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鬼和尚の仏教講読会 別館2

690避難民のマジレスさん:2021/08/09(月) 00:30:19 ID:sKKZB2ek0
禪と悟りhpより抜粋③ 三玄門の解釈とコメント② 
三玄三要
「三玄三要」は分別智(上層脳)、無分別智と全脳の三法門のこと
臨済は「禅は常にこれらの三つの玄妙な法門(脳に関する法門)に関係している」。
従って禅を説く時は
「常に脳に関係した三つの玄妙な法門について説かなければならない」
と言っていることが分かる。
・・・
この上堂説法で注目されるのは第一句である。
第一句は分別智(上層脳=知性)を意味している。普通、禅や仏教では無分別智(下層脳中心の脳)を重視
するあまり分別智(理知、理屈)を軽視しがちである。
しかし、この上堂説法では分別智を軽視していない。臨済禅では公案と問答を通して禅と悟りの世界を何と
か表現しようとする伝統がある。
これは臨済宗の開祖臨済の分別智(上層脳=知性)をゆるがせにしない姿勢に起因しているといえるかも知
れない。
臨済の分別智(上層脳から生まれる智慧=理知)重視の姿勢は「示衆4-2」や「示衆5-2」に見られる
「真正の見解」重視の姿勢に通じ、注目されるところである。

*おまけ3
『碧巌録』にみる麻三斤 (禅の視点 - life - hp)
ある時、1人の僧が守初禅師に質問をした。「仏とは何でしょうか」
守初禅師は答えた。「三斤の麻」以上。おしまい。これだけ。
……
三斤の麻とは
斤というのは重さの単位で、三斤あれば僧侶の衣を一着仕立てることができるという。
守初禅師の暮らしていた湖北省の襄州地方は麻の産地として有名だったというから、守初禅師にとっても麻
はとても身近なものであったと思われる。・・・・

古来、禅の問答においてもっともポピュラーな問いは「仏とは何か」であるが、・・・
仏とは何かと問われて、「三斤の麻」と答えた守初禅師。
しかし三斤の麻が仏なのではない。
強いて言うなら、三斤の麻を仏と捉える守初禅師の心こそ仏と言うべきだろう。
修行をして悟りやら仏を目指すといっても、悟りやら仏やらに執着すればもうそれは立派な煩悩である。
概念としての悟りや仏に捉われるのは執着であり、その執着から離れれば木も石も水も雲もただありのまま
の存在に感じる。・・・
仏は仏であり、仏でない。特別なものなど何もない。あらゆるものは、ただそのもの。そうした心から世界
を眺めれば、石と仏に差などない。
比べる心で見てしまえば石と仏は別物かもしれないが、比べなければあらゆる存在は「ただの存在」である。
ただの存在だから尊いのである。
そうした「ありのまま」の姿を捉える心こそ、仏といえるのではないか。
言葉の字面と睨めっこするのではなく、言葉の奥を深読みするのでもなく、言葉を発した守初禅師の心を想
う。・・・
(´・(ェ)・`)b
(3/3)


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