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鬼和尚に聞いてみるスレ part9

50としぼっくり:2017/06/11(日) 22:39:53 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
死を超える為に一番必要なものはなんなのでしょうか?

51避難民のマジレスさん:2017/06/12(月) 12:32:44 ID:RB87rmAY0
鬼和尚
毎日瞑想をしていたら一日に3-4時間くらいしか寝れなくなりました。
起きた後で二度寝しようとしても寝ることができません。
何か解決策はないでしょうか?

52避難民のマジレスさん:2017/06/12(月) 19:18:56 ID:czRftzgI0
聴覚の観察目的で音を分別を挟まずありのままに聞くということをやっています。私は間違っているでしょうか?
同じことを視覚でやっていいでしょうか?

53避難民のマジレスさん:2017/06/12(月) 19:51:06 ID:JPNjz2iE0
死ぬと肉体、五感、認識、アラヤシキもなくなると観ました。
氣はなくならないと観ました。

54避難民のマジレスさん:2017/06/12(月) 20:06:32 ID:2mjcL8.g0
>>47
鬼和尚さん、ありがとうございます。
不安の原因の死そのものを追究するのですね。
できるだけやってみます。

そこでまた質問なのですが、死後、脳が機能を停止した場合、人間はどこまで機能を失うのでしょうか?

ここを自分で追究するべきなのかもしれないのですが、私はそれほどこういうことに詳しくなくて、脳が死んでも意識があるということ自体まだ当たり前には思えないので、少し教えてください。

まず、意識が脳と別個に存在するならば、意識は感情を持ちますか?
つまり、記憶と思考が脳の範囲だとすると、脳が死ねばそれに伴って感情も失われますか?
それから、意識は視覚の機能を持ちますか?

55進路探訪者:2017/06/12(月) 20:13:38 ID:DIiPmWc60
鬼和尚さん、こんばんは。

最近いろいろありました。

女性関係を連続して大失敗してしまい、落ち込んでおります。

いつもまだまだ関係性が遠いのに、空気を読まずに焦って
距離を近づけようとしてしまい、相手を不快にさせてしまって
関係がこじれます。多分自分に自信のない恐れからくる行動
かと思います。

一方で、僕の会社の先輩には非常に執着心が薄く、したがって
焦ることもない人がいます。

自分に自身の無い恐れも、究極的には女性に執着しているから
であり、会社の先輩のように欲を手放して生きる、そこまででき
なくとも、欲が存在していても追いかけずに生きるほうが良いと
思いました。

長文申し訳ありませんがどうでしょうか。

56鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/12(月) 21:13:46 ID:1d4drIFg0
>>48 そうじゃ、死によって消滅するものが見極められれば、死によってもなくならない意識がわかるのじゃ。
 恐れずに死にいく自分を観察すれば見極められるのじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。
 
>>49 気にしないでよいのじゃ。

>>50 それもやはり勇気なのじゃ。
 死は悟りを得ていない者にはとても恐ろしいものじゃろう。
 昔の金持ちには死を恐れる余り、周りの者に死という言葉さえ禁じていた者が居たというのじゃ。
 そのように恐ろしい死を超えるには、死の恐れにも負けない勇気が必要なのじゃ。
 勇気をもって進むのじゃ。

>>51 頭に気が上っているのじゃろう。
 イメージで頭の気が足に降りていくとみるとよいのじゃ。
 頭を冷却材で冷やしてもよいのじゃ。
 いろいろ試してみるとよいのじゃ。

57鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/12(月) 21:25:05 ID:1d4drIFg0
>>52 間違っていないのじゃ。
 どんどんやるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>53 更に詳しく観察するのじゃ。
 それにも囚われずに進むのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>54 意識があるだけなのじゃ。
 観念もあるのじゃ。
 感情はないのじゃ。
 視覚もないのじゃ。
 自ら観察して確めてみるのじゃ。

>>55 そうじゃ、あせらずに待つのじゃ。
 追えば逃げ、逃げれば追いたくなるのが人の本性なのじゃ。
 あせらずに実践するとよいのじゃ。

58としぼっくり:2017/06/12(月) 21:40:12 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
死の恐れにも負けない勇気を持って進もうと思います。

59避難民のマジレスさん:2017/06/12(月) 22:04:36 ID:q6UBxgPc0
初めまして、こんばんは。
鬼和尚様のブログ等々拝見し、
止観法を仕事中に実践させていただきまして
ヴィパサナだけではできなかったことができるようになり、
感謝を述べに参りました。
ありがとうございました。

60そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/12(月) 22:12:06 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
阿頼耶識が見える時は、予兆がありますか?
少しずつ見えますか?それとも突然見えますか?

61避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 05:01:01 ID:eAIt472s0
いつもおしえていただきありがとうございます。
苦滅の方法がいまだよくわかっていないです。
仕事に行くことを苦にしていて、仕事に行くと思うと苦が生じます。
仕事に行くことが苦の原因とみて、もう仕事に行かなくてはいいんだ、
と仮定すると苦が生じないことを確認します。
しかし、仕事に行かなくていいとなると、無職になる、という別の苦が生じるならば、
それは、苦の原因が間違っているということになるのでしょうか?
この仕事に行く苦を消す方法を教えてください。

62避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 05:25:31 ID:czRftzgI0
>>52
修業を続けます、ありがとうございました。

63としぼっくり:2017/06/13(火) 10:08:03 ID:DAY232aw0
>>58お礼に続けてすいません。
質問ですが、悟りを得る為に、一番大事な事は何なんでしょうか?

64としぼっくり:2017/06/13(火) 11:13:43 ID:DAY232aw0
>>63何なのでしょうかです。すいません。

65そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/13(火) 19:20:41 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
私が我を持っているのと同じように他人も皆、我を持っているのですね。
私の我と他人の我がぶつかり合って、ストレスやら不満やら不安やらが生まれるのですね。
私が我を譲らないのと同様に他人もその人の我を譲らない。
修行している私でさえそうなのに、修行してない他人はなおさらですね。
世の中どうしてこうなのだッ!
と憤るようなことがあるとき、結局私自身の我が原因になっているのですね。
我のぶつかり合いにとくに意味はなく、私の我をぶつけてもしょうがないのですね。

66避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 19:51:17 ID:VfhJ5ipQ0
>>57
鬼和尚さん、ありがとうございます。
意識と観念はあり、感情と視覚はないのですね。
ただ、意識と観念の関係についてよくわからなくて、混乱してしまいます。

なので、もう少し教えてほしいのですが、観念というのは、物事に対して持っているイメージのことでしょうか?
例えば、鉛筆を見た時、同時に鉛筆の使用方法をイメージできるのであれば、鉛筆について観念を持っているということになりますか?
しかし、鉛筆について知ることは生きている時にしかできないことだと思います
すると、意識のみで存在する場合も観念があるということは、鉛筆という物の記憶とその使用方法は、意識の中に残っているということなのでしょうか?
つまり、生きていた時の記憶が意識の中に残るという感じなのでしょうか?

それから、意識には視覚はないということですが、意識のみになった場合、視覚以外の方法でこの世界を認識するということですか?
それともこの世界を認識することは生まれ変わらない限りないのですか?

67避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 19:58:49 ID:q6UBxgPc0
鬼和尚さま

こんばんは。
ご挨拶と質問を、仏教勉強会のブログのほうにもコメントさせていただきました。
長文になってしまった上に催促するようで恐縮なのですが、ご覧いただければ嬉しく思います。

68避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 20:49:39 ID:rIFRVnQI0
鬼和尚、
呼吸に集中することがどうゆうことかよくわからなくなりました。
呼吸するときの感覚でしょうか?
吸って吐く時の体内の感覚や動きに集中するのでしょうか?


呼吸に集中する理由はあるのでしょうか? 何も無くてもいつでも何処でもしている事だから、習慣とすることで観照が起こりやすいのですか?


最近、普段の呼吸が深くなったのですが、瞑想をすると普段の呼吸も深くなるのでしょうか?

69鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/13(火) 21:47:25 ID:1d4drIFg0
>>58 そうじゃ、勇気を持って進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>59 よかったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>60 阿頼耶識は無我になった後に見えるじゃろう。
 自我があるうちはとても見えないものじゃ。
 今ここで回り全てを認識する働きが阿頼耶識なのじゃ。
 その素早く広範囲の働きを見極めることは自我があっては無理なのじゃ。

>>61 仕事に行くことの苦は、心の中に原因があるじゃろう。
 仕事に対してマイナスのイメージがあるとかのう。
 金を稼ぐことが悪いことのように教える儒教的な家庭教育もあるからのう。
 或いはただ単に上司が嫌いだとかの原因かもしれん。
 そのような原因が心の中にないか探してみるのじゃ。
 原因は心の中にあるものじゃ。

>>62 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>63>>64 それは情熱であり、やる気なのじゃ。
 熱意ともいえるのじゃ。
 本当に死を超えた悟りを得たいと心から願ったならば、短期間で悟りを得ることも可能なのじゃ。
 お釈迦様は七日間座って悟り、マハリシは一日で悟ったのじゃ。
 それも死をも超える情熱があったからなのじゃ。
 やる気が一番大事なのじゃ。

>>65 そうじや、それに気付いてよかったのじゃ。
 時には自分が我をひくことでよくなることもあるもじゃ。
 実践してみるのじゃ。

>>66 観念とはものごとに対して持っているイメージであり、その名も含むものじゃ。
 そのようなものも残っているじゃろう。
 世界は認識しないじゃろう。
 他人の意識は感じられるがのう。
 
>>67 見てくるのじゃ。
 wktkして待つとよいのじゃ。

>>68 息が出入りする鼻先に軽く意識をかけておくとよいのじゃ。
 呼吸は止まることのない動きである故に、集中しやすいのじゃ。
 心臓でも眉間でもよいのじゃ。
 意識して深くしようとしていれば、普段の呼吸も深くなるじゃろう。
 習慣になるからのう。

70そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/13(火) 22:06:54 ID:ohctFj6.0
>>69
ありがとうございました。

71としぼっくり:2017/06/13(火) 22:12:08 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
やる気を大事にこれからも修行頑張って行きたいと思います。
お礼に続けて質問すいませんでした。ありがとうございます。

72避難民のマジレスさん:2017/06/13(火) 22:18:58 ID:q6UBxgPc0
ありがとうございます。
止観法、数息観も毎日できるように努力してみます。

73避難民のマジレスさん:2017/06/14(水) 12:58:32 ID:t8PlW.qA0
>>69
鬼和尚さん、ありがとうございます。

だんだん死後の状態が理解できてきました。
今まで自分の持っていたイメージとはかなりちがっていました。
記憶は脳の機能かと思っていましたが、むしろ感情が脳の機能で、記憶は意識の機能なのですね。
私は何となく、死後には記憶や感情がなくなってただこの世界を見ているだけのような状態になるのかと思っていましたが、
そうではなく、死後にはもうこの世界を認識することは出来ず、むしろただ生きていた時の記憶だけが残っているような感じなのですね。
生きている時の行いによって死後の苦しみが変わる理由がわかった気がします。

自分自身でも観察してみれば、死の不安の原因がわかるかもしれないので、少しずつ観察してみます。
またわからなくなったら教えてください。
ありがとうございました。

74避難民のマジレスさん:2017/06/14(水) 20:58:10 ID:rIFRVnQI0
>>69
ありがとうございました。

今日は数息観と手の観察をしました。
数息観は、10数える間くらい、静かな時があります。
深まると、期待と共に反射的な恐怖感が出てしまいました。
焦らず集中に努めます。

手の観察のあと、生活に戻ると少しの間、観念と観念の結びつきが弱くなりました。
いつもは連想的に当たり前のように結び付いていたことが「本当はそうではない」事が、少しわかりました。
心も視界もクリアな感じで、子どもの頃を思い出しました。

今はまだ、通常の意識は、苦が張り付いているような感じですが、
修行が進めば、悟る前でも、透明感のあるような世界で生きられるようになるのでしょうか?

75避難民のマジレスさん:2017/06/14(水) 21:00:37 ID:prUZbHmc0
亡くなった人を供養することはその方に伝わるのですよね?

76鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/14(水) 21:11:17 ID:1d4drIFg0
>>70 どういたしまして、またおいでなさい。

>>71 そうじゃ、何度でも聞くとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>72 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>73 よかったのじゃ。
 またおいでなさい。

77鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/14(水) 21:16:14 ID:1d4drIFg0
>>74 なるじゃろう。
 苦が一つ消えただけでも世界が変ったようにみえるものじゃ。
 今の苦がなくなれば安楽も訪れるじゃろう。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

>>75 そうじゃ、伝わるのじゃ。
 すきだったものをイメージにょって与えるとよいのじゃ。
 意識は繋がっている故に想いは伝わるのじゃ。

78避難民のマジレスさん:2017/06/14(水) 23:26:46 ID:fB5RrMK60
>>77
好きだったものをイメージして供養することは亡くなった人に伝わりますがその方は感情はわかないということでしょうか?

79進路探訪者:2017/06/14(水) 23:28:48 ID:DIiPmWc60
>>58

お返事ありがとうございます。欲となるものをたとえ有我であっても
追い求めないようにします。

それともう1つ質問です。

鬼和尚さんは、>>69で熱意をもって死を観察すれば短期間で悟れる
とおっしゃっていますし、実際の死の感覚についても意識と記憶が
残り感情や視覚が消えるとおっしゃっておりますが、実際問題として
これを手掛かりとして死を疑似的に体験するのは不可能です。

死の感覚の答えが分かっているのはありがたいのですが、
自分の感覚としては全く掴めません。
そこで、見方を変えて、死とは自分が死ぬというのも一つですが、
むしろ、自分の最愛の母、最愛の女性、打ち込んできた仕事や
趣味への知識や技術を失うと考えた方が腑に落ちます。

つまり、死とは悲しみや落ち込むことだと思います。

しかし、これでは死とは感情なので、鬼和尚さんの死の説明
である、死とは記憶と意識であるという感覚とはまるで違い、
正しく死を思えていないことになりそうです。

それとも、ひょっとして、このような「死」の体験でも
記憶と意識だけが残る感覚を疑似的に体験するきっかけに
なるのでしょうか。

大変読みづらく申し訳ありません。

80進路探訪者:2017/06/14(水) 23:59:42 ID:DIiPmWc60
追伸です。

また、死を思うと、逆に今自分が観察している苦がどうでも良くなります。
しかしこのどうでも良くなるというのは、苦を受けて苦を観察している
中で、「どうせ死ねばこんなことで苦しむのは無意味だ」と、苦を受ける
感覚がなくなり強制終了する感じです。

死を思った後で今受けている苦を観察すると、苦がどうでもよくなるのは、
良いことなのでしょうか。

81避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 05:34:46 ID:aQye2HjU0
亡くなっても残る意識とは、ハードディスクに残っているデータと観ました。
データはアラヤシキの機能で再生はされますが、感情は伴わない。
しかし生きている人の意識とは繋がっており、想いは伝わる。
その想いに対して反応することはないのでしょうか?

82避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 05:36:31 ID:eAIt472s0
>>69
ご教授ありがとうございました。
私は昔から集団に溶けこむのが苦手で、人々と無用の対立をしてしまい、今は社内で浮いている状態です。
年齢は40代半ばで、結婚はしましたが、子供はおらず、作るつもりもありません。
社会からの逃避するために、貯蓄や投資による不労所得で、今後無職でも暮らせる目途は立ちました。
しかし、このまま仕事を続けるか無職になるかについては、いまだ迷いがあります。
辞めたい理由は、対人関係で苦を受けるのと、自由時間があまり取れないことで、
一方で辞めたくない理由としては、社会のレールから外れることに大きな不安があるからです。
自分の本心がわかれば、それに従おうとは思うのですが、現時点で本心は全く見えません。
ネット上で和尚様にご教授いただいている止観は、数年前から年初まで不定期ながら行っており、
今年になってからは、毎朝20分実践してますが、いまだに苦滅もわからずにいます。
どうかお導きいただきますようお願いいたします。

83避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 05:41:40 ID:aQye2HjU0
生きているうちに、アラヤシキの機能で記憶や観念が再生されても気に触らない状態。
それが悟りと観ました。
亡くなった状態で生きていることができると言い換えるこどもできますよね?

84避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 05:53:47 ID:aQye2HjU0
亡くなると、「あれ? ここにいるのになぜだれもわからない?」
生きているときと変わらず自分を認識していますが、うったえてもほとんどの人にはわからない。
その意識がやがて薄れていくことが四十九日が目安なのでしょうか?
その後の意は、生きている時の記憶と観念に支配され永遠に続く。
それが苦しみならば、死んでしまった後では変えることはできない。
生きているときには記憶や観念は直すことができる。
だが亡くなった方の苦しみは、生きている人の供養により、癒すことはできる。
死んでも意識で繋がっているとはそのようなものと観ました。

85避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 09:45:31 ID:rIFRVnQI0
>>77
ありがとうございます。

苦の原因を考えると、「〇〇だから」という答えはキリがない程出て来るのですが、
本当の原因はまだ気付いていないのかも知れません。

鬼和尚と苦滅の法に出会う前からも、
苦の原因を考えて、分かったような気がしては、また同じ苦が出て来て何も変わらない…ということを繰り返しています。

本当の原因を見付けるコツのようなものはありますでしょうか?

86避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 10:02:13 ID:rIFRVnQI0
ふと目の前のものに意識がとらわれた時なんかは、軽くなります。

「自分」「人生」「過去」「未来」とか、そういったものがない瞬間なのだと思います。

普段、無意識でも何か考えていてもこれらが働いてしまうのはなぜでしょうか。
pcの不要な常駐ソフトのようです。

それらに囚われずただ今の意識に集中出来るようにすることが、修行でもあるのでしょうか?

これは数息観が役立ちそうですが、
苦滅の法とはまた別の苦を滅する法にもなるのでしょうか?

87避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 12:29:39 ID:rIFRVnQI0
すみません、普段行っている苦の原因の探し方について、補足させてください。

苦を滅する為に、嫌な記憶や、自分が最も嫌がっている事などを想像したり、自分に対して嫌な言葉を浴びせてみたり、辛いことを考えたりというのは、よくしています。
そのため、号泣したり…ということもあるのですが、だからと言って何も変わらないのです…。

自分では、苦の原因を探すため、嫌な記憶や恐れから逃げずに向き合っているつもりです。

88避難民のマジレスさん:2017/06/15(木) 12:32:44 ID:rIFRVnQI0
対人の苦手や人目が嫌な事をまず一刻でも早く滅したいですが、虫が苦手という苦さえも滅せられていません…。まだ全然、ひとつの苦を滅せれるコツさえも掴めていないようです。

89香雪:2017/06/15(木) 17:58:40 ID:q6UBxgPc0
鬼和尚様

ブログコメントに投稿ができませんでしたので、こちらで。
コメントいただき、ありがとうございました。
何かモヤモヤしていたものがすっきりした感じがしております。
やはり自灯明ということで、できる限り励んでいければと改めて思いました。

実践あるのみ、がんばろうと思います。

それでは失礼いたします。

90としぼっくり:2017/06/15(木) 19:22:51 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
やる気が一番大事と仰いますが、やる気の出し方、コツなどがあれば教えて頂けないでしょうか。

91鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/15(木) 20:57:14 ID:1d4drIFg0
>>78 わかないじゃろう。
 つながりがあると認識すれば苦が少し和らぐじゃろう。
 それが供養の意味なのじゃ。

>>79 生まれる前を思い出せばよいのじゃ。
 恐れが無ければ簡単なことなのじゃ。
 それもまた死なのじゃ。

>>80 よいことなのじゃ。
 死に比べればどうでもよいことを苦にしていたと気付いたのじゃ。
 意味のない観念遊戯に時間を費やすより死を思うほうがよいのじゃ。
 悟りを得ようと言う意欲が出るからのう。

>>81 苦が少し楽になるじゃろう。
 孤独ではないと知れるからのう。
 それもまた消えていくものであるがのう。

>>82 すでに本心はわかっているのじゃ。
 社会のレールから外れたくないと言うのも本心なのじゃ。
 それでためらっているのも本心なのじゃ。
 心を偽らなければ迷っている心も本心なのじゃ。

>>83 悟ればもはや阿頼耶識はないのじゃ。
 あるものとして仮に利用することは出来るがのう。
 それが行きながら死んでいることなのじゃ。

92鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/15(木) 21:19:13 ID:1d4drIFg0
>>84 そのようなこともあるじゃろう。
 自分が生まれる前のことを思い出してみるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>85 苦の原因が分かれば瞬時に苦が軽くなるじゃろう。
 自分が一番避けていたことが大抵原因なのじゃ。
 原因をみないように逃避していたから苦が今もあるといえるのじゃ。
 そのように見分けるとよいのじゃ。

>>86 認識が記憶に依存しているからなのじゃ。
 記憶から過去が起こり、未来にそれをあてはめて不安が起こるのじゃ。
 阿頼耶識の働きなのじゃ。
 阿頼耶識がなくなればそれらの苦も永遠になくなるのじゃ。

>>87>>88 それもまた逃避の一つかもしれん。
 最も嫌なことを避けるためにそのようなことをしているのかもしれん。
 本当の原因とはその苦に執着していることかもしれん。
 人間は苦にさえも執着するものじゃ。
 例えば病になっていれば他人が構ってくれるからとわざと病になり続ける者も居るのじゃ。
 苦の原因は大抵執着であるからのう。
 
>>89 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 ブログはわしが承認しないとコメントは見られないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>90 常に死を思うのじゃ。
 そして死を超える道が唯一ここにあると思うのじゃ。
 そうすればやる気もでるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

93としぼっくり:2017/06/15(木) 21:41:17 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
常に死を思って修行に取り組んで行こうと思います。

94避難民のマジレスさん:2017/06/16(金) 11:30:42 ID:rIFRVnQI0
>>92
鬼和尚、ありがとうございます。

心をもっとよく見れるよう数息観で集中力を養います。


苦を滅すると、どうゆう感覚になるのでしょうか?

例えば私が何の関心も無い事…買い物を楽しくも嫌でもなく感情を伴わずしっかり出来るように、
対人に対しても特に何の感情も湧かなず、必要な意思伝達などのコミュニケーションが出来るようになるのでしょうか?

95避難民のマジレスさん:2017/06/16(金) 20:27:16 ID:QoQZrmNc0
鬼和尚さん、すみません、また質問させてください。

自分の本心を見ようと、不安に思うことを心の中から探り出してみたのですが、死ぬのが怖いという気持ちはそれほど出てこずに、
傷つけられたくないとか、自分の価値を下げたくないとか、得をしたいとか、そういう気持ちが見えてきました。
でも、傷つけられたくない、自分の価値を下げたくない、得をしたい、というのはどれも、最終的には死から遠ざかりたいということだと思います。
死ぬのが怖い、という気持ちがすぐに出てこずに、そこにつながる別の気持ちの方が強く出てくるのは、やはり逃避なのでしょうか?

死ぬのが怖いという気持ちがはっきりと見えれば、何となくそれをたどって自我を見られる気がするのですが、その本心は隠されている気がします。
本心を見るには、今見える気持ちをさらに原因を探って、逃避を暴いていけばいいのでしょうか?
でも、強くブロックされている感じで、その原因がなかなか見えません。
隠れている本心を見るための、何か良い方法があれば、教えてください。

96進路探訪者:2017/06/16(金) 21:03:35 ID:dTh8KuKE0
>>91

ご返信ありがとうございます。

それでは、生まれる前の自分の記憶や意識とはどのようなものですか?

研ぎ澄まされた自分の意識や記憶がそれに近いのですか?

97鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/16(金) 21:56:01 ID:1d4drIFg0
>>93 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>94 そのようなものじゃ。
 記憶はあるが苦の反応がなくなるのじゃ。
 今まで苦であったことも何の苦もなく行えるのじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。

>>95 逃避もあるじゃろう。
 それが死につながる感情であれば、それもまた本心でもあるのじゃ。
 すぐには死の恐れがみえなくとも、日々続けていけばみえるようになるのじゃ。
 本心を観るのに近道はないのじゃ。
 ただありのままの自らの心を認めるだけなのじゃ。
 今まで見ようとしなかった心を今見ようと強く意志を持つのじゃ。
 それによって少しずつ見えるようになるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>96 今のおぬしの意識そのものなのじゃ。
 そこに生まれる前も死後の意識もあるじゃろう。
 深い瞑想や睡眠の意識でもそれは味わえるじゃろう。
 実践によって確めるのじゃ。

98避難民のマジレスさん:2017/06/17(土) 02:33:22 ID:qEvtNlQE0
お金や物は大切にしてくれる人に集まるといいますが本当でしょうか?
ギャンブルや特に必要ないものをすぐ買って散在する人はお金に好かれないのですか?
いわゆるケチもまたお金に好かれてるとは考えにくいのですが
大切に使うということがどうも私には足りない気がするのです

99避難民のマジレスさん:2017/06/17(土) 05:45:42 ID:eAIt472s0
>>91ご教授ありがとうございました。
本心に従えば、死ぬ前に後悔しないと理解していましたが正しいでしょうか?
正しいとすれば、本心がためらい迷っているならば、
本心の欲するままに、ためらい迷った状態を続けるべきなのでしょうか?

100避難民のマジレスさん:2017/06/17(土) 18:50:23 ID:2mjcL8.g0
>>97
鬼和尚さん、ありがとうございます。
本心を観るのに近道はないのですね。

鬼和尚さんのブログにある、自我を城に例えた、城の譬という記事の意味が少しわかってきました。
でも、何となくちょっとだけ進んでいる気がするので、さらに少しずつでも自分の本心を深く観察してみたいと思います。
今まで見ようとしなかった心を見るのだという気持ちでやってみます。
ありがとうございました。

101進路探訪者:2017/06/17(土) 21:07:01 ID:DIiPmWc60
>>97

しかし、生まれる前の自分を見ることということは、今の自分を観察するという
作業のコツとしておっしゃられたと認識しておりますが、それにもかかわらず、
生まれる前の自分を観察する正体が今の自分をよく観察することというのでは
腑に落ちません。

生まれる前の自分を見るコツが、今の自分を見るというのはもっと詳しくいうと
どのような意味あるいは意味合いなのでしょうか。

102鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/17(土) 21:45:54 ID:1d4drIFg0
>>98 そのようなことも言えるじゃろう。
 何かを大切に思っているとそれを集める知識も技も身につくのじゃ。
 ギャンブルや散在する者はむしろ破滅願望やお金を不浄とか憎いと思う気持ちがあるのかもしれん。
 それではお金も集まらないのじゃ。
 自分の隠された本心を受け入れ、観察して観るのじゃ。
 そのような気持ちがなくなればお金も集められるようになるじゃろう。

>>99 そのような理解でよいのじゃ。
 本心が見えたならばそのような状態も自然に変化していくのじゃ。
 自然な変化を受け入れ、全てを観察するとよいのじゃ。
 それが本当の進歩なのじゃ。
 本心をどこまでも観察していけば心は自然に整えられていくのじゃ。

>>100 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

103鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/17(土) 21:59:13 ID:1d4drIFg0
>>101 意識は今の自分ではないのじゃ。
 自分という観念を超えたものなのじゃ。
 時と言う観念もないものじゃ。
 全てを超えてただ在り続けるものじゃ。
 それに通じれば過去も今も全て一つとして見られるのじゃ。
 悟った者に前世が見える宿命智が芽生えるのもそのためなのじゃ。
 それは強く集中することでも達成できるものじゃ。
 死の恐れをも超えて今の意識に深く没入すれば過去の事も悉く見られるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

104避難民のマジレスさん:2017/06/18(日) 05:50:24 ID:eAIt472s0
>>102
何が起ころうとも、そのときの心の動きを観察するよう努めます。
ご教授ありがとうございました。

105避難民のマジレスさん:2017/06/18(日) 07:51:13 ID:hDl7hXkQ0
これから起こることにためらいながら、光の中へ一気に飛び出ました。
そのタイミングでオギャア!と叫びました。
男の子ですよ!
と看護婦さんが話をする。

近所の人が赤ちゃんを見に来ます。
かわいい赤ちゃん!
全て聞こえていますし、意味もわかります。
笑ってあげるとすごく喜んでくれました。
生まれてから多分あかちゃんの頃は、この世の全てを理解し、万能感がありました。
しかしこの世界で成長し物心がつくにつれ、こちらの世界に染み付いていく中、万能感は薄れていきました。
それでもつながることはできました。
そしてお父さん、お母さんとの言葉を教えられたぐらいから繋がることができなくなりました。

あれから何十年が過ぎて禅に縁があり組んできています。17年がたちますが、あの赤ちゃんの頃の万能感には至りません。
あの万能感が悟りなのでしょうか?
ひたすら本心を観察するプロセスが、通じていくのでしょうか?

そしてあれだけの生まれる前のためらいを感じていたのは、まさに今の苦しみを自分で設定していたからなのかとも感じています。

106蓮恵:2017/06/18(日) 10:54:11 ID:NzzPrVro0
観念があるからこの世界と己が存在するのですね

107避難民のマジレスさん:2017/06/18(日) 10:57:54 ID:czRftzgI0
苦い記憶が甦ると胸のあたりが緊張状態になり、この負荷感を不快に思うから苦になる。
不快という思考以前は体の反応にすぎないと、観察しました。どうでしょうか?

108進路探訪者:2017/06/18(日) 14:56:15 ID:DIiPmWc60
>>103

ご返信ありがとうございます。

しかし、そのように生まれる前の自分を見ようとしてヴィパッサナーを
行っても、それでは単にただボーっとした無意味な感覚しか得ることが
できません。

私の意識ではここまでしか到達できません。

109鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/18(日) 22:08:12 ID:1d4drIFg0
>>104 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>105 悟りではないが忘我の状態なのじゃ。
 赤子にはまだ自我がないからのう。
 その状態では一時的に無我の世界もみえるのじゃ。

 本心を観察し、ひたすら集中すればまたそこに至れるのじゃ。
 更に不死の境地にも至れるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>106 そうじゃ、世界も己も観念によって創られているのじゃ。
 観念がなければ創られていないありのままの世界が見えるのじゃ。
 それが不死の境地なのじゃ。

110鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/18(日) 22:09:57 ID:1d4drIFg0
>>107 よい気付きなのじゃ。
 感情は体の反応として表れるものじゃ。
 その反応を繰り返し観察すればやがて消えてしまうのじゃ。
 記憶はあるが苦の反応がなくなるのじゃ。
 それにも囚われず進むとよいのじゃ。
 
>>108 そのような智慧はむしろ集中によって到達できるのじゃ。
 自我も超えるほどに集中すれば能力の制限が突破されるのじゃ。
 日々の瞑想によってそれは可能になるじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

111進路探訪者:2017/06/19(月) 00:29:20 ID:5UcS1zmo0
>>110

ご返信ありがとうございます。

しかし、それならば生まれる前の自分を見るにはサマーディを完成させる必要がありますよね。

だとすると、サマタ瞑想の不得意な者にはこのような生まれる前の自分を見るのは難しいのではないですか。

112としぼっくり:2017/06/19(月) 01:06:07 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
本当に死を超える事は出来るのでしょうか?

113避難民のマジレスさん:2017/06/19(月) 05:36:52 ID:czRftzgI0
>>107
回答ありがとうございました、観察を続けます

114避難民のマジレスさん:2017/06/19(月) 07:13:37 ID:K1DT3PSk0
>>102
>>98
ご回答ありがとうございます
私には「必要以上のお金のためにあくせく働くなんてバカみたい」という気持ちと
「お金がないのはみじめだ」という相反する気持ちがあります

おそらく自分から拒否している心があるみたいですね
もっと観察してみます

115鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/19(月) 20:00:34 ID:1d4drIFg0
>>111 決意して行えば難しいことも無いのじゃ。
 ただ姿勢を正しくすれば誰でもサマーディに至れるのじゃ。
 姿勢が大事なのじゃ。
 姿勢を正して実践あるのみなのじゃ。

>>112 出来るのじゃ。
 仏陀と多くの阿羅漢達が証明しているのじゃ。
 座禅だけでも多くの者が悟っているのじゃ。
 止観を行えば悟りも容易になるじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

>>113 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>114 そうじゃ、本心を観察して進むのじゃ。
 またおいでなさい。

116としぼっくり:2017/06/19(月) 21:32:11 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
悟りとは、自我を滅して、認識を滅する事で、それが死を超えた不死の境地という事でしょうか?

117避難民のマジレスさん:2017/06/20(火) 12:14:09 ID:o/aV81ho0
鬼和尚こんにちは。
質問なのですが、この世は起こることが起きているだけなのでしょうか?
私の考えも起こるべくして起こったのですか?
そうなると、私がしたいと思ったことも起こるべくして起こり、それが達成されるされないも起こるべくして起こったのか。
和尚の見解はいかがでしょうか。

118避難民のマジレスさん:2017/06/20(火) 17:22:18 ID:jXBLfuUE0
追記すみません。
起こるべくして起こるってもしかしたら自我を滅するテクニックなのでは?と鬼和尚のブログを読んでいて思いました。
もしそうだとしたら、何かを成し遂げたいなら自分の意思はしっかり持たないといけませんね。
どうなんだろうな。

119進路探訪者:2017/06/20(火) 20:48:31 ID:DIiPmWc60
>>115

ご教授ありがとうございました。

・・・話を変えて申し訳ありませんが、本日すごい変化がありました。

自分の中にたくさんある苦の1つの原因が分かり、それが消えました。

消えた苦とは、複雑なものです。世間体や常識という物差しで
自分を無価値な存在としか見なせなかったといった感じです。

社会では、世間体や常識という、とりあえず悟りを開いていない身の上
では大海原のような強大でどうにもならない観念があります。

また、私は幼少のころからいじめや運動ができないコンプレックスから、
すぐ自己否定をする癖がついております。

社会人になり常識や世間と出会った結果、世間体や常識という観点から
自分の評価をしてしまい、今までの自分が非常識であったことを恥じました。

それ自体は悪いことではないかもしれませんが、いくつもの非常識な言動
をした記憶が残り、それが生来の自己否定という感情と結びつき、
非常識な言動をした自分の存在の全てを否定してしまっていました。

しかし、最近になり、それは単に、自己否定という感情と世間や常識との
区別が単についていないだけであるのが原因と分かりました。

世間や常識は私の価値とは無関係で、そういう誤認とは、自分のことを
他人が悪口をいっていたのを間違って認識していたからでした。

むしろ、他人と対決せずとも世間体が原因で自分が非難されるべきならば、
世間体にはかなわないからしょうがないと、世間体という束縛を同時に
自己逃避の手段としていました。今では、世間体とはもっと道徳的に強く
非難されるべきことがらで関係してくるので、とりあえず自己否定したい
感情とは関係ないと見なせるようになりました。

これがわかって自分の苦が一つ消えたと思っているのですが、これは
仏教的にも苦が消えたと考えても良いのですか?

そうだとすると、苦が消えるというのは、時には自分の苦の原因と
なっている観念を論理的に探ることでもよいのですか?

120鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/20(火) 21:54:37 ID:1d4drIFg0
>>116 そうじゃ、それが不死の境地なのじゃ。
 簡単に言えば自我と、阿頼耶識と言う認識の作り出す観念が、本当の存在のあり方を見えないようにしているのじゃ。
 それらが取り除かれると、本来肉体に縛られるものではない意識が感じられるようになるのじゃ。
 そして肉体の死は存在の消滅ではなく、悲劇的なものでもなく、単なる変化であり、観念であったとわかるのじゃ。
 そのようにして死を超えるのじゃ。

>>117 そうともいえるのじゃ。
 そうでないともいえるのじゃ。
 原因から必然的に起こることもあるじゃろう。
 原因があっても他の要因で起こらないこともあるじゃろう。
 人の自由意志も少しはあるじゃろう。
 それによって起こることも起こらないようにしたり、起こらないことも起こるようにできるのじゃ。
 この世では人の意志が一番強いのであるから、修業して悟りも得られるのじゃ。

>>118  そのように感じるならばそれにょって実践してみるとよいのじゃ。
 よい結果が得られるかもしれんのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>119 よかったのじゃ。
 論理的に考えることで集中力が増し、気付くこともできたのじゃ。
 それもまた観察を伴っているものじゃ。
 経典に書かれていることも論理と思われているが、実は観察の例なのじゃ。
 論理のみの場合は原因を誤って求めてしまうこともあるのじゃ。
 論理的に正しいからそれが原因であるとか、考えて求めてしまうから間違うこともあるのじゃ。
 観察によれば自らの反応を常に見張っているから間違うことも無いのじゃ。
 原因が正しくなければ反応も無いからのう。
 そのような違いがあると知るとよいのじゃ。

121としぼっくり:2017/06/20(火) 22:23:18 ID:DAY232aw0
丁寧なご説明ありがとうございます。
理解がより一層深まりました。日々、精進して死を超えようと思います。ありがとうございます。

122避難民のマジレスさん:2017/06/20(火) 23:57:53 ID:Z4p/NdYs0
>>120
レス頂きありがとうございます。

実は起こるべくして起こるに身を委ねていた時期がありました。
今でもそうといえばそうです。
コントロールしようという意思自体が宇宙の繋がりによって起こったものであり、自分には何の責任もない。
このような心境はかなり楽であり、自我も起こっているものと捉えると悩みなど吹き飛びます。

全部宇宙の意思であり起こりべくして起こる。
お釈迦さまのタタータはこのように解釈されていますが、本当に釈迦はそのような意味で言ったのか?途中で曲解されたのではないか?など少し懐疑的であり、ここは和尚に聞いてみようと質問してみました。

突き詰めると確かに自我には自由意思はないと思いますが、
私が何かを成し遂げたいと思うこと自体宇宙の意思である。
しかししかし、そのように認識しているのは自我である。
しかししかししかし、そのように認識するよう仕向けたのは宇宙である。
と、切りがない笑

実は全部夢の中で起こっていることであり、夢の中で自我が反応するとその反応にまつわる出来事が起こる。
そのような脳のような夢の装置がここなのではないかと思ったりもします。

悟りとは関係のない話ですみませんでした。
ありがとうございます。

123避難民のマジレスさん:2017/06/21(水) 01:08:31 ID:LScZtiwk0
鬼和尚様、
例えばの話ですが、悟りへの願望もない、悟りの知識もまったくない人が、
精神的にいいぐらいの理由で座禅を続けて、毎日簡単にサマーディに入れるようになったとします。
本人はサマーディが何かも知らないし自覚もまったくありません。

これは、悟りに近い状態と言えるでしょうか?

124避難民のマジレスさん:2017/06/21(水) 13:43:36 ID:rIFRVnQI0
鬼和尚、
ふと思ったのですが、集中と観察はとう違うのでしょうか?

前は、呼吸の感覚に集中していたため、呼吸によって喉や腹が動くのも観てしまい、集中が定まっていませんでした。鬼和尚の仰る通り鼻先へ集中しすると、集中の先が定まりました。

何か刺激や感覚がある度に、「観る」というのか「意識する」先がその場所へ移り変わり、「鼻先へ戻そう」という意志で戻します。

鼻先、鼻の空気の出入りに集中していることは、観ていることと同じように感じました。

これは、鼻先の空気の出入りを「観察している」ことではないのでしょうか。観ること、意識する先、を1点に集め動かさないことが、「集中」でしょうか?

このように、集中も観察も同じように感じてしまったのですが、集中の仕方にどこか間違いがありますでしょうか?

125避難民のマジレスさん:2017/06/21(水) 13:47:50 ID:rIFRVnQI0
続けてもうふたつ、よろしくお願い致します。

頭の中が、快くなってきたら、意識の場所が鼻先よりも、頭の中に移り変わる感じがします。
そうなっても、集中の先は鼻先に置いたままが良いでしょうか?
頭の中に移した方が良いでしょうか?

また、サマーディは姿勢によってなるものと、集中によってなるもの、二種類があるという理解で合っていますでしょうか?

126避難民のマジレスさん:2017/06/21(水) 17:11:04 ID:czRftzgI0
自我は人が自分をこう思っているだろうというイメージとか自分が日本人だとかOOが苦手とか私は頭がいいと思っているとか私はXXという名前だとか無意識に思っていることを言うのですよね。
自我を無意識から意識に移すことでそれを乖離する。だから意識している自我はないですよね?

127鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/21(水) 21:33:19 ID:1d4drIFg0
>>121 どういたしまして、またおいでなさい。

>>122 そうじゃ、観念を離れるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>123 人によるが近くないじゃろう。
 大抵の者は恐れて自分がおかしくなったとか思うものじゃ。
 そのような心境になった者の話が西洋にもよくみかけるものじゃ。
 最後には自殺とかしてしまうものもいるのじゃ。
 
>>124 それは意志が違うのじゃ。
 集中では同じところや呼吸に意識をかけつづけるのじゃ。
 反応とか刺激が起きても流して、何が起きても続けるのじゃ。
 対象に没入するのじゃ。

 観察では同じところに意識をかけないでよいのじゃ。
 新しい反応や刺激が起こればそれに注意するのじゃ。
 対象とは距離ができるのじゃ。
 そのように違うのじゃ。

>>125 鼻先に集中し続けるのじゃ。
 どのような刺激や反応が起きても同じ対象に集中し続けることで深い瞑想に入れるのじゃ。

 それはサマーディに入る補助になる方法が二種類なのじゃ。
 他にもいろいろな方法があるのじゃ。

>>126 そうともいえるじゃろう。
 完全に意識できたら気付きが起こり、なくなるからのう。
 それが観念でしかなかったとわかるのじゃ。

128としぼっくり:2017/06/21(水) 23:11:52 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
死は超えた方が良いのでしょうか?

129避難民のマジレスさん:2017/06/22(木) 06:44:18 ID:czRftzgI0
自我の乖離は大変ですが頑張りたいと思います
また何かあればお願いします

130避難民のマジレスさん:2017/06/22(木) 09:22:52 ID:wpzKKBII0
>>127
ありがとうございます。
集中と観察の違いがわかりました。
そのように集中するようにしていきます。

サマーディに入る補助になる方法は他にも色々あるのとのことですが、どのようなものがあるのでしょうか?

131避難民のマジレスさん:2017/06/22(木) 12:58:54 ID:Daf3Ag0M0
鬼和尚さん

自分が書いたものに自我が投影されているのを厭離したいのですが、どう観察したら良いでしょうか?
例えば、掲示板などで何かを書いて、もし、それが批判されたら自分が批判されたように感じます。

書かれているものを見るだけの場合は、その時に湧いてくる怒ったり悲しんだりする感情が、最近は体が恐怖心で反応しているだけに思えてきて、それほど気にならなくなりました。
これは、その時に湧く感情が観察しやすいからだと思います。

でも、自分の書いたものを観察すると、ただ文字を見ているだけなのに、自分のもののように感じます。
これは、何かを読んで感情が湧くだけの場合と違い、わざわざ自分がそれを自ら書いたという記憶があるから、自我が投影されるのかもしれません。
こういう場合も、見ているだけでそのうち厭離されるんでしょうか?

自分の書いたものを眺めていると、自分のその時の気持ちや記憶が自動的に思い出されてきている気がします。
こういう観察の時は、それは思い出さない方が良いのですか?
それともその感情や記憶も観察した方が良いのでしょうか?

132鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/22(木) 21:25:52 ID:1d4drIFg0
>>128 死の苦を持つ者はそのように願うじゃろう。
 今ここでは安楽な生活が出来る故に、それも感じない者が多いかもしれんがのう。
 確実に来る死によって肉体の全てが失われる苦を知るならばそれを超えるべきとわかるじゃろう。
 それを知るには常に死を思うのじゃ。
 死を思うことが死を超える必要を教えてくれるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>129 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>130 薬を飲んだり、呼吸法とかもあるのじゃ。
 神仏に献身するとかもあるのじゃ。
 あまり確実な方法ではないのじゃ。

 観察できれば厭離されるのじゃ。
 観察できなければできないのじゃ。
 思い出したら思い出したと観察するのじゃ。
 今ここに起こる事をありのままに観るのじゃ。
 そうすれば自分ではないと気付くのじゃ。

133鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/22(木) 21:34:28 ID:1d4drIFg0
>>131 観察できれば厭離されるのじゃ。
 観察できなければできないのじゃ。
 思い出したら思い出したと観察するのじゃ。
 今ここに起こる事をありのままに観るのじゃ。
 そうすれば自分ではないと気付くのじゃ。

134香雪:2017/06/22(木) 21:36:28 ID:q6UBxgPc0
鬼和尚さま

こんばんは、ご質問があってまいりました。
身体に反応が顕れるのが先、ということを拝見しまして、
改めて仕事中に観察をしてみました。

結果として、耳で聞いた音や人の声に、まず身体が反応します。
胃や心臓付近がもやっとするなどの不安感などの感覚として。
次に記憶や言葉が想起されてきます。それでさらに不安な感覚が増大します。
そして次に思考が始まります。それでさらに苦が増大してきます。

記憶が想起される過程は阿頼耶識のプロセスということで理解してみましたが、
12縁起で言うと、六処で受けた衝撃が触、身体に顕れる反応は受、
思考を始めている段階ですでに取、という考え方で合っていますでしょうか?

無理して縁起に当てはめる必要もないかとも思うのですが、
阿頼耶識のプロセスは無明から行・識などにまたがって行われ、
その後、自我生成から投射までのプロセスが名色・六処以降に行われるのでしょうか?

縁起の法に興味があります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

135としぼっくり:2017/06/22(木) 21:58:15 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
常に死を思おうとおもいます。

136避難民のマジレスさん:2017/06/22(木) 23:52:11 ID:Daf3Ag0M0
>>133
鬼和尚さん、ありがとうございます。

ようやく、何かを厭離したい時の観察の仕方がわかってきました。
つまり、自分の書いたものを厭離したい時は、書いたもの自体やその内容を観察するのではなくて、それを見ている時の自分の心の動きを観察するのですね!
だから、湧き起こる感情を観察した時は、自分を観察しているから感情を厭離できたのですね。

当たり前のことかもしれないのですが、観察対象についてはっきりとわかっていませんでした。
鬼和尚さんのおかげで理解できました。
厭離もできてきた気がします。
とても助かりました。
ありがとうございました。

137鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/23(金) 21:31:31 ID:1d4drIFg0
>>134 そのような理解でよいのじゃ。
 十二因縁も観察例の一つに過ぎないから、あまり囚われてはいかんのじゃ。
 自分の観察がそれに反していてると間違いではないかと思うかもしれんかせのう。
 観察によって厭離が起こり、苦が無くなるんならばそれが正しい観察と言えるのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

>>135 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>136 よかったのじゃ。
 またおいでなさい。

138香雪:2017/06/23(金) 22:02:51 ID:q6UBxgPc0
鬼和尚さま

縁起のお話、ありがとうございました。
順番に囚われてはむしろ進みも遅くなってしまうかもしれない、
ということなんですね。

仏教の理論は難しくてなかなか理解できないことが多かったのですが、
観察という実践で以前よりも心を知ることができるようになりました。

今後も精進していこうと思います。それでは失礼します。

139避難民のマジレスさん:2017/06/24(土) 18:09:08 ID:Daf3Ag0M0
鬼和尚さん

続けてすみませんが、集中について質問させてください。

数息観などで集中して深い瞑想に入ることは、肉体的に疲れていても可能なのでしょうか?
究極まで力を抜くのがコツだと鬼和尚さんは書いていますが、それはつまり、肉体的に疲れていても力を抜いて座れば、寝ているくらい楽だということですか?

私はまだ姿勢のコツを探っているところなので、疲れていると集中し続けることが難しいです。
疲れていたり睡眠不足だったりすると、3分くらいでやめたくなってしまいます。
元気な時の方が集中できる気がします。
でも、本当に集中している時はリラックスして究極まで力を抜いているはずなので、元気でなければ集中できないというのは気のせいなのでしょうか?
うまく座れば、疲れていても関係なく集中できるのですか?

それから、瞑想で疲れがとれるという話をよく聞きますが、それは精神的な疲れ以外にも、肉体的な疲れにも言えることなのですか?

140としぼっくり:2017/06/24(土) 19:03:20 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
死は今にあるのでしょうか?

141鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/24(土) 21:12:56 ID:1d4drIFg0
>>138 そうじゃ、必要なのは自らのありのままの心を受け入れ、観察するだけなのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>139 慣れれば少しぐらい疲れていても集中できるのじゃ。
 肉体は疲れも感じないじゃろう。

  少しぐらいの疲労ならば姿勢を正しくして、呼吸すればとれるのじゃ。
 物凄く疲れて肉体が痛むほどであるといかんのじゃ。
 ストレッチとかヨーガで疲労を回復してからやるとよいのじゃ。
 疲れ具合によるのじゃ。
 
>>140 あるじゃろう。
 心臓が止まれば今すぐにでも死ぬのじゃ。
 呼吸が止まっても五分で死んでしまうのじゃ。
 死はいつか遠くではなく今あると言えるのじゃ。

142としぼっくり:2017/06/24(土) 21:31:45 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
死を超えようと思います。

143避難民のマジレスさん:2017/06/24(土) 22:15:26 ID:o7TfOr0I0
別のところでも書いたが、鬼和尚は〜〜じゃ言葉を止めればもっと信者が増えるだろうに
それをやらずに亀仙人みたいな話し言葉で、大多数の高慢な人間の失笑を買っているのだが、
少数の助けを求める人のために、あえて、年寄り言葉を使っているようだ。
それは凄いなと思う。今まで多くの覚者に会って来たが、慈悲一番は鬼和尚だと思う。

144避難民のマジレスさん:2017/06/24(土) 22:41:02 ID:dpLRfrSw0
>>141
鬼和尚さん、ありがとうございます。
疑問が解決できました。

鬼和尚さんの回答からすると、私はやはりできれば疲れていない時に瞑想した方が上達するかもしれないですね。
私は寝る前に瞑想していますが、疲れていることが最近多くなってきてしまったので、時間のある土日はもう少し早い時間に瞑想しようと思います。

そして、疲れている時は、疲れを取ってから瞑想すればいいのですね。
少しの疲れは姿勢を正して呼吸すれば良いということなので、平日の夜はそれで今後やってみます。
ありがとうございました。

145鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/25(日) 21:18:10 ID:1d4drIFg0
>>142 そうじゃ、死を超えた境地にまで進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>143 おぬしにはまけるがのう。
 わっはっはっは。

>>144 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

146進路探訪者:2017/06/26(月) 00:22:20 ID:DIiPmWc60
>>120

ありがとうございます。

法随観とは論理を用いて感情を見るということだったのだと分かりました。

そのコツをつかめました。

おかげでまた進歩できました。

世間体と自己否定の感情を区別できたことに加え、今度は他者からの
否定的な言動と自己否定的(ネガティブ)な感情をある程度区別できました。

他者の私を虐げる言動により、潜在的な自己否定の感情が呼び覚まされ
ていたのが今まででした。

しかし、私は疑似科学的かもしれませんが、相手の言動を自己と区別
するために、ベクトル的に考えました。つまり、相手の言動を、
「力・向き・位置」で捉えました。

すると、相手の言動は、相手から私という方向で従属的な関係を強いらせ、
そして私の言動を何かしらあげつらうことで、私が劣っているということの
説得力をもっていました。

しかし、決定的に違うのが、「位置」です。方向や力では区別できませんが、
相手が強力であるがゆえに従属的関係にある非力な者は、相手の
頭の中という空間に位置する存在で、私とは区別されるものです。

しかし、なおも問題があります。私を否定したい他者の頭に存在する
非力な「私」は、ヴァーチャルな存在で現実の私とは違いますが、
ベクトルの平行条件のように、位置情報を無視してしまえば私に
ピッタリ重なり合い、区別ができなくなってしまいました。

位置までは区別できましたが、相手の観念と私とで重なる力と向き
をどう区別すればよいでしょうか。

147避難民のマジレスさん:2017/06/26(月) 19:43:38 ID:4nJZYcxk0
鬼和尚さん

じつは、ちょっとした質問がありまして、今日はレスがあまりないみたいなので、続けて質問させてください。

鬼和尚さんは善行は心をもってなされるとブログに書いていますが、例えば、コンビニのレジに置いてある募金箱などはどう思いますか?
あれに会計後に出た小銭を入れる人は、財布が小銭でいっぱいになるのが嫌だから、という利己的な気持ちも少しありますが、それと同時に、募金になるなら一石二鳥だとか、募金する良い機会だとか、お互いにプラスだから善いことをしている、などと思っていると思います。
これは善行になりますか?

次に、鬼和尚さんは、誰かを憎むのは心の動きだから悪ではない、それによって行動することが悪だ、とどこかに書いていたのですが、SNSや掲示板に誰かを憎む気持ちを書くことはどう思いますか?
書く人は匿名で書いているので、それによって直接誰かを傷つける訳ではありません。
同じようにわかる人に気持ちを知ってほしいからとか、憎む気持ちを吐き出したり整理したいから書くのだと思います。
これは悪行になりますか?

148避難民のマジレスさん:2017/06/26(月) 19:49:15 ID:czRftzgI0
和尚さんは初めてサマーディに入った時どれくらい集中していたのですか?今では瞬時に入れるのですか?
私は30分位集中すると飽きてきます

149避難民のマジレスさん:2017/06/26(月) 21:07:58 ID:czRftzgI0
鼻先に集中するのは鼻先と一体化するように意識を集中するのですか?


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