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キリスト教と美・2

1chiara:2004/02/20(金) 22:43
前スレを分けて欲しいとのことで、分けました。
フランシスさんからの希望で、先ずサヴォナローラとルネッサンスについて
記していきます。

2chiara:2004/02/20(金) 22:43
サヴォナローラはドメニコ会の修道士で有名な説教師でした。
ドメニコ会の厳格派に属し、非常に厳しい倫理観を保有していた人です。
その倫理観とキリスト教会の政治的掌握、つまり神の国を現実の国家において実現しようと
した彼の望みはフィレンツェの人々を魅了したのです。しかし政治的な失敗のつけと
やりすぎによって、最終的に民衆によって火刑にされてしまいました。
15世紀に花咲いたフィレンツェルネッサンスの終焉は彼がもたらしたのですが、
人文主義擁護の立場からは批判されていますが、キリスト教的価値からは肯定の声も
あります。特にプロテスタント社会からはヤン・フスと同様カトリック教会の罪に対峙した
人物として評価は高く、また今日のカトリック社会の中でも見直されており、
イタリアなどでも再評価が進んでいます。

3chiara:2004/02/20(金) 22:44
フィレンツェルネッサンスは、近代においては無神論的価値の誕生、新プラトン主義の再評価として捉えられて
いて、中世の教会支配による暗黒時代からの人間性の回復という評価が為されています。
教会が占有していた学問を民間人が積極的に関わりはじめた。民間のアカダミアの存在は
教会の教理によって押さえつけられていた学の可能性を広げたといわれています。
これはある視点に立てばそうなのですが、それを積極的に擁護していたのもカトリック
教会であったのですね、それゆえ真面目な向きからは教会の堕落として批判されることに
なったわけですね。
よく、カトリック教会は中世、聖書を占有していたと批判されますが、これは一方的な批判で
写本という手段でしか書物を手にすることができなかった時代の有様を無視した批判といえます。
既に14世紀などでは民間人が現地語で訳したオリジナルの聖書を手にしていました。
グーテンベルグ聖書の時代の前からルネッサンス期にも多くの民間人が聖書を手にしていましたし、
(レオナルド・ダ・ヴィンチの書物の所蔵目録には聖書もあります)またメディチ家などはその蔵
書を多くの人々が閲覧可能になる図書館を作りましたし。多くのフィレンツェ人たちの学問の知識
は高度になり、商人階級の手による年代史なども多数書かれるようなそういう土壌でした。
自由学芸の理想的な環境があったのですね。
15世紀の頭にはコンスタンチノポリの陥落前後、東西教会の和解の為の公会議がフィレンツェで行われ、
この時東方からの学者が多数やってきたことがきっかけで、忘れ去られていたギリシャ哲学の再評価も
為されます。そうしてプラトニズムの見直しなどが行われたのですね。
キリスト教会の伝統的な神学ではなく新たな思想や視点が流入してくるのです。
しかし彼らにとってそれは教会の教えと対立するものでもなく共存した形であったのです。
特にロレンツォ・メディチの時代にはネオプラトニズムの研究が盛んで、彼の主催する
アカダミアでは人文主義者達が集いました。ボッティチェリはその集団にいたのですね。
彼のビーナスの誕生、プリマベーラ(春)などの代表作はこの時代に描かれました。
それはこのアカダミアの思想の反映と共に人間礼賛でもあったのですね。

4フランシス・ヒデ:2004/02/20(金) 22:45
それでは、chiara先生、よろしくお願い致します〜
...........(^-^)/
__く―___
-------------
|....ノし..|
↑いや、なにもふざけているわけじゃないですよ。
真面目な話、授業料もなしに専門家のお話をうかがえるのだから、皆さんも
好きな方は集まってくださいね。

5chiara:2004/02/20(金) 22:45
既存の神学に縛られることのない民間人のスタンスによる学の探究だからこそ
自由があったのですが、それは神に背くのではなく、教会の伝統的な神学ではない
新たな神の真理、普遍の探究であったのですね。レオナルドの絵などはその典型です。
この時代の共通概念は、真、善、美は神のものであり、それを解き明かすことは一種の神学
であっただろうということです。
(残念ながら「聖書のみ」という視点からは「美」は抜け落ちてしまいます。これはプロテ
スタントに限らず、カトリックでもかなり遅れてそういう方向に走り始めます)
ですから、ボッティチェリにしても決して無神論というスタンスでヴィーナスの誕生を
描いて居たわけではないのです。人間世界の、つまり被造物の世界の礼賛として描いていたのですね。
この視点は聖フランシスコの「太陽の讃歌」が発端であったと塩野七生は評価しています。
神の世界にのみ視点を向けていた教会世界では、ありのままの人間性は否定されるものでしたから、
この点において、近代の人々が中世を暗黒と考えたのも無理はありません。
(もっとも民衆に学の力がなかったから、彼らがなにを考えていたのかは、キリスト教会が
残した史料に頼らざるを得ない歴史観でははかることが出来ませんが、残された民謡民話な
どからは案外自由だったと今では考えられています)

6chiara:2004/02/20(金) 22:45
フランシス様
いや。専門というより単なる好事家なわけですが・・・・(^^;
フランシスさんの絵文字好きですよ。
ただ、わたくしMac使いなのでずれてしまうんですね。

7chiara:2004/02/20(金) 22:46
ええと。サヴォナローラでしたね。
14世紀末期〜15世紀初頭にかけて既存の修道会の中で多くの改革運動がおきます。
フランシスコ会においては改革派、後のOFM(小さき兄弟会)が生まれ、コンヴェンツァルと
別れる母体が登場しますし、ドメニコ会でもジョバンニ・ドミニチという人が厳格派を形成します。
フィレンツェに行かれた方は判ると思うのですが、フィレンツェにはドメニコ会には、
サンタ・マリア・ノヴェッラとサン・マルコの2つの修道院が存在しています。
これは前者が穏健派で、後者が厳格派なのですね。天使の絵で有名なベアート・アンジェリコ
などは、後者に属していたのですね。サヴォナローラもこの厳格派の流れを組んでいます。
サン・マルコは当時修道院長であったアントニーノを中心として発展しました。
この人物は実際家で、フィレンツェの風紀の乱れに憂慮し(棄て児が多かったのですね)
商人階級と協力して擁護院など福祉施設の整備なども積極的に手がけ、フィレンツェに貢献
しました。後にフィレンツェ大司教となっています。
アンジェリコは更に厳格で、一説によるとアントニーノが商人にある程度妥協しながら
行っているやり方に不満があり、最終的にローマに行ってしまったと分析する人もいます。
清貧と貞潔、従順。これを厳しく科していたのですね。それは彼の絵の聖なる表情から
伺い知ることが出来るでしょう。

8chiara:2004/02/20(金) 22:46
さて、当時のイタリア半島は都市国家が発達していました。
ローマの教皇領の他に、フィレンツェ、ヴェネチアという都市国家、ミラノ公国、フェラーラ
などといった公国などもありました。つまり「イタリア」は無かったのですね。しかし、
フランスという強大な中央集権国家やドイツ(神聖ローマ帝国)といった北方の国家が
次第に力をつけ始めます。フランスは100年戦争のまっただ中で、フィレンツェの
メディチ家はフランス王に軍資金の貸付などを行っていたのですね。
しかし、その資金が焦げ付き、メディチ家は大損をこく羽目になりました。
また、前世紀から延々と続く教皇と皇帝との対立の狭間で、都市国家は
時には教皇側に、時には皇帝側にと立場を代えながら何とか生き延びて来たのですが
皇帝と教皇の対立は激化する一方でした。
こうした不安定な国際政治状況下でメディチの斜陽の時代がロレンツォの時代に到来するのです。
以上、サヴォナローラ登場の前夜のフィレンツェの状況を大ざっぱに書きました。

9フランシス・ヒデ:2004/02/20(金) 22:46
これでどうだろ〜〜?
...........(^-^)/...chiara先生、よろしく〜〜
______く―_____
-------------
|....ノし..|

10chiara:2004/02/20(金) 22:47
フランシス様・・・わたくしはマカーなうえにsafari使いという超マイノリテイなので
・・・・・・・・・また、ずれています・・・・(T_T)

11chiara:2004/02/20(金) 22:47
ええと続きです。記憶だけで書いてるんで細かいことは忘れてます。
当時のフィレンツェはヴィラーニと言うおっさんによると9万人はいたそうです。
これはヨーロッパの都市の中ではかなりな大都市で、ヴィラーニはとにかく威張りまくって
ますが、威張ってもいい数字だと思います。(もっとも、彼の統計には誇張が混じってると
もっぱらの評価だが)
こうした人々を収容するために巨大な大聖堂(カテドラル)が建てられます。
有名なブレネレッスキの建築サンタ・マリア・デル・フィオーレですね。
まあとにかくでかい。いつ行ってもでかいと思う。なこのドォーモ(街中心の聖堂)
ですが、ここではよく説教師が説教をしていたのです。
で、説教師にもお話しの上手いのと下手なのがいて、下手な説教師は人気があありませんでした。
サヴォナローラはとにかく説教が下手だった。全然だめ。で人気もなく、しょんぼりしたサボちゃんは
すごすごと、ど田舎に篭っちゃうんですね。アレッツォ辺りにいたかと記憶しますが、忘れました。

12chiara:2004/02/20(金) 22:48
彼が舞い戻ってきたのは、フランスが百年戦争も終わって、今度はその矛先を南に向け始めた
政情不安な頃です。当時のメディチ家は破産状態でした。ロレンツォの外交手腕で何とかしのいでいる有り様で
フィレンツェの政体も弱気な状態でした。フィレンツェの人々は最盛期の華やかさがもう
フィレンツェにないことで不安に陥っていました。そんな中にサボちゃんは帰ってきたのですね。
彼は情熱の人で、その説教も見違えるほど上手くなっていました。
彼はフィレンツェの人々の奢りが今の状態をもたらせたのだなどと檄を飛ばします。
異教の文化にうつつを抜かしていないで、もう一度キリスト教に立ち返れと主張を始めました。
不安だった人々は「ああ!そうだ。真面目に生きよう」と反省モードに入り始めました。
それで世の中の流行に弱いサンドロ・ボッティチェリも反省してしまったんですね。
サボちゃんは特にメディチを攻撃のターゲットにしました。メディチは全盛期のフィレンツェ
ルネッサンスの象徴でもある存在です。不安の要因とその責を負うものがあれば
人々は安心するものです。ロレンツォの死後しばらくたってメディチはフィレンツェから
追い出されてしまいます。フィレンツェ人はその点、非常に薄情です。

13chiara:2004/02/20(金) 22:48
サヴォナローラは人々に自分の思想が受け入れられたこと、またフランス軍の到来があること
をみごと言い当てて、自身をますますつけます。で、よしゃあいいのに、政治に手を出してしまうのですね。
自ら政庁の一員となり、フィレンツェを品行方正なキリスト教的模範的都市にしようとしたのです。
そして「あらゆる災厄の根源は教皇庁にある」と今度は教皇批判をはじめます。
フィレンツェ市民の生活をまっとう至極にするために、あらゆる豪奢、異教の文化に関わるものを禁じます。
青年団が出来(泣き虫団だかそんな名前)まるで文化大革命下における中国での
紅衛兵の役割を果たしたのです。ボッティチェリも完全に染まっちゃいましたから、
自分の過去に描いたキリスト教的でない絵を燃やしてしまうんですね。
市庁舎(ポデスタ)のあるシニョーリア広場には民衆から取り上げたり、率先して出された
「冒涜的な。あるいは豪奢な」美術品の数々がうずたかく積まれ火がつけられました。
虚飾の焚刑ですね。
民衆達の服も質素になり、享楽的な場所は閉鎖に追い込まれました。街中が道徳的空気に
満ちあふれたのですね。これは民衆が望んだとでもあったのです。
しかし行きすぎは結局ほころびを生じさせるのです。

14chiara:2004/02/20(金) 22:48
説教師としては魅力的でも政治手腕はダメダメだったサヴォナローラは政治において
失態を繰り返します。とはいえこの時代誰が就いていたとしても、状況は難しかったでしょう。
民衆の不満は次第に高まり、その責任をサヴォナローラに求め始めるのです。
こうして結局、最終的にサヴォナローラは火刑になってしまうのですね。
フィレンツェ人は本当に薄情です。マイブームも長続きしないのですね。
(この辺りの構図はムッソリーニを自らの手で処刑したイタリアの現代史も似ていますね)
さてボッティチェッリですが、もうサヴォナローラに心酔しまくって、ヴィーナスの誕生で見せた
美しさは影を潜め、サボナローラの神学をそのまま絵にしたという、エキセントリックな表現のもの
ばっかり描くようになっていました。息苦しいような腺病質の絵で、結局、人気もなくなってしまうのですね。
晩年は苦しい生活を強いられたようです。

15chiara:2004/02/20(金) 22:49
こうして見ると、民衆が非常に不安定な価値を持っていることがよく判ります。
特に多くの不安の中で厳しい倫理が要求されたり、しかし倫理が人々を支配し始めると
今度はそれに閉塞感を覚え、打破しようとし始めるのですね。
歴史の中ではそういうものが繰り返し起きていますし。

16フランシス・ヒデ:2004/02/20(金) 22:49
chiaraさま、
ありがとうございます!
むむむ、カルヴィン統治下のジュネーブとやっぱり共通項が少なからずあるよう
ですね。ただ、私は当時のジュネーブの状況を特に調べているわけではないの
で、よく言われてきた通説の情報でそう考えているだけですが。もし、どなたか
当時のジュネーブの詳しい研究をしてらっしゃる方がいらっしゃれば、正確な
情報をお知らせください!!
まあ、誰にでもすぐ分かる共通点は:
当初は民衆が招いてしまった
スケープゴートが設定された(カルヴィンの場合、よーするにローマ・カト
リック)
文化芸術が否定・破壊された
違うのは、民衆が蜂起して指導者を処刑したか/しなかった(できなかった)か、
という点でしょうね。
その理由はおそらく、
当時のジュネーブとフィレンツェの事情の違い、もさることながら
カルヴィンはサヴォナローラと違って、政治的にも優れた人物であり(とにかく
キレ者!)、しかも政治と神学指導の両職務に身を粉にして働いた
ジュネーブでは、一種の「民衆を監視するスパイ組織」のようなものがあって、
これがかなり「有効」だった
といった点でしょうか?
chiaraさま、当時のフィレンツェの「青年団」は、どの程度厳しい取締りを
やっていたのでしょうか?どうも、彼らや「民間からの密告」の利用方法に
関しては、ジュネーブのほうが上手だったのか?という印象があります。

17:2004/02/20(金) 22:49
う〜む、そうすると、束縛、解放、束縛というのが繰り返されていて、それが、芸術に表現されていると。。。
私、ルネッサンス期の絵画って好きなのですよ。人間賛歌とか言われているけど、教会をテーマにしたものが多いから、え?そうなの?という感じで見ていました。
でも、母教会の牧師は「ルネッサンスが人間を堕落させた」と、非常に、悪く言われていましたね。
ええ〜、そうなのぉー!と思いましたけど・・
こうやって、いろいろ背景を知ると、人間が求める方に求める方に向かっている事がわかるし、非常に、人間っていうのはバランスの悪いものだな、と思います。
そして、ボッティチェリのように、人の価値観って、ころっと変わってしまうものですねぇ。

18:2004/02/20(金) 22:50
あ、そうそう、サイゼリアにかかっている最後の晩餐らしき絵ですが、
ダビンチの最後の晩餐のように、弟子達がテーブルに一列に並んでいて、頭の上に白い輪が描かれています。
イエス様らしき人は、テーブルのこっち側に座っていて、それから、黒猫が下のほうに小さく、こちらを見つめるように描かれています。
最後の晩餐って、きっといろんな画家が描いているのでしょうね。これは誰なんだろうなァ

19フランシス・ヒデ:2004/02/20(金) 22:50
愛さま、
う〜〜〜ん、私は自分が描く立場でして、専門的に「美術史」の研究をしている
わけじゃないので、ご指摘の絵画は記憶にありませんなあ。
chiara先生、これはどなたのなんと言う作品ですか??

20chiara:2004/02/20(金) 22:50
フランシス様
わたくしは逆にカルヴァンの支配下にあるジュネーブをしらないので、判らないのですが、
そこにいる人々の民族的気質にもよると思いますね。
青年団の弾圧は嫌がらせ程度でしたが、それでも人様の家に上がり込んで、
「虚飾」「異教」と見做されたものはことごとく破壊や没収、焚書の刑にあっています。
ただ、徹底してもいなかったから、免れた遺産が沢山あるのですね。
フィレンツェ人は基本的に熱しやすく醒めやすい。それに美の効用を本性的に知っているので
目に見えるものが破壊されていく過程でこりゃおかしいぞと思ったかもしれません。
職人の地位も高かったですし。自分の作ったものや尊敬する師の作品が壊されていくのは辛いですからね。

21フランシス・ヒデ:2004/02/20(金) 22:51
chiara先生、
なるほど〜〜程度が違いますなあ。
ジュネーブでは、通説によると、「きちんと」裁判所などに密告されたそう
です。徹底していたのですね。史学的な正確さについては、専門家の方々の
ご意見をいただかねばなりませんが。
*************
みなさま、
考えようによっては、しょせん人間の社会では「いーかげんさが社会を救う」
といった面があるのでしょうかね。もしそうなら、「いーかげんなもの」が
お好きな方々も尊重さるべきですな。
そうした方々は、chiara先生やたちばな先生のご講義の後に、もしよろしけれ
ば別の「顔文字コンテスト」のスレッドにもど〜ぞ!
「一匹のひつじ」では、学術的な話と「しょーもないジョーク」の両方の
必要性をしっかり認識しておりますぞよ!!

22chiara:2004/02/20(金) 22:51
愛様
おそらくギルランダイオの作品であると推察致します。
ユダだけがこっち側に座っているならそうですね。画面右上の窓に孔雀はいませんか?

23chiara:2004/02/20(金) 22:51
愛様、
束縛と解放の歴史は結局イエスから始まっているとも言えますね。律法からの解放です。
しかしローマにおいてはキリスト教のなにが人々の琴線に触れたのかというと、
ローマの放埒への反発もまたあったのですね。ローマ宣教におけるパウロの言葉が
厳しいのはその為です。これは、永遠に繰り返される円環です。
キリスト教の本質は中心ではなく「境界」に存在することにあるでしょうね。
渦中にあると見えなくなるものがあるのですね。それを指摘するのです。
聖域はそういう効用はありましたが、政体の弱体と共にその均衡が難しくなってしまった
ことや、カトリック教会自体が領土を持つ封建領主となった時点でおかしくなったともいえます。
近代末期「教皇領」は実際的建造物以外は無くなったのでやっと健全になったと言えます。
しかし、聖職者達は独身という形で人間世界の「境界」に身を置くこともしてきたわけで
修道会、特に托鉢修道会はそういう効用があったのですね。これらもまた刷新や改革という
運動の中で生じたものですね。

24chiara:2004/02/20(金) 22:52
フランシス様、愛様
改革期に美術品がターゲットになるのはなにもキリスト教絡みだけではありません。
フランス革命、文化大革命の例を取ればよくわかるでしょう。
目に見えるものは、いわば、批判すべきことの本質の記号なのです。
その記号を破壊することで主義を明快に示すことが出来るのですね。
ですから本来妥当しなければならないもののスケープゴードなのです。でなければ人が
抹殺されてしまうのですね。これは剣呑なことになります。また永遠に残るからこそ影響を与える
という効用があるがゆえに抹消しなければならないのですね。
カルヴァンは戦略家としてはかなり賢いと思います。サヴォナローラはその点まだマヌケでした。
カルヴァンに対抗出来るのはパリ大学の同窓であったロヨラでしょうね。
この辺りから実は民衆の声が聞こえるようで聞こえない教会世界へと変質していくのも皮肉ですね。
完全にインテリの宗教となってしまったんですね。
(こうした事例を念頭におくと、トロツキーの考えたことも理解出来るなぁ)

25:2004/02/20(金) 22:52
chiaraさま ありがとうございます!
そうです、そうです、右上に孔雀がいるんですよ。そういえば、他のルネッサンス絵画にも孔雀が描かれているものがありますね。何か意味があるのかな?
手前に居る人はユダなんですね。そういえば、頭の上に白いわっかがないな、と思っていました。
それから、
>キリスト教の本質は中心ではなく「境界」に存在することにあるでしょうね。
>渦中にあると見えなくなるものがあるのですね。それを指摘するのです。
(chiaraさまは、そのような現象を言葉にするのがホントに上手いですねぇ。)
そうなんですよね、教会にいてもそれを感じていました。
既存のものを批判して立ち上がり、破門なり分離なりしていく、そして自分たちの勢力が大きくなって、自分たちが「既存」になったとき、過去の姿を忘れて、
また対抗するものを、破門し、分離するものを非難したりする。過去に自分たちがされたことと同じ事を別の人にしてしまう。自分達だって、分離して今があるのだろうに、って思いますよ。

26chiara:2004/02/20(金) 22:52
愛様
孔雀はその羽根に目のような文様があることから、天使。セラフィムやケルビ厶の羽根などに
用いられたり、万物を見通す教会の象徴として使われることもあります。
既存を壊し、また新たになることをキリスト教は長い年月に繰り返してきました。
トロツキーに言われるまでもなく永久革命をして来たのですね。
その否定するなかにも、つまり批判するその時代にも真摯に生きようとした隣人が存在することを
忘れないで、しかし、また新たになる。そうしていくのがいいのだとは思います。
人間の歴史の中では永遠に完成はこないのですが、完成にむかって行こうとする意志が重要なのですね。
(真の完成が来るのは最後の審判の時なのでしょう)

27たちばな@ACC:2004/02/20(金) 22:53
chiaraさま、
業務連絡で〜す。
フラナリー・オコナー全短編集が上下巻で発売中のようです。
誰かの個人訳です。出版社は失念しました。一冊3600円だった
ので私は買いませんでしたが(笑
ちなみにながらく絶版だった新潮文庫の「オコナー短編集」も
再版されていました。こちらは購入。
知らない間にブーム? サリンジャーの村上春樹訳も出てるし
なあ。なんだか。
すごいひさしぶりに神戸の本屋にまで買い出しに出かけたので
ありました。目当ては純理の原書を古本屋で手にいれることだ
ったのですが、定休日が水曜というので、わざわざ今日行った
らば、月に一度の木曜休日の日だった。ショックだわん。

28chiara:2004/02/20(金) 22:53
たちばな様
う。高いですね・・・・。
わたくしも最近本屋に行かないのでかなり浦島です。

29あさがお:2004/02/20(金) 22:53
chiaraさま、
インターネット初心者の私、sageのメールアドレスが
なにをいみするのかわかりませんでした。
もしよろしければ、お差し支えない範囲で、レクチャーを…。

30chiara:2004/02/20(金) 22:54
あさがお様
このタイプの掲示板は普通に書き込むと、書き込んだスレッドが先頭に来ますよね。
でも、メール欄にsageと入れると、下の方にあるスレッドが、上に上がることがないのですね。
だから、周りの状況いかんによって、(例えば、話してる内容が掲示板のテーマと異る時など、
他の人の対話の妨げにならないようにそうするとか)sageと入れたりするんですね。

31あさがお:2004/02/20(金) 22:54
chiaraさん
ありがとうございます。
さっぱりわからなかったので助かりました。

32chiara:2004/02/20(金) 22:54
イタリア未来派の話が出たのであげときます。
いやぁ。いいです。未来派。ばかッぽくて。突き抜けています。

33chiara:2004/02/20(金) 22:55
でも・・・まったくと言っていいほど、キリスト教とは関係がないですな。
寧ろ教会を否定する側であって。

34タチバナ@灰羽連盟:2004/02/20(金) 22:55
う〜む、なにがなんだか(笑
では、ここでchiaraさまに「新未来派」についてご講義を
そもそもManifestつう時点で「共産党宣言」のパクりですよ
ね。「ダダ宣言」しかり、「シュールレアリズム宣言」しかり。
政治と芸術がコングロマリット(こんがらがっちゃう)してい
た時代の息吹ですね。ナチズムもある意味そうですが(ヒトラ
ーは芸術家志望で、絵画はもうひとつだったそうですが、建築
の才能はあったとのこと。のとにナチスおかかえ建築家シュペ
ーアがその夢を実現する・・)。

35タチバナ@灰羽連盟:2004/02/20(金) 22:55
う〜む、たしかにマヤちゃんのお顔は素敵(わら
詩人顔?

36chiara:2004/02/20(金) 22:56
ネオ未来派は、真の革命ですね。
資本主義と従来の共産主義と大衆に喧嘩を売るのですな。神はいます。否定しません。
なお、インターネット、オタク文化を賛美するのですが、
同時に芸術の特権性、貴族性を認めるのですね。
それは逆説によって成り立つ大衆の革命なんですな。
例えば冒頭分はこんな。↓
現代の大量消費、グローバリゼーション、多国籍的資本主義的大衆社会において、我々はインターネット、
コンピューターによる大量情報社会の発展のただ中にいる。これは矛盾だ!グローバリゼーション、
多国籍的資本主義的大衆社会は画一化を我々に押し付ける。インターネットは我々を画一化した。しかし、
その結果、大量情報社会は分裂をもたらす。そこにおいては個人が情報の提供者であり、享受者であることを
要求するからである。
 我々はまさに分裂へと向かう。それは矛盾をはらむ分裂である。グローバリゼーションをもとにした分裂。
画一化に基づく分裂。かかる分裂のただなかで我々は宣言しなければならない
まあ、友達の神父が暇に任せて考えた、無茶苦茶な理論なので、本気にしないでください。
とはいえ未来派も、近代主義のなかのお遊び的存在です。
ナチズムは余裕がありませんが、ヒトラーが芸術を理解できなかったからです。
イタリアファシストは、ムッソリーニがある程度理解出来たんですね。
でも、僕ちゃん一番主義なので、限界がありましたね。結局。
国民性の違いでしょう。イタリアはさっさとムッソリーニを処刑して連合軍に鞍替えするし。

37chiara:2004/02/20(金) 22:56
いや。マヤコフスキーの顔はどうでもイイです。
考え方というか、作品がカコイイです。

38タチバナ@灰羽連盟:2004/02/20(金) 22:56
>>36
ははあ・・
「共産党宣言」をふまえた叙述ですねえ。いや、本気にはしま
せん(笑
しかし、こういう文章を書ける神父さんがいるというだけで、
カトリックに親近感を持ちます。中身はうさんくさいポモぽい
けど(笑

39タチバナ@灰羽連盟:2004/02/20(金) 22:57
>>37
え、顔はどうでもいいですって!?
いけませんよ、chiaraさま、
顔は芸術家のいのちですよ!(わら

40chiara:2004/02/20(金) 22:57
そりゃ、もう完全なパロデイですから。笑)
うさんくささを演出しなきゃ意味がありません。うさんくさくする事が大切なのですね。
芸術家が顔が命だと困るなぁ・・・。

41タチバナ@灰羽同盟:2004/02/20(金) 22:57
しかし、chiaraさまとは気が合うと思うなあ〜(W
ところで、ご存じかも知れませんが、鳥肌実という方がいます。
HPは
http://www.torihada.com
「右翼」パフォーマンスをする「芸術家」(?)だと思うんで
すが、ひとによっては、こういうのもNein!なんでしょうねえ。
いや、どうでもいいんすけど。

42タチバナ@灰羽連盟:2004/02/20(金) 22:58
そういえば「サクラ大戦」(ゲーム、アニメなどで有名)に出
てくるロシア出身の女性キャラが
マリア・タチバナ
つう名前であった。いや、私のHNはここからとったわけでは
なく、まったくの思いつきなのである(もともと俳号「金田一
輝」をHNとしていたが、所属結社を退会したのを機会に新H
Nをつけたしだい)。
ちなみにマリア・タチバナ嬢の愛読書はドストエフスキーだそ
うです(W

43へっぽこ@横レスでご報告失礼!:2004/02/23(月) 22:56
タチバナ師匠
メインがあれほーだい、真っ暗闇じゃあござんせんか?なので、
ここでご報告します。
師匠に教わった「異端」の語を、本来の意味で使っている教会、ありました。
正教会です。
母教会の牧師から、脱退と受洗証明を取りつけて、神父さまにお預けしました。
そのおり、「帰正式(正教会に帰る)」というもの行ないます。
「異端」教会からの帰正ということになります。
師匠のおかげで、「異端」と呼ばれてもぜーんぜん傷つきませんでした。
本来の意味で「異端」と言われている事が解りましたから...
師匠に感謝!!!

44名無しの聖歌隊さん:2014/01/26(日) 19:26:09
キリスト行く奴はおかしくなるからやめた方がいい

45名無しの聖歌隊さん:2014/01/28(火) 13:49:09
苦しい時に更に苦しめる宗教

46名無しの聖歌隊さん:2014/01/31(金) 19:41:08
あやまちを認めようとしない宗教

47名無しの聖歌隊さん:2014/02/11(火) 02:24:02
拝んでるものが不公平 聖書は間違えたことが書かれてる

48名無しの聖歌隊さん:2014/05/30(金) 16:13:43
キリスト教は本当に最低最悪の極悪宗教 脅してまでも本人が嫌がることを強制的に強要する最低な宗教 さんざん利用しといて利用価値がなくなったら今度は恩を仇で返す人間がいる宗教 生活から家族から友達まで全部奪われ全てがめちゃくちゃです 日々恨みだけが増えていきます 絶対に許しません

49名無しの聖歌隊さん:2014/10/05(日) 13:21:02
日本で活躍する韓国系キリスト教会

統一教会:霊感商法、合同結婚式で有名。合同結婚式では日本女性と
     韓国男性の結婚を積極的に推進する。合同結婚式で韓国
     に渡った日本女性のうち約六千人が音信不通であるとして
     日本弁護士会が人権救済を申し立てする。

摂理:セックス教団として有名。韓国人教祖である鄭は日本人女子大生
   約百名を強姦したとして国際手配中。中国に潜伏中も日本から
   女子大生信者を呼び寄せ、和服を着せて接待させていた。中国の
   警察に捕まった模様。

聖神中央協会:韓国人教祖である金保は日本人女子小学生十数人を強姦
       した容疑で逮捕された。金保は聖神中央教会を設立する
       以前にも日本で牧師をしており、そのときも信者の女性
       を多数強姦して、信者からつるし上げをくらい、ほとぼ
       りをさますつもりか、韓国に数年ほど逃げていた。

小牧者訓練会:代表である韓国人卞在昌(ビュンジェージャン) は女性
       信者を自宅に下宿させるなどし、多数の日本人女性信徒か
       ら性的暴行被害を訴えられている。

50名無しの聖歌隊さん:2014/12/20(土) 14:06:07
キリスト教に勧誘されてついてったら人生終わったようなもん

51名無しの聖歌隊さん:2015/04/06(月) 00:20:23
キリスト教に美なんて存在しません どこの教会でもトラブルしかないような宗教です この宗教はヤクザと変わりませんよ

52名無しの聖歌隊さん:2015/07/20(月) 17:33:55
キリスト教の洗脳のしかた
言うことを聞くまで殴る蹴る ビンタをする
洗脳されたら多額の献金を要求 ほぼ恐喝
脱退したいと言ったら殴る蹴る 金を払えと脅す
しかも金がなかったら抜けることは不可能だと言い聞かせられる
初めから宗教なんてやらなければよかった
本当にこんな宗教やるんじゃなかった


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