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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4
71
:
避難民のマジレスさん
:2018/08/05(日) 12:31:05 ID:LC3de7YgO
>>70
> それは何とでも関係している。
それは対極のものだ。
それはまた、すべての対極の中間であり、その彼方でもある。
それは意識でも無意識でもなく、その中間でもその二つを超えたものでもな
い。
それはそれ自体で在り、体験やその不在といった何かとの関係はない。
←これは「観照者」の説明でありましょうが、観照者とは、否定によってのみあらわされる「真我」のことなのでありましょうか?
> 観照者だけが出来事を記録する。
> 観照者は単に体験の存在と不在を記録するだけだ。
> それは、それ自体では体験ではないが、「私は観照者だ」という思いが立ち
現れたとき、それは体験となる。
> 事実は体験者、体験すること、体験の三つが不在だということだ。
観照のなか、気づきのなかでは、自意識、あれやこれとしての存在の感覚は
ない。
自己同一化されない存在が残るのだ。
←観照者=真我でありますかね。
そしてそのまま、「無我」の説明のようにも読めるであります。
(´・(ェ)・`)つ
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