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1    二元論 (1.)    (書き込み数 : 11)

1wisdom-man    :2011/02/15(火) 21:39:15   
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永久さん、こんにちは。      [ 二元論 (1.) ]
 二元論の話の前に予備知識として、幾つか述べたいと思います。

-----  二元説と二元論
  中国には、古代より「陰陽 (おんよう)二元説」の考え方があります。
 ここでの陽(「太陽」)に対しての陰を示唆しているのは「月」。
・好きと嫌い、上と下、右と左、天と地、男と女、有と無、強と弱、大と小、
重と軽、有形と無形.....
......例を挙げればキリがないですが。

 見方を変えれば、「陰陽 (おんよう)二元説」は、「二元論」。
「老子」も二元説を取り上げていますが。
 注目すべきは、「陰陽」は、「代名詞」で使っている点です。# ここの話は後ほど。

----- 論理学と弁証法
 ことばによって、ことばの「矛盾」、つまり「虚偽」であるか否かを立証、
証明する学問となれば、およそ「哲学」の「論理学」に相当すると思います。
 永久さんとのやりとりも、ほぼ「論理学」の
観点で話をすすめているといっていいと思います。

 ただ、「弁証法」は論理学とは、少々異なり、「矛盾」の扱い方が違っています。
「弁証法」は、二元論をただの「対立」とは、捉えずに、二つの矛盾から
「より良いものを引き出す」といったらいいのでしょうか。
 
「古きを温めて新しきを知る」(孔子)のことばは、"古"と"新"を一種の「弁証法」
として捉えたことばと言えるかと思います。

・「老子のことば」もまた、「孔子のことば」にはないものを補うような弁証法的な
側面が見られます。

・お釈迦さんの話は、孔子と老子と論理学 (合理、不合理)も入ったような話で、
初めて読む人にとっては、難解としかいうほかありません。

・"ことばによって、ことばの矛盾を説明する"のは、「かなり複雑」になります。
また、私の説明として「論理学的」な説明で十分かと言えば、多少なりとも
弁証法的な説明も加わるかと思います。
考えを「整理」し、「謎解き」をするつもりでいただけたらと思います。

 ことばの表現の難しさは、「かなり複雑になる」ということを踏まえて
いただきたく思います。
そのこと踏まえて説明していきたいと思います。
  以上   それでは。
2 とは(管理人)    :2011/02/15(火) 21:40:01   
wisdom-manさん、こんにちは。
予備知識ということで、まずは基本的なところから共通認識を得ておきたいと思います。

・論理学
 wisdom-manさんがおっしゃる論理とはどのようなことでしょう。

 論理学はもっぱら、普遍から特殊を導き出す"演繹法"について語っていることのように思います。
 これに対して、これまでのwisdom-manさんのご意見は、むしろ特殊から普遍を導き出す"帰納法"的な推論が述べられることの方が多かったように思えます。(例えば、道理のお話等)
 ですから、私にはこれまでのやりとりが論理学の観点ですすめられてきたようには、あまり思えません。まず、何が普遍かということが語られたことがないように思います。

 また、wisdom-manさんが<「道理」が「論理」ということばに入れ替わったと思えばいいでしょう。>と、道理と論理が同じことであるようにとおっしゃるのを見ると、一般的に言われる論理と、wisdom-manさんがおっしゃる論理は異なるようにも見受けられます。

 (ただ、純粋に客観的な世界や純粋に客観的な事実があるとする世界観において、「道理」と「論理」は異なることになるだけで、もしwisdom-manさんが世界は私(あるいは我々が)捉え、思考することで生み出されるものであるというような世界観であるのであれば、「道理」と「論理」は同じことであり得るのかもしれません。
 しかし、これは主観を基盤とした世界観となるということであり、これまでのご意見でwisdom-manさんは、主観をどちらかというと否定的に捉えられているような印象が私にはありますので、wisdom-manさんがこのような世界観であるとは私には思いにくいのですが、どうなのでしょう?)

・弁証法
 wisdom-manさんがおっしゃる弁証法とはどのようなことでしょう。

 西洋哲学における弁証法というのは、かなり多義性があるように思えます。
 もっとも一般的なのは、弁証法とは対話を基本とした「定立と(テーゼ)反定(アンチテーゼ)を経て、この対立の総合(ジュンテーゼ)に達する思想または思考方法」というようなことであるようにも思えますが、このような解釈でよろしいのでしょうか。

 また、論理学と弁証法の違いについて、論理学(これを演繹による思考と限定すれば)は必然による思考であるのに対して、弁証法は対話によって、ある方向性をもって答えを導き出そうとすることであるとすると、これは目的(論)的な要素が含まれているように思えます。
 
 これまで、私は幾度となく必然性と合目的性という話を持ち出してきました。(今まで、これに対するリアクションをいただいたことはないのですが。)それは、世界観を大きく区分するひとつの点であると私には思えるからです。仏教と孔子を分ける点でもあるように私には思えます。(私には仏教と孔子の考えをいっしょにして語ってしまうのでには、かなりの違和感があります。)

 もちろん、どちらでもないということもあるでしょうし、それぞれをうまく融合させているということもあるでしょうし、そのような視点を超越しているのかもしれない訳ですが、ここの内容(どのような立場で、それがどのように導き出されているか)が分からないと、それぞれの話がどのように整合性を持っているのかどうかの判断ができないということになります。
 ぜひ、語っていただきたい点ではあります。

 まず、これらの点を共通認識できないと、以後のご意見を解釈することはできないと思いますのでよろしくお願いいたします。
3 wisdom-man    :2011/02/15(火) 21:41:12   
永久さん、こんにちは。  [ 二元論 ( 2.) ] 
 [ # 下記の例は、常識 ( 客観認識 )の範疇 ]
 
・目に見える現象は、"目に見える"「( a.)形の有るもの」。 
それに対し"耳に聞こえる"音は「( b.)形の無いもの」。
肉眼で見る「現象」を一語で表すと「色」。
「色」は、言い換えると、「( a.)形の有るもの」。 
 
( a.)を漢字で表すと「有形」。   ( b.)を漢字で表すと「無形」となる。

    有形           無形
  -------------●--------------

・人は、実際に、見たものと聞いたものを「一致させている」。

・たとえば、自分が理解できない外国語を話す人を見て「喜怒哀楽」の「感情」
であれば、「怒っている」「泣いている」「笑っている」など...というのは、
判別できる"目に見える"「( a.)形の有るもの」。

それに対する「( b.) 理性」は、目に見えるかと言えば、
「( b.) ( 目には、見えない)形の無いもの」。

・"好き、嫌い"は、「感情」であり「主観」。

  感情 理性      主観         客観
  -------------●--------------       -------------●--------------


・ 例、 「勝負」「男女」「(磁石の) SN」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
4 とは(管理人)    :2011/02/15(火) 21:41:50   
wisdom-manさん、こんにちは。

 まず、wisdom-manさんがおっしゃる「常識」「客観」「主観」がどのようなことであるのかの説明をしていただけると助かります。ごく一般的な言葉の意味としての解釈をしようとすると、どうも文章全体がうまく解釈できません。よろしくお願いします。ともかく、これらの言葉の意味が未だ私にとって不明瞭であるため、wisdom-manさんのご意見の多くの部分が意味不明となっております。

 wisdom-manさんのご意見では「常識」と「客観」が並べて論じられることが非常に多いのですが、これが「主観」と「客観」であれば、とりあえずこれらが対立概念として一般的に捉えられているということを前提とした話であることが容易に理解できますが、「常識」と「客観」では少々異質な内容であるため、まずこれらが何故並べて論じられる関係にあるのかを明言していただけないと、どう解釈していいのかが分からないと思います。

 シーソーの例ですが、この両側にはどのような言葉が乗るのでしょう。言葉における反語の全てが乗るのでしょうか?それとも、何らかの限定があるのでしょうか?
 感情と理性が乗る例の場合は、なんとなく分かるようにも思えます。それぞれの方に意識が向いている場合の、それぞれの問題というのも分かるように思えます。
 ただ、例えば勝負の場合、意識が「勝」に向いていても、「負」に傾いていても問題はそれほど違いはないようにも思えます。
 となれば、シーソーという例えをする意味は別のところにあるのでしょうか。

 これはあまりどうでもいいかもしれませんが、前にも書きましたが「二元論」というと一般的には<相互に対立した二つの異なる原理によって、その思考範囲の一切を説明しようとする立場>ということだと思うのですが、wisdom-manさんがおっしゃる「二元論」はこれとは全く異なる内容だと思いますので、それを「二元論」と表現されてしまうと読む人に誤解を招きやすいのではないかと思います。

 それでは、失礼いたします。
5 wisdom-man    :2011/02/22(火) 03:17:38   
永久さん、こんにちは。お久しぶりです。掲示板を見て書いてみます。
二元論、中国の「陰陽二言説」、テレビで美輪 明宏 氏が語っていたのは
「正負の法則」は、いずれも同じことを語っていること。

・「客観」というのは、もとは「西洋哲学。」明治以後、「和魂洋才」の
考えのもと。それまで、日本になかった外来語を福沢諭吉? が造語し、
「客観」としたもの。 また、「常識」のことばも同じに。
明治以前には、「常識」ということばもあるわけもなく。

・和魂漢才と言われた明治以前には、この「客観」に変わる、
「その言葉」がある。 今も「認識として」、
そのことばを使っています。 ただし、現在、人が「無意識」に
使っています。
 ただし、それが日本人の国民全員が使っているとは、言えないのが
今の日本人の現状。

西洋哲学には、多大な長所もありますが、短所もあり。
西洋哲学にはない、東洋哲学もある、それが「その言葉。」

・この「二元論」は、言い換えると「矛盾の論理。」
「主観と客観」も現在でも、西欧哲学では、世界的著名な学者でも
克服できない「難問」のようです。
・私は、この難問を解決し、克服したから言えることでもあります。

・「客観認識」は、「わずかな矛盾を含んでいます。」
・「快と不快」もまた、「わずかな矛盾を含んでいます。」

・仏教で説いているのは、主観でもなく客観でもありません。
「世界のほとんどの人は、主観という世界で生きている。」
「こだわりを捨てることで主観を超えることができ、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
6 wisdom-man    :2011/02/22(火) 10:15:55   
永久さん、こんにちは。
すみません。 脱字がありました。
「投稿日: 2011/02/22(火)の投稿文に脱字」がありました。
 追加しておきます。下記に。
# 誤り....「西洋哲学にはない、東洋哲学もある、それが「その言葉。」」
# 訂正後...「西洋哲学にはない、長所もある東洋哲学の「その言葉。」

・何年か前に投稿したのは、永久さんに何とか、この「二元論の矛盾」に
「気がついてほしい」と願いつつ、投稿した次第。
 気がつけば、「二元論の誤解」から抜け出し、「理解を獲得でき」、
「理解が早まる」からです。「悟る」は、理解する 意味があります。
  失礼しました。
10 匿名(名前未記入)    :2021/07/14(水) 07:57:43   
感情を含む体験の根本原因は体験者自身の先入観・自分ルール・思い込み・色眼鏡・記憶・判断基準etc。価値観が変わらない限り似たような体験を繰り返す。執着が強いほど感情も強まる
情報をどう解釈し反応し対処するかは解釈者の自由選択。「世相・言葉・服装・風紀の乱れ」はそれを感じる本人の心の乱れの自己投影
不満イヤ不安ウザ不快コワ不信キモ不可解の原因は各人の固定観念にあるので他者のせいにするのは筋違い。他者に不自由を与えた者は自らも不自由を得る
故に、貴方が誰かを怒らせても貴方に相手の怒りの原因はない。逆に、誰かが貴方を怒らせても相手に貴方の怒りの原因はない
他罰的で他力本願で問題解決力が低く対外評価を気にする不寛容者ほど、情緒安定と自己防衛の為にマナー礼儀作法ルール法律を必要とする

感情自己責任論(解釈の自由と責任)~学校では教えない合理主義哲学~
://kanjo.g1.xrea.com/
11 とは(管理人)    :2021/07/17(土) 23:31:26   
ご意見ありがとうございます。

自由・選択ということをどう考えるかというのは根本的な問題のように感じます。

例えば因果律を前提とした必然や確率があるとするからこそ、予測が可能となりその予測を基にして選択が可能となる部分もあるでしょうが、もし原因と結果の関係性が必然あるいは確率によってすべて決定されると考えるのであれば、自由や選択という能動性は否定されるのかもしれない。そして、もし能動性を否定するなら、生を語ることや責任を問うことは難しいようにも思えます。

もちろん、あくまで社会的問題としてなら、我々に自由意志(能動性)があることを前提とした上で、強制や義務からの自由があるかまた、権利を行使することへの自由があるかということのみが問題となるのかもしれませんが。

一般に自由というと「~からの自由」と「~への自由」、言い換えれば”可能”と”選択”を含むことのように捉えられているようにも思えますが、それをどのように解釈するのかということも難しい問題のようにも思えます。

これを、我々には能動性があるのかどうかという論点で考えようとするなら、自由とは”複数の可能性があることを前提として、選択によって対象や結果に対して有意義な影響を与えることができること”、言い換えれば「原因からの束縛を受けない」ことであるとともに「結果への束縛を与える」ことのように一般的には捉えられているのかなとも思います。ただ、このような解釈は主観と客観がごっちゃになっていてるのではないかなとも思えます。

これを、主観的に解釈しようとした場合、主観的には選択という行為は自覚し得ることかもしれませんので、自己の行為に対して責任を感じることは可能だと思います。
この場合は、主観的に複数の可能性があるとはどのようなことかということも問題となるようにも思えますが。

またこれを、いわゆる客観的に解釈しようとした場合、選択という行為をどのように客観的に明らかにできるのかということが問題となるようにも思えます。それは、可能性の中のどれかが行われたという結果のみではそれが選択か、あるいは偶然や確率かを区別できないのではないかと思えるからです。また、選択という行為が行われるには、いわゆる意志といわれるような「~への自由」に向かう何らかの主観的志向性があることが前提とされているようにも思えます。

そして、もし選択という能動的行為を客観的に明らかにできないのであれば、他人の行為に対して責任を問う根拠は別のところに求めなければならないようにも思えます。このような意味に限っては、自分に自己責任を問うことはできても、他人に自己責任を問うことはできないのではないかとも思えます。もし、それでも他人に責任を問おうとするなら、その根拠は例えば、共感や合意あるいは強制など他のところに求めなければならないのではないかとも個人的には思えます。

ちなみに自由に関する個人的な考えは、HPの私の意見の「自由とは」である程度述べています。


ただ、苦悩について考えるという観点でいえば、感覚や感情あるいは目的意識などにおける精神的志向性(快不快・好き嫌い・固執・欲望・願望・意志など内容や表現は色々でしょうが)があり、それと結果(経験)とのギャップが苦悩を生み出すのかなとは思います。

そして、恐らく人は精神的平静を装うための自己防衛として、自分の志向性に目をそむけて自分をだましながら生きている場面も多いのではないかと思います。例えば、「あいつがこうしたから、自分もこうしてただけだ」とか「そんなつもりじゃなく、こういう正当な理由があってそうしたんだよ」とか「気が付かなかっただけで、気付いてればそうしたさ」とか、でも実際そうじゃないと自分でも薄々は気付きながらも、それが表意識に現れないように蓋をしようとして更に苦悩していることも多いのかなと。

そういった、実際の自分の志向性とは違った形で、色々なことを受け入れられずに拒絶するような価値観や態度が固定化されているということも確かにあるように思います。そういった意味では、自分の志向性に向き合ってみるというのも、それ自体は苦痛であっても、楽になれるひとつの方法なのかなとも思います。


長文失礼致しました。また、ご意見等ございましたらよろしくお願いいたします。
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2    生きる    (書き込み数 : 3)

1kazuya    :2011/02/15(火) 21:43:17   
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楽しいと思った事は星の数ほどあるけど
「生きていて良かった」なんて思った事一度もありません


みんなの悩み聞かせて
2 考える学生    :2011/02/15(火) 22:03:36   
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皆さんの考えを読んでいて思った
ことを率直に書きます



人類は
生まれては死ぬ、の繰り返しで種族を繁栄させ後世まで残
している


その人類の歴史の中で自分達はほんの些細な役割


生きる意味は自分にとってプラスな感情に出会うためと思う人もいるけど

感情などは「コミュニケーション」を取る為に経験から生まれるツール的な存在でしかないのでは!?

心臓が停止したら終わり

なんの意味にもなっていないと思う

唯一、
人類として意味があるのは子孫繁栄

だけど、みんながみんな子孫繁栄を望んでいる訳じゃないと思うし
それに今は、ある程度の「コミュニケーション」の能力が絶対必要だと思う(「コミュニケーション」の能力は人によって様々………)

要するに、人一人、個人として生きる意味は無いんじゃないでしょうか?
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3    真理について    (書き込み数 : 3)

1kyou    :2011/02/15(火) 20:44:08   
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現象学の見解から見てはいかがでしょうか?的外れな意見でしたらすみません。
2 とは(管理人)    :2011/02/15(火) 20:44:51   
kyouさん、はじめまして。
ご意見ありがとうございます。返事が遅れてすみません。

現象学、あるいは哲学について(それ以外もですけれども)あまりちゃんとした知識がある訳ではないので、的確な回答になるかどうか分かりませんが、

何を考えるにせよ何を根拠とするのか、あるいは何を自明とするのかというようなことが、まずは問題となるのだろうと思います。そのとき、もし絶対的なことがあり、それを捉えることができるのであれば、それを根拠とすればよいのでしょうし(もしそのようなことができたとすれば、世界は意味を失うことにもなるのでしょうが)、もしそのようなものがない、あるいはそのようなものを捉えることができないとするのであれば、何を根拠とすればよいのかということを考えなければならないということになるのではないかと思います。

このような意味で、「真理とは」ではあくまで絶対的な存在を真理として考えているということであり、そのようなものを一般的な方法で捉える(認識する)ことはできず、その存在・非存在は不明確であろうということを述べているつもりです。

そして現象学においては、そのような絶対的存在を捉えられないとした上で、どのように考えるのかということを、主観における何らかの普遍性を含んで語っているように思えます。

ただ、絶対的なものを否定するのであれば、何らかのものを感じているということ自体以上のことは、それぞれのものはどちらがよりどうかというような判断をせざるを得ないということになるのではないでしょうか。そしてその為には、その判断の何らかの方向性(例えば、意味とか)を決めてやる必要があるのではないかと思います。もちろんそのような方向性が決まっている(普遍的である)と考えることもできるでしょうが、方向性というのは既に相対性を含んでいると言えるのではないでしょうか。

つまり、絶対性を否定するのであれば、そこにどのような普遍的なもの(それを真理というのかどうかはともかく)を見出すにせよ、何らかの相対性を含んだ方向性(志向性)を前提とせざるを得ないのではないかと思えます。

その為、個人的には根拠を何らかの普遍性に求めるのではなく、もっと開き直って、方向性(志向性)としての意志というものに求めてしまってもよいのではないか、ということで書いているのが「答えとは」であると言えると思います。

そして、その答えがそれなりの客観性を示す理由として「答えとは」と「正しいとは」で、意志の共通性と答えの無矛盾性を考えています。また、絶対的存在との関係としては、意識及び意志の自明性を根拠としてそのようなものの存在が要請されるのではないか、ということを「(自由)意志とは」「生きているとは」及び、今後書く予定の「精神とは」「意志とは」などで書いてみようと思っているというところです。

今私が考えていることの流れは大体こんな感じなのですが、いかがでしょうか?
私の考えで書いた「真理とは」以降の総括という感じになってしまいましたが、kyouさんのご指摘への返答になっているでしょうか?

またご意見頂けると大変ありがたいです。
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4    時間とは    (書き込み数 : 2)

1wisdom-man    :2011/02/16(水) 02:00:06   
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*アンケートのご意見を掲示板に掲載させていただきました*

・ここで説明するのは、お釈迦さんのいう「時間」について「説明」します。
正確をきするためです。

・「時間」は、 峺什漾過去、未来」。
  は、「三明 (さんみょう)」(釈迦)と言います。

・下に簡単で、正確な位置関係を示します。
                   ( 今 )
      過去--------------------⇒現在------------------⇒未来(; 将来 )

・もし、仮に「現在に」、「怒り、悩み、苦しみ..」という「煩悩(わずらう、なやむ)」が「生じている」
とする。 「現在で起きている原因」は、「原因を探し」そして、「解決しなければ」、それは、
「未来(将来)」になっても「継続する」ことになる。
・「過去の原因」は、「現在の結果となって生じることになり」、そのまま「現在の原因が未来になっても
生じることになる。」

・「現在」という「時間」に「矛盾が生じている」からこそ「煩悩が生じる。」 逆に、言えば
「矛盾、すなわち煩悩」が「消滅」すれば、「心が晴れ晴れとなり」「無我の境地」そして、
「理解を得る」、「理解を獲得できる」「真の心が得られる」、こういう心境となる。
 悩み、苦しんでいたのが嘘のような心、晴れ晴れとした心境----これが私の実感です。

・「矛盾を含んだ現在の時間」は、「現世」と呼び、その矛盾の過去は「前世」と呼ぶ。当然、
「矛盾を含んだままに予知した未来」は、「来世」と呼ぶ。
... 矛盾を含む未来は、「結果予測の誤り」、「結果予測の誤りとその判断の誤りを生じる」ことを
意味しています。 それゆえ、何かの問題が起きる原因は、ここにある。


・故に、「うそを語る者に " 理解を獲得する "、"未来を正確に予測する"のは、不可能。」

・「何かの原因があれば、その原因をみつけ探し出す場所は、" 過去 " にある。」

・「誤解」の意味は、理解を誤ること。 

・「うそを語ること」と「不可抗力によって誤りを語ること」とは意味が異なります。
「誤り」は「訂正すればよいことで、誰もとがめる者は、いない。」

・「こだわりがあるからこそ、苦しみなどの迷いを生じる。 こだわりを捨てれば迷いは生じない。」

・「こだわりを捨てよ。」( 釈迦 )

・「原因がなければ、当然、結果もない。 つまり、何もない。------
------- これを空(くう)、無我の境地という。」

かいつまんで。 こんなところです。  永久さん、参考になりましたか。 以上です。
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5    死の直前    (書き込み数 : 2)

1   :2011/02/15(火) 21:50:03   
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病気で死ぬ場合余命宣告され自分では否定していって次に怒りに変わります思い込んでも死は回避できないので何で自分が死ぬんだろうと怒り次に賭引をします例えばあの子に会ったら死ねるとか次にどうすることも出来ないので死んだらどうなるのかを考えて死んじゃいます
だから死ぬのも大変ですね
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6    日本の政治は神風特攻隊3人組に支配されている    (書き込み数 : 1)

1ねこ    :2013/10/08(火) 07:34:11   
日本の政治は神風特攻隊3人組に支配されている

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0202/8/180_2.html

政治とは、そもそも冗談だった。

実際の政治は、全く別の場所で決定されている。

( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0103/34/228.html )
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7    助言、あるいは通りすがり    (書き込み数 : 3)

1通りすがりの中学生    :2011/02/15(火) 21:44:14   
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言葉で伝えることはできません。

論点が本質からずれている意見が多すぎます。

そして、1面的な答えしか載っていない。

言葉がそもそも限定的なのだから多角的な視点が必要ではないのですか?

上から下へ行くごとに次元が一つ落ちていく。

足場からどう動くかはあなたの自由です。
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8    生きる意味がわからない    (書き込み数 : 4)

1岩城 孝    :2011/02/15(火) 21:54:12   
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50年生きて来て、今ふと思うのは「なんで生きてるのかなぁ」と言うことです。子孫を残して何になるのかなぁ。生きてるからいろんな事で悩むんちゃうの。こんな事を考えると「なんで生きてるのかなぁ」と思ってしまうのですが、今さらなんですがわからなくなっています。誰か納得させて下さい。自分は子供にも恵まれ、いい奥さんにも恵まれ、仕事ではいろいろ躓いておりますが、それなりに幸せなのですが、最近こんなことばかり考えてしまいます。
2 wisdom-man    :2011/02/26(土) 15:44:26   
よろしくお願いします。投稿を読んで。
私も50代ですが、何とも羨ましいというか、そういう印象、感想を
私は、持ちます。別に皮肉ではありません。

・「人との出会い」で私の人生は、15歳の時から、狂ってしまいました。
後から考えてみると、幾つかの不思議な妙な偶然が幾つも重なり、
仕事も結婚もすべて、他人の行為によってダメになり。
 当時、危うく鬱病になる寸前。 自殺も考えましたが、あまりの他人の
「行為」、その人の「考えの幼稚さと下らなさに」、死をとどまり。

 自分が選んだ人生なら「失敗」は、してもそれなりに
「自分で納得できます。」しかし、そうではない、他人の行為...。

 15歳から「苦しみ」という難題を抱えていた。
「その答え」を「自らの努力で見出し」そして、「解決しました。」
すべて解決し終わった時には、37歳でした。
・「四十にして惑わず」のことばの通り。
迷いは、無くなっても、私の人生を破壊された事実とは、別の話。

・ 今まで「知らなかった数々の人々の動向、...人の行為。」
 それが観えた...それでどういう心境になったか、といえば、
「世界の人ひとりは、何らかの使命を帯びて、この世に生まれてきた。」
しかし、その使命に気がつかないまま、人生を終える人も多い、と。

例えば、病気になって初めて、健康の有りがたさに「気がつく」ことなど。

 「五十にして天命を知る。」(孔子) 
 孔子の「論語」でも読んでみたらいかがですか ?
また、一つ、心の心境が少しは、変わると思いますが、どうですか ?
同じ50代としてアドバイスを。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
3 しまだ    :2012/10/02(火) 16:29:12   
はじめまして。僕は今年で21歳です。
何とか生きています。
生きる意味が分からない。これって当然のことではないですか?
誰かを納得させる答え何て皆無だと僕は考えます。意味を得る為に生まれた人はいない、生まれたから意味が欲しい、ホモ・サピエンスという生物の思考能力故の悩みです。でも他の生物と変わらぬ「死」という終わりを持っています(終着点という意味ではないです)。何で生きているのか?これは生きているから生じることです。強いて書くならば人間だから強く感じるもの、無意識に呼び起こされるもの。
極端な仮定になりますが、貴方が誰かに命を狙われ、喉元に刃物を突き立てられたとします。生きていたいですか?否、生きています。防衛本能は排除し考えてみてください。もしもあなたが死を望む人ならば恐れは救済的な感覚に変わるかもしれません、しかし、生きたいと無意識に感じるならば(具体的な言葉ではなく恐怖のようなもの)それが意味に近い答えとなるのではないでしょうか。生きているから意味を求め始めたり、でも自身の中に根強くあるものでなければ単なる思い付きとして消えて行くでしょう。でも生きる意味を他者求めるのは無意味です。
生きているから生じるもの、生きる意味が分からないという人は自ら命を絶つまでもなく、生きながらえるでしょう。本当に見失うのは関係性から来る恐怖からのみ、生きる意味が分からないこれをそのままお返しします。

以上生意気な二十代から、年長者への尊敬の念を込めて。
4 ペペロンチーノ    :2017/08/23(水) 00:12:39   
>>1『生きる』とは『生きる』であってそれ以外のなにものでもないと思います。
『生きる』に意味を見出してしまうとそれこそ『生きる』意味が分からなくなってしまうと思います。
人は生まれてやがては死ぬ、それが生きると言うことだと思います。
まだ17年しか生きていないのに失礼なことを言ってすみません。
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9    日本の平等・公平は完璧な組織詐欺    (書き込み数 : 1)

1さる    :2012/01/13(金) 13:00:38   
 
日本の平等・公平は完璧な組織詐欺
http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p034.html#page226
学校教育で、社会の上層部にいる人間は「立派な人間」だから、
その結果として、当然に威張っており、多額の給料を得る。
と、叩きこまれる。
ところが、現実は、完全にその逆で、「バカ」と「腹黒」と「詐欺師」が、
社会で威張り散らしている。
生涯収入の差別額は、数億円に達することもある。
コンビニでパン一個を盗むと、すぐ警察に捕まる社会で、
数億円の収入の差別があり、しかも、「バカ」が威張り散らして、
「ウソ」を付きまくっている。
何故、このような社会が出来上がったのか。
それは、天皇一族の万世一系による、長年の試行錯誤の蓄積の結果だ。
人類は、土から金属を掘り出し、ついには、ロケットを作り、宇宙まで行くようになった。
天皇一族は、長い歴史で、人類の社会構造においても、信じられないほど精密で、想像を超える仕組みを構築した。
(仮説を含む)
( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p009.html )
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10    悟るとは    (書き込み数 : 1)

1wisdom-man    :2011/02/27(日) 11:59:37   
<山口県 20歳 男性> (2010/11/18)さんの問いに答えて。
よろしくお願いします。

 「悟」の字には、「心、五、何もない」で構成されています。
中道(中庸)に至れば、「心(仁) の論理構造、
その構成が " 五つ " だ」と覚ること。

・悟るとは、中道(中庸)に至って
「怒りも苦悩も消滅して心が晴々となること」と体得すること。
・怒りを育てている愚か者は、独断(邪:よこしま)という
危うい状況に、自ら踏み入れる人を見分ける「洞察力。」
 これが「悟りの智慧」の一部の能力。
これは、掻(か)い摘(つま)んでの話。 
 努力して体得できた私としての実感です。
それでは。
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11    自殺志願の友人    (書き込み数 : 5)

1ミニロト6    :2011/02/15(火) 21:30:03   
*前掲示板閉鎖のため、こちらに移行させていただきました*とは(管理人)

先日友人から死にたいという相談を受けました。
はっきりいってはげます言葉しかかけられませんでしたがとっても心配です。
2 とは(管理人)    :2011/02/15(火) 21:31:42   
ミニロト6さん、はじめまして。

正直、私に書けるのはせいぜい 「生きる理由」で書いたこと位ですね。

ただ、もし何かをしてあげようとするなら、
自分にできることと、できないこと
については考えておいた方がいいのかなとは思います。
それは、相手に対しても自分に対しても
無責任にならないようにならないようにという意味で。
3 天才ウエダ    :2011/02/15(火) 21:32:29   
*前掲示板閉鎖のため、こちらに移行させていただきました*とは(管理人)

> 先日友人から死にたいという相談を受けました。
> はっきりいってはげます言葉しかかけられませんでしたがとっても心配です。

それは、一方方向しか見えなくなっているからだ。
世の中のもっと明るい話題に目を向けよう。
http://antamosukine.blog9.fc2.com/
4 初めての書き込み名前まだないです    :2011/02/15(火) 21:33:15   
*前掲示板閉鎖のため、こちらに移行させていただきました*とは(管理人)

問題は解決したのでしょうか?あなたの目から見てご友人は一時も目をはなせない状態でしょうか?そうならばあなた一人では難しい状況なので信頼できる友人と問題を共有することをお勧めします。 
ご友人も大変ですが、頑張って解決しようという気持ちが強すぎると一緒に倒れてしまう可能性がある問題です。鬱のような状態なら頑張れとは言わないこと、死にたくなった原因がはっきりしているのならその原因をまず遠ざけ気持ちを落ち着けてから取り組むこと。 原因が根深いもの、突発的なもので対応の仕方も代わります。どちらにしても気持ちを落ち着ける為にノートに思いつく言葉を書き殴り続けると意外とすっきりするという手段があります。
今回初めて書き込みをするので、実はウエダサンに返信されてる方が他にもいるかも分からない状態です。同じ様なお話が既に出ていたら申し訳ありません。
5 wisdom-man    :2011/02/20(日) 16:18:09   
よろしくお願いします。書き込みを読んで。
私も随分、昔のことですが、鬱病寸前になったことがあります。
あまり、軽々に、軽はずみなことは、言えませんが。

 恐らくは、「人間関係」からくることが原因ではないか ? と。
当時、精神科にも行きましたが、ラチあかず。(現在と当時では、医学の
進歩は異なりますので、そこは考慮して下さい。)
 精神安定剤の服用で禁断症状が出始めて、それ以後、服用はパッタリ、
と止めました。
  ある日、「原因が解れば、心の悩みは、解決するのでは、ないか。」と
そう思い。そして、人は「ことば」を使っていることに、気が付き
家中の「辞書 : 広辞林」「百科辞典」から、片っぱしに調べ始めました。
そして、 私が長年、探し求めていた答えの多くは、孔子の「論語」に
ありました。
..「老子」そして、「釈迦」と。

 人によって中国語の翻訳の仕方で随分と、印象が違ってきます。
渋沢栄一(# 明治期の偉人)氏 の「論語」を進めます。

 論語は、義、つまり「人の道」を説いた本でもあります。
現在、論語を知らない世代、つまりモラル意識のない、知らない世代が
増えて、それが原因で「心を病む人」が増えています。
 例えば、1.「小人、過つや必ず文(かざ)る。」...
... 小人は、過ちを犯すと必ず隠そうとする。
    誤魔化そうとする。
     2.「小人、閑居して不善をなす。」...
... 小人は、とかく暇だ、と悪いことをする。
   小人は、よくない事を考える。
 
この上記1. 2. のことば通りに、相手がどんな人物かが解ってくると、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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12    正義とは    (書き込み数 : 2)

1wisdom-man    :2011/02/16(水) 01:57:08   
*前掲示板閉鎖のため、こちらに移行させていただきました*とは(管理人)

永久さん、お久しぶりです。
 永久さんの「問いかけ、疑問」に、一部だけですが、答えたいと思います。
 実をいうと、永久さんの「どういう心の状態」であるかは、投稿している時には、
「永久さんの心は、私には観えていました。」
 

・「因果」という語は、元々「仏教用語」から出て、しかも長期間の「時間を経て」発展して、
「原因」と「結果」いうことばに「派生」し、「21世紀という現在」で、
しかも「世界に波及し、広がったことば」。 ですから、たとえば「科学が発展しいてる」のも、
元々、「お釈迦さん」の影響が大きいのですよ。

・「哲学」の、たとえば「意識」であるとか、「無意識」ということばも「お釈迦さん」が、
「心がどういうものであるかを説明するため、使った定義、その用語そのものなのです。」

・たとえば「知識」ということばも、様々な「過去の先覚した賢人、つまり世界でも著名なお坊さんたちが、
どういう語を漢字にあてたらいいかを人生をかけ苦心し、漢字という語にあて、現在に至っているのです。
・日本は、「中国から伝わった " 漢字文化 " です。」

・心理学者ユングが、使う「心理学用語」も、もとはといえば、「お釈迦さんのことば」が
「おおもと」にあるのです。

・「理」を扱っているのは、「儒教」も「仏教」も、どちらも扱っている「理」は同じ。
たとえば「理解」を意味する「理」は、「ことばの語源」にもなっているのです。

・お釈迦さんいたところは、「インド」。 孔子がいたところは「中国」。
現在のように、「簡単に情報が手にはいる時代ではなかった頃の話です。」

 当然、「ことばをどのように表現するかは、違っていて当然なのです。」
 「国が違えば、ことばも違います。 日本語が話せるから、習ってもいないのに、
英語が話せることには、ならならいでしょう。 これと同じ道理です。」

 べつに永久さんを批判しているのでは、ありません。 以外に知っているようで知らないことが多く、
「自分では気がつかないことが多いのです。」
 「長期間をかけ、多くを学んでいるうちに少しづつ気がつくものなのです。」-----
------- これが「私の実感です。」

 少しは、参考になったでしょうか ? それでは、失礼します。
2 とは(管理人)    :2011/02/16(水) 02:05:02   
>  実をいうと、永久さんの「どういう心の状態」であるかは、投稿している時には、
> 「永久さんの心は、私には観えていました。」

お気遣いありがとうございます。
ご理解いただけたとのことですので、アンケートにご投稿いただきましたご意見を掲示板に掲載させていただきました。

今後ご投稿いただけるようでしたら、直接掲示板にご投稿いただけますと幸いです。
掲載が大変遅れまして、誠に申し訳ございません。
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13    論理とは    (書き込み数 : 1)

1wisdom-man    :2011/02/16(水) 02:02:58   
*アンケートのご意見を掲示板に掲載させていただきました*

男性 福岡県
*アンケートのご意見を掲示板に掲載させていただきました*

・お世話になります。
まず、
1、「人間の思考法」には、数がいくつ ?あって、「それを何というのか、ご存知ですか ?」

2、 「数字」は、言い換えると「記号論理学」に相当し、「人間が使う " 言語 " 」は、
  言い換えると、「言語論理学」に相当します。

3、 たとえば、「科学者」が研究する場合、「内容を説明し、人に理解できるように解説する」。
「言語」があって、「多くの研究者から、理解をえられ」れば、それが「可 ? もしくは、不可 ?」の
「判断が下せる。」
  ・「言語」は、「外国語に翻訳」しても、「言語論理(= 道理)」に間違いなければ、「どこの国によっても通じることになる。」 ... 「言語が違う外国語だから、別の国で通じない」というのは、「誤りである」
 
・「算数の計算が世界共通であるのに。 たとえば<、誰かの「小説家」の「本を翻訳」したものが、
 翻訳された国で「まったく、意味がわからない、まったく読めない、といことは、あり得ない。」
 ・「それが、もし本当(= 真 )であるとするなら、" 言語通訳者 " は、この世に存在しないことになる。」
・よく「人が間違う、つまり、人の誤解」のは、「自分が普段使用している言語を熟知しているか ?
熟知していないか ?」のことに、あまり「気がついていないことに原因がある。」

4、 「論理」「概念(コンセプト)」「カテゴリー (範疇)」「上位概念」.....「アンチテーゼ」
「パラドックス」...などは、
もとを正せば、「西欧哲学」の「専門用語」です。

 日本では、いつの頃からか、普段、使用する場合には、「論理」とは言わず、古代より「道理」と
言っていました。
 明治の「文明開化」後、西洋哲学の「専門用語」を「現在に至るまで」、日本人が
「(# 記号論理の) Logic」を「論理」と「翻訳」したのです。
 # 日常、「道理」を略して、「" 論理 " と表現する」場合も珍しくはないのです。

# 上記を踏まえて、「論理」について。
永久さん、パソコンの「ひな形」は、ご存知でしょう。 この「ひな形」の「ことば」は、
女の子の「ひな祭り」の「ひな壇」に由来しています。 それは「形が似ている」ため、使用した
「比喩による表現」。 ----- # 「ひな形」の上位が「上位概念」。..では、「下位」に並んでいるのは ?

----- 「論理 (# 道理 )」の # 基礎的なことを述べます。
1、 「同一原理」
   アルファベット...例 1、 「 AはAである。 BはBである。」
            例 2、 「 りんごは、りんごである。」
            例 3、 「 みかんは、みかんである。」
例 1、2、3 は、いずれも「同一原理」という。
    例 4、「Aは、Bではないし、Bは、Aではない。」「みかんは、りんごでは無い。」
   もし、仮に、例 4 もし、「理に合わ無いこと」が「成立する」ならば、これを「不合理という。」
 
 # 「理(由)」に「合う」から、「合理と言い」、「理(由)」に「合わない」から「不合理という」。

2、 「名詞に活用は、無い。」
    例、 「 りんごは、りんごである。 みかんは、みかんである。
         リンゴはみかんでは無いし、みかんはリンゴではない。
         つまり、名詞に活用は無い。」
     # もし、仮に、(例)「名詞を活用できるならば、それは誤りである。」---と、「表現」する。
     # 「同義語 (= 同じ意味のことば)」でない限り、(例)「二つが同じことばになることは無い」。

3、 「言葉」は、「比喩、たとえ」
  # 日常、「ことば」は、「比喩、たとえ」で「表現する」ことが多い。# 説明省略。
  # 他にまだ、ありますが上記「論理 (# 道理 )」の三つは、かなり重要で、且つ基礎的なこと。
この三つを踏まえ、わきまえておけば、「間違いをする」ことは少なくなります。 しかも、
 「理解する」スピードも早くなります。
  
    およそ、こんなところです。 永久さん、参考になったでしょうか ?  それでは失礼します。
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14    コンピューターにとっての言語とは    (書き込み数 : 1)

1wisdom-man    :2011/02/16(水) 02:02:03   
*アンケートのご意見を掲示板に掲載させていただきました*

 お世話になります。 
 まず、「科学」と呼ばれる古い時代には、「政治家」「商人」など、「どうしても記録を残す必要が生じ
" その媒体 "としての紙(かみ)が必要になるのは、事の必然。」

・しかしながら、膨大な書類、歴史資料、歴史書など、「膨大な紙が必要」になれば、必然的に多くの人も
必要になる。 しかし、たとえば「商人」が、「ただ書くために多くの人を雇えない。」そうなると、
「少人数で処理しないといけないため、時間と手間がかかる。」
 どうしても、「不便を強いられる。場合によっては夜遅くまで、仕事をしなければならなくなる。」
 ゆえに、「商人だからと言って、仕事が楽だとは言えない。」

---- 時代が経るにつれ、誰かが「切実さゆえに、不便さを何とかしたい」と切望すると、
「必要は発明の母」のことば通り。 「発明や発見、新しい考えなど、アイディアが生まれる。」....
...そうやって、哲学、科学が発達。 場合によっては、過去、ヨーロッパで大流行した「ペスト」は、
..何人に一人? 三人? に一人....詳しくは忘れたが、路上に死体の山があちこちに点在するほど
多くの死者がでた。 ・ 「多くの人が原因不明の病気で死ぬ状況を何とかしたい」、と「医学」が
発達してゆく。

・こうやって「数えきれないほとの死者の数。 多くの血と汗の結晶、数多くの賢人の血と汗の努力が
相当の努力があって、私たちはノンキに暮らせる。」「現行の法律」においてもまた、しかり。

 「過去の教訓」....日本に限らず、世界で起きた「過去の教訓を生かして。」...
 .... 多くの人が「無実の罪で人を死なせることがないように」と。
 たとえば過去約2000年間にも出来なかった「世界でも画期的な人を守る法律」。それが
 第二次世界大戦後にできた日本の現行の法律、「思想信条の自由」などにある「条項」です。
 ちゃんとした法律ですよ。

 第二次大戦中、日本国内で「耳をふさぎたくなるような、陰惨な事が起きたことを知っていますか ?」
「聴くにたえないような話ばかりですよ。」...それだけに、「思想信条の自由」の法律に価値がある。

・「現在でもなお、未知の部分があり、何かしらの問題があり発達し続けているのが人間の活動、現状です」
・日本という、ここで「平和に暮らせる」のも、科学など、分野に限らず、先人の多くの血が流されている
ことを忘れてはならないのです。

・本題に入ります。
 現在、使用して「パソコン」は、わかりやすく言えば、各「専門分野」の「特徴」を
「うまく組み合わせ、応用してできたもの」。

 おおまかな言い方をすれば、「数学」「数字を意味する記号論理学」「言語学」(# 哲学の範疇)
「言語を意味する言語論理学」「(電気回路の特徴を生かした)電気回路」...など
 
「人間の思考法をうまく" 応用した " ものです。」ただし、「人間は器械ではありません。」
・逆にいうと、もし、器械に問題がなくて、使う側の人に「矛盾」があれば、
器械は「思ったようには、正常に働かないことになります。」

・後は、「パソコンソフトを創る人のアイディア次第で、画期的ものを創ることが可能となる。」...
. もう、そこまで、「あらたな創造性を創生する時代は、間近に来ている」のです。
  すばらしいとは、思いませんか?

 専門知識がなくても「ソフト開発者の腕次第で、だれでも創造性を開拓できるソフトができる。」
もう、間近にせまっているのです。

・ちなみに「お釈迦さん」のことばを私が代弁すれば「仏教」は、言い換えると
「言語論理学」にあたります。
    「記号論理学」をあやつり、包括できるのは「言語論理学」です。
   
   そして、それを代表し、現在使用している「パソコン」です。
        永久さん、 何か参考になったでしょうか ? それでは、失礼します。 




・「一つの応用が発展すれば、次の
 


 

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15    常識とは    (書き込み数 : 1)

1wisdom-man    :2011/02/16(水) 01:59:13   
*前掲示板閉鎖のため、こちらに移行させていただきました*とは(管理人)

*アンケートのご意見を掲示板に掲載させていただきました*

・約20年くらい前でしょうか
書籍(本)で、詳しい内容は忘れましたが、アメリカ人? 他の外国人が、この英語の「common sense」を
使い、それを誰か(# これも人の名前は覚えてはいません。)が使用した。 新聞 ?

 とにかく、これを「引用し日本語に翻訳した人」がいて、これもどういう経緯かも忘れましたが
おそらく、推測も含まれますが「仮に、本に出版」したとして、いずれにしても
いつのまにか「日本中に広がった」ということです。

・「常識」ということばは、もとは英語の「 common sense 」を翻訳した外来語です。
・「常識」ということばは、これは、「仏教用語とは、一切関係ありません。」

・ 「....学ばざれば、すなわち、あやうし。」 [ 孔子 ]
...学ばなければ、独断に陥(おちい)り、危険である。

以上です。
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16    美しいとは    (書き込み数 : 1)

1wisdom-man    :2011/02/16(水) 01:58:20   
*前掲示板閉鎖のため、こちらに移行させていただきました*とは(管理人)

*アンケートのご意見を掲示板に掲載させていただきました*
 中国の古典に、こういう話 (下記)があります。

--------- 「荘子(そうじ)」         # " 子 " は、先生、もしくは、師匠の意。

・陽子は宋の国に行き、旅館に泊まった。
旅人の女が二人いた。そのひとりは美しく、そのひとりは醜(みにく)い。

その醜い人は貴(とうと) ばれて、その美しい人は嫌がられる。

 陽子は、その訳を旅館の主人に聞いてみると、
「その美しい人は、自(みずか)らを美しいといい、私には、その美しさがわからない。
その醜い人は、自らを醜いといい、私には、その醜さがわからない。」

陽子は、「おまえたち(弟子たち)、このことを(心に) 記憶しておきなさい。
行いによって賢く(= 美しく)なるのであって、自らを賢(かしこ)いとする行いを去らなければ
どうして人から愛されるのか ( 愛されることはない)。」

# 要旨  人は「行為」によって美しくもなり、「行為」によって醜くもなる。

 $ wisdom-man. 記. 上記の「行為」の意味を知らないとなれば、
現行の法律の意味を知らないことになる。 二十歳過ぎて知らないとなると… .。
 
・思想信条の自由と権利の行使は、ワンセット。 ・ 現在の日本は、法治主義。 

・中国の古典で、この「権利の行使」のことばが出てきます。
この権利の行使、「法治主義」を説いた人の名前は ? 

・明治末期に「多くの人材を輩出した裏付け」は、この中国の古典...仏教など多くの「知恵の宝庫」を
読み、学んだ人が数多くいたことを知っていますか ?

・「大石 内蔵助」「勝 海舟」「坂本 龍馬」など、明治初期の学校の先生に至るまで、明治期を支えたのは
実は、「こどもの頃から」、この「多くの書物に支えられ、その人財に支えられ」、科学者、小説家など、様々な「偉人」を生んだ背景があることを。  30年..40年..と、血を吐く思いで、それを乗り越え、
毎日コツコツ努力して「ひとかどの人物」になる..。

・こういうことばがあります。
 「こどもは、社会の宝 」
 「一日の計は、鶏鳴にあり 」
 「一年の計は、元旦にあり 」
「一生の計は、少年にあり 」
 「国家百年の計は、教育にあり 」....# 世代が移り行くと、こういう「金言」を知らない人が
増えてくるのです。 現在、生きている日本の人々が、明治初期の「庶民」より、どうして
「高い倫理観」を有しているといえるのでしょうか

 私も長期間苦しい思い、身を引き裂かれる思いを二度経験し、血を吐く苦しい思いをしても、
それに打ち勝ち、私の場合においては「かなり強い恐怖」を乗り越えました。

 なぜ、このような事を記すのは、次の日本を支える人、永久さんのような「見込みある人」が、古典など、
「先人の知恵」から学ぶか、学ばないかで、仮に一企業であっても「ひとかどの人物になれる」のに、
それを支える人財が少ないため。 埋もれてしまう。 日本の次世代を支えるのはあなたですよ。
 永久さん、古典から学んで「悩みをなくし」、早くそこから抜け出ませんか?

 古典から学んで、「君子」「仁者」を目指してみませんか? どちらも賢人を意味しています。

・永久さん、あなたには見込みがあります。 もちろん、目指したからといって私が何か
見返りを求めるものでもありません。 ただ、私はアドバイスはできます。
 永久さん、考えてみませんか ? まじめに取り組めば、いずれは「明るい将来」が待っていますよ。
  失礼とは思いましたが、いずれの日にかは、このことを伝えようと。
 考えてみてください。 大変失礼しました。 御無礼のだんは、ご容赦のほど。
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17    最も重要なこととは    (書き込み数 : 1)

1とは(管理人)    :2011/02/15(火) 22:25:38   
貴方にとって、(あるいは人間にとって等、他の主語でも結構です。)
どんなことが最も重要なことであると思うか、ぜひ教えて下さい。
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18    理想の世の中とは    (書き込み数 : 1)

1とは(管理人)    :2011/02/15(火) 22:23:56   
個人的なことでも、世の中全体的なことでも、又非現実的なことでも結構です。
(魔法が使えて・・なんてのでもぜんぜんOK)貴方の考えうる究極の理想の世の中を教えて下さい。
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19    ありがとうございます。    (書き込み数 : 2)

1智龍    :2011/02/15(火) 21:52:31   
最近、良くこちらのホームページに立ち寄ってます。
何々とは?について述べられた「論じられた」文章を読み、
読むたびに、自分の見方や考えが広がるのを実感致しております。
ネット上に書き込みなどあまり残さないタイプですが、
このページに載ってある文のすごさに驚き、うまさに気を奪われました。
やはり生まれてきて良かったなって思います。
ありがとうございます。
2 とは(管理人)    :2011/02/15(火) 21:53:11   
はじめまして。管理人の永久と申します。
ご訪問ならびにご投稿頂きまして、こちらこそありがとうございます。
また、私のつたない文章もお読みいただいたようで、
重ねて御礼申し上げます。

最近は時間がなくて、なかなかHPの更新ができておりませんが、
このHPは少しづつでもずっと続けていこうとは思っておりますので、
これからもぜひよろしくお願いいたします。

何かご意見・ご感想等もございましたら、またご投稿ください。
よろしくお願いいたします。
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20    死とは    (書き込み数 : 2)

1   :2011/02/15(火) 21:49:26   
*前掲示板閉鎖のため、こちらに移行させていただきました*とは(管理人)

生きることも死ぬこともたいへんです
本当の幸せって生きること以外になんでしょうね
2 咲夜 異与    :2011/02/15(火) 21:51:25   
死を無駄に語るより、どのように死を迎えるか(死に方、死に場所 等)を考えた方が有意義である。
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