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鬼和尚の仏教講読会 別館2
620
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/11(日) 22:54:37 ID:XE3BOl/w0
466
賛達磨大師半身 達磨だい師の半身を賛す
東土西天徒弄神 東どさい天いたずらに神を弄す
半身影像現全身 半身のやう像全身を現ず
少林冷坐成何事 少林冷坐何事をか成す
香至王宮蕙帳茵 香し王宮けい帳のしとね
くま訳
賛達磨大師半身
東土日本も、西の天竺も、誠の信心があやしくなってきている。
半身の御姿から、全身を現すように見える絵である。
少林寺で坐禅修行に打ち込んで、成し遂げたことは偉大である。
南インドの香至国の王宮のきらびやかな部屋で生誕されたのだ。
*1465(寛正 6)72歳の時に、弟子の黒渓の描いた達磨の図に書いた賛。真珠庵に秘蔵。↓
https://teaceremonytouan.com/blog-entry-366.html?sp
*香至王宮蕙帳茵:達磨は南印度香至國王の第三王子なり、蕙帳の裡に生れて、かくの如き難行苦行をなさ
るをいふ。(大成脚注)
*達磨:(378-528):南インドの香至国の国王の三男。名前、菩提多羅。
*神弄(かみいじり): 誠の信心からではなく、みえや形式だけで神参りすることをとがめていう語。神い
びり。神せせり。神なぶり。
*蕙帳(けいちょう)(「蕙」は、かおり草) 蕙の模様のあるとばり。また、それをかけた部屋
*おまけ:達磨(長南瑞生先生解説)(378-528)は、南インドの香至国の国王の三男として生まれ
ました。名前を菩提多羅といいます。
菩提多羅が7歳のある日、行脚の旅をしていた般若多羅という僧侶が香至国を訪れました。
国王が宮中に招いて教えを受けると、尊い仏教の教えを説いたので、お礼に宝珠を贈りました。
そして、3人の王子たちにも挨拶させると、般若多羅はこう言いました。
「国王から頂いたこの宝珠は、まことにすばらしいものです。王子様がた、この世には、この宝珠以上の
宝は、果たしてあるものでしょうか?」
第一の王子はこう答えました。
「この宝珠は、この国最高の宝物です。この世にこれ以上の宝物はありますまい」
第二の王子もこう答えます。
「兄の言う通り、尊者のような高徳の方のみに許される最高の宝です」
上の2人はこの世にこれ以上の宝はない、という答えだったのですが、第三王子の菩提多羅は違いました。
「確かにこの宝珠はすばらしい宝です。しかし、何が最高の宝かといえば、正しい教えこそが、最高の宝
でありましょう。この宝珠もすばらしい輝きを放ちますが、智慧の光こそが最もすばらしい輝きを放つも
のと思います」
この立派な答えに感心した般若多羅は、出家を勧め、国王も承諾しました。
やがて国王が病気になり、苦しんで亡くなりました。
その姿を見た菩提多羅は
「死んだらどうなるのだろう」
と思いました。7日間瞑想して考えましたが、わかりません。
菩提多羅はこれをきっかけに出家し、般若多羅に弟子入りしたのでした。
このとき菩提多羅は「菩提達磨」という名前をもらい、般若多羅の弟子として、厳しい修行に打ち込みま
した。40年以上の厳しい修行の末、ついに一人前と認められたのです。
お師匠さまに、
「どこへ仏教を伝えに行ったらよろしいでしょうか」
とお尋ねすると、驚くべき答えが待っていました。
「お前は一人前になったといっても、有頂天になって自惚れるでない。私の元でこの後も修行を続けるの
じゃ。ただし、私が死んだら67年間、インド中をくまなく歩いて仏教を伝えるがよい。その後は中国へ
渡って、仏教を伝えるのだ」
こうしてしばらくの間師匠のもとで修行を続け、般若多羅が亡くなってから、旅に出たのです。
(´・(ェ)・`)つ
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