦は嫌いだ、などと人は言うが、金さえチラつかせれば現実はこんなものだった。
もともと北方帝国における失業率は決して低いものではない。
未だに北方帝国を新天地と考えて、西方諸国から移住してくる人間が少なくないからだ。
だが、近年の航海技術の発展によって発見された新大陸と違い、北方帝国が未開の新天地だったのは遙か昔の話だ。
今では有望な鉱山や開拓地など、既に国有化されているか誰かに所有化されているかのどちらかだ。
文化や商業のレベルとて、西方諸国と肩を並べるまでに発展している。
よって今更この国に来たところで、安い賃金で小作農か鉱夫、その他の日雇い労働者になるか、さもなければ失業者として帝都の周辺のスラムにでも居を構えて餓死か、万に一つも無い幸運でも待ち受けるより他に無い。
そんな彼らに平均以上の報酬をチラつかせてみれば、兵は面白いほどに集まった。
また、兵として集まってきたのは失業者や低所得者だけでは無かった。
地方の中小貴族や軍閥達も競って兵を差し出してきたのだ。
理由など難しいことではない。開拓時代は終わったと言うことだ。
最早はっきりと各諸侯の領土の境界線が引かれて区切られた北方帝国において、自らの領土というものは戦争によって功績でも立てない限り増えることなどありえないのだ。
「今の状態で既に、かのバキスタにおける戦の軍勢にも負けるとも劣らぬ兵力でしょう。しかし……」
「分かっている」
彼は答える。
彼が集めるように命じた兵力は、西方諸国が支払った戦費を既に上回っている。
バキスタにおいて、決して無傷ではなかった蛮族一つ滅ぼすのにこの軍勢は大げさではないか、という意見もあった。
これだけの兵を維持するのには多額の金が必要だ。帝国の脅威になりかねないとはいえ、蛮族一つ滅ぼすのにこれだけの兵力は必要なのか?、という意見には実は彼も同意するところはあった。
だが、あえて彼はこの兵数に拘った。
「壊すのさ、この国の全てを。そして再生させるのさ、新しい帝国を。そして新しい『皇帝』を」
「陛下?」
「集めた兵たちは閲兵広場か?」彼は聞いた。「よし、集まってくれた兵達に閲兵を行おうぞ」
「御意に。既に準備は整っております」
彼は立ち上がる。
もう玉座は振り向かない。
もう一度そこに腰を下ろす時、彼は、もはや玉座の魔力をもっても自分が氷漬けの人形にはならない存在になっている自信があったからだ。
廊下に出た時に、窓から差し込んだ夕焼けがいつもより暗いことに一抹の不安を感じなくも無かったが、彼にはよもや自分が負けるであろうなどとは考えられなかった。

101氷の玉座(4):2006/10/21(土) 02:49:56
「陛下、お気づきになられましたか」
従事官の声に瞼を開いてみれば、そこには既に見慣れた天幕の天井があった。
彼は自分が寝台に横たわっていることに気づき、「どのぐらい私は眠っていたのだ?」と側の従事官に聞いた。
「3日ほどです、陛下」
「そうか……」
そう呟き立ち起き上がろうとした彼だったが、肩に激痛を感じて、思わず呻き声を上げていた。傷は思っていたより深いようだった。
「陛下!!」
「大丈夫だ……」彼は激痛に耐えるべく歯を食いしばりながら答える。「それより我が軍はどうなっている」
その問いに、従事官は回答を躊躇った。だが、彼にとってその躊躇いこそが、如何なる言葉よりも現状を物語っていた。
彼は再び床に伏し、瞼を閉じて今までの戦いの経過を振り返る。
緒戦において彼の軍隊は草の民の軍隊を文字通り蹴散らし、予定より遙かに早いペースで草原の深くまで侵攻した。
幾つかの戦闘はあったが、その全てに彼は鮮やかなまでの戦争の手腕を見せて圧勝し、やがて組織的な抵抗はなくなった。
彼の軍の進む先々で、草の民達は全てを捨てて部族から逃げ出すようになった。そう、文字通り徹底的に全てを捨てて……
井戸は潰すか毒が投げ込まれ、家畜は全て連れて行き、連れて行けない家畜や穀物は消し炭になるまで焼いて、彼らは逃げた。
食料は敵地で調達するのが兵法の王道だったが、こうまで徹底されてはそれは不可能だとしか言いようが無かった。
そして、更に進軍を続け、草原の中央にまで進んだ頃、事件は起きた。
後方で本国から補給物資を届けるための部隊が襲われたのだ。
戦いが有利に進んでいる、と言っても戦争の要たる補給部隊を決して無防備な状態で運用していたわけではない。むしろ、どの国の軍隊より厳重な警備を付けていたぐらいだ。
それが圧倒的な兵力の元に蹴散らされたと言うのだ。
……そうか、草の民の主力は既に我が後方に回っていたか。本拠地を捨て、兵站の破壊に全てを費やすとは流石だ。
意味の無い進軍をさせられたということに苛立ちながらも、戦術面の負けても着実に戦略面での勝利への布石を打っている敵を流石だと、彼は素直に驚嘆し、賞賛した。
……この戦いはこれが潮時だ。これで我々も本来の計画に戻れる
補給戦を絶たれる危機にあるというのに彼に焦りはない。むしろ、これで草の民と講和を結び兵を本国に戻す機会が出来た、と彼は内心ほくそ笑んだ。元々彼にとって草の民に勝つことがこの戦争の目的ではないのだ。
草の民には適当な勝利を得ておき、最終的な止めを刺さずに本国へ軍を戻す、そしていけしゃあしゃあと西方諸国に報酬を要求する。無論、西方諸国はこの要求を突っぱねるだろう。だが、これこそが本来のこの戦争の目的だ。
報酬の不払いを理由に、草の民との戦争で鍛えられた軍を西方に進軍させる。バキスタの戦いに敗れた西方諸国には最早、この軍に抵抗するだけの兵力は無いだろうし、あの戦いで、幾つかの国が戦わずして兵を引いたことで彼らは北方帝国に対抗するべく連合軍を組織することなどできないぐらいに互いに疑心暗疑にかられているはずだ。
そうなれば中小国の一国か二国、いや、下手をすればあのリクシャマー帝国を落とす事だって夢ではない。
戦争が終わった後で帝都を、『白の都』と言えば聞こえがいいが、結局は冬は極寒に閉ざされるソフォフから暖かいどこかの都市に移してやるのだ。
そして、領土の拡大を理由に統治体制を徹底的に変え、貴族や領主、そして軍閥達を徹底的に整理してやるつもりだった。
そうすれば帝国は変わる。もはや人形の『皇帝』を氷の玉座に縛り付けることで成立する国家ではなくなる。
それが、彼にとってのこの戦争の目的だった。
……ここまでは上手くいっていたのだがな
今にして思えば自分はハルバンデフと言う男を、いやこの戦いを舐めていたのかもしれない、と彼は思った。

102メト・ハレクが語るフルフミブァルムの神話伝説・種族の起源(1):2006/11/07(火) 23:06:23
兄弟種族ジャドナゲンの友アーム・ラルドメクセトへ。
今回は我々の祖先の起源について書き伝えようと思います。

その昔、我々の祖は緑の雲から地上に振り落とされたといいます。
その数は百を超えていましたが、その半分は地面に叩き付けられた衝撃で
死んでしまいました。残ったのは五十三人。かれらが私達フルフミブァルムの祖となりました。
我々にそれ以前の歴史があったかどうかはわかりません。雲から落ちた祖先は
姿はすでに大人であったにも関わらず、何も知らなかったからです。
そんな小児のごとき祖先を拾い上げ、育て上げた偉人がいます。
厚衣のアルフレイムと呼ばれる人です。この人は常に分厚い衣で全身を覆い、
顔面にはさらに雄獅子を模した大きな仮面をかぶっていました。しかも
誰の前でもそれを脱ぐことがなかったので、彼の種族が何だったのかは解らずじまいです。
彼は我々の種族に『フルフミブァルム(緑の雲から来たもの、の意)』と名づけ、
我が子のように可愛がって、生きていくために必要な知識や技能を教えました。
アルフレイムの知恵は相当なもので、成長していく祖先の質問にも正確無比かつ懇切丁寧
に回答しました。しかし彼がそれほどの知識をどこで学んだのか等、彼の過去に
関する質問にだけは答えませんでした。

103星の楽園の物語(1/5):2006/11/12(日) 03:52:00
昔々ある山の村に、星を眺めるのが大好きな女の子がいました。
女の子は昼は寝てばかり、夜になると一晩中、星をながめていました。
「朝なんて来なければいいのに」
と朝が来るたびにつぶやきました。
女の子にはお父さんもお母さんもいませんでした。
だからひねくれた性格になってしまったのだと、女の子の住んでいた村の人々は思いました。
だけど、その村の人々は優しかったので、その女の子を可哀想にも思って
みんなで面倒を見てあげていました。

ある日、男の子が星を眺めている女の子に尋ねました。星の特に綺麗な夜でした。
「きみはいつも星ばかり見ているけど、何がおもしろいんだい?」
女の子は答えました。
「私が星を見ていると、その星のことがみんなよりもよくわかるの。それがおもしろいのよ。
 その星がどこにあるのかとか、どんな人がそこにいるのかとか」
男の子は驚いて言いました。
「星に人がいる?そんなバカな。星っていうのは、空に描かれている絵なんだよ。
 アルセスがキュトスのために描いてあげたんだ。アルセス・ストーリーに書いてあったよ」
女の子は何も言いませんでした。男の子はさらに言いました。
「ねえ、たまには星を見る以外のこともした方がいいよ。明日、僕と一緒に泉に行こう。
 水は綺麗だし、動物や鳥がいることもあるし、花も咲いてるよ」
女の子は返事をしませんでした。男の子は、溜息をついて自分の家に帰りました。

104星の楽園の物語(2/5):2006/11/12(日) 03:53:02
その日から、ほとんど毎日のように男の子は女の子を誘いました。
女の子は、決して男の子と一緒に行こうとはしませんでした。
しばらく経ったある日、その男の子はいつものように星を眺めている女の子を誘いました。
「そうだ、ちょっと遠いけど町まで降りるのはどう?町にはいろんなものがあるんだよ。
 大きな教会とか、珍しいおもちゃとか、変わった食べ物とか…」
「ありがとう。でもいいわ」
その日、男の子は諦めませんでした。
座って星を眺めている女の子の正面に立って、初めてその目を見つめました。
男の子は、そうして何か言おうとしたのですが、その言葉を忘れてしまいました。
女の子の大きな瞳は夜空のように暗く、そして星が輝いていました。美しい瞳でした。
「どいて。星が見えない」
「君の目の中に星がある!こんなの、見たこと無い」
男の子は、すっかりその目に見入ってしまいました。
「―――どいて」
女の子は、とても怒っていました。
男の子はようやくそのことに気付きましたが、すでに遅かったのです。
女の子の瞳の星が、ひときわ強く輝くと、そこから光の矢が飛び出しました。
光の矢が男の子の頭を貫くと、男の子はその場に倒れ伏せました。冷たい夜風が吹きました。
女の子は何が起こったのかわかりませんでした。すぐに人を呼びましたが、手遅れでした。
男の子のことについて、村の人々は大いに悲しみました。女の子もまた悲しみました。
いつもあんな態度でしたが、女の子は男の子のことが気に入っていました。
なぜなら、男の子はどこか、女の子が見る遠い遠い星に似た雰囲気を持っていたからです。

朝になると、みんなは集まって女の子のことを改めて考えました。
よく考えてみると、その女の子がいつ村に来たのか思い出せる者はいませんでした。
しかも、女の子が来てから少なくとも10年は経つのに、その姿は昔と全く変わっていませんでした。
村の人々はそのことを怖がりました。何故かそのことに気付かなかったことも怖がりました。
そして、村の人々は、その女の子を村から追い出すことに決めたのです。
村の人々はやさしい人たちでしたが、臆病な人たちでもありました。

105星の楽園の物語(3/5):2006/11/12(日) 03:53:55
村から追い出された女の子は、とりあえず夜まで一眠りして、それからこれからのことを考えました。
今まで何も考えてこなかった女の子には、何も思い浮かびませんでした。
いつものように、とりあえず星を眺めることにしたのです。
女の子は、すぐにひときわ明るい、女の子の近くにある星を見つけました。
今までそんな星を見たことは無かったので、女の子は不思議に思いました。
なんとなく、女の子はその星の方向に行ってみようと考えました。
そして、女の子の旅が始まりました。
見たことの無い星は、どういうわけか左へ右へ、何回も動いているように見えました。
だから女の子は、夜の間だけ、蛇のように曲がりくねりながら進んでいきました。
険しい山道でしたから、女の子は大変でした。昼間はぐっすりと眠りました。
日が落ちるとその星が真後ろ、つまり今まで通ってきた道の方向にあることさえありましたが
それでも女の子は、星に少しづつ近づいて来ていることがわかっていました。

12回目の夜でした。雲ひとつ無く、星は空に無数に輝いていました。
その時はもう、村の人々に貰った食べ物は無くなっていました。女の子も疲れていました。
女の子がいつものように星を追いかけていると、開けた高台に出ました。
星はものすごく近くに見えました。そこに、小ぢんまりとした館が立っているのが見えました。
その星は、その館の上で輝いていたのです。その時、後ろから声がしました。
「やっと見つけたね、イングロール!」

106星の楽園の物語(4/5):2006/11/12(日) 03:54:57
女の子は振り向いて、驚きました。そこには、死んでしまったはずの男の子がいました。
「君を外に出すには、これが一番手っ取り早いと思ってね」
「あなたは死んだんじゃなかったの?見つけたって、この館を?
 それと、私の名前はイングロールじゃないわよ。知ってるでしょ?」
「そんなに興味を持ってもらえるなんて嬉しいね。質問はひとつずつだよ」
男の子は右手を前に出して、人差し指を立てました。
「まず、僕はそもそも死んでない。死んだフリをしていたんだ。君をここに導くためにね。
 まあ、瞳を見るまで星夜光で撃たれるとは思ってなかったけど」
「星夜光?あれは星夜光って言うの?」
男の子は中指を立てました。
「2つ目の質問だね。そう。少なくとも故郷ではそうだった。君も僕の故郷を見たんだろう?」
「見たかもしれない。あなたが星から来たことはなんとなくわかってたわ」
「うん。そうだろう。じゃあ3つ目の質問に答えるよ」
男の子は薬指を立てました。
「そう。僕は君にこの館を見つけてもらいたかった。僕一人じゃここまで辿り着けないからね。
 君のように、星を読む力が無ければ、とてもこの場所を見つけることはできないんだ」
「それで、ここは何なの?」
男の子は小指を立てました。
「4つ目。この館は、星見の塔。かつてキュトスとアルセスが星を眺めた場所に立てられた館。
 この館は、灯台でもあるし、見張り塔でもある。観測台でもあるし、素敵な館でもある。
 館もすばらしいけど、この場所もすばらしい。少なくとも君にとってはね。
 そう、この場所には――朝が来ないんだよ」
「本当?本当なの?信じられない!」
女の子はとても興奮しました。夢にまで見た楽園が、ここにあったのです。
そして、にっこりと微笑むと、男の子にお礼を言いました。
「どうもありがとう」
「いやいや、君は自分の力でここに来たんだよ。それにしても、君の笑顔なんて始めて見るな」
男の子は空いている左手で頭を掻きながら、最後の指、親指を立てました。
「そう、喜んでくれて結構だけど、5つ目の質問を忘れてはならない。
 君の本当の名前はイングロール。キュトスの姉妹のイングロールだ」
「イングロール。変ね。そう思うと、私はすでにその名前を知っていたみたい」
「事実そうなんだけどね。忘れてただけなんじゃないかな」

107星の楽園の物語(5/5):2006/11/12(日) 03:56:12
「……さあ、もう質問は全部片付けた。あの光は、君の姉さんであるダーシェンカのものだ。
 君はこれから彼女に会って、話をしなくてはならない。キュトスの姉妹として。
 姉妹の詳しい話とかは、彼女から聞くことができるはずだよ」
「あなたは来てくれないの?」
「うん、残念ながらね。他に片付けることがたくさんあるんだ。もうここには来れないと思う」
イングロールは表情を曇らせました。ここでずっと星を眺めて、彼の誘いを断る。それが理想でした。
「ごめんよ」
イングロールは少し考えると、男の子に尋ねました。
「ねえ―――名前を教えてくれない?嘘のじゃない、本物の名前。
 私の本当の名前はイングロールだった。あなたにも本当の名前があるんでしょ?」
「鋭いね。教えてあげてもいいけど、約束して欲しいんだ。
 僕の名前と、僕が教えたことは誰にも言わないで欲しい。無論、これから出会う君の姉さんにも」
ダーシェンカの光で、男の子の顔ははっきりと見えていました。
イングロールはその星の輝く瞳で、しっかりと男の子を見据えて答えました。
「約束する」
男の子は、ゆっくりと、1つ1つの言葉の発音を確かめるように言いました。
「よろしい。僕の本当の名前は―――ハグレス。ハグレスだ」
「ハグレス。いい名前。青く輝く星のような響き」
ハグレスは笑いました。何でも星に結びつける、イングロールがおかしかったのです。
「君はやっぱり変わっているなあ」
「そうかしら?」

辺りに、冷たい夜風が吹きました。
風が収まると、イングロールは改まった態度で言いました。
「ハグレス。私は星空が一番目に好きだけど、あなたは二番目に好きよ」
「それは嬉しいね」
「だから、また会えるよね…?」
「それは君次第だね。約束を守ってくれるなら…」
女の子はすぐに力強く答えました。
「守るわ!」

イングロールに詰め寄りながら、ハグレスは言いました。
「―――それなら、きっと」
ハグレスは、イングロールの額にキスをして、はにかむように笑いました。
「―――また会おう!」
そして、ハグレスは、崖からさっそうと飛び降りました。
イングロールがその崖の下を見ても、星々も姉の光もそこを照らしてはくれませんでした。

108ムランカの戦い(3):2006/11/12(日) 23:23:47
「ねぇ、アンリエッタ聞こえるかい」
 闇の先、ムランカは尋ねる。
 闇の先に彼女は踏み出す気はなかった。いや、踏み出せなかった。
 だから彼女はずっと蹲っていた、アンリエッタが赤子を抱きながら闇に消えた後、入り口の所でずっと……
 そして無言のままだった……彼女には闇の先に語りかけることができなかった。
 けれど、その日になって、彼女はやっと闇に語りかけた。その事を黙っていることはそれ以上できなかったのだ。
「あたしの今の身体の持ち主はね、母親だったんだ」
 闇を包む静寂。
「彼女は多分幸せに成長して、幸せに結婚して、幸せに子供を産んだんだ。ところが酷い飢饉が起きてね。大分酷い飢饉だったようだよ。村の半分が餓死した、と聞いている。旦那がその時に死んだともね……」
 静寂の中で小さな息の音が聞こえた。それがアンリエッタのものなのか、彼女の横に置いた揺り篭の中の赤子のものなのかは分からない。
「食料も尽き、死を待つだけの集落に、ある日一人の魔術師の男が訪れたんだ。村人達だって魔術師一人にどうこうできるという問題じゃないことを知っていた。けれど、村人達は彼にすがった。そしてその男は、『幸運』にも王宮に縁のある人間だった。程なくして村には食料が運び込まれ、村は九死に一生を得た。けれど、事が終わり男が村に要求したのは『少女を一人』だった」
 小さな風が吹き、彼女の頬を撫でた。
 それは冬の訪れを予期させる冷たい風だった。
「村人達は当然ながら、それを拒んだ。けれど、男は要求が果たされないのなら食料を引き上げて、村を焼き払うと脅した。村人達は逆らえなかった。だから少女を一人選んで差し出した。嫌がる母親から無理矢理引き剥がすようにしてね。分かるよね、その母親っていうのが私の身体で……」
 ふと何かを感じてムランカは立ち上がり、闇へと踏み出す。
 闇の先では全てが終わっていた。
 寝台に散らばった灰と、やがて灰化するだろう髪……そして、その横で静かな寝息を立てる赤子。
「……眠ったんだね、アンリエッタ」
 自分でも気付かないうちに流した一筋の涙が彼女の頬を伝って地面に落ちた。
 そして、彼女は語りだす、堰を切ったようにその事実を……。
「その子の母親はね、ずっと己の所業を後悔し続けた。そして、程なくしてあたしが彼女の目の前に現れた。彼女はたいそう美しかったからね、あたしは彼女を騙して身体を奪うつもりだった。だからおいしい話を色々と持ちかけた。なのに……彼女はその話に反応を示さなかった。そして……」
 『奪って!』
 ムランカは彼女の言葉を思い出す。半狂乱になりながらすがる様にして、懇願するように彼女が言った言葉。
 『奪って!……私から何もかも奪って!。意識も!、理性も!、思考も何もかも……。いらない!、もう何もいらないの!。私に何も欲しがる権利なんて無い!。私に資格なんてない!。私はそういうことをしてしまった!。でも、救って……あの子が不幸になっているのなら救ってあげて』
「ごめんね、約束は守れなかったね」
 彼女は自分の中に取り込まれた御霊の一人に語りかける。
 しかし反応は無かった。
 彼女に取り込まれて、「奔流たる意識」に取り込まれた意識は、その精神力や資質が余程高くない限り、全体の中ではその存在は限りなく無に近くなってしまうのだ。
「あたしが見つけた時、既にあんたの娘は……」
 静寂の闇の中で、突然に赤子が目を覚まし、やがて泣き始めた。
 彼女は優しく赤子を抱き上げ、その腕の中で優しくあやした。
「アンリエッタはね、幸せになるための名前だ。そうでなきゃ嘘だ。だから……」
 彼女は服の胸元を緩め、その父を赤子の口に含ませた。
 安らかに、無心にそれを吸う赤子に、彼女は今まで見せたことが無いに違いない笑顔を向けて言う。
 彼女は気付いているのだろうか?、その笑顔が『母親』の笑顔であるということに。
「だから、その名前をあんたにあげる。幸せにおなり、あたしがあんたが幸せになれるように手助けしてやるから。それがあんたの義務だよ」
 乳から口を離した赤子は、彼女に笑いかけた。

109ハザーリャの罰(1):2006/11/25(土) 23:29:45
ある日、キュトスはふと思いました。自分には何かが足りない、と。
強さではありません。彼女はセルラ・テリスのようになりたいとは思っていませんでした。
賢さでもありません。ラヴァエヤナのようになりたいとも思っていませんでした。
美しさでした。いえ、女らしさといった方がいいかもしれません。
誰か他の神から、女らしさをわけて貰おうと思いました。彼女は誰にしようかと考えました。

ハザーリャという神がいました。
それ(ハザーリャは男でも女でもありませんから、こう呼ぶが普通なのです)は女らしさを持っていました。
そしてあまり偉い神ではありませんでした。そこで、キュトスはそれから女らしさを貰うことにしたのです。
しかし、ハザーリャは、私の女らしさは海と始まりを管理するためのものであり、それをあげるとすると
世界で色々と困ったことがおこるので、あげることはできない、と彼女の頼みを断りました。

しかしキュトスは諦めませんでした。
それが寝ている間(怠けているわけではなく、これもそれの仕事のひとつなのです)に寝床に忍び込んだ彼女は
その女らしさ、海と始まりを管理するためのものの一部を盗み取りました。
そして、キュトスはより美しく、女らしくなりました。アルセスはそれを見て驚き、喜びました。

夜月が沈み、朝が来ると、ハザーリャは自分の体の異変に気がつきました。
女性としてのそれの姿の背の高さは頭1つ分ほど縮み、目と鼻と胸が抉られていたのです。
力もうまく使えませんでした。静かだった海はそれの心臓に合わせて揺れ動いていました。
それはすぐにキュトスがやったと気付きました。
彼女の元へ行き、返して欲しいと頼みましたが、この女らしさが気に入っていたキュトスは断りました。
それとしては奪い返してもらっても良かったのですが、立場上、それは難しいことでした。
そこで、それは彼女に罰を受けてもらうことにしました。
それは、彼女から一切の「死」を奪うことを許して欲しい、と言いました。
彼女はすぐに許しました。それは、何があっても死ねなくなるが本当にいいのか、と重ねて問いました。
しかし彼女は深く考えず、それで気が済むのならと、むしろ喜んで、自分の「死」をそれに奪われました。
こうして、キュトスは不死の神となりました。

110ハザーリャの罰(2):2006/11/25(土) 23:30:44
キュトスは女らしさを望んではいましたが、海だとか原初だとかの力には興味がありませんでした。
そこで、その力を自分の持っていた武器のひとつに付加してみました。
そのハルシャニアという棒は、いくらでも海水を噴き出すことができるようになりました。
彼女はその新しい武器を大いに気に入りました。
ヘレゼクシュ地方にあるネイバース湖を創ったのは、このハルシャニアだという話があります。

それからずいぶんと経って、キュトスは殺されました。その原因は定かではありません。
彼女の身体と心は71個に切り裂かれ、世界に飛び散りました。
しかし、身体でも心でも無い、キュトスの魂とでも言えばいいのでしょうか。
それはまだ死なずに残っていました。そして痛みに苦しんでいました。
悲しんでいたアルセスは、彼女が未だに死の苦しみにのたうっていることを知って、さらに悲しみました。
そして怒って、ハザーリャの元へ向かいました。

アルセスはハザーリャを責めました。
しかし、それは自分が死を奪うことによって、どのようなことが起こるかは彼女に十分に説明した
よく考えずに了承した彼女に非がある、と反論しました。
アルセスは、それならばいっそ彼女に死を返して、殺してやってくれと頼みました。
ハザーリャは彼の必死な様子を見て承諾しましたが、しかし身体と心がバラバラになった今の状態では
死を返すことはできませんでした。キュトスを再び1つに戻す必要がありました。
死んでいないからといって生きているわけでもないので、彼女が蘇るわけではない。
しかし、1つになっているのなら死を与えることはできる、とそれはそう言いました。
こうして、アルセスはキュトスを苦しみから救うために、殺すために、旅に出たのです。
世界に散らばった71の彼女の破片を繋げ直す旅に。


(「終わりが続くことから始まる物語」第3章より)

111勇猛なるユンダリャー:2006/12/23(土) 20:30:17
勇士ユンダリャーはガリヨンテに仕える巫女から金剛石の聖剣を受け取り、ロワスカーグを四つに切り裂き、東西南北に封印した。
ユンダリャーは偉大なる英雄として称えられ、国中の尊敬と感謝を一身に集めた。
彼はそれ以降に現れるであろう全ての「ユンダリャー」の名前を懐く者はガリヨンテの加護を受けし偉大なる英雄になるだろうと言い残し、雷光と共に消え去った。
それから、後世においてユンダリャーの名を持つものは、歴史に名を連ねる偉人ばかりになったという。

112断章 1:2007/02/05(月) 15:27:42
というわけだから、シャルルは最後まで彼女に別れを告げることが出来なかった。
クレールの長い爪はシャルルに躍りかかった野犬の喉笛を鋭く貫き、彼女はその自慢の牙で犬の頭部に喰らいつく。勢い任せに崖下に転がり落ちていく一人と一匹を見送った後、シャルルはその場にへたり込んでいることしか出来なかった。数時間後、路上のど真ん中で呆けているのを新聞配達の少年に見つかるまで、ずっと。
それから、シャルルは死ぬまでクレールと、その奇妙な連れを目にすることは無かった。
野犬と縺れ合いながら転がり落ちていった少女がどうなったかも知らないし、【悪魔】と相対したもう一人がどうなったのかも知らない。
シャルルは全てが終わった後、一度だけあの打ち捨てられた館に行って見たことがあったが、恐る恐る覗き込んだ館の中は、相変わらず閑散として、そして相変わらず幽霊や悪魔の出そうな雰囲気のままだった。
ただ、あれだけ沢山いたはずの蜘蛛が一匹残らずいなくなっていたのだけが奇妙でならなかった。
結局の所、あの事件がシャルルにとってなんだったのか、いまだに自分の中でも消化しきれていない。けれど多分、あれは自分には本来関わり無い所で進行するはずだった事件で、自分は生来の悪運の強さでその断片を少しだけ覗き見てしまったのだろう、と思う。
何故って、でなければこんなにも平凡な自分が、吸血鬼と人狼を名乗る二人組と、悪魔の縄張り争いなんかに巻き込まれるはずが無いのだ。
それ以来、シャルルの周りでは奇怪な出来事や、頭を抱えたくなるような不運事は起きていない。
多分、一生分の悪運を、あそこで使い果たしたからだと、そう思う。

113メクセトと魔女 1章(1):2007/02/20(火) 01:21:56
「嘘……こんなことありえない」
 少女の形をした彼女は大きく目を見開いて呟いた。
 それはあり得ない出来事のはずだった。そんなことはあってはならないはずだった。
 だが、彼女の目の前の出来事は紛れもなく真実だった。
「何で……どうして?」
「ふん、お前、『魔女』か」
 彼女の目の前で、舞い上がった土煙の中、軽く左手を挙げた男は不適にも口元を歪めて言う。
 その姿が彼女には限りなく邪悪なものに見えた。
 恐怖、という彼女にはあってはならない感情が彼女の中で鎌首をあげる。
「面白い手品だ、もう一度やって見せろ」
 彼女は絶叫し、もう一度同じことを……彼女の知る限りの最強の攻撃魔法による力の塊を男にぶつけた。
 だが、結果は同じだった。
 まるで同じ刻が繰り返されたかのように、男は再び軽く左手を挙げ、力の塊は脆い何かが砕かれたように四散して、大気の中へと消えていく。あとには砂埃だけが派手に舞うのみ。
「嘘……嘘……こんなわけ、ない」
 それは彼女の渾身の力のはずだった。
 これに直撃されて地上に存在する物質があるはずはないのである。
 だというのに、目の前の男は傷一つなく彼女の前に立ちはだかっていた。
「やれやれ興醒めだな。栄華を誇りし、『ハイダル・マリクの切り札』がこの程度とはな」
 男は肩を竦め、彼女はその場に思わず座り込みそうになる。
「何者なのよ……何なのよ、貴方?」
「余の名前なら既に知っておろう」座り込んだ彼女を見下すように笑みを浮かべながら男は言う。「余の名はメクセト。これより全てを統べる者だ」
 彼女は恐怖に再び絶叫し、そして知る限りの、ありったけの魔法を男に叩き込んだ。

114メクセトと魔女 1章(2):2007/02/20(火) 01:23:46
 全ての栄華に終わりがあるように、その都市国家にも終わりの刻が迫っていた。
 それは従属民族の走狗にしか過ぎなかったはずの一人の男によってもたらされようとしていた。
 その男の統べる叛徒は、従属民族によって構成された傭兵部隊の大軍を打ち倒し、虎の子の正規軍をも易々と打ち倒した。
 あらゆる力も、魔法も、知略も全てはその男の前では無力だった。
 男は正に『魔人』だった。
 故に、毒には毒を、魔には魔をと都市国家は最期の手段を講じたのだが……
 
 
 「おぉ、何ということだ」
 白亜と宝玉に彩られた宮廷の中、軍政官はその少女を前にして言った。
「人類を裏切る行為だと知りながら、かかる行為に及んだというのに……」
「遂に栄華を誇りしハイダル・マリクも終焉ということか……」
 絶望にざわめく群臣を前にして、ふん、と小馬鹿にするように少女は鼻を鳴らした。
「人類の至宝なんて言われているぐらいだから、どんな所かと思って来たら、とんだ張子の虎も良い所ね」
「何を言うか、小娘!」
「そうだ、畏れおおくも陛下の御前なるぞ!」
 彼らは口々に少女の無礼を責め立てたが、少女は怯むことなく「下が下なら上も上ね」と小馬鹿にした口調で言う。
「貴方達が同盟を求めるからわざわざ姉妹の代表として来たというのに、こんな無礼な態度をとる臣下を責めもしないなんてね」
「この娘の言う通りである」
 金色の玉座に腰を下ろした獅子の仮面の王は言った。
「娘よ、臣下に代わり、非礼を詫びよう」
「陛下……」
「良いのだ」
 そう言って、男は玉座から立ち上がり、少女の前まで歩み寄るとその足元に跪いた。
「陛下、なりませぬぞ、この小娘は……」
「良いのだ!」
 男は、文政官を一喝して制すると、「ハイダル・マリクが王である。援軍に感謝する」と跪いたまま言った。
「ま、及第点という所ね」
 くっ、と屈辱に身を震わせて耐える群臣を、悪戯っぽい流し目で見回しながら少女は言った。
「それじゃ本題、まず私達姉妹は貴方達人間とは同盟を結びません」
 「ふざけるな!」と軍政官の一人が身を乗り出して抗議する。
「かかる屈辱に耐え、『人類の裏切り者』の汚名を後世まで被る覚悟で同盟を結ぼうという我々の申し出を無下に断るというのか?」

115メクセトと魔女 1章(3):2007/02/20(火) 01:24:24
「まっ、当然よね。貴方達が私達姉妹にした迫害の数々を考えれば、そんな申し出受けるわけないじゃないの」
 軍政官の抗議をさらり流すようにして言う少女の言葉に、絶望と憤怒に彩られる宮廷。
 しかし、少女はその場の雰囲気に呑まれることなく平然とした様子で「人の話は最期まで聞きなさいよね」と言った。
「ただし、今回だけは貴方達に助力します。条件は一つ、以後私達姉妹に干渉しないこと。同盟を結ぼうとまで言った貴方達なんだから、このぐらいの条件は呑むでしょ」
 沈黙が宮廷を支配する。
 彼女達に干渉しないということは、ある意味同盟を結ぶよりも取り返しのつかない結末になるかもしれないことだった。
 だが、もし今、彼女達の助力がなければ、この都市国家に待ち受ける運命は確実な滅亡である。
「……願ってもいない条件。この王、しかと受け止めよう」
 沈黙を破り、少女に跪いたままの王が口を開いた。
 既にして、彼女達に同盟を申し入れたこと自体が『人類を裏切る』行為なのだ。これ以上、何の汚名を恐れる必要があろうか?。汚れるというのならば、どこまでも汚れてでも生き延びてやろうではないか。未来永劫、子々孫々に至るまで罵られてみせようではないか。その覚悟がこの王にはあった。
 その王の心を知ってか知らぬでか、「感心、感心」と少女は相も代わらず小馬鹿にした態度で言う。
「それでこそ、援軍に来た甲斐もあるってものね」
「一つ質問して良いかね?」年老いた軍政官が、恐る恐る口を開いた。「援軍というのは君一人なのかね?」
「えぇ、そうよ」
 当たり前のことのように少女は答えた。
「……それで勝てるのかね、あの男、メクセトに」
 わずかな沈黙の間をおいて軍政官は少女に尋ねる。
「愚問ね」
 少女は鼻を鳴らして言う。
「信頼していいのだな?」
「それも愚問だわ」
 自信ありげに少女は答えた。
 群臣たちは互いに顔を合わせ、ひそひそと何かを囁きあい、やがて一人の男が彼女の目の前に現れ、王と同じように少女に跪いて言った。
「私からも頼む、この国を、ハイダル・マリクを是非貴方の力で救っていただきたい」
「私からもお願いします」
「私からも……」
 どうやら、この男はかなりの有力者だったらしく、群臣達は次々に少女に跪いた。
「頼まれるまでもないわ、私を誰だと思っているわけ?。『キュトスの姉妹』の一人なんだから」
 少女はそう言って胸を反らした。
 「そう言えば……」と王は頭を上げて、少女に聞く。
「余はお前に名を尋ねていなかったな?。名はなんと申す」
「あぁ、それは答えられないわ。私が名前を教えるのは、私が心を許す相手だけなんだからね」
 そう言って、少女は身を翻して王宮を後にしようとする。
 目指すは、彼女の今回の敵にして、ハイダル・マリクの敵、メクセト。
「まぁ、大船に乗った気持ちで待ってなさい。そのメクセトとやらを見事退治してくるから」
 それが数時間前の出来事……

116メクセトと魔女 1章(3):2007/02/20(火) 01:24:57
 もはや、それは魔法にすらなっていなかった。
 出鱈目な呪文の詠唱と、出鱈目な力の解放。
 しかし、それでも尚、その力は地を抉り、土埃をあげ、確実に地上のあらゆる物質を破壊するに足りるはずの力だ。
 だというのに、土煙の晴れた後、男はそこで何事もなかったかのように悠然と腕を組んだまま立っていた。
 その体には、傷一つない。
「それで終わりか、手品師」
 言われて彼女は恐怖にその顔を引きつらせながらも何かをぶつぶつと呟いた。
「聞こえぬぞ。言いたいことがあれば余に聞こえるように言え」
「私は……私は……末妹とは言え『キュトスの姉妹』。神より分かれた者。神に等しき力を持つもの」彼女は震える手で魔法の用意をしながら言った。「貴方達人間とは違うの!。貴方達人間に負けるはずはないの!。こんなことあっちゃいけないの!!」
「お前の目の前にある余が真実だ。認めるがいい」
 男は一言の元に少女の世界に取り返しのつかない皹を入れる。
「認めない。こんなの認めない!」
 しかし、少女は砕けかけた世界にすがろうとして再び力を解放しようとした。
 残った全ての力を、その命すらも、出鱈目な呪文の詠唱に載せて少女は己が世界を繋ぎ止めようとする。しかし……
「もう、その手品は飽きたぞ」
 男は少女の目の前へ歩み寄り、そして彼女の手を掴んで呪文の詠唱を止める。
 「ひっ」と少女は息を呑み、そして座り込んだ。
「どうした、もう終わりか?」
 男の言葉に少女は声にならない嗚咽をあげて泣き叫んだ。
 少女の世界は、今、音を立てて崩壊したのだ。
 その少女の腕を掴んだまま男は彼女を見下ろしていたが、やがて開いている方の手を使って少女の顎を掴み、自分の方にその顔を向かせた。涙で顔をくしゃくしゃにした美しい顔がそこにはあった。
「ふぅむ……」
 その顔を値踏みするように眺めていた男は、「従事官!」と自分の背後に下がらせていた軍勢の中から一人の男を大声で呼んだ。
 やがて、「ただ今!」と軍勢の中から、一人の若い男が馬を走らせて姿を現せる。
「従事官、余は今宵のうちにハイダル・マリクを焼く」
 さも大したことではないかのように、静かな口調で男はそう宣言した。
 従事官も男の性格を分かっているのだろうか、「御意に」と当たり前の指令を受けたかのように頭を下げる。
「西門のみを残し他の門に兵を遍く配置せよ。未だハイダル・マリクに残る民や生き延びたい生存者は西門から逃がす。だが、西門以外からは蟻一匹逃すな」
「しかし、それでは……」
 王は西門より逃げてしまうのではないか?ということを従事官は心配した。
「安心しろ。あの王は都と運命を共にするであろう。そういう人物だ、あれは」
「しかし、臣下の中には王を無理矢理連れ出すものがいるかもしれません」
 「ならば西門に弓兵を伏せておけ」と男は指示を出す。
「いくら身をやつせども、その姿は遠目からでも分かろう。王の姿を見たと思うたのならば迷わず弓を射て、それを殺せ。それより……」
 男は、その時になって、ようやく掴んでいた少女の腕を離した。
 恐怖に怯え、少女は座り込んだまま男から後ずさった。
 しかし、その足を、その腕を、目に見えない鎖のような何かが縛り付けて少女の動きを拘束した。
「ハイダル・マリクを焼き払った後、余はそこに余の宮殿を造るぞ。余の後宮に部屋を一つ用意しておけ」
「……!!」
 少女は声にならない絶望の悲鳴をあげた。
 それは、男が彼女を蹂躙することを高らかに宣言したということを意味した。
「喜べ、魔女。お前を女として扱ってやる」
「こ、殺しなさい!」
 恐怖に怯えながらも、少女はそう言って男に最期の抵抗を試みる。
「人間に好きにされるぐらいなら、私は死を選ぶわ」
「余は勝者なるぞ。敗者に自らの運命を選ぶ権利などない」
 そう言って、男は、少女を舐めるように見回し、「楽しみだ」といやらしい笑顔を浮かべて言った。
「散らされた経験の無い乙女を、いかなる女に開花させるか……それが魔女ともなれば、考えるだけでも楽しみだ」
「く……ぅっ」
 少女は顔を背け、自らの不運を呪う。
 人間ならば、己が誇りを守るために舌を噛んで死を選ぶことも可能だろう。だが、彼女は『キュトスの魔女』である。そのようなことでは死ねぬし、傷口もすぐに癒える。癒えない傷は心の痕だけだ。
「それまで、この魔女は余の幕舎に置いておけ。兵には指一本触れさせるな」
「御意に、メクセト閣下」

117メクセトと魔女 2章(1):2007/02/20(火) 01:34:33
 終わらぬ栄華などなく、また散らぬ花などない。
 滅びぬ世界もまたあり得ない。
 ハイダル・マリクと呼ばれたその都市は一夜にして焼き落とされ、王は自ら命を絶った。
 後には何も残らなかった。
 ハイダル・マリクは文字通り地上から姿を消したのだ。
 そして、メクセトは宣言通りその都市の跡に自らの宮殿を建てた。
 まるで何かを馬鹿にするかのように壮麗な宮殿。
 そして、その宮殿の後宮に少女の姿はあった。
 
 
 僅かに蒼を含んだ白銀の月の光が宮殿内を照らしていた。
 その白銀の光の中、少女はその裸体を褥にうつ伏せに横たえていた。
「……」
 少女のすすり泣く小さな声が、風に混じって宮殿内のどこかへと消えていく。
 それは幾度繰り返された夜の光景だろうか?
「悔しい……私は……」
 その後の言葉を彼女は続けることができない。
 彼女を彼女たらしめていたその世界は既に砕け散ったからだ。
 いや、既に踏みにじられ陰すら残っていないのだ。
 あの男、メクセトは宣言の通りハイダル・マリクを焼くと、その跡に自らの宮殿を建て、宮殿の中に自らの後宮を作った。彼女にはそのうちの、決して粗末ではない、むしろ豪奢ですらある部屋が一室与えられ、そして宣言通りメクセトは彼女を『女』として扱った。
 圧倒的な力の前に蹂躙される夜が幾晩続いたのだろう?
 蕾は散らされ、いつしか、自ら望まぬことだというのに女としての悦びに咲こうとしている自分がいる。
 砕け散った世界の後に訪れようとしている、それが現実だった。
 最近では、もう全てが遠い過去のことなのではないか?とまで彼女は錯覚するようになっていた。
「私は……私は……」
 そう呟いてみても、やはり言葉を続けることができず、己が現実をさらに理解するだけだ。
 ふと、自分を呼ぶ声に気づいて、彼女は顔を上げる。
 涙に濡れた、焦点の定まらぬ視線のその先には彼女にとって懐かしい女性の姿があった。
「お姉さま?」
 幻覚なのだろうか?とふと彼女は自分の目の前の世界を疑った。
 しかし、黒衣に身を包んだ、少女の形のそれは、おぼろげな輪郭をしながらも、決して彼女の生み出した幻覚でも妄想でも無かった。確かにそれは……
「ヘリステラお姉さま!」
 彼女は寝台より身を起こし、その足元に擦り寄る。
「可愛い妹よ、可愛そうに……」それは彼女にそう優しく声をかけた。「君を今すぐにでもここから助け出したい。もうこれ以上辛い目に遭わせたくない。この胸に抱いてやりたい。だが、私がこの通り自らの影を送ってしか君の目の前に姿を現すことができない事からも分かるだろう?。あの男の魔術は強力だ。こと、この後宮にかけられた魔術に関しては、私も実体はもちろん物質すら送り込むことができないぐらいだ。すまない」
 それの言う通り後宮には強力な魔法による結界がかけられていた。その中では外部からの魔法はもちろん、内部からの魔法も、ただ一人メクセトの魔法を除いて全てが無力化される。魔法の使えない今の彼女は、外見の通りただの無力な少女にしか過ぎないのだ。
「いいえ、お姉さまの謝ることではありません」彼女は俯いて答えた。「全ては私の失態のせいです」
「それは違う」それは彼女の言葉をあわてたように否定して言った。「君は私が命令した通りに行動した。一撃で、知る限り最強の魔法を使って渾身の力で倒せ、という命令を忠実に実行した。だが、我々姉妹の誰しもがあの男の実力を見誤った。失態があったとすれば私のほうだ」
「お姉さま……」

118メクセトと魔女 2章(2):2007/02/20(火) 01:36:15
 少女はそれの足元に泣き崩れる。
 それは、このような時にやさしく彼女を抱きとめることも、その肩に手を置いてやることもできない不甲斐なさに唇を噛んだ。
「あの男は予想外の存在だ。おそらく人間という種が幾億の世代を経て一人産まれるか産まれないかの存在だろう。しかし、その実力が『キュトスの姉妹』を凌駕するなどとは考えてもいなかった。改めて人間という種が恐ろしくなった」
 それは言った言葉は、決して冗談から口にした言葉ではなかった。
 今まで取るに足らなかった、その気になればいつでも滅ぼせると考えていた人間という種族は、今や確実に彼女達の脅威へと変化したのだ。
「あの男をこのまま生かしておくことは、我々『キュトスの姉妹』にとって、いや世界にとって脅威になりかねない。いかなる手段をもってもあれを殲滅しなければならない」
「はい」
 少女は答えたが、それは決して姉の心や考えを理解しての言葉ではなく、姉への絶対の忠誠心と信頼から出た言葉だった。
 それほどまでに少女は姉に対して絶対の忠誠心と信頼をもっていた。
「もし直接的な力で滅ぼせない場合には暗殺という方法も考える」
「……」
 だというのに、なぜか少女には姉が「暗殺」という言葉を口にしたときにそれに対して肯定の言葉を返すことが出来なかった。
 メクセトの死……それは彼女の望むところのはずだ。
 なのに、「暗殺」という方法を用いてのメクセトの死を彼女は何故か受け入れることが出来なかった。何故なのかは分からない。だが、その方法は間違えている気が彼女にはした。
「どうした?」
「いえ……」
 彼女は軽く頭を振り、自分の中に湧き上がったその考えを消そうとした。
 どのような方法を用いようと、メクセトの死は自分の望むことのはずなのだ。それに姉の思慮は絶対のはずではないか……
「今後の行動は追って伝える。必ず君を救い出してみせる。だから、それまで可愛そうだが耐えておくれ、愛しい妹よ」
 そういうと、それの姿は夜の闇へと消えていった。
「メクセトの死……暗殺による死……」
 少女は、呆然とそれの消えた後を眺めていた。

119メクセトと魔女 2章(3):2007/02/20(火) 01:37:10
 「お前は化粧もせぬのだな」
 幾人もの美女を侍らせ、従事官……いや、今や大臣となった男にさせている報告を聞きながら、メクセトは少女に唐突にそう言った。
「必要ないですからから」
 女達の隅の方で、体を小さくしながら座っていた少女はメクセトの問いにそう顔を背けて答えた。
 「ふぅん」とメクセトは呟き、暫く少女の顔を眺めていたが、やがて立ち上がると、クイと親指で少女の顎を上げさせ自分の方を向けさせた。
「確かにお前は美しい。これからももっと美しくなっていくだろう。だが、化粧をすればもっと美しくなれるかもしれぬぞ」
「よ、余計なお世話よ」
 そう言って、少女は顔を背けようとしたが、メクセトはそれを許さず、「女達よ」と他の女達の方を向いて言った。
「この娘に化粧を施してやれ」
「だから余計なお世話って……」
 そう抗議しようとする少女を女達は押さえ込み、口に紅を塗り始める。
 その様子を見ながら、「余は大臣よりの報告を聞きに暫くこの場を離れる」とメクセトは言う。
「戻って来た時、お前がいかように美しくなっているか楽しみだな」
「だから余計なお世話だって!。ちょっと、離してよ!離しなさいよ!」
 少女は暴れたが、魔力の無い今の彼女はただの少女にしか過ぎない。あっという間に女達に押さえ込まれ、化粧を施される。
 その様子を、いつものように高笑いをしながらメクセトは部屋を後にした。

120メクセトと魔女 2章(4):2007/02/20(火) 01:37:57
 「これが私?」
 少女は鏡の中の自分に一瞬魅入った。
 その少女の姿を見て微笑ましいと感じたのか、
「ほら、やっぱり化粧をするとさらに美人じゃない」
「元が良いから、化粧が映えるのよね」
「もう、嫉妬しちゃうわ」
 と女達は口々に少女の美しさを褒め称えた。
 確かに、元の美しさも手伝って、少女の美しさは一層引き立つものになっていた。
「きっと、メクセト陛下も貴方の美しさに釘付けね」
 女達の一人の言った言葉に我に返った彼女は、「誰があんな奴……」と鏡から顔を背ける。
 彼女のその態度に一瞬女達は目を丸くしたが、やがて何を勘違いしたのかケラケラと笑い始めた。
「もう、笑わないでよ!。私は本当にあんな奴……」
「ほう、何やら賑やかだな」
 女達が声の方向を向くと、そこには大臣を従えたメクセトの姿があった。
 メクセトは美しく化粧された少女の姿に「ほぅ」と嘆息すると、少女の前に歩み寄る。
「これは美しい。予想以上だ」
 そう言って彼は、また親指を少女の顎の下において無理矢理少女の顔を自分に向けた。
「今、余がお前の代償に手に入れた富を全て手放せと言われても、喜んでそうするだろう」
 メクセトのその言葉に、少女はせめてもの抵抗にと視線を彼から外したが、その頬には女達の化粧による頬紅によるものとは違う赤みがさしていた。
「何を、何を言うのよ……そんな言葉なんて、私は……嬉しくなんか……」
 不意に彼女の言葉を遮るように、メクセトは彼女の唇を奪った。
 それは今までも幾度となく彼女に対して行われた行為だったが、今日の彼女はメクセトのその行為に怯えて目を閉じるのではなく、驚いたように目を見開いていた。
 彼女から唇を離すと、「だというのにお前とくれば」とメクセトは言う。
「こういう時は自分から歯を開くものだという事を何時まで経っても覚えてくれぬ」
「当たり前でしょ。私は貴方に心まで許したわけじゃないわ」
 彼女はメクセトから目を背け続けながら言う。
 彼女の中で何かが揺らぎ始めていた。
 今、メクセトに目を合わせてしまったのならば、自分の中で何かが変わってしまいそうだった。
「ほぅ、お前は余の手元にありながらも手折られていない花と申すか」
 そんな彼女の姿を見ながら、メクセトはいつものいやらしい笑みを浮かべながら言う。
「ならば何時の日か手折ってやろう。そして、その時に余の物になったお前が余の手元でいかなるように輝くか、今から楽しみでならぬわ」
 高笑いのメクセトを見て、「いつか殺す」と彼女は誓いを新たにした。
 ただ……

121メクセトと魔女 2章(5):2007/02/20(火) 01:38:41
 「メクセトの暗殺を待ってほしいと?」
 少女の部屋に現れたヘリステラの影は、彼女の言葉に眉を顰めた。
 「はい」と少女は姉であるそれに対して言う。
「あの男は私の手で必ず殺します。ただ、暗殺のような手段ではなく、正々堂々と勝負を挑んでそれを成したいのです」
「……だが」
 「私をここまで辱めたあの男をこの手にかけずにはキュトスの姉妹には戻れません」と彼女は強い口調で言う。
「それに勝ち目はあります。あの男は私に自分の魔法を教え始めてくれたのです」
 彼女の言う通り、メクセトは『折角魔女だというのに、使えるのが手品だけではつまらなかろう』と言って自分の魔術を少しづつ彼女に教え始めていた。勝者の驕りなのかもしれないが、彼女はその驕りを利用して彼から最大限にその魔法を引き出して習得することにしたのだった。
「私はあの男から全てを引き出し、あの男を倒します。もしあの男を暗殺するというのでしたら、あの男に私が破れ殺されたときにしてください」
「……あの男の魔法を引き出してくれるというのならば、長い目で見れば我々キュトスの姉妹の利益になる。だからそれは構わないが、その分君が辛い目に遭うぞ」
 「耐えます」と少女は言った。
「耐えて、耐えて、必ずあの男を倒します。そして、あの男から引き出した魔法と、あの男の首を手土産に星見の塔に戻ります」
「……分かった」
 少女の目を見て何かに気づいたのか、遂にそれは折れた。
「メクセトの暗殺計画は中止しよう。あの男が我々に直接仇なす行為をしない限りその討伐は君に一任する。だが、君を心配する姉から一ついらぬ忠告をしておこう」
 「『女』になるなよ」とそれは呟き、また少女の前から姿を消す。
 姉の言葉の意味が分からず、首をかしげたまま少女はその場に立ち竦んだ。

122言理の妖精語りて曰く、:2007/02/20(火) 13:53:34
ムランカ姉さんの若りし頃、まだ勝気なツンデレ娘だった時の秘話がついにw
・・・そういえばメクセトの最後って無銘たる軍神に討ち取られたのか、神々に破れ処刑されたのか、
死体をバラバラに切り刻まれて世界の各地に隠蔽されたのか、【扉】を通って異次元へと逃れてどこかの次元で生きているとか諸説が様々だけど結局どうなったのだろうか・・・。

123言理の妖精語りて曰く、:2007/02/20(火) 23:34:34
末の妹だから、ムランカじゃないんじゃない?

124メクセトと魔女 3章(1):2007/02/21(水) 01:44:44
 栄華も権力も、それが例え絶対に見えても崩れ去るのは一瞬のことだ。
 全ては砂上の楼閣にしかすぎぬ。
 例外などない。
 千年続いた帝国とて、滅ぶ時は一瞬なのだ。
 そして終わりという観念がある以上、遍くそれ瞬間は訪れる。
 天を自由に羽ばたく鳥とて、何時の日か力尽きて地に落ちるのだ。
 全ては移ろい、変わり、そして終わりを告げる。
 地上の民族全てを統べ、空前の人類国家を作り上げたメクセトにとってもそれは例外ではなかった。
 
 
 「随分と外が騒がしいわね」
 少女は、後宮女官にその唇に紅を差させ、髪を梳かせながら言った。
「はい、メクセト陛下が諸国から兵を集めてらっしゃるのです、寵妃様」
 「寵妃様」というのは、彼女が名前を何時まで経っても名乗らないので、何時しか誰かが彼女に対して呼び始めた名前だ。
 最初はその名前で呼ばれることに抵抗を感じていた彼女だったが、何時の間にかその抵抗は消え失せていた。
「そう……でも、もう陛下に戦争を挑む民などないでしょうに」
「『神』に戦争を挑むのだそうです」
 「『神』に……」と少女は窓の外へちらりと視線を走らせる。
 窓の外のはるか地平に、地から天へと消える「天の階段」の白い軌跡が見えた。
 メクセトが作り上げた、神の世界への侵攻のための天へと繋がる階段だ。
「『被創造物が、創造主から独立する時が来たのだ』とメクセト陛下はおっしゃっておりまして、それに賛同する英雄の皆様が世界の各地より集まっているようですよ。メクセト陛下はその中から1032人の英雄を選抜していると、街ではもっぱらの話題ですわ」
 興奮したような口調で女官は言う。
 彼女がこのようなのだから、後宮の外の民衆はどれだけこの「『神』を倒す」という行為に熱狂していることだろう。
「何時でも強い敵を求めて、無茶ばかり。あの人は、幾つになっても代わらないのね」
 ふ、と彼女は自ら意識しないうちに笑みをこぼしていた。
 あれから3年、世の中は変わった。
 彼女に「全てを統べる者」と宣言した通り、彼は地上の全てを短期間で掌握した。その支配の下に、多少の諍いこそあるものの、民族同士の大規模な争いは消え、今ではハイダル・マリクのような都市が世界の各地に作られているという。
 後宮のある王宮のまわりにも大きな街が広がり、聞きなれない様々な異国の言葉による喧騒が彼女の耳元にも聞こえてくる。その喧騒に眠りから覚まされる朝も珍しいことではない。
 そして自分もすっかり変わってしまった、と彼女は思う。
 永遠に歳をとらないというキュトスの姉妹だったというのに、魔法の効かないこの後宮の中ではその理すら無効化されたらしく、彼女はその過ごした時間にふさわしく歳をとっていた。もう、少女と呼ばれる時代もせいぜいあと1年ぐらいだろう。
 その間に後宮は、彼女が知っているものより遥かに大きいものになり、そこに住む女達も増えた。それに比例して、メクセトが彼女の元を訪れる機会も減った。
 ……そして、あの人の気を引くためにあれだけ嫌がっていた化粧をする私がいる。目的のための手段とはいえ、全ては時間とともに変わっていく
 今更、永遠などありえない、という何処かで誰かが言った言葉を彼女は思い出す。
 全ては季節と共に移ろい変わるのだ。
「それじゃ、またあの人は後宮には寄り付かないわね」
「そうですね。寂しい事ですね」
 「そうね」と自らがふとこぼした溜息に彼女は気づいた。
 ……私は、いつの間にかこんな溜息をこぼすようになってしまった
 今更ながら彼女は愕然とした。

125メクセトと魔女 3章(2):2007/02/21(水) 01:46:18
 「遂に、あの男は『神』に宣戦を布告したよ」
 それ、ヘリステラの影は、夜陰の中で溜息混じりに言った。
「これで晴れて人は神の脅威へと、そして敵対者になることを選んだわけだ」
「そうなりますね」
 少女は、それの言葉にそう頷いたが、それは首を傾げながら「君、他人事のようだな」と聞いた。
「いえ、そんなことはありませんわ、お姉さま」少女は慌てて首を振る。「私は一日だって自分がキュトスの魔女だということを忘れたことはありませんし、あの男を倒すことを忘れたことはありません」
 その言葉に少なくとも嘘はなかった。
 確かに、彼女はこの3年、メクセトからあらゆる魔術を引き出した。その為にはかつての自分の嫌がった行為を行うことも厭わなかった。熱心だったとも言える。
「その割にはこの3年、何の行動もおこさなかったようだが?」
 だが、それの言葉に、思わず視線を背けてしまうのも本当だ。
 だというのに、彼女は彼を倒そうという行動も策謀を施すことも何もしてはいないからだった。
「今の君だったら、この後宮を覆う結界だって破れるのではないかと私は思うのだがね?」
「それは……」
 確かにそれの言う通りだった。
 『檻より解き放った鳥が大空に羽ばたいて逃げるのみと考えるのは愚者の考えだ。余にはお前が逃げない自信がある』と言って、この後宮に仕掛けられた結界について教えてくれたのは既に2年前の話だ。3年前の彼女ならまだしも、魔力も、覚えた魔法の数も段違いの今の彼女にはこの後宮を抜けることなど決して難しいことではない。
 なのに、自分でも理由は分からないが、この後宮を抜けることが彼女には何故か出来なかった。
 何故、ここから逃げ出さないのだろう?、この男の腕に抱かれて眠ることに、ぬくもりに安心を感じる時があるのだろう?、と彼女は偶に自問するが、何かが彼女の中で揺らいでしまったのだろうか?、どうしてもその答えが分からない。
「いえ、まだその方法は分かっておりません」
 そして、いつしか彼女は姉に対して嘘を言うようになっていた。
 妹の嘘を見抜いているのかいないのか、「まぁ、良い」とヘリステラは腕を組んだまま言った。
「結論だけ言う。我々『キュトスの姉妹』はこの戦いにおいて神々にも人間にも組しない。結末まで看過する」
「看過ですか……」
 そうだ、と影は頷き、「何故だか分かるか?」と聞いた。
「いいえ……」
「怖いからだよ、あの男がね」
 それは彼女にとって姉から聞くとは思ってもいなかった言葉だった。
「人間など、取るに足らぬ存在。かつての我々はそう思っていた。だが、あの男が、メクセトがその認識を変えてしまった。今では、主神アルセスに勝つことすら絵空事ではないのではないかと思うときがある」
「そんな……」
 大袈裟なとは言えないのも事実だ。
 今の飛ぶ鳥を落とす勢いのメクセトならば、それすら可能なのかもしれない。
「ともかく、元は一の神たる我々は、自らに不利益にならない限り不干渉を貫く。最悪の場合、最後の神になるためだ」
「……」
 無言のままの妹を見て、「結局君は私のいらぬ忠告は聞いてくれなかったようだな」とそれは言った。
「そんな、私は……」
「違うというのならば、それは君が気づいていないだけだ」
 それの言葉を完全に否定することが出来ず、彼女は俯く。そんな彼女の姿を見て、「随分と可愛くなったものだ、君は……」と皮肉混じりにそれは言った。
「あの男を暗殺する方法を、実際幾つも考えたのだよ。だが、今の君を見ているとそれすら実行しなくて正解だったと思う時がある。可愛い妹の涙はみたくないからね」
「お姉さま、私は……」
「だが、一つだけ覚えておきたまえ。どんなに強い力と魔力を持とうとも、あれは結局の所は人だ。いずれ終わりは来る」

126メクセトと魔女 3章(3):2007/02/22(木) 01:54:24
「喜べ、魔女、お前が解放される日が来るぞ」
 ある晩、前触れもなく彼女の部屋を訪れたメクセトが開口一番に言った言葉がそれだった。
 その言葉の意味する所が判らず、唖然とする彼女を横目に、メクセトは彼女の部屋の寝台に体を投げ出すように横たえた。
「どういうことなの?」
 そう聞く彼女に、天井を見つめたまま「次の戦で余は出陣するからだ」メクセトは答えた。
「そして二度とここには戻って来るまい」
「……?。言っていることが分からないわ」
 メクセトはフンと自嘲気味に鼻を鳴らすと、「余が負けるからだ」と半ば投げやりな口調で彼女に言った。
「全く……余もとんでもない過ちを犯したものだ。神の数を誤るとはな」
「そんな……」
 そう呟く彼女の脳裏に「いずれ終わりは来る」という姉の言葉が思い出される。
 その言葉の意味は分かっていたし、それは望んでいたことのはずだった。
 なのに、いざ、その日を前にしてみると、彼女に出来ることは困惑することだけだ。
「だったら……そんな戦い、止めちゃえば良いじゃない」
 半ば答えは分かっているというのに、彼女はメクセトに言うと、「無理だ」と案の定、にべもなくメクセトは答えた。
「どうして?宣戦布告をしちゃったから?『神』が今更戦いの終わりを認めないから?」
「どれも違う」不機嫌そうにメクセトは答えた。「余は王だからだ。余が宣言し、民がそれを渇望し、それを余が行う以上、余は王としての責務を果たさねばならぬ。今更取り消しはできぬ」
「そんなの……そんなのおかしいじゃない!」
 彼女は叫ぶようにして言った。
 何故、そんなことをしたのか彼女にも分からない。あれだけ憎んでいた相手が自滅しようというのに……終わりを迎えようというのに……なのに彼女には叫ばずにはいれらなかった。
「貴方、王なんでしょ!。地上の全てを統べているんでしょ!。好きに出来ないものはないんでしょ!。だったら……」
 彼女が言わんとしていることを察したのか、「それをやったら、余は王ではなくなる」とメクセトは彼女の言葉を遮るようにして言う。
「全てを統べるということは、全ての責務を受け止めるということだ。それが出来て、初めて、全てを恣にできるのだ。それが余の選んだ生き方だ」
「そんなの嫌!」
 気付けば、両の瞳から涙がとめどなく溢れていた。
 ……この人がいなくなる……私の目の前からいなくなる……私は、それを望んでいた……でも、嫌だ!……それは嫌だ!
 そして彼女は上半身を起こしたメクセトの胸に飛び込み、その胸を力一杯叩く。
「勝手すぎるわ。そんなの勝手すぎる!」
「お前は魔女だ」メクセトは、そんな彼女の体を優しく抱きとめながら言った。「いかなる傷とて癒すことが可能であろう?。ならば乙女に戻ることも可能なはずだ。余がいなくなり、無事にその身が解放されたのならば、余がお前に刻んだ全ての傷を癒して乙女に戻り、余のことは忘れることだ」
「勝手なこと言わないでよ」
 精一杯大声で言ったはずの彼女のその声は、涙で掠れていて、自分でも聞き取れないほどの小声になっていた。
 その体を震わせながら、彼女は今まで真っ直ぐに見ることの出来なかったメクセトの目を見て叫ぶ。
「私、乙女になんて戻らない!。貴方に会う前の自分になんて戻らない!絶対、貴方のことを忘れない!」

127メクセトと魔女 3章(4):2007/02/22(木) 01:55:07
 そして彼女はメクセトの胸の中で嗚咽した。
 もう崩れ去って跡形もないはずの彼女の世界が再び崩壊を始め、ありったけの感情が痛覚になって彼女の胸を苛んでいた。
 そんな彼女を呆気にとられた表情で見つめていたメクセトは、ふと微笑をその顔に浮かべると、いつものように親指でクイと彼女の顎を上げさせると、その唇に自分の唇を重ねた。
「ようやく覚えたな」しばらくの間を置いて、メクセトが唇を離して言う。「こういう時は自分から唇を開くことを……」
「天駆ける蒼い馬……よ」
 不意に彼女が言った。
 「うん?」と怪訝そうに首を傾げるメクセトに、「……私の名前よ」と恥ずかしそうに顔を背けながら彼女は言う。
「……ムランカ、か」
「そう……それが、私の名前」
 メクセトの言葉に、彼女は答えた。
「私はね、この名前が嫌い。全然、女の子らしくないもの。まるで男の名前みたい。それに、魔女らしくもないし……他のお姉さまのような、もっと女の子らしい綺麗な名前が欲しかった」
「余も自分の名前が嫌いだぞ」
 彼女の耳元に、囁きかけるようにメクセトは言った。
「……軍政官だ」
「?」
「ハイダル・マリクでは軍政官を『メクセス』と呼んだのだ。余の父は軍政官だった。だからようやくできた男子に、自分の後を継ぐようにと『メクセス』をもじってメクセトという名前を付けたのだ。少しも偉そうではない、下僕の名前だ。余も、もっと王に相応しい名前が欲しかった」
 そう言って、メクセトはいつものように高笑いをする。
 かつては癇に障っていた、恐れたこともあったその高笑いが、今は何より愛しく彼女には感じられるようになっていた。
「……で、でも……でもね、わたし、貴方の名前が……」
 続けようとするのに、吃音症でもあるように、彼女はその後の言葉を続けることができない。
 そうしているうちに、「余はお前の名前が気に入ったぞ。とても好きだ」とメクセトの方が先に言ってしまった。
「冥府黄泉に抱えていくのならば、こういう名前が良い」
 また新しい涙が彼女の目から溢れて頬を伝う。
 嬉しかったから……あれだけ嫌っていた、他人に、姉達にですら語ることを疎んでいた名前を口にされることが今は何より誇らしかったから……
「私を御傍に置いて下さい」
 だから彼女は、気付けばその言葉を自然と口にしていた。
 それが何を意味するかは分かっている。今まで味方だった全てに叛くことも分かっている。何もかもを失うことも分かっている。結末、いや末路も分かっている。
 一時の感情に流されてそう言っているのかもしれないことだって分かっている。
 けれど……後悔だけはしたくなかった。
「戦場で貴方の隣にいさせてください。きっと、どのあなたの将兵よりも良い活躍をして見せます」
「それは出来ぬ」
 だが、その申し出をメクセトはあっけなく断った。
 「どうして?」と聞く彼女の瞳を見つめてメクセトは言う。
「余は言ったはずだ。お前を『女』として扱う、と。自分の『女』を戦場に立たせることなど余には出来ぬ」
「馬鹿!」彼女はもう一度彼の胸を叩きながら、そして泣きながら言った。「馬鹿!、馬鹿!、馬鹿!」
「そうだな、余は愚者であるに違いない」
 そう言ってメクセトは彼女の唇を自分の唇で再び塞ぎ、優しく彼女の体を寝台に横たえた。
 ……あぁ、そうか。
 今更彼女は気付いた。
 ……もっと早く自分の心に気付くべきだった……私はずっと前からこの人のことを……ゆっくりと……
 彼の腕に抱かれるぬくもりを感じながら、この刻がいつまでも続けば良いのに、と彼女は思った。

128言理の妖精語りて曰く、:2007/02/22(木) 05:44:16
これは感動。泣いていいですか?
まさかメクセトとムランカにそんな別れがあったなんて、あれ、なんか今と昔じゃイメージが合わないぞ?

129言理の妖精語りて曰く、:2007/02/22(木) 16:31:13
と、言うか別人?

130メクセトと魔女 4章(1):2007/02/23(金) 00:53:28
 人は振り子。
 暁と黄昏を、そして栄華と衰退を行き来する振り子。
 全てを支配するのはラプラスの竜か、それともシュレディンガーの猫か?
 確かなことは、その後の物語は歴史や伝承の語るとおりだということ。
 圧倒的な力を誇る神々との戦いにメクセトは敗れ、そして捕らえられた。
 形ばかりの裁判による判決は処刑による死。
 敗者は運命を選べない、とかつて彼は自ら嘯いたが、それは自身も例外ではなかった。
 
 
 かつてその地にはハイダル・マリクと呼ばれた都市国家があり、メクセトという男の宮殿があった。
 だが、今、更地になったその場所にあるのは広大な処刑場だった。
 そこで処刑されるのはただ一人、かつて地上を統べた男……そして神に叛いた男。
 刑場に集まった群衆の王であった男だった。
 勝者のみが敗者を裁くことが許されるというのなら、その罪は突き詰めれば戦いに敗れたこと……そしてその罰は同じ人間の手による処刑。
 刑場に集まった群衆は、かつて自らもその戦いに熱狂したというのにそれを忘れたかのように、否、そうすることで自らの行為を忘れようとするかのごとく、罪人が姿を現す前から口々に男を詰った。
 それは王であった男にとって限りなく惨めなことのはずだった。
 だが、刑場に引き出された男は俯くことなく堂々と真正面を見据えて、そしてその顔には薄笑いすら浮かべていた。
 堂々たる体躯の隅々に再生防止のための魔術刺青をされ、腕には幾重もの呪術縄が巻き付いて食い込み、その肌には体を弱らせるための拷問の跡が生々しく残り、未だ鮮血を滲ませていた。
 だというのに、その顔には苦痛の表情はなく、口々に自らを罵る群衆にも怯む態度を見せず、目の前に迫る確実なる死の運命にも恐怖すら見せていなかった。この期に及んでも尚、彼は王だったのだ。
 だが、それを認めないようにするためか、人々はそんな男に罵声を浴びせ、石もて投げ打つ。
 石つぶての雨は容赦なく彼を打ち据えたが、彼はまるでそれらを雨粒程にしか感じていないのかその表情を変えない。
 やがて、彼は処刑台に跪かされ、処刑吏は彼に末期の水を勧めたが「いらぬ」と彼は答えた。
 神官が現れ、彼に懺悔を求めたが「せぬ」と彼は答える。
 神官はその言葉に眉を顰め、「最期の言葉は?」と聞いたが「ない」と彼は言った。
 やがて処刑は始まった。
 足の小指から始まり、両手の指、両の瞳と、処刑は彼が苦しむように行われたが、彼は呻き声一つあげず、また表情一つ変えない。その顔には全てを嘲笑するかのごとく笑みがあった。
 やがて、手足も切り落とされ、芋虫のようになった彼はついにその首を切り落とされることになった。
 その時になり、彼は突然顔を上げた。
 そしてその口には歯もなく、既に舌も切り落とされたというのに、人々は確かに聞いたのだ、あの高笑いを……
 それはメクセトを知る人ならば誰もが知る、彼の高笑いに他ならなかった。
「最高だ、お前ら!」
 続いて聞こえたその声に人々は驚愕する。
「余はお前らを愛しているぞ!」
 そして、その首は斬り落とされた。
 この目的だけのために神より授かった【神々の斧】によって……それで切られた物は何人の手をもってすら再生できない、その神具によって……
 メクセトの首は宙を舞い、そして地を跳ね、それきり動かなくなった。

131メクセトと魔女 4章(2):2007/02/23(金) 01:56:54
 群衆の中から一人の少女が飛び出したのはその時だった。
 彼女は刑場の柵を超え、静止する兵士たちを押しのけ、そして地面に転がったメクセトの首をその手に抱え上げた。
 彼女が覗き込んだその顔には既に双眸は無く、鼻も無く、唇すら削がれていた。だというのに、その顔は笑っていた。彼女の記憶に残る、あの日と同じ笑顔がそこにはあった。
「馬鹿よ……馬鹿よ、貴方」
 少女は自分の声が震えていることに気付いた。
 ……あれだけ憎んでいたのに……あれだけ「殺してやる」と誓っていたのに……あれだけ死を願っていたのに……今はただこの人の死が心に痛い……この人が私を変えてしまったから……
「馬鹿!、馬鹿!、馬鹿ァ!」
 彼女はメクセトの首を抱いて泣きじゃくった。
 もう人目も何も関係がなかった。
 ただ感情の赴くままに泣いた。
「おい、娘」その彼女に処刑吏は横柄な口調で咎める様に言う。「その首をこちらによこせ」
「嫌よ」
 少女は俯き、メクセトの首をその胸に抱いたまま答える。その声には怒りすら篭っていた。
 不幸にも処刑吏はそのことに気付かなかった。
「絶対に嫌」
「もう一度言うぞ、痛い目に遭う前に……」
「煩い!」
 怒ったように少女が手をかざすと、鋭い閃光が一瞬煌き、次の瞬間には処刑吏は灰になって消し飛んだ。
「『魔女』だ!」
 その光景に呆然としていた群衆の一人が叫んだ。
「メクセトの囲っていた『魔女』だ!」
「噂は本当だったのか!?」
「恐ろしい……忌まわしい」
 人々は口々に囁き合い、やがてそのうちの一人が「忌まわしい『キュトスの姉妹』め!」とその手にした石を彼女に投げた。
 石は彼女の額に当たり、彼女の額から一筋の赤い血が流れた。
 やがて、一人、また一人と人々はその手に石を取り、彼女に向けて投げ始める。
 石つぶての雨の中、「何よ、貴方達……」と少女は呟くように言った。
「貴方達だって熱狂したじゃない……『被創造物が創造主より解き放たれるのだ』という言葉に酔いしれたじゃない……この人を二度と引けない所まで追い詰めたじゃない!」
 彼女の言葉に恥じ入るところがあったからか、一瞬群衆は黙った。
「貴方達だって同罪じゃない!この人を責める権利なんてないじゃない!」
「黙れ『魔女』!」
 再び石つぶての雨が降る。
「お前達が俺達を唆したんだ!。騙したんだ!。裏切らせたんだ!」
 「そうだ、そうだ」と人々は彼女に罵声と石つぶてを浴びせた。
 もちろん彼女の言うところも少しは分かっていたに違いない。だが、己が罪を認めぬようにするためには、そうするしかなかったのだ。しかし、その人の脆さが彼女には分からなかった。
「許せない……貴方達許せない」
 彼女はゆっくりとその俯けていた顔を上げる。
 美しい顔を怒りに歪め、血塗れのその顔は正に彼らが心の中に思い描き、恐れていた『キュトスの姉妹』に他ならなかった。
「無くなればいいのよ……こんな世界、無くなれば良いのよ!」
 彼女はゆっくりとその右手を上げた。
 突然、空が曇り、地面がゆっくりと、しかし確実に震え始めた。
 人々には何が起きたか分からなかった。だが、恐ろしいことがこれから起きるのだ、ということは察することができた。
 もし、かなり高度な魔力を持った人間がいたのならば、空から、いやもっと高い場所から純粋な破壊の力が、まるで滴り落ちるように地面を目指して迫っていることに気付いたはずだ。
 それは世界を滅ぼすに、いや掻き消してしまうに足りる力だった。
 メクセトが生前彼女に教えた魔法……『きっとお前は使わない』と自信を持って言った魔法……彼自身、例えその身が敗北に繋がろうとも決して使わなかった魔法……全てを台無しにしてしまう魔法。
 しかし、彼女は一時の感情に任せてそれを使おうとしていた。
「無くなっちゃえ!。全部無くなっちゃえ!」

132メクセトと魔女 4章(3):2007/02/24(土) 02:22:18
 彼女の叫びと共に、ゆっくりと、だが確実に空が裂け始めていた。
 空に現れた、闇より深い漆黒の点。
 それはゆっくりとその数を増やし、やがて点が線になり、面となってその領域を増やそうとしていた。
 そして、その闇の最中から、明らかに禍々しい何かが、滴り落ちる樹液のように地面を目指して降下しようとしている。
 だが、人々はその空の変化に気付かなかった。否、正確にはその変化を見ることが出来なかったのだ。
 なぜなら空の変化と共に地面の揺れは一層激しいものとなり、人々はその場に立っていられなくなっていたからだ。
 だが、群衆に紛れていた、黒衣を纏った幾つかの人影はその揺れをものともせず、天上を見上げていた。
 それら……いや、彼女達には天から滴り落ちようとしている『それ』の正体と、これから起きる事態が分かっていたのだ。
 『それ』は、力へと具象化する前の、巨大な魔力の塊、この世界を構成する一つだった。
「いかん、ダーシェンカ!」
 彼女達の一人、ヘリステラが慌てた様に傍らにいる同じ格好をした女に言った。
「分かっています!。カタルマリーナ!、サンズ!」
 女が言うと、同じように群衆の中に立っていた二つの人影が、刑場で何かを受け止めようとするように右手を上げる少女に跳躍し、そして懐から何かを取り出すと、それを彼女に目掛けて投げつけた。
 それは拘束紐と彼女達から呼ばれる縄だった。
 正確には物質ではなく幾重もの魔法を練り上げて作られたそれは、素早く彼女を包み込んで拘束し、呪詛に似た声で詠唱される彼女の呪文を止める。だが、空から滴り落ちようとする『それ』を止める事はできない。
「駄目か!?。妹達、力を貸してくれ!」
 ヘリステラは妹達から魔力を集め、それを力に練り上げて『それ』にぶつける。
 力の衝突の末、『それ』は僅かに消耗したが、地上への落下を止めようとはしなかった。
「駄目ですわ。やっぱり消えない」
 蒼い顔をして、天を見上げたままダーシェンカは言う。
 今や、『それ』は大気を震わせながら地へと接触しようとしていた。『それ』が地に触れ、力へと具現化した時、世界は掻き消されるのだ。
「いや、今『発動』しなければ良い!。サンズ、『扉』だ、ムランカとあれを『扉』で飛ばせ」
「はい、それで目的地はどこに?」
 サンズと呼ばれた黒衣の女がヘリステラに聞くと、ヘリステラは天上を見上げたまま言った。
「星見の塔の【虚空の間】、この前作った部屋だ!」
「あの部屋……ですか?」
 それの意味する所を知っているサンズは一瞬躊躇する。
「そうだ、他に方法はない。早く!」
 慌てたようにサンズが呪文を詠唱すると、ムランカの足元の空間に僅かな歪が発生し、それは目に見える歪みになって彼女と、そしてそれを飲み込んだ。
 やがて地面の震えが止まり、 空は何事も無かったようにその蒼さを取り戻す。
「間に合ったようですわね」
「そうだな……」
 群衆と処刑吏達が大地の震えが収まったことに気付き、恐る恐る顔を上げた時、そこにはあの『キュトスの姉妹』である少女の姿はなく、ただ処刑されたばかりのメクセトのバラバラになった身体だけがあった。
 しかし、処刑吏達がいくら探しても、その頭部だけは見つけることができなかった。

133メクセトと魔女 5章(1):2007/02/24(土) 15:55:14
--5
 かくしてメクセトという男についての伝承は終わりを告げる。
 全ての伝承には終わりがあり、歴史にも区切りという名の終わりがある。
 だが、伝承と歴史の違いは、そこに語られてこそいないものの、時代と時代を繋ぐ事実という名の物語が確実に存在するということである。
 その事実を、歴史はいつの日にか語られることを待つかのように紡ぎ続ける。
 伝承を作り上げるのは、いつの世も人。
 だから、これも、歴史に紡がれた一つの語られざる物語である。
 
 
 『星見の塔』という名に相応しく、そのドーム状の天上部分の真上には、満天の星空が広がっていた。
 その星空にたゆたっているような錯覚に身を任せながら、「それで、ムランカはどうしている?」とヘリステラは傍らに立つダーシェンカに聞いた。
「【虚空の間】に幽閉中です。元に戻るにはしばらく時間がかかるとの見通しです」
「しばらく……か?」
 「はい」とダーシェンカはヘリステラの言葉に答えて言う。
「一週間なのか、一月なのか、それとも一年か……何にせよ、いかにその場にいるだけで魔力を急激に消耗する部屋とは言え、あれだけの魔力を無にするには時間がかかります」
「いくら我々が『キュトスの魔女』とは言え、大丈夫なのか?」
 「多少の後遺症は残るかもしれません」と落ち着いた口調でダーシェンカは言う。
「しかし、あの子が召喚しようとしたものを考えますと……」
「世界を具現化している『力』の一部か」ヘリステラは溜息を吐く。「具現化できるということは破壊できるということ。大事に至らなくてなによりだったよ」
 もしそうなっていればこの星空も、その星空を見る彼女達自身も今頃は既に掻き消されていたことだろう。
 世界は根源の無たる白に還っていたはずなのだ。
「しかし皮肉だな。あれはメクセトがこの星見の塔に攻めて来た時の奥の手だったのだが、よもや自分の妹に使う羽目になろうとはな……」
「えぇ、皮肉な結果です」
 そうして二人は、しばらく星空を見上げ続けた。
「やはり、我々『守護の九姉』の一人が行くべきだったのかね」
 暫くの沈黙の後に、不意にヘリステラが口を開いた。
「そうすれば、勝てない相手と分かれば少なくとも引くという考え方ができたはずだ。しかし、『キュトスの姉妹』として見出されたばかりの彼女にはそれができなかった。いや、そうすることは自分にとって取り返しのつかない何かを失うことだと彼女は勘違いしたのだろうね。『キュトスの姉妹』とは言え、我々は所詮魔女にしか過ぎない。だが、ムランカにとってはそれ以上の意味があったのだろうね」
 そう言ってヘリステラは、ムランカに初めて会った日のことを思い出す。
 土風吹きすさぶ貧しい辺境開拓地、そこで荒野を耕す農奴達。その中の一人、とりわけまだ幼い少女の前に近づくと、手を差し伸べながら彼女は言ったのだ。
「やぁ、我が愛しい妹よ。私は君を迎えに来た」
 その時の彼女が何を思ったのかは知らない。だが、確かなことは、少女は他の農奴達とは違い、目の前に現れた『キュトスの姉妹』に恐れおののくことなく、笑顔すらその顔に浮かべてその手を掴んだのだった。
 それが二人の出会いだった。
「そのムランカについてなのですが……」ヘリステラは表情を曇らせながら、重々しい口調で躊躇いがちに言った。「お姉さま、我々はムランカの『削除』を要請します」

134メクセトと魔女 5章(2):2007/02/24(土) 17:27:49
 「『削除』とは穏やかじゃないね」ヘリステラはダーシェンカの言葉に眉を顰めて言った。「まがりなりにも大切な妹だぞ」
「削除が適わないのでしたら、肉体と意識を消去することを要請します」
「……理由を聞こうじゃないか」
 ヘリステラは傍らにある彼女専用の椅子に腰を下ろしながら聞いた。
「彼女は危険だからです。今やただの『キュトスの姉妹』ではありません。世界をいつでも滅ぼせる力を手にしたのです。今回は事なきを得ました。しかし次回同じこと、いえ別の方法で似たような事態があった場合にそれを阻止できるとは限りません」
 確かに彼女の言うとおりで、メクセトよりムランカが引き出した魔法は他にも世界を滅ぼせる力をもつものがあるかもしれないのだ。彼女達には、この3年間、ムランカがメクセトから何を教わったのかについて知る術はなかったのだから。
「君の言うことは分かる。しかしだね……」
「お姉さま、何を躊躇うことがあるのです。もともとムランカ……いえ、今はそう呼ばれているキュトスの欠片にはもともと意思などは存在しないのですよ」
 ダーシェンカは言った。
 彼女の言うとおり、ムランカは元々肉体や意思を持った『キュトスの姉妹』ではない。
「彼女は精神体です。今までは人間以外の生物に潜り込んで、その本能の赴くままに生物の記憶をその精神内に取り込んでいました。しかし、今から10と余年前に人間、ムランカという少女に潜り込み、何の気まぐれを起こしたのか、その意識を自らの主意識としたのです。おかげで我々は存在は知ってこそいましたが接触したことの無い妹と接触して姉妹に取り入れることに成功しました。意識なんて彼女にとって後付の要素にしか過ぎないんです」
 不意に、冷たい夜風が吹いて二人の頬を撫でた。
 ヘリステラは椅子に腰掛けたまま、暫くダーシェンカの顔を見ていたが、やがて「君の言いたいことは分かった」といつものように冷静な口調で口を開いた。
「だが、彼女は『削除』しない。その肉体も意識も『削除』しない」
「どうして……」
 驚き、絶句するダーシェンカに、ヘリステラは「使えない『力』は脅威ではないからだ」と答えた。
「おそらく彼女は二度とあの『力』を使うまい。彼女の中の記憶が、あの男の記憶がそれをさせまい。あれは『女』になってしまったのだから」
 「皮肉なことだ……」とヘリステラは呟き、腰を下ろしていた椅子から立ち上がって再びその視線を星空に戻した。
 彼女の考えが正しければ、メクセトという神を滅ぼそうとした男が……永遠に叛徒として、絶対の『悪』として語り継がれる男が、永遠に、少なくとも彼女達が一に戻るか、消え去るかするまでこの世界を守り続けるのだ。
 ……人間という種が幾億の世代を経て一人産まれるか産まれないかの存在か
 それはどれだけの奇跡なのだろう、と彼女はふと思いをめぐらせる。
 彼女達の頭上で、輝く悠久に輝く星々は地の営みなど大したことではないとばかりに彼女達を照らしていた。

135メクセトと魔女 5章(3):2007/02/26(月) 00:18:22
 何もかもが溶けてしまいそうな漆黒の闇の中で、石畳の上に彼女は横たわっていた。
 この部屋で意識を取り戻して長い、長い時間が経っていた。
 特に拘束されていたというわけではないが、虚脱感のあまりに彼女は身動きひとつできないままだった。
「もう、全ては過去のことなのね」
 力なく彼女は呟く。
 これが夢であれば、と思う。
 目を覚ませばメクセトが隣にいて、いつものように寝顔を覗き込んでいて、それに対していつもの強がりを良いながらその腕の温もりを感じることがでいればどれだけ幸せなことだろう?
 だが、もう彼はいない。
 彼女の記憶に、まるで夏の日差しのように鮮烈な思い出を残して去ってしまったのだ。
 目を閉じて耳を澄ませば、今でも彼女の心の中にはあの高笑いが響いている。
「……世界は貴方に手の平を返したのに……」
 彼の最期の言葉が、彼女の記憶の中で蘇る。
 ……最高だ、お前ら!……余はお前らを愛しているぞ!
 あの言葉はきっと本心からの言葉だったのだろう。
 彼はこの世の全てを、例えそれが綺麗なものでも、そうでないものでも、全てを受け入れてそう言ったのだ。
 彼女が破壊しようとしたものですら受け入れたのだ。
 分かった上で全てを愛したのだ。
「ずるいわ……貴方」
 彼女は、じっと両手を見つめた。
 メクセトはもういないのに、その手を握ったその感触だけはその手に残っていた。
「世界を滅ぼせても……滅ぼすことができないじゃない」
 彼女の両の頬を涙が伝って石畳に落ちた。
「あなたが、世界で一番嫌い……」
 自分の体を抱きしめながら、嗚咽混じりの声で彼女は言う。
「でも……世界で一番貴方のことが……」
 全てを無くしたメクセトには、その次の言葉を聞くことはもうできない。

136メクセトと魔女 終章:2007/02/27(火) 02:24:51
 かつてその土地は無人の土地だった。
 火山性の列島という地理的な条件もあり、その土地には草木すら生えななかった。
 しかし、千年の時の流れはこの土地を緑豊かな土地に変え、いつしかそこに人が住むようになっていた。
 住人達はその土地を、泡良と呼ぶ。
 そして、その泡良の獣すら拒む険しい山奥の一角に女の姿はあった。
「あぁ、すっかりこの辺りも変わっちまったねぇ」
 青い月下の中で、美しい女が一人空を見上げながら言った。
 彼女が初めてこの土地を訪れたとき、そこは一面の荒野だった。
 誰も知らない静かな場所で彼を眠らせたいと考えて、彼女が世界中を旅して探し出した場所がそこだったのだ。
 しかし、今はそこは一面の野生の花畑に変わっていた。
「でも、あんたの墓にはこういうのがふさわしいかねぇ」
 そう言って、その金髪の女は、優しい目をして地面を見下ろした。
 長い年月の間に、墓石代わりにした岩も無くなってしまったが、彼女には分かっていた。彼女の見つめるその先の地面の下には、彼が今も尚眠り続けるのだ。
「この場所も変わっちまったけど、世間もみんな変わっちまったよ。あんたのことなんて誰も覚えていない。そして、あたしも変わったろう?すぐにあたしが誰だか分かったかい?」
 そう言って、女はクルッとその地面の前で、軽くステップを踏みながら、舞うようにして回ってみせる。
「まぁ代替わりしたんじゃ、分からないだろうけどね」
 代替わりというのは魔女のその肉体が朽ちる時に、別の肉体に移り変わることだ。
 千年の月日の中で、彼女は様々な肉体に移り変わっていたが、その肉体は必ず美しい女性だった。
「あんた美女が好きだったからねぇ。やっぱり毎年墓を訪れてくれるのは美女の方が良いだろう?」
 まるで彼女の言葉に応えるかのように、少し強い風が吹き、春の香りに乗せて花びらがそれに舞った。
 ……あぁ、懐かしい
 彼女は思った。
 それはもう遠い昔の話で、男と過ごした期間は短いものだったが、こんな風に花びら舞い散る春風を、男の腕に抱かれながら見たことをまるで昨日のことのように彼女は覚えていた。そして、それはきっとこれからも彼女の中で色褪せることなく残り続けるだろう。
「やっぱり世界は美しいねぇ。そうじゃないものもあるけど、だからこそ世界は美しいよ」
 今の彼女は知っている。だからこそ全てを受け止め、愛することができるのだ。
 それがこの千年で彼女が世界を見て学んだことだ。
「……やっぱり、あんたのことが世界で一番大嫌いだよ」
 やさしい口調で、口元に軽い笑みを浮かべながら彼女は言う。
 天上で静かに月が翳った。
 その夜陰に紛れるようにして彼女は続けた。
「そして、あんたの事を、今でも世界で一番愛してるよ」
 月が雲の中から姿を現すまでにはまだ僅かの間だけ時間があった。
 だから彼女はその間、思い出の中で少女時代に戻っていた。
 あの高笑いも、彼女を抱きしめる逞しい腕の温もりも、それらは確かにそこにはあった。
「……これまでも、これからもずっと……あんたが世界で一番好き」
 それはもうどこにも届かない言葉のはずだった。
 けれども再び姿を現した月の、全てを冷たい銀色で照らし出す光の中、彼女は確かにあの高笑いを聞いたのだ。
「馬鹿だねぇ、あんた。本当に馬鹿だよ……」
 そう言った彼女、ムランカの頬を一筋の涙が伝っていた。
 
 
 全ては誰も知らない、月と天の星々だけが知る物語。(完)

137言理の妖精語りて曰く、:2007/02/27(火) 07:53:36
実はこの話は
宵が過去のこと(メクセトと魔女時代)を聞いてくる。
受け流そうとしたところ長姉様登場。
あわてる本人を尻目に過去話を色々暴露。
よって後に納豆束にされて酒場に放り込まれるのに繋がっていたんだ!

138言理の妖精語りて曰く、:2007/03/21(水) 22:55:49
うらみはらさでおくべきか

139竜と竜と白の巫女:2007/03/22(木) 17:26:29
1
それは日も昇りきらぬ早朝のこと。
社から本殿へと繋がる渡り廊下から外を見ると、白い霞みがゆっくりと消えていくのが見られる。
―――鋸山の山麓に位置する竜神の社では巫女衆に禊を課していない。
ケガレを清めるという考え方は東方大陸独自のものであるが、大海を隔てた本大陸にあるこの祖国にもその風習は伝わっている。
東方信仰―――浅見流の流れを組む竜神信教もまた「ケ」や「ハレ」といった概念を持ち合わせるが、精神性を重んじる傾向があり、禊や清め、払いなどが実践されることは少ない。
しかし、西洋的志向を強く残すこの社の中で真っ先に起き出し、本殿の東、礼水殿で禊を行う少女がいる。
少女に名前は無い。竜神信教が第一神、界竜ファーゾナーに仕えることを決定された時より、【界竜の巫女】としての生を与えられた少女から名前は消滅した。
黒色の簡易礼装に身を包んだ巫女は長い回廊を進む。真夏の朝、爽やかな風が吹き込み、少女の細い黒髪が肩のあたりでたなびく。
わき目も振らずに真っ直ぐに進む彼女が、ふと何かに気を取られたように横を向いた。
白い霞みがかかり遮られていた視界が開き、社の奥に広がる広大な荒野が眼に映る。
薄く砂塵を吹き上げる広漠な荒野の中央に、奇妙な痕跡がある。
荒野を真っ直ぐに横断する、巨大な溝。
途方も無く巨大な窪みは、まるで馬鹿でかい鉄球を転がしたようである。
視界の端から端へ、地平線の彼方へ何処までも続くこの溝は、大陸のほぼ全土に広がっているゼオート神話の神、球神ドルネスタンルフが通った跡だと云われている。
祖国は本大陸でも少数派である非ゼオーティア教圏の国家である。
竜神信教の教義はゼオートの教え―――引いては大神院の意向に敵対するものではないが、周辺諸国からの反発は避けられない。総本山たる【御社】の存続も危ぶまれているというのが現状だった。
少女はこの巨大な跡―――ラバルバーと呼ばれるそれを見る度に、複雑な気分に陥る。 彼女は竜神を信じ敬い、そして主神、界竜の巫女たる自分に向けられる信頼に応える為には努力を惜しまない。 強烈な責任感と巫女としての自負、そして信仰心が彼女の強靭な精神を構成する主要な要素だ。
しかし現実は暗い。 ゼオーティア教圏が主張する聖地や罪の教えの拡大解釈は留まる事を知らず、竜神信教に対する攻撃は勢いを増すばかりだ。
かの教義を支える根幹の一つであるこの【跡】を見るたび、彼女の心はささくれ立つのだ。 憎しみという【醜さ】を良しとしない彼女は溢れ出そうになる感情と、煮え立つような想いを押し隠そうと足掻くはめになる。
竜神の教えは、ゼオートの神々の教えを否定しない。 彼女が竜神を信じるならば、ゼオートの教えを憎んではならない。
頭で理解してはいても、感情は云う事を聞かない。 濁った泥のような感情が胸の奥に沈殿していく。
ふうと息を吐き、界竜の巫女は本殿に目を向けた。彼女が禊を行うのは、こういった自分の感情を自覚しているからだった。
―――この醜い思考を、水とともに洗い流す。
気持ちを鎮め心機を一転させるため、界竜の巫女は本殿を通り、礼水殿へと向かった。

140竜と竜と白の巫女:2007/03/22(木) 20:38:14
2
その噂が界竜の巫女の巫女の耳に入ったのは、【視伝の儀】の為の予備稽古を後輩の巫女につけている時であった。
竜神信教において「巫女」と呼称される人間は九人しかいない。
すなわち、教義に掲げられた九の創生竜に一人ずつ仕える一位から九位までの巫女である。
その中で一位に列せられる界竜の巫女はその日、竜神の社の一つである竜奉殿で四位の巫女―――威力竜の巫女に付きっ切りだった。
先日起きたある凶事により、不幸にも四位の巫女は竜神の下へ召された。そのため、遥か東亜の大陸より選抜されてきた数多くの巫女候補生の中から新たな四位の巫女が選ばれる事になったのだ。
九頭竜の巫女着任の儀式はこれもまた故あって難航し、界竜の巫女の頭を痛くさせたのだが、なんとか一人の少女が巫女として着任し事態は収まった。
だが、界竜の巫女にとって本当に頭が痛いのはその後だった。 新たに着任した巫女は候補生、つまりは見習として教義や竜学、礼儀作法から他宗教の神話の概容、この【祖国】の言語など様々な事柄を修めていたが、儀式や託宣など様々な「お役目」の仔細は巫女たちが口伝で伝えなくてはならない。
更には、【竜の予言】を巫女の名において伝える【視伝の儀】は夏至に行われる。今は夏も盛り、儀式は間近であった。
そこで巫女長たる界竜の巫女が直々に威力竜の巫女に儀式の手順を教えているのである。
そこで界竜の巫女はまたしても骨を折る事になった。
鋸山脈(別名ヴーアミタドレス山脈)の中腹には大竜院―――九位の竜の祭壇があり、そこから山麓に連なるようにしてそれぞれの竜の社が存在する。
九つの竜の社。 山から這い出す竜のようにも見えるその神宮群こそが竜神信教総本山【九頭竜院】である。
現在界竜の巫女が寝起きし、務めを果たしているのは一位の竜の祭壇を擁する【竜奉院】である。この社は全ての社の中で最も大きく、また一般の信者に公開されているのもこの場所である。
その中央には儀式・儀礼が行われる【開伝の間】がその威容を見せ付けている。石造りの床には九の創生竜の絵が刻まれ、九人の巫女は大勢の信者の前で舞い、詠い、託宣を告げる。
今回の【視伝の儀】もまたこの【開伝の間】で行われるわけだが、この儀式は九人の巫女全員で行われる。 竜導師が聖円を回し、巫女が舞い、祝詞を上げ、託宣を下すという定型のパターンなのだが、その時の舞いの手順がややこしい上に引っ切り無しに巫女同士で立ち位置を変えるので、本来ならば全員で行うべき稽古なのである。
だが折悪く他の巫女は遠方に出払っており、戻るのは儀式の数日前だという。
それではとても間に合わないと、界竜の巫女は身振り手振りを交えながら威力竜の巫女に舞いを教えるのだった。

141竜と竜と白の巫女:2007/03/23(金) 00:11:35
2・2
「一位様、聞きましたか」
「・・・・・・何をです」
身が入っていないと活を入れようかと思うくらい浮ついた威力竜の巫女を、界竜の巫女はじとりと見据えた。
大の男が逃げ出すその眼光を、しかし威力竜の巫女は軽く受け流す。何を考えているのか分からない微笑みは薄く、何かの皮を顔に張り付けてでもいるようだ、と界竜の巫女は思う。
「土竜の噂です。噂」
「土竜?」
はてな、と界竜の巫女はいぶかしんだ。【土】という概念と関連付けされる竜は多くいるが、その多くは寒冷な大陸東部にはいない筈である。
今は夏とはいえ、棲家を変えることは竜にとって生命を移す事だ。この近辺で土竜が現れるはずが無い。
そんなこと、竜神の巫女ならば理解している筈だが―――
「ああ、違うんです。これが、土竜神とかいうのらしくて―――」
「土竜神(ラバルバー)?」
異教の神の名が出てきたことに界竜の巫女は戸惑い、そして眉を顰めた。
土竜神、というのはゼオーティア教圏では有名な神格で、かの球神の眷属ラバルバーが西の無鱗王の剥落した鱗の魔力によって竜となった存在である。
つまりは、ゼオートの神話における竜神信仰であり、かの竜神を信奉する者たちにとっては竜神信教は歓迎すべき隣人となる。
こちらにとってもそれは望ましい事であり、こちらが相手側に好意的な接触を行う時、ラバルバーは必ずといっていいほどよく引き合いに出される。
「その、ラバルバーが、何か?」
「あ、はい。 えっとですね。 九位様が、見たそうです」
「何をですか」
「ええですから土竜神を」
「は?」
「ですから、土竜神、を」
界竜の巫女は眉根を寄せて人差し指で眉間を押さえた。
「また、あの娘は―――」
「いや、九位様は第一発見者で!」
え? と界竜の巫女が疑問を提示する前に、威力竜の巫女は噂の内容を簡潔に説明した。
曰く。
荒野の【跡】が深夜になると起き上がる―――言葉にすると怪談じみているが、目撃した神官や衛兵が多数いるというのだからその信憑性は高い。
何故それほどの大事になっているのに自分の耳に入っていないのか。
考えて、すぐさま気付く。 
恐らく、導師の緘口令が布かれている。
あの男は若年ゆえに大神院に対する敵意は長老たちより強い。なまじ被害を直撃させられた世代であるため、教義そのものに反していようがゼオートの神話に連なるものは全て切り捨てようとしているきらいがある。
今回の件もそれだ。
あの竜導師長はゼオートの教義を認めたがらない。あちら側の神が現れた、などと、例えそれが竜であっても許しがたいことには違いないのだろう。
なるほど、と納得する。
「どうもこの噂、拗れそうですね」
「?」
わかっているのかいないのか、読めない表情で威力竜の巫女は小首を傾げた。

142言理の妖精語りて曰く、:2007/03/24(土) 16:10:48
2・3
その後も中々演舞に身の入らない威力竜の巫女の指導を続けたが、
最早日も暮れ、今日の稽古もここまでと、一方的に打ち切った一位は人気の無い廊下にいた。
いつも通り静かな足音にも僅かな苛立ちが込められている。
その原因は、威力竜の巫女の稽古中に聞いた「深夜に目撃される土竜神(ラバルバー)」の噂である。
他の巫女はゼオートの教義云々に対しては(比較的)受け入れているが、全ての巫女を統べる界竜の巫女は違う。
周囲をゼオーティア教圏に囲まれた祖国―――正確には竜神教に対する反発や迫害は日に日に大きくなっているのだ。それ故に、紀元神群(ゼオート)の噂や話題には敏感になってしまい、焦燥、憎悪、嫉妬、憤怒、嫌悪感とも呼び難い暗い情動が胸を走る。
誰もいないのが幸いなことだが、「私は今怒っている」という空気を垂れ流しながら黙々と歩みを続ける。
そう、こんな処には誰も居ない

            そして影は嘲笑った―――
「―――――――?」

ふと、視界の隅に人影が映り、振り返るが―――やはり誰も居ない。
この世の全てが死滅し、この廊下だけが世界の全てなのでは、と錯覚させる様な清浄/正常な空気。視線の先には一点の穢れも無い白く、白い漆喰の壁のみが存在を主張する。
いつも通り、何の異常も無い。だが、何故か、言い知れぬ不安が、界竜の巫女の心を揺るがすのだった。

143竜と竜と白の巫女:2007/03/24(土) 22:09:14
2・4
草木が眠り黒猫も目覚めて遠吠えを上げる、ニ錘半月・新月幽半の晩。
雲ひとつ無い夜空を支配するのは紅く煌く星の群。
社の者が皆寝静まった頃、界竜の巫女は一人本殿と【面の社】を繋ぐ渡り廊下を訪れていた。
一つの月光と半分の霊光が大地を照らし、浮かび上がるのは淡く輝く「通り道」。 幽月の光は霊質そのものを照らし上げ、球神の通り道が確かにそれなりの霊地であることを証明している。
深く刻まれた溝からは青白い光が発せられており、見ようによっては巨大な竜が横たわっているようにも見える。
なるほど、と納得して界竜の巫女は唇を噛んだ。 幽玄の虚影をこの目で見たのは初めてだが、確かにこれならばあのような噂が立ってもおかしくは無い。
しかし、噂はこの現象から一歩踏み込んだ内容である。この青白い光の帯が起き上がらなくては、噂が嘘か真かは確かめられない。
界竜の巫女はまるでそうすれば光の帯が怯えて起き上がるのだというように鋭い眼光で睨みつけた。
一分、二分と時が経ち、さすがに眠気を隠せなくなってくると、逆に界竜の巫女の心はいよいよもって集中力を増していく。
元来のものかその重責ゆえか、彼女は逆境でこそ意欲を増す性向をしている。眠気というのは精神を鈍磨させるものであるが、それを自覚する事によって逆に精神を鋭敏に研ぎ澄ませて行く彼女は、やはり紛れも無い一位の巫女である。
喉の奥からこみ上げるものがあり、小さな口を限界まで開く。あくびを手で隠しもしないのは彼女にとっては常に無い事だが、人目も無い今は些細な事だ。
「お前さん、のどちんこでかいなあ。 胸は無いのに」
「っ!?」
目を見開き、あたりを見回す。 周囲に気配は無い。 しかしたった今、確かに界竜の巫女は男の声を聞いていた。
「何者ですっ!!?」
「おーおーそうカッカしなさんな。 私は別に怪しいものじゃあないよ」
声はすれども姿は見えない。 魔術師の類かとも考えたが、魔術師封じの結界を破って侵入してきたとすればそれは相当の大魔術師に当たる。 まさか、と最悪の展開を危惧し、界竜の巫女は拳を固めて――――

「まあ、落ち着け巫女さんよ。  まずは一杯、酒でもどうだい」
と。 界竜の巫女はその異変に気付いた。
眼前、月明かりに照らされた大地の溝。 その中からゆっくりと身を起こしているのは、紛れも無く・・・・・・

「土竜神?!」
伝承に語られる、大地の竜神であった。

144言理の妖精語りて曰く、:2007/03/24(土) 22:12:59
土竜神が随分人間臭いね、いや、いい意味で

145言理の妖精語りて曰く、:2007/04/09(月) 23:38:44
もぐらだから泥臭いのが好きなのさ

146飛行する意識:2007/04/11(水) 12:23:36
彼女には身体がありませんでした。正確には身体はあるのですが、まったく動かず、見ることも聞くこともできなければ、皮膚の感覚すらありませんでした。けれども彼女はPTSを使って世界を認識していました。
PTS(PsycoTelepathySystem)とは人間の持つ遠感現象を機械的な支援で増強かつ制御したものでこの時代の通信機器の基礎技術でした。
彼女はPTSを介して周囲の通信機器を五感の代わりとしていました。彼女は長じるとPTSを先鋭的かつ違法に扱うようになって、他者の五感を盗むようになり、やがて、他者の身体制御系を乗っ取って自由にするようになりました。
こうして彼女のニックネームは『肉体泥棒』とか『悪魔憐歌』、もっと簡単に『アザゼル』となりました。
もっともそんな恐ろしげなニックネームをつけられたのは彼女が様々な犯罪行為に及んだからでした。彼女はPTS使いとして超一流でしたが、いかんせん、身体が動かないという弱点は克服できず、警察に捕まり、なぜか政府に回され、さらに軍需産業の企業に下されました。
軍需企業で彼女は来る未来の情報戦を研究するようになりました。といっても研究者半分モルモット半分の立場でした。ここで彼女の能力はさらに高まり、PTSネットワークにおいては彼女は妖精のように神出鬼没になりました。
彼女はとてもとても強くなりましたが、まだ不満がありました。自分の動かず感じない身体が不満でした。だから彼女は身体を捨てようと考えました。
彼女は身体の必要のない自分を作るため、必要な記憶と不要な記憶の選別を行い、自分の意識を構成する情報を最初の量にすると、PTSネットワークを移動する機能やインターセプト機能を付け加えると、最後に身体を自壊させて旅立ちました。
公式には彼女は死亡しましたが、いまでも彼女はネットワークを飛び回り、他者の身体を乗っ取りながら生きています。

147言理の妖精語りて曰く、:2007/04/11(水) 16:05:25
>>146
それなんてあやねですか?

148言理の妖精語りて曰く、:2007/04/11(水) 16:36:17
言理の妖精ではない、あれは、電子の妖精だ。

149地上太陽の由縁:2007/04/12(木) 18:30:37
地上太陽の由来

大地が球化して以来、太陽は大地の周りを何億何兆回も回っていました。そうでないと生物や神々が寒くて死んでしまうからでした。けれども最近になって太陽は回るのを止めたくなりました。というのは神々や生物は太陽の奉仕的な気持ちや弱いものに対する同情心を知らずに「太陽こそが生命の源ならば、太陽を制した者こそが神の第一位! 太陽を射落とせ!」などと叫んだり、ちょっと熱すぎたり、乾きすぎたりしたくらいで「みんなをいじめる太陽を懲らしめよう」とほざいて討伐の旅を始めるものが現れたからでした。
これら困った連中を最初の頃、太陽は無視していましたが、威力神の放った矢がかすめたぐらいの時、相手をするのが面倒になって、いくつかあった月のひとつを地上に落としました。このおかげで神々も生物も静かになりましたが、わりとすぐに息を吹き返しました。
月の落下のせいで神々や生物は前に増して太陽を制しようとしたので、太陽は思い上がりを正してやるべく、月をいくつも落としました。そのせいで月は今日のようにたったひとつになってしまいました。そのような景観に対する犠牲を払っても、神々や生物は知恵をつけていたので効果を発揮しませんでした。いくつ落下させても地上にたどり着く前に破壊されてしまいました。
そして神々や生物の強いものはいよいよ太陽のもとへと攻め上りました。だから太陽は諫めるのをもう諦めて殴り倒すことにしました。
太陽は周回するのを止めて落下すると、地上のなにもかもを焼き尽くし、その灰すら蒸発させると、地殻をずぶずぶ溶かして、大地の奥深くに沈みました。
こうして太陽は空から姿を消しましたが、太陽は地上を焼き尽くしたことに若干の後悔と同情を感じたので、昼夜の区別だけはつけてやることにしました。
明滅する世界、これこそが地上太陽の由来です。

<終>

150朔夜の宴:2007/04/12(木) 21:02:59
空を仰げば双満月が煌々と輝いている、今宵も私は彼の下へと赴いていた
周りには無粋な刺客達が各々の武器を手に私達を取り囲んでいる
そんな中でも彼はこの状況に気付いていないかの様に、ただ妖刀に目を奪われていた
私は、そんな彼を屠らんと次々に襲い掛かる刺客を愛剣で切り伏せ続けていく
不意に怖気の様なものを感じ振り返る、背後は無言で佇む彼の姿がある
だが、そんな彼の様子がいつもとは違った、その瞳がぬらりと狂気を帯び
視線は手元の大刀ではなく周囲で戦う我々の姿へと向かっている
その事実に愕然とした、私は取り乱しながらも空に目を向けた
そこには今まで確かに存在していた丸々と満ちた二つの月は既に無く
有るのは暗く陰りに犯されて、まるで闇に喰われてゆくかの様な新月の姿――
――朔の帳――
迂闊だった、双満月であるという事実に安心して、その存在を忘れていた
それは刺客の面々も同じであったようで狼狽えるのが手に取るように分かる
声を上げるのも忘れ、慌てた様にこの場を逃げ出そうとする彼ら
だが既に時は遅すぎた、先ほどまで辺りを照らしていた月明かりは既に無く
無音の静寂を撒き散らす闇の中、光る彼の瞳に晒され、どうして逃げられようか――
――かくして、惨劇と血の宴が幕を開く――
目の前に立つ者の頭部が弾けた、悲鳴を上げて背を向けた者の体が縦に裂ける
我武者羅に立ち向かう者達は振るわれた刀によって四肢を切断され
ただ震える事しか出来ない者は無造作に突き出された腕で臓腑を引き摺り出され絶命
罵声を上げ手元の武器を振り上げた者は、振り上げた両腕と共に首を落とされる
闇に包まれ一寸先も見渡せぬ中で、人々の絶叫と剣鬼の哄笑が聞こえる
慌しいまでの血塗れの葬送曲、だがそれも長くは続かず、遂には途絶える
既に周りには、彼と私の二人だけしか動くものは無く
彼は無言で私に近づいてくると、壊れた笑みを浮かべ私の頭上に凶刃を振りお――
――月の明かりが周りを照らし出した――
血の宴は終わり、狂う剣鬼は空に浮かぶ双満月を仰ぐ
先ほどまでの狂気は既に無く、虚ろな瞳はただ月光に煌き、掲げた妖刀だけを見つめている
私は震える体を抑えて彼の下へと向かう、例え側まで近づこうとも、その瞳に私の姿は写らない
無言のままの彼の手を取り近くの泉へと誘う、血に塗れた彼を自身の身体を使い清めてゆく
こびり付いた血と肉の欠片を濯ぎ落とし、はだけた彼の胸元にしな垂れかかる
月明かりの下、青白く浮かび上がる端正な彼の顔に手を添えて、その唇を奪う
口内を這う舌の感触すら今の彼は感じていないかの様、まるで身動ぎ一つしない姿に私は涙した
私は壊れてしまったのだろうか――
嘲いながら人を殺す彼の姿を、ただ愛おしいと感じる私は狂ってしまったのだろうか?
今、私の胸の中にいる、妖刀に魅入られた剣鬼と同じように? もしそうなのならば、私は――
――東の空が白み始める――
私は、いつもの様に彼の側を離れてゆく、日が昇り月が消えれば彼はまた元の鬼へと戻る
次の双満月の夜まで会うことはない、其れまでに出会ってしまえばそれ即ち死への直送便
彼に殺されるのならば本望ではあるが、その後、彼と会えなくなる事を考えると未だ死ぬ事は出来ない
さあ、この一月の間は何をして暇を潰そうか、その間の彼は一体何を?
愛しき姿を夢想する、きっと彼は相も変わらず人を殺め続けるのだろう、そう思い当たり笑みを浮かべる
こんな私は、きっと壊れているのだろう――
だが其れも悪くは無いと思う、狂った自身の心に満足を浮かべ、私は宛て無く歩き出した。

151神々の出会い:2007/04/13(金) 18:04:03
大陸の南東には行けなかった。大きな砂漠があってとても生き物が生きたまま横断することなど無理だった。けれどもいつの時代も無謀な輩がいて挑戦し、死に、その死が好奇心をかきたて、さらに死ぬのだが、やがて砂漠を横断して見せるものも現れた。
最初に横断したものは帰ってくると人と会うのを止めてしまい、周囲の人がなにがあったのかと尋ねると、首をかしげていってみないとわかりはしないと答えた。
もうこのころだと砂漠を横断するのはかなり楽になってきて幾人も横断した。これらの人たちが砂漠の果てで知ったのはその先へ行けないということだ。砂漠を越えてすこし行くと自分がなんなのか判らなくなってしまうのだった。
砂漠の果てから戻ってきた人々は好奇心をひどくかき立てられて調査に乗り出したのだが、砂漠の果てにコロニーを作って観察を始めたものの、少しも埒が開かなかった。
しかし果ての先にいって帰ってくると、意識が茫洋としてたまらない代わりに、何かお土産を持って帰ることがあった。
このお土産はいろいろあったのだが、どうも人々には知られていない文化圏の製品らしかった。まあつまりよく判らないということだった。
しかし人々はいやでもお土産の正体を知らなくてはならない日がやってきた。
ある夜、砂漠に流星が落ちた。
翌朝、落下地点にいくと、そこには山のように巨大な船があった。
これこそが墓標船で、これこそが「紀元神群」と「南東からの脅威」の最初の接触でもあった。

152呪術師ナの物語(1):2007/04/13(金) 22:57:13
プラーミグ地方に『ナ』という男がいた。ナは部族の呪術師だったが、
部族の皆が持ち寄るのは強欲で自分本位な現世利益の願いばかり。
ナは山に登り師のもとで呪術の修行に励んでいた。それは厳しいものであったが、
今となっては清冽な山の空気が懐かしい。俗人どもの俗塵にまみれた毒気に
当てられ続けて悪酔いさせられるようではたまらない。
ナは富に飢えた人々に一際大きな恵みを与えると、山に昇る許可を得ようと族長の住居を訪れた。
「族長よ、私はまた山に登り、師のもとで呪術の研鑽に励みたいと思っております。」
「構わんぞ。だが、出発の前にわしに術をかけてもらおう。少し入り用があってな。」
ナがいつも部族の皆にかけているまじないをしようとすると、
「それではない。私が欲しいのは、世間に出回っている金や宝ではない。」と言って
古人が森の中に埋めたという宝について話して聞かせた。
その森は部族の集落の近くにあり、動植物に恵まれた広大な猟場となっている。
族長曰く、ナの術で宝の在り処がわかったら三日後の狩りの際に回収するという。
ナは身振り手振りを交えながら呪文を唱え始めた。「部族の守護者、命に満ちた天上より来た者、
地の精霊を統べる『燃える単眼』よ。万物を見通す神秘の瞳にて土に封じられし……」
呪文が半分に差し掛かったところでナは左手を上げて拳骨をつくり前に突き出した。
手をかざしながらその場でゆっくりと回り始め、3周ほどしたところで止まった。
その左手の先は森の一点を指しているようだった。ナは握り締めた左手を開き、
何かを手繰り寄せるように開いたり閉じたりを繰り返す。ナの額に脂汗が滲む。
しばらくして外から一匹の虻が部屋の中に入ってきた。虻はナに近づき、
左手に向かって引き寄せられるように飛んでいき、つかまった。
虻の入った拳はそのままに、ナは大きく深呼吸した。
「術は成功しました。狩の当日にはこの虻が宝への道案内をしてくれます。」
開いた左手には虻が大人しくじっとしている。族長が手を差し伸べると虻は
ナの手から族長の手に移った。族長はまるで自分の子供に向けるような
愛しげな眼差しを虻に注いでいた。
ナは一礼すると、族長の住居を後にした。

153呪術師ナの物語(2):2007/04/13(金) 22:59:03
ナが師と共に修行した山はそれほど遠くない。集落から歩いて一日の距離にある。
その威容はなかなかのもので、部族はこの山を自分達の誇りとしている。
よく謳われる「雲にも届くほど」という形容は正しくはないにせよ、一度でも
この山を見た者はなるほどと思うことだろう。夏ということもあり、
山の麓には青々と木々が生い茂り、山の中腹まで緑に色づいているが、
それから上となると途端に木はまばらとなる。頂上に近づくと草すら少なくなる。
師が庵を建てているのは頂上近く、以前に修行していた頃は食料を採集するため
毎日山を下ったり上ったりを繰り返した。おかげで足腰は鍛えられたが、
集落に戻ってから随分時間が経っている。昔のように一日で登ることは無理だろう。
一日かけて山の麓に着いたナは薪を集めて火をつけ、その傍らで外套にくるまって寝た。
森からやってくる蚊やその他もろもろの虫どもがまとわりついてくるので
すぐさま安眠とはいかなかった。
その夜、ナは夢を見た。

夢の中でも夜で、ナは石床の上で誰かにひれ伏しているようだった。
「我が戦士よ、ではあの兵隊どもはまだ力を保っているのだな?」
「そうです。奴らに補給があるわけでもなく、水や食べ物を
砂漠の真ん中で保存しておける限界は既に過ぎています。
簡単なテントや日除けすら作らずに、しかも戦争しながら生きていけるはずがないんです。
つい昨日、兵隊の死体を見たのですが、あの蟻の……あれは仮面や兜の
類ではありませんでした。後で解体した者の話を聞いたところによれば
やはり人ではない別の生き物、とのことです。」
それからしばらく沈黙が続いた。とはいっても遠くでざわめく声はする。
ここにいるのは二人だけではなさそうだった。

154赤石の獣:2007/05/03(木) 06:11:59
遅れてすみません><
ええっと、竜と竜と白の巫女はちゃんと続き書きます。待ってる人いるかわからないですが。
とりあえず、フォービットの魔獣の話です。

女は幽閉されている。
薄暗い地下牢の中、岩を削り取った狭い穴倉の中で女の足と鉄球は鎖で繋がれている。
女は骨と皮ばかりに痩せこけている。浅い眠りと気絶を繰り返す女の喉からは大気を僅かに揺らす呼気が漏れている。冷えた地下の空気は女の体温を確実に奪い、冷たい岩が座り込んだ女の足から感覚を奪って久しい。どこかから響くのは水の滴り落ちる音だ。それほど頻繁に聞こえるわけではないが、定期的に響いている。どこか高い天井から落ちているであろうその水音はこの場所が水源に近いであろう事を示していた。
女は隔離されている。
地下牢は狭い。人が二人入れるかどうかという空間に、大の大人がかがまねば潜れぬ入り口。木製の格子が嵌められたそこに抜け出す隙は無い。寒々しい地下には、他の人間の気配はおろか、虫一匹すら存在していなかった。およそ唯一と言っていい生命が牢中に隔離されている。地下にある熱源はたった一つ。だがその熱も徐々に消えつつある。女は死に瀕している。
女は放棄されている。
牢の外に看守はいない。外は死の世界である。格子の内と外で、生と死が隔てられている。死の世界から生の世界を覗くことはできない。手を差し伸べることもできない。外には誰もいない。
「ならば、生の世界から死の世界へ赴くことは可能ではないのか」
と、男が呟いた。
男は格子の隙間に挟まっている。男は死んでいるが生きている。生きていないわけではないが死んでいる。故に生と死の狭間ではなく、死に近い位置から女に話しかける。生の世界に、語りかける。
女は語りかけられている。
「外に出ることは叶わない。そうであるならば、外へ入ることにしてはいかがか。 君の今の状態ならば容易い事ではないだろうか」
女は答えない。答えることが叶わない。女は男の声を聴いていない。聞こえていない。女は死に瀕している。男は死にずり落ちていく。
「一緒に入らないか。 君ならば上へ下がることができる」
果たして女は男に答えて見せた。女はその瞬間、飢餓で絶命した。
女の肉体は力を失い、もたれていた壁からずり落ちて地に臥せる。女の死体は天井から伸びてきた鋼の腕に絡めとられて一滴の水になった。
巨大な一滴である。水が溢れ、男は死に流された。
地下牢の中に一瞬生が満ち溢れ、次いで死が満ちた。
外と内が繋がり、内である意味が消失した。格子が崩壊した。地下牢は牢としての役割を終え、ただの空洞になった。
世界には死が満ちている。

155赤石の獣:2007/05/03(木) 06:12:14

そして死が目覚めた。
死は少女の姿をしていた。
少女はまず悪魔と神を呼び、それぞれ配下とした。
死は悪魔を下に遣わし、神を右に遣わした。
役割を果たした死は死んだ。
死で満ちていた世界には何も無くなった。
神は光あれと言ったが、光は神を拒絶し、神は光を殺した。
そこに牢獄ができた。牢獄には神が繋がれ、光と殺しあっている。牢獄の中は正義と希望が閉じ込められた。外には悪魔がいる。悪徳と絶望が世界に満ちた。絶望は力となった。底に押し込める力である。
上から下へ向かう力を絶望と呼び、歓喜と愛で世界を満たすことを悪徳と言う。
悪魔は土塊の子らに悪徳を教え、絶望を与えた。
絶望を手に入れた土塊の子らの一部が、炎の子になった。炎によって燃え上がった軽い彼らは、上から土塊の子に力を押し付けた。
力は絶望である。
炎の子らは絶望を操った。
土塊の子らは絶望に恐怖した。そして炎の子らを崇めた。
ある日ひとりの少女が石の中に炎の子を閉じ込めた。それは失意と呼ばれた。失望という感情を操る少女は、絶望を操ることしか知らない炎の子を石の中で飼いならし、獣とした。
これを期に、様々な形で炎の子を石の中に閉じ込め、獣にするという試みが行われた。
土塊の子は獣を区別するために石に色を付けた。
百の石が作られ、百人が獣を従えた。
炎の子らは土塊の子の反逆に憤り、戦争が始まった。炎の子らは敗北した。
土塊の子らもまた多くが滅び、獣たちも滅んだ。
残った少数の土塊の子らは石と獣を誰かに見つからないように隠し、仲間たちの後を追って自害した。
後には、獣たちが封じられた石だけが残った。
右のほうでは、神と光の戦いに決着が着いていた。
左から闇がやってきたからだった。闇は神と光の双方を殺し、竜となった。
竜は猫を生み、猫は精霊を生んだ。精霊は星を生み出し、星は月を生んだ。月は星を殺し、精霊を殺し、猫を殺し、竜を殺し、最後に太陽に変化した。
太陽は闇に変化し、闇は竜に変化した。
そして円環が始まった。
竜から月へ、月から太陽へ、太陽は闇に、闇は竜に。
隠れていた石の中で最も大きい赤い石の獣が、見かねて太陽を食べてしまった。
獣は太陽の光と炎で包まれ、そのあまりの輝きに斜め右で寝こけていた悪魔は起きだした。
悪魔は獣をいたく気に入り、獣の中に溶け込んで魔獣となった。
獣の仲間がいくらか残っていることに気付いて、悪魔は自分の体をいくつかに分けて全ての獣に染み込ませた。こうして石の獣たちは全て魔獣になった。
世界には魔獣が隠れている。
始めに魔獣になった赤い石の魔獣は好色だった。
魔獣は過去へ走り、始めにいた生の女を娶った。
しかし種が違い過ぎたため、妻とすることはできなかった。
魔獣はそれでも諦め切れず、男に変身して女を口説き続けた。
しかし魔獣は力尽き、遂には死んでしまった。
しかしそれでも諦め切れず、死体のまま生の淵にしがみついて女を口説き続けた。
女は死にかけていたが、それでも魔獣は男の姿で地下牢の格子の隙間から女を口説いた。
魔獣の一念も空しく、死んだ女の流れによって魔獣は死に流され、未来に流れ着いた。
魔獣は女に似た女を捜し求めて、放浪した。
あるとき魔獣は地下牢の女と瓜二つの女を見つけて、即座に求婚した。
女と魔獣は結ばれた。
今では魔獣は女がしつらえた小さな小屋で、女とその夫と、その二人の娘たちを見守りながら幸せに暮らしている。

そして、復活した魔王十四歳が女とその夫をドアノブに変えてしまい、二人の娘たちのうち姉のほうが夢を追う男と共に家を出た時から、小さな少女と赤い石の魔獣の魔王を倒す旅が始まった。

156言理の妖精語りて曰く、:2007/05/03(木) 19:17:04
>>154
みんな待ってますから。激しく期待

157竜と竜と白の巫女:2007/05/06(日) 11:28:58
2・5
「つまり、あなたは土竜神などではない、と?」
「然り。 んな大層なもんじゃないよ」
言いつつ、長くのたうつ半透明の竜(というよりもその姿は大蛇に喩えるのが適当だろうか)は
界竜の巫女が渋々ながら用意した杯を傾けた。
手足の無い土竜はその扁平な頭部の脇から生えた長い髭を器用に動かして酒を杯に注ぎ、
お前も一杯どうだ、とばかりに巫女に突き出してくる。
いただきます、と杯を持ち上げる界竜の巫女。実のところ酒はあまり得意でないのだが、
しかし付き合い程度には嗜んでいる。仮にも神に対する礼として、杯を受ける巫女であった。
「竜脈っつってなあ。 まあ古い本物の神さんが創った、【大いなる力】ってやつの宿った道筋のことよ。
それに宿った精霊とか、意思とか、魔力とか、まあ、そんなようわからんものの塊がわしよ。
実のところ、自分でも自分の正体がなんなのか、はっきりせん」
「ならば、神でないという証明にはならないのでは」
「いや。違う」
巫女の懐疑に、しかし明確に否定を返す竜。こちらを覗く茶色の瞳が、どこかで見たような気がして、界竜の巫女は
ふと違和感に捕らえられた。
妙な感覚はだがすぐに雲散してしまう。とっかかりのつかめぬまま、思考は流れてしまう。
「何故っていやあ、わしは本物の神様を知っておるからの。
あの神様が広く古い神話のまあるい神様だったのか、それとも路と川の行く末を支配する北の神様だったのか、
わしにはわからん。
けどな。ずうっとむかし、わしの上をたーくさん通っておった力あるお方。
あの、わしの頭のてっぺんをぐるぐる引っ掻き回すような恐ろしさを持ったあの気配こそは、
間違いなく神様なんじゃよ。 わしにゃあわかる。
自分と明らかに違うものなら、誰だってそうだと区別が付くじゃろう。
劣ったものと優れたものがあって、両方が本物だと間違われていたら、
真偽の程なんて本人たちには即座にわかりそうなもんだろうがよぅ。
なあ、界竜の巫女よ。 お前さんにならわかるだろう?
なんせ、お前さんは竜神の巫女の中で唯一の【偽者】なんだからなぁ」
「っ!?」
なぜ、と口に出そうとして、界竜の巫女は思わず口を押さえた。
巫女が長年の間ずっとひた隠しにしてきた疑心。
それがふたたび頭をもたげたと思った矢先。
思わぬところから、その事実は突きつけられた。
「や、はり・・・・」
そうなのですか。
界竜の巫女は、静かに嘆息した。
「なんじゃ? お前さん、まさかわかっておらなんだか?」
「いいえ。・・・・・・・薄々とは」
暫し項垂れ、界竜の巫女はそっと面を上げる。その顔には、静かな諦めがあった。

158言理の妖精語りて曰く、:2007/05/12(土) 20:54:58
解体された子宮がある。

これを、キュトスと定義する。


はじめまして。
私はインサ・マリサ。九人目の騎士にして、言理の妖精から外れてしまった
一度きりの記述者だ。
私が語るのはたった一つのイメージだ。
記述し、語る。それだけを為し、そして消え行くのが私の定め。
記述を残し、イメージを作り上げる。
そのイメージを想起させる為、今現在私がここに存在しているのだと、
そう言っても過言ではない。
キュトス。
かの女神を語るためにのみ、私は記述を行うのだ。
私がこの界面にアクセスしているのは大陸から外れたとある辺境。
複数の川―とある大河の支流が入り乱れ、過剰に造船・貿易が発達した国家。
中州ごとの自治都市で構成された連合国家だ。
その内で、最も小規模な都市。
私は今、あるいは以前、そこにいる。
私は今からこの地で語られている伝承を語ろうと思う。恐らく、
世界に広く知れ渡った大地の女神、邪悪な女神の神話ではない、かの地でだけ
伝えられていた、とある女の物語。
そう。
私がいるこの水弦の都に於いて、キュトスとは神ではない。
とある一人の、女である。

159言理の妖精語りて曰く、:2007/05/12(土) 21:49:13
キュトスは潜り女(もぐりめ)だった。
大地に網のように張り巡らせた支縁の泰河。新神の血管と呼ばれたその中に剣を
携え潜り込み、血肉を裂くが如くに流れを割りて渦を作り出す。
その渦を壷の中に捕えて、都市のエネルギーにするのが潜り女の仕事だ。
潜り女たちは国の宝で、柱だ。
国民は皆、渦エネルギーによって生活を成り立たせているからだ。
渦が生み出すエネルギーはすさまじい。船を動かし、火を起こし、ポンプを汲み上げ、
螺子を巻き、大の男の数人分のパワーを捻出する。
渦エネルギーがなければ、明日の生活にも困る人間が、たくさんいるのだ。
だから人々は、潜り女を称える。
英傑だと、皆が言う。
キュトスは、最も優れた潜り女だった。誰からも愛され、敬われ、称えられていた。
素晴らしい、素晴らしい潜りの技術から、彼女は女神とまで言われた。
茶色の女神。濁った川の、美しい女神。
腐り、汚れ、悪臭漂う忌まわしき川に果敢に挑み、その命をすり減らしながら
民に奉仕する、だが短命であることが定められた哀れな女神。
潜り女。
悪意と怒りの新神の屍骸。死に満ちた河に潜り民に使われる使い捨ての奴隷。
それを欺瞞と偽善で塗り固め、心地よい罪悪感だけに浸るためだけの醜い崇拝。
キュトスは、全ての民を忌み嫌っていた。

160言理の妖精語りて曰く、:2007/05/12(土) 21:57:38
新神は英雄よって殺された。シャーフリートと呼ばれた英雄は自らの肉を引き裂き、
その地で新神の肉を汚した。
大地に呪いが振り撒かれた。
呪い。全ての人に死と絶望を。
呪い。
それは、英雄の皮を被った魔神が最後にもたらした狂気の遺物。
そして、彼を信じていた民は分断された大地に束縛され、
大地と溶け合った新神はその血管を川と為して大地に根付いてしまった。
民は呪われた。
無責任に英雄を煽った咎で。英雄で無いものを無理やり英雄に仕立て上げた、
その欺瞞の責任を取らされている。
その責任を回避するため、彼らは更なる欺瞞でその呪いを上から塗り潰した。
新たな英雄は、女たちだった。
使われる女たちだ。
男ではない。【雄】ではない。
道具である。
消耗する。それが雄の役目。
生み育む。それが雌の役目。
消耗する雌とは何か。
それは鋳型に捻じ込んだ、歪な道具。
人工の、剣。
生ませない。育てさせない。
女を否定された女。それが潜り女。

161言理の妖精語りて曰く、:2007/05/12(土) 22:10:31
キュトスは反逆した。
一人の少年を襲い、身ごもった。
少年の首はキュトスの剣の柄の飾りになった。

身ごもったまま、キュトスは民を殺した。
妊婦の鬼神。
恐れが撒布され、産婦は子供を生んだ。
世界が崩壊した。
欺瞞は崩れた。呪いが甦った。しかし、それすらも出産によって否定された。
新生した世界が、新神と魔神とを塗り潰し、キュトスは罪悪の象徴として
否定された。
しかし彼女は抵抗した。
道具として用いた赤子ごときに、否定されるわけにはいかなかった。
キュトスは赤子を道具として用いた。
そこに彼女の罪科があったが、それに涙するのは柄尻の生首だけだった。
父親は話せず、赤子もまた話せない。
だが両者の間には絆があった。
キュトスは、そこに勝機を見た。
計算通りであった。
キュトスは少年の首を潰し、赤子の父親を殺してみせた。
赤子に絶望が訪れた。
希望の象徴を絶望で打ち破った。
そのために少年の首を取っておいたのだ。
キュトスは全てに勝利した。
キュトスはそして、全ての呪いを打ち払った。
呪縛。
偶像の呪縛。
消耗品の呪縛。

そして女であると言う呪縛。
最後の呪縛を完全に否定するため、彼女は自らの腹を裂き、子宮を抜き出し、
千々に引き裂いた。
解体された子宮。
キュ・トス。
それがキュトスと言う名の字義であるというのは、けして偶然ではない。
なぜならば、キュトスと言う名は後から付けられたもの。
潜り女の本当の名前を知るものは誰もいない。
何故なら、道具に名前を付ける必要は無く、偶像に名前を付ける必要もまた無い。
ただ使い、ただ崇めればいいだけ。
キュトスは自分で自分の名前を付けて、嘗ての自分を否定した。
キュトスは解体された子宮を全身に針と糸で縫い付け、高らかに嗤った。
世界を。
大いなる、世界を。
人を。
偉大なる、人類を。
彼女は、女神だ。
運命を破壊する、女神だ。

新生した世界を否定した彼女は、異形の姿のまま自害し、世界の礎となった。
キュトスは世界、大地となった。
世界はキュトスの大いなる意思に包まれた。
そうして、この世界はこれほどまでに残酷で、過酷で、そして不条理に
満ちるようになったのだ。
この世界以外は、とても優しい。

162言理の妖精語りて曰く、:2007/05/12(土) 22:17:31
・・・・・・。

私の話は、これでおしまい。
インサ・マリサの役目はこれだけだ。
え?
結局神話じみてるって?

いいや。
これは神話じゃない。


だって、全部うそだからね。


嘘吐きインサ・マリサは、本当のことは言わないよ。

あれは私の創作だもの。
だって、言理の妖精はみんな嘘吐きでしょう?
私がうそをついたって、海面に真水を垂らすようなもの。
しかもその海はとっくに汚れてる。
あああああああああああああああああああああああああいみない。


インサ・マリサの一人騙り おしまい。

163インサ・マリサ:2007/05/12(土) 23:33:49
待て。


ちょっと


待て。



んだこれは
     、リン
       クして
         い
         る
         の
         か
         ?

164インサ・マリサ:2007/05/12(土) 23:34:39
何処から?

どうやって?


誰が何のためにいったいいつこの干渉を


え?

お前、ひょっとして

165永劫船のノエレッテ:2007/05/12(土) 23:35:53
出航します。


ボー。ボォー。



今の、汽笛ね。


完。

166言理の妖精語りて曰く、:2007/05/13(日) 13:30:56
大反響に応えて第二部執筆中!

嘘吐きノエレッテはいかにしてインサ・マリサを慰めたのか!
第二ノエレッテはいつ現れるのか!
マリサって略すとサラミの香りがするよね!
コルク抜きってかわいい!
ワインは青くってとってもまぶしい!

来月号巻頭カラー大増5ページ!堂々開幕!
グダグダにならないか心配だ!

167永劫船のノエレッテ:2007/05/13(日) 13:35:44
第二部  インサ・マリサと青い船。(赤色カラーなので青い表紙絵がちゃんと配色されない)



「俺たちの戦いはまだ始まったばかりだぜ!!」


完。

168言理の妖精語りて曰く、:2007/05/13(日) 13:38:34
1P扉タイトル
2・3P見開きで「俺たちの戦いはまだ始まったばかりだぜ!!」
4P「完!」一文字
5P「次号予告!第三部激烈強制執筆中!!期待せず待て!!!だが断る!!!!」

169言理の妖精語りて曰く、:2007/05/16(水) 23:08:02
彼は探偵だった。といっても現実の探偵ではなくてオンラインゲーム上の探偵だった。彼としては探偵という呼び名に少しだけ気恥ずかしさを覚えていた。というのはゲームにおける彼の特技は物や人を探すことであって探偵のような真似が得意なわけではないからだった。彼は自分を探索者と呼んでほしいと思っていたが、誰も彼をその名前で呼ぶことはなかった。
さてこの他称「探偵」の彼だが、依頼を受けた。ますます探偵っぽいので彼は苦笑しながら依頼内容をこなすことにした。ダンジョンの奥にあるアイテムを探す仕事だった。探すだけでいくばくかのゲーム上の通貨が与えられ、成功した場合はさらに与えられるのだった。
探偵の仕事には違いなかったが、小説の名探偵ではなくて、保険会社の小間使いをするような探偵だった。こんな彼を悪くいうものもいる。使いぱしりだと。しかし彼は気にしない。今の彼はゲーム会社の用意したイベントをこなすに飽き飽きしていて自分でイベントをつくっていて、これがそうだった。彼が非難を気にするのは彼の仕事を邪魔されたときだけだった。
彼はダンジョンに潜る。一日で最低一度は構造が変化するという自動生成タイプのダンジョンだった。浅い階層において少人数で行動するプレイヤーから一緒に行動しないかと誘われたが、彼は断った。チームプレイは嫌いではなくてむしろ好きな分類にはいるが、現在は依頼遂行のために探索しているので、誘ってくれた人々とは目的に相違があったからだ。楽しいプレイをと挨拶を交わして彼は潜る。彼を見送る人々は少々心配そうであった。
というのはやはり単独で潜行するのは大変な難事だからだった。またこのゲームは非常にデスペナルティがきつくて、操作しているキャラクターが死亡すると、即座にキャラクターデータが抹消されてしまう。彼は腕の良いプレイヤーであったが、ゲームはシステム上の難易度が高くて心配されるのは嬉しかった。
こうして彼はダンジョンに潜り、モンスターを倒したり、罠を迂回したり、発動した罠を無理矢理突破しながら前に進んだ。時折プレイヤーキラーといプレイヤーを獲物と見なして盗賊行為を楽しむ輩と対決して下したり、強力な敵と遭遇して立ち往生しているプレイヤーを助けつつ、念願のアイテムを手に入れた。
こうして来た道を彼は戻るのだが、その途中で人とあった。このプレイヤーは立ち往生していたので彼は助けてやった。すると潜行しないかと誘われたので彼は丁重に断ったが、プレイヤーはだだをこねた。子供だなと思いながら彼はさらに断るとその場をあとにしたとたん、アラームが二度なった。一つのアラームはさっき話したプレイヤーが彼のアイテムをごっそり盗み出したことを知らされるもので、もうひとつは今いる階層に無数の敵を出現させるものだっt。彼の所持アイテムから依頼の品物が無くなっていた。あのプレイヤーは逃げ出していた。
彼はおもしろくなってきたとおもい、追撃を始める。彼は敵プレイヤーの脱出ルートを見当する。下の階層にいくか、上の階層にいくしかあるまい。彼の現在位置から近いのは下の階層への階段だった。しかしそこには強力なモンスターが立ちふさがっている。ということは上の階層にいったはずだ。そう判断して彼は走る。
 目の前にふさがる敵を回避し、切り伏せ、飛び越えて前に進む。罠はどうやら嫌らしいもので強力な敵ばかりがふさがっていた。しかし彼の腕も相当なもので敵をばさばさと切り倒した。そのうちに階段が見えてきた。しかしそこには誰もいないと思っていると、後ろからモンスターが迫ってくる。しかもあのプレイヤーもいる。従えているというか追われているのは下の階層を塞いでいたモンスターだ。彼は思った。どうやら上の階層に逃げようとして失敗して下の階層に向かったらモンスターがいて逃げてきたというのだろうと。
彼はあのプレイヤーをくびり殺すと、追ってきたモンスターも一刀両断で倒して、地上へ戻った。
彼は報酬を手に入れたが、今回の仕事はへんな出来事が多くて大満足だった。

170言理の妖精語りて曰く、:2007/05/17(木) 23:11:13
 彼はプレイヤーキラーだった。NPCを殺して経験値やアイテムを得るのではなくてプレイヤーを殺して経験値やアイテムを手に入れていた。もっともプレイヤーキラーの中では変わり種で彼が求めたのはただ一つ、スリルだった。彼は対人戦闘はNPCとの戦闘では決して得られない快感があるとおもっていた。

171K市について:2007/05/18(金) 13:53:49
 今は昔、愛知県と三重県の境目にK市という町があった。小さな町だったが、文学史に記録されるような文豪と由縁があったり、大昔の戦争で英雄を輩出したこともあった。とはいえそれらが賞賛されることは少なく、日々の暮らしに充足していたためか、はたまた忘れてしまったのか、当地の住民も自ら誇りはしなかった。
 さてこの平凡を装ったK市だが、水害に悩まされる町でもあった。というのはK市西域にはN川という長大な河川があってまれに氾濫を起こすからで、そのうえ悪いことにK市のほぼ全域が海抜よりも低いからだった。
 このような土地であったのでKの住民は家に舟を用意して大水に備えていた。といってもこの舟は災害用だけではなくてむしろ移動用でもあった。というのは町中に水路が走っているからだった。
 この水路は河川とつながっていて、河川の上流から運ばれてくる木材を市内に搬入するのに使用されていた。搬入された資材は水路を利用して加工場に運ばれ、近隣の大都市のNに出荷された。
 Kの住民は大水に難儀していたが、これを生活の糧ともしていた。この一種の蜜月は今日では見られない。今でも海抜が低くて大水の危険はあったが、河川をせき止めるような大きな堰がもうけられて、今では氾濫することなど決してなかった。町に張り巡らされていた水路は路上列車や車の増加に伴って埋め立てられるようになり、いくつかは暗渠と化した。
 K市は水郷の町だったが、もはやその面影はなく、今ただひとつあるのは、夏の初めに行われる祭であったが、これの大水を鎮める意図を知るものはもはや老人しかいなく、この老人もまた数少なくなり、祭り自体も取りやめの動きが強くなっていた。

172猫とヘルン:2007/05/18(金) 14:30:48
 私は猫だ。ヘルンと呼ばれている片目の悪い人間の男と暮らしているが、次のような成り行きがあった。
 生まれてまもなく私は兄弟といっしょに捨てられた。空地に捨てられたダンボール箱でもがいていると、人間の子供がのぞき込んできて手を伸ばした。私の隣にいた猫が連れ去られた。戻ってくることはなかった。
 翌日になってまた人間の子供がやってきた。昨日と同じ子供だった。昨日と同じように私の兄弟を連れ去った。私はもう会うことはあるまいと残念におもったが、兄弟は戻ってきた。その片目を潰されて。私たちは空き地をあとにすることにした。
 すると件の子供が現れて私たちを一抱えにした。じたばたもがているとポリ袋の中に押し込められた。どうなるかとやきもきすると落下する感覚があってすぐに何かに激突したあと冷たいものが肺の奥に侵入してきた。ポリ袋詰めの状態で水に川に投げ込まれたらしかった。もうダメかとおもっているとポリ袋が持ち上げられ、ほっと息をつこうとした瞬間に、再び水面に落とされた。
 私と兄弟たちは大変に抗議をしたのだが、人間の子供に通用するはずもなく、私と兄弟は徐々に体力を奪われ、傷を負っていき、私も兄弟もだんだんと声を上げるための気力が失われてきた。すると不意にこの拷問が終わった。
 私と兄弟はそっとコンクリートの上に降ろされ、ポリ袋から救出された。そこには人間の大人の男がいた。大人の男は左目をすがめていた。そのそばで子供が鼻血を出して倒れていた。左目すがめの男は私と兄弟を抱き上げると子供をまたいだ。
 この左目すがめの男がヘルンという人物で私の同居人だ。ヘルンはあのあと私たちを医者に診せ、自宅で治療してくれた。ある程度回復するとヘルンは私と兄弟全員の世話を見てやれなかったらしく他の同居人を探してくれた。今日私と私の兄弟が生きていられるのはヘルンという男のおかげだった。
 さてこのヘルンという男は左目が悪い。視力がほとんどないようだった。この視力を補うためなのかヘルンは聴力が発達しているらしく、なんと我々猫族の足跡を聞きつけ、そのうえはっきり聞き分けることができるようだった。なかなか奇特な男だ。
 しかし真に奇特なのは耳ではなくて目だった。しかも左目のようだった。というのはある夜、

173竜と竜と白の巫女:2007/05/27(日) 02:15:35
2・6

それを奇妙と感じたのは何時が初めてだっただろう。
浅見の修練場でたった一人だけ個別の指導を受けることが決まった時だろうか。
あるいは、たった一人だけ、【竜覚】の演技指導を受けることが決まった時だろうか。
それとも、先代の界竜の巫女の持つ【武】が自分のそれと異なることに気付いた時が、決定的だったのだろうか。
竜神信教第一位の巫女、界竜の巫女の担う役割は、他の巫女たちとは趣を異とする。
第一位なる竜神、界竜ファーゾナーより【武】を賜り、全ての竜とその眷属らを守護することを宿命付けられた絶対の武力。
竜神信教の力を確かなものにしている、揺ぎ無い戦力。
それが、界竜の巫女という役割である。

竜神信教全てのものが頼みとし、絶対的な崇拝と尊敬を受ける、【武】。
しかし、と幼少時、まだただの少女であった界竜の巫女は思った。
その【武】とは果たして何なのか。
自分の持つ【鉄塊之武】は先代の巫女の【香炎之武】とはまるで違っていた。
専任教官には、界竜は当代の巫女によってお与えになる【武】を変えられるのだと教えてくれた。
個人の資質に合わせた力を授けるのだと。
しかし、それでも彼女の心には疑心が付きまとった。
彼女が持つ【武】は、彼女が竜神信教の者に誘われ、両親に浅見の社に送り出される前よりあったものだ。
そして、幾人かの巫女見習いたちが兆候を見せつつある中、未だ竜覚の前兆すら見えぬ彼女は決して抱いてはならぬ疑いを抱いてしまった。
界竜など、本当にいるのだろうか。
自分は、居もしないものと、無理やりに同調している振りを仕込まれているだけではないのか。
周囲の大人たちは何も言ってくれなかった。
疑心を表に出すなどとてもできなかった。
巫女就任の儀の日、同期の巫女たちが【竜覚】を果たしていく中、自分だけがそれをできず、
しかしあっけなく彼女は界竜の巫女に選ばれた。

その時、なんとはなしに理解したのだ。
界竜の巫女とは、すなわち【武】の所有者にあたえられる照合なのだ。
そして、おそらく【武】というのは。


「まあ、単なる異能、ということじゃの」
あっけらかんと土竜が結論を下すと、界竜の巫女は眉を顰めて言うのである。
「これは、神の不在証明にはなりえませんよね?」
「あたりまえじゃばかもの。 おぬし案外頭悪いの」
頭に青筋が浮く界竜の巫女である。

174竜と竜と白の巫女:2007/05/27(日) 03:05:35
2・6 追加

「感知できぬから居らぬ、力を授けてくれんから居らぬ、では世界は居ぬ神だらけじゃわい。
本来、神などなにもしてくれんものじゃよ」
「ですが、私は【竜覚】ができません」
「そりゃおぬしが未熟なだけじゃ」
ばきり、と凄い音を立てて割れた杯を見やりつつ、土竜は平然と続ける。
「というか、歴代の界竜の巫女全てが、じゃな」
「手に余る、というのですか。 大御主との同調は」
「平たく言うと、そうじゃ」

175光の魔獣戦ZV 1:2007/05/31(木) 00:25:27

その戦いは、少女の高らかな口上で幕を上げた。
「牙を剥け、赤かる顎(あぎと)、われらが怒りその身に宿し、
鍵たる剣持てわれらが土塊の出自を否定せよ!
われら、この身は水の御子、大海より出で暗闇に還る、深淵の申し子なりと知らしめよ!!」

栗色の髪をなびかせる少女は片腕を失っている。
眼前の敵はその腕と引き換えに少女に戦いの覚悟を与えたのである。
敵、否、もはや少女にとっての的はその口に少女の細腕を咥えながらも恐々としている。
少女の口に咥えられた真紅の宝石から放たれる威圧に恐れをなしている。
愚かなりと宝石が赤い輝きと共に笑うのだ。
的手は犬だ。
二足で立ち、三本の腕を両肩と臀部に持ち、鋭い牙と嗅覚を持つ、犬だ。
腕を、食い千切る。
骨が砕ける音と共に、少女の宝石が輝きを増した。
刹那の間、世界に光が満ちる。

次に訪れた静寂は一瞬で食い破られた。
広がる顎は犬の全身を数倍する。獰猛な牙の一噛みは犬の肉と骨を砕き散らし、
一撃の下に殺戮を遂行した。

牙の主は、獣だった。
犬よりも少女よりも、遥かに巨大な赤色の獅子。
獅子。王なる獣。
その中でも伝説と謳われし真紅の鬣を持つかの獣こそ、フォービットの魔獣。
赤の幻視。太陽喰らい。フェンリスの獅子。「symbol red」。
そして、真紅のフォービット。

少女は片腕のまま、得意げに笑う。
少女は魔獣使い。

魔王を倒さんとする、殺人嗜好者である。

176睡眠不足が鼻を盗む話:2007/05/31(木) 23:35:36
 夜を司る神は八百万体の眷属を持っていたのですが、どれにもこれにも眠ることを許しませんでした。というのは夜の神は眠りを守る仕事を持っていたので、眷属たちに幾億幾兆の生物の眠りを見張らせたからでした。
 たまらないのは夜の眷属たちで、幾億年幾兆年眠れず、いらいらして仕方がありませんでした。それで時々気晴らしにと人間たちに悪戯を仕掛けました。
 こうして人間たちは寝入りがたまに悪くなりました。胸に重いものが乗った感じがしたり、眠りに落ちる直前に催したりするようになりました。悪戯のやり方はこれだけではなく、いろいろあって、くしゃみが止まらないというものもありました。
 今は昔、あるところのある男が床に入ったらくしゃみが止まらず、夜中まで眠れませんでした。それでもなんとか眠って目を覚ますと鼻がありませんでした。男はびっくりしました。

177睡眠不足が鼻を盗む話:2007/05/31(木) 23:36:32
 これは夜の眷属の仕業で、悪戯をしたのに男が眠ってしまったので、腹を立てて鼻をもいでしまったのでした。
 男は自分の鼻を求めて旅に出ました。
 ちなみにこの男はいろいろあった末に鼻を取り戻しますが、その晩、腹痛になって休むのですが、眠ってしまったので、夜の眷属に今度はお腹を盗まれたそうです。

178フィライヒ<どらごんさん大好きv>:2007/06/06(水) 00:13:33
この、おしゃれん坊さんめ!

私の彼氏はとってもおしゃれさん。
でもヒッキーだから誰にもその姿は秘密なのっ♪
私は毎日彼の家に行って、彼の身の回りの世話をしてあげてる。
彼ったらかっこいいのにだらしなくって、私がいなきゃなーんにもできないんだから♪
彼は狭いアパートに一人暮らしで、お金持ちの親とは断絶状態だから好き放題やってるの。
お父様から世話を任された私がしっかり目を光らせておかないと、すぐに変なことに嵌りだすんだから。
最近だって、昆虫収集に没頭してるみたいで、もう体中にぶんぶんうるさい虫とか纏わせて、挙句の果てには
体の中にまで白くてちっちゃい虫を入れてるんだから。本当にもう臭くって。
でも知ってるの。これは彼なりのこだわりなんだって。私が着せ替えてあげてる服よりもすてきな彼自身のおしゃれ。
理解ある恋人のわたしは、彼が唯一自分の意思でするおしゃれを尊重してあげるのでした。まったく、幸せなやつめっv

179遺された紀憶(1) ◆hsy.5SELx2:2007/06/06(水) 07:39:20
時:a84nf-jk4l-9f3d

 とりあえず、ぼくは欠陥品だったらしい。最初にそれを知ったときにはううむ、そうか、なんて、柄にもなく唸ってしまった。欠陥品なりに精一杯働いていたつもりだったんだけどね。ある日突然、壊れちゃった。湖のほとりまでトントロポロロンズを取りにいって、それっきり。あまりに遅いぼくの様子を見にきた父さんはため息をついて言った。
「もう、帰ってくるなよ」
 でも、こういったセリフにも、ぼくはそれほど傷ついたわけじゃない。本当にショックだったのは、ぼく自身、ぼくが壊れるなんて思っていなかったことだ。大体、湖に行くなんて日課みたいなものだし、それまではごく普通に動いていたのに。まったく、困ったものだ。
 取り残されたぼくはずっと、湖のほとりでうずくまっていた。最初の星が空に光り、月が登り闇が立ちこめても、どうしても動くことができなかった。とはいうものの、身体はどこも正常だった。異常はどこにも見当たらなかった。だから、たぶん悪いのは心だったんだと思う。よくわからない。でも、ぼくは壊れてしまったんだ。
 夜の湖面はいつもとはまるで違っていた。女の子の瞳みたいにふうわりとした黒のうえで、星や月がきらきらと輝いていた。綺麗だった。
 何も考えられないままにただじっと見詰めていたら、不思議なことがおこった。そういうあれこれが段々とぼやけて滲んでいったんだ。ぼくはよくわからないままにただじっとうずくまっていたんだけど、やがてふっと奇妙な考えが浮かんで、思わずほんの少し、笑ってしまった。

 おかしいな。
 涙を流す機能なんて、ついていないはずなのに。

 それが最初の日のこと。以来ぼくはずっと、うずくまったままで、ここにいる。

180遺された紀憶(2) ◆hsy.5SELx2:2007/06/06(水) 07:44:47
時:a84vx-jhr5-jh8d

 それからどれくらいの月日が流れたのか、ぼくにはわからない。ぼくはただ、うずくまっていただけだから。
 まわりの地面に草が高く生い茂っては、また枯れていった。
 近くに狼がねぐらを作ったけれど、何世代か続いたあとで一匹もいなくなった。
 ぼくの身体からちっぽけな緑の芽が出た。それはやがてぼくの身体よりもずっと大きな樹になった。鳥たちが、季節ごとにたくさんの巣を作った。でもそれも、あるとき雷が落ちてぼろぼろになっちゃった。
 湖は一度枯れ果ててしまったものの、今では再び豊かに水を湛えている。以前とは形が変わってしまっているけれど。
 まったく、自然というのは凄いものだ。くるくる、くるくると、変化しつつもちゃんと生き続ける。ぼくみたいに、生まれて数年で壊れちゃった出来損ないとは大違いだ。とはいえこんなに長い年月ぼくの身体がちゃんと形を保っていることには素直に感心してしまう。きっとぼくの父さんはぼくが思っているよりもずっと凄い人だったんだろう。もし壊れなければ、ぼくもその偉大な発明品として歴史に名前を残せたのかもしれない。
 今となっては、むなしい空想だけれど。

181遺された紀憶(3) ◆hsy.5SELx2:2007/06/06(水) 07:48:51
時:a8r7j-j8j4-g9j0

 ぼくの最近の楽しみは、鳥たちが楽しそうに餌をついばむのを眺めながら紀憶回路の中身を整理することだ。驚いたことに、こんなにも壊れてしまったぼくの紀憶回路は今でもほとんど正常に動く。ただ、それに気付いたのが遅かった。始めのころ、ぼくは何もせずにただぼんやりうずくまっているだけだったから、そのせいで、壊れる以前の紀憶はほとんど失われてしまった。残っているのは断片的な風景とちりぢりの情報ばかり。父さんの顔も名前も、正確には思いだせない。ただ、「G」で始まる名前だった気はする。
 この文章も、せっかく使うことのできる紀能なんだから使っておこうと思い、数日前から紀憶装置に書き溜めている。日記と呼ばれるものに近いんだと思う。いつか、そのことすらもわからなくなる日がくるかもしれないから、未来の自分のために、記す。

182遺された紀憶(4)-1 ◆hsy.5SELx2:2007/06/06(水) 07:56:09
時:a843d-n34s-g49s

 今日はいつもとは違う日だった。
 太陽がてっぺんを少し過ぎたころ、ぼくはいつものように昔の紀憶の整理をしていた。遠くの空に赤い火が数週間灯りつづけたのと、あたりに一匹も動物が居なくなってしまったのはどっちが古い出来事だっけ、なんて考えているうちに、気付いたら眠っていた。気温を感じる紀能はもう失われていたけれど、なにせ、とても気持ちの良い日射しだったから。
 なにか夢を見たような気がするのだけれど、よくは覚えていない。とても、懐かしい出来事を見た気はする。ともあれ、こんなことはよくあることだ。問題は、次。
 夢から覚めると、顔のあたりに、柔らかいものを感じた。目を開けてみると、若い女性がぼくの顔をぺたぺたと触っていた。
 結構びっくりした。いや、こんな場所にずっといると驚くことなんてそうそうないし、そもそもわりと無感動な性質なので、ひょっとしたらぼくは滅茶苦茶に驚いていたのかもしれない。
 彼女はまだぼくが眠っていると思っているみたいだった。どうしてなのか、そのときはよくわからなかった。ただ、綺麗な人だなって思って、じっと見ていた。ぼくには本当に、その人が、綺麗に思えたから。
 さてどうしよう、と考えた。なにしろ、もう長いことうずくまっていたものだから、いろいろなことがさっぱりわからない。大体、生まれてから父さん以外の人間に会った紀憶がない。声が出せるかどうかすら危うい。
 でも、正直言って、ずっとずっとこの場所にうずくまっていて、寂しくなかったなんていうのは嘘だ。いつも、父さんが迎えに来てくれるんじゃないか、誰かがぼくを連れにきてくれるんじゃないか、なんて無駄で無意味な期待を持っていた。自分ではなにもしようとしなかったくせにね。だから、ぼくは、この人に行ってほしくなかった。少しでも長く、側に居てほしかった。だから、思いきって、言った。
「あの」
 ぎくりとしてその人は飛び退いた。ぼくは悲しくなった。ぼくのどこかがきいきいと軋みをあげた。ああ、もうだめだ。こんな壊れたぼくのこと、この人は気味悪がってすぐどこかへ行ってしまうに違いない、そう思った。でも違った。
その人は首を傾げて、言った。
「……わたしのこと、怖くないの?」
「怖いって、どうして?」
「だって、その……両目の、傷とか」
「傷?」

183遺された紀憶(4)-2 ◆hsy.5SELx2:2007/06/06(水) 07:56:50
 そう言われてみると確かに彼女の両目は閉じられたままで、ぱっくりと縦に裂けた大きな傷あとがあった。でもぼくはたぶん父さん以外に普通の人を見たことがないだろうし、その傷あとが怖いなんてこと、全然思わなかった。それよりも、彼女は目が見えないんだということに納得した。それでぼくが目を覚ましていても気付かなかったのか、と。
「ぼくにはよくわからない。他の人を見たことがないから」
「それにわたし、魔女だし。聞いたことくらいあるでしょう? キュトスの姉妹」
「なんとなくは。でも、それだけだよ」
 ぼくは彼女をじっと見て、言った。
「君は? ぼくのこと、怖くないの?」
 その人は悲しそうな顔で笑った。その表情を見て、ぼくは自分の心がこれ以上壊れることもあるのだと思った。
「わたしはもう、何も怖くないの。この世界の全部が、悲しいだけ」
「悲しい?」
「むしろ、寂しい、かな」
 ぼくはどうしていいかわからなくなってしまった。それでも何か言わなくちゃ、と思って考えた。ぼくのどこかがきいきいと軋んだ。
「えっと、ぼくはいつもここに居るから、だから」
 そのあとに言葉は続いてくれなかった。ぼくのばかばかばか、なんて頭のなかで何度も呟いていたのだけど、その人は優しく笑ってくれた。ぼくの紀能モニタは今まで見たこともない値を返した。彼女は真夏のさざ波みたいな声で言った。
「ありがとう」
 そうしてゆっくりと、危っかしい足取りで彼女は近づいてきた。ローブの端が草むらにこすれ、くすぐったそうな音を立てた。彼女はゆっくりとぼくのほうに手を差しのべ、これはぼく自身びっくりしたのだけど、ぼくの手は無意識の内に彼女の柔らかい手の平を掴んだ。自分が動いたなんて今でも信じられないけれど、そのときはそんなことを考えている余裕はなかった。彼女の顔がゆっくりとぼくのほうに近づいてきて、こつんと、額と額が触れあった。
「また明日、ね」
 ぼくはやっとのことで言葉を絞りだした。
「また、あした」
 彼女はそっとぼくから離れると、もうこちらを振り返ることなくあっという間に歩き去ってしまった。遠くに山が見える方角だった。もっともうずくまったままのぼくには、森の樹々に覆いかくされて天辺がほんの少し見えるだけなんだけど。
 それからずっと、彼女のことばかり考えている。眠ってしまったら全てが夢か幻になってしまいそうで怖い。もう空が明るくなりだしている。そろそろ、無理矢理にでも眠ろうと思う。紀憶回路まで壊れて、彼女の紀憶が失なわれてしまうことのほうがもっと怖いのだしね。

184遺された紀憶(5) ◆hsy.5SELx2:2007/06/06(水) 07:59:03
時:a843d-n35y-j49s

昨日遅くまで起きていたせいか、今日は寝坊した。
彼女は来なかった。真ん丸い月が天辺を越しても来なかった。西の空に沈んでもまだ来なかった。空が、昨日と同じくらい白みはじめても来なかった。
ぼくが寝ているあいだに来たのかもしれない。そう思いたい。
怖い想像がいくつも頭の中を駆けめぐっている。書くと本当のことになっちゃいそうだから、書かない。
消えてしまいたい、なんて思ったのは、本当に久しぶりだ。
もう、寝る。

185遺された紀憶(6)-1 ◆hsy.5SELx2:2007/06/07(木) 00:13:11
時:a843d-n36k-48fk

 自分でも、今の状況が信じられない。だってこの文章を紀憶しているのがそもそも……いや、順を追って書こう。
 辺りがすっかり明るくなるころ眠って、目を覚ましたときには彼女がいた。
 びっくりしすぎて目が回りそうだった。でも、それはとってもうれしいびっくりだった。彼女はやっぱりこのまえと同じでぼくの顔や身体をぺたぺたと触っているところだった。ぼくはうれしくて、思わず大声で言ってしまった。
「おはよう!」
 彼女はびっくりして飛び退いてしまった。ぼくは自分を呪った。目が見えない人はちょっとした音にも怯えるってことくらい、考えればすぐわかることなのに。ぼくのばかばかばか、と思っていたら、彼女がふうわり近づいてきた。
「ごめんなさい。起こしてしまった?」
 彼女は少なくとも見た目上ぼくの無作法をそれほど気にしていないみたいで、ちょっと安心した。
「そうだけど、もう太陽もてっぺんだし、起こしてもらえてよかった。ぼくのほうも、いきなり大声だして、ごめん」
 彼女は今日も、この前あったときと同じゆったりとしたローブを着ていた。中になにか入ってでもいるのか、所々ごつごつとした輪郭が飛び出していた。彼女はそっとぼくの顔に触れた。彼女の顔はまっすぐにぼくのほうを向いた。ぼくは困ってしまった。
「うまく言えないけど、なんか、変な感じだ」
「変?」
「身体のどこかが軋んでる気がする」
「嫌?」
「嫌じゃないよ。軋んでるのに、なんでか心地良いんだ」
「そう。よかった」
 彼女はにっこりと微笑んだ。ぼくは知るはずのない暖かさを知った気がした。
 彼女はぼくの隣に移動して、ぺたんと腰を下ろした。目が見えないのに、そんなふうにちゃんと正確な場所へと行けるのはすごいと思った。それを云うなら、白杖もなしにどうやってここまで歩いてこれたのだろう。不思議に思ってそのことを訊くと、「いつ死んでもいいと思っていれば、結構どうにかなるものよ」なんて答えが返ってきた。
「もっとも、死のうにもそう簡単には死ねない身体なんだけどね」
「あ……ぼくと同じだ」
「同じ?」
「ぼくも、いつ消えてもいいと思ってた。それで、ずっとここにうずくまってたけど、ぼくの身体はまだまだ頑丈みたい。内側は、まるきり欠陥品なんだけどね」
「そうなの? こうして話している分には、あなたは普通の男の子と全然変わらないけれど」
「でも、ぼくの身体、父さんみたいな普通の人間とは違ってとっても硬い。それに、最近は軋むことも多いんだ。やっぱり、欠陥品なんだよ」
「父さんって? あなたを……その、作った人なの?」
「たぶん。よく、覚えていないんだ」
「……亡くなったの?」
「さあ。捨てられてから、一度も会ってないし」
「捨てられた?」
「うん。ぼく、欠陥品だったから」
「そんな!」
 彼女は勢いよくぼくに掴みかかった。どうしてか、怒っているようだった。
「えっと……ぼく、なにか、悪いこと言ったのかな。ごめん」
「あ……いえ、あなたは何も悪くないものね。掴みかかったりして、こっちこそごめんなさい」
 彼女はゆっくりと身を引いた。しかし怒りはまだ冷めていないようで、忙しなく手を握ったり開いたりしていた。
「でもそんなのって、酷い! 親が子を捨てるなんて!」
「仕方ないよ。ぼくは壊れちゃったんだもの」
「壊れても、駄目。子が親を捨てるのはいいけれど、親が子を捨てるなんてあってはいけないの。それはもう、絶対のことよ。ああもう! あなたの父親に会って説教してやりたいくらいだわ」
「でも、説教しようにも名前がわからないよ。失なわれてしまった」
「そう? あなたみたいな素晴らしい子を作れる人なんて、限られてくると思うけれど」
「頭文字が『G』だったことしか、覚えていないんだ」
「『G』……」
 そう呟くと、彼女はごそごそとぼくの後ろにまわって、手で背中を撫でまわした。しばらくすると、彼女はもとの位置にもどって頷きながら言った。
「あの刻印、間違いないわ。あなたの父親はグレ……」
 言いかけて、ちょっと考えこんだ。
「あなたは、父親の名前、知りたい?」
 ぼくはちょっと考えるふりをした。でも、答えはもう決まっていた。長い年月のあいだ、何度も考えたことだ。風が凪ぐのを待ってから、ぼくははっきりとした声で否定した。
「いいや。今更知ったところで、どうにもならないよ。たぶん、悲しくなるだけだと思うから、それなら、知らないままでいたい」

186遺された紀憶(6)-2 ◆hsy.5SELx2:2007/06/07(木) 00:15:56
「そう」
 彼女はちょっと首を傾げた。何も言わず、何か考えているようだった。彼女は湖に石を投げた。立ちあがり、ローブを脱いだ。ローブはやっぱり内側に何か仕舞われているみたいで、地面に置かれていてもいくらか膨らんでいた。彼女の身体はローブを着たときとは全然違っていて、今にも折れてしまいそうなほど痩せ細ってみえた。彼女は音のしたほうへゆっくりと、危っかしい足取りで歩きはじめた。何をしようとしているのか、ぼくには全然わからなかった。
「どうしたの?」
 訊いてみても、彼女は答えてくれなかった。ただゆっくりと、歩きつづけた。やがてその足が湖面に触れても彼女は歩き続けた。靴がびしょ濡れになっても、歩きやめなかった。腰まで水に漬かったところで、ようやくぼくはおかしいと思いはじめた。
「ちょっと! ねえ、溺れちゃうよ!」
 ぼくは叫んだけれど、彼女は歩きやめてくれなかった。振り返ってもくれなかった。そのくせぼくはずっと、うずくまったままだった。ぼくの心はきいきいと軋みっぱなしだった。音に驚いて小鳥があわてて飛び去ったほどだ。
 彼女はどんどん歩いた。波紋がずっと遠くの湖面にまで届いた。彼女の身体はやがて完全に沈み、最後に残っていた頭もとぷりと音をたてて、消えた。
 風が吹いた。湖面にさざ波が散った。ぼくは自分の見たものが信じられなかった。ぼくは彼女が笑って、すぐに戻ってくると思っていた。でも、彼女は戻ってこなかった。風が凪いで、湖面が真っ平らな板みたいになっても、彼女は戻ってこなかった。
「え……?」
 ぼくの語彙じゃとても説明できない恐怖に襲われた。叫んだ。身体中で叫んだ。地面を何度も掻き毟った。指が千切れてもおかしくなかった。喉が潰れてもおかしくなかった。それでも叫んだ。動いた。走った。
 音に気付いたとき、ぼくはもう湖のなかにいた。目の前ににやりと笑う彼女の顔があった気がするのだけど、よく覚えていない。とにかく彼女の身体を抱きしめて、重い身体を必死で湖の上まで持ちあげた。
「なに考えてるんだよ!」
 必死で浅瀬まで辿りつくやいなやぼくは叫んだ。彼女はにやっと笑って答えた。
「言ったでしょう? 『いつ死んでもいいと思っていれば、結構どうにかなるものよ』って」
「無茶だよ……」
「でも、動けたじゃない」
 そう言われて、びっくりした。ようやくぼく自身、自分が動いたということに気付いた。
「ほんとだ」
「ね。意外となんとかなるものよ」

187遺された紀憶(6)-3 ◆hsy.5SELx2:2007/06/07(木) 00:16:45
 ぼくはすっかり感心してしまって、自分の身体をあちこち動かして眺めてみた。本当に、どこも異常なく動いていた。
「でもよく考えると不思議だな。どうして今までは動けなかったんだろう」
 その言葉を聞くと、彼女は暗い表情になった。
「それはきっと、呪いよ」
「呪い? 父さんって、呪術師かなにかだったの?」
 彼女は悲しげに首を振った。
「人間には……いえ、全ての心持つ者には、呪い、呪われる定めがあるのよ。それは悲しくて、寂しいことだけれど、不幸せではないんだと思う」
「え? ……よく、わからないよ」
「たぶん、いつか、わかる日が来るわよ」
 彼女は今にも泣きそうにみえて、ぼくは不安でたまらなくなって、どうしていいかわからなくて、だから、ただ手を引いて、彼女を岸まで連れていった。ふたりともすっかりびしょ濡れだった。
「いやー濡れちゃったね」
 まだ少し空元気みたいな笑いかたをしながら、彼女は濡れた服に構わずローブを着込んだ。彼女のまわりで搖れるローブは改めて見るとずいぶんと重たそうにかさ張っていた。
「気になる?」
 ぼくが見詰めているのに気付いたのか、彼女はいたずらっぽい笑い方をした。ぼくはなんだか恥ずかしい気分になって、何も言えなかった。
「このなかにはね、わたしの宝物が仕舞ってあるの」
「大事にしてるんだ」
「うん。わたしが狂っていた証、わたしが掛けて掛けられた呪いの証。今でも着てるってのは偽善なのか贖罪なのか愛なのか、自分でもよくわからないんだけどね。ただ、大切なもの」
 彼女はそっとローブを撫でた。ぼくはどうしてか「ずるいな」と思ってしまった。それが彼女に対してなのかローブの中身に対してなのかもわからないけれど。たぶん、両方へだったんだと思う。彼女の気持ちも考えずにそんなことを思うのは非道で卑怯なことだとはわかっていたけれど、そう思わずにはいられなかった。そこにはぼくに足りていないものがある気がした。今のぼくには、明確にはわからないけれど。
 考えていたら、彼女がそっとぼくの手をとった。
「動けるようになったところで……どう?」
「え……そうだね、動くってのも、なかなか慣れない感じだよ」
「そうじゃなくて、わたしの家へ。どう?」
 ぼくははっとした。きっと馬鹿みたいな笑顔を浮かべていたと思う。
「それはもう、喜んで!」
 旅路はなかなかに長かったけれど、退屈はしなかった。これからはずっと彼女と居られるってことが嬉しくて、それ以前にただ彼女と話をしているだけのことがどうしようもなく楽しくて、時間なんてあっという間だった。月がてっぺんに来るころにはどうにか目的地に辿りついた。本当はもっともっと時間がかかるらしいんだけれど、彼女の姉妹が作った扉のおかげでかなりの行程を短縮できるとのことだった。
 今ぼくは、彼女の部屋の隣にある一室をあてがわれて、この日記を書いている。こんな気分になるのは生まれてこのかた初めてだ。たぶんこれが、本当の幸せというものなんだろう。すっかり目が冴えてしまって、全然眠れる気がしない。とりあえず今日の分の紀憶はここで止めておくことにするけれど、もうしばらくは起きていると思う。
 明日も良い日でありますように!

188遺された紀憶(7)-1 ◆hsy.5SELx2:2007/06/07(木) 00:37:00
時:hi89f-fj39-032j

 しばらく紀述を怠けてしまった。なかなかに忙しくて、文章を書く暇もない日が続いていた。とはいえ、悪い暮らしではない。毎日いろいろなことがあって、湖のほとりでうずくまっていたころとは大違いだ。
 とりあえずぼくは掃除夫として働くことにした。彼女はなにもしなくていい、と言ってくれたのだけど、せっかく身体が動くようになったのだしここに住まわせてもらうお礼くらいはしたかったからだ。
 彼女には70人の姉妹がいるらしい。全員がここに住んでいるわけではなく、大部分の姉妹は世界のどこかを放浪しているという。ある意味みんなにとっての「実家」みたいなものだ、と彼女は言った。「実家」というものがどういったものか、ぼくにはいまひとつわからないのだけど。
 初めて来たときには疲れていてよくわからなかったけれど、ここは峻険な山間に建つ大きな塔だ。みんなは「星見の塔」と呼んでいる。彼女の姉のイングロールさんが全体の管理者らしく、ここに来た最初の朝に挨拶に行った。とはいえ、「朝」というのは語弊があるかもしれない。目を覚ましたとき、外はやっぱり暗いままで、空には星が沢山またたいていたからだ。その癖体内時計はぼくがしっかり8時間の睡眠を取ったことを示していた。
 イングロールさんはいくぶん眠たそうだったけれどもそのあたりのことを丁寧に説明してくれた。なんでも、ここには朝が来ないらしい。それどころか、永劫線とやらの影響で一般的な意味での時間が無いらしい。一般的な意味での時間がないとはどういうことなのかぼくにはよくわからなかったけれど、イングロールさんが眠そうだったのであまり突っ込んだ質問はやめておいた。48時間ぶっ続けで天体観測をしていたらしい。イングロールさんは本当に星が好きみたいだ。素敵だな、と思う。
 彼女曰く、「イングロール姉さんはロマンチストのくせにしっかり者で、ずるい」。
 塔を掃除していると、ひょっこりワレリィさんと出会うことが多い。ワレリィさんは扉職人というものをしているらしい。最初にここに来たときに何度かくぐった落書きみたいな扉はみんなワレリィさんが開いたということだ。昔はワレリィさんしかくぐれない『扉』しか作れなかったらしいけれども、頑張って勉強したおかげで、今では姉妹みんながくぐれる『扉』をたくさん作っている。ワレリィさんは扉をくぐっていつも色々な世界を旅している。どこかの世界では魔王さま、なんて呼ばれたりもしているらしい。ワレリィさんはどこから現われるか予想がつかなくて、いつもびっくりさせられる。この前台所を掃除していたとき、いきなり冷蔵庫が開いてワレリィさんが飛びだしてきた。勢いがよすぎて、あやうくニースフリルさんが大切にしている食器を割られるところだった。妙に目付きの鋭いガンマンから逃げていたらしいけれど、だからといってそういうのは、困る。
 彼女曰く、「ワレリィ姉さんはたくさん面白い話してくれるから好きよ」。
 そうそう、ニースフリルさんについても書いておこう。まだ数度しか会ったことがないのだけど、どうやらぼくの身体にとても興味があるみたいだ。くんくんと匂いを嗅がれたりして、ちょっと戸惑ってしまったけれど、悪い人ではないみたい。いつもは世界中の遺跡を巡って歩いているらしい。二度目に会ったときにはトミュニさんともの凄い喧嘩をしてた。どことなく楽しそうに見えた気もしたのだけどね。そういえば「グレンテルヒの奴またこんなオーバーテク遺しやがって……」なんて呟いていた気もする。なんのことかはよくわからないけれど、もしかしたら大事なことかもしれない。
 彼女曰く、「あー……ニースフリルちゃんに会ったか……まあ、悪い子じゃないんだけど。分解されたり埋められたりとかは、やめてね」。
 トミュニさんはしょっちゅう談話の間でにぎやかにしている。というか、しょっちゅう他の姉妹に喧嘩を吹っかけている。居候の身でこんなことを言うのも何だけど、ちょっとは掃除する人のことを考えてほしい。この前ニースフリルさんと派手な喧嘩をやらかしたときはしばらく部屋にこもってしまって、おかげで掃除が随分はかどった。もっともトミュニさんの落ち込みようはなかなかに酷くて、さすがに少し心配になりもした。エロゲがどうとか呟いていた気もするけれど、なんのことかはわからない。しばらくしたらまた元気に大騒ぎするようになって、ぼくとしては安心するやら困るやらだ。
 彼女曰く、「トミュニちゃんは元気よくて、好きよ。娘だったらよかったのに、って思う」。

189遺された紀憶(7)-2 ◆hsy.5SELx2:2007/06/07(木) 00:40:58
 それと、ヘリステラさんにも会った。彼女とは、脱走したペットの栗鼠をぼくが掃除中に見つけて、それで親しくなった。長姉だけあって、きりりとした佇まいがすごく格好良い。さばさばした物言いはいつも鋭いところを突いてきて、ぼくの身体がぎしりと軋むことも多かった。とはいえ、そういった物言いも、実はあんまり嫌いじゃなかったりする。変な陰湿さがなくて、むしろ好きなくらいだ。
 ヘリステラさんと知りあった日、彼女にそのことを話したら唖然としていた。
「ヘリステラ姉さんに敬語使わないなんて、あなたとトミュニちゃんくらいなものよ……」
 あるときヘリステラさんに訊かれた。
「君は、どうして彼女のことを名前で呼ばないんだい?」
 ぼくはちょっと困ってしまった。
「ぼくは、彼女の名前を知らない」
「それは嘘だ。他の姉妹が呼んでいるのを聞いたことくらいあるだろう」
「でも、彼女から直接聞いたわけじゃない。それに、ぼくにとって彼女は彼女だけだし。それで、十分なんだと思う」
 それがぼくの本心だった。ヘリステラさんは「ふうん」と言っただけだった。納得してもらえたかどうかはわからない。
 そういえば、ヘリステラさんからは不思議な忠告を貰ってもいた。
「君、ビークレットとディオルには気をつけたほうがいい。ビークレットは君の父親を敵視しているし、ディオルは未だに君の『彼女』を憎んでいる。まあ、ディオルの方は『呪い』があるからそうそうここには来れないだろうし、問題はビークレットだな……。大丈夫だとは思うが、用心しておくにこしたことはない」
 とはいえ、すでに手遅れだった。その忠告以前にぼくはビークレットさんと会っていたのだから。
 それは二度目にニースフリルさんと会ったときのことだ。ぼくが階段を掃除していたら、ニースフリルさんがやってきた。ニースフリルさんの横には細身で、太陽のような色の長い髪をぞんざいに垂らした女性がいた。真っ赤なドレスはまるで燃えているかのよう。ぼくと目が合うと、その女性は「おや、珍しい子がいるね」と呟いた。ニースフリルさんがあわててその女性の手を引いた。
「ビークレット姉さん、この子はたまたま居候してるだけで、とりたてて重要ということはなくビークレット姉さんが気にしなきゃいけないことはなにも……」
「ふうん」
 ニースフリルさんの言葉を聞いているのかいないのか、ビークレットさんはぞんざいな返事しかしなかった。じろり、とぼくの身体を睨みつけ、ふむ、と頷いた。
「『大いなる母』と錬金術士の息子か……世の中どこに縁があるかわからないものだ」
「……姉さん、知ってたの?」
「あいつはわたしにとって永遠の敵だ。奴の作品なんざ、見ただけでわかる。あとはまあ、ワレリィから最近面白いのがフィラ子のとこに居候してるって聞いてたから」
 ビークレットさんはじろりとぼくのことを睨みつけた。でも、それだけだった。なにも言わないまま、ビークレットさんはぼくの横を通りすぎていった。あわててぼくはビークレットさんのあとを追って、言った。
「あの!」
「ん」
 再びじろりと睨まれ身体がきちきちと鳴りそうだったけれど、どうにかこらえた。
「はじめまして!」
 ビークレットさんは無言だった。ニースフリルさんがゆっくり階段を下りてきて、ビークレットさんの横に立って見あげた。しばらくしてから、ビークレットさんは重々しく口を開いた。
「……それだけか」
「そうですけど」
「ん」
 ビークレットさんは少し考えこむふうだった。やがて、ひとつ頷くと「じゃあな」といって階段を下りていった。でも少し行っただけでぴたりと立ちどまると、ビークレットさんは振り返ることなく言った。
「一つ忠告。『大いなる母』が真性の狂人だなんてのは嘘だ。それは蟷螂の生き様は狂ってる、なんて言うのと同義。彼女が狂人ならわたしだって狂人。でもね、気をつけな。彼女があんたにとって危険かどうか、ていうのはまた別の話。彼女は数多の呪いを掛け、数多の呪いを受けてきた。それは事実。それをあんたが受けいれられるかどうか。問題はそこさ」
 それだけ言うとビークレットさんはすたすたと階段を下りて、あっというまに視界から消えてしまった。「やれやれ、どうなることかと思ったよ……」なんて呟きながらニースフリルさんもあとを追った。それだけだった。

190遺された紀憶(7)-3 ◆hsy.5SELx2:2007/06/07(木) 00:41:55
 この出来事は彼女には話していない。どうやらぼくがビークレットさんに好かれていないのは事実のようだし、下手に彼女を心配させたくはなかったからだ。でも、ビークレットさんの言葉はぼくの紀憶回路にへばりつくように残った。
 ヘリステラさんはこのことを聞くと深くため息を吐いた。
「そう、確かに君の『彼女』はかつて真性の狂人、なんて呼ばれていたことがある。でも、昔のことだよ。双の瞳が永遠に光を失って以来、彼女は落ち着いた、穏かな暮らしをしている。その様を知るものであれば、誰も彼女を狂人とは呼ぶまい」
「でも、ビークレットさんは気をつけたほうがいいって」
「……それはね」
 ヘリステラさんの顔は深夜のほのほぐさみたいに暗く垂れた。口が何度も開いてはまた閉じた。やがて彼女は、苦い味が内蔵中に染みているような表情で静かに言葉を紡いだ。
「ビークレットの言うことも、また事実なんだ。呪いというのは中々に解け難いものなんだよ。特に、自分自身に掛けたものはね。業、と言いかえてもいいかもしれない。……時に、君は彼女の部屋に入ったことがあるのか?」
「いいや。彼女は部屋に入れてくれないんだ」
「だろうな……」
「でも大丈夫だよ。彼女と話すのはぼくの部屋でもできるし、無理矢理彼女の部屋に入らなきゃいけないって理由もないしね」
「うむ……」
 ヘリステラさんやビークレットさんが何をそんなに心配しているのかはわからない。確かにぼくは彼女のことを全然知らない。でも、今のところはそれでいいんじゃないかと思う。だって今のままでぼくは十分に幸せだから。ただ、ぼくと話しているとときおり彼女がなにかを堪えるようにじっと俯くのだけが気にかかる。彼女には幸せでいて欲しいと思う。だってそのほうがぼくも幸せになれるから。
 今日はトミュニさんがいないからずいぶんと仕事がはかどった。なんでもどこか遠い所にいる姉妹に喧嘩を挑みに行ったらしい。おかげで久しぶりにこの文章を書く時間が取れたわけだけれど、いつもとはうってかわった静かな星見の塔というのもなんだか変な感じだ。
 ドアにノックが響いた。彼女が来たのかもしれない。今日はこのあたりでやめておくことにする。明日にはきっとトミュニさんも帰ってくるだろうし、次にこれを書けるのはいつになるのかな。

追記
 ノックは彼女じゃなかった。ワレリィさんが、ぼく宛の手紙を届けに来てくれた。ただ、差出人がわからない。ワレリィさんに訊いても、言葉を濁されてしまった。
 中を開けると小さな紙切れにほんの短かな、真っ赤な文字が並んでいた。

「彼女は未だ狂っている。
 彼女は恋人の首を刈り飾る真性の狂人である。
 疾く去ね、さもなくば後悔が待つ。」

……なんのことか、ぼくにはわからない。
今度こそ彼女が来た。手紙は見せないでおこうと思う。
この生活が、壊れてしまうことのないように。

191スターダンス:2007/06/08(金) 17:34:59
 今は昔、あるところに世界がありました。この世界は滅びつつあったので、住んでいた人々は巨大な船をいくつも建造して、他の世界を目指して旅立ちました。後のこの人々は「南東からの脅威の眷属」と名乗りました。
 同じころ世界と世界の間に1匹の獣がいました。1つの胴体から数億数兆の頭を生やした多頭獣でした。この多頭獣の餌は世界で手近なものから食べていましたが、ある日どこからか飛来した槍に貫かれて死にました。すると死体から世界が生まれ、同時に住人が生まれました。この住人は、世界の元となった多頭獣をパンゲオン、飛来した槍を紀元槍、そして自らを紀元神と名づけました。これこそがパンゲオン世界の紀元神群でした。
 「南東からの脅威の眷属」が故郷を失い、パンゲオン世界が生成されたころ、戦争を行う世界がありました。生存のための戦争でした。絶滅戦争を仕掛けられていました。この世界の住人は総力を結集して無数の戦艦を建造すると、世界外へ出撃させました。どの戦艦も世界を跡形もなく吹っ飛ばせる武装を備えていました。向かう先は世界間に巣くう獣、多頭獣、パンゲオンでした。この人々は他の世界へ入植していたのですが、あるときこの世界が消滅してしまったので、原因を探るとパンゲオンの存在を知りました。人々は同胞の仇を討つため、またパンゲオンの進行方向に自分の世界があったために戦いを決意しました。しかしその矢先にパンゲオンは消滅し、同時に世界が生まれました。人々はとまどいましたが、とりあえず新しい世界、紀元神群のいるパンゲオン世界へ偵察を送りました。この人々こそが飛来神群でした。
 飛来神群がパンゲオン世界の偵察を始めたころ、「南東からの脅威の眷属」はパンゲオン世界を発見し、入植を始めましたが、故郷の環境を再現するために本来の環境を破壊してしまい、支配者であった紀元神群との戦争になりました。戦争は「南東からの脅威の眷属」の敗北で終わりました。「南東からの脅威の眷属」は紀元神群と和平を結ぶと、自らの半数は再び旅へ出て、残りの半数は自らの身体をパンゲオン世界の生態に順応させて入植しました。この戦争がパンゲオン世界を激変させ、とりわけ人間の発達を促しました。しかし紀元神群は最初、これに気づきませんでした。神々同士の戦いで忙しかったからです。神々は戦争を経験することで力を高め、これを他の神々に示すために争ったのでした。争いは苛烈になり、神々は数を減らしました。そのうちに一体の神が不審を抱きました。なぜ争いが終わらないだろうかと。争いを続ければ弱者が消滅し、強者だけとなって均衡状態が生まれ、平和になるはずでした。この神が観察してみると弱い神が突然強くなることに気づきました。この神は争いに加わっていませんでしたが、強力無比でしたので、強くなった神を捕らえて、どうやって力を得たか詰問しました。すると捕らえられた神は助力を受けたとこたえました。
 助力を与えたのは飛来神群でした。紀元神群は自らの争いが他者によって画策されたものと気づくと、直ちに止めて、復讐の準備を始めました。しかし果たされることはありませんでした。というのはパンゲオン世界の人間が紀元神群に宣戦布告したからでした。紀元神群は人間の実力を知らなかったのでなめていましたが、人間は神々に匹敵する力を得ていました。ために紀元神群は飛来神群への復讐を一時中断せざるえませんでした。この戦争を天廊戦争といいました。
 天廊戦争において紀元神群は劣勢になり、「南東からの脅威の眷属」へ加勢を求めました。もっとも「南東からの脅威の眷属」は入植者の存在を忘れていなかったので断りました。すると紀元神群は「南東からの脅威の眷属」に攻撃を仕掛け、これを人間のせいとしました。「南東からの脅威の眷属」は同胞の仇をとるため、降りかかった火の粉を払うため、パンゲオン世界に殺到しました。こうして人間は敗北し、力を失ったのですが、紀元神群の偽りがばれてしまったので、新たな戦争が始まりました。
 さて天廊戦争の間、飛来神群が何をしていたかというと戦争をしていました。相手は世界間をいく多頭獣パンゲオンでした。パンゲオンは突如として消滅したはずでしたが、再び出現したのでした。ある日のこと飛来神群の支配する世界のひとつが卵に変化して、やがて生まれてきたのがパンゲオンでした。新生パンゲオンは飛来神群の世界群を喰らいはじめました。
 飛来神群は昔は強大でしたし、今はもっと強大でした。しかしパンゲオンにはまったく歯が立ちませんでした。

192言理の妖精語りて曰く、:2007/06/08(金) 22:32:13
くとぅるー

193言理の妖精語りて曰く、:2007/06/08(金) 23:27:01
いあいあ。

194言理の妖精語りて曰く、:2007/06/08(金) 23:28:06
どのあたりが?

195遺された紀憶(8) ◆hsy.5SELx2:2007/06/09(土) 04:25:05
時:hi89f-gi69-j4jf

 ぼくは怖くてたまらない。何かしていないと不安でたまらない。それで、この文章を書いている。今日の分の仕事がまだ残っているというのに、部屋に引き込もって、一人で。久しぶりの紀憶がこんな文章というのもなんだか情けないけれど、そうも言っていられないくらいぼくは混乱している。あの部屋で見た光景が目に焼きついて離れない。彼女が何を考えているのか、わからない。怖い。怖くてたまらない。いや、こんなことばかり書いていては余計に怖くなるばかりだ。冷静に、順を追って綴っていこう。
 手紙。そう、手紙だ。今思えば、あれが全ての発端だった気もする。前回の紀憶の最後に書いた、あの手紙。
 手紙はあのあとすぐに破いて捨てた。でも、それからも何度も来た。内容はいつも似たりよったりだ。彼女は狂っている。彼女は部屋に愛人の首を飾る狂人である。早くここから立ち去ったほうがいい、ということ。一体誰が何故そんなものを送ってくるのか、さっぱりわからなかった。ワレリィさんに訊いても、いつも言葉を濁されてしまうのだ。曰く、「ぼくには何も言えないのですよ17……。あの子に逆らうのはさすがにちょっと怖いのです23。ごめんなさい11」
 こうまで脅されると、さすがにちょっと心配にもなってきた。それであるとき、遠回しにではあったけど彼女に相談してみた。やはり直截言う勇気はなかった。いつものように、ぼくの仕事が終わったあとで、彼女が遊びに来たときのことだ。
「あのさ……ぼく、ここに居ても、いいんだよね?」
 彼女はローブを撫でる手を止めた。そういえば、彼女は最近しょっちゅうローブを撫でているな、とぼくは思った。ローブに隠されたものの輪郭が、ときおりあらわになる。それがふと人間の頭蓋骨のように見えて、ぼくの身体の奥がきしんだ。そんなわけはない、と必死に自分の考えを否定した。
 彼女は不思議そうに首を傾げた。
「もちろんよ。どうしてそんなこと訊くの?」
 このときに至ってもまだ、ぼくは事実をありのまま話すのを躊躇っていた。
「ううん。ちょっと不安になっただけだよ」
「どうして?」
「なんだか、あんまりにも恵まれてる気がして。湖のほとりでうずくまっていたころとは違いすぎて」
「幸せすぎて不安? 贅沢ねえ」
 彼女はからからと笑った。ぼくは曖昧に微笑むことしかできなかった。
 とはいえそのころはまだ、彼女と話しているのが本当に楽しかったんだ。彼女はぼくのほうに身体を向けて、ぼくの言葉を一々丁寧に訊いてくれた。ぼくが、今日はワレリィさんと本の話をしただとか、ニースフリルさんに面白い遺跡の話を聞いたとかいうと、彼女は太陽みたいな笑顔で感心してくれる。「それって、どういう意味なの?」「うわあ、凄い! わたしも読んでみたい!」「いつか、一緒に行きたいわね。そのときはどんなものが見えるか、ちゃんと説明してね」そんな言葉の数々がぼくの心のなかにかちりとはまっていく感覚は、とても快かった。
 それが、どうしてこんなことになってしまったのだろう。彼女はぼくを、騙していたのだろうか。
 今朝、満天の星々のもと玄関を掃除していたら、見たことのない女性があらわれた。重そうな太い宝石剣を佩いていた。ぼくが「こんにちは!」と言うと、その女性はじろりとこっちを睨んだ。
「……あんたが、そうか。なるほど」
「なにか用事? ここは星見の塔だけれど。あ、姉妹の人?」
「あんた、逃げろと言ったろうに。まだ縊り殺されずにいるなんて、奇跡みたいなもんだ」
 にやりと笑うその表情に、その言葉に、ぼくの身体はぎしりと軋んだ。
「……あなたは、誰?」
「名前なんてどうだっていい」
「手紙を送ってきたのは、あなた?」
「さあね。手紙なんて知らない」
「あなたは……」
 ぼくは最後まで言えなかった。というのも、上空から奇っ怪な叫び声が振ってきたからだ。
「姉さん覚悟オオオオオオォォォォォッッッ!!!」
 トミュニさんだった。トミュニさんが長大な竜のような雷を従えて、振ってきた。トミュニさんはぼくの目の前の女性へと向かって、真っ直ぐに襲いかかった。
 しかしぼくの目の前の女性はまったく動じることなく、ひょいと一歩退いた。すぐさま轟音とともに土煙。
 トミュニさんは、あっさり墜落していた。
 ついでに自分の雷に追撃をくらっていた。それでもまだかすかに目をあけていたのは正直すごいと思う。
 トミュニさんはにやっと笑ってつぶやいた。
「ふ……なかなか、やるな」
 そのままばったりと倒れた。
……意味がわからなかった。

196遺された紀憶(8)-2 ◆hsy.5SELx2:2007/06/09(土) 04:25:42
 ニースフリルさんが「はいはいごめんよー」と面倒臭そうにやってきて、トミュニさんを運んで行った。剣を佩いた女性はぼくをちらと見ただけで、一緒に塔の中へと入っていってしまった。ただ、最後にぼくにだけ聞こえるように、小さく囁いた。
「なぜ彼女の部屋を見ない? お前の不安は、それだけで消えるんじゃないか?」
「え……」
 それ以上聞き返すことは出来なかった。女性はあっと言う間に塔の中へ消えてしまったし、ぼくには仕事があったから。でも、仕事中はずっと、そのことばかり考えていた。
 そう、考えてみれば彼女の言うとおりだった。こんなにも不安になるのはあの手紙が本当なのかどうか、曖昧なままだからだ。みんながみんな、呪いとかなんとか曖昧なことばかり言っていて、疑いばかりがつのる。それに、誰かから否定の言葉を聞いたところで「もしかしたら」という可能性は残る。しかし部屋さえ見られれば、疑いなんてすぐに消えてしまうだろう。彼女が狂人でないことがはっきりすればぼくはこれからも彼女と幸せに暮らしていけるし、もしあの手紙が本当ならそれはそのときに考えればいい。とにかく、はっきりさせないことにはぼく自身の姿勢が決められない。決められないから、不安になる。そういうことだ。そう思った。
 とはいえこんな面倒臭い事情がある今、彼女に直接「部屋を見せて欲しい」なんて言う勇気はなかった。いや、正確に書くと、もう少しで言いかけた。でも彼女のほやほやの笑顔を見ていると、ぼくの疑念がとてつもなく汚らわしいもののように思われてきて、とてもじゃないが口に出すことなんて出来なかった。
 夜になって、ぼくは彼女におやすみを言って別れたあと一人塔の屋上へと登った。珍しいことにイングロールさんは居なかった。もっともあの人は随分無茶な生活をしているから、さほどおかしなことではない。一日中星を眺めて次の日は一日中眠るなんてのもざらだ。きっと眠っているあいだも星の夢を見ているに違いない。
 ぼくは空を見上げた。星は相変らず地上のぼくらなんて全然気にかけてくれない。でも、そういう揺がない様を見ていると、何故だか励まされているような気分になってくるから不思議だ。だからぼくは星が好きだ。湖の側にうずくまっていたころも、よく眺めた。そのころ勝手に考えたいくつもの星座の名前。その本当の呼び名を、いまではイングロールさんに教えてもらって知ってしまっていた。けれど、ぼくの中では昔のままの星の名前がずっと生きている。空を見あげて、そのいくつかを自分の中で反芻した。彼女のことも、星の並びくらいにはっきりしたものであればいいのに。星の並びが揺がないように、ぼくの彼女への気持ちもずっと同じままでいられると思っていたのに。そんなことを考えていた。なんだか悲しい気分だった。
 そして不意に、背後で物音がした。
「誰? イングロールさん?」
 振り返ったが誰もいなかった。鴉の羽のような暗闇が広がっているだけだった。と、再び音が響いた。なにか硬いものが床にあたる音だった。
「誰?」
 もう一度ぼくは呼びかけた。だけどやっぱり返事はなかった。ぼくはゆっくりと、音のするほうへと歩いていった。
 音はぼくがいるほうとは反対の端から聞こえてきていた。もう一度、硬い音が響いた。ぼくはそこに辿りついた。黒い影が二つ、素早く通りすぎていったように思ったのだけど、気のせいだったかもしれない。
 そこには落書きみたいな窓があった。一目でわかる、ワレリィさんの「扉」だ。窓は開かれていた。中から光が漏れていた。ぼくはそっと中を覗きこんだ。
 彼女がいた。
 窓のなかには、彼女の部屋があった。
……ここから先は、書くのも辛い。
 結局彼女は、狂人だったということなのだろうか。信じたくない。でも、ぼくが見たものは、紛れもなく現実だ。

 なぜ彼女は部屋のなかにあんなものを飾っているのだろう。
 なぜ彼女はあんなに愛おしそうな表情をしているのだろう。
 なぜ彼女は宝物に触れるような優しさで、男の――生首に――

 不意に。ぼくの身体がぎりりと軋んだ。

 彼女ははっとしてこちらを向いた。ぼくは反射的に窓を閉じた。でも遅かった。目があった。彼女の口があっと開かれるのを見た。咄嗟に生首を抱きしめる様も、見てしまった。

 ぼくは怖くてたまらない。
 なぜこんなことになってしまったのだろう?

197遺された紀憶(9)-1 ◆hsy.5SELx2:2007/06/09(土) 04:36:40
時:hi89f-gi70-dje8

 もうぼくはいつ殺されてもおかしくない。誰かぼくを助けて欲しい。なにを信じていいのかわからない。彼女を信じたいのに信じられない自分が悲しい。
 あれから眠れないままに夜が終わった。外は暗いままだったけれど、仕事を始める時間がきた。ぼくはそのとき部屋に居た。仕事を始める時間になると、彼女が起こしにくるのが日課になっていた。彼女の呼び声を怖がる日がくるなんて、思いもしなかった。ぼくはベッドの中で震えていた。あんなことがあったのだから、彼女はこないかもしれないと思っていた。いや、それはむしろぼくの希望だった。彼女に会うのが、怖かった。
 突然、ノックの音がした。ぼくの身体のどこかがおかしな音を立てた。
「寝てる? 入るよ」
 ドアが軋みをあげ、彼女が入ってきた。ぼくはそっと彼女の顔を伺った。彼女はいつも通りだった。少なくとも外見上は、いつも通りに見えた。彼女は楽しげながら危なっかしい足取りで歩いてきた。
「どこー? 起きてるなら返事してー」
 彼女はぼくの部屋がどういう風か、すっかり覚えてしまっている。だからぼくの声なんかなくてもちゃんとベッドの側まで来れた。彼女はぼふ、とぼくの身体の上に倒れこんだ。
「えへへ。起きたー?」
 ぼくの身体は硬ばった。感付かれてなきゃいいな、とぼくは思った。
「……うん。おはよう」
「おはよう。珍しいわね、いつもはわたしが来るともう起きてるのに」
「……うん」
「夜更しでもした? だめよ、ちゃんと寝ないと。日中肉体労働してるんだから、身体休めないとね」
「……うん」
「……どうしたの?」
「……いや」
 彼女は心配そうに首を傾げた。心なしか、迷っている風でもあった。ぼくは耐えられなくなって、彼女を押しのけて身を起こした。
「あ……」
「大丈夫。なんでもないんだよ」
 そう言って、ぼくは笑った。震えを上手く隠せたかどうか、自信はない。彼女は本当に、いつも通りに見えた。昨日のことはぼくの夢だったのかもしれない。そう思った。そう思いたかった。それで、少し安心した。
 でも、彼女がローブを撫でながらそっと吐きだした言葉に、ぼくの身体はゆるく軋んだ。
「……あの、昨日のこと」
「……………………うん」
「その……ううん、ごめん、なんでもない」
 彼女は弱々しく笑った。
「ごめん、わたし今日は用事あるから、先に行くね。お仕事、頑張って」
「……うん」
 そうして彼女は足早に、相変らず危っかしく駆けて部屋を出ていった。ぼくはしばらくぼんやりとしていたけれど、やがて身支度を済ませ仕事に向かった。
 塔の中はがらんとしていた。静まりかえっていた。誰かに相談するべきなんだろうか、と迷っていたのに、そもそもひと気が無い。誰の居る気配もなかった。そんな風なのは、ここに来て初めてのことだ。
 それでもヘリステラさんならいつもの部屋にいるだろう。そう思って、ぼくは階段を登りはじめた。
 どれだけ移動しても、やっぱり誰もいなかった。なにかあったのだろうか。彼女のこともあるし、ぼくはますます不安になった。窓の外は相変わらずの満天の星々。その光はぼくが知るはずのない冷たさを持っているように見えた。容赦のない観客たちに囲まれて舞台に立っているような気がした。
 ため息を吐いた。
 その瞬間声を掛けられた。
「おい」
 壊れそうなほどびっくりした。
「また会ったな」

198遺された紀憶(9)-2 ◆hsy.5SELx2:2007/06/09(土) 04:37:45
 振り返ると、昨日の女性が立っていた。相変わらず重たそうな宝石剣を佩いていた。その様はとても高貴で、立派で、真っ直ぐに見えた。正義という言葉がよく似合う人だ、と思った。
「あ……おはよう」
「どうした。元気が無いな」
 女性はにやっと笑った。冬の真っ青な三日月をぼくは思い浮かべた。
「そんなことは、ないよ」
「そうかな。因みに、ヘリステラ姉さんなら今日はいないぞ」
「え?」
「何か用事があるらしくてな。出かけた」
「そう……」
 どうしよう。ぼくは迷った。でも、目の前の女性の毅然とした様子を見ていてはっと思いついた。そうだ。この人なら信用できるのではないか。
「あの! いま、暇?」
「うん? とりあえず火急の用事はなにもない。どうした?」
 女性の笑みはますます深くなった。ぼくはそれを頼もしいものと感じた。
「あの、その。彼女のことなんだけど」
「君の彼女のこと、だな。知ってるよ」
「……昨日、彼女の部屋を見たんだ」
「……そうか」
 女性は俯いた。表情が伺えなくて、不安になった。
「あなたは、知ってたの? 彼女のこと」
「……ああ」
 女性は深くため息を吐いた。ぼくはどんどん不安になっていく。
「教えてよ。彼女は狂っているの? あれは一体、どういうことなの?」
「残念だが……」
 女性はゆっくりと顔を上げた。瞳は燃えるような鋭さだった。
「彼女は狂っている。彼女は昔と同じように、真性の狂人にして最大級の危険人物だ」
「でも、ヘリステラさんはもう違うって。それに、他の姉妹の人たちも彼女と普通に話してるし。ぼくと話してても、全然普通だし……」
「彼女は猫を被るのが上手くなっただけさ。実際は昔と何も変わっちゃいないんだ。君は彼女の部屋で何を見た?」
 ぼくは一瞬、話すのをためらった。思いだすだけでも、辛かった。
「……それは。あなたは、知っているんでしょう?」
「まあね。でも、君の口からちゃんと聞きたいね」
「……彼女は、部屋に、男の首を飾って、いたんだ。切断された、生首だよ。そして、もの凄く大事そうにそのなかのひとつを抱きしめて、それで……」
「それで?」
「それで、その、キスを……」
「なるほどね」
 女性はまた、ため息をついた。
「わかったろう。彼女はそういう人間なんだ」
「でも、信じられない。信じたくない。怖いよ」
「……ひとつ、いい話をしてあげよう」
 女性はどこか、塔の上のほうを見つめながら喋った。思い出から目をそらしたいのに、どんなに頑張ってもそれは剥がれてくれない、とでも云うようだった。
「彼女の変態性欲は、男の生首を部屋に飾りもてあそぶに留まらない。そう、もちろんそれだけでも十分異常であることは確かだけれど、それならばわたしのような女性にとって彼女は危険たりえない。だってそうだろう? 彼女が自分の恋人の首を切断したところで、わたし自身になにか影響があるわけじゃない。彼女がわたしに惚れるなんてありえないわけだし。でも実際は彼女はわたしにとって、いや、全ての女性にとって限りなく危険な存在なんだ。何故かわかるか?」
 女性はぼくの返事を待たず、先を続けた。
「彼女はね。他人の男を寝取るのが趣味なんだよ。どういうことか、わかるだろう……」
 表情は、よくわからなかった。でも、その声の調子だけで十分だった。ぼくは悟ってしまった。この女性は、彼女と、そういう関係だって、こと。
「あの……こんなこと、聞くの、いけないのかもしれないけど……」
「……君の予想通りだよ。かつてわたしが愛した男の首は、今も彼女の部屋に飾られているんだ。いや、もっと悪いことに、ローブの中に入れて肌身話さず持ちあるいているという噂もある」

199遺された紀憶(9)-3 ◆hsy.5SELx2:2007/06/09(土) 04:41:04
 唇が噛み切れる音さえ聞こえそうな気がした。
「だからわたしは忠告するよ。君は早くここから逃げたほうがいい」
「うん……」
「どうしたんだ。何を躊躇うことがある。早くしないと君の身が危険だ」
「でも、ぼくは、彼女のことが……」
 かたり、と音がした。ぼくははっとして振りかえった。
 踊り場の影に、彼女がいた。
 彼女は大きな鋏をぶらさげていた。人の首どころかぼくの首だって簡単に切りとることが出来そうだった。なにか呟いていたようだけど、ぼくにはわからなかった。ぼくは震えあがって階下を見下ろした。先程の女性はすでに姿を消していた。
 ぼくと彼女は無言のままに向きあった。彼女は虚ろな、穴のような瞳をしていた。そのままお互いじっと、動かなかった。どうしていいかわからなくて、ぼくは彼女を呼んだ。
「ねえ……その鋏、なに?」
「え?」
 彼女ははっとして自分の手元を見つめた。瞳には途端に生気が戻った。自分が何を持っているのかもわからないようだった。
「え……どうして……?」
 ぼくにはわからなかった。彼女の考えていることが、全然わからなかった。怖かった。
 ぼくは逃げだした。彼女の声が聞こえた。声を振りはらうように、ひたすら逃げた。
 ぼくは掃除用具室まで辿りつくと、そこに入りこんだ。埃の匂いの濃い、くすんだ感じの部屋だ。差しこむ光が目立って見えるほど。ぼくは壊れた椅子が積んである影に隠れた。
 音はなかった。彼女が来る気配も同様。ぼくは安心した。と同時に、昨夜ほとんど眠れなかった反動か、この場所の生暖かい空気のせいか、瞼が重くなってきた。眠ってはいけない。そう思うのだけれど、どうにも抵抗出来なかった。
 次に気付いたとき、ぼくの体内時計は一時間ほど進んでいた。あわててぼくは目を開けて、そこで硬直した。
 目の前に巨大な鋏があった。
 その奥には、深い穴のような彼女の瞳。
「うわあああああっ!!!」
 ぼくは思わず叫んだ。同時に彼女が鋏を取り落とした。ぼくは反射的に足を伸ばし、その鋏を遠くに蹴りとばした。
 彼女はあっと叫んで走り去っていった。
 そのあとどこをどう歩いたのか、ぼくが何をしていたのか、さっぱり覚えていない。ただ、気付いたらぼくは自分の部屋に戻ってきていた。いつのまにか、夜になっていた。すぐ隣りが彼女の部屋というのは確かに怖いけれど、結局この塔のなかでぼくが居られるのはここしかないのだと思い知らされた。
 暗闇で見た彼女の姿が頭から離れない。鋏の鈍い光が今にもぼくに突き刺さってきそうな気がする。もうぼくはいつ殺されてもおかしくないんだろう。どうすればいいんだろう。誰か、ぼくを助けてほしい。

200遺された紀憶(10)-1 ◆hsy.5SELx2:2007/06/10(日) 02:30:54
時:83bhnviai

 眠れないので考えてみる。まだ、先程の紀述からさほど時間は経っていないのだけど。隣の部屋からはびっくりするくらい何の音もしない。もしかしたら、彼女はいないのかもしれない。それならそれでいい。でもやはり今はまだ、怖い。
 ぼくは逃げるべきなのだろうか。あの女性が言ったように、さっさとこの塔を出るべきなのだろうか。常識的に考えれば、たぶんそれが一番正しい。でも、それならどうしてぼくはまだこんなところに居るんだろう。行き場なんてどこにもないのは昔からだし、どこに居たってあの湖の側でうずくまっていたころより悪くなることはない。どうしていますぐにでも塔を出ないんだろう。どうしてまだこんな、彼女の側にいるんだろう。
 なんとはなしに壁を見た。彼女の部屋がある側の壁には簡素なクローゼット。その中身のことを考える。中には彼女がぼくの為に作ってくれたり、どこかから買ってきてくれた服がたくさん入っている。ぼくは服なんて最初に着ていたもので十分だ、どうしてかはわからないけれど汚れることも破れることもない服なのだから、と言ったのだけど、彼女は笑って答えた。
「それは自分勝手すぎるというものよ。いつも同じ服だと見ているほうだってつまらないじゃない?」
 無茶苦茶な理屈だなあ、なんて苦笑しながらも、ぼくはその日から彼女を喜ばせようと色々な服を着てみたっけ。どんな服なら自分に似あうだろう、どんな服なら彼女は喜んでくれるだろう、そんなことを考えている間は、本当に楽しかった。
 また、別のことを思いだした。ここに来た、二日目の夜のことだ。ぼくはその日、そのとき星見の塔にいたたくさんの姉妹に一日がかりで挨拶まわりをやって、へとへとになっていた。部屋に戻って彼女と二人きりになって、ようやく大きなため息をついた。ふと気付くと、彼女が心配そうな顔でぼくを見ていた。ぼくは空元気を振り絞って言った。
「大丈夫だよ。これくらいなんてことないし、大体住まわせてもらうんだから、精一杯こういうことはやっておかないと」
「ううん、そうじゃないの」
 ぼくはベッドに座っていた。彼女は床に座布団を敷いてぺたんと座り、上目遣いにぼくを見上げていた。言い淀むように何度か口を開閉させた後、彼女は言った。
「その……よかったのかな、って」
「え?」
「ううん。あんまり、真剣に気にされても困るんだけど、ふと思ったの。わたしはあなたをここに連れてきたけれど、それってあなたの自由を奪うことじゃなかったのかな、って。あなたを連れてきたことで、あなたをわたしに縛りつけちゃうんじゃないかな、って。ちょっと怖くなった」
「……そういうこと、言うなよ」
 ぼくは、自分でも驚いたのだけれど、怒っていた。彼女はびっくりしてぼくを見た。
「え……?」
「ぼくはぼく自身君と居たいと思って、ぼく自身の意思でここに来たんだ。ぼくらは君の意思だけで出来あがってるんじゃなくて……うまく言えないけど、二人の気持ちがあって、今のぼくらがあるんだよ。だから、そういう勝手なことを言われるのは、嫌だ」
 ぼくがそう言うと、驚いたことに、彼女はにっこりと笑った。
「よかった」
「え?」
「君が、わたしたち『二人』のこと、ちゃんと真剣に考えてくれてるんだなあ、って」
「………………うん」
 彼女の気持ちが春風のなかのほうらいばなみたいにふうわりと伝わってくるのがわかった。なんだかぼくは照れくさいような気分になって、きっとそれは彼女も同じだったんだと思う。ぼくらは何を言っていいのかわからず黙りこんだ。でも、その静けさはなんだか心地良かったんだ。

201遺された紀憶(10)-2 ◆hsy.5SELx2:2007/06/10(日) 02:31:30
 部屋の中を見れば見るほどに、彼女の思い出ばかりが浮かんできた。ぼくはよくわからなくなってきた。今の彼女は確かに怖い。でも、怖いくらいのことでたくさんの幸せな紀憶が意味のないものになってしまうのだろうか。
 彼女と会った湖のほとりを思いだす。彼女は言った。
『全ての心持つ者には、呪い、呪われる定めがあるのよ。それは悲しくて、寂しいことだけれど、不幸せではないんだと思う』
 ぼくは彼女に呪われてしまっているのだろうか。だからこんなにも彼女のことを想ってしまうのだろうか。怖いと思うのにここから離れられないのは、そのせいなのだろうか。自分は不幸ではないのだろうか。
 ヘリステラさんの言葉を思いだす。
『呪いというのは中々に解け難いものなんだよ。特に、自分自身に掛けたものはね。業、と言いかえてもいいかもしれない』
 正直、今の自分にはまだヘリステラさんの言葉は理解し難い。彼女が、自分に呪いをかけたということなのだろうか。つまり、男の首を刈らずにいられない呪い? やはりわからない。でも、ヘリステラさんの意図とは別に、あの言葉は今のぼく自身を指しているような気がしてならなかった。ぼくは自分自身に呪いを掛けてしまっているのかもしれない。ぼくに掛けられている呪いは、ぼく自身が掛けたものではないのか。
 自分自身の、昔の紀憶を思いだした。かつてぼくはこう書いた。
『身体はどこも正常だった。異常はどこにも見当たらなかった。だから、たぶん悪いのは心だったんだと思う。よくわからない。でも、ぼくは壊れてしまったんだ』
 ここに来てからというものともすれば忘れがちなのだけれど、所詮ぼくは欠陥品なんだ。壊れてしまったモノなんだ。本当におかしいのはぼくのほうではないのだろうか。彼女は本当は何も変わっていないのではないか。ぼくさえ変われば、ぼくさえ昔に戻れば、再び幸せな日々を送ることができるのではないだろうか。
 しかし、また、別の言葉を思いだした。あの、宝石剣を佩いた女性の言葉。
『――かつてわたしが愛した男は、今も彼女の部屋に飾られているんだ』
 あの人が嘘をつかなきゃいけない理由は思いつかない。それに、あんなにも悲痛な表情を嘘とは思いたくない。
 そうしてぼく自身が見た、あの鈍く光る巨大な鋏。
 やはり彼女は真性の狂人なのだろうか。ぼくらはもう、戻れないのだろうか。
 わからないよ。

 あれ、なにか妙な音がす*********************
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202遺された紀憶(11) ◆hsy.5SELx2:2007/06/10(日) 02:34:25
時:hi89f-gi70-84jh

 とりあえず、何があったかをまとめる。でも、ぼくの気持ちはもう固まっている。
 ぼくは部屋で紀憶を書いていた。物音がして、顔を上げたときには彼女が部屋の入り口に立っていた。虚ろな穴のような瞳で、巨大な鋏をぶらさげて。ぼくは反射的に紀憶回路へのアクセスを切断し、彼女をじっと見つめた。そうしていると彼女の瞳がしだいに生気を取り戻していった。彼女はぼんやりと自分の持つ大鋏を見下ろし、ぼんやりとぼくを見た。
 そのときなんの前触れもなく、わかってしまったんだ。彼女は彼女なんだってこと。
 ぼくはなんとかこれを説明したいと思うのだけれど、上手くいかない。もちろんこんな文章ぼく以外に見る人は居ないのだから、説明できなくたって一向に困ることがないのはわかっている。でも、言葉にするというのは大事なことだと思う。今この瞬間のぼくらはほんのわずかな時間しかこの世界に居られなくて、あっという間に新しい時間の中の自分にとって変わられてしまう。もちろん大抵の場合、次の瞬間のぼくらは今この瞬間のぼくらと関連があるだろうけれど、失われてしまうものがあるのには変わりない。ぼくは気付いたんだ。ぼくは彼女と同じ空の下で暮らす全ての瞬間が好きだったってこと。だからぼくは、言葉を遺していきたいと思う。少しでもたくさん、彼女との思いを遺すために。
 でもよく考えてみたら、ぼくがその瞬間に感じたことの説明っていうのはぼくがいままでに紀憶したもの全部で足りるのかもしれない。ぼくが生まれてからいままでに起きた全てのことが積み重なった上でその瞬間のぼくが存在したんだから。たぶん、ぼくはそのとき彼女の様子を見て瞬間的に考えたんだ。いままでに出会ったいろんな人のこと、いろんな言葉のこと。
『もう、帰ってくるなよ』
『いつ死んでもいいと思っていれば、結構どうにかなるものよ』
『君は、どうして彼女のことを名前で呼ばないんだい?』
『彼女は数多の呪いを掛け、数多の呪いを受けてきた』
『ぼくには何も言えないのですよ17……』
『何を躊躇うことがある。早くしないと君の身が危険だ』
 他にも沢山の言葉があった。そうして最後にぼく自身の言葉を思いだす。
『ぼくは、彼女のことが……』
 あの宝石剣の女性との会話の最後、ぼくはなにを言おうとしていたのか。そう。答えは最初から出ていたんだ。
 ぼくは、彼女のことが好きなんだから。例え殺されようと、彼女と居られなくなるよりはずっといい。怖いけどね。正直、自分が消えてしまうなんて考えると、今も怖くて堪らない。でも、思うんだ。昔のぼくはこんなにも自分の消滅を怖がっただろうか、って。湖のほとりでぼくの視界がぼやけてから彼女に出会うまでの間、ぼくは何度も消えてしまいたいと思っていたし、いつ消えたっていいと思っていたはずだ。それがどうしてこんなにも怖がりになってしまったのかというと、今が幸せだからだ。どうして今が幸せなのかというと、彼女に出会ってしまったからだ。
 ほら。こんなにも単純なことだった。
 これでもう、ぼくは大丈夫。
 彼女にどんな業があろうと、どんな呪いがあろうと、構わない。ぼくは彼女の側にいる。迷わずに。
 ぼくは鋏を持ったまま硬直している彼女を見詰めた。彼女を抱きしめたいと強く思った。そんなのは初めてのことで、自分でもびっくりした。
 でも、ぼくが一歩足を踏みだすと、彼女はびくりと身を震わせた。まるで湖に溺れる直前の獣のようだった。ぼくはなんだか心配になった。
「大丈夫?」
 彼女は答えなかった。呆然とした表情でぼくを見詰め、次いで自分の手のなかの鋏を見詰めた。そのまま長い間動かなかったように思う。実際どれくらいの時間だったのかはわからない。でも次に口を開いたとき、彼女は弱々しい笑みを受かべていた。けれどもしっかりと、ぼくの目を見詰めていた。
「ごめんなさい。わたしって、駄目ね」
 彼女の声には遠くで吹く風のような儚さがあった。
「次に会うときには、きっと幸せな二人になれると思う。でも、ちょっと一人にさせてくれない? いいかしら?」
「……うん」
「じゃあ、三十分経ったらわたしの部屋に来てね」
 そうして、彼女は部屋を出ていき、そろそろ三十分が経つ。
 どうなるかはわからない。けれど、彼女のもとへ行ってこようと思う。
 迷わないと、決めたのだから。

203遺された紀憶(12) ◆hsy.5SELx2:2007/06/10(日) 02:36:19
時:hi89f-gi70-9999

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 長々と書いたけれど、全部消去。
 ぜんぜんちょっとじゃないじゃないか、ちくしょう。
 彼女はいなくなってしまった。
 これ以上何か書く意味なんて、無い。

204遺された紀憶(13)-1 ◆hsy.5SELx2:2007/06/10(日) 02:41:54
時:he8a-48ha-jf93

 文章が書けなくなってから大分経つ。あの日彼女は居なくなった。部屋のものも、なにもかもなくなった。もう三ヶ月が経つ。正直、今もまだ書く自信がない。
 とりあえず、彼女の手紙をここに転載しておこうと思う。部屋のなかに遺されていた手紙だ。何度も読み返して、ぼろぼろになってきてしまったから。

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 あなたへ

 手紙の文頭に「あなたへ」なんて書くのはなんだかおかしなことなのかもしれないけれど、別にいいでしょう? わたしたちはいつもそうだったんだから。お互いが側に居れば、「あなた」と「君」だけで十分通じあえていられたものね。
 こんなことになってしまってごめんなさい。わたしはあなたのもとを去ることにします。このままだと、あなたを傷つけずには居られないと思うから。
 ワレリィちゃんから聞きました。ディオル姉さんが帰ってきていたみたいね。たぶん、なにか言われたろうと思うけど、きっとほとんどの内容は事実。わたしは愛した人の首を部屋に飾り、ローブの中に入れて持ち歩くような狂人です。結果的に、あの人の恋人を奪うことになってしまったことも本当。軽蔑していいの。わたしは多くの男を殺し、多くの女を悲哀の淵に叩きこんだのだから。でも、わたしが辛くなかったなんて決めつけるのはやめてね。わたしは本当に彼らを愛していて、自分が殺した男の死にわたし自信本気で悲しんでいたの。愛していたからこそ、殺してわたしのものにせずにはいられなかったの。勝手よね。狂ってるわよね。うん。わかってもらえないだろうって思う。でも、仕方なかったの。わたしにはそういう愛し方しか出来なかったんだから。別に何かきっかけがあったわけじゃない。ただ流れるように生きて、気付いたらそうなってた。だから、誰のせいでもない、わたしがわたし自身にかけた呪いだったんでしょうね。ヘリステラ姉さんなら「業」なんて呼ぶのかもしれないけれど。
 でも、数十年前、ディオル姉さんに瞳を切り裂かれてからはずっとそういうことをしてこなかった。わたしが愛した人がかつて愛した女性に両目の光を奪われて、思ったことは、後悔や辛さじゃなかった。「ああ、これでもう、誰からも愛されずにすむし、誰のことも愛さずにいられるんだ」って。おかしいわよね。結局何も反省してないんだもの。でも、これでわたしの呪いも終わったんだと思った。もう、誰も苦しめずに済むんだと思った。そうしてわたしは星見の塔に引き込もって、たまにワレリィちゃんの扉で散歩に出かける以外、人間たちとは関わりを持たない生活を続けてきたの。きっと人間たちには、ディオルに殺されたんだとでも思われてるんじゃないかしら。
 でも、あなたと出会ってしまった。
 恋って不思議。どうしようもなくやってくる。まるで夏の嵐や冬の大雪みたいに。
 最初湖のほとりで出あったあと、塔に帰って、決めたの。もう二度とあそこには行かないぞ、って。自分でも、もう一度会ったらとりかえしのつかないことになるのがわかったから。出会った次の日、わたしはあなたが寝ているあいだに一度来たって話をしたかもしれないけれど、あれは嘘。本当は、わたしは、わたしの意思であなたのところに行かなかった。
 でもやっぱりだめだった。一日中部屋にこもっていて、あなたのことばかり考えてしまうの。両目の傷なんて全然意識しないで話してくれたこととか、「またあした」って言ったときの声の調子とか。
 そのあとのことは、あなたの知っている通り。あなたと暮らす塔での生活は、本当に幸せだった。

205遺された紀憶(13)-2 ◆hsy.5SELx2:2007/06/10(日) 02:42:10
 でも、やっぱりわたしには幸せになる資格なんてなかった。
 あなたがなんだかぎくしゃくしはじめて――わたしは気付いたら考えてたの。ああ、この人の首を切り取って永遠にわたしの側に置いておけたらどんなにいいだろう、って。すぐにそんな考えは否定したわ。あなたの声が聞けなくなるなんて耐えられないだろうし。でも、無理だったの。あなたがわたしから離れていくように見えるたび、わたしはあなたの首を切りたくてたまらなくなった。無意識に、大鋏を撫でていることが増えた。この数十年、触ることもなかったって言うのに。
 このままだと、わたしはいつかあなたを殺します。だから、その前に去ることにしました。
 もう、戻ってくることはないかもしれないけれど。
 もしまた出会えたら、一緒に旅にいきましょうね。いつか二人で話したみたいに。
 いまこれを書きながら思うのは、あなたの顔を見ることもあなたの声を聞くことももうないんだなあ、ってこと。ちょっとだけ、寂しいです。嘘。もの凄く寂しい。あなたは「大丈夫?」って訊いてくれたわね。もし、再び会うことがあれば、「大丈夫!」って自信を持って答えられるようなわたしになっていたいと思います。そうして、きっと幸せな二人になりましょうね。
 最後にわたしの名前をここに遺しておきます。お互いが側に居なくなっちゃうと、「あなた」「君」じゃちょっと不便だものね。あなたがもしわたしを愛しつづけてくれるなら、覚えていて。

 フィランソフィア。
 それがわたしの名前。

 そろそろあなたが来る時間です。もう行かなくちゃ。
 さようなら。

206遺された紀憶(14)-1 ◆hsy.5SELx2:2007/06/11(月) 18:17:02
時:fn3qd-4ija-i433

 前回の紀憶を書いてからそろそろ一年が経つ。なんだかもの凄く感慨深い。
 いろいろあったけれど、ぼくはまだ星見の塔に居る。フィランソフィアはまだ戻ってこない。
「彼女」が「フィランソフィア」になってしばらくは大変だった。ぼくはまともに動けなくって、フィランソフィアの部屋にうずくまったままになってしまった。正直あのころのことはよく覚えていないし、思いだしたくもない。でもそれはきっと、湖の側でうずくまっていたころと少し似ていた。結局のところ、ぼくは欠陥品でしかなかったんだと思った。ぼくがもっと早くに彼女のことを信じて、そのままの彼女を受けいれるようにしていればこんなことにはならなかった。彼女に殺されてもいいから側に居て欲しかったんだってちゃんと伝えられなかったことを、ぼくはとても後悔している。こんな風にして人を傷つけずにはいられないぼくだからこそ、父さんはぼくを捨てたんだろう。だからこその欠陥品なんだ。そう思った。
 しかし湖のころとは違う部分もある。フィランソフィアはもしかしたら戻ってくるかもしれないということと、彼女を愛するようになってしまったということ。こんな空想は自分でも嫌なのだけど、失われて、より一層ぼくはフィランソフィアを愛するようになった気もする。
 こんなことを書きながらも、ぼくは愛というものなんてこれっぽっちもわかっちゃいない。いままでに経験したことのないこの名付けようのない感情は愛と呼ぶしかないんじゃないかな、というそれだけだ。とにかくぼくは、ぼくの持っていた唯一の幸せが失われたことに呆然としていた。
 星見の塔のみんなは優しかった。代わる代わるにぼくを訪ねてきてくれた。そのときのことで、きっとぼくはフィランソフィアの姉妹たちの半数以上に会ったんじゃないだろうか。申し訳ないことに、よく覚えていないのだけれど。その時期のことは本当にぽっかりと抜け落ちている。ひたすらに彼女の手紙を読み返して、ひたすらに彼女の部屋を掃除していたような気がする。彼女がいつ帰ってきてもいいように、と思って。部屋に飾られていたたくさんの男の首は全てなくなっていた。処分してしまったのか、彼女が持っていったのか、今となってはわからない。
 ようやく少し落ちついてきたのは、フィランソフィアの手紙を紀憶回路に書きこんだあたりからだ。あれを書きおわって、ぼくは、彼女に「大丈夫?」と聞き返されたときのことを考えた。ぼくも、「大丈夫!」と笑って答えられるようになっていたいと思った。そう考えると、少しだけ胸の奥が熱くなった。熱さなんて知らないはずなのに、こうした感覚にはこの言葉が一番よく似あうとぼくは思う。
 ワレリィさんはしょっちゅうぼくのところに謝りに来ていた。でも、それまではろくに事情を聞くことも出きなかった。少し状態がマシになってきたころ、ぼくは思い切って訊いてみることにした。
「ねえ、彼女……フィランソフィアは、一体どこに行ったの?」
 ワレリィさんはびっくりしていた。なにしろぼくがまともに話すのは三ヶ月ぶりだったから。それでももう一度「ごめんなさいです11……」と言ってから、話してくれた。
「ぼくがみんな悪いのです6……ぼくがディオルさんの言うことに逆らえなかったり、フィランソフィアさんの言葉を疑いもせずに『扉』を設置したから4……」
「『扉』を設置、って?」
「フィランソフィアさんが、居なくなるしばらくまえに言ったのですよ10。万が一ディオルがここに来るようなことがあったらすぐに逃げられるように、部屋に『扉』をつけて欲しい、って9。ぼくはびっくりして、ディオルさんが居ること知ってたの15、って訊いちゃって、それでフィラルディアさんはディオルさんが来てること知って余計に切羽詰っちゃったんじゃないでしょうか5……」
「でも、今のこの部屋に『扉』なんて無いじゃないか」
「きっと、内側から閉じたんだと思うです3……」

207遺された紀憶(14)-2 ◆hsy.5SELx2:2007/06/11(月) 18:17:48
「内側から? でも……」
 ぼくだって、扉は何度も使わせてもらっていた。開け閉めだってしたことがある。だけど、それで扉が消えてしまうなんてことはなかったはずだ。そう話すと、ワレリィさんは悲しげに首を振った。
「そういう内側じゃないのですよ6。内側は『扉』の入口と出口の間にあるのです7」
「そんなもの、見たことがない」
「見えないように、危くないように、極力小さく縮めてますから11。でも、ぼくの『扉』は基本的にキュトスの姉妹のためのものですから、キュトスの姉妹にならある程度いじることができるのですよ6」
 ぼくは嫌な予感がした。
「……ちょっと待って。内側から閉めたって、もしかして、彼女はその、内側に居るの?」
 フィランソフィアから聞いたことがあった。この宇宙には見えない隙間がたくさんあって、その隙間からこの世界の秩序の外側へと旅立つことが出来るんだって。二度と戻ってくることのない、永劫への挑戦。ワレリィさんは悲しげに頷いた。
「……たぶん4。それくらいおかしな使い方をしない限り、『扉』が消えるなんてありえませんから1……」
「戻ってくることは、出来るの?」
「……わかりませんです4……。すみません3……」
「そうか……」
 ぼくは意味もなく天井を見つめた。水紋みたいな木目を見付けた。何を思っていいのかもわからなかった。
「ありがとう」
「ごめんなさい4……ほんとうにごめんなさいです3……」
 ワレリィさんはまだなにか言いたそうだったけれど、ぼくはなにも訊かなかった。大体、今まで自分で書きとめてきた紀憶をよく見返せばわかったから。剣を佩いた女性はフィランソフィアを憎んでいるディオルさんなんだろうし、ワレリィさんはディオルさんからの手紙を届けさせられていたんだろう。あの日屋上に狙ったように窓が用意されていたのも、ぼくのあとを付けてきたディオルさんがワレリィさんに開かせたものだったのだろう。そのあたりのことをワレリィさんに問いつめたところで仕方がない。どのみちもう、過ぎてしまったことだ。でも、一つだけ気になったことがあった。
「そういえば、ディオルさんは今、どこに居るの?」
「それは……」
「そのあたりは、わたしが話そう」
 声とともに、ノックもせず女性が部屋に入ってきた。ワレリィさんが驚きの声を上げた。

208遺された紀憶(14)-3 ◆hsy.5SELx2:2007/06/11(月) 18:18:26
「ヘリステラ姉さん……」
「ディオルが、迷惑を掛けたな。済まない、気付いてやれなくて」
「……ヘリステラさんは、ディオルさんの味方じゃなかったの? いや、そもそもディオルさんはそう簡単にはここには来れない、って言ってた」
「そう思っていたんだけどね。大体呪いなんてそうそう解けるものじゃないし、短期間封じるだけでも成功例は少ない。でもあいつの執念は並じゃなかったようだ。彼女は両足と引き換えにスィーリアの協力を得たんだ」
「両足?」
 ぼくは自分の耳を疑った。ヘリステラさんはゆるやかに頷いた。
「そう。スィーリアには両足がないからね。取り引きとしては適当なところだ」
「でも、ディオルさんには足があった」
「うまくフィランソフィアを消せたら、という約束だったらしい。ディオルはスィーリアの協力で我が身の呪いを封じ、あげくこの星見の塔で私に気付かれずに人払いをする、なんてとんでもないことまでやってのけた。スィーリアは彼女の足を付けて嬉々としていたよ。ディオルの行方はわからない。足を持たずに、どこへ行ったのやら……」
 執念か、とぼくは思った。自分の足を差しだしてまで、ディオルさんはフィランソフィアに復讐しようとした。でもぼくにそれを非難する資格があるのだろうか。愛するものを失った痛みをぼくはもう知ってしまったじゃないか。そう思った。
「呪い、か……」
「世のなかはたくさんの呪いで満ちているんだよ。殺さずにはいられない者、恨まずにはいられない者、恨みたいのに恨めない者、動きたいのに動けない者、愛されたいのに愛せない者……人と人が関わるとき、どうやったって呪いは生まれてしまうんだ。これはこの世界そのものの業。そういう風に出来ているんだ」
「……今のぼくには、それでいいんじゃないかと思える。それは悲しくて、寂しいことだけれど、不幸せではないんだと思う」
 ぼくは自分で言ってからびっくりした。これは彼女の言葉だ。でも同時に、今のぼくの本心でもあった。フィランソフィアが居なくなったこと、結局ぼくはこんな風にしか生きられなかったこと。そうしてきっと、みんなもどこかでぼくと同じように望まない結末に翻弄されていること。全部、とても悲くて寂しいことだと思う。でもぼくの中には彼女と暮らしていたころの幸せな記憶が残っているし、これからも残り続けるだろう。それに、彼女が戻ってくるかもしれないという希望もある。彼女が戻ってきて、またぼくは何か誤ちを犯すかもしれない。でも、だからと言って幸せだったことまでが嘘になるわけじゃない。この歪な世界はきっと、不幸にはなれないように出来ている。
 ぼくは今、昔と同じように星見の塔の掃除夫をして暮らしている。何人かの姉妹には嫌がられたけれど、ヘリステラさんがどうにか説得してくれた。
 一日の終わり、ぼくはフィランソフィアの部屋を掃除する。彼女のことを考え、彼女との思い出をつらつらと呼びおこす。懐かしくて幸せだけれども、悲しくて寂しい時間だ。でも、どういう形であれ、想い続けたいと思うし、思い続けずにはいられないのだろう。
 そうしてぼくは今日も待っている。彼女と暮らす未来を、旅に出るときを。

209遺された紀憶(15)-1 ◆hsy.5SELx2:2007/06/11(月) 18:41:43
時:99999-9999-9999

 なんの前触れもなくビークレットさんがやって来たときぼくは昼の休憩中で、ヘリステラさん特製トントロポロロンズ茶を飲んでいるところだった。ビークレットさんはそんなぼくを見て息を飲んだ。
「おま……それ飲んでるのか」
「うん。ヘリステラさんに貰った」
「……正直、どうよ」
「………………まあ、うん」
 言葉を濁したけれどビークレットさんには伝わったみたいで、彼女は深いため息を吐いた。
「まあ、それはともかく」
 ビークレットさんはずい、とぼくのほうへ一歩近づく。
「お前、もうバレてるぞ」
「なにが?」
「お前だってのはもうわかってる。今度は何やらかすつもりだ。挑戦なら受けるぞ」
「え……っと。だから、何?」
 ふむ、とビークレットさんは考えた。
「……本当に、知らないのか?」
「だから、何が?」
 途端にぼくの周囲に青色の炎が燃えあがった。逃げ場もないよう、完全にぼくを取り囲んでいる。
「おとなしく吐けば、危害は加えない」
「いや、ちょっと! だから、ぼくには何のことかわからないよ!」
 そうこうしている間にも炎の輪はどんどん狭まってきた。相当な高温のようで、湖のほとりで永遠とも思える時間を耐えたぼくの身体が溶けそうになっている。
「ちょっと! ほんとやばいって! ストップストップスト……仕方ないな」
 ぼくはびっくりした。ぼくの口から、ぼくのものではない声が出てきた。しかもその声には聞き覚えがあった。
「え……とう、さん?」
 その瞬間炎は消えた。ビークレットさんが満足げな表情で立っていた。
「ん。ようやく正体を現わしたかグレンテルヒ」
「え? どういうことかわから、ふむ。大分頑丈に作ったつもりだったんだが、流石にお前の炎は少々きつい。相変わらずの火力、見事なものだ」
 ぼくの口はぼくの意思とは無関係に動いた。もの凄く気持ち悪かった。ビークレットさんはにやっと笑ってぼくを見た。しかし「ぼく」を見ていないことは明らかだった。
「大体おかしいと思ったんだ。こいつ、お前に捨てられたんだって言ってたけどどう考えても捨てるような欠陥品じゃないだろ。むしろ今の時代でもオーバーテクノロジーなくらいだ。何か意図があって置きざりにしたとしか思えない。だから、そんな上等な品なら危機に落ち入ったらなんらかの反応を示すと思ったんだが……予想以上だったよ」
「ふふ。褒めてくれて嬉しい。ただ一つ違う。こいつが欠陥品であることは間違いない」
「嘘つけ」
「嘘じゃないのだよ。こいつはね、あろうことか感情を持ってしまったのだ」
 ぼくには父さんの言っていることがよくわからなかった。ただ、やっぱりぼくは捨てられたということに間違いはないみたいだった。でも、それならどうしてぼくのなかに父さんがいるんだろう。
「ふむ。その疑問はもっともだね」
 父さんはぼくの考えていることがわかるみたいで、ぼくの口を使ってにやにや喋った。
「そもそもまず、私が何故お前を作ったかを説明せねばなるまいな。当時私はわりと死にそーだった」
「口調軽いなおい」
「なんだかビークレットさん、普段と性格違わない?」
 ぼくが訪ねると、同じ口から父さんは答えた。
「なに、ビークレットは魔女の癖に賢くて偉大なこの私に惚れているのさ」
「惚れるかっ!」
 父さんはぼくの身体で楽しげに笑った。

210遺された紀憶(15)-2 ◆hsy.5SELx2:2007/06/11(月) 18:43:08
「ふふ。まあ、話を戻そう。死にそーになって私は思った。死にそーなら生きればいいじゃん、と。それで私は私の精神の複製と、それを入れる身体を作った」
「そんなこと可能なのか」
「あいかわらず頭が悪いな君は。出来ないならやればいいじゃないか」
 無茶苦茶な理屈なのに、父さんが言うと何故か説得力があるのが不思議だ。ビークレットさんの表情が硬ばって、一瞬目の前に青い炎が爆ぜた気がしたけれど見なかったことにした。父さんはあくまで偉そうに話を続けた。
「で、その複製がこの私で、その身体というのがこれだ」
 そういってぼくの身体を指差した。
「だが一つ問題が生じた。どうしても精神がこの身体に定着しなかったのだ。いろいろ実験を重ねた結果、精神の土台が必要だとわかった。それで私は空の人格を作った。それを土台として、私はこの身体に住みついた。その空の人格が、ぼく?」
 最後のはぼく自身の言葉だ。ビークレットさんがうんざりして言った。
「おまえらややこしいなあ」
「仕方ないじゃないか。それで、父さん。その空の人格が、間違って感情を持ってしまったっていうこと?」
 一瞬、考えているような間があった。やがて苦々しげな声がぼくの口から吐きだされる。
「……正直いまだによくわからないのだ。この私ともあろうものが、情けないことに。よくわからない。ただ、いつものように湖までトントロポロロンズを取りに行って、それっきりだった。気付いたらもう、この身体はお前の支配下にあった。それまでお前がどこに居たのかはわからない。作られた空の人格のエラーなのか、それとも、私の精神が分離したものなのか」
「なるほど。こいつが父親の顔を覚えていないと言っていたのは、〈そもそも見ていない〉からだったのか」
「そうだ。こいつはその瞬間初めて生まれた。もっとも一部私の知識や経験を引き継いでいるところはあって、そのせいで認識に混乱が見られたようだがね。ちなみに動けなかったのは欠陥でもなんでもない、単にお前が引きこもりニートだっただけだ」
「働いたら負けなのか」
「引きこもりニートって何?」
 ぼくのなかで父さんは笑った。
「深く考えるな。気にしたら負けだ」
「でもおかしいな。そんなことになってたんなら、どうして今こうして話している?」
 父さんはぼくの身体でかっかっと豪快に笑った。
「いやなに。君が私を殺そうと熱で焙ってくれたじゃないか。それでどこかの歪みがすっぱり直ったみたいでね。晴れて私はこの身体の支配権を取り戻したわけだよ! いやあ嬉しいなあ」
「ちょっとまて! 『……仕方ないな』とか言ってたのはなんだ!」
「かっこつけたかっただけだ!」
「威張るな!」
 不思議だ。どうして父さんを相手にしているとこうまでビークレットさんはムキになるのだろう。ああ、以前は落ち着いた、大人の女性だと思っていたのに……。なんだがぼくのなかのビークレットさんのイメージががらがらと崩れていくのを感じた。感じながらもぼくの口では父さんがかかかと笑っていたりして、本当にややこしいことこの上ない。
「いやあ、君には感謝してるよ。ぶっちゃけ世界が終わってもこいつは残れるくらいの耐久性があるはずだから、長い人生の間その内帰り咲けるだろうとは思っていたんだけどまさか君のおかげで実現するとはね!」
「前から思ってたけどやっぱお前腹立つ。殺す」
「ははははは!!! 殺せるものなら殺してみるがいい! この身体は考え得るどんな攻撃にも耐えられる上、各種武器も取りそろえてあるのだよ!」
「……へえ……いい度胸だ」

211遺された紀憶(15)-3 ◆hsy.5SELx2:2007/06/11(月) 18:47:25
 ぼくらの居る空間が比喩でなしに赤熱していった。床が、天井が、座っていた椅子が溶けていく。同時にぼくの身体もガシャガシャと各部開いていくつもの銃口が突きだしてきた。やめてやめてと叫ぼうとしたのだけれど、父さんの意思に妨害されているのか無理だった。このまま開戦したら星見の塔くらい簡単に消しとぶんじゃね? とか思い、身動きできないもどかしさを感じた。
「はははあはっははー!!! 死ねい!!!」
「覚悟!」
「やめなさい!!!!」
 瞬間、目の前が真っ暗になって、気付いたときには半ば溶けかけの床に叩きつけられていた。
「まったく。妙な笑い声がするから気になって来てみれば……。塔内での戦いは御法度だ。本当ならトミュニだって罰してやりたいところなんだから」
 顔を上げると、まずヘリステラさんが見えた。次に、こちらに向かって手をかざしているムランカさん。それから、二本の剣をビークレットさんに突きつけている宵さん。
 ムランカさんがかかっと笑って言った。
「ビークレット姉さん、なかなか男の趣味が悪いねえ」
「ん。あなたに言われたくはない」
 ビークレットさんはゆっくりと構えを解いた。それを受けて宵さんも刀を下ろした。ヘリステラさんはぼくをきりりと睨みつけた。
「それで、グレンテルヒ。なんのつもりだ。君だって姉妹全員を敵に回したくはあるまい」
「ふむ。もっともだ。しかし喧嘩を売ったのはビークレットが先だ」
「ヘリステラさん、父さんのこと、気付いていたの?」
 言ったのはぼくだ。ヘリステラさんはちょっと俯いた。
「済まない。ただ、知らないでいられるならそれもいいか、と思ってしまった。君を傷つけたなら、謝る」
「卑怯者め。全ての者には知る義務、探求する義務がある」
「その過程で多くの者を殺してもか」
「あたりまえだ。知の探求を行わない者なぞ、死んでいるのと同じだ」
「……へえ、ほんとに?」
 見ると、ムランカさんがいたずらっぽい表情でこっちを見ていた。ヘリステラさんが眉を顰めた。
「ムランカ。またろくでもないことを思いついたんじゃないだろうな」
「ろくでもなくなんかないさ。おい、お前。息子のほう。お前、彼女に会いたいだろ?」
 そんなこと、聞かれるまでもなかった。ぼくはゆっくりと頷いて、ムランカさんを見た。彼女は楽しそうに笑った。
「いいね。若いなあ。そういうの、好きだよ。そこで一つ提案なんだがグレンテルヒ。お前、扉の『内側』に行く気はないか。前人未踏の領域だ。お前の望む『知の探求』にはうってつけだろ」
 ビークレットさんが息を飲んだ。
「おいムランカ、そんなこと、こいつが承知するわけ……」
「ふむ、おもしろいな」
 父さんは本当に、面白そうだと思っているようだった。ぼくの顔が楽しげな笑みが受かんでいく。
「それは本当に、面白い。実際初めてワレリィの『扉』をくぐったときからずっと気になっていたんだ。まだ前人未踏の領域。この世界の外。ひょっとしたら、永劫線に至ることすら可能かもしれない。上手く利用すれば空間だけでなく時間軸すら自在に移動することが可能なはずだ。時空間の秘密についてはずっと温めていたテーマだからな。幸いこの身体は究極の耐久性を持っているし、永劫線に挑むのにはうってつけだ」
 父さんが喋っている間、ぼくの頭は混乱しっぱなしだった。『扉』の内側へ? そんなこと、無理なんだと思っていた。例え実行しても、彼女に会うまえに消えてしまうのではどうしようもないと思っていた。しかし、今は父さんがいる。この自身に満ちた口ぶりからして、死ぬ可能性なんて微塵も考えていないだろうし、父さんが思うからには本当に微塵もないんじゃないか。そんなことありえないのはわかっていたけれど。
「ありえる。不可能なら、可能にすればいいだけだ」
 話を聞いていなかったから、父さんのその言葉がぼくの思考に答えたものなのか、会話の流れで出ただけの言葉なのかはわからない。でも、信じてみようと思った。彼女に、会える可能性があるのだから。

212遺された紀憶(15)-4 ◆hsy.5SELx2:2007/06/11(月) 18:48:15
「でも、危険だ!」
 一方、ビークレットさんはどうしてか動揺しているようだった。ムランカさんは楽しそうに答えた。
「どうして? あたしたちとしても、厄介払いできていいじゃない?」
「ん。こいつがそんなタマなものか。どうせより強大な知識を得てひょっこり帰ってくるに決まってる」
「それならそれで。まーそのときに考えればいいんじゃない?」
「でも……」
「ビークレット」
 それまで黙っていたヘリステラさんが、やっぱりどこか楽しそうに口を挟んだ。
「そんなに言うなら、君も着いていけばいい。グレンテルヒの見張り役。必要だと思うが」
「ええっ!?」
「別にやめてもいい。実際、危険すぎる行いだからな」
「ははははは! 安心しろ! 魔女一人くらい守るのはわけない!」
「危険すぎるとは思いません。わたしならなんとかできる自信はあります。しかし……」
 ビークレットさんはあっさり父さんの言葉を無視した。しかし頭を抱えたり落ちつかなくうろついてみたり真っ赤になったり青くなったりしていろいろ悩んでいた。ちらちらこっちを見たりもしていて、その間ずっと父さんはにやにやしていた。
 やがて彼女はヘリステラさんに向きなおり、言った。
「やります」
「そうか」
「はははははは! やはり私の魅力に耐えられずぐほっ」
 ぼくはビークレットさんに蹴られて吹っ飛んだ。なんだか大変な旅路になりそうだ。
「それでは頑張ってくれ。私はもう行く。ただ約束しろ。必ず、戻ってくるんだ。そこの息子も連れてな」
「はい。わかっております。グレンテルヒはどうなるか知りませんが」
「そうだな。グレンテルヒはどうでもいい」
「おのれ……魔女どもめ」
「それでは」
 そうしてヘリステラさんは振り返らずに部屋を出ていった。宵さんもあとに続いたけれど、ムランカさんがこちらへ来て、耳元で素早く囁いた。
「死ぬ気でフィランソフィア姉さんを探すんだよ。あんたはまだ若いんだ。愛する人と二度と出会えないなんて陳腐な悲劇はやめときな。男の子にはそういうの、似合わないよ」
 ぼくはまじまじとムランカさんを見詰めた。彼女はぼくに目を向けながらも、本当はどこか遠く、別の誰かを見ているようだった。
「好きな女をちゃんと幸せにすんのは男の義務だよ。好きなのに諦めるなんてあっちゃいけないし、女より先に死ぬなんて論外だ」
「……ムランカさんも、来たらどう?」
 彼女は一瞬だけ迷いを見せたけれど、すぐに自嘲的な笑いを浮かべた。
「……やめとく。あたしはもう長く生きすぎたし、あたしとあいつにとって、そういうのはなんか違う気がするからね」
 ぼくにはなにも言えなかった。ムランカさんは素早く立ちあがった。
「なんか変なムードになったな。それじゃ、あたしも行く。頑張れよ」
 そう言って去っていった。あとにはぼくとビークレットさんと、ぼくのなかの父さんだけが残った。ビークレットさんは首を傾げていた。
「……なんの話だ?」
「ちゃんとフィランソフィアを見つけなって、そういうははははは嫉妬かねビークレット! なにせ偉大で賢いこのわたしだからな。気になるのも仕方ない!」
「死ねっ! 空気読めっ!」
 あとになってからぼくは父さんに言った。

 ありがとう。ムランカさんと、ちゃんと話させてくれて。
 なんのことか、わからんな。
 ちゃかしたりしないで、ちゃんと二人で話させてくれた。
 ふむ。私は私の好きなようにしてるだけだからな。
 もしかして、『扉』の内側に行くのをあんなにあっさり承知したのもぼくのため?
 買い被りすぎだな。私は善人ではないのだから。まあ、どう思おうとお前の勝手だ。
……ありがとう、父さん。

 それからも色々あって、ぼくらは今ワレリィさんの扉の前にいる。

 これから『内側』へ挑む。ぼくは彼女に会うために。父さんは世界に挑むために。ビークレットさんは、父さんを見張るため? よくわからない。
 なんにせよ、ぼくにとっては彼女に会えるというそれだけで十分だ。世界は本当に不思議だ。色んな人が思い思われて、その連鎖がずっと先まで続いている。時として呪いとも表現されるそれは、人を悲しくされることもあるけれど、幸せに繋がることもある。要は、繋げる気があるかどうかだ。そうして繋いで行った想いはまた遥かな未来で実を結び、広く広く、どこまでも飛んでいく。
 ぼくはこの紀憶の複製を星見の塔に置いていこうと思う。ぼくの想いのつまった紀憶。みんながこれを読んでどんな風に思うのかはわからない。けれど、帰ってきたとき、ぼくの想いが誰かの胸に実を結んでいたら、それはとても幸せなことなんじゃないかと思う。
 そろそろ、旅に出る時間だ。ぼくはどこまでも行こうと思う。彼女に再開したあとのその先まで、ずっと、ずっと。

213遺された紀憶(∞) ◆hsy.5SELx2:2007/06/11(月) 18:49:07
(了)

214:2007/06/24(日) 10:05:33
木々はとろとろと濃く、ゆっくりと渦を巻いていた。
半分だけしか生えていない木のむき出しの断面や、
宙に浮き、その根で獲物を捕らえるため移動を続ける木、
おもに実と花から出来ており、ところどころに枝や幹を成らせる木、
それらすべてが集まり、一つの眠りを形作っていた。
虫や、植物、動物、空気、時間、星光、言葉、といったものがそこかしこで
眠りについている。その寝息までもが眠って、寝息を立てているのを聴きながら
歩いていると、自分の歩いてきた軌跡に沿って無数の過去の自分が
眠っているのに気づいた。そればかりか、現在の自分、未来の自分の眠り
までもが、あたりに充溢している。知らず私はこの森の一部と化していた。
いつからであったか、ハザーリャ? この森に入りこんだ時のことを覚えていない。
たしか以前はこの外で暮らしていたこともあったはずだが。

215森(2):2007/06/24(日) 17:45:00
ハザーリャの眠りであるハザーリャ、
夢の舌を持ち、その上で世界の夜を転がすハザーリャは答えた。
「森の始まりは、夢の始まりに応じて不可知なのだ。
 おまえは、自分がいつ人生に足を踏み入れたのかを覚えているのか?」

 地に落ちた枯葉は胎児のように丸まり、くるくると腐ってゆくのを待つ。
 私は闇にさらなる影をなげかけ、影は闇にさらなる私を投げかける。
 ハザーリャよ、答えてくれ、私がこの森を抜け出すのはいつのことになるだろう?

216森(3):2007/06/24(日) 21:12:38
ハザーリャの死であるハザーリャ、
かつて一度も生まれたことのないハザーリャは、答えなかった。
ハザーリャの大海であるハザーリャ、
世界と平行な水平線を持ち、決してこの世には交わらぬ海が、かわりに答えた。
「あなたは大イビカンの足跡を辿り、森を出るでしょう」

 朽ちて、骨だけになった石がそちこちに転がるなかを歩いてゆくと、
 いかなる数も持たない建物に行き当たった。その建物は一つにも見え、三つ、七つ、
または幾千にも見える。曼荼羅を見ているようで、建物が自分の構造内に無数の
それ自体を含み、どうしてもそれが「いくつある」と確言することができない。

217森(4):2007/06/26(火) 20:34:57
 その建物の中は、「あくび」や「くしゃみ」たちの巣と化していた。
 かれらの繭や抜け殻をかいくぐって奥に進むと、最深部と思われる
ところに、「祭壇にも月にも怒りにも見える、生きているなにか」がいた。
 その「何か」は、目でないものの眼差しによって、「お前は何者か」と問うた。
 その答えとして、私は意味のない音を発した。おそらく耳のないだろう
「何か」は、しかしどのようにしてかその無意味を理解したようだった。
 それは石や星のない夜空に特有の、あの身振りでもって私に次のような事を語りかけた。
「お前は自分が何者かを決して知ることがないように定められているものだ、
 ほかの全ての者たちと同じように、しかしもっと極端に。
 お前は死と悲惨と戦争と憎悪と病と絶望と恐怖と苦痛と裏切りと愚かさと
アルセスとアルセスとアルセスとアルセスとアルセスとアルセスを潜り抜けるだろう。
 お前の旅路はこの上もなく困難なものになるに違いない」

218森(5):2007/06/29(金) 22:39:56
「死や悲惨、戦争や憎悪は私のかけがえのない悪友です。いまさら彼らの
いたずらになど動じません。しかしアルセスだけはご容赦願いたいですね。
あれはそれ自体では善でも悪でもなく、建設もせず破壊もせず、自分では
何も変わることなく、ただ触媒として作用して、世界を誇張します。
そもそもこの世界自体が誇張された無に過ぎないわけですが。
私は私の戯画になりたくない。極端なものに加速させられたくない」
 私はそう「何か」に言った。すると「何か」は、地面に雨が滲みこむように、
すっと「かたち」のなかに溶け込んで、消えてしまった。「祭壇と月と怒りに
似た何か」は、もうただの祭壇にしか見えなかった。
 私はそこで、数のない建物を出ることにした。暦には決して載ることのない
幾日かを経て、私はふたたび森のけもの道を辿った。あたりには「意味」の死骸が
たくさん落ちているので、それらを焼いて食べながら進む。苦い味がした。
 しばらく進むと大イビカンの足跡の、最初の一つと思えるものに出会った。
十二脚鳥が、巣に一冊の本を、雛のように抱え込んでいるのを見つけたのだ。
私が頼み込むと、鳥は「かならずそこに書いてあることを自分よりも大事に
思うこと」を条件に読ませてくれた。お安い御用だ。

219森(完):2007/06/30(土) 16:51:08
 十二脚鳥は、腹から生えた十二本の翼ある脚を雪の結晶のように広げ、
円盤のようにぐるぐる私の頭上を回り始めた。私は本を開いた。
 最初の見開きには何も書かれていなかった。
 次の見開きは意味のない記号の羅列だった。
 三番目の見開きは罵詈雑言の嵐だった。
 四番目の見開きにはとても美しい詩が載っていた。
 そして五番目の見開きから一つの物語が始まり、それは最後のページまで
続いて、それでも終らなかった。物語は本の端の端まで続くと、本をはみ
だして、世界のなかにまで伸び、果てしもなく広がり始めた。眩暈がした。
私はこの物語に、最後まで付き合わなければならないのか? この物語は世界
のどこまで続くのか? 私の生の限界内に、それはすっぽり収まってくれる
ようなものなのか? この物語を書いた者が本当にいるのか、それは大イビカン
なのか? 大イビカンとはいったい何者だろう?
 この物語を辿るのは、地面に立てられた千万尺の竿のてっぺんから、
一歩を踏み出そうとするようなもので、まったくの愚行と思われた。
 しかしそのとき、頭上の十二脚鳥がひと声啼いた。松明に火を灯す音に似ていた。
「かならずそこに書いてあることを自分よりも大事に思うこと」
 その言葉を思い出し、私はため息をつき、ふたたび道を辿り始めた。
 ここはもう森ではなく、一つの物語のなかだった。その中で、私は自分の
役目を知らない。他の全ての人々と同じように、しかしもっと極端に。

220噂話1:2007/07/15(日) 21:35:58
知ってる?
夜のデパートにはね、「もともとくん」が出るんだって。
「もともとくん」は昔そのデパートの階段から転がり落ちて死んじゃった子供の霊
なんだけどね、彼は死の直前、覚えたての「もともと」って言葉をしきりに使ってたらしいのね。
それで、「もともとくん」って呼ばれてるわけ。
元来、って意味の「元々」なのか、それとも何かの固有名詞なのか、それは今となってはわからない。
何でかって言うと、その後相次いでその子の両親が自殺しちゃったから。
ちょっと目を離した隙に子供が死んじゃうんだもの。無理もないっていえば、無理も無いよね。
で、それ以来、そのデパートの階段を使うと「もともとくん」がやってくるの。
で、「もともとくん」にね、もともと、もともと、ってささやかれるとね。
その人は、デパートの中で



「って、何それ。そこで止まんないで頼むから」
「え、いや、そこまでだけどこの話」
オチ無しかよ、とか突っ込もうとして私は断念した。
何故って、奴はもう既に他の友達の所にこのエセ怪談話を広めに行っていたからだ。
全く。この年になって、なにをアホくさい。
そう思いつつも、私は微かな違和感を胸に覚えていた。
友人が言っていたデパートの話は確か実話だ。数年前あるデパートで起きた転落事故。
小さい子供だったからちょっとしたニュースになった。
そして確かそのデパートは、

「近所じゃない・・・!」
ふと、ぞっとしたものを感じた。
「もともとくん」
その間抜けな響きが、ひどくおぞましい感じがしたのだ。

221噂話2:2007/07/15(日) 23:13:18
「晩節」
そうとだけ、そのメールには打たれていた。
みしみしと鳴る、床。
はぁはぁあ、と荒い息と、ねえ、ねえ、と



私は友人たちと一緒に買い物に来ていた筈だった。
だったのに。
世界の認識が出来ない。描写が出来ない。ここは何処だろう。どこなのだろう。
怖い。何も見えない。見えてるのに見えない。
デパートの、白い壁が。陳列された商品が。
みんな。
みんなみんな、真っ白。
無い。ないないない。友達がいない。ものがない。場所が無い。
白じゃない。これは真っ白だけど、白じゃない。
光。まわり全部が光ってて、何も見えない。ううん。
全部が見えて、見えすぎて認識できない。
なにこれ、なにこれ、なんなのこれ。
後ろで、後ろで、見えないのが、なにか

222噂話2:2007/07/16(月) 00:34:22
がさがざ、がざがさ・・・・

風が舞い、青葉が揺れる。
強めの風は木の枝をしならせる程度だけれど、振幅は自宅の窓に触れて音を鳴らす丁度良い長さ。
ざわざわかさかさと、古い窓をがたがたと揺らし、その夜、私は不気味さに必死に耐えながら布団に包まっていた。
自室は対して広くも無い六畳程度の二階部屋。中学に上がった時から三年ほどの付き合いになるけど、
上京した姉のお下がりという事もあって大分古びて汚れも目立つ。
壁のシミが顔に見えたりして怖かったり、隣の弟が延々と怖いゲームとかやってるBGMがうす壁越しに聞こえてきたりして、
あんまり好きな部屋ではない。
なにより、薄っぺらな窓をぶち壊して誰かが入ってきそうで怖いのだ。
おあつらえ向きの、上りやすそうな木まで伸びている。
特にこんな、風の強い夜は。

だって、風の音と、一緒に。
がさがざ、がざがさ、
がざ、がざ、がざがざがざがざがざがざがざ・・・・・・
羽音が、虫が、羽虫が密集して蠢いているかのような音がするのだから。

223竜と竜と白の巫女:2007/07/18(水) 00:40:22
2・6 (続き)

理解していた事ではあるけれども、改めて言われるとやはりショックではある。
界竜とは竜神信教における最高神であり、界竜の巫女として彼女に求められているのは
界竜との交信である。
自分は己が未熟ゆえにその責務を果たせていないのだ。
生来が生真面目な性質である。
土竜ははっきり言い過ぎたか、と労わるかのように声色を和らげ語りかける。
「まあ、なんじゃ。 そんなに思いつめる事でもなかろ。 お前さんはまだ若いし・・・・・・」
「違うのです」
「何?」
「己の未熟を嘆いているわけではありません・・・・・・いえ、無論それも憂慮するべき
ことではありますが、それよりも私は」
己の弱さから逃げ道を求めてしまった事を悔いているのです。巫女は言う。
「自分の未熟さから大御主との交信を行えていない事実に気づいていながら、
できないのは神の不在ゆえだ、などと・・・・・・。 不信心どころではありません、
責任の所在を他に求めて駄々を捏ねる子供のすることです」
ふむ、と竜は髭を器用に曲げ、「腕を組んで」見せ、それで? と視線で促す。
「目の前の苦境から目を逸らすこの私の弱所があればこそ、大御主も私と意思を
交わして下さらぬのでしょう。 これも現世的肉体的な強さにばかり縋り、下らぬ疑心など
抱いた私の・・・・・・」
「いや、違うじゃろ、そりゃ」
俯き加減に訥々と語る界竜の巫女。その自省とも自責ともつかない言葉にからりと言葉を割り込ませる竜。
見上げ、問う視線は暗色から懐疑の灰へ。片眉をひそめる巫女に呆れたかのような溜息を混じり混じり言う竜である。
「あのな、まず前提が間違っとる。
なんで神がおぬしみたいな小娘が努力したくらいでいちいち反応せにゃならんのだ」
「は? いえ、ですから私は竜神信教の巫女として、大御主と交信する能力を見出されて、」
「その「竜神信教の巫女」とやらだと、いと尊き界竜はわざわざ下界まで下ってきてお言葉を垂れてくれるわけか?
根拠は? 言質はとったんか? あったとして、そりゃ本当か? そもそも当の本人はお前さんたちのことを知っとるんか?」
言葉に詰まる。
竜神信教にいくつかある教典・・・・・・例えば「日策連日」などには大御主たる界竜ファーゾナーと
最古の巫女との対話が完全な形で記されている。その中に界竜からの世界へ、ひいては人間への
祝福と繁栄の約束も含まれて入るのだが、その内実の大半が最近になって編纂された際に
大幅に捏造・修正されたものだというのは暗黙の了解となっている。
界竜の巫女は口からとっさに出そうとした反論を無理やり押し止めた。
ここで何かを言い出すことは、逆に自らの信仰を決定的に破壊することに繋がってしまうような、
そんな気がしたのである。

「ま、それもこれもワシの知った事じゃないだがなぁ。
実際のところは正しく、神のみぞ知るってもんだろうが」
「貴方も、曲がりなりには神なのでしょう?」
「【曲がり神】じゃ。さっきも言ったが、神ではないよ。どうも、お前さんワシの言った事を勘違いしとらんか?
ワシはお前さんに巫女の中で唯一の偽者と言ったがな、ありゃあ・・・・・・」
そのとき、音も無く土竜は消失した。余りにもあっけなく、脈絡なくその姿がかき消えたので、
界竜の巫女はひょっとして今のは自分の夢か妄想であったのではと疑ったほどである。
が、ほどなくその理由が知れる。
「一位様、一位様、おられますかっ」
やや幼さを残す耳に新しいその声は、彼女が日中世話をしていた巫女。
「四位。 どうしたのですか、こんな夜更けに」
「大変なんですっ!」
血相を変えて、否、面を蒼白にして駆け寄る威力竜の巫女の様子は尋常ではない。
界竜の巫女は先ほどまでの不可思議な出来事を思考から切り離した。一切の余分が
邪魔になるようなことが起きる。
どうしようもなく悪い事があると、彼女はそれを直前に感じ取ってしまうことがたびたびあった。
巫女特有の霊感のようなものだと彼女は思っているが、口の悪い第五位、龍帝の巫女などには
「野生の勘だろう」などと評価される。
界竜の巫女は後輩をまず落ち着かせようと肩に手をかけた。正確な報告がなくては、
正確な状況把握は望めない。
が、威力竜の巫女が次いで放った言葉は界竜の巫女の冷静さを失わせるに十分なものであり、
「ゼオーティア教徒の方々が、門前に集まって抗議運動を・・・・・・」
彼女が問い返そうとしたその時、神殿の反対側で無数の群集たちの怒声が轟いたのである。

224人形の夜:2007/07/24(火) 19:22:19
 むかしむかし、ある所に大きなお屋敷がありました。具体的に言うとアルセミアの郊外です。そこには一人のおじいさんが住んでいました。よくあるパターンで、事業に成功してお金を溜め込んだものの、会社を次の世代に引き継いだあとは何をすればいいかわからなくなって引きこもっているという人でした。お金なってあってもなくても同じだとそのおじいさんは悟りました。私はお金欲しいけど。
 で、結局暇なことに変わりはないので、そのおじいさんはやっぱりセオリーどおりに不穏なことに手を出し始めてしまいました。世の中ってのは単純さとワンパターンが横行している面白い場所ですねえ。善良な人ほど、くっら〜〜〜〜いものに惹き込まれる。
 おじいさんはいわゆる黒魔術に手を染め始めました。外国へ旅行に行ったとき手当たりしだいに面白そうな人を呼び集めたら黒魔術師が混じっていたそうです。秘術を使う者ならそんなとこにひょいひょい出て行くなよっていいたくもなりますね。
 彼が専門としていたのは人形に命を吹き込む術でした。希少な材料を使って人形に命を持たせて、更に希少な材料を使って自分の思い通りに教育したり、もっとありていに言うと洗脳して悪いことをさせちゃったりします。「命」っていうのはとても特別なものだから、そう簡単にはうまくいかないらしいけど。
 で、ここまでで勘のいい人はわかったと思うけど、私がその人形なわけなのです。体長三十センチ。女の子をかたどった、まあ、なんかアンティークな感じの人形。昔はゴスロリっぽいっていうか、ぶりっ子っぽい服装着せられてすげー嫌だったんだけど、今はもっと普通のワンピースとか着てます。今の保護者が変な奴で、男の癖に裁縫とか好きなの。コスプレ好きってのとも違うみたいだし、ただ単に指をちまちま動かすのが好きみたいです。
 「今」の保護者ってつけたのからもわかるように、最初話したおじーさんは死にました。私が殺した。黒魔術師が私の身体に仕込んだ256の秘術をフルに活用して、魔術師ともども塵になるまでぶっ潰してやった。今でもあの二人を殺したことだけは後悔していません。あの二人が私や、他の人にしてきた事は、とてもじゃないけど私には許せることじゃなかった。

       ○

 暑い夏の、月の綺麗な晩だった。冷蔵庫に何もなかったので、菓子パンでも買おうかと近所のコンビニへ向かっていたら、道端に人形が落ちているのを見つけた。古ぼけた人形だった。女の子をかたどった姿で、着ている服はピンク色で華やか。洋風の豪華な部屋にでも飾ってありそうなアンティークな感じだったけれど、どこか愛嬌があった。かなりぼろぼろになっていて、体のあちこちから綿がはみ出ていた。昔から指先を動かす作業は好きだったので、ひとつ直してやろうかと思って家へ持ち帰った。
 一旦家に人形を置いてから改めてコンビニへ行ったのだけれど、帰ってくると家の中の物の配置が変わっているような気がした。本棚の本の並びが入れ替わっていたり、閉じていたはずの鞄が開いていたり。それでもそのときは特に気に留めなかった。俺は早速人形の修繕に取り掛かった。
 まず服を脱がせ、風呂場の洗面器の中でごしごしと洗う。心なしか布の肌色が赤みがかった気がしたけれど、単に濡れたせいだと考えた。ついでに服もあらう。こういうとき布製の人形は便利だ。何の気兼ねもなくごしごしとやることが出来る。服は洗濯ばさみでハンガーに止めて、人形本体のほうはどうするか少し考えてから身体に紐を結わえて物干しに吊るした。とりあえず破れた部分は乾いてから縫うことに決めて、その日は寝ることにした。
 夜。物音に気付いて目を覚ますと、目の前にナイフの刃が白く

225ユラギユラメキ(0)-1:2007/08/26(日) 21:27:17

 大きな丸い陽が西の地平に沈んで行く時刻。
独特の静けさを漂わせている書物に溢れた部屋で、年老いた男がゆっくりと歩き回っている。
少し引きずるような足音と、時折聞こえる彼の咳だけが、静寂を少しだけ揺らめかせていた。老人の視線は何処に定められているわけでもなくうろうろと彷徨い、几帳面に整理された本棚を泳いでは、すぐに別の場所へと移動する。そのくり返しの後に、ふとドアを見た。がちゃり、とドアが開き、長身の女性が入ってきたのと同時だった。
 彼女は強い西日を浴びて目を覆う。すぐに老人の姿に気づき、驚きと呆れが混じったような声で名前を呼びかけた。
「アレさん、どうしたんですかこんな時間まで」
 老人が何か答えるよりも早く、さらに続ける。
「まぁ、いつもの事ですから、理由は分かってますし別に怒りもしません。ですけどね、ここは一般開架閲覧室じゃないんですから、大切な資料が満載なんです。セラテリスなんかが持ち出した事件もありますし、あまり長く開けてはおきたくないんですよ」
「分かっとるよ。レーヴェヤーナ、お前はこの頃やけにイライラしておるようじゃな。体に悪いぞ、もっと余裕を持ちなさい」
「だーかーらー、アレさんが毎日こうして書庫の利用時間を過ぎてここにいるから、私の精神疲労が溜まりに溜まりまくって……」
 のんびりした口調のアレとは対照的に、早口でまくし立てるレーヴェヤーナの声がふっと途切れた。後ろでまとめた短い紫の髪に触れて、申し訳なさそうに頬を染める。
「すいません。私、やっぱり疲れてるみたいですね」
「謝ることじゃない。ワシはただあの子を待ってるだけじゃが、お前にとってははた迷惑限りない。それは分かってるつもりじゃ」
「それが分かってんなら……」
 彼女はまたしても頬を染めて口を閉じた。閉じたというよりは、抑えつけたという表現のほうが正しいかもしれない。
 アレは笑って、窓際に寄った。目を細めてオレンジの街を見下ろした。
「あの子は天真爛漫、勝手に育っていくとは思っとるが、一応ワシが責任を持って育てねばならないからの。何日も顔を見ないと不安になって、ここで気晴らしをしたくなる」
「アルセス君なら心配いりませんよ。彼はもう自らがどういう存在なのか十分理解しているでしょうし、限度というものもわきまえています。年頃ですから、こんな狭い街、彼にとっては狭すぎるんですよ」
「そうじゃろうな。今は確かに、様々なものに触れて刺激を受けた方が良い。それは分かっとる。じゃがのう……」
 アレはそこでいったん区切り、涙を潤ませた、少々オーバーな作り顔でレーヴェヤーナを見つめた。
「暇なんじゃよ。ワシの暇つぶしになる本はここにしか置いとらんし、ワシの話し相手になるのもレーヴェヤーナくらいしかおらん。分かるじゃろ?」
 レーヴェヤーナは一瞬、この老人を自分が酷く傷つけてしまった、と反省した。が、その隙をついて彼女の胸に接近してきた皺だらけの手に気づき、即座に頭の中で撤回した。
「分かりました。そこまで言うなら、一冊本をお貸しします。本当は禁帯出なんですけど、アレさんに毎日書庫に来られるよりはマシですから。では、そういうことで」
 彼女は自然な動作で老人から離れ、一番分厚くて難解な本を手に取ると、彼女の胸を触ろうとしたその手に乗せた。片手では到底持てないだろう重さであることは容易に想像できたが、アレは平気な顔で、むしろ嬉しそうにその本を片手で持ち眺めていた。
「すまんの。無理な願いを聞いてもらって」
「……どうせいくら断っても粘られるのは目に見えてましたから、問題はありません」
 レーヴェヤーナは引きつった笑顔で答えた。
老人は目を細め小さく笑うと、再度窓の外に視線を移す。

226ユラギユラメキ(0)-1:2007/08/26(日) 21:28:43
「しかし、いつまで続くと思う? レーヴェヤーナ」
 一瞬、その意味するところを解しかねたレーヴェヤーナであったが、これまでの事象からアレが言わんとしていることを理解し、即座に返答を用意した。
「それは、彼次第でしょう。確かにショックは大きいでしょうけど、それは彼に限らず誰でも一緒です。そこからいかに立ち直るか、私達はしっかり見届けなければならないと思います」
「ふむ。まるでテストの模範解答のようじゃな」
 彼の表情は読み取れなかったが、その声から皮肉めいたものをレーヴェヤーナは感じた。
「時には模範解答も役に立ちます」
「お前はもう少し自分を出すということを学んだ方が良い。お前なりの優しさが、誰かを傷つけていることもある」
「……心に留めておきます」
 レーヴェヤーナは言いながら、いつになく近寄りがたいアレの独特な雰囲気を肌で感じていた。
これが古き神を統べる者のオーラなのかしら。彼女は黙って、側にあった本の整理を始める。
「ところでレーヴェヤーナ」
「はい?」
 先ほどまで窓際にいたと思った老人の声がすぐ耳元で聞こえたので、彼女は驚いて振り向いた。
と、そこに伸びた皺だらけの手を彼女がひねり上げるのと、老人がもう一方の手を彼女の胸に伸ばすのは同時だった。

続く

227言理の妖精語りて曰く、:2007/08/26(日) 21:29:25
あ、↑は(0)-2でした

228カーズガンの憤怒(表)(1):2007/08/29(水) 00:53:21
 戦に負け、燃え上がる己が集落において、カーズガンが自らの幕舎で見たのは信じられない光景だった。
 剣を手に立つ男と、その足元に転がる二つの血塗れの死体。
「ハル……バンデフ?」
 彼は男に声をかける。
 ゆっくりと振り返ったその顔は、すっかり大人びた顔になっていたが、彼の知る幼馴染の面影を残した顔だった。
 そして、その足元に転がる女の死体は……
「……!!」
 その顔を見て、彼は驚きに大きく目を見開き、そして思わず言葉を失った。
 男の足元に転がる半裸の死体は、彼の最愛の妻だった。
 乳房の下から大量に流れ出た血と、半開きの唇から流れ出た血は、彼女の死という事実が最早変えられないことを示していた。
「どうして……どうしてなんだ!」
 カーズガンは男、ハルバンデフに叫ぶようにして言う。
 愛していたから知っていた、妻の心が本当は自分に無いことを……かつての許婚であるハルバンデフにあることを。
 幾年の時間を経ようと、幾度身体を重ねようと、それが変わらないことを彼には分かっていた。
 それを示すかのように何年夫婦を続けようと、彼女の身体がそれを拒んでいるかのように二人の間には子供は産まれなかった。
 だから、もしハルバンデフが自分の妻を迎えに来たのならば、その時は彼女が選ぶのならば自らは潔く身を引こうとまで考えていた。
 なのに……
「何故だ、何故殺した、ハルバンデフ!」
 その最愛の女性を、他人の妻になっても一人の男を愛し続けた女を、愛されたハルバンデフは殺してしまったのだ。
「答えろ、ハルバンデフ!、何故殺した!」
 全ての感情をぶつけるようにして、涙を流しながらカーズガンはハルバンデフに問いかける。
 だがハルバンデフは答えない。
 無表情の顔と、無感情の眼、そして唇には沈黙。
「彼女は……」
 ……彼女はお前を愛していたんだぞ!
 それをカーズガンは言葉に出来ない。だが、ハルバンデフには分かっているはずだと彼は思っていた。だから、そんなハルバンデフを見て、カーズガンは込上げた怒りを抑えることが出来なかった。
 気付けば、カーズガンは腰の剣を鞘から抜いてハルバンデフに斬りかかっていた。
 ハルバンデフはそれを剣で受け止めたが、その一撃は痺れのあまりに剣を落してしまいそうな程に重い一撃だった。
 しかし、カーズガンは己の剣も折れよとばかりに、力任せの斬撃を次から次へと繰り出した。
「答えろ!何故だ!、何故だ!、何故殺した!」
 斬りつけながら問いかけるカーズガン。しかし、ハルバンデフは無言のまま彼の斬撃を受け止めるばかりだ。

229カーズガンの憤怒(表)(2):2007/08/29(水) 00:54:02
 いや、「違う……」とハルバンデフはカーズガンの問いに答えたのかもしれない。だが、例えそうであったとしても憤怒の感情に支配されたカーズガンの耳には届くはずは無い。
 幾度も交わされる剣戟の金属音は周囲に響き渡り、やがてそれは当然敵兵の聞くところとなった。
「誰かいるのか?」
 幕舎を覗き込んだ敵兵に気付き、それを斬り伏せるカーズガン。
 その剣威はハルバンデフだからこそ受け止められたのであって、ただの一兵士には受け止めることはおろかかわす事すら出来なかった。
 真っ二つになる肉体と、飛び散る血飛沫。
 その血飛沫を頭から浴び、まるで悪鬼のような姿になってカーズガンはハルバンデフを振り返った。
 肩膝をつき、肩で息をするハルバンデフに彼は言う。
「今は生かしてやる、ハルバンデフ。だが、次はその首を必ず貰う!。必ずだ!。お前は俺が必ず殺す!」
 そう言うと彼は幕舎を走り出る。
 案の定、幕舎は敵兵に囲まれていた。
 だが、彼はそれらを斬り、砕き、潰し、そして走った。
 一人斬り、二人砕き、三人潰しと殺戮に手を染めながら、彼は自分の心が殺意と怒りと、そして悲しみに塗りつぶされていくのを感じた。
 それは、もう自分でも抑えることが出来ない衝動だった。
 
 
 どこをどのようにして逃げ延びたのだろう。
 気付けば、彼は自らの部族の敗残兵に合流していた。
「カーズガン様、カフラは……我らが部族は……」
「……分かっている」
 彼はそう答えて唇を噛んだ。
 自らの部族が滅ぼされた。それは悲しいことだが、戦国時代にあり、弱肉強食の草の民の世界においては仕方ないと心のどこかで諦めることができたことかもしれない。
 だが……彼には許せなかった、最愛の女性を不幸なまま死に至らしめた世界が、そしてその彼女を受け入れずに逆に死に至らしめたかつての幼馴染が。
「ハルバンデフ!」
 噛んだ唇からは血が滲み出て、顎を伝って地に落ちた。
 それは抑え切れない殺意と怒りと、そして決して癒されることの無い悲しみの具現化だった。
「お前だけは許さない!。例え、この身を悪鬼に堕とそうとも、世界全てから罵られようと、必ず殺す!」
 遠くに燃え盛る、かつての自分の集落を眺めながらカーズガンは呟いた。
 
 
 それが長きに亘る、二人の戦争の始まりだった。

230オーリェントでのこと(1/2):2007/09/03(月) 00:36:47
 昔、オーリェント(東の国のこと)にはイェル族とイス族とがいた。イェル族は
平和を重んじる穏健な部族、イス族は名誉を重んじる勇猛な部族だったが、
このふたつの部族はお互いに相争うことなく、互いを尊重していた。めったに
ないことだったが、ふたつの部族の間で結婚する男女がいると、それは両方
の部族でめでたいこととされ、合同で婚姻の儀式をとりおこなうならわしだった。
 イェル族にフィリスという娘がいた。あるとき、フィリスは彼女の兄であるサレ
ムを殺せという彼らの神である主の宣託を受けた。フィリスはそのようにした。
そこで、彼女の恋人でありサレムの友であったイス族のラエルは激しく怒り、
彼女を問いただした。そのおぞましい肉親殺しが主の考えによるものだと知る
と、イス族であるラエルは嘆いた。そこで暗い夜の空の悪霊たちが彼にささや
くと、ラエルはそれを信じ、主を信じるのをやめた。ラエルは自らの部族のもと
へ帰り、イェル族のフィリスが兄サレムを殺したことを言いふらして、悪霊たち
を褒め称え、激しく主をののしった。部族の半分のものがラエルに従って主を
信じるのをやめ、半分は悪霊たちを信じて主をののしる彼らを憎んだ。そこで
彼らは殺し合い、全滅した。怒りのあまり強き霊となったラエルは、自分にささ
やいた悪霊たちに従い、部族の死んだ霊たちに呼びかけ、全員が悪霊たちの
仲間となった。イスの霊たちは、自分たちに破滅をもたらしたイェル族とフィリス
を憎み、それを滅ぼし、イェルという部族の名とオーリェントの土地を呪った。

231オーリェントでのこと(2/2):2007/09/03(月) 00:37:55
 そこでイェルのものたちは諸世界をさまよう霊となってオーリェントを去った。
そこで彼らは今ではたんに流浪の霊たちと呼ばれる。流浪の霊たちは彼らの
主を信じ、主の考えによって流されたサレムの血がやがてオーリェントを祝福
して、自分たちはふたたびイェル族となってオーリェントに戻れると信じた。そ
こで彼らは今では、オーリェントの土地のことをイェルサレムと呼んでいる。
 イスの霊たちは、悪霊たちに従ってオーリェントの地から飛び去り、暗い夜の
空のはるかなむこうに去っていった。ラエルは悪霊たちによって、部族を束ねる
イスラエルという新しい名前を与えられ、またかつてのイスの部族であった霊た
ちはラエリアン、つまりラエルを信じるものたちと呼ばれるようになった。
 フィリスとその家のものは、フィリスのおこないによってイスのものたちから
憎まれ、追いやられた。彼らをあわれんだパンゲオンの国のラヴァエヤナは
フィリスの家のものたちを自分の館に呼び込んだ。そこでフィリスの家のもの
たちは流浪をやめたので、パンゲオンの国のものたちはフィリスの家のもの
たちをイェルの人びとと呼んだ。
フィリスは流浪の霊たちとイスの霊たちの両方にあまりにも強く呪われていた
ので、ラヴァエヤナは彼女を館に入れることを拒んだ。フィリスは嘆き、パンゲ
オンの国のものたちにその悲しみをささやきかけた。彼女がパンゲオンの国の
ものたちにイェル・ア・フィリスとして知られているのはそのためである。
 パンゲオンの国のものたちは、ラヴァエヤナの館に入ったイェルの霊たちか
らオーリェントでのことを聞き、悪霊たちのあまりに強く激しいのを恐れたので、
パンゲオンの国では悪霊たちはイスの大いなる種族と呼ばれる。

232カーズガンの憤怒(裏)(3):2007/09/09(日) 03:24:49
 君が好きだった。
 君の笑顔が好きだった。
 君の怒った顔が好きだった。
 君の泣いた顔が好きだった。
 君とカーズガンと三人で馬を走らせるのが好きだった。
 僕とカーズガンとでわざと意地悪をして、二人で先に馬を走らせて、君が僕らに必死に着いてくる姿を見るのが好きだった。
 君の声が好きだった。
 君の笑った声が好きだった。
 君の怒った声が好きだった。
 君の泣いた声が好きだった。
 君と一緒に居るのが好きだった。
 君とカーズガンとで三人、たわいも無い話に興じるのが好きだった。
 僕は君を愛していた。
 だというのに……
 
 
 幕舎の中、ハルバンデフは足元に転がる二つの死体を見つめていた。
 ……僕は……
 その目は大きく見開かれ、冷や汗が額を伝って落ちる。
 血塗れの剣を握っているその手は震え、口の中がカラカラだった。
 幕舎の外からは悲鳴と、人馬の嘶き、そして集落が燃える音がしていた。
 ……僕は……殺してしまった……
 今更込上げてきた罪悪感に、彼は思わず一歩後ずさる。許されるのならばこの場から走ってどこまでも逃げてしまいたかった。
 ……僕は、取り返しのつかないことをしてしまった……
 どうしてこんなことになってしまったんだろう?、とハルバンデフは考える。
 自分が悪いのは分かっている。でも……
 ハルバンデフの頭の中で、つい半時間前の出来事が思い起こされた。

233カーズガンの憤怒(裏)(4):2007/09/09(日) 03:25:30
 「カフラの集落が燃えているだと!?」
 ハルバンデフは怒鳴るようにして物見の兵に聞いた。
「馬鹿な、集落は占領するだけで手をつけない段取りだったはずだぞ!」
 戦闘前の会議では、ハルバンデフ率いる寡兵がカフラの主力を引き付け、その間に主力部隊がカフラの集落を襲撃してこれを占領し、主力軍の背後を絶ち、あわよくば降伏勧告を行い彼らを降伏させるという手はずになっていた。
 この数年の戦争による勢力拡大によって既にその力は凌駕したとはいえ、カフラは依然として強大な、そして豊かな部族だ。これを滅ぼすのではなく、取り込んだのならば草原の制覇も容易になる、というのがハルバンデフの主張だった。
「はい。しかし、実際にカフラの集落では略奪が始まっておりまして……」
 物見の兵の言葉に、「誰だ!、命令を出したのは!?」とハルバンデフは声を荒げて言う。
「はぁ……族長様、貴方のお兄様です」
「馬鹿な!!」
 ハルバンデフは絶句した。
 決して兄は族長として愚鈍な人間ではない。むしろ戦略というものぐらいは分かっている人間のはずだった。
「しかし、事実です」
「もう、良い!」
 ハルバンデフは物見の兵から踵を返し、自分の愛馬に跨った。
「閣下、どちらへ参るのですか?」
 その姿を見て、副官が慌てたように言う。
 「カフラの集落だ」とハルバンデフは答えた。
「兄にその真意を問いただす。そして、馬鹿げた行為を止めていただく」
「しかし……」
「私が戻るまで勝手に兵は動かすな。もし戦闘になったのなら防戦に徹しろ。まともに戦えばすぐに蹴散らされるぞ。なにせ敵将は……」
 カーズガン
 彼はその名前を思い出す。今は敵味方に分かれているが、かっては友、いやまるで血を分けた兄弟のように仲が良かった男。その実力を彼は知っている。彼に戦い方を教えてくれたのはカーズガンなのだ。
「では、せめて護衛を……」
「不要だ」
 そう言うと彼は愛馬を走らせた。
 愛馬は彼の意思を汲んだかのごとく、疾風のように草原を疾走する。
 敵陣の脇を潜り抜け、やがて見覚えのある光景が彼の目の前に現れる。
 カフラの集落だ。
 幼い日、内乱で滅びかけた部族を救うために彼が人質に出された場所。
 決して良い思い出ばかりがそこにあったわけではなかったが、悪い思い出ばかりでもなかった。
 少なくとも人質であるはずの彼を、カフラの部族は仲間として受け入れてくれたのだから。
 だが、そのカフラの集落は今正に灰燼に帰そうとしていた。
 集落のあちこちからは既に煙があがっていたのだ。
「兄上、貴方は……」
 嘘だと信じたかったが、物見の兵の言葉は本当だったのだ。
 彼は唇を噛み、カフラの集落へと愛馬を走らせた。

234カーズガンの憤怒(裏)(5):2007/09/09(日) 03:27:04
 集落の中では既に略奪と放火、そして殺戮が始まっていた。
 別に草の民の戦争において珍しい光景ではない。おそらく他国の戦争においても珍しい光景ではないだろう。
 だが、ハルバンデフは目の前に繰り広げられる光景に愕然とした。
 ……燃える、燃える……カフラが燃える。
 燃えているのはカフラ族の集落だけではなかった。彼自身の記憶でもあった。
 カフラの集落が燃えることで、そこにある彼自身の幼い時分の記憶もまた燃えて灰燼に帰そうとしていたのだ。
 ……止めなければ
 ハルバンデフは騎手を返し、必死で兄の姿を探した。
 だが、兵達の中を探せど兄の姿は見つからない。
 疲れ果てたハルバンデフの前に現れたのは見覚えのある幕舎だった。
 カーズガンの幕舎だ。
 カーズガンがハルバンデフより二歳早く成人した時に与えられた幕舎で、彼はよくこの幕舎に遊びに来てはカーズガンと他愛の無い話や悪ふざけに興じていた。
 ……いや、俺とカーズガンだけじゃなかったな。
 彼は仲間達の顔を思い出す。
 ……いつだって、俺はここで一人じゃなかった……寂しくなかった……それはカーズガンと……
 彼は一人の少女の顔を思い出す。
 人質にばかりの時、一人孤独にしていた彼に声をかけてくれた少女……カーズガンと一緒にいつも彼の側にいてくれた少女……
 あの頃、彼は彼女が側に居る生活が当たり前だと信じて疑わなかった。
 だから、彼が成人した後に、故郷から祝いの言葉も迎えも来ない彼を部族の一員として認める意味で彼女が許婚として与えられた時もそれが当たり前のことであるようにしか感じられなかった。
 けれど婚礼を前にして突然故郷から迎えの使者が来て強引に引き裂かれてから彼は気付いた、自分は彼女のことが好きだったのだと……
 幕舎の中から人の呻く声がしたのはその時だった。
 ……まさか!?
 ハルバンデフは悪い予感に胸騒ぎがするのを感じて愛馬から降り、幕者の入り口をくぐる。
 そこにいたのは彼の兄である族長と、そして彼に組み伏され犯されている一人の女だった。
「族長、ここにおりましたか……」
「ハルバンデフか?」
 そう言って、族長は行為を中断し、上半身を起こす。
 その時、彼は見てしまった、族長の下にいる女の顔を。
「君は!?」
 間違いなかった。その女の顔には面影があった、幼い日から一緒だったあの少女の面影が……
 女は力なく顔を上げると、その視界に彼の姿を認めて、ハッと目を見開いた。
 彼女にも、彼が誰であるか分かったのだ。
「持ち場を離れて何の用だ?」
「族長、どのようなおつもりです?。カフラの集落を焼くとは。カフラは制圧して、敵の主力を挟み撃ちにするための拠点にするという段取りだったではありませんか」
「だから制圧しているではないか」
 そういう兄の言葉は間違えていない。
 草の民にとって制圧するとはそういう意味なのだ。
「しかし……」
 その時だった、ハルバンデフが兄の背後に忍び寄る女の姿に気付いたのは。
 女は、族長が腰にしていた剣の柄に手を伸ばしていた。
「族長!」
 慌てて彼は兄と女の間に割って入り、兄を庇う。
 だが、女は兄の剣をその鞘から抜いていた。
 女は暫くハルバンデフの顔を見ていたが、やがて声にならない声で何かを呟くと、その顔に笑顔を浮かべ、そしてその剣で自分の胸を突いた。

235カーズガンの憤怒(裏)(6):2007/09/09(日) 03:28:27
「……!!」
 今度は声にならない声を上げるのは彼の番だった。
 彼はその場に座り込み、這うようにして女の側に寄った。
 女は既に絶命していた。
 その顔には絶望も悲嘆もなければ、苦悩もない。ただ静かな安堵と微笑みがあるだけだった。
 まるで身体の中で何かが砕け散ったような痛みが、彼の胸を苛む。
 それは涙を流したくても流せないほどの痛みだった。
「族長、いや兄上、貴方はこのカフラをどうしたいのです?」
 静かに肩を震わせながらハルバンデフは聞く。
「知れたことだ。滅ぼすんだよ、全てをな。お前がムルサクにそうしたようにカフラも滅ぼすのだ。そうすれば我々に逆らう部族は草の民にはいなくなる」
 兄は、脱いだ上着を着込みながら言った。
 彼の論理は、草の民としては間違えてはいなかった。
 力があるものが全てを手にし、力の無いものが全てを失う。それが草の民の論理だ。
 しかし……
「ふん、それにしてもカフラの女は貞操を守ると聞いていたが本当だったな」
 その言葉に、彼の中で何かが崩れた。
 ……こいつはラサだ
 悠然と幕舎を出ようとする兄の背中を見て、ハルバンデフは悟る。
 ……俺から全てを奪い、理不尽だけを押し付けるラサだ
 だが、そのラサに彼は今日の今日まで従ってきた。
 自分の故郷はラサだと、自分はラサだと信じてきたからだ。
 だから理不尽な命令にも従い、それらをこなし、全てに耐えてきた。
 だが、それは間違いだったことをハルバンデフは悟った。
 ……俺は、ラサではない……カフラでもない……俺は……全てを取り上げられた生きる屍だ……そして、そういう風にこいつらにされたんだ。
 だからハルバンデフには迷いは無かった。
 彼は内なる何かにその身体を捧げ出すようにしてとり憑かせ、そしてその感情と衝動の赴くままに兄に斬り付けた。
 何度も、何度も、彼はその剣の刃を兄の身体にめり込ませ、兄が息絶えても尚、何度も切り刻んだ。
 途中、兄は彼の名前を呼んだのかもしれない。だが、その声はハルバンデフの耳には既にして届かなかった。
 彼は、まるで淡々と作業をこなすかのように兄を斬って、砕いて、そして壊し続けた。
 彼が我に返ったのは、幾度目かの返り血を浴び、兄が血塗れの肉片と化したのに気付いた時だった。
「族長?」
 返事は無い。
 ……僕は……何をしたんだ……何をしてしまったんだ?
 肩で息をしながら彼は呆然と目の前の肉の塊を見下ろす。
 ……僕は……族長を殺してしまった?
 その時になって初めて、彼は自分の罪に気付いた。
 ……僕は、彼女を守れなかったばかりか、取り返しのつかないことをしてしまった!
 呆然と立ち上がる彼の背後で誰かが幕舎の入り口を開けた。

236カーズガンの憤怒(裏)(7):2007/09/09(日) 03:29:11
「ハル……バンデフ?」
 その誰かの声にハルバンデフは力ない顔でゆっくりと振り返る。そこにいたのは、すっかり大人びた顔になっていたが、カーズガンに間違いなかった。
 ……あ、カーズガン?
 彼は、お互い敵同士になったことも忘れて、その身をカーズガンに委ねようとした。
 彼には必要だった、自分を受け止めてくれる誰かが。
「……!!」
 しかしカーズガンは見てしまった。彼の足元に転がる死体のうち、女の死体を。
「どうして……どうしてなんだ!」
 叫ぶように、そして責める様にしてカーズガンは彼を問い詰めた。
 ……あぁ、そうか
 ハルバンデフは今更思い出した。彼女は、今はカーズガンの妻だったのだ。
「何故だ、何故殺した、ハルバンデフ!」
 ……殺した?……誰を?……あぁ、そうだったな
 自分が殺したようなものだ、と彼は気付く。
 あの時兄を庇わなければ、あの時幕舎に入らなければ、あの時このカフラの集落に来ようとしなければ、あの時もっと別の作戦を立案していれば……
 後悔は山ほどある。
 けれど、確かなことは、自分が彼女を殺してしまったようなものだ、ということだった。
「答えろ、ハルバンデフ!、何故殺した!」
 ……答えられるわけないじゃないか
 彼は思う。
 どう言い訳したって、自分が彼女を殺してしまったようなものなのだ。それをどう詫びれば良いというのか?、どう懺悔すれば良いというのか?、どう後悔すれば良いというのか?、どう償えば良いというのか?
 どうやったって、何の罪も償えるわけは無いのだ。
 これから死ぬまで罪に怯えていくしか方法は無いのだ。
「彼女は……」
 そう言って、カーズガンは肩を震えさせて言葉に詰まる。
 ……彼女は?
 ハルバンデフは、そのカーズガンの言葉の続きが聞きたかった。
 だが、その言葉の続きを聞くことはなかった。
 突然カーズガンが彼に斬りつけて来たからだ。
 あわててハルバンデフはその斬撃を、兄を斬ったばかりのその剣で受け止める。
 それは重い斬撃だった、彼が幼い日にカーズガンから剣の稽古をしてもらった時に受けた剣撃より遥かに……
「ハルバンデフ!」
 カーズガンは幾度もその名前を叫びながら、彼に斬撃を加える。
 一撃受けただけで手は痺れ、受け止めた剣が折れてしまいそうな、それは思い斬撃だった。
 その一撃、一撃を受けながら「……あぁ、そうか」と彼は悟る。
 ……君は、こんなにまでカーズガンに愛されていたんだ……幸せだったんだ……
 自分の奪ってしまったもののあまりの重さに、そして罪の重さに涙が出そうだった。
 やがて、カーズガンの凄まじいまでの斬撃で剣に皹が入った音を聞いたとき、「……違わないよ、彼女を殺したのは僕だ。だから殺してくれ、カーズガン」と彼は呟いていた。
 ……殺してくれ、カーズガン……僕は取り返しのつかないことをしてしまった……僕は彼女が好きだった……幸せになって欲しかった……なのに、それどころか僕は彼女の命を奪ってしまった……だから僕を殺してくれ
 だが、彼に課された運命は、彼を命を終わりにはしてくれなかった。
「誰かいるのか?」
 兵士の一人が、そう言って幕舎に入ろうとしていたのだ。
 カーズガンは振り返ると、無言のままその兵士を真っ二つに斬った。
 思わず彼は肩膝をつき、肩で息をした。
「今は生かしてやる、ハルバンデフ。だが、次はその首を必ず貰う!。必ずだ!。お前は俺が必ず殺す!」
 その声に顔を上げると、そこには憤怒に彩られた、カーズガンの真っ赤に染まった顔があった。
 最早、その顔には兄弟以上に仲が良かった親友の顔はどこにも無かった。
 踵を返し、幕舎を後にするカーズガン、やがて幕舎の外からは、幾つもの剣戟と悲鳴、そして鉄が肉を切り裂く音が聞こえてきた。
 ハルバンデフは倒れている女の死体の元に這い寄り、「ごめん」と言って、その身体を抱いた。
「ごめん、ごめん、ごめん……」
 両の瞳から涙を溢れさせ、肩を震わせながら、彼はその言葉をかさかさになった唇の奥から搾り出す。
 ……君が好きだった……誰よりも好きだった……愛していた……なのに僕は君を守れなかった……それどころか……
 だが、今となってはどんな謝罪の言葉も彼女の耳には届かない。全ては手遅れになっていた。
 ……だから、僕は……
 そっと彼は、彼女の冷たくなった唇に自分の唇を重ねる。
 一瞬、懐かしい感触と思い出が彼の心を締め付けた。
 やがて彼は立ち上がり、そして側にあった燭台に火をつけて倒した。
 炎は幕舎に瞬く間に燃え広がり、全てを覆い尽くす。
 彼はそれを見届けると、幕舎を後にした。

237カーズガンの憤怒(裏)(8 完):2007/09/09(日) 03:30:11
 戦いはラサ族の勝利に終わった。
 その後ハルバンデフがカフラの部族を制圧していた部隊の副官を探し出し、すぐに兵達に略奪を止めさせ、カフラの主力部隊に攻撃を加えさせたからだ。
 自分たちの集落の陥落に浮き足立っていた、そして指揮官のいないカフラの主力部隊はあっけなく敗北した。
 戦いの勝利に酔う、ラサの兵士達が自分たちの族長の姿がないことに気付いたのは戦いが終わって暫くしてのことだった。
 捜索の後、焼け落ちた幕舎の一つから族長の証である金の腕輪をした焼死体が発見された。
 ハルバンデフはこれに「カーズガンによって殺された」と宣言したが、同じ幕舎からカーズガンが出てきた姿を何人もの兵士が目撃していたので、誰もこれを疑わなかった。そして、ハルバンデフは「族長の息子が成人するまで自分が代理として族長を務める」ことも宣言したが、今までの功績からこれに異を唱えるものはいなかった。
 戦いに勝利しながらも族長を失い、喜び半分、悲しみ半分の複雑な心情の兵達の姿を見て「滅ぼしてやる」とハルバンデフは密かに呟いていた。
 ……滅ぼしてやる、俺から全てを奪ったラサを……いや、草の民を……
 その為になら何でもしてやる、と彼は思った。
 手段は選ばないつもりだった。その方法が、ラサの族長になることなら、いや草の民の覇者となることなら、悪魔に魂を売ってでもそうしてやるつもりだった。
 ……頂点まで登らせて、そして深い、深い奈落へと、絶望の底へと突き落としてやる……
 それがハルバンデフの誓いであり、復讐だった。
 ふと、ハルバンデフがカフラの近くにある懐かしい丘陵に目をやると、そこには二人の少年と、そしてその後を付いてくる少女の姿があった。
 だが彼は知っていた、それは幻想だということを。
 その幻想は眩しく、彼がどんなに手を伸ばしても最早届かない幻想だった。(完)

238言理の妖精語りて曰く、:2007/11/15(木) 20:29:46
/*******************************
以下は関連のあるテキスト群です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/248
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%eb%a5%a6%a5%d5%a5%a7%a5%a6%a5%b9
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1179766218/l50
*******************************/
 今は昔、納豆神に仕える1人の戦士がいた。この戦士は日夜納豆神のために技を磨いていたのだが、ある日、お告げを受けた。納豆神曰く「3匹の子猫を捕まえられたらお前の信仰心に報いて力を授けよう」
 こうして戦士は3匹の子猫を求めて旅立ち、間もなく発見できたのだが、戦士にとっては意外な問題が起きた。猫は納豆を苦手としたので子猫たちは逃げてしまった。もちろん戦士は追跡するのだが、子猫といえども幻獣王子と名高い猫の眷属に代わりはない。追って逃げられ、戦士と3匹の子猫は世界の果てまで行ってしまった。
 こうなると信仰篤い戦士も疲労困憊で一休みすることにした。休憩に食べるのはもちろん納豆なのだが、1人の魔法使いとその従者らしき竜によって邪魔をされてしまった。戦士は空腹も忘れて怒ったが、そこまでして食べようとするならば、納豆神の恩恵を分け与えるべきと考え、ともに食した。すると魔法使いと竜は感謝を表して一袋の薬を差し出した。これこそが猫を招き寄せる万能薬だった。
 こうして戦士は3匹の子猫を捕らえ、納豆神に報告をした。すると戦士の目前に一膳の納豆が現れた。この納豆を食すると戦士の喉が変化し、その声は敵には恐怖を、味方には勇気を喚起させるようになった。
 これこそが吶喊の戦士ルウフェウスの由縁話という。

239言理の妖精語りて曰く、:2007/11/16(金) 19:05:29
/******
縦スクロールSTG+『魔女の宅急便』のつもりが、『BLAME!』になってしまいました。
以下は関連するテキスト群です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/261
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%af%a5%ed%a5%a6%a5%b5%a1%bc%b2%c8
http://flicker.g.hatena.ne.jp/Niv-Mizzet/20070618
******/

 白い壁を登りながら私は左右を見た。どちらも壁が際限なく広がっている。下をみると白いものが広がっている。雲だ。私は任務のために部隊を率いて紀元槍を登っているところだった。
 任務は紀元槍の倒壊を防ぐことだ。紀元槍は天蓋を支える柱なので、もし倒壊したら、天蓋の墜落によって地上全域が粉砕されるだろう。まさしく世界の終わりだ。先行している兵士が私にハンドサインを送ってきた。『敵を発見、数は無数』
 私は望遠鏡をのぞく。視界に世界の終わりを招く者たちが映った。それを私たちは【蟻】と仮に呼ぶが、まさに外見は巨大な蟻そのものだった。しかしこの【蟻】は土にささやかな住まいを作るのでなく、紀元槍に大穴を穿ち、世界を危機に晒すものだ。私は兵士たちにハンドサインを送る。『総員、戦闘準備』
 上から液体が降ってくる。暖かい。雨でなくて血だ。先行した兵士がやられたせいで隊に動揺が広がる。動揺を収める間もなく若年兵が恐怖の混じりの怒号を上げて発砲を開始した。なんて馬鹿なことを! 【蟻】たちはこちらの存在に気づいて白壁を降りてくる。
 「指示に従え、火線を集中しろ、【蟻】を近づけるな。持ちこたえられたら勝ちだ」叫ぶがむなしくも兵士たちの統率はとれない。紀元槍の壁面だから逃走者が出ないのが幸運だが、蟻を倒さないと撤退できないから不運でもある。
 「なんて大群だ。あんな規模みたことがない!」と古参兵の叫びが聞こえた。白い巨壁を【蟻】は黒く染めながら侵攻してくる。どうやら大物の巣と遭遇してしまったらしい。なんて不運だ。
 嘆こうとしたとき、衝撃に背中を押されて壁にぶつかった。同時に上空が爆発した。【蟻】の死骸と紀元槍の破片が脇を落ちていった。上空をみると何か飛んでいる。それはインメルマンターンを決めて再び【蟻】にアプローチをかける。望遠鏡で確認する、それは青白灰色の航空迷彩をまとっていた。クロウサーだ!
 「クロウサーだ! クロウサーが来たぞ。総員、銃を構えて格好をつけろ。空飛ぶ奴らに壁に張り付くヤモリの意地をみせてやれ!」
 兵士たちに統率が戻る。火線の集中とクロウサーの援護によって【蟻】が後退を始める。クロウサーはバレルロールしながらサインを送ってくる。『これよりこの区域を爆撃する。撤退せよ』
 眼下を見やると光った。次の瞬間、すれ違い、衝撃波にあおられた。空をあおぐと航空迷彩をまとった空飛ぶ魔法使いの一群が編隊を組んでいた。私は兵士に撤退を命じる。

240言理の妖精語りて曰く、:2007/11/16(金) 19:12:17
>>239
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%b5%c2%a4%ce%bb%d2
関連テキストの追加です。

241ある歴史書の一節からの引用:2007/11/17(土) 16:41:49
/*****
アルセスのキュトス殺害に関連させようとおもったのに完全に逸れてしまいました。
以下は関連テキスト群です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/269
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%bf%c0%cc%c7%a4%dc%a4%b7%a4%ce%c9%f0%b6%f1
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%e1%a5%af%a5%bb%a5%c8
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%d6%a5%ea%a5%e5%a5%f3%a5%d2%a5%eb%a5%c7 http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%bd%a5%eb%a5%c0%a1%a6%a5%b0%a5%e9%a5%e0 http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%b6%e4%a4%ce%ca%aa%b8%ec http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%e1%a5%af%a5%bb%a5%c8%a4%c8%cb%e2%bd%f7
*****/
 ハイダルマリクの消滅によって中原一帯に権力の空白地帯が生まれた。それまでハイダルマリクつまりメクセト王の配下にあった諸王は自国を再編成し、これを終えた国々から順にかつてハイダルマリク跡地周辺の穀倉地帯への入植を開始した。この戦争こそが後の都市国家群戦争で、またこの勝利者こそが後生で二大祖国と呼ばれる都市国家なのだが、この小話では無数に存在する敗者の1人に焦点を当てたい。炎帝五天将の1人、”問い示す魔女”セレクティフィレクティへ。
 セレクティフィレクティは竜による治世をなすべく焔竜メルトバーズを王に擁立して焔竜大戦の開戦を宣言したが、都市国家連合を提唱した組織ブリュンヒルデと激突、ディーク・ノートゥング率いる第2支隊によって殺害された。ディーク・ノートゥング第2支隊とは現代において特殊部隊と呼ばれる存在で、戦力として星見の塔所属の魔女トミュニがいた。
 ブリュンヒルデ交戦記録においてはトミュニはセレクティフィレクティと戦闘後にMIA(作戦行動中行方不明)となるが、セレクティフィレクティの死亡は確認された。この戦闘と連携してブリュンヒルデは焔竜メルトバーズ討伐作戦を開始、松明の騎士ソルダ・グラムによって【氷血のコルセスカ】が発動され、焔竜メルトバーズは決して解けることの冷凍状態になった。
 なお、この戦闘で使用された【氷血のコルセスカ】は1032英雄の用いた神殺しの兵器で、焔竜大戦の遠因となったハイダルマリク消滅つまり天廊戦争の開戦者メクセト王の武具であった。歴史の皮肉といえるかもしれない。

242アルセス・アルセス:2007/11/19(月) 19:31:40
/*****
お題です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/375
以下は関連データ群です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192888939/693
http://flicker.g.hatena.ne.jp/keyword/%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%82%bb%e3%82%b9
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%a5%a2%a5%eb%a5%bb%a5%b9
http://flicker.g.hatena.ne.jp/keyword/%e7%b4%80%e5%85%83%e6%a7%8d
http://poti.atbbs.jp/flicker/src/1193916035605.jpg
*****/

Earthesは紀元槍を必要とした。キュトスを殺害して以来、永遠にも近い歳月のあいだ、蘇生方法を探したが、紀元槍を使用することで可能と判った。なんと回り道をしたのかと呆れながらキュトスを蘇生させたのだが、成果が気に食わなかったので、もう一度キュトスを殺害した。
 どうやらこの紀元槍ではキュトスを復活させられないらしい。というわけで Earthesは紀元槍を手にすると世界を消去した。Earthesと紀元槍だけを残して真っ白になった。すべて空白になった。
 Earthesはおもった。さっきの世界の紀元槍は不適切だったが、次の世界の紀元槍はどうだろうか。
 消去されたときと同じ手軽さで世界は創造された。頭上に白い空があり、Earthesの足は白い大地を踏んでいた。そしてアルセスはこの世界の紀元槍を探した。
 平面のような大地に一本の棒が立っていた。これこそが紀元槍でEarthesは手に取ったのだが、途端に世界の端っこまで吹っ飛ばされた。
 どうやら何者かが罠を仕掛けたようだ。創造されたばかりの世界に誰がいるというのか。Earthesは誰何した。
 「槍持神へ手を出せるのは槍持神に他ならない。ぼくはAllcaseだ。Earthes、お前には紀元槍を渡さない。絶対にだ」
 Earthesは目を剥いた。槍持神と世界は対の存在とはいえ、再創造した世界にもうひとりの自分が出現するとは想像しなかった。
 「この世界は私の創造したものだ。だからこの世界は私のもので、お前の汚らしい手に握られた紀元槍も私のものだ。さあ、さっさと私に寄越せ」
 「断る。お前はキュトスをまた殺す。ぼくもキュトスがいたら必ず殺す。だからキュトスは造らせないし、造らない。彼女を殺したくない」
 「被造物が創造主に猪口才なことを!」とEarthesは世界を一足飛びでまたぐとAllcaseへ紀元槍で突いた。しかしこの一撃をAllcaseは左手から出した剣で止めた。
 Earthesは唇を歪める。世界の要素を抽出して建造したのか、道理で頑丈なはずだ。Allcaseの剣には世界を構成する元素の1つが刻み込まれていた。この剣を折るには世界を破壊するだけの力が必要だった。
 「Earthesよ、この世界にお前の居場所はない。立ち去れ。ここでお前の望みは叶えられない」
 Allcaseはそう宣言するとEarthesを突き飛ばし、そのすきに空へ紀元槍を投げ放った。
 空をあおいでAllcaseは「剣の雨が降る」
 Earthesは紀元槍を追って飛んだ。すると白い空が爆発した。Allcaseの紀元槍は保有する世界の要素すべて剣に変えて放出した。切っ先の輝きがEarthesの目を射た。
 この程度の攻撃どうってことないとEarthesは回避しようとしたが、1本の剣に目を留めると、自ら剣の雨へ突進した。
 Earthesは無数の剣に切り刻まれながら飛び、剣の一本に腕を伸ばした。
 「キュトス!」
 叫んだEarthesの胸をキュトスの刻み込まれた剣が貫く。
 剣の雨は降り続く。Earthesの死体もばらばらと大地に散った。白い世界がぽつぽつと赤く染まる。剣の雨は突き立って大地を墓標で埋め尽くした。やがて雨は止む。Allcaseは墓標を縫うようにして歩き、剣の突き立った胸像のようなEarthesの遺骸からキュトスの剣を抜いた。
 同時にEarthesは消滅した。Allcaseはキュトスの剣を手にしたまま、この空白を見つめ続けた。そして唇を強く結ぶとキュトスの剣を大地に埋めた。するとそこから芽が出て一本の樹木となった。Allcaseはこの木を抱き締めた。
 「暖かいよ、キュトス」
 Allcaseの頬は涙で濡れていた。

/*****
sin again
*****/

243魔法少女モアイVS魔法少女触手VS魔法少女狙撃手:2007/11/22(木) 18:45:14
/*****
こちらはお題です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/411
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/412
以下のテキストは参考にしたものです。
http://flicker.g.hatena.ne.jp/keyword/%e9%ad%94%e6%b3%95%e5%b0%91%e5%a5%b3%e3%81%8d%e3%82%86%e3%82%89
http://wiki.livedoor.jp/flicker2/d/%b0%d1%b0%f7%b2%f1
*****/
 目の前には高層ビルが建っている。ビルの足下から頂上を見上げると首が痛くなってしまうほど巨大だ。私は自動ドアをすり抜けてロビーに入る。ちょうどエレベーターが来たので乗り込む。中は私1人だ。私は最上階のボタンを押す。私の姿はハードシェルのトランクを持ったキャリアウーマンとロビーの受付嬢に見えたはずだが、最上階についたのは都市迷彩でカモフラージュされた狙撃兵だ。
 最上階は空調などの機器を配置されたエリアだった。私は民間人の偽装と長銃やマットを持ち込むのに使ったトランクを捨てる。任務の結果がどうなろうとこの世界には私は二度と足を踏み入れないだろう。遺棄しても問題ない。
 私は屋上への扉を開けた。突風にあおられる。雲を突くようなビルだけある。私は屋上の縁に近づくと、マットを敷いて、この上で狙撃姿勢を取った。伏射で狙撃するからマットがあると身体が格段に楽だ。些細な工夫だが。
 『こちらフィルティエルトだ』と無線でバディのニースフリルに連絡『狙撃地点に到着した。そちらはどうだ』
 『こっちもポイントに到達。いつでも支援できるよ。目標はきた? 来たみたいだね』
 私はスコープを覗き込む。これはニースフリルの搭乗する火力支援車とリンクしているのであちらにも映像が見えている。遙か眼下のビルの屋上で2人の少女が対峙していた。2人とも奇妙な格好をしていて、片方はどういった理由か不明だが、頭部をモアイ像のようなマスクで隠していた。隠蔽にしては奇妙だ。もう片方は丈の長いインバネスコートを守っている。このコートはあまりにサイズが大きいので腕を持ち上げると裾が垂れ下がった。
 インバネスコートの少女が右腕の袖を垂れ下げた。どうやらモアイ少女に指でも突きつけているようだ。スコープで口の動きを覗く。『イアイア! ここで会ったが百年目。まとめて片付けてやる』と動いた。なんかインスマス顔の娘だな。
 『どう?』とニースフリル『激突するかな』
 『うむ』と私。『気恥ずかしい挑戦状を送った甲斐があったというものだ』
 『そうね。魔砲少女フィルティエルトちゃん』
 『任務中にからかうな、阿呆。少女なんて年齢でないし、そもそも私はもう自活している。少女ではない』
 私とニースフリルは現在、星見の塔から魔法少女委員会へ出向している。この魔法少女委員会からの命令で今回の狙撃を行うことになった。倒すのはあのモアイ少女だけなのだが、直接対決するには強力すぎたので、別の魔法少女と戦わせて力を削ぎ、奇襲をかける手はずになっている。
 そのような事情で私は2人の魔法少女に挑戦状を送りつけた。残念なことに私の名前で。本当はニースフリルの名前を借りるはずだったのだが、当然ながら彼女もまた嫌がり、仕方なくじゃんけんで決めたら負けてしまった。おもわずその場にいない姉妹の名前を借りようかとおもったが、ムランカやヘリステラに知れたら後が面倒なので辞めた。とりわけムランカはユーモアを非常に良く解するから面倒だ。

244魔法少女モアイVS魔法少女触手VS魔法少女狙撃手:2007/11/22(木) 18:46:22
/*****
長文でエラーしたので分割しました。
続きです。
*****/
 『始まったよ』とニースフリル『モアイ少女が変身する!』
 『なに。あの外見で変身してなかったのか。意外』
 モアイ少女はロッドのようなものを差し上げると七色の光に包まれて恍惚とした表情を浮かべた。対してインスマス顔の少女はすでに変身を済ませているらしく接近する。インスマス顔の少女がコートをはだけて内側を晒したとき、私は眉を寄せた。
 『気色悪いね』とニースフリル『あれの生まれはシンガーポールのルルイエかな』
 『まず間違いない。映像リンクは悪いが切らないぞ』
 『うん。判っている。それに、これすぐ終わるから』
 すぐ終わる? 戦闘というものは開始までの時間が長いのであって銃火を交えるのは一瞬だけだ。そういう意味かとおもったが、違った。インスマス顔の少女は怖気を催すほど大量に触手を放つ。シーフード系の触手は変身中のモアイ少女に絡みつき、その動きを奪った。モアイ少女は触手で絡め取られ、毛糸玉のような有様になった。しかし隙間から猛烈な光がもれる。どうやらモアイ少女がまだ抵抗しているようだ。おそらくすぐに形勢は逆転するだろう。
 私はスコープを操作する。レーザーポインターの輝点が触手玉に浮かんだ。
 『対地ミサイルぶっ放せ』
 『了解』
 唸る風音にミサイルのモーター音が混じった。任務は終了するかのようにみえたが、触手玉がほどけ始める。私は舌打ちをして引き金を絞った。
 大口径弾が轟音とともに大気を引き裂き、絡み合う魔法少女たちに命中する。ミサイル弾着までの時間を数えながら私はさらに引き金を絞る。
 弾丸の雨。そして高空から襲いかかるミサイル。ほどけた触手からモアイ少女の顔が見える。私と目があった。気づかれた。私は銃を捨て逃げる。

245トラペゾヘドロン、降下:2007/11/24(土) 14:22:18
/***
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1192801775/451
***/
 「なんということだ、ニースフリル」とぱりっとしたキャリアウーマン風の女性がいってくる。狙撃のフィルティエルトのめずらしいぼやき「あと一週間で星見の塔に戻れるというのにこんな事件に巻き込まれるなんて
 星見の塔から魔法少女対策委員会へ出向して半年、経った。あと一週間で出向期間が終わって帰るはずだったのにこのままでは足止めを食らってしまうかもしれない。いや、一生帰れないかも。
 魔法少女対策委員会の調査部門は輝くトラペゾヘドロンの出現を確認した。輝くトラペゾヘドロンはなんだかよくわからないが、異世界からこれのある世界へものを召還する機能を持っていて、結果的にその世界に混乱をもたらすものだ。まあ普通ならちょっとした争いが起こるくらいなのだけど魔法少女が大量発生して殺し合うこの世界は安定性を欠いているから外部からのちょっとした力で崩壊してしまう。そうなったらどうなるかわからない。世界の終末となるかもしれないし、外部への移動不能な幽閉世界となるかもしれない。わかっているのは悪いことが起こることだけだ。
 「くそう。なんだ、あの魔法少女対策委員会の報告は。ターゲットの降下予想エリアが全世界だとは。ふざけてやがる」
 「仕方ないよ。トラペゾヘドロンの放つエネルギーでセンサーの大半が機能不全に陥ったんだから。でも方法がないわけじゃない。というか勝手にやってくれる連中がいる。ほら欲しがっている奴らがいるだろ」
 「なるほど。殺し合いに明け暮れる魔法少女連中ならトラペゾヘドロンの力を求めるということか」
 「そういうこと。魔法少女たちの集まる場所がターゲットの降下地点さ」
 フィルティエルトと私はジープに乗り込む。運転を任せると私はPDAを起動させる。魔法少女対策委員会のセンサーは無効化された。でも魔法少女たちの戦闘が行われるなら情報はかならずメディアに流れる。それから降下地点を予測する。
 「見つけたよ、意外と近い!」
 私が場所を告げるとフィルティエルトはハンドルを切る。私は詠唱を開始する。車に魔法的加速を与えた。「間に合え」

246少女司書の帰還(1):2007/12/16(日) 01:37:32
少女は図書館にいた。いつからなのかはわからない。気付いたときにはすでにいた。
薄暗くて天井の高い荘厳な図書館で、あちこちにある本棚には、背表紙に何も書かれていない、同じ厚さの白い本が壁のように並んでいた。
図書館はでたらめに広かった。どこまで続いているのか、どれだけ部屋があるのか、本が何冊あるのかわからなかった。
所々に美しい彫像や絵画が飾られていたが、少女はそれらに注意を払わなかった。
図書館を利用する人はいなかった。しかし、司書は数え切れないほどいた。

少女も司書の仕事を持っていて、白い表紙の本を頭の上に載せて、図書館を右に左に歩き回った。
少女は幼かったが、他の司書達に負けないぐらいがんばって仕事をしていた。
司書達の仕事は、白い表紙の本を、自分が運ぶべきだと思った場所に運ぶことだけだった。
誰も自分の仕事に疑問を持たなかった。司書達はひたすら働いた。

少女はある時、階段にけつまずいて転び、4冊の白い表紙の本を落とした。
すぐに涙を堪えて立ち上がり、服の埃を払った。倒れるときについた膝と肘が痛かった。
本を取ろうと手を伸ばしたとき、その白い表紙の本の中身に目がいった。文字の羅列があった。
しかし少女は本を閉じ、また4冊を重ねると、頭の上に載せて歩き始めた。

しばらく歩いてから、少女は自分が運ぶべき場所がわからなくなってしまったことに気付いた。
こんなことは今までに無かった。少女は混乱した。転んだ拍子に忘れてしまったのかと考えた。
近くの部屋の中の椅子に座ってしばらく途方にくれていた。他の司書は現れなかった。
そのうち、少女は先ほど落とした白い表紙の本の中のことを思い出した。文字の羅列だった。
しかし何故か気になって仕方が無かった。少女は4冊のうち1冊を手にとって、本を開いた。

少女は本を読んだ。少女の見たこともない文字だったが、どういうわけかゆっくりとだが本の内容が頭に入っていった。
本には様々なことが書かれていた。
4つの月。地獄の門。悪魔の騎士。海と大陸。巨大な槍。ゴボウの調理法。氷柱の神々。
白い炎に包まれる森。草原の民。神に挑んだ数多の英雄達。犬と狼と猫。納豆。単眼の母。
ページごとに書かれている内容はバラバラだったが、それでも少女は貪るように本を読んだ。
白い表紙の本の中にあったのは文字の羅列ではなく、世界だった。

247少女司書の帰還(2):2007/12/16(日) 01:38:16
どれほどの時間が経ったのか、少女は4冊の本を全て読み終え、嘆息した。
自分の周りで巨大な本棚に収まり、壁を作っている白い表紙の本全てに
こんなに素晴らしいことが書かれているのかと思い、身震いした。
もう完全に仕事のことは忘れ去っていた。本棚から一冊本を取り、読もうとした。

その時、少女は自分の近くの椅子と机に、一人の女性が座って、何かを本に書き付けていることに気がついた。
部屋の中に入ったときは確かに誰もいなかった。女性は顔を上げずに尋ねた。
「何をしているのですか?」
少女は面を食らった。しどろもどろになりながら答えた。
「私は階段で転んで、仕事を忘れてしまって……どうしていいのかわからなくて、それで、本を読んでいました」
「本を読んでいた?」
女性はゆっくりと顔を上げた。美しい女性であった、ように少女には思われた。
「貴女は司書でしょう?」
「そうです。すいません」
少女は自分が叱られているのだと思い、すぐさま謝った。
「仕事に戻ろうと思うんですけど、その、仕事が思い出せないんです」
「仕事がわからないのなら、何もしなくても構いませんよ」
女性は顔に全く表情を作らず、口をほとんど動かさずに静かに言った。
少女は自分があきれられているのだと思った。涙が出てきそうになった。近くの椅子に座って、目を瞑り、何もしないことにした。

248少女司書の帰還(3):2007/12/16(日) 01:38:48
しばらくして、突然女性が尋ねた。
「貴女は本を読んだ。ここが何に見えますか?」
その言葉を聞いて、少女ははっとして目を開き、辺りを見回した。
一瞬のことだった。図書館は音もなく膨張し、張り裂け、煙のように消え失せた。
そして、少女は自分と女性が4つの月と星々が輝く夜空に浮かぶ椅子に座っていることに気付いた。
4つの月の前には大地に突き刺さった槍が見える。神々の世界。本の中にあった世界。
白い表紙の本の壁は、今や無数の光の玉となり、揺らめき辺りを照らした。

少女は呟いた。
「館なんて無かった。本も」
「そういうことです。よくぞ気付きました。あなたは司書にしておくには勿体ないようです」
女性は無表情だったが、少女には確かに彼女が喜んでいるように感じられた。
「あなたは、館主さんなんですか?」
少女は尋ねた。どうも彼女は司書ではないらしいと感じていた。
「そうです。この図書館も随分と広くなりました。司書がいないと不便でなりません」

女性が小さく何かを呟くと、本だった光が矢のように動き、少女の目の前で集まり、大きな淡い光の塊となった。
「餞別を与えましょう」
すぐに光は消え、少女が今まで幾千と見てきた、しかし読みはしなかった、白い表紙の本が残った。題名はやはり無かった。
「あなたのものです。では、貴女に暇を与えます。帰りなさい」
女性は再び、空に浮かぶ椅子と机で、書に何かを書き付け始めた。
少女は戸惑った。自分が誰で、ここがどこか、見当も付かなかった。帰るべき場所も知らない。
待って、と言おうとしたが、その前に自分の身体が支えを失ったことに気付いた。椅子が消えた。バランスを崩し、頭が下になった。
水の中を沈む石のように、ゆっくりと夜空から落ちていった。星と月が下へと流れていった。自分の本が近くに見えた。
恐怖は無く、むしろ心地よかった。


少女は目を覚ました。いつもの自分のベッド。
昨日のいつもの一日が終わって、ひどく長い夢を見ていた。また今日もいつもの一日を過ごす。
そう思っても何の差し支えも無いと感じていた。自分の枕の側に置かれた、白い表紙の本に気付くまでは。

249少女司書の帰還(クルマルル・マナンの考察):2007/12/16(日) 01:39:38
以上が泥酔した我が師、オルザウンから得られたリィ・エレヌール・コロダントに関する物語である。
私もエレヌールと交流が無かったわけではないが、彼女はほとんど自分の身の上を語らなかったし
私自身、そんなことに興味を抱いていなかった。

やはり、物語に登場する『白い表紙の本』が、オルザウン禁忌集の編纂において
大きな意味を果たしたことは疑う余地がないように思われる。
エレヌールは超人的な勘と推理力の持ち主ではあったが、それにせよ糸口が無くては
禁忌集における常識を覆すような事実に行き当たることは不可能である。
彼女の功績は、伝説に聞く『神々の図書館』の知識の断片があってこそだったのであろう。
無論、禁忌集の事実は、限られた点からその全貌を掴み取る想像力と、無数の実地調査によって支えられているものであり
仮に私なぞがその『白い表紙の本』を授かったとしても、使いこなせずに終わっていたであろうことは間違いないだろう。

エレヌールが『槍のタングラム』の公演の日、どこに消えたのかには諸説がある。
槍の外の混沌に弾き出された。永劫線に触れた。劇場の中で【人類】の逆魔法を発動させ、消滅した。
これらの説が最も有力とされているが、どれも根拠の無い憶測に過ぎない。
以上の物語を聞いたとき、私の脳裏にはある一つの仮説が閃いた。
私は、完全なる『槍のタングラム』は観客の協力を得て初めて発動する大規模な魔術であり、それによってエレヌールは
『神々の図書館』に舞い戻ったか、『神々の図書館』を模倣した自分の図書館を作ったのではないかと思う。
もっともこの仮説も、以前の彼女が図書館というものに拘泥していたところがあるという曖昧な事実と
酔っぱらいの長話のみによって支えられる、頼りないものに過ぎないのだが。
しかしながら、理由もなくいきなりエレヌールが槍の外に出たと主張するよりは理にかなっているのではないか。

250少女司書の帰還(クルマルル・マナンの追記):2007/12/16(日) 01:40:26
追記
『白い表紙の本』であるが、私はもちろん、師やニースフリルといったエレヌールの盟友達もその本を見たことはなかったようだ。
エレヌール自身、「自分が望めばいつでも手元に現れる」「読むのにページを捲っていく必要は無い」と語っていたことから
『本』というのは便宜上彼女がそう読んでいただけであって、実際は言語の妖精か何か
彼女の心の中にある形の無いものだったのではないかと推測される。


追記その2
彼女が『槍のタングラム』を執筆し始めた時期と、『白い表紙の本』を入手した時期が同じだと考える。
その時期に4つ、全ての月が同時に上り、かつ槍がそれらの方角に見える地域は、かなり限られてくる。
そして、その地域の中には、『書物の女管理人』を意味するリ・エレヌール・コロダントという古い言葉を持つ一部族がいた。
酔っぱらいの妄言の中の友人の話の夢の中の光景について考察するだなんて、目眩がしてくるが。
これは偶然であろうか。


追記その3
「ラヴァエヤナが司書を雇っている時点でエレヌールのジョークに決まってるじゃん」
久しぶりに会ったニースフリルが私に浴びせた言葉である。
私がラヴァエヤナに関する神話を読む限りでは、彼女は合理的な考えの持ち主で、また全能では無かったように思われる。
よって、ラヴァエヤナが司書を雇うことは、それほど不自然なことでも無いと私は感じる。
しかし、ニースフリルの言葉である。そうでないことを祈るしかない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

追記その74
どうも私は追記を多く書きすぎるらしい。しかし反省はしていない。
付け足すことがあれば、いくらでも書いていくべきであろう。
だが、そういった意見にも一理ある。いずれこれらの追記も本文にまとめて書き直すかもしれない。


追記その75
あの雌犬め。

251ロズロォの懺悔(1):2007/12/24(月) 23:32:58
 --いつからだろう、私が【草】に手を染め始めたのは?
 覚えている限り、私の病院が本業の他にこっそりと【草】を作るようになったのは私の父の代からだったと思う。
 当時、私の一族は新天地を求めて祖国リクシャマー帝国を離れ、北方帝国へ来たばかりだった。
 リクシャマー帝国において貧乏医者としての借金に負われる毎日に飽き飽きしていた父は、まだ発展途上の北方帝国ならば一山当てることも可能だろう、と家屋財産を処分して北方帝国へ家族を引き連れて移住した。だが、北方帝国で待っていたのは父の予想を裏切る現実だった。
 確かに北方帝国はまだまだ未開の土地だった。
 しかしその開発権は既に国の中枢を担う央機卿を初めとする昔からの貴族や領主達、そして各国の有力商人達に占有されており、私達のような他国からの流民が入り込む余地など無かった。また、労働人口も既に過剰状態にあり、北方帝国に来ても特筆する技術でもない限り職にありつけるのは稀なことだった。首都ソフォフの城壁の周辺には、そうして外国から来たものの職にあぶれた人々が貧民窟を作っており、それは子供の私から見ても荒んだ世界に見えた。
 そのような中で父は医師としての仕事を見つけ、小さいながらにも診療所を開く事ができたのだが、幸運の女神はいとも容易くその時点で私達家族を見捨てた。覚えている限り客らしい客が来たことは殆ど無かった。北方帝国ならば……同じ事を考える医者は父だけではなかったからだ。
 私達はすぐにリクシャマー帝国にいた頃と同じように、いやそれ以上に困窮するようになった。日々の糧にすら困るようになり、一欠けらのパンすら口に出来ない日が幾日も続く有様だった。
 下の妹が死んだのはそんな時だった。
 死因は栄養失調だった。
 ささやかな葬式の最中、父は始終黙りこくっていたが、きっとその時既に父は決意していたのだと思う、医師としての良心を金で悪魔に売り渡すことを……
 それから程なくして、父は地下にある薬工房に篭るようになり、診療所には稀に客が訪れるようになった。
 子供の私から見ても、彼ら、あるいは彼女達はあからさまに怪しい客だった。彼らは外套のフードを深く被っているか、あるいは仮面で顔を隠していた。その客に対して、父はこっそりと握らせるようにして何かを渡していた。客は必ず大金を、とても普通の診療で支払ってもらえるようにない大金を毎度置いていった。その金で私達家族はなんとか普通の生活ができるまでに潤った。
 父が何をして、そのような大金を稼いでいたのか?、それを知ったのは私が成人した時だった。
 その時分、私は父の跡を継ぐべくロズゴール王国の医学大学へと留学し、6年を経て卒業して北方帝国に医者として帰ってきた時だった。その時、私の家にも私を外国の大学に通わせて卒業させるだけの蓄えはあった。
 父は、その時になって初めて家の地下にある薬工房を見せてくれた。
 それは半ば気付いていた事実だった。
 父は、貴族が宴会や馬鹿騒ぎのパーティに使うための【草】を作り、私達の生きて行くための財を養っていたのだった。
 父は私に言った、「ロズゴールやリクシャマーなりに行って貧しいながらも医者としての人生を全うするように」と。
 しかし若かった私はそれを選ばなかった。
 ささやかな私利私欲を得たかったからではない。私なりに正義があったからだった。このようなことでしか医師としての生を全うできないこの北方帝国の医術の世界を変えてみたいと思ったからだった。

252ロズロォの懺悔(2):2007/12/24(月) 23:34:03
しかし父が他界し、四年、五年と年月が過ぎ、蓄えが底を尽きるにあたり、結局私は挫けた。
 その頃には、私にも養わなければならない家族があったのだ。
 私は父のつてを伝い、結局【草】作りに手を染めるようになっていた。一度だけ、今回だけ、と思いながらも、結局はどっぷりと【草】の精製に浸かるようになっていた。
 --いつからだろう、私の客層が変わるようになったのは?
 最初、私の客は貴族の使いだと言う者ばかりだった。
 その中には貴族ではなく、成金の豪商の類や、噂を聞きつけてなけなしの稼ぎを一時のスリルに身を任せるためにはたいた庶民もいたに違いない。だが、私はそれを気にしなかった。
 だが、ある時を境に私の客層は明らかにガラリと変わった。
 【パトゥーサの遠征】と後に呼ばれる戦争が起きたからだった。
 その時、政府は草の民への侵攻の主力兵力を成す傭兵が、戦闘のために使う各種の【草】を入手することを、公でこそ無かったが看過した。当然、売りさばくことに対してもだった。
 だから私もその時流に乗って、【草】を大量に精製し、彼らに【草】を大量に売りさばいた。それはこの時代の医者の大半が行ったことだった。
「草の民の娘っ子は華奢なわりに激しく抵抗するって噂だしなぁ」
 傭兵達は、そんな下卑た話をしながら私から【草】を買っていったが、私は気にしなかった。いつも愛想笑いを浮かべて彼らにそれを売った。【人形作り】のような禁制の【草】を作ることも躊躇しなかった。役人には稼ぎの中から僅かな金を握らせて鼻薬を嗅がせてあったとは言え、今にして思えば私は何かが麻痺していた。
 【パトゥーサの遠征】が失敗に終り、逆に北方帝国が草の民から侵攻されるようになっても私の仕事は変わらなかった。北方帝国の主力は依然として傭兵であり、彼らが戦場において各種の【草】を必要とすることには変わらなかったからだ。その【草】がどのように使われるか、など私には興味の無い話だった。
 私は、私と私の家族が今日を行きぬき、明日を生きるための金があれば良かったのだ。
 --そしていつからだろう、時代が変わったのは。
 私の医療所の扉が乱暴に叩かれたのは、ある朝早くのことだった。
 眠い目をこすりながら妻が扉を開くと、なだれ込むようにして武装した役人達が私の医療所へと入ってきた。何が起きたのか分からず呆然とする私達の目の前で、役人達は診療所の中を全て引っくり返し、私達の寝室や子供達の部屋の布団まで引き剥がしていった。
 やがて役人達の一人が「ありました」と私の工房の中から叫んだ。彼が見つけたのは生成中の【草】とその材料だった。
「この男をしょっぴけ」
 役人の隊長らしい男が言うと、体格の良い役人が二人私の腕を掴み診療所から引きずり出そうとした。
「待ってくれ」
 私は言い、普段から鼻薬を利かせているその街ではそれなりの顔役である役人の名前を出した。私だって世間と言う物が多少なりとも分かっていたつもりだった。多く稼いだときにはそれなりの額を彼に寄付していたし、それを怠ったことは一度だって無かった。
 しかし役人達は私に何も答えずに粛々と私を診療所から外に連れ出し、地下の工房から見つけた証拠品の数々を持ち出した。
「何かの間違いだ!、私は!!」
 騒ぎ立てる私に、役人は小声で、耳元で囁くようにして言った。
「時代は変わったんだよ」

253ロズロォの懺悔(3):2007/12/24(月) 23:35:10
 「時代は変わったのです」
 役人の詰め所の小さな石造りの、殺風景な面会室の中、取調べと称した拷問ですっかり顔が腫れ上がった私を前にして私の弁護人は言った。
「草の民のハルバンデフ王が謀反で殺された話はご存知でしょう?」
 私は頷く。それは1年以上前の話だ。
 一時期は国土の大半を奪われ、帝都ソフォフも包囲された戦争だったが、戦線からも遠く、戦火にすぐに巻き込まれる心配の無いその街に住んでいた私には、戦争などどこか遠い国の話にしか聞こえず、また国家にとって最大の仇敵の死も他人事にしか感じられない話だった。最近この街にも引き上げてくる傭兵や、草の民の難民が増えた、と感じる程度にしか私は感じなかった。
「次期王として選ばれたアルプデギン王は政府に対して講和を申し入れました。戦争状態の終結と、引き換えに今まで占領していた地域の返還を申し入れたのです。当然、政府はこの申し出を受けることを決定しました」
「戦争は終わったということですか」
 弁護人は私の言葉に首を縦に振った。
「戦争は終り当面の外敵は無くなりました。今度は国家の敵は内側に巣食う病巣となったのです。つまり暴動や略奪を働くかつての英雄である傭兵達と、その傭兵達や民衆に【草】をばら撒いた【草】作りの職人達等々、国内の治安を乱す者達です」
「冗談じゃない!」私は叫ぶ。「私達は国家の命令で【草】を作ったようなものじゃないか!」
「政府はそんな命令は下しておりません」溜息混じりに弁護人は答える。「ただ看過しただけです」
「私達が作った【草】のおかげで今まで軍は戦線を維持できたようなものじゃないか!」
 傭兵を主体とした北方帝国の軍隊が弱く、各地でハルバンデフ相手に惨々たる戦果だったのは国民ならば誰もが知ることだ。しかし……
「それは結果としてです」
 そう言われては私に返す言葉などなかった。
「それに、宜しいですか?。貴方には貴方のお父様の代からの【草】作りの容疑と、禁制品の【草】の中でも最も厳重に禁制されている【人形作り】の精製・販売の疑惑がかかっております。これは帝国の刑法に照らし合わせても重罪です。正直、貴方を極刑から免れさせることが可能かどうかも難しい状態です」
 【人形作り】、乙女すら娼婦に変えると言われた向精神性の【草】だ。全身の神経を麻痺させる効果もあることから難病患者の手術にも麻酔として用いられることが多いが、高い催眠効果もあることから先代皇帝の時代に後宮での寵妃による皇帝暗殺未遂事件、所謂【三月事件】に用いられてからは所持はもちろん、届出の無い精製に対しても厳罰が処せられていた。
「私は、あれに対してはちゃんと精製の届出は出していた」
「えぇ、それは役所の記録にも残っております。裁判の際にもそれは有利な証拠になるでしょう。しかし問題はその使用目的です。貴方は傭兵達に対してそれを大量に販売した」
 それは事実だった。各種の【草】に紛れて、私は高値を付けて【人形作り】も傭兵達に売りつけた。
 戦線には碌な医者が居ない。だから重傷者に応急処置として鎮痛剤として使うことや、まともな医者の居る陣営まで負傷兵を連れて帰るために使うということが販売の名目だった。しかし、実際にそれらが戦場でどのように使われるかなど私の知ったことではなかった。
 金にさえなれば、私は良かったのだ。
「それに私の他にもっと大規模に堂々と【草】を精製している連中は沢山いたじゃないか?。国営の施薬院や医局だって【草】を、それも【人形作り】やそれ以上の【草】を精製して売っていたじゃないか?。彼らは責任に問われているのか?」
 弁護人は再び深い溜息を吐いた。
 吐き出された溜息が白い息となり、部屋の空気に溶けていく。
 その沈黙の間を置いて弁護人は答えた。
「先ほど時代は変わったと申し上げました。いかなる時代の変化においても祭儀と生贄の羊は必要なのです」
「つまり、私は運が悪かったと……」
 弁護人は何も答えず席を立った。
 部屋を後にした弁護人と入れ替わりに役人達が入ってきて項垂れる私の両腕を掴んで私を椅子から立たせる。
 難しいことでもなんでもなく、考えるまでも無く、つまりはそういうことだった。
 
 
 それから一月ほどして開かれた法廷における、食糧不足の北方帝国でどうすればこうまで太れるのだろう?と思うぐらいに体格のいい裁判官が私に下した判決は「医師(ロズロォ)オアフターナ・ディズナに禁制品の【草】を多数精製・販売したことを理由とした終身刑を宣告する」というものだった。
 死刑にならなかったのは弁護人が頑張ってくれたからだろう。
 程なくして修道院を通じて妻から離縁状が届いた。
 私にはただうなだれてそれにサインをするより他に術が無かった。

254ロズロォの懺悔(4):2007/12/29(土) 02:59:34
 私が流刑地として送られたオルドナは北方帝国でも南のほうにあるフォリカという街の近くにある場所だった。
 しかし南の方とは言え、温暖なリクシャマー帝国やロズゴール王国に比べればそこは遥か北に位置し、季節も晩秋ということもあり、決してそこは温暖な場所とは言いがたかった。
 また、私の搬送に使われた馬車は、人を搬送するにはあまりに粗末なもので、車輪もあまり手入れはされていないのだろう、進む度に酷く揺れた。
 私は馬丁や囚人護送の役人に幾度かその事を訴えたが、彼らは囚人の言うことなど取り合ってられぬとばかりに無言で、私は寒さと酷い乗り物酔いに堪えるしかなかった。馬車には私と同じ囚人がもう一人乗っていたが、彼は非常に愛想の悪い男で、旅の間一言も私と口を聞くことが無かったので、私は孤独とも戦わねばならなかったのだ。
 そうこうしているうちに2週間ほどかけて馬車はオルドナの牢獄に着いた。
 そのオルドナの牢獄を最初に見たときに私が思ったのは、これは牢獄ではなく檻に違いない、というものだった。
 後で知ったことだが、元は砦だったというその牢獄は周囲を高い壁で囲まれ、全ての窓には堅い金属製の鉄格子が取り付けられていた。壁の最上部に斜め内側向きに柵が設けられており、それは囚人を投獄するためというより、何か危険な猛禽を飼っているように見えた。
 やがて馬車は大きな門を潜って牢獄内部へと入っていったが、そこは外見以上に陰鬱な場所だった。
 高い壁のおかげで昼間だというのに殆ど日が差し込まないその牢獄は、中央に大きな円形の広場があり、その広場を囲むようにして粗末で薄汚れた囚人棟が何件か建てられ、役人達の施設は牢獄から離れた壁の付近にあった。何の為に?と私は、最初、この牢獄の施設の配置に疑問を感じたが、馬車から眺めている限りではひどく粗末な格好の囚人達の姿を何人か見ることが出来ても、役人達の姿を見ることは殆ど無かったことから、役人達にとってこの牢獄の囚人達は危険な猛禽なのではなかろうか?という考えにすぐに行き着いた。
 だとしたらとんでもない場所に私は投獄になったのかもしれない、と私は思ったが、すぐに後で知ることになるのだが、その考えは間違えてはいなかった。
 進むとき以上に乱暴な動作で馬車は囚人棟の一つの前で止まり、役人は馬車に乗り込むと、まるで家畜でも扱うかのように私を乱暴に馬車から引きずり降ろした。私は地面に倒れこみ、激痛のあまりしばらく息すらできない有様だった。そしてようやく息ができるようになってから顔を上げると、いつの間にかそこには囚人たちが私達を囲むように人垣を作っていた。
 清潔とは程遠い粗末な格好をした彼らの誰も彼もが落ち窪んだ、そしてギラギラとした目をしていて、まるで猛禽の類に囲まれたような感覚を肌に感じ、私は思わず身震いしてしまった。彼らが同じ人間だと、私には感じられなかったのだ。
「二番棟牢名主いるか?」
 役人が言うと、私達を囲んだ男達の中から一人の体格のいい男が「へいへい」と横柄な口調で現れた。囚人とは思えない堂々とした態度の男だった。
「新入り2名だ。今日から面倒を見ろ」
 そう言うと、役人はまるで物でも扱うように私ともう一人の男の身体を男の方へと押し出した。牢名主はたたらを踏む私の身体を受け止めると、ふぅんと値踏みするように二人を上から下まで舐めるように見まわし、「新入りども、今日からお前は俺達の仲間だ。よろしくな」と言った。それは驚くほどに愛想の良い声で、その顔には満面の笑みがあったが、私は気付いた、その目は微塵も笑ってはいなかったのだ。
「これが書面だ、読んでおくようにな」
「そうしますよ、気が向いたらだけどな」
 そう言って男は役人から私の書類をひったくるようにして受け取った。
 役人はその男の態度に怪訝そうに顔を歪めたが、それ以上何も言わず、まるで逃げるようにして馬車に乗り込んでその場を後にした。
 役人達が居なくなった後で、書類を読んでいた男は、「そうか、あんた医師(ロズロォ)か」と私を見て言った。
「まぁ、あんたは色々と使い道がありそうだな」
 男はそう言って愛想のいい笑顔を浮かべたが、その笑顔が私には何よりも邪悪なものに感じられた。

255ロズロォの懺悔(5):2007/12/29(土) 03:00:32
 それから先に繰り広げられたもの、それは私がこの牢獄に来て最初に来て見たおぞましいものだった。
 私と共に護送されてきた囚人、彼は特に技能を持たない強盗で、そのことが私と彼の未来を分けた。
 囚人たちは私達を囚人棟に入れると、囚人棟の一番大きな部屋の中でそのもう一人の囚人を囲み、そして牢名主が質問を始めた。彼は恐る恐るその質問に答えたが、答えた次の瞬間には別の囚人に殴られていた。私はその有様に目を大きくして驚いたが、牢名主は眉一つ動かさずに次の質問をする。彼はそれにも答えたが、また別の囚人に殴られた。
 それからも牢名主は彼に次々と質問をし、それに対して彼が何かを答えるたびに理由を付けては彼は殴られ続けた。それは私刑以外の何物でもなかった。
 やがて彼は地面に倒れたが、それでも囚人達は彼を立たせ、理由をつけては殴った。意識を失うと水をかけて起してまた殴り、やがて彼が意識を失っても殴り続けた。
 その間、私は震えながら壁を背にしてその光景から目を背けられずにいた。それはまるで猛禽の群れが哀れな獲物に一斉に襲い掛かるのに似ていた。
「おい、医師(ロズロォ)さんよ」
 やがて牢名主の男に呼ばれて、私は我に返った。
「この男、動かねぇ、ちょっと見てくれるかな?」
 言われて私は震える足で、牢名主の指差す方向に、人ゴミの中を掻き分けて恐る恐る近づいた。
 そこにあった物を見て、私は思わず吐きそうになった。
 男の四肢と首はあらざる方向を向いており、その顔は原型を留めていなかった。また、粗末な服から覗いた肌は内出血でどす黒く変色しており、服の下で破れた腹から内臓が飛び出ているのがありありと分かる有様だった。あちこちが腐って穴が開いている木製の床は彼の血で濡れていた。拳だけで人はこうまで破壊できるのか、と戦慄するぐらいにそれは見事な破壊の有様だった。
 私は震える指で彼の首筋に触れたが、当然のことながらもう既に彼に脈は無い。
「死んでます」
 私が震える声で言うと、牢名主は「そうか」と冷静な声で言った。
「お前達、歓迎式は終りだ」
 牢名主が言うと、囚人たちは三々五々と自分の部屋に戻っていった。
 部屋には呆然とその場に座り込む私と、悠然と腕を組んだ牢名主、そして息絶えた囚人の骸だけが残された。
「おい医師(ロズロォ)さんよ」
 唐突に声を掛けられ、私は思わずビクッと身構える。
「奥の部屋に死体袋がある、それにその死体を詰めてその部屋に運んでくれないか?。もし一人で運べないんだったら、他の奴に手伝わせる。それが終わったらお前の部屋を案内する」
 それはあまりに手馴れた指示だった。
 きっと、こんなことは日常茶飯事なのだ。その事に気付き、私は改めて自分の投獄されたこの場所に怯えた。
 
 
 翌日、役人が私達の囚人棟を訪れ、牢名主は私と一緒に来た囚人の死を告げた。
「またか……」
 役人はそう言うと囚人の中から数名を選んでその死体を運ぶ準備をするように牢名主に告げると、そこから逃げ去るようにして立ち去った。
 囚人達のうち数名が入り口で死体袋を用意して待っていると、やがて武装した兵士達が囚人棟にやって来て、囚人達に死体を運ぶように言った。囚人達は兵士達に連れられてどこかへと消える。
「気になるのか?」
 いつの間にか私の背後に立っていた牢名主が言うので、私が頷くと彼は「この牢獄の地下に川が流れているんだ」と教えてくれた。
「死体はそこに流すんだ。その際、この牢獄に常駐している司祭が簡易的にだが葬式もしてくれる」
 死んでも神には困らないというわけだ、と牢名主は言った。
 生きていることが幸せとは限らない、死ぬことが唯一の幸せなのかもしれない……と私は運ばれていくその囚人の死体を見ながらボンヤリと思った。
 そしてそれは間違えてはいなかった。

256ロズロォの懺悔(6):2008/01/02(水) 03:51:38
 やがて私がこの牢獄に来て初めての冬が来た。
 元いた街では、この時期空から降る雪に、年甲斐も無く子供達と共に心躍らされることも少なくなかった。しかし、雪と言う物がここまで人の心を陰鬱にするものだということを私はここに来て初めて知った。
 雪を降らすのは灰色に塗られた空だ。それはまるでこの牢獄に天井が出来たようだった。
「青い空があんなにもありがたいものだったなんて」
 私は凍えた指に息を噴きかけながら呟く。
 正直極限状態だった。
 薪のような燃料すらろくに与えられない状態では、元々粗末な作りの囚人棟においては暖をとるのも難しく、毛布もまるで質の悪い紙の様に薄くてボロボロで、また食事も常に冷めたものしか与えられない。そこに追い討ちを掛けるような陰鬱な灰色の空……明日もこの日が続くのか、いや明後日だって……気分は滅入っていくばかりだった。
 それは私だけではなかったらしく、元から殺気だっていた囚人達をさらに殺気立たせた。
 囚人達は些細なことで喧嘩を始めるようになり、彼らはどこで手に入れたのか刃物まで持っていて、それを使っての決闘沙汰や人傷沙汰になることも珍しくなかった。囚人達はと言えば、その騒ぎがこの陰鬱な気分を紛らわせてくれるとばかりにその喧嘩を囃し立て、誰一人として喧嘩を止めるものはいなかった。それは仕方ないことなのかもしれなかったが……。
 喧嘩が終り、片方が倒れて戦闘不能になると「医師(ロズロォ)」と牢名主が言い、私は倒れた方の怪我を、囚人棟の粗末な治療道具で治療する。治せる傷には限界があったが、何もしないよりはマシなはずだった。
「【草】を作れないか?」
 牢名主からそう話を切り出されたのは、この一連の喧嘩沙汰で初めての死人が出た晩だった。牢名主のその一言に、囚人達の視線が一斉に私に集まる。
「あんた、娑婆で【草】作りをしてここに投獄されたんだろ?。だったらそこらに生えてるもので【草】を作れないか?」
 しかし私の返事は決まっていた。
「無理です」
 怪訝そうに牢名主は片眉を上げる。しかし、私は自分の手が震えて汗でびっしょりになるのを感じながら「無理です」と再び答える。
「私も元は【草】作りの職人でしたから、ここに来て機会を見ては生えてる植物等を調べてました。この囚人棟に有るもの全てを調べていたんです。でも、【草】を作れる材料はここには有りませんでした」
「そうかい」
 牢名主が答えるのを聞いて、私は以前ここに一緒に来た囚人のことを思い出し、自分も同じ運命を辿るのではないかと身構えたが、彼の口からは続く言葉は無かった。どうやら私の説明に納得したらしい。
 私はホッと胸を撫で下ろし、すっかり定位置になった広間の隅に座り込み、そして安心感からかいつの間にか眠りに落ちた。
 
 
 誰かに身体を揺り動かされて目を覚ましたのは、夜半の頃だった。
 囚人棟の明かりは既に消され、辺りは静寂と、時々聞こえてくる囚人達の寝息と、そして漆黒の闇に包まれていた。
「起きな、先生。ここの主がお呼びだ」
 それは囚人達の一人の声だった。
「主、牢名主が?」
 半ば寝ぼけながら言うと、その声は言った。
「いや、もっと上だ」
 見ると囚人棟の入り口が開いていて、コートを羽織った牢役人が二人入り口で待機していた。

257ロズロォの懺悔(7):2008/01/02(水) 04:07:52
 「この牢獄が特殊な牢獄であることは、先生も薄々気付いてらっしゃるでしょう?」
 私の前で痩せた背の高い貴族風の壮年の男、この牢獄の所長が言った。
 私が牢役人に連れてこられた場所は囚人棟から離れた役人達の施設にある、こんな牢獄のどこにこんな部屋があったのだろうと思わせるような豪奢な装飾の部屋だった。そこでこの所長は「先生、よく来たね」と、この牢獄に来て初めて人間らしい言葉をかけ、酒棚から街に居た頃でもお目にかかったことの無いような高価そうな酒を、同じく高価そうな器に注いで私に手渡して言った。
 私は所長に手渡された酒を用心深く眺めながら、「はい……」と俯いた猫背のまま答えた。
 実際、一週間も経たないうちに私はこの牢獄がただの牢獄ではないことに気付いていた。囚人達が喧嘩等で怪我をする度にその身体を看ていたので、彼らの身体に刀傷や矢傷が多いことから、彼らの大半が元傭兵達だということに気付いていた。
 私がその事を言うと、「半ば正解だと言えますね、先生」と所長は答えた。
「正確には、先生以外の全員が元傭兵の犯罪者なんですよ。そしてこの牢獄は政治的に非常に重大な意味を持つ場所なのです。その意味が分かりますか?」
 私は首を横に振った。私は医術と金儲け以外には世間のことには疎かった。「でしょうね」と彼は答える。
「元々彼らは、いや中には生来の犯罪者も居るでしょうから、彼らの大半が何故犯罪に至ったか?、は分かりますか?」
 やはり私は首を横に振る。
「この国、北方諸侯による連合帝国の政府が彼らに支払うべき給料を反故にしたからですよ。結果、彼らは各地で暴動や略奪を行い、憲兵や地方軍隊、そして中央政府から派遣された軍隊に逮捕された。本来、この国において暴動を起したり略奪行為を行った場合、問答無用で処刑されるのが法の決めた刑です。しかし、彼らはそれを執行されることなくこの牢に繋がれている。何故か分かりますか?」
「北方帝国の軍事力の主力が依然として、流民から募兵した傭兵だからですか?」
 そのぐらいの世間の常識は私も知っている。
 政府が傭兵に対して支払うべき給料を反故にして、その結果起きた暴動や略奪の犯人を迂闊に法に基づいて処刑した場合、次から募兵を行っても兵士は集まらなくなる。しかし、当面の草の民という敵は居なくなったとは言え、依然としてリクシャマー帝国を初めとする旧宗主国である西方諸国という仮想敵は存在し続けているのだ。

258ロズロォの懺悔(8):2008/01/02(水) 04:09:01
「だから簡単に彼らを処刑は出来ない。しかし無罪にすることも出来ないので、この場所に投獄している。そういうわけですか?」
「さすが先生は頭のお良ろしい方だ」そう言って所長は上品な仕草で笑った。「その通りですよ。そして彼らに迂闊に死なれても困るのです。少なくとも、国民達が彼らの存在を忘れるまでね」
 私は掌に汗をかいている事に気付いた。私ともう一人の死んでしまった囚人、彼がここに投獄された本当の理由は……。
「その為ならば普通の犯罪者の一人や二人死のうと構わない、そういうわけですか?」
「簡単に言えばそうですね」
 いとも簡単に笑顔で所長が答えたのを聞いて、私は口の中が乾いていくのを感じた。目の前のこの人物は人の死など何とも思っていない人物で、それは私に対しても例外ではないのだ。そして私がここへ投獄された理由は……
「まぁ、先生、私はね、きっかけはどうあれ先生のような人物がこの牢獄へ来たことを嬉しく思っているのですよ」
 ……嬉しく?
 私は額を伝う汗を感じながら、何も答えずに僅かに顔を上げて所長の顔を見る。人当たりの良さそうな満面の笑み。しかし、この笑みの下にどれだけの悪意が潜んでいるというのだろう?。
 ……これならあの牢名主の方が何倍もマシだ。
 私は思う。
 そう、その時の私には、あの顔は笑っていても目が笑っていない牢名主の方が何倍も悪意が分かり易くて、まだ人間としてマシに思えたのだ。
「それで先生、この牢獄にある材料では【草】は作れないと囚人達には答えたそうですが?」
「はい、そう答えました」
 そう答えながらも、何故、そのことを彼が知っているのだ?と私の中で疑問が鎌首を上げる。だが、考えてみればそれほど難しいことじゃない。つまり、あの囚人達の中には所長の耳になっている密偵がいるのだ。
「それは非常に残念な回答です、先生。彼らをおとなしく出来るのであれば【草】の生成ぐらいは看過しても構わなかったのです。この牢獄にある全ての機器や材料を使っても構わない。まぁ、原材料の搬入はできませんがね」
「寛容ですね」
 私は皮肉交じりに言った。たとえ牢獄とは言え、【草】作りを公的に認める発言が、政府の役人から聞けるとは思っていなかったのだ。
「寛容ですよ」しかし大したことはないとばかりに所長は答える。「彼らが暴動さえ起さなければ、私は私の権限でできることを全て認めるつもりです。彼らが暴動を起して大量に死ぬようなことがあればそれこそ政治問題になりますからね。そうならないのならば私は何でもしますよ」
「その為に玩具にする犯罪者を運び込むこともですか」
「えぇ」
 満面の笑顔で彼は答える。
 私は思い知る。真の悪とは悪意の無い、そして自らが善だと信じて疑わないで悪事が行える人間のことなのだと。そしてその悪は、自らが悪だと分かって悪事を行う悪より遥かに恐ろしい悪なのだ。
「しかし、その囚人の中に貴方のような頭の良い、しかも医師(ロズロォ)の技術を持った人間がいた。実に幸せなことです」
 彼は私の肩に手を置く。その手の冷たさと、その悪を目の前にして私は怯み、そして負けた。
「厳密に言えばあれは正確な回答では有りません」
「と、申しますと?」
 私は震える声で彼に答える。
「【草】は作れないわけではないのです。厳密に言えばなんとか作れます。しかし、それは昂神経の【草】で、服用が過ぎると静かなる死に至ります。現在の状況でそのような【草】を精製すれば現状を悪化させるだけです」
「そうなりますねぇ」
 失望したような口調で所長は私の傍から離れる。
「では先生、この刑務所のこの状況下において、最悪の事態を防ぐ方法は何かありませんかね?」
 私は額から流れる自らのひや汗に気付き、そして掌の上の器を弄んだ末に、その酒を飲み干した。
「方法は……あります」
 そして私が言った言葉は、私が後で後悔する事になる、最低な、そして利己的な言葉だった。
 幾ら怯えていたとはいえ、私はなぜあんな言葉を言ってしまったのだろう?。

259ロズロォの懺悔(9):2008/01/04(金) 01:46:51
 その日は何時にもまして寒い日だった。
 空は何時もより暗く、雪は激しく降り続けていた。
 囚人達はあまりの寒さに喧嘩をする気も失せたのか言葉少なげに静かに身を寄せ合っていたが、やがて、一人、また一人と己の寝室に帰っていった。酔って寒さを紛らわせることが出来る酒があるわけでもないが、こういうときはさっさと寝てしまうべきだと考えたのだろう。
 私も他の囚人達に違わずそんな一人で、早々に自分に与えられた部屋に戻って薄い毛布に包まった。
 寒さのせいでなかなか眠りに付くことは出来なかったが、それでも眠りは足元から訪れ、やがて全身を包もうとしていた。
「起きな、先生」
 身体を揺すられたのは、そんな頭が半分眠りについていた頃だった。
 見ると、私を起したのはこの前と同じ囚人で、彼は「お役人がお呼びだ」と私に言った。
「私に?何のようだ?」
「さぁな、そこまで俺は知らない。まぁ、他の囚人達が起きる前にさっさと行くんだな」
 見ると、この前と同じように外套を羽織った数人の牢役人が囚人棟の入り口で待っていた。
 
 
 牢役人に連れて来られたのは、この前の所長室とは違う剥き出しになった石壁の部屋だった。
 灯りは天井から吊り下げられた幾つかのランプだけだったが、それでも囚人棟よりは遥かにそこは明るく、また暖かった。
 私が何事かと立ち竦んでいると、所長が何人かの牢役人を引き連れて姿を現した。
「やぁ、先生、夜分お休みのところを申し訳ございません」
「いえ、それは構いませんが……私にどのようなご用件ですか?」
 私が言うと、所長はあの満面の笑みを浮かべて「準備が整いましたので、すぐに先生に実験に取り掛かっていただきたいと思いましてね」と答えた。
 「実験」という言葉に「まさか……」と私は思わず口にする。
 ……まさか、本当に「あれ」をやれというのか?
 私は背筋が冷えるのを感じた。
 私が「あれ」を提案したのは、幾らなんでも所長も躊躇するだろうと考えたからだった。まともな人間ならば「あれ」の話をしただけでも嫌悪感を抱くだろうし、ましてやこの牢獄はなるべく人に死んでもらっては困るという事情を持った牢獄なのだ。きっと却下されるに違いない、私は考えていた。
 しかし……
「まぁ、いきなり囚人達に試すわけにはいきません。そこで被験者になる人間を連れてきた次第です」
 所長がそう言うと牢役人達は、今まで気付かなかったが、牢役人達に囲まれるようにして立っていた頭から外套を被った小柄な人物の両腕を掴んで私の方へと押し出した。その小柄な人物は踏鞴を踏んで私の胸に倒れ掛かった。その瞬間に外套のフードが脱げ、それが娘、それも年端もゆかない少女であることに私は気付いた。
「あなた方は……」
「まぁ、流民の貧民窟で娘がかどわかされてそのまま帰ってこない、なんてことはよくあることですからね。これが男や、女でも娼婦の類だと色々とややこしいことになるのですが、ただの娘ならば特に問題にもなりませんよ。暫くの間家族が騒ぐでしょうが、そのうちその騒ぎも静まって、それで終りです」
 私は思わず一歩後ろに退いたが、その瞬間に指先が何か金属に触れる。恐る恐るその指先の感触の元に視線を動かすと、そこには各種の手術道具が揃っていた。
「先生の素晴らしい施術のための準備はこの通り揃えさせていただきました。さぁ、先生、心置きなく『実験』を行っていただきたい。別に今回失敗しても、また被験者を探してきますよ」
 私は恐る恐る自分の胸の娘の顔を見た。その顔は、何が起きたのかは分からないが、これから自分は大変な目に遭うのだ、ということを察して怯えた目をしていた。
 私は……その目を直視できずに顔を背けてしまった。
 ……出来ない、こんなことは人間のやることじゃない!
 そう言って、自分のこの牢獄における立場が決定的に拙くなるのを覚悟でこの仕事を断るならその時が最後の機会のはずだった。しかし、私はまたもや恐怖に負けたのだ。
 私は、どこまでも弱くて情けない人物だった。

260ロズロォの懺悔(10):2008/01/04(金) 01:48:03
 私が所長に提案したこと、それはロズゴールの医学大学で何度か論文を読んだ治療方法を囚人達に施すということだった。
 それは外科手術によって頭蓋を切開し、そこから脳を切開して興奮しやすい精神状態を改善する、というもので、私はそれを血の気の覆い数名の囚人に施せば全体的な人称沙汰も減るだろう、と提案したのだ。
「しかし、危険な手術ですし、私も理論を知っている程度ですので実行するためには幾度かの実験が必要です。成功までには何人かの犠牲がでることも考えられます」
 そう但し書きを付けるのも忘れなかった。
 この特殊な状況下にある牢獄で、囚人達を実験台にすることを所長はしないだろう、と考えたのだ。
 だが、その時の私は外から被験者を、それもあんな、まだ幼い娘を連れてくるとは考えても無かった。
 
 
 それから数時間後、私は牢役人に両腕を掴まれたまま囚人棟に戻った。
 そうでもしなければ私にはまっすぐ歩くことも出来なかった。
 囚人達がすっかり寝込み、あちこちから寝息が聞こえてくる中、私はフラフラとした足取りで寝室に戻り、そして吐いた。
 施術は失敗だった。
 鎮痛用の【草】も使わず、娘が暴れないように寝台に固い皮紐で括りつけて目隠しをしただけの状態で行われた施術の結果、痛みに耐えかね、娘は息を引き取った。苦悶に満ちた死に顔だった。
 私は寝台に潜り込み、こんなことは忘れてしまおう、と所長から「好意」でもらった酒に口をつけて眠りに落ちようとしたが、あの娘の、血塗れになった、そして涙のこびり付いた死に顔が忘れることが出来ず、眠ることなどできなかった。
 ……私は、なんてことをしてしまったのだ……そしてなんてことをしようとしているのだ?
 行った罪過とこれから行う罪に怯え、私は主神フォドニルに、そして思いつく限りの魔路神群の神々に祈ったが、心は一向に晴れなかった。

261ロズロォの懺悔(11):2008/01/05(土) 16:29:09
 それから数日毎に私は夜中に起され、所長はその度に新しい被験者を用意していた。
「貧民窟で行方不明になる娘など、毎日珍しいことではないのです」所長はいつもの笑顔で言う。「なんでしたら、数人の被験者を用意して『実験』まで我々が飼育していても構いませんよ」
 つまるところ、彼には家畜も貧民窟の人間も普通の犯罪者も区別がついていないのだ。どれが入手し易くて、どれが管理が易しいか、ただそれだけの問題でしかなかったのだ。
 教会で、神父は「神の名の下に人の命は平等だ」と説いていたが、それは明白な嘘だということを私は思い知った。
 だから、その現実の恐ろしさに、私はただただ現実から逃げるようにしてあの悪魔のような「実験」を続けた。
 娘達はいずれも「実験」途中で息絶え、私は毎晩のように所長からもらった酒に酔い、そして吐いた。
「医師(ロズロォ)さんよ、あんた最近やつれたな」
 牢名主からそう指摘されるほどに私は目に見えるほどにやつれ、そして一気に年老いた。
 この牢獄に入る前には少々福々しかった私の両頬の肉は削げ落ち、黒かった私の髪の毛はすっかり白くなっていた。
 どんなにきつく瞼を閉じても娘達の顔は目から離れず、また断末魔の悲鳴は鼓膜に張り付いたように剥がれなかったからだ。
 こんなことは、出来るのならばすぐにでも止めたかった。止めるべきだった。
 しかし、私がそれを止めなかったのは、あの所長の純粋な「悪」に恐怖したことと、そして私自身の内に燻った医学的な興味が背中を押したからだった。認めたくは無いが、私は次第にあの「実験」にとり憑かれていったのだ。
 正義感や罪悪感が擦り切れたわけではない。ただ恐怖に背中を押されて仕方無しに「実験」に取り組んでいる内に、だんだん「実験」そのものを面白いと感じ始めたのだ。
 そのうち私は「実験」で娘達が死んでも何とも思わなくなり、夜、囚人棟の寝台に帰ってから己が行為に嫌悪して吐く事もなくなった。代わりに、どこで「実験」が失敗したのかを考え、次はどのように施術をするか寝台で薄い毛布に包まりながら一生懸命考える夜もあるぐらいだった。正直に言って、次の「実験」が待ち遠しくて眠れない夜もあった。
 そして次第に「実験」に慣れていった私は、あと何度か「実験」を行えば理論の実践の目処が立つようになっていた。
 そんな時だった、あの娘が私の前に現れたのは。

262ロズロォの懺悔(12):2008/01/05(土) 16:31:29
 季節は厳しかった冬にもそろそろ終りの目処が見え始めた頃だった。
 所長は何時ものようにあの石造りの部屋で牢役人を従えて私が連れてこられるのを待っていた。
「やぁ、先生、お待ちしておりましたよ」
 そう言って背後の牢役人達に合図を送ると、彼らは私の方に対して新たな被験者の背中を押す。
 たたらを踏みながら私の胸元に倒れ込む被験者。
「怖がることは無いんだ、お嬢さん」
 精一杯の優しい口調で私は彼女の肩を掴む。それもいつものことだ。
 だが、その日、その娘が他の今までの娘達と違ったのは、彼女の肩は震えていなかったことだ。
 今までの娘達は必ず肩を震わせていて、中には怯えて暴れる娘もいた。
 だが彼女は大人しかった。あまりに大人しすぎた。
「……?」
 私は訝しみ、彼女の外套のフードを剥いだ。おそらく草の民の娘なのだろう、褐色の肌と黒い髪の娘は怯えた顔もしていなければ、恐怖に今にも泣き出しそうな顔もしていなかった。
 ただ、そこには静かな、まるで諦観しているかのような表情があった。
 彼女は、この後の自分の運命を知っているというのだろうか?。いや、そんなはずはない。「実験」のことは所長の他には一部の牢役人しか知らないことで、牢獄の外の人間が知っているわけは無いのだ。
 ……多分、かどわかされてここに来た時点で自分がろくな目に遭わないだろうことを悟ったのだろう
 私は勝手にそう解釈して自分を納得させると、牢役人に彼女を寝台に縛り付けるように言った。
 牢役人達は彼女を寝台に寝かせ、革紐で彼女を縛りつける準備にかかった。ここまでは今まで通りだった。しかし……
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”……」
 突然彼女は悲鳴を、それも地獄の底から響くような悲鳴を上げて暴れだしたのだ。
 それは恐怖のあまりに自棄になってあげる悲鳴とも違った。
「先生、これは……」
「いかん、発作だ!」私は慌てて彼女に近寄ると人工呼吸を始めながら言った。「多分この娘は何かの持病持ちだったのでしょう。これでは『実験』どころではない」
「先生……」
「とにかく、処置は施します。悪いのですが場を外してもらえますか?。おそらく今の彼女は僅かな音にでも反応して症状を悪化させる状態にあります」
 私はそう言って所長と牢役人達を部屋の外に出した。
 彼らの足音が遠ざかるのを聞き、私は人工呼吸を中止し、苦しそうに暴れる彼女を暫く眺めていたが、「それで……」と我ながら唐突に話を切り出した。
「それで、いつまでその芝居を続けるつもりだ」
「あ、分かった?」
 今までの発作が嘘のように、彼女はケロリとした顔で上半身を起した。
「私も端くれとは言え医者(ロズロォ)なんでね、嘘の発作と本物の発作の区別ぐらいは見てつくよ」

263ロズロォの懺悔(13):2008/01/05(土) 16:32:17
 とは言え、私が医者でなければ騙されてしまいそうなほど、彼女の演技は卓越したものだった。その演技に限って言えば帝都の劇場で看板女優になれると言っても過言ではない。
「あたし、難民生活が長かったからね。発作のふりや死んだふりは自信が有るんだ。これで戦場を生き延びてきたから」
「……それで咄嗟にここでは発作のふりをしたわけか。てっきり君はここに来た時点で諦めているものだと思ったのだがね」
 もしそれも演技だったとしたら彼女は度胸がある天才だ。
 だとすれば、ここで「実験」の被験者として殺してしまうにはあまりに惜しい、と私は思った。
「あんたの言う通りだよ。ついさっきまで諦めていたんだ……どうでも良いや、って。でも、最後の最後になって、あたし、怖くなっちゃって……」
 彼女を買い被っていたことに気付いて失望しながらも、「それが普通だ」と私は答えた。
 確かに彼女は卓越した発作と死んだふりの演技が出来ることを除けば普通の娘だった。草の民であることを除けば、今まで被験者にしてきた娘達と何の変わりもなかった。なのに……
「確認するが、今の君は、死にたくない、と思っているんだな」
 何故か私は確認していた。私のすべきことは牢役人達を呼んで、今度こそ彼女を寝台に縛りつけ、さっさと「実験」を済ませることだというのに……
 彼女は私の申し出に驚いたように目を丸くして黙っていたが、「どうなんだ?」と私がもう一度聞くと首を縦に振った。
「……分かった」
 そう言うと私は彼女に寝ている振りをするように言って牢の外にいる所長達を呼んだ。
 やがて私の声が届いたのか、遠くから所長達の足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
「先生、彼女は……」
「治療を施しました。今は寝ています」
 私は精一杯の真顔で、眉一つ動かすことなく答えた。
 私は思ったことが顔に出てしまう方で、嘘は苦手だった。だが、この時の私の演技は多分堂に入っていたと思う。
「なるほど。しかしどうしたものでしょうな、あれでは『実験』に使えそうに無いでしょう?。処分しますか?」
 さらっと怖いことを言ってのけると、牢役人の中から一人、体格のいい男が剣を手に一歩前に踏み出した。
「いや、あの娘は私に任せていただけませんか?」私は慌てて言う。「あれは被験者としてはなかなかの良い素材です。ただあのような病気を抱えているだけで、決して治療できない病気ではありません。ですから病気を治療した後に『実験』に使えば『実験』は大いに前進すると思います」
 所長は暫く私の顔を見ていたが、「良いでしょう」といつもの満面の笑みを浮かべて言った。
「先生の『実験』が進展するのであればそのぐらいは看過しましょう。先生も男でしょうからな」
「……」
 所長が何を勘違いしたのかは知らないが、どうやら彼女の当面の危機は去ったらしい。
 私は胸を撫で下ろした。
「それでは彼女には役人棟の医務室を使っていただきましょう。彼女の治療目的ならば、見張りの牢役人に申し出てくれればいつでも役人棟への出入りを許可しますよ」
「ご厚意感謝いたします」
 私が頭を下げると、「ただし」と所長は言葉を続けた。
「『実験』は継続してもらいますよ。実は今晩はもう一人被験者を用意しておりましてね……」

264ロズロォの懺悔(14):2008/01/06(日) 02:37:13
 翌日、囚人棟でまた一人囚人が死んだ。
 自分の皿の盛りが他の囚人より少なかったとか、そんな些細な理由が原因の喧嘩で命を落としたのだ。
「全く、少し暖かくなったと思ったらすぐこれだ」
 私が囚人を診察してその死亡を告げると、牢名主は頭を掻きながら溜息混じりに言った。
「そんなに運河で魚の餌になりたいのかね、全く」
「運河で?」私は牢名主の言葉に首を捻る。「死体は牢獄の地下の川に捨てられるんじゃないんですか?」
「あぁ、医師(ロズロォ)さんは知らないんだったな」牢名主は死体を入れる死体袋を他の囚人に取って来させながら言った。「あの川は運河に通じているって噂があるんだ。ここにいる囚人達の何人かが戦時中にこの牢獄、当時は要塞だったんだが、に篭って殺された兵士の死体が運河に浮かぶのを見たって言っている。当時要塞は草の民に包囲されていたから死体を遠く離れた運河にわざわざ捨てに行ったというのは考えづらいしな。だから、そういう可能性がある、というわけだ」
「しかし、要塞の外で死んだ敵兵を草の民が運河に捨てたのかもしれませんよ」
 私が言うと、「それはねぇよ」と牢名主は答えた。
「ここから運河までどれだけ距離があると思ってるんだ?。俺が草の民だったらそんな手間とるよりさっさと穴掘って埋めるかそのあたりに晒すよ」
 なるほど彼の言う通りだ。だが、それなら……
「でもあくまで可能性だ」私が何かを言う前に、それを遮るようにして彼は言った。「いくらあの地底の川の水温が見た目よりは暖かいからと言って、その川から脱走しようとは思わないな。普通に考えて、運河に辿りつくまでに水没して溺死するか、結局運河には通じていなくて地底湖あたりで藻屑だろうからな」
 そう言うと、牢名主は他の囚人に死体袋を奥の部屋に持っていくように言い、別の囚人に牢役人を呼びに行かせた。
「ところで医師(ロズロォ)さんよ」
 唐突に牢名主は言った。
「あんた、最近血の匂いがするぜ」
「……」
 私はその言葉に心臓が止まるほど驚き、暫く黙った後に「囚人達の治療を日々行っていますから」と半ば言い訳になっていない言い訳の言葉を口にした。
「死臭もするんだがな」
「それは……」
 私は必死になって言い訳を考え付こうとしたが、「まぁ、良いんだがな」と言って牢名主は立ち去った。
 ……助かった
 そう思いながらも私は、この「実験」は完成を急がなければならない、と考えた。

265二つの遺作・前編(0/10):2008/01/08(火) 20:43:50
・またの名をダインスレイフの事。そのまたの名をあるウヴァロバイトの話
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1158817867/38の続きになります。
・これに関する私の話は、後編で終了となります。
・なまえなんてかざりです。えらいひとには(ry

・・・旅の途中に出会った、大きな緑の翼を持つその男に、私は命を救われた。
訳在ってまともな街道を通れなくなった為、盗賊や獣に襲われることを私は覚悟していたが
空から助けが来る事は、完全に覚悟の範疇外だった。
男は私を取り囲み、どう料理してやろうかと嗤う獣達をその緑石の羽と長い腕で易々と屠り、
今日はまともな宿と食事にはありつけない私に、豪勢な食事を振舞ってくれた・・・あの獣達は、香草と焼くと結構なご馳走になったのだ。

ウヴァロバイトの妖人は、その硬い、凶器にもなりうる羽を持つ事から、街等で見かけることは滅多に無い。
女性は産婆として見る事は本当にたまにあったが、鉱山町を避けて通っていた私にとって、ウヴァロバイトの男性は非常に珍しかった。
(彼曰く、男性も女性もそう変わりない姿かたちをしているそうなので、
 もしかしたら私の見た産婆の中に、男性がいたかもしれない、そうだ。)
食事を大体平らげた私達は、ウヴァロバイトについての様々な事を語り合った…と言っても、私が知っているウヴァロバイトの話は非常に少なく、
ほとんど彼の語りを私が聞いている形ではあったのだが。

266二つの遺作・前編(1/10):2008/01/08(火) 20:44:33
その男は、武器を探していた。
【ダインスレイヴ】と呼ばれるそれは、ある一人のウヴァロバイト―話に聞くと、長の一族の一人だったそうだ―の
翼から作られた武器【ウヴァロバイトの遺】であると言う。
【ダインスレイヴ】…彼らの言葉で【ダインの遺産】という意味だ。
彼は、村の何人かとある鉱山に出稼ぎに行った時、盗賊の一味に襲われた。
子供でも成人の人間の戦士並みに強いウヴァロバイト達にとって、盗賊如きそこまで障害ではないのだが、
運悪くその時、数人の人間の鉱夫達も一緒だったのだ。
殆どの鉱夫は彼らのおかげで逃げおおせたが、二人が盗賊に捕まった。しかも女性(鉱夫の中に女性が?と聞くと、鑑定士の者たちだったらしい)
ダインはグループの中ではまだ若く、正義感に溢れていた。仲間の制止を振り切り、盗賊たちの後を追い…

戻ってきたのは、身も心もぼろぼろになった女性の一人と、苦悶に満ちたダインの首だった。

267二つの遺作・前編(2/10):2008/01/08(火) 20:45:19
何があったのかと尋ねると、鑑定士の一人である片割れは、実は盗賊の情婦で。
たびたび鉱夫のグループを縄張りに誘い込み、奴隷として売り飛ばしていたらしい。
今回はウヴァロバイトがいるという事で通常の倍の人数で襲い、囮も使う入念さだったそうだ。
鉱夫は確保できなくてもウヴァロバイトを2、3人でも確保すれば、羽の売り上げだけでしばらく食っていけると力も入っていた。

しかし、釣れたのは若いウヴァロバイトのみ。当てが外れたとがっくりきていた隙に、ダインは暴れるだけ暴れた。
そして盗賊の慰み者にされていた彼女を助け、逃げる最中、彼女をかばって首を刎ねられたのだ。
(飛べたのでは?と尋ねると、簡単に逃げられないように片羽は既に?がれていたそうだ。)

必死に逃げてきた彼女と共に鉱夫やウヴァロバイト達は悲しみにくれたが、それはすぐに恐怖に変わった。
首だけのダインの口が、叫んだからだ。

「例えハザーリャが貴様らを許そうと、振り子のエアルが終末と共に顕れても、
 その魂在り続ける限り呪いは続くと思え!!ギュルヴィの血に連なるものたちよ!!」

聞いた瞬間、女性は蒼褪めて卒倒した。
彼女もギュルヴィの…彼を欺き死に追いやった奸婦の血に連なる者だったからだ。

268二つの遺作・前編(3/10):2008/01/08(火) 20:45:51
ウヴァロバイト達は鉱夫らを麓の村に下ろすと、急いで盗賊の巣らしき元に飛んだが、既に遅く
血と肉でまみれた巣には、ダインの死体はなかった。
ギュルヴィらしき女性の姿もなく、彼女が誰かと共に彼の死体や盗賊の財宝の類を持ち出して逃げたのは明らかだった。

戻った村でも、呪いは現れていた。
助けた女性が、彼の首を抱え、一緒に山を登った鉱夫達を縊り殺していた。
彼女から首を引き離し、保管していたウヴァロバイトも殺されていた。
満身創痍の彼女がウヴァロバイトまで殺せたのは、ダインの首が力を与えていたのは間違いない。
その場にいたウヴァロバイト全員で彼女を取り押さえ、数人のウヴァロバイトの死と共に取り戻したその首は、血にまみれて薄ら笑いを浮かべていたそうだ。

女性はその後、狂った気を正気に戻すことも出来ず(ガロアンディアンの予防局に連れて行くことも提案されたが両親がそれだけはと言ったらしい)、
殺人癖を持つ呪われた娘がいるということで、彼女の一族は酷い差別を受け、没落した。
ウヴァロバイトの一族は、長の血を連ねるものから【呪い】が発生した事を重く受け止め、
残るダインの遺産…ダインの死体を探し出し、骨の一片毛の一本まで消滅させる事を神々の名の下に誓った。

そして今に至る。

269二つの遺作・前編(4/10):2008/01/08(火) 20:46:54
*

「…では【ウヴァロバイトの遺】は彼の羽だけではなく、彼【そのもの】という事で?」
その話が終わったのは、そろそろ月達が【槍】と交わりそうな位置に来そうな時だった。
彼の生い立ちや一族の話に始まり、風習や行事と様々な事を面白おかしく話していた彼は、
【ウヴァロバイトの遺】の、特にこの話になった時は、流石に顔を曇らせていた。
「滅多に無いんだがな・・・。そこは流石長の一族といったところだ。
 普通なら羽に集中するらしいんだがそれだけで収まりきれなかったらしい。」
「そこまで・・・凄まじかったんですか・・・。」
こう言った話の恨む側の話は本当に悲惨なものが多い。恨まれる側の報復に比例するが如く。
もう今となっては分からないが・・・盗賊に捕まった時、恐らくそれは酷い嬲りを受けたのだ。
長の一族の一人と言う立場も忘れて、そんな恐ろしい呪いの言葉を吐くくらいに。
「見つけるのも途中まで結構簡単だったしな。
 ギュルヴィの一族関連で血の匂いのするところ辿っていけば、大概見つかったし」
「…没落した一族の元にですか?」
腹を何か冷たいものに掴まれたようにぞっとした。
一族からそのような奸婦が出たと言う事、そして狂いの娘がいるで名誉も地に落ちたろうに…
本当に蛇のようだ。どこまでも追って、追って、最大限苦しめるため、その為に、あるときに暗闇の中から音も無くぬっと姿を現す。

270二つの遺作・前編(5/10):2008/01/08(火) 20:47:42
「彼女が…狂って殺人癖を持っちまった娘な。あいつが歌うたびに【それ】は姿を現したらしい。
 時には彼女の叔父の手にある時は渡り、彼女の叔母、従兄弟、祖父母…最後には両親の手に渡った。
 どんなに俺達がその前にダインの遺産を手にしようとも、俺達の気配を察するが如くそいつらは手をすり抜けていく。
 そして…必ず決まって、最後には彼女を刺し貫いた」
「彼女を?・・・彼が、助けたのに?」
彼女を助けるために、彼は死んだのではなかったのか?
否、一族であると言う事は、例え助けた相手であっても、関係ないということなのか。
「刺し貫かれた彼女は、いつも決まって死ぬ寸でで息を吹き返した。…狂ったままでな。
 案外、彼女が【ギュルヴィ】なのかもな。もう一人は嬲られた後あの山の中に埋められ、
 暴れ狂うダインを何らかの方法で縊り殺して、首だけ持って下山したのかも」
「そうだとして・・・何故首だけを?」
「さあな・・・彼を殺した時に、彼女は呪いに掛かっていたのかもしれんな。それとも…彼を騙した後悔からだったのか」
焚き火に照らされた彼の表情は、火の影にあてられているとは言えども、非常に暗い表情だった。
今となっては分からない事実。気狂いとなってしまったのなら満足な受け答えもなかったろう。
そんな中で、この疑問に答えてくれるかどうかなど――言うまでも無い。
結局彼女は【ギュルヴィ】だったのかもう一人なのか。恐らく永遠に分からないのだろう。
ただ分かるのは、【ダインスレイヴ】は彼女を締めくくりにしたいのだ…でなければ彼女ばかりに受身はやらせないはずだ。

271二つの遺作・前編(6/10):2008/01/08(火) 20:48:22
「まあ兎に角、その呪いの掛かった歌姫は羽の片方を手に入れたと同時に、
 自分の両親や守役だった数人のウヴァロバイトを殺し、完全に姿をくらましたんだよな。
 …ある鍛冶職人に彼の羽を加工させて剣にしたまでは分かったんだがな。
 鍛冶職人が死体となっちゃ、次の目的地がどこだか皆目見当もつかん」
…しばらくして先ほどまでよりは多少明るい声の彼の言葉は、えらくとんでもないものだった。
いつも苦痛を受け入れる側だった彼女が、転じて苦痛を与える側となったのだ。
先ほど【ダインスレイヴ】は彼女で締めくくろうとしたと考えたが、あれは全くの見当違いだったのか?
・・・いや、彼曰く一族はもう彼女で最後のはずだそうだ。だとすると最後のために何かもっと別の事をしようとしているのか?
「恐らく今度が最後になる・・・長としては今度こそ事が起こる前に何とかしたいようだし、俺だってそうだ。
 これ以上死が続くと冗談抜きで【忌民】項目内に入れられかねん。
 …しかも、それがダインの所為って言うのがな・・・正直食い止めたいんだよ。俺としては。」

272二つの遺作・前編(7/10):2008/01/08(火) 20:49:23
「…親しい知り合いなんですか?」
「まあ行くとこまで行っちゃいないが、恋人同士ではあったな」
酷く懐かしそうな声で・・・えらくとんでもない事を聞いた気がする。
10年ほど前の話らしいから・・・彼の外観から考えると彼とダインではそれなりの年齢差があったはず・・・っていやそういう問題以前に・・・
「…………………………………………………………………………………はい?」
ええと・・・この人・・・男・・・だよな・・・?
先ほどまでとは何か雰囲気が妙になってきた・・・しんと、身じろぎの音すら響きそうな森の中、自分達は一体何の話をしている?
「いや別に男じゃダメってワケじゃないんだぜ?女でも普通にイケル口だしな。
 ただな…うちの村じゃ男も女もそう変わらない容姿をしててだな・・・
 それ位美形とか醜悪とかそういうのじゃなくてな…そうだな…分かりやすく言うと…女はどんなに胸が絶壁でも、
 見たら【この人は女性だ】と分かるものがほとんどだろう?
 その容姿や、雰囲気の差別化が皆無といっていいんだよな。
 勿論体の造りの違い云々はあるんだけどなぁ・・・どうなってんだかな」
「……………………………………………はあ………………………………………………」
心底がっくりしたと言わんばかりのため息が森に響く。

273二つの遺作・前編(8/10):2008/01/08(火) 20:50:02
「村の女ばっかり見てるとなぁ…人間の女っていいよなー可愛いようん。なんかさわさわしたりふにふにしたくなる。
 腰つきとかさぁ・・・がっしとじゃなくってすらぽちゃっとしてる感じがまたたまんないんだよなー。
 身体全体とかさぁあの雰囲気・・・あれだ。樫の樹とか鉱脈みたいな感じじゃなくて
 こう、もっと柔らかい、焼きたてのパンみたいな感じがなぁ・・・」
「…………………………………………………」
突然酔っ払いの寝言みたいなことを言い出した彼は、人間の女性がウヴァロバイトの女性よりいかに素晴らしくて、
そんな彼女らに言う願望をぐだぐだと半刻ほど連ね始めた
・・・僕らは一体、この暗い森の中で、一体何の話をしている?

**

「えーでもさー何か可愛い子とか見てたら思わね?こう頭なでなでとかぎゅーとかさぁ…」
彼は言ってる事が完全に酔っ払い親父になりきっていた。半刻前はあれほど重い話をしていたと言うのに
「正直・・・分からなくは無いですが、実際に見知らぬ子にやったら泣かれますし、あまりそういった方面には興味は・・・」
「・・・もしかして、あんた男方面オンリー?」
「いや何突飛な発想してんですかあんたどこぞのアハツィヒ・アイン崇拝者ですか
 第一そちらはもっと興味は無いですし女性に関してはもっと紳士的に」
「あー悪い悪い。冗談だって。てか……

 ……あんたには余裕が無かったはずよな。そこまで心理的に大らかになれるだけの」

274二つの遺作・前編(9/10):2008/01/08(火) 20:50:27
言葉は、唐突だった。

この男と話していると、本当に雰囲気の流転が激しい。
牧歌的(?)な一族の話から、血みどろの遺物の話、はてや酔っ払いの戯言、そして・・・
そこでやっと、私は疑問点に到達できた。そうだ。何故これを最初に疑問に思わなかったのだろう。
「・・・あの、これだけ色々な話をして頂けた事には非常に感謝してます。
 獣に襲われていたところの私を助けていただいたことも、今こうして食事に誘っていただいたことも。
 ですが・・・先ほどのダインスレイヴの件、あそこまで何故私に教えたんですか?一族の汚点である話ですよね?
 下手に知れ渡れば、先ほど仰っていた様に【忌民】の仲間入りは避けられませんよね?」
自分の間抜けさに、ほとほと嫌気が差す。
ここに来てやっと、私はこの男が恐ろしくなった。
そうだ。あんな話まで話す事はなかったはずだ。
起こってから何百年も経った事なら兎も角、聞けば10年も経っていない話だ。
そんな、本当に成功するかしないか分からない事を、何故私に話す?目的は?まさか・・・
「あの・・・重ね重ね言いますが、私はそっちのケはこれっぽっちも・・・」
「ああ。それは大丈夫。だってお前さん羽生えて無いし」
「そこですかい」
いや突っ込みを入れている場合ではない。ますます謎が増えていく。この男は一体なんだ?一体自分に何をさせようとしている?

275二つの遺作・前編(10/10):2008/01/08(火) 20:51:07
「俺の目的はな。本来ダインの遺産の捜索じゃなかった・・・あんたなんだよ。俺の本来の目的は
 街道であんたが騒ぎを起こしてたのは、幸運としか言いようが無い。まさか、あんな所で出会えるなんて思ってなかったからな。
 ついでに言うと、獣に襲われたとき助けたのは偶然じゃない。
 ・・・あんたに、話しとか無ければならないことがあった。今までの話と共に。」
私は余計に困惑し、恐怖が全身をうぞうぞと包むのを感じた。この場から今すぐ逃げたしたいと頭が叫びだすが、
目の前のウヴァロバイトは、私が手も足も出なかった獣を難なく屠り、今さっき食った夕飯にまでした猛者だ。逃げられるとは到底思えない。
困惑した私が次に聴いた言葉は、私を益々凍りつかせた。

「…我が父の呪いは酷いものだったようだな。あの様子だと」

(続)

276二つの遺作・前編・お詫び:2008/01/08(火) 20:56:42
>>267の7行目
(飛べたのでは?と尋ねると、簡単に逃げられないように片羽は既に?がれていたそうだ。)
になってますが
(飛べたのでは?と尋ねると、簡単に逃げられないように片羽は既に『も』がれていたそうだ。)
になります。漢字変換していたのですが反映されない字だったようです。申し訳ありません。

277二つの遺作・後編(0/20):2008/01/10(木) 01:25:54
・またの名をティルヴィングの事。そのまたの名を鳥使いの話
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1158817867/38
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/7039/1152717733/265の続きになります。
・これに関する私の話は、この回で終了となります。
・なまえなんてかざりです。えらいひ(ry

278二つの遺作・後編(1/20):2008/01/10(木) 01:26:38


大魔女トルソニーミカは其を一瞥して言った。「これでは対価にはならないね」と。
自分の手を握る父の手から、しんしんと落胆と悲しみの情が伝わってくるのを感じたのが、
恐らく、覚えている限りの自分の最初の記憶だ。
父と魔女と自分。母はそこに居なかった。何故だろうと自分に問えば、
身体の奥から「母は別の父と一緒に暮らし、もう自分達とは会わないんだよ」との答えが返ってきた。

279二つの遺作・後編(2/20):2008/01/10(木) 01:26:59
其は薄い緑の光を発していた。魔術的な光なのかそれとも宝石の貴な光なのか、その光は様々な人間を魅了した。
幼い自分の目から見ても要領の良くない父は、事あるごとに其を奪われ・・・奪った人間を破滅させて、其は父の元に返ってきた。
ある男は火の不始末を起こし、自分の家を全焼するだけではなく、隣近所2件の家まで延焼させて、その責任を問われた。
ある女は其を別の人間に奪われそうになり、自慢の美しい顔に酷い傷を作った。
別の父は母との間の子は事故でかたわとなり、今まで居た村に住めなくなった。

其が帰ってくる時は、決まって父は暴力を振るわれた。
「あれのせいだ。あれを渡したお前のせいだ」と皆、口を揃えて言った。

不思議なことに、石のもたらす災厄は、人を殺すには至らないものだった。
しかし、生きている限り続く傷跡を、確実に残すものばかりだった。

280二つの遺作・後編(3/20):2008/01/10(木) 01:27:18
恐ろしくなった父は其を古物商に売り払った。
古物商はしばらくして、偽の遺物を金持ちで売った罪で捕まり、親切な役人が其を父に返してくれた。
父は借金をし、その対価に其を高利貸しに渡した。
高利貸しは、屋根の上から盗んだ物をばら撒くという変人な賊に襲われ、其は空から父の元に返ってきた。
世界のいやはてで大魔女トルソニーミカの住む庵にも行った。
しかし其は結局父の物のままだった。
(・・・よくよく考えると、父はよくこんな恐ろしい事をしたものだと思う。
 何らかの力が其に備わっているとはいえ、どう考えても其は呪われているとしか思えないのに)

281二つの遺作・後編(4/20):2008/01/10(木) 01:27:44
ある時父は言った。死ぬ時は、それと共に自分を燃やしてくれと。
これは血に添って伝えるべき遺物ではなく、今生で消し去るべき呪物なのだから
其を生み出したのは、自分であるが故に、おそらく其は死ぬまで自分から離れる事は無いのだと。
ティルヴィング・・・勝利と共に破滅を相手に贈る其は、名の通り父の手から離れるたびに、誰かに一瞬の栄誉と一生の破滅を贈っていった。
父以外の全ての人間――――それは、私自身も例外ではなかった。

私は誰よりも其を知っていた。其は父以外の全てに婀娜な視線を向け、牙を剥く物だと知っていた。
しかし年を取るにつれ、世界を見聞きするにつれ、子供の無邪気が薄らぐにつれ、それを欲する気持ちは抑えられなくなっていく。
父が何百回目かに、其を海に投げ捨てた時に、その抑えていた気持ちが爆発した。
高い崖の上からだった。下には岩が海からいくつも突き出していた。空は今にも雨を呼びたがっていた。
だけどあの瞬間――――雲からひと筋差し込んだ光が、其の緑の悲鳴を伝えた瞬間、


崖の上から、自分は其を手に取ろうと、身を躍らせた。

282二つの遺作・後編(5/20):2008/01/10(木) 01:28:11

死んだはずだった。まず助からないはずだった。それを承知でやった。
しかし、自分は目を覚ました。海に突き出した岩の一つに、服が絡みついたという恐ろしい奇跡のお陰で
次にした事は、あの緑が何処に行ったのかを探す事。緑は自分の手の中にあった。

父の姿は、何処にもなかったことに気づいたのは、しばらく経ってからだった。

283二つの遺作・後編(5/20):2008/01/10(木) 01:28:59
そこからどう生きて帰ったのかは、よく覚えていない。
肉が岩にぶら下がっていると気づいた一羽の【鴉】(明らかに従来の【烏】の大きさの範疇を超えていた)が、
其と引き換えに自分を崖の上に連れて行ったはずだ。
其が手から離れていく時、一瞬悔いたが直ぐ気を取り直した。
其はまだ自分をどうしようと言う意思はない。あればあのまま自分は死んでいた。
そうでなかったという事は・・・其はまた、自分の元に戻ってくる。其れを確信できたからだ。

其が自分から去った瞬間、頭の中を駆け巡ったのは、疑問だった。
何故父が此処に居ないのか。父は何故石と共に、自分と共に崖から身を躍らせたのか。其は何故父ではなく自分を選んだのか。
分からない。分からない。わからない。
はっきりいえる事はただ一つ。結果的にかもしれない。故意ではなかった。けれども


自分が、父を殺したという事だ。

284二つの遺作・後編(7/20):2008/01/10(木) 01:29:39
思ったとおり、其は程なく自分の下に戻ってきた。
【鴉】はへしゃげ、あらぬ方向に羽を、足を曲げられた状態で、自分の下に文字通り「墜ちて来た」からだ。
普通なら死んでいるはずでも、細く息をしていたのは流石は魔女の使いといったところだったのだろうか。
其の為に自分が殺したモノは父だけで十二分だと感じた自分は、やれるだけの方法で【鴉】を介抱した。
お陰で魔女の手先として扱われ、行く先々で今まで味わったことの無い差別を受けることになったが
、父を殺した報いの一つだと思えば何でもなかった。
【鴉】の完治には2年掛かった。飛べるようになるまで1年掛かった。
飛び立つ時、カラスは何か言いたげに自分の顔をじっと見つめたが、やがて大空を気持ちよさそうに飛び立っていった。
…あの時
【鴉】は気づいていたのかもしれない。私が殺して欲しいと願っていたことに。
【鴉】は結局自分を殺さなかった。恐らく自分を傷つけた私だが、迫害の中守り、癒した事に恩を感じてくれたのか、
それとも気まぐれか、其が操ったのかはもう分からない。
ただ薬や食料を求めて、たまに村を町を、背に【鴉】をおぶった姿はかなり強烈だったらしく
【鴉】が居なくなった後も迫害は多少続いた。
(知らない町や村に行ってもいらん二つ名で呼ばれるくらいだ。)
しかし、そんな状況の中でも其は元気だった。【鴉】はそっちの方面では(特にインパクト的な面で)自分を守っていてくれたらしい。
どれだけ隠し持っていても其は必ず彼らの目に触れ、奪われては帰ってくるの繰り返しの日々が続いた。
父の時との違いは、帰って来る時にボロボロにされるのではなく、奪われるときに徹底的にボロボロにされる所だが。
(正直、生死の狭間を漂ったのは一度や二度ではない。)

285二つの遺作・後編(8/20):2008/01/10(木) 01:30:58
今日もそうだった。関所を通るために街道を渡る必要がどうしても出てきてしまい、
其はあいも変わらず通り過ぎる人々を、覆った布の下からチラチラと輝いて魅了する。
関所を無事超えられて安心した所で襲われたのは、最早運命という名のお約束としか言いようが無い。
・・・いや、正確には自業自得だ。分かっている。分かっているのだ。

其を、人々の目の前で落としてしまったのだ。
晴れた日の元で、それは外に出られた喜びから、燦然と輝きを放つ
そもそも落としたのはスリにぶつかられたからだった。財布は守れたが、
しかしもっともやってはいけない事を私は行ってしまった。
スリはすぐさま其を取ろうと地面に飛び掛った。
私は落とした其をすぐさま拾うと、今まで散々其狙いの人間達に鍛えられた自慢の足で逃げようとする。
しかし、スリはそこらのスリよりは上級のスリだったらしく、私を捕まえると其を奪おうと必死だ。
だが其処は関所の近く。騒ぎを聞きつけて関所の兵隊達が寄ってくる。助かったと思った。が、私の考えは甘かった。

286二つの遺作・後編(9/20):2008/01/10(木) 01:31:32

空から、彼らはやってきた。

黒い羽をはためかせ、【烏】達は其を奪おうと、団子になった私とスリに一斉に襲い掛かってきた。
どうやら其は地上だけでなく、空のモノ達も魅了するらしい。私は身を縮め必死に耐えたが、
私に馬乗りになったスリは、そのお陰で【烏】の一斉攻撃を受ける。

そうやっている内に、兵達がやってくる。どうやら前に助けた【鴉】とは違うらしい。
別の人間達がやってくる事に気づいた【烏】達は、悔しそうな声を上げて空に帰っていった。

身を縮めていた私は傷は多少で済んだが、スリの方は酷い有様だ。
うずくまったまま動かないスリに近づこうとしたとき、誰かが叫んだ。

魔男だ。魔男がいるぞ
かつて【鴉】を従えた者がここにいる。
口々に叫ばれて、それを聞いた兵達が険しい表情を見せて、誰がこれ以上其処を通っていられるだろうか。
しかし、森の中に姿を隠しても、【烏】に襲われたときの血の匂いが獣達を引き付ける。
それをあざ笑うかのように、其はぬとりとした湿った光を放った気がした。

287二つの遺作・後編(10/20):2008/01/10(木) 01:32:41


「俺の親父が死ぬ前、俺にある一つの約束をさせた…
『我が羽を追え。我の生涯の汚点を。
 あれはもう我では無くなったが、我との繋がりが完全に絶たれた訳ではない。
 …我が過ちを我の手で正せない我を、許してくれ』とな」
凍りついた私の前で、男の話は続く。
手の中で【ティルヴィング】が熱を持っていくのが分かる・・・いや、これは私の手の熱なのか?
「俺の親父の羽は、物心ついたときはまだ2つあった。それが片っぽなくなったのはそう・・・
 …俺の【滑空】の儀式の少し前だから、20年以上前になるはずだ。」
20年以上前となると、私がまだ母の腹の中に居た頃の話になる…まだ、誰もが幸せだった時代の話。
つまり、自分が生まれる頃には、呪いは既に始まっていたのだ。
男は今までと打って変わった、何の感情も見えない顔と声だった。
月は真夜中をとうに過ぎたと告げていた。森もすでに眠るように静まり返っている。
その中で、焚き火の明かりは、彼は、私は、まだ始まりに過ぎないと感じていた。
静かな声で、淡々と話は続いていく。
「ある時、父は背中に幾つもの矢で貫かれた姿で村に帰ってきた。三日三晩生死の境を彷徨い、
 この世に戻って来た時、自分で自分の羽を、祖父の羽から削り取った斧で叩き折った。
 正気を失ったのかと思ったよ…そこからまた命の境目を漂い、帰ってきた父は別人みたいになっていた。」
オン、オンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオンオン怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨
手に持っていた其から、音が私の体に響いて行く。ヒビいて、いく。
「体を動かしても大丈夫になった位に…父は羽をどこかへ持っていった。
 今考えると鍛冶職人のところか、自分でその剣を打ったみたいだがな。
 ・・・そして、あんたの親父さんの所に持っていった。」
「父を…知っているんですか?」
「・・・人の良さそうな人だった。誰かを傷つけるような事ができるようにはとても思えなかった。だから
 ・・・理解できなかったな。あれほど親父が憎悪の念を、送っていたのかが」
彼の父上には悪いが、自分もそう思う。
それ位、気が弱く、優しい父だった。
小さな幸せを求めていた。母と、私と、父の小さな家庭の幸福。
叶わないと知りながらも、父が求めていたのはそれだけだった。なのに。
「結局俺の親父と、あんたの親父の間に何があったのか、聞く事は叶わなかった。
 ただ、病に倒れて死ぬ直前まで『許してくれ』『あの剣で呪われるべきは自分だったのに』とずっとうわ言の様に言っていた。」
ふと、記憶の奥底で何かがうごめく。
父と逃げるように暮らしていた日々、売りに出しても戻ってくる【ティルヴィング】を見つめながら言っていた
『…そうか。分かったよ。やっと分かった。』と。
今思うと、あれからしばらく、父はその剣を捨てる事は無くなった。
だが、自業自得とはいえ、目の前に迫る呪いを受けた者達を、彼らからの報復を目の当たりにし、
父はまた剣を捨てる事を繰り返すようになったのだ。
「その呪いは【継続】である。長はそう言っていた。
 呪われた本人自身を【変質】させ、その存在を【断絶】する呪いではなく、
 呪った本人のその周りに不幸を招き、それを結果的に――あんたの親父さんに不幸を招かせる事と言うのが
 【ティルヴィング】の大まかな【呪い】らしい。最終的に、【ティルヴィング】の刃で自身の命を奪うまでに追い詰めることが。」
確かに、合致する点は幾つも当てはまる。父自身の不幸は間接的で、周りの人々しか知らないのだ。
【ティルヴィング】が直接どう作用して、不幸に墜ちたかは。
…『あれのせいだ。あれを渡したお前のせいだ』。恐らくそう言う事なのだ。

288二つの遺作・後編(11/20):2008/01/10(木) 01:33:04
「…何故それを、今私が持っていると思うんですか?」
しばらくの沈黙の内、私が訪ねた言葉には、何故か怯えが入っているように感じる。
至極真っ当な疑問のはずだ。今までの彼の話には、私がそれを持っていると言う証明が無いのだ。
なのに・・・何故こんなに怯えている?何を、そんなに、恐れて、いる?
「俺達は【亜人】だ。背に自分達の種族の証明を持つ。
 俺達が自らを数える時、一人、二人ではなく、一羽、二羽と数えるのは、それだけ翼を重要視している証だ。
 死が訪れても俺達は翼から逃れられない…【ウヴァロバイトの遺】がそれを証明している。
 …遠い昔、ある長が言った。『過ちに備えるために、翼を血で繋ごう』と。」
・・・翼を・・・血で繋ぐ?
「【ウヴァロバイトの遺】には2種類あるって言ったよな。片方は守護、片方はその真逆を司ると。
 俺達はそれ程数は多くない。だから、【ウヴァロバイトの遺】が生み出されると言う事は、俺達がこの世界に存在すると言うことを
 恒久的に証明する存在が誕生する事になる…その中で、守護と真逆の物が生み出されるって事は、死活問題なんだよ。
 俺達の種族の名が、世界に脅威として残るか否かを決定する。【忌民】の件もあるしな。
 …その為にその長はある掟と、一つの【魔術】を用意した。
 『もし血を連ねるものから【呪】が出た時、速やかに禍根を断つべし』と。
 血に連なる者が【遺】を遺した時、俺達はそれを何処に在るのかを探知する事の出来る【魔術】だ。
 ウヴァロバイトは一人残らずその【魔術】を刻み込まれ、血によってその術を繋いでいった。
 ただ、混血もあったようで、今の俺達が分かるのは祖父の代まで直接の血の繋がりの【遺】までなんだがな。」
つまり、この男には、もう分かっているのだ――――今この手に、其が握られている事が。

289二つの遺作・後編(12/20):2008/01/10(木) 01:33:27
「ただ今回の2つはやっかいでな…【ダインスレイフ】はダインの遺骸自体が其と化したお陰で、見つけようにも見つけづらい。
 …翼以外の部分が【遺】化するなんて前代未聞だからな。
 しかも今回は、守役だった彼の一族は…長の分家は【ダインスレイフ】に皆殺しにされたときてる。
 長達が古文書室引っくり返して、術の強化を思索しているが、間に合うかどうか正直危うい・・・そして」
真っ直ぐに目を見られた私は、まさしく蛇に睨まれた蛙だ。
「【ティルヴィング】はもっと不可解だった。何度も持ち主が目まぐるしく変わるのは理解できる。
 だがある時、【ティルヴィング】の存在が明らかに【消失】したんだよ。
 …俺はその時、てっきり間に合わなかったと思った。
 お前の親父さんに、とうとう【ティルヴィング】は親父の恨みを、役目を果たしたのだと。
 だから3年経ったある日、【ティルヴィング】の存在が復活したのには本気で驚いた。
 【ダインスレイフ】の事態も異常だったが、こちらも明らかに異常だ。
 しかも…今ここで【ティルヴィング】を握っているのは親父の知り合いではなく、その知り合いにそっくりな、息子らしき男ときてる」
そこでやっと、怯えの正体を、私は理解した。
――――懺悔を、恐れているのだ。自分の犯した罪を、ここで話さなければならないのだ。
彼に、伝えなければならないのだ。彼の父が一体、どんな【呪】を遺してしまったのかを。
沈黙は長いものだった。このまま夜が明けてくれればと、いっそこれが夢ならと思った。

290二つの遺作・後編(13/20):2008/01/10(木) 01:33:57
「父は・・・崖から落ちたんです…私を助けようとして…」
切れ切れになりながら、私はその物語を始めた。
終わった時、彼も私も傷つくのは避けられないだろう。理解はしていた。それでも
・・・話さずには、いられなかった。



話し終わった後の静寂は、たまらないものだった。
長い長い話の果て、精も魂も尽き果て、うなだれた私の頭に、大きな手が乗る。
無言で撫でられたその感触は、いつかの父の手を思い出させた。
分かっているはずだ。彼だって傷ついている。
恋人だった男は四肢を切り裂かれ、呪物となり
父の形見もまた、多くの人を傷つける存在となっていた。
悲しいのは私だけではない。私だけではないのだ・・・・
・・・それでも、涙は止まらなかった。

291二つの遺作・後編(14/20):2008/01/10(木) 01:34:15

まるで溺れて掴んだ藁のようにしていた其を、包んでいた布をゆっくり剥いで彼に見せる。
それは普通の剣よりは幾分か短めの造りだった。革ごしらえの鞘、所々金で飾られた柄、
鞘から抜いた透き通る緑の刃は、飾り物の剣のようにも思えるが、その鋭さは焚き火の元で見ても明らかだった。
剣の根に彫られた【ティルヴィング】の名を見て、彼はゴクリと喉を鳴らす。

「父上の名前だったんですね・・・【ティルヴィング】は」
「明るくて、豪快で、でも厳しくて・・・良い人だった。」

292二つの遺作・後編(15/20):2008/01/10(木) 01:34:47


「燃やすんですね…この剣も。」
「…形見の品だがな。【ウヴァロバイトの遺】は【人鉄】や【思念鋼】のような上等な品じゃない。
 彼らは過去、現在、未来を持つが、【ウヴァロバイトの遺】には現在しかない…翼に込められた【想い】は、移り変わる事は決して無いんだ。
 呪物は呪物でしかなく、それ以外の何かに変わる事は、無い。」
そういって彼は、懐からいくつか色のついた粉の入った袋を取り出した。ぶつぶつと何か呪文を唱えながら、炎に粉を振りかけていく。
聞けば、清めの為の塩を中心とした、儀式用の貴品らしい。
普通の炎ではウヴァロバイトが燃える事は無いが、これらの組み合わせで、滓も残さずに燃やし尽くすことが出来るという。
色粉が燃えるたびに、炎の色はだんだんと白に近づいていく。
――――これで、全てが終わる。私は呪いから解放され、自由になるのだ。
そう。だからもっと明るい気持ちにならなければならないのだ・・・なのに、この不安は一体なんだ?
「あんたには本当に迷惑かけた…あんたの親父さんにも。」
そう言う彼の口調は優しい。だが私の頭の中に響くそれは、どんどん大きくなっていく
違う。そう、何かが違う。何かが決定的に間違っている。
彼が手を差し伸べる。剣を渡してもらうために。
白い炎は酷く美しい。その中で、彼の瞳が爛々と輝いている―――――――――彼らのように
叔父、叔母、あの日の【鴉】、これを・・・【ティルヴィング】を欲した者達のように
彼も魅了されたのか?この緑に。彼も彼らのようになるのか?自身を欲で滅ぼすことになるのか?

293二つの遺作・後編(16/20):2008/01/10(木) 01:35:11

「……………違う」
違う。
違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう
思い出せ。本当に思い出せ。隅の隅まで、奥底の奥底まで。
彼らに何があったのか何処で知った?父は陰惨な事が起こっているのを、幼い私には知らせてなかったのでは?
父よりも先に知っていた事はなかったのか?あの【鴉】は自分の【何】を見ていた?
――――本当に自分は直接【ティルヴィング】の呪いを覗かなかったのか?
思い出せ、思い出せ。あの日あの家を燃やしたのは?彼女を襲ったのは?弟になるの子をかたわにしたのは?


あの緑は、何時から自分の全てとなっていた?

294二つの遺作・後編(17/20):2008/01/10(木) 01:35:33

剣が、自分の手から、離れる――――そう、それは間違いだ。それは、あってはならない事。
それは私のものなのだ。そうだ。父のものであったのなら、それは私に継がれなければならないのだ。
「よせ!」
彼が叫ぶ。知ったことではない。これはもう私のものなのだから。
かかって来るのなら斬れば良い。今までもそうしてきた。これからだってそうするだろう・・・【ティルヴィング】と共に在れるのなら。
彼が迫る。私は剣を鞘から引き抜く。
恐らく彼は強い。だが知ったことではない。最後に【ティルヴィング】と私が在れば良い。
焚き火の残り火がふっと消え去り、私は森の中を走る。ウヴァロバイトではあの大きな羽が災いして、ここではそう大きな動きは出来まい。
彼は恐らく空から来る降りてきた所を斬れば良い簡単だ簡単なことだ今までだって散々斬ってきたのだ男も女も子供もあの【鴉】だってそうだこれがあれば何でも出来る何も怖いことなどあるはずが無い怖くは無い決して怖くは無いのだそうだそうだ斬る斬るこれまでだってそれだけだったこれからだってそうなのだ
案の定空から降りてきたさあ斬れ斬ってしまえ糞糞糞糞この馬鹿力め森から空へ私を連れ出すだとだがこれだと私だけでは無いお前も満足に動けまい叩き落してやる私も落ちる?知ったことではない最後に私と【ティルヴィング】があればそれで良いのだその為に怪我など惜しまんよさあ墜ちろさっさと墜ちろ墜ちてしまえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
暴れる私の目に、彼が映る。何かを必死に耐える表情が見える。
かれはだれだ?そうだウヴァロバイトだ。けものにおそわれていたわたしをたすけじぶんのしゅぞくのことをはなしのろいのはなしをしそしてそしてそして




「………………………………………………やめろ!!もうやめてくれ!!あんたの息子なんだぞ!!
 俺や俺の親父への復讐だろうが!!そのために、自分の息子も死んだって構わないのか【ティルヴィング】!!」

295二つの遺作・後編(18/20):2008/01/10(木) 01:36:36

次に目が覚めた時、自分が涙を流していたことに気づく。
多分それは、何かが、自分の中から、永遠に失われたのを悟ったからだ。
自由になったというのに、この孤独は何だろう・・・晴れやかな気持ちだが、どこか寂しいと感じている。
明け切らぬ空の下、【ティルヴィング】は自分の近くに落ちていた。
しかし其はもう、自分の知っているあの、ぬとりとした輝きを放つことは無い。
「・・・予測してなかった情報が入って、【呪い】その物が自分を否定したみたいだな」
声は後ろからだった。振り返ると、彼は近くの岩に体をもたれる形で座っていた
腹部から、血を流して。
ぞっとして立ち上がろうとすると、その手がぬるりとしている事に気づく―――まさか
「結果的にそれで正しかったみたいだな・・・
 【息子】である俺を刺したと言う情報は、【ティルヴィング】にとって完全に計算外だったらしい・・・
【ウヴァロバイトの遺】には現在しかない・・・その瞬間に翼に込められた憎悪、殺意、
 そういった中に、父性を司る何かが多分混っていて・・・」
「それは後で聞きます!!いいから喋らないで!!」

296二つの遺作・後編(19/20):2008/01/10(木) 01:36:56
まだそれ程時間は経っていないようだが、これ以上血を流すのは危険すぎる。
ウヴァロバイトの口癖は『翼に殺される』だ。このまま横たえて村まで医者を探しに行けば、
弛緩した彼の体から翼がもげてしまう方が早いかもしれない。
持っていた血止めの薬を塗りこみ、強く布で巻く。東の方から割合強く、飯を炊く匂いがする…人がいる。
空の上で暴れているときに、かなりの距離を移動していたのだ。好都合なことに。
「・・・こら。無茶するな・・・これ位寝てりゃ治る」
彼が弱く笑うのに気づく。思っていた以上に彼は重い。けれど、持てない重さではない。
「子供の言い訳じゃないんですから、そう言う馬鹿な事は言わないでください。
 助かりますよ・・・助けます・・・あの日の男も女も、戦士も、【鴉】だって死ななかったんだ。
 今度だって死にません・・・絶対に」
あの日に誓ったのだ。もう二度と、誰かが自分のせいで死ぬ事は、させてはならないと。

297二つの遺作・後編(20/20):2008/01/10(木) 01:37:15
「・・・肩だけでいい。まだ歩ける。」
彼が降りるそぶりを見せて、肩を貸す形になる。出発しようとして足に当たったそれに気づく―――【ティルヴィング】
全てはここから始まった。彼も私も。この遺作から始まったのだ。
彼に失礼だと思いつつ、鞘を足で蹴り上げて掴み取る。彼がぎょっとした表情をするが、私は「平気ですよ、もう」と言った。
これにはもう、何の力も無いのだから。

朝日が森から顔を出す。光が森を覆っていく。
一歩一歩、急く気持ちを抑えながら、確実に人のいる方へと歩いていく。
これ以上誰も死なせはしない。そんな事はあってはならないのだ。
彼だって、まだ二つの遺作の内、片方しかまだ手にしていない。そんな状態で死ぬのは・・・彼だって望んでいない。
その為にも、彼を助けなければならない。絶対に。

森を抜け、視界が広がる。
村はもう、目の前に在った。

298終わりに―ある鳥使いの話―:2008/01/10(木) 01:37:58
その男はこの世にまたと無い宝石や、秘薬を持っていた為に色んな人に狙われ、
たまりかねた彼は、【魔女】から条件付で、一羽の【鴉】を借りた。
条件とは、【鴉】を空に飛ばせないこと。必要以上に人里に降りない事。
空を飛ばない【鴉】に守役としての意味があるのかと男が問うと、魔女はあっけらかんと言った。
「背負ったらいいんじゃない?」
成程と思って男は背中に【鴉】を括り付けて、たまに町や村に姿を現した。
背中にくくりつけられた【鴉】はおとなしかった。普通の【鴉】とは思えない大きさや、たまに発するあの不気味な声は子供達を怖がらせたが、
それ以外に人に危害を加える様子は無い。
魔女からの契約とはいえ、あの鴉があんなに大人しいなんて、男はきっと【鴉】を魅了する薬か何かを使ったんだ
いいや、【鴉】をくくる紐に何か秘密があるんだ。いやいや、あの男自身も、【魔女】の血統か何か、【魔男】の類なんだと大人達は噂した。

何年かたち、【鴉】が契約を終え、彼の背中から姿を消した後も、【魔男】の類だ何だと言われる男の側には誰も近寄らない。
ただ、彼がこの世にまたとない【緑】の宝物を持っているという噂が広まると共に、彼を襲う人間がちらほらと出てきた。
もっとも、その全てが悉く酷い目にあったので、彼が【魔男】の類だと言う噂は益々広がり、
人々は恐れおののくと同時に、【魔男】の一人を討ち取って名を上げようという人間まで出てきた。
そんな日々にうんざりしたのか、男はある日、別の【鳥】を捕まえて、自分の側に置いた。
緑色の硬い羽を持つその【鳥】は【ウヴァロバイト】と呼ばれる【亜人】の類で、並の戦士なら易々と吹き飛ばす強さを持っていた。
これで襲われることは無いと安心した彼だが、どうもその直後に【緑】の宝物を何者かに盗まれたらしく、
それ以来、宝物狙いで彼を襲う人間は居なくなった。
彼はと言うと、元々自分のものだった宝物を奪われた事に腹を立て、
【鳥】と共に宝物の在り処を探しているらしい。


ちなみにこれ、そう何百年前の話じゃないから。ちょっと前に「彼」らしきのを見たよ。
何かガラの悪いのに絡まれてる女の子助けたりしてたなぁ。
【鳥】も見たよ。ガラ悪いの投げ飛ばしてたり、女の子見て鼻の下伸ばしてた。噂を知ってたら彼らに手を出そうとなんてしないんだけどなぁ。
彼らはこれから西に向かうらしい。めっぽう強い歌好きの鬼が、【緑】の宝物を持ってるらしくって、そいつが西の方に居るんだと
宝物がどんなのか見てみたい?止めときなって。この鬼は人の血と涙を見ることが趣味な食人鬼でさ、並みの奴だと食料にされちまうって話だよ?

299ロズロォの懺悔(15):2008/01/15(火) 01:17:11
 「……起きて良いぞ」
 数日後の深夜、冷たい灰色の石造りの壁の医務室で、私がそう声をかけると寝台に横たわっていた娘はムクリと上半身を起こす。それはさながら死者の蘇生のようにも、早すぎた埋葬よりの目覚めのようにも見えた。
「食料も持ってきた」
 そう言ってスープの器とパンを差し出すと、娘は私からひったくるようにしてそれらを受け取り、そして飢えた獣のような勢いで食事を平らげた。
「全く、昼間はずっと寝てるのにすごい食欲だな」
 私が皮肉混じりに言うと、「案外体力使うんだよ」と娘は答えた。
「ずっと身体を動かさないでいるのって疲れるし、お腹も減るんだよ」
「そういうものなのか?」
 多分、彼女の言う通りなのだろう。
 結局、他の囚人に怪しまれるといけない、という理由で、私が彼女の元を訪れるのはいつも決まって深夜になってからだった。だからそれまで彼女はこの医務室の寝台の上で死んだように身動き一つせずに仮死状態を装ってずっと横たわっているのだ。多分、私が居ない時に牢役人が監視に来ることもあるだろうが、彼らにも気付かれじまいのまま今日までやり過ごしているということになる。大した役者だ、と私は改めて彼女に舌を巻く。
「それより先生……」彼女は俯きながら言う。「また『実験』をしたんだね」
「あぁ」
 その日の晩も私は所長の用意した被験者の娘を一人、『実験』で殺していた。『実験』は成功の目処が立っていたが、やはり麻酔としての【草】なしに被験者を施術の最期まで生き延びさせるのは難しかった。
「分かるものなのか?」
「匂いと雰囲気でね……ずっと戦場を逃げていたから、他人を殺したばかりの人はなんとなく分かるんだよ」
「牢名主と同じことを言うんだな?」
 私の言葉に「誰それ?」と娘が聞いてきたので、「いや……」と私ははぐらかした。
 どうせ説明したところで分かるわけは無いし、おそらく二人は永遠に顔を合わせる機会など無いのだろうから……。
「……それで、私もいつかは先生の『被験者』になるんだ?」
 娘は俯いて静かな口調で言った。
「いや、それは……」
 しかし私は否定の言葉を言い切れない。
 娘の言葉は事実だ。私が娘をこのような形で保護することが出来るのも、いつか彼女を被験者として使うことが前提であり、いつまでも生き延びさせることや、彼女を解放してやることなど出切るわけは無い。所詮、私は罪人の医師(ロズロォ)なのだ。
「……」
 私は言葉に詰まり、彼女と同じように俯いて囚人棟より遥かにマシとは言え、やはり薄汚れている床を見た。
 二人の間にどうしようもない沈黙の空気が漂う。

300ロズロォの懺悔(16):2008/01/15(火) 01:18:05
「いいよ、先生にだったら」
 沈黙を破るようにして言った娘の言葉に、私はハッと顔を上げる。そこには娘の笑顔があった。
「ここに連れてこられた時から、生きて帰れるとは思ってなかったから……どうせ殺されるんだったら……私を助けてくれた先生に殺されるならいいよ、諦める」
 そう言った、その笑顔には歳相応の無邪気さと、そして歳に似合わぬ諦観があり……
「そんなことを言うな!」
 だから私は思わず彼女を叱責していた。しかし、それは、これ以上にないぐらいに無責任な叱責だった。私に彼女が救えない以上、彼女にそれ以外のどんな結末が待っていると言うのだろう?
「……済まなかった」
 私は言ったが、私の言葉をどのように解釈したのか「ううん、良いんだ、先生の言う通りだよね。最期まで諦めちゃ駄目だよね」と娘は明るい声で、精一杯作っているのだと鈍い私にも分かる明るい声で言った。
「そうだ、諦めるな。人生は最後まで分からない」
 かつて教会の神父は私に「嘘は大罪の一つだ」と説いたが、その言葉が正しいのならば、その時の私は、死ねば地獄より他に行く所の無い、否、地獄すら受け入れてくれるのかが怪しい大罪人だった。
「でも……あたしは諦める以前の問題で、罰が欲しかったんだ」
 彼女は声を落として言った。
「罰だって?」
 私が聞くと、「そう、罰」と娘は言う。
「取り返しのつかない罪に対する罰……あの世に行ってからじゃなくて今それが欲しかったんだ」
「……どういうことなんだ?」
 おそらくそれは聞いても意味の無いことのはずだったが、私は身を乗り出して聞いていた。娘はそんな私の目をジッと覗き込むようにして見つめていたが、やがてプッと噴出した。
「先生ってやっぱり不思議な人だね」
「……そうなのか?」
 私には私が何者なのか既に分からなくなっていた。だから、娘がそれを教えてくれるかもしれないと思い、一縷の望みとばかりに彼女の方にさらに身を乗り出す。
「うん、おかしな人」
 そう言って彼女は唐突に私の頭を掴み、そして優しくその胸に抱いた。
 私は……それを拒まなかった。
 私の耳元に彼女の心臓の鼓動と、突然のことに、そして久々の女性の柔肌の感触に激しく波打つ私の心臓の鼓動が交互に響きあうのが聞こえる。
「あんな残酷なことが出来るのに、あたしには優しくしてくれる。暖かくしてくれる。怖い人のはずなのに先生と居ると落ち着く……」
「買い被らないでくれ!」
 私は彼女の胸元から頭を離し、彼女から視線を切り離すようにして逸らし、叫ぶようにして言った。

301ロズロォの懺悔(17):2008/01/15(火) 01:19:03
「私は、無辜で無抵抗の娘達を切り刻んで悦ぶ悪党だ!、鬼畜だ!、罪深い人間だ!。君が思ってくれるような善良な人間じゃないんだ!。罪人なんだよ!。今や本当の意味で罪深い罪人なんだよ!。だから……」
 ……優しくしないでくれ
 言いたいのはそれだけのことなのに、なのに私にはその言葉が言えない。
 望んでいる、渇望しているのに、喉まで出掛かっているのに私にはその言葉が言えない。
 それを言ってしまったら、何かが本当に終わってしまいそうで、私にはその言葉が言えない。
 ……私は!、私は?、私は!!
「罪深いのはあたしも同じだよ」
 その私に囁くように彼女は言う。私は彼女の言葉にそっと背後を振り向く。間近に彼女の顔があった。
「私ね、お母さんも、お姉ちゃんも弟も、みんな見殺しにしたんだ。あたしが今生きているのはそのおかげ」
「だが……それは戦争で……」
 私が言うと彼女は首を横に振って言った。
「無力な事だって、無知な事だって、運の悪い事だって結局は罪は罪なんだよ」
「でも、それは……」
 私は彼女の言葉を否定しようとする。
 しかし結局そこに続ける言葉を思いつくことが出来ずに言葉に詰まり、結局私は何も言えなかった。
 黙っている私の傍で、彼女は言葉を続ける。
「お母さんは草の民の軍隊があたし達の街を襲った時に、あたし達姉弟を隠していて、自分が隠れる暇が無くて死んだんだ……あたしに出来たのはお母さんが兵隊に嬲られるように切り刻まれるのを物陰に隠れて、怯えながら見ている事だけだった」
「……」
「お父さんはその頃とっくに戦争で死んでいたから、お母さんが死んで、お姉ちゃんとあたし達、戦争から逃げるため、住んでた街から逃げ出したんだ。でも、逃げている間に、飢えで弟は死んじゃって……弟は、ずっと『お腹減った』と言ってたんだけど、結局、あたし何も出来なかった。出来たのは倒れて動けなくなった弟を最期まで見守ってあげることだけだった」
 前線が悲惨なことになっている、というのは街に居た時に私も耳にしていたことだったが、ここまで酷かったというのは初耳だった。
「それで、結局、あの街、フォリカに落ち着いて、あたしを養うために色々と仕事を探してくれたんだけど、結局女手を必要とする仕事ってなかなか無くて……あっても、身元の知れない難民なんて雇ってくれる所なんて無くて……それで、あたし達、その日のパンも買えないぐらいに困窮していって、お姉ちゃん、とうとうその手の元締めに頼み込んで街頭に立つことになったんだ」
 「街頭に立つ」という言葉が街娼、所謂低級娼婦になることだという意味の言葉だということぐらいは世間に疎い私でも知っている。
「『これからはもっと良い暮らしをさせてあげられるかもしれないからね』とお姉ちゃん言ってた。けれど、結局そうはならなかった。お姉ちゃん、翌日の朝に冷たくなって帰って来たんだ」
 そう言った娘の頬を一筋の涙が伝うのを私は見てしまった。努めて明るく振舞っている彼女にとって、それがどれだけ彼女の心の傷になっているかは察して知るべきことだった。
「観てたお姉ちゃんの『同僚』の人が言ってた。沢山の傭兵達が一度にお姉ちゃんのお客になろうとして、お姉ちゃん抵抗したんだけど、変な【草】みたいなもの飲まされてぐったりして、そのまま傭兵達に良いように弄ばれてそのまま動かなくなったって」
 「人形作り」だ、と私は悟る。あの【草】は服用後、全身の神経を一時的に弛緩させるのだ。
 ……それじゃ、彼女のお姉さんは、私が作った「人形作り」で死んだのかもしれないじゃないか……

302ロズロォの懺悔(18):2008/01/15(火) 01:19:55
 そう悟った時、私の中で何かが崩れた。
 顔から血の気が引き、心臓の鼓動が急激に早くなり、額をとめどない汗が流れて落ちる。
 握った拳の指と指の間から漏れた汗が拳を、そして腕を伝って地面に落ちる。
 口の中がカラカラに乾き、それでも無理矢理搾り出して飲み込んだ唾が喉を伝っていくのが自分でも分かる。
「……許してくれ!」
 私は、喉の奥から搾り取ったような掠れた声で彼女に言い、跪いて彼女に頭を下げていた。
 私は……今になってやっと分かったのだ。私がここに居るのは、あのおぞましい実験に従事させられているのは、世の中に疎かったからでもなく、運が悪かったからでも、力が無かったからでもなかった。私は、罪悪感を感じることも無く罪を犯していた、ただそれだけのことだったのだ。
「先生、どうして謝るの?」
「私は……私は……私は……」
 君のお姉さんが死ぬ原因になった【草】は私が作ったものなのかもしれないんだ。
 言ってしまえば楽になれるのかもしれないのに、私には何故かそれが口に出来ない。
 何故なのだろう……いくら考えても私には分からなかった。
「許してくれ……」
 だから私は謝り続ける。
 取り返しがつかないことなど分かっている。
 謝ったところで単なる自己満足にしかならないことも分かっている。
 けれど、今の私にはそうすることしか出来ないのだ。
「先生?」
「許してくれ!」
 今度は私が泣き出す番だった。
 罪悪感と悲しさと、そして罪に気付かなかった自分勝手さと愚かさに無性に腹が立って、私は涙を流し続けた。
 心の痛さを久しぶりに、いや、おそらく本当の意味で初めて知った瞬間だった。
 娘は寝台から立ち上がり、私の前に座り込むと優しく、そして力強く私の肩を抱いて言った。
「許すよ、先生」
「……」
「世界の誰もが先生を許してくれなくても、先生がどんな悪人でも、神様が許してくれなくてもあたしが先生を許すよ」
「君は分かっているのか?私は……」
「辛いこと、言わなくても良いよ」
 そう言われて、私の頬を新しい涙が伝って落ちた。
 それは悲しいからでもなく、怒りから来るものでもなく、ただ嬉しいからだった。
 ……嬉しくても人は泣けるのか
 私は、ようやくそんな当たり前の事に気付き、感情の赴くままに涙を流し続けた。
 そんな私の背中を彼女は優しく、まるで母親が子供にそうするように撫でてくれた。

303ロズロォの懺悔(19):2008/02/02(土) 03:12:25
 「それで先生、彼女の容態はどうなのです?」
 それから数日して所長室に呼び出された私が開口一番所長に聞かれた言葉がそれだった。
「だいぶ良くなってきたようです。意識を取り戻すときもあります」
 私はなるべく所長から視線を逸らさないようにしてそう答えた。視線を逸らす場合は大半嘘をついている、という医師(ロズロォ)時代の経験からだった。嘘を吐くのに、ましてやこの所長のような人間に嘘を吐くのならば徹底したほうが良い。人生の経験だ。
「それは良かった」
 所長は目元に笑みを浮かべて言う。
 その、一瞬でも気を許してしまいそうになる笑みが今の私には何よりも恐ろしいものだった。
 次の瞬間には、一体彼の口から、いかなる本人が自覚していない悪意の台詞が紡ぎだされるというのか?。私は心の中で思わず身構えた。
「それでは彼女もそろそろ『被験体』として使えるということでしょうかね?」
 そして彼の口から発せられた言葉は、何より恐れていた一言だった。
「それは……」
 私は言い澱むが、その間にも所長は「実はまずいことになりましてね」と話を続ける。
「『被験者』の回収が思ったよりもフォリカで問題になってしまったのですよ。『娘攫い』の噂が立って、夜半にあまり人がうろつかなくなってしまったのです。おまけに部下の一人が『被験者』の回収中に姿を見られてしまいましてね、昼にフォリカの行政府から詰問の使者が来ました。上手く誤魔化しましたが、これからは『被験者』を集めるのは以前より難しくなるでしょうね」
「……」
「それでも『実験』は続けなければならないのですよ。この実験のために随分と多くの命が散りましたからね。彼女達のためにも、先生も今更中止には出来ないでしょう?」
 まるで『実験』を中止することが悪だとも言わんばかりに彼は言ってくる。
 私は黙った。元より反論する権利など私にあるわけがない。
「次の『実験』は彼女が目を覚まし次第ということになりますが、そうこうしている間にフォリカの行政府からの査察が入る可能性もあります。この国ではありがちな話ですがね、彼らと私達とでは『上』が違うのですよ」
 『上』が違う、というのは管轄しているのが地方領主か、中央政府、つまり帝国本体かということだ。
 この国、北方帝国は基本的に地方領主の寄り所帯で、中央政府の権限が常に地方領主より上回るとは限らない。中央政府としても管轄のことで地方領主と揉めたいと思わないのが本音だ。そのため、どこか中央政府の施政が地方領主に対して引け腰なのは否めないところだった。
「我々は帝国の管轄化にある組織です。もしフォリカの行政府の査察が入って、彼女が見つかるようなことになれば問題になりかねない。そうなる前に証拠は隠滅しなければならない。ご懸命な先生ならば、我々の事情も察してくださるでしょう?」
「隠滅ですって?。それはつまり……」
 所長は何も答えない。言うまでもない、ということだろうか?。だが、言わんとしていることは分かる。所長にとって彼女の存在など、物と変わらないのだ。
「待ってください。そんな……」
「1週間待ちましょう」所長は静かに宣告する。「フォリカの行政府から査察の使者団が来るとすれば、だいたいそのぐらいです。1週間彼女の容態を見て、回復しないならば彼女は処分します」
「そして回復したならば彼女を『被験者』として実験を行うわけですね」
 「その通りです」と所長はにこやかに答えた。
「もしフォリカの行政府に今回の実験の件が分かれば私も、そして貴方もただでは済まされない。私は責任を取って中央政府に更迭されるだけで済むでしょうが、貴方の場合は……」
 私の頭を不吉な未来が過ぎる。
 「殺人医師(ロズロォ)」と群集に罵られながら刑場まで引き立てられ、そして処刑吏に苦しませられながら縊り殺される自分の姿だ。
 滑稽かもしれないが、私はこの期に及んで自分の身が可愛かった。折角生きながらえた自分の命を、できれば明日へ明日へと延ばしたかったのだ。
 自分が罪深いことは既に知っている。
 全ての者にとって許されざる者であることも分かっている。
 私が生きながらえることよりも、死んだ方が喜ぶ者が多いことも、頭のどこかで分かっている。
「分かりました……それまでに最善の手を尽くします」
 そう答えてしまった私を、私は憎んだ。自分に憎まれ、そして見捨てられたものにいかなる生の権利があるというのか?。
 それでも、尚、私は生きたかった。

304ロズロォの懺悔(20):2008/02/02(土) 03:13:21
 「随分と顔色が悪いな、医師(ロズロォ)さんよ」
 こっそりと囚人棟に戻った私は、突然暗闇からかけられた声に思わず身を竦めた。
 暗闇の中、突然蝋燭の灯がともり、牢名主の顔が姿を現す。嘲笑に似た笑みに口元を歪め、笑顔に緩めたその顔の中でその目だけは相変わらず微塵も笑っていない。どうすれば、どのような人生を歩めばそのような顔になれるのか?。そう疑問を抱かずにはいられない顔だ。
「えぇ、ちょっとありましてね……」
「こんな夜更けに囚人棟を抜け出して何の用だったんだ?」
 ゾクリ、と、牢名主の言葉に心臓が氷で掴まれたような悪寒を感じた。私は用心深く、全員が寝静まっていることを確認してこの囚人棟を抜けていたはずだ。だが、実際にはこの通り、囚人棟を抜け出したことを知られていた……
 ……危険だ、彼に真実の一片でも悟られるのは危険だ
 私の中で、私の勘が危険の兆候を告げる警鐘を鳴らしていた。
「いえ、牢獄への来客の方に急患がありまして。それで牢役人に呼ばれまして」
 バレてくれるな、と私はありったけの神に祈りながら嘘を吐く。
 フン、と鼻を鳴らして牢名主は言った。
「それでそのお客様は死んだわけだ」
「それは……」
「おまけに血が飛び散る大手術だったようだな?」
「……」
「しかもそのお客様は女だったわけだ」
 心臓が早鐘の様に鳴り、私には何も答えられない。
 何かを言い繕わねば、と私は思うが、真っ白になった私の頭は何も良い言葉を思いついてくれない。
「知らなかったぜ、この牢獄にはそんなに頻繁に女の客が訪れて、しかもそんなに頻繁に血が飛び散るような手術が必要な急患になって、しかも必ず死ぬわけだ」
「知って……いたのですか?」
 冷静であれば、迂闊、としか言いようの無い、全てを肯定してしまう台詞を私は口にした。
 その言葉に、「あぁ、知っていたさ」口元をさらに歪め、牢名主は言った。
「あんたが頻繁に囚人棟を抜け出して、牢役人に連れて行かれていることを、だいぶ前から知ってたさ。おまけに返って来る度に血の匂いをさせていて、人を殺した雰囲気を漂わせている……普通に考えりゃ、あんたは役人に連れて行かれてそこで人殺しをしている、ということになるな」
「……」
 私は絶句する。
 彼の考えは決して間違えているわけではない。殺意があって殺人を犯しているわけではない、とは言え、私が人を殺しているという事実は変わりが無いのだ。
「何故、分かるか?って顔してるな。分かるさ、俺も『ロズロォ』だったからな」
「貴方が?」
 彼の言葉に私は驚く。凡そ医師(ロズロォ)と程遠い雰囲気のこの男が医師だったとは……
「まぁ、もっとも俺は、あんたとは違う意味の『ロズロォ』だがな」
「……?」
 首を傾げる私に、ふ、と鼻で笑いながら視線を逸らし、「督戦兵だったんだよ、俺は」と彼は答えた。

305ロズロォの懺悔(21):2008/02/02(土) 03:14:05
 草の民との戦争末期の話だ。
 戦争初期において名戦術家であった当時の皇帝パトゥーサが敗死した時点で予想はついていたとはいえ、傭兵を主体とした北方帝国の軍隊は各地で敗走を続けた。
 その敗走は、戦って負けるという問題ではなく、傭兵達が草の民の軍隊の姿を見ただけで先を争って逃げ出し戦闘にすらならない、という有様だった。
 状況を重く見た軍上層部はある一つの選択を迫られることになった。
 戦線を離脱しようとする逃亡兵を処刑することにより、彼らを戦場に縛り付けるための部隊、すなわち督戦隊の創設である。
 彼らは正規軍人や傭兵達の中でも戦闘技術に卓越した者から選ばれ、そして常に黒い鎧と仮面、そして帽子に身を包み、容赦なく逃亡兵を、まるで狩りで獲物を狩るかのように狩っていった。その行動に容赦はなかった。
 またその一方で、その頃戦線では物資が不足しており、医薬品も例外ではなく、医師達は負傷兵の治療すら満足に行えない状態で、彼らに出来ることは医療所に運ばれてくる負傷兵を見殺しにするか安楽死させることだけだった。
 傭兵達は「戦場に残って負傷して医者に殺されるのも、戦場から逃げて督戦兵に殺されるのも同じことだ」と言う意味で、何時の頃からか、督戦兵のことを、死を呼ぶ医者、という意味で『ロズロォ』と呼ぶようになった。

306ロズロォの懺悔(22):2008/02/02(土) 03:19:57
 「……戦場では敵も殺したが、味方も随分と殺した。場合によっては、もう助からない民間人を楽にしてやるために殺した。男も、女も、老人も、場合によっては子供も殺した。だからだな、血の匂いと、人を殺した奴の雰囲気は敏感に察知できるようになった」
 だからなのか、と私は悟る。
 彼から幾ら話を聞こうと、彼が体験してきた全てを知ることはできないだろう。だが、彼が経験してきたのが正に『地獄』だったのだろうことは私にも分かることだ。
 そして、あの娘も同じような『地獄』を経験してきたのだ。
「何故、督戦兵になったのですか?」
 私は思わず、どうせ答えてくれるわけはない、愚にもつかない質問をしてしまう。
 だが、彼は「金だよ」と私の質問に答えてくれた。
「当時の俺は金が必要だった。病弱な妻と幼い子供がいたからな。二人を養うための金が欲しいから俺は傭兵になり、そしてもっと金が貰えるというから督戦兵になった」
 同じだ、と私は思った。
 私も自分の家族を養う金が欲しくて【草】作りに手を出し、もっと金になるから、という理由でここに投獄されるような禁制品の【草】作りに手を染めた。
 だが、彼と私では一つだけ違う点があった。
「金になるのだったら俺は悪魔にだってキュトスの魔女どもにだって俺は命を売っただろうよ。そのことに恐怖も感じなかったし、後悔もしなかった。戦場で、かつての仲間を、そして俺と同じ立場の傭兵達を殺す度に心が軋んだ音をたてることにだって俺は耐えた。仮面越しに同じ仲間のはずの傭兵達から、恨嵯と恐怖と軽蔑の目で見られる度に、悲鳴をあげる自分の心も俺は押さえつけた。自分の非道な行為に捨てたはずの良心が自分を苛むのも、戦場に出回っていた【草】で無理矢理押さえつけた」
「……」
「俺には続けるしか無かった。俺には守るべき家族がいて、俺が手を汚すことで家族が生きていけるなら、その罰が地獄に落ちることでも、戦線が本当に崩れたときにどさくさに紛れて他の傭兵達から袋叩きにあって殺されることでも構わなかった。だが、罰は全く予想外の形で俺に落ちた」
 囚人棟のどこかから吹き込んだ隙間風に吹かれて、蝋燭の炎がゆらぎ、牢名主の顔の影が変わった。
「戦争が終り、俺は急いで家族のもとに向かった。身も心もボロボロだったが、家族が生きててさえくれれば、俺はどうでも良かった。たとえ、二人の顔を見た瞬間に命が尽きても、俺は神も運命も恨まないつもりだった。けれど、俺を待っていたのは死んだ子供の墓と、【草】で廃人同然になった女房だった」
「何が……あったのです?」
 私が聞くと、フンと鼻を鳴らし、「給料が支払われなかったからさ」と牢名主は答えた。
「俺が文字通り身も心も削って傭兵として働いた分の給金は、一銭たりとも支払われなかったんだよ。だから、子供は栄養失調で死んで、女房は罪悪感のあまりに心を病んで【草】に走った。子供を養うために街頭に立つような真似もしたのに、そんなことになったんじゃ【草】に逃げたくもなるわな。よくある話だ」
 よくある話、と鼻で嗤う様な口調で言いながらも、その声にはわずかなりとも怒気が篭っていた。
 もう一度牢の中に隙間風が吹き、一瞬だが闇の中に牢名主の顔が浮かび上がる。
 表情こそ笑顔だったが、その目は微塵も笑っておらず、鋭いまでの殺意の光が篭っていた。そして、もし、蝋燭の明かりがもっと明るければ、彼の手が抑え切れない感情のあまりに震えているのも私には見えたはずだ。
 ……この国、北方諸侯による連合帝国の政府が彼らに支払うべき給料を反故にしたからですよ……結果、彼らは各地で暴動や略奪を行い、憲兵や地方軍隊、そして中央政府から派遣された軍隊に逮捕された……
 私は所長の言葉を思い出す。
 あの時は、まだ他人事だったその言葉が現実の重さを携えて私の目の前にあった。

307ロズロォの懺悔(23):2008/02/02(土) 03:21:54
「政府には窮状を訴えなかったのですか?」
 私の問いに「そんなことはすぐにやったよ」と彼は答える。
「すぐに俺は政庁に訴えでたさ。しかし、役人共は俺のような見すぼらしい傭兵崩れには会おうともしなかった。それでも俺は何度も何度も政庁に足を運んだ。そして、ようやく役人に会えたと思ったら、彼が答えた言葉は『北方諸侯による連合帝国政府は今回の戦争費用に対して徳政令を発布し、一切の借財の返還を行わない』というものだった。お人よしの俺は、騙されて、裏切られて、そして徒に手を汚しただけだったんだよ」
「……」
「女房が死んだのはその晩だった。俺は何も出来なかった自分と、約束を反故にした政府に対して怒り、頭に血が上り、気付いてみれば……」
 政庁の建物に火をつけていた、と彼は言った。
 それはこの国では立派な反逆罪、そして扇動罪だ。この国では反逆罪と扇動罪に対する刑罰は漏れなく死刑と決まっている。
 しかし……
「俺はすぐに衛兵に逮捕され、投獄されて裁判を待つ身になった。死罪は覚悟していたし、望むところだった。神だって、せめてあの世で家族にもう一度会わせてくれるぐらいのことをしてくれるだろう、そう考えていた。その後だったら地獄行きだろうが、なんだろうが構わなかった。でも、そうはならなかった」
「代わりに終身刑でこの牢獄に投獄されたわけですね」
 「あぁ」と彼は頷く。
 突然吹いた強い風が、囚人棟の壁に当たり、大きな音を立てた。その音のおかげで、その後の沈黙が先程よりもずっと深く、まとわりつくような沈黙に感じられる。
「あの世で女房や子供にすら会う機会すら奪われた俺は長いこと抜け殻のように服役していた。もう、何もかもどうでも良かった。だが、その態度と、『ロズロォ』だった時に染み付いた独特な気配と雰囲気、つまり染み付いた血の匂いの濃さと、戦場から抜けても尚身体から離れない死のにおいのおかげだろうな、気が付けば俺はここで牢名主になっていた。そして……」
 ギロリと鋭い目で彼は私を睨む。その顔には最早笑顔は浮かんでいない。
「そして、お前が来た。【草】作りの罪で投獄された囚人と聞いて、俺は最初お前を問答無用で殺すつもりだった。死んだ女房と子供へのせめてもの手向けにとな」
 もはや殺意と憎悪を隠していないその声と顔に、私は恐怖を感じて思わず一歩後ろに下がる。
「あんたが作った【草】で女房が死んだのかどうか、なんてどうでも良かった。【草】作りの医師(ロズロォ)を、その犯した罪を懺悔させながら無残に殺すことが出来れば、それで少しは気が晴れると、そう思ったんだ」
 しかし、あの時私は殺されずに、今もこうして生きている……
 額を伝う汗と、乾いた喉を落ちていく唾を感じながら、「何故、私を殺さなかったのです?」と私は聞いた。
「お前があまりに間抜け面をしていたからだよ」彼は嗤うようにして言った。「何故自分がここに送られてきたのか分からない、そんなキョトンとした顔をしていたからだよ。それを見て俺は、これでは復讐にならない、と思ったのさ。多分、あの囚人のように殴り殺しても、自分に何が起きたのか分からないうちに死ぬだけだろう、楽にしてやるだけだろう、そう思ったのさ。だから、止めた」
「……」
「だが、諦めたわけじゃなかった。何度かカマはかけたのさ、『【草】を作れるか?』と聞いたのもそのうちの一つだ。もし、しゃあしゃあと『作れる』と答えたら、俺はその場でお前を殺すつもりだった」
 正直者が救われるというのはあながち嘘ではないらしい。
 もっとも、そこで救われたことで私はあの悪魔のような実験に手を染めるようになったわけだが……

308ロズロォの懺悔(24):2008/02/02(土) 03:22:42
「そしてその晩からお前は牢役人に連れ出されるようになった。その行き先は役人棟だ。しかも、それからすぐに毎晩のように血と女の死の匂いを漂わせて帰って来る様になった。それも一日や二日じゃない、何日もだ」
「なぜ私の行き先が分かったんですか?」
 私は聞いた。役人棟の場所はこの囚人棟からは見えない場所にあるはずだ。なのに、何故私が役人棟にいったことを知っているのだろう?。
 彼は口元を歪めると、胸元から小さな鏡を取り出し、そして立ち上がると窓から他の囚人棟に対して蝋燭の光を反射させて見せた。その光に応えるようにして他の囚人棟のある位置から光が返ってくる。
「役人やお前達が思う以上に各囚人棟の牢名主は常に連絡を取り合っているんだよ。まぁ、知っているのは一部の人間だけだからな。おまけにここには役人の息のかかった奴もいるからな。それが誰かも知ってはいるんだが、逆に利用することを考えてわざと泳がせている」
 彼は鏡を胸元に戻し、椅子に座ると、「さて、医師(ロズロォ)さんよ」と私に向き直って聞いてきた。
「あんたは、役人の所で毎晩何をしていたんだ?」
「私は……」
 私が口ごもっていると、「答えな医師(ロズロォ)!」と突然どすの利いた声で彼は言ってきた。
「どうせ俺達に関係することなんだろう?。だったら俺にも聞く権利がある。言っておくが、見え透いた嘘を言ったりしたら、この場で叩き殺すからそのつもりで答えろ!」
 その気配に、私はおののいた。彼が本気で言っていることに気付いたのだ。
 私は今までにあったことを、所長に【草】の精製の代わりに囚人達に施術を行うことを提案してしまったことを、その日から役人達が被験者の娘達を攫ってきて、私は彼女達に『実験』を行っていたことを、そして草の民の娘に会ったことを、一週間以内に彼女に『実験』を行わねばならないことを、全て喋った。
 だが、それは決して牢名主に恐怖を感じたからだけではない。私は……彼女を救う一縷の望みを彼に求めたのだ。
「ふん、あの所長が飛びつきそうなことだな」
 私の言葉に、嗤うようにして牢名主が鼻を鳴らした。
「それで、お前は自分で庇護している娘を、命惜しさに売り飛ばしたわけだ。随分と生き意地が汚いんだな」
「……」
 私は何も答えられない。それは真実だからだ。でも……
「それで、お前はどうしたいんだ?。所長の言うことを聞いて彼女を殺すのか?」
「私は……」
 そう答えてから、私は暫くの間を置き、つい先程の出来事を語った。

309ロズロォの懺悔(25):2008/02/02(土) 03:23:59
 暗い医務室の中、私は俯いて娘が、私の持ってきた食料を貪るように食べている様を見つめていた。
「どうしたの先生、今日はやけに無口だね」
 そんな私を見て、彼女は言う。
「私が無口なのはいつものことだ」
 私は、自分の本心を悟られまいと、無理に笑顔を浮かべて言う。
 本当のことなんて言える訳がない。ここまで面倒を見て、「君は一週間以内に私の『被験者』になるか、殺されるんだ」なんて、どの面を下げて言えるというのか?。
 ……やっぱり、あの時牢役人を呼んで『実験』を行うべきだったのか?
 私は、中途半端な正義感を抱いてしまった自分を呪いながら思う。あの時冷酷に徹していれば、今こうして悩むことも無かった筈なのに……
 ……今更正義感を持ったところで、私は救われない人間なのに……何で?
 私は下唇を噛む。
 どうして心が痛むのだろう?。あれだけの鬼畜な行為を行って、今更自分が善人だとでも言うのか?。だとしたら私は見下げた馬鹿もいい所だ。
 ……おまけに「最後まで希望は捨てるな」だって?……希望を奪ったのは……絶望を与えようとしているのは誰だと思っているんだ!
 そして私は思う、この娘にさえ会わなければ、と……もしこの娘に会わなければ、今頃私の罪悪感は磨り減り、『実験』は快楽の手段と化すか、さもなければ実験に何も感じなくなっているかのどちらかで、今のように自分の罪深さを思い知ることも無かっただろう。なのに……
 ……神よ、貴方はどこまで残酷なのですか?
 私は蹲り頭を抱えた。すると、
「先生。私、とうとう先生の『被験者』になるんだね」
 寝台から身を乗り出した娘が静かな口調で私に言った。
「何を……馬鹿な……そんなことが……」
 この期に及んで嘘を吐こうとする私に、娘は優しく微笑んで言う。
「先生、嘘をつくのが下手だからすぐに分かるよ」
「……!」
 私は娘から目を背けた。
 もう、彼女の顔は直視できなかった。
 そして、彼女の口からこれ以上私に優しい言葉がかけられる事が耐えられなかった。
 だから私は呟くようにして言っていた。
「嘘を言っているのは君も同じじゃないか……」

310ロズロォの懺悔(26):2008/02/02(土) 03:24:39
 彼女が小さく息を呑むのが私の耳にも聞こえた。だから、よせばいいのに、この件は最後まで黙っていようと思ったのに、思わずそれを大きな声で口にしてしまっていた。
「嘘なんだろう、君のお姉さんが元締めを通して街頭に立っていたというのは!……君のお姉さんは元締めを通さないで街頭に立った!。だから傭兵達に乱暴されて殺された!……それが真実なんだろう!?」
「……!!」
「この手の商売は客とのトラブルが付き物だからな、どんな弱小の元締めだって用心棒の一人ぐらいは雇うものだ。傭兵達だって、用心棒がいると知ってて迂闊にトラブルは起さない。そんなことをして後々厄介ごとになるより、元締めを通してない私娼を好き勝手にした方が割がいいからな。死んでも、どうせ私娼はその殆どが流民の類だ。何のあとくされも無い」
 私がその事に気付いたのは、後になって所長の言葉を思い出したからだ。
 ……女でも娼婦の類だと色々とややこしいことになる
 帝国直轄の役人でもそうなのだ、これがただの傭兵であれば、戦争で頭がおかしくなっている相手でもない限り言わずもがなだ。
「君は『同僚』の人が言っていた、と言ってお姉さんの死に様を教えてくれたが、それは嘘だ。君が見たのはお姉さんの死体だけだろう?」
 私の言葉に、彼女は顔を青くして唇を震わせていた。
 止めるべきだった……せめて、そこでこれ以上何かを言うのを止めるべきだった。
 なのに……
「君の言うお姉さんが遭わされた目というのは、本当は君が遭わされた目なんだろう?。君も元締めを通さないで街頭に立って傭兵達に乱暴された……そうなんだろう?」
 彼女は何も喋らない。
 今彼女がどんな顔をしているのか、顔を上げない私には分からなかったし、私は彼女の顔を見たくないと思った。
 今彼女の顔を見たら、私は謝ってしまうだろう……そして、そんな私を彼女は許し、そして彼女は私に優しい言葉をかけてくれるだろう。それが私には耐えられなかった。
「どこで……気付いたの?」
 震えた声で彼女は言う。
「君から話を聞いた後さ。私だって多少は世の中に明るい。だから少し考えればそのぐらいの予想はつく」
「そっか……分かっちゃったんだ」
 寂しそうな声で彼女は言う。予想外にも彼女は私の乱暴な言葉に怒っていないようだったが、きっと内心は穏やかではないに違いない。
 ……これで良いんだ……これで……自分を殺す男を……私のような罪深い人間を『許す』なんて間違えている
 私は、そう思って自分を納得させようとしたが、言った自分の言葉に後悔して唇を震わせていた。
「じゃあ、先生にあの言葉、もう言えないね……こんな汚れた女なんか、先生、軽蔑しているよね……嫌っているよね……汚らわしいと思っているよね……」
 呟くようにして言う彼女の言葉に、私は思わず逃げるようにして医務室から走り去った。
 私は走って、走って、役人等の廊下を駆け抜けた。ただ感情の赴くままに、理性などではなく「逃げたい」という欲望の赴くままに、現実から目を背けるために……そして気付けば雪の中にいた。
 私はその場に座り込む。
 そんな私に雪は容赦なく降り積もる。
 冬はまだ終わってはいなかったのだ。
 ……私は罪深い
 雪の冷たさを全身で感じながら、今更ながら私は思う。
 ……でも、罪深いから分かる……彼女に罪はない……なのに彼女は自身を罪だと思っている……理不尽を罪に対する罰だと思って受け入れようとしている……
 それは間違えている、と私は思った。彼女が罪深いというのなら、世の中が間違えている。
 ……罪に対しては罰が与えられなければならない……罪のない人間に罰が与えられてはいけない……
 当たり前のことに、やっと私は気付く。
 だから……
 ……だから、私は……彼女を助けたい……この身が破滅しても……どんな罪に晒されても……

311ロズロォの懺悔(27):2008/02/02(土) 03:25:29
 「そうかい、それがあんたの結論か」
 牢名主はどこから手に入れたのか、酒の瓶を机の上に置き、やはりどこから手に入れたのか分からない器を二つ机の上においてそれに酒を注ぎ、そしてそのうちの一つを私の方に押してよこした。
 私は、目の前に置かれた酒の器を眺めながら、「やっぱり彼女を助けたいんです」と呟くようにして言った。
「彼女が不幸なまま死ぬのは間違えてます。理不尽です。そんな理不尽を肯定してはいけないと思います」
「世の中はとかく理不尽なものだ」
「頭でそれが分かっていても、やっぱり私にはそれが許せない」
 私は机を叩いて、叫ぶようにして言った。
 牢名主は、そんな私を静かな眼で見ている。
「でも、私には彼女を助ける力がない……私が彼女への『実験』を拒否したところで、彼女は殺されるだけだ……私は……」
 ……私は無力だ
 そのことがどこまでも悔しかった。そして、そのことがどこまでも罪深く感じられた。
「私が……恐怖から逃げるためにその場しのぎのことを言わなければ、彼女は……いや、他の娘達だって不幸になることは無かった。それだけじゃない、私が、いくら生活に窮したからと言って【草】さえ作らなければ、いや、最初からこの国、北方帝国で医者(ロズロォ)をすることさえ選ばなければ、誰も傷つかなかったんだ……」
 私の声は最早叫び声になっていた。
 事実それは叫びだった。
 私は、最初から全ての選択を間違えて、そしてそのことによって全ての人を不幸にしてしまったのだ。
 ……私は……私は!……私は!!
 もう感情が昂ぶり過ぎて言葉にならない。
 だから、私は頭を掻き毟り、そして机に一度渾身の力で頭をぶつけ、その拍子に半ば中身の零れた器の中身を一気に煽った。
 熱いものが喉を通り過ぎて体内に落ちていく。
「その気持ちに偽りはないな、医者(ロズロォ)」
 静かな声で言った牢名主の言葉に、私は即座に頷く。
 牢名主は、暫く私の目を見ていたが、「それなら」と言って口元を緩めた。
「俺達も自分の身を守る準備をしないとな……」
 牢名主は自分の器にもう一度酒を注ぎ、それを一気に煽ると、胸元からあの鏡を取り出した。

312言理の妖精語りて曰く、:2008/02/02(土) 17:14:49
そうですか

313ワンテクスト リザードマンの皮1:2008/02/06(水) 00:03:33
音は無い。静謐に充ちた闇の中、それでも光景が判然としている。
それは、薄暗いモノレッドの石壁が延々と続いている洞穴の中の事だった。
体温が変動しやすいのは彼の種族の特性だ。季節に関わらず冷え込みが激しい地下でのこと、暖をとる為に熱糧の定期的な摂取は欠かすことが出来ない。
耳まで裂けた口の端で、舐めるようにして溶かしていくそれを横目で眺める。
自分の赤く長い舌が飴玉じみた携帯食を絡めているのが顔の両側に付いた巨大な眼球から見て取れた。
その目玉は大きい。とても。
顔の側面についているのだが、目玉が大きくてよく動く為か、真後ろ以外の死角は存在しないほどだ。
ディザウィアーは三階層のコロニーに来て未だ一年目という新参で、安全な最下層(グラウンド・ゼロ)の揺り篭(クレイドル)で戦士としての訓練を終えてようやく上層に配属されるようになったばかりだった。
ディザウィアーの仕事はいつの日も変わらない。
来たものを狩り、その持ち物を奪い、肉を運ぶ。
徒党を組んで狩る場合もあるが、そしてこの界隈ではもっぱらそれが常道とされているが、
彼、ディザウィアーは単独で狩る事を好んだ。
獲物である侵入者達は通常四人から五人の集団だ。単身襲い掛かれば不利は否めない。
ましてや、この三層にまで到達する事が可能な技量を持った戦士ともなれば、なおさらだ。

それでも、ディザウィアーは独りサーベルの刃を研ぐ事をやめない。
彼は、常に独りで狩りをするのだ。

傍から彼を見れば目が爛々と輝いているのがわかるだろう。無明の闇の中、闇を見渡す、否、闇を照らす光輝の瞳はディザウィアーたちの種族でも珍しいとされる強者の証だった。
魔的な素養が強いと言ったのは何時か出会った魔術師だったか。いずれにせよ彼にとって弱者は糧にし踏みつけるためだけにあるのだ。

そら、獲物が来た。
足音より先にその目が捉えたのは松明の明かりだった。「人間」たちは魔術の明かりや松明がなくては闇の中を歩く事ができない。
それが自分達の敵を引き寄せる悪手だと知りながらも、そうせざるを得ない。
愚かな、愚かな人間たち。

隊列を組んで歩く、硬い鎧を纏った戦士たち。
三人の背後には線の細い身体を長衣に包んだ魔法使いが歩いている。
四人の侵入者。身の程知らずな冒険者たちを、ディザウィアーはせせら笑った。

ディザウィアーは、鞘を押さえてサーベルをすらりと抜き放った。
この地獄のような赤竜の古巣(レッドトーン・モノリス)の中層で、地獄の番人が牙を剥く。
さあ、狩りの時間だ。

314ワンテクスト リザードマンの皮2:2008/02/06(水) 00:03:50

視界に映る獲物は四、爛々と光る二つの輝点を確認するや否や、彼らの挙動が精練された戦士のものに変わる。
殺意。先にぶつけたのはこちらだ。故に等量以上の敵対意思は圧し掛かるように鱗の上を圧迫する。
躊躇い無く、疾駆する。
眼前、先頭の戦士が咆哮を上げた。
否、それは吼えたのではなく背後の人間達への指示や鼓舞の合図だったのかもしれない。
だがディザウィアーには人間の言語など分からないし、分かろうとも思わない。
翻すは抜き身の刃。薙ぎ払うは踏み出した空間。
湿った大気が鋭い音を鳴らした。
戦士の直剣とこちらの剣がかみ合う高調音。真横から突き出されるのは援護の槍。
それを、ディザウィアーは避けることもなく無視した。
鍔競り合う刃を、一気に押し込む。

刎ねるような金属音。
同時に二つ。

ひとつは、ディザウィアーの刃が戦士の刃を叩き折った音。
もうひとつは、ディザウィアーの首に突き出された槍の穂先が砕けた音。
戦士たちが、高く鳴いた。それは驚愕の声だろうか。このディザウィアーの硬質鱗は程度の低い金属などでは絶対に貫けないという厳然たる事実。冒険者達が絶対の絶望と恐怖に塗れ、死に逝く最大の原因たる、最硬の鎧。

屠る。驚愕から立ち返る機会など与えぬ。鱗人の放つ斬撃は瞬く間に敵手二人の首を跳ね飛ばし、攻撃の機会を窺っていたもう一人の戦士の槍を斬り飛ばすと、一閃して殺害。

瞬間的な殺戮だった。ものの数秒で、三人。
ディザウィアーの電撃的な速攻には、今まで幾人もの冒険者達が餌食となった。
その歴戦とも言える彼の勘に、隔靴と火が点る。爆発的な直感が彼を爬虫類的な柔軟性で臥せさせた。

刹那、爆散する直上空間。耐え難い熱の嵐がディザウィアーの背を、後頭部を焦がす。
魔法使い、彼の天敵。
その鱗を突破し、爆砕し凍結し飛散させて殺害し得る、唯一警戒するべき対象。
だが、一度の回避が成功さえすれば恐れるには足りず。
しなやかに跳ね上がる。眼前の魔法使いにはまるで地を這って接近してきたように見えたであろう、前方への瞬間的跳躍動。
それに次ぐ、斬撃。
血しぶきが飛び、脆い魔法使いの肉がどうと倒れる。

狩りは速やかに終了した。都合十秒ほどである。
今晩の豊かになるだろう食卓を思い描きながら、ディザウィアーは狩りの成果を隠していた袋に詰め、力強い腕で担いで巣へと戻っていった。

315ワンテクスト リザードマンの皮3:2008/02/08(金) 22:58:28
どさりという鈍い音、獲物を巣に下ろすディザウィアーはようやっと一息を入れて人心地つく。それは一日の労働が終わったと言う心地の良い証だ。
お疲れさん、という声と共に、屠殺場では姉が既に解体用の鉈を手に待っている所だった。鮮烈な赤い鱗を持つ姉は表に出れば標的となりやすい。
美しいと言うことはそれだけで狩られる要因になる。狩るか狩られるかの瀬戸際の中、ディザウィアーたちは適材適所を謳いつつどうにか絶対数の少ない戦士の配置をやりくりしていた。
単独で要所を任せられると言う事は、即ち優秀だという証明だ。
ディザウィアーに対する皆の信頼は、篤い。
「今日はまた偉く大猟だね。 群をまるごと狩れるのなんてそう無いよ?」
「人間は群で狩った方が旨みがある。 こちらが単独と見ると油断することも多い」
「だからって、あんまり無茶しないの」
軽い力で頭を叩かれる。姉と二人で暮らしてもう随分になるが、ディザウィアーは唯一の肉親にだけは絶対に頭が上がらない。
それはこうして彼が帰るべき家を任せているということ以上に、血なまぐさい闘争が報われる唯一の実感を与えてくれる存在だからだろう。
「ディザウィアーは奥間でくつろいでなよ。私はちゃっちゃと食事の準備するから」
姉、シュィルプフゥは細身に似合わぬ膂力で獲物の入った袋をまとめて背負うと、そのまま奥へ運んでいった。
楽しげに揺れる尻尾を見ながら、ディザウィアーは暖かな家庭の空気にそっと息を吐き出した。

316ワンテクスト リザードマンの皮4:2008/02/09(土) 15:11:15
食事の後、ディザウィアーたちに来客があった。
「いやあどうもどうも。ご無沙汰しております」
頭に手をやりつつ遜って頭を下げるのは、鱗を大分赤茶けて変色させた老年の男性だった。
古い既知、それも揺り篭時代の教師であるャイソァブはやや声の張りなどを減じさせていたものの、かつてと変わらぬ様子で玄関口に佇んでいた。
少し前に教師としての役割を退き、隠居するなどと風の噂に聞いたものだが、さて一体どういった用向きだろうか。ディザウィアーが不思議に思いつつもそれを表に出さず、精一杯の歓待をしてみせると彼はたいそう喜んでくれた。
暫し歓談を交わして時を過ごす。ふと会話が途切れ、雰囲気がつと切れになった。
やや間を於いて、老人が固くなった声で、言葉を放つ。
「今日はちょっと、残念な知らせをお伝えしなくてはなりませんでねえ」
歯切れが悪いャイソァブは、どこか後ろめたげにちらちらとディザウィアーの背後を窺っていた。なにかの罪悪感、あるいは、自分達にとって負の要因となる知らせであろうかと予感する。
ディザウィアーは勘のいい男だった。予測は大抵的を射る。
「最近、ここら辺での獲物の数が減っていることに気付いてますかな?」
「何のことでしょう? 私はそのように感じた事は、今のところありませんが」
「そうですか。 ですが、あなたの担当猟域以外での侵犯者たちの数は、確実に激減しているのですよ。
原因が、わかりますか?」
「さあ・・・」
理解はしかねたが、直感的にこれは危険だ、とディザウィアーは感じていた。
何か、自分を中心としたよからぬことがおきているのだと鋭敏な戦士の本能が叫んでいる。
だが、どうにも自体が掴めない。となれば、やはり対処も出来ないのである。
「あなたねぇ・・・、ちょっと、調子に乗りすぎちゃったんですよ」
続く言葉は、彼にとって理不尽とも感じられる内容であり・・・・・・そして納得せざるをえない内容でもあった。
「あなたは強い。強すぎる。どんな侵犯者が複数でかかっても確実に仕留め、あるいは撃退してきた。
あなたが優秀な戦士だというのは誰もが認める事実だ。我々も、そして侵犯者たちも」
最後の言葉を強調して、かつての恩師は言った。
「はっきり言いましょう。侵犯者たちの間で、あなたは有名人だ。恐らく賞金すらかけられている」
愕然とした。人間達の社会構造がどのようになっているか、それはかつてこの老人から教わった事だ。
侵犯者・・・・・・人間達は征服的狩猟によってその生態システムを構築している。
労働階級に戦士や魔法使いたちがあり、それを統括する互助組織のようなものが存在するらしいことが、今までの研究でわかっているという。
互助組織は様々な種類の侵犯者たちを送り出し、一人から五人程度の群単位で緑鱗人の巣穴を襲撃してくるのである。
彼らはこちらの巣穴を侵略し、略奪し、徐々に徐々に踏破してくる。一度の侵入で巣内部の情報を探り、その情報を共有しあって連携して襲撃してくるのだ。
恐るべき、我らの天敵。天敵に対抗するために戦士たちの育成が続けられているが、圧倒的な物量で攻め立ててくる侵犯者たちには劣勢を強いられている。
そんな中で、勝利を続ける自分は侵犯者達にどう見えているのか。
そんなことは、全く気にかけていなかった。
「もはや侵犯者たちの中であなたを倒す事が一種の目的になりつつある。今後殆どの侵犯者たちがあなたの担当する範囲に侵攻してくるでしょう。
だが、それはまずい。いままでバラバラに侵入してきていたからこそ我らは対抗し続けられた。だが今度こそもうだめだ。我らは一網打尽にされてしまうでしょう」
ではどうすれば、と言いかけて、その対処が自分に求められている事に気付く。
老人の目は、いまや苛烈に煌々と光っていた。
「あなたには、責任を果たしていただく」

317<<妖精は口を噤んだ>>:<<妖精は口を噤んだ>>
<<妖精は口を噤んだ>>

318ワンテクスト リザードマンの皮5:2008/02/21(木) 18:32:43

進軍。
怒涛の如く猛然と突き進んでくる対前の人の群の進撃は、正にそう形容するに相応しかった。
正に軍隊であるかのような侵犯者たちの鬨の声は荒ぶる彼らの魂を獣じみた熱でもって鼓舞している。げに恐るべきはその士気の高さか。
剣を、槍を、弓を、杖を、殺意と興奮で塗れた意思は遠く離れたこちら側にも物質的なプレッシャーすら伴って襲い掛かってくる。
ディザウィアーは、かつて無い脅威の波に圧倒されかけていた。

無数の人を内包してなお余りあるその大空洞は、彼らの巣窟の最深部にして放棄された居住空間である。
対峙した人間たちは明確な敵意を以ってディザウィアーに立ち向かってくる。
そう、立ち向かってくるのだ。
手に構えるは幾多の戦器。

成就の槍、王竜の斧、白眉なる呪剣(イアテム)、血染めの血戦矢、黒爪(ディルノラフ)・・・・。
目を見張るほどの異形、それらは万の雑兵を散らして止まぬ最悪の呪いの武装たちだ。
その全てを相手取って、ディザウィアーは立ちはだかる。
それは、蟻と象との決戦だった。

これはなんだ、とディザウィアーは牙を噛む。
まるで現実感のない、それでいて絶望的な圧力だけは確かに感じられる、そんな状況下。
鱗の一枚一枚が告げている。あの刃のうちどれか一つでも触れれば即座に彼を死に至らしめる凶器であると。彼の強靭な鱗など紙のように突き破られるのだと。
予感ではなく予測。
確信に満ちた戦慄が全身を駆け巡り、前進を躊躇わせている。
自分は、此処で死ぬ。

そう、贄となり、侵犯者どもの餌食になるのだ。
残虐な波濤が目前に迫り、ディザウィアーは肉体に染み込んだ戦士的な感覚が独りでに動き出すのを自覚した。意識は既に肉体の操作を手放した。現世に在るのはただ反射的不随意的な自己防衛本能のみである。
緑色の巨躯が身構える。全身をばねのように撓ませて、あらゆる殺意に反応できるよう、一瞬一刹那でも生存の可能性を引き伸ばすために殺意に殺意で以って応じる腹積もりなのだ。

愚かだ。そして無謀だった。どこか他人事のように空虚な思考の中で、彼はそう酷評して。
直後、飛び跳ねた。
恐るべきは蜥蜴人の俊敏性か。こればかりは如何なる人間の英傑でも追随できぬ、爬虫類的な柔軟性が可能とする超絶の跳躍移動。
押し寄せる軍勢は、地を這う様に疾飛したディザウィアーを見失う。
彼らが屠るべき標的を見つけたのは、断末魔の声を上げる同胞が三人倒れ臥した瞬間のことであった。

その時、ディザウィアーは既にして敵軍の真っ只中に潜り込んでいた。
蹂躙が始まった。

319<<妖精は口を噤んだ>>:<<妖精は口を噤んだ>>
<<妖精は口を噤んだ>>

320<<妖精は口を噤んだ>>:<<妖精は口を噤んだ>>
<<妖精は口を噤んだ>>

321ワンテクスト リザードマンの皮:2008/04/05(土) 00:52:59
血を浴びつつけるディザウィアーの肉体はかつて無いほどに熱く高ぶっている。
だが同時に、昂揚する自身に対する疑問が湧く。
何ゆえに、自分はこのような昂ぶりを覚えるだけの余裕を持って戦えているのか?
いかに歴戦にして屈強無比なる鱗の戦鬼といえども、侵犯者たちが総力をもって排除せんとすればひとたまりも無いはずなのである。
であるにもかかわらず、自分は未だ無傷であり優勢である。
波打つ軍勢をなぎ倒しつつ、止む事のない斬撃の嵐をディザウィアーはなんとか凌げている。
それは何故なのか。

それは、気付けるはずもない事実であり、閃くはずのない直感であった。
だがしかし、その時天啓のごとく舞い降りた凄絶な悪寒はディザウィアーの背筋から尾の先までを一瞬のうちに駆け巡り、次いで信じるのもおぞましい確信を抱かせるに到った。
刹那、ディザウィアーは任じられた戦場を放棄する事を即座に決意した。転進し、翻った尾の一撃で軍勢をなぎ倒す。
ひるんだ侵犯者たちの隙を突いて、人間には到底追随できぬほどの速度で疾駆する。
彼が向かうのは、自らの巣である。
赤い回廊、灼熱に滾る外界よりも熱く、その身の内を焦燥に焼いて鱗の民は吼え猛る。
回廊を繋ぐ門を越え、喧騒と怒号に満ちた居住空間を潜り抜け、血に塗れながら邪魔者を駆逐しながら突き進む彼の眼は、真っ直ぐに一点を目指していた。
やがて、その足はたどりつく。
彼の家。

最愛の、姉のもとへ。
無残な姿に変わり果て、力無く横たわる肉塊の下へ。

322ワンテクスト リザードマンの皮:2008/04/05(土) 01:21:16
老人は言った。

「つまるところなあ、連中の目的はわしらを滅ぼす所なんかないありゃあせんのよ。むしろ生かさず殺さずで搾取することこそが奴らの思惑でな。
侵犯者たちはわしらを殺し、その持ち物となにより皮を剥いで持ち帰るのじゃ。
知っておろう、奴らに襲われたものたちの末路、無残にも肉をむき出しにされた屍を。
何に使うのかは知らんがのぅ。侵犯者たちは己らの利益のため、わしらを狩っておるのじゃよ、結局の所はの」
ディザウィアーは目を見開いたまま、未だ忘我の中でその声を右へ左へ、聞き流している。
老人の声は、続く。
「やつらがとりわけ欲したのは、わしらの中でも最も美しく丈夫な、世にも珍しい皮じゃった。
いかなる刃も通さぬ鱗、しなやかな柔軟性・・・・・・、つまりは、おまえさんとこの血族の皮じゃよ。
だがまあ、わしらとしては守護者たるお前さんを失うわけにはいかん。
だからなあ、まあお偉いさんがたは侵犯者と取引して、珍しい皮を一つ融通する事で侵攻の手を緩めてもらうよう手を打ったと、つまりそういうことじゃな」
耳障りな声を、ディザウィアーは認識し続ける事を止めた。
彼の瞳には、もはや何一つ映りこむ事は無く。

やがて、ディザウィアーは一切の思考を放棄した。

歓喜する声と絶望の悲鳴が聞こえたような気がしたが、ディザウィアーにとってはすでにもう、全てがどうでもいいことだった。




323不思議の国のザリス 1:2008/04/17(木) 03:03:45
急がなくちゃ。急がなくちゃ。
ザリスはとにかく全力疾走で生きてきた。
(車いすだからほんとは走れないんだけど。)
とんでもない妹に追いつくために走ってるのか、
どうしようもない妹から逃げるために走ってるのか、
もう自分でもよく分かってないのだ。
何だか昔おとぎ話で聞いたウサギみたいだと思った。
あのウサギも、たしかアリスという名前の女の子に追っかけられるのだ。
「あ、今の表現いいかも。私は暗闇を疾走するウサギ・・・と。」
すかさずマイ詩集ノート(3冊目)にメモメモ。
そしてそんな自分のイタいうしろ姿(猫背気味)を想像して絶望。
中二病患者ザリスは今日も忙しい。

324不思議の国のザリス 2:2008/04/17(木) 03:07:49
いつから中二病だったのか。ザリスは自分でもはっきり覚えてない。

気がついたら何だか中二病だったのだ。しかも重度。むしろ末期。

妹を師匠にするという屈辱、日々のイジメかよって感じの修行。

そういった何やかやのストレスになんかもう叫びたい!っていう衝動と、

名家の長女たる私はイタいことなんてしないのよ!っていうプライド。

二つの思いが左右の天秤に乗っかってずんずん大きくなり、

いつしかザリスはヤジロベーみたくフラフラと微妙なバランスをとる日々。

「あぁ・・・内包するこの苦悩が崩壊したとき、きっと世界が滅びるのね」

そして我ながら恥ずかしいセリフを口にして赤面。

ザリスはキョドキョドと辺りをうかがって、誰もいないのを確認した。

325不思議の国のザリス 3:2008/04/17(木) 03:10:23
どうしてこうなってしまったのだろう。
ザリスだって昔はポジティブだったのだ。
なんてったって魔術の名門に生まれた天才。
小さい時から努力に努力を重ね、
3歳にして庭の大樹を消し炭にするほどの火力を有するザリスは一門の期待の星。
ザリスが頑張って新しい力を手に入れると、みんなホメてくれた。
「努力は報われる」って言葉はあまりにチープ過ぎて何か気に食わないけれど、
世の中がそういうふうに出来ているって事実だけは心地よかった。
実際ちょっとひねくれてしまった今でも努力と研究は嫌いじゃない。
とにかくあの頃の自分は、どんな高い壁だって乗り越えられる気がした。
それが・・・それが、あの妹が産まれたばっかりに!きいいい!!

326不思議の国のザリス 4:2008/04/17(木) 03:11:40
そういえば、どうにも引っかかる記憶がある。
庭でいちばんの木をついに燃やすことが出来たあの日。
ザリスはここ数日のライバルこと庭の木をやっつけて上機嫌。
ちょっと本気モードになればかなうもの無しのザリスの前に、
突然変な奴が現れてこう言った。
「すごいわねぇザリスちゃん。あなたはその年齢にして既にどんな困難でも乗り越えようとする。そして困難を乗り越えるたびに強くなれることを知っている。でも、気をつけなさい。あなたが強くなろうと思えば思うほど、あなたは無意識に困難を呼び寄せる。ザリス、あなたは総受けです。それは即ち我が父アルセスと同じ属性。あなたに世界を支える器なくば、暗黒エネルギーに飲み込まれてしまうことでしょう」
変な奴は言いたいこと言って消えた。
急に受けとか言われても何のことやらサッパリ分からないザリスは、
結局今まで通り、力を求めて努力し続けることにした。

327不思議の国のザリス 5:2008/04/17(木) 03:13:01
それからしばらくして、妹のアリスが産まれた。
アリスはなんと産まれて3日でお屋敷を一族もろとも真っ白な灰にした。
才能の差は歴然だった。
ザリスは愕然としたけれど、それでも気を取り直して、一応妹をホメてみた。
それに対して、生後3日のアリスはきっぱりとした口調でこう言った。
「五月蠅い。この程度でおだてるな無能。」
ザリスの人生はだいたいこのへんをピークに、転落を始めていったのだった。

328不思議の国のザリス 6:2008/04/17(木) 03:14:55
紀神アハツィヒ・アインは溜息をついた。
「やっぱり・・・こうなるとは思ってたけどね」
ザリスは運命を変える力があまりに強すぎた。
ザリスの障害を求める心―暗黒エネルギーが周囲の人間に強く影響し、ついに越えられない壁という存在、すなわちアリスをこの世界に生み出したのだ。その意味で真に力があるのはザリスのほうだった。アリスはザリスを貶めるための装置に過ぎない。
ザリスは困難を乗り越えることよりも、困難を求めることに魅入られてしまった。それがザリスの人生最大の計算違いだったと言える。
「受け攻めは調和をもって安定する。総受けの者あれば総攻めの者が現れるは道理。それにしても報われない話だこと」
ザリスは自分を走り続けるウサギに例えた。
それは本人の意図しないところで、的を得ていた。
最初にウサギが全力で走らなければ、アリスはこの世界には来なかったのだから。


おしまい。

329海の息子シャーフリートの話(1):2008/06/25(水) 00:53:55
亜大陸の海に悪魔が現われたらしい。悪魔は魚介類を採りつくし、海底を傷つけて荒らす。
漁業を営む人々は現在進行形で大きな損害をこうむっているという。
草の民のロエデウィヤ族の族長ウムースは単なる噂か御伽噺に過ぎない、と最初は
思っていた。だが、遠方の友人が生活に困り自殺してしまったとの知らせを
受け取って考え直した。亜大陸方面の情報を積極的に集め、他の部族とも情報交換を
するよう勤めた。そうしているうちに一つの事実が浮かび上がった。
悪魔は少しずつ北上し、自分達が住む場所に接近しているのだ。

ロエデウィヤ族、フェルダム族、カフラ族、ブーウ族の族長や長老、智慧者が集まって話し合うことにした。
しかし中々結論が出ない。すると会議の場に東方風の身なりをした槍を持つ男が現われた。
男はグーヤット・アティパーンと名乗ると、「海から英雄が生まれ、この地に流れ着く」と言った。
前触れもなく現われたのため場に集った者達は警戒して殺気立ちさえしたが、グーヤットは
特に気にする様子もなくすたすたと歩き去っていった。来る時とは逆にあまりに
隙だらけであったので逆に手を出すことができなかった。ウムースの息子オシューを除いては。
オシューはグーヤットが会合の行われる大テントの外に出たところで
そのたくましい腕でがっしりと彼を掴んだ。しかしグーヤットは体勢を全く崩すことなく
よろめきさえもせず、そのまま歩いていく。オシューはそのまま引きずられる形で
集落の外れまで突いていく羽目になった。異国の槍使いを掴み、全身と両足で踏ん張って
引きとどめようとするも敵わず引っ張られていくその姿を部族のほとんどの人に見られてしまった。
オシューとしては恥ずかしくてしょうがないのだがここで引き下がるわけにもいかない。
初めから諦めて手を離しておけばよかったとかそういう問題ではない。

330海の息子シャーフリートの話(2):2008/07/11(金) 00:59:10
旗色が悪くなったらすぐさま逃げる。人目を気にして勝負を捨てる。
彼にとってそんな考え方は本当に下らない、むしろ男たる者にあるまじきものだ。
自分はこの怪しい男を引きずり返したい、ただそれだけの理由でオシューはしがみついていた。
誰が見ていようがどう思われていようが関係ない。
けっきょくオシューの負けではあった。気付くと集落の外れの茂みにまで
引きずられてきていた。そこには固めのススキを集めて作ったらしいねぐらとも
言い難いものが建てられていた。荷物が重ねられているのを見ると、どうやら
ここで過ごしていたらしい。いくらこんな外れとはいえ、荷物を置き去りにするのはどうか、
と言うと、グーヤットは「見張りを残しておいたから大丈夫なんだよ」とやや砕けた口調で返した。
「ほら、あそこあそこ」とグーヤットが指を向けた先に目を凝らしてみると
草むらにひとのかたちがうっすらと浮かんできた。
「草みたいに肌塗ったり草を巻きつけたり、ちょっとやりすぎじゃないのか?」
本人は認めたがらないだろうが、そこにはひとかげを見つけられなかったことへの悔しさが混じっていた。
すると「変装じゃねえって。元からなんだよ」めんどくさそうにひとかげが発言し、
一歩前に踏み出した。「この声、女か?影の輪郭からじゃよくわからん」
少し近づいただけでかげと周囲が全く別なものであることははっきりした。
「いい具合に距離がとれてて光の加減とかも絶妙で見えにくかっただけだろうさ」
その肌は緑色。その質感を見て、オシューはできたてつやつやの香草入り緑餅を連想した。
「おい手前。いま何考えてた……」少し意識が外れていた隙に緑餅女がオシューの顔のすぐ真下から睨み上げていた。

少しのやり取りでオシューの性格をつかんでいたのか、彼が変な切り返しをしないうちに
「あー、紹介する。彼女はセデル=エル。わが旅の同行者だ」グーヤットは早口ぎみに口を挟んだ。

331アルカ・アライブ・アリステル:2008/10/29(水) 22:54:40
掬い取れば無限にその柔らかさを得られる泉があるかのように、さながら春野を舞う胡蝶を思わせる女の歩みはひたすらに静けさをたたえていた。
薄い栗色が柔らかなウェーブに乗って、肩にかかる髪は彼女の表情をわずかに影で覆わせている。頬の稜線、顎の丸み、その全てに平凡な柔らかさを備えた女は、しかしその瞳の色のみが凶器じみた鋭さで持って眼前の全てを威圧し続けていた。
アリス・アインシュタインの瞳は極めつけの凶眼だった。アリスはそれを生来から自覚していたし、自身の印象を強固にするために利用する事を厭わない。故にこそ今の彼女が存在し、泰然と歩むその姿に恐れおののく者どもの姿がここにあるのだ。
第三艦橋は常にない静寂を保っていた。
いや、静寂は押し付けられたものだと言ったほうがより正確かもしれない。それは一人の女によってもたらされたものであり、静謐さを常に周囲に振りまき続ける彼女は、その暴力的な静けさでもって周囲を支配し屈服させるのだから。
無数の情報窓が虚空に開いている。ビデオの高速再生、記録の中の花が開くように、早回しのデータが花開き散っていく。
その概要を眺めつつ、変わらない苦境にアリスは嘆息する。

冥王。
大地の眷属にして、大地より離反した者たち。
生まれながらにしてその素質を保有していたアリスは金色の紀と契約し、方舟(アルカ)に集う冥王の眷族の一員となった。
冥王らは現在、大地散逸派と呼ばれる猫的集団と協調し歩を合わせている。
猫と竜の戦争、即ち猫竜戦争と後の世に呼ばれることになる争いがあった。
王猫ウェラナバイエと言竜エルアフィリスの反目は、元を正せば世界のあり方についての見解の相違が原因である。
「散らばった大地」こそ至上と唱える大地散逸派と、「ひとつなぎの大地」を正常な世界と唱える大地球化派のイデオロギー対立は日に日に深刻化し、
神々をも巻き込んだ球化戦争の果てに大地が球となったのはアリスの記憶にも新しい。
大地が球となった後も大地を崩壊させるべく最後まで戦い抜いた猫たちは、しかし同じく最後まで戦い抜いた竜たちの奮戦により敗北を余儀なくされる。

332アルカ・アライブ・アリステル:2008/10/29(水) 22:55:09
散らばった大地の時代、致命的な問題とされたのは資源の枯渇と文明の伝達子(ミーム)が衰退していくことだった。
あらゆるミームは異なるものと接しなければ自壊し、文明は単純化しやがて近親婚を重ねた一族のように亡びを迎える。
交易を困難にする大断層は人々を飢えさせ、やがてより単純な世界を求めさせた。
球化の後、あらゆる種族はその快適さに味を占めていく。
曰く、揺らがぬ大地のなんと暖かな事か。
安定と秩序を欲する人々、竜的思想に凝り固まった彼らに対し、猫的な混沌思想は異質で少数に過ぎたのである。
アリスは思う。
眼前のデータの群の中には、ここ最近の地上の資源の動き、即ち猫側に供給される石油バレルの総量がグラフとなって表示されていた。
右肩下がり。一体何?が残されているのか、細かい数値を数えるのをアリスはやめた。
猫たちが保有する残り僅かな浮遊大陸(散らばった大地の時代のわずかな名残だ)にはもはやわずかな石油資源も残されていなかった。

猫たちは欲望と必要の赴くままに地上で資源を輸入していた。
暫く前まではそれすら許容されていた。
だが、昨今のエネルギー問題と環境の激変は猫へのバッシングを生み出す。
地表温暖化。
温室効果ガスが生むオゾンの破壊はやがて竜的人々の批判を生み出し、猫たちへの致命的な敵意となって形となる。
「緑に満ちた世界を考える会」の竜王たちはエントロピー増大効率の低下を唱え、「健全なる対症療法」をもって自然の崩壊を遅延させるべきだと主張する。
その筆頭はいまやエルアフィリスではなく、一人の矛盾を司る竜である。
言竜エルアフィリスと同格の竜、ロワスカーグ。
化石資源を用いたリサイクル、根本的解決には程遠い環境対策をしつつも、広い視野で眺めて地上の知性種の未来に繋がる環境政策を唱え続ける矛盾を貫き守る竜。
いまや地上において最も勢力を持つに至った「緑に満ちた世界を考える会」の会長であるロワスカーグはいまや世界五大宗教のひとつである竜神信教すらも吸収して猫たちの最大の敵となっている。
そして同時に、アリス・アインシュタインの最大の敵でもあるのだ。
享楽を貪ればいいのに、となんとはなしに思う。
竜の龍理に対し、猫たちの抽象性に満ちた猫写はこうだった。
「延命策ではなく、抜本的解決を図りたい。なんかすごいアイディアで。世界に革命を!」
なお、具体案は一切示されていない。
そんな彼らを、アリスはいとおしいと思う。


アリスがこれから対峙しなくてはならないのは、「現在の球の世界を創りし」創世竜第六位、矛盾竜ロワスカーグであり、そして彼に付き従う竜神信教第六位の巫女、ザリス・アインシュタインである。
ザリス。
その名を思うたび、アリスは暗い、疼痛を伴うような熱を額に覚える。
矛盾竜をその手で討ち果たし、竜の巫女として認められた冥王たちに対抗する英雄の一人。
そして。
アリスの唯一の肉親。彼女のただひとりの姉が、ザリスだ。

333海の息子シャーフリートの話(3):2009/05/24(日) 23:34:08
「紹介する価値なんてあるのか?勝手にしがみついてきた男だろう。むしろ紹介してほしくはない」セデル=エルは頬を膨らませて
不快をあらわにする。「いやいや、途中でダレなかっただけ立派だよ。意地だけではできんことだ。
もしかしたら『彼』の戦友になっちゃったりなんかするかもしれんよ」
グーヤットはオシューに視線を移す。「なんだよ」
「う〜ん。ガタイは当然として……面構えもなかなか。並ぶと画的に映えるだろうねえ」
「だから何なんだよ。さっき言ってた海から沸いてくるとかいう英雄のことか?」
「他に誰がいるのかね?私?」
「認めたくは無いが有りそうなのはそっちだ」
あからさまにニヤリとするグーヤット。
「気持ち悪いからその顔はやめろ。で、その英雄さんはどこにいるんだ?
そろそろ乗ってる船が到着するのか?」
「いや、まだいない」
「は?」意味がわからなくなって思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「部族の偉い皆さんの前で言った通りだ。これから生まれてくるんだよ」

334海の息子シャーフリートの話(4):2009/06/06(土) 01:10:54
「くだらないな。これ以上話を聞く気にはなれんぜ。あんた、腕は立つかもしれんが頭の中は可愛そうだな」
「っふ、じきに君も認めざるを得なくなるのさ……そんなことを言ってられるのも固定観念をぶち壊されるまでだぜ。
とはいえ、現時点ではこれ以上言い連ねても確かに無駄だ。でも明日また来るよ」
「やめとけ、今度こそ袋叩きにされるぞ」
「それでもやらなきゃならん使命なのさ。私にとってはね。別に怖くもない相手だし」
「今の、聞き捨てならんが捨てるしかないのがカンに障る……とっととどっかに行け!ついでに明日来るのはやめろ。嫌だから」
一方的に話を切り上げるとオシューは回れ右をして去っていった。
「どうおもう?」
しばらくしてグーヤットは傍らの餅娘に問うた。
「反応が典型的過ぎて、どうもな」
「やっぱり?」

335海から生まれたシャーフリートの話(1):2009/11/27(金) 17:03:18
昔々、あるところに草の民の一部族。ロエデウィヤ族の住む漁村がありました。
そこでは皆のしゅうが頭を抱えていました。
悪魔が海で暴れていて、漁に出ることができないからです。
「海に行ってもおかしな形の魚しかとれない」
「おれもあんな魚ははじめて見る。長老がたも知りはすまい」
「乗り手が海に落ちたら最後、群がって鮫みたいに食ってしまうらしいぞ」
「じゃあアハツさんの船がまだ帰ってこないのは」
「縁起でもないことを言うなよ」
「案外ハザーリャ神の館に招かれて上手い飯を振舞われているかもしれないぞ」
「縁起でもないことを言うなよ」
このままでは埒が明かないということで週末にウムース村長の家に集まることになりました。

そして週末。村長の家は男達でいっぱいでした。かれらはみな一家を抱える家主であり、
悪魔を倒し、海を元に戻す方法があるなら、と期待に目を輝かせてみました。
「よく聞いてくれ。この事態を打開する方法は……まだ見つかってない。
戦士を雇おうと街に行って見たが、岸のあちこち、陸のあちこちでおかしな
ことが起こっているとかで、人手が足りんそうなのだ」村長の言葉に
空気が凍りつきました。このままでは収入を得ることもできず枯れ死んでしまいます。
「その代わり、魔剣を買ってきた」
村長は麻袋から赤い刀身の剣を取り出し、おもむろに野外に出ると一振りしました。
刃で薙いだあたりに電光が走りました。かなり値の貼る買い物のようです。
「……これは苦しい判断だ。この剣を誰かに持たせ、船に悪魔のもとに向かい、倒してもらうという計画だ。
途方も無い話だと重々承知している。しかしこれしか方法は無い」
ここで村長は言葉を切りました。男達の反応を見ることにしたのです。
「ウムースも思い切ったことをしたもんだ」
「待っていても萎んで、どのみち終わりだ……」
「変な魚釣ってもアレは不味くて売れやしない」
「忌々しい悪魔に一泡吹かせるのに賭けても悪くない」
「そもそもどうしてこうなったんだろう」
「今更魔剣を納屋で腐らせるのもなあ」
「剣を持ったことのある奴も、ましてや誰も訓練受けてないだろ」
「そもそも賭けなきゃどうにもならない状況になってんだろ」
ここで「何だと!」と声があがりました。感情がぴりぴりするのも仕方が無いことですが迷惑です。
村長は無言で合図を送ると取っ組み合いかけていた二人に屈強な男達の腕が集まり押さえ込みました。
「悪いな。これから大切な選抜をやらなくちゃいけない。その方法は喧嘩ではない。
あえて希望者は募らない。村の男全員で腕相撲をし、村の運命を預ける相手を決める。
期日は明日。そこの二人は一晩で頭を冷やしておくように」

336海から生まれたシャーフリートの話(2):2009/11/27(金) 17:05:57
翌朝、二人は十字路でばったり会いました。でも頭は冷えていたので取っ組み合いにはなりませんでした。
「昨日は悪かったな。ラプド。殴りかかったりして」
「お前の親父さんは大変なことになってるってのに、どうかしてたのはこっちのほうだ。オシュー」
二人はいっしょに村長の家に向かいました。
「二人とも、落ち着いているようだな。何よりだ。わしもお前らには期待している。」
「村長さん、ひとつ質問があるんだが……腕相撲大会で勝った奴に悪魔を殺しにいかせるのはいいとして
悪魔の居所の見当なんてついているのか?」
「わしらが街で手に入れてきたのは魔剣だけではないぞ。情報もだ。大陸のあちこちで
悪魔が現れているらしくて、街中では出没情報やら目撃談が飛び交っているんだ。
他の村からもうちのような境遇の連中が来ていて、そいつらと情報を付きあわせて割り出したのだ。」
「それ、本当に頼りになるのか?オシューも何か言ってくれ。俺はなんだか不安になってきた」
「俺も不安だが、ここはもう信じるしかない。どだい、腕っ節の良いだけの素人に魔剣持たせるのだって無茶な話なんだ」
「耳が痛いな……だがわしの魔剣選びは、自分で言うのも何だが的確だ。それについては選抜の後でみなに伝える予定だ。」
ウムース村長は準備のために家の中に入りました。二人が野外で待っていると村中の男たちが集まってきました。
女たちや子供たち、力仕事のできない老人たちも一緒です。
彼らが固唾を飲んで待っていると、村長の家の扉が開きました。でもウムースの姿は見えません。
「おーい!どうしたんだ村長さん。早く出てきなよ!大事な話なんだろ!」

「出てくるとも!」その瞬間、集まった村民は目を見開きました。何も無いところから白い布が捲りあがり、
そこに村長の姿が現れたのです。「どうだ!吃驚しただろう!村の運命を一つ明るくする、魔法の外套だ!」
おお、と観衆から声がもれます。
「魔法ってのは、凄いな!」とラプドもわくわくした様子です。「あれは一回着てみたい!」
興奮が止まぬうちに村長は続けます。「これから選抜腕相撲大会を開始する!
優勝者には魔剣と外套を託し、悪魔殺しに向かってもらうことになる。
その先には多くの苦難が待ち構えているだろう。しかし、もし我々の夢を叶えたなら
ロエデウィヤ族の歴史に名を残す英雄としていき続けることができるだろう!

……と、これは未婚者限定ではあるが、わしはそんな勇者に義理の息子になってもらいたいと思っている!
悪魔殺しの勇者には、わが娘との結婚を許可させて頂く!さぁ、シェデレル出てくるんだ」
村長の美しい娘がゆっくりと家の中から出てきました。男達の脳天から何かが吹き出てくるのが見えるようでした。
「うひょーっ!うほーっ!これは手を抜いてなんていられねぇなあ……見ろよ、みんな目つきが違ってる。
悪いがオシュー、対戦でぶつかったら全力で潰させてもらうからな……」
ラプドはすっかりシェデレルの姿に見惚れています。
「目がすっかりトロけているな」そういうオシューも顔面がゆるむのを抑えられませんでした。

337言理の妖精語りて曰く、:2015/08/30(日) 23:43:27
むかしむかし、全ての雪がまだ心臓のようにふるえ、時間もまだ今のように人を惑わしてはいなかった頃、
トープテンナは、地獄には愛が満ちているという信仰を抱き、悪行の限りを尽くし、地獄に落ちました。
そこでトープテンナは求めるものに出会いました。地獄には愛と詩と音楽が満ちていました。
しかし生き物は、それらに耐えられるようにはできていませんでした。
そこでトープテンナは生き物を変えて、愛と詩と音楽に耐えられるような存在にしようと思いました。
トープテンナは地獄の主と呼ばれ恐れられました。
トープテンナの新しい生き物たちは次々と地獄から地上に這い出しました。
それ以来、地上では雨が降り止まなくなりました。
草ももう昔とは違い、緑色の舟のようには輝かなくなりました。
雪はひっそりと鼓動を止め、ただのきらきらしたかたまりになってしまいました。
それはどうしてなのか誰にもわかりませんでした。
殺してください、殺してくださいと懇願する小さな蠅たちが現れるようになりました。
愛と詩と音楽に耐えられるような生き物は、きっと地上に現れてはいけなかったのだろう、
とトープテンナは考えました。このとき、はじめてトープテンナは後悔しました。
トープテンナは、いまも後悔しています。

338リディ日記(1/6):2017/03/21(火) 01:55:47
今日から日記をかくことにしました。
ジュヒーフィン先生からのめいれいです。
ノローアーのもじのれんしゅうのためだそうです。
ことばなんて口を使えばいいのにノローアーはふべんだなぁと思いました。
とりあえず今日のことをかきます。
おきてごはんを食べてジュヒーフィン先生のところにいきました。
ジュヒーフィン先生のところに行くとしどうがはじまります。
いろんなしゅぞくといっしょにいても大じょうぶなようにれいぎがいるんだそうです。
でもつまんないので近くにいたおやつを食べていたらジュヒーフィン先生に目とかつめとかをグリグリされました。
すごい痛かったです。
次からは気をつけようと思いました。
かえりに近くのうねうねをちぎって食べました。おいしかったです。
もってきたおやつを食べながらねました。

339リディ日記(2/6):2017/03/21(火) 01:57:03
日記は天気をかかないとだめだそうです。
あとすごい痛かったです。ではなくすごく痛かったです。じゃないとだめだそうです。
ノローアーごはむずかしい。
あと気温ってどうすればいいのかよくわからないです。天気はミィスがかってたのでミィスです。
今日もジュヒーフィン先生のところにいきました。
今日はいつもみたいなれいぎじゃなくてまじゅつをおしえてもらいました。
まじゅつは二種るいあるらしいです。
でもまじゅつは二種るいが何種るいもあって分かりませんでした。
まじゅつって何の役に立つのかよくわからないのでつまらないです。
あとうねうねはかじっちゃだめだそうです。
しかたがないのでかえるときはそのへんにいたおやつでがまんしました。

340リディ日記(3/6):2017/03/21(火) 01:58:31
ジャシィテュヒリードゥの日。気温-196℃。

気温はヌシオさんに聞けば教えてくれるそうです。ヌシオさんはいると思えばそこにいるのでべんりだと思いました。
今日はジャシィテュヒリードゥが勝っていたのでジャシィテュヒリードゥの日です。
近くにいた朝ごはんを食べて今日もジュヒーフィン先生のところに行きました。
そうしたら今日はいつもいるはずのおやつがいませんでした。
ジュヒーフィン先生に何でおやつがいないのか聞くとお前が全員倒したからだと言われました。
わたしはジュヒーフィン先生の指どうのときにもうおやつが食べられないと分かってすごく悲しくなりました。
わたしが悲しくてないているとジュヒーフィン先生から顔をグリグリされました。
すごく痛かったです。
それからしかいをなくしたときのたいしょほうを教えてもらいました。
目が見えなくなったから今日は休みになると思ったのにすごくがっかりしました。
指どうがおわってからかえりにまたヌシオさんに会いました。
教わったとおりにあいさつをしたらスィートポニーをくれました。
すごくおいしかったです。

341リディ日記(4/6):2017/03/21(火) 01:59:55
ミィスの日。気温1203℃。

ジュヒーフィン先生からお前の日記はすごくを使いすぎだと言われました。
次からは気をつけようと思いました。
今日もジュヒーフィン先生のところに行きました。
そうしたらいつもみたいな指どうではなくちがう所につれていかれました。
そこにはすごく大きいやつがいました。
黄色のしるを出している体がぼこぼこしたやつでした。
なんだか長い名前を言われたのでわたしもリディラヴィヤガソルディルと言ってはんげきしました。
名前の長さは負けないです。
でも相手のやつの名前は覚えられませんでした。
わたしが困っているとジェフとよんでくれとでかいやつが言いました。
でもジュヒーフィン先生はジェフさまとおよびしろと言っていました。
あとでグリグリされるのはいやなのでわたしはジェフさまとおよびしました。
あいさつがおわるとジュヒーフィン先生はわたしをここにつれてきた理由を言いました。
なんと敵と戦えと言うのです。
わたしはびっくりしました。
だってわたしは今まで一回も戦いなんてしたことはありません。
なのでそんなことは無理だと言いました。
そうしたらジュヒーフィン先生はこっちをにらみつけてきました。
こわいです。
なのでしかたなく戦うことにしました。

342リディ日記(5/6):2017/03/21(火) 02:00:59
戦う所は広くて丸いところでした。
ジュヒーフィン先生につれられて戦う場所に行くときにやっぱり無理だとジュヒーフィン先生に言いました。
そうしたら今まで通りにやるだけでいいと言われました。
そんなこと言われても困ります。
今までやったことなんてジュヒーフィン先生のつまらない話を聞きながらおやつを食べていただけです。
こんなことになるならまじめにジュヒーフィン先生の指どうを受けていればよかったと後かいしました。
わたしを戦いの場所までつれてくるとジュヒーフィン先生はどこかに行ってしまいました。
はくじょうだと思いました。
敵がやって来るまでの間わたしは生まれて初めてきんちょうしました。
どうやって戦えばいいのかなんて分かりません。
わたしはジュヒーフィン先生みたいにすごく数のするどいトゲトゲは持っていないのです。
どうすればいいのか分からないのでますますきんちょうしました。
そしてしばらく時間がたつとなぜかごはんが出てきました。
きんちょうをごまかすためにわたしはそのごはんを食べました。
それなりにおいしいごはんだったのでふつうならもっと味わってから食べたかったのですがきんちょうしていたのですぐに飲みこんでしまいました。

343リディ日記(6/6)完:2017/03/21(火) 02:02:04
いつ敵がやって来るのかどきどきしていると急にジュヒーフィン先生がもういいと言ってきました。
何がもういいのかちょっと分からないです。
なのでわたしはいつ敵が来るのか教えてほしいとジュヒーフィン先生に聞くとジュヒーフィン先生はめずらしくきげんが良さそうにジェフさまに笑顔をむけていました。
ジュヒーフィン先生の笑顔は気持ちが悪いなぁとわたしは思いました。
ジェフさまとジュヒーフィン先生が何かを話してからジュヒーフィン先生はわたしに帰るぞと言ってきました。
わたしは何を言っているんだろうと思いました。
でもちょっと考えたらようやくどういうことなのか分かりました。
今日の出来事はジュヒーフィンのじょうだんだったのです。
そもそもわたしみたいな子どもに戦いなんてさせるわけがありません。
今日はふだんがんばっているわたしにごはんをごちそうするためのジュヒーフィン先生なりの思いやりだったのです。
わたしはそれを真に受けてしまってごはんを急いで食べてしまいました。
すごくもったいないことをしたなぁと思いました。
なので次にごはんを食べさせてもらうときはもっと味わってから食べようと思いました。
帰った後はそのへんにいたおやつを食べながら寝ました。

 ―クリアエンドの七体の一体。『厄闇姫』『喰変貴種』『災魔の合挽』リディラヴィヤガソルディルの研究資料より


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