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鬼和尚に聞いてみるスレ part2
53
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/22(火) 19:59:52 ID:WL2yRwjAO
仲間から切り離され孤独に長い間晒されたチンパンジーはうつ病になる割合が高いそうですが
何故、鬼和尚はうつ病にならないのですか?
54
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/22(火) 21:04:22 ID:kaXJvxhM0
>>49
そうじゃ、思考との自己同一化が習慣になっているのじゃろう。
観察は思考を使わない故に、思考の習慣がある者には困難になるものじゃ。
しかしその困難こそが変容をもたらすものである証明なのじゃ。
今まで通り習慣によって楽な事をしていては、変容は訪れる筈も無いのであるからのう。
これから自我の抵抗も出るであろうが、万難を廃して進んで行くのじゃ。
>>50
頭痛は頭そのものより首の懲りが原因である事も多いのじゃ。
痛む側の下の首筋で、凝っている所を探して揉み解し、首の横のリンパ節に向けて摩ると良かろう。
頭蓋骨の下とかも凝っていたりするのじゃ。
それも揉み解すと良かろう。
>>53
うつにも治し方があるのじゃ。
便秘を治したり、首筋を揉み解したらよくなるのじゃ。
いろいろ研究してみるのじゃ。
55
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/22(火) 21:59:37 ID:7ObZ.1FM0
>>54
>>49
です。ありがとうございました。
56
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/22(火) 23:22:55 ID:Tb8bbBw.0
>>48
ありがとうございます。瞑想は夜してませんでしたので、朝晩にしようと思います。
最近、瞑想中に認識される思考の声が弱くなってきているように感じます。
今朝は呼吸だけが認識できる静かな時間がわずかばかりありました。
現時点での進歩は、そのような心の整い具合で計って良いのでしょうか?
心音についても、ありがとうございます。
どの瞑想法でも、本人の認知が変わることで、今までと違うことが
起こるように感じるということでしょうか。たとえどんなにリアルに感じたとしても、
そのように感じる自我もまた、そのうちに解体される仮のもの(?)ということで、
気にせず進めていこうと思います。
> ゴータマ・ブディズムは妄想なのじゃ。
どのような理由で、ゴータマ・ブディズムが妄想だと判断されたのでしょうか?
善を為し、心を静めて、今・ここの自分の身体と精神を観察するという方法は、
鬼和尚の勧める方法と大筋で同じように思います。自我の解体や認識主体の
消滅については述べていなかったようですが。
57
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/23(水) 08:11:39 ID:6JqFiaUA0
寝転んでても意識のトレーニングは出来ますか?
58
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/23(水) 20:43:56 ID:kaXJvxhM0
>>55
どういたしまして、またおいでなさい。
>>56
良いことじゃ。
進歩してきたのじゃ。
ゴータマ・ブディズムは経を理解しておらず、自分の観念を経の言葉によって解釈しているだけなのじゃ。
そのようなものは妄想というしかないのじゃ。
>>57
出来るじゃろう。
数息観や他の集中も出来るのじゃ。
観察も出来るじゃろう。
実践してみるのじゃ。
59
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/23(水) 23:30:37 ID:7ObZ.1FM0
鬼和尚
先ほど30分ほど座って瞑想していました。
初めの5分くらい(時計を見ていないので、おおよそですが)を過ぎてから、思考していない状態になりました。
何かについて考える、ということのない状態でした。
思考している私の内面を、波が荒れ狂う状態と形容するならば、
思考していない私の内面は、波がなく、波の元になる水と空気とその境目もない状態と形容できます。
部屋の中や外の物音は聞こえていましたし、慣れない胡座による膝、腰、背中が突っ張った身体の感覚もありました。
しかし、静寂、安定、でもありました。
この状態が何なのか不思議に思い、戸惑うような、探ろうとするような感じがありました。
60
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/24(木) 05:35:00 ID:4vTyo7ao0
>>58
毎回的確なご回答をいただき、ありがとうございます。
これからも精進いたします。
瞑想は、ちょっとした待ち時間にもできるように思うのですが、
生活の支障が無い範囲で、やりたいだけやっても良いのでしょうか?
また、ゴータマ・ブディズムに関しても、わかったように思います。
もし悟っていれば、経を智慧によって理解できるので、観念を経で
解釈する必要はなく、経の説明を間違えることもないという理解で
よろしいでしょうか。とすると、悟りを得た人がお釈迦様の教えを
伝える限り、それが口伝であっても、翻訳であっても間違いはない
ということになりますね。
もし「鬼和尚の仏教勉強会」の他に、お勧めの人物、本やサイトが
ありましたら、お教えください。
61
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/24(木) 09:23:21 ID:ZPgOniK60
鬼和尚は感動物の映画とかを見たら、泣きますか?
というか悟ってから泣いたことありますか?
していて楽しいことや嬉しいことはありますか?
62
:
龍昇
:2013/10/24(木) 18:21:02 ID:nxQ7UtQo0
嘘つきが許せない。
初めての一瞥の後、嘘がつけなくなった。
それによって、人の嘘が嫌でも分かるようになってしまった。
で、それがどうしても許せんのよ。
いつもバチバチにやりあう。怒りで体が震えるくらい。
環境は変わる。もちろん同じ状況が待っている。
もう何順目だっていうくらい同じ状況の繰り返し。
何とかならないだろうか。
知恵をお借りしたい。
63
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/24(木) 20:38:57 ID:kaXJvxhM0
>>59
良い事じゃ。
それが無念無想の状態なのじゃ。
おぬしもとうとうそこまで達したのじゃ。
そのように人は意識があっても思考の無い状態に入れるのじゃ。
それは思考が自分ではない事を示しておる。
今まで思考が自分であると思っていたならば、少々驚く事もあるじゃろう。
しかし、その状態の方が本来の意識に近いのじゃ。
気にせず囚われずに居ればよいのじゃ。
更に修行を続ければ自分というものが無い状態にまで至るじゃろう。
それがサマーディなのじゃ。
そこまで至れば真の悟りも近いのじゃ。
>>60
そうじゃ、いつでもやって良いのじゃ。
そうすれば進歩も早いじゃろう。
そうじゃ、観念のある人間はどうしても自分の観念で経を解釈してしまうものじゃ。
八正道は正しく見る事から始まり正念、正定に至るのに、逆にしてみたりするのじゃ。
そのような解釈は正に顛倒なのじゃ。
例えば医者が他の医者の書いた診断書を読んで、正しく理解できるように、目覚めた者が目覚めた者の教えを正しく理解できるのじゃ。
オショーの本が良かろう。
オショーさんは正しく悟り、知識も多いのじゃ。
クリシュナムルティも悟りを得て、正しい事を言っているが難しいのじゃ。
マハリシも悟っているが、ヒンドゥー教の教義で語る故に理解が困難なのじゃ。
64
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/24(木) 20:57:02 ID:kaXJvxhM0
>>61
泣こうと思えば泣けるのじゃ。
しかし泣いた事は無いのじゃ。
意味が無いからのう。
瞑想は最高の喜びなのじゃ。
人を超えた喜びがあるのじゃ。
おぬしも味わってみると良いのじゃ。
>>62
社会で生きる人間は毎日幾つも嘘をついているものじゃ。
昼頃におはようとか言えばもう嘘なのじゃ。
特に早くないからのう。
しかしそのように挨拶しなければいかんから言う嘘とは社会の潤滑油のようなものじゃ。
様々に辻褄を合わせたり、迎合したり、妥協したりして嘘を言う事で人の世は動いていくものじゃ。
嘘とはただ単に社会を上手く動かすための潤滑油と思って居ればよいのじゃ。
嘘よりもむしろ嘘によって怒る自らの心を観察すると良いのじゃ。
それもまた完全に出来れば怒りは止み、気付きが起こるじゃろう。
65
:
龍昇
:2013/10/24(木) 21:32:32 ID:nxQ7UtQo0
>>64
ふう。結局はそうなるか。
環境変えてもついてくるしな。
骨が折れる。
どうもありがとう。
66
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/24(木) 21:37:53 ID:7ObZ.1FM0
>>63
>>59
です。ありがとうございました。
67
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/24(木) 23:06:17 ID:FLyCzF5I0
>>63
ありがとうございます。これまで、クリシュナムルティの本を1冊しか
読んだことがありませんでした。恐ろしく頭の良い人だと言う印象でした。
オショーやマハリシの本も読んでみます。
また、厚かましいお願いで大変恐縮しているのですが、
もし差し支えございませんでしたら、鬼和尚のお時間のある時にでも、
四諦、八正道を、ここかブログでお教えいただけませんでしょうか。
鬼和尚のおかげで、様々な疑問が解消し、止観を進めていく道がわかりました。
あとは、自分で努め励み続けたいと思います。
大変感謝しています。ありがとうございます。
また、瞑想や悟りなどについて、わからないことがありましたら
質問させていただきます。その時はよろしくお願いいたします。
68
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/25(金) 00:58:38 ID:LC3de7YgO
オショーの本で、最初に読むべきお薦めの一冊を教えてください。
69
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/25(金) 19:34:55 ID:7ObZ.1FM0
鬼和尚
思考のない状態のとき、意志を持つことはできるのでしょうか。
例えば「思考しよう」とか「寝よう」などですが。
70
:
龍昇
:2013/10/25(金) 19:47:26 ID:nxQ7UtQo0
苦滅の観察を初めてやってみた。
鬼和尚のブログを参考に
③ その原因から苦が起きると観察する。
④ その原因が無ければ苦も無いと観察する。
を紙芝居的に繰り返す観想をしてみた。
確かに過去の記憶からの苦や、記憶に基づいた妄想も無くなる。
そこで質問なんだけど、俺は新たに苦を生み出したくないんだ。
「苦を滅するために、原因が無いと観想するのは、その原因を無くすためではないのじゃ。
それは苦を滅するために、原因が無いと想うだけなのじゃ。
その原因が無かったらどのようになるかと、心の中で想い、心の反応を観察するのじゃ。」
俺の場合「正しくありたいという思い」が新たに苦を生み出し続ける。
これを無くしたい場合、更に深く突っ込んで「正しくありたいという思い」自体を観念として処理する必要があると思うのだが、いかがだろうか。
71
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/25(金) 20:17:02 ID:kaXJvxhM0
>>65
そうじゃ、世間の付き合いとは骨が折れるものじゃ。
故に犀の角のように独りで修行するのが一番なのじや。
またおいでなさい。
>>66
どういたしまして、またおいでなさい。
>>67
すでにわしのブログで苦を滅する法として書いてあるのじゃ。
それを読んで苦を滅してみるのじゃ。
確かにお釈迦様の言う通り、苦が滅するのが判るじやろう。
実践すればお釈迦様の教えた四諦が心の中に蘇るのじゃ。
それこそ真のお釈迦様の教えなのじゃ。
またおいでなさい。
>>68
特にどれという事も無いが般若心境の本が良かろう。
何を語っているのかわからなくとも、オショーの語りは修行者の心を静めるように出来ておる。
それを読んで瞑想をしたくなったらしたらよいのじゃ。
>>69
出来るじゃろう。
無理にする事は無いがのう。
72
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/25(金) 20:58:59 ID:PAHPUIz60
>>70
そうじゃ、人の持つ思想や信念や信条などが苦を生む原因である場合、それを滅する事も修行なのじゃ。
大抵の者はそれらを自分の自我を形成するものとして大事に思っているが、実際には苦をもたらしたり、行動を制限したりする観念に過ぎないのじゃ。
全ての観念を滅して、自由になるのじゃ。
73
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/25(金) 23:24:50 ID:LC3de7YgO
>>71
ありがとうございます。図書館で探してみます。
般若心経と十三仏真言はなんとなく親しみがあり、暗記しました(^人^)
74
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/26(土) 01:37:46 ID:7ObZ.1FM0
>>71
>>69
です。ありがとうございました。
75
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/26(土) 07:49:59 ID:WL2yRwjAO
社会の持つ信条ってありますよね
日本社会なら伝統的に「何も考えるな。働け」です。
この信条が日本の「成功」の要因でしたが
同時に、生き苦しさの原因でもあると思います。
この国民的信条を個人で棄てるのは怖い。
一方的な道徳的非難を受けます。
76
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/26(土) 07:53:14 ID:WL2yRwjAO
と言うのも働く(端を楽にする?)のは悪いことではないからね
でも強迫されてやるのは苦しい。
一見道徳的で正しい信条でもそれが観念化されたものであれば一旦棄てるのが正しいのでしょうが
77
:
龍昇
:2013/10/26(土) 14:26:03 ID:nxQ7UtQo0
>>72
正義感が足枷になるとは...皮肉なもんだ。
>大抵の者はそれらを自分の自我を形成するものとして大事に思っているが、実際には苦をもたらしたり、行動を制限したりする観念に過ぎないのじゃ
返す言葉が無いよ。
どうもありがとう。
78
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/26(土) 15:53:11 ID:Dp/qMVVc0
>>71
>>67
です。ありがとうございます。
数息観は現在、雑念が消えた、とても静かな状態を経験した
段階ですが、同時に多数の雑念に気づくという経験はまだ
ありません。気負わず楽しんで続けたいと思います。
四諦・八正道に関しても苦滅の法に既に書かれてあるということで、
ありがとうございます。「正しい念」は正しい観察から起こる
正しい気づきという理解でよろしいでしょうか?
苦滅の道も実践してみます。それで、観察対象の苦なのですが、
それは「今、ここ」に生じた苦なのでしょうか?
それとも、「もしも」を考えたり、昔の最大級に苦しかったことを
思い出したりして、そこから生じる苦でも良いのでしょうか。
79
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/26(土) 21:02:32 ID:kaXJvxhM0
>>73
どういたしまして、またおいでなさい。
>>74
どういたしまして、またおいでなさい。
>>75
>>76
そうじゃ、信条に縛られているならば一度、捨てて改めて考えてみるのも必要じゃろう。
縛られていては選択の余地が無いからのう。
自らの選択によって行う事が自由なのじゃ。
信条に縛られない自由な立場で自ら考えて選択するが良いのじゃ。
>>77
そうじゃ、正義と言う観念さえも創られたものであり、時には枷にもなるのじゃ。
またおいでなさい。
80
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/26(土) 21:13:33 ID:kaXJvxhM0
>>78
良い事じゃ。
毎日少しでも続けるのが良いのじゃ。
そうじゃ、正しい観察から正しい気付きが起こって、苦は厭離され、滅するのじゃ。
そのような過程をも観察するのじゃ。
今ここにある苦でも、過去の記憶から生じる苦でも良いのじゃ。
法によって同じように滅する事が出来るじゃろう。
そして過去の苦であっても、今の自分に影響していた事が判るじゃろう。
苦を滅する毎に安楽が起こり、自由になって行くのが判るじゃろう。
81
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/27(日) 13:12:38 ID:TVD5FMB60
悪夢を見てしまうのは、どうしてでしょうか?
鬼和尚さんは以前、会えない人とは夢で会えばいいと言っていましたが、夢が本当なら、悪夢も本当のことなんでしょうか?
どう考えたらよいでしょうか?
82
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/27(日) 15:55:16 ID:gLMpYqz60
勉強が楽しくなる方法教えてください
83
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/27(日) 20:50:17 ID:kaXJvxhM0
>>81
それはおぬしが夢を制御する術を学ぶためとか、何か心身に問題があるからなのじゃ。
悪夢はそのような事を教えてくれるためにあるのじゃ。
夢は心の憶深くに繋がっているのじゃ。
一つの意識に繋がる故に死んだ者にもあえるのじゃ。
そして問題がある事をも教えてくれるのじゃ。
心を制御できたならば夢も制御できるのじゃ。
そうすれば悪夢も良い夢に変え、死んだ者にもいつもあえるのじゃ。
>>82
勉強もゲームやスポーツのように楽しんだやるとよかろう。
制限時間や点数をつけて友達と競ったりすると楽しいのじゃ。
英単語を一つ覚えれば1点とか決めると良いのじゃ。
そうすれば楽しみながら、いつの間にか終ってしまうじゃろう。
84
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/28(月) 15:02:49 ID:pEe1v5Oo0
>>80
ありがとうございます。
苦滅の道も試しにやってみました。風邪でしんどかったのは解消したのですが、
自分にとって最も大切なものが失われたとして、そこから起こる苦を観察しようとした
ところ、失敗しました。苦の原因から結果までの連鎖に、自我が何か偽物を紛れ込ませている
ようです。どうやら絶大な恐怖感があるようなのですが、現時点では手に負えない
予感があります。また、もしかしたらこの試み全体が観念によるものという可能性もあります。
そこで2つ質問があります。苦滅の観察対象が真正かどうかは、どのように判断したら
良いでしょうか。実際に苦滅が起こるかどうかでしか判断できませんか?
もう1つの質問は、自我の暗部の観察や自我の解体への恐怖を乗り越えるためには、知性と
勇気が必要とのことですが、例えば、瞑想中に「自我も世界も仮のもの」のように自己暗示
などをかけても良いものでしょうか?
85
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/28(月) 19:15:57 ID:7ObZ.1FM0
鬼和尚
今日、何週間ぶりか何ヶ月ぶりかわかりませんが、とにかく久しぶりに、
強い怒り、強い憤り、そしてそのような感情を持つ自分をダメだと否定する自分が出て来ました。
これまで何年も、これと同じような事をくりかえしてきた感覚があります。
これは私にとっての超えるべき山なのであろう、
超えなければどんなに修行してもいずれまた現れる山であろうから、
必ず乗り越えるという意志をもって臨みます。
坐ります。
金剛経も買ったので読んでみます。
86
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/28(月) 19:57:26 ID:aaCnunII0
>>83
ありがとうございます。
まだ夢ことはよくわかりません…
が、悪夢を見たら、その夢の中にいるときに
心の制御について思い出せるようにしてみようと思いました。
87
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/28(月) 20:09:18 ID:kaXJvxhM0
>>84
苦の想起を観察する時、恐怖があればそこからの逃避もあるものじゃ。
そのような時は恐怖があり、そこからの逃避が起きていると観察しなければならんのじゃ。
それが縁起の全体を観察する事なのじゃ。
苦の原因や連鎖を観る時、正しければ肉体にも何か反応が起こるものじゃ。
感情も肉体に反応が出るように、みぞおちが重くなったとか喉が詰まるようになるとかの反応があるものじゃ。
それが無ければただの観念の遊戯に陥っている事なのじゃ。
微妙な感覚であるが、よく観ればわかるものじゃ。
自己暗示も役に立つじゃろう。
何でも試してみたらよいのじゃ。
>>85
そうじゃ、やってみるのじゃ。
おぬしならば出来るじゃろう。
実践する者だけが進んで行くのじゃ。
88
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/28(月) 23:24:04 ID:G5HiNwNQ0
鬼さん我々は目の前に有るものを只観れば何でもまあええかで何の門苦も無いけど
前に映るものものが苦しめていると思えばまあいいやとは癒えない、いや多と思う野鴨
兎に角我々は嫌なこと空は逃げたい人間だ者、ても目の前庭何時でも世界が行進していく
空結局まあ善いかまあ色々あらーなで、
89
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/29(火) 06:02:00 ID:3qg6l7MU0
慈悲の瞑想をずっとやってると我に執着してきて苦しくなってくるのですが何が原因でこうなるのでしょうか?
少しや中くらいなら楽になって我に執着することもそんなにないのですが、やりすぎるとなるんです
90
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/29(火) 09:15:40 ID:3qg6l7MU0
慈悲の心が明らかに足りてなさすぎるので必要なのですが我に執着してしまうので進まなくなります
そういうときは他の瞑想をやるべきですか?数息観だけやってても進みそうに無いので困っています
91
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/29(火) 13:51:39 ID:LC3de7YgO
最近できるようになったケッカフザで1時間15分座りました。
腰を入れて臍を前につき出す感じで座り、終始姿勢が崩れませんでした。
しかし、うまく呼吸に意識をのせることができず、意思力で呼吸に気付き続けている感じでした。先日鬼和尚に「意志を用いずに観察」することが自我を滅するコツであると伺い、それを目指しているのですが、今日は明瞭な意識が常に呼吸を意識している感じで、その明瞭な意識は間違いなく自我の意識であると思いました。ただ、いつものようにその自我が浮遊して雑念にならずに静まり返り、呼吸のみを意識している感じでした。 必ずしも没入している感じ、深まっているという実感は強くなく、ただ自我がいつものように暴れず、静かに仕事=呼吸に集中している感じでした。
自分がやろうとしているのは、意志を用いずに観察して、自我のあらわれに気付き滅することなのですが、どうも、うまく行きません。自我が暴れだすように仕向けることは簡単だと思いますが・・・・どうしたものでしょうか。
92
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/29(火) 17:21:29 ID:Dp/qMVVc0
>>87
恐怖も逃避も、そこから逸れずに観察するために集中力が必要となり、微妙な反応に気づくために、観察力が必要となるのですね。数息観と観察の行を続けます。あとはごまかさない心と思い切りも要りそうです。
確かに心が静かな時には、感情を認識する直前に、肉体に反応が起こることが認識できます。普段は肉体の反応と共に、感情の動きを観察していたのですが、恐怖に同一化して、それどころではなくなってしまっていたようです。ありがとうございます。そういえば、思考が起こる直前には、頭の中にもやもやしたものが認識されることがある気がするのですが、それは気のせいなのでしょうか?
とにかく、自我という相手は非常に手強そうなので、できそうなことは試してみようと思います。基本的に、何でも試して、その経過と結果を観察するというやり方で良いでしょうか。試さないほうが良いこともありますか?
93
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/29(火) 20:50:54 ID:kaXJvxhM0
>>88
そのいやだと思う心を観るのじや。
それを嫌がり、逃避しようとする心が観察できれば、その反応もなくなるのじゃ。
そのようにして嫌な事も無くせば本心を観察するのも楽になるのじゃ。
>>89
>>90
その原因はおぬし自身が本心を観察して知る事が出来るじゃろう。
ただ単におぬしにはその瞑想が向いていないからかもしれん。
或いは利己的な動機でやっているから、利他心が大きくなると違和感が出るのかもしれん。
自我が変化する事を恐れているのかも知れん。
自らの本心をよく観察してみるのじゃ。
進歩する事を目的にするよりも、日々の瞑想にただひたすらに集中する事で逆に進歩も早くなるものじゃ。
姿勢を正しくしてただ座るだけでも、忘我にらるサマーディには至れるものじゃ。
素早い進歩を望むのならば、姿勢を良く研究して正してみると良いのじゃ。
>>91
それで良いのじゃ。
日々行っていれば、やがて意志によって集中しなくとも、心が勝手に集中するようになるじゃろう。
少しずつ呼吸に集中する意志を減らし、集中が途切れたら叉意志を戻したりするのじゃ。
そのように行えばやがて意志は無くとも、心が勝手に集中するようになるじゃろう。
94
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/29(火) 21:29:50 ID:kaXJvxhM0
>>92
そうじゃ、止観を続けるのじゃ。
毎日続ければ大きな力になるのじゃ。
肉体の反応は気のせいではないのじゃ。
心もまた肉体の作用である故に、確実に反応が出るものじゃ。
その微妙な動きも観察できれば役に立つのじゃ。
何でも試して見れば良いのじゃ。
例え失敗でも、それによって正しい方向性もわかるものじゃ。
何でも試して実践する事で進歩していくのじゃ。
95
:
89
:2013/10/29(火) 21:58:02 ID:3qg6l7MU0
>>93
ありがとうございます
96
:
太陽くん
:2013/10/30(水) 00:19:53 ID:.xu..XHo0
数息観をしていると、足が痺れてくるくらいのときに突然体が安定して、呼吸もお腹でできるような状態になりました。するといきなり全身から湯気が立つくらい温まって汗をかきましたがとても気持ちが良かったので、そのっま
まま観察し続けました。寝る前にやったのですが、目覚めがとても良かったので、瞑想が楽しくなりました。しかし、それは割と瞑想を始めて早い時期だったのですが、最近なかなかいい集中が出来ません。
見える景色の対称性に拘ったり姿勢の対称性に拘ったりしていると分かるのですが、観察しても消えません。
瞑想に対する新鮮な気持ちが減ってきたのかも、、と思います。雑念が観察してもなかなか消えない場合に、オススメの観察の視点はありますか??
97
:
太陽くん
:2013/10/30(水) 00:52:00 ID:.xu..XHo0
僕の場合は、不安に伴う想念と一日中格闘する思春期が10年くらい続き、思考によっては解決できないと思ったので、禅の方法を学んでみようと思い、始めました。
坐禅によって得られたことは、苦しい想念が起きた時に、それを抑え込もうとする意識が働いて、感情とのバトルを始めてしまう所が分かったので、
それを観察すると、ひたすら続く葛藤に陥ることが無くなりました。
あと、非常に残酷な事を自分が行う可能性があるのではないか、
という、理性的に考えると根拠のない、無意味な考えが起こって葛藤が始まる一種の神経症状態も続いていたのですが、
それに自動的に反応する心の動きを観察したら、その葛藤も消えました。
そうやっていると、苦しみが作られる瞬間を観る事が出来るようになって、
それによって苦しむことは減りました。
ですが、いつも自分自身の心が窒息している感じは感じていて、
頭で考えることは出来るのですが、とても苦しく、苦しいことすら忘れることもあります。
以前は、葛藤によって自分自身を責めることで、痛みを感じてそれが一種の現実感だったのですが、
そのような耐え難い苦しみには陥らなくなったものの、楽しい感情が湧いて来なくて苦しいです。
本当にたまには、楽しいこともあるのですが、自分が楽しんでいる、と気づいた瞬間に、
それはダメなことだ、という自己暗示が働いて、すぐに元に戻ってしまいます。
この自責感が原因だろうというところまで思ったのですが、中々、自然な自分自身を取り戻せず辛いです。
自分らしくある、ということはむしろ無我というか、自分の心を感じつつ放り出している状態だと思います。
そうでないということは、僕が自己や他者の心をコントロールしようとしいている、というか、
所有しようとしているんだろうか、と思いました。
日常の中で、自我への執着が起きている時を観察するだけで、この苦しさは減って行くものでしょうか。
98
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/30(水) 06:21:42 ID:LC3de7YgO
>>93
ありがとうございます。
そんなに難しいことをやろうとしているのではないはずなのに、効果がなかなか安定しません。
いまだ瞑想時に心が勝手に呼吸に集中する感覚もつかめてませんが、なんとか先に進みたいので、日常生活全般に付き「心が勝手に」気付き続ける 状態を目指しみようかと思います。・・・ ハードルを上げ過ぎないで、とりあえず無意識な行動に気づいたらそれをチェックする練習辺りから始めてみます。
99
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/30(水) 12:33:40 ID:zz3du5Nk0
>>94
ありがとうございます。
何でも試して実践して行きます。
100
:
龍昇
:2013/10/31(木) 18:59:35 ID:Zk9ACFFk0
まあ、いつものように騙されましてね。
今までは結構な喧嘩をしてきたわけよ。怒って怒って、恨んで恨んで。
他人にも「正しさ」を望んでいたのが原因でさ。
そいつを落としておいたから、今までと違ってね。
「観察して真実に気づいたとしても、何か外部の世界が変化する訳ではない。」
そうなんだよ。生活どうしよ、っていうのは変わらんのよ。
べつに怒ってねえけど、このままじゃ俺死ぬべ?っていうね。
新しい面接も採用も、今日一日で決めたからいいけどさ。
そこで質問。
悟ったら流れに任せて死んじゃうの?
マハリシは洞窟の中でほとんど食わず、小動物に足噛まれまくって傷だらけだったらしいけど。
やっぱり体に対する執着は1ミリも残らんもんなの?
101
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/31(木) 19:47:59 ID:kl1CR23s0
「誰ですか?」と聞かれて、
私は「私です!」と応えると、
あれ?私とは何だろう?誰だろう?という疑問が湧いてしまう。
誰でしょう・何でしょう?
答はありますか?言語化できますか?
自分で自分の後頭部を見る様なモドカシサです。
お前の後ろに犯人が居る!
振り返ると誰もいない。が後ろにはまだ居る。
そんな永遠ホラー物語のようなモドカシサ。
102
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/31(木) 20:59:00 ID:kaXJvxhM0
すまんのう昨日は忘れていたのじゃ。
>>95
どういたしまして、またおいでなさい。
>>96
自分の体を頭の後ろから見ているような視点にしてみると良いかも知れん。
考えている事も頭の後ろから見ているような視点にするのじゃ。
思考まで見えるのはおかしいとか考えずにイメージしてみるのじゃ。
そのうち本当に見えるかも知れんのじゃ。
>>97
心にある苦しみは、。その苦の原因を観察しなければ滅しないのじゃ。
自我への執着を観ようとしなくて良いのじゃ。
お釈迦様は人の心が縁によって連鎖的に起こるものであると知り、それを観察する事で苦を滅する事の出来る法を教えたのじゃ。
自分が楽しむ事が何故だめだと想うのか、その原因を探してみるのじゃ。
原因が判れば、その原因から楽しむのはだめだと言う思いが起こり、原因が無ければその思いも起こらないと観察するのじゃ。
そうすればその条件付けも消えるじゃろう。
そのように苦を滅して自由になれば、出来る事も増えるのじゃ。
103
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/31(木) 21:04:27 ID:kaXJvxhM0
>>98
あまり早く効果を出そうと思わず、ただひたすらに集中と観察を続ける良いのじゃ。
そうすれば自然に効果もやってくるものじゃ。
またおいでなさい。
>>99
そうじゃ、実践してみるのじゃ。
またおいでなさい。
>>100
それは人によるのじゃ。
お釈迦様は健康にも気を使い、80歳まで生きてインド中を旅行して回ったのじゃ。
人に教えを説くと言う意志か゛あれば、肉体にも気を使い、長生きする事も出来るのじゃ。
肉体への執着は無いのであるがのう。
104
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/31(木) 22:24:38 ID:TWsIZlsE0
>>102
鬼和尚さん、わたしの
>>86
のレスも、お礼を書いたので読んでください!
105
:
太陽くん
:2013/11/01(金) 01:40:42 ID:/aeITQK.0
鬼和尚様
お返事ありがとうございます。
自我への執着を捉えようとするというより、
その時心が起こす反応を注意して観察するのが大事なのですね。
自我を捉えようと、観念的になって心の動きそのものへの視点が薄くなっていたかもしれないと思いました。
参考にして修行します。
原因の観察について、よく分からない所があるのでもう少し質問させてください。
苦のお原因を探る、というところは何となくわかる気がしました。
苦が生じるシチュエーションを具体的に思い浮かべるか、日常で起きた時に気をつけるかして、
その時の心の反応の過程を観察して受容する事が最初にあると思います。
その次に、その原因が何なのか、というのは、その感情を引き起こす根っこの感情とか、その前提になっていた価値観、という意味でしょうか?
例えば、相手が不幸になればいいという考えが起きたとして、
一方でそんな考えを起こす自分は悪い人間であると葛藤が生じた時、
その直前に嫉妬の感情が動くのが見られたとして、
さらにその嫉妬は、何かある価値観に拘っている事が前提になっていると分かったとすれば、
その前提自体は、たいていの場合思い込みや刷り込みのような大した事のないもののことが多いと思います。
原因がなければ苦しみも生じない、というのは、
苦しみが生じる成り立ちをそのまま観察できたならば、そのような前提自体には根拠がないことを観察し、
それ故にその苦しみ自体も、そのように成り立った実態のないものであるということを実感する、ということでしょうか?
原因となった出来事、自体は実際にあったものなので、無かったことには出来ない気がしたのですが、
そこで生じた感情の動き自体は、その前提をつかめば、
納得して受け入れたうえで、そのまま乗り越えられるものかもしれない、と思いました。
106
:
龍昇
:2013/11/01(金) 19:31:21 ID:Zk9ACFFk0
>>103
最終的には「体」という観念は落とすか落ちるかするんだろうね。完全に。
とりあえず直近では、邪魔な観念が減ったから相当楽にはなってるよ。
どうもありがとう。
107
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/01(金) 21:06:50 ID:kaXJvxhM0
>>104
すまんのう見落としていたのじゃ。
>>86
そうじゃ、夢の中で意識があれば夢を自由に制御する事が出来るのじゃ。
恐いお化けが出れば飛んで逃げるとかも出来るじゃろう。
いろいろ試してみるのじゃ。
>>105
そうじゃ、心と体の反応を今ここで観るのが本当の観察なのじゃ。
自我が観られるとしたらその反応の結果としてなのじゃ。
原因を探すとはそのような意味なのじゃ。
価値観が原因ならば価値観であり、感情が原因ならば感情となるのじゃ。
大抵は執着とか恐れ、恐れへの不安から起こった逃避などであるがのう。
そのような原因を追求してみるのじゃ。
その原因は心にあるが、人の心はそれが無いとした時の心の反応も観察できるのじゃ。
自らの心にもしその原因が無かったら、どのような反応が起こるかをイメージしてみるのじゃ。
心は言葉とイメージによって観念を設けている故に、心にその原因がないとイメージすれば、それが無い時の反応も起こるのじゃ。
そのように心に原因がないことをイメージして、苦の反応が無い事を観察するのじゃ。
原因が間違っていれば苦は未だ在り続けるじゃろう。
>>106
そうじゃ、身があるという観念は無くなるじゃ。
楽になってよかったのじゃ。
またおいでなさい。
108
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/02(土) 11:11:42 ID:LC3de7YgO
>>103
ありがとうございます。
m(__)m
109
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/02(土) 13:33:24 ID:j..Vzewk0
鬼和尚さんの言葉を見ていると観察とは分析的で論理的で非常に頭を使うもののように感じます。
頭を使わないのが悟りですが、過程では分析的に頭を働かさないとならないという矛盾があるのでしょうか?
頭がいい方が効率的に悟れるとか。
110
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/02(土) 15:57:50 ID:D7NleYHc0
>>107
ありがとうございます!
試しに昨晩、夢である人に会おうと思って寝たら、その人に会うことができました。
いろいろ話せてうれしかったことは覚えているのですが、それ以外は忘れてしまいました。
これも夢の制御ができたことになりますか?
その人はまだ生きている人です。
その人も似たような夢を見たことになりますか?
111
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/02(土) 19:52:21 ID:C.mybkWo0
悟った人が株とかFXをしたら、簡単に勝ててしまいますか?
112
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/02(土) 20:35:22 ID:kaXJvxhM0
>>108
どういたしまして、またおいでなさい。
>>109
わしは言葉で伝える故に分析や論理を使うが、本当に観察している時には思考は使わないのじゃ。
むしろ感覚や感性と言うもので、心の働きと体の反応を感じていくのじゃ。
それには頭の良い事より自らに本心をあかす心構えが必要なのじゃ。
>>110
出来たようじゃ。
やはり素質があるようじゃ。
悪夢も良い夢に変えられるじゃろう。
本人に聞いてみると良かろう。
覚えていないかも知れんが、おぬしに会ったと言う同じ夢を見ていたら本人に会っていたのじゃ。
113
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/02(土) 21:52:01 ID:j..Vzewk0
自分を認めてくれたり尊重してちやほやしてくれる人とそうでもない人に好悪の印象の差や
扱いを変えてしまうのは自我ですが、口ではいくらいいように説明しようと、鬼和尚さん
もそのような人間的な部分が態度に出ませんか?感性や感覚でなんとなく感じました。
私もうざかったのか無視されたり、お抜きで、ぬし、とかあしらわれたり。
114
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/03(日) 16:53:20 ID:C.mybkWo0
集中力をつけるのに、残像トレーニングって効果ありますか?
115
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/03(日) 18:04:15 ID:V7qrRIoo0
>>112
ありがとうございます。
夢で会えた人は近くにいないので、いろいろ聞くことはできないのですが、
(だから、会いたかったのです)
なんだかやっぱり会えた気がします。
いつも心配させているようで、不安だったのですが、いろいろ話せて安心できました。
会えない人に会えるのは、なんというか、会わなければいけないのに、
会えないという困った状態が解決するようで安心です。
悪夢も、見たくないのに見てしまうという、困った状態が解決するなら安心です。
どうにもならないことが本当はないのが、本来の世界なのでしょうか?
この世は不思議です。
116
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/03(日) 20:53:23 ID:kaXJvxhM0
>>113
おぬしにそのような観念があればそう感じるじゃろう。
目覚めた者の言葉は自我が無い故に、鏡のように相手の心を映し出すのじゃ。
おぬしの心に疑念や敵対心があれば、見落としやただの書き間違いでさえ嫌悪を現すように感じるかもしれん。
疑心には疑心が返り、対抗心には対抗心が見えてくるものじゃ。
本当に観るべきものは常に自らの心一つなのじゃ。
>>114
あるかもしれん。
ヨーガにもそのような観想法があったのじゃ。
何でも試してみるのじゃ。
>>115
そうじゃ、人の意志はこの世で最も強いものである故に、一切の苦も滅することが出来るのじゃ。
夢もまた意志によって制御できるのじゃ。
夢の中で神仏に会う事も出来るじゃろう。
しかしそれに囚われないようにするのじゃ。
夢は夢であり、現世でさえも夢であるからのう。
117
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/04(月) 09:37:05 ID:zz3du5Nk0
鬼和尚
瞑想や苦滅の道で様々なやり方を試しているのですが、
自分に向いているやり方を判断するための注目点やチェックポイント
などがありましたら、教えてください。
今のところ私は、瞑想後のしっくり感や、気持ちよさに頼っています。
118
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/04(月) 10:15:14 ID:qqswUyu60
苦の原因を探すのも思考による論理や分析ではなく、
観察や直観によるのでしょうか?
また苦の原因探しは、数息観に続けてなど、瞑想中に行いますか?
119
:
太陽くん
:2013/11/04(月) 12:47:11 ID:onzejU8A0
鬼和尚様
アドバイスありがとうございます。
苦の原因がなかった時の反応を観るにも、
心を澄ませて集中することが大切だろうな、と思いました。
ありがとうございます。
120
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/04(月) 19:59:16 ID:C.mybkWo0
集中と瞑想は同じものですか?
121
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/04(月) 20:42:41 ID:pxpFy/Sc0
瞑想は目を瞑るほうがいいですか
仏像なんかは半分開いてますよね
おすすめはどっちですか
122
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/04(月) 21:28:35 ID:kaXJvxhM0
>>117
そのような感覚的な注意点で良いのじゃ。
長く行っていくには理屈よりも感覚が大事になるからのう。
修行が進んで感覚が変わり、上手く行かないと感じれば別のやり方をすれば良いのじゃ。
>>118
そうじゃ、原因が正しければ思い浮かべる度に、苦も起こるじゃろう。
理論的にこの苦はこのような原因であろうと推測しても、思い浮かべても苦の反応が起こらなければ正しくは無いのじゃ。
常に反応や感覚を観察するのじゃ。
瞑想中でも良いのじゃ。
集中力が高まっているから探し易いじゃろう。
常日頃から原因を知ろうと観察しても良いのじゃ。
速やかに判るようになるじゃろう。
>>119
どういたしまして、またおいでなさい。
>>120
違うのじゃ。
心を開放する瞑想もあるからのう。
集中は瞑想の一種なのじゃ。
123
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/04(月) 21:39:06 ID:kaXJvxhM0
>>121
おぬしがやってみて快適な方がおぬしへのお勧めなのじゃ。
自分に合ったやり方が一番良いのじゃ。
そして他人には別のやり方が良いかも知れんから、他人に押し付けてはいかんのじゃ。
124
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/05(火) 00:04:47 ID:Bwz0R3.60
> おに さん
__
/. . . . . `丶
/. . . . . . . . . . . 、
|. . . . . i⌒'. . . . .\
|. . . . . |\| . . . . ヽ\ __,,ノ7
/. . . . . `‐u . . . . /. . . . . . . . . . 7
雀の涙ほどですが・・・  ̄\ . . . . . . . . /. . . . . . . . . . /
\ヾヾヽ/. . . . . ./ . . . /
丶、/ . . . . . . /. . ./
/. . . . . . ./》 ̄
_/. . . . . . ./ /
'´ ∠∠∠二.イ /|
{ (⌒) }
ヽ五円 ノ
 ̄
125
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/05(火) 07:57:51 ID:LC3de7YgO
昨日瞑想中に突然涙が溢れそうになり、あわててしまいその感情を観察することもせずに中断してしまいました。 とっさに逃げてしまったのだと思います。
そこで、鬼和尚のブログを参考に、心のありようを正面から観察してみました。
呼吸への集中ではなく、心を開放して観察する。段取り①悲しみ、怒り、不安、劣等感あるいは喜び、期待などの感情を伴う記憶を呼び水にして解放を促す。②感情が溢れてきたら、それを考えず、観察する。抑圧したり解決しようとしたりしない。
初回はあまりうまく行かなかったが、続けてみようと思います。
二次的効果としては、なぜかケッカフザにしてから感じずらくなっていた腹式呼吸における丹田から呼気が抜けて行く感じが復活していました。
また、集中していると時たまに見えていた記憶映像はたいてい乾いた地面、川原の砂利、草原、密林などの地面に近いところからの目線で石や地面のひびや草木の葉の一枚一枚のリアルな映像が見えてましたが、今日は立ち位置目線で、暗闇の雑木林を歩いている映像や今まで見ることがなかった生物が蠢く映像が見えました( ̄0 ̄;
126
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/05(火) 12:26:29 ID:Gez/NO8U0
>>122
ありがとうございます。
常に反応や感覚を観察するのがポイントなのですね。
もう1つ質問があります。自分自身の認識が正常であることは、
どうやったら分かるでしょうか。また、正常じゃない場合は、
どのようにしたら戻れるでしょう?
といいますのも、心と体の観察をしていて、混乱してくることが
あるからです。混乱は2種類あるように思います。
まず、ひとつは、認識対象が観念か事実かと判断しかねるということ。
これは、以前鬼和尚が示されたように、事実の場合は身体に反応が現
れるということで解決しました。
もうひとつは、認識自体に問題が起こることはないのかということです。
ブログの心の模式図にあるように、認識から自我が生まれるということ
であれば、しっかりと集中と観察ができていれば、認識自体が間違うと
いうことはないように思います。ですが、集中と観察自体が正しくでき
ているかどうかを確認できないと、認識だと思っているものが実は自我
にゆがめられた偽物だったということがあるのではないかと思いまして。
もしかしたら、認識に疑問を持たせること自体が、自我の抵抗の表れかも
しれませんが…。
もし、私の理解に間違いがありましたら、それもご指摘ください。
127
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/05(火) 20:26:58 ID:kaXJvxhM0
>>124
おぬしを龍禅と名付けるのじゃ。
龍禅よ、禅那に励むのじゃ。
>>125
本心が一瞬見えたのじゃな。
本心に、強い苦があったりろ、余りに自分のイメージと違ったりすると逃避も起こるものじゃ。
そのようにして本心が見えれば本当に変わる事も出来るのじゃ。
>>126
そうじゃ、今ここで起きている反応や感覚を見るのじゃ。
認識が正常かどうかと言えば普通の者は全て正常ではないのじゃ。
記憶に依存している認識しかないからのう。
その認識を正常にする事が、悟りを得ると言う事なのじゃ。
記憶に依存しすぎて誤謬を起こしている認識を正常に戻すために全ての修行があるのじゃ。
それ故に今修行しながら認識が正常であるかどうか、悩む事は無いのじゃ。
正常でない認識を正常に戻すために修行しているのであるからのう。
集中と観察を続け、いつか観念でしかない自我を己としていたと気付き、記憶に依存していた認識の仕組みにも気付けば、それは厭離され、正常な認識に回帰するのじゃ。
128
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/05(火) 21:55:53 ID:Dp/qMVVc0
>>127
認識が正常ではないので、観察や苦滅が的を射ないことも
当然あるが、気にせず止観と苦滅の道を努め励めば良いのですね。
ありがとうございます。
129
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/05(火) 22:41:00 ID:LC3de7YgO
>>127
ありがとうございます。
鬼和尚が仰られるように、自分が変われるチャンスではないかと思いました。
もう少し集中力がついてからにしようと思っていましたが、己の観察を始めました。
今朝書いた方法だとイマイチ感情がわいて来ないので、テーマを絞って、徹底的に問いかけてみることにしました。その方がいくらか効果がありそうな気がしました。
止 から 観察 に変えたら、身体の反応も変わりました。今日だけかもですが1時間ケッカフザで座ってる間、終始足の感覚が瞑想の邪魔をすることなく、抜歯時の麻酔を打ったような感覚があるだけでした。これは自我が、そんなことをやろうとするといつまでも座ってることになるぞと脅しをかけてきてるのかな…とか思いました。
また、瞑想中に浮かぶ映像が蠢く生物から夢の中にあらわれるような人になりました( ̄□ ̄;)!!
映像は2〜3分で消えます。
130
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/06(水) 13:27:59 ID:BwDSqr2o0
意志はどこにあるのでしょうか? 自我の一部ですか?
131
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/06(水) 18:02:53 ID:iV9YIG0s0
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| おにぎり・・・おにぎり・・おにぎり・鬼斬り。
\______ ___________
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_. ,,, . _. ,,, .
,r' ` ' . ,r' ` ' .
,:´, ` 、 ,:´, ` 、
.;' ; , '; う〜〜ん ..;' ; , ';
,:´ ; ____ `、 |ヽ-‐-へ .:´ ; ____ `、
,' . . |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| ' ヽ < =゚Д゚=> ,' . . |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| ' ヽ
. . |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| ';. ノ゙'´ノノ)))))ヽ . . |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| ';.
! . |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| '; `ムィ'!リロ-ノ!ゝ ! . . ; |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| ';
ヽ、..,_,.,,,.|./ ̄\  ̄\,..ノ 〈=!r∽、〉 ./ ̄ / ̄\|.,,__,.,..ノ
(__■__)■,. -、,. -、,. -、 〜〈_r'つと,〉 ,. -、,. -、,. -、■(__■__)
(,,■)..■,,)■) (■,,(■,,(■,,)
132
:
龍華
:2013/11/06(水) 18:12:45 ID:kl1CR23s0
シルバーバチやインペレーター等の本・教えや彼らについてお話して下さい。
<参考>
http://www5e.biglobe.ne.jp/spbook/
凡人の私からすると偉大な物(知識)とか高い次元の物に見えます。
彼らは仏教的に言うと如来なのか、修行中の者だけには魔境に当たるのか、
悟ると進化や、する事は何もないと鬼和尚は云われましたが
彼らは天国に行くには永遠に苦労して進化すべしと云います。
彼らから見ると悟った人間とは進化を否定する宇宙の法則に反する者・脱線した者なのか。
お坊さんには霊と付き合ってる方もいれば、スピリチュアリズムを否定している方もいる模様。
真実・真理・法則・法とかは不動な筈なのに、それを語る方々の言葉には相反や否定し合う矛盾が多い。
矛盾があると疑いが起こる。高次元な物だと思った物・者に対する否定が特に厄介です。
悟れば解るだろうと数年保留していた問題ですが、中々悟れないので聞く事にしました!
悟った方の次元から見る本当の処はなんなのか色々知りたい。
133
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/06(水) 21:13:12 ID:kaXJvxhM0
>>128
そうじゃ、苦を滅し悟りを得るのに必要な認識は誰にでも充分にあるのじゃ。
ただひたすらに止観に励むのじゃ。
またおいでなさい。
>>129
そのような映像にはあまり囚われないようにするのじゃ。
雑念と同じくあまり意味は無いものじゃ。
いずれ映像をコントロールできるようにもなるが、囚われれば神仏などが出てきておぬしは悟ったと言ったりして騙されてしまうのじゃ。
どのようなイメージや言葉も観念の現れであり、囚われれば障害になるのじゃ。
>>130
自我の一部ではないのじゃ。
観念でしかない自我に意志は持てないのじゃ。
自我が投射されているのが意志なのじゃ。
それは認識から起こるものじゃ。
134
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/06(水) 21:20:27 ID:kaXJvxhM0
>>132
そのような神降ろしの類は昔から何処にでもあるものじゃ。
日本にもお狐様とかお狸さまとか犬神さまとか言って巫女が降ろしていたのじゃ。
それらの多くは自己を離れた智慧や力によるものなのじゃ。
自我を忘れるサマーディに入れば同じような事も出来るのじゃ。
しかしそのような智慧も世間で役に立つ便利なものの範囲を超えられないものじゃ。
無我には入っても、無認識にまでは行けないのであるからのう。
精霊や守護霊や神仏と言う対象を捨てなければそこまではいけないのじゃ。
それらを捨てられなければ悟りに対しては障害となるのじゃ。
135
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/06(水) 22:18:09 ID:LC3de7YgO
>>133
ありがとうございます。
映像には囚われないように注意します。
今朝40分、夜1時間座りました。まだ二日目ですが、観察したい本心=感情が溢れてきません。本心で感じているはずの不安や恐怖、怒り悲しみなどの感情を意図的に引き出すために、例えば思考を駆使して己の死が今まさに差し迫っていると想起して恐怖感をあじわってみる。みたいな方法でも良いのでしょうか?
136
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/06(水) 22:37:18 ID:iV9YIG0s0
.Nichiren to moko daishurai - 2:17:04
http://www.youtube.com/watch?v=9rUuMQ2ucSU
.Film Mongol - 2:05:28
http://www.youtube.com/watch?v=kRVLcTctZjg
.Mongol - [2007] - 2:05:40
http://www.youtube.com/watch?v=46ljLJW6US4
.DER MONGOLE [GANZER FILM HD] DEUTSCH - 2:00:57
http://www.youtube.com/watch?v=WSAn4XDbDC0
137
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/07(木) 02:48:59 ID:Bwz0R3.60
仏教の本質 哲学者「中村元」 - 8:48
http://www.youtube.com/watch?v=NWZtkxP3eGg
中村元「フ?ッタ?最後の旅」短縮版 - 25:20
http://www.youtube.com/watch?v=kmXGXSKdgE0
中村元 - 6件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=dvfXfsvJ4yc&list=PLuNiMXdp2TQ0blL-f9feORhJQs-u-Texk
138
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/07(木) 09:14:27 ID:ncKanP4g0
ここで鬼和尚に質問して、その通りに修行しても悟れるわけじゃ無いよ。
何十年も修行してる僧侶達ですら、ほとんど人が阿羅漢までは達して無いと言うのに
たかが何年か修行して悟りを得られるなんて思うのは考えが甘すぎる。
ましてやたかが何日かやって、自分の体の反応がどうとか言ってる人は、
観念を強めてるだけ。
悟りを得られなくても死ぬまで修行するって気構えでやっても、
悟れるかどうかなんて分からないと思っていたほうが良いんじゃ無いかな。
まあ、中には簡単に悟っちゃうような人も居るんだろうけど、
そういう人はここで毎日のように細かい質問を繰り返してる
ような神経質な人では無いと思うよ。
139
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/07(木) 16:59:50 ID:Dp/qMVVc0
>>133
ありがとうございます。
意志も認識から起こり、自我は様々な心の機能に投射する
ということですね。
ブログの心の模式図を見ていたのですが、感情、思考、感覚は
どこから起こるのでしょうか?
140
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/07(木) 18:03:04 ID:XpOqqj3k0
>>138
鬼和尚はそういう人の需要にこたえてる。
そういう人からしか質問が無い。
共依存。
141
:
473
:2013/11/07(木) 18:11:32 ID:XpOqqj3k0
自我は観念である、というが、それがどうしたというのだろうか。
その観念である自我に同化している。
我々は観念そのものなのだ。
観念そのものである我々が自身を観念だと把握することはできない。
それは2重の観念になる。
また、仮に観念だとして、その観念が私たち自身なのだ。
観念だから大したことない、観念だから幻だ、とはならない。
私たちは観念と自身を同一視していて、観念が大好きなのだ。
何かが観念だと見抜く。
鬼和尚はそういう2元性のスタンスをよく使う。
「私は真実で対象や他人は幻だ」と
いやいや、偽りであるのは私の方であり、それに少しでも気づいた人は自然な謙虚さが身につくもの。
「私は偽りだった」と私は言う。
これがスーパーエゴ。
私は偽りだったという理解は、態度からしか現れません。自然な謙虚さ。誇示の無さ。
問題は観念と同化している我々の意識の持ちよう。
「自我は観念に過ぎない。」
そう唱えても観念との同化は全く変わらない。
そもそも自我は物ではない。観念でしかありえない。
だからそんなことを言っても何の解決にもならない。
142
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/07(木) 20:02:37 ID:kaXJvxhM0
>>135
そのようなやり方でも良いのじゃ。
普段は隠している死への恐れなどが観察できるじゃろう。
恐れを観察しようとするだけでも恐れは少なくなるものじゃ。
何でも試してみるのじゃ。
>>139
感情や思考も認識から起こるものじゃ。
感覚は認識しなくとも反応があるから肉体から起こるものと言えるがのう。
全てイメージの通りではないのであるがのう。
143
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/07(木) 20:23:12 ID:NpBkhqbI0
認識は観念じゃないと思うぞ
144
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/07(木) 21:21:16 ID:LC3de7YgO
>>142
ありがとうございます。
長らく感情を抑制する社会的訓練を重ね、更に瞑想で雑念や感情を滅する技術を訓練したせいか、意図的に素の感情溢れさすことは難しいです。下手をするとネガティブな自己暗示をかけているような感じになりそうです。
ブログに紹介していただいていた、自分の名前とイメージを観察するというのもやってみましたが、うまくゆきません。
自己観察をはじめたら、パンドラの箱を開けたようになり、苦にまみれ、収拾がつかなくなるのではという不安は全くの杞憂でした。
感情を燻りだす良い方法はないものでしょうか?
145
:
473
:2013/11/07(木) 21:40:17 ID:XpOqqj3k0
ブッダはこうおっしゃります。「こころひとつですべてを作る」と。
ヨガではこう言われます。、「体はこころの内にある。心は体より広い」と。
そう。
物質より観念は希薄なものというわけではなく、むしろより強力なものなのです。
観念が物質を定義するのだと伝えられています。
146
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/07(木) 21:44:02 ID:XpOqqj3k0
>>143
観念、という言葉自体が、心という主体が客体として投影する思考、ということで非常に末端のものです。
ブッダは、こころ、という表現で主体客体を包括します。
無意識的なもの、感情的なもの、その全てです。
こころの働きが認識作用を生んでいるとブッダは仰ります。
こころが静まれば認識も静まる。
多分、あなたがおっしゃるところの「認識」は観念と関係ないのかもしれません。
しかし、私たちの知ってる認識は、私たちの心が定義した何かゆがんだものだとも思うのです。
147
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/07(木) 21:49:46 ID:XpOqqj3k0
>>142
感情や思考は記憶から起きる。
記憶を通した認識から起きる。
記憶は執着を生む。執着は恐怖を生む。
我々は記憶を通さない認識など持っていない。
持っていないものを夢想することのむなしさを知るものにこそ祝福あれ。
148
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/07(木) 22:25:06 ID:Dp/qMVVc0
>>142
ありがとうございます。
ブログの心の模式図は、完全に正確なものというより、
以下のことを示しているということでしょうか。
つまり、大抵の人が自分自身の基盤だと思っている
自我というものが、誤った認識であり、
実際は自我も感情、感覚、思考も自分自身でもなく、
自分のものでもないということを
理解するためのものだということです。
149
:
龍華
:2013/11/07(木) 23:06:30 ID:kl1CR23s0
>>134
ありがとうございます。
>自我を忘れるサマーディに入れば同じような事も出来るのじゃ。
アニメの一休さんみたいなのですね
坐禅の中から智慧を持って帰るってシーンは一休咄の中に既にあるのかな。
>しかしそのような智慧も世間で役に立つ便利なものの範囲を超えられないものじゃ。
世の中や人のお役に立てば、ありがたくて素晴らしい物だと思いますが…
その便利な物を超えた物とは何でしょうか??
無認識の中で何かが得られるというのはちょっと矛盾を感じます
150
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/08(金) 20:08:29 ID:kaXJvxhM0
>>144
感情を露にするのは実は容易な事なのじゃ。
抑えていたものを解き放つだけであるからのう。
例えば落ちそうになる岩を支えていた手を離すようなものじゃ。
常日頃から感情を抑制していればそれが習慣になり、無意識に感情を押さえつけている事も意識しなくなるのじゃ。
それに気付き、抑制を止めるだけで感情は露になるじゃろう。
逃避もまた同じなのじゃ。
抑制も逃避もせずに自分の心に向き合う事を決意したならば、自然に道は開かれるのじゃ。
>>148
そうじゃ、そのような解釈で良いのじゃ。
本来何物も心の中のイメージとは違うものじゃ。
あえて図を示すのは修行者の不安を取り除くためなのじゃ。
悟りとは何やら心を恐ろしげに改造するものであるらしいとか、そのようないわれの無い恐れが無くなればよいのじゃ。
>>149
そのような世間の知では不死の意識、死を超えた悟りの境地は推し量れないのじゃ。
せいぜい輪廻の知識位までしか判らんからそれが永遠に続くとか、言ってしまうのじゃ。
真実の在り様を知り、死を超えた永遠の意識に到達するには、目覚めた者の智慧を道標にするしかないのじゃ。
151
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/08(金) 20:27:16 ID:XpOqqj3k0
>>148
自我、感情、感覚、思考が自身であるということを認識すること自体がはるかな道のりです。
私たちは、いつもそれを対象として認識しています。対象としてそれを見る時、主体が当の自我、無意識の思考、感情、なので全く進展がありません。
主体がそれだと認識することは最高度の知性、覚醒を要します。
152
:
龍華
:2013/11/08(金) 21:47:36 ID:kl1CR23s0
>>150
ありがたいことです
ありがたいことです
ありがたいことです
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