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生きる理由
1
:
アル
:2011/02/15(火) 21:07:48
*前掲示板閉鎖のため、こちらに移行させていただきました*とは(管理人)
俺の友達は死のうと考えてます。それをやめさせたい。ダレかな生きる理由を教えて
下さい。命の尊さを教えてあげたいんです。こんなあやふやな文章だけどまぢ心配
なんで答えがほしいです。。。。
4
:
とは(管理人)
:2011/02/15(火) 21:22:04
安易に返答できる内容でもないですし、その友達の置かれている状況も分かりませんので、どのようなことを書いていいのか正直私には分かりません。
もし、同じようなことを伝えたいと思ったとしても、その人の置かれている状況(外的環境も内的心理状態や性格なども含めて)によって、言い表し方は変えなければならないのではないかと思えます。例えば、ある場所を伝えようとしたとしても、ある人には「もっと右」ある人には「もっと左」と言わなければならなかったりする場合があるのかもしれません。
もちろん、絶対的な<生きる理由>なることが存在し、そのようなことを誰もが捉えられるとするなら、それを示せばよいということでしょうが、(例えば場所ならX座標2・Y座標3とか)個人的にはそのようなことを捉えることはできないのではないかと思っていますので、そのような回答は私にはできそうもありません。
それでもなにがしかのことを、以下書いてみたいと思います。まったく参考にはならないかもしれませんが、ご容赦下さい。
幾分客観的に考えるなら、生き物にとって恐らく大きな目的のひとつは生き続けることであるように思えます。それは、現存の生物につながる最初の生物が生き続けようとしたということであり、それが数や種類を増やしながら現在も生き続けているということではないでしょうか。にもかかわらず、人間の場合は自殺を考えることも、実行することもできる。それは何故なのでしょう。
個人的には、(HPの私の意見の「精神とは」でも書きましたが)人間の場合、例えば自律神経や本能と呼ばれるものなどのような、ある情報に対して予め決められた反応を返すだけでなく、それを意識し意思決定する自由度を高度化させた存在なのではないかと思います。言い換えれば、我々は選択できる存在なのではないでしょうか。逆に言えば、だからこそ我々は一見非合理的な判断や行動ができてしまうという宿命も持っているのではないかと思えるのですが。
そして、それを可能にするため、行動を完全に決定してしまわず、その方向性の指針を与えるものとして、行動の促進・抑制としての感覚や感情における快・不快というものを我々は感じているのではないのかと思います。
もしそうであるとするなら、快・不快にだけ促されて行動するだけでは世界を我々がわざわざ意識している意味が失われるのではないでしょうか。ですから、快・不快に流されるのではなく、それらをひとつの志向性として一歩引いたところから眺めた上で判断することも必要なのではないかと思います。そして、それは(快・不快に依存しない)楽に生きる道を見出す方向でもあると思います。
言い方を変えれば、良くも悪くも我々は少なくとも主観的には自由であるということであると思います。自由というのは他に依存しない、つまり自らによらなければならないということでもあり、それは必ずしも楽なことではないのだと思います。
生きることは、何かと比べようとすれば差はあるでしょうが、苦であることには違いは無いのだと思います。恐らく我々は快を期待することだけでは生きていけるわけではないでしょう(一般的に快は一時的で、不快は継続的であるように思えます。)。
ただ、我々は自由であるが故、可能性を見出すことができる。このことが生の暗闇に唯一微かな光を与えることができるのかもしれないとも思います。それは希望ということかもしれません。希望は自らが諦めないかぎりにおいて永遠に、そしてほのかに見ることができる光ではないでしょうか。
それは、必ずしも綺麗ごとでは無いと思います。希望を見るということは自らの望むことがなんであるかを自分で見出さなければならない、自らの心の奥のどろどろした所から真の自分の望みを光のあたるところに引きずり出さなければならない、それはとても苦しい作業であるかもしれないとも思います。
確かに、客観的あるいは絶対的な<生きる理由>を見出して、それを指針に生きるというのもひとつの方法であると思います。そして、それとは別に自分にとっての<生きる理由>を模索するというのもひとつの方法ではあるように思います。
死への恐怖に打ち勝つだけの勇気があるなら、できることは沢山あるようにも思えてならないのですが、どうなのでしょう。まず、自分が本当に何を望んでいるのかということに、向き合ってみるということも重要なのではないかと思います。
それと、これは「生きることについて」以前HPで書いた文章です。↓
http://www1.odn.ne.jp/toha/zzmlive.htm
これも参考にならないかもしれませんが、一応URL書いておきます。
かなり長くなってしまい、また、内容のない話になってしまったかもしれませんが、一応私の思うことも書いてみました。
また、ご意見・反論等ありましたら、よろしくお願いいたします。
5
:
アル
:2011/02/15(火) 21:22:45
色々言ってくれてありがとうございます。
俺の友達はをがんばって説得させます。多分友達は弱い人間です。
人に言われたことに敏感で悪口だけで何ヶ月も不登校も何回かなりました。
俺はそいつに死ぬことは絶対にさせないしそいつの生きがい、生きている喜びを見出せる
よーにがんばります。。。
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