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riismo運動を盛り立てよう

1ladio:2006/11/17(金) 18:34:54
http://www3.ocn.ne.jp/~gthmhk/riismoj.html
riismo宣言文の日本語訳

エスペラントが含む隠れた男女差別思想を排除し、
エスペラントの質を高めよう!

riismo運動とは
 三人称単数代名詞「li(彼)」と「s^i(彼女)」を使わず、中性の代名詞「ri」を使います。
 男性化接尾辞「-ic^-」女性化接尾辞「-in-」の対として男性化接尾辞「-ic^-」を新設します。そして、この接尾辞が付かない単語は、性を区別しません。 特別製を区別したいときのみ、この接尾辞を使います。

#知名度アップのためにスレ立ててみました。
#ROMの人もたくさんいると思いますので。

2ladio:2006/11/18(土) 18:17:36
この運動、liとs^iは廃止する方向みたいですが、別に廃止しなくても良いと思います。ややこしい話をするときはきっとある方が便利です。

#エスペラントの勉強の合間に掲示板に書き込みしてます、モチベーションを保つため。
#なのでゴミのような意見だろうが、書きます、迷惑にならないように。

3Nemaldekstremistocxjo:2006/11/18(土) 21:20:26
riismo素晴らしいです。私も、liとs^iを廃止までしなくてもとは思いますが。
このような運動は、Fundamentoに反しても認められていくべきです。表記上のX式みたいに。

4Nemaldekstremistocxjo:2006/11/18(土) 22:34:15
ri主義者の主張として、
>「性差別」のせいでエスペラントを放棄した人はエスペラント社会から消えていくから、そういう人がどれくれいいるのかを見積もるのは難しい

としていますが、日本の問題で言えば、「思想的運動のせいで…」という方が大きいかもしれませんね。最近の2ちゃん盛り上がってますね(笑)

5ladio:2006/12/01(金) 18:25:42
発音の難しいh^のkへの変換は公認された改造です。
代書法cx,uxなども公認された改造です。
riismoもきっとその内公認された改造として名を連ねることでしょう。

6Nemaldekstremistocxjo:2006/12/01(金) 23:38:54
チャットの普及に伴い、エスペラントに文語ばかりでなく、口語表現が豊かになってくるのではないでしょうか?
'も詩ばかりでなくもっと頻繁に使われてくるでしょうかね。
Salut'! とかよく見ますが、
Estas malvarm' とかもありですか?(この副詞の使い方がしっぽりこないって国の人も多いですしね。)

7胡人:2006/12/12(火) 11:18:55
へぇ〜Salut'!とかって使用されているのですか、
「'」は韻をふんだり、フレーズの抑揚・リズムを面白くするため、作るためのアクセントの位置を考慮するために、詩歌に限ってのみ使用されるものと聞いていました。
近頃、カッコ付けてエス詩歌を作ろうと思い、いろいろ頭をひねっていて、そのことが実感出来、面白くなってきました。パズルの様に考えるとまた一層面白いですね(^^)

8胡人:2006/12/12(火) 11:27:29
Ladioさんの様に「発音の難しいhx」と私も思っていましたが、最近、フランス人の「h」の発音について先輩達と話していたら、日本人も「h」の発音も正式にはしていない。日本人の「h」は結構「hx」の人が多いと聞きました。喉が振動する「h」は「hx」の傾向が強く、本来「h」は喉が振動しないのが正しいそうです。(^^)V
ともかく、世界中に様々な発音があるので、それなりに「abccx…」を言い換えれれば良いというのが結論の様です(^^)V

9Bonsano:2006/12/12(火) 16:54:54
胡人さんの仰るとおり、日本語には「hx」と「h」の対応関係がありませんから、
「hx」という音も語気を強めると出てくる人もありますね。「hx」の人が多い
というのはあまり聞きませんが。。。。日本語には「h」と「k」の対応がありますから。
同じように「h」と「hx」の対応関係がない言語としてお馴染みなのはスペイン語と
ロシア語ですね。こちらは、圧倒的に「hx」という音が多いと聞きます。
日本語とは、少々違って「hx」と「k」の対応関係があります。
逆に「hx」「h」も音韻として存在しないのがフランス語とイタリア語でしょう。

この点については、5つという母音の数に比べ「h」、「hx」、「k」の違いが
あるエスペラントはドイツ語などと共に少数派に属していると思います。
尤もエス語もドイツ語も形態素の先頭に来るのは、まれですが。。。

ちなみに、ローマ字で表記では「h」であらわされる中国語に近い音を表す
エスペラント表記は、「h」でなくて「hx」ですね。この点ではむしろ
スペイン語に近い対応といえるでしょうが、出現場所によって「h」の音に
近く聞こえるようですが、あくまで語気の弱い「hx」という事でしょう。
ただし、私が学習したのは、かなり前のことですので、記憶違いであったらどうか
ご指摘ください。

10Kia-kablo-mi-estu:2006/12/21(木) 01:18:53
関連する事ですが、
軟口蓋音のエスで表記するところの[j], [hx], [k] や軟口蓋音として発音された
場合の[jx], [gx], [r], [l] は個々の言語の音韻体系の中での省エネ化や他の言語との
関係の中で互いに音の変換が起こったものと考えられますね。

例えば、ドイツ語の Japan[japan], フランス語の Japon[jxapo~n] スペイン語の
Japon[hxapon], イタリア語の Giapone[gxapone] 等。

中国語の場合は、
ピンイン表記の riban(日本) の r は sh[sx]の有気音で共に反り舌音でして
r はむしろ軟口蓋音として発話された場合の[jx]と同じように聞こえますね。
それで上記の様に色々と発音が分かれることにも繋がっているのかも知れませんね。

11ladio:2007/01/18(木) 20:15:45
私が今読んでいる本に、以下のような文が出てくる。
Cxu Lena estas instruisto?
Ne. Lena ne estas instruisto. Sxi estas instruistino.
この本はハンガリーから出たものなのだが、日本人の感覚から言うとだいぶ性差がきつい。
ヨーロッパの感覚はこういうものなのだろうか?

12Bonsano:2007/01/19(金) 09:50:21
>Cxu Lena estas instruisto?
Ne. Lena ne estas instruisto. Sxi estas instruistino.

Rilate al seks-diferenco, ne temas pri diskriminacio, sed temas pri la ekzisto de gramatike form-malsamecaj
vortoj depende de ambaux seksoj.
性差に関しては、差別というより男女によって文法的に異なった単語が存在しているという問題です。

Male en la angla oni fojfoje uzas tian frazon, kia estas 'Sxi estas pianisto.'
英語では、逆に 'Sxi esttas pianisto.' の様な文をよく使います。

13Bonsano:2007/01/19(金) 16:44:09
Permesu min pri kelkaj literum-eraroj de mi skribitaj last-foje.
前回の幾つかの綴りの間違いをご容赦ください。

14樂々:2007/01/20(土) 11:17:24
riismoはダメですよ。rとlの発音が区別できない人がいっぱいいるんですから。
これ考え出した人よっぽど頭が悪いか独善的なんですね。日本でも、rとlの
違いを尋ねたら「気にしなくてもいい」と答える人がriismoの支持者だったり
して、ほんと、エスペランティストは馬鹿ばっかりか!!と言いたくなります。

15ladio:2007/01/20(土) 14:00:43
 別にriとliを明確に区別する必要はないのではないでしょうか?
両方ともほとんど意味は同じですから。
 一方、そもそもエスペラントにはrとlの音素対立があるのですから、そこは区別しないといけないはずです。

 また、riismoで重要なのはriの追加だけではありません。
patroを父ではなく親とし、patricxoを父、patrinoを母とすることなども含まれます。
このことは日本人にとって非常に普通ですし、単語に性差のない非ヨーロッパ言語の使用者にとっても自然だと思われます。

>日本でも、rとlの違いを尋ねたら「気にしなくてもいい」と答える
そんな人がいるんですか・・・残念です。

16papageno:2007/09/02(日) 06:44:49
はじめまして。
最近「エスペラント語への疑問」というブログを始めた者です。エスペラントの実力は初心者の域を超えていませんが。
個人的にはriなんて気持ち悪くて使いたくないですが、現実にどのくらい使われているのでしょう?
ブログにも書きましたが、patr 自体がラテン語の pater(父)から採用されている訳で、この時点ですでに男性中心主義的な訳ですから、
そこから改めなければならないでしょうね。父は patro 母は matro でいいんじゃないかと思います。確か ido がそうじゃなかったでしょうか?
パトリーチョなんて気持ち悪い言葉、要りません。

17胡人:2007/09/02(日) 07:10:53
パーチョ、パーニョというのは良く見ます。

"ri"を使用しなくても"gi"で代用出来るし、あえて固有の文化を表現する方法を否定するという事は内在している文化を結局否定したいという事なのでしょうか?
一時期それを主張される方はおられましたが、私の周りでは最近は見ません。

"filo"は"filino"(ドイツ語のフライライン)から逆に生まれたらしいです。

18Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/09/02(日) 10:56:34
papagenoさん、はじめまして。
http://ameblo.jp/esperanto2/
ここですね。興味深く読ませていただきました。

19松戸彩苑:2007/09/02(日) 12:50:16
>>16
最近刊行された田中克彦(著)『エスペラント 異端の言語』(岩波新書 新赤版1077)に
-in- について論じた箇所がありますね(同書53〜57ページ)。
田中氏はここで -in- を擁護しておられます。

で、私の考えは

(1) 「Ido では matro を使っているではないか」という人は、単純に Ido をやれば良いと
    思うのだが、現実には matro があるからといって Ido をやる人はほとんど居ない。

(2) また、エスペラントに matro といった単語を導入しても構わないとは思うが、しかし
    それでエスペラントの使用者が増えるだろうか?
    ほとんど変わらないように思う。

ということで、べつに新語を導入しても構わないんですけれども、どうも多分に観念的な批
判だって感じもするんですね。

それから余談ですが、matro という語形は、聞き取るさいに patro と区別しにくい可能性が
あるので、ドイツ語の Mutter を模した mutro とするか、フランス語の mère から作った
mero という語形にしたほうが良いかもしれませんね。

20松戸彩苑:2007/09/02(日) 15:18:13
しかし >>18 を見ていて思ったんですけど、従来のように「中立性」「平等性」「学習容易」
だとかってことを前面に出した宣伝というのは、効果が無いどころか、むしろ逆効果なん
じゃないかって気がしますね。

そういったことに敏感な人たちには、エスペラントは矛盾してるようにしか見えないってこ
とがあると思うんですね。

ということで、今まで私がこの掲示板に書いてきたように、理念や理論による宣伝よりも、
「ふつうの人たちが、日常生活のなかでふつうに使っている」ということを知ってもらうって
ことが大事だと思います。
---

また、宣伝や学習に「娯楽」なども積極的に利用すべきでしょう。

eterna komencanto を大量に生み出していることを考えますと、今やってることは難しすぎ
るんだと思うんですね。

それを解消するために、できるだけ「本人の好きなことをエスペラントでやってもらう」ように
すべきだと思います。
そのようにしてでもエスペラント話者を増やさないと、エスペラント運動そのものが立ち行か
なくなると思います。
---

また「エスペラントは欧米人に有利ではないか」といった疑問に対しては

(1) エスペラントの基礎が欧米語をもとにしていることは事実であり、これは変えようが
    ない。
    しかし、さまざまな工夫によって、ハンディを減らすことは充分可能である。

(2) 非欧米人向けの学習教材を充実させる。

(3) 欧米以外の地域のモノや事柄を表わす語根・表現を充実させる。
    (例:cxina ideogramo の代わりに hanzo という新語根を導入する、など)

(4) ネットを使えば、こういったものの制作・公開が容易になるものと思われます。

(5) それから、いくらエスペラントが欧米語をもとにしているとは言っても、英語などを流
    暢に使いこなすのよりはずっと容易であるという事実も忘れてはいけないでしょう。
    (もちろん、カタコトの英語で間に合うことも多かったりしますが)

長年エスペラントの世界に入り浸っていると、世間の人たちの感覚が判らなくなって、何十
年も前からエスペラントの世界で言われていることを、よく考えないで連呼してしまいがち
ですが、これは世間の人たちから「ウソをついている」とか「洗脳されてるんじゃないか」な
どと思われてしまう危険があるということですね。

21Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/09/02(日) 17:57:09
>できるだけ「本人の好きなことをエスペラントでやってもらう」ように
>すべきだと思います。
全面的に賛成です。わたし自身、好きなことしかやってませんから。

22Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/09/02(日) 21:54:09
エスペラントの使用の場を拡大し、その内容を豊富化すること。
教育法と教材の改善、教師養成。
この二点に尽きるんです。

23松戸彩苑:2007/09/02(日) 22:25:43
>>19 に書いたことですが

「で、私の考えは〜」

から

「〜多分に観念的な批判だって感じもするんですね」

までは撤回させていただきます。
papageno さんの言わんとしていることは、「エスペラントは中立だ」ってことを宣伝している
が、現実には違うではないか、ってことですからね。

>>20 にも書いたように、現在のエスペラント界が「中立」ということを言い過ぎることに問題
があると思います。

しかしですね、厳密に中立な言語を作ろうと思ったら

(1) クリンゴン語のように、既存のいかなる言語ともまったく無関係に単語を作る。

(2) ノシロ語のように、世界中のさまざまな言語から単語を採用する。

という2通りのやり方しかないわけですね。
で、ザメンホフも始めは(1)の方法で言語を作ってみたそうですが、自分じしんでも憶える
ことが出来なかったので、これはダメだと思ったんだそうです。

それで、憶えやすくするために、当時のヨーロッパの国際語であったフランス語とラテン語
から単語を採用したわけですね。
矛盾しているように思えますが、フランス語やラテン語そのものを使うよりはずっとラクです
し、(1)や(2)の方法で作った人工語よりはずっと憶えやすいわけです。

ということで、エスペラントの中立性というのは「民族語そのものを国際語として使う」という
ことと比べて中立だ、という程度の話なんですね。

24papageno:2007/09/06(木) 20:33:09
もう一度riismo宣言文を読み返してみたりしていろいろ考えましたが、根本的に男性中心に出来上がっているエスペラントを
変えて行くのはかなり難しい気がします。riismoは性差を無くす事で解決を図ろうという運動だと思いいますが、patro,
matroのように男性女性を対等に扱う事もまた解決のもう一つの方法だという事を忘れてはならないと思います。

そもそもliとs^iの間には何らの優位性も存在していません。liとs^iには(言語的に)何らの差別も無いのです。
ところがpatrという語根はラテン語のpaterから来ており、これに-ic^o, -inoを付けても、
patric^o(男の父)、patrino(女の父)と言っているようなもので、何らの解決にもなっていません。

もちろん私にも理想的な解決を示す事はできませんが、結論はエスペランティスト達の実際の使用によって決まって来るのだと思います。

25松戸彩苑:2007/09/08(土) 22:41:18
>>24
> そもそも li と s^i の間には何らの優位性も存在していません。li と s^i には(言語的
> に)何らの差別も無いのです。

ri を支持する人たちは、おそらく「必要もないのに男性と女性とを区別すること自体が問
題なんだ」とか言うんじゃないですかね?

>>16
> 個人的には ri なんて気持ち悪くて使いたくない

私も使う気はしませんが、しかし「気持ち悪くて使いたくない」なんてことを言っても、ri 支
持者を納得させることは絶対にできないでしょう。

理念を追求する者どうしが論争をすると、しばしば極端で非現実的なほうが勝つんですね。
また、理念を中心とした団体というのは、例外なく、理念の相違で分裂していくものです。
(日本共産党のように異端者を除名していけば、分裂を回避することが出来ますが)

エスペラントの世界においても、1921年にランティ(Lanti)という人がSATという左翼団体
を作ったんですが、意見の相違のせいで1933年に創設者みずからが脱退してしまうと
いうことがありました。

ということで、理念に過剰にのめり込むというのは、運動にとっては自殺行為にしか見えな
いわけですが、しかし理念が好きな人というのはギャンブルが好きな人と同じで、ちょっと
やそっとでは治らないと思いますね。

26松戸彩苑:2007/09/09(日) 10:16:23
> そもそも li と s^i の間には何らの優位性も存在していません。li と s^i には(言語的
> に)何らの差別も無いのです。

ですが、おそらく >>25 に書いたことに加えて「世の中には、男性とも女性とも言えない種
類の人もいるから…」みたいな理由もあるんだと思いますね。

しかし英語・ドイツ語・フランス語なんかでは、現在でも「彼」と「彼女」を区別してますけれ
ども、だからといって性差別がひどいなんてことはまったく無いですからね。
その程度のことは、ri 支持者にも理解してほしいものですね。

とは言うものの、私は「ri を使いたい人は使っても構わない」とも考えてるんですね。
(私じしんは使う気はないですけど)

エスペラントはこの程度でダメになるようなものではないと思いますし、また「しばらくのあ
いだ試験的に使ってみてから結論を出す」ということも有益だと思います。

27papageno:2007/11/05(月) 23:09:30
ヨーロッパ語は多かれ少なかれ男性中心にできているのですが、エスペラントはそれをされに誇張してしまったような気がします。エスペラントのこの男性中心主義はザメンホフがユダヤ人である事と関係があるのかなと考えたりもしますが、誰か詳しい人いませんか?

それと、その後だんだん考えが変わってきまして、性区別の無い三人称単数もいいかなと、このところ思っています。でも ri というのはどうも発音しにくい、特に日本人には。で、考えてみたんですけど、zi はどうかなと。すでに提案されているかも知れませんけど。

28Kakis Erl Sax ◆CcpqMQdg0A:2007/11/05(月) 23:29:47
>>23
ちなみに意外と覚えやすい工夫が施されたアプリオリ言語(語彙オリジナル系人工言語)について。
http://lanxante.higoyomi.com/arka.html

よろず掲示板で、なんだかすごい人工言語といわれているのは・・・・たぶんアルカだと思う。

29松戸彩苑:2007/11/06(火) 05:03:22
>>27
> エスペラントのこの男性中心主義

要するに -in- のことですか?
これはドイツ語の影響です。

ドイツ語では「日本人」のことを、男性ですと Japaner、女性ですと Japanerin と言います。
また「学生」は、男性ですと Student、女性ですと Studentin と言います。

ザメンホフは、この方法を全面的に拡大したわけです。

私の考えでは、これは単純に「憶えるべき語彙をできるだけ減らそう」と考えてやったこと
だと思います。

> zi はどうかなと。すでに提案されているかも知れませんけど。

フランソワ・ロ・ジャコモ(著)『言語の発展 ― 国際語エスペラントの観点から』(1992年
大村書店)という本に、「性の区別」という一節があります(228ページ以降)。

それを見ますと、1977年にジョナサン・プールという人が、性別を区別しない3人称単数
の代名詞として zi を提案したことがあるのですが、しばらくしてから、耳で聞いて si と区
別するのが難しいということに気づいたそうです。

それでプール氏は1980年に、li を性別を区別しない3人称単数にして、男性の3人称単
数を hi としたらどうかと言い出したんだそうです。

著者のジャコモ氏は、以上のことを論じてから「1983年や1986年には、彼はどんな提
案をすることだろうか」と書いています(この論文がパリ大学に提出されたのは1981年
です)。

30松戸彩苑:2007/11/06(火) 05:22:33
私は >>29

> 私の考えでは、これは単純に「憶えるべき語彙をできるだけ減らそう」と考えてやったこ
> とだと思います。

と書きましたが、ザメンホフが1900年に発表した「国際語思想の本質と将来」のなかに

  接尾辞 "in" は女性を意味する("patro" 父 ― patrino 母)。したがって、"patro、frato、
  onklo、fianĉo、bovo、koko"(父、兄弟、叔父、婚約者、牡牛、鶏)などという語をおぼえ
  れば、それに対応する女性語をいちいち学ばなくてもすむ。

とちゃんと書いてありますね(水野義明(編訳)『国際共通語の思想』54ページ)。

31胡人:2007/11/06(火) 09:10:37
現在、欧州のEのホームペイジでは、ジェンダーの関係でよく"ino" "malino"という表現を見かけます。
その各々の文化を表現するためにも橋渡し言語としては、男性名詞、女性名詞があった方が良いのではと思われます。
また"ĝi"が非性的表現としては使用されるようですが…

32松戸彩苑:2007/11/06(火) 21:35:59
そういや今になって思い出したんですが、私も以前、この問題について考えてみて「gi と
いう新語を導入すれば良いのかな」などと考えたこともありました。

これは接頭辞の ge- から思いついたんですけれども、その当時、こういう代名詞がそれ
ほど必要だとは思えなかったので、すっかり忘れていました。

>>31

この malino ですけど、私はこの表現は嫌いですね。

そもそも malino を使う人というのは「virino という表現は性差別だ」って言ってるわけです
よね。
その理由は、「女性」という語を「男性」という語から派生させるからですね。

それは判るんですが、だったら「男性」という語を「女性」という語から派生させた malino
だって性差別(男性に対する差別)になるはずなんですよね。
でも、どういうわけだか malino 支持者は、そういうことには無頓着なんですよね。

私は ino と viro で良いだろうと思っています。
もちろん確かに in は「接辞」で vir は「語根」なのですが、エスペラントにおいては接辞と
語根とのあいだに優劣はありませんので、べつに問題はないと思うんですよね。

しかしそれでも「ドイツ語に由来する接辞の in では嫌だ」というのであれば、フランス語の
femme、英語の female、ラテン語の femina などから「femo = 女性・メス」という新語を
つくれば良いと思いますね。

33papageno:2007/11/11(日) 19:00:48
私はLernu!で初めてino/malinoという表示を見てびっくりして、その事について苦情を書いたら、いつの間にかその表示はなくなっていました。
http://ja.lernu.net/komunikado/forumo/temo.php?t=1204

>>32 ino/viroというペアはどうにもアンバランスに思います。femoなかなかいいですね。でもすでにあるino/iĉoというところに落ち着くような気がしますが。
でも「イーノ」はいいとして「イーチョ」というのはどうも発音が汚くて好きになれませんがね。

「パトリーチョ」
「フラティーチョ」
「フィリーチョ」
「オンクリーチョ」
「アヴィーチョ」
「クジーチョ」
「ネヴィーチョ」
「エッヅィーチョ」
う〜〜〜ん、、、

34papageno:2007/11/11(日) 19:06:10
>>33訂正
ino/malinoではなくて、Ina/Malinaでした。

35ぶたねこ:2007/12/11(火) 10:56:31
Saluton,ぶたねこです。

私は「日和見riisto」です。

女性にだけ-inをつけるというのは、「男性がモトで女性はその変種」という西洋の思想からきていると思いますが、どう考えてもこれは女性差別でしょう。また、一般論を述べている場合に、その代名詞(ひと)を「li」で受けることには私は非常に抵抗を感じます。
これは、欧州の諸語のみを研究したザメンホフの限界でしょう。
riismo導入はエス文法の破壊だという反対意見も根強いですが、neologismoとして「ri」「-ic^-」の2語を導入するだけですから、何の問題もないと私は考えています。
おそらく、riismoには、墓の中のザメンホフも反対はしないと想像します。

36KamelioJapana:2007/12/15(土) 14:56:42
>欧州の諸語のみを研究したザメンホフの限界でしょう。

私も同感です。Zamenhoも人の子ですからね。当時としては無理からぬ事かとも
思います。社会主義運動や女権拡張運動の様なものまでは考えが到らなかったの
でしょう。

ところで、ri-ismoの様な考え方なんかは別に新しいものではなく、na-ismo同様、
しばしば現れては消えていったそれらに類した様々の発想の一つに過ぎません。
結局、言語を使用する人間の意識が変わらない限り、ri-ismoで付加されるEの
言語体系がどのような変化を受けるかは問わないとしても、Fundamento云々より
難しいことだと思います。
私もEを学びたても頃は、結構、ぶたねこ様同様にこの問題には拘っていた者でした。
結局、Eも自然語と同じように言語的進化については歴史的制約を受けざるを得ないと
いうことでしょうかね。

尚、icxoの音が気に食わないという人がおりましたが、言語における音韻体系の優劣
といった昔の理論に支配された考え方の持ち主のようです。
多分、その方は歯擦音が多い中国語などは音韻体系の劣る言語と考えているのかも
知れません。

ところで、na-ismoに関しては、私は全く組する気にはなれません。念のため。。。

37papageno:2007/12/15(土) 18:16:41
>>36
「気に食わないという人がおりましたが」って、すぐ上>>33にいるんですが(笑)。riismo はインターネットで見る限り実際に使っている人もいるし、過去のものではないですよ。

ザメンホフがヨーロッパの言語だけ(ヘブライ語を別にして)を研究したのは、多分そもそもはユダヤ人の共通語を作ろうとしたからではないかと思うのです。だからユダヤ人のあまりいない地域の言語を研究しなかったのではないかと。

後に彼は人類人主義というものに至る訳ですけど、人類人という割には、彼が中国語など非ヨーロッパ語を研究したという話は聞いたことがありません。ザメンホフの関心の根底にあるのは全人類というよりは全世界に散らばったユダヤ人なのではないかと思います。

ちなみにヴォラピュクを作ったシュライヤーは中国人も発音しやすいようにと、R の音を取り除いたということです(ただし現在のヴォラピュクは後に別の人により改変されたもので R の音も入っている)。と言って中国語を取り入れた訳ではないですけれど、何らかのヨーロッパを超えた発想があった訳です。その点ではエスペラントはヴォラピュクより後退していると言えると思います。

38なつ:2007/12/16(日) 05:32:10
>>37
まったく同意です。
もともと彼は共通ユダヤ語を作ろうとしたのは現在では通説ですね。
ただしだからこそ語彙、統語、文化すべてがヨーロッパ的で、
非ユダヤのヨーロッパ人も受け入れやすく
ここまで残ったのでしょう。
日本語や中国語などを取り入れていたら
ヨーロッパ人が今よりも覚えにくく消えていたかもしれません。
この言語はヨーロッパの言語ですから。

で、このriismoって英語圏以外のヨーロッパ人の賛同者ってどのくらい
いるんでしょうか?
例えばフランス人。フランス語は男性形にeをつけて女性形をつくります。
フランス人がinoをつけて女性形をつくるのを否定することは
母語も否定することになります。
フランス語は人工語ではないのでもはやこの規則は変えようがありませんし。

39ぶたねこ:2007/12/20(木) 17:07:36
Saluton, ぶたねこです。
riismoの普及の現状について。

私の限られた経験(国際大会など)から申しますと、riismoはアジアよりもむしろ英語圏・非英語圏のヨーロッパのほうが普及しているようです。ただし、毛嫌いする人が多いのもヨーロッパ。つまり、ヨーロッパではriismoを柔軟に、「建設的だ」として受け入れる人がいる一方、ヨーロッパ諸言語の習慣に拘泥して、「ri,
fi!」などと言う人もいます。両極端が並存しているのがヨーロッパ。

対して、アジアでは、riismo以前に、必要のない場合にまで「-in-」を乱発する人が多いです。komencantino, partoprenantinoとか言う人がいるんですよ、たくさん!大会でそういう人に会ってのけぞったことがあります。多分、教科書が悪いのだと思いますが・・・ザメンホフ自身は、性別を「明示したい場合に」、女性に-in-をつける、と書いていたはずなんですがね(出典は忘れました、いまここで提示できません、すみません)。

以前、JEI学力検定について、JEIの理事(採点者側)の人に尋ねたところ、「S-ino X estas studento.」は可(studentinoとする必要はない)、「Saluton, karaj samideanoj,...」も可(gesamideanojとしなくてもよい),
と言われました。日本では、riismoは市民権を獲得していないものの、不必要な-in-の乱発は「不要」のようです。

40papageno:2007/12/27(木) 06:19:30
>>38
>もともと彼は共通ユダヤ語を作ろうとしたのは現在では通説ですね。

通説にまでなっているのですか。私はどこかでこのことについてちらっと読んだ覚えがあるのですが、「ザメンホフ通り」だったでしょうか、それとも「神話なしのエスペラント」だったでしょうか。どちらも以前はインターネットで読めたはずですが、今はないようですね。

41なつ:2007/12/29(土) 02:24:42
>>40 papagenoさん
例えば
「ザメンホフ--世界共通語を創った医師」。確か2005年、「ザメンホフ通り」同様、JEI一押し3部作の一つだっと思います。
このタイトルを見れば、あるいは日本エス界の有名人小林司さん著ということで、ありきたりの伝統的エスペラント及び、ザメンホフ像かなと思いましたが、
かなり客観的に書かれてあると思います。私は小林さんの立場が日本Es界で危うくなるのではないかと、驚いたくらいです。
(現在、私の手元にないということを考慮していただき)
例えば、例の、言語の違いがなかったら喧嘩はしないのにと子供時代思ったという逸話は、根拠が全くない。
z氏はシオニズム運動にかなり傾倒した。彼の翻訳した作者の同様のシオニズム運動。
中、東欧ユダヤ語ともいうべきイディッシュ語をさげずみ否定したこと。
彼のエスに翻訳した過程で明らかに意図的にシオニズム的に改竄のあとが見られること。
(これは現在も対訳をみるドイツ人などの目にさらされている事実)
第1回フランスのUKでユダヤのみではなく世界共通語になれるといい意味での誤算を経験したこと。
など今や状況証拠のみで「説」の域を脱せず、カルト信奉者には否定されますが。
現在多くの日本のEs左翼幹部は知った上で、プラパガンダには伏せるべきだという暗黙の了解の方針だと思われます。
あるいは否定に躍起でしょう。
特に、(確か)さまざまなドイツ語からの意図的シオニズム的翻訳改竄は今でも消されぬ事実になっているということです。

42KamelioJapana:2007/12/29(土) 06:44:16
>現在多くの日本のEs左翼幹部は知った上で、プラパガンダには伏せるべきだという暗黙の了解の方針だと思われます。
あるいは否定に躍起でしょう。

それは、ないでしょう。根拠のない憶測で、あなたがE運動に参加しているかどうかは知らぬが
(多分していない)、現実の運動にケチを付けるのはやめにしていただきましょうか。
現在まで、多くの人たちの努力でZamenhof像の真の姿が明らかにされてきていますが、
彼が青年期の苦悩の果てに最終的には、「一日一善」のキャッチフレーズで競艇の宣伝をしていた
笹川一郎氏じゃないが「人類みな兄弟」の考えに到達したことは確かな事実です。
(失礼、例が古すぎたかな。)

古くはKasxita vivo de Zamenhof(Maimon著)や最新判のDangxera ingvo(Lins著)を参考にしてください。
残念なことに邦訳はまだ出ていないと思います。E学習のためにもJEIかKLEGから本を入手して
読んでみましょう。

43KamelioJapana:2007/12/29(土) 07:04:22
>もともと彼は共通ユダヤ語を作ろうとしたのは現在では通説ですね。

また、誤解を生む表現を使っていますね。
それでは、EとIdoの改良の論争との関連でkakis氏が用いたレトリックと同じでしょ。
Zamenhofは、彼の思想遍歴でシオニズム運動に関わった時期もありましたが、最終的には
シオニズムはユダヤ人自身にとっても最終的には彼らの解放を齎すことはないと悟って
おりますね。

従って、ユダヤ人問題に関しても彼の父(マルクス・ザメンホフ)の様な民族同化の道や
ユダヤ民族主義の排外主義的傾向の道を排してhilerismoやそれの彼なりの解釈による
homaranismoという理念に到達した訳ですよ。

44なつ:2007/12/30(日) 09:46:33
K-Jさん
ええ、そうですね。そう「達した」わけです。

で、あなたのいうE「運動」ってなんなんですかね?
答えなくて結構です。知っています。セレン氏が揶揄していることですね。

笹川氏を紹介しているのには驚きです。
反共、右翼で有名なかたですから。


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