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民明書房〜FF編

1 ( ・ ω ・ ) </b><font color=#FF0000>(VhaLdA5Y)</font><b>:2004/03/14(日) 09:34 ID:XZINyPx6
おまいらがしってる民明書房を語れ。
参考文献
http://www.is.osaka-kyoiku.ac.jp/~a9608m/minmei.html
http://yokohama.cool.ne.jp/nikutaijin/minmei.html
http://www1.mahoroba.ne.jp/~kemorin/minmei/minmei.html
http://www.geocities.co.jp/Playtown/9445/o1.html

193(・ω・):2004/05/18(火) 21:37 ID:Lpnpv41o
>>190
ボーパルブレード と グラウンドストライク あたりを頼む

194(・ω・):2004/05/19(水) 09:01 ID:LSLFc/IA
餡低価(あんてぃか)

現在は流砂洞と呼ばれている場所はガルカの都だった
そこに「アンティカ」と呼ばれる獣人が攻めてきた
と言うのがヴァナの正史である
しかし実際は改竄隠蔽されているのである

あの場所はガルカの和菓子職人街でたくさんの職人が住んでいた
しかし突然異形の獣人が大量の安価な餡子を売り始めた
餡の値段は暴落ガルカの和菓子職人は生活できなくなりバストゥークに逃げ込んだ
逃げるときに「餡低価!餡低価」と叫んでいたことから
この獣人の名前が「餡低価」=「アンティカ」になったのは有名な話である


民明書房刊 『ボブとマイクにも判るヴァナの闇歴史』 より一部抜粋

195(・ω・):2004/05/19(水) 10:24 ID:eqOQrVRE
>>192
3つと言っておいて、2つしか選択肢がないのはこの板の仕様ですか?

196(・ω・):2004/05/19(水) 13:01 ID:Tm0GWHb2
>195
本当は3番目に「カンカン娘」の語源は〜言うまでも無いを作ったけど
面白くなったので没にした跡だと思ってくれぃ。

【防破流武礼道】(ボーパルブレード)

武道の研鑚において他の追随を許さない中国は古来より
攻撃における防御の崩しを追い求める流派が数多く存在した。
中でも有名な流派は「防破流」とされており、目では追えないほどの
連撃により、相手の防御を切り崩すと言うものであった。

一派の鍛錬施設においては己の剣戟の速度を見せ合う事により
切磋琢磨させる風習として相手の目の前で剣を3回振り下し、
その速度を見せ合うというものが発生し、次第にお互いの挨拶として
根付いていった。
これが後の世に言う「防破流武礼道(ぼーぱるぶれーど)」である。
単なる儀礼の技と思われがちなこの技は防破流の基本が凝縮されており、
防破流の達人の防破流武礼道は一閃にして対象を三倍の破壊力で
粉砕したという文献が残っている。

ちなみに闘魂で有名なアントニオ猪木の「ボンバイエ」と「1,2,3 ダー」は
この防破流武礼道の名称と入門徒の練習に用いられた掛け声に
そのルーツがある事は言うまでも無い。

民明書房刊 『数字から学ぶ歴史学』 より一部抜粋

197(・ω・):2004/05/20(木) 12:05 ID:h72pZZqU
【愚乱雲童巣虎育】(ぐらうんど・すとらいく)

いつの時代にも手の付けられない子供は存在した。中国もその例に漏れず
隋の時代末期、西安(現在の長安)では、裕福な家庭に育った子供が
街中で我が物顔で悪行を行っていた。町人は彼等を「愚乱雲童(ぐらうんどう)」と
呼び忌みつつも手が出せないもどかしさに辟易していた。

その対策として隋の役人は西方はインドより「グ・ンバ」という僧を招き、
その知恵を授かった。グ・ンバは町に下りると、愚乱雲童たちの間に
このような噂を立てた。
「人を殴る時、より後に殴ったほうが優雅で徳が溜まる」と。

町人は、なんて事を言うのだ!とグ・ンバを批難したが、効果はすぐに現れた。
愚乱雲童たちはより後に殴ろうと躍起になり、最初に殴りかかる事を
躊躇する人が出始めたのだ。さらに追い討ちをかけるようにグ・ンバは言った。
「郊外に巣くう最も大きな虎を退治した者には
 マハラジャ(インドの藩王)の位を授ける」と。

愚乱雲童たちは色めき立ち一斉に郊外の虎と戦闘を開始し、
幾多もの死者を出し、愚乱雲童の数は減少の一途を辿ったばかりか、
愚乱雲童なんてやってられないと更生する者が出てきた。
隋の役人はその効果に感嘆し、
グ・ンバに「愚乱雲童巣虎育(ぐらうんどすとらいく)」の名誉を授け、
以後、悪童の更生に貢献した者にも同様の位を与えていった。
中には授賞式で喜びのあまり7尺の高さにまで跳躍した者も居たという。

なお、体育教師が指示に従わない者に対して行う体罰「グランド1周!」は、
「愚乱雲童一蹴!」がその語源である事は言うまでも無い。

民明書房刊 『レミングスの駆除にかけた農民』 より一部抜粋

198(・ω・):2004/05/20(木) 23:13 ID:FX0Sy5IQ
>>196-197
GJ! (・ω・)b

199(・ω・):2004/05/27(木) 11:01 ID:rTslrpX6
age

200(・ω・):2004/05/28(金) 02:50 ID:FY0y50DQ
ボーパルブレードって4回攻撃じゃなかったっけ?

201(・ω・):2004/05/28(金) 13:57 ID:rBT3C6HQ
>127 >197 両方グラウンドストライクを扱ってるけど
両方とも長安が舞台なのがワロタ。

202(・ω・):2004/05/28(金) 16:06 ID:QsOW3t8I
作法我がとても好きだ

203(・ω・):2004/05/28(金) 17:06 ID:BClUcXrI
>>200
そうだね。
3回攻撃はスウィフトブレード。

204(・ω・):2004/05/31(月) 19:31 ID:e46stM5g
保守上げ

205(・ω・):2004/06/12(土) 03:07 ID:AdxGHO7w
保守上げ

206(・ω・):2004/06/12(土) 19:48 ID:YVY4rIak
良スレのヤカン。

207(・ω・):2004/06/18(金) 22:47 ID:63H7yMQU
ほっしゅ

208(・ω・):2004/06/24(木) 08:35 ID:4ZAYL0jc
長いけど投稿してみる。つまらなくても石投げないで('A`)

----------
久里尼印度(くりあまいんど)

 三蔵法師・玄奘の生きた、唐の太宗皇帝時代のとある歴史書は、異聞として若かりし日の
玄奘が大変な放蕩者であり、天竺(印度)には行ったが、唐には戻らなかったと伝えている。

 修行僧の玄奘は、法力が尽きても座禅を組まず、自ら仕込んだ夜具酒を鯨飲し、女の尻を
追い掛け回すのを日課としていた。そのくせ、法力は寺の高僧をもしのぐほどであったという。
 対応に苦慮した僧たちは一計を案じ、「天竺の麗しき姫君が高僧を婿に探している」という
うわさを広めた。考えれば拙い嘘だが、真偽を確かめる術のない当時、姫君に目が眩んだ
玄奘は修行に出ると告げ、早々に寺を去ったのである。

 当時の唐は、隋が滅んでから日も浅く、野盗賊や追いはぎが蔓延っていた。玄奘も例外
ではなく、最初のうちこそ派手な法力で野盗を追い払っていたが、幾度とない戦いで夜具酒も
底をつき、精根尽き果ててしまった。一歩も動けなくなった玄奘は、死を覚悟して初めて身を
正し、座禅を組んで仏に祈ったのである。
 起こるべくして起きた奇跡だが、玄奘の法力はすっかり回復し、仏への信心を日に日に高めた
という。仕舞ったままだった経典もすべて読破し、立派な僧として成長を遂げていった。

 そんな玄奘が天竺についたとき、二度目の奇跡が起こった。なんと、天竺には本当に麗しき
姫君がおり、信心深い高僧を婿にと探していたのである。すでに当初の目的など忘れていた
玄奘だが、唐から来た立派な僧の話が広まるや、姫君の方が捨て置かず、玄奘を見初めて
国を挙げての婚礼の儀となったという。
 ふたりは、世の人が「永」遠に「栄」え「富」めることを願い、仏舎利で清めた白装束を一生
身に纏って過ごしたという。ちなみに、「おしゃれさん」とは、ふたりの装束を「お舎利さん」と
民衆が褒め称えた故事に由来することは言うまでもない。

 その後、印度までの久里の道のりをものともせずに結ばれた愛の話は、若干美化されて
唐にも伝わり、座禅こそ僧侶の基本として、「久里尼印度」の名で語り継がれることになった。

 なお、己の「永・栄・富」のみを求める還暦女丈夫を、一般に「趣味が高じた廃人」と蔑むが、
本来は「仏典世界の中心である須弥山が、どれだけ高かろうとも這いつくばって進む人」を
褒める言葉である。正しき言葉が正しく伝わらないところが、廃人の廃人たる所以なのであろう。

                            (民明書房刊 『艶姿阿弥陀娘』より一部抜粋)

209(・ω・):2004/06/25(金) 09:49 ID:qCZgzeTk
>208
キタ━━━(・∀・)━━━!!

さりげなく有名人を絡めたり、無駄にスケールのでかい話な所が
民明っぽくてイイヨーイイヨー

210(・ω・):2004/06/26(土) 11:11 ID:JbUHNZwA
保守&もうすぐ落ちるスレからピックアップ。

60超えでイレース持ってない白ってアフォですか?
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/game/6493/1086071335/217

217 名前: (・ω・) 投稿日: 2004/06/17(木) 18:30 [ wNQBYNZw ]

>>214
正直、ループでもしないとイレースだけで会話ってのもね・・・
前「ファランクス」ってスレが立って、何事も無く消えたのに
このスレは意外と伸びるね。

胃励酢(いれーす)

古代中国は周の時代、周王の長き世を守る為、
医食同源を極めんと日夜切磋する宮廷厨師達の間で
あらゆる体の不調を治す為には、あらゆる料理を食する必要があり、
その為にはあらゆる料理を胃に溜めても胃を壊さない
理想の霊薬の開発が行われた。
その霊薬は北方(モンゴル)の羊の母乳を発酵したもので、
名を「胃励酢(いれーす)」という。飲めばたちどころに胃に活力が戻り、
いかなる食薬をも胃に流し込めるようになるという。
この霊薬、北方から取り寄せる為、非常に高値で取引され、
一部の裕福な人しか飲めず、庶民の不満は募る一方で
役人の胃はかなり荒れていたという文献が残っている。

現代社会において胃薬のキャッチフレーズである
「胃でスーッと効く」という語句は、「胃励酢」が語源である事は
いうまでも無い。

民明書房刊 『新白魔法はガスター(II〜X)』 より一部抜粋

211(・ω・):2004/07/15(木) 03:54 ID:JbgH9FO6
保守age&自分じゃうまく書けんのでネタ投下

ホーバージョンorホーバーク
マネキン

あと知名なんかもキボン

212(・ω・):2004/07/15(木) 19:07 ID:X3kScvSU
真似緊(まねきん)

時は江戸、当時の武士の修行法に、一風変わった物があった。
真似緊(まねきん)と呼ばれるその修行法は、座禅よりヒントを得た物で、
達人の型を習い習得すべく、同じ構えの姿勢を取ったまま一昼夜を過ごすという過酷な物であった。
修行者はその間、微動だにせず、食事も水も絶った。

江戸中期になると、長らく続いた平和によって武士の生活も赤貧を極めることが多くなり、
呉服屋等へ出向き、この修行をしながらその店の服を着て店の前に一日立って報酬を貰う、という武士も目立つようになっていた。

このエピソードは、当時鎖国中の日本で貿易を続けていた元(中国)へと伝わり、マルコ・ポーロの耳に入り、
彼の残した「東方見聞録」の当時の文献には、「黄金の国・ジパング」の名と共にこのエピソードが刻まれていたという。

お金の事を表す「money(マネー)」という言葉が、実はこの真似緊から来ているという説に関しては未だ物議を醸し出しているが、
模倣するという意味で、「真似」という一風変わった読みの言葉を当てているのは、この真似緊が元になっていると言うことは言うまでもない。

213(・ω・):2004/07/15(木) 19:11 ID:X3kScvSU
後に、これを元に、人間そっくりの人形を作成して服の展示をする「マネキン」が生み出され、現在に伝えられている。

        民明書房刊「人形たちのルーツを辿る」より抜粋

214(・ω・):2004/07/15(木) 19:51 ID:X3kScvSU
ホーバージョン、ホーバーク

中国は宋の時代、法馬序(ほうばじょ)と、法馬駒(ほうばく)という武芸に秀でた兄弟が居た。
二人はけして仲のいい兄弟ではなかった、
北方の異民族である遼との戦いで争って戦果を上げ、着々と階級を上げて行き、いつしかお互い軍を任せられる立場にまでなっていた。

ここで、弟である法馬序は、兄の軍に差を付けてやろうと思い、自分の軍の為に専用の鎧を開発させた。
攻撃のしやすさに重点をおいて開発されたその鎧は、法馬序の軍を大幅に強化し、戦果の差も明らかになっていた。
弟に先んじられて面白くない思いをしていた兄の法馬駒は、法馬序の軍の鎧を徹底的に研究させ、それをさらに強化した鎧を開発し、自分の軍に着せた。
しかし、比較的経験の浅い兵にも扱えるように開発された法馬序の鎧に比べ、法馬駒の鎧は、性能を求めすぎて、より熟練した兵にしか扱えない物となってしまっていた。

ここから、二人の悲劇は始まる。
鎧の開発に多大な資金を投入してしまった二人は、次の戦で兵糧の確保を満足に行うことが出来ず、
兵士達は空腹でまともに動けず、敵軍の攻撃をまともに避けることが出来ずにバタバタとやられ、ついには全滅してしまった。
このとき、ある兵士が発した「腹が減っては戦が出来ぬ」という言葉は有名すぎてもはや語るには及ばない。

この2人の軍が着ていた鎧は、戦場から盗賊が剥いで持ち帰り、市場に流された。
それがいつしか西洋に渡り、二人の名前を取って「ホーバージョン」「ホーバーク」と呼ばれ、その性能と希少価値から現在高値で取引されている。

また、同じ物の型違いという意味を表す「バージョン」という言葉は、法馬序の下の名前が語源になっている事は余りにも有名である。

        民明書房刊「中国武具大全」より抜粋

215211:2004/07/16(金) 00:06 ID:NFk3JZIM
>>212-214
サンクス!

自分にツッコミ
×知名
○地名
あおおおーーっ(AAry

216(・ω・):2004/07/16(金) 01:30 ID:qNoOX86I
その昔、百済の国で名を轟かせた拳法家の1人である峰鼓(ぽうこ)は
敬謙な仏教徒でもあった。
ある歌人が「貴殿の強さの秘訣は?」とたずねたところ
峰鼓はこう答えたとされている。
「日々体を鍛え、印を結び座禅をしただけです」
歌人は峰鼓の謙虚な姿勢と人柄に心酔し
次のような歌を詠んだ。
「峰鼓鍛印下雄」
(訳:峰鼓のように体を鍛え印を結び禅を組むことで真の雄々しさを得る)
この歌はその後、真の強さを目指す拳法家たちに教訓として広まった。
現在の日本でも強さを目指す男たちの間で
「ぽこたんいんしたお」
と合言葉になっているのはあまりにも有名な話である。

民明書房刊 「詠むだけで強くなれる名歌最新版」より抜粋

217(・ω・):2004/07/16(金) 02:07 ID:7c/U50oQ
age

218(・ω・):2004/07/16(金) 04:09 ID:0XA1q8S.
ぽこたんハゲワラw

219(・ω・):2004/07/16(金) 05:40 ID:2Z9Lzly.
>216

引用したものは引用って書こうよ……。

220(・ω・):2004/07/16(金) 20:40 ID:xRArgLkU
派我阿(パワー)

ガルカ共通の雄叫び「パワー」
とある白/戦ガルカが発祥、という話は有名だが、
本来の発祥は古代中国であるという事は、あまり知られていない。

古来より雄叫びは、己の内に秘める力を最大限に発揮したい時に使用されていた。
古代中国の武闘家・我阿は、大切な一戦の際に雄叫びを使用し、
全ての戦いに勝利してきたという。
中でも圧巻なのは、馬侘吏亜で行われた
宿敵・荏備との戦いの際に使用された雄叫びである。
その声は馬侘吏亜はおろか、中国全土に広がるほどだと言われている。
後に我阿が興した流派が我阿派と呼ばれており、これが派我阿の語源になったという説がある。

優秀な人間の行動を模すという行為は、現代日本にも意外な形で受け継がれている。
ガッツ石松の行動を模した「ガッツポーズ」は、あまりにも有名。

民明書房刊「魂の叫び」より抜粋

221(・ω・):2004/08/12(木) 07:17 ID:mBgNNwkw
有波桶ww (うはおけ)

今回の「家宝探訪」では、かの有名な武芸の名門内藤家に古来より伝わる家宝
「有波桶ww」を紹介しよう。

この一見ふるぼけた桶の由来を語るには、初代内藤左保の軌跡を紹介せねばな
るまい。

当時の合戦では鎖鎧を装備するのが普通であったが、貧乏武家に生まれた左保
は、いつまでも皮鎧かもしくはそれに簡素な鱗板を下げただけの鱗鎧を使わざ
るをえなかった。そればかりか、防御の要ともいえる盾すら装備できなかった
のだ。当然のことながら片手持ちできる流麗で軽い刀など持てるはずもなく、
見栄を張って実用に耐えないほど巨大な剣を背負っていたという。

コンプレックスを抱いた左保は、単身中国に渡り数々の武芸を研究する。帰国
した左保は、ある修練方法を考案した。桶に水を張り、運ぶ、回す、持ち上げ
るなどの動作を、水面に波を立てずに行うのだ。波が立ってしまった場合は
「有波桶ww」と大声で叫ばねばならない。特別な道具も必要なく、適度な羞恥
心さえあれば誰でも上達できるというまさに画期的で驚くべき修行法である。

なお、酔拳と剣技を巧みに組み合わせて編みだされた奥儀「波割棲乱酒(ぱわ
すらしゅ)」の華麗さと破壊力は抜群で、桶に張った水を割るほどであるとい
う。しかし、この技は泥酔状態でしか繰り出せないため命中率が低く、伝説の
憑技と呼ばれているのはあまりにも有名な話である。

近年では、噴螺酒(ふらっしゅ)(>>106)を使うため泥酔しなくなり、滅多に見
ることはない。「有波桶ww」と大声を出すのに抵抗感どころか快感を覚える若
者も増えたらしく、当主は技術の低下を嘆いている。

取材後記:

取材に協力して頂いた三十二代内藤左保氏は、燐くような白い歯でいつも笑顔
を絶やさない素敵な方でした。取材中もときおり道場方面から聞こえる「有波
桶ww」「有波桶ww」が印象に残っています。

民明書房刊「週刊 ワールド=トレジャリー 2003年13号」より抜粋

222(・ω・):2004/08/28(土) 12:18 ID:wzOsBf5w
FFとは直接関係ないが、民明書房刊の本が9月頭に発売されるらしい
ということで期待age

223(・ω・):2004/09/03(金) 13:40 ID:TqSLdWc2
民明書房大全発売記念age
ttp://www.s-manga.net/comics/cm_20040903_sj_jcd_408859469X_minmeishoboutaizen.html

224(・ω・):2004/09/04(土) 14:17 ID:owhj0tSw
サチコメ・バザコメスレで見かけたのワラタので転載

256 名前: (・ω・) 投稿日: 2004/08/26(木) 13:06 [ BtK0qw6o ]

こないだ暇つぶしにサチコ漁りしてたときに見つけたサチコ。

婚募【コンボ】: 世界最強の格闘家と
名高いガルカが編み出した、求婚の舞。
      民明書房刊『岩』より

225(・ω・):2004/09/10(金) 14:55 ID:HCgKiSWs
>>224
ヤバイフイタ

226(・ω・):2004/09/13(月) 13:30 ID:4gqF66wI
痛流派師(つるはし)

その昔いまだ鉱山が開拓されていなかったころ、猛獣、魑魅魍魎が山師を脅かし負傷者は続出していた。
されども刀、槍などが手元にあるわけもなく、山師たちは日ごろ自らが振るい続けている採掘道具によってのみその身を守ってきた。
その護身技術は親方から弟子へ、山師から山師へと受け継がれ、洗練し、ついにはあらゆる魔物とも対等に戦える高みまで上り詰めた。
その道で有名となったのは道具を鋳造する具師(ぐし)の玄(げん)という男であり、自ら鋳造した採掘用の特殊な形状の斧をもって、上奔(うぇほん)と呼ばれる魔物を一昼夜に及ぶ死闘によって滅殺したという。
残念ながら玄は鉱山の事故によりその命を落とすこととなったが、彼の最後の仕事場であった鉱山を、彼の勇士を残すため具師、玄と呼び、彼の鋳造した形状の斧を、痛みを与える流派の意の痛流派師(つるはし)と名づけた。
現在も玄を初めとする勇名は猛獣、魔物に知れ渡っているようで、つるはしを担いだ男の姿を見ると恐れをなして遠巻きに見るのみだ。

余談ではあるが、彼のライバルであり、戦友でもあった男の開発した斧を魔挫狩(まさかり)と呼ぶのも同様の故事を持つ。

民明書房発行「奥様必見!今月の家庭器具100選」より抜粋

227(・ω・):2004/09/17(金) 14:53 ID:4zF/Yc62
>>226

GJ

228(・ω・):2004/09/29(水) 12:26 ID:hf63F6BA
「これより、武炉魔死亜密死怨を執り行う!」

「武炉魔死亜密死怨?なんじゃぁ、そりゃぁ。」
「なんだかまた悪い予感がするのぅ」

武炉魔死亜密死怨(ぷろましあみっしょん)

武炉魔死亜密死怨とは、6人12人18人と志を同じくする者同士が組をくみ、武炉魅盆(プロミヴォン)と呼ばれる大岩をくりぬいて作られた迷宮を踏破するものである!
途中、鵜津炉(うつろ)という独自進化を遂げた怪生物が行く手を阻む。
また、上層へ通じる洞穴には、そこに好んで巣を作る女守霊勢負多来(メモリーレセプタクル)と呼ばれる巨大な蜂の巣と、巣盗霊(ストレイ)と言われる蜂が邪魔をする。
そこは武勇にモノを言わせ、知恵と勇気で突破するもよし、他人にけしかけて漁夫の利を得るのもよし!
頂上までたどり着いたものを待ち受けるは美異死異(びーしー)と呼ばれる巨大な闘技場。
怪生物の長を倒し、見事その証を持ち帰ったものに踏破者の称号を授けよう!

「そうはいっても怪生物だろ?なんか毒とか墨とか吐いてきそうじゃのぅ」
「そうよのう、どうしたもんかのう?」

「なお踏破者には副賞として先着順に、楽園!ルフェーゼ野2泊3日の旅がプレゼントされる。
「なんと!ルフェーゼ野に行けるというのか!」
「知っているのか雷電!」
「うむ。ルフェーゼ野とは(ry」

民明書房刊「男塾生ウルトラクイズ2004 ルフェーゼ野に行きたいか!」より抜粋

229(・ω・):2004/09/30(木) 16:15 ID:bGMjfWNQ
>228 GJ ('▽')b=b

それにしても、田沢と松尾の悪い予感だけは当たりやがる_| ̄|○

230(・ω・):2004/10/08(金) 01:08 ID:qWvsyABA
保守www

231(・ω・):2004/10/08(金) 15:56 ID:rh.jLJJk
Gobrin Ambusherはゴブリンラッシュの構え!

雷電:む!あの構えは!
竜騎:知っているのかRaiden!
雷電:うむ、あれは……

護武凛乱手(ごぶりんらっしゅ)

中国は三国時代、その一国、呉の国に凛という水軍武将がいた。
身の丈は4尺半(140cmほど)背筋も丸く顔ものっぺりとして鬚も薄く、どう見ても武芸者には見えない容姿をしていた。
実際武道場で剣をとって打ち合えば、下っ端の足軽にも遅れを取る始末。

ある日、武術大会が開催された。水軍の盛んな呉のこと、今回は船上での大会と相成った。
そして凛が出場の届けを出すと、集まった屈強な武将たちは何を愚かなと、大なり小なり侮蔑の視線を送っていた。

だが彼は船の上ではいかなる武将にも負けることはなかった。
彼と相対した武将は、嵐の上の木の葉のごとく翻弄される足場でも平然と歩を進め、繰り出す刃を潜り抜けた彼の、独自の無手による乱打を受けて車田正美のごとく激しく吹き飛ばされた。
当然奥行きに幅のある船上のこと、吹き飛ばされた武将は船から投げ出され、水に落ちることとなった。

水に落とされた者は皆、
「俺は負けたわけじゃない、水に落とされただけだ!」
と声高に主張していたが、試合が続行不可能と判断され、凛はついに優勝した。

試合後謁見した凛に、君主が
「なぜ武器も使わず、相手を突き落とすだけなんだ?船上のみとはいえ、懐まで飛び込めるのだから突き落とさずに武器を用いれば勝ち負けもはっきりしただろうに?」
との問いに、
「私は勝ったわけではありません。この凛は自らの身を守れるだけの武芸があればよいのです」
と答えたという。
その後、他国との戦争においても、船上で相手を突き落とす凛の手際をみて
「護武凛乱手おそるべし」
と各国の水軍の将がうわさしたという。

現在でも相手を追い込む連打のことをラッシュというが、これの語源が凛の乱手であることは言うまでもない。

民明書房刊「闘利備亜(トリビア)の泉 第2巻」より抜粋

232(・ω・):2004/10/22(金) 09:23 ID:nkbZI7Cg
保守である!

233(・ω・):2004/10/22(金) 12:00 ID:pRMnRhIo
前、どこかのスレでストークの民明書房なカキコがあったなぁ。
あれ、何処だかわかる人いません?

確か、出典が「僕も帰ろ、クロ巣に帰ろ。でんでんでんぐり返ってバイバイバイ」
みたいな名前だったと記憶してます。

234(・ω・):2004/10/22(金) 13:07 ID:2.PI0oEM
このスレ見て、数ヶ月前に組んだ詩人が

「民明書房 第二拾五巻 魔道士の罵羅亜怒」
「民明書房 第五十壱巻 剣豪之魔怒痢我流」

っていうマクロで歌ってたの思い出した

235(・ω・):2004/10/22(金) 13:20 ID:2.PI0oEM
あと

>雷電:む!あの構えは!
>竜騎:知っているのかRaiden!
>雷電:うむ、あれは……

>護武凛乱手(ごぶりんらっしゅ)

この流れで吹いた

236(・ω・):2004/10/22(金) 15:21 ID:UtSiea9I
('A`)<わしが男塾塾長江田島ヒロシです……。
('A`)<民明書房FF編のまとめページば作りたかとです……。
('A`)<前の雑談板のログ持ってる方探してるとです……。
('A`)<ヒロシです……。

237(・ω・):2004/10/22(金) 18:41 ID:2.PI0oEM
ごめん、スレ読み直したけどさ
民明書房の本の題名ってさ全部平仮名と漢字じゃないの?

そう思うと最後に片仮名で書いてある題名ネタで冷める

ウルトラクイズも「宇瑠寅苦異事(うるとらくいず)」
とかルフェ―ゼも「屡不壊是(るふぇえぜ)」とか。

とおもた

238(・ω・):2004/10/22(金) 18:51 ID:d9.Ai7kM
職人様、けもりんで考えてくれw
シナリオ的には、古代中国、桂蒙林という僧が主人公でこいつは、元は大変慈悲深く
また大の動物愛好家みたいな感じでw最後は破滅っぽい終わりで。
 自分じゃそれらしく書けませんorz

最近専ら獣上げてる70才w

239(・ω・):2004/10/22(金) 18:52 ID:9ZAOfdNA
素可便事(すかべんじ)

遥か昔、コロボックルと共存することを望まなかった魅素裸族は
得瑠霜地方の火座霧近辺で、狩猟によって暮らしていた。
当時の魅素裸族の集落には厠というものが無く、便は穴を掘ってそれに向かって行い、
その後土で埋めるというだけの簡易なものであった。


ある魅素裸の狩りが終わりに差し掛かった際の出来事であった。
矢を使いきった魅素裸が、一匹の魔巣多亜苦有流に狙われていることも知らず
便意を催し穴を掘った。すると穴から腐った矢筒を発見した。
穴を掘った隙を狙い、その刹那、魔巣多亜苦有流が飛び掛ったが
その魅素裸は、穴から見つけた矢筒によって、命の危機を回避した。

後々、この話は教訓として各地の狩人達に伝わり、
常に素可便事を絶やさない狩人が良き狩人とされた。
今でも狩人達が集う素例には、天触令にこの教訓が記されている。

民明書房刊「狩人心得第四巻」より抜粋



初めてなので民明っぽくできなくてすいませぬ。漫喫で男塾読んできます。
あとシモ入ったのと、>>178さん多くの引用すいません。

240(・ω・):2004/10/22(金) 19:56 ID:KecYKCag
>ごめん、スレ読み直したけどさ
>民明書房の本の題名ってさ全部平仮名と漢字じゃないの?
>そう思うと最後に片仮名で書いてある題名ネタで冷める

そんなことないぞ、ちゃんと全館読破してから言え。
カタカナは結構使われている。
人が作ったものを勝手な思い込みで冷めるいうお前さんの態度に俺は冷めるよ。

241(・ω・):2004/10/23(土) 08:59 ID:Fpf72Xe.
>>237
民明書房大全を買って100万回音読して来い

242(・ω・):2004/10/23(土) 13:34 ID:LrIQdT2k
>>234
それ貰った(−−)

243(・ω・):2004/11/09(火) 00:32 ID:gMMUq.F6
保守

244(・ω・):2004/11/09(火) 01:34 ID:AyBEbUMs
卦喪臨(けもりん)

はるか昔、三国時代に歴史に記されぬ仙人がいた、名は禰斗無人(でいとむんと)
禰斗無人は八卦に通じ、その流れをもって
獣や鳥、はては人間までも思うがまま操ることができる仙術を会得していた
そこに目をつけたのが呉の席官である玖曾汰流(クソタル)である
玖曾は禰斗無人に懇願しその仙術の教えを請い、10年の月日をかけ、人を操る術を会得した
術を会得した玖曾は慕無(ぼむ)という下級兵士を操り、呉王である孫権を暗殺しようとした
しかしその試みは失敗に終わる、玖曾の術は完全では無かったのだ
不完全な術で慕無は正気を失い、玖曾に渡された爆薬を玖曾の目の前で爆発させてしまい、玖曾は焼け死ぬ結果に終わる
それを目にした禰斗無人は笑い、こう言ったとされている
卦ナルハ喪ヲモッテ臨ムベシ(人間ごときが八卦の流れにふれようとするならば己が死を覚悟するは当然)
人を呪わば穴二つということだ
卦喪臨とは禰斗無人の残した格言である、歴史に記されぬのは孫権に対する暗殺未遂と配下の裏切りという不名誉からであるが
人々は玖曾の行いを愚かとし、今でも卦喪臨という格言を子に孫に伝えていっているのである


民明書房刊「歴史に記されぬ変人愚人」より抜粋

245(・ω・):2004/11/09(火) 23:40 ID:AyBEbUMs
うはwww要望あったから考えてレスつけたけど反応Neeeeeeeee
このスレ過疎杉w俺恥ずかし杉wwwwwwww

246(・ω・):2004/11/10(水) 04:48 ID:7QFI3Y/E
イ㌔

247(・ω・):2004/11/10(水) 08:56 ID:EEVTuyUQ
>>245
すまん、読んではいたけどレスつけるの忘れてた。
サボリーマンなので・・(書類>報告>書類の連携を食らってました)

遅まきながらGJ。
職人さん乙です。

248(・ω・):2004/11/10(水) 09:40 ID:fZTcZ10g
甲斐薬(かいやく)

これはかつて武田信玄が用いたという秘薬である.
それを生み出したのは武田忍軍の首領,風魔の飛加藤とされている.
永禄九年(1566年)のこと,信玄の治める甲斐でとある疫病が猛威を振るった.
疫病の名は腐穴病(ぶあなびょう)といい,脳が夢を見続ける状態のまま目覚めなくなり
最後には永遠の眠りにつくという恐ろしい病である.
しかし当時,信玄は長野業盛との戦いで西上野へ侵攻し白井城,上野箕輪城を攻めている最中であり
軽々しく撤退するわけにはいかなかった.
そこで風魔の飛加藤は秘伝の秘薬を調合し,ひとつの丸薬を作り出した.
どんなに重度の腐穴病患者であっても瞬く間に目を覚まし現実に戻る,強力な気付け薬である.
疫病は秘薬の効能で瞬く間に駆逐され,長野業盛との戦いに勝利することができた.
人々はこの秘薬を甲斐が生んだ奇跡とし,甲斐薬と呼び大いに祝い喜んだとされている.
なお,腐穴病はこの時ほろんだとされているが,近年再び発症した患者が現れたという噂が流れている.
甲斐薬の偉大な効能を多くの腐穴病患者が求める日がくるのかもしれない.


民明書房刊「世界奇病大全」より抜粋

249(・ω・):2004/11/10(水) 11:21 ID:RzrWZD/M
>>244 >248

【よくやった!】

250(・ω・):2004/11/11(木) 18:09 ID:kyW4Vzgo
今週発売されているスーパージャンプに民明書房の主宰者の物語が載ってるよ

251(・ω・):2004/11/13(土) 07:44 ID:PWKVa.so
「寝戦地」

 時は戦国。この時代に兵の訓練方法として一部で採用されたのが、兵闘である。
 兵闘は、実戦形式の模擬戦であるが、剛勇と知られる武将を、一人が注意を引きつけ、
背後から弓矢などで討ち取ることを、想定している点が特徴的である。

 あるとき、一人の内藤弘道という武将が、引きつけ役を命じられた。通常は、大きな声で敵将を
罵倒し、あるいは雄叫びを上げるなどして、注意をひきつけるものであるが、内藤は生まれつき、
声が小さかった。
 そこで彼は敵将を引きつける為、訓練の相手の眼前でいきなり、寝て見せたのだ。訓練相手は、
訓練であるとわかりながら、その態度に激昂し、彼に向かっていき、この策は大成功と思われた。

 ところが、いざ戦になってみると、目標とする敵将以外の怒りも買ってしまい、内藤は、
あっという間に殺されてしまった。
 もちろん、鎧の下に鎖帷子をさらに着込むなどして、多少の攻撃には耐えるよう備えていたが、
役には立つわけもなかった。

 これを見た味方は、戦の後に兵闘の注意書に一文を付け加えた。
 「寝戦地、是死也」(せんちねる、これしなり)

 なお、この兵闘(へいとう)の有様が、遠く英語のHate(人を嫌う意)の語源となったわけ
ではないことは、賢明なる読者の推察するとおりである。

 曙蓬莱新聞社刊 「布団がふっとんでも」 第三章 死ぬまで寝よう から抜粋

252(・ω・):2004/11/22(月) 12:46 ID:98kNFKdM
久しぶりにネタでも作って見た

蜘蛛は死括留簾辣首の構え
蜘蛛の死括留簾辣首! → 内藤は880のダメージ!

内藤:ぐあぁっ!(ブシュゥゥ!!)
垢魔:あの技は死括留簾辣首!よもや使える者が居るとは。
痛風:知っているのか!赤魔!?
垢魔:聞いた事はある、まさかこの目で見ることがあるとは・・・

┌─[ 死括留簾辣首【しっくる・すらっしゅ】 ]────────────────────────

│古代中国において数多くの暴君が生まれては消えていった、同時に数多の拷問装置も生まれては消えていった。
│唐の末期、混乱を極めた各地の中で、数多くの領主が行った処刑法の一つが『死括留簾辣首』である。
│その名の通り、棘のある簾(すだれ)で罪人を縛り苦痛を与え、首を括り死に至らしめる残虐なものであった。
│その痛みは想像を絶し、もがき苦しむ者も居ればショックで即死するものも居る。

│なお現代において、よくなじむ様を「しっくりくる」と言うが、これは棘の簾を罪人に巻き付ける役人が
│体にピッタリあわせようと試行錯誤した結果上手くいった時に使われた事が起源であることは言うまでも無い。

└─────────[ 民明書房刊 『忍者と蜘蛛の切っても切れる関係』 より一部抜粋 ]

蜘蛛:フハハハ、この変幻自在の足技から逃れる術などない!
蜘蛛:切り刻まれて死体となるがいいわ
臼魔:まずいっ、このままでは内藤が殺されてしまう
痛風:くそっこのまま指を咥えて見てるしかないのか
墨魔:今は、内藤を、俺たちの筆頭(リーダー)を信じるしかない

内藤:確かに良く動く足だ。だが切れなければ意味が無い!
内藤の陰敏肢舞流!
蜘蛛:なっ、俺の死括留簾辣首が効かないっ!!?

┌─[ 印武院肢萎不流【いんびん・しぶる】 ]────────────────────────

│中国武術において、唯一において至極と言われる事は「攻撃を食らわない」点において他ならない
│4000年にも置ける研鑽の結果、二つの流派がその極意を極めたとされる。
│その一つは硬気功により、己の体を極限まで硬くする流派、『印武院』である。
│印武院での奥義、『印武院肢萎不流』は全身を萎縮させ、全てを流さず受け止め、相手の攻撃の全てを
│はじき返したとされている。

│この奥義は激しく気を消耗する為、よほどの達人でも30秒が限度とされている。
│日本の平安末期、この奥義を使用するも、効果時間を把握せずに仁王立ちで死亡した僧も居たといわれている。

└─────────[ 民明書房刊 『防御は最大の攻撃』 より一部抜粋 ]

垢魔:『印武院肢萎不流』・・・この若さで印武院奥義を修めている者が居るとは、恐ろしい男よ。
内藤:簾辣首を使える者が貴様だけとは限らん、食らえ伝説の突き技!覇得我簾辣首!!!
蜘蛛:ぬぐわぁぁぁ!!

蜘蛛の死亡を確認。 勝者、内藤!!

臼魔:やったぜ!!
墨魔:内藤の貫禄勝ちと言ったところだな。
痛風:さすが俺たちの筆頭(リーダー)だぜ!

253(・ω・):2004/11/22(月) 12:50 ID:36JMFUsQ
職人様GJ!

254★テレポツヴォ★:2004/12/22(水) 07:14 ID:5LYJoPwI
|
|ヽ∧ + *
|・ω・)ノ
| :|  i| +
|)) ,i |!i *
"""''"" "''""" ""'""'''
http://yy10.kakiko.com/test/read.cgi/ff11/1079224495/l50
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