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キリスト教と美・2

23chiara:2004/02/20(金) 22:51
愛様、
束縛と解放の歴史は結局イエスから始まっているとも言えますね。律法からの解放です。
しかしローマにおいてはキリスト教のなにが人々の琴線に触れたのかというと、
ローマの放埒への反発もまたあったのですね。ローマ宣教におけるパウロの言葉が
厳しいのはその為です。これは、永遠に繰り返される円環です。
キリスト教の本質は中心ではなく「境界」に存在することにあるでしょうね。
渦中にあると見えなくなるものがあるのですね。それを指摘するのです。
聖域はそういう効用はありましたが、政体の弱体と共にその均衡が難しくなってしまった
ことや、カトリック教会自体が領土を持つ封建領主となった時点でおかしくなったともいえます。
近代末期「教皇領」は実際的建造物以外は無くなったのでやっと健全になったと言えます。
しかし、聖職者達は独身という形で人間世界の「境界」に身を置くこともしてきたわけで
修道会、特に托鉢修道会はそういう効用があったのですね。これらもまた刷新や改革という
運動の中で生じたものですね。


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