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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

10避難民のマジレスさん:2018/07/10(火) 19:19:58 ID:LC3de7YgO
>>7
『I AM THAT 私は在る』
【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】(つづき)

 質問者 ある程度の平和はヨーガから引き出せたと思います。
 マハラジ
 綿密に調べてみなさい。
 そうすればマインドは騒然としていることがわかるだろう。
 それはときおり空白状態になるかもしれないが、それもひとときのことで、
 またいつもの落ち着きのなさに戻る。
 静かにさせられたマインドというのは平和なマインドではないのだ。
 あなたはマインドをなだめたいと言うが、マインドをなだめたいその人自身
 は平和なのだろうか?
 質問者 いいえ。私は平和ではありません。私はヨーガの助けを借りている
     のです。
 マハラジ
 あなたはそこに矛盾を見ないだろうか?
 もう何年もの間、あなたはマインドの平和を探してきた。
 それなのにあなたは見つけられなかった。
 本質的に落ち着きのないものを、平和にさせることはできないからだ。
 質問者 ある程度の改善はあります。
 マハラジ
 あなたが見いだしたという平和はとてももろいものだ。
 ちょっとしたことでそれは砕かれてしまうだろう。
 あなたの言う平和はただの不安の不在だ。
 それに本当の価値はない。
 真の平安は乱されることのないものだ。
 けっして揺らぐことのないマインドの平安が私にはある、とあなたに言える
 だろうか?
 質問者 私は努力しています。
 マハラジ
 努力もまた不安の一形態だ。
 質問者 では何が残されているのでしょうか?
 マハラジ
 自己を安心させる必要はない。
 自己とは平和そのものであり、安らいでいるのではない。
 ただマインドにだけ落ち着きがないのだ。
 マインドが知っているのは、数多くの気分と異なった程度の落ち着きのなさ
 だ。
 心地よさが優れ、苦痛は劣っていると考えられる。
 私たちが進歩と呼ぶものは、ただ不快から快適への変化にすぎない。
 しかし、変化そのものが不変へと私たちを導くことはできない。
 なぜなら、何であれはじまりがあることには終わりがあるからだ。
 実在にははじまりはない。
 ただ、それ自身をはじまりなく終わりなく、遍在し、万能で、不動のなかの
 発動力であり、永遠に不変なるものとして顕現するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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