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キリスト教と美・2

3chiara:2004/02/20(金) 22:44
フィレンツェルネッサンスは、近代においては無神論的価値の誕生、新プラトン主義の再評価として捉えられて
いて、中世の教会支配による暗黒時代からの人間性の回復という評価が為されています。
教会が占有していた学問を民間人が積極的に関わりはじめた。民間のアカダミアの存在は
教会の教理によって押さえつけられていた学の可能性を広げたといわれています。
これはある視点に立てばそうなのですが、それを積極的に擁護していたのもカトリック
教会であったのですね、それゆえ真面目な向きからは教会の堕落として批判されることに
なったわけですね。
よく、カトリック教会は中世、聖書を占有していたと批判されますが、これは一方的な批判で
写本という手段でしか書物を手にすることができなかった時代の有様を無視した批判といえます。
既に14世紀などでは民間人が現地語で訳したオリジナルの聖書を手にしていました。
グーテンベルグ聖書の時代の前からルネッサンス期にも多くの民間人が聖書を手にしていましたし、
(レオナルド・ダ・ヴィンチの書物の所蔵目録には聖書もあります)またメディチ家などはその蔵
書を多くの人々が閲覧可能になる図書館を作りましたし。多くのフィレンツェ人たちの学問の知識
は高度になり、商人階級の手による年代史なども多数書かれるようなそういう土壌でした。
自由学芸の理想的な環境があったのですね。
15世紀の頭にはコンスタンチノポリの陥落前後、東西教会の和解の為の公会議がフィレンツェで行われ、
この時東方からの学者が多数やってきたことがきっかけで、忘れ去られていたギリシャ哲学の再評価も
為されます。そうしてプラトニズムの見直しなどが行われたのですね。
キリスト教会の伝統的な神学ではなく新たな思想や視点が流入してくるのです。
しかし彼らにとってそれは教会の教えと対立するものでもなく共存した形であったのです。
特にロレンツォ・メディチの時代にはネオプラトニズムの研究が盛んで、彼の主催する
アカダミアでは人文主義者達が集いました。ボッティチェリはその集団にいたのですね。
彼のビーナスの誕生、プリマベーラ(春)などの代表作はこの時代に描かれました。
それはこのアカダミアの思想の反映と共に人間礼賛でもあったのですね。


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