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民明書房〜FF編

1 ( ・ ω ・ ) </b><font color=#FF0000>(VhaLdA5Y)</font><b>:2004/03/14(日) 09:34 ID:XZINyPx6
おまいらがしってる民明書房を語れ。
参考文献
http://www.is.osaka-kyoiku.ac.jp/~a9608m/minmei.html
http://yokohama.cool.ne.jp/nikutaijin/minmei.html
http://www1.mahoroba.ne.jp/~kemorin/minmei/minmei.html
http://www.geocities.co.jp/Playtown/9445/o1.html

212(・ω・):2004/07/15(木) 19:07 ID:X3kScvSU
真似緊(まねきん)

時は江戸、当時の武士の修行法に、一風変わった物があった。
真似緊(まねきん)と呼ばれるその修行法は、座禅よりヒントを得た物で、
達人の型を習い習得すべく、同じ構えの姿勢を取ったまま一昼夜を過ごすという過酷な物であった。
修行者はその間、微動だにせず、食事も水も絶った。

江戸中期になると、長らく続いた平和によって武士の生活も赤貧を極めることが多くなり、
呉服屋等へ出向き、この修行をしながらその店の服を着て店の前に一日立って報酬を貰う、という武士も目立つようになっていた。

このエピソードは、当時鎖国中の日本で貿易を続けていた元(中国)へと伝わり、マルコ・ポーロの耳に入り、
彼の残した「東方見聞録」の当時の文献には、「黄金の国・ジパング」の名と共にこのエピソードが刻まれていたという。

お金の事を表す「money(マネー)」という言葉が、実はこの真似緊から来ているという説に関しては未だ物議を醸し出しているが、
模倣するという意味で、「真似」という一風変わった読みの言葉を当てているのは、この真似緊が元になっていると言うことは言うまでもない。

213(・ω・):2004/07/15(木) 19:11 ID:X3kScvSU
後に、これを元に、人間そっくりの人形を作成して服の展示をする「マネキン」が生み出され、現在に伝えられている。

        民明書房刊「人形たちのルーツを辿る」より抜粋

214(・ω・):2004/07/15(木) 19:51 ID:X3kScvSU
ホーバージョン、ホーバーク

中国は宋の時代、法馬序(ほうばじょ)と、法馬駒(ほうばく)という武芸に秀でた兄弟が居た。
二人はけして仲のいい兄弟ではなかった、
北方の異民族である遼との戦いで争って戦果を上げ、着々と階級を上げて行き、いつしかお互い軍を任せられる立場にまでなっていた。

ここで、弟である法馬序は、兄の軍に差を付けてやろうと思い、自分の軍の為に専用の鎧を開発させた。
攻撃のしやすさに重点をおいて開発されたその鎧は、法馬序の軍を大幅に強化し、戦果の差も明らかになっていた。
弟に先んじられて面白くない思いをしていた兄の法馬駒は、法馬序の軍の鎧を徹底的に研究させ、それをさらに強化した鎧を開発し、自分の軍に着せた。
しかし、比較的経験の浅い兵にも扱えるように開発された法馬序の鎧に比べ、法馬駒の鎧は、性能を求めすぎて、より熟練した兵にしか扱えない物となってしまっていた。

ここから、二人の悲劇は始まる。
鎧の開発に多大な資金を投入してしまった二人は、次の戦で兵糧の確保を満足に行うことが出来ず、
兵士達は空腹でまともに動けず、敵軍の攻撃をまともに避けることが出来ずにバタバタとやられ、ついには全滅してしまった。
このとき、ある兵士が発した「腹が減っては戦が出来ぬ」という言葉は有名すぎてもはや語るには及ばない。

この2人の軍が着ていた鎧は、戦場から盗賊が剥いで持ち帰り、市場に流された。
それがいつしか西洋に渡り、二人の名前を取って「ホーバージョン」「ホーバーク」と呼ばれ、その性能と希少価値から現在高値で取引されている。

また、同じ物の型違いという意味を表す「バージョン」という言葉は、法馬序の下の名前が語源になっている事は余りにも有名である。

        民明書房刊「中国武具大全」より抜粋


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