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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

1避難民のマジレスさん:2018/07/07(土) 12:47:05 ID:GOHu/WSs0
前スレ:鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619

2避難民のマジレスさん:2018/07/07(土) 12:54:48 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】(つづき)

 質問者 私たちはいわゆる霊的成長を観察することができます。ひとりの利
 己的な人が宗教的になり、己を制御し、思考と感情を改め、霊的修
 行をおさめて真我を実現します。このような進歩は因果律に支配さ
 れているのでしょうか? あるいはただの偶然なのでしょうか?
 マハラジ
 私の視点から見れば、すべてはひとりでに起こる。
 まったく自発的に。
 だが、人はある動機のために、目的に向かって働いていると想像する。
 彼はつねに見返りを考えて、そのために闘うのだ。
 質問者 粗野で未発達な者は、見返りなしには働きません。彼に動機を与え
 ることは間違いでしょうか?
 マハラジ
 どちらにしても、彼は自分のための見返りを見つけだすだろう。
 彼は成長することが意識の本性だということを知らない。
 動機から動機へと移行し、自分の欲望を満たすためにグルたちを追いかけ回
 すのだ。
 存在の法則によって源へと戻る道を見いだしたとき、彼はすべてを放棄する。
 なぜなら、世界への興味はもはやなくなっているからだ。
 彼は何も欲しない。
 他者からも、彼自身からも。
 彼はすべてに対して死に、すべてとなる。
 何も望まず、何もしない。
 これが真の創造だ!
 自分のハートのなかで宇宙が現れては消え去るのを見ることは驚きだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

3鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/07(土) 22:59:46 ID:1d4drIFg0
真の悟りへの道は一人一人の人の意志に任されているが、それもまた必然なのじゃ。
老病死の苦があれば永遠の安楽に惹かれていくものであるからのう。
全ての者は目覚め、死んで全てになるのじゃ。

4避難民のマジレスさん:2018/07/08(日) 07:12:45 ID:LC3de7YgO
>>2
『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】(つづき)

 質問者 内なる努力への大きな障害は退屈です。弟子は退屈してしまうので
 す。
 マハラジ
 怠惰(タマス)と落ち着きのなさ(ラジャス)はともに作用し、明晰と調和
 (サットヴァ)を引き下ろす。
 タマスとラジャスはサットヴァが現れる前に征服されなければならない。
 それはやがて当然の成り行きとして、まったく自然に現れるだろう。
 質問者 そのとき、努力は必要なくなるのでしょうか?
 マハラジ
 努力が必要となるときは、努力が現れるだろう。
 努力を要しないことが本質的となったときは、それが現れるだろう。
 あなたが生を推し進める必要はない。
 ただそれとともに流れなさい。
 そして現在の瞬間の仕事に完全に自分を捧げなさい。
 それが現在において、今死ぬということだ。
 なぜなら生きることは、死ぬことだからだ。
 死なしに生はありえない。
 要点をつかみなさい。
 世界と自分はひとつであり、完全なのだということを。
 誤りはあなたの姿勢にあり、そこに再調整の必要があるのだ。
 この再調整の過程があなたの言うサーダナだ。
 怠惰に終わりを告げ、明晰性と慈愛のためにすべてのエネルギーを使って道
 を整えることで、あなたはそこにたどり着く。
 しかし実際には、それらはすべて必然的な成長の兆候なのだ。
 恐れてはならない。
 抵抗してはならない。
 先延ばしにしてはならない。
 あなたのままでありなさい。
 恐れることは何もない。
 信頼し、試みなさい。
 誠実に試みなさい。
 あなたの真我に、あなたの人生を形づくる機会を与えなさい。
 けっして後悔しないだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

5避難民のマジレスさん:2018/07/08(日) 07:22:06 ID:LC3de7YgO
>>4
うむ。
現在の瞬間の仕事に完全に自分を捧げることが、常に自覚的であることが修行でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

6鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/08(日) 22:45:42 ID:1d4drIFg0
退屈と思っているのは実際は恐れからの逃避が原因なのじゃ。
逃避しているからいつもと同じ観念しか観えないのじゃ。
逃避が観られれば恐れも超えて進むことができるのじゃ。

7避難民のマジレスさん:2018/07/09(月) 19:18:29 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】

 質問者 私はスウェーデンで生まれました。現在はメキシコとアメリカでヨ
 ーガを教えています。
 マハラジ
 どこで学んだのかね?
 質問者 アメリカに住むインドの聖者(スワミ)からです。
 マハラジ
 それはあなたに何を与えたのだろうか?
 質問者 健康と生活の糧(かて)です。
 マハラジ
 それはいいことだ。
 それがあなたの求めるすべてだろうか?
 質問者 私が求めているのはマインドの平和です。キリストの名のもとに、
 いわゆるキリスト教徒がしてきた残酷なことのすべてに嫌気(いや
 け)がさしてしまったのです。ある期間、私は宗教なしで過ごしま
 した。それからヨーガに魅せられたのです。
 マハラジ
 あなたが得たものは何だろうか?
 質問者 ヨーガの哲学を学んだことが助けになりました。
 マハラジ
 どのような形でそれがあなたを助けたのかね?
 何をもってあなたは助けられたと結論を出すのだろうか?
 質問者 健康はその明白なしるしです。
 マハラジ
 健康であることは、疑いなく喜ばしいことだ。
 その喜びはあなたがヨーガから求めたすべてだろうか?
 質問者 健康による喜びはハタ・ヨーガからの報酬です。しかし、概してヨ
 ーガはそれ以上をもたらします。
 マハラジ
 ヨーガということで、あなたは何を意味しているのだろう?
 質問者 進化、輪廻(りんね)、カルマ等々、といったインドの教えの全体
 です。
 マハラジ
 よろしい。
 あなたは求めていたすべての知識を得た。
 だが、それによってどのような恩恵を得たのだろう?
 質問者 それは私にマインドの平和をくれました。
 マハラジ
 そうだろうか?
 あなたのマインドは平和だろうか?
 あなたの探求は終わったのかね?
 質問者 いいえ、まだです。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 それに終わりは来ないだろう。
 なぜなら、マインドの平和というものは存在しないからだ。
 マインドとは不安、落ち着きのなさそのものなのだ。
 ヨーガとはマインドの属性ではなく、マインドの状態でもない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

8鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/09(月) 22:02:23 ID:1d4drIFg0
思考や分別は常に観念に囚われているからそれに平和はないのじゃ。
観念から自分という謬見も起こり、欲も起こるのじゃ。
観念が無い時、思考も分別も智慧として本来の働きを取り戻すのじゃ。

9避難民のマジレスさん:2018/07/09(月) 22:35:35 ID:LC3de7YgO
記憶でない観念ってあるのでありましょうか?
記憶≒観念 であるのではないでしょうか?
観念でない思考、分別とは、どんなものでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

10避難民のマジレスさん:2018/07/10(火) 19:19:58 ID:LC3de7YgO
>>7
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 ある程度の平和はヨーガから引き出せたと思います。
 マハラジ
 綿密に調べてみなさい。
 そうすればマインドは騒然としていることがわかるだろう。
 それはときおり空白状態になるかもしれないが、それもひとときのことで、
 またいつもの落ち着きのなさに戻る。
 静かにさせられたマインドというのは平和なマインドではないのだ。
 あなたはマインドをなだめたいと言うが、マインドをなだめたいその人自身
 は平和なのだろうか?
 質問者 いいえ。私は平和ではありません。私はヨーガの助けを借りている
     のです。
 マハラジ
 あなたはそこに矛盾を見ないだろうか?
 もう何年もの間、あなたはマインドの平和を探してきた。
 それなのにあなたは見つけられなかった。
 本質的に落ち着きのないものを、平和にさせることはできないからだ。
 質問者 ある程度の改善はあります。
 マハラジ
 あなたが見いだしたという平和はとてももろいものだ。
 ちょっとしたことでそれは砕かれてしまうだろう。
 あなたの言う平和はただの不安の不在だ。
 それに本当の価値はない。
 真の平安は乱されることのないものだ。
 けっして揺らぐことのないマインドの平安が私にはある、とあなたに言える
 だろうか?
 質問者 私は努力しています。
 マハラジ
 努力もまた不安の一形態だ。
 質問者 では何が残されているのでしょうか?
 マハラジ
 自己を安心させる必要はない。
 自己とは平和そのものであり、安らいでいるのではない。
 ただマインドにだけ落ち着きがないのだ。
 マインドが知っているのは、数多くの気分と異なった程度の落ち着きのなさ
 だ。
 心地よさが優れ、苦痛は劣っていると考えられる。
 私たちが進歩と呼ぶものは、ただ不快から快適への変化にすぎない。
 しかし、変化そのものが不変へと私たちを導くことはできない。
 なぜなら、何であれはじまりがあることには終わりがあるからだ。
 実在にははじまりはない。
 ただ、それ自身をはじまりなく終わりなく、遍在し、万能で、不動のなかの
 発動力であり、永遠に不変なるものとして顕現するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

11鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/10(火) 22:01:50 ID:1d4drIFg0
>>9 無いのじゃ。
 観念は全て記憶に拠ってあるものじゃ。
 観念を追う限り過去の想いを追うことになるのじゃ。
 それは苦を生み、今ここに居ることを忘れさせてしまうのじゃ。

12避難民のマジレスさん:2018/07/10(火) 22:19:34 ID:LC3de7YgO
>>11
で、ありますよね。
で、記憶に基づかなくても、思考ってできるのでありましょうか?
思考の要素=情報は全て記憶の中にあり。
それを組み立てる、文法も記憶の中にあり。
それを比較するのにも、記憶が必要になると思うのでありますが、

もしかしたら、あるがままに受けとめる。
比較しない。
そのようなありよう自体のことを指して非観念的な「思考」というのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

13避難民のマジレスさん:2018/07/11(水) 20:38:22 ID:LC3de7YgO
>>10
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 では、何ができるというのでしょうか?
 マハラジ
 ヨーガを通してあなたは知識と体験を蓄積してきた。
 それは否定できないことだ。
 だが、それらすべてがあなたにとって何だというのだろう?
 ヨーガとは統合、結合を意味する。
 あなたは何を再統合し、再結合したのだろうか?
 質問者 わたしは人格を真我に再結合しようと試みているのです。
 マハラジ
 人格(ヴィヤクティ)は想像の産物にすぎない。
 自己(ヴィヤクタ)はこの想像の犠牲となっている。
 あなたではないものを、あなた自身と見なすことが束縛するのだ。
 個人はそれ自体で独自に存在できない。
 個人というものが在ると信じ、個人としての存在を意識しているのは自己な
 のだ。
 すべての原因なき原因である非顕現(アヴィヤクタ)は、自己(ヴィヤクタ)
 の彼方に在る。
 個人を真我と再結合するということさえ正しいとは言えない。
 なぜなら、個人というものは存在しないからだ。
 ただ精神的画像が偽りの実在を与えただけだ。
 何も分割されたものはなく、統合すべきものもない。
 質問者 ヨーガは真我の探求とその発見を助けます。
 マハラジ
 あなたが失ったものは見つけることができる。
 だが、失わなかったものを見つけることはできないのだ。
 質問者 何も失っていないのならば、私は悟っていたでしょう。しかし、私
 は悟ってはいません。私の探求そのものが、何かを失ったことの証
 拠ではないでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたが失ったと信じていることを意味するだけだ。
 だが、信じているのは誰だろうか?
 そして何を失ったと信じるのだろう?
 誰かあなたのような人を失ったと言えるのだろうか?
 あなたの探している自己とはいったい何だろうか?
 何をあなたは見いだすと期待しているのだろう?
 質問者 真の自己知識です。
 マハラジ
 真の自己知識は知識などではない。
 それは探求によって、あらゆるところを探すことによって見つけられるよう
 な何かではない。
 それは時間や空間のなかに見いだすものでもない。
 知識とは記憶にすぎない。
 思考のパターン、ひとつの精神的習慣にすぎない。
 これらすべては喜びと苦痛によって動機づけられている。
 あなたが知識を追求するのは喜びと苦痛によって駆りたてられているからだ。
 自分自身であるということは、すべての動機を完全に超えている。
 あなたは、何かの理由からあなた自身になることはできない。
 あなたはあなた自身なのだ。
 そしてそれには何の理由も必要ない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

14鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/11(水) 21:46:24 ID:1d4drIFg0
>>12 観念に拠らない思考は無いのじゃ。
 観念の無い時、思考も無いのじゃ。
 仏陀の智慧でさえも観念の中で働くものじゃ。
 知識とは記憶に過ぎないとマハラジも言っているのじゃ。
 智慧による思考も記憶によって働くものなのじゃ。

15避難民のマジレスさん:2018/07/11(水) 22:07:44 ID:LC3de7YgO
>>14
うむ。
で、ありますね。

悟りとは、観念のない状態であり、
けど、観念を使うことも、できると言うことでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

16避難民のマジレスさん:2018/07/12(木) 16:09:59 ID:LC3de7YgO
>>13
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 ヨーガを通して私は平和を見いだすでしょう。
 マハラジ
 平和があなたを離れて存在するだろうか?
 あなたは自分自身の体験から話しているのか、それともただ本からだろうか?
 あなたの本による知識は、初歩の段階では有用だ。
 だが、じきに直接体験のために捨て去らなければならなくなる。
 その体験はその本性からして表現不可能なものなのだ。
 言葉は破壊のためにも用いられる。
 言葉のイメージが構築され、言葉によってそれは破壊される。
 あなたは言語的思考によって現在の状態に陥った。
 あなたは同じ道を通って脱出しなければならないのだ。
 質問者 ある程度の内的平和に私は到達したのです。それを破壊するのです
 か?
 マハラジ
 到達されたものはふたたび失われるかもしれない。
 ただ、あなたがけっして失うことのなかった真の平和を実現したときだけ、
 その平和はあなたとともに残るだろう。
 それは一度も去ったことはなかったのだ。
 あなたのもっていないものを探すよりも、あなたがけっして失わなかったも
 のとは何かを見つけなさい。
 すべてのはじまる以前、すべての終わった後に存在するもの、不死、不生の
 ものだ。
 身体やマインドの生死に影響されない、不動なる状態、あなたはそれを知覚
 しなければならない。
 質問者 そのような知覚を得る方法は、何でしょうか?
 マハラジ
 生のなかでは障害を乗り越えずに得ることのできるものはない。
 真我の明確な知覚を妨げるのは、快楽への欲望と苦痛への恐れなのだ。
 快楽、苦痛という動機が道を阻(はば)んでいる。
 すべての動機から自由で、何の欲望も立ち現れない状態が自然な状態なのだ。
(´・(ェ)・`)              (つづく)

17鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/12(木) 22:42:57 ID:1d4drIFg0
>>15 そうじゃ、自在なのじゃ。

修業の途中でサマーディ等に至るとそれに囚われてしまうこともあるものじゃ。
それもまた死によって失われるものであり、永遠ではないのじゃ。
死を超える境地に至るまで精進し続けることが大事なのじゃ。

18避難民のマジレスさん:2018/07/14(土) 10:37:42 ID:LC3de7YgO
>>16
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 そのような欲望をあきらめるには、時間が必要ではありませんか?
 マハラジ
 もしあなたが時間にまかせるならば、何百万年もが必要になろう。
 欲望をひとつひとつあきらめていくことは、果てしない過程となる。
 欲望と恐れは捨て置き、欲望と恐れの背後にある主体に注意を向けなさい。
 「誰が望んでいるのか?」と問いただしなさい。
 欲望が起こるたびに、あなた自身へ注意を戻しなさい。
 質問者 欲望と恐れの根は同じ、幸福への切望です。
 マハラジ
 あなたが望む幸福はただの身体的、あるいは精神的満足にすぎない。
 そのような感覚的、あるいは精神的快楽は真の、絶対の幸福ではない。
 質問者 たとえ身体的、精神的健康とともに現れる感覚的、精神的快楽であ
 っても、それらはその根を実在のなかにもっているはずです。
 マハラジ
 それらはその根を想像のなかにもっているのだ。

 石をもらい、それが非常に貴重なダイヤモンドだと確信させられた人は、そ
 れが間違いだったと悟るまではひどく喜ぶことだろう。
 同様に、真我が知られたとき、快楽はその味を失い、苦痛はその刺を失う。
 どちらもあるがままに、条件づけの感応、ただの反応、好感と反感、記憶と
 先入観に基づいたものとして見られるのだ。
 普通、快楽と苦痛は期待されたとき体験するものだ。
 それはすべて習得された習慣と確信の問題だ。
 質問者 なるほど、快楽は想像上のものかもしれません。しかし苦痛は現実
 です。
 マハラジ
 苦痛と快楽はともに手を携えていくものだ。
 一方からの自由はその両方からの自由を意味する。
 もし快楽を気にかけなければ、苦痛を恐れることはないだろう。
 だが、そのどちらでもなく、両方を完全に超えている幸福がある。
 あなたの知っている幸福は、表現可能
で予測できる、言ってみれば客観的な
 ものだ。
 しかし、客観的なものは、あなたのものではありえない。
 外的なものと自己を同一視することは悲惨な過ちだ。
 異なったレベルのものを混同しても、どこにも到達しない。
 実在は主観、客観を超え、すべてのレベル、あらゆる区別を超えている。
 もっとも明確なことは、実在は苦痛と快楽の源泉でも、原因でも、根源でも
 ないということだ。
 それらは存在と非存在を超えた表現不可能な実在そのものからではなく、実
 在についての無知からやってくるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

19鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/14(土) 22:29:51 ID:1d4drIFg0
全ての煩悩や欲望を滅していくのはとほうもない時間がかかるじゃろう。
唯一つの自分を観察できれば全ての煩悩や欲も消え去るのじゃ。
それが全ての目覚めた者が辿った真の道なのじゃ。
ただひたすらに自分を追求するのじゃ。

20避難民のマジレスさん:2018/07/15(日) 06:29:13 ID:LC3de7YgO
>>18
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 たくさんの師にしたがい、多くの教義を学びましたが、何ひとつ私
 の望んだものを与えてくれたものはありませんでした。
 マハラジ
 もしあなたが何もほかのものを求めなければ、自己を見いだすという欲望は
 かならず満たされるだろう。
 しかし、あなたは自分に正直でなければならず、本当にほかに何も求めては
 ならないのだ。
 もしあなたがほかに多くのものごとを求め、それらの追求に関わっていたな
 ら、あなたがより懸命になり、矛盾した衝動に引き裂かれることをやめるま
 で、本来の目的は先延ばしにされるだろう。
 内側に入っていきなさい。
 けっしてそれることなく、けっして外側を見ることなく。
 質問者 しかし、それでも私の欲望と恐れは依然そこにあるのです。
 マハラジ
 それらはあなたの記憶以外のどこにあろう?
 それらの根は記憶から生じた期待のなかにあるのだと悟りなさい。
 そうすれば、それらがあなたにつきまとうことはないだろう。
 質問者 社会奉仕はきりのない仕事なのだと、よくよく理解しました。なぜ
 なら改善と堕落、進展と退行が肩を並べていくからです。私たちに
 はそれがあらゆる段階のすべての面にあることがわかります。だと
 すれば、最後に残るのは何なのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ、あなたが着手した仕事を完成させなさい。
 状況が明らかに苦しみと苦しみからの救済を求めるかぎりは、新しい仕事に
 手を着けてはならない。
 まずあなた自身を見いだしなさい。
 そうすれば、かぎりない祝福が続くだろう。
 利益を放棄することほど世界に利益をもたらすことはない。
 もはや損得でものごとを考えない人は、真に非暴力的な人だ。
 なぜなら、彼はすべての葛藤(かっとう)を超えているからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

21鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/15(日) 21:52:00 ID:1d4drIFg0
真の目覚めた導師は常に同じことを言っているのじゃ。
自分の心を見つめ、自分を見るのじゃ、と教えているのじゃ。
それ以外に悟りへの道は無いのじゃ。
方法はそれぞれ違うかも知れんが目的は、自分の心にある自分を観ることだけなのじゃ。 
その実践をするならば多くの師匠も要らないのじゃ。

22避難民のマジレスさん:2018/07/16(月) 08:58:26 ID:LC3de7YgO
>>20
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 そうです。私はつねにアヒンサー(非暴力)の考えに魅了されてき
 ました。
 マハラジ
 本来、アヒンサーは「傷つけてはならない」という意味だ。
 善を行うことがはじめに来るのではなく、傷つけるのをやめ、苦しみを加え
 ないということなのだ。
 他者を喜ばせることがアヒンサーなのではない。
 質問者 私は喜ばせることを話していたわけではありません。他者を助ける
 ことを思っているのです。
 マハラジ
 与える価値のある唯一の助けとは、さらなる助けの必要性からの自由にある。
 繰り返される援助は、まったく助けになっていない。
 他者が援助の必要性を超える地点にあなたが連れていくまでは、他者を助け
 る話はしない方がいい。
 質問者 どのようにして援助の必要性を超えるのでしょうか? そして人は
 他者がそうするのを助けることができるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての存在は分離と限界のなかにあり、苦痛に満ちていると理解したとき、
 そして、あなたが純粋な存在として、すべての生命と「ひとつであること」
 のなかに完成されて生きようとする意志をもったとき、あなたはすべての助
 けの必要性を超えたのだ。
 あなたは規範と実例によって、とりわけあなたの存在によって、他者を助け
 ることができる。
 あなたがもっていないものを与えることはできないし、あなたは、あなたで
 ないものはもっていないのだ。
 あなたであるものしか与えることはできない。
 そしてそれは、あなたがかぎりなく与えられるものなのだ。
 質問者 しかし、すべての存在は苦痛に満ちているというのは本当でしょう
 か?
 マハラジ
 この世界的な快楽の探求の原因が、何かほかにあるだろうか?
 幸せな人が幸せを探すだろうか?
 なんと人びとは落ち着かないのだろう!
 なんとつねに動きまわっているのだろうか!
 彼らは苦痛のなかにいるから快楽のなかに解放を探しているのだ。
 彼らが想像できうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

23鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/16(月) 22:31:35 ID:1d4drIFg0
真の幸福に在る者はもはや快楽など必要は無いのじゃ。
苦痛のある人間が一時的に苦痛を忘れるために快楽を求めるのじゃ。
そして快楽に囚われて更に苦を受けてしまうのじゃ。
快楽を求めて苦を受けるのは実に愚かなことじゃ。
その繰り返しが大抵の者の人生となるのじゃ。

24避難民のマジレスさん:2018/07/17(火) 18:46:53 ID:LC3de7YgO
>>22
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 もし私が自分自身と見なしている個人が幸福になれないのなら、ど
 うすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 現在のあなたとしての在り方をやめるだけだ。
 私の言うことは何も残酷なことではない。
 悪夢から人を目覚めさすことは慈悲だ。
 あなたは苦痛で苦しんでいるために、ここに来たのだ。
 そして、私が言えることは、「目覚めなさい。あなた自身を知りなさい。あ
 なた自身で在りなさい」ということだけだ。
 苦痛の終焉(しゅうえん)は、快楽のなかにはない。
 あなたが自分を苦痛も快楽も超えたものだと、超然として屈することなく気
 づくとき、幸福を追求することはやみ、結果として悲しみも消え去る。
 なぜなら、苦痛は快楽の後を追い、快楽は容赦なく苦痛に終わるからだ。
 質問者 究極の状態では、幸福もありえないのでしょうか?
 マハラジ
 不幸もまたありえない。
 ただ自由だけがある。
 幸福は何かに依存し、やがて消え去る。
 すべてからの自由は何にも依存せず、失われることはない。
 不幸からの自由には原因がなく、それゆえ破壊されない。
 その自由を実現しなさい。
 質問者 私は過去の結果として苦しむために生まれたのではないでしょうか?
 自由を得ることは本当に可能なのでしょうか? 私は自分の意志で
 生まれたのでしょうか? 私はただの創造物なのではないでしょう
 か?
 マハラジ
 誕生と死は、意識内の一連の出来事のはじまりと終わりにすぎない。
 分離と限界という観念のために、それらは苦痛となるのだ。
 苦痛からの一時的な解放を、私たちは快楽と呼ぶ。
 そして、いわゆる幸福と呼ばれる終わりなき快楽を期待して、私たちは空中
 に城を築くのだ。
 それはみな誤解であり、誤用だ。
 目を覚ましなさい。
 それらを超えていきなさい。
 真に生きはじめなさい。
 質問者 私の知識はかぎられ、力は取るに足らないのです。
 マハラジ
 自己は知識と力の両方の源であり、またそれらを超えている。
 観察可能なものはマインドのなかにある。
 自己の本性は純粋な気づき、純粋な観照であり、知識の存在や不在に影響さ
 れることはない。
 この身体の誕生と死の外に、あなたの存在を置きなさい。
 そうすれば、あなたの問題は解決するだろう。
 それらの問題が存在するのは、あなたは死ぬために生まれてきたと信じてい
 るからだ。
 迷いから覚め、自由になりなさい。
 あなたは個人ではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

25鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/17(火) 23:17:35 ID:1d4drIFg0
個人としての永遠の幸福はありえないのじゃ。
個人を捨ててこそ永遠の幸福は在るものじゃ。
味わう主体さえない幸福は個人を超えたところに在るのじゃ。

26避難民のマジレスさん:2018/07/18(水) 05:34:46 ID:LC3de7YgO
1『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】

 質問者 どの面から見ても、欲望とその傾向からの自由が真我実
 現の第一条件だというお話ですが、この条件を満たすの
 は不可能に見えます。自己の無知は欲望を起こし、欲望
 が無知を永続させます。本当に悪循環です。
 マハラジ
 満たさなければならない条件などない。
 するべきこともなければ、あきらめることもない。
 ただ見て、そして覚えておきなさい。
 何であれあなたが知覚するものは、あなたでも、あなたのもので
 もないのだ。
 それは意識の領域内に在る。
 だが、あなたは領域でも、その内容でも、領域を知る者でさえな
 い。
 何かをしなければならないという観念が、努力の結果のなかへと
 あなたを巻き込むのだ。
 動機、欲望、目標達成の失敗、挫折感……これらすべてがあなた
 を引き止める。
 何が起ころうと、だた見守りなさい。
 そしてあなたはそれを超えて在る、ということを知りなさい。
 質問者 それはつまり、私が何かをすることを慎むべきだという
 ことでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたにはできない!
 何であれ起こっていることは、続いていかなければならない。
 もし突然あなたが止まったら、衝突してしまうだろう。
 質問者 それは知られるものと知る者がひとつになるという問題
 でしょうか?
 マハラジ
 どちらもマインドのなかの観念であり、それらを表現する言葉だ。
 それらのなかに真我はない。
 真我はその合間にも、その彼方にもない。
 精神的レベルのなかに真我を探し求めるのは不毛なことだ。
 探求をやめなさい。
 そして見なさい。
 それは今ここに在る。
 あなたも承知のように、それは「私は在る」なのだ。
 あなたがすべきことは、自分自身を意識の領域内に在るものと見
 なすことをやめることだけだ。
 この問題についてあなたが熟考しないかぎり、私から一度聞いた
 だけではだめだろう。
 過去の体験や達成を忘れ、人生の雨風に裸でさらされて立つがい
 い。
 そうすれば、あなたにもチャンスがあるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

27鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/18(水) 22:33:18 ID:1d4drIFg0
何かをしようとすると記憶が働き、自我も起こってしまうものじゃ。
何もせずただありのままにあることで真の大悟は訪れるのじゃ。
そのようにして自我も居らず、記憶も働かない真の意識にとどまることが出来るのじゃ。
観念の自我も、能力である記憶も主体ではなく、個我はなかったと気づくのじゃ。

28素人A:2018/07/18(水) 23:17:19 ID:gxsfDx0o0
鬼和尚さんは身代わりロボットは仏はホットケと言われるけど
僧でない我々我が身は面倒でも面倒見なければ成らないし、いや本当は
面倒見られて日本の国の助け合いの糸が絡み合い苦しむ事が多いく楽しいも
あるけど何か愚痴やぐち家でまあ良い生き方を選択したのかズルズルとずるく
生きているのか?全体と部分でまあアートになるのだけど、兎に角有難う
ございます?義理でお礼いつているすいません。かつこ悪く生きていくしか無い
せめて自分を責めないで今の自分をアリの飯認めます

29避難民のマジレスさん:2018/07/19(木) 10:12:32 ID:LC3de7YgO
>>26
『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】(つづき)

 質問者 あなたの教えのなかに献身(バクティ)はありますか?
 マハラジ
 身体がすぐれないとき、あなたは病名と治療法を告げてくれる医
 者のもとへ行くだろう。
 もしあなたが医者に信頼を置いているならば、順調にいく。
 薬を受け取り、食事制限にしたがって良くなることだろう。
 だが、あなたが彼を信頼しないときは、それでもやってみるかも
 しれない、あるいは自分で医学の勉強をするかもしれない。
 どちらにしても、回復への欲望があなたを突き動かすのだ。
 医師ではない。
 信頼なしに平和はない。
 つねに誰かしらにあなたは信頼を置く。
 母親か妻かもしれないが。
 あらゆる人のなかで、真我を悟った人がもっとも信頼に足る人だ。
 だが、ただの信頼では充分ではない。
 あなたは強く望まなければならない。
 自由への欲望なくして、自由を獲得できるという確信が何の役に
 立つというのか?
 欲望と確信はともに手と手を取り合って行かねばならない。
 欲望が強いほど、助けは難なくやってくる。
 最も偉大なグルも、弟子が学ぶことに熱心でなければ、まったく
 無力となる。
 熱心さと真剣さが重要なことのすべてだ。
 自信は体験とともにやってくるだろう。
 あなたが目的に対して献身的であれば、あなたを導く人への献身
 もそれにしたがってくるだろう。
 もし欲望と自信が強ければ、それらが作用し、あなたをゴールへ
 導くだろう。
 なぜならためらいや妥協による先送りをしないからだ。
 あなたの内なる真我が最も偉大なグルだ。
 本当に、彼が至高の師なのだ。
 彼だけがあなたを導くことができる。
 道の終にあなたが出会うのも彼だけだ。
 彼を信頼しなさい。
 そうすれば外側のグルは必要ない。
 しかしまた、彼を見いだすための強い欲望をもたねばならず、障
 害や遅れをつくり出すことを何もしてはならない。
 そして、後悔することにエネルギーと時間を浪費してはならない。
 過ちから学び、それらを繰り返してはならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

30避難民のマジレスさん:2018/07/19(木) 20:26:10 ID:LC3de7YgO
>>28
うむ。アリの飯 はありのまま、カエルのパパでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

31避難民のマジレスさん:2018/07/20(金) 17:42:39 ID:LC3de7YgO
>>29
『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】(つづき)

 質問者 個人的な質問をしてもかまわないでしょうか?
 マハラジ
 どうぞ、続けて。
 質問者 あなたはレイヨーの皮の上に座っていますが、それが非
 暴力と一致するのでしょうか?
 マハラジ
 私は人びとの健康を害する手助けをするタバコ職人として今まで
 働いてきた。
 その上、市の自治体は、私の家の前に公共のトイレを設けて、私
 の健康を害している。
 この暴力的な世界でなんらかの類の暴力をどうやって避けること
 ができようか?
 質問者 もちろん、避けられる暴力はすべて避けるべきです。そ
 れでも、インドではすべての聖者は虎やライオンやヒョ
 ウやレイヨーといった皮の上に座っています。
 マハラジ
 昔はビニールがなく、皮が湿気を防ぐのに最適だったのだろう。
 関節炎は聖者にとってもやっかいなものだ。
 このように、長時間の瞑想には皮が用いられたのだ。
 ヨギのレイヨーの皮は、寺院の太鼓の皮のようなものなのだ。
 私たちは気にかけることもない。
 質問者 しかし、動物は殺されなければなりません。
 マハラジ
 ヨーギは自分のために虎を殺したことなど聞いたこともない。
 殺す者はヨーギではなく、ヨーギは殺す者ではない。
 質問者 皮の上に座ることを拒否することで、あなたの不賛成を
 表現すべきではないでしょうか?
 マハラジ
 何という考えだ!
 私は世界全体を認めていないのに、なぜ皮だけ認めるのか?
 質問者 宇宙の何が間違いだというのでしょうか?
 マハラジ
 真我を忘れることは最大の損害だ。
 すべての災はそこからやってくる。
 最も重要なことの面倒を見なさい。
 それ以下のことはそれ自体が世話をするだろう。
 あなたは暗い部屋を片づけたりはしない。
 まず、窓を開ける。
 光をもたらすことがすべてを容易にするのだ。
 自分をあるがままに見ることで自分自身が変わるまでは、他者を
 改善することは待とうではないか。
 かぎりない質問で堂々巡りをする必要はない。
 あなた自身を見つけなさい。
 そうすれば、すべては正しい場所に落ち着くだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

32素人A:2018/07/20(金) 23:15:10 ID:gxsfDx0o0
答えを素人してシッタかぶりしても、そういう時玄人に黒だと言われて
眼を白黒するだけ 損なことだらけで今は今今しい空まあ良いか
洞窟の中で心沈めるサッカー少年もいるけど、それを退屈しのぎのテレビの
暇つぶしの我々、次は西日本豪雨のニュースがテレビて次々に観れる
どうせ助けられないのなら知らぬが仏なんだけど、次は野球みるか女の人は
ドラマみる普通の人は落ち着いて座れない。何かから逃げている

33鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/20(金) 23:45:10 ID:1d4drIFg0
非暴力は外に在るもので表現されるのではないのじゃ。
心の中にある慈悲によって表されるのじゃ。
外側を飾っても何の意味もないのじゃ。

34避難民のマジレスさん:2018/07/21(土) 12:34:54 ID:LC3de7YgO
>>31
『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】(つづき)

 質問者 源へ帰り着こうとする衝動はたいへんまれなことです。
 それは一体全体自然なことなのでしょうか?
 マハラジ
 はじめのうちは外向性が自然だが、最後には内向性が自然となる。
 しかし、息を吸うことと吐くことがひとつであるように、実在に
 おいてそれらはひとつなのだ。
 質問者 同じように、身体と身体に宿るものもひとつではないで
 しょうか?
 マハラジ
 時間と空間のなかの出来事、誕生と死、原因と結果――これらは
 ひとつであると見なされるだろう。
 だが、身体と身体に宿るものは同じ実在の理法上にはないのだ。
 身体は時間と空間のなかに存在する。
 はかなく、かぎりあるものだ。
 一方、身体に宿るものは時間と空間を超え、永遠で、普遍のもの
 だ。
 この二つを同一視することは悲惨な過ちであり、果てしない苦し
 みの原因だ。
 マインドと身体がひとつだと言うことはできる。
 だが、「身体―精神」は実在の基礎をなすものではないのだ。
 質問者 それが誰であろうとも、宿るものが身体をコントロール
 し、それゆえ責任があります。
 マハラジ
 普遍的力がコントロールをし、責任をもっているのだ。
 質問者 では、私は何でも好きなことをして、普遍的な力に避難
 を浴びせればいいということですか? なんと楽なこと
 でしょう!
 マハラジ
 そうだ。
 とても楽なのだ。
 すべての動きを司るものの存在を悟り、彼にすべてをまかせなさ
 い。
 もしあなたがためらわず、ごまかすこともなければ、これが真我
 の実現への最短の道だ。
 欲望と恐れなしにすべてのコントロールと責任を放棄しなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

35鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/21(土) 22:56:56 ID:1d4drIFg0
肉体は死によってなくなるが、意識は永遠にあるものじゃ。
それは時間の制約も、空間の制限も超えているのじゃ。
一切がそれであり、それ以外はないのじゃ。

36避難民のマジレスさん:2018/07/22(日) 09:11:31 ID:LC3de7YgO
>>34
『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】(つづき)

 質問者 何という狂気の沙汰でしょう!
 マハラジ
 そうだ。
 神聖な狂気だ。
 ただの幻想である個人的コントロールと、個人的責任を放棄する
 ことの何が悪いのだろうか?
 どちらもマインドのなかにあるだけだ。
 もちろん、あなたがコントロールを握っていると想像するかぎり
 は、あなたに責任があると想像するべきだ。
 その逆もまたしかりだ。
 質問者 普遍なるものが、どうして特定のものの責任をもてるの
 でしょうか?
 マハラジ
 地上のすべての生命は太陽に依存している。
 それが究極の原因だとしても、地上で起こることのすべてに関し
 て太陽を非難することはできない。
 花の色を表す原因は光にあるが、それはコントロールするわけで
 も、直接責任があるわけでもない。
 光はそれを可能にする、ただそれだけだ。
 質問者 私が嫌なのは、何か普遍的な力のなかに避難してしまう
 ことです。
 マハラジ
 事実に抗うことはできない。
 質問者 誰の事実でしょう? あなたの事実でしょうか、私の事
 実でしょうか?
 マハラジ
 あなたの事実だ。
 あなたに私の事実を否定することはできない。
 あなたはそれを知らないのだ。
 あなたが知っているなら、否定はしないだろう。
 問題はここにある。
 あなたは自分の想像を事実と見なし、私の事実を想像とみなして
 いるのだ。
 私はすべてがひとつだと知っている。
 相違が分離をもたらすことはないのだ。
 あなたには何の責任もないか、あるいはすべての責任があるか、
 どちらかだ。
 あなたがコントロールをしていると想像しながら、ひとつの身体
 のみの責任をとろうというのは「身体―精神」の逸脱だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

37鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/22(日) 23:40:54 ID:1d4drIFg0
悟っていない人間は観念と事実を区別できないのじゃ。
観念の世界を創り、その中に住んでいるのじゃ。
そこでは観念が現実であり、現実は観念としてのみ認識されているのじゃ。

38避難民のマジレスさん:2018/07/23(月) 10:03:16 ID:LC3de7YgO
>>36
『I AM THAT 私は在る』
【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】(つづき)

 質問者 それでもあなたは自分の身体に限定されています。
 マハラジ
 この身体に関係する物質のなかでだけだ。
 私はそれでかまわない。
 季節を耐え忍ぶようなものだ。
 それらは来ては去っていき、私は影響されない。
 同じように、「身体―精神」も来ては去っていく。
 生命は永遠に新しい表現を探しているのだ。
 質問者 あなたが悪のすべての重荷を神の背に担(かつ)がせな
 いかぎり、私は満足です。神は存在するのかもしれませ
 ん。しかし私にとって、神は人間のマインドによって投
 影されたひとつの理念です。あなたにとって神は実在か
 もしれません。でも、私にとっては社会のほうが神より
 も本物です。なぜなら、私がその創造者であり囚人でも
 あるからです。あなたの価値基準は智慧(ちえ)と慈悲
 です。社会の価値基準は賢い利己主義です。私はあなた
 とまったく異なった世界に住んでいるのです。
 マハラジ
 誰も強要してはいない。
 質問者 誰もあなたに強要してはいません。しかし、私は強要さ
 れているのです。私の世界は邪悪な世界で、涙と苦労と
 苦痛にあふれています。知的な解釈で弁明し、進化とカ
 ルマの理論を押しつけることは、ただ傷ついたものに屈
 辱を加えるようなものです。邪悪な世界の神は残酷な神
 です。
 マハラジ
 あなたがあなたの世界の神であり、愚かで残酷なのはあなたなの
 だ。
 神は概念であると言うならば、そう言うがいい。
 それはあなた自身の創造物なのだ。
 あなたが誰なのかを見いだしなさい。
 あなたがどのように生き、邪悪な世界で真実と善と美を熱望する
 ようになったのかを見いだしなさい。
 誰が神なのか、あなたが何を話しているのかをわかってもいない
 とき、神に対してのあなたの議論が何の役に立つというのだろう?
 恐れと期待から生まれ、欲望と想像から形づくられた神が、宇宙
 のマインドとハートである力のはずがない。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

39鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/23(月) 22:50:56 ID:1d4drIFg0
神も世界も人の観念により作られたものじゃ。
残酷な世界と神が居ると思うならばそれを創る自らの本心を観るべきなのじゃ。
そこには残酷な世界と神を作る働きと原因かあるじゃろう。
それが完全に観察できれば消えるのじや。

40避難民のマジレスさん:2018/07/24(火) 20:19:57 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】

 質問者 一千年前に、ある人が生き、そして死にました。彼のア
 イデンティティは新しい身体のなかにふたたび現れまし
 た。なぜ彼は前世を覚えていないのでしょうか? そし
 て覚えているとすれば、記憶が意識のなかに運びこまれ
 たのでしょうか?
 マハラジ
 同じ人が新しい身体に現れたと、どうして知ることができるのだ
 ろうか?
 新しい身体は、そのまま、まったく新しい人を意味するかもしれ
 ないのだ。
 質問者 ギー(インドの精錬されたバター)がポットに入ってい
 ると想像してください。ポットが壊れたとき、ギーは残
 り、新しいポットに移すことができます。古いポットは
 それ自体の匂いを、新しいポットもそれ自体の匂いをも
 っています。ギーは匂いをポットからポットへと運ぶで
 しょう。同じように、個人のアイデンティティも身体か
 ら身体へと移行されていくのです。
 マハラジ
 それはそのとおりだ。
 身体があるとき、その特質は個人に影響する。
 身体なしでは、私たちは「私は在る」という感覚のなかに純粋な
 アイデンティティをもつだけだ。
 だが、新しい身体の中に再誕生したとき、以前体験した世界はど
 こにあるのだろうか?
 質問者 それぞれの身体は、それ自体の世界を体験します。
 マハラジ
 新しい身体のなかで、古い身体はただの観念だろうか、それとも、
 記憶なのだろうか?
 質問者 もちろん、ひとつの観念です。体験しなかったことを、
 どうして脳が覚えていることができるでしょう?
 マハラジ
 あなたは自分の質問に、自分で答を出したのだ。
 なぜ観念をもてあそぶのかね?
 あなたが確信していることに満足するがいい。
 そして、あなたが確信をもてるたったひとつのことは、「私は在
 る」だ。
 それとともに在りなさい。
 そしてほかのすべてを拒絶しなさい。
 これがヨーガだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

41鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/24(火) 23:01:11 ID:1d4drIFg0
前の世があったとか、今の世が在るというのも観念なのじゃ。
個我である自分が在ると思うときだけ、生まれかわるものもあると認識してしまうのじゃ。
個我が無ければそれもまた幻想であったとわかるのじゃ。

42避難民のマジレスさん:2018/07/25(水) 15:11:00 ID:LC3de7YgO
>>40
1『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 私が拒絶できるのは言葉の上だけです。私にできること
 といえば、一定の決まり文句を繰り返すことぐらいです。
 「これは私ではない。これは私のものではない。私はこ
 れらすべてを超えたものだ」と。
 マハラジ
 充分だ。
 はじめは言葉で、それからマインドで、そして感情で、それから
 行為で。
 あなたの内なる実在に注意を払いなさい。
 そうすれば光に行き着くだろう。
 それはバターをつくるためにクリームをかきまわすようなものだ。
 正確に、誠実にやりなさい。
 そうすれば結果はかならずやってくる。
 質問者 絶対性がどうして過程の結果でありうるでしょうか?
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 相対性が絶対の結果をもたらすことはありえない。
 しかし、クリームを撹拌(かくはん)しないことがバターを分離
 から防ぐように、相対性は絶対性を妨げることができる。
 内面が外面を促し、外面は興味と努力によって反応する。
 その衝動をつくり出すのは実在だ。
 だが、究極的には内面も外面もない。
 意識の光が創造者と創造物、体験者と体験、身体とそれに宿るも
 のなのだ。
 これらすべてを投影する、その力に関心を持ちなさい。
 そうすれば、あなたの問題は終わりを告げるだろう。
 質問者 どれが投影する力なのでしょうか?
 マハラジ
 それは欲望によって促された想像だ。
 質問者 私はこのすべてを知ってはいますが、それに対して無力
 なのです。
 マハラジ
 それは結果を望むことから生まれた、あなたのもうひとつの幻想
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

43鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/25(水) 22:37:05 ID:1d4drIFg0
どれほど知識があっても実践しなければ無意味なのじゃ。
知ることで悟りは得られないのじゃ。
自己の本心を日々観察して実践するのじゃ。
クリームを毎日混ぜてバターを作るように、日々の実践で悟りもやってくるのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

44避難民のマジレスさん:2018/07/26(木) 08:21:05 ID:LC3de7YgO
>>42
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】

 質問者 目的意識をもった行為の何が間違っているのでしょうか?
 マハラジ
 それは適さないのだ。
 これらのことに目的や行為といった問題はない。
 あなたに必要なのは、聞くこと、覚えること、実行することだ。
 それは食事をするようなものだ。
 あなたのすべきことは、噛みつき、噛み砕き、飲みこむことだけ
 だ。
 消化や吸収のように、それ以外はすべて無意識で自動的なのだ。
 聞き、覚え、理解しなさい。
 マインドは役者と舞台の両方だ。
 すべてはマインドのものだ。
 そしてあなたはマインドではないのだ。
 マインドが誕生し、再誕生するのであって、あなたではない。
 マインドは世界とその素晴らしい多様性のすべてを創造する。
 良い劇にはあらゆる類(たぐい)の登場人物や舞台設定があるよ
 うに、あなたも世界をつくり出すのに、あらゆるものごとが少し
 ずつ必要なのだ。
 質問者 劇のなかでは誰も苦しみはしません。
 マハラジ
 彼自身が役と自己同一化しないかぎり苦しむことはない。
 あなた自身を世界と同一化してはならない。
 そうすれば、苦しむこともないだろう。
 質問者 ほかの者たちが苦しむでしょう。
 マハラジ
 それならば、あなたの世界を完全なものにするがいい。
 もしあなたが神を信じるならば、彼とともに働きなさい。
 信じないならば、神となるがいい。
 世界を劇として見るか、あるいはもてるすべての力で働きかける
 がいい。
 あるいはその両方でもいい。
 質問者 死にゆく人のアイデンティティはどうなるのでしょう?
 彼が死ぬときそれはどうなるのでしょうか? あなたは
 それが別の身体のなかで継続していくということに同意
 しますか?
 マハラジ
 それは継続する。
 しかもなお、しないとも言える。
 すべてはあなたがどう見るかに関わってくるのだ。
 アイデンティティとは結局何なのか?
 記憶のなかでの継続性か?
 記憶なしにアイデンティティを語ることはできるだろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

45鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/26(木) 22:22:16 ID:1d4drIFg0
輪廻とは役者の演技のようなものじゃ。
役者は一つ一つの演劇のたびに別の名前とイメージを与えられてそれを演じるのじゃ。
人も生まれかわるたびに別の名前とイメージを与えられてその自分と思うものを演じるのじゃ。
そこに生まれかわる実体があるのではないのじゃ。
役者の演技のように一つの意識が別の名前とイメージによって別の存在と認識されるだけなのじゃ。

46避難民のマジレスさん:2018/07/27(金) 08:33:16 ID:LC3de7YgO
>>44
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 ええ。できます。子供は両親のことを知らないかもしれ
 ません。しかし遺伝した特質はそこにあるでしょう。
 マハラジ
 誰がそれと同一化するのだろう?
 記録し比較する記憶をもった誰かとだ。
 記憶とはあなたの精神生活の縦糸だということがわからないだろ
 うか?
 そしてアイデンティティは、単に時間と空間のなかの出来事の、
 ひとつのパターンでしかないのだ。
 パターンを変えてみなさい、すると、あなたはその人も変えたと
 いうことがわかる。
 質問者 パターンは意味があり、重大なものです。それにはそれ
 自体の価値があります。綴れ織りは単に色のついた糸に
 すぎないと言うことで、あなたがもっとも重要なことを
 見逃してしまいます。それはその美しさです。あるいは
 本を紙とインクの汚れとして描写することで、その意味
 は見失われてしまいます。アイデンティティは私たちを
 独特の、かけがえのないものにする、個性の基盤である
 ために価値をもつのです。「私は在る」はそのユニーク
 さの直感なのです。
 マハラジ
 そうであるとも、ないとも言える。
 アイデンティティ、個性、ユニークさ、それらはマインドのもっ
 とも価値のある側面だ。
 だがマインドにおいてだけだ。
 「私は存在するすべてだ」という体験もまた、同等に正当なもの
 だ。
 特定性と普遍性は不可分だからだ。
 それらは名づけることのできないものの、内面と外面から見た二
 つの相なのだ。
 不運にも言葉は、言及できてもその意味を伝えない。
 言葉の彼方に目を向けなさい。
 質問者 死において、死ぬものは何でしょうか?
 マハラジ
 「私は身体だ」という観念が死ぬのだ。
 観照者が死ぬことはない。
 質問者 ジャイナ教徒は観照者の多様性と、その永遠の分離を示
 しています。
 マハラジ
 それは、ある偉大な人びとによる体験をもとにした彼らの伝統な
 のだ。
 ひとりの観照者が無数の身体のなかに「私は在る」として反映さ
 れる。
 いかに捕らえがたい微妙なものでも、身体が存在するかぎり、
 「私は在る」は多数として現れるのだ。
 身体を超えれば、そこにはひとりしかいない。
 質問者 神でしょうか?
 マハラジ
 創造者とは、世界をその身体としている人だ。
 名前を超えたそれは、すべての神をも超えているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

47鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/27(金) 22:59:11 ID:1d4drIFg0
神もまた観念による創作に過ぎないのじゃ。
永遠の意識は観念を超えている故に神をも超えているのじゃ。
神の名前とイメージはただそれにたどり着く道具になるだけなのじゃ。
神もまた悟りへの法なのじゃ。

48避難民のマジレスさん:2018/07/28(土) 09:24:34 ID:LC3de7YgO
>>46
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 ラマナ・マハルシは死にました。それは彼にとって、ど
 のような違いをもたらしたのでしょうか?
 マハラジ
 何の違いもない。
 彼は絶対の実在だった。
 今でもそうだ。
 質問者 しかし、通常の人びとにとって死は違いをもたらします。
 マハラジ
 死以前に、これが彼自身だと考えていたことが、死後に続いてい
 く。
 彼の自己イメージは生き残るのだ。
 質問者 先日、ジニャーニによって使われる瞑想用の動物の毛皮
 の話がありました。私には納得できませんでした。慣習
 と伝統によって、すべてを正当化することはたやすいこ
 とです。慣習は残酷かもしれず、伝統は堕落しているか
 もしれません。それらは説明にはなっても理由として成
 り立っていませんでした。
 マハラジ
 私はけっして真我の実現の後に無法が続くと言ったわけではない。
 解脱(げだつ)した人は、極端なほど法のもとに生きている。
 しかし彼の法は真我の法であり、社会の法ではない。
 彼は社会の法を環境と必要性にしたがって守り、あるいは破る。
 だが、彼はけっして気まぐれでも無秩序でもない。
 質問者 私が受け入れがたかったことは、慣習と習慣による正当
 化です。
 マハラジ
 私たちの観点の違いが困難を招いたのだ。
 あなたは「身体―精神」の観点から話し、私は観照から話してい
 る。
 違いは根本的なものだ。
 質問者 それでも残酷さは残酷さです。
 マハラジ
 誰もあなたに残酷であるよう強要してはいない。
 質問者 他者の残酷性を利用することは、代用による残酷性です。
 マハラジ
 もしあなたが生きていく過程を間近に見るなら、あなたは残酷性
 をあらゆるところで見ることだろう。
 なぜなら生命は生命によって食物を供給しているからだ。
 これが事実なのだ。
 だが、それがあなたに生きていることの罪悪感を覚えさせること
 はない。
 あなたは残酷な人生をはじめたことで、母親にかぎりない苦労を
 与えている。
 あなたは人生最後の日まで、この危険と死の世界で食事と住居の
 ために競わなければならず、身体にしがみつき、その必要なもの
 のために闘い、その安全を求めなければならない。
 動物の視点から見れば殺されることは最悪の死の形態ではない。
 病死や老衰よりはむしろ願わしいものなのだ。
 残酷さは事実のなかにではなく、動機のなかにある。
 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つけるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

49鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/28(土) 22:51:32 ID:1d4drIFg0
人は他の生き物の命を貰って生きているものじゃ。
全ての生き物の命を助けようとするのも囚われなのじゃ。
それも金や権力に囚われているのと変わりないのじゃ。
攻撃欲から他を害そうとすることが悪なのじゃ。

50避難民のマジレスさん:2018/07/29(日) 10:08:54 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 賛成します。ですから、人は猟師や屠殺業の仕事を受け
 容れてはならないということです。
 マハラジ
 あなたが受け容れることを誰が望んでいるというのかね?
 質問者 あなたが望んでいるのです。
 マハラジ
 それはあなたの見方だ!
 なんとあなたは急ぎ足で告訴し、有罪を宣告し、判決を下し、死
 刑を執行するのだろう。
 なぜ自分からではなく、私からはじめるのだろうか?
 質問者 あなたのような人が模範を示すべきなのです。
 マハラジ
 私の模範にしたがう用意があなたにあるのかね?
 私は世界に対して死んでいる。
 何も欲するものがない、生きることさえも。
 私のようにありなさい。
 私のようにしなさい。
 私はあなたの動機しか目にしてはいないのに、あなたは私の服や
 食事を見て私を裁いている。
 もしあなたが身体とマインドだと信じて行為するならば、あなた
 は自己の存在への多大で残虐な罪を犯したことになるのだ。
 それと比べれば、ほかのすべての残酷さなどものの数ではない。
 質問者 あなたは自分が身体ではないという主張のなかに避難し
 ているのです。それでも、あなたは身体をコントロール
 し、身体がすることすべての責任を負っています。身体
 に完全な自治を許すことは愚行であり、狂気の沙汰です!
 マハラジ
 落ち着きなさい。
 私もまた肉や毛皮のために動物を殺すことには反対なのだ。
 だが、私はそれを最重要と見なしてはいない。
 菜食主義は価値ある大儀だが、もっとも緊急なものではない。
 すべての大義名分は、源に帰り着いた人に仕えたとき、最上のも
 のとなるのだ。
(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

51鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/29(日) 22:46:48 ID:1d4drIFg0
完全な不殺生も極端な道なのじゃ。
それは快楽主義と同じく欲に囚われているのじゃ。
支配欲とか、攻撃欲をそれによって満足させているのじゃ。

52避難民のマジレスさん:2018/07/30(月) 07:37:17 ID:LC3de7YgO
>>50
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 シュリー・ラマナアシュラムにいたとき、私はバガヴァ
 ーンがすべてに遍在し、すべてを知覚し、すべてに場所
 にいるのを感じました。
 マハラジ
 あなたは必要なだけの信仰をもっていたのだ。
 彼に本当の信仰をもつ者は、彼をいつどこででも見るだろう。
 すべてはあなたの信仰にしたがって起こる。
 そしてあなたの信仰はあなたの欲望によって形づくられるのだ。
 質問者 あなたがあなた自身にもつ信仰、それもまた、欲望の形
 ではないでしょうか?
 マハラジ
 私が「私は在る」というときは、身体を核とした分離した実体と
 いう意味ではない。
 それは存在の全体性、意識の大洋、宇宙全体という意味だ。
 私には何ひとつ望むものがない。
 私が永遠の完成だからだ。
 質問者 あなたはほかの人びとの内なる人生に触れることができ
 ますか?
 マハラジ
 私が人びとなのだ。
 質問者 本質や実体における同一性、あるいは形態の類似という
 意味ではなく、実際に他者のマインドやハートのなかに
 入って、彼らの個人的体験に加わることができるかとい
 うことです。あなたは私とともに、喜び苦しむことがで
 きますか、それとも、あなたは私が感じることを観察と
 分析から推論するだけでしょうか?
 マハラジ
 すべての存在は私のなかに在る。
 しかし、脳の内容を別の脳へと引き入れることは、特別な訓練が
 必要だ。
 訓練を通して達成できないことは何もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

53素人A:2018/07/30(月) 10:32:00 ID:gOqWUDAs0
オウム事件今頃絞首刑にしも?と これから起こる犯罪防止のためそれは無い。
平成が今年で終わるからかも
要するにこれはテロだったから現場で射殺するのが但しかつたのか?死刑制度が
どうのこうの考える事もなく法外な行為なんだから戦争状態なんだから後でどうのこうの
無いけど今こうなって死刑になったのだから過去は正世内みな正解なのか世界なのか
オウムなんて無かったことにならない。ありのままの蟻は蟻が糖しかないし
文句たらたらでもそれが世界の正解だし真理尾ネットの糸の通りでも阿弥陀された
正解だし認めるけど文句は言うドラマー魅せられているノカモ。マハラジさんは
有頂天の支店長だし

54鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/30(月) 22:23:14 ID:1d4drIFg0
他者も観念であるからその知覚も無いのじゃ。
目覚めなければ自らの観念による理解しか出来ないのじゃ。
観念による力には死を超えることができないのじゃ。

55避難民のマジレスさん:2018/07/30(月) 23:01:48 ID:LC3de7YgO
>>54
>脳の内容を別の脳へと引き入れることは、特別な訓練が
 必要だ。
 訓練を通して達成できないことは何もない。
↑くまは、訓練しようとは思いませぬが、こんなこともできるのでありましょうか? (´・(ェ)・`)つ

56避難民のマジレスさん:2018/07/31(火) 07:56:25 ID:LC3de7YgO
>>52
『I AM THAT 私は在る』
【36 殺すことは、殺されたものではなく、殺した人を傷つける】(つづき)

 質問者 私はあなたの投影ではありませんし、あなたもまた私の
 投影ではありません。私はあなたのただの創造物ではな
 く、私自身の権利によって存在しています。この想像と
 投影の粗野な哲学は、私に訴えかけてきません。誰が誰
 のイメージだと言うのでしょうか? あなたが私のイメ
 ージなのか、私があなたのイメージなのか、あるいは私
 は私自身のイメージのなかのイメージなのでしょうか!
 いいや、何かがどこかで間違っているはずです。
 マハラジ
 言葉はその空虚な本性をうっかり暴いてしまうものなのだ。
 真実は表現不可能であり、体験されなければならないものだ。
 私の知っていることを表す、ふさわしい言葉を見つけだすことは
 できない。
 私の言うことは、ばかげて聞こえるかもしれない。
 だが、言葉が伝えようとしていることは無上の真理なのだ。
 どんなに私たちが論争しようと、すべてはひとつだ。
 そしてすべては、私たちが「私は在る」として知っているひとつ
 の源であり、あらゆる欲望のゴールを満たすために為(な)され
 るのだ。
 質問者 欲望の根底にあるのは苦痛です。基本的衝動は苦痛から
 逃れることです。
 マハラジ
 苦痛の根源は何だろうか?
 あなた自身を知らないということだ。
 欲望の根源は何だろう?
 あなた自身を探そうとする衝動だ。
 すべての創造物はそれ自身のために骨を折って働く。
 そしてそれ自身に戻ってくるまで休息することはないだろう。
 質問者 それはいつ戻るのでしょうか?
 マハラジ
 いつでもあなたが戻りたいときに。
 質問者 では、世界は?
 マハラジ
 あなたとともに連れていけばいい。
 質問者 私が完成に達するまで、世界を救うことは待ったほうが
 よいのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん世界を救うがいい。
 たいしたことができなくとも、その努力はあなたを成長させるだ
 ろう。
 世界を助けることに、何も間違ったことはない。
 質問者 確かに、普通の人で偉大な援助を行った人びとがいまし
 た。
 マハラジ
 世界が助けられるべきときが来たとき、偉大な変化をもたらすた
 めの意志と智慧(ちえ)と力が、何人かの人びとに与えられるの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

57鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/07/31(火) 21:43:07 ID:1d4drIFg0
悟りを得ない限り世界を救おうとする努力は逆に自他の破滅をもたらすものじゃ。
自らの欲や無知に夜迷いを免れないからのう。
世界を救うつもりで多くの勢力が戦っているのじゃ。
それが虚しいこととわかれば修業にも励むことが出来るのじゃ。

58避難民のマジレスさん:2018/08/01(水) 06:01:29 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】

 マハラジ
 あなたがあなたを含むすべての証明なのだということを、まず悟るべきだ。
 あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
 なぜなら、他者の存在もあなたによって確認されなければならないからだ。
 あなたは完全に、あなた自身によって在るのだということを覚えておきなさ
 い。
 あなたはどこからも来なかったし、どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、そして気づきなのだ。
 質問者 私たちの基本的な違いは、あなたは真実を知り、私が知っているの
 は私のマインドの作用だけだということです。それゆえ、あなたの
 言うことと私の聞くことにはであいがないのです。言葉は同じでも、
 あなたが言うことは真実であり、私の理解することは偽りです。こ
 の私たちの間の隙間をどうやって埋めればよいのでしょうか?
 マハラジ
 これがあなた自身であるという考えを放棄しなさい。
 そうすれば隙間はなくなるだろう。
 自分自身を分離していると考えることで、あなたは隙間をつくり出したのだ。
 隙間を埋める必要はない。
 ただ、隙間をつくらないことだ。
 すべてはあなたであり、あなたのものなのだ。
 そこにはほかに誰もいない。
 これが事実なのだ。
 質問者 何と奇妙な! 同じ言葉自体が、あなたにとっては真実であり、私
 にとっては偽りなのです。「そこには他に誰もいない」、何と明か
 な嘘でしょう!
 マハラジ
 嘘でも真実でもかまわない。
 言葉は重要ではないのだ。
 問題はあなた自身についてあなたが持っている考えなのだ。
 なぜなら、それがあなたを妨げているからだ。
 それを捨て去りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

59避難民のマジレスさん:2018/08/01(水) 06:05:12 ID:LC3de7YgO
>>58
>嘘でも真実でもかまわない。
 言葉は重要ではないのだ。
 問題はあなた自身についてあなたが持っている考えなのだ。
 なぜなら、それがあなたを妨げているからだ。
 それを捨て去りなさい。

元気の出る、勇気の出るご指摘であります。
(´・(ェ)・`)つ

60鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/01(水) 22:27:06 ID:1d4drIFg0
↑ そうじゃ、実践によって真実もわかるのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

 悟った者の真実の言葉も悟りを得ていない者には偽りとしか受け容れられないのじゃ。
 言葉で伝えられるのは心を観る実践だけなのじゃ。

61避難民のマジレスさん:2018/08/02(木) 17:43:16 ID:LC3de7YgO
>>58
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 幼年時代から、私は名前と形に限定されていると考えるように教え
 られてきたのです。単なる反対の表明だけで、精神的な轍(わだち)
 を消し去ることはできません。定期的な洗脳が必要でしょう。もし
 可能であるならば。
 マハラジ
 あなたは洗脳と呼び、私は轍を平らにするためのヨーガと呼ぶ。
 何度も同じ思考を思いめぐらすように強(し)いられてはならない。
 進みなさい。
 質問者 言うは易く行うは難しです。
 マハラジ
 子どもみたいなことを言ってはならない。
 苦しむより変えることのほうが易しいのだ。
 幼稚さから脱却しなさい。
 それだけだ。
 質問者 そういったことは為されることではなく、起こることです。それら
 は起こるのです。
 マハラジ
 すべてはつねに起こっている。
 だが、あなたはそれに用意ができていなければならない。
 用意のできていることが成熟なのだ。
 あなたが真理を見ないのは、マインドに用意ができていないからだ。
 質問者 もし実在が私の本性ならば、どうして用意ができていないというこ
 とがありうるのでしょうか?
 マハラジ
 用意ができていないのは、恐れているからだ。
 あなたはあなたが何であるかを恐れている。
 全体性があなたの目的地だ。
 だが、あなたは自己のアイデンティティを失うのが怖い。
 これが幼稚さだ。
 あなたは欲望と恐れ、意見と観念というおもちゃにしがみついているのだ。
 すべてをあきらめ、真実がそれ自身を主張できるよう用意をしなさい。
 この自己主張は、「私は在る」という言葉にもっともよく表されている。
 それ以外何も存在をもってはいないのだ。
 これに関しては、あなたは絶対の確信をもてるはずだ。
 質問者 もちろん、「私は在る」であり、また「私は知る」でもあります。
 そして、私は誰それであるということを知っており、身体の所有者
 であり、他の所有者との多様な関係のなかにいるということを知っ
 ています。
 マハラジ
 それはすべて、今のなかに持ちこまれた記憶なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

62鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/02(木) 21:24:17 ID:1d4drIFg0
目覚めていない者は皆自分は肉体を持っているとかその主体とか思うものじゃ。
それが自分を守っていると思うのじゃ。
実際にはそれは幻想であり、何も守らず、所有もしていないのじゃ。
幻想に囚われ、幻想を手放すことを恐れているのじゃ。
恐れを超えて自分を観れば、どれほど長い習慣から起こる自己意識も消え去るのじゃ。

63避難民のマジレスさん:2018/08/03(金) 08:18:56 ID:LC3de7YgO
>>61
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 私が確信できるのは、今あることだけです。過去と未来、記憶と想
 像、これらは精神的状態です。しかし、それらが私が知るすべてで
 あって、それらは今在るのです。あなたはそれらを放棄するように
 言いますが、いったいどうやって今を放棄できるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはいやおうなく、つねに未来のなかに進んでいるのだ。
 質問者 私は今から今へと進んでいるのです。私はまったく動いてなどいま
 せん。他のすべては動いても、私は動きません。
 マハラジ
 認めよう。
 だが、あなたのマインドが動いている。
 現在のなかで、あなたは動であり不動でもある。
 あなたはあなた自身を動と見て、不動を見落としたのだ。
 マインドを裏表にひっくり返しなさい。
 動を無視しなさい。
 そうすれば、あなたはあなた自身を常在で不変の実在、言語を絶する、しか
 し岩のように確固たるものとして見いだすだろう。
 質問者 もしそれが今なら、なぜ私は気づかないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがそれに気づかないという考えに固執しているからだ。
 その考えを捨て去りなさい。
 質問者 それは私を気づかせてはくれません。
 マハラジ
 待ちなさい。
 あなたは同時に壁の両側にいることを望んでいる。
 それはできる。
 だが、壁を取り去らなければならないのだ。
 あるいは壁とその両側はひとつの単一の空間であり、そこに「ここ」と「そ
 こ」という観念は適応しないということを自覚しなさい。
 質問者 比喩は何も証明しません。私の不満はひとつ、なぜ私はあなたの見
 ていることを見ないのでしょう、なぜあなたの言葉は私のなかで真
 実として響かないのでしょうか? ということです。これくらいは
 教えてください。ほかのすべては待てます。あなたは賢く、私は愚
 かです。あなたは見て、私は見ません。どこに私は智慧(ちえ)を
 見いだせばよいのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが愚かだということを知っているならば、あなたはまったく愚か
 ではないのだ。
 質問者 自分が病気だと知ることがそれを癒さないように、自分を愚かだと
 知ることは私を賢明にはしません。
 マハラジ
 あなたが病気だと知ることが、健康になることのはじまりではないかね?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

64鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/04(土) 00:12:15 ID:1d4drIFg0
自らを愚かであると知る者が賢者なのじゃ。
お釈迦様もそう言っているのじゃ。
自分に対する正確な知識が無ければ先に進むことも出来ないのじゃ。
愚かさを自覚することから賢さが始まるのじゃ。

65素人A:2018/08/04(土) 09:48:56 ID:gOqWUDAs0
ブラフマンは瞑想の達人なのか 基礎が徹底的に出来ているのですか
水空の此処路にドラマーの主人公に成り切って入る野鴨。でも妄想も好
マンゴウ好き

66避難民のマジレスさん:2018/08/04(土) 10:12:57 ID:LC3de7YgO
>>63
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 いいえ、違うのです。比べればわかります。仮に、私が生来盲目で
 あって、あなたは物に触れることなしにそれを知ると私にいいます。
 私は触れなければなりません。私は見るということの意味を知らず
 に、自分が盲目であることに気づくのです。同様にあなたが主張す
 ることを私が理解できないとき、私には何かが欠けているというこ
 とを知るのです。あなたは私について本当に素晴らしいことを語り
 ます。あなたによれば、私は永遠で、遍在し、全知の、至上の幸福
 であり、存在するすべての創造者、維持者、破壊者、すべての生命
 の源、存在の本質、神、そしてあらゆる創造物にとっての最愛の者
 だということです。あなたは私を究極の実在、すべての存在のゴー
 ルとその源と同等だと言います。私はただ無視するだけです。なぜ
 なら、私自身は欲望と恐れの小さな包み、苦しみの泡、暗黒の海中
 の、意識の一瞬のひらめきだと知っているからです。
 マハラジ
 苦痛以前にあなたは存在し、苦痛が去った後もあなたは残る。
 はかないのは苦痛であり、あなたではない。
 質問者 すみません。しかし、私にはあなたの見るものが見えないのです。
 生まれた日から、死ぬ日まで、苦痛と快楽は人生の模様を織り込ん
 でいくでしょう。誕生以前と死後の存在について私は何もわかりま
 せん。私はあなたを容認も否定もしません。あなたの言われること
 は聞きます。ただ私はそれを知らないのです。
 マハラジ
 今、あなたは意識がある。
 そうではないかね?
 質問者 どうか、以前と以後については聞かないでください。私は今のこと
 だけを知っているのです。
 マハラジ
 それで充分だ。
 あなたは意識している。
 それをつかみなさい。
 あなたが意識していない状態がある。
 無意識の存在と呼ぶものだ。
 質問者 無意識ですか?
 マハラジ
 意識と無意識はここではあてはまらない。
 存在は意識のなかにある。
 本質は意識に依存しない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

67避難民のマジレスさん:2018/08/04(土) 10:13:44 ID:LC3de7YgO
>>66
えっ!本質は意識に依存しないのでありますか?
(´・(ェ)・`)つ

68鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/04(土) 22:46:22 ID:1d4drIFg0
通常の意識には依存していないのじゃ。
それは無意識の存在となるからのう。
世界の全てを認識して作り出しているのが意識なのじゃ。

69避難民のマジレスさん:2018/08/04(土) 23:00:34 ID:LC3de7YgO
>>68
>それは無意識の存在となるから
←それとは、本質のことでありますか?
>世界の全てを認識して作り出しているのが意識
←これが通常の意識でありますか?
(´・(ェ)・`)つ

70避難民のマジレスさん:2018/08/05(日) 12:18:16 ID:LC3de7YgO
>>66
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 それは虚空でしょうか? 沈黙でしょうか?
 マハラジ
 なぜ言葉巧みになるのかね?
 存在は意識に浸透し、そして超越する。
 客観意識は純粋な意識の一部分であり、それを超えることはないのだ。
 質問者 意識でも無意識でもない純粋な存在状態を、どのようにして知るに
 至ったのですか? すべての知識は意識のなかにのみ存在するので
 す。マインドの停止といった状態はあるかもしれません。そのとき
 意識は観照者として現れるのでしょうか?
 マハラジ
 観照者だけが出来事を記録する。
 マインドの停止状態では、「私は在る」という感覚さえも消え去る。
 マインドなしに「私は在る」はないのだ。
 質問者 マインドがないということは思考がないということです。思考とし
 ての「私は在る」は静まり、存在の感覚である「私は在る」は残り
 ます。
 マハラジ
 マインドとともにすべての体験は静まる。
 マインドなしには体験者も体験もありえない。
 質問者 観照者は残るのでしょうか?
 マハラジ
 観照者は単に体験の存在と不在を記録するだけだ。
 それは、それ自体では体験ではないが、「私は観照者だ」という思いが立ち
 現れたとき、それは体験となる。
 質問者 私が知っていることといえば、マインドはときどき作用し、ときど
き止まるということです。精神的沈黙の体験を、私はマインドの停
 止と呼んでいます。
 マハラジ
 それを沈黙、または虚空、あるいは停止とでも呼ぶがいい。
 事実は体験者、体験すること、体験の三つが不在だということだ。
 観照のなか、気づきのなかでは、自意識、あれやこれとしての存在の感覚は
 ない。
 自己同一化されない存在が残るのだ。
 質問者 それは無意識の状態なのでしょうか?
 マハラジ
 それは何とでも関係している。
 それは対極のものだ。
 それはまた、すべての対極の中間であり、その彼方でもある。
 それは意識でも無意識でもなく、その中間でもその二つを超えたものでもな
 い。
 それはそれ自体で在り、体験やその不在といった何かとの関係はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

71避難民のマジレスさん:2018/08/05(日) 12:31:05 ID:LC3de7YgO
>>70
> それは何とでも関係している。
 それは対極のものだ。
 それはまた、すべての対極の中間であり、その彼方でもある。
 それは意識でも無意識でもなく、その中間でもその二つを超えたものでもな
 い。
 それはそれ自体で在り、体験やその不在といった何かとの関係はない。

←これは「観照者」の説明でありましょうが、観照者とは、否定によってのみあらわされる「真我」のことなのでありましょうか?

> 観照者だけが出来事を記録する。
> 観照者は単に体験の存在と不在を記録するだけだ。
> それは、それ自体では体験ではないが、「私は観照者だ」という思いが立ち
 現れたとき、それは体験となる。
> 事実は体験者、体験すること、体験の三つが不在だということだ。
 観照のなか、気づきのなかでは、自意識、あれやこれとしての存在の感覚は
 ない。
 自己同一化されない存在が残るのだ。
←観照者=真我でありますかね。
そしてそのまま、「無我」の説明のようにも読めるであります。
(´・(ェ)・`)つ

72鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/05(日) 23:21:53 ID:1d4drIFg0
>>69 そうじゃ、本質なのじゃ。
 それは全てにあるものじゃ。

通常の意識なのじゃ。
 それが世界を認識して作り上げているのじゃ。

>>71 真我とも違うものじゃ。
 本来無い者じゃ。
 仮に観照する者として語っているだけなのじゃ。

 真我はそれに至るための道なのじゃ。

73避難民のマジレスさん:2018/08/05(日) 23:47:41 ID:LC3de7YgO
>>72
> 本来無い者
 仮に観照する者として語っているだけ
 真我はそれに至るための道

←なるへそ!へそのごまであります。
何を観照するかっていえば、自我の不存在でありましたね!
そのために、観照する者を仮設して、その者が、否定によってのみあらわされる真我というわけでありますね!
うむ。何度も聞いてる話なのに、何度も同じような質問をしてる、愚かなくまであります。
鬼和尚、いつもありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

74避難民のマジレスさん:2018/08/05(日) 23:56:59 ID:LC3de7YgO
>>73
ほょ・・・ちょぴっと違うでありますね!
観照者=真我ではないでありますよね。

ヒンズー教の教えでも、観照は主体なく起こるものとされてるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

75避難民のマジレスさん:2018/08/06(月) 09:12:53 ID:LC3de7YgO
>>70
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 なんと奇妙な! あなたはそれが体験であるかのように話をします。
 マハラジ
 私がそれについて考えたとき、それは体験になるのだ。
 質問者 目に見えない光が花に遮(さえぎ)られて色となるように、それは
 体験となるのでしょうか?
 マハラジ
 そうだ。
 それは色のなかにあるが、色そのものではない。
 質問者 古くからおなじみのナーガールジュナ(竜樹:りゅうじゅ)の四重
 否定です。これでもなく、それでもない、その両方であり、そのど
 ちらでもない。めまいがしそうです!
 マハラジ
 あなたの困難は、実在を意識の状態と考えることから生じるのだ。
 あたかも実在が多様な尺度をもった属性か特質かのように、あなたは「これ
 は真実で、あれは真実ではない。そしてこれは部分的に真実で、部分的に偽
 りだ」と言う傾向がある。
 質問者 私ならこう言うでしょう。結局、意識は苦痛をともなったときに問
 題となるのです。永遠の至福の状態では、質問は起こりません。す
 べての意識は快楽と苦痛の混合なのです。なぜでしょうか?
 マハラジ
 すべての意識は限定され、そしてそれゆえ苦痛に満ちているのだ。
 意識の根底には体験への衝動という欲望が横たわっている。
 質問者 つまり、欲望なしに意識はないということなのでしょうか? では、
 無意識であることにどのような利点があるのでしょう? もし私が
 苦痛からの自由のために快楽を差し控えなければならないとしたら、
 私ならどちらも取っておくでしょう。
 マハラジ
 苦痛と快楽の彼方に至福があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

76素人A:2018/08/06(月) 09:45:46 ID:gOqWUDAs0
我々が死なない空だたったら.毎日DVDみて永遠に暮らせるのだろうか
老化も無く時間はメビウスの輪みたいに流れてマンネリにならないのか
役目負わされた役者も文句言わないのか?本当の正解は何も無い法が
でも我々は心静かに座れない一人ではさみしすぎる 適当ないいかげんな所が点国鴨?

77鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/06(月) 22:11:47 ID:1d4drIFg0
>>74 何か認識される主体があって観照が起きたというならばそれは妄想なのじゃ。
 認識主体はそもそも認識されないのであるからのう。
 それが真我なのじゃ。
 それ自身は認識できない認識主体が真我であり、何か認識できるものがあれば真我ではないのじゃ。
 そのような真我の道がウパニシャッドで説かれているのじゃ。

78避難民のマジレスさん:2018/08/07(火) 06:52:45 ID:LC3de7YgO
>>75
『I AM THAT 私は在る』
【37 苦痛と快楽の彼方に至福がある】(つづき)

 質問者 無意識の至福に何の価値があるのでしょうか?
 マハラジ
 意識でも無意識でもない、実在だ。
 質問者 意識へのあなたの反対理由は何でしょうか?
 マハラジ
 それは重荷なのだ。
 身体とは重荷だ。
 感覚、欲望、思考、これらはみな重荷なのだ。
 すべての意識は葛藤(かっとう)だ。
 質問者 実在は真の存在、純粋な意識、無限の至福と描写されています。そ
 れが苦痛とどう関わってくるのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛と快楽は起こる。
 だが、苦痛は快楽の値段であり、快楽は苦痛の報酬なのだ。
 人生のなかでも、しばしばあなたは傷つけることで喜び、喜ばすことによっ
 て傷ついている。
 苦痛と快楽がひとつだと知ることが平和なのだ。
 質問者 これらはみな疑いなく、たいへん興味深い話です。しかし私のゴー    ルはもっとシンプルなものです。私は人生において、より多くの快
 楽とより少ない苦痛が欲しいのです。どうすればいいのでしょうか?
 マハラジ
 意識がそこにあるかぎり、苦痛と快楽は避けられない。
 対極のものと自己同一化することが、意識の、「私は在る」の本性なのだ。
 質問者 これらすべてが私にとって何だというのでしょうか? それは私を
 満足させてはくれません。
 マハラジ
 あなたは誰だろうか? 誰が不満なのだろうか?
 質問者 私は苦痛と快楽の人間です。
 マハラジ
 苦痛と快楽はともにアーナンダ(至福)だ。
 私は今、こうしてあなたの前に座り、直接の不変の体験から話している。
 苦痛と快楽は、至福の海の波の頂きと谷間だ。
 その底深くには完全な充足があるのだ。
 質問者 あなたの体験は本当に不断のものでしょうか?
 マハラジ
 それは時を超えた、不変のものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

79鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/07(火) 22:26:53 ID:1d4drIFg0
快楽をもてめている限り苦痛からも逃れられないのじゃ。
快楽は執着することで苦痛に変るからのう。
一切は苦であるこの世から離脱することが真の喜びへの道なのじゃ。
そこに至ればもはや苦は無く永遠に喜びだけが在るのじゃ。


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