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お気に入りのローマ皇帝

1カイザー:2002/06/13(木) 23:16
人気投票にも、『ごく稀に』参加して頂いてる方もいらっしゃるようで
すので、ここでもカキコしてくれたら嬉しいです。

好き嫌いはともかく、オクタヴィアヌスはやっぱり偉大です。
アントニウスじゃ、どう考えてもライバルとしては役不足。いっそのこ
と、カエサルが暗殺されずに2人が天下を巡って争うという歴史IFの
方が面白そうです。

120マッティアス:2002/08/20(火) 17:28
あ、116のカキコで間違ってる…セウェルス朝では、セプティミウスさん以外、
実は好きじゃないです(笑)。この人も、軍閥系だけど優秀で好き。

狂ったフリして帝国運営から逃げ出した、ですか。たまに、逆もありますよね。
重臣達にうざがられて、「皇帝ご乱心」ということで無理やり退位、とか。
でも、重臣達にうざがられるほどの気概がある皇帝って、あんまりいないかな。

121カイザー:2002/08/20(火) 21:35
ローマ皇帝というのは基本的に終身地位だから、無理矢理退位とかよりも殺しちゃ
う方がてっとり早いですよね。中世ヨーロッパとかだったら、ネロやドミティアヌ
スは幽閉されて生涯を終えてたかもしれませんね。(その方が辛そうだけど)

あくまでディオクレティアヌスの無難な退位劇は例外でしょう。ディオクレティア
ヌスにしても、家族をリキニウスに皆殺しにされたり、折角築いた四分統治体制が
崩壊していくのを見ながらの死は無念だったことと思われます。
以前もちょっと話題になりましたが、皇帝の退位が可能になったのはビザンツ帝国
以降のことです。

122マッティアス:2002/08/20(火) 22:48
う〜ん…幽閉とか隠居とかもツライことはツライですが、ネロあたりはそれで
満足しそうですね。ドミティアヌスはまた、ハエを殺しながらすごすのかしら?
でも、彼らは軍隊なり民衆なりの支持があるから、ヘタに生かしておくと、簡単に
クーデタが起きてしまうでしょうね。だから、やっぱり殺すでしょう。

皇帝の退位って、やっぱりキリスト教の影響もあると思うのですが、西ローマ帝国
ではなかったんですか?(←勉強しろよ!)

123カイザー:2002/08/20(火) 23:14
西帝国では最後のロムルス・アウグストゥルス以外にはグリュケリウスとユリウ
ス・ネポスが逃亡としう形で退位後も生き延びてます。ネポスの場合は逃亡とい
うより、本人の意志では一時的退却のつもりでいずれはコンスタンティノポリス
の援助の下で復帰するつもりだったのでしょう。
グリュケリウスも修道院入りして、俗世とは関わらないという意志表示を行った
ので、一応生涯は全うしたようです。グリュケリウスは後のネポス暗殺の黒幕と
言われています。
本来ならこういった元皇帝は殺さないといけないんですが、混乱下にあったイタ
リア半島でそんなことに気を取られるわけにもいかなかっただけだと思います。
ネポスはローマに入城することなくオレステスの反乱で領地のダルマティアに退
却しています。
そのオレステスが即位させたロムルスはオドアケルの手によって退位されている
のですが、オドアケルがロムルスを殺さなかったのは、ロムルスを殺してしまえ
ば、あらたなローマ皇帝を名乗るものが現れかねないので、殺さずに退位してコ
ンスタンティノポリスのゼノンへ帝位を返還するという手続きを踏んだものと思
われます。
先帝レオ1世のように新たな皇帝を送り込んでこないように先手を打ったわけで
す。

あくまで可能性ですが、オドアケルが自ら皇帝を名乗るという選択肢を選ばなか
ったのは残念な所です。リスクの大きい選択には違いないのですが、ゲルマン人
に継承されるローマ帝国というのを見たかったのは私だけではないでしょう。

124マッティアス:2002/08/20(火) 23:44
ゲルマン人の皇帝、たしかに見てみたかったですね。ガリアとか、意外といますけど、
所詮、属州出身者だし。
ああ、帝政後期っていろいろあるのですねえ。衰退期ってどこもゴタゴタしてますが。

イスラム帝国って発展期にあるときは、わりと衰退する前のローマ帝国に近い気が
するんですよ。キリスト教王国よりむしろ。
何でしょう、異教徒に対するあの偏狭ぶりが、〜近代のキリスト教国家が野蛮に
見える原因なんでしょうね。
ユリアヌスはそういうところが嫌いだったのかしら。

125カイザー:2002/08/21(水) 00:08
ゲルマン人の皇帝としては、コンスタンティウス2世と帝国の覇権を争ったマグネ
ンティウスがいるのですが、彼はコンスタンティウス2世の派遣した軍に敗退。
それ以後ゲルマン人が帝位に付くことはなくなります。
ガッラ・プラキディアが西ゴート王アタウルフと自身の子を皇帝に就けようと画策
したり、ゲルマン人(スキラエ族)のオレステスの息子ロムルスが帝位に就いてる
のはゲルマン人じゃないのかと、色々疑問はあるんですが、ゲルマン人は帝位に就
く資格はなかったようです。

ローマFanはキリスト教に不信感を持つというのは歴史的パターンですね。
あのギボン先生にしても(はっきりとは書いてませんが)どうもキリスト教に嫌悪
感を持っておられるようです。
かつて異教徒を滅ぼしてきたという、現在のキリスト教徒の原罪は忘れることは許
されない歴史的事実かと思います。(だから謝罪しろとかいう意味じゃないです)

126マッティアス:2002/08/21(水) 21:09
ローマFanもですが、東洋史の専攻をしていると、教授たちが口を開けば
「野蛮なキリスト教徒どもは」「偏狭で排他的なキリスト教徒たちは」という
恐ろしい講義を受け続けるわけで。(うちキリスト教の大学だったのに)
でも、実際、自分達は正しいと信じる純粋かつ狂信的な力は、すっごい威力が
あったのだと思います。
だからこそ、後期の皇帝たちはその力を欲し、利用しようとして、逆に飲み込まれて
いったような。宗教って、ハッシシュより怖いです。

127カイザー:2002/08/21(水) 22:43
キリスト教徒の排他的性質は恐ろしい限りです。
でも、東ローマでは異文化交流が盛んだったからか、西洋のカトリックとは違って
コンスタンティノポリスにモスク何かもあったようです。

西洋の場合は教義解釈権がローマ法王に限られ、ラテン語かギリシア語しかない聖
書は一般人は読むことも出来ないというのが、(こういう言い方は良くないかもし
れませんが)文明度の低い中世社会に排他的攻撃的思想を植え付けたんだなと思っ
ています。
逆にギリシア語が公用語の東ローマでは庶民でも聖書を読めたため、ネストリウス
派や単性論といった異端との神学論争が絶え間なかったそうです。(聖書的には正
しい)イコン破壊運動が根強く行われ続けたのも、民衆が聖書を読んでいたからだ
と私は思います。

素人考えなんで、異論はあるでしょうけどね。

128マッティアス:2002/08/21(水) 23:05
ギリシア正教会や、東方のキリスト教徒たちには興味があります。
彼らはやはり、神学的解釈をめぐって論争もしたようですが、ムスリムとも共存
していたり、結構、寛容というか、文化的ですね。
十字軍招致のきっかけになったセルジュク朝とかトルコ人との軋轢だって、純粋に
領土とか政治とかの問題であって、狂信的な人たち同士の戦いでは決してなかった
わけですよね。
ビザンツ帝国って、そういうカンジだから、盲目的に教会(教皇)の権威にひれ伏す
西欧世界の人々(フランク人)からみたら、不信心で恥知らずなのでしょうけど。
宗教が民衆に強い支配力をもち、王侯貴族より聖職者の方が権威があるっていうのは
政教分離が進まない社会では当然のことなのかも知れませんが、中世にしろ、それ以
前にしろ、ドルイド教やエジプトの神官団と変らないのでは、と思います。

129カイザー:2002/08/22(木) 21:58
基本は教義解釈権が一点に集中しているかどうかにつきるんじゃないかと思います。
誰でも聖書が読めるのと、聖書の内容を誰も理解できない状態では教会権力の力の差
は歴然だと思います。
昨今のカルト宗教でもそうですが、教祖のみが教義解釈権を持つというのは、宗教に
おける危険要素の一つですね。(それだけではないですが)

実際の所よく分かってないんですが、東ローマ皇帝の影響下にあったころのローマカ
トリック教会というのは多少は寛容性が存在したんでしょうか?それとも、元々寛容
性とは縁もゆかりもないキリスト教がギリシア・ローマ文化の洗礼を受けて、多少は
寛容になったのがギリシア正教なんでしょうか?
何となく後者かなという気がします。

130マッティアス:2002/08/22(木) 22:09
う〜ん、どうなんでしょう。わたしも後者の気がします。

話は全然変りますが、服飾の歴史関連の本を見てふと考えました。
ファッションに寄与したか、単に服装のことが話題になった皇帝といえば、
アウグストゥス、カリグラ、クラウディウス、ネロ、ドミティアヌス、
ハドリアヌス、カラカラ、あたりしか思い浮かばないのですが。
気のせいか、暴君率高い気がします。しかも、唯一、古代からマトモに高い評価の
アウグストゥスは、「トガをまとえる族よ!」とか言って、保守というか復古を
唱えたくらいで、変った格好をしたとか流行らせたわけじゃないし。

131カイザー:2002/08/22(木) 23:36
エラガバルスなんかも奇抜な格好をしたことで評判になってたましたよね。悪い意
味で(笑)。
芸術家というのは、常識にとらわれない奇抜な人間の方が向いてる様ですので、芸
術性が高い皇帝の暴君率が上がるのはある意味必然かと(笑)。

こういう文化関係の知識は弱いんですよね。もうちょっと、私も勉強しないといけ
ない分野です。でも、先日立ち読みしたローマの食文化の本は上水設備の亜鉛中毒
について偏見だらけの記述があって、一瞬で購入する気力がなくなりました。

132カイザー:2002/08/22(木) 23:43
あれっ、間違えてました。

亜鉛中毒 → 鉛中毒ですね。

133マッティアス:2002/08/23(金) 21:28
食べ物についての記述はよくも悪くも、食欲に働きかけますよね。
ローマ人、なんでも食うなあ、ってカンジで恐ろしいです。

服飾話ですが、ドミティアヌスの場合、何かを流行らせたっていうよりも、皇帝の
衣装としての緋色(紫紅)を定着させた、ってだけなんですけど。
でも実はティトゥスの頃からそうだったんじゃないかという説もあります。
エラガバルスもそういえば、じゃらじゃらアクセと派手で奇抜でなおかつ艶っぽい
いでたちで現れたんでしたっけ。きっと小林幸子と張りますよ(笑)。

芸術性の高い皇帝は暴君率上がる、ですか。確かに。
やはり、人間的にどうよってくらい、芸術的な激しい情熱と個性が、治められる側
としては、大変メイワクなわけですね。

134カイザー:2002/08/23(金) 22:28
紫衣=皇帝を定着させたのはドミティアヌスなんですね。
多分、ローマ史の常識なんでしょうが、私は知らなかったです。以前から気になっ
ていた情報なんで、有り難うございます。

でも、ビザンツ時代には皇帝=紫衣ではなくなるんでしたよね?
もっと、文化史の知識を身につけないといけないです。

135マッティアス:2002/08/23(金) 23:37
もともと紫は監察官(ケンソル)の衣であった事、また凱旋将軍の衣も緋色であった
事が、皇帝の権威と結び付けられ、フラウィウス朝時代に定着したと考えられて
いるようです。ティトゥスの凱旋門などから考察されていたのですが、
ドミティアヌスが85年以来終身監察官になったこと(彼はコンスルよりケンソル職
のほうが気に入っていたっぽいし)から、きっと緋色のトガばかり着ていたと推測。
私も昨日、レファレンスルームでだるだるするまで知りませんでした。

ビザンツって緋色=皇帝ではないのですか。知らなかった。じゃあ、何色?
禁色ってのは特になかったのでしょうか?

136カイザー:2002/08/24(土) 11:00
紫はキリスト教では死を暗示する色で、途中から色が変わったとかいう話がどこか
に書いてあったのですが、今手元の本をざっと見てますが、見つかりません。もし
かしたら、勘違いかも(汗)。
話はちょっとずれますが、カエサルとかアウグストゥスといった皇帝を意味する称
号も十字軍の頃には地位のインフレによって皇族の称号に下落しちゃいます。

137マッティアス:2002/08/24(土) 21:01
フィリップ・オーギュストなんて、ただのフランス王ですしね。8月生まれだから
この添え名がついたのだと生徒に教えている某大学(私の出身校ではない)の教授へ。

一応フィリップの事跡(年代記)を記した人によると、即位当時は小国だったフランス
を、3倍近い領土に広げ、かつフランス革命まで原則的に続く統治システムを
整えた業績を称えて、アウグストゥスになぞらえられたそうですよ〜。

すみません、大いに脱線しました。
それにしても、もともとは「尊厳なる人」という意味であったアウグストゥスが
皇帝を意味するようになってしまうと、似つかわしくない人々にその称号が
加えられていて、切ないですね(笑)。
ウィテッリウスとかエラガバルスほかの電波系皇帝とか、お前らの何処に尊厳が
あるんじゃあ?と問い詰めたい衝動にかられます。

138カイザー:2002/08/24(土) 22:33
私も中世ヨーロッパの時代の皇帝の称号の扱いがどうなってたのかというのが、今
ひとつよく分かりません。
カール大帝の頃はアウグストゥスを名乗っていた様なのですが、その後のカロリン
グ朝の諸皇帝やオットー1世以降の初期神聖ローマ帝国の皇帝達がどういう意図を
もって称号を取捨選択していったかが、気になってるんですがやはり専門書や論文
集に手を出さずに調べるというのは無理なんでしょうか?

フィリップの場合は皇帝号というより、単なる王の渾名ですよね。実際にフィリッ
プがローマ皇帝たらんという野心があったわけでもなさそうですし。

139マッティアス:2002/08/24(土) 23:53
でも、フィリップは「国王は領地においては皇帝にまさる」みたいなこと公言して
いますよね。ブーヴィーヌでは、皇帝と諸侯の同盟軍を破っていたような。
ビザンツ皇帝ってバシレイウスとか、そんな表現されていません?『アラブが見た
十字軍』で、「コンスタンティノープルのバシレイウス(皇帝)、アレクシオス・
コムネノス」とかいう記述があったような。いろいろウロオボエ。

皇帝といえば、すっごく時代が下るしローマじゃないのですが、イヴァン雷帝も
ちょっと気になっていた時期が。この人のイメージはちょっとドミティアヌス系と
いうか、ティベリウスというかなカンジ。昔、トロワイヤの本買ったのですが、
最初の妻がなくなった辺りでツラすぎて(感情移入しすぎ)読めなくなりました。

ともあれ、ツァーリはカエサル。ドイツ皇帝もカイザー。結局、アウグストゥスの
方は、西ローマ帝国滅亡後、皇帝の称号として受け継がれていないような。

140カイザー:2002/08/25(日) 10:28
>でも、フィリップは「国王は領地においては皇帝にまさる」みたいなこと公言して
>いますよね。

私も中世ヨーロッパの知識は曖昧なんですが、それは王権の皇帝兼からの独立を確
認するという様な意味じゃないかと思います。フランスはドイツと関係ないという
宣言ではないでしょうか?
逆にちょっと気になったのは、神聖ローマ皇帝の意識では西フランク王国も自身の
影響下にあると考えていたのかなということ。オットー1世とかは東フランク王国
限定の皇帝つもりなのか、西フランク(あるいはその他の地域)も含めた領域をも
意識してたんでしょうか?
ヨーロッパ普遍帝国の夢っていうのはカール5世個人の野望なんですかね?

イギリス(エンペラー)やフランス(ランペルール)ではインペラトルが皇帝の意
味を持ってますよね。
ギリシアではヘラクレイオス朝の頃からバシレイウスが皇帝の意味を持っているよ
うですが、語源が良く分からないです。(人名ではないと思うのですが)バシリカ
法典のバシリカはこのバシレイウスから取ってると思うのですが・・・。
ギリシア語では
 カエサル→カイサル
 アウグストゥス→セバストス
と言うそうです。コムネノス朝で副帝を意味するのはセバストクラトールという造
語(クラトールが支配者とか専制者といった意味だそうです)です。

上のカキコでもちょっと書きましたが、カール大帝は各ゲルマン所属の王号とカエ
サル、アウグストゥスの称号を併せて持っています。私も勉強不足なんですが、こ
の段階ですでにアウグストゥスの称号に価値はなかったのか、それとも以降の皇帝
がアウグストゥスを何らかの理由で名乗るのを辞めたのか良く分からないんですよ
ね。

141マッティアス:2002/08/25(日) 11:43
セバストゥス、ね。「ユダヤ戦記」にセバストゥス、と書いてあったとき、誰や?
って思ったら、文脈から言ってアウグストゥスだったから驚きました。
ギリシア語って、結構ラテン語とイメージ違うなあ、とか。
カール大帝…この頃は私にとってのヨーロッパ暗黒時代です(苦笑)。
十字軍始まるまで、結構頭まっさらです。

結構話変ってしまうのですが、ローマにも宦官っていたじゃないですか。ペルシア
にも。なのに、イスラム史やらバロック音楽(というかカストラート)の本を読むと、
お互い、そこで宦官とか去勢の風習が生まれたのは、相手の文化との接触に影響を
受けた、みたいなこと書いてあるんですよね。
つまり、イスラム世界での宦官の存在=ビザンツの影響(源はローマ帝国)、とある
のに対して、カストラート=ヒスパニックから流入=イスラムのアンダルシアから
ヨーロッパに導入=イスラムの風習(ペルシア起源)だった、という記述が。
本って、一つの時代だけ見ている分には、そんなに矛盾ないのですが、違う国やら
時代やらの本も読むと、いろいろ謎が深まります。

142カイザー:2002/08/25(日) 12:21
宦官といえば、ユスティニアヌス1世の功臣ナルセスがローマでは一番有名ですよ
ね。

西方世界の宦官について言えば、源流はエジプトでしょうね。アケメネス朝ペルシ
アにもバゴアスとかいう宦官が秦の超高の様に好き勝手をして、ダレイオス3世に
討ち取られたそうです。アレクサンドロスの大遠征以前にペルシア帝国は破綻しつ
つあったという一例ですね。
私もそういう分野は素人ですから、確証を持っては言えないんですが、エジプトを
起点に考えればマッティアスさんの上記カキコの内容はあながち間違いでもないか
なと思います。
いずれにしろ、宦官は土着の風習としてはなかなか根付かないようですね。

143マッティアス:2002/08/25(日) 13:59
そうですね。あと、宦官が西方で嫌厭されるようになったのは、やはりキリスト教
の影響かと。少なくとも、自発的に自らの肉体を損傷する行為は、神にそむくこと
でしたから。(だから去勢歌手は様々な理由をでっちあげた)
東洋については、大体、西アジアでの家畜の去勢を、農耕民が刑罰や自分の後宮を
守る奴隷として人間に応用したと考えられていますね。
中国の冊封体制に入った国は日本以外、ほとんど宦官を使用しています。朝鮮半島
はわりと知られていますが、実は世界で最後に宦官制を廃止したのはベトナムだと
いうことはあまり知られていません。実質的にはもう、いなかったかも知れません
が、法的に廃止になったのは1970年とかそれくらいなのですよ。
インドはインドで、中国とは別の歩みを見せていたようですが、「マハーバーラタ」
でも、アルジュナが仙女の呪いで不能にされていた1年間は、宦官になりすまして
いましたよね。何が嫌って、3人称代名詞が「彼女」だったことです。

144カイザー:2002/08/25(日) 16:48
後宮での不義密通というのは、宦官を使わないとどうしようもないんでしょうね。
あれほど弊害が大きくても制度の見直しがされないというのは不思議です。
現在は宦官の制度はないんですね。何となく中東の王制が残ってる国ではシステム
として残ってるもんだと思ってました。

マハーバーラタ読まれてるんですね。粗筋も何も知らないですが、パソコンでRP
Gになってたのは微かに記憶にあります。
宦官は女の子扱いというのは、何か間違ってると私も思います。

145マッティアス:2002/08/25(日) 20:31
かつてレグルス文庫というのがあって、マハーバーラタの、本筋だけでまとめた
(派生した作中物語も、かの有名なバガバットギーターも削除)のを読みました。
宦官が女性名詞扱いなのは、インドくらいかなあ、と思うのですが。女装させられ
ていたようですよ。ていうか、身体検査とかしなかったの?と(苦笑)。
ともあれ、マハーバーラタは、大変後味の悪い話だった気がします。

話をローマに戻しましょうか。宦官はローマ帝国でも使われていましたが、帝政初期
には少なくとも、東方世界のように、後宮を守る人ではなかったようですね。
どっちかというと、男性を相手に客を取らされたりしていたようですが。その系列で
いちばん有名なのはスポルスですね。ほんとに去勢されていたのか、気になります。
ドミティアヌスは去勢禁止令とか出して、宦官流行を止めようとしたようですが、
兄のティトゥスは稚児さんと宦官が大好きだったようで。
人の趣味っていろいろです。

146カイザー:2002/08/25(日) 22:07
ローマは中国の様に側室が100人なんてことはないですからね。浮気するかどう
かだけの心配に、わざわざ宦官は必要ないですよね。
スポルスの去勢話の原典は(調べてないので違うかもしれませんが)スエトニウス
だと思うのですが、あまり信用出来そうな話とは違うかなと。ローマ人の感覚も良
く分かりませんが、女性相手だと浮気でも宦官ならOKみたいな扱いなんですかね?

後期帝政の頃も基本的には一夫一妻制の筈ですが、宦官が政治に関わってくる必然
性が今ひとつ分かりません。後宮とは言わないまでも、皇后や皇族の女性全般の身
の回りの世話に従事してたんでしょうか?う〜ん、私の勉強不足ですね。

147マッティアス:2002/08/25(日) 23:42
そうなんですよ。基本的にヨーロッパ社会って、宦官を必要としてないんですよ。
なのに、なんで存在するのか。しかも、大抵が快楽追求(歌手だってある意味そう)
のためだというあたりが、ヘン。
やはり、宦官が皇帝や皇族のファミリアになったのは、エジプトかパルティア、
あるいは属州シリアからの影響かなあ、とか。わりに有名な宦官の中に、コンスタン
ティヌス大帝に仕え、ユリアヌスのトラウマになったエウセビウス(だったかな)も
いますよね。彼の場合はキリスト教徒だったはずだから、何故宦官になったのか、
非常に気になるところ。
あと、ローマ帝国の外科手術ってどの程度のレベルだったのか、も気になってます。
エジプトも古王国とかの時代だと、去勢手術での死亡率が70〜90%というお粗末さ
ですからね。どんなもんだったのか。中世イスラム世界では、もっぱら、ユダヤ人
の医者に手術させていたようです。ユダヤの医学レベルは高いですからね。

148カイザー:2002/08/26(月) 22:52
久しぶりにギボンのコンスタンティヌス朝の辺りの見直したら、エウセビウスの名
前はありましたね。全然、覚えてなかったのですが副帝ガルスの失脚に関与したそ
うです。
その辺りの、注釈に若干宦官の記述がありました。
ヨーロッパに宦官が導入されたのはアレクサンドロス大王の遠征で、基本的には宮
廷の大奥の番人に従事していたそうです。
ドミティアヌスやネルヴァは去勢手術を禁じたり、アレクサンデル・セヴェルスや
コンスタンティヌス1世は宦官の国政への参加を禁じる法令を出したとの記述があ
りました。簡略過ぎて今ひとつよく分からないんですが、セヴェルス朝の頃には宦
官がトラブルの種になってたんでしょうか?

ユダヤ人が技能を身に付けるようになったのは、やはりエルサレムから追放され流
浪の民となったハドリアヌス以降のことでしょう。ローマ時代の先進医療地域は単
純にギリシアかなと思うんですが、違うんでしょうか?

149マッティアス:2002/08/26(月) 23:30
そうかも知れません。エジプトでも、プトレマイオス朝あたりでは、堕胎や婦人科
の技術はずいぶん発達していたようですが、やはりギリシア起源なのでしょう。
ビバ!アスクレピオスってカンジでしょうか。それともヒポクラテス?
(詳しい事はわかってないし)
ユダヤ人が去勢手術が得意だったのは、割礼の風習と関係あるのかと、初めは思って
いたのですが、インドでもその分野はかなり発達していたらしく、中国でも結構、
インドで施術した宦官(特に色目人)を輸入していたらしいです。

気になるのは、ドミティアヌスが何故、そんなに宦官を嫌ったのか、ということ。
単に同じ男性として、奴隷であっても、生殖能力他が奪われるっていうのを想像
しただけでも、耐えられないような繊細な精神の持ち主だったのか、とか。
ネルウァの場合は、単にドミティアヌス時代の政策の延長、って気がしますが。
ドミティアヌスって、結構風俗の取り締まりに力入れてますが、現代の青少年保護法
みたいのも、設立していますよね。17歳未満の(自由身分の)少年を強姦したり、
誘惑した成人男性に対する刑罰、とか法案化していたと思うのですが。
でもって、それを元老院身分の人にも適用して、すっごい反発されたはず。

150カイザー:2002/08/27(火) 22:46
ドミティアヌスは潔癖好きですからね。巫女さんは乙女じゃないとダメとかいう空
文化しつつあった、決まりを厳格に適応して女の子を処刑してるぐらいですからね。
その割に近親相姦の気があったり(デマ?)とか、良く分からない人です。
そういう所は、オクタヴィアヌスと似てるかなとか思います。

実際に宦官がローマの政治舞台に上がるのは、セヴェルス朝とかの東方系の王朝が
契機になってるかなと、昨日ギボンを見てて思ってました。あんまり、根拠はない
空想なんですが。

151マッティアス:2002/08/27(火) 23:44
意外に、そういう素人ならではの思い付きって、結構当たってたりしますよね。
多分、先入観ない分、素直に資料が読めますから。根拠なんてなくてもいいんです。
それ、採用(笑)!

ドミティアヌスの潔癖さは、確かにアウグストゥスと似ているけれど、極端に走る
ところが、ちょっとネロとかカリグラに近いかも。あるいは、彼自身が尊敬して
いた、ティベリウスとか。

セウェルス朝から、確かに支配者像が変質してきた気はしていましたが、軍事政権
だからじゃなくて、カルタゴやシリアの翳がある、っていうのもアリですね。
宦官に限った事ではなくって。

152カイザー:2002/08/28(水) 22:26
セヴェルス朝〜軍人皇帝時代にかけての大きな変化の一つに元老院の権力の低下と
いうものがあります。首都ローマでの元老院の承認なく、武力で帝位を獲得すると
いう事例が相次ぎ皇帝達が一々元老院の意向を気にしなくなるようになります。
ゴルディアヌス1世、2世、3世辺りが実質的に元老院が関与した最後の皇帝とい
えるのではないかと思います。

混迷の時代に元老院の形式を重んじるという、偽善的な元首制は実施不可能なのは
致し方ないことなんでしょうね。

153マッティアス:2002/08/28(水) 22:49
結局、軍事力を持ったもの勝ちってのは、ネロ死後の内乱ですでに証明済み(by
タキトゥス)ですが、五賢帝までは偽善的に振舞う余裕もあったし、元老院にも
まだなにがしかの威厳があったのでしょうかね。
元老院がもはやただの官僚グループと化したのは、五賢帝時代なのか、もしくは
フラウィウス朝時代なのかも気になるところです。
ゴルディアヌス帝たちに関しては、元老院最後のあがき、ってカンジで、結構
痛々しかったりするのですが。

154カイザー:2002/08/29(木) 22:38
そもそもオクタヴィアヌスやカエサルからして、武力で独裁権を確立してるんです
けどね。

素人の私見ですが、五賢帝時代の元老院は無力な存在ではないと思いますね。ハド
リアヌスを記憶の断罪処分にしようとして、アントニヌス・ピウスと対立したのは、
その一例ではないかと思います。
暴君コンモドゥスを排除したのも元老院の意志の現れではないかと。セプティミウ
ス・セヴェルスに屈服してディディウス・ユリアヌスを処刑するという腑抜け極ま
りない選択をしたのが、ケチのつき初めと私は認識しています。

155マッティアス:2002/08/30(金) 00:30
そうか、セウェルス朝が元老院にとっての一大転換期なんですね。
五賢帝関係の本で知られる南川高志さんも、実はなにげにセウェルス朝に力入れて
いるのは、やはりそういう理由が…。

でも、ウィテッリウスを皇帝として認めちゃったりとか、ウェスパシアヌスにも
皇帝権を認めたりとか、充分情けないですよね。
もはや元首制なしに現実問題として、国政が立ち行かなかったのでしょうけど。
ピウスにも結局、屈してしまっているわけでしょう。そこで断固とした処置は、
取るだけの力がやっぱり無かったのかなあ、とか。
だって、ピウスはハドリアヌスを断罪するなら辞めてやるぅ〜、とか、かなり
自分の立場に自信をもった挑発的意見を述べてますよね。

カエサルやアウグストゥスが軍事力を背景に独裁者となったのは事実ですが、
とりあえず、見なかったフリをしていた元老院議員の方々に、結局は軍事力を
握ったもの勝ちだと認識させたのが、ネロ死後の内乱かな、と思うのですが。
それとも、ネルウァが弱腰にならざるを得なかったことのが、タキトゥス辺りには
印象深かったのでしょうかね。
最近、歴史家の記述に関する、彼の生きた時代の影響、というものについて、少し
考えるようになりました。

156カイザー:2002/08/30(金) 23:30
現実問題としては元老院は皇帝に従属してるんですが、建前としては元老院が皇帝
を選出してるという形式がありますよね。
少なくともユリウス朝〜五賢帝時代までは、その建前が実質的な意味も(ある程度
は)持っていたと思います。元老院からすれば、ガルバもウェスパシアヌスも俺達
が認めてやったから皇帝になれたんだろうという、認識だったんじゃないかなと。
アントニヌス・ピウスにしても、万一にもハドリアヌスの神格化を拒否させてしま
う(=帝位継承の正当性が否定される)訳にはいかないから、かなり必死の抵抗を
したという見方を私はしています。

タキトゥスは五賢帝時代の人ですからね。基本的にドミティアヌスは嫌いみたいで
すね。親父さん粛正されちゃってますし。

157マッティアス:2002/08/31(土) 21:47
えっと、タキトゥスの実父が粛清されたのですか?
舅のアグリコラは、皇帝の政治方針(ていうか帝国運営)と合わなかったから、
ゲルマニア総督から更迭されたけれども。別に罰せられたわけではないですからね。
そういえば、アグリコラもフラウィウス時代にパトリキに列せられた人でしたね。
タキトゥスにとって、ドミティアヌスが他の暴君より憎いのは、おもいっきり同世代
だってのがありますよね。4歳くらいしか違わない。
だから、ドミティアヌスが生きていた時は、コイツが死ぬのって、俺より後かもな〜、
とか、コイツが死ぬ頃にはじじいになっちゃうぜ、とか思っていたのでしょうね。
ネロが若くて健康な分だけ、不平分子が思いつめたのと一緒で。

158カイザー:2002/09/01(日) 02:27
タキトゥスの親父さん=アグリコラのつもりで書いてますね。実際は義父でした。
先日、眺めてた年表でアグリコラが更迭された翌年に殺されてると書いてあったん
で、ドミティアヌスがやっちゃったもんだと単純に思ってたんですが、ちゃんと調
べないとダメですね。
一応、手元のタキトゥスの「アグリコラ」を読み返しました。
アグリコラはドミティアヌスのアシア総督かアフリカ総督への就任要請を辞退した
直後に急死しており、毒殺されたという噂があってタキトゥス自身も疑いの目を持っ
ているように記述されています。タキトゥス本人はこの頃は地方の軍団で勤務して
て真相を直接見聞きしてた訳ではないようですが。

それにしても「ローマ皇帝伝」とか「ゲルマニア」とかの訳本関係は読んでも右か
ら左に情報が素通りしてしまってちっとも頭に内容が蓄積されません。カントとか
の哲学書なんかに比べれば全然マシですが。

159マッティアス:2002/09/02(月) 17:36
皇帝伝は、笑える部分だけ記憶に残るという、まさに週刊ポスト歴史版ってカンジ
ですよね。前兆だとかそういうのはあんまり覚えてないのですが。
オト〜ドミティアヌスはわりかし記憶に残っているのですが、それは愛(笑)?
岩波文庫版でいうと、上巻より下巻のほうが面白かった。とか言ってるから、到底
オクタウィアヌス・ファンには思われないんですよね(反省)。

160カイザー:2002/09/02(月) 21:39
「ローマ皇帝伝」の場合は訳者の国原先生に遊び心がなさすぎなのが惜しいところ
です。
『激報!!カエサルはオクタヴィアヌスの童貞を奪った!?』みたいな見出しがあ
るだけで、100倍は面白くなるのに。歴史史料なのに、本当にそんな内容ですも
んね。まともな部分もあるんですけど。
それにしても、スエトニウス自身は自分の記述について、どんな感想を持ってたの
か不思議。情報がゴミかどうかは、読み手が判断しなさいという挑戦状ということ
でしょうか?

161マッティアス:2002/09/02(月) 22:34
スエトニウスは、ただ自分の趣味に忠実だったんじゃないでしょうか?
国原先生は、タキトゥスには結構ピッタリですが、スエトニウスの内容とはどうか
とかつては思っていましたが。文体と内容のギャップが最近快感☆です。

でも、週刊誌風にやれば、「それどころか、ドミティアヌスはネルウァにだって
抱かれてたんですよ(事情に詳しい元老院議員Tさん談)」みたいなカンジで、
すっごい読みやすそうですよね。誰か超訳!とかやればいいのに。
風俗情報誌というか、すっごく下世話で面白いのが、マルティアリスなのですが、
一般に販売されていないようですね。残念。
ていうか、ゴシップ系のが、内容カスだろうと信憑性薄かろうと、面白いから
残るんですね。ポリオやリウィウスって残ってないのでしょう?
書物ってのは、昔から読者がいてナンボなんですね。つくづく思いました。

162カイザー:2002/09/03(火) 00:13
今、皇帝伝の訳者後書きを見返してみたんですが、国原先生の考えの固いこと。
もうちょっと、普通の読者への分かりやすい解説をつけてあげればいいのに。コル
ブロとアグリコラがさも有名人かのように名前があがってますが、普通の人は名前
も知らない思うんですけどねえ。
この解説だけを読んでると「ローマ皇帝伝」が普通の歴史史料に見えるから不思議
なもんです。

163マッティアス:2002/09/03(火) 09:49
大真面目な方が、キワモノ文学の訳をやると面白いですよね。後書きとかで、超☆
言い訳というか、もっともらしい解説をしているのが、微笑ましい。
国原先生は、「サテュリコン」の訳もやっていたと思うのですが、あれこそ甚だしい
ミスマッチですよね。後ろに載ってる「アポコロキュントシス」のほうがまだ、
国原ワールドにふさわしいような気がします。
マルティアリスのほうは、慶応の言語文化研究所で出しているため、言語学的解釈
が中心なのは仕方ないのですが。解説では性的用語を横文字で書かれるので、
何が何だかよくわかりません(笑)。稚児でも、どういう行為をするとか、年齢で、
元の言葉が違うみたいなんですよね。教授の苦しさが伝わってきます。

164カイザー:2002/09/03(火) 22:12
日本にいるとなかなか西欧の古典資料は読めませんもんね。英語ぐらいなら自力で
読めないとお話にもならないというのは、素人には手が出ない世界です。学者先生
には少しでも多くの資料を日本語に翻訳して欲しいですね。とりあえず、ディオ・
カシウスとプロコビウスあたりの日本語訳が読みたいです。
もしかして、マッティアスさんはアンナ・コムネナの書いたアレクシウス1世の伝
記を自力で読まれたんでしょうか?だとしたら、尊敬します。

165マッティアス:2002/09/03(火) 22:23
語学力の無さは半端じゃないので、アレクシウス伝なんて読めるわけはありません。
その力があるなら、イスラム側の資料をもっと読んでいたでしょうね。
ディオ・カシウスはともかく、以前も書きましたが、ヒストリア・アウグスタは
『五賢帝』の南川先生が訳しているようなので、その頃までローマ史飽きていなけ
れば、購読しようと思っています。
ていうか、塩野さんの去年出したインフラのやつすらまだ読んでいないのですが、
今年こそ哲人皇帝(とそのバカ息子?)の、出ると思います?
なんか、↑この人すっごく塩野さん的に萌え要素なさそげですが。
この後、塩野さんが恋できる人物が出てくるまで、時間かかりそうですし、女史
はキリスト教は結構ニガテそうなので、ちゃんと完結するのか心配です。

166カイザー:2002/09/05(木) 00:43
塩野七生は好き嫌いが露骨過ぎますね。
先日、デラさんも掲示板で書いておられましたが、彼女のカエサル贔屓は逆にカエ
サル嫌いの人間を産みだしてしまうと思います。とりあえず、私は「ルビコン以前」
「ルビコン以後」を読んでカエサルの評価がガタ落ちしました。それまでは、普通に
評価してたのに。
逆に塩野さんがやる気をなくしてる(って分かってしまうのも本当はどうかと思いま
すが)オクタヴィアヌス以降の比較的冷静な記述はいい感じです。歴史系の作品はや
っぱり、淡々と事実を語ってて、それでもさりげなく自分の意見をちりばめるという
作品の方が読んでてわくわくします。

167マッティアス:2002/09/05(木) 22:09
そうですね。あのカエサル贔屓はめっちゃ引きました。ていうか、もともとあまり
カエサルに興味を持っていなかったせいもあるのですが(←ローマ史ファンか?)。

塩野さんの、オクタウィアヌスを評価はしてるけど、愛は持てないの。でも、愛が
ないからって彼の功績は認めてないわけじゃないのよ?カエサルには及ばないけど。
ってカンジの文章が、すっごくオクタウィアヌス・ファンとして切ないなあ、と。
彼女が、好きなのかどうでもいいのかはっきりしない、ハドリアヌス、ティトゥス
あたりは、ときどき、適当書いてねぇか?などと思うのですが。
いちばん、いい加減というか愛がないと感じたのは、ネルウァですかね。
女の人ってわりと、好きか嫌いかどうでもいいか、文章に如実に出る気がします。

個人的には、海音寺潮五郎やアミン・マアルーフ、ブノワメシャンあたりの語り口
が結構好きなのですが、弓削先生のミョ〜に文学的な文章もドキドキ☆

168カイザー:2002/09/07(土) 11:30
カエサルは塩野七生に限らず、やたら高い評価を受けてる人物ですよね。
別段カエサルを貶めようとは思いませんが、世界史上における最重要人物みたいな
言われ方をされると違和感を感じます。
カエサルが生き残って皇帝となる方が、オクタヴィアヌスの築いた帝国より、短命
なんじゃないかなと思いますね。

そういえば、海音寺潮五郎って読んだことないんですよねえ。お奨め作品とかあり
ますでしょうか?ちょっと、気になるのが田中芳樹の中国歴史小説の類。地雷なん
で、近づかないのが一番という評判をしばしば見かけるのですが、読まれたことは
あるでしょうか?

169マッティアス:2002/09/07(土) 20:48
田中芳樹はアルスラーンしか読んだ事ありません。アルスラーンって名前が、
第一回十字軍の被害に真っ先にあったトルコの17歳のスルタンと同じだったので
何となく、だし(苦笑)。田中先生、マアルーフ大好きっぽいですね。後書き読むと。

海音寺は小説より、『悪人列伝』とか『武将列伝』あたりが読みやすくて好きです。
このノリでローマ皇帝についても書いて欲しかった。小説なら『平将門』とか。

カエサルは評価されてしかるべき人物だとは思いますが、破壊型の英雄で、建設型
ではないように思うのです。戦国武将でいえば、信長系で既存の秩序を一気に崩して
発想もすごいんだけど、ちょっとゴ〜インすぎるというか。彼の「寛容」についても
ほんとはいろいろ言いたい所ですが、控えます。
オクタウィアヌスはその点、建設型なんですよね。「ゆっくり急げ」じゃないですけど
長いスパンで物を見て、考えられるタイプかなあ、と。

170カイザー:2002/09/08(日) 00:15
そうそう、どっちかというと政治改革者としてはオクタヴィアヌスの方が向いてる
んじゃないかなと思うんですよね。カエサルはどっちかというと方向性を定めて人
を引っ張る力に優れてるとは思うんですが、パフォーマンスなしの地道な政治活動
をしたりするイメージがわき上がってこないんですよね。
三国志でいえば、董卓みたいなタイプが以外と近いかもしれないですね。ただ、董
卓と違ってカエサルにはオクタヴィアヌスという史上最高の後継者が控えていたの
が最大の違いでしょうか。オクタヴィアヌスがあっさりアントニウスに負けてたら
ローマ帝国の滅亡はメチャクチャ早そうです。

171マッティアス:2002/09/08(日) 11:03
ていうか、アントニウスが勝ち残っちゃったら、内乱がもう1世紀くらい延びたかも
知れないですよね。↑は対外戦争とかは得意そうだけど、政治的なアタマが全然、
ないですからね。
カエサルにはオクタウィアヌスという最高の後継者がいただけで、タイプ的には
董卓ですか(笑)。刺されても知りませんよ。ああ、でもアントニウスって呂布と
近いかも。(カイザーさん、怒ってます?)
こんな事を言うと、またまた刺されそうですが、カエサル贔屓の方って、オクタウィ
アヌスの功績まで、カエサルのおかげのように言うじゃないですか。そこら辺がね、
ちょっぴり引いたりするんですよ。

172カイザー:2002/09/08(日) 15:20
董卓かっこいいじゃないですか。黄巾の乱で温存した兵力を利用して、政権を奪取
し宦官を政治の場から追放して士大夫を登用するというのは、カエサルに通じるも
のを感じます。董卓には董卓なりの政治ビジョンがあった筈です。
その後、地方軍閥の反乱が起きて洛陽を放棄してからのやる気のなくしっぷりが、
過剰に記述されて非難を浴びまくってるわけですが。

カエサルはいい時に死んだなと、思うんですよね。独裁権を10年も持ち続けてれ
ば、絶対に元老院の反発を招いたでしょうし、必ずしもローマ市民がカエサルの味
方であったとも思えません。
カエサルの死は、敢えて反カエサル派を矢面に立たせて敵対勢力を一掃出来た上に、
カエサル派内部の分裂でアントニウス=反元老院派、オクタヴィアヌス=元老院派
という、都合のいい状況を作ることが出来た訳ですから。
とは言っても、必ずオクタヴィアヌスが勝利するという保証もなく、ブルートゥス
達がもっと有能で人望があれば、カエサルの野望を受け継ぐべき人間がいなくなっ
てしまうんですけどね。

173マッティアス:2002/09/08(日) 22:16
まあ、カエサルがイイカンジに政策を進めつつ、いい時期に亡くなったからこそ、
我らがオクタウィアヌスが登場できたわけですよね。ほんと、あと10年生きて
いたら、彼に対する反対勢力も育っていたと思うし、もしカルプルニアなり、他の
ローマ市民の女性(その場合はカルプルニアと別れて再婚しているのかな)との間なり
に子供ができていれば、オクタウィアヌスが後継者に指名される事は無かった、と
考えられますよね。
オクタウィアヌスが事実上の帝政を打ち立てたのって、カエサルの先見の明ってより、
偶然とオクタウィアヌス本人の努力に負う部分が大きいと思います。アグリッパと
いう、忠実にして有能な相棒に出会えたのも、素晴らしい幸運ですよね。

174カイザー:2002/09/09(月) 23:43
確かにカエサルが存命でカエサルの息子が成人してたとしてら、ちょっとオクタヴィ
アヌスが独裁者となれたとは考えにくそうですね。オクタヴィアヌス以外の人間でも
帝政の礎を築くことが出来るとは、思えないんですよね。始皇帝なみに有能な人間は
そうはいないでしょう。
オクタヴィアヌスにとってのカエサルは偉大な先駆者であると共に、失敗を犯した反
面教師でもあると思うのです。あまりにも、独裁者であることを露骨に表現しすぎた
カエサルをマネしてはまずいという気持ちは、間違いなくオクタヴィアヌスにあった
はずです。

175マッティアス:2002/09/09(月) 23:54
そうそう。カエサルに憧れ、尊敬はしていたけれど、何でもかんでも彼の真似とか、
継承ではないのですよ。
カエサルがいたからこそ、オクタウィアヌスも(歴史上の人物として)存在しえたと
いうことを否定する気はありません。カエサルの急ぎすぎた改革の良い面、悪い面
をキチっと見据えて行動するクールさ、現実的な視点、そういうところがオクタウィ
アヌスの偉大なところですよね。
地に足がついた改革者(もしくは再建者)としては、系列も功績も全然違いますが、
ウェスパシアヌスもすごいと思うのですよ。五賢帝以上に。
ていうか、前期のことしかまったく勉強してないから、ディオクレティアヌスとか
コンスタンティヌスのこととかは評価する知識のベースがないので、きっと異論や
不足点への指摘も多いと思いますが。

176カイザー:2002/09/11(水) 01:21
基本的に前期帝政の皇帝達って、恵まれてると思うんですよね。
蛮族に対しては軍事力で圧倒してるし、帝国内の政権も比較的安定していたお陰で、
(全くなかったわけではないですが)属州軍が皇帝を擁立し続けるという、危機的状
況に直面することもなかったわけですから。
コンスタンティヌスを例にすれば、クリス・スカーをざっと見れば分かるでしょうが、
ディオクレティアヌスの四分統治を力尽くで叩きつぶして、統一政権を作り上げて、
また一族で分割統治体制を行うという、いい意味でも悪い意味でも無茶苦茶なことを
やっています。
四世紀の皇帝達は基本的にメチャクチャ有能だと思うんですよね。ティベリウス級の
皇帝が統治してて、それでも破綻に向かいつつある時代なんじゃないかなと。その割
にホノリウスみたいな馬鹿タレが一生を全うしてるのが不思議な所なんですが。

177マッティアス:2002/09/11(水) 22:16
う〜ん…有能な人って行き急いでしまうのかなあ?
ティベリウス級ってめちゃめちゃ有能じゃないですか!ああ、でも敵を作りやすそう。

コンスタンティヌスは有能なのだろうと思いつつ、キリスト教がニガテなのと、
「背教者ユリアヌス」の怖いイメージで、まともに考えようとするとうなされそう
なんですよね。長男と妻の殺し方が怖いよう(T_T)。

178カイザー:2002/09/12(木) 23:15
皇帝達全員が有能という訳ではないですけどね。
とりあえず、ディオクレティアヌス、コンスタンティヌス1世、ヴァレンティニア
ヌス1世の3人は歴代皇帝の中でも屈指の実力者だと思います。

コンスタンティヌスの長子クリスプスと後妻のファウスティナの死は大帝の汚点に
数えられますね。同僚皇帝リキニウスも騙し討ちで滅ぼしてるし、生き残るという
のはきれい事ではないのでしょう。

クリスプスさえ生き残っていれば、あのモンタネッリも嘆き悲しんだことで有名な、
コンスタンティヌス2世、コンステンティウス2世、コンスタンス1世という、ロ
ーマ史上最も鬱陶しい名前の皇帝達の3分統治は実現しなかったと思うと、残念で
仕方ありません。(←論点が違う)

179マッティアス:2002/09/12(木) 23:23
はっはっは〜☆ 確かにウザいことこのうえないですよね。誰が誰やねん?てカンジで。
クリスプスと後妻の話って、中国にも似たようなのありますよね。
やはり、長男は大人になると、父にとって最大のライバルということでしょうか。

暗いし、良いイメージはないけれど、ユリアヌスを後継者にしたコンスタンティウスは
なかなか悪くないと思いますよ。なんだかんだで、うまいこと統治してますよね。
ユリアヌスの兄ガルスは影うすいっていうか、ビミョ〜にバカっぽいイメージなのは、
辻さんの作品のせいなのか、史実なのか。

180カイザー:2002/09/13(金) 23:40
ギボンでもガルスは雑魚キャラ扱いですね☆副帝に取り立てられて、すぐに解任&
謀殺というだけの記述でした。

コンスタンティウス2世は、何とも言い難い人物ですね。父コンスタンティヌスの
死後に起きた皇族の大量粛正事件の黒幕と言われていますが、具体的には根拠がな
さそうですね。
基本的にコンスタンティウスはラッキーマンですね。兄と弟は自滅で滅んでしまい、
反乱を起こした対立皇帝のヴェトラニオが一戦もせずに降伏したのも幸運です。
唯一のゲルマン皇帝マグネンティウス戦の間も修道院に閉じこもってお祈りに毎日
の時間を費やしていて、配下の軍がムルサで勝利を収めたそうです。
ローマ(に限ったことでもないでしょうが)では、君主たる者は自ら戦場で戦うべ
きだという考えが支配的なんで、自然と評価が低くなったというのはあると思いま
す。
偏見なんでしょうが、謀略とかが得意そうなイメージが固定観念になってます。

181マッティアス:2002/09/13(金) 23:48
謀略家って別に悪い事じゃないと思うのに、心理的嫌悪感を感じる人が多いせいか、
それだけで悪役決定ですよね。マキャベリストな私は、結果的に良い方向へもって
行けるなら、そして被害が最小限に押さえられたなら、全然アリだと思ってしまう
ほうですね。
「背教者ユリアヌス」を読みながら、怖い人だけど、コンスタンティウス2世のが
結果的にはユリアヌスより良い皇帝だったとしか思えませんものね。
そこは好き嫌いとは切り離せるのですが。それも人によりけりだから、いい加減。

182カイザー:2002/09/14(土) 11:58
ユリアヌスよりも、コンスタンティウスの方が無難な人物でしょうね。でも、何とな
くコンスタンティウスの帝国統一事業には結果オーライ的なイメージが根強く頭にあ
るんですよね。親父さんが凄すぎるだけなんですが。

ユリアヌスの異教復興政策はキリスト教に完全に侵されつつある帝国にとっては、マ
イナス面の影響しか与えてないんでしょうね。どう頭の中でシミュレーションしても
、最後はキリスト教が異教を駆逐してしまうという結果以外が思いつきません。
シャープール2世を相手にしたペルシア戦争で勝利してても、いずれは暗殺されちゃ
いそうですね。

183マッティアス:2002/09/14(土) 22:15
そうなんですよね。なんだろう、哲学は得意だけど、下々の心理学に疎いというか、
何かすがるものが欲しいけど、学問に費やすお金も時間もない一般民衆の存在が、
まったくあたまにないんですよね、ユリアヌスって。

コンスタンティヌスがホントに洗礼を受けたのかは、ちょっと疑問ですが、そのへん、
すっごいクールですよね。民衆にとっての宗教の重要性がちゃんとわかってる。
キリスト教徒を公認はしたけど、多神教を否定したわけではないし、ユダヤ教徒も
保護したりしているでしょう。そういうところはすごいと思います。

184カイザー:2002/09/16(月) 16:03
コンスタンティヌス大帝はキリスト教徒とは違うでしょうね。洗礼によって、洗礼前
の罪が許される(っていいのか!?)ということで、死の直前まで洗礼を受けなかっ
たというエピソードは功利的なコンスタンティヌス1世らしいですね。
ただ、コンスタンティヌス1世も自分が保護したキリスト教がローマの古代宗教を叩
き壊してしまうことになるとは予測出来てなかったような気がしますね。キリスト教
徒でありながら、異教にも寛容だったというヴァレンティニアヌス1世にも言えるこ
とですが。
民衆は皇帝が思ってるほど、理性的ではないんですよね。そういう意味でユリアヌス
異教復興政策には賛成なんですが、成功率が限りなくゼロに近かったとしか言えなく
なってしまいまうんですよね。

185マッティアス:2002/09/16(月) 22:22
う〜ん…やっぱり識字率が低い国と時代にあっては、最高の教育を受けられる特権階級と
一般民衆の精神世界はかなり違うでしょうね。
哲人皇帝なんて、民衆にはとても理解しがたい、知的で内省的な文章をお書きになって
いらっしゃいますが。(ていうか私もついていけません)
ユリアヌスには共感も同情もできるけど、皇帝として評価する場合、あの民情への疎さは
どうしてもマイナスにならざるをえませんよね。
理想家肌の人は、大体、失敗しますね。プラトンじゃないけれど。

186カイザー:2002/09/16(月) 23:14
考えれれば、ローマ皇帝史上最も潔癖好きとも言える、マルクス・アウレリウス帝が
20年以上に渡って帝位を保持し続けて軍隊からも支持を得ていたというのは、凄い
ことなんですよね。私なら3日ぐらいで妥協してしまいそうです。
そんな偉大なる哲人皇帝でもコンモドゥスの様な野獣の本性を見抜けなかったという
のは痛恨の極みです。息子は可愛いんでしょうねえ。
読んでないのですが、マルクス帝の著作は愚痴を小難しく書いてあるだけだと聞いて、
そんなもんなのかと勝手に納得しているのですが、違うんでしょうか?

187マッティアス:2002/09/17(火) 10:28
なんて直截的な表現(;^-^A。 でもそうかも。愚痴とノスタルジーかな。
マルクス・アウレリウスって14人くらい子供いたわりに、自分の死後まで生き残った
のがよりによってコンモドゥスとルキッラしかいなかったんですよね。
わりと有名ですが、彼はめっちゃ愛妻家だし。ファウスティナって肖像みる限り、
フェロモン系美人ですからね。わがままなとこも可愛かったのかなあ、とか。
コンモドゥスもね、多分母親と似たような愛らしいわがままさがあって、父親は
溺愛しちゃったんですよ(かなり強引な解釈)。
ていうか、自分の息子で健康体で成人したのがいるのに、わざわざ他を後継者には
普通しませんよね。そのへん、「グラディエーター」ちょっと不思議。

188カイザー:2002/09/17(火) 20:19
「グラディエーター」を見てても、何でマルクス帝がコンモドゥスを帝位候補者から
外したか理解出来ないですね。・・・というか、史実に忠実であればマルクス帝の死
ぬ前に正帝(アウグストゥス)に昇進してるのを製作陣は知らなかったのでしょうか?
せめて、マクシムスにアントニヌス家の血縁者と結婚させてコンモドゥスとの共同統
治体制を取らせようとしたというストーリーの方が、リアリティがありますね。

せめて「利家とまつ」ぐらいのリアリティが欲しかったです。
こんなとこに拘ってあの映画を見るのは多分普通じゃないんだろうなあ(笑)。

189マッティアス:2002/09/18(水) 22:17
まあ、モブがジーパンはいてたりする映画ですからね。ただのスペクタクルなんです。
グラディを観て、哲人皇帝のあまりのじじいっぷりに驚いた方も多そうですよね。
コンモドゥスは長身で美形で金髪だもん、という批判(?)もありましたよ☆
ホアキン・フェニックスはうまい役者だけど、体育会系には見えないので、ほんとに、
ネロとかカリグラとか、カラカラとかドミティアヌスあたりのほうがハマリかも。

でも、ハリウッドの歴史スペクタクルの史実無視を気にしていたら、オペラはもっと
びっくりですよ! モンテベルディ「ポッペアの戴冠」はアリなのか?

オクタウィアを厄介払いして、ポッペアはネロをゲットしました。愛の勝利だね!
メデタシメデタシ。(ネロとポッパエアの愛の二重唱で幕)

こんな展開、許されるのかなあ、と思うけど。一応、当時のコンセルヴァートリオ
(音楽院)ではプルタルコスとスエトニウスがほぼ必須だったらしいのに。

190カイザー:2002/09/19(木) 02:49
ジーパンを吐いてるエキストラがいてたのですか?全然、気付かなかったです。

「ポッペアの戴冠」というオペラがあるのですね。
ネロとポッパエアがカップルになってハッピーエンドというのはふざけてますね。
オクタヴィアはこの世から消され、ポッパエアの夫オトは離縁させられてるし、そ
もそも肝心のポッパエアがすぐに不審な死に方をしてるということを無視してると
いうのは、何でもありですね。
オペラとかミュージカルとは無縁の人生を歩んでいるので良くしらないのですが、
そんなもんなのでしょうか?プルタルコスとスエトニウスを読んでるのなら、悪女
ポッパエアの策略を見せたダークなお話にしても良さそうですよね。

191マッティアス:2002/09/19(木) 10:50
バロックの基本は愛のすべてへの超越、ですからね。
正義と貞淑の女神が幸運の女神とどちらが優れているか言い争っている所に、アモール
が現れて、愛がいちばんだろ?っていうのが序章ですから。ポッパエアはアモールの
恩寵を得ているわけです。貞淑の女神のひいきのオクタウィアに勝てちゃうのですよ。
オトはポッパエアの侍女で、もっと若くてオトに夢中の乙女(オトのためなら死ねる)と
くっついて、ネロに死罪一等を免れ追放刑(ていうかハネムーン?)になるから、全然
不幸じゃないのです。

まだ粗筋がよくわかっていない(図書館でリブレット入れ忘れられた)モーツァルト
の「皇帝ティートの慈悲」とか「ポントスの王ミトリダーテ」も多分、歴史人物に名を
借りたメロドラマでしょう。そういえば、ネロ時代ものは多いみたいですね。カエサル
とともに。やっぱり派手だから?「エラガバルス」なんてのもあるらしいです。

192カイザー:2002/09/19(木) 23:28
ティトゥスとベレニケの悲恋ネタはヨーロッパではポピュラーだと聞いたことはあり
ますね。モーツァルトもそれをモチーフにしてるんでしょうか?
タキトゥスがあれこれ書き残してるからでしょうが、フラウィウス朝あたりまでは、
比較的メジャーな時代なんでしょうね。

最近、東ローマと密接に関連してる、アヴァールとかブルガリアについて調べよう
と本屋さんの棚を眺めてるのですが、手頃な本が全くありません(涙)。世界の歴
史が一番詳細な記述がるというのは、寂しい限りです。もし、手頃な本とかご存じ
でしたら教えていただけると嬉しいです。

193マッティアス:2002/09/19(木) 23:45
ああ、わかりますよ、その気持ち。
かつてルーム・セルジューク朝に興味を持ったものの、「アラブが見た十字軍」以上の
記述はほっとんどなく、三橋先生の「トルコの歴史」ですら、2,3行みたいな。
大国の隣国って、実はあまり詳しくないですよね。戦争でもしないと取り上げてもらえ
ない気がします。
もし、書店でそれらしいのあったら、お伝えしますね。早稲田とか神田の古書街にも、
近いうちいく予定なので。

「ティートの慈悲」は、愛妾(たしかドルシッラとかいう名前)と寵臣がラブラブに
なってしまい、処刑ものだわ、とおびえる二人を皇帝が許し、祝福するとかいう筋だと
思います。ベレニケじゃあないんだな。部下の名前はセストだった。
ミトリダーテなんて、ミトリダテスとその愛妾、息子のファルナーチェの三角関係が
中心で、恋のために父を裏切りローマにつこうとした息子が、父と和解し、許婚と
よりをもどしてハッピー・エンドとかですよ、多分。
実の所、この二つのオペラは、いくつかのアリアを聴いた事がある程度。
その解説からの推測にすぎませんが、脚本がメタスタージオならこんなとこでしょう。

194カイザー:2002/09/21(土) 01:20
恥ずかしい話なのですが、私はオペラというものが全く分かっていません。歌と芝居
が合体したものというような認識をしているのですが、決まり事とか色々あるんでし
ょうね。

とりあえず、「ローマ人の愛と性」は読了しました。何かエロネタを俗っぽく記述し
てあって、個人的にポイント高かったです。

195マッティアス:2002/09/21(土) 23:31
「ローマ人の愛と性」も面白かったですけど、同じく本村先生の「薄闇のローマ
奴隷制と嬰児遺棄」も興味深い本ですよ。エジプトではセウェルス朝くらいまで、
普通に近親婚が行われていたらしい、とか。
「愛と性」は読んだあと、どうしてもマルティアリスを読まねばという使命感に
かられました(笑)。ドミティアヌス賛歌以外は面白いですよ。実はドミの禁令を
からかうネタも多いし。去勢禁止令とか特に。

196カイザー:2002/09/22(日) 08:21
「薄闇のローマ奴隷制と嬰児遺棄」というのは、本屋さんで見たことないですねえ。
帝政期以降に捨て子が増大し、離婚率がUPしたのがローマ衰退の原因の一つという
説を聞いた覚えがかすかにあるぐらいです。
セヴェルス朝以降に近親婚がなくなったというのは、やっぱり古来からの多神教崇拝
が衰えてしまった辺りも原因なんでしょうか?

197マッティアス:2002/09/22(日) 11:51
近親婚が無くなったのかよくわからないんですが、3世紀頃って碑文文化みたいのが
あるじゃないですか。それで確認される、という話です。
エジプトがわりにアラブとかと同化しやすかったのって、近親婚と関係ないかな、
とかふと思いました。キリスト教は、わりに血縁厳しいけれど(中世だけかな?)、
ムスリムというかアラブは、従兄妹が理想の結婚相手でしょう。わりに近い関係。
そういえば、ユダヤ教はそのへんどうなんでしょう?ヘロデ王の一族は、わりに
叔父と姪の結婚があるのですが、アグリッパ2世とベレニケの兄妹の近親相姦は
スキャンダルになったし。傍系は3親等以上離れればいいのかしら。

198カイザー:2002/09/23(月) 07:43
アラブ人というのも、それほど近親婚をタブー視していないのですね。そういえば、
アラブ人というのは、イスラム以前からアラビア半島に定住していたのでしょうか?

私も素人なので想像でしか言えないのですが、エジプトでは正統派信仰が主流でなく
コプト派やグノーシス派とかの異端信仰が有力だったような覚えがあります。
異端を平然と迫害する正統派のコンスタンティノープルに対する帰属意識も薄く、貢
納さえすれば宗教に寛容だったアラブ人に抵抗しなかったというように私は思ってい
ました。ホスロー2世のペルシア人の占領政策でも宗教政策は寛容だったようで、ヘ
ラクレイオス1世帝の再征服に伴う異端迫害の再開がシリアやエジプトのローマへの
忠誠心を著しく失わせたという様な話も聞いたことがあります。

ウマイヤ朝やアッバース朝の支配を受けた地域で、イスラムを駆逐したのはスペイン
ぐらいでしょうか?後は、今でもイスラム教国ですよね。イスラエルはおいとくとし
て。

199マッティアス:2002/09/23(月) 21:49
そうですね。イスラムって結構、根強いですね。アメリカでもブラック・ムスリムは
結構いるみたいだし。第二次大戦前は、別にユダヤ教徒とムスリムは仲悪いイメージ
ないんですけど、欧米のおかげで中近東は怖い事に。やっぱり鬼畜米英(笑)?
キリスト教徒は、仲間内の異端迫害がものすごいですが、イスラムもシーアとスンナ
はやっぱり険悪でしたが。異教徒には寛大なんですよね。近親憎悪ってヤツか?
アラブ人はアラム語系、のアラビア半島に住んでいた民族ってくらいしか憶えてません。

先日、ちょっとアブー・ヌワース(千一夜物語でおなじみ、ハールーンに使えた詩人)
を読んでみたんですけど、あの時代のバグダードではギリシア・ローマの研究がさかん
だった影響か、結構ラテン詩人と作風似ているんですよね。

200カイザー:2002/09/23(月) 23:04
200ゲット〜☆

元々、シオニズム運動はパレスチナに拘っていた訳ではなく、ユダヤ人国家の樹立を
目的としたものです。社会主義運動もこのシオニズム運動の展開の一つとして展開さ
れていて、スターリン以前のソビエト共産党の主導権をユダヤ人が持っていたという
事実もあります。スターリンの台頭とトロツキーの失脚で、ユダヤ人系の(というか
スターリン以前の)勢力は一掃されてしまうのですどね。

ハールーンの頃のローマというと、ちょうど女帝イレーネの頃ですね。イスラム帝国
への貢納と蛮族フランク人の皇帝即位宣言という、ローマ苦難の時代です。

201マッティアス:2002/09/23(月) 23:18
え!ビザンツって女帝OKなんですか?(←おいおい)
だから「緋色の皇女アンナ」(トレーシー・バレット、徳間書店BFTシリーズ)では
アンナが最初はアレクシオスから後継者に指名されていた、という筋なんですね。
(史実もそうなのかしら?)

それにしても、この対話編(ほかの人参加しないからなあ)もついに200突破ですか。

202カイザー:2002/09/25(水) 00:54
ローマ史における女帝の先駆者はパルミュラの女王ゼノビアですね。夫オダイナトゥ
ス(もアウグストゥスを名乗ったそうです)の死後に東方属州を支配し、アウレリア
ヌス帝と激闘を繰り広げたという女傑です。ガリア帝国の創始者ポストゥムス等と共
に軍人皇帝時代の30僭帝の一人に数えられているそうです。オダイナトゥスの方が
政治のバランス感覚は遙かに上に見えるんですけどね。

ローマ史のメインロードでは、テオドシウス2世の姉でマルキアヌスの妻として50
年に渡って権力を保持したプルケリアや、レオ1世の娘でレオ2世の母親として、ゼ
ノン、アナスタシウス1世の妻として帝位継承の決定権を持っていたアリアドネ、ユ
スティニアヌス1世の皇后テオドラ、ヘラクレイオス1世の後妻のマルティナといっ
た女性達は、一般的な評価はともかく実質的には共治帝として認めてもいいのではと
思います。(別に彼女たちが能力的に皇帝足りうると考えている訳ではないです)

ちなみに上記カキコのイレーネはコンスタンティヌス6世の母親で、小アグリッピナ
の様に息子を傀儡として実権を握っていたのが、コンスタンティヌス6世の成人によ
って権力を喪失しつつあったため、クーデターでコンスタンティヌス6世を捕らえて
目を潰して廃位。女帝として単独統治を行ったという経緯の持ち主です。

他には、コンスタンティヌス8世の娘のゾエと同じくテオドラがいます。ゾエはロマ
ヌス3世、ミカエル4世、ミカエル5世、コンスタンティヌス9世を自身の夫や養子
とすることで擁立。妹のテオドラはゾエの死後単独帝となり、ミカエル6世を皇帝に
指名しています。この辺のバシレイオス2世死後のマケドニア朝はややこしくて私に
も良く理解できていないのです。

203マッティアス:2002/09/25(水) 23:23
ううっ、ビザンツも勉強しようしようと思ってほったらかし状態がもはや10年近い
です(T_T)。ビザンツ聖歌CDとかも売っていたのですが、4枚組だったりで、
なんか挫けてしまったまま。

イレーネ女帝って、なんか則天武后みたいな人ですね。カッコいい。
ゼノビアは女王だとは思っていたけど、僭称とはいえ女帝に数えられていたのか。
個人的にはアウレリアヌスもちょっと気になっている人です☆

皇后や皇太后が、実質的には共治帝だったとしても、実際に皇帝として即位したか
どうか、っていうのはやはり問題が違うのではないかと。何となくそう思います。
西太后と則天武后では、一線を画すのと一緒で。

204カイザー:2002/09/26(木) 00:25
中国だと皇帝かどうかの違いというのは明白なのですが、ローマの場合は必ずしもそ
うでもないんですよね。

女帝=アウグスタなのですが、この称号自体は皇后にあたる女性や皇帝の近親者にも
与えられる称号なのはマッティアスさんもご存じの通りかと思います。ちょっと、ギ
ボンを読んでも詳しく書いていないので、考え違いなのかもしれませんがイレーネや
ゾエの法的地位は単独統治時も共同統治時も同じ筈です。
イレーネやゾエ、テオドラが女帝として一般的に認識されているのは、この単独統治
の時代があったかということのみがポイントなのだと私は認識しています。テオドシ
ウス2世の姉プルケリアはマルキアヌスと結婚するまでの短い期間が単独統治だった
為、女帝として書かれていることもあったりします。
いずれにしろ、これらの女帝の統治は前皇帝の近親者であることを拠り所にした一時
的なものなのですけどね。

205マッティアス:2002/09/26(木) 01:00
やっぱり一時的にしか単独統治はできないんですね。アイバクを立てるための、
シャジル・アル・ドゥッルくらいの地位かな?
アウグスタという、皇后とか皇太后とか内親王にあたる地位に用いられる称号は
甚だ曖昧ですね。アウグストゥスの女性形というビミョ〜さ。
ただ、中世以後の神聖ローマやロシアの女帝を表現するには、英語ではエンプリス
になるから、最高司令官=インペラトールにあたる女性として、もっとずっと女帝、
ってカンジがするんですよ。単に語感の問題かも。

206カイザー:2002/09/28(土) 12:34
日本でも称徳帝以外の女帝は一時的な存在としての即位ですからねえ。君主が軍事的
指導者を兼ね備えているような政権では、女帝(女王)が恒久的に存在するというの
は、難しいかと思いますね。そういう意味じゃ、女帝が何人も出現したロシアって変
わっていますね。

そういえば、イスラム世界の君主達の称号って、どういうものがあるのでしょうか?
カリフ、スルタン、シャー(イラン系?)ぐらいしか思いつかないのですが、今のア
ラブの王様達はどんな称号を自称してるんでしょうか?

207マッティアス:2002/09/29(日) 20:56
どうなんでしょうね。そういえば、スルタンってのも本当に名乗った人は少ないと、
昔ゼミの先生が言っていました。教科書などでスルタンとして扱われる人は、
カリフ(ハリーファ)から「ルクン・アッディン(信仰の柱)」という称号を与えられた
人なのだそうです。
あと、王ではないけど、中世ではトルコ系のアターベク(父侯)は実権を持ってたし。
シーア派のイマームとかいう称号もありますよね。
いまの王様たち(ヨルダン王国とかアラブ首長国連邦など)って何て称号なのでしょう。
近現代の歴史や世界情勢に興味を持っていない不届きものなので(爆)。

女王、女帝ということでは中世以降のヨーロッパの女主君はなかなか迫力ありますね。
スウェーデンのクリスティーナ女王とか、引退した後も格好良いんですけど。
教皇に嫌がらせしながら、イタリアで楽しく暮らしたりして。

208カイザー:2002/09/29(日) 23:29
日本でも、大王、天王、上皇、法皇、関白、太政大臣、征夷大将軍といった称号は
小学生でも区別していますが、海外から見れば、天武天皇も平清盛も源頼朝も織田
信長も豊臣秀吉もみんな、日本の王(皇帝?)として、同列に見えるのでしょうね。

そもそも、この辺の人物で世界的に有名な人っていてるんでしょうか?葛飾北斎とか
はおいとくとして。

209マッティアス:2002/10/01(火) 00:10
信長…とか?ルイス・フロイスのおかげで知られてたりしないのかしら?
あとは、伊藤マンショほか少年使節団あたり、有名だったりして☆
でも、日本の最高権力者って、ほんと称号違った所でどこまで差異があるかは、
外国人から見たらわかりづらいでしょうね。
まあしいていえば、天皇家はちょっと宗教的価値観が付与されていて、他とは違う、
くらいのものでしょうね、

東西の交流、っていっても、所詮は大陸内でしか行われてないから、ローマと中国
とかが限界ですよね。
未だに、マルクス・アウレリウスというと、大秦国王安敦、と書きたくなります。

210カイザー:2002/10/01(火) 22:22
大秦国王安敦がマルクス・アウレリウスだと主張する根拠って一体どこにあるんでし
ょうね?時代的にはマルクス帝の頃の様ですが、根拠となる資料って後漢書ぐらいし
かないんじゃ。
一応、歴史教科書的なストーリーで言えば、ネルヴァ時代に西域都護班超の部下甘英
がシリア辺りまで使者として、ローマに訪れたことに対する返礼にマルクスが使者を
送ったということのようですが、その間70年間もほったらかしだったというのは、
どういうことかという、素朴な疑問の答えは良く分からないです。

マルクス帝が使者を後漢に送ったのが事実だとしても、あんまり甘英とは関係ないん
じゃないかなという気がしますね。

211マッティアス:2002/10/02(水) 00:20
ローマの使者が後漢についたのが哲人皇帝の時代ってことかなあ?でも、治世初期
ならアントニヌス・ピウスだって安敦でしょう?とか思ったのですが。
ていうか、よりにもよってネルウァなんて短いマイナーな皇帝のときに行ったのか、
甘英。シリアに来たら会えそうな皇帝っていったらむしろ、トラヤヌスとか
ハドリアヌスのほうなんですけどね。
ほんとに、70年もたっちゃうと、甘英とは関係なさそげ。なんだろう、気まぐれ?

ぜんぜん、話変るんですけど、この間、「西洋古代史料集」という本を借りて
来ました。偶然、コンモドゥス時代の、皇帝と属州(?)の往復書簡みたいのが
載っているようです。
そこで訴えられているのが、請負人頭のアリウス・マクシムスとかいう人で。
「グラディエーター」でコンモドゥスに敵対する主人公にマクシムスという名が
つけられたのはここからか?とかふと思ってしまいました。
この史料ではどう考えても悪いのはマクシムスですけど。

212カイザー:2002/10/03(木) 00:45
ヴェトナムに大秦国王安敦の使いが訪れたのが166年。マルクス帝の治世が161
〜180年なので、年代的にはマルクス・アウレリウスの使いだという主張自体は分
からないでもないです。
ただ「後漢書」が書かれたのは三国志や西晋よりも後の六朝時代(宋だったかな?)
なんで、デタラメということではないにしても信用性には疑問符をつけざるを得な
いかと思います。

「西洋古代資料集」は昔にざっと目を通したことはありますね。コンモドゥスの書簡
なんて載ってたんですね。多分、当時は興味がなくて思いっきり読み飛ばしたんでしょ
うね。

213マッティアス:2002/10/03(木) 12:28
そういうものですよね。通史とか、その類って、読んだ時に興味あること以外、
結構読み飛ばしたり、読んでも頭入らなかったりしますよね。
スエトニウスも実は岩波文庫上巻のほうの内容って、あんまり頭に入ってません。
68〜69年の内乱とフラウィウス朝のほうが、いろいろ記憶に残ってます。

ともあれ、『西洋古代史料集』をちらっと眺めて思ったのは、コンモドゥスでさえ
一応、それなりに政治していたのだなあ、という。当たり前か。
でも、ヘリオガバルスとか、なんとなく政治しているイメージが全然わかない。
その点、ユリウス・クラウディウス朝の人たちは、ちゃんと仕事している姿が想像
できるんですけどね。カリグラだろうとなんだろうと。

214カイザー:2002/10/03(木) 23:01
性的倒錯者=怠け者というのは、根拠がないのですが、私もエラガバルスがマジメに
裁判の書類に目を通している姿が想像できません(笑)。『英雄色を好む』というの
とは、何かが(というか何もかもが)違うのです。

カリグラは何だかんだ言って、政治をしてますね。ブリタニア遠征(の未遂だけど)
をしたということは、細部はともかく大まかな軍隊の進軍とか補給の計画を立てたか
少なくとも部下の計画を吟味ぐらいはしたのか、不思議なところです。
塩野七生がカリグラに従来の只のキチ○イという風評と比べて、比較的前向きな評価
を与えているのも、分からなくはないです。

215マッティアス:2002/10/04(金) 11:15
塩野さんのは、やや夢見ているような気がしないでもないですが。頑張ってますよね。
金銭感覚がちょっとおかしかったのと、自己神格化妄想が激しかったことは、ちょっと
ついていけませんが。まあ、初期に人気取りをしてみたり、少しは政治をする気が
あったかなあ、とか。

エラガバルスは、完全に電波ですからね。色を好むとか、そういうレベルじゃない。
やっぱり、政治関係は母マンマエアとか祖母ソエミアスが、配慮してたのかなあ。
セウェルス朝はホント、最初だけですよね。マトモな皇帝。
何だかんだで、ユリウス・クラウディウス朝とフラウィウス朝はマトモ。
「ローマの平和」と教科書で言われてるのが、アウグストゥス〜五賢帝ですが、
その時代でまったくダメってのは、ウィテリウスくらいじゃないですかね。

216マッティアス:2002/10/04(金) 21:00
あ、上のカキコ、多分ユリア3人の名前ゴッチャになってますね。
よく考えたら、ソエミアスがお母さんだ。マンマエアが叔母さんでマエサがお祖母さん
だったような気がします。間違ってたらごめんなさい。

217カイザー:2002/10/05(土) 13:31
セヴェルス家のユリア軍団の名前を資料なしでスラスラと言える人が、日本に何人ぐ
らいいるのでしょう?私も思わず手元の本を確認していましました(笑)。

「敵の死体の臭いもいい臭いだが、味方の死体の方がもっといい臭いがする」という
有名なウィテリウス陛下の電波な発言は、何かの間違いか微妙に言葉のニュアンスが
違うんじゃないかと思っているのですが、どうなんでしょうか?
まあ、エラガバルスと比べればどんなダメ皇帝でも名君に見えてしまいますね。エラ
ガバルスって凄いなあ。

218マッティアス:2002/10/05(土) 14:12
偉大ですね、エラガバルス(笑)。あの人の壊れ方って何なんでしょう。
ウィテリウスの例の発言は、実際、ただの強がりだった説も有力ですね。史料も
そうだった気がします。ホントはこっそり吐き気を催していたという。
ヤツの悪行の数々って、スエトニウス読んでも、大食漢というか欠食児童というかで、
TPOをわきまえずに食っていた、っていう以外にあまり見当たらないのですが。
ネロ様の歌の大ファンだったのも、マジみたいですけどね。
でも、スポルスを自害に追い込むほど辱める必要は、一体どこにあったのでしょう?
嫉妬(笑)?実はネロのこと激ラヴだったの?とうがってしまいます。

219カイザー:2002/10/06(日) 10:57
ウィテリウスがネロに横恋慕してたなんて、想像力が貧困な私には思いもつかない
新説ですね。まあ、ネルヴァ時代ぐらいまではネロの部下だった連中が皇帝になっ
ているわけですから、ネロの評価というのも必ずしもマイナスだけではないんです
よね。
もし、ネロに子供がいたり他にユリウス家の血を受け継ぐ男子がいれば、ガルバの
クーデターも簡単には成功しそうにないですね。ユリウス家の皇帝達が代替わりに
度に皇族を粛正しまくってきたというのが、致命的ですね。




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