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鬼和尚の仏教購読会 別館

1避難民のマジレスさん:2018/10/16(火) 22:40:04 ID:HDZhjLgoC
明日より、黄金の華 の 購読会を始めるのである。
どうやらOSHO35才の時の講演らしい。
OSHOは、すごい人なのである。
セゴドンやゲバラに匹敵する革命家だったのでありましょう。
それでは、明日からお楽しみに!
(´・(ェ)・`)つ

673鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/12(金) 22:18:57 ID:1d4drIFg0
誰もが悟りを求めている訳ではないのじゃ。
現世利益が何か得られると思っている者も多いのじゃ。
迷信なのじゃ。
誰もが自ら目覚めた者になることができると知らないのじゃ。

674避難民のマジレスさん:2019/07/13(土) 00:25:09 ID:LC3de7YgO
>>672
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part2(つづき)
    
Q:しかし、パパジ、時々・・・
    

「時々」を直訳しなさい。「時々」とはどういう意味だ? このまちがった文法をど
の教師が教えたのだ。これは教師のいない変わったクラスだ。教師は話す為の舌はな
いし、生徒は理解する為の頭がない。これがこの変わったクラスだ。

あなたが頭を持っているのなら、頭を落とす他の場所、屠殺場を探さねばならない。
このエゴが頭だ。わかるかね? 屠殺場に持っていく値打ちがある。彼らがうまく面
倒を見てくれるだろう。私はヘッドはいらない。私はハートがほしいのだ。ここでは
頭は必要ない。頭だけを必要とする学校はいくらでもある。

外であなたの頭を取り除いて、そして話してごらん。そうするとあなたのハートが愛
の言葉を初めて話すだろう。ハートに話しをさせなさい。あなたはいつも頭で話して
いた。カマリの言うように頭を落としなさい。

この少女はどのようにしてサットサンガに出席すべきか知っていた。「私」、「あな
た」、「彼女」はサットサンガに来るのを許されない。あなたは今真理と直面しよう
としている。それがサットサンガの意味だ。

あなたは今、真理に、自由に直面している。誰があなたを殺すことができる? 自分
の真我を恐れてエゴに依存している。つかのまの問題に完全に巻き込まれて、あなた
の人生を救うことができない。何億回と生まれて死んで来たのだから死の味は十分に
知っているはずだ。
  
今は生き方を学ぶ時だ。至福の中にいつもいるのは非常に簡単だ。だが、あなたは死
にたいので、この愛と美の楽園を屠殺場に変えてしまったのだ。
 
一瞬休んで、あなたは誰か見てごらん。あなた自身の真我があなたに姿を現しキスを
してあなたを抱きしめるのを許さなかった。あなたは何億年もの間、頭を使って生き
てきた。今、少なくともハートに時間を与えなさい。静かにしていなさい。唯、静か
にしていなさい。静かにしていると真我がやって来て、抱きしめて、キスしてくれる
だろう。あなた自身の真我に時間を与えなさい。

Q:あなたとのサットサンガは陶酔的だ。ここにいつもあるものを再発見する為に、
真我の中で永遠に休息する為に、私はあなたに会いにきました。
    
普通ならこの酒にたくさんのお金を使うものだ。どのようにしてここで酔っ払ってい
るのかね。
    
Q: あなたの存在、最高の飲み物です。 
普通、最高のお酒はスコッチだ。これは3時間しか効果がないので、お金をすべて使
い果たしてしまうものだ。しかし、「この酒」は一瞬ごとにもっともっと強くなって
、3時間後には消えてしまう酒ではない。
有名なブランド(グル)を見つけることだ。そうすると一瓶で残りの人生を楽しめる
。その上、「この酒」は蒸発しない。値段が非常に高いので「この酒」を飲んだ人は
非常に少ない。ある人は「それ」には値段が付けられないと言うだろう。静かにして
いなさい。そうするとあなたは酔っ払うことができる。ただ静かにしていることだ。

あなたの陶酔が他人や物に依存しているなら、自分自身を騙していることになる。最
高の陶酔はあなたの真我以外、どんな源泉からもやって来ない。誰もあなたに幸福を
与えることはできない。誰もあなたに平和を与えることはできない。

あなた自身を見つけなさい。
混乱したマインドだけが幸福は他のどこかにあると考えている。
この愛と美は静かにしているだけで即座に現れる。
そうして全てを得ることになる。
あなたはそれを味わったようだね。
だからあなたはそんなに光り輝いているのだ。(笑)

 OK.私はあなたに会えて非常に幸せだ。
    
(´・(ェ)・`)
(つづく)

675鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/13(土) 22:25:37 ID:1d4drIFg0
質問者が何を聞いてもパパジは自分自身を観るようにいうのじゃ。
それが正しい教えなのじゃ。
自らを観る実践を勧める以外に教えは無いのじゃ。
人々がその教えによって自らを観ることが出来たならば教えは完成したといえるのじゃ。

676避難民のマジレスさん:2019/07/14(日) 00:58:01 ID:LC3de7YgO
>>674
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part2 (つづき)
    
Q:何の目的もなしに、あなたとここで平和に満ちて一緒に座っているのが最高です。
    
 何の目的もなしに私の前に座る人が全てを得るのだ。
これは神も又約束していることだ。
「私の帰依者が私の所に来て何かを頼むとき、私は即座にそれを与える。子どもであ
ろうが、長寿であろうが、よい連れ合いであろうが、何でも。」

しかし、神にも人間と同じように恐れがある。
神が言うには、
「私は何も頼まない人が恐ろしい。私はその人に全てを与えるように束縛されるから
だ。私はその人に影のようについて行かねばならない。欲望のない人には私はその人
が必要なものをその瞬間に与えねばならないからだ。私はその人に束縛される。」

無欲でサットサンガにやって来る人も又同じことだ。彼らは何も頼まなくても全てが
与えられる。あなたには何の不足もない。残りの人生は必要な全てのものが供給され
るように確約されている。

Q:パパジ、私は新しい名前がほしいのですが。
    
 最初に意味をあげよう。
カップのようにあなたの手を合わせて、この空っぽの手を差し出しなさい。
そうすると、ダイヤモンドがその中にひとりでに落ちて来る。
このダイヤモンドが真我の知識で、ひとりでに落ちて来る。
しかし、あなたの手は何層もの心を乱すマインドをつかんでいる。
これらの層が欲望だ。

サットサンガにやって来る人は欲望をマインドから引き離して真我に戻す。
これがサットサンガで自動的に起こる。
そうしてこのカップの用意が整う、そのときダイヤモンドが落ちて来る。
真我の啓示だ。
真我がそれ自身でそれ自身に姿を現すのだ。
この空っぽのカップの手の状態がアンジェリと呼ばれている。
あなたのハートは十分開いているので真我の知識を受け取ることができるだろ
う。
 
これはウバニシャッドからの話だが、ある人が自由を得た時、どのようにして
自由を得たのかと尋ねられた。
「アムラキ(木の実)が私のアンジェリにひとりでに落ちて来たようなもので
す。私は何もしていません。それはサットサンガの木から落ちて来たのです」。
他の木ではなくサットサンガの木の下に立っているとこれが起こるのだ。
 
サットサンガで得られる名前は愛と美の名前だ。
この名前を使う人々は愛と美と恩寵の中で溺れてしまう。
あなたの名前を呼ぶ人でさえこの恩寵を得ることができる。
名前はこのように全ての人が楽しむことができる名前であるべきだ。
あなたが喜びの名前を発すると喜びに満ちるように。
 
名前が新しい系統を代表する。
苦しみから苦しみが生まれるように多くの名前はこの苦しみを背負っている。
今、あなたは違う環境にいる。
新しい名前はこの一部だ。
あなたの人生を過去から切り離して新しく出発するという意味だ。

Q:ブッダが私の最初のグルで、私のハートは彼と強く結びついています。
私は彼を以前に知っていたに違いないと思います。
又、私はまるで以前にあなたに会ったような気がします。
    
あなたは以前にブッタを知っていたに違いない。
我々はみんな以前に何回も出会っている。
ほとんどの人が憶えていない。
少数の人が、これを思い出して、何回も何回も同じ事を繰り返しているこの過
程を終わりにしたいと決めない限りこれは続いていくのだと理解する。
 
ここにいる全ての人達は何世も一緒に過ごしたのだ。
だから私達はここにいる。
わたしたちがここで出会っている目的は再び戻って来ない為だ。
ブッダのように。
彼がしたことは非常に簡単だ。
菩提樹の木の下に座り、沈黙し、全ては終わった。
彼はやり遂げた。
私達も又やり遂げることができる。
 
(´・(ェ)・`)
(つづく)

677鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/14(日) 23:00:57 ID:1d4drIFg0
誰もが何度も生まれかわっているのじゃ。
その生の中で悟りを目指した者も多いじゃろう。
この世でこそ、その願いを叶えたらよいのじゃ。
時間が有って修行できるうちに精進あるのみなのじゃ。

678避難民のマジレスさん:2019/07/15(月) 00:08:00 ID:LC3de7YgO
>>676
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part2(つづき)
 
ある話が浮かんで来たので短く話してみよう。
これは7000年前に起こった*1ラーマヤナの中の話だ。
 
当時、聖人と悪魔が戦っていた。
悪魔はラーマの妻シータを誘拐した。
長い話を短くして、ラーマは悪魔を倒し妻を取り戻した。
 
次にラーマ、シータが王位につく為に授冠式がとり行われる。
ラーマは彼のグルにメッセージを送って王位につく為に必要な儀式をとり行っ
て祝福してほしいと頼むことにした。

 ラーマは弟のラクシュマンに彼の指輪をもたせ、早馬にのせて彼を送った。
ラクシュマンは森の中のグルのアシュラムに行って彼に告げた。
「私はラクシュマン、ラーマの弟です。私達は安全に南から帰ってきました。
来週は授冠式がとり行われます。ラーマはこの指輪に命じてあなたに儀式をと
りおこなってほしいと依頼しています。」

さて、王の指輪はこれに相当するものは何もないほど貴重なものだ。
指輪は特別なダイヤモンドでできていた。ラクシュマンがグルにこの指輪を差
し出したとき、グルは言った。
「米を炊いていて忙しいので、私の小屋に行って指輪を素焼きの壷の中に入れ
ておきなさい。」

ラクシュマンは壷に指輪を入れた。
入れたとたん予期しない音がした。
彼は壷の中に何が入っているのか興味深く思ったと同時に王の指輪を素焼きの
壷に入れるとはもってのほかだと怒った。

彼が壷をひっくり返したら彼が入れた指輪と同じ指輪がたくさん出て来た。
「どうしたものか? 数えきれない位の指輪だ。それに私が入れた指輪はどれか
わからない。」

彼は外に出てグルに尋ねた。
「誰がこれらの指輪をこの壷に入れたのですか?」

厳しい表情で*2バシスタは言った。

「ラクシュマン、お前が入れたのだ。お前が入れたのだ。」
「それはありえない、私は初めてここにやって来たのだから。」彼は叫んだ。

「いいや、何回もお前はやって来たのだ。その度に馬に乗ったまま授冠式に来
るように私に頼んだ。その度に私は指輪を壷に入れるようにと言った。お前が
馬から下りてお前のプライドを取り除かない限り、これは何度も何度も起こり
続けるだろう。私と一緒にいなさい。私が教えてあげよう。そうすると再びこ
こに現れることはないだろう。」とバシスタは告げた。

プライドを取り除き、名前や形に同一化するのをやめない限り私達は何回も現
れ続ける。
名前と形がないとき、あなたは決して以前にやって来たことはないし、今回も
やって来なかったということを悟るだろう。
これがこの話の美しさだ。

真理は「かつて何も存在したものはない」ということだ。

Q:私はブッダガヤからやってきました。
そこでは仏教の功徳や*3カルマの概念が説かれています。
もし、かつて何も存在したものがないのならそれらの概念は自由にとっては意
味のないもののように思えます。
    
それは意味のないことではない。
逆に大きな意味がある。
良いカルマなしにブッダガヤやここにやって来ることはなかっただろう。
少数の人がサットサンガにやって来る功徳を持っている。
ここに来るにはたくさんの功徳が必要だ。
これがなぜあなたがここにやって来たのかという理由だ。

いつ、自由になるかは運命で決められている。
ブッダの場合がそうであったように。
あなたの功徳の強さの為にあなたがそれを拒もうとしても自由があなたのとこ
ろにやって来るのだ。
あなたが自由になることが決められていたら、ここを発とうとしても発つこと
ができないという状況に陥るだろう。

用語解説

*1ラーマヤナ 悪魔ラバナに誘拐されたラーマの妻シータをランカから救いだしラバナを滅ぼす物語。

*2バシスタ 聖人、ラーマのグル。

*3カルマ 因果応報
(´・(ェ)・`)
(つづく)

679鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/15(月) 22:08:13 ID:1d4drIFg0
善事を行っていれば何事も心で願うことがかなうのじゃ。
悪事をしていれば何事も障害が増えて思うままにいかないのじゃ。
修行も善事をしていれば速やかに進むものじゃ。
そうであるから善事を積むのもまた修行の一つと言えるのじゃ。

680避難民のマジレスさん:2019/07/16(火) 00:12:19 ID:LC3de7YgO
>>678
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part2(つづき)

Q:ラクナウに来て以来、私はここに来る以前のように幸福ではありません。
どうしたことでしょうか?
      
ラクナウに来る前の幸福は、おそらく幸福感をあなたに与えてくれる人や物や
場所によるもので、マインドがそれを幸福だと勘違いしていたに違いない。
おそらくあなた自身の概念から幸福を得ていたに違いない。
それは幸福ではない。
本当の幸福は説明することはできない。

幸福は他の人からやって来るのではない、聖者や賢者からでさえやって来るも
のではない。
幸福は内からやって来る。
サットサンガでさえ幸福を与えることはできない、それはいつもあなたの内に
あるからだ。
 
あなたはサットサンガにやって来て、何も考えないで静かにしているようにと
言われる。
肉体、マインド、エゴ、感覚の活動についても考えないで静かにしているよう
にと言われる。
そしてあなたは静かに平和でいることができる。
ここでは、静かにすること、マインドからどんな思考も湧き上がらないように
することを学ぶのだ。

そうすると、言いようもない幸福を感じるようになるだろう。
あなたの内なる幸福が顔に現れるだろう。
あなたが幸福なときあなたの顔の表情は完全に変わるものだ。
そして、あなたの顔を見た誰もが幸福になる。
 
湧き上がって来るこの悲しみはよい兆候だ。
何世にもわたって蓄積された悲しみがハートの底で触れられずに存在していた。
この悲しみはあなたの肉体の一部になってしまってそれから離れて存在できない。

グラスの水の底に沈んだ塵のように。
この悲しみは悪行や不正な活動の結果としてハートに蓄積されている。
あなたが今悲しみを感じているのはサットサンガがそれを取り除く為にかき混
ぜて表面に浮かびあがらせている為だ。
全ての人のマインドがサットサンガで緊張して、何年も気づかずにいたものが
表面に現れてくるのだ。

しかし、浮かびあがった悲しみはサットサンガにいることはできないのでそれ
は溶けてしまう。
事実は苦しみや悲しみがあなたをここに連れて来たのだからそれに感謝すべき
だ。
 
一度自分の真我を知ったなら悲しみの全てはたいした問題ではなくなる。
今、不運だと感じているかもしれないが、あなたは非常に幸運だ。
すぐに過去に影響されなくなる。
背負って来た重荷も忘れてしまうだろう。
あなたは「今」にいてそれを知るだろう。

Q: 私が感じているこの切望や憧れはいったいなんでしょうか?
 どのようにして私自身をこの切望にゆだねることができるのでしょうか?
 夫に捨てられたことと娘の行く末を考えるととても耐えられません。
  
あなたは家庭を捨ててインドにやってきたのにまだ関係を乗り越えていないの
なら、マインドを騒がせることになる。
半分ここにいて、他の半分はむこうに居るなら、静かにしていることはできな
い。

いつか夫や子供たちとの関係は終わりになると理解しなければならない。
あなたの夫があなたから去っていったことを感謝して幸せに思うべきだ。
全ての関係は始まって終わりになるということを体験させてもらったのだから。

次の関係を求めるという愚かなことはしないだろう。
今なら関係をのり超えて、「全てが一つだ」というところにいくのが簡単にな
るだろう。

第4章 サットサンガ:真理との交流 終了
(´・(ェ)・`)つ

681鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/16(火) 22:54:38 ID:1d4drIFg0
世間での不幸や苦はむしろ永遠の幸福を求める道に入る機会になるものじゃ。
そうであるからお釈迦様も世間は一切皆苦と説いたのじゃ。
世間は一切皆苦であるが、世間を出れば安楽なのじゃ。
一切皆苦と説くのもそこから出る道があるからなのじゃ。

682避難民のマジレスさん:2019/07/17(水) 00:54:13 ID:LC3de7YgO
>>680
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1

内在する「自由」の徴候
 
   グルの恩寵がその人をサットサンガに連れて来るまえに、
   すでにその人の人生に自由が起こる兆しや
   自由を得るための資格が現れている。
   自由のために更に更に準備ができるにつれて、
   幻想の膜が薄く薄くなるにつれ
てそれらは現れる。

  最も重要な資格は神聖さと強烈な自由への欲望だ。
   次に識別する能力、
   真実と不真実・永遠性と一時性・平和と苦しみの違いを見分ける能力。

   次にやって来るのは冷静さと放棄だ。
   真実でない一時的な世界に執着しないこと、
   感覚の対象物に対する拒絶だ。

  他の徴候は、謙遜・不動性・法(ダルマ)にかなった生活・健康な肉体
・真我探求・神への愛・無暴力があげられる。
   
   これらの徴候の全ては同じものの異なる様相だ。
   即ち、内在する真我が真我に対して真我の姿を現しているのだ。

  これらの徴候はひとりでに現れる。
   これらに焦点を合わせないで
   これらに惑わされないで
   絶えず真我にのみ焦点を合わせていることだ。

「自由」への欲望
   
   *1サンサーラの海を乗り切ることができる筏は
   自由になりたいという強固な決心だ。

   この強烈な欲望は絶対に必要だ。
   この欲望の強烈さ自体がサットグルだ。
   ハートの痛みは真我が呼んでいる証拠だ。

   いつも真我だけを望みなさい。
   あなたが最も望むものはいつも手に入るのだから、
   自由への燃えるような欲望をもつことで十分だ。
   そして、それが祝福された徴だ。

   *2モクシャへの欲望がモクシャだ。
   今あなたは自由とのみ関係を持つ。
   今自由と「私」を識別しなさい。
   そして「私」は自由からどれだけ離れているか見てみなさい。
   行くべき場所がないとき、そこへ行くべき「私」は存在しない。
   
   ツーリストは去っていった。
   今この自由に、岩のような信念を持ちなさい。
   そうすると思考や疑いの水や風がやってきても不動だ。

   自由への欲望を持ち続けると、
   習癖の全てやマインドの妨害が落ちていく。
   自由だけを考えていなさい、そうするとあなたは自由になる。
   あなたはあなたが考えているところのものになるのだから。
   歯痛の持続性のようにいつも真我について考えていなさい。

  自由への欲望が高潮だ。
   それは疑いでできた砂の城を押し流してしまう。
   ・・この欲望のない人間は、尻尾のない動物にすぎない。

Q: 全ての束縛から自由でありたいという燃えるような欲望を持っています。
    
自由への燃えるような欲望を持ってるのならそれで十分だ。
その炎は、あなた・マインド・エゴ・肉体も含めて宇宙の全てを焼き尽くすだ
ろう。
燃やしなさい、そして燃え残ったものも全て火に投げ返しなさい。

火の中に投げ入れられたものは全て火になる。
自由への欲望でさえも、この火の中に入れると燃え尽きて「それ」になる。
非常に簡単だが自由でありたいと燃えている人は数少ない。
ほとんどの人が感覚の対象物にとり憑かれている。

   あなたの意志をこの火の中で燃やしなさい。
   そうするとどこに行く意志もなくなる。
   あなた自身を永遠・愛・平和のこの火の中で燃やし尽すのだ。
   この火を恐れることはない、それは愛そのものだから。
   この自由への欲望が愛の炎だ。

ほとんどの人がこの火を恐れている。
少数の人がこの自由を愛してしまった。
この愛の火の中で自分自身を燃やし尽くした人はいまだに生きている。
仏陀は2600年前にそれをやり遂げた。

用語解説

*1サンサーラ 個人が解放されるまで繰り返される生と死のサイクル。

*2モクシャ サンサーラからの解脱、自由、真理の実現。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

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684鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/17(水) 23:51:04 ID:1d4drIFg0
悟りを求める心の強さによって悟りも近くなるのじゃ。
強い意志が必要なのじゃ。
自我が無くなろうとする時には恐れが起こるものじゃ。
自分が無くなると感じるからなのじゃ。
その恐れを乗り越えられるのは悟りへの強い意志を持つものだけなのじゃ。

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692避難民のマジレスさん:2019/07/18(木) 08:05:06 ID:LC3de7YgO
>>682
16「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)

 この自由への思いがやって来たのは、彼が彼の父が手配した若くて美しい女
性にとり囲まれて、快楽の園にいたときだ。
星占いによると彼は苦行者の王となるだろうと予見された。

 そのために彼の父は快楽の牢獄に彼を閉じ込めたのだ。
しかしこの愛の炎は、彼の内に激しく燃えあがっていた。
そして彼は覚醒を得て、いまだに生き続けている。

 このようにあなたはやり遂げねばならない。
仏陀もまた人間であった。
彼がやり遂げたのだから、私たちも確かにやり遂げることができる。
全ての人が仏陀になることができる。
たった一つ必要なのは自由への炎だ。

 そうすると、あなたが「静寂」であり、その仏陀であると認めることになる。

   自由を勝ち得るには、
   あなた自身の深遠さを測り知るには、
   塩の人形になってガンガ(ガンジス河)に飛び込むことだ。
   あなたは人形であることを忘れて、
   あなたはガンガになるだろう。

これがベンガルのラーマクリシュナが言ったことだ。
これが永遠性との絶対的な一体化だ。
あなたは決して存在したことのない岸に戻って来ることはない。
    
Q:私の本質の中に溶けて、決して戻ってきたくありません。
    
よく決心した。
ここにいなさい。
この決心は非常に堅いので即座にその結果を得るだろう。
熱意を失わないことだ。

昔、マトワラと呼ばれる男がいた。
彼は樹の下に座って決心した。
「私が悟るまでこの樹から立ち上がらない。」
それで、彼はいつも樹の下に座って瞑想し、食事のために席を外すこともなか
った。そこへある人がやって来て、彼が何をしているのかと尋ねた。

 「私は瞑想しているのだ」とマトワラは言った。
「何のために?」
「幸福になるためだ。」

 「教えてあげよう。このバニヤンの樹にはどれ位の葉が茂っているかね?
 自由になるためにはこの葉の数のように何回も生まれ変わらなくてはならな
いのだよ。」とその人は言った。

「問題ない」と自信に満ちた瞑想者は言った。

 「この樹には何千もの葉がついている。生まれ変わりなど気にしない。私は
ただここに座っているのだ。」この決心で彼は瞑想しつづけた。

 しばらくして次に聖者がやって来て尋ねた。

 「何をしているのかね?」マトワラは瞑想しているのだと答えた。
 「なぜ?」と聖人が尋ねた。
 「全ての人が苦しんでいる、苦しみを取り除くためには瞑想するようにと私
のグルが言ったのだ。」と答えた。

 「教えてあげよう。このバニヤンの樹から最後の一葉が落ちるまでここで瞑
想しなさい。最後の一葉が落ちたときあなたは悟るだろう。」と聖人は言った。

 その時マトワラは大声で叫び返した。

 「私は葉が落ちるのを待つ必要はない。葉が落ちるのと私の光と知恵の間に
どんな関係があるのか?」彼は立ちあがって踊りだした。

 幸福は今ここにある。彼は悟ったのだ。

この話の意味していることは、あなたは待つ必要がないということだ。
悟りは時間に依存しているのではない。何年待てばよいというものではない。
あなたはすでに35億年も費やしてここにいるのだ。

 この樹は絶えず葉を繁らせ続ける。
もし一葉が落ちても他の葉が繁る。
どれ位待つつもりだ。立ち上がって「私は自由だ!」と叫んだらどうだ。
あなたが自由になれば結局は人生を楽しむのだ。

 それならなぜ今楽しまないのか?
 ほとんどの人が死を恐れて、「私は死んでいく。」と叫んでいる。
私は人が道に飛び出して「私は自由だ。」と叫んでいるのを見たことがない。
だからもしあなたが本当のマトワラなら道に出て叫びなさい、

 「私は自由だ!!」と。

Q:私のエゴは非常に強固です。
どうか私のエゴを破壊して下さい。私は自由を経験したいのです。

 あなたのエゴを見せてくれるかね。
そうしたら、私の強さとあなたのエゴの強さを比べることができる。
彼女に会ったことがあるのかね?
    
(´・(ェ)・`)
(つづく)

693鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/18(木) 22:36:23 ID:1d4drIFg0
どれほど強いエゴも一度観られたら滅してしまうじゃろう。
それは決して存在しなかった幻想の観念であるからのう。
その真実をありのままに観るがよいのじゃ。
今ここで自由になるじゃろう。
時を待つ必要は無いのじゃ。

694避難民のマジレスさん:2019/07/19(金) 12:35:19 ID:LC3de7YgO
>>692
16「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)
    
Q:それを感じただけです。 
    
このガールフレンドに会ったことがないのかね。彼女はよい友達だ。
彼女の強さを試してごらん。
おそらく彼女は象のように強靭なのであなたは逃げ出してしまうだろう。

 だから愛でエゴを飼い慣らしなさい。
もし愛で飼い慣らしたら、彼女はあなたを困らせないだろう。
彼女を一人にしておきなさい。

「私は自由になりたい」という大きな望みにはエゴが必要だ。
このエゴを許しなさい。自由が欲しいのはエゴだから。
明日にではなく今日、自由を望みなさい。
今日にではなく今、自由を望みなさい。

 彼女が強ければ強いほど、「私は自由になりたい」という欲望も強くなる。
その時、この強さはあなたの助けになる。欲望も又エゴだ。何かを欲しがるのはエゴだ。
他の欲望が同時に起こることはないので、エゴの強さを利用して自由への欲望
をかき立てるのだ。

 今それを言ってごらん。
    
Q:私は自由になりたい!
    
このように昼も夜も言い続けなさい。
そうするとそれを手に入れることができる。仏陀は手に入れた。
あなたも手に入れることができる。こう言いなさい、

 「彼は人間だった、私も人間だ。彼は手に入れたのだから私にできないはず
はない」と。
樹の下に座って自由になるまで立ちあがらない。
これが彼の決心で、彼は自由を得た。

 何事も決心しないとうまくいかない。あなたは決めなければならない。
今が一番よい時期だ。あなたの決定は確かでサットサンガにやって来た。
そこに座って修行も努力もなしで自由になりなさい。

 何も考えないでただ静かにしていなさい。マインドを掻き混ぜないこと。
どんなに簡単か、あなたは若いのだからそれをやり遂げることができる!!

   世界中で自由を求める人は数少ない。
   自由に焦がれている人はもっと少ない。
   自由だけに一点集中している人はもっと少ない。
   感覚に戻ってこない人はもっと少ない。
   危険を厭わない人はそれよりもっと少ない。
   この危険を逃れられる人はもっと少ない。
   真我を実現する人はまったく少ない。
   
 望みなさい、求めなさい、あなたがここに居ることはまったく稀なことだ。
ここにやってくるための山のような功徳をあなたは持っている。
   
   それを無駄にしないことだ。強くありなさい。

Q:もし私が自由でありたいという本当の欲望を持てば自由になれるように思え
てきました。

 「今日、今自由にならねばならない」という、100%本当の欲望が必要だ。
これ以外の欲望が何もないとき、すぐにその欲望は満たされるだろう。

Q: どのようにして今本当の欲望を持つことができますか?

 「今」。これが答えだ。「今」本当の欲望を持ちなさい、そして何が起こる
か言いなさい。
一瞬、マインドを完全に解放して座りなさい。

 そうするとこのマインドは瞬時に啓蒙される。
その瞬間ただ何も考えないでいなさい。
そうするとあなたは自由だと分かるだろう。
サットサンガの後静かに座ってマインドをどこにも行かせないことだ。

 もし行くなら、目撃者としてただ見ていなさい。
息を吸ったり吐いたりするのを見ているように思考が行ったり来たりするのを
見ていなさい。
やめないこと、常に見続けなさい。

 思考がないとき、あなたは自由だ。

Q: 私はいつも「やり手」として生きてきましたが、今はただ私の本質にとどま
ってこれに気づいていたい。これもまた欲望ですか?

  これもまた欲望かもしれないが、この欲望は何億もの欲望を燃え尽きさせる。
ほとんどの人はある欲望が消えるとすぐに次の欲望を経験する。
この絶える事のない欲望の流れをサンサーラと呼ぶ。

 欲望がある限り来世を避けることはできない。
しかし、ひとつの欲望、「自由になりたい」がこれらの全てを取り押さえる。
これは欲望だがこれが他の全てを焼き尽くす。
  
 さて、今どんな努力も試みないこと、あなたが自由であろうが束縛されてい
ようが何も考えないことだ。
いずれ「自由になりたい」というこの欲望も消え去る時が来るが、まず初心者
として始めていきなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

695避難民のマジレスさん:2019/07/19(金) 12:35:24 ID:LC3de7YgO
>>692
16「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)
    
Q:それを感じただけです。 
    
このガールフレンドに会ったことがないのかね。彼女はよい友達だ。
彼女の強さを試してごらん。
おそらく彼女は象のように強靭なのであなたは逃げ出してしまうだろう。

 だから愛でエゴを飼い慣らしなさい。
もし愛で飼い慣らしたら、彼女はあなたを困らせないだろう。
彼女を一人にしておきなさい。

「私は自由になりたい」という大きな望みにはエゴが必要だ。
このエゴを許しなさい。自由が欲しいのはエゴだから。
明日にではなく今日、自由を望みなさい。
今日にではなく今、自由を望みなさい。

 彼女が強ければ強いほど、「私は自由になりたい」という欲望も強くなる。
その時、この強さはあなたの助けになる。欲望も又エゴだ。何かを欲しがるのはエゴだ。
他の欲望が同時に起こることはないので、エゴの強さを利用して自由への欲望
をかき立てるのだ。

 今それを言ってごらん。
    
Q:私は自由になりたい!
    
このように昼も夜も言い続けなさい。
そうするとそれを手に入れることができる。仏陀は手に入れた。
あなたも手に入れることができる。こう言いなさい、

 「彼は人間だった、私も人間だ。彼は手に入れたのだから私にできないはず
はない」と。
樹の下に座って自由になるまで立ちあがらない。
これが彼の決心で、彼は自由を得た。

 何事も決心しないとうまくいかない。あなたは決めなければならない。
今が一番よい時期だ。あなたの決定は確かでサットサンガにやって来た。
そこに座って修行も努力もなしで自由になりなさい。

 何も考えないでただ静かにしていなさい。マインドを掻き混ぜないこと。
どんなに簡単か、あなたは若いのだからそれをやり遂げることができる!!

   世界中で自由を求める人は数少ない。
   自由に焦がれている人はもっと少ない。
   自由だけに一点集中している人はもっと少ない。
   感覚に戻ってこない人はもっと少ない。
   危険を厭わない人はそれよりもっと少ない。
   この危険を逃れられる人はもっと少ない。
   真我を実現する人はまったく少ない。
   
 望みなさい、求めなさい、あなたがここに居ることはまったく稀なことだ。
ここにやってくるための山のような功徳をあなたは持っている。
   
   それを無駄にしないことだ。強くありなさい。

Q:もし私が自由でありたいという本当の欲望を持てば自由になれるように思え
てきました。

 「今日、今自由にならねばならない」という、100%本当の欲望が必要だ。
これ以外の欲望が何もないとき、すぐにその欲望は満たされるだろう。

Q: どのようにして今本当の欲望を持つことができますか?

 「今」。これが答えだ。「今」本当の欲望を持ちなさい、そして何が起こる
か言いなさい。
一瞬、マインドを完全に解放して座りなさい。

 そうするとこのマインドは瞬時に啓蒙される。
その瞬間ただ何も考えないでいなさい。
そうするとあなたは自由だと分かるだろう。
サットサンガの後静かに座ってマインドをどこにも行かせないことだ。

 もし行くなら、目撃者としてただ見ていなさい。
息を吸ったり吐いたりするのを見ているように思考が行ったり来たりするのを
見ていなさい。
やめないこと、常に見続けなさい。

 思考がないとき、あなたは自由だ。

Q: 私はいつも「やり手」として生きてきましたが、今はただ私の本質にとどま
ってこれに気づいていたい。これもまた欲望ですか?

  これもまた欲望かもしれないが、この欲望は何億もの欲望を燃え尽きさせる。
ほとんどの人はある欲望が消えるとすぐに次の欲望を経験する。
この絶える事のない欲望の流れをサンサーラと呼ぶ。

 欲望がある限り来世を避けることはできない。
しかし、ひとつの欲望、「自由になりたい」がこれらの全てを取り押さえる。
これは欲望だがこれが他の全てを焼き尽くす。
  
 さて、今どんな努力も試みないこと、あなたが自由であろうが束縛されてい
ようが何も考えないことだ。
いずれ「自由になりたい」というこの欲望も消え去る時が来るが、まず初心者
として始めていきなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

696避難民のマジレスさん:2019/07/19(金) 12:35:25 ID:LC3de7YgO
>>692
16「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)
    
Q:それを感じただけです。 
    
このガールフレンドに会ったことがないのかね。彼女はよい友達だ。
彼女の強さを試してごらん。
おそらく彼女は象のように強靭なのであなたは逃げ出してしまうだろう。

 だから愛でエゴを飼い慣らしなさい。
もし愛で飼い慣らしたら、彼女はあなたを困らせないだろう。
彼女を一人にしておきなさい。

「私は自由になりたい」という大きな望みにはエゴが必要だ。
このエゴを許しなさい。自由が欲しいのはエゴだから。
明日にではなく今日、自由を望みなさい。
今日にではなく今、自由を望みなさい。

 彼女が強ければ強いほど、「私は自由になりたい」という欲望も強くなる。
その時、この強さはあなたの助けになる。欲望も又エゴだ。何かを欲しがるのはエゴだ。
他の欲望が同時に起こることはないので、エゴの強さを利用して自由への欲望
をかき立てるのだ。

 今それを言ってごらん。
    
Q:私は自由になりたい!
    
このように昼も夜も言い続けなさい。
そうするとそれを手に入れることができる。仏陀は手に入れた。
あなたも手に入れることができる。こう言いなさい、

 「彼は人間だった、私も人間だ。彼は手に入れたのだから私にできないはず
はない」と。
樹の下に座って自由になるまで立ちあがらない。
これが彼の決心で、彼は自由を得た。

 何事も決心しないとうまくいかない。あなたは決めなければならない。
今が一番よい時期だ。あなたの決定は確かでサットサンガにやって来た。
そこに座って修行も努力もなしで自由になりなさい。

 何も考えないでただ静かにしていなさい。マインドを掻き混ぜないこと。
どんなに簡単か、あなたは若いのだからそれをやり遂げることができる!!

   世界中で自由を求める人は数少ない。
   自由に焦がれている人はもっと少ない。
   自由だけに一点集中している人はもっと少ない。
   感覚に戻ってこない人はもっと少ない。
   危険を厭わない人はそれよりもっと少ない。
   この危険を逃れられる人はもっと少ない。
   真我を実現する人はまったく少ない。
   
 望みなさい、求めなさい、あなたがここに居ることはまったく稀なことだ。
ここにやってくるための山のような功徳をあなたは持っている。
   
   それを無駄にしないことだ。強くありなさい。

Q:もし私が自由でありたいという本当の欲望を持てば自由になれるように思え
てきました。

 「今日、今自由にならねばならない」という、100%本当の欲望が必要だ。
これ以外の欲望が何もないとき、すぐにその欲望は満たされるだろう。

Q: どのようにして今本当の欲望を持つことができますか?

 「今」。これが答えだ。「今」本当の欲望を持ちなさい、そして何が起こる
か言いなさい。
一瞬、マインドを完全に解放して座りなさい。

 そうするとこのマインドは瞬時に啓蒙される。
その瞬間ただ何も考えないでいなさい。
そうするとあなたは自由だと分かるだろう。
サットサンガの後静かに座ってマインドをどこにも行かせないことだ。

 もし行くなら、目撃者としてただ見ていなさい。
息を吸ったり吐いたりするのを見ているように思考が行ったり来たりするのを
見ていなさい。
やめないこと、常に見続けなさい。

 思考がないとき、あなたは自由だ。

Q: 私はいつも「やり手」として生きてきましたが、今はただ私の本質にとどま
ってこれに気づいていたい。これもまた欲望ですか?

  これもまた欲望かもしれないが、この欲望は何億もの欲望を燃え尽きさせる。
ほとんどの人はある欲望が消えるとすぐに次の欲望を経験する。
この絶える事のない欲望の流れをサンサーラと呼ぶ。

 欲望がある限り来世を避けることはできない。
しかし、ひとつの欲望、「自由になりたい」がこれらの全てを取り押さえる。
これは欲望だがこれが他の全てを焼き尽くす。
  
 さて、今どんな努力も試みないこと、あなたが自由であろうが束縛されてい
ようが何も考えないことだ。
いずれ「自由になりたい」というこの欲望も消え去る時が来るが、まず初心者
として始めていきなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

697鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/19(金) 22:14:34 ID:1d4drIFg0
悟りを求める思いも欲の一つと言えるじゃろう。
しかし、その欲は他の欲とは違い人を悟りに導くものじゃ。
他の欲を全て捨ててその一つの欲に邁進すれば悟りもやってくるのじゃ。
最後にはその欲さえも捨て去って大悟徹底に至るのじゃ。

698偽和尚★:2019/07/20(土) 00:06:47 ID:???0
削除のお知らせ。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1415399543/20-25

699偽和尚★:2019/07/20(土) 00:16:31 ID:???0
削除のお知らせ。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1415399543/26

700避難民のマジレスさん:2019/07/20(土) 00:42:15 ID:LC3de7YgO
偽和尚、ありがとうであります。
γ⌒:"-ヽ〟
(∪(   )
∪∪∨-∨

701鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/20(土) 23:35:06 ID:1d4drIFg0
>>698>>699 ご苦労さんなのじゃ。
 正に菩薩の行ないじゃ。

702避難民のマジレスさん:2019/07/21(日) 00:58:07 ID:LC3de7YgO
>>696
16「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)

Q: 私が実現する前に肉体を去るとしたら、この仕事は続いていくのでしょうか


 満たされなかった欲望が死ぬ時までに消えないなら、最後の欲望が最後の息
とともに肉体から出て行く。
そしてこの魂は欲望を満たすのに適した状況の中に生まれ変わる。

 魂は空中を旅して魂に適した子宮を探してその中に入る。
自由を望んでいる場合の魂は敬虔な家族を探し出す。
もし選んだ家族が相応しくない時は胎児のときに流産して探索を続ける。

 ここにいる多くの人が非常に若い時から自然と瞑想したり自問していると聞
いている。
これはあなたの前世と前世の最後の欲望が何であったかという兆候だ。

 今世であなたの旅を終わらせなければ来世がやってくるだろう。

Q:マインドの死と真理への誕生、これ以外に何も興味がありません。

 これが真の誕生で死に決して出会わない。
他の誕生は必ず死に出会う。
この誕生で死は永久に取り除かれた。
今あなたは他の誰かではなく、あなた自身の真我を手に入れた。

 もしあなたが誰か他の人を愛するなら死の結末に直面しなければならない。
他の人や対象に触れなければ死を征服する。
あなたは死を超えた、全ての存在の真我の幸福と一体なのだから。

Q:私があなたに会うためここにやって来るのに、家族や友達の反対を押し切っ
たほどの強い決心がありました。
どのようにして全てを手放してあなたの恩寵を受け取ることができますか、そ
して「存ること」の至福と一体性を楽しむことができますか?

 あなたは全てを後にしてデンマークを離れた。
友達の言うことに耳を貸さず、内なる「呼びかけ」に従った。

   今、ここであなた自身の光を見つけなければならないと決心しなさい。
   思考や友達や対象物への執着を後にしなさい。
   「私は今、それが欲しい」という決定はすぐに恩恵を得るだろう。
  
 これを言いなさい、そうすると即座にあなたは変わるだろう。
私には何が起こるか言えないが、恐れと疑いがなくなるのは確かだ。
このように強固な決心をしなさい。

 「私は自由だ」と決めたのなら、それで十分だ。
「今」それを尊敬するならそれで十分だ。
なぜ疑っているのか。
「私は自由だ」と宣言するならこの自由を尊敬しなければならない。
今それを尊敬するなら、あなたの面倒を見るのは「自由」の責任だ。
  
 「いつも自由でありたい」となぜ言うのか?
 あなたが自由であるときは時間を超越している。
どうして時間に戻ってくることができるのか?
 あなたの世話をするのはその無時間性だ。

 あなたがやり遂げたことと、それに対する報酬は何かを理解しなければなら
ない。
あなたはあなたの手のひらのダイヤモンドの評価額を知らない。
その価値を尊敬しなければならない。

 あなたの自由への委ねを尊敬することが最も重要だ。
誰でもいつも自由だ、誰でもすでに自由だ。
しかし誰もその自由を尊敬しないために誰もが苦しんでいるのだ。

 人々は苦しみだけを尊敬する。
両親・隣人・聖人・全ての宗教の頭首は「あなたは苦しんでいる」・「地獄に
落ちるだろう」と言い続ける。

 「あなたはすでに自由だ」と私は言おう。
なぜ私の言葉を尊重しないのかね?
あなたはグルのためにここにやって来た。
そう、グルを尊敬して服従しなさい。
グルの言うとおりにしなさい。

 グルは「あなたは自由だ」と言う、それを受け入れなさい。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

703鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/21(日) 22:42:43 ID:1d4drIFg0
どのようにして恩寵をうけとれるのかと聞く者は既に恩寵を受け取っているのじゃ。
既にすべてと一体であり至福に在るのじゃ。
それをわすれているだけなのじゃ。
自ら気付くだけですべてを受け取れるのじゃ。

704避難民のマジレスさん:2019/07/22(月) 08:30:33 ID:LC3de7YgO
>>702
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)

Q:私は幸せを感じたことがありません。
実は私は死んだも同然です。
どうすればいいのか教えてください。

 あなたの人生で一つだけ欲望を持ちなさい、自由への欲望。
この欲望だけがあなたを困らせる他の欲望の存在を許さない。
この欲望が満たされる時が来たら全てを犠牲にしなさい。

 この欲望があなたに平和と幸福を与えて、二度とサンサーラに戻ってくるこ
とはない。
全てを犠牲にしなさい、そうすると人生のあらゆる葛藤から自由になる。

 この欲望があなたに平和と幸福を与えて、二度とサンサーラに戻ってくるこ
とはない。全てを犠牲にしなさい、そうすると人生のあらゆる葛藤から自由に
なる。

 マインドがあなたを騙すのを許さないこと。マインドだけがあなたを自由か
ら遠ざける。
ここにいる少数の人びとがマインドの習癖を理解してマインドには耳を貸さ
ない。

 彼らはマインドからやってくるものを拒絶して、マインドを彼らの奴隷にす
る。
彼らは自由になるまで静かに座っている。
自由になった後でマインドの欲望の世話をしてそれを満たしてやる。
  
 あなたはハヌマン帰依者だ、違うかね?
 ハヌマンは彼の主人に仕えることが唯一の欲望で個人的な欲望は決して許さ
なかった。
ハヌマンの足跡に従い、ラーマだけのために働きなさい。
ラーマの仕事をすることで自然とパワーが身についてインド洋を飛び越えるこ
とができた。
これほどのパワーが身に付くのだ。

(´・(ェ)・`)つ

705鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/22(月) 22:12:50 ID:1d4drIFg0
この世の全てに幸福が無いならば逆にラッキーなのじゃ。
悟りを得るしかないからのう。
真の悟りを得て永遠の幸福を得ると善いのじゃ。
一切苦の世間から脱出できるのじゃ。

706避難民のマジレスさん:2019/07/23(火) 07:12:44 ID:LC3de7YgO
>>704
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1

Q:自由になるための闘争を終えるためにあなたのもとにやって来ました。
私独りでやり遂げることはできません。
すでにあなたの現存の偉大さが私を助けています。

 あなたは独りでは得ることができない何かを得るための強い欲望を持ってこ
こにやって来た。
教えてあげよう、あなたはそれを独りですることができる、他の人の助けは要
らない。

 刀の刃の上を二人並んで歩くことはできない。
それは不可能だ。
刃の上を歩くには一人で、あなた自身で歩きなさい。
刀の刃は鋭利でこちら側、あちら側、後ろと見回していると二つに切り裂かれ
る。

 自由に向かって歩くことは刀の刃の上を歩くようなものだ。
友達や親しい人を連れて行くことはできない、余所見をしないで独りで歩かな
ければならない。
余所見をすると震えて目的地の自由に決して到達できない。
  
 これは何も考えないでいるという意味だ。考えているということは過去にいるということだ。何も考えないで何もしないことだ。ただ自由のことだけ考えていなさい。

 そうすると最愛の人からの一瞥でマインドの暗闇が取り除かれる。

Q:自由になるための闘争を終えるためにあなたのもとにやって来ました。
私独りでやり遂げることはできません。
すでにあなたの現存の偉大さが私を助けています。

 あなたは独りでは得ることができない何かを得るための強い欲望を持ってこ
こにやって来た。
教えてあげよう、あなたはそれを独りですることができる、他の人の助けは要
らない。

 刀の刃の上を二人並んで歩くことはできない。
それは不可能だ。
刃の上を歩くには一人で、あなた自身で歩きなさい。
刀の刃は鋭利でこちら側、あちら側、後ろと見回していると二つに切り裂かれ
る。

 自由に向かって歩くことは刀の刃の上を歩くようなものだ。
友達や親しい人を連れて行くことはできない、余所見をしないで独りで歩かな
ければならない。
余所見をすると震えて目的地の自由に決して到達できない。
  
 これは何も考えないでいるという意味だ。
考えているということは過去にいるということだ。
何も考えないで何もしないことだ。
ただ自由のことだけ考えていなさい。

 そうすると最愛の人からの一瞥でマインドの暗闇が取り除かれる。
静かにしていなさい、自由を勝ち得るためにここに連れてきた欲望さえ忘れて
しまう。

 静かにしていなさい、そうすると執着がなくなる、静けさへの執着も含めて。
現在には執着はない、そこにマインドがないのだから。
    
 マインドは過去だ、現在には過去は存在しない。
自由になりたいのならマインドに触れないことだ。
あなたが考えることは全て死と同然だ。
ただ静かにして努力しないこと。

 内に向かおうとする引力をしっかり捕まえて行きなさい。
そうすると他の引力には気が付かないだろう。
これにはあなたの真剣さが必要だ。
外の世界に煩わされないところに居たいなら平和があるところにいなさい。

 外側には平和は存在しない。

Q:なぜ多くの人々がここに来て、留まり、あなたを愛しているのですか?
 あなたは「自由になるにはほんの一秒必要なだけだ」と言われても、彼らは
悟るわけではありません。

 真我実現には一秒かかるだけだ。
しかしこの一秒間にマインドから他の全ての思考を取り除くための非常な努力
が必要だ。
この一秒間に全てを取り除いて、
この一秒と一緒にいることを許しなさい。
この一秒間につま先で立ち上がって、こぶしを握って
「この一秒に自由になる」と叫びなさい。

 自由へのそのような極端な欲望を持つことは非常にまれだ。
このような活動と強さを持つと、神でさえやって来てあなたにひざまずく。
ひ弱な肉体ではできない、強靭な肉体とマインドと意図が必要だ。

 そのときこの一秒が働く。
あなたはやらなければならない。
メニューを見ているだけではだめだ、食べ物を食べなさい。
愚かなマインドを打ち負かしなさい。

 自由になるための決定するのはマインドではない。
決心したらマインドは存在しない。
マインドを制御して奴隷のように使いなさい。
しかしここでは自由になるためにはマインドは必要ない。
(´・(ェ)・`)つ

707鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/23(火) 21:48:39 ID:1d4drIFg0
気付くことには一秒しかいらないのじゃ。
一瞬で理解が及び、厭離が起こるのじゃ。
今まで自分思っていたものが自分ではなかったと気付くのじゃ。
自分とか他人という観念さえ幻想と気付くには一秒でよいのじゃ。

708避難民のマジレスさん:2019/07/23(火) 23:51:11 ID:LC3de7YgO
>>706
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part2

平和と苦しみの識別

   識別というのは、知性が、何が一時的か・何が永遠かを訊ねて、見極めるこ
とだ。
   識別とは、真我の至福と感覚の快楽、平和と混乱、そのどちらを取るかだ。

  識別で本当のものを選びなさい。
   さもないとあなたは間違いを犯すことになる。
   賢く生きるということは本物と偽物、歓喜と苦しみを見分けることだ。
   そしてあなたでないものは拒絶しない。
   識別が対象物の一時的で幻想的な本質を明らかにし、それに対する執着を破
壊する。

  あなたは真我にいつも注目していなさい。
   真我だけが本当で、他の全ては偽物だ。
   マインドでこれをしっかりと理解することが重要だ。
   即座に見分ける:これはロープか蛇か?
   識別をあやまると牢獄だ。
   その中であなたは想像上の蛇の奴隷になる。

  ハムサは識別を象徴する伝説的な白鳥だ。
   ミルクと水の混合物からミルクだけを飲んで水を残す。

Q:失うことができないものをどうして失うのでしょうか?
    
これについて理解しなければならない。
見つけることも失うこともできない「それ」を見つけることだ。
識別していきなさい。
あなたの目的は何か? 何を得るべきか? 何を捨てるべきか? 何が真実で何が
真実でないか?
 識別していきなさい。

  識別しなさい、さもないと時間を無駄にすることになる。

「あなたの目的は何か?」これから始めなさい。
あなたに幸福を与えてくれるものを探し出すことだ。真理を知ることだ。
あなたは覚醒のためにここにいる。他の目的のためではない。
これはあなたの決定だ。

 それならあなたを騒がせるどんな思考も保持しないことだ。
いつも防衛態勢でいなさい。そうするとあなたは成功する。
あなたの決心を揺るがさないこと。負けを認めないこと。
手に刀を持った戦士であるべきだ。必要のない思考をその刀で切り捨てなさい。

Q:私はここで二つの状態を経験しました。
一つは平和で空間的で無限で何もない状態、もう一つは多くのエネルギーに包
まれて子宮の中にいるような状態です。
    
 誰がこの二つの状態を区別しているのか?
    
Q:私のマインドです。 
    
両方とも空想で真理ではない。
両方とも一時的なマインドの投映、つまりマインドそのものだ。
ある状態が好きで他の状態は嫌いだというのはマインドだ。

 誰がこれらの状態を体験し区別しているのか?
 誰がこの違いを創り出しているのか?
 一つは良くて他は良くない。
誰がこの変化を見ているのか?
 状態の全てが消えるところに戻りなさい。
そうするとあなたは平和、絶対的な平和に入っていくことができる。

 マインドが区別そのものだ。
どこにこのマインドの源泉があるのか?
 この二元性がどこからやって来るのか?
 そこに行きなさい。
そうするとその源泉の中に、絶対的な沈黙の中に居ることになる。
違いが起こる前のところに行きなさい。

 今ここで、それをやりなさい、そこへ行きなさい。
しかしどんな意図も、努力も持って行かないこと。
そうするとそれを見つけることができる。さあ今やりなさい!!

Q: 簡単に全てが消えてしまいました。     
そうだ「ここ」では何も起こってはいない。
何もない。
「ここ」では二元性は起こってこない。
これが自由だ。
これがあなた自身の本質だ。
あなたの本質だ!!
これを認めて、これと一体になりなさい。
この中に流れこんでいきなさい。

 その時全ての様相はこの意識のただ中にあるということがわかるだろう。
全てがあなたのものだ。
あなたは全てになる。
状態はない、「私はこれらの全てだ。」
ここから踊って行きなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

709鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/24(水) 22:42:21 ID:1d4drIFg0
何か観念による幻影があるならばそれは魔であると知るがよいのじゃ。
無であることを認識するものさえない無の境地こそ最後の境地なのじゃ。
観念が無いから全て無なのじゃ。
語ることも考えることも認識する事も無い境地に行くのじゃ。

710避難民のマジレスさん:2019/07/25(木) 00:09:00 ID:LC3de7YgO
>>708
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part2 (つづき)


Q:バナラシの火葬場を訪れて以来、あなたの近くにいたい、私の真我といた
いという欲望が強く燃えています。
    
肉体が火葬されるのを見たのなら、ほんの数オンスの灰が残ったのを見たに
違いない。
この数オンスの灰が、あなたが執着している肉体だ。これが火葬場での識別だ。
そこに行くと全ての人がこの識別を得るがすぐに忘れてしまう。

  永久にこの識別を憶えているべきだ。
   この肉体はやがて灰になる。
   だから灰になる前に肉体をもって生まれて来た目的を果しなさい。
   そうすると肉体が燃え去ってもあなたは幸福のままでいられる。

真実ではない思考の後を追いかけて、平和をあきらめないように。
思考は来させなさい。そして行かせなさい。何も問題はない。
平和の中に永久にいなさい。

 何億年もの間、混乱の中で生きて来たのだ。
一度平和を見つけたらどうして混乱の中に帰っていくことができるのか? 

 これを理解しなさい。何があなたに平和を与えるのか?
 何があなたを騒がせ苦しめるのか? あなたにとって良いことに従いなさい。

Q:思考や感情は真実でないと聞いて混乱しています。
それらは悪いもので意味のないものですか?
    
全ての思考や感情は真実ではない。それらは波のようなものだ。
数秒間、数分間、海の表面で踊って、又波が起こって来た所に戻っていく。
その時、波は波でない。波は海だ。
どれくらい波は自立した個性としての形を保っていられる?

   名前と形は真実ではない。
   それらが現れる基盤を見なさい。
   それが真実だ。
   それは決して変わらない。

マインドに思考が起こって来る以前に、思考が快楽を求めて感覚の対象物
に向かっていく前に、それが起こって来る基盤を見なさい。
それを見たら、あなたはもう無知ではないのだからそこから起こる思考や感情
を楽しむことができる。波や泡は無知だ。
それらは名前と形を楽しんでいるだけだ。

  形は一時的なものだ。
   形に執着すると混乱することになる。
   思考、欲望、感情、情緒、物体、
   すべて起こって来るものは苦しみを与える。
   世界中で誰もこれを避けることができない。
   楽しむ人も、楽しまれたものも両方押し流されてしまう。

  しかし、賢者は真実と真実でないものを見分ける
   賢者は真理を知っているので
   思考や感情が起こって来るのを許す。
   全ては一つで同じだということを知っている。
   このように識別すると、苦しむことはない。

Q:ポーランドの草原を歩いているとき、世界の現実性を完全に壊してしまう
程の強烈な体験をしました。私は明確に全てがマインドによって組み立てられ
たものだということを知りました。
しかし、二週間後にはこの経験はゆっくりと消えてゆきましたが、私はこの経
験で私は一体誰かわからなくなって恐怖に怯えました。
私が誰かという以前の身元確認が完全に壊れてしまいました。
    
 全てがマインドで構成されていると見たことは、人が経験することができる
最高の経験だ。
なぜ恐れたのか? 全ては心の構築だ。マインドが存在しないと、触れたり、
見たり、実現するものは何もない。何もない眠りの状態のようなものだ。

 これが目覚めの状態の中で起こったということは、その人は、その人の功徳
と熱望の報酬を刈りとっているということだ。この経験はどこでも起こりえる。
草原、森の中、目覚めていようが眠っていようが、それは問題ではない。

 しかし、あなたがそれについて疑ったためにそれが消えてしまったのだ。

 これが起こったなら「私は誰か」と知る必要はない。
「私は誰か?」と訊ねるときは主体、質問、対象がある。
しかし、あなたが言うように全てが幻想なら、主体も対象もまた幻想だ。
何も存在しない。これが真理だ。
    
Q:この経験の後で多くの友人が心理学者に見てもらうべきだと助言したの
でそうしました。
医者から「私は気違いだ」と言われる代わりに、私はそれを期待していたので
すが、彼は、「私のグルを探す時だ」と言ったのです。
私は信じられなかったのですが、その後すぐにあなたのことを聞いて、それで
今、私はここにいるのです。
    
恩寵が全ての人をここに連れて来る、内なる神の恩寵だ。
恩寵があなたをここに連れて来た。あなたの疑いを明らかにし、あなたの旅を
終わりにするためだ。再び苦しむために子宮に投げ返されないように、この人
間としての誕生を最大限に利用しなければならない。
(´・(ェ)・`)つ

711鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/25(木) 22:21:22 ID:1d4drIFg0
一時的な気付きにより忘我になったのじゃな。
それで自分が無いと恐れてしまってもとに戻ってしまったのじゃ。
更に進めば自分という観念は不要であったと気付く筈であったがのう。
稀な機会を捉えて無我にまで進むのは恐れを乗り越えていくときだけなのじゃ。

712避難民のマジレスさん:2019/07/26(金) 00:44:00 ID:LC3de7YgO
>>710
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part3

冷静さ:一時的なものへの無執着:放棄

  自由というのは理解を超えたもの、
   マインドの動きを超えたものだ。
   だが知的な把握というのは大変重要だ。
   それはどんな対象も
   心の平和を与えることはできないと知ることだ。
   もし、これを知っていたら、
   一時的な対象物に魅力を感じることはない。
   これが冷静さ、放棄だ。

  識別とは真実と真実でないものを見分けることだ。
   自由への欲望は真理への熱情だ。
   放棄は真理でないものへの冷静さだ。
   それは全ての感覚、快楽に対する執着の放棄だ。
   それらが悪いという理由からではない。
   それらは本来一時的、刹那的で幻想だからだ。
   それらはあなたの表面上の踊りにすぎない。

  マインドを放棄しない限り、他の放棄は役に立たない。
   あなたが放棄できる全てのものはマインドで放棄する、
   しかし真我はマインドそのものを放棄する、思考に対して完全に無執着だ、
   真我はあなたを苦しめる全ての思考を放棄する。
   快楽は永続しないと識別することによって放棄が起こる。
   賢人は平和のために全ての思考を拒絶する。

Q:私は自由への道を歩いています。もし、私が全ての執着を絶ったら私は自
由になれるのですか?
私の血縁関係も捨てる必要があるのですか?
    
あなたがこれらの執着や関係以外のものを望むとき、それらは自然に落ちてい
くだろう。
あなたが捨てるのではなく、砂の壁のようにそれ自体で崩れていく。

全ての関係は子どもが浜辺で作る砂の壁のようなものだ。
あなた自身の真我との関係に比べたらそれ以上値打ちのある関係は存在しない

「それ」との関係は決して捨てることはできない。
真我を見つけ出すのを妨害する関係は永久に拒絶することだ。

事実を言えば、執着というのは存在しない。
眠りに落ちるとき、どのようにして執着が落ちていくか見てごらん。
そこには執着している両親も牧師も教会も何もない。

このようにあなたが真理を探究し始めると、全ての関係は元々存在しないのだ
からそれ自体で落ちていくものだ。
あなたが関係から何かを必要としているので、それは存在しているかのように
見えるだけだ。
あなたは確かに興味がある。
そうして関係を創りだすのだ。
壊れることのない唯一の関係を持ちたいのならあなた自身の真我と恋に落ちる
ことだ。

これがどのようにして平和を見つけるかだ。
あなたはいつも平和に生きているのに、執着のために他の事に巻き込まれ、何
が足元にあるのか見ようともしなかった。
感覚は場所や対象物や人を追いかけて、決してこの空間にやって来ることはな
かった。

そう、親愛なる友よ、今が前進するときだ。
あなたはここサットサンガにいる。
全ての関係性があなたを騙して来た。
「ここ」はあなたを騙したりしない最も相応しい場所だ。

Q:真理はいつも存在しているのなら、どうして真理の認識に時間がかかるの
でしょうか?
    
いいや、真理の認識には時間がかからない。
真理の認識に時間がかかるのは真理でないものを探しているためだ。
真理に出会うための真剣で正直な欲望が欠けているためだ。
  
 真理はあなたの前、後、上、下、どこにでも存在する。
しかし、あなたは他の何かが欲しい。
他の人や物が欲しい。
  
 あなたがこれらの他のものを見ない時、一体何を見るのかね?
即座に「あなたが真理そのものだ」ということを見るだろう。
(´・(ェ)・`)つ

713鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/26(金) 23:34:14 ID:1d4drIFg0
一つ一つの執着を全て捨てる必要は無いのじゃ。
修行の妨げになる執着だけを捨てるが善いのじゃ。
残りの執着は悟りを得れば自然に無くなるのじゃ。
すべてである真理そのものと気付けば一切の執着も必要のないものとして消えていくのじゃ。

714避難民のマジレスさん:2019/07/27(土) 20:04:06 ID:LC3de7YgO
>>712
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part3 (つづき)

Q:過去におこったことにコントロールされている自分に飽き飽きしています。
私は自由でありたい、いつもそよ風のようにありたい。
    
そよ風の本質は決して一つの場所に留まらないということだ。
彼女はいつも流れている。
彼女がバラの咲き乱れた庭に行ってもその美しさに執着しない。
彼女は「私はここにいましょう」とは言わない。

彼女の性質は流れ続けることだ。次に行く場所は豚のいるゴミ貯め場だ。
彼女は空間を流れていく。拒否することもなく、受け入れることもなく、執着
することもなく、無執着に執着することもない。

これが彼女の本質だ。この本質は私達が自由になるのを助けてくれる。
あなたの前にやって来るものに執着することもなく、無執着することもない。
ただ、流れ続ける。

さて問題は、我々が一つの場所に執着してしまったということだ。
その場所とは、関係性。特にあなた自身の肉体との関係だ。
あなたは自分の肉体に非常に執着している。

しかし、これはそよ風の本質ではない。だから全ての人が苦しんでいるのだ。
もし「これは美しい肉体、個性、私はいつもこの肉体に留まっていたい」とい
うなら、あなたは肉体と同一化したことになる。

しかし、これは起こりそうにないので、あなたを幸福にする特別な場所、一人
の人、教育に代わりを見つけ出す。
しかし、これらもあなたを本当に幸福にすることはできない。

 幸福な人とは流れ続けて行く人、特別な場所や人や物に執着しない人。
これが、そよ風がいつも幸福な理由だ。
 
昔、グルを見つけようと努力していた人がいた。彼はそよ風を見て言った、
「あなたは私のグルだ。あなたは一箇所に留まらないようにと教えてくれた。
私もあなたのように振舞います。私はあなたに降参します。」
このようにあなたが出会う全てのものがグルだ。

あるとき、彼はある少女に出会った。彼女の家に未来の父や母になる人が訪ね
てきた。彼女の両親は出かけていて、彼女が彼らのために料理しなければなら
なかった。

彼女の家は貧しくてほとんど食べるものがなかったが、彼女はそのことを彼
らに知られたくなかった。
水田から刈ってきた米の籾殻を取り除き始めたら、手首にはめている腕輪が音
を立てた。

籾殻つきの米をついているということを、印度ではそれは貧乏の確実な証拠
だから、彼らに知られたくなかったので、賢明にも彼女はひとつの腕輪だけを
残して全てを手首から取り除いた。

音はしなくなった。グルを探しているこの男はこのいきさつを見ていて、幸福
であるためには一人でいなければならないとこの少女から学んだ。

このように彼はあらゆるものをグルとして受け入れた。大地も彼に教えた。
あなたは大地になんでもすることができるが彼女は気にしない。
汚物で汚そうが花を植えようが同じだ。

彼女は全てを受け入れる。彼は「大地は私のグルだ」といった。
このようにあなたが本当に学びたいのなら、全てのものから学ぶことができる。

あなた自身独立していない限り、他人とひりひりして時間を無駄にするものだ。
あなたはあなたの真我と親密であらねばならない。
この話の意図はあなたを台無しにする同伴者を持たないこと、時間を無駄にし
ないこと。
あなたは一人でいる時間を持ち何にも執着しないことだ。

あなたが自由になるまで、一人で静かにしていなさい。
あなたの真我のために少しでもよいから時間を見つけなさい。
いつも社会の中にいる必要はない。社会とはあなたの時間を無駄にする場所と
いう意味だ。
 
 「全てのものから学びなさい」,これがあなたには十分な教えになるだろう。

Q:神に会う前に全ての問題や心配を取り除く必要がありますか?

それらをまず取り除いて、そして行くということはできない。
まず輝かなければならない、そうすると物事は解放される。
まっすぐに行きなさい、全ては解放されるだろう。

まっすぐに家に帰りなさい、そうすると全てがあなたの面倒をみる。
これもあれも取り除かねばならないと考えないことだ。
それは不可能で、そのために何世も費やさねばならない。

「私は自由にならねばならない」とこれだけを考えて直進しなさい。
さもないと采配しなければならないことは多すぎるし、それらすべての面倒見
るには今世は短すぎる。

時が過ぎていく。急いで家に帰りなさい。自由のことだけを考えていると、マ
インドは「今」この瞬間ノーマインドだか
ら全てが解放される。他に何も考え
ないことだ。真我を愛しなさい。
(´・(ェ)・`)つ

715鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/27(土) 23:49:29 ID:1d4drIFg0
悟る前に全ての問題や心配を取り除くことは出来ないのじゃ。
老病死もまたその一つであるからのう。
悟れば全ての問題も心配もなくなるのじゃ。
それらが観念であったと気付くからなのじゃ。
幻影である自我があると思われている時だけそれらもあると思うのじゃ。

716避難民のマジレスさん:2019/07/28(日) 00:40:26 ID:LC3de7YgO
>>714
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第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part4

神聖さ:無垢と純粋性

   真理は神聖な人を誉め讃える。だから美しく、純粋で、汚点なしでいなさい。
   *1ヴァーサナが取り除かれた時、思考がない時、あなたは神聖だ。

  あなたが神聖なら、あなたは価値がある。しかし、価値があることだけ
では十分ではない
 価値があるということは、誰かが見つけねばならない。
   そして価値があることと価値がないこと、両方から自由でありなさい。
   死者が「私は死んだ」と言えないように、価値がある人は「私は価値がある」とは言わない。

   静寂は絶対に必要だ。それは内側に向かう心だ。
   心が内側に向かうと感覚や思考や概念から自由になる。
   静かにしていなさい。心が快楽に向かって外に出るとサンサーラ、サン
サーラにいる心は苦しみと死と誕生のサイクルを生み出す。

   外側の環境、即ち交際、肉体、心の浄化は重要だ。
   自由への燃える欲望が内側を洗い清める。

 サトヴィック、純粋で調和のとれたマインドは真我探求へと導く。正しい規
律にのった生活様式と食事療法が推薦される。  
 
 ラジャスやタマス状態のマインドには真我探求は起こらない。
ラジャス、活動的なマインドは怒りと活動的訓練に導く。
それはモンキーマインドで、本質を見ることはできない。

 タマス、鈍感でだるいマインドは眠け、疑い、恐れへと導びく。鈍いマイン
ドはグルの言葉に耳を傾けない。
 
 マインドが何かで占有されてないときはグルの一言で十分だ。これがサトビ
ックマインドだ。

  自由への燃えるような欲望、
   持続的な瞑想、真我探求、快楽を捨てること、
   静かにしていること、何も考えないこと、努力をしないこと、
   このような神聖な人が真理を得るのだ。
   神聖さは大切な条件だ。

Q:神聖さを持ちたいという強い欲望があります。
    
この神聖さは自由でありたい人には絶対必要だ。あなたは神聖であらねばならない。
「それ」は神聖な人に姿を現し、自由以外のものを望む人には姿を現さないか
らだ。

   神聖さがあなた自身の真我と恋に落ちるのだ。
   これが神への愛だ、献身だ。
   これは愛と何の違いもない。
   あなたは愛するものに献身する。
   あなたが献身するものをあなたは愛する。

  この愛が対象を持たず、どこにも行かず、
   それ自身に向かっていく時、
   「それ」があなたにそれ自身の姿を現す、
   あなたの望む形で、あるいは無形で現われる。
    もし、あなたがこの愛を望むなら、
   特定の誰かを愛そうとしないことだ。
   この愛には個性がない、形がない、名前がない。
   神がこの愛だ。

Q:昨夜、私のために時間をさいて下さってありがとうございます。
それ以来、全ての私の問題は朝日で消えていく霞のように消え去ってしまいま
した。
 
すばらしい、この即効はあなたが正直な人だということを意味している。

      正直な人だけがやり遂げることができる。
     真理は神聖な人を高揚するからだ。
     神聖な人が真理のハートに何の困難もなくはいって行ける。

    誰が神聖な人か?
     目を閉じて見てごらん。
     私は神聖か? 神に触れるに十分神聖か?
     神と神を見たいと望む人の間には何の違いもない。

Q: 私はまだ完全に純粋だとはいえません。それが内なる炎を見るのを遠ざ
けています。私は透明になって消えてしまいたい。

あなたは純粋だが、純粋でない何かがあると感じている限り炎を見ることは
できない。
この不純さは他の誰かに対する執着があるために違いない。

あなたの真我の炎を見たいのなら誰にも執着しないことだ。他の誰かに執着し
ているということはその執着している人の中に炎、美、愛を見ていることだ。

あなたはまず最初にあなた自身の美しさを見なければならない。そうすると、
全ての存在の中に美を見ることができる。透明さと言うのはマインドに思考が
ないことだ。
そのときあなたは透明になる。そう、しばらくの間、思考なしでいなさい。
考えないこと、そのときあなたは透明になる。

用語解説
*1ヴァーサナ 心の潜在的傾向
(´・(ェ)・`)
(つづく)

717鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/28(日) 22:08:27 ID:1d4drIFg0
無思考であり、何の条件付けも無い時、人は神聖であると言うのじゃ。
それは瞑想によって達成できるものじゃ。
そのような状態の時には観察もうまくできるのじゃ。
それがサットヴァが優勢であるサトビックマインドなのじゃ。

718避難民のマジレスさん:2019/07/29(月) 00:08:54 ID:LC3de7YgO
>>716
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part4(つづき)

Q:どのようにして自分自身を清め、美しくなることができますか?
    
美しくなるためには時間はかからない。それは皮膚の美しさではない。
それは真理がもてはやすその美しさを言うのだ。マインドの中にどんな思考も
ないとき、あなたは美しい。
マインドに思考がある時、あなたは醜い。思考がない時、毛穴から内なる光が
輝き、あなたは全世界を美しくする。
  
  私の言う美しさは内なる美だ。
   思考がない時、あなたは美しい。

Q:どうか神を見せて下さい。
    
 これが、質問の中の質問だ。たくさんの質問があるが、これが尋ねることが
できる最高のものだ。

 ある話を思いだした。それはこれと同じ願い、同じ探索だ。

8才の少女が私の所にやって来て、神をみせてくれと頼んだ。
私は彼女に今日は学校に行くように、明日、神を見せてあげようと告げた。
そして、明日がやって来た。彼女は再び「神様を見せて」と頼んだ。

私は彼女に「運転手が君を学校に連れて行くために待っているから、今日は学
校に行って、明日、神を見せてあげよう」と言った。
彼女は、「毎日、明日、明日と言っている。今日は学校には行かない。今日こ
そ見せてほしい」と言った。

私は、「O・K、この小さな部屋で神様を見せてあげよう。
神様に会うためには何かあげなくてはいけない。何をあげるのかね。」
 「ママが昼食にくれたチョコレートをあげるよ」と、彼女は答えた。

私は「チョコレートをあげたら、神様がやって来るのだよ」と言った。
 「でもどこに神様がいるの。チョコレートをあげたいのに。」と彼女は尋ね
た。

「チョコレートを先ずあげなさい。そうすると神様がやって来る。あなたが手
を差し伸べてチョコレートを差し出さない限り、神様はやって来ないよ。」と
私は答えた。

彼女は子供で何の疑いもないので彼女は手を差し伸べた。
その時、部屋で大きな物音がしたので、彼女の母親が入って来て、「何があっ
たの」と尋ねた。

「ママ、神様にチョコレートをあげたら全部取って私に半分も残してくれなか
ったの。だから、神様の顔をぶってやったの。ママ、神様を見なかったの? 
私は見たよ、パパジも見たよ。」

母親は、娘の言うことに決して同意しなかったので、少女は彼女の見た神の絵
を描いた。それは私が今までに見たこともない非常に美しい神の絵であった。

少女は私と一緒に外出し、散歩し、一緒に瞑想したものだ。
私がどこにも行かないように、私の足をロープで結んでそのロープをつかんで
眠ったものだ。

私が言いたいことは、その無垢についてだ。
神はいたるところに存在する。
無垢でない人は、神を見ることはできない。
利口さは必要ない、それは問題を起こすだけだ。
神はどこにでもいるからあなたは神をどこにでも見ることができる。

なぜ神を見ることができないのかね。
もし疑いがあるなら、見ることはできない。
あなたと神の間の仕切りは「神は見ることができない」という疑いだけだ。
ヒマラヤの洞窟で長期間苦行した後に神を見ることが出来ると信じているのだ。
さて、あなたは今、何を見ているのかね?
    
Q:何も見えません。 
    
疑わないようにと言っただろう。
「見えません」というのは疑いだ!!疑いを取り除きなさい!
もう一度疑いなしに何が見えるかね?
「見えない」は疑いだ。もう一度言ってごらん。疑いを持たないこと。何が見
えるかね?
    
Q:神が見えます!!
(´・(ェ)・`)つ

719鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/29(月) 22:51:21 ID:1d4drIFg0
疑わなければ神が見えるというのじゃ。
それは本当なのじゃ。
強い信仰があればそれは見えるのじゃ。
暗示とも言うのじゃ。
それに囚われなければ役には立つのじゃ。

720避難民のマジレスさん:2019/07/30(火) 06:56:05 ID:LC3de7YgO
>>718
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part5

信念と信頼

Q:あなたの愛と恩寵を快く受け入れたいのですが、信頼がないのです。
どうか助言してください。
    
私を信頼しないのなら、私の教えを受けることはできない。
100%私を信頼しなければならない。
その時のみ、教えがあなたのハートに届く。

信頼不足は神経症だ。
あなたがまだ子宮にいる頃、両親が不仲で喧嘩をしていたためにこの病気に罹
ったのだ。
小さなテニスボールのようにあなたは両側から打たれた。

ここではみんなあなたを愛している。
ここにやって来たことはとても幸運だ。
だからただ真理に降伏しなさい。
過去の習癖や両親や親戚は忘れてしまいなさい。

今あなたの親戚はここにいる。
ここでは兄弟、姉妹があなたを快く受け入れる。
これがあなたの家族だ。
あなたの両親や国のことは忘れなさい。
ここで生まれて、ここから始めなさい。

   ただ静かにしていなさい。
   そうすると、隠れているあなたの内なる光があなたに貴重な贈りものを
与える。
   過去に起こったことを心配する必要はない。
   いつもこの瞬間から始めることがあなたの責任に目覚めることだ。

世界が泣き叫び続けても、笑って微笑んでいきなさい。
真理を言葉なしに伝えなさい。
信頼について話してあげよう。

私はグルを探してインド中を旅した。
当時私は軍隊にいたので優越感があった。(くすくす笑い)
グルを見つけて彼が私に神を見せてくれるかどうか訊ねるつもりであった。

私が訪ねた全てのグルの弟子達は私を見て、彼らのグルといた50年間に伸び
た長い髭を示して、「我々は何十年と修業しているがいまだに神を見つけるこ
とはできない。靴をはいたままここに来て、神をすぐに見ることができると思
ったら大間違いだ。」と言って、私を追放した。

どうしたものか?
しかし、それを見つけるまで、食物も喉に通らないほど、真剣に何かを探し求
めているなら、欲しいものは手に入るものだ。

さてこの話はラマナ・マハルシの足元で終わりになる。
私は彼に訊ねた、

 「私に神を見せてくれますか?」

マハルシ言わく、

 「いいえ、神を見ることはできない。神は見ることができる感覚の対象では
ありません。」

私はこれに仰天して、彼は次に何を言うのか不思議に思った。
そして彼は言った、

 「あなたが神なのだから神を見ることはできない。どのようにしてあなたで
ある『それ』を探すことができるのですか?」

この瞬間、「私が神である」と完全に信頼した。
そしてこの信頼は決して揺るがなかったし、いまだにそのままだ。
あなたはあなたであるところのものを信頼しなさい。
そうすると疑うべき何があるというのか? もう一度言おう。

  私を信頼しなさい、私を完全に信頼しなさい。
  私が言っていることを信頼しないのならあなたは間違った場所にいると
いうことになる。

良いカルマと無暴力

   宇宙の法に従った生活とは
   良いカルマをもたらす正しい行動をするということだ。
   これは最初の段階では重要なことだ。
   そうするとあなたのマインドが悪いカルマの結果によって騒がされることはない。
   
   マインドが純粋になるかどうかはカルマによっている。
   純粋なマインドと「自由」は同じことだ。
   純粋なマインドはいつも瞑想的で
   無垢な人が最初に「それ」を手に入れる。
(´・(ェ)・`)つ

721鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/30(火) 23:22:18 ID:1d4drIFg0
完全な信頼が無ければグルの恩寵を受けることは出来ないのじゃ。
最後には自分も認識も失ってしまうのであるからその恐れを克服するのには信頼が要るのじゃ。
自らの観念の世界から抜けられない弟子を引き出すには、信頼の一打が要るのじゃ。
しかし、完全な信頼があるならばただ一言だけでも悟りに導くには十分なのじゃ。

722避難民のマジレスさん:2019/07/31(水) 20:19:50 ID:LC3de7YgO
>>720
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part5 (つづき)

Q:私の自由への探求は20年前無暴力の思想から始まりました。害を及ぼさ
ないことと健康について話して下さいますか?
    
自由に向かっている人の最初の戒律は無暴力だ。「私は肉体的にも思考によ
っても誰にも害を与えない。」

内も外も潔癖であるべきだ。
身体を清潔に保ち、真実を話し、盗みや他の人に害を及ぼすことはしないよう
に。
自由が欲しいならこれが立つべき基盤だ。
内側の潔癖さとは他人の欠点について考えないことだ。
考えるなら全ての人の長所について考えなさい。

朝、最初に口にする言葉は、

「全ての存在が幸福でありますように。地球の全ての生き物、天国の全ての生
き物、地獄の全ての生き物が幸福でありますように。どうか全ての存在に祝福
を!!」

 こうするとあなたの顔つきが変わるだろう。

Q:時々、私達が愛している人を傷つけて、その結果私は自由に価しないと感
じて、私を自由から遠ざけます。
    
誰も傷つけないこと。
言葉や行為、思考によってでさえ。
その理由はこれがその10倍にもなってあなたに跳ね返って来るからだ。
もし誰かがあなたを傷つけたなら、その人を赦して、慈愛をもってその人に向
かうべきだ。

そうするとあなたは平和を得る。
誰かを傷つけようと考えないことだ。
木や動物でさえ傷つけないことだ。
あなたは木の言葉を理解できないが、もし葉や花を摘み取って虐待したら、彼
女はあなたに幸せではなく、逆にあなたを虐待するかもしれない。

かって私はカルナータカ州のコーヒー園にいたことがある。
丘の高い所にある木造のバンガローに滞在していた。
朝、目がさめた時、農園の主人が料理人に朝食と昼食を用意させるために丘を
降りていった。

 私が外に出ると実をいっぱいつけたオレンジの木を見つけた。
私は木の所に行って
 「おはよう、お母さん。あなたは非常に幸運だ。こんなにたくさんの子供を
もって...。」

私はオレンジの実を沢山つけた彼女に感謝の気持ちでいっぱいだった。
実をとって食べる気など毛頭なかった。
丘を降りていこうとした時、突然12個のオレンジが一瞬にして地に落ちた。
私はまわりを見まわしたが風もないし鳥もいなかった。

それで私は木と話をした。
木を大変愛する人にはこれが可能だ。
彼女は私にこれをプレゼントしたのだからどうか受け取って下さいと言うのだ。

私は木の言葉を理解することができた。
私は木を抱きしめ、キスをしてこのオレンジを受け取った。
これがあなたにもして欲しいことだ。

内第5章 内在する「自由」の徴候 終了

(´・(∀)・`)つ

723避難民のマジレスさん:2019/07/31(水) 20:21:22 ID:LC3de7YgO
>>722
うむ。
実に良い話でありますね。
(´・(∀)・`)つ

724鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/31(水) 23:04:59 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、樹にも石にも意識はあるものじゃ。
人間と全く同じ本質を持っているのじゃ。
観念によって違うものとか別のものと認識するだけなのじゃ。
意識も気もすべてと通じ合っているのじゃ。

725避難民のマジレスさん:2019/08/01(木) 06:48:33 ID:LC3de7YgO
>>722
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part1
   
   真我探求:私は誰か?
  
  真我探求はダイヤモンドだ、他に方法はない。
   これが傲慢な心を直接攻撃する方法だ。
   
   単に「私は真我、私は肉体ではない」と宣言し
   決して往ったり来たりしないもの、
誰が思考を動かしているのかを見つけだしなさい。
   
   この調査は何かを目撃することによってではなく、
   「あること」によってなされる。
   目撃することは主体と対象を創り出す。
   
   「あること」は内なるサットグルだ、
   常に「それ」に瞑想しなさい。
  常に遍在する真理に集中して
   あなたは「存在・意識・至福」だと完全に気づいていることだ。
   
   この真我探求は「存在」そのものに導く、
   だから「私は誰か」と問いなさい。
   これが苦しみに導かない唯一の質問だ、
   これが肉体-心-傲慢さのロープを切るからだ。
   これは心の交戦から心を引き戻して
   内なる家の庭にそれを植え付けることだ。
   真我探求は真我への愛だ。   
この「私-思考」は意識が意識に気づいていることだ。
しかし「私」に気づいているのは何か?
   何が「私」に気づいているのか?
   「私は誰か?」と尋ねなさい。
   基盤の意識はどこにあるのか見つけ出しなさい。
   誰が肉体意識を意識しているのか
   この顔を通して光り輝いているのは誰か?
   死が足早に近づいている、今を有効に使いなさい。
   心を動かさないこと、静かにしていなさい。
   常に変容する外側に面している窓を閉じなさい。
   そして、内なる無変化を見つけなさい。

  「私」という観念をぬぐい捨て、   存在・意識・至福の海へ飛び込みなさい。
  「私」という思考でさえ活動させないことだ。
   非活動的になろうとするエネルギーでさえ活動させないことだ。
   この瞑想に常にやむことなく時間を費やしなさい。     
   この新しい習慣を習得しなさい。
   座って、静かにしていなさい。
   啓示は「ここ」からやって来るだろう。
   最初に「それ」を経験しなさい、そうして初めて理解が伴うだろう。
   
   理解はメニューを読んでいるようなものだが、
   経験は食べ物を食べていることだ。
   啓示は愚かで傲慢な頭にではなく、至福のハートに入っていかねばならな
い。
   この啓示がやって来たらそれと一体になりなさい。
   宇宙の意識として一体になりなさい。
   絶対性と同一化し続けることが瞑想だ。
   精神を高揚させ、すべての障害を焼き尽くしなさい。
   絶対なるものと同一化しなさい。

  真理は非常に簡単だ、複雑にしないことだ。
   暗闇を見るためにはあなたは光の中にいるに違いない。
   ただあなた自身が光だと気づくだけでよい。
   この知識の火の中に飛び込みなさい。
   観念と習癖の衣服に何がおこるか気にする必要はない。
   この火は全てを燃やし尽くすのだから。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

726鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/01(木) 23:20:08 ID:1d4drIFg0
アートマンは認識主体なのじゃ。
それを求めて肉体から感覚や心の働きに至るまですべてを否定していくのじゃ。
すべてを否定しても消えないものが認識主体なのじゃ。
アートマンは認識できないから否定も出来ないのじゃ。

727避難民のマジレスさん:2019/08/01(木) 23:54:26 ID:LC3de7YgO
>>725
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part1(つづき)
  
  真我探求は静寂だ。
   静寂とは心を動かさないことだ、一秒間心を鎮めてあなたの顔を見てごらん。
   静寂とは達成、考察、意図、観念を全て投げ捨てることだ。
   ただ、静かにしていなさい。
   動かないこと、動かないこと、動かないこと。
   あなたは愛と美そのものだ。
   静かにしていなさい、そうすると、あなたがすべての存在の中に存在する真我だと知るだろう。
  
   真我探求は真の瞑想だ、気づきへの集中だ。
   この気づきが真理そのものを明らかにする:主体も対象も存在しない。
   
   「アートマンのみ実在する」という決定が瞑想だ。
   心が過去と未来に向くのをやめさせ、確固として「今、ここ」に留まら
せなさい、そして瞑想しなさい。
   瞑想しているのは誰かと瞑想しなさい。
   これが「全てが現れてくる源泉から見ている」ということだ。
   これが「あなたであるところのものに戻る」ということだ。
   瞑想とは努力をしないこと、思考を奮起させないこと。
   それは探索するという行為ではない、探索するとそれをなくすだけだ。
   
   瞑想とは、心を活動的にするそのエネルギーに
   努力なしに心を向けるということだ。
   この瞑想は<真我ー存在―一体>との同一化へと溶け込んでいくことだ。
   
   あなたはいつもこの瞑想の中にいる、
   サハジャの状態にいる。

   真の瞑想は自由だ、瞑想者が現われてくる源泉に留まっているというこ
とだ。
   
   他の瞑想は単なる何かに集中するという形をとったものだ。
   真の瞑想は始まることもなければ終わることもない。
   事実、瞑想の芸術は常に瞑想していることだ。
   到着すべき目的地はなく、なすべきことは何もない。
   瞑想とは単に「存在として」くつろいでいることだ。

  時間と瞑想は一緒に存在することはできない。
   瞑想が時間を破壊するように
   時間の観念は瞑想を破壊する。
   「私は瞑想しなければならない」という思考でさえ瞑想を騒がす。
   投げられた石が静かな湖を騒がすように。

  真我探求は特別な視覚だ。
   目を通して見るのではなく、真我を通して見るのだ。
   真我を見ているのは真我だ。
   目を閉じてもあなたの目はどこにあるのかがわかるように
   この視覚によってこの視覚はどこにあるのか知ることができる。
   これをやりなさい。
   どこから目の視覚がやって来るのか見つけなさい。
   この貯水池は視力で満ちている。
   目の後ろを見なさい。
  目の前を見たら対象を見る。
   目の後ろを見たら主体、「見ている人」を見るだろう。
   それがすべての源泉、愛と美の源泉だ。
   
   真我探求はあなたの人生の一瞬一瞬を通じて続けるべきだ、
   自然に呼吸をするように、最後の息が切れるまで。
   私のマスターは言われた、
   「探求者がいなくなるまで探求しなさい」
   マインドの習癖を壊すのは非常に難しい、だから探求を続けなければな
らない。
   
   長い間あなたは無知であったのだから
   真理を知ったときは真理としてしばらく留まりなさい。
  他に何が重要だというのか?
   あなたは強くなくてはならない。
   絶えず心をチェックしなさい。
   愚かさに二度と戻らないと決心しなさい。

   一度沈黙に入ったら、沈黙として沈黙していなさい。

(´・(ェ)・`)つ

728鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/02(金) 22:33:46 ID:1d4drIFg0
アートマンの探求は難しい道なのじゃ。
逃避や迷いのある者は途中で挫けてしまうことも多いのじゃ。
全ての観念を否定しなければならないと言う事は自分が最も大事にしている観念さえも捨てることであるからのう。
一切を捨てて観念の無い認識まで行かなければならないのじゃ。

729避難民のマジレスさん:2019/08/02(金) 23:31:23 ID:LC3de7YgO
>>727
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-a

グルによって導かれた真我探求

Q:静かにしていると、どこから始めたらよいのかわかりません。助けをいた
だけますか。

 私が話している沈黙は、瞑想することでも、静かに座っていることでもない。

 私が言っている沈黙は瞑想や話をしている・いないとは何の関係もない。
理由はマインドはどの時も絶えず、ここ・あそこ・いたるところを走りまわっ
ているからだ。

 私が言う沈黙とは、マインドから思考が起こるべきでないという意味だ。
マインドから思考が湧き上がらないのが沈黙だ。

Q:それは理解するこはできますが、私は何かをしなければないと感じていま
す。
 
 違う、あなたは何もする必要はない。単にマインドからどんな思考も起こっ
て来ないのを見ているだけだ。これは何かをするということではない。

 ただ静かに、マインドを見つめているということだ。あなたはそれをやった
ことがない。それを今やりなさい。ラクナウを立つ前に、これをやりとげるべ
きだ。

 思考を見なさい。今やりなさい。過去・未来に属さない思考を見つめなさい。

 どんな思考がやって来るかね?

Q:私は、あなたの前に座ってあなたを見つめている。

 これは思考ではなくてあなたの目が見ているものだ。
「私はあなたを見つめている」という思考でさえ、思考としてどこかから起こ
って来る。
この「私」、私を見ている「私」はどこからやって来るのか? これが私の意
味することだ。

Q:分かりません。

 それなら見つけようとしなさい。時間をかけて、この「私」がどこからやっ
て来るのか見てごらん。
努力しないこと、「私」のありかを突き止めるのに何も必要ない。どんな考え
も必要ない。ただ静かにして、どこから「私」がやって来るのか見つめなさい。

Q:自由とは何ですか? どのようにして手に入れるのですか?
 どのようにしていつも自由でいられますか?
 
 自由とは、心配のない時、疑いのない時、不幸がない時、恐れがない時だ。
山を登ることによってではなく、単に「ここ」に座っていることで手に入れる
ことができる。

 ただ「ここ」に座って、何も考えない、カそれが全てだ。静かにして、疑い
なく、恐れなしで「ここ」にいなさい。

Q:私は源泉と一つになりたい。

 光と命の源泉は、一億の太陽よりも明るい。あなたが「それ」そのもになり
たいと望むなら、それは突然起こって即座に全ての欲望と苦しみは終わりを告
げる。

 ただ「それ」を見なさい。質問しないで、光の中に溶けこんでゆきなさい。
太陽や月や星が昇らないところに、マインドや思考を越えたところに滞まりな
さい。
これが*1ギータの中で話されているクリシュナの住み家だ。
 
 あなたは100%絶対的注意深さが必要だ。何かが起こっている時、あなた
の前で起こっていることを完全に警戒して観察しなければならない。そうする
と「それ」がすぐに起こる。

 しかし、同じ鞘に二本の刀が入らないように、私は誰かという真我探求と一
緒にあなたの過去の習癖を持ちこむことはできない。一度に一つだ。もう一つ
は、あなたが何億年も試みてきたこと、それは人間として生まれて来ることだ。
 
 次は、もう少し高く飛んであなた自身の真我に飛び込みなさい。
そして、他の全てを捨てなさい。
捨てるということは、人生から逃げ出すということではない。

 あなたが誰かという探索だけに注意を払うということだ。
その時初めて全てと平和に暮らすことができる。
全ては「それ」から生まれて来るのだから。
 
 そうして、いわゆる現実とは呼ばれるものが本当の現実ではないということ
を知るだろう。
しかし、最初にこの経験をしなければならない。

 あなたは誰か、何が真理か、何が真理ではないのか見つけだしなさい。
そうすると、全てが「それ」そのものだと知るだろう。
他のどこからやって来ることができようか?

用語解説

*1ギータ 戦場でクリシュナからアルジュナに与えられた教え。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

730鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/03(土) 23:05:49 ID:1d4drIFg0
名前や顔かたちなどの記憶が自分と認識している者も多いのじゃ。
それらは過去の習癖によるものであり、自分ではないのじゃ。
そのような観念の自分を超えて今ここにある主体を探すのじゃ。
認識できないそれからすべてが現われて消えることがわかれば観念の自分も滅するのじゃ。

731避難民のマジレスさん:2019/08/04(日) 07:09:05 ID:LC3de7YgO
>>729
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-a(つづき)

グルによって導かれた真我探求

  一体どこから、サンサーラの全体が、
  動物、植物、観念、木そして鳥、
  これら全てがやって来るのか?
  源泉は一つだ。
  そこにもどって、それと一体になりなさい。
  あなたといわゆる他人との間には何の違いもない。
  これを知って、全ての存在に話しかけなさい。
  岩、木、動物に同時に話しかけなさい。
  「ここ」では時間は存在しないから。

  時間は観念だ。
  過去、現在、未来はただの観念だ。
  だから真理を知るためには、時間からぬけだした一瞬を費やすだけでよい。
  
  そして、全てのこの現象は何か見つけなさい。
  あなた自身に尋ねなさい。
  100%注意深くしていなさい。
  そうすると、あなたは答を得るだろう、すべての源泉に行き着くだろう。

Q:真我探求して注意深くしていようと努力しますがマインドはローラーコー
スターのように動いています。
どうしたらよいでしょうか?
 肉体的にも精神的にもこれらの思考にいつも怯えています。
 
 過去10年間私はこれを解決しようとして来ました。
何百冊もの精神界の本を読みました。しかし何の役にもたっていません。
 
 O・K。この瞬間にあなたを困らせている思考の中から一つだけ選んで私に
言ってごらん。
マインドは思考の集まりだからこのようにして私達はマインドについて働きか
けていこう。

Q:「私」

 うまくやった。それで十分だ。
私達はこの「私」について解決していこう。
「私」はマインドにすぎないが、すべての様相の顕現に関係している。

 この「私」としばらく一緒にいなさい。
この「私」を見てそれがどこからやって来るのか言ってごらん。
この「私」に没頭しなさい。
この「私」よりも先にあって、もっと現存しているものを見つけなさい。
波が海から起こって個的な名前や形になるように、この「私」は、どの海から
やって来るのか?

Q:何もないところから。

 さて、あなたは「私」の源泉、何もないところ、無にいる。
ここでは「私」はなくなる。
「私」がいないときは、マインドもない。
マインドがないところには顕現もない。

 この無の中に何が見える?
 過去に執着しないこと!
この無は、無限界、無時間、ノーマインド、無状態だ。
無として、何が見える。

Q:何があるのか?

 それが「ある」ところのもの!
 そこでもない。ここでもない。単にそれが「ある」ところのもの!
 それがあるところのものはどんな本にも見つけることはできない。

 ほとんどの本は、読む価値はない。「もの知り」のプライドでエゴが増長す
るだけだ。
だから全てを投げ捨てなさい。全てのマインドの考え、エゴ、そして肉体。
 全ての観念を捨てて、何が残っているか言ってごらん。
「それ」でそれを見てごらん。

 どんな意図も、答えを見つけようとする意図でさえ、連れて行かないこと。
 あなたは弾丸を発射したのだ。その標的を探そう。あなたが標的だ。
弾丸は銃口にもどることはできない。 

 だから見つけてごらん、この無から何が起こって来ているかね?
 それはどのような感じかね?

Q:よい感じがしますが、思考がこの無の外側で待っていて,この無に入って
来て騒がそうとしています。

 内側からその思考を見つめなさい。
これらは外にいるただの犬達だ。
この犬達はあなたの古い友達でただあなたの所に戻ってキスをしたいだけだ。
しかし、ある犬はキスをして咬みつこうとしている。
だから犬達を見つめて犬から離れていなさい。あなたは犬ではない。
注意して犬を見てごらん。犬はどこにいるか言ってごらん。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

732鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/04(日) 22:33:25 ID:1d4drIFg0
全ての観念や全ての煩悩を滅する必要は無いのじゃ。
唯一つの観念が消えれば全て消えるのじゃ。
その観念が私なのじゃ。
私という観念からすべてが起こるのじゃ。
私が無ければ私の全ての世界も消えるのじゃ。

733避難民のマジレスさん:2019/08/04(日) 23:45:35 ID:LC3de7YgO
>>731
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-a

グルによって導かれた真我探求

Q:たった今わかったのですか、私がいつも家に入れる犬がいます。
それは「私はこれをするべきでない、私は心配なしでいるべきでない」という
犬です。

 この犬の所有者を見つけなさい。

Q:所有者は「私」です。

 「私」も又犬だ。無に留まりなさい。
今何が残っているか言ってごらん。

Q:残っているのは犬の言うことを聞こうとする誘惑と恐れです。
犬は私にこの無から去らせたい。

 O.K.無から離れるためには、無から立ち上がらねばならない。
そうだろう?
 無から一歩踏み出すには足を上げて無を通って足を動かして足が地に着くの
だ。
無から踏み出してあなたの足が着地するのはどこかね?

Q:「踏み出す」と言うのは、思考が起こるということですね。

 そうだ、このステップは思考だ、このステップはどこから踏み出すのか?
 どこを通って踏み出すのか、このステップはどこに着地するのか? 
 無から踏みだしたのなら、どこに着地するのか、どこに次のステップをおく
のか?
 あなたの後にあるものは何か、前にあるものは何か。側面には何があるか?
 ステップの上と下に何があるか?
 この無には境界がない、限界がない、思考がない、観念がない。
 それはまったく完璧だ。
私達は無を「何もないこと」と言うが考えることが何もないのでそう言われる
のだ。
だから、この無から踏みだそうとしてごらん、それから逃げ出そうとしてごら
ん。
さあ、無から逃げ出しなさい。
どのようにして逃げ出すのか言ってごらん。

Q:思考を掴むことによってです。

 それでは、あなたは、無という海の中にいる。
この海の中で何かを掴もうと手をのばしたら、何を掴むだろう?
 ヒマラヤ山脈か? 石か?

Q:いいえ、ただの水です。水を掴んでも又消え去ります。
 たぶん私がすべきことは…。

 「すべき」はない、水だけだ。来て、滞まって、去るのは水だけだ。
水から起こる波は水だ。
無から起こるものは何であろうと無そのものだ。
それは無であった、無である。
そして、これがあなたであるところのものだ。

 そのようにしていなさい、無としていなさい。さて、無として滞まって、周
りを見てごらん。
観察してごらん、そして、質問してごらん。

Q:肉体に残りかすのように何か感じがまだ残っています

 肉体はない。

Q:しかしまだセンセーションが…。

 これらのセンセーションが「私」だ、あなたはセンセーションと呼ぶが本当
はただの観念の「私」にすぎない。

 肉体という観念の創造でさえ観念、観念だ。
生まれたその日から、あなたは子供だと告げられた、この観念を信じすぎて、
あなた自身と子供を同一化してしまった。
 
 しかし、この「私は子供、私は肉体を持った人間」という観念を「私はただ
在る」という観念でうち消すことができる。

 この肉体とこのマインド、これら全ての観念が一体誰に属しているのか見つ
けだしなさい。

(´・(ェ)・`)
(つづく`)

734蓮恵:2019/08/05(月) 21:47:39 ID:wCfwUKq.0
>>732
鬼和尚様

>しかし、この「私は子供、私は肉体を持った人間」という観念を「私はただ
在る」という観念でうち消すことができる。

上記のただ在るというのは、
無為のままあるということなのでしょうか
それとも、観念を努力や観察によって滅するのでしょうか

"ただ"という言葉には深い意味があると思いますが

横から失礼しました

735鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/05(月) 22:05:07 ID:1d4drIFg0
それはまだ観念を滅するための観念なの゛ゃ。
それによって観念が消えれば本当にただあることにたどり着くのじゃ。
アートマンを呼び起こすための観念ともいえるのじゃ。
それにも囚われずに進むのじゃ。

736避難民のマジレスさん:2019/08/06(火) 00:02:44 ID:LC3de7YgO
>>733
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-a

グルによって導かれた真我探求

(この肉体とこのマインド、これら全ての観念が一体誰に属しているのか見つ
けだしなさい。)

Q:それらは「私」に属しています。

 そうだ、創造者、全ての神、天国、地獄、惑星、全てが「私」によって創り
出されたのだ。
最初に「私」が存在しない限り何も創り出されることはない。

 この「私」という観念がどこからやって来るのか今見つけなさい。

 今、あなたは目覚めの状態にいる。最終的には、眠りの状態に行きたいと決
めるだろう、 平安と休息を得ようと決めるだろう。だから、全てを拒絶し始
める。
最初にあなたの町、友達を拒否し、あなたの家に隠退する。
そして、家族、家庭を拒絶して、寝室に入ってゆく。

 そして、寝室を拒絶して、ベッドに行く。
そして、あなたの連れあいを拒絶して、肉体に入ってゆく。次に肉体を拒絶し
てマインドの中に入ってゆく。

 遂に、マインドと「犬」を拒絶して眠りにつく、平安に入っていく。
あなたが眠りについたのは、午後の11時だとしよう、10時59分59秒に
眠るためにあなたは何をした?

 この一秒間に何が起こるのか?
あなたの周りにいる犬は59分と59秒にいる。
この犬をどうするつもりだ。

Q:拒絶します。

そうだ、59秒目が終わった、犬は去っていった。
60秒目も又終わった。
この後の「時間」について話しなさい。
この後、あなたの手の中に何が残っているのか。
友達、マインド、肉体、何が残っているかね?

Q:全てが消えました。

すばらしい! 全てが消え去った、それを知るために残っているのは誰だ。

Q:誰もいません。

 眠っている時は誰もいないとあなたは言う。それでは誰が「誰もいない」こ
とを知って、目覚めているのかね?
あなたが眠っている間、誰もいなかったということを知って目覚めているこの
意識は何だ、眠りを楽しんでいるこの意識は何か。さて、これは何かね。

Q:ただの空間だ、空間!!

 すばらしい。眠りの状態があるこの空間と眠りの前と、眠りの後の目覚めの
状態がある空間との違いは何かね。夢の状態が起こっているこの空間は何かね。

 これらの空間は、それぞれどのように違うのかね。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

737避難民のマジレスさん:2019/08/06(火) 07:51:08 ID:LC3de7YgO
>>736
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-a(つづき)

グルによって導かれた真我探求

( 眠りの状態があるこの空間と眠りの前と、眠りの後の目覚めの状態がある空
間との違いは何かね。夢の状態が起こっているこの空間は何かね。

 これらの空間は、それぞれどのように違うのかね。)

Q:この三つの状態は、同じ空間にあるように思いますが…空間は同じだ!!

そうだ、空間は同じだ。この手の中の空間はあの手の中の空間と同じだ。
全ての人の手の中の空間と同じだ。手は違うかもしれないが空間は同じだ。

 あなたはそのスペースだ。あなたは目覚め、眠り、夢の状態が起こって消え
ていくその空間だ。
あなたは眠りの状態でさえも完全に意識している「それ」だ。
これら全ての状態とその状態のなかにあるすべては透明で汚れのないスクリー
ンに写しだされた映像だ。

 あなたは、このスクリーンだ。スクリーンには、対象も主体も存在しない。
このスクリーン、この空間はその中で主体化されることや対象化されることに
何の関心もない。ただあるがままだ。

 あなたはスクリーン。犬は吠える、あなたは影響されない。
苦しみや悲しみやロマンスや火や嵐をスクリーンに映写させなさい。
スクリーンは何にも影響されない。そのスクリーンがあなただ。

Q:(笑い出して)おお神様、サンキュー,サンキューベリーマッチ

 これはあなたの惑星だ、この惑星の上を歩きなさい。
これはあなたが達成したのでもなく、これを手に入れたのでもない。
今起こった全てのことは、思考が取り除かれて犬が去っただけのことだ。
全てが観念だ。

 もしこれを知ったならこの惑星は天国だ、ここでうまく生きることができる。
全てが非常に美しい。これを理解したら、全てはとても美しく愛に満ちている。
これを理解するだけでよい。エベレストの山に登るのではない、

 それは「ここ」、それは「今」、「今、ここ」にある。

 これが瞑想だ。ここから瞑想が始まる。
何にも騒がされないこの瞑想はいつも「あった」そしていつも「ある」のだか
ら、瞑想に入っていく必要も瞑想から出て来る必要もない

Q:(彼は大きく息をする)

 今あなたの呼吸は、初めて自由になった。
今あなたはマインドと完全な調和の中にいる。
マインドと呼吸が調和の中にあると、そこには平和がある。
唯一この平和と共に我々は自由になることができる。
もう理解する必要はない。理解は終わった。どこに立つ必要もない。理解を手
放しなさい。

Q:これ、これがいつも私からとても離れていましたが、今はもう違います。

 今、それはあなたの内にある、全ての惑星と他の全てのものがあなたの内に
ある。
これが意識で、全てが意識の内にある。

 この意識があなた自身の真我だ。
それはあなたとしてあなたの内にある。
そして、決してあなたから離れない。

Q:どうして努力なしで今、私のマインドは、こんなに静かなのでしょうか、
思寵のおかげですか。

 ノーマインドは、グルの思寵によって与えられた。
修練は肉体とマインドの動きを通して行なわれる。
この精神的活動の中でどうして平和でいられるのか?
 ノーマインドは活動なし、動きなし。これは努力なしで達成される。

 今ここでこの一瞬これを試してみなさい。
静かなマインドがほしいなら修練することでマインドを活動的にさせないこと
だ。
ただ努力しないで静かに座っていなさい。

(´・(ェ)・`)つ

738鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/06(火) 22:49:45 ID:1d4drIFg0
グルを強く信頼しているならば直ぐにでも気付きが得られるのじゃ。
お釈迦様に一言言われただけで阿羅漢になったという者も居るのじゃ。
強い信頼が心の飛躍を可能にするのじゃ。
自分が無くなる恐れや不安を信頼で乗り越えることが出来るのじゃ。

739避難民のマジレスさん:2019/08/06(火) 23:14:22 ID:LC3de7YgO
>>737
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-b

グルによって導かれた真我探求

Q:どのようにして、中断されない平和と幸福を達成することができるか明ら
かにして下さい。

 この質問はただ二言で答えられる。
Keep Quiet、静かにしていること。
 これはあなたの邪魔をすることはない。マインドを騒がせないことだ。

 あなたがやって来た「そこ」に静かに座っていなさい。
それはあなたを妨害しない。
欲望を果てしなく追いかけて動き続けるなら、今世で平和を得ることはない。

 だからあなたがやって来たところに戻って、「そこ」に滞まりなさい。
試しなさい。
もしそれでうまくいかないのなら、明日私の所に戻ってきなさい。

Q:静かにしようとしています。今朝3時に目がさめて、ガヤトリマントラを
唱えました。
そしてマインドを静かにするため深呼吸して、真我探求を始めました。そして…

 マインドを静かにするには深呼吸しなければならないと誰が言ったかのかね?
 私は言わなかった。

 マインドについて話している時は、マインドを静かにさせることはできない。
「マインド」という言葉を口にする時はそれを静かにすることはできない。
マインドは名前そのもの中に生きている。
さもなければ誰もかってそれを見たことはない。

 だから「マインド」という言葉を口にする時はすでにそれに巻きこまれてい
て、どうしてそれを静かにさせることができるのか?猿を静かに座らせるため
に猿のしっぽを掴んでいるようなものだ。

 猿のしっぽを掴まえて猿の反応を見てごらん。猿はあなたに向き直って指に
咬みつくだろう。
猿とマインドは同じものだ!!

Q:それなら知的に静かに「私は誰か」という質問をします。
そして肉体・マインドを私ではないと拒絶します。
私は100%これに確信があります。

 肉体・マインドを拒絶したら一体何が残って、何が話をしているのか?
もし「私は肉体ではない。 マインド、感覚、エゴ、知性ではない」というの
なら何が残っているのか?

Q:何もありません。

 この何もないことの中で、深呼吸しなければならないのかね?

Q:いいえ、私は努力なしで静かにして、観察者を観察し、見ている人を見よ
うとしています。

 努力しない時、あたなは静かだ。
静かにしている時は、観察者も、観察されるものも、観察も何もない。
静けさの中では、観察者、観察されるものはない。

 あなたが言っていることは、本当の体験なしの知的なゲームにすぎない。

 どのようにして見ている人を見るのだ?
 もし見ている人を見るなら見ている人は見られるべき対象になる。
誰も見ている人を見ることはできない。
真の見ている人は、主体と対象を超越しているからだ。

 あなたは対象物だけを見ることができる。
見ている人は対象物だけを見ていてその時、見ている人になる。
しかし見ている人そのものは、観察されたり見られたりすることはない。
もし見ている人を見られたら、見ている人は対象物になる。

Q:注意深くしていて、思考が起こって来たら蕾のうちに積みとるという意味
です。

 注意深くしている時は、思考は起こっては来ない。
注意深くしていなさい。
思考を見たらその思考は何か言いなさい。
注意深くしていなさい。
思考はやって来ない。
そこに思考がないのなら、注意深さは必要ない。
真我はいつも独りだ。
真我は見るべき対象を何も必要としない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

740鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/07(水) 22:54:46 ID:1d4drIFg0
ただ静かにしていることは難しいものじゃ。
人は静かにしようとしてもマントラを唱えたり、アートマンを追及しようとしたりするのじゃ。
静かにしていることがアートマンの追求なのじゃ。
静かにしているだけで自我の作り出す幻影は全て消えていくのじゃ。
そしてアートマンが自然に実現するのじゃ。

741避難民のマジレスさん:2019/08/07(水) 23:23:58 ID:LC3de7YgO
>>739
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-b

グルによって導かれた真我探求

Q:思考が強い時は、私は思考に無関心でいるようにしています。

 これはよい経験だ。
思考がそこにあっても無関心でいるとあなたを困らせることはない。
サットサンガババァン(サットサンガが行なわれている家)の外に立っていな
さい。

 そうすると、多くの車や人や動物があなたの前を横切っていく。
あなたは無関心だから、それらを来させて通過させる。
このように用心深く無関心でいなさい。
  
 もし思考がすばらしいとき、それを追いかけないこと。
もしすばらしくないとき、立ち去れとは言わないこと。
ほとんどの場合、人は思考の奴隷となり思考を追いかけてそのまま戻って来な
い。
これがどのように愚かな人が人生を無駄にしているかということだ。

何億年も旅をした後でやっと人間という形の中に入れたというのに。
 この人間としての形を、感覚の快楽のために無駄にするものではない。

 「あなたは一体誰か」ということを知るためにここにやって来たのだ。
この質問を解決しない限りルーレットのように地獄の苦しみの中を何度も何度
も回転することになるだろう。

 この肉体が地獄で、肉体を着ている人は決して幸福ではない。
王や首相でさえ暗殺されることを恐れて幸福ではない。
彼らは特別な何かになったので恐れがあり、防御が必要なのだ。

 我々はまったく違った目的でやって来た。
世界中に60億の人々がいるのになぜほんの少数の人しかサットサンガにやっ
て来ないのか。
世界にいる人々はサットサンガに来る値打ちがない。
彼らは苦しまねばならない。

 サットサンガのためにやって来るのは、そう簡単ではない。
なぜあなたはラクナウに来ることを選んだのか?
 ラクナウは、ここでサットサンガが始まるまでは地図にも載っていなかった。

 今ではLonlyplanet(旅行ガイドブック)にも載っている。
観光客さえやって来て、他のどこにも行かないとツアーをキャンセルしている。
彼らは、ここに居座ってしまった。

Q:直接体験が起こるまで待つべきでしょうか。

 NO! 待つということは今、ここにないということだ。
それを待つということは未来の日に延期して、今それを得るということではな
い。
今、ここにないものはまったくあなたの基本的な本質ではない。

 私は未来を待つようにとは言わない。
あなたは誰か今言ってみなさい。
もしあなたがすでにあなたであるものでないのなら、あたなは他の何かになる

もし他の何かになるなら、道に迷わなければならない。

 だからすでにここにないものを追いかけないことだ。
そう、誰が今ここにいるのか見つけ出しなさい。
過去にでもなく未来にでもない。
今ここに何があるのか?

Q:意識、何もありません。

 もし何もないのなら、なぜ明日を探し続けるのかね。
それは、マインドが未来に走っているという意味だ。
マインドは過去を意味する。
マインドが働いている時は、現在に滞まらないで過去という墓を掘っているのだ。

 過去、マインド、思考、時間の間には何の違いもない。
それらは全て同じだ。
時間について話すことは、今ではなく、一分前のことを話すことだ。

 この「今」がサットサンガで、あなたがここに座ったまさにその最初の瞬間
に起こるべきだ。
それは起こるに違いない。
もし起こったなら、それはあなたの上にアートマンの思寵が下ったのだ。

 もしこの瞬間にそれが起こらないなら、あなたはアートマンによって拒絶さ
れたのだ。
幸福でない人、自由でない人、悟ってない人、これら全ての人は光そのものに
よって拒絶されたのだ。
誰が彼らを救うことができる?

 あなたは、今すぐ真我に直面しなさい。延延期の賜物だ。
さもなければどこに宇宙がある?
 あなたは永遠でないものと遊んでいるにすぎない。

用語解説

*1アシュラム 森の中の隠遁所、聖人やヨギとその弟子達の住居。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

742鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/08(木) 22:54:04 ID:1d4drIFg0
アートマンを探求するのは明日にしようとか、悟道を待とうとか考えて人は悟りから逃げ続けるのじゃ。
自分が消える恐れから逃避しているからなのじゃ。
今ここですべてを捨てて悟りを求める決意を強く持てば悟りもやってくるのじゃ。
今ここにしか悟りは無いのじゃ。

743避難民のマジレスさん:2019/08/08(木) 23:21:15 ID:LC3de7YgO
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-b(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:私は源泉への正しい路線にいるのでしょうか。

 まだ疑っている。一つの場所から場所へ動くには路線が必要だ。
マレーシアからインドにやって来るには路線が必要だ。

 しかし、真我を知るには、何マイル旅しなければならないかね。
真我にたどり着くのにどの方角に行くのかね?
 飛行機か汽車か、車が必要かね? 

 どんな乗り物もいらない。
 なぜなら、あなたが探しているものは今ここにあるからだ。
これを今理解しなければならない。
ただ理解するだけで何もする必要はない。

 真我は永遠でいつもここにあるということを理解しなさい。
ここからどこかへ動いても真我は動かない。
真我はいつもあなたの内にいて動きまわっているのはあなただ。

 真我はハートの中に住んでいる。
ハートの洞窟に住んでいる。
真我は不動で全てがその中に存在する。
これを今理解しなさい。
「私は動かない、努力しない、考えない」。
そうするとそれはそれ自身でそれ自身に姿を現すだろう。

Q:どのようにして?

 努力をしないことによってだ。
私が意味することが分かるかね。努力をしないこと。
この「どのようにして」というのは、「他・の・何・か」を得るための方法が
ほしいということだ。

「どのようにしてそこに到達できるでしょうか」あなたは地図が欲しい。
だから、どのようにと尋ねる。
この「どのようにして」は、ある所からある所へ動く時に、使われる。

 あなたは、35億年も地図を使って来た。
しかし今あなたはサットサンガにいる。
あなたは山の頂上にいる。
地図を持つ必要はない。

 私があなたに言っていることは、*1アシュラムでは、聞けないだろう。
アシュラムは金もうけの場所になってしまったからだ。
二人の人が出会う時、興味、ビジネス、取引がある。

 人々がサットサンガのために出会っているのを見たことがない。
彼らは取引のため、お金のために出会っている。
夫婦の間でさえも駆け引きがある。
世界中で駆け引きなしに話す人はどこにいるのか。
 
 サットサンガでは、我々は一つの家族でお互いを食いものにする興味はない。
私達はお互いに愛し合っている。
国の人や近隣や両親を愛するよりももっと愛し合っている。
それで私達はここに定着したのだ。

Q:私は自由でありたい、どうか私に助言を下さい。

 あなたのマインドを外科手術してその中に何が入っているか見つけ出しなさ
い。
マインドを開いて、その中に何が入っているか見つけ出しなさい。

 外科医は、何も考えないで手術だけに集中しているように、マインドの実体
は何か見つけだしなさい。
どんな病気で、腫瘍はあるかないか見つけ出しなさい。
マインドを見つめることによってマインドを手術しなさい。

 マインドはただの思考の集まりだ。
だから思考を見なさい。
思考を見ているのが「私」という思考、だから「私」を手術しなければならな
い。

「私」は、どこからやって来たか調べなさい。 

 これが助言だ。
全力を投球してそれに到らねばならない。
そうすると成功するだろう。

用語解説

*1アシュラム 森の中の隠遁所、聖人やヨギとその弟子達の住居。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

744鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/09(金) 22:26:14 ID:1d4drIFg0
疑いは世間では必要だったじゃろう。
騙されて金をとられないためには疑うしかないのじゃ。
しかし、アシュラムでは必要は無いのじゃ。
世間とは逆に信じることが大事なのじゃ。
世間の習慣に慣れてしまったものには難しいことに思えるじゃろう。
全ての疑いを捨ててこそ速やかに悟りもやってくるのじゃ。

745避難民のマジレスさん:2019/08/10(土) 11:00:17 ID:LC3de7YgO
>>743
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-b(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:この手術をするのにどうしたら静かになれますか。

 誰が静かになるか、その人の目から私は分かる。
ある人は猿のような目をしているし、ある人は神の目をしている。
神の目を持った人が静かにしていることができる。

 糸口は、あなたの活動を止めることだ。
マインドが感覚に執着するとトラブ
ルを起こすが、感覚に執着しないマインドは自由だ。だからこれで十分だ。

 そして、サットサンガでは、このマインドがどこに走り出すか見ていなさい。
警戒していなさい。
何億年もマインドがあなたをコントロールして来たのだから時間がかかるかも
しれない。

 しかし今度はあなたの番だ。
ただマインドの活動に注意深く警戒していなさい。
これが静けさと自由の結果をもたらすだろう。
  
  難しいことは何もない。単に見ていなさい。
  努力しないで、何も考えない。
  注意深くしていると、何も起こって来ないのが分かるだろう。
  これがどのようにしてマインドを静かにさせるかという秘密だ。
  自由はいつもここにあるのだから時間はかからない。
  ただ見ていなさい。どこからマインドがやって来るのか?
  どこから思考がやって来るのか?
  この思考の源泉は何か?
  始まった所へ、その源泉へ、マインドと一緒に飛びこみなさい。
  そうすると、あなたはいつも自由であったと
  全てが夢であったということが分かるだろう。

  自分自身をまだ見つけていない人は、眠っているのだ。
  感覚に執着しない人が目覚めている。
  この目覚めの中では、目覚め-眠り-夢は存在しない。
  これが生まれても来ないし、死にもしないアートマンだ。
  これが理解することができない「それ」だ。
  あなたは「それそのもの」!!
  束縛された、束縛されると考えることは、
  恐れをもてなしているにすぎない。
  この恐れをサットサンガで取り除きなさい。
  あなたは決して生まれてこなかったのだから
  生と死から自由だと知りなさい。
 
 苦しみは本当ではない。
それは眠りの中では消えて、目覚めと夢の中に再び現われるからだ。
主体、対象、マインドがない眠りの状態では、苦しみがない。
関係性がある所には苦しみがある。

 「私は肉体だ」という思考に触れないことだ。
ただ何も考えないこと。
そうするとあなた自身の究極の至福の本質に着陸するだろう。
時間とマインドは同じ物だ。マインドを止めるとあなた自身の至福に満ちた自
由と恋に落ちるだろう。

 静かにしていなさい。努力しないこと。

Q:静けさの邪魔をする「私」を本当にどのように手放したらよいのでしょうか。

 毎日サットサンガでこれをやっているのだ。
過去三年間毎日我々は唯一この事について解決しようとしているのだ。
どのようにして「私」を手放すか? 

 「私」が起こって来る時、どこからか起こって来るに違いない。
生まれて以来この言葉「私」を使って来たのだから確かに肉体を意味して来た。
「私はそこに行きます」「私はここに来ます」「私は苦しんでいる」「私は死
んでいく」この「私」は名前と形を持った肉体を意味した。

 もし「私」を手放したら「真の私」、「意識」を見つけるだろう。
どのようにして手放すのか?
 どこからやって来るのか見つけ出すことによってだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

746鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/10(土) 22:20:20 ID:1d4drIFg0
私という観念も記憶から起こるものじゃ。
それが見られれば厭離が起こるのじゃ。
厭離が起きて自分が無くなれば意識があると気付くのじゃ。
記憶による観念でしかない私を捨てて、永遠の意識に参入するのじゃ。

747避難民のマジレスさん:2019/08/11(日) 01:35:35 ID:LC3de7YgO
>>745
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-b(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:それは「私」を持てなしているのではないのですか。
その「私は誰か」と尋ねることは「私」を創り出すことにはならないのですか。

 そうではない。どこからやって来るのか見つけ出しなさい。
どこからやって来るか見つけだしたらあなたは静かで、これが「私」を手放す
ことだ。

 やりなさい。まだ理解していないと顔つきから分かる。
どこからやって来るのか見つけ出しなさい。答えなさい。
眼鏡から、耳から、足から、シャツから、パンツからかね。どこからやって来
るのかね。それはあなたの内からやって来るに違いない。

Q:エゴからやって来ます。

 エゴは肉体にすぎない。肉体がない時、エゴはない。
生まれて来る前にはエゴはなかった。
そして60年後死に出会う時にはエゴはなくなるだろう。

 だから「私は肉体だ」と知るようになってエゴがやって来たのだ。
そうして、物があなたに属し始め、あなたは他の人に属する。
これがエゴと呼ばれる。
 
 このエゴは、休息、平和、愛をあなたに与えることはできない。
肉体が消えるとエゴも消えるのだから、いつかエゴも終わるだろう。
今世で終っても、満たされなかった欲望のためにそれは又戻って来るだろう。
このエゴはあなたの欲望を満たすためにふさわしい場所に生まれかわって来る。

 そしてこれが終わることなく何億年と続くのだ。
これを終わりにするためには、どこからこの「私」が起こって来るのか自問し
て、注意深く警戒していることだ。
  
 前には向かなかったどこかにあなたの顔が向いたようだ。
普通は、人や、物や、場所に顔が向くものだ。
しかしこれらはいつか失くしてしまう。だから永遠なものを探し出しなさい。

 どうやって探すのか?「私」の源泉を探しなさい。
さもないと感覚は外側を探している。今、内を見なさい。執着している人なし
、場所なし、物なし、これを一秒間にやらなければならない。

 この一秒間、内にいて次の質問が起こるなら質問しなさい。
理解しようとするのでもなく、山を持ちあげようとするのでもない、努力する
のでもなく、考えようとさえしないことだ。

Q:努力なしでこの質問をするとはどういうことですか?
それが私の問題です。

 努力をするというのは200ポンド頭に乗せて、インディラナガルからハザ
ラトガンジまで運ぶことだ。
しかし、私はどんな重荷もあなたに与えない。
私は単に静かにしていなさいと言っているだけだ。
静かにするのに努力がいるかね。

 何かを話そうとする時、努力がいる、過去に戻って記憶から何かを選ばなけ
ればならないから、努力がいる。
話しをせず単に静かにしているのに、何の努力も必要ない。

Q:知的にはわかります。しばらくそれをやっていたのですから。

 しばらくやっていたとあなたは言った。
私はやるなといっているのだ。
「しばらくやっていた」というのは過去を意味する。
マインドは過去だ。知性も過去だ。全てが過ぎ去る。
あなたが話す全ての言葉も含めて。 どの関係も過去に属する。

どこからこの「私」がやって来るのか見つけ出しなさい!!
他のどこかに探しに行くというのではない。
内から何の思考も起こって来ない所を見るのだ。

 全ての思考は過去に属するのだから過去に属さない何かを考えることができ
るかね?
過去と関係のない何かを話してくれるかね?
 それはできない!!
 私は一瞬の間過去について何も考えないように忠告する。

Q:(彼は、微笑んで、静かに座っている)

 これがその瞬間だ。
これがあなたが見失っていたその瞬間だとあなたの顔つきから分かる。
過去とマインドと知性と感覚と関係がないとき、微笑んでいることができるの
だ。
それが違いだ。これが輪廻からの解放だ。
あなたが微笑んだときをノーマインドの状態という。
マインドがないとき、あなたは幸福だ。

(´・(ェ)・`)つ

748鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/11(日) 22:01:34 ID:1d4drIFg0
私が本当に観られた時に私は無くなるのじゃ。
観念として自分を見ていた者は本当は自分を見ていなかったのじゃ。
観念を認識していただけなのじゃ。
本当に私が観られればそれが観念と気付いて厭離が自然に起こるのじゃ。

749避難民のマジレスさん:2019/08/11(日) 23:13:00 ID:LC3de7YgO
>>747
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-c

グルによって導かれた真我探求

Q:*1Atma Vicaraに私を案内してくれますか。

 
Atma Vicaraの言葉の意味は、「あなた自身のatmanについてい
つもトータルに考えている」ということだ。このVichar(真我探求)を
導いている内なるatmanをトータルに考えていなさい。

 Vicaraのことについては考えないで、どこからVicaraが起こって来
るのかそれを考えなさい。
どこからVicaraが起こって来るのか?
 そこに何があるのか?
 誰がこの質問をしているのか?

Q:エゴが質問しているのです。

 そうだ。このVicaraはエゴのみだ。
何かしなければならない、何かを得なければならないというのはエゴだけだ。
しかし、このエゴはどこからやって来るのかな。

Q:真我から。

 それでは、あなたはエゴか真我か?

Q:真我です。

 そう、真我から。海から波が起こり落ちていく。波は海、真我以外の何もの
でもない。もしあなたが真我なら何であろうと起こるものは起こらせなさい。
気にしないことだ。関心を示さないことだ。

「私は真我(Aham Atman)」それが全てだ。真我には姿がない。
主体でも対象でもない。すべてを超越している、すでに存在している、だから
それになるのではない。
真我探求、方法、マントラは必要ない。なぜなら「私は真我!」

 この「真我だ」という信頼がそこにあるべきだ。全ての人が真我ではなくエ
ゴを信頼している。
あなたのあるがままでいるというのは非常に簡単だ。他の何かになろうとする
と問題に巻きこまれる。「私は存在」「私は真我」ということを100%信頼
しなければならない。

Q:真我を信頼するのは難しい。

 しかしあなたはいとも簡単にエゴを信頼している。どれ位この信頼が続くかね?
 エゴというのは「私は肉体」そうだね? どれ位この信頼が続くかね?
80年以上、90年かね?

それでは90年間信頼するとしよう、その半分は眠りでとられてしまう、残
りは、学校に行くことや妻を持って、子供を育てることに使われる。
これがあなたの信頼でその結果は何か?

同じ信頼するなら、あなたに何か役に立つものを信頼すべきだ。
真我はいつも存在する。「それ」を信頼しなさい。
サットサンガに出席する人々にとっては、この完全な信頼が必要だ。

「私は肉体ではない。マインドではない、対象ではない、感覚ではない」
こうしてサットサンガが始まるのだ。まず最初に永遠でないものを取り除きなさい。

Q:落着きのなさはどうしたものでしょうか。

 落着きのなさの根底には、私があなたに話した休息がある。
落着きがないと感じる時は、その根底に一秒ごとに現われる休息がある。
 
しかし、誰も気にかけないのだ。ホテルで誰かがチェックアウトして、次の
誰かがチェックインする間に何があるかな?

Q:空室です。
 
これが休息と呼ばれるのだ。全ての間隙に、休息がある。しかし誰もそれに注
意を払わない。
呼く息と吸う息の間に何がある?

Q:休息。
 
そうだ。誰もそれを説明できない。誰もそれを知らない。
もし、あなたがこれに気づいたなら、真我として居ることができる。
「私は二つの思考の間にある」「私は呼吸、吸う・呼くの間だ」これを憶えて
いたら努力する必要はない。

 「私は二つの間のそのギャップだ」と注目するだけでよい。
そこには死や不満は入ることはできない。
死や不幸は入ることはできない。これが簡単な指導手引だ。

 誰でも静かにしていることはできるが、本当に沈黙の経験をしない限り違い
は起こらないだろう。

用語解説

*1 Atma Vicara 真我探求
(´・(ェ)・`)
(つづく)

750鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/12(月) 22:56:04 ID:1d4drIFg0
人は自我を認識し、依存して信頼しているのじゃ。
それが自分であると認識して疑わないことが信頼なのじゃ。
自我への疑いからアートマンの追求は始まるのじゃ。
自分ではない肉体や心の働きを次々に否定して、否定できない主体がアートマンなのじゃ。
もはや否定という観念も無いから否定できないのじゃ。

751避難民のマジレスさん:2019/08/12(月) 23:59:25 ID:LC3de7YgO
>>749
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-c(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:「私」のない沈黙ですか?

 なぜ「私」について話すのか?
 それは努力によって達成できないものだ。
ただ静かにしていなさい。マインドが以前の執着に戻っていかないようにする
には、努力が必要だが、私が話していることには努力をする必要はない。沈黙に
対してでさえ。

 それが何であろうと努力しないことだ。努力しないこと、そうするとこの経験
が起こる。努力によって幸福になることはできないのだから努力しないこと。
沈黙への妨害は、過去の執着からやって来るのだ。

Q:かつて、リシケシの大きなアシュラムにいたとき、この平和を感じたこと
があります。

 これは、アシュラムのために起こったのでなくあなたの真面目さによって起
こったのだ。
どこででも平和を持つことができる。ヨガや他の事について話すこれらのアシュ
ラムはあなたを混乱させるだけだ。

 1942年に私もその同じアシラムに行ったことがある。彼らは、ヨガやマン
トラについて話しているが真我探求(Atma Vichar)については何も話していない。

 全てのアシュラムで、あなたの人生と時間を無駄にしただけだ。長時間の滞在
なしでこれらの疑問が明らかにされるサットサンガに出席した方がよい。

どんなアシュラムからどんな利益も得られないだろう。彼らはただ瞑想して、
本を読んでいるだけで静かにしてはいない。彼らは昼も夜も勉強して、この勉強
はあなたの助けにはならないだろう。

 そう、静かにしていなさい、どのようにして? 私が教えよう! 努力をしな
いことだ。
これにどんな害があるのか。努力の結果は、誰でも知っている。単に静かにして
いなさい。この一瞬にこの結果を得るだろう。その時、この一瞬があなたと恋に
落ちるだろう。

 あなたが平和と恋に落ちるのではなく、平和があなたと恋に落ちるのだ。
あなたが平和を感じないのは、至高の平和があなたを拒絶したのだ。
You have no chance!
あなたは来世を待たねばならないだろう。
人間になるか、ロバになるか。しかし、それはこんなに簡単なのだから、今世
を最高に活用しなさい。

Q:私はマインドと同一化したくありません。
観念や混乱にのめり込むのをやめるように助けて下さい。

 マインドと同一化したくないなら、マインドとは何か知らなければならない。
マインドを見てごらん。あなたがマインドとの同一化を確立しているのだ。
あなたがマインドの欲しいものを供給しているのだ。

 だからまずマインドとは何か見つけ出しなさい。そうするとそれと同一化でき
るか、できないかが分かるだろう。マインドを理解することができなくても思考
を理解することはできるだろう。思考がどこからやってこるのか見つけなさい。

今やりなさい。

Q:思考はどことも知れないところからやって来ます。

 もしどこからともなくやって来るならどうしてそれが何かであり得るのか?
何かはどこからかやって来るに違いない。このように思考がどこにもない所か
らやって来るのならそれは全く実体のないものだ。何もないものだけがどこにも
ない所からやって来るのだから。
実に簡単だ!!

Q:(彼は理解する)私は今あなたと居て深い平和を感じています。他に何も
たずねることはありません。

 あなたが「ここ」にいる時はただ静かに座っていなさい。
質問する必要はない。もし質問がやって来たらすぐにこの質問はどこからやっ
て来るのか見つけ出しなさい。そうすると静かに座っていることができる。
質問が起こって来る源泉が平和と静寂が存在する場所だからだ。
    
  質問によって道から外れないことだ。なぜならそれらは全て過去に属するか
らだ。そしてそれらはあなたの苦しみの原因となる。もし平和でいたいなら、今
起こっている質問はどこからやって来るのか見つけ出しなさい。
  質問が起こって来る直前の場所を見なさい。これを今ここで体験に置き換え
なさい。そうすると、どのようにして静かに座るかが分かるだろう。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

752鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/13(火) 20:57:14 ID:1d4drIFg0
場所によって心が静まることは無いのじゃ。
全て自らの意志によって実践すれば静まるのじゃ。
そのためには知識さえも時には不要になるのじゃ。
要らない知識が多すぎれば迷いが生じて実践も疎かになるのじゃ。
ただひたすらに実践あるのみなのじゃ。

753避難民のマジレスさん:2019/08/13(火) 22:28:19 ID:LC3de7YgO
>>751
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-c(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:どのようにして内側を見て、源泉に戻っていくのですか?

  源泉に戻っていく方法は非常に簡単だ。 

  外側への執着は静かに座っていることや瞑想を許さない。
  だからしばらくの間外側への執着を全て避けなさい。
  眠りに入って非常に平和な夜をすごすように昼間にこれを練習しなさい。

  外側への執着を全て忘れたその瞬間に膨大な愛と幸福を味わう。
  そうすると自然と外側を見るのを止めるだろう。
  外側と内側が同じになって、両方とも存在しなくなるだろう。

 この家の内側と外側の区別はほんの2インチのドアだ。
もしドアがない時は外側も内側もない。このドアがマインドだ。
マインドがその欲望を満たすために外側に向かっていく。
このようにして、内側も又創られたのだ。

 マインドが静かな時は、ノーマインドであなた自身の真我だ。
その時、以前には決して味わったことのない幸福を味わうだろう。
しかし、あなたはそれを愛するけれども何があなたにこのマインドの平和と至
福を与えてくれたのか知らない。

 だから以前の環境を忘れて、今いる環境(サットサンガ)に滞まるなら、あ
なたは至福に溶け込んで至福そのものになるだろう。実に簡単な方法だ。

Q:もし私がドアを見つけたら簡単かもしれない。

 この「もし」がドアだ。
「もし」を使わない時何が起こるだろう?

Q:「私がドアを見つける」、いいえドアはないのだ!
内側も外側もない! これが全てだ!全てがこれだ!

 そうだ!そうだ!全てがこれだ。

Q:疑いはなくなって、静寂なマインドと真我の間の関連を見ています。
しかしマインドを静かにするのが難しく、静かにしていても、背後に何か見知
らぬものが潜んでいるような感じです。
これは真我ですか? 又は、マインドのトリックですか?

 あなたが言っていることはすべてマインドのトリックだ。
理由は、あなたはマインドとは何か理解していない。
理解していない時はいつもマインドがあなたを困らせる。
それはトリックを使って「何か」として現れる。

 あなたはそれを見て、それが本当だと思う。
あなたの前に真実として反映される全ては真実ではない。
すべてがマインドのトリックだ。
マインドに騙されないために唯一しなければならないことは、ただ静かにして
、努力をしないことだ。

 あなたが言っていることは、努力するということと同じだが、ここでは、努
力をしないこと、静かにしていることが要求される。
どのようにしてと尋ねるなら考えないようにと頼む。
どのようにして考えないでいられるのかと尋ねるなら、どこから思考がやって
来るか見つけだしなさいと助言する。

 顔を「それ」に向けなさい。
マインドの対象を見るのではなく、マインドがやって来る場所を見るのだ。
 
 マインドと思考の間には何の違いもない。
マインドは思考の集まりで「私」と思考の間には何の違いもない。
「私」がやって来ると、思考がやって来る。
思考がやって来ると、感覚がやって来る。
感覚がやって来ると、各感覚器が受けいれる対象がやって来る。
 見るための目、花の臭いをかぐための鼻、音楽を聞くための耳、味わうため
の舌、触れるための手。
感覚と対象は同じだ。感覚があるとき、対象がある。

 さて、どこから感覚がやって来たか、そこへゆっくりと戻って行きなさい。
それらはマインドからやって来た。
対象-感覚-マインド。マインドはどこからやって来るのか?
エゴ! マインドとエゴの間には何の違いもない。

 どこからエゴがやって来るのか?
これについてあなたは述べていない。
どこから「私」がやって来るのか?その場所に向って見てごらん。

 これを理解すると、あなたは「私」がやって来て消えていくその場所に溶け
込むだろう。
このことを誰も述べていない。
教師によっても、説教師によっても、宗教の本の中にも仏陀の経典の中にもの
べられていない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

754鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/14(水) 22:00:26 ID:1d4drIFg0
何か語れるようなことや、認識出来る事があるならばそれはまだ観念の内なのじゃ。
まだアートマンを実現していないのじゃ。
もはや何も語れず、認識するものもされるものもないならばそれがアートマンの実現なのじゃ。
そこまで至れば師匠に聞くことも無要と知れるのじゃ。
何も聞くことも答えることも無いからのう。

755避難民のマジレスさん:2019/08/15(木) 00:14:17 ID:LC3de7YgO
>>753
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-c(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:「私」とマインドの源泉を見つけるようにといいますが、どれ位、探求を
続けるべきでしょうか?

 探求は続けるべきだ。
歩いている時も寝ている時も、目覚めている時も夢を見ている時もそれがあな
たの一部となるまで続けるべきだ。
この探求の源泉に入っていくにつれて、海に近づいていくのだ。
この探求を続けなさい。

 そうすると努力なしで眠っている時でさえそれが続いているということに気
がつくだろう。
ほとんどの人が探求は、瞑想するために座った時から始めて、立ちあがった時
終わるものだと誤解している。これはそうではない。

 むしろ、あなたが完全に恋に落ちて、いつもその人の事を考え続けているよ
うに、探求し続けるべきだ。
探求は、何をしていようとも一日中、頭痛や、歯痛が続くように続けられねば
ならない。

 この痛みは、会社にいようが人と話をしていようが努力なしで続いていく。
このように、寝ても起きても、考えている時でも探求を続けなさい。
 
Q:覚醒が起こるためにはマインドが完全に破壊されなければならないのですか。

 マインドが破壊されない限り悟りは不可能だ。
最もあなたに親密なものを諦めることによってマインドを静めなさい。
それらのものはマインドを騒がせる原因になるからだ。

 もし、平和が次第に消えていくならマインドを掴んでいる何かがあるに違い
ない。
それを見極めることによってマインドを静めなさい。本当か偽ものか? 永遠
か一時的か? 本当に時間をかける価値があるかどうか? 
 
 たとえあなたに最愛の人がいるとしても、真実は唯一あなたの真我ゆえにそ
の人を愛しているのだ。
グルと一緒にいることによって、真我を常に瞑想することによって、マイン
ドを静めなさい。
歓喜も又マインドを破壊することができる。
しかし、一度マインドを埋葬したら、二度と掘り返さないことだ。
 
 対象に対する執着を取り除かねばならない。
マインドの静寂は真我への執着を除いて全ての執着を棄てることからやって来る。
一時的な対象に執着すると問題がやって来る。
だから、これらの一時的な対象や世界に対しては、眠っていて、真我に対して
、目覚めていなさい。

 探求をしないと、サンサーラにいることになる。
対象に目覚めていて、真我に眠っている。
探求とは真我に目覚めることであり、感覚に眠っていることだ。
探求は自由に導く。
思考は太陽を隠す一時的な雲のようなものだ。
「私」という思考でさえ雲だ。

 マインドそのものである雲に気をつけなさい。
このマインドはこれやあれがほしいという欲望だ。
思考は、「私」という思考でさえも、ただ雲が漂っているようなものだと知っ
たなら、それに影響されることはない。

 マインドの静寂があるところに、マインドはない。
その時あなたは本当に目覚めている。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

756鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/15(木) 22:13:03 ID:1d4drIFg0
マインドとは思考や感情を作り出す観念の働きなのじゃ。
それがあるかぎり悟りは訪れないのじゃ。
それが自分だと思うから捨てることも難しいのじゃ。
自分だと思っていたものが観念でしかないと気づくことが観照なのじゃ。
そして無我になるのじゃ。

757避難民のマジレスさん:2019/08/16(金) 00:03:06 ID:LC3de7YgO
>>755
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-c(つづき)

グルによって導かれた真我探求


Q:昨夜、夜中にほんの瞬間、何もなかった。それが「それ」ですか。
それが真我ですか。そしてマインドが戻って来ました。

 どうしてマインドが戻って来たのか? 
この無の中でマインドはどこにいたのか?

 あなたのポケットに何もない時、この空のポケットから何ドル取り出すこと
ができるのか?
無から何がやって来ることができるのか?
  一度ハートが静かになったら、
  一度それが空になったら、
  二度と戻って来ることはできない。

 だから、もう一度やってごらん。
無の中に入っていって、戻って来ることは考えないこと。
そうすると、あなたが見ている全てのものは無の中にあるだろう。

Q:度々私はそれをするには怠けすぎて、かわりに気晴らしを探し求めます。

 あなたは怠け者ではないが、あなたは最高に怠け者であるべきだ。
という意味は怠けすぎて考えることができないということだ。
もし怠け者でないと考えるなら、あなたは活動的だ。

 もしマインドを使わないときは、マインドがあなたから去っていく。
だから、非常に怠け者になるか、非常に活動的になるかだ。

Q:私はそれができると信じられないだけです。

 どうして? 信じなければいけない!

「私は成し遂げることができる。私はやらねばならない。」と決心しなさい。
 あなたが「ここ」にいると、マインドはいない。マインドが「ここ」にいる
とあなたはいない!「あなたは誰か」「あなたは一体誰か」言ってごらん!!

Q:(彼女は静かに座って微笑んでいる。)「あなたは誰か」と言われたとき
、私のマインドが突然とまってしまいました。
思考はなくて、幸福だけ、私はそれができるということに驚いています。

 そうだ。疑いなくそれはできる。
「私は誰か」という思考以外にどんな思考も持たないことだ。
この思考が、あなたを思考や観念や人や対象のないところ、無だけがあるとこ
ろに連れていく。

 これが失われたあなたの究極の本質だ。
あなたが執着してしまった世界の対象を楽しみたいがためにそれを失くしてし
まったのだ。

 執着のためにあなたに平和を与える時間が、あなた自身の本当の愛を知る時
間がなかったのだ。
この平和を見つけて、カビールの言うようにしなさい。

  ほんの一秒の半分 聖者と一緒にいなさい。
  ほんの半秒の半分 ほんのその半分聖者と一緒にいなさい。
あなたを束縛するものが自然と解き放されるだろう

  グルの恩寵によって、あなたは誰かを知ることができる。
  この恩寵は、あなたが蓄積した数々の罪を燃やし尽くす火の玉だ。
  全ての罪が燃えつきたら、あなたは蓮の花
  ハートとマインドが開いてしまった蓮の花

「今」が全ての人が何億年もの間待っていたその時なのだ。
 これ以上無駄にしないことだ。今それを手に入れなさい。
(´・(ェ)・`)つ

758鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/16(金) 22:57:35 ID:1d4drIFg0
修行を実践していれば気付きは何度も訪れるじゃろう。
恐れてしまえばそれは消えていくのじゃ。
何度も味わって少しずつ進んでいくとよいのじゃ。
それが恐ろしいものではなく、身をゆだねるべきものと知れば悟りもやってるのじゃ。

759避難民のマジレスさん:2019/08/17(土) 02:43:07 ID:LC3de7YgO
>>757
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-d

グルによって導かれた真我探求

Q:私は私自身を知りたい。

 全てを忘れなさい、そうするとあなたの真我を知るだろう。覚えていると苦しま
なければならない、全てを忘れなさい。全ての欲望を溶かしなさい、そうすると全
てを得ることになる。

Q:欲望や思考が起こってくると、誰に起こってくるのかと尋ねて、答えは「私に
」と返ってきます。そして次の質問は・・・・

 なぜ次の質問に飛び込むのか?なぜ最初の質問を理解しないのか? 内を見ると
何が見えるかね?

Q:無の空間。

 誰が無の空間を見ているのかね?

Q:わかりません。

 思考を見つめると消えてしまう。思考が消え去るその瞬間に見える「それ」があ
なただ。

 それは両岸に囲まれた河のようだ。両岸に制限された水が河だ。しかし水が海に
出会うとその河の性質をなくして海になる。河はなくなって海になる。

 これが探求の意味していることだ。繰り返してやるようなものではない、一度そ
れをやるだけでよい。

 尋ねる-待つー発見するー「それ」そのものになる。
 他の人や他のことについて尋ねないこと:「あなたはだれですか?」「あれはなん
ですか?」

     あなたは意識だ。
     無意識になることはできない。
     考えないこと、マインドなしに自発的に行動しなさい。 

     あなたの在るがままにいなさい、何が起こるだろうかと考えないこと。
     恐れや疑いを持たないこと。

Q:ジョークの意味を理解することなしに笑いたい。

 それならあなたのハートの中で笑っているのは誰か知りなさい。この笑いだけを
聞きなさい。これが最後の経験になるだろう。なぜなら常に幸福で至福と愛に満ち
ているのは誰か見つけ出すからだ。

Q:他の人の行為に対する自己敗北という反応について質問があります。特に不愉
快な反応を調査する代わりにエゴの結果としてそれを単に受け入れるべきだとあな
たは言われるのですか?

 調査するものが何であろうと、それはエゴを通じてなされるのだ。全ての調査は
エゴからやってくる。私の助言がほしいのなら、ただ静かにしていなさい、どんな
調査も始めないことだ。

 結局、120億年の世界を調査するのに何ができるかね? どのように理解するのか
ね? 最高100歳まで生きられるとしてもこの120億年の世界に何を寄付することがで
きるかね? 
 ただ静かにしていなさい。あなたの目の前で事を起こらせなさい。どんな努力も
しないこと、何も考えないこと。そうするとあなたは誰かわかるだろう。

Q:このために私はここにやってきたのです。「私」以前にある「知られえないも
の」を見つけるためにここにやって来ました。

 あなたはここにやってきた目的を理解した。

     あなたの目的は平和でいること、     全ての生き物を愛すること、あなたは誰か知ること。
     これが人生の目的だ。
     ゆっくりとこのことを理解し終えるだろう。

Q:平和とは何ですか?

 心を開いてものを見なさい、そうすると平和、愛、美とは何か分かるだろう。そ
の瞬間、全てを忘れてしまう。聖人カビールのことを聴いたことがあるかね? 

 彼が言うには、「一瞬、あるいはその半分、あるいはその半分の半分、静かにす
ることができたら、全世界があなたを追いかける。」

 あなたが静かにしているとそれほどの魅力を得るのだ。あなたは全宇宙でもっと
も美しい、宇宙がマインドの平和を求めてあなたを追いかける。あなたは「それ」
になる。難しいことは何もない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

760鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/17(土) 21:27:23 ID:1d4drIFg0
道元も言っていたのじゃ。
仏道とは自己を習うものであると。
それには自己を忘れることじゃと。
観念の自己が忘れられた時、アートマンは実現するのじゃ。
その時、聖人の言葉や経典の教えが全て明らかになるのじゃ。

761避難民のマジレスさん:2019/08/18(日) 01:36:21 ID:LC3de7YgO
>>759
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-d(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:「それ」を見せてくれますか? その平和、真我を見せてくれますか?

 真我は膜の後ろのハートに住んでいる。ドアーをノックするのではなく、ゆっく
りと歩み寄ることで真我に会える。あるメシアはドアーをノックすれば開くと言っ
ているがこれは誤解している。真実はドアーがないのだから。

 静かにゆっくりと進みなさい。考えることでさえ大きな騒音となる。「最愛の人
」に会うための条件は静かにしていること。だから考えないでいると初めて「最愛
の人」に会うことができる。

 さて、静かにしていなさい、「最愛の人」に会えないのなら言ってごらん。

Q:会えません。(そして彼は目を閉じる)

 私は静かにしているようにと言ったのだが理解していないようだ。目を閉じるこ
とで膜を作ってしまったのだ。これは誰の間違いかね? 目を閉じないで開けてい
なさい。あなたと一緒に誰も連れて行かないこと。一人で行きなさい。これは非常
に貴重なことだ。

Q:一人で行けと言われたとき、恐怖が起こりました。
     
 「最愛の人」に近づきたくないので恐怖が起こったのだ。「それ」に触れると不
滅になる。この蜜を見るだけであなたを不滅にする。この「私」は毒だ。

 「私」を連れて行かないことだ、一人で行きなさい。なぜ「私」を連れて行くの
か? それは恐怖ー分離ー肉体ー死を意味する。この「私」は厄介者だ。

 一緒に連れて行かないで一人で行きなさい。「あなた」なし、「彼」なし、「彼
女」なし。

Q:(彼は微笑んで静かにしている)

 今あなたは理解した。あなたの顔つきからそれが分かる。私が言っていることを
味わっている。宇宙の隅々を探しまわったが「最愛の人」はいつも「ここ」にいる
。行き着く道がわからなかったがこれがその道だ。
    
Q:真我探求して、誰が真我探求しているのか見つけようとしていますが、その人
を見つけることがで来ません。

 まさにその通りだ。よくやった。見つけることができないその人が「それ」だ。
見つけることができないその人を見つけなければならない。誰も「それ」を見つけ
たことがないので、探求は諦めなさい。

 もし、それを見つけることができないというなら、それは問題ではない。それを
探そうとしないことだ。あなたが着ているコートを探すのは止めなさい。

 探求を止めたら、その時、その結果は何か、あなたは注意深くあらねばならない
。それは大変よい質問だが、答えを見つけ出すかどうかはあなた次第だ。

 見つけることができない「それ」を行かせなさい。この探求という観念さえ諦め
なさい。見つけることができない「それ」を探求するのを止めたら、あなたはどこに立つ?

(´・(ェ)・`つ
(´・(ェ)・`)

762鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/18(日) 22:05:12 ID:1d4drIFg0
本当にアートマンに近づけば恐れが起こるじゃろう。
今自分と思っている観念が消えるのであるからのう。
それをも乗り越えていけば安らぎが待っているのじゃ。
自分が忘れ去られ、無いところにアートマンはあるのじゃ。

763避難民のマジレスさん:2019/08/19(月) 09:32:15 ID:LC3de7YgO
>>761
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-d(つづき)

グルによって導かれた真我探求

( 見つけることができない「それ」を行かせなさい。この探求という観念さえ諦め
なさい。見つけることができない「それ」を探求するのを止めたら、あなたはどこに立つ?)

Q:わかりません。

 わからないのなら、単に静かにしていなさい。静かにしているとこの質問がそれ
自体で答えを示すだろう。あなたは静かにしていなければならない。

 そうすると、静けさがあなたに話しかけてくる。思考の川が始まる所にいなさい。そこから答えがやって来る。その場所があなたのいる所だ。

Q:*1ラマナ・マハルシは、彼が悟る前“私は誰か”と尋ねて何年も費やした。私もこのようにしなければならないのですか。悟りには段階があるのですか。

 ラマナ・マハルシがこの質問を何度もしたというのは正しくない。
彼は、*2ティルヴァンナマライに来る前に、たった一度それを尋ねた。彼は学校に
行く前に彼は死んでいくのを感じた。

 その時この質問が起こったのだ。「誰が死んでいくのか? 私は誰か?」

 そしてこの若者は学校に行く前に答えを見つけた。彼は、肉体、感覚、マインド
、知性ではないと。たとえこれらが死んでも彼は死なないと悟ったのだ。

 その後彼は*3アルナーチャラに行って、彼の最後の一息まで沈黙の中に滞まった
。彼が言うには、その沈黙が全ての人の本質だ。この質問をしたら、彼らも又沈黙
になるだろう。

 悟りには段階はないが、接近のしかたにはレベルがある。真剣な接近、普通の接
近、三番目は年を老いてからの接近。

 この少年ラマナがそれを見つけた時、彼はまっすぐにシヴァ神の住み家と言われ
る聖なる山に行って彼の古い環境に戻ることはなかった。レベルは、決定のレベル
だけだ。

 これらのレベルはエゴのため、悟りのためではない。
光はそこにある。もし目を半分しか開けていないのなら太陽を見ることができない。

 太陽はいつもそこにある。地球に背を向けたりしない。地球が太陽に背を向けるのだ。その結果が夜だ。太陽には夜もレベルもない。
意識には、レベルはない。あなた自身の光と知恵は、あなたを待っている。

 しかし、あなたが何億年も延期しているのだ。又、訓練は必要ない。大昔には、人々は洞窟に住んで、狼のように隠れていたものだが、あなたに洞窟は必要ない。あなたは人間だ。

 あなたは、質問するために「ここ」にいる。だから答を見つけなさい。努力しなで、何も考えないこと、思考の源泉を見つけなさい。さて、今が、あなたがどれ位真剣かを見つけ出す時だ。

用語解説

*1 ラマナ・マハルシ (1879-1950) パパジのグル、現代の最も重要な聖人の一人。アルナーチャラの山麓で生涯を過ごし、彼の革新的自問の方法を求めて世界中の探求者がやってきた。
*2 ティルヴァンナマライ 南インドの町、アルナーチャラがある所
*3 アルナーチャラ 南インドの聖なる山、シヴァ神が顕現したといわれている山、ラマナのグル。
(´・(ェ)・`)つ

764鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/19(月) 22:34:29 ID:1d4drIFg0
マハリシは死に行く自分を見て一日で悟りを得たのじゃ。
何日もかかったのではないのじゃ。
真剣に死を超えようとしたならばそれも可能なのじゃ。
やる気がすべてなのじゃ。

765避難民のマジレスさん:2019/08/20(火) 02:04:11 ID:LC3de7YgO
>>763
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-a

真我探求についての疑問を取り除く

  過去や思考によって押し流されない為には非常な努力と決断が要求される。
  さもないとマインドは不純性と災いの中に後ずさりすることになる。
  この自己努力なしには何もありえない。
  この非常な努力は簡単だ。それは努力でないからだ。
  ヴァーサナに適した環境がやって来ると眠っているヴァーサナも又目覚めてしまう。
  だから、熱心な自己努力で真我に献身しなさい。
  神への信頼が唯一あなたを助けることができる、海に飛び込みなさい。
  神に降伏しなさい、そうすると内なる救いがやって来る。
  
  「私」というのは真我探求で破壊される幻想だ。
  何をしていようとも、いつも自然と「私」という思考に注目しなさい。
  いつも正しい方向を見ていなさい。
  「それ」に入るには、半歩必要なだけだ。
  完全に一歩踏みだしたら活動になる。
  雲が太陽を隠してしまうように「私」思考は真我を隠してしまう。
  だから、真我探求で、この思考の源泉を見つけなさい。
  真我探求をしている間、他のことは何も考えないこと
  「私」という思考でさえも起こさないこと。
  
  他の物事に没頭するのをやめるとそれが見える。
  いつも注意深くマインドの傾向を調べなさい。
  あなたが考えるものにあなたは同一化するのだから、
  思考なしに行いなさい。
  そうするとあなたの自然な状態に戻ることができる。
  思考から切り離された自然な状態に留まりなさい。
  
  「警戒する」ということは、何がマインドの家に入って来るのか注意深く見守
っているということだ。
  起こって来る思考と戦わないこと、ただ見守りなさい。
  マインドを騒がせず分割しないこと。
  しかし、この「見守ること」もマインドを通してだ。
  だから、「誰がこの思考を見守っているのか?」
  探求して幻想の根元を断ち切ることだ。
  さもないと、観察者としての「やり手」が生き残る。
  これはマインドだ。
  同じように、マインドを殺そうとする欲望は単に「殺し屋」を創り出すだけだ。
  それらは努力や活動を通して行われるので、それはマインドそのものだ。
  だから、静かにしていなさい、ただ静かにしていなさい。
  「私」という考えの重荷を背負おうと努力しないことだ。
    
  絶え間なく「何もなし」と一緒にいなさい。
  これより他によいパートナーはいない。
  活動に巻き込まれない「それ」と友達になりなさい。
  一時的な、取るに足らない快楽を切望するのではなく、
  去っていかない「それ」を切望しなさい。
  警戒と注意深さが習癖にならねばならない。
  起こってくる思考はサンサーラ、
  しかしこの思考が起こってくるのを見ていることはニルヴァーナ。
  これは「それ」との美しいダンス、ロマンスだ。
  「それ」がそれ自体で現われてこないのは、
  一時的なものを愛する習癖を持った「私」がそれを隠しているからだ。
  この無知を取り除くと真理はそれ自体で現われてくる。
  肉体とマインドはあなたに属さない。
  賢明でありなさい、あなたに属すものだけ保持しなさい。
  未知なるもの、あなたの最愛の人から逃げ出さないことだ。

    執着している対象に向かって外に向かおうとする傾向を阻止すること
が、幻想から幻想性を取り除くことだ。
  対象に向かおうとする根強い傾向から身を引いて、源泉に戻りなさい。
  沈黙から離れようとする全てを見つめて警戒していなさい。
  そして、努力をしないこと。

    思考と対象は限界だ、無限界に接触しなさい。
  好き・嫌いは表面的だ、好き・嫌いの真ん中を見なさい。
  思考に占有されたマインドの奴隷にならないことだ。
  過去に向かうとあなたを見失う。
  マインドが飢えているなら一日24時間、真我探求という食べ物を与えなさ
い。
  そして真我に、愛に直面しなさい。
  
  「私は誰か?」と調査しなさい。
  忍耐強く、賢明に、正直に調査しなさい。
  顔を内なる気づきに向けなさい。
  真我と顔を突き合わせたなら、ただ静かにしていなさい。
  この静けさが永遠の住家だ。
(´・(ェ)・`)つ

766鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/20(火) 22:02:30 ID:1d4drIFg0
思考をなくそうとすることも思考を起こすことになるのじゃ。
感情も認識もまた同じなのじゃ。
何が起きても何もしないで居ることで心も鎮まるのじゃ。
心が鎮まれば自分が居なくなるような恐れが起こることもあるじゃろう。
その恐れを乗り越えて何もしないで居ればアートマンも実現するのじゃ。

767避難民のマジレスさん:2019/08/21(水) 07:21:56 ID:LC3de7YgO
>>765
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-b

真我探求についての疑問を取り除く

Q:私にはマインドから何度もやってくるいくつかの質問があります。それらはマインドから、マインドの源である無からやってくると分かっているのですが質問する必要があると思います。

 マインドの源は無だといった。この経験をしたのかね? 質問からマインドへ、マインドからマインドの源へ帰っていく。そのように旅をしたのかね?

汽車が停車する目的地に着いたのなら、汽車の中に留まるかね? 座り続けても目的地に着いたので汽車は動かない。このように無が目的地だ。そこで何が起こったのかね?

 汽車は止まった、ということは思考が止まったということだ。そう、まだ汽車に座り続けるのかね、それとも汽車を先に押すのかね?

Q:私が思うに・・・

 (怒って)まず理解しなさい!時間を無駄にするな! 無に戻ったとあなたは言うが、そこで何が見えるかね? そこで探求するのかね? そこに何がある?

Q:何もありません。

 単に質問するものではない。質問の中にマインドが隠れている。あなたは何が欲しいか真剣に考えて質問しなさい。あちこちから質問を拾い上げて質問をするのは時間の無駄だ。

 目的地である無に着いたなら、この無の中には質問者も含めて何も存在しない。誰がそこにいるのかね? 質問がどこからやってくるのか見つけたなら、質問は窒息死する。だから「しかし」・「いつ」・「もし」を取り除きなさい。

Q:ただこれらの質問が何度もやってくるのです。

 無の中で私に質問しなさい!

Q:パパジ、静かにしていて、思考がやって来たら、見つめていて、それが去った後、静かにしているということですか。

 そうだ、それが私が言っていることで、あなたはそれについて何を言いたいのかね。

Q:あなたが言っていることは理解できますが…

 理解は必要ない、それ以上の何かが必要だ。

 あなたがニューヨークにいて、私があなたにデリー行きの飛行機に乗り、デリーから他の飛行機でラクナウに行くようにと指示を与えるなら、何を理解することがある?

この理解は十分でない。あなたは飛行機に乗らなければならない。飛行機があなたを運ぶのだ。

Q:私はそれをやっているのです。
 
する必要はない。飛行機の上で何をするのかね。飛行機を押すのかね?(笑う)ただ静かにしていなさい。飛行機の中でさえこれが言われている。「座って、シートベルトを締めて下さい。」それだけだ。

 飛行機を押すのかね? ただ静かにしていなさい。ひとりでにそれは動いて、食事でさえ運ばれて来る。これが私の意味するところだ。努力しないこと。

 あなたを連れていくのはパイロットで、あなたはパイロットに助言したりできないし、操縦室に入ることさえ許されない。

 静かにしているということは、どこから思考がやって来るのか見ているということだ。この観察が日本語に訳されて、「私は誰か」になる。マインドの内側で「私は誰か」たずねなさい。これも又、観察だ。

 「私」の源を見つけることと、どこから思考がやって来るか見つけることには違いがない。ただ観察すること、警戒していなさい、努力しないこと。

Q:静かにしているときでも、まだ、個別な「私」という感覚があります。

 静かにしているとき、静かにしている「誰か」を見つける。この「私」が観察されねばならない。どこからやって来るのか?

 どこからこの個的な「私」がやって来るのか? 見なさい。何が見えるか言ってごらん。これは非常によい質問で理解ではなく経験が必要だ。だから、「私」を見つめて、それがどこからやって来るか見つけなさい。

 何が見えるか言ってごらん? 観察者や観察されるものは見えないはずだ。個人という個別性が「どこから」やって来るのか集中して見なさい。何が見えるかね?

Q:今はなにも見えませんが、何かが飛び上がろうと待っているような感じです。

 もう一度、何が飛び上がろうと待っているのか観察しなければならない。再び「私」。もう一度それを観察しなさい。やりなさい。すぐにやりなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

768鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/21(水) 22:35:05 ID:1d4drIFg0
本当に思考の源にまで達したならば無ということはないのじゃ。
そこにアートマンはあるじゃろう。
アートマンがあればブラフマンもあり全てが在るのじゃ。
それがわからないならば実際に達しては居ないのじゃ。
推測で観念遊戯をしているだけなのじゃ。
実践がすべてなのじゃ。

769避難民のマジレスさん:2019/08/22(木) 02:44:46 ID:LC3de7YgO
>>767
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-b

真我探求についての疑問を取り除く

Q:努力なしで観察するようにあなたは言いますが、観察するのを忘れないように
努力しなければなりません。さもないと、私の思考の中で再び見失ってしまいます。

 あなたの鼻を見るのにどんな努力がいるかね。大変近くにあるものを見るのに努
力は必要ない。遠い所にあるものを見るには努力が必要だ。

 さて、問題は、あなたは自分自身を、あなた自身のハートを、あなた自身の美を
、探すことだ。それは、あなたの目の網膜を探しているようなものだ。あなたの網
膜を見るのにどんな努力がいるのかね。

Q:不可能です。

 不可能、そうだ。網膜でさえ離れていく。「それ」は網膜の以前にある。これが
網膜が見ることを可能にする。だから、網膜が「それ」を見るのは不可能だという
ことだ。

 それでは、私は静かにしていなさいと言おう。 「それ」を通して見たり、聞い
たりすることができる「それ」を見るために何ができると言うのか。「それ」は見
ることができない。 ただ意識としてありなさい。どんな努力が必要かね?

海の中では波であらねばならない。波を立たせなさい。波はまだ海の一部だ。波
が立つとき、波は海からどれくらい遠くに離れているかね? 波は海の一部だ。海
があるなら、波があるはずだ。

 あなたが質問する前に私は話したくないから、他の質問があるなら質問しなさい。

Q:私がやっている禅の訓練で、静かにすることができますが私の内と、私の周り
に何が起こっているか、気がつくに従って、頭と心臓に、ひどい圧迫感が感じられ
ます。

 しかし、禅の修業での観察者はどうなったのか? 私は観察者を観察しなさいと
いっているのだ!!観察者が観察されねばならない。今、私は観察者を観察するよ
うに言っているが、これをするのにどんな努力が必要かね?
 観察者を観察したらどんな報酬が得られるか? その結果は何か?

 これをするには、あなたの顔を内側にむけて観察者を対象にして超意識にこの観察
者を見てもらおう。たとえこれを理解しようとしてもこの理解は「それ」を理解す
ることはできない。
これは決して理解できない。理解は主体と対象との間に起こるものだ。マインドか
ら対象を消してしまったら何を理解することができるかね。どうするのかね。

 修業するということは、いつも対象と関わりあっているということで、これはど
んな成果もえられないだろう。だから、静かにしていなさいと言っているのだ。そ
れはひとりでに明らかになる。ただ思考が通過するのを見て、それがどこからやっ
て来て、どこへ行くのか見ていなさい。

 あなたは証人として残る、単なる証人、何が起こっても証人として見ていなさい。
どんな状況も良きにつけ悪しきにつけ、やって来て、去って行く、決して滞まらな
い。

 ただ観察していなさい。良い状況がやって来ても滞まって去って行く。やっても
来ないし、去ることもないのが証人だ。それをどうして見るのかね。どのようにし
て証人を目撃するのかね。どのようにして観察者を観察するのかね。

Q:意識として居るだけです。
 
 そうだ、それでよいのだ。私はカビールの話を思い出した。

 カビールが家から出たとたん、二人の男が争っているのを見た。警察がやって来
て、二人を逮捕した。1人の男は「彼が先に私を襲ったのだ」と語り、他の男も同
じことを言った。それで二人とも裁判にかけられた。しかし、裁判所は証人なしで
は判決を下すことはできない。

 その時警官は言った。「カビールだけがそこにいて、この男が他の男の腕を切っ
たのを見ていた。」カビールは裁判所に呼ばれ、裁判長はカビールにたずねた。
 
 「あなたはそこに居たのか?」
 「はい、私はそこに居ました。」 
 「何を見たのかね、誰が誰を先に攻撃したのかね。」
 
 カビールはこう言った、「見たそれは、話すことができず、話すそれは、見るこ
とができません。」

 どういう意味か裁判長は困った、それは一体どういう意味なのか、目は見たが目
は話すことができない。舌は話すが見ることはできない。(くすくす笑い)このよ
うに目は証人として話すことはできない。

 一方、舌は話すけれども見なかったので、舌の言うことを信じることはできない。
裁判長は非常に困って二人とも釈放した。

 このように、あなたは証人だが話すことはできない。

Q:(笑って)考えることもできない。

 そうだ、あなたが見る時、あなたが証人となるが見たことを話す事ができない。
これは本当に冗談だね。
(´・(ェ)・`)つ

770鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/22(木) 23:21:10 ID:1d4drIFg0
禅は集中の瞑想であるから観察が無いのじゃ。
観察によって人は悟りを得るのじゃ。
自然に観察できるまで待つのでは稀にしか悟れないのじゃ。
集中と観察を習って速やかに悟りにいたれるのじゃ。

771避難民のマジレスさん:2019/08/23(金) 05:32:00 ID:LC3de7YgO
>>769
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-c

真我探求についての疑問を取り除く

Q:私は障害を取り除きたい。
真我に降伏したい。
私はエゴの為に謙虚ではありません。
どうか、あなたの火で私の蝋燭に火を付けて下さい。
 
 あなたはエゴについて話している。
全ての人がエゴが好きだが、あなたはそれを失くそうとし始めた。
あなたは一生懸命努力した。

 しかし、これは、エゴをマッサージしているようなものだ。
人が行う全てのことはエゴを大きくするだけだ。
しかし、これは、幸福である為のやり方ではない。

 幸福というのは、あなたの平和を危険にさらすものから遠ざかっていくとい
うことだ。
だから、私は毎日みんなに、ただ、どこから思考がやって来るか見つけだしな
さいと言っているのだ。
 
 「私がこれを、又は、この人を手に入れたら幸福になるだろう」これはエゴ
のごまかしだ。
この世界では誰もあなたに幸福を与えることはできない。

 幸福である為には、静かにしていることだ。
どんな関係もあなたに幸福を与えることはできない。
愛する人でさえもあなたに幸福を与えることはできない。
彼らはあなたの血を吸って生き、血がなくなるとあなたを見ることもない。
これが世界のありようだ。

 この人生でそれに気づくなら自由を勝ち得るチャンスがある。
この為にここにやって来たのだ。
ついに、あなたはここにやって来た。
サットサンガに参加できる幸運と知性を持った人間としてついにここにやって
来た。

 あなたがしなければならないことは、エゴがやって来たらその根を断ち切っ
て静かにしていることだと明確に理解することだ。
今、それを求めてそれをするのだ。
挫けないこと。

 何が起こっているかただ見ていること、誰が永遠にあなたのそばにいて逃げ
出さないか見分けなさい。
あなたの周りの人はみんな逃げ出すだろう。

Q:私がリシケシにいるとき、多くの人からあなたのことを聞きました。
それでラクナウにやって来ました。
最初のサットサンガで人々がどんな経験をしているのか、知って驚きました。
真我探求が思考と感情に同一化するのを止めることができると知ったからです。
 
 そうだ、毎日彼らは彼らの経験について話している。
驚くことはない。
何か新鮮で新しいものを最初に見た時は経験であるに違いない。
結婚式の後の夜は経験ではないかね?

 しかし、あなたの顔つき、目つき、話からして、あなたはこの経験をしたこ
とがないのを示している。
あなたの顔を見てごらん。

 この経験はその人の全存在を、内も外も変えてしまうので声や肉体でさえも
その人の経験の状態を示すものだ。
いつかあなたも又これを味わうだろう。

 あなたの宿題が終わり質問がなくなったとき、この経験が起こる。

Q:思考と感情に同一化するのを止める方法を教えて下さい。
 
 もう一度言おう。
真我探求によってだ。全てが止まる。
「私は誰か」と真我探求すると全てが止まる。
ただ静かにしていなさい。瞑想をやめて、瞑想者を見つけなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

772鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/23(金) 22:16:46 ID:1d4drIFg0
純粋にひたすらにアートマンを追求するのがアートマンの法なのじゃ。
その他のことはアートマンの法には必要ないのじゃ。
アートマンが実現すれば全ての厭離は達成されるのじゃ。
大きな樹の幹を切れば、全ての枝も地面に落ちるようなものじゃ。
瑣末な技は捨てて本道を進むが善いのじゃ。


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