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鬼和尚の仏教講読会 別館2

1避難民のマジレスさん:2020/09/21(月) 19:36:15 ID:WJISoscI0
前々スレ:https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
前スレ:https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/l50

現在:狂雲集(一休宗純)講読会・開催中であります。

607鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/05(月) 21:20:13 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

天下の禅師は布施を稼ぐめに人をだますのじゃ。
里山や鬼窟で精神をもてあそぶのじゃ。
平生は風流士として通っていた杜牧が、
詩では二喬が銅雀台で春を詠っていたであろとう断じるようなものなのじゃ。

608避難民のマジレスさん:2021/07/05(月) 21:47:01 ID:7xB60k7w0
460
佛成道     仏じゃう道   
天上人間称獨尊 天上人間獨尊と称す
今朝成道受誰恩 こんてう成道たれか恩を受く
分明衲子流星眼 ふんみょうなりなっす流星のまなこ
便是瞿曇的々孫 すなはちこれぐどんてきてきのそん

くま訳
この全宇宙で人間のみができる、たった一つの尊い目的があるのだ。
釋迦が成道されたことによる恩義を、今、受けているのは誰であろうか、
それは、修業する禅僧であることは、彼らの眼の輝きを見れば明らかである。
すなわち、ゴータマの教えが正しく伝わっているのだ

*瞿曇 (くどん)〔梵 Gautama〕仏教の開祖釈迦の姓。ゴータマ。
(´・(ェ)・`)つ

609鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/06(火) 21:48:20 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

仏陀の成道じゃな。

天上天下唯我独尊と称するのじゃ。
今、誰がその成道の恩を受けているじゃろうか。
目を光らせた今の僧であることは明らかなのじゃ。
即ちこれらのものがゴータマの後々の孫なのじゃ。

610避難民のマジレスさん:2021/07/06(火) 22:31:36 ID:Xw4gRdPM0
461
太平正工夫   太平しゃう工夫
天然胡亂正工夫 天然うろんの正工夫
昨日聡明今日愚 さくじつの聡明こんにちの愚
宇宙陰晴任變化 宇宙の陰晴變化に任す
一囘斫額望天衢 一回しゃく額して天くを望む

くま訳
世の中が平和に治まるための工夫
天性怪しい人の工夫
昨日は聡明だったのに、今日は愚かだったり、
宇宙全体、はっきりしたり、ぼやけたり、変化に任せる
一度額に手を当てて、天への分かれ道を考えてみる。

*太平: 世の中が平和に治まり穏やかなこと。また、そのさま
 太平興国南禅禅寺:臨済宗南禅寺派の総本山。瑞竜山と号し,正式には太平興国南禅禅寺という。
*胡亂(うろん)1 正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。2 確かでないこと。真実かどうか疑わし 
 いこと。また、そのさま。3 乱雑であること。また、そのさま。
 中国語はっきりしない、あやしげな。うさんくさい。いい加減な、でたらめな。
*陰晴:曇りと晴れ。晴曇(せいどん)。"
*斫額望汝(しゃくがくして汝を望まん。さだめし人はみな額に手をかざして遙かにお前を見上げて、敬遠 
 することであろうて)
(´・(ェ)・`)つ

611鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/07(水) 23:47:42 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

太平の世の正しい工夫というのじゃ。

正しい工夫などもとから天然胡乱なものじゃ。
修行者は昨日は聡くても、今日は愚になったりするからのう。
宇宙の陰晴の変化に任せるのじゃ。
一度は額に手を当てて天国を望むと善いのじゃ。

612避難民のマジレスさん:2021/07/08(木) 01:48:57 ID:GUxYpGdQ0
462
不行成佛    成仏を行ぜず
天然之釋迦彌勒 天然の釋迦彌勒
六六元来三十六 六六元来三十六
達磨九年佛六年 達磨く年佛六年
成佛作祖盡精力 成佛作祖精力を尽くす

くま訳
死んで成佛するための修行ではないのである。
本来、元から釈迦・彌勒なのだ。
六根六境、感覚や意識とその認識対象を分別し、認識主体ありとする凡人も、本来仏なのだ。
達磨は九年、釈迦は六年修行したのだ
仏であることに気付く為に全精力を尽くすのだ

*六六元来三十六https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>959 166の詩
(´・(ェ)・`)つ

613鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/08(木) 21:58:38 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

仏は成るものではないというのじゃな。

釈迦も弥勒もありのままのものなのじゃ。
六根六境は元から三十六なのじゃ。
達磨は九年、お釈迦様は六年
祖師は精力尽きて成仏をなしたのじゃ。

614避難民のマジレスさん:2021/07/08(木) 22:27:42 ID:lR2AhK260
463
亂中大嘗会   乱中大嘗会  
當今聖代百王蹤 当今の聖代、百王のあと、
玉体金剛平穏客 玉体金剛平穏のすがた 
風吹不動五雲月 風吹けども動ぜず、五雲の月、 
雪圧難摧万歳松 雪おせどもくだけ難し、万歳の松。
 
『雑学の世界』HP解説・訳 抜粋(年表解説含む)
文正元年(1466)12月後土御門天皇の大嘗会(だいじょうえ)に対して、彼は「乱中大嘗会」と題し、次のよ
うに詠んだのである。

現在今上(きんじょう)の御代は、歴代の帝王の後裔によるが、
その帝のお体は金剛石のごとく不動で安らかである。
この皇位は風が吹いてもびくともせぬ五色の雲中の月のごとく、
雪が積もってもくだけることなく、万年の寿(ことぶき)を保つ松のようである

*亂中:(1466年文正元年 一休73歳-市川白弦氏・関連略年表)
 四月義政宴楽にふける。費用巨額。加えて大嘗祭挙行。諸国の疲弊甚しく諸将臨時の課役に堪えず、しき 
 りに民戸に強要し富家に借り、徳政を行って返却せしめず。四民蜂起売米売酒を劫掠。「悪党」ら酒屋・
 土倉に乱入、所々に放火、馬借、下層町人ら加わる。奈良馬借一揆。興福寺等の学侶ら武装出陣。
 これは応仁の乱の前夜で、乱世を作る物騒(ぶっそう)な世の中である。だから皇位も世相も決して一休の
 詠んだように「風吹けども動ぜず」「雪圧せども摧け難し」というものではない、・・・、(大嘗祭)これ 
 は皇室の権威をできる限り取り戻そうとする大事な行事だから、一休は口を極めて賛美したのである。。

くま訳
乱中大嘗会  
今上陛下は、歴代の後裔であります。
お体は金剛の様にお強く、平穏なおすがたであります。 
風吹けど動ぜず、五月の雲の中の月のようであります。 
積雪でくだける事の無い、万歳の松のようであります。
(´・(ェ)・`)つ

615鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/09(金) 21:52:48 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

乱の中の大嘗会じゃな。

今の天皇陛下は百王の後裔なのじゃ。
その玉体はダイヤモンドのように平穏なのじゃ。
風吹けど動じない五色の雲の月なのじゃ。
雪が積もっても砕けない万歳の松なのじゃ。

616避難民のマジレスさん:2021/07/09(金) 23:12:24 ID:OqAvNVVA0
464
作偈博飯喫   偈を作りはんにかへて喫す
來往東山昔如今 とうざんに来往す昨日今日の如し
飢時一飯価千金 き時の一飯あたひ千金
茘支素老仏魔話 茘支素老仏魔の話
慙愧詩情風月吟 慙愧す詩情風月の吟

蔭木英雄先生訳・解説抜粋
東山建仁寺に昔も今も往来し  
空腹時の一椀の飯は千金の価値がある
茘支をたべた清素は仏魔の話をしたが  
ワシば飯をたべ詩情を抱いて風月を吟じるのははずかしい

一休は周建と称した少年時代、
東山建仁寺の慕喆龍攀(ぼてつりゅうはん)につき「三体詩」を」学んだ。・・・兜率従悦(とそつしょうえつ
1044-1091)は淸素首座に茘子を献じたあと、自分の修行経過や見解を述べた。すると清素は、
只だ仏に入るべきも、魔に入るべからず。須らく知るべし、古徳の、「末後の一句始めて牢関に到る」と
謂いしことを。
と述べ、兜率を導いた。― この禅宗史話を踏まえて転結句を解釈しなおすと、
(故郷の果物の)茘子を食った清素首座は、(茘子をくれた兜率に)仏魔の公案を与えて接化教導した。とこ
ろが、作偈の代償に飯を食ったワシは修行者を指導することなく風月を吟じているのが愧かしいわい。となる

くま訳
偈を作り売って飯を食う
東山建仁寺に昔来ていたのが、まるで昨日のようだ。 
飢えてる時の一椀の飯は価千金である。
茘支をたべた素老は仏魔の話をしたが、  
ワシは食うために、風月に対する詩情を吟じるのははずかしいのである
(´・(ェ)・`)つ

617鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/10(土) 23:04:24 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

偈を作り飯にかえて食べるのじゃ。

東山に来たら昔が今の如しなのじゃ。
餓えた時の一飯は価千金なのじゃ。
素老は茘支で仏魔の話をしたが、
わしは詩情で風月を吟詠するだけで恥ずかしいばかりなのじゃ。

618避難民のマジレスさん:2021/07/10(土) 23:37:33 ID:caBPdlkw0
465
因亂寄坊城小納言詩 乱に因りて坊城少納言に寄す 詩
當代菅儒小納言 当代菅儒少納言
詩文家業動乾坤 詩文の家業乾坤を動かす
英雄亂世好風月 英雄乱世に風月を好む
長劍大弓酬主恩 長劍だいきゅう主恩にむくゆ

くま訳
戦乱に際して、坊城少納言に寄す
当代の菅儒小納言殿、
詩文の家業は天下を動かすものであります。
英雄は乱世においても風月を好むものであります。
長劍、大弓で主恩に酬いるのであります。

*wikiによると、東坊城和長が少納言に叙せられたのは、一休さんの死の5年後でありますが、おそらく、 
 この人の事でありましょう。
 東坊城和長の『和長卿記』1494年の条に「秘伝に云う、一休和尚は後小松院の落胤の皇子なり。世に之 
 を知る人無し」とある
 1479年には文章得業生となり、1486年に少納言を兼ね、同年11月15日に従五位上に叙された。1520年 
 に権大納言に任ぜられる。1522年に氏長者「北野の長者」に任ぜられる。同年に権大納言を辞任。1529 
 年、薨去。享年70。
 和長が8歳の時に始まった応仁の乱によって、朝儀に必要な有職故実や紀伝道の知識も喪失の危機にあっ 
 た。こうした状況の中で和長は菅原氏の紀伝道をこれまでにない方法で再興し、存続させると言う課題に 
 取り組むことになった。元来、紀伝道とりわけ菅原氏の人々の間では古来から受け継いできた伝統的な学 
 説を守り続けることが最も重要なことと考えられ、自らの手で新たな説を立てたり、著作を書いたりする 
 ことには積極的ではなかった。和長もこの考え方を重要視し、例えば紀伝儒(紀伝道に伝わる儒学)を正 
 統視する立場から五山の宋学などの新しい学問に対しては批判的な態度を取っていた。
 当時の紀伝道の人々は文章家として、仏事などの行事に用いられる願文や諷誦文、祭文などの制作を依頼 
 されることが多かった。

 東坊城家(本姓・菅原氏高辻庶流五条庶流)は、五条長経(1242-1315年)の次男東坊城茂長(1284–1343 
 年)を祖とする堂上家である。ただし、茂長の時代には「坊城」と称し、孫の秀長・言長兄弟の時代に分 
 立して「東坊城」「西坊城」と称したことから、秀長をもって祖をする考え方もある。極官は室町時代の 
 東坊城益長(1407–1474年)以降、代々文章博士・大学頭・少納言・大蔵卿等を経て権大納言を極官とす 
 る。家業は紀伝道で、代々天皇の侍読を務めた。歴代当主の中には漢学の才を認められる者も多い。
(´・(ェ)・`)つ

619鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/11(日) 22:29:18 ID:1d4drIFg0
昔の官位は貴族の世襲だからわかっていたのじゃろう。

それでよいのじゃ。

乱によりて坊城小納言に寄す詩なのじゃ。

当代の菅儒者である少納言なのじゃ。
詩文の家業は天地も動かすのじゃ。
英雄は乱世でも風月を好むのじゃ。
長劍大弓で主恩に報いるのじゃ。

620避難民のマジレスさん:2021/07/11(日) 22:54:37 ID:XE3BOl/w0
466
賛達磨大師半身 達磨だい師の半身を賛す
東土西天徒弄神 東どさい天いたずらに神を弄す
半身影像現全身 半身のやう像全身を現ず
少林冷坐成何事 少林冷坐何事をか成す
香至王宮蕙帳茵 香し王宮けい帳のしとね

くま訳
賛達磨大師半身 
東土日本も、西の天竺も、誠の信心があやしくなってきている。
半身の御姿から、全身を現すように見える絵である。
少林寺で坐禅修行に打ち込んで、成し遂げたことは偉大である。
南インドの香至国の王宮のきらびやかな部屋で生誕されたのだ。

*1465(寛正 6)72歳の時に、弟子の黒渓の描いた達磨の図に書いた賛。真珠庵に秘蔵。↓
 https://teaceremonytouan.com/blog-entry-366.html?sp
*香至王宮蕙帳茵:達磨は南印度香至國王の第三王子なり、蕙帳の裡に生れて、かくの如き難行苦行をなさ 
 るをいふ。(大成脚注)
*達磨:(378-528):南インドの香至国の国王の三男。名前、菩提多羅。
*神弄(かみいじり): 誠の信心からではなく、みえや形式だけで神参りすることをとがめていう語。神い 
 びり。神せせり。神なぶり。 
*蕙帳(けいちょう)(「蕙」は、かおり草) 蕙の模様のあるとばり。また、それをかけた部屋
*おまけ:達磨(長南瑞生先生解説)(378-528)は、南インドの香至国の国王の三男として生まれ 
 ました。名前を菩提多羅といいます。
 菩提多羅が7歳のある日、行脚の旅をしていた般若多羅という僧侶が香至国を訪れました。
 国王が宮中に招いて教えを受けると、尊い仏教の教えを説いたので、お礼に宝珠を贈りました。
 そして、3人の王子たちにも挨拶させると、般若多羅はこう言いました。
 「国王から頂いたこの宝珠は、まことにすばらしいものです。王子様がた、この世には、この宝珠以上の 
 宝は、果たしてあるものでしょうか?」
 第一の王子はこう答えました。
 「この宝珠は、この国最高の宝物です。この世にこれ以上の宝物はありますまい」
 第二の王子もこう答えます。
 「兄の言う通り、尊者のような高徳の方のみに許される最高の宝です」
 上の2人はこの世にこれ以上の宝はない、という答えだったのですが、第三王子の菩提多羅は違いました。
 「確かにこの宝珠はすばらしい宝です。しかし、何が最高の宝かといえば、正しい教えこそが、最高の宝 
 でありましょう。この宝珠もすばらしい輝きを放ちますが、智慧の光こそが最もすばらしい輝きを放つも 
 のと思います」
 この立派な答えに感心した般若多羅は、出家を勧め、国王も承諾しました。
 やがて国王が病気になり、苦しんで亡くなりました。
 その姿を見た菩提多羅は
 「死んだらどうなるのだろう」
 と思いました。7日間瞑想して考えましたが、わかりません。
 菩提多羅はこれをきっかけに出家し、般若多羅に弟子入りしたのでした。
 このとき菩提多羅は「菩提達磨」という名前をもらい、般若多羅の弟子として、厳しい修行に打ち込みま 
 した。40年以上の厳しい修行の末、ついに一人前と認められたのです。
 お師匠さまに、
 「どこへ仏教を伝えに行ったらよろしいでしょうか」
 とお尋ねすると、驚くべき答えが待っていました。
 「お前は一人前になったといっても、有頂天になって自惚れるでない。私の元でこの後も修行を続けるの 
 じゃ。ただし、私が死んだら67年間、インド中をくまなく歩いて仏教を伝えるがよい。その後は中国へ 
 渡って、仏教を伝えるのだ」
 こうしてしばらくの間師匠のもとで修行を続け、般若多羅が亡くなってから、旅に出たのです。
(´・(ェ)・`)つ

621鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/12(月) 21:50:23 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

達磨大師の半身の賛なのじゃ。

東土西天は徒に神をもてあそぶだけなのじゃ。
半身の影像でも全身を現しているのじゃ。
少林寺で座禅して何事を成し遂げたのじゃろうか。
王宮の帳のしとねは至高の香気がまだ漂っているのじゃ。

622避難民のマジレスさん:2021/07/12(月) 22:46:37 ID:H3hNGvDU0
くま訳
賛達磨大師半身 
第一句:東土西天は徒に神をもてあそぶだけなのだ。

『修証義』第三章 第十一節 禅の視点 - life -Hp訳

次には深く仏法僧の三宝を敬い奉つるべし、生をかえ身を易えても三宝を供養し奉らんことを願うべし、西
天東土仏祖正伝する所は恭敬(くぎょう)仏法僧なり。

life -Hp訳
仏の道を歩む者は「真実を悟った者」「真実についての教え」「真実に沿って生きる人々」の3つの宝を尊
重しなさい。
生まれ変わり死に変わってもこの三宝(さんぼう)を尊重し続けるような強い志しを持っていなさい。
インドから中国へ、中国から日本へと伝わってきたブッダの教えの根本にあるのは、この3つの宝を敬う心
である。


467
嫌佛閣
徳嶠韶陽門大開 徳けうせうやう門大いに開く
喚爲嫌佛一楼臺 よんでけん佛の一楼台となす
這般知識説邪法 しゃ般の知識を邪法を説く
問話者從魔界來 問なの者は魔界より來たる

くま訳
仏嫌いの御殿
徳が極めて高いという 韶陽以遠 が、大雄山最乗寺第二代住持となった。
人よんで、仏嫌いの殿堂となす
そんな坊主が邪法を説くのである
信者は魔界から来るのであろう。

*徳嶠*嶠は山が鋭く高い意味。
*韶陽以遠(しょうよう いおん):室町時代の曹洞宗の僧。)相模(さがみ)(神奈川県)最乗寺の了庵慧明
(りょうあん-えみょう)に師事し,その法をつぐ。丹波永沢(ようたく)寺(兵庫県)の住持をへて,応永(1394-
1428)のころ最乗寺2世となった
*韶陽豆知識①:天正10(1582)年10月10日(信長の百か日)、豊臣秀吉が信長の後継者として大徳寺で盛大
 な葬儀を執り行った。織田信長6女/三の丸殿 (韶陽院) は氏郷の養女として豊臣秀吉の側室となる。
 うむ。一休さん没後100年以上たってからでありますが、妙心寺の韶陽院という建物に、信長の6女がす 
 んでいたらしい。
 韶陽②:雲門宗のこと。韶陽は、雲門大師が韶州雲門山に住するによる
*問話(もんな): 問禅のこと。また広く、禅寺で修行者が疑問を師家などに問うこと。
(´・(ェ)・`)つ

623鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/13(火) 23:45:55 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

仏嫌いの閣殿じゃな。

傲慢な韶陽が門を大いに開いたのじゃ。
人呼んで仏嫌いの一楼閣なのじゃ。
ここの僧は邪説を唱えるのじゃ。
それを聞く者は魔界から来たものじゃ。

624避難民のマジレスさん:2021/07/14(水) 00:03:38 ID:XTDObFBA0
くま訳改
第一句:傲慢な韶陽が門を大いに開いたのだ。

468
病中作     病中の作
徳山捧兮臨濟喝 徳ざんの捧臨濟の喝
嘆我破他機境奪 嘆ず我れ他の機境に奪はるることを、
若人問馬祖不安 若し人馬祖の不安を問はば、
慙愧一生相如渇 慙愧す一生しょうじょが渇

くま訳
病中の作
気合だ!気合だ!
嘆かわしいのは、わしの根気と観察対象が病に奪われていることである。
若し、わしが、馬祖と同じように、不安があるかと問われたら、
司馬相如が一生病に苦しむ中で書き続けた立派な文章程のものが書けてないのではないかと恥かしく思うの
である。

*機境;行者の根機こんき (素質能力) と観察かんざつの対象のこと。
*問馬祖不安:馬大師、不安、院主問ふ、「和尚近日尊候如何。」大師曰く、「日面佛、月面佛」と。即ち 
 馬祖の面目は日月寒暑昼夜春愁の如く、安不安によりて別状あるなしとの意。もし一休がかくの如き問を 
 うけたならば何と答ふべきと。(大成脚注)
*相如渇:司馬相如一生消渇の病に苦しめども、其の一代の文章に於ける実に見るべきものあり、正に之に 
 恥づべきものか。(大成脚注)
(´・(ェ)・`)つ

625鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/14(水) 22:02:20 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

病の中の作というのじや。

徳山の捧と臨濟の喝
わしは他のもの心を奪われることを嘆くのじゃ。
もし人が馬祖の不安を問うならば、
一生相如の渇に囚われることを慙愧するのじゃ。

626避難民のマジレスさん:2021/07/14(水) 23:19:20 ID:IU0vfEmI0
469
賛普化     普けを賛す
徳山臨濟奈同行 徳山臨済、同あんをいかんせん、 
街市風顚群衆驚 街市の風てん群衆驚く。
坐脱立亡多敗闕 坐脱りゅうぼう敗けつ多し、
和鳴隠隠寶鈴聲 くわめい隠々たり宝れいの声。

柳田聖山先生訳
徳山の棒、臨済の喝も、(普化が)一緒ではどうにもならず、
町のフーテン沙汰は、群衆を慌てさせる。
座って死んでも、立って死んでも、(普化の死にようには)到底敵わず、
響き合ってありありと(姿なき虚空に聞こえる)、宝塔の鈴の音だった。"

くま訳
徳山さんも臨済さんも、普化さんが同行するとなると、ちょぴっとなぁてな感じでありましょか?
街中で騒ぎを起こして町民を驚かせるでありましょうから。
坐って解脱しても、立ったまま昇天しても、(消えてしまった)普化さんにはかないませぬ。
かすかに聞える鈴鐸の音だけを残して普化は消えたのだ。

うむ。普化さんみたいなくまになりたいものであります。

*普化(ふけ、生没年不詳)唐代の禅僧、臨済義玄(? - 867年)『臨済録』の中で、臨済がシテの立場、 
 普化はワキの役どころを演じているが、その行動が異様なものが多く、風狂僧や神異僧の部類に属する。
 師の入滅前の、門弟子たちに対する「私の本当の姿を描けるか」という問いに対して、普化のみが、ただ 
 トンボ返りをうったことで、師に喜ばれ、「風狂を演じあげて、世間を騒がせよう」と賞賛されたと伝え 
 られている。
 また、その名も、通称であり、本名はおろか、受戒の僧名も明らかではない。普化とは、神出鬼没の普化
 が、突然に街頭に現れ、道行く人の耳もとで鈴を振り乞食した、つまり「普く化を求めた」ことから付い 
 た俗称である。この場合の「化」は、「施し、布施」の意味である。
 また、その寝泊りする場所は、墓地であったという。日が昇ると、市場に現れたという。そして、鈴を振 
 りながら叫ぶ「明るいのが来れば打つ、暗いのが来れば打つ」と。それを聞いた臨済が小坊主を使って探 
 りを入れる。「全くどこからも来なければ、どうするんだ」と。普化の答えは、「明日は、大悲院でお斎 
 (とき)があるよ」という意外なものであった。
 翌日、普化が臨済院を訪れる。臨済は歓待する。普化の食べ方がおかずだけを平らげるという異様なもの 
 だったので、臨済が「まるでロバだ」と批評する。普化は「メー」と鳴く。臨済は絶句。すかさず普化が 
 「小僧(=臨済)には、片目しかないね」と言って去って行く。
 というのが、『臨済録』中の、臨済と普化の有名な逸話である。了然大悟した筈の臨済の上を行く存在と 
 して、普化は重要な役割を演じている。
 その最期に付いては、https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>924 "普 
 化(ふけ)和尚:瑞雲院法話のページより抜粋 "

 これは、道教の尸解(しかい)に類したもので、仏僧でも、高僧の最期としては、達磨にも見られるよう 
 に、珍しいものではないらしいのである。
(´・(ェ)・`)つ

627鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/15(木) 22:01:34 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

普化の賛じゃな。

徳山や臨も同行しないのじゃ。
街中の風狂は群集を驚かすのじゃ。
坐脱立亡には誰もが負けるのじゃ。
宝鈴の音があわせて隠隠と響くのじゃ。

628避難民のマジレスさん:2021/07/15(木) 22:47:32 ID:v1y86gyc0
470
訪養叟的子熈長老癩病 1/2 養そうの的子き長老の癩病をとふ 
毒蛇窟宅洛陽東 毒蛇の窟宅洛陽の東
癩病深懼亨徹翁 癩病深くおそるきゃう徹翁
紹熈養叟正傳子 ぜうきは養叟しゃう傳の子
學得天衣佛日風 學び得たり天え佛日のふう

くま訳
養叟宗頤の弟子である癩病の春浦宗煕を訪ねる
毒蛇の巣窟、都の東
癩病を深く恐れていた師匠徹翁義亨
春浦は養叟をしっかりと正伝したのであるな。
学び得たようである、天人のように着飾り無知な衆生を騙す禅風を。

*春浦宗煕(しゅんぽ そうき)1409/16-1496 室町時代の僧。大徳寺の養叟宗頤(ようそう-そうい)の法を 
 つぎ,寛正(かんしょう)2年1461年同寺の住持となる。応仁(おうにん)・文明の乱を摂津,和泉(いずみ) 
 にさけ,乱後は大徳寺の復興につくした
*煕・頤・熈 など出典により、新旧違うのである皆「き」である。
*養隻宗熈や春浦宗熈を批判する際好んで引用する徹翁義亨の「示榮衒徒法語」をふまえているのである。 
 (飯塚大展先生)
 参)https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>808
*仏日:仏の光明が衆生の無知の闇を照らすことを太陽にたとえていう
(´・(ェ)・`)つ

629鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/16(金) 21:50:27 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 今度は養叟の弟子のライ病の宗煕を訪ねるというのじゃ。

 毒蛇の巣窟である都の東
 ライ病深く恐れる亨徹翁なのじゃ。
 紹熈は紹熈の正伝の弟子なのじゃ。
 天衣仏日の風を学び得たのじゃ。

630避難民のマジレスさん:2021/07/16(金) 22:36:16 ID:KDtOGFaQ0
471
訪養叟的子熈長老癩病 2/2
病輕脈重咸淳禪 病かろく脈重きは咸淳の禪
病重脈輕會昌禪 病重く脈かろきはゑ昌の禪
就中腐爛養叟輩 中に就いて腐らんす養叟のともがら
病脈並損今日禪 病脈ならびに損すこんにちの禪

くま訳
訪養叟的子熈長老癩病 
ふむ。病状軽く、脈重いのであれば、咸淳の度宗皇帝に、意識を集中してるのであろう。(ふむ。脳溢血で死ぬであろう。)
ふむ。病状重く、脈軽いのであれば、会昌の武宗皇帝に、意識を集中してるのであろう。(ふむ。薬中毒で死ぬであろう。)
ふむふむ。なかんづく、腐乱してるのであるよ、養叟のところの輩は。
脈から推察されるところの病は、本日の看立て診断によると、悪化しているようである。

*咸淳(かんじゅん)は、南宋の度宗の元号。1265年–1274年。
*会昌(かいしょう)は、唐代の武宗の元号。841- 846年。このころに仏教弾圧が行われる(会昌の廃 
 仏)。
*度宗(たくそう)は、南宋の第6代皇帝。
 1240年、紹興で生まれる。幼少より節度がある言動が認められ、1260年に皇太子に立てられた。厳格な
 儒学的教育を受けた。1264年、皇帝として即位する。年齢が若かったこともあり派閥抗争を抑制するこ 
 とができず、モンゴル帝国のクビライの侵攻を防止することができなかった。南宋の滅亡が決定的となっ
 た。1274年に35歳で崩御。死因は酒色による脳溢血とされる。
*武宗(ぶそう)は、唐朝の第18代皇帝。穆宗の五男。
 武宗は冷静沈着で、明晰かつ決断力に富んだ人物であった。宦官勢力の抑制や中央集権体制の立て直しに 
 努めた。道士である趙帰真を信任し、道教に傾斜するあまり「会昌の廃仏」と称される廃仏令を出してい 
 る。846年、丹薬による中毒で33歳で崩御した。死の間際に炎と改名している。
*就中・なかんずく その中でも。とりわけ。
(´・(ェ)・`)つ

631鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/17(土) 23:22:38 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

前と同じじゃな。

病軽く脈が重いのは咸淳の亡国の禪なのじゃ。
病重く脈が軽いのは会昌の廃仏の禅なのじゃ。
それらよりも腐敗しているのが養叟の輩なのじゃ。
病も脈も損なっている今日の禅なのじゃ。

632避難民のマジレスさん:2021/07/18(日) 03:59:56 ID:KI1Uku5o0
くま訳全面改
第一句:病軽く脈が重いのは咸淳の亡国の禪なのだ。
第二句:病重く脈が軽いのは会昌の廃仏の禅なのだ。
第三句:それらよりも腐敗しているのが養叟の輩なのだ。
第四句:病も脈も損なっている今日の禅なのだ。
 
472
達磨忌 
毒薬数加賊後弓 毒薬しばしば加ふ賊後の弓
大千逼塞佛心宗 だいせんひっそくす
西來無意我有意 せいらい意無し我意有り
熊耳山中落木風 ゆうじさんりゅうらくぼくの

達磨忌 10月5日の達磨大師の忌日に行う法会
毒薬がしばしば盛られていたことが後から分かったが、後の祭りだった
世界中の禅宗門が喪に服した
達磨がインドから来た意味、禅とは何かの答えは、外側には無い。わが心の中にあるのだ。
葬られた熊耳山(ゆうじさん)には、強風が吹いてるだろう。

*祖師西来意は禅の代表的な公案のひとつ。
 『無門関』第三十七則
 一人の僧が趙州和尚に問うた。
 「如何なるか是れ祖師西来意」(大意:達磨大師が遠路、インドから中国へと来られた真意は何なので 
 しょうか?)
 趙州和尚は答えた。
 「庭前の柏樹子」
 『趙州録』
 また僧は続けて問うた。
 「和尚、境を将て人に示すこと莫かれ」(大意:私は禅とは何か尋ねているのです。心の外の物で答えな 
 いで下さい)
 趙州和尚は続けて答えた。
 「我れ境を将て人に示さず」(大意:私は心の外の物で答えてなどおりません)
 僧は再度問うた。
 「如何なるか是れ祖師西来意」
 趙州和尚は、再度答えた。
 「庭前の柏樹子」

*景徳伝灯録巻三。第二十八祖菩提達磨(瑞雲院法話のページより)
 大師は風のごとく雨のごとく、あまねく甘露の正法を施した。そのためその活動をうらやむ者によって毒 
 を盛られ、六度目に毒を盛られたとき、説くべきことは説き、法を伝える人も得たと、495年10月5日、 
 端然として亡くなった。150歳であった。
 遺体は熊耳山(ゆうじさん)に葬られ、塔は定林寺に立てられた。熊耳山は熊の耳のように二峰が並びそ 
 びえていることから付けられた山名だという。なお西紀527年に中国に来て、495年に亡くなるはずはな
 いが、原文はそうなっている。年号の書きまちがいかもしれない。
 三年後、宋雲(そううん)という僧が西域を旅しているとき、葱嶺(そうれい。パミール高原からカラコ 
 ルム山脈にかけての山域)で達磨大師に会った。大師は手に履き物の片方をぶら下げていた。宋雲が尋ね 
 た。
 「先生はどこへ行かれるのか」
 「インドへ帰る」
 帰国した宋雲は皇帝にそのことを報告し、皇帝は大師の墓を調べさせた。すると棺の中は空っぽで、ただ 
 履き物の片方のみが残っていた。後に皇帝から円覚大師の名を贈られた。
(´・(ェ)・`)つ

633鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/19(月) 00:25:02 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

賊によって後ろ弓の毒を度々加えられたのじゃ。
大千世界が逼塞した仏の心の宗家なのじゃ。
無意ならば西来し、有意ならば我が有るのじゃ。
熊耳山中の木は落ち風が吹くのじゃ。

634避難民のマジレスさん:2021/07/19(月) 07:24:01 ID:qzveYPbg0
くま訳全面改
賊によって後ろ弓の毒を度々加えられたのだ。
大千世界が逼塞した仏の心の宗家なのだ。
無意ならば西来し、有意ならば我が有るのだ。
熊耳山中の木は落ち風が吹くのだ。

*後弓反張 :後頚部の筋および背筋、上下肢筋の筋緊張 進、または痙攣により頚部を強く背屈させ、全身
が後方弓形にそりかえる状態。 <要因> 髄膜炎、破傷風

473
賛杜牧     杜牧を賛す
杜書記獨朗天然 杜書記獨朗天然
参得正傳臨濟禪 参得すしゃう伝臨濟の禪  
儒雅家風無一點 儒雅の家風一点無し
詩情淫色紫雲前 詩情淫色紫雲の前  

くま訳
杜牧を賛す
杜書記は、無相の一念に悟入して、大悟の域に達していたのだ。
臨済正伝の真理を体得していたのである。
儒家の家風は全くない
詩情は淫意で、吉兆を感じさせるものである。

*杜牧(とぼく)803-853年晩唐の詩人。355 356 「杜牧」参
*杜書記;杜牧は833年三十一歳の時から数年間書記として官吏生活を送った。
*獨朗天然:たぶん、天真独朗 のことでありましょう。
天台法門の奥義を表わしたことば。天真とは諸法の本然のすがたをいい、諸法がそのまま本覚の智体であ   
 ることを独朗といったもの。たとえば地獄も真如の功徳であり(天真)、また地獄にも法界を収めている 
 (独朗)というもの。  。
 無相の一念に悟入すれば、生死の別を離れ宇宙朗然とし、凡身そのままに大覚の域に達するということ。   
 最澄が在唐のとき、道邃(どうすい)から口伝された語という。
*参得:参禅して真理を体得すること。
*儒雅(じゅが)① 儒教の正しい道理。② 儒家の流れで、文の道にすぐれていること。また、その家柄、 
 人。立派な儒者。
*紫雲;念仏行者が臨終のとき、仏が乗って来迎(らいごう)する雲。吉兆、めでたいしるしとされる。
(´・(ェ)・`)つ

635鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/19(月) 23:37:38 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

杜牧の賛じゃな。

杜牧はありのままに悟っていたのじゃ。
臨済禅の正伝を得ていたのじゃ。
儒教の虚飾の風は全くなかったのじゃ。
詩情の淫色でさえ紫雲があったのじゃ。

636避難民のマジレスさん:2021/07/20(火) 00:00:38 ID:PVB4a6ig0
474
絶交會裡衆偈、 えりの衆に絶交するげ、
且以自警云   かつ以って自らいましむといふ
匡徒領衆立魔宮 徒をただし衆を領じてまきゅうをりっす
汗馬從前蓋代功 かんばじゅうぜんがいだいの功
師弟凡情共姦黨 師弟の凡情ともにかんとう
可憐韓信嘆良弓 あわれむべし かんしんが良弓をたんぜしことを

くま訳
弟子たちの会派と絶縁の偈。
弟子たちをただし、指導して、魔宮を束ねてきたのである。
しかし、もっと弟子たちの努力も見てやるべきであった。祖師がそれまで勝ちえてきた功績は祖師本人以外
は知らないのであるから、何度も議論してやるべきであった。
師弟の低俗な心が、会を悪人集団にしてしまったのである。
気の毒に思うことは、見込みのある有能な弟子を誤解して叱ってしまったことである。

*碧巌録
 從前汗馬無人識 従前の汗馬人の識るなし、
 只要重論盖代功 只だ重ねて蓋代の功を論ぜんことを要す。
 
 目の前で汗をかいて走る馬がいても人がそれを知ることはなく  
 ただくりかえし歴代の導師の言葉を論ずることを求めるだけです。
 
 歴代の祖師がそれまで勝ちえてきた功績を本人以外は知らないから、祖師一代一代の功績について、何 
 度も議論しなければならない。 (野狐禅RRPG先生訳)
*韓信(かんしん):秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決 
 定付けた。「韓信の股くぐり」「恥は一時、志は一生」
 劉邦は謀反の疑いで、韓信を 降格させた逸話。
(´・(ェ)・`)つ

637鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/20(火) 23:34:23 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

会衆と絶交する宣言とともに、自ら戒めるのじゃ。

徒弟を正し、会衆を率いてかえつて魔宮を立ててしまったのじゃ。
誰もわしの苦労を知らないのじゃ。
師弟のぼんくら情けが共にあだになって悪くしたのじゃ。
韓信が良弓を嘆くような憐れさなのじゃ。

638避難民のマジレスさん:2021/07/21(水) 00:15:07 ID:ody751oo0
くま訳全面改
徒弟を正し、会衆を率いてかえつて魔宮を立ててしまったのだ。
誰もわしの苦労を知らないのだ。
師弟のぼんくら情けが共にあだになって悪くしたのだ。
韓信が良弓を嘆くような憐れさなの

475
金春座者歌   こんぱる座者の歌
唱得雲門王老禪 唱へ得たり雲門王老の禪
朝遊東土暮西天 あしたには東土に遊び暮には西天
震旦徑山上堂後 震旦のきんざん上堂ののち
建仁撃鼓法堂前 建仁にくをうつはつとうの前

くま訳
金春座座員の歌 
雲門老師の禪を正しく歌っているのである。
朝は中国で遊び、暮には印度へ帰る、自在に飛び廻る。
中国の臨済宗徑山(きんざん)寺にお参りしたあとで、
日本の臨済宗建仁寺で法堂の前で鼓を打つのである 

*金春座(コンパルザ):大和猿楽四座の一。興福寺・春日神社に奉仕。奈良で興福寺猿楽の伝統から首座を 
 占めた。当時の能楽を代表する金春禅竹(1405-1470)はその理論に一休が関連していたとされる。今も 
 金春流として続いている。
*建仁:千光榮西禪師の開山なり(大成脚注)
*震旦(しんたん)真丹とも書く。中国の古称。古代インド人が中国を秦の土地 (チーナスターナ) と呼ん 
 だことに基づく。
 〈秦国の土地〉の意でサンスクリット語チーナスターナとなり,それが仏典翻訳の際中国に逆輸入され漢 
 訳されたもの。振旦,真丹,支那などすべて同じ音の転字だが,震は東方を旦は坦(地)をさす。 
*径山寺(きんざんじ)は、浙江省の径山にある仏教禅寺。南宋の五山の一。日本の茶道に影響したとする 
 言説がある。径山寺味噌(金山寺味噌)の由来や醤油の起源等の諸説との関係が指摘される。日本の文化 
 との関係は深い。らしい。 
(´・(ェ)・`)つ

639鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/21(水) 23:51:33 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 金春座の者の歌というのじゃ。

 雲門王老の禅を唱えられたのじゃ。
 朝には東土に遊び、暮れには西天に飛ぶが如き歌なのじゃ。
 震旦の径山寺に上堂の後
 建仁寺の法堂の前で鼓を打つが如くなのじゃ。

640避難民のマジレスさん:2021/07/22(木) 02:20:41 ID:1DZSY1IU0
476
三毒
貪嗔根本自痴愚 とんじんの根本自から痴愚
人我無明名利徒 にん我無明名利の徒
一箇無心閑道者 一箇無心の閑道者
近年林下一人無 近年林下一人無し

くま訳
三毒
貪嗔の根本は自ずから痴愚と云う事である 
自我があると思い込む無明の徒である。
一箇無心で穏やかな境地
近年、禅林には一人もいないのである。

*三毒:仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じ 
 ん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。
 三毒は人間の諸悪・苦しみの根源とされている。ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られ
 ている概念である。

三毒を構成する煩悩
三毒 読み方 意味                            象徴する動物
貪  とん  貪欲 むさぼり(必要以上に)求める心。「欲」 と表現する。 鶏
瞋  しん  瞋恚(しんに)  怒りの心。「いかり」・「にくしみ」と表現する。 蛇
痴  ち   愚癡(ぐち) 真理に対する無知の心。「おろかさ」と表現する。 豚
(´・(ェ)・`)つ

641鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/22(木) 23:02:19 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

 三毒なのじゃ。

 貪りや怒りの根本は自らを知らぬ愚かさなのじゃ。
 人は我について無明ならば名声と利益を求める名利の徒となるのじゃ。
 一個の無心の者であれば閑道者となるのじゃ。
 そのような者は近年禅林には一人も居ないのじゃ。

642避難民のマジレスさん:2021/07/22(木) 23:14:51 ID:Gk1bTWP60
477
岩頭和尚
名風流面蠻胡 名は風流面はばんこ
胡鬚黒他赤鬚 胡しゅは黒くまたせきしゅ
舌頭絶勝文殊 舌頭は文殊に絶勝し、
脚下踏斷道儒 脚下は道儒をとう断す
天下衲僧痴愚 天下の衲僧痴愚
邪法而今難扶 邪法今たすけがたし
象骨老師小巫 象骨老師の小ふ
臨濟渡子同途 臨濟とし同途
着着作様作模 着着やうをなし模をなす
頭頭入細入粗 づづ細に入り粗に入る
横棹一拶江湖 さおを横たへて、洞庭湖畔で、江湖を一拶す、
江湖議論區區 江湖議論区区たり

くま訳
岩頭和尚
名は風流であるが、顔は異民族の様である。
北方の異民族の髭は黒く、他は赤い
弁舌は、文殊菩薩に圧勝するであろう程に鋭く
足腰は修験道の行者をも踏み倒すほど強い
彼と比べると、天下の禅僧が、まるで痴愚のように思われる。
邪法は今助けにならない
象骨山に崇聖寺を開いた雪峰禅師は、小人の巫女さんみたいだ。
臨済宗の流れの者たちも皆同じである
着着と見栄を張る準備をしているのである。
ああでもない、こうでもないと、細かくしてみたり、粗くしてみたりと、
洞庭湖畔で釣り竿を横たえて、禅者同士で相手の試し合いをしてたのでありましょうか。
夏安居での問答は、細かくやったことでありましょう。

https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>931 参
*巌頭全奯(がんとう ぜんかつ、828年 – 887年)唐代の禅僧。 
 州南安県の出身。
 青原行思の下で、仰山慧寂・徳山宣鑑に参じ、徳山の法を嗣ぐ。洞庭湖畔の臥竜山(がりゅうざん)で宗 
 風を挙揚した。
 887年、賊に首を斬られて死す。
*蠻胡:蠻・南方の蛮族、胡・北方の異民族
*雪峰禅師が象骨山(ぞうこつざん。雪峰山)に崇聖寺(すうしょうじ。雪峰寺)を開いた。
*装模作様 そうもさくよう:見栄を張ったり、上品ぶったりすること。「装」と「模」はどちらも見た目 
 を着飾ったり、他人の真似をしたりすること。「作様」は動きの様子。「装模様を作す」とも読む。
*頭頭(かぶりかぶり):幼児が頭を左右に振ること。
*江湖:大きな江(川)と湖の併称で、転じて官に対する民間、世間一般を指す言葉。
 禅宗用語 - 夏安居
*一拶:禅者同士が出会うときに、ことばや動作で相手をためすこと。
(´・(ェ)・`)つ

643鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/23(金) 23:40:02 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 岩頭和尚じゃな。

 名は風流、面は西洋人みたいなのじゃ。
 西洋鬚は黒赤まだらなのじゃ。
 舌先は文殊菩薩にも勝つのじゃ。
 足下に道教儒教の輩を踏み倒すのじゃ。
 彼に比べれば天下の僧も痴愚に等しいのじゃ。
 邪法の徒は今助け難いのじゃ。
 象骨の老師も渡世のまじないしの如しなのじゃ。
 臨済の渡子と道を同じくするのじゃ。
 着々とようをなし、着々と模をなすのじゃ。
 頭を使うごとに細に入り、粗にも入るのじゃ。
 竿を横たえて江湖に挨拶するのじゃ。
 江湖の議論は区区になったのじゃ。

644避難民のマジレスさん:2021/07/24(土) 04:23:18 ID:4c0wS6fo0
くま訳改
4行目:足下に道教儒教の輩を踏み倒すのだ
8行目:臨済の渡子と道を同じくするの
9行目:着々とようをなし、着々と模をなすのじゃ。
10行目:頭を使うごとに細に入り、粗にも入るのじゃ。
11行目:竿を横たえて江湖に挨拶するのじゃ。
12行目:江湖の議論は区区になったのじゃ。

くま質問
「着着作様作模」とは、普段は世間の人の流儀に従い、その真似をすることにより、波風をたてない、と
いったような意味でありましょうか?

478
示南坊 禎   南坊に示す てい
男色興盡對妻淫 なん色興尽きて妻に對して淫す
狭路慈明逆行心 けい路慈明逆行のこころ
容易説禪能忌口 容易に禪を説くよく口を忌む
任他雲雨楚臺吟 さもあらばあれ雲雨楚台の吟

くま訳
南坊、 岐翁紹禎(一休宗純の実子にして弟子)に示す
男色への興味が尽きれば、妻に対して淫欲をもよおしたりすのである。
仏道修行のため色欲を抑制せよとする狭路に対して、慈明は逆行して、悟りに向ったのだ。
禪を容易なものと考えて説くのは、忌むべきである。そんな言動は、
どうとでもなればよいと、ありのままの情を詠んだ性交、交会の詩の様になってしまうのである。

*南坊宗啓は集雲庵二世を名乗っている。集雲庵開創 岐翁紹禎(ぎおうしょうてい)(一休宗純の実子にし 
 て弟子)は、正長元年(1428年)の生まれ(Wikipedia)
*楚台夢:そだいのゆめ;性交の意に用ふる比喩。「ふざんのゆめ」に同じ。交会の比譬語。交接の比喩語。
*然もあらばあれ:それならそれでしかたがない。なるようになれ。ままよ。さもあれ。
 すでに存する事態を受けて、その事態を不本意ながら容認する気持を表わす。どうともなるがよい。まま 
 よ。漢文の「遮莫・遮渠・任他」の訓読にも用いる。"
*888: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2020/08/08(土) 23:01:28 ID:1d4drIFg0
 仏道修行は色欲を抑制して実践するものじゃ。
 それは狭い道というのじゃ。
 臨済宗の正伝禅ではむしろ色欲をも利用して悟りに向かうというのじゃ。
 芸術とか風流の道なのじゃ。

おまけ:文清筆楊岐和尚像(京都大徳寺所蔵国宝)
楊岐禪師・・・慈明和尚の石霜寺に移るに随ひて監寺となる、補佐久うして未だ究明する所あらず、屢々参
して問ふ、慈明多忙に托して説かず、時に慈明に老母あり、寺に近く住す、慈明毎日往きて慰むるを例とす、
一日大に雨りし時、方會その途に伏して慈明の來るを待つ、已にして抵れば直に其手を執り、今日須らく説
くべし、説かざれば和尚を打つべしと詰る、慈明答ふ、監寺是般の事を知らば便ち休せよ、と言未だ終らざ
るに玄旨を領するを得、泥路に附して禮し、又起きて、狭路に相逢ふ時如何と問ふ、慈明曰く汝は且つ軃避
せよ、我も去らん那裡に去れと、それより方會は慈明の出づることを未だ遠からざるを窺ひ、必ず晩しと雖
も鼓を鳴して學徒を集めければ、慈明歸り怒り責めて曰く、何をか為す、方會答へていふ、晩参と、是れ後
世叢林晩参の初なりといふ、後宜春より迎へられ楊岐寺に住す、然るに九峯の長老勤公未だ方會の大悟せる
を知らず、州郡の與望に背かんことを憂ひ、方會と問答したるより、其名遠く聞え四方に重んぜらるゝに至
りたり、後更に潭州雲蓋山海會寺に移りしが、二居共に法筵盛なり、その間風特色あり、學者之を楊岐宗と
呼ぶ、曾つて自賛を頌す、曰く、口似乞児席袋、鼻似園頭屎杓、勞君神筆寫成、一任天下卜度宋の仁宗の慶
歴六年、五十四歳を以て寂す。
(´・(ェ)・`)つ

645鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/24(土) 21:51:45 ID:1d4drIFg0
 ↑それはむしろ自ら僧としての行いを続け、模範となるというような感じじゃな。
  廃仏にも囚われぬ真の僧なのじゃ。

 そんな感じじゃな。

 南坊に示すというのじゃ。

 男色に飽きて妻に淫欲をおこすのじゃ。
 慈明の狭い道に逆行する心なのじゃ。
 容易に禅を説いてはいかんのじゃ。
 雲雨楚台の吟は意に任すのじゃ。

646避難民のマジレスさん:2021/07/24(土) 22:21:03 ID:fpf1chfw0
くま訳改
第四句:雲雨楚台の吟は意に任すのだ。

479
相對
二月涅槃寂滅辰 二げつ涅槃寂滅のとき
一刀兩斷也心身 一刀兩斷また心身
不生不滅佛難得 不生不滅佛も得がたし
花約有無相對春 くわ約有無相對の春

くま訳
相對
二月涅槃、釈迦の入滅の日 
心身を一刀両断する
不生不滅は佛も得難い境地である
花咲き花落ちる相對の春

*花約有無相對:花咲き花落つるをいふ(大成脚注)
*涅槃会(ねはんえ)、陰暦2月15日、釈迦の入滅(にゅうめつ)の日
*不生不滅:何ものも生ぜず,また滅びないということ。輪廻の世界から解放された世界観に立つと,絶対 
 的な実在はないということを表現するときに用いる言葉。空の観念を補足するものであり,涅槃のあり方 
 を否定的に説明する語法。
*一郷正道先生解説抜粋(大谷大学hp)
 インドに二〜三世紀頃在世し、『般若経』を中心に空の哲学を大成したナーガールジュナ(龍樹)は、縁
起思想にもとづいて「空」を理解した。「此れあれば彼あり、此れ生ずれば彼生ず・・・・・・」という成句に示
される縁起の意味は、ものはすべて、なんらかの他に依存して存在する相対的なものでしかないこと、絶対
的存在は決してありえないことを教える。この絶対的、実体的存在(自性(じしょう))が無いことを
「空」という。すべては空であって、夢・幻の如きものである。本来、聖でも俗でもないものを、聖とか俗
とか判断するのは、私の心の区別、分別作用である。聖も俗も言語上の区別にすぎず、空という点では両者
は不二である。
 ものは、すべて、縁起の理論で無と否定されるが、否定されて無に帰してしまうのでなく、そのまま、縁
起的には有として肯定される、という両面をもった存在である。
 そうであれば、自己主張の真・正・善性を標榜し、他を排除するところに闘争がくりかえされる現代の世
相を思うに、絶対性を否定し、執着からの解放を教える「空」の考え方こそ、顧みられるべきでなかろうか。
(´・(ェ)・`)つ

647鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/25(日) 21:46:19 ID:1d4drIFg0
相対なのじゃ。

二月の涅槃寂滅の時なのじゃ。
心身一刀両断なのじゃ。
不生不滅の仏の境地は得がたいものじゃ。
花は有無相対の春を約束するのじゃ。

648避難民のマジレスさん:2021/07/25(日) 22:40:24 ID:iAmTf7C60
くま質問
「花は有無相対の春を約束するのじゃ。」とは、ありのままは、相対的なものであり、絶対的なものではない
としつつ、花咲く事が、春の訪れを約束するとは・・・絶対、相対の更に向こう側のありのままみたいなこ
とでありましょうか?

480
日用
日用正工夫 日用のしょう工夫
挽弓東射胡 弓をひいてひんがし胡を射る
殺佛殺祖令 佛を殺し祖を殺す令
波旬失却途 波旬みちを失却す

くま訳
行住坐臥の日用・日常生活
日用生活の中での正しい工夫をするのだ。
弓をひいて東の魔敵を射るのだ。(集中して心にあらわれる一切の思い、執着、煩悩を射止めるのだ)
佛という観念や、祖師という観念も、一切の観念を射止めて消し去るのだ。
それが、悪魔を亡ぼす道である。

*殺佛殺祖:『臨済録』
 逢佛殺佛、   仏に逢うては仏を殺し。
 逢祖殺祖、   祖に逢うては祖を殺し。
 逢羅漢殺羅漢、 羅漢に逢うては羅漢を殺し。
 逢父母殺父母、 父母に逢うては父母を殺し。
 逢親眷殺親眷、 親眷(しんけん:身内や親族)に逢うては親眷を殺し。
 始得解脱、   始めて解脱を得ん
 不與物拘、   物と拘わらず、
 透脱自在。   透脱すること自在ならん
(´・(ェ)・`)つ

649避難民のマジレスさん:2021/07/26(月) 01:35:24 ID:sRRy.l3c0
*おまけ:日用 + 詫茶の創始者 村田珠光 :禅と悟りhp解説抜粋
 馬祖道一(709〜788)中国禅の実質的な創始者と言える。
 馬祖道一の禅風は<作用即性> 、<日用即妙用>、<即心即仏>、<平常心是道>。
 <作用即性>とは本性とその用(機能、働き)は同じであるという意味である。
 <日用即妙用>とは日常生活の中に仏法の妙用がそのまま現れていることを言う。
 <即心即仏>:「汝等諸人、各々自心これ仏なることを信ぜよ。この心即これ仏心なり。」(景徳伝燈録 
 卷六)とある。これより<即心即仏>とは、心=仏=仏心 であることを言っている。
 坐禅修行によって煩悩を離れた心こそが仏だと言っている。
 我々普通人は超越者としての仏を考え仏像など礼拝する。
 馬祖はそのような信仰対象の仏ではなく、坐禅修行によって浄化された心(健康な脳)こそ仏であると言う。
 (「無門関」30則「即心即仏」を参照 )
 景徳伝燈録のこの話の続き話が馬祖語録にある。
 ある僧が更に馬祖に尋ねた、「和尚は何故に即心即仏と説く?」
 馬祖曰く、「小児の泣くのを止めんがためなり。」
 僧曰く、「泣き止むときは如何?」
 馬祖曰く、「非心非仏。」
 (「無門関」33則「非心非仏」を参照 )
 <非心非仏>はよく心でもなく仏でもないと説明される。
 三祖僧サンの「信心銘」に「一心不生なれば万法咎無し。咎なければ法無く、生ぜざれば心にあらず」と 
 いう言葉がある。
 (「信心銘」を参照 )
 これは一心不生の本体こそが本来の面目(真の自己)であることを述べた箇所である。・・・
 意識が生じることがなければ心ではない。 このようなものは心でもない、また仏と呼ぶこともできない。
馬祖道一の法嗣百丈懐海(720〜814)の言葉に
「一切の語言文字、ともに皆宛転して自己に帰す。」という言葉がある。
宛転とは変化するさまを言う。
百丈懐海のこの言葉は「一切の語言文字は、結局のところ真の自己(脳)の働きに帰着する。」と言っている。

根本原理の応用例  
茶の湯
わび茶とその歴史(村田珠光→武野紹鴎)堺の豪商・村田珠光(じゅこう)
室町時代後期、喫茶は庶民の間まで広まっていたが、公家・武士らが行う茶会では高価な中国製の道具であ
る「唐物」が用いられていた。
このように高価な唐物を尊ぶ風潮に対し、村田珠光(むらたじゅこう、1423〜1502)は、粗製の
「侘びた」中国陶磁器(「珠光青磁」と呼ばれるくすんだ色の青磁が代表的)などの道具を使用した。
大徳寺の禅僧・一休宗純のもとに参禅した村田珠光は禅院での茶の湯に点茶の本意を会得したといわれ、侘
び茶を創始して茶道の開祖となった。

珠光は坐禅の眠気防止に一休から茶を薦められたのが、茶との出合いだったと伝えられる。
彼は坐禅を繰り返すうちに“茶禅一味”の悟りに達したとされる。
彼が始めた「侘び茶」は、従来の派手で形式中心の「大名茶」とは全く異なるものだった。
小さな四帖半の茶室の中では、人の身分など関係ない。そこにあるのは亭主のもてなしの心だけである。
彼はこの心が仏だとした。まさに一休から学んだ「仏は心の中にある」であり、珠光は仏の教えを仏典を通
してではなく、日常生活(茶の湯)を通して具現化したのである。
この「侘び茶」の精神は武野紹鴎(じょうおう)を経て千利休へと受け継がれて行くのである。
(´・(ェ)・`)b

650鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/26(月) 23:53:30 ID:1d4drIFg0
↑そのような感じじゃな。
 真摯に実践していればやがて有無相対を超える悟りが訪れるということじゃな。

 
それでよいのじゃ。

 日用なのじゃ。

 日用の正しい工夫なのじゃ。
 弓を引いて東の敵を射るが如くするのじゃ。
 仏を殺し、祖師も殺すつもりで実践なのじゃ。
 そのようにすれば魔も付け入る方法を失くすのじゃ。

651避難民のマジレスさん:2021/07/27(火) 02:26:56 ID:72aVpLM.0
481
賛松源和尚   松源和尚を賛す
娘生眼照太虚空 じょうしょうのがんだい虚空を照らす
天澤兒孫在海東 天澤の児孫海東に在り
滅卻宗風三轉語 宗風を滅卻す三転語
詞華心緒一天紅 詞華心しょ一天くれなゐなり

くま訳
賛松源和尚
世俗人々の眼を、大いなる虚空へと解放する。
虚堂の孫弟子である一休が、日本国にはいるであります。
宗風を滅却して革めた松源の三転語、
その見事な文章が、思いの筋道を、一輪の赤い花のように導いてくれるのであります。

*松源和尚三轉語 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>788 〜   
 112 113 114 の詩 参
*娘生(じょうしょう)とは、娘のことではなく、女から生れた子、母親から生れた自分、世俗の我、仮我、 
自我、と言う意味。「娘生の面目」と言い、「本来の面目」に対する用いられ方をす。
 又、禅学大成では、、[にゃうじゃう]と振り仮名されている。 
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>876
*天澤庵:径山にある虚堂の墓塔
(´・(ェ)・`)つ

652避難民のマジレスさん:2021/07/27(火) 02:30:13 ID:72aVpLM.0
松源和尚三轉語 1/3       
大力量人甚擡脚不起 大力量人なにによってか脚をもたげ起こさざるか

商量鬼窟黒山禪 きくつこくざんの禅商量して
神力金剛現目前 しんりきの金剛目前にげんず
普天之下是王土 普天のもと是 
擡脚句中公案圓 脚をもたぐる句中公案まどかなり。

鬼和尚 解説:2020/07/04(土)
大力量の人がなぜ脚をあげることもできないのか、一休が答えを書いたのじゃ。
神力金剛は既に目前にあると言うのじゃ。
天の下は全て既に仏国土であるというのじゃ。
つまり既に大力量の人が足を上げているからそれ以上上げられないのじゃ。
衆生基より仏陀であるということじゃな。

松源和尚三轉語 2/3
開口因甚不在舌頭上 口を開く、なにによってかぜっとう上にあらざる

三寸舌頭開禍門 三寸の舌頭か門を開く
河沙諸佛轉多言 がしゃの諸佛うたたごん
夜來百勞五更目 やらい百労五こうの目
不柰聲聲崇夢魂 いかんともせずせいせいむこんにたたることを

鬼和尚 解説:2020/07/05(日)
口を開くのは舌先だけのことではないというのじゃな。
行いを伴わない言葉は災いを招くのみなのじゃ。
自ら実践して人に説くことが大事なのじゃ。
お釈迦様も自ら瞑想して人に説いたのじゃ。

松源和尚三轉語 3/3 
明眼衲僧因甚   みょうげんののうそうなにによってか
脚跟下紅絲線不断 きゃくこんかこうしせん不断なる

二三四七諸禪師 にさんししつしょ禪師
領衆匡徒心乱絲 衆を領じ徒をただして心しをみだす
因銭有癖是和嶠 ぜにによってへきあるはこれ和けつ
娘生脚下血淋漓 にょうじょうきゃっかちりんり

鬼和尚 解説:2020/07/06(月)
目利きの僧がなぜ足の下の赤いほつれの糸を切らないのかというのじゃ。
一休はそのような言辞は心を乱すのみというのじゃ。
目利きの僧が糸を切らないならばそれは糸ではないからというのじゃ。
朽ち縄が蛇ではないと気付くようなものじゃな。
(´・(ェ)・`)b

653鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/27(火) 21:49:37 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

松源和尚の賛じゃな。

衆生をも大虚空と見るのじゃ。
天澤の子孫は海東にあるのじゃ。
宗風を滅却する三転語なのじゃ。
その詞の華は心の糸口になる天の紅なのじゃ。

654避難民のマジレスさん:2021/07/27(火) 22:21:13 ID:6L4QXWLw0
くま訳改
第一句:衆生をも大虚空と見るのだ。
虚堂の孫弟子である一休が、日本国にはいるであります。
宗風を滅却して革めた松源の三転語、
その見事な文章が、思いの筋道を、一輪の赤い花のように導いてくれるのであります。

482
日課
如法如説衲僧眼 如法如説衲僧のまなこ
經誦讀誦百千返 經じゅ讀誦百千ぺん
三百六十日課前 三百六十日課の前
風月雪月吟艶簡 風月雪月艶簡を吟ず

くま訳
日課
法の通り、経文の通りが禅僧の見方考え方である。
読経を百回千回繰り返すのである。
三百六十五日その日課の前に。
風月雪月風流な艶簡を作るのも、日課である。
(´・(ェ)・`)つ

655鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/28(水) 23:18:48 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 法の如く、説の如くの僧の眼は
 経を読誦すること百千返
 三百六十日の日課の前に
 風月雪月の艶簡を吟ずるがよいのじゃ。

656避難民のマジレスさん:2021/07/29(木) 03:51:45 ID:mPXTyadk0
483
示衆      衆に示す
忍辱仙人常不經 忍にく仙人常不きゃう
菩薩果滿已圓成 菩薩果滿ちすでに円じゃう
撥無因果任孤陋 発無因ぐわ孤ろうに任す
一箇盲人引衆盲 一箇の盲人衆盲を引く 

くま訳
示衆
釈迦の前世である忍辱仙人は、人はみな成仏するとして、会う人ごとに軽んずることなく礼拝したという常
不軽菩薩である。
菩薩の修行は既に完成しているのだ。
因果の法理を否定する野狐禅の師に任せたら、
盲人が盲人を引き連れて道案内をするようなことになるのだ。

*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、 
 最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
*常不軽:「法華経」常不軽菩薩 (ぼさつ) 品に出てくる菩薩。人はみな成仏するとして、会う人ごとに軽
 んずることなく礼拝したという。常不軽菩薩。
*因果撥無(いんがはちむ):「撥無」は払いのけて顧みないこと)因果の理法を否定する邪見。
 因果の道理を否定し、無化してしまうこと。道元禅師は、「百丈野狐話」の一則を『正法眼蔵』で採り上 
 げ、不落因果を撥無因果とし、不昧因果を深信因果であるとした。
 不落因果は、まさしくこれ撥無因果なり、これによりて悪趣に堕す。不昧因果は、明らかにこれ深信因 
 果なり、これによりて、きくもの悪趣を脱す。 『正法眼蔵』「深信因果」巻
*孤陋(ころう):世間から離れて、見識が偏り、狭いこと。
(´・(ェ)・`)つ

657鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/29(木) 23:30:33 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 衆に示すのじゃ。

 忍辱仙人は常に不軽なのじゃ。
 それによって菩薩の成果は既に満ちて円成しているのじゃ。
 無因果を発すれば孤陋に任せることになるのじゃ。
 一人の盲人が沢山の盲人を率いるようなものじゃ。

658避難民のマジレスさん:2021/07/30(金) 01:49:49 ID:Z8CrZII20
484
作家 二首 1/2
臨濟徳山非作家 臨濟徳山作家にあらず
捧頭喝下任師誇 捧頭喝下師の誇るに任す
堪笑伎倆與鼻孔 笑ふにたへたり伎倆と鼻くうと
照看高低日影斜 照らし看る高低日影の斜めなるを

くま訳
作家 
臨済徳山はすぐれた力量のある僧というわけではないのだ。
捧喝で気合を入れてくれる先生として自然に誇られていたのである
笑いをこらえねばならぬほど、本物の伎倆と口先のおしゃべりの違いは明らかなのである。
斜めからの日差しであれば、影長く見えて高いように見誤るように、本当の伎倆を見誤るのである

*倆與鼻孔照看高低日影:斜伎倆と口吻と並行せざるをいふ、日影斜なれば低きも高き影に似たり、中天に 
 沖する時、正に作家の襟度を見るべきなり、偽者は御免で御座るいとふ意(大成脚注)(・口吻:1.口ぶ 
 り。 言い方。「不賛成の―をもらす」2.口さき。口もと。・襟度:心のひろさ。人を受け入れる量。)
(´・(ェ)・`)つ

659鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/30(金) 23:05:43 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 作家なのじゃ。

 臨濟徳山などは作家とはいえないものじゃ。
 棒で頭を引っぱたいたり、かつをいれたりするから師匠の誇りをもっていたのじゃ。
 技量と鼻の穴の差はわらいものなのじゃ。
 照らし看る技量の高低は日影が斜めではわからんのじゃ。

660避難民のマジレスさん:2021/07/31(土) 03:35:19 ID:AaNyLhQ20
くま質問
臨濟徳山は優れた力量がある僧であるとか無いとか、そんな相対的なことではないのだ。
捧喝で気合を入れてくれる指導者としての力量を誇っていただけなのだ。
臨濟徳山は本物の伎倆があることは明らかなので、他の指導者の口先だけのおしゃべりとの違いはお笑いな
ほどである
伎倆の高低の評価は、それを評価する人の視座の高低により異なって捉えられるので、レベルが低い人は正
しく評価できずに、誤解するだけなのだ。

くまは、このように読み取ったのでありますが、
「臨濟徳山などは作家とはいえない」「技量と鼻の穴の差はわらいもの」
と、臨済徳山の力量に付き、一休さんは否定的に捉えていたのでありましょうか?

485
作家 二首 2/2
忍辱仙人常不經 忍辱仙人常に不經
道心須是盡凡情 道心は須らく是れ凡情を尽くすべし
恁麼白浄眞衲子 いんもびゃく浄眞のなっす
可勤観法又看經 勤むべし観法又看きん

くま訳
作家 二首 2/2
釈迦の前世である忍辱仙人は、人はみな成仏するとして、会う人ごとに軽んずることなく礼拝したという常
不軽菩薩である。
仏道を追求する者は須らく、つまらない感情を棄てるべし
このように清らかな者が禅僧である。
観法、看経の実践に勤めるべし。

*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、 
 最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
*常不軽:「法華経」常不軽菩薩品に出てくる菩薩。人はみな成仏するとして、会う人ごとに軽んずること 
 なく礼拝したという。常不軽菩薩。
*道心:菩提を求める心。仏道を信奉する心
*凡情;凡人の情。凡夫らしい低俗な心。つまらない感情。凡心
*観法:真理と現象を心のなかで観察し念じる瞑想の実践修行法のこと。観の内容は多数に分類される。
*看経:禅宗では「かんきん」と読む。経典を黙読すること。のちに諷経 (ふぎん) ,読経 (どきょう) と 
 同義となった。また経典を研究するために読む意味でも用いられる。
(´・(ェ)・`)つ

661鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/01(日) 00:05:31 ID:1d4drIFg0
>>660 否定的だったじゃろう。
 そもそも大乗には四摂受の教えが在るのじゃ。
 布施、愛語、利行、同事の四つなのじゃ。
 物や教えを授け、優しく語り、利益を与え、事を同じくするのじゃ。

 棒でひっぱたくなどは大乗の作家ではないのじゃ。
 それで師匠面をしていては笑い者なのじゃ。
 一休は四摂受も知っていたじゃろう。
 弟子を導くのに苦労もしていたからそんな者は作家ではないというのじゃ。

662鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/01(日) 00:09:15 ID:1d4drIFg0
>>660 それでよいのじゃ。

 作家の二つ目なのじゃ。

 忍辱仙人はどんな者でも常に不軽なのじゃ。
 道心はすべからく俗気を無くす事が肝心なのじゃ。
 俗気がなくなり清浄となれば禅僧なのじゃ。
 そのようにして瞑想と看経に勤めるのじゃ。

663避難民のマジレスさん:2021/08/01(日) 08:27:19 ID:byGj7T4Y0
486
竹箆背髑    しっぺいはいそく
背髑主山閑話頭 背触は主ざんの閑話頭
誵訛着着沒來由 がうぐわ着着らいゆなし
梨花院落黄昏月 梨花院落くわうこんの月
説向愁人不解愁 説いて愁人に向ってうれひを解かず

くま訳
竹箆という言葉による差別に従い誤るか、従わないで嘘になるか。
背触は、首山省念和尚のちょとした公案である。
誵訛(ごうが)の正しい語源、来歴がはっきりとしないと言う様な話である。
ナシの白い花の咲く中庭で、黄昏の月を見て何を連想するか、(は人それぞれ)
悲しんでいる人に悲しみを説いても、悲しみを解消してやることはできない。(言葉は、解決策をもたらす 
とは限らないと言う事である。)

*竹箆背髑:首山省竹箆禅師、竹箆を拈じて衆に示すの語、「汝等若し喚んで竹箆と作さば卽ち觸る。喚ん
 で竹箆と作さざれば卽ち背く、諸人宜しく喚んで甚麼と作さん」と。卽ち背せず觸せざる所に於いて、日    
 用光中とするなり、卽ち他なし、竹箆は竹箆に非ず、卽ち是れ竹箆なり、其の他何の向背かあらん。(大  
 成脚注)
 竹箆:短い警策です。入室の時などに修行者を策励するために使う。
*誵訛:誵は殽の方正しとす、絲の錯雑紛糾して容易にとけざる混雑の様子をいふ、又錯り傳ふる意、展轉   
 殽誵權を以って實となすの類なり。(大成脚注) 
*權:音読み「ケン」「ゴン」訓読み「おもり」「はかり」「はかる」「いきおい」「かり」。元々誤読
 だったが、勢いがあったので、正しくなってしまったと言うことでありましょう。
*主山:首山省念和尚 臨済五世の法孫 
*愁人:愁人(しゅうじん):① 悲しい心を抱いている人。なやみのある人。② もののあわれを解する人。 
風流人。詩人。文人。
*愁人莫向愁人説、説向愁人愁殺人(愁人は愁人に語ってはいけない。愁人に語ればいよいよひどく悲しませ
 る。
*無門関四十三則 首山竹篦(しゅざんしっぺい) 洪福寺HPより
 首山和尚,竹篦を拈じて衆に示して云く、
 汝等諸人,若し喚んで竹篦と作さば則ち触る。
 喚んで竹篦と作さざれば則ち背く。
 汝諸人,且く道え,喚んで甚麼(なん)とか作さん。
 無門曰く,喚んで竹篦と作さば則ち触る。
 喚んで竹篦と作さざれば則ち背く。有語(うご)することを得ず,無語することを得ず。
 速(すみ)やかに道え,速やかに道え。
 頌に曰く,
 竹篦を拈起(ねんき)して,殺活(せっかつ)の令を行ず。
 背触(はいそく)交馳(こうち)す,仏祖も命を乞う。
 
 洪福寺HP 卓道和尚訳・解説抜粋
 首山省念(しょうねん)和尚が竹箆を拈じて修行僧たちに言うには、
 これを竹箆と呼べばそれは間違いである。
 竹箆と呼ばなければそれもまた嘘になる。
 それでは何と呼ぶか。    
 そこを無門が評して、竹箆と呼べば誤る。
 竹箆と呼ばなければ嘘になる。
 語ってもいけない。黙っても駄目である。
 さっさと答えろ、さっさと答えろ。
 そこを漢詩に詠って、
 竹箆を拈じて命ぎりぎりのやり取りを行っている。
 背触(はいそく)が入り混じった処、ここでは釈迦も達磨も命乞いをする。
 (´・(ェ)・`)つ

664避難民のマジレスさん:2021/08/01(日) 08:29:29 ID:byGj7T4Y0
おまけ:洪福寺HP 卓道和尚訳・解説抜粋つづき
・・今私が首に掛けているこれの名前を皆さんは多分知らない。これは絡子(らくす)と言います。袈裟の 
 一種で五條袈裟(げさ)とも言います。これを何も知らない人に見せたら何の布きれだろう、なにか切り張 
 りしたおかしな布だな、テーブルクロスかなとか考えるかもしれません。しかし今私は絡子の説明をして 
 しまった。皆さんにとってもう一生これは、絡子という坊さんが掛ける小さな袈裟になってしまいました。
 これが言葉というものです。
 これは片方からの見方ですが、この世界元来何も有りません。禅定の深みではこの世界塵一つ無い。自分 
 も無ければ世界も無い。無いということも無い。
 ・・これは竹箆ですよと言えば言葉に落ちてしまう。迷いの世界に落ちてしまう。これは竹箆ではないと 
 言えば事実目前と異なる。これはこの世界では竹箆です。これは畳、あれは柱。しかし三昧の世界から見 
 れば何も無い。
 平等無き差別(しゃべつ)は仏法に準ぜず、悪差別なるがゆえに、という言葉があります。平等とは禅定で 
 すべてを空じた境涯です。差別とは今皆さんが見ているこの世界。柱は縦に敷居は横に。生死が分かれ、 
 有無が分かれ、自他が分かれた相対世界。平等は絶対、差別は相対のことです。平等の裏づけのない差別 
 は正しい仏教ではない、誤った差別である。
 そして、差別無き平等は仏法に準ぜず、悪平等なるがゆえに。この相対の現実世界を離れた平等三昧の世 
 界、これは正しい仏教ではない。誤った平等である。
 ・・・背触交馳す。平等と差別が入り混じっている。 これが世界の本来の在り方です。般若心経はそこ 
 を色即是空、空即是色という言葉で現わしています。
 色が差別、相対の世界。空が平等、絶対の世界。色がそのまま空、空がそのまま色。平等を離れて差別の 
 世界はない。差別を離れて平等の世界は無い。首山竹箆はこの辺の消息を語った則です。
 私たちはどうしても言葉に執われてしまいます。竹箆といえばああそれは竹箆なんだ、警策といえば警策 
 なんだと。その通りなんです。この差別の事実を離れて別に平等三昧の世界があるわけではない。確かに 
 何も無くなってしまう境地というのもあるのでしょう。しかしその無に住(とど)まっては何の用(はた)ら 
 きもない。深い穴倉です。
 ・・・正面にお釈迦様、獅子に乗った文殊菩薩と象に乗った普賢菩薩が両脇にいらっしゃる。あの三尊は 
 釈尊という完成された存在をあえて、平等の智慧、空の世界を象徴した文殊菩薩と、差別の智慧、用(は
 た)らきの象徴普賢菩薩に分けたものです。体(たい)である文殊、用(ゆう)である普賢。これが即の関係 
 にある。体(たい)即用(ゆう)、何もない本体がそのまま用(はた)らく。それを体現したのが中心の釈尊で 
 す。
 我々が日常誦んでいる般若経典に金剛経というものがあります。これは空という言葉を使わずに空の世界 
 を説いた経典です。例えばこういう説き方をします。世界は世界に非(あら)ず、これを世界と名づくと。 
 世界は世界ではない、それを世界と名付けている。今日の則ならば竹箆は竹箆に非ず、これを竹箆と名づ 
 く。竹箆は竹箆ではない、それを竹箆と名付ける。
 一度禅定で天地と一体になる、世界は世界に非ずの処です。その天地と我と一体、万物と我と同根という 
 境涯の裏付けのもとにこの相対世界に戻って来る。
 世界は世界に非ずと三昧に入り、それを裏付けにそれを世界と名づける。空の裏付けにおける色の世界。 
 世界は世界に非ず、これを世界と名づく。竹箆は竹箆に非ず、これを竹箆と名づく。
 無門曰く,喚んで竹篦と作さば則ち触る。喚んで竹篦と作さざれば則ち背く。有語することを得ず,無語
 することを得ず。速やかに道え,速やかに道え。竹箆と呼んでも駄目、竹箆と呼ばなくてもいかん。語れ 
 ば誤るからと黙ってもいけない。そこで詰め寄る、さあ言ってみろ。皆さんのあれやこれやの思い、言葉、
 概念、理屈、分別。それを一度きれいさっぱり無くして、まっさらになった自分の一言。
 私たちが言葉を使うのは、それが便利な約束事だからです。・・・言葉というのは約束事の集まりです。 
 その言葉に引っ掛からない。
 ・・・さて、この短い平らな竹の棒、これをなんと呼ぶか。
 ・・・竹箆と呼ぶのも約束事です。この言葉という約束事を離れてこれを何と呼ぶか。
 頌に曰く、 竹篦を拈起して,殺活の令を行ず。背触交馳す,仏祖も命を乞う。この首山和尚もこの竹箆 
 の問いで見性しています。ぎりぎりのやり取りです。仏も祖師も言葉では表せません。ここは皆さん各人 
 に苦労していただくところです。
(´・(ェ)・`)b

665鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/01(日) 23:50:39 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 竹箆背触なのじゃ。

 背触は主山の閑話の頭なのじゃ。
 着々として糸がもつれるように由来もわからぬものなのじゃ。
 梨花院に落ちる黄昏の月なのじゃ。
 愁人に向かって説くも愁いは解けないのじゃ。

666避難民のマジレスさん:2021/08/02(月) 02:07:52 ID:e1PCX0Dg0
487
病中 二首 1/2
破戒沙門八十年 破戒の沙門八十年
自慚因果撥無禪 自ら慚づ因果撥無の禪
病被過去因果果 やまひは過去因果の果をこうむる
今行何謝劫空縁 今何を行じてか劫空の縁を謝せん

くま訳
病中 二首 1/2
破戒の修行僧として八十年
自ら愧じているのである、因果の法理を否定する邪見を用いたことを。
病は因果の果を被るのである。
今何を行じて、永遠のご縁に表わしたらよいものやら。

くま質問:一休さんは、因果の法理を説く為に、自分の病に託けて、「自慚因果撥無禪」と詠んでるのであ
 りましょうか?
*野毛孝彦先生解説
 「婬犯肉食」による「破戒沙門八十年」の禅であった。鉗鎚 、鉗鎚 、また鉗鎚 、比類なき厳峻の師の 
 下で一休が参学し得たも一のは、その師華叟さえも絶対否定することによって自己を証する自己存在の在 
 り方であった。亡き謙翁のひそみに習い、華叟から与えられた印可の証を断固拒否した一休の態度になに 
 よりもそれが如実に示されている。
*因果撥無(いんがはちむ)483の詩:因果の理法を否定する邪見。道元禅師は、「百丈野狐話」の不落因 
 果を撥無因果とし、これによりて悪趣に堕す。としている。
*空劫:世界が全く壊滅して、次にまた新たに生成の時が始まるまでの長い空無の期間
(´・(ェ)・`)つ

667鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/02(月) 23:19:47 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、病は過去の因果が還って来たせいだというのじゃ。
 何もかも無であると説いてはいかんのじゃ。
 それは邪見なのじゃ。
 因果はあると説くべきなのじゃ。

668鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/02(月) 23:22:18 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 病中なのじゃ。

 破戒の沙門として八十年経てきたのじゃ。
 因果は無いと説いてきた禅を愧じるのじゃ。
 病は過去の因果を被ったからなのじゃ。
 今はどのようにして劫空の縁を謝れば善いのであろうか。

669避難民のマジレスさん:2021/08/03(火) 03:58:07 ID:X242MX.E0
くま訳改
今はどのようにして劫空の縁を謝ればよいものやら。

488
病中 二首 2/2
美膳誰具一双魚 美膳誰か具す一双のうを
小艶工夫日用虚 小艶に工夫日用虚し
淫色吟身頭上雲 淫色吟身とう上の雪
目前荒草末曾鋤 目前の荒草いまだかつて鋤かず。"

蔭木英雄先生訳・解説抜粋
食膳に誰がうまい二匹の魚を添えてくれるのだ(誰からも手紙が来ない)
だから小艶詩を作る日用の工夫(下化衆生の大乗行)も空しい
色欲に耽り詩を吟じて頭も白髪となり  
目前の煩悩を除くこともせぬ。煩悩即菩提じゃ。

「・・釈尊一代の教えは、仏性を説き明したものではないのですか」という質問に対する臨済義玄の、
  荒草曾て鋤かず(衲は胸中の荒草を一度も刈った事はない。無明の実 性が即ち仏性なのじゃ)。
という返答に拠っている。婬色の小艶詩の虚しい工夫が、即ちそのまま仏性である一とは言うものの、
承句を吟ずる一休の心中には、微かな後めたさが有ったのではなかろうか。

くま訳
病中 二首 2/2
誰からも手紙が来ないのである。
小艶詩の作詞に日用の工夫を凝らす虚しい日常である。
淫色の吟を詠む頭は雪のようにな白髪になってもうたのだ。
目前の雑草のように、煩悩もありのままだ。

*双魚:遠来の客が置いていった2匹の鯉 (こい) の腹中に手紙があったという「古楽府 (こがふ) 」  
 の故事から、手紙のこと。https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/946 参

*くま質問
因果はあると説きつつ、ありのままの煩悩=ありのままも自分を観察して詩に詠む修行法を説いているので
ありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

670鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/03(火) 23:15:26 ID:1d4drIFg0
↑ 淫色に囚われていれば修業もままならんということじゃな。
 異性に気を取られているうちに白髪のじじいになってしまうぞというのじや。
 
そんな感じなのじゃ。

 
 美膳に誰が一双魚を具えてくれるのじゃろうか。
 小艶の工夫も日用には虚しいものじゃ。
 淫色を吟ずるうちに頭は雲がかかったようじゃ。
 目の前の荒草も末だ鋤をくわえていないのにのう。

671避難民のマジレスさん:2021/08/03(火) 23:58:33 ID:t.qNfAT20
489
言外和尚    ごん外和尚
端無滅卻大燈家 端無く滅卻す大燈の家
鐵眼銅晴劍樹牙 鉄眼銅ぜい劍樹のげ
一句分明言外語 一句分明言外の語
親聞華叟若曇華 親しく聞く華叟はどんげのごとしと

くま訳
言外和尚    言外宗忠和尚   
はからずも、(養叟が法を継いだことにより)大燈禪の家風を滅却してしまったが、
優れた眼力、鋭い舌鋒を備えており、
言外和尚の言葉は、一言一言が明快であった。
親しく知る人に聞くところによると、華叟のことを、三千年に一度、仏の出現するときなどに開くといわれ
る伝説の花、曇華のようだと評価していたそうだ。

*言外和尚:言外宗忠(ごんがい そうちゅう):1305-1390徹翁義亨(てっとう-ぎこう)の法嗣。華叟の 
 師匠。大徳寺7世住持。のち尼崎に広徳寺をひらいた。
*1422(応永29)一休さん29歳、言外宗忠の33回忌に一休は粗末な着物をまとって参列する。この頃より
 風狂と言われ始める。
*華叟 宗曇(かそう そうどん)1352-1428 8歳にして大徳寺の徹翁義亨に投じ、14歳で出家。のち徳禅 
 寺の言外宗忠に参じ、印可を得る。近江堅田に祥瑞寺をひらき、住持した。門弟にはのちに大徳寺派の主 
 流派となる一休宗純や養叟宗頤など。
*端無(はしなく):① 思いがけなく、偶然であるさまを表わす語。はからず。ふと。ゆくりなく。
 ② そのまま。ただちに。
*曇華一現(どんげいちげん):めったに起こらないはずのことが身に起きたときの喜び。心配事が突然解 
 決したときのうれしさ。
 雲間が一瞬晴れたときに、花の色がパッと目に入ってくる喜びの意から。「曇華」は、三千年に一度、仏 
 の出現するときなどに開くといわれる伝説の花。「曇華どんげ一ひとたび現げんずるが如ごとし」の略。
*うむ。大應、大燈、言外、華叟、と清貧の中で受け継がれてきた禅風を、養叟がぶち壊したと、許さんぞ 
 と、発信し続ける一休さんでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

672鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/04(水) 23:15:51 ID:1d4drIFg0
だいたいそんな感じじゃな。

 言外和尚だというのじゃ。

 大燈家の禅で心身を余すところ無く滅却したのじゃ。
 鉄の眼、銅の瞳、剣の樹のような口なのじゃ。
 ただ一つの句で言外の語まで分明にできたのじゃ。
 親しく聞くところによれば師匠の華叟和尚を三千年に一度に咲く優曇華の花のようじゃと言ったのじゃ。

673避難民のマジレスさん:2021/08/04(水) 23:38:54 ID:NGSYiiHI0
くま訳改
第一句:大燈家の禅で心身を余すところ無く滅却したのだ。れた眼力、鋭い舌鋒を備えており、

490

馬祖不安閑話頭 馬祖不安の閑話頭
毘耶杜語不勝愁 びや語をとぢて愁ひにたえず
夜夜苦吟三十歳 夜夜苦吟す三十歳
月滿茂陵桂樹秋 月は滿つ茂陵桂樹の秋

くま訳

馬祖が病気になった際の公案
毘耶に住まわれていた 維摩居士が不二の法門に付き問われた時に黙したことは、残念でならない。
毎夜、苦労して詩をひねり出す三十歳
月は満ちて、司馬相如が糖尿病療養のために住んだ茂陵から、中秋の名月には桂樹が見えのだろうか?

*馬祖道一(ばそ どういつ)709-788唐代の禅僧。諡は大寂禅師。
*馬祖不安 『碧巌録』第三則
 日面仏月面仏         にちめんぶつがちめんぶつ  
 擧。馬大師不安。       こす、馬大師だ不安。
 院主問。和尚。近日尊候如何。 院じゅ問う、和尚、近日尊候いかん。
 大師云。日面佛月面佛。    大師云わく、にち面仏がち面仏

 不安:病気になること
 院主:寺務を主宰する役
 日面仏:賢却(けんごう)千仏(現世において出世される千人の仏さまたち)の第五十八仏で、千八百 
 歳という寿命の長い仏さん。
 月面仏:賢却千仏の第二百二仏に当たり、一日一夜という寿命の短い仏さま。
  
 馬祖は千八百歳まで生きる仏さまもあれば、一日一夜の仏さまもあるではないか、病気など気にするな、 
 「生きるもよし、死ぬるもよし」と、言いきった。
*毘耶(びや):古代インドのの首都。釈迦は民衆教化のために、たびたびこの地を訪れ、在家の仏弟子で 
 ある維摩詰もこの地に住んだ。また釈迦の滅後に、この地で第二回の仏典結集が行われた。
*杜:とじる、ふさぐ
*維摩一黙:ことばで説明するより、黙っていたほうがよい、ということのたとえ。
 維摩経の「入不二法門品」 『維摩が、不二の法門に入るとは、どのようなことであるかを菩薩たちに質
 問をしました。 菩薩たちは、「善と悪は不二」、「生と滅は不二」、「汚れと清らかさは不二」などと
 次々に答え、最後に、文殊菩薩が、「不二とは言葉では説明ができないことである」と説きました。そし 
 て、文殊菩薩は、維摩に「不二の法門に入るとは、どのような ことですか」と質問しましたが、維摩は、 
黙ったまま、ひとこともしゃべらなかった。』というお話しのようです。 仏教で説く法は、言葉で説明
 ができないということを、維摩という在家の信者が、言葉を使わず態度で示した ということと思います。 
昔からこの場面を、「維摩の一黙、雷の如し(らいのごとし)= ”維摩の黙ったようすは、まるで雷の 
 響きがあたり一面にいきわたるようだ”」と、たとえられてきたようです。 つまり、それだけ、「維摩 
 の一黙」には、大きなちからがある、ということかと思います。
*茂陵(もりょう):司馬相如、病渇を養ふために家居せし處なり。(漢の武帝の陵墓)
(´・(ェ)・`)つ

674避難民のマジレスさん:2021/08/04(水) 23:42:38 ID:NGSYiiHI0
*桂樹:月に生えているとされる想像上の木。

*おまけ1.馬祖道一(ばそ どういつ)709-788唐代の禅僧。諡は大寂禅師。 
 懐譲の法を嗣いだ。百丈懐海や南泉普願など嗣法の弟子は、それぞれが数多くの語録を残すので、後の禅 
 宗に語録を重視する傾向をもたらし、やがてそれは公案を重視する臨済宗へと発展していった。
 馬祖は、後世の禅僧の名に見られる道号などとは異なり、道一の俗姓である馬氏によるもの。そのニュア 
 ンスを日本語化すれば、「馬おじさん」や「馬家の師匠」と呼んでいるのと同じこととなる。柳田聖山が 
 「純禅」と称する初期の禅宗徒の気風の一端を表すものである。
 また、馬祖の生家は箕(み)を作っていたが、開悟の後、名声を得て故郷に里帰りした所、近所の老婆に、 
「なんだ、偉い坊さんが来たと思ったら、箕の屋の小せがれではないか」と言われ、それきり、故郷に帰 
 らなかったというエピソードがある。
 思想:馬祖禅とも呼ばれるその禅思想では、禅宗で初めて経典や観心によらずに日常生活の中に悟りがあ 
 る大機大用の禅を説き、「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)、「即心即仏」など一言で悟りを
 表す数多くの名言を残している。また、相手に合わせて教え方を変える対機説法を始め、これによって多
 彩な弟子を育て、遂には禅の正系の座を荷沢宗より奪ってしまった。
*おまけ2.維摩居士(Wikipedia)解説: 維摩詰が病気になった際には、釈迦が誰かに見舞いに行くよう勧 
 めたが、舎利弗や目連、大迦葉など・・は彼にやり込められた事があるので、誰も行こうとしない。・・ 
 そこで釈迦の弟子である文殊菩薩が代表して、彼の方丈の居室に訪れた。
 そのときの問答は有名である。たとえば、文殊が「どうしたら仏道を成ずることができるか」と問うと、 
 維摩は「非道(貪・瞋・痴から発する仏道に背くこと)を行ぜよ」と答えた。彼の真意は「非道を行じな 
 がら、それに捉われなければ仏道に通達できる」ということを意味している。
 大乗経典、特にこの維摩経では、このような論法が随所に説かれており、後々の禅家などで多く引用され 
 た。一休宗純などはその典型的な例であると考えられる。
(´・(ェ)・`)b

675鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/05(木) 23:51:44 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 またまた病なのじゃ。

 馬祖の病の公案なのじゃ。
 毘耶で後を閉ざすは愁いに勝てないのじゃ。
 夜夜苦吟すること三十年なのじゃ。
 月満ちるは茂陵の桂樹の秋なのじゃ。

676避難民のマジレスさん:2021/08/05(木) 23:59:57 ID:sK2H.r2w0
491 
泉涌寺僧行捧  泉にゅう寺の僧捧を行ず
八稜八尺倚長天 八稜八尺長天による
拈起向秋山面前 ねん起して秋ざんが面前に向ふ 
衲子當機拱手處 衲子當機に当たって手をこまねくところ
洞山三頓徳山捧 洞山の三とん徳山の捧

くま訳
泉涌寺の僧は棒を振るって修行するのである 
八稜(八咫鏡(やたのかがみ))八尺(八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま))倚長天(天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ))三種の神器(伝統)みたいなものである。
棒をを立てて、秋山の上賀茂神社の面前に向うのである
他が手をこまねいてる場面でも、禅僧は、臨機に対応するのだ。
洞山は雲門に三頓六十棒くらい、徳山は常に棒で打って指導したのである

*泉涌寺僧;泉涌寺雲龍院の後小松天皇廟を訪れて詠んだ詩には、「庭前に王孫草のあることを知り」とあって、
 一休が王孫であるかのような思わせぶりを書いている。
*一人行棒 ひとりぎょうぼう 
 一人行喝 ひとりぎょうかつ
 総不親  すべてしたしからず

 座禅のとき、修行僧を励ますために警策(きょうさく)という棒を使う、
 または喝と大声をかける。
 どちらがよりよい教えなのかを決めつけることはできません。"

*三種の神器、日本神話において、天孫降臨の際にアマテラス(天照大神)がニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸 
 命)に授けた三種類の宝器であるところの鏡と剣と玉(璽)、すなわち、八咫鏡(やたのかがみ)・天叢 
 雲剣(あめのむらくものつるぎ、別名:草薙剣、読み:くさなぎのつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのま 
 がたま)の総称である。 八稜八尺倚長天をこれに当てはめてみた。これで良いのか不明であります。
 八稜・・・八咫鏡(やたのかがみ)
 八尺・・・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)   
 倚長天・・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

*拈起:採り上げて起てること。上堂や小参を行う場合の師家の動作を示す。
*洞山三頓の棒という公案:洞山守初が、師の雲門分堰から「どこから来たか、どこで過ごしたか」などと 
 問われたので、これまでの行脚のあとをこまごま答えると、雲門は「このうつけ者が。三頓の棒をくれて 
 やるところだが勘弁してやる、即刻立ち去れ。」と叱らはった。何がなんだか分からない洞山は、再び雲 
 門に参じ、自分の答えのどこが悪かったのかを問いなおすと、またもや大声で叱りつけられはった。けど 
 その瞬間、洞山は師が何を求めようとされていたのかが分かり、初めて悟ることが出来たというのです。
 そして、悟りというものは師や周りからもらえるものではなくて、自分への問いかけの中から見つけ出し 
 つかむもの。そのためには、心の中のこだわりを一切捨て切り、爽やかな心に立ち返りなさい、それが分 
 からない者は棒で叩くよりない、というのがこの公案の教えるところやということです。
*秋山:地名か?:京上賀茂・秋山・
 上賀茂神社:神話の時代から続く京都で最も古い神社のひとつ。ご祭神は、神武天皇の御代に賀茂山のふ 
 もとに降臨したといわれている賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
(´・(ェ)・`)つ

677避難民のマジレスさん:2021/08/06(金) 00:07:50 ID:sK2H.r2w0
くま質問
「馬祖の病の公案」
「毘耶で後を閉ざすは愁いに勝てない」
とは、どういう意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

678鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/06(金) 23:46:07 ID:1d4drIFg0
 間違えたのじゃ。
 後ではなく、語を閉ざすのじゃな。
 口を閉ざすのでは愁いに勝てないのじゃ。
 その後にわしは三十年苦吟してきたのじゃというのじゃ。
 黙っていてはわからんから何か言えというのじゃな。

679鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/06(金) 23:57:05 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 泉涌寺の僧は捧を使って修業なのじゃ。

 棒は八稜八尺倚長天の神器に匹敵する僧にとっての宝なのじゃ。
 棒を捧げて秋山の面前に向かうのじゃ。
 僧が機に当たって手をこまねくような場面でも、
 洞山は三頓の棒を食らい、徳山も捧をふるうのじゃ。

680避難民のマジレスさん:2021/08/06(金) 23:59:35 ID:8qJr3Mus0
「お」から始まる法語である.去年の6月末ころ載せるべきであったが、失念したのである。
577
示會裡徒法語          ゑ裡の徒に示す法語
凡参禪學道           およそ参禪学道は   
須勦絶悪知悪覚         須らく悪知悪覚をさう絶して  
而至正知正見也 而して正知正見に至るべきなり
悪知悪覚者 悪知悪覚なるもの
古則話頭経論要文 古則話頭経論要もん
学徳参得坐禅観法労而無功者 学徳参得坐禅観法労して而して功無き者なり
如是輩當代四百四病一時發 かくのごときともがら当代し百し病を一時に発す
爲人所辱是情識之血氣也   人の為に辱めらるる是れ情識の血氣なり
對閻老面前有甚伎倆乎    閻老面前に対して、なんの伎倆かあらんや
獅子尊者斷頭白乳顯露分明也    獅子尊者かうべを断ってびゃく乳けい露分明なり
正知正見者日用坐斷涅槃堂底工夫  正知正見なる者の日用涅槃堂に坐断する底の工夫
全身堕在火坑 全身火坑に堕在す
子細看之苦中有樂 子細に之を看れば苦中に樂有り、
若能見得不昧撥無因果之境 若し能く見得せば、発無因果の境にくらまず。
若見不得永不成成佛漢 若し見不得なれば、永く成佛の漢ならず
可懼可懼 おそるべしおそるべし

くま訳
我が弟子達に示す法語
およそ、仏道修行をする者は
悪智恵や悪い記憶を根絶して 
正しい智恵と正しい物事の見方を身につけねばならない。
悪智恵や悪い記憶を持つものは、
古則・公案や 経論の中の重要な文句に取組んで、学問と徳行を実践したり、
参禅して真理を体得する為、坐禅を組んで、心中に悟道を黙想しても、
苦労ばかりで効果がないのである。
このような者は、今この時に、あらゆる病気に一時に罹ったような者である
他者から辱めを受けていると感じるのは、迷いの心がそう思わせるのである   
閻魔様の面前に出たときに、どんな技量が役立つというのだ
西天(インド)二十四祖の師子尊者は既に生死を離れていたので王により首を切り落とされるに際しても命を惜
しまなかったが、王は勢いよく噴出した白乳により右ひじを切り落とされたという故事が明らかに示してい
る。

正しい智恵と正しい物事の見方を身につけたものは、常日ごろから、死を目前にした者のような覚悟で悟り
を得るために工夫を凝らすのである。
全身が地獄の火の穴にいるような煩悩の苦しみに苛まれたままに留まるのである。 
詳細にこれを観察すれば、その苦しみの中に楽があることを発見できるのである。
もし発見することができれば、因果は無いとする考えに陥って、惑わされる事もないのだ。
もし発見することができなければ、永く成仏できなくなるのである。
恐ろしいことである。怖ろしいことである。

*勦絶(そうぜつ):滅ぼしつくすこと。皆殺しにすること。勦滅(そうめつ)。
*話頭:古則・公案の一節。または、その一則のこと。
*要文:経論などの中の重要な文句。また、文章の大切なところ。
*学徳:学問と徳行 *参得:参禅して真理を体得すること。
*坐禅観法:坐禅を組んで、心中に悟道を黙想すること
*労而無功者:苦労ばかりで効果がない。
*四百四病:人間がかかる一切の病気の総称。人間の体を構成する地・水・火・風の四つの元素の不調によ
り、一々の元素に百一の病がおこり、合わせて四百四と数えるものが代表的。
*情識:心。迷いの心。
*血気:1 血液と気力。生命を維持発展させる力。活力。2 向こう見ずで盛んな意気。客気。血の気(け)。
*火坑:火の燃えている穴。特に地獄にある火の穴。また、煩悩の恐ろしさを火にたとえてもいう。かこう。
(´・(ェ)・`)つ

681避難民のマジレスさん:2021/08/07(土) 00:02:13 ID:8qJr3Mus0
*おまけ
二十四祖師子比丘尊者(續藏經 祖庭指南  清 徐昌治編述 中国語HPより)
中印度人。姓婆羅門。得法遊方。至罽賓國。・・・時本國有外道二人。一名摩目多。二名都落遮。學諸幻法。
欲共謀亂。詭為釋子。潛入王宮。其王彌羅崛遂滅毀釋教。秉劍至尊者所。問曰。師得蘊空否。祖曰。已得蘊
空。王曰。離生死否。祖曰。已離生死。王曰既離生死。可施我頭。祖曰。身非我有。何怯於頭。王即揮刃斷
尊者首。白乳涌高數尺。王之右臂。旋亦墮地。七日而終。・・・

師子尊者の話(瑞雲院法話のページ HP出典「景徳伝灯録巻第二。第二十四祖師子比丘」)
西天二十四祖の師子尊者は、中インドの婆羅門の家に生まれ、二十三祖の鶴勒那(かくろくな)尊の法を嗣
いだ。その後、諸方を遊行してカシミール国に至り、その地で多くの人々を教え導いたので遠近に名が知れ
渡った。
・・・そのときその国に様々な幻法を学んだ二人の外道がいた。その二人は乱を起こすことを計画し、失敗
したら仏子に罪を着せようと偽りの仏衣をまとい、ひそかに王宮に潜入し悪事をおこなった。しかし災いは
自らに還りことは失敗した。ところが偽りの仏衣に欺かれた王は怒って言った。「我れ心を仏法僧の三宝に
帰依するに、何ゆえこのような害を及ぼすのか」王は命じてすぐに寺を破壊し、僧を追放し、そして自ら剣
を取り尊者のところに来て言った。「師、存在の空なることを得たるや否や」「空なることを得たり」「生
死を離れたるや否や」「すでに生死を離れたり」「すでに生死を離るれば、我れに頭を施すべし」「身は我
が有に非ず。何ぞ頭を惜しまん」王はたちまち剣を振るって尊者の首を断った。すると白乳の湧くこと高さ
数尺におよび、同時に王の右肘も地に落ち、七日後に王は亡くなった。
(´・(ェ)・`)b

682避難民のマジレスさん:2021/08/07(土) 00:11:11 ID:8qJr3Mus0
>>676
くま訳改
第三句;僧が機に当たって手をこまねくような場面でも、
第四句:洞山は三頓の棒を食らい、徳山も捧をふるったのだ。
(´・(ェ)・`)b

683鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/07(土) 23:47:19 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 会の衆に示す法語なのじゃ。

 凡そ参禅学道の者は
 すべからく悪知、悪覚を断つべきなのじゃ。
 そして正知、正見に至るべきなのじゃ。
 悪知、悪覚なる者は
 古則や公案や経論や要文を学び
 座禅や観法に労しても功が無い者なのじゃ。
 このような輩が今四百四の病を一時に発し、
 人のために辱められるはこれ情識の血気のせいなのじゃ。
 死んで閻魔王の面前で何の技が通用するというのか。
 獅子尊者は頭を断たれても首から白乳現れ奇跡によって成果が分明なのじゃ。
 正知正見者は日用の涅槃堂に坐断する心底の工夫は、
 例えば全身が火の坑に堕ちて在ろうとも、
 仔細に観察すれば苦の中にも楽があると気づくというようなものじゃ。
 もしそのような工夫を能く見得すれば因果が無いというような魔境にくらまされないのじゃ。
 もし見えないならば、永く成仏のものにはなれないのじゃ。
 おそるべしおそるべしなのじゃ。

684避難民のマジレスさん:2021/08/07(土) 23:59:25 ID:4YRIQTTc0
492
食籍      じき籍
飯縁食籍聊茶湯 飯縁食籍いささかさとう
竹縛菊籬梅補墻 竹は菊りをばくし梅かきを補ふ
人間世諦盡餓死 人間の世たいことごとく餓死
地獄遠離安樂長 地獄をん離して安樂長し "

くま訳
食籍
食にあり付くご縁、生涯で何を食べてきたかの履歴、多少の茶の湯
竹は菊のまがきを縛り、梅のかきねを補う。(竹は仏縁の譬えでありましょうか?)
人間は、餓死するのがほとんどであるというのが常識である。
地獄を遠ざけて、安楽に長生きするのである。(うむ。でそのために、諸悪莫作 衆善奉行 でありますね。)

*食籍:中国語・生涯で各人が消費した食べ物を記録する冥界の迷信伝説の本を意味
*茶湯(チャトウ・さとう)仏前や霊前に供える煎茶湯。禅家では忌日などに仏前に供える茶と湯をいう"
*籬(り・まがき):竹・柴(しば)などをあらく編んで作った垣。ませがき。
*墻(かき):壁・へい・かき・かきねな"
*世諦:① 世間一般の常識または約束で真実とされるもの。世間の人が知っている事柄。世俗諦。② 仏事 
 のための費用。"
*遠離(おんり・えんり):① 遠く離れること。また、遠くへ離すこと。② 仏語。あらゆる煩悩(ぼんの
 う)のきずなから解放されたさとりの境界である無為をいう。〔維摩経〕
(´・(ェ)・`)つ

685避難民のマジレスさん:2021/08/08(日) 11:49:14 ID:eGHIm0Xk0
くま訳改
9行目:このような輩が今四百四の病を一時に発し、
10行目:人のために辱められるはこれ情識の血気のせいなのだ。
(´・(ェ)・`)b

686鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/08(日) 22:57:12 ID:1d4drIFg0
 そんな感じじゃな。

 食籍なのじゃ。

 飯縁食籍あればいささかでも茶湯にして仏に供養すると善いのじゃ。
 竹も菊籬を縛り、梅も垣根を補うように食籍を役立てるのじゃ。
 そうすれば人が悉く餓死することになろうと
 地獄を遠離して長く安楽でいられるのじゃ。

687避難民のマジレスさん:2021/08/09(月) 00:05:56 ID:sKKZB2ek0
 くま訳全面改
 食籍
 飯縁食籍あればいささかでも茶湯にして仏に供養すると善いのだ。
 竹も菊籬を縛り、梅も垣根を補うように食籍を役立てるのだ。
 そうすれば人が悉く餓死することになろうと
 地獄を遠離して長く安楽でいられるのだ。

493
南園殘菊 南園殘ぎく
晩菊東籬衰色秋 晩ぎく東籬衰しょくの秋
南山且對意悠悠 南山且つ對して意悠悠
三要三玄都下識 三要三玄すべてしらず
淵明吟興我風流 淵明が吟興我が風流

くま訳
南園の殘菊
東側のまがきの菊も色衰える晩秋
その時も南山を眺める心はゆったりとしている。 
玄妙な真理の仕組みを全く知らなくても、
陶淵明の詩情を我が事としてその風流を味わうことはできるのだ。

*南園殘菊:陶淵明の詩に「菊を東籬の下に採り、悠然として「南山を見る」と(大成脚注)
 俗世間から離れ、心にもの思うこともなく、自然を楽しんで生きる心境を現すことば。
 [由来] 陶淵明の「飲酒」という詩の一節から。勤めを辞めて故郷に帰り、自然と一体になって暮らす心 
 境を、「菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る(東の垣根のところで菊の花を折り取り、ゆったりと
 した気持ちで南方に見える山を眺め見る)」とうたった。

*おまけ1「飲酒」 其の五、陶淵明           
 結廬在人境 いおりを結んでじんきょうにあり
 而無車馬喧 しかも 車馬の かまびすしきなし
 問君何能爾 君に問う 何ぞ よく しかるや と
 心遠地自偏 心遠ければ 地 おのずから へんなり
 采菊東籬下 菊をとる とうりのもと
 悠然見南山 ゆうぜんとして南山を見る
 山気日夕佳 さんき にっせきに よく
 飛鳥相与還 ひちょう あいともに かえる
 此中有真意 このうちに真意あり
 欲弁已忘言 べんぜんと欲すれば すでに げんをわする
 
  藤原鎌足公 孫 45代 先生訳
 私は隠居の庵を人の住んでいる所で営んでいる(普通は人里離れた所だが)。
 しかし、訪問客の乗り物である車馬の音が騒々しい事はない。
 どうしてそんなことができるのか、と貴方に問う(自問自答)
 「心を遠い境地(超然とした心情)に馳せていれば、住んでる場所も自然と辺鄙になるのだよ」と。
 東側のまがきのもとで菊を摘み
 心 ゆったりとして南山をながめる。
 山の気配は 日暮れ時こそ すばらしい
 鳥たちも群れになって 山のねぐらに帰ってゆく。
 こう言う生活、こんな自然の風景の中にこそ 人生の真意が込められている
 この素晴らしさを言葉で言い表わそうとしても 言うべき言葉を忘れてしまった。
 (実に 何とも言えない満ち足りた心境なのだ)
(´・(ェ)・`)つ

688避難民のマジレスさん:2021/08/09(月) 00:11:32 ID:sKKZB2ek0
おまけ2「臨済三句」「三玄三要」(臨済録 上堂9)
 上堂。
 (臨済の三句)
 僧問:「如何是第一句?」          僧問う、「如何なるか是れ第一句」と。
 師云:「三要印開朱点側,未容擬議主賓分」。 師云く、「三要印開して朱点側(そばだ)つ、未だ擬議を                     
                       容れずして主賓分かつ」と。
 問:「如何是第二句?」           問う、「如何なるか是れ第二句」と。
 師云:「妙解豈容無著問,沤和争負截流機」。 師云く、「妙解(みょうげ)豈に無着(むじゃく)の問を容
                       れんや、沤(オウ)和争(いか)でか截流(せつる)の機に負
                       (そむ)かん」と。
 問:「如何是第三句?」           問う、「如何なるか是れ第三句」と。
 師云:「看取棚頭弄傀儡,抽牽都来裏有人」。 師云く、「棚頭(ほうとう)に傀儡を弄するを看取せよ、 
                       抽牽(ちゅうけん)都来(すべ)て裏に人有り」と。
 (三玄三要)
 師又云:「一句語須具三玄門,        師又云わく、「一句語に須らく三玄門を具すべく、
 一玄門須具三要,有権有用。         一玄門に須らく三要を具すべくして、権有り用有り。
 汝等諸人,作麼生会?」下座。        汝等諸人、作麼生(そもさん)か会す」といって下座す。
             
禪と悟りhpより抜粋① 
     
注:
印開する:印章を押す。
朱点(しゅてん)側(そばだ)つ:赤い色模様がくっきり出てくる。
主賓分かる:主体と客体に分離する。
妙解(みょうげ):文殊菩薩の悟りの智慧。
無著(むじゃく):五台山に現れた文殊菩薩と問答したという
華厳寺無著(「宋高僧伝」二十)のこと。
?和(おうわ):梵語ウパーヤの訳。仮に応用する方便。
棚頭(ほうとう):舞台。
抽牽(ちゅうけん):引くこと。
三玄門:古来、玄中玄(理)、句中玄(智)、体中玄(行)などの
3つに分けられているが具体的内容は不明である。
権有り用有り:権は方便のことで実に対する言葉である。
用は作用や働きのこと。

現代語訳
上堂するとある僧が尋ねた、
「師は三句をもって修行者を指導されるとのことですが、禅の第一句とはどのようなものですか?」
師は云った、
「それを印章に譬えて言うと、三要(さんよう) の印を押してから持ち上げると、赤い色模様がくっきり出
てくる。そのように憶測を入れる余地もなくはっきりと主・客が分離して顕現する」。
僧が質問した、
「では第二句とはどのようなものですか?」
師は云った、
「文殊菩薩の悟りの智慧は無著(むじゃく)の問いを寄せ付ける余地も無い。その智慧の力は煩悩の流れを断
ち切る働きをする」。
僧が質問した、
「では第三句とはどのようなものですか?」
師は云った、
「舞台であやつり人形がいろいろ演技する。それはみな裏であやつる人がいるからだとはっきりと見取るが良い」。
師はさらに、
「いま三句を説明したが、この三句の内どの一句にも三玄門が具(そな)わっていなければならない。一玄門
には三要が具(そな)わっていなければならない。そうなれば方便も働きも出てくるのだ。諸君、そこをどの
ように会得したかな?」と言って座を下りた。

(´・(ェ)・`)b
(1/3)

689避難民のマジレスさん:2021/08/09(月) 00:24:25 ID:sKKZB2ek0
禪と悟りhpより抜粋② 三玄門の解釈とコメント①
この上堂説法は臨済の「三玄三要」の思想とされる。
古来、三玄門は玄中玄(理)、句中玄(智)、体中玄(行)などに分けられるとされる。・・・
第一句から第三句までの説明は論理的で筋が通ったものである。・・・
  第一句とは
「それを印章に譬えて言うと、三要の印を押してから持ち上げると、赤い色模様がくっきり出てくる。
そのように憶測を入れる余地もなくはっきりと主・客が分離して顕現する」と説明している。
この三要の印や朱点とは何を指しているかわからない。
しかし、印鑑を押してから持ち上げると印がはっきりと現れるように、脳の記憶作用や判断・認識作用を指
していると思われる。
最後の「主賓分かる」も主・客が分離する、分別意識(=理知)の働きを言っていると考えられる。
そのように考えると、
第一句は分別智(理知の本体である上層脳の働き)を禅の立場から比喩的に説明していると思われる。
  第二句の説明で臨済は、「文殊菩薩の玄妙な智慧は無著(むじゃく)の問いを寄せ付ける余地も無い。
その智慧の方便は無明の流れを断ち切る働きをする」と言っている。
第二句のキーポイントは
妙解(みょうげ)(文殊菩薩の玄妙な智慧)と無著(むじゃく)の問いにある。
妙解(みょうげ)(文殊菩薩の玄妙な智慧)とは仏教の悟りの知恵である無分別智(下層脳中心の脳から生ま
れる悟りの智慧)を指していると考えることができる。
これに関連すると思われる文殊菩薩と無著(むじゃく)の問答が碧巌録第35則にある。
そこでは無著は文殊の問いに対してトンチンカンな返答をする未熟な禅僧として描かれている(「碧巌録」
第35則を参照)。
これより無著(むじゃく)の問いとは文殊の無分別智には及ばない、分別智(理知=第一句)の段階にある
無著(むじゃく)の境地を指していると考えることができる。
そのように考えると、第二句は「文殊菩薩の無分別智(玄妙な悟りの智慧)は無著(むじゃく)の分別智を寄
せ付ける余地も無い。
文殊菩薩の智慧の方便(=無分別智)は煩悩の流れを断ち切る」と言って禅の基本的立場を説明しているこ
とが分かる。
即ち第二句は無分別智(=玄妙な悟りの智慧)を指していると考えることができる。
  第三句は「舞台であやつり人形がいろいろ演技する。それはみな裏であやつる人がいるからだとはっき
りと見取るが良い」である。これは人間をあやつり人形に譬えて説明している。
人間はあやつり人形のような存在であり、舞台裏でそれを操る人(無位真人=脳)を看取せよと言っている
のである。あやつり人形とは肉体であり、舞台裏でそれを操る人とは脳や無位真人と考えて良いだろう。
そのように考えれば第一句は分別智(上層脳中心の理知)、第二句は無分別智(下層脳中心の智慧)、第三
句は脳全体(上層脳+下層脳)について言っていると考えることができる。
このように考えると、臨済の言っている「三玄三要」とは、
①分別智(上層脳)、
②無分別智(下層脳中心の脳から生まれる悟りの智慧)
と③それを一つにした全脳(上層脳+下層脳)
の三つの法門のことだと考えることができる。

(´・(ェ)・`)b
(2/3)

690避難民のマジレスさん:2021/08/09(月) 00:30:19 ID:sKKZB2ek0
禪と悟りhpより抜粋③ 三玄門の解釈とコメント② 
三玄三要
「三玄三要」は分別智(上層脳)、無分別智と全脳の三法門のこと
臨済は「禅は常にこれらの三つの玄妙な法門(脳に関する法門)に関係している」。
従って禅を説く時は
「常に脳に関係した三つの玄妙な法門について説かなければならない」
と言っていることが分かる。
・・・
この上堂説法で注目されるのは第一句である。
第一句は分別智(上層脳=知性)を意味している。普通、禅や仏教では無分別智(下層脳中心の脳)を重視
するあまり分別智(理知、理屈)を軽視しがちである。
しかし、この上堂説法では分別智を軽視していない。臨済禅では公案と問答を通して禅と悟りの世界を何と
か表現しようとする伝統がある。
これは臨済宗の開祖臨済の分別智(上層脳=知性)をゆるがせにしない姿勢に起因しているといえるかも知
れない。
臨済の分別智(上層脳から生まれる智慧=理知)重視の姿勢は「示衆4-2」や「示衆5-2」に見られる
「真正の見解」重視の姿勢に通じ、注目されるところである。

*おまけ3
『碧巌録』にみる麻三斤 (禅の視点 - life - hp)
ある時、1人の僧が守初禅師に質問をした。「仏とは何でしょうか」
守初禅師は答えた。「三斤の麻」以上。おしまい。これだけ。
……
三斤の麻とは
斤というのは重さの単位で、三斤あれば僧侶の衣を一着仕立てることができるという。
守初禅師の暮らしていた湖北省の襄州地方は麻の産地として有名だったというから、守初禅師にとっても麻
はとても身近なものであったと思われる。・・・・

古来、禅の問答においてもっともポピュラーな問いは「仏とは何か」であるが、・・・
仏とは何かと問われて、「三斤の麻」と答えた守初禅師。
しかし三斤の麻が仏なのではない。
強いて言うなら、三斤の麻を仏と捉える守初禅師の心こそ仏と言うべきだろう。
修行をして悟りやら仏を目指すといっても、悟りやら仏やらに執着すればもうそれは立派な煩悩である。
概念としての悟りや仏に捉われるのは執着であり、その執着から離れれば木も石も水も雲もただありのまま
の存在に感じる。・・・
仏は仏であり、仏でない。特別なものなど何もない。あらゆるものは、ただそのもの。そうした心から世界
を眺めれば、石と仏に差などない。
比べる心で見てしまえば石と仏は別物かもしれないが、比べなければあらゆる存在は「ただの存在」である。
ただの存在だから尊いのである。
そうした「ありのまま」の姿を捉える心こそ、仏といえるのではないか。
言葉の字面と睨めっこするのではなく、言葉の奥を深読みするのでもなく、言葉を発した守初禅師の心を想
う。・・・
(´・(ェ)・`)b
(3/3)

691鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/09(月) 23:36:57 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 南園の殘菊なのじゃ。

 東籬の晩秋の菊が衰色をしているのじゃ。
 南山かつ対して心は悠々なのじゃ。
 三要三玄など全てしらない、
 陶淵明も興にのって吟じるのが我が風流なのじゃ。

692避難民のマジレスさん:2021/08/10(火) 03:53:18 ID:sdUQpy3s0
494
四睡圖     四睡の図
凡聖同居何似生 凡聖同居何似生
披毛作佛也分明 披毛さ佛また分明
今宵極睡清風枕 今宵ごく睡清風のちん
空劫以來松無聲 空劫以來松に聲無し

くま訳
豊干・寒山・拾得 と虎が一緒に眠る絵
ある人が凡夫であり且つ聖人でもあるとは、はてどんな人でありましょうか。
獣になることと仏になることの違いは明らかでありまうしょう。
今宵深い眠りにつくのである、清風の枕(清々しい気持ちで眠れるのである)
無始無終の永遠の時の流れの中で、松に声はないのである。

*「四睡の図」https://1000ya.isis.ne.jp/1557.html
 豊干(ぶかん)禅師・寒山・拾得(三聖)が虎とともに眠る姿を描く。森羅万象の静寂を表したもので、悟 
 りの境地を示すとされている。
 豊干は奇行で知られる唐代の禅僧で、寺内を虎に乗って歩いたという。
 寒山と拾得は豊干の弟子で、同じく奇行で知られるが、それぞれ、文殊・普賢菩薩の化身と称せられる。
 ググッテみると、豊干・寒山・拾得 たいへん興味深い人たちでありました。
*寒山・https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>906
 寒山拾得(森鴎外)https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/679_15361.html
寒山拾得縁起(同)https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/43732_17109.html
*凡聖同居土(ぼんしょうどうごど)
 凡夫と聖人が共に住する土のこと。智顗が諸経典に説かれている国土を四種に分類したうちの一。この土 
 にはさらに穢土と浄土の別がある。同居の穢土とは娑婆世界のように六道を具え不浄が満ちている世界の 
 ことであり、同居の浄土とは極楽世界のように人・天・二乗・菩薩・仏が共に住して、清浄な世界のこと 
 である。またこの土は三界の内にあるため界内という。
*披毛:けものになること。
 作仏:仏となること。最高の悟りを開くこと。
*空劫(くうこう)世界が全く壊滅して、次にまた新たに生成の時が始まるまでの長い空無の期間。
(´・(ェ)・`)つ

693鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/10(火) 23:13:09 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 四睡の図なのじゃ。

 凡人と聖人が同居しているのは何を持って生じるのか。
 獣になるのと仏になるのでは違うことは分明であるがのう。
 今宵は清風の枕で睡を極めるのじゃ。
 この世の初めの空劫以來、松に声は無いからのう。

694避難民のマジレスさん:2021/08/10(火) 23:29:55 ID:gkLEI3Co0
495
宗訢藏主製墨以爲業 そうきんざうすせいぼく以って業と為す
偈以送之      偈以って之を送る
萬杵霜花華頂天   ばんしょのさう花華頂の天
商量來不直多錢   商量し来たって多銭にあたらず
何須知藏書經巻   何ぞもちひん知蔵の経巻を書することを
小艶題詩衒少年   小艶詩を題して少年をてらはん

くま訳
宗訢藏主は製墨を生業としている 
偈を作って送るのである
多くの女達が打つ砧の音が響く天台宗総本山(比叡山)に来てから一年を経た。
師家と問答応酬してきたが、たいして得ることはなかった。 
知藏が經巻を書する必要はなかろう。 
小艶詩を作って、少年達に詩才をひけらかしてやろう

*宗訢藏主:笑嶺宗訢(しょうれい そうきん)1490-1568 戦国時代の僧。永禄元年大徳寺の住持
 一休さんの死後の生まれであります。もしかしたら、一休さんが宗訢と名乗っていたことがあり、それに 
 ちなんで命名されたのかもしれないと思い、ここでは宗訢=一休さんと解釈してみた。
*藏主:知藏に同じ、經藏を掌る役。(大成脚注)寺院内にある経典や論書を管理する僧である。最近では 
 「知蔵」という。なお、現在の図書館司書のような役割もあった。また、「看経」の時には、蔵主の許可 
 を要する。
*万杵千砧(ばんしょせんちん):きぬたを打つたくさんの女性。または、いろんなところから聞こえるきぬ 
 たの音。「万」と「千」は数が多いことのたとえ。「杵」はきぬたを打つための棒。「砧」は布を叩いて 
 柔らかくして、つやを出すための石や木の台。
*霜華・霜花(そうか):① 霜を花にたとえていう語。転じて、白髪。「生涯水急、鬢悴二霜華二毛之歳
 一」 〔白居易‐長恨歌〕② (秋の霜と春の花の意で) 一年間。一周年。※正法眼蔵(1231‐53)行持下 
「航海三載の霜華、その風雪いたましきのみならんや」
*華頂峰は昔、中国天台宗の開祖である智者大師が坐禅を組み、あらゆる誘惑と魔物と戦い悟りを開いたそうで 
 す。その華頂峰にある寺院が華頂寺です。
*商量:商も量も「はかる」という意味で、協議する、くらべはかる意になる。転じて師家と修行者との間 
 で問答応酬して人生の一大事を明らめること。
*衒う(テラウ):自分の学識・才能・行為などを誇って、言葉や行動にちらつかせる。ひけらかす。
(´・(ェ)・`)つ

695鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/11(水) 23:25:21 ID:1d4drIFg0
なんだかわからんが、そうきん藏主という者が墨を作って生業としているのに偈を送ったというのじゃ。

 萬の杵で霜花を作る華頂の天なのじゃ。
 商量しても多くの銭にはならんのじゃ。
 知藏の經巻を書くのにもちいるよりも、
 小艶詩を題して少年をてらうほうがよいのじゃ。

696避難民のマジレスさん:2021/08/11(水) 23:36:29 ID:yB/WV.lo0
496

忘却萬端詩末忘 万端を忘却して詩いまだ忘ぜず
半生半死涅槃堂 半生半死涅槃堂
黄泉路上此吟興 黄泉路上この吟興
閻老宮前後悔膓 閻老宮前後悔のはらわた

蔭木英雄先生訳
総てを忘れ果てても詩はまだ頭から離れぬ  
息も絶えだえの病室でも
死出の旅路でも此のように詩興がわく  
エンマ様の御殿で後悔することじゃろう

くま訳

全てのことを忘れても、詩のことだけは忘れることが無い。
半生半死の涅槃堂
黄泉の国への旅路でも、このように詩情が沸くのだ。
閻魔様の宮殿の前で後悔するでありましょう。

*膓:はらわた。①体内にある消化器官。②心。精神。「愁膓・熱膓」
(´・(ェ)・`)つ

697鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/12(木) 23:13:54 ID:1d4drIFg0
 それでよいのじゃ。

 頌なのじゃ。

 万端を忘れても詩は忘れていないのじゃ。
 半生半死の涅槃の堂でもなのじゃ。
 黄泉路の飢えでもこの詩を楽しんでいるのじゃ。
 閻魔の前で後悔するじゃろう。

698避難民のマジレスさん:2021/08/12(木) 23:56:58 ID:W9EPAI6c0

497
題淫坊 
美人雲雨愛河深 美人の雲雨あいが深く  
樓子老禅樓上吟 ろうし老禅樓上に吟ず  
我有抱持啑吻興 我にほうじそうふんの興有りて   
竟無火聚捨身心 遂にかじゅうしゃしんの心無し 

『雑学の世界』HP訳
いっしょに寝てくれた美人の愛は、まるで深い河のようにすばらしく、
私はうっとりとして、思わず楼上で歌をうたった。
私には抱擁とか接吻とかの楽しみがあって、
いまや命がけの求道心など全くない

くま訳
美人と深く愛し合う。
女郎と老僧が楼台で吟じる
わしは、抱擁接吻を楽しみたいのだ
結局、煩悩の火で焼かれるこの身を捨てる気はないのだ。
     
字義・補記(詩詞世界HP解説)
〇淫坊 淫売窟・女郎屋 〇美人雲雨愛河深 美女との情愛の愛慾は深く
〇雲雨 中国「巫山雨」の故事に基づく男女の交情をいう。
楚の襄王が巫山で夢に神女と契ったことをいう。神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になるという故事。
〇樓上 女郎屋 〇樓子(ろうし) 遊女 〇老師
一休のこと
〇竟無火聚捨身心 煩悩の身を捨てるという心は、起きなかった
〇捨身 仏教用語 仏門にはいること 出家
〇火聚(かじゅ) 仏教用語、煩悩の火に包まれている人間の譬(たとえ)
(´・(ェ)・`)つ

699鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/13(金) 23:16:30 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 淫坊とはエロ坊主なのじゃ。

 美人と雲雨は愛の河深く、
 遊女と坊主は女郎屋で詠うのじゃ。
 我に抱持、吸吻の楽しみあれば、
 ついに火聚に捨身しても悟りを求めようとする心は無いのじゃ。

700避難民のマジレスさん:2021/08/13(金) 23:40:26 ID:qfUSWflA0
498
美人得寵美人珎 美人寵を得るは美人のちん
珠玉青鞋脚下塵 珠玉せいあい、脚下のちり
秋満驪山宮樹月 秋は満つ、りさん宮樹の月
栄華可悔馬嵬春 栄華悔ゆべし、ばかいの春

『雑学の世界』HP訳
美人で寵愛されるのは、美人の中でも珍しい。
だが、その珠玉のような美人も、最後は草鞋(わらじ)を履いた脚の下の塵と消え果てるのだ。
今年の秋も驪山下、華清宮の樹に、月は光を投げかけているが、
栄華の喜びは必ず後悔せねばならない。美貌の楊貴妃もついに馬嵬に消えたのではないかという。

くま訳
美人であっても、寵愛を受けるのは稀なことであるのだ
珠玉の美人も、いずれ足の裏の塵として消え去るのである。
秋は満ちて、、驪山宮樹に月光が差す、
栄華は悔やしさを際立たせる、楊貴妃の馬嵬の春のように。

*驪宮(りきゅう):長安の東、驪山に建てられた華清宮。温泉が沸き、玄宗は毎年避寒のために、ここに滞
在した。楊貴妃との悲恋の物語で名高い。(長恨歌)
(´・(ェ)・`)つ

701鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/14(土) 23:22:24 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 美人でも寵愛を得る美人は珍しいのじゃ。
 珠玉も草鞋足の下の塵になるのじゃ。
 驪山宮樹の月に秋は満ちるのじゃ。
 栄華も悔いるしかない馬嵬の春なのじゃ。

702避難民のマジレスさん:2021/08/14(土) 23:34:36 ID:nE0syv4U0
499
寄大徳寺僧   大徳寺の僧に寄す
人多入得大燈門 人多く大燈の門ににっとくす
這裏誰捐師席尊 しゃり誰か師席の尊をすつる
淡飯麤茶我無客 淡飯粗茶我れにかく無し
醉歌獨倒濁醪樽 醉歌獨り倒すだくらうのそん

くま訳
大徳寺の僧に寄す 
多くの人が大燈の宗門に入ることができた
それにも拘らず、師の尊い教を棄ててしまったのは誰か。
粗茶しか出せぬのわしの所には客は来ない。
酔って歌い、一人でドブロクの樽を飲み干すのだ。

*這裏(シャリ):《「這」は「此」の意》このうち。この間
*淡飯(たんぱん):そまつな食事。粗食。※正法眼蔵 家常「家常の麤茶淡飯は、仏祖意句なり」
*濁醪(だくろう・どぶろく) 発酵させただけの、白く濁った酒。もろみ酒。にごりざけ。
(´・(ェ)・`)つ

703鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/15(日) 21:57:45 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 大徳寺の僧に寄すのじゃ。

 人が多く大燈門に得入するのじゃ。
 その中で誰が師席の尊敬を捨てるのじゃろうか。
 粗末な食事と粗茶の我に客は無いのじゃ。
 醉歌して一人にごり酒の樽を倒すのじゃ。

704避難民のマジレスさん:2021/08/15(日) 22:19:29 ID:D8lEVfyU0
くま訳改
第二句;その中で誰が師席の尊敬を捨てるであろうか。

500
山居僧
無人時喜客來嗔 人無き時は喜び客來たればいかる、 
落葉飛花獨覺身 落葉飛花独覚の身
正見禪師若行令 しゃう見の禪じ若し令を行ぜば
三冬枯木百花春 三冬枯木百花の

くま訳
山居僧
人が居ない時喜び、客が来ると怒る。
無常なこの世で独覚を目指す身であり、
正しい見解を持つ禅師が若し修行をすれば、
冬の真っ只中で花が咲くのである。

*飛華落葉:飛花落葉:絶えず移り変わるこの世の、無常なことのたとえ。春に咲く花も風に吹かれて散り、
 青葉もやがて枯れ落ちる意から。
*独覚:三乗の一つ。仏の教えによらないで自力で悟りをひらき、静かに孤独を楽しんで、利他のための説 
 法をしない聖者。縁覚。辟支仏(びゃくしぶつ)。
 縁覚(えんがく):おのれひとり悟ってよしとする孤高の覚者。教理的には十二因縁を観察して迷いを断ち 
 真実を悟る者をいう。師なくしてひとりで悟るので独覚ともいい,音写語では辟支仏 (びゃくしぶつ) 。 
 大乗からみれば部派仏教の徒。菩薩に対する。
*三冬枯木花(さんとうごぼくのはな):冬の真っ只中の枯れ木に花が咲くということの意味。三冬とは冬 
 の三ヶ月や三年ともいう。
(´・(ェ)・`)つ

705鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/16(月) 23:18:44 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 山に居る僧なのじゃ。

 無人の時は喜び、客が来るといかるのじゃ。
 落葉飛花一人悟りを得る身なのじゃ。
 正見の禅師もし修行を行えば
 三度の冬で枯れ木に百の花を咲かせるような悟りの春を迎えるじゃろう。

706避難民のマジレスさん:2021/08/16(月) 23:28:43 ID:1R1CKbVY0
501
冬至示衆    冬至じしゅう
獨閉門關不省方 独り門関を閉じて方を省せず  
這中誰是法中王 しゃ中たれか是法中の王
諸人若問冬來句 しょにん若しとうらいの句を問はば、
日自今朝一線長 日はこんちょうより一線長し

冬至を修行者に示す
独り感覚を閉じて、周囲を伺わない。
修行者にとって、これこそが修行法の王道である。
もし誰か、冬至について尋ねるものがあれば、
日は今日から少しづつ長くなるとこたえるのだ。

*これは悟りを得るための法を説いたものでありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ


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