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鬼和尚の仏教講読会 別館2
632
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/18(日) 03:59:56 ID:KI1Uku5o0
くま訳全面改
第一句:病軽く脈が重いのは咸淳の亡国の禪なのだ。
第二句:病重く脈が軽いのは会昌の廃仏の禅なのだ。
第三句:それらよりも腐敗しているのが養叟の輩なのだ。
第四句:病も脈も損なっている今日の禅なのだ。
472
達磨忌
毒薬数加賊後弓 毒薬しばしば加ふ賊後の弓
大千逼塞佛心宗 だいせんひっそくす
西來無意我有意 せいらい意無し我意有り
熊耳山中落木風 ゆうじさんりゅうらくぼくの
達磨忌 10月5日の達磨大師の忌日に行う法会
毒薬がしばしば盛られていたことが後から分かったが、後の祭りだった
世界中の禅宗門が喪に服した
達磨がインドから来た意味、禅とは何かの答えは、外側には無い。わが心の中にあるのだ。
葬られた熊耳山(ゆうじさん)には、強風が吹いてるだろう。
*祖師西来意は禅の代表的な公案のひとつ。
『無門関』第三十七則
一人の僧が趙州和尚に問うた。
「如何なるか是れ祖師西来意」(大意:達磨大師が遠路、インドから中国へと来られた真意は何なので
しょうか?)
趙州和尚は答えた。
「庭前の柏樹子」
『趙州録』
また僧は続けて問うた。
「和尚、境を将て人に示すこと莫かれ」(大意:私は禅とは何か尋ねているのです。心の外の物で答えな
いで下さい)
趙州和尚は続けて答えた。
「我れ境を将て人に示さず」(大意:私は心の外の物で答えてなどおりません)
僧は再度問うた。
「如何なるか是れ祖師西来意」
趙州和尚は、再度答えた。
「庭前の柏樹子」
*景徳伝灯録巻三。第二十八祖菩提達磨(瑞雲院法話のページより)
大師は風のごとく雨のごとく、あまねく甘露の正法を施した。そのためその活動をうらやむ者によって毒
を盛られ、六度目に毒を盛られたとき、説くべきことは説き、法を伝える人も得たと、495年10月5日、
端然として亡くなった。150歳であった。
遺体は熊耳山(ゆうじさん)に葬られ、塔は定林寺に立てられた。熊耳山は熊の耳のように二峰が並びそ
びえていることから付けられた山名だという。なお西紀527年に中国に来て、495年に亡くなるはずはな
いが、原文はそうなっている。年号の書きまちがいかもしれない。
三年後、宋雲(そううん)という僧が西域を旅しているとき、葱嶺(そうれい。パミール高原からカラコ
ルム山脈にかけての山域)で達磨大師に会った。大師は手に履き物の片方をぶら下げていた。宋雲が尋ね
た。
「先生はどこへ行かれるのか」
「インドへ帰る」
帰国した宋雲は皇帝にそのことを報告し、皇帝は大師の墓を調べさせた。すると棺の中は空っぽで、ただ
履き物の片方のみが残っていた。後に皇帝から円覚大師の名を贈られた。
(´・(ェ)・`)つ
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