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無差別級

1闇夜の鮟鱇★:2003/11/27(木) 17:34 HOST:122.net061211188.t-com.ne.jp
このスレッドは『万有サロン』という名にふさわしく、
あらゆる意見を語り会う為の場にしたいと思います。
もしよろしければ、私のサイトへの疑問や感想もここにお書き下さい 。

6闇夜の鮟鱇★:2003/12/12(金) 18:55 HOST:116.net061211190.t-com.ne.jp
オチ板とか、私は業界用語(!?)には詳しくないんですが、
自分の主義として、サイトにリンクを張るのに一々連絡しろのだのなんだのと、
うるさい条件を付ける趣味はありませんし、
どこに晒してもらっても結構なんじゃないですか!?
まあ、晒したい人は、たとえ私が禁止したってさらすでしょうしね。

原則的に『情報をネット上で公開する以上、
後はそれを誰がどう料理しようと勝手』というのが、私の立場です。
(無論、それは著作権を放棄するのとは違いますから、
出所へのリンクはキチンとしていただきたいのですが。)
但し、私もそんなに暇な時ばかりではありませんから、
沢山の『アドバイス』をいただいたとしても、
その全てにキチンと応答できるという保証はできませんが。

7wani:2003/12/13(土) 18:23 HOST:m158132.ap.plala.or.jp
では管理人の承諾を得た公開という形でいいですか?
なんだか強引にこじつけた格好になってしまったみたいで・・・。
でも、これはあなたにとっていいことだと思っています。
あなたの思想の更なる発展を期待しています。

8闇夜の鮟鱇★:2003/12/13(土) 20:23 HOST:083.net219106196.t-com.ne.jp
  >でも、これはあなたにとっていいことだと思っています。
全くその通りです。別に何も遠慮なさることはありません。
かえって私の手間が省けて助かる位のものですから。

9闇夜の鮟鱇★:2003/12/14(日) 19:03 HOST:222.net219096029.t-com.ne.jp
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs4.otd.co.jp/470115/bbs_plain?base=416&range=1

416 New 苦しみの源 2003/06/23 12:50 ■Res■
From:闇夜の鮟鱇 URL:http://www2.tba.t-com.ne.jp/a-z/
最近、チェホフの『三人姉妹』という演劇をビデオで見たんですが……
最後の長姉の台詞には笑っちゃいました。
『今の私たちの苦しみが一体何の為にあるのか、分かったらねえ』
というんです。

つまり、彼女達は『人間社会は必ず進歩するものであって、
今、自分達が苦しんでいるのは将来の人間の喜びの為である』
と信じて疑わないらしいんです。
ところが、こうしてあちこちの自殺関連の掲示板を覗くと、
『毎日が苦しい、今すぐ死にたい』みたいな話ばかりでしょ!?
あの長姉がそれを見たら、卒倒するかもしれませんね(笑)。

結局、現実の社会の進歩は、彼女達が夢想したような、
『気球に乗って空を飛ぶ』なんて段階はとっくに通りこしているわけですが、
そんな技術的あるいは物質的な進歩がいくらあっても、
人間の幸せが来る分けではないということなんでしょうね。
その意味では『欲望追求から苦しみが生まれる』という仏陀の認識や、
『足るを知る』ことの重要さを説いた孔子の主張の方が、
ずっと先を言っているのではないでしょうか。

10闇夜の鮟鱇★:2004/01/06(火) 09:12 HOST:016.net219096020.t-com.ne.jp
(以下は、私が自殺関連の掲示板に書いた内容に加筆・修正したものです。)
http://bbs3.otd.co.jp/379419/bbs_tree?base=1714&range=1

★★★辞世を残そう★★★

明けましておめでとう……なんて言っちゃいけないんでしょうね!?
ここに来る人は私も含め、正月がめでたい人なんていないでしょうから。
で、その代わりといっちゃ何なんですけどね、
年頭の挨拶がわりに、辞世の歌や句を紹介しようかと思います。
『愚や愚や、汝をいかんせん』もいいんですが、
日本にだってそれに負けない位の伝統があります。

死ぬ前に辞世の詩を残すのは、昔からの日本の伝統ですし、
日本人として生まれた以上は、皆さんもどうせ死ぬなら、その前に、
こうした場所にでも是非、一首(又は一句)書き残して欲しいと思います。
ただ何事によらず、後世に残して恥ずかしくないものを作る為には、
それなりの訓練が必要ですし、作句や作歌でも最低2〜3年かかるでしょうね。

それで、辞世の歌の中で私が最も好きなのは、何といってもこれですね。

  行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば 花や今宵の 主ならまし(平忠度)

(忠度は歴戦の武者でありましたが、敗戦を悟り撤退の最中に、
お歯黒にしていることから平家の大将とばれてしまい、
熊野育ちの大力の忠度も、奮戦空しく右手を切られ堪忍し、
念仏を唱えている最中に殺されてしまいました。
討ち取った武将が首を取り、首を包もうとしたとき、
一首の歌が書かれた紙を見つけました。)
  http://homepage3.nifty.com/heikyoku-arao/jinnbutu-tadanori.htm
『敗戦の行軍の末に日が暮れて、桜の木陰を最期の宿りとするならば、
咲き誇る花が今晩の私を客人として迎え、もてなしてくれるだろう』
『青葉の笛』という歌でも有名ですが、辞世としては余りに美し過ぎますかね。

それから、忠臣蔵で有名なこの歌も傑作ですね。

  風さそう 花よりも猶 我はまた 春の名残りを いかにとかせん(浅野長矩)

『風に誘われた桜の花は、春の名残を惜しむ間もなく散って行くけれど、
花よりも尚はかなく死んで行かねばならないこの私は、
吉良を討ち損じた無念さを一体どう晴らしたら良いのだろう』

例によってネット上には色々サイトがありますが、こんなふざけたのもありました。

  五斗はおき 後生も乞わぬ 我が腰を 折りて今日(こんにち) はい左様なら(叩々老人)

(駿河の国に叩々老人という者がいた。禅に興味を持ち、生涯を酒落に暮らしたが、
あるとき子供が紙の幽霊を作って木に掛けて人を驚かしていた。
この老人、こんなものでは駄目だと白の浴衣を着て竹馬に乗って、夜中森林の前を徘徊した。
時に侍がこれを見て、剣を抜いて切ろうとした。
老人は竹馬から落ちてそのショックで腰の骨を挫いてしまい、
それ以来病の床に伏せるようになって、遂に死亡した。)
  http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199304.html
無論、五斗と五升を掛けているのですが、
『五斗(50升)と言わず五升の酒を乞うた分けでもない私なのに、
後生を乞う間も無く腰を折られて、今日はあの世に行く定めです』
という分けでしょうか。

他方、俳句では何といっても芭蕉でしょうね。

  旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる(松尾芭蕉)

『既に沢山の旅をして来た私だが、
新たな旅への渇望は尚やむことがなく、
今こうして旅の途中で病床にふせっている間にも、
夢の中で私の心は、枯れ野を駆け回っている』

それから、西鶴のこんな句も中々味があります。

  浮世の月 見過しにけり 末二年(井原西鶴)

西鶴は52歳で死んだそうですが、この場合の『見すぐす』は見落とすではなくて、
『寝過ごす』や『乗り過ごす』と同様の用法でしょうね。
『人生五十年と思っていたのに、浮世の月を見物している内に、
ついうっかりして、あの世へ行くのが二年も遅れてしまった』
という分けです。

ところで、浅野内匠頭の歌には無念というか怨念がこもっていますが、
そうした恨みつらみを込めるにも、短歌は役に立ちます、
俳句では少し短過ぎるようですが……。
考えようによっては、あの歌にこめられた力こそが、
四十七人の志士を仇討ちへと突き動かしたとも言えるでしょうね。
その意味で、歌というものはすごい力を持ち得ると思います。

まあハッキリ言って、私の怨念の深さに比べれば、
『條野』さんの怨念なんてゴミみたいなもんだと思いますけど、
そうした晴らしようのない鬱憤も、短歌に作ってしまうと、
その怨念が昇華されて、気分的にスッキリするのは事実です。
ですから、皆さんにも是非、お勧めしたいと思います。

148.net219117069.t-com.ne.jp

11闇夜の鮟鱇★:2004/01/06(火) 09:15 HOST:016.net219096020.t-com.ne.jp
↑すみません、冒頭のリンク先はこっちが正解です。
http://bbs3.otd.co.jp/379419/bbs_tree?base=1801&range=1

12闇夜の鮟鱇★:2004/02/13(金) 10:20 HOST:245.net219096031.t-com.ne.jp
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_plain?base=930&range=1

930 Re:過去ログすべて読ませていただきました 闇夜の鮟鱇 2004/01/28 20:05
103.net061211181.t-com.ne.jp
  >一般常識や、真・善・美などを判断するのも、
  >そのような感覚が根底にあるような気がします。
実は、その件は哲学の領域では大問題なんですよね。
一体、我々が何かに真・善・美を感じる理由は何かというと、
これが簡単には答えの出ない問題のようですね。

  >お二方がおっしゃるように、論理と感覚は対立する
  >ものではなく、論理の根本に感覚や感情があるのかもしれませんね。
この点について言わせて頂くと、
実は論理と感情が対立するという局面は結構あると思います。
つまり、論理的には正しいと思えるんだが、
感情的には納得できないということですね。

そうした場合、その感情を論理的に突きつめて分析して行くと、
私の経験では二つの場合に別れます。
一つは『感情の方に実は根拠が無かった』と気づく場合で、
その時、その感情は自動的に消え去ります。
一つは『論理の方に根本的な見落としがあった』と気づく場合で、
その時は、論理の作り直しを強いられることになります。

その意味で、論理と感情が矛盾する時は、それを放って置かずに、
根気よく感情を分析してみることが大切なんですよね。
何か大切な問題が隠されているなら尚更ですが、
そうでなくても、それによって両者の対立は解消できるからです。
例のエイズやハンセン病の差別問題なんかも、良い例でしょうね。

13闇夜の鮟鱇★:2004/02/13(金) 10:23 HOST:245.net219096031.t-com.ne.jp
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_plain?base=935&range=1

935 Re:過去ログすべて読ませていただきました 闇夜の鮟鱇 2004/02/02 21:55
206.net219117108.t-com.ne.jp
  > はっきり言って、私自身、大学の授業で学んだことよりも、 
  > 読書を通して学んだことの方が圧倒的に多いと感じています。
なるほどね、こういうことを言える人は大変な勉強家だろうと思います。
私も本を読むことは嫌いではないんですが、何しろ人一倍『遅読』なもので、
中々思うような時間が取れなくて、人に自慢できる程読んでないのが残念です。


ところで、前回少し言い足りなかったことを補足しておきます。
結局、常に感情分析から出発して論理を組み立てていれば、
『感情と論理の対立』なんて起こる分けがないんですよね。
しかし『おぎゃあ』と生まれた瞬間から、
自分の感情を分析して論理化できるといいんですが、
事実上そんなことが不可能なことは、言うまでもないですよね。

で結局どうするかというと、とりあえず若い内は、
他人様が作った論理(特にマスコミが書く論理)
を出発点に物事を考えざるを得ない分けです。
ところが、それはあくまで借り物の論理ですから、
実際の経験を積む中で、自分の感情と衝突する場面が出て来るんだろうと思います。

特に、実際問題として今の世の中は謀略支配で成り立ってますからね、
そうしたマスコミの論理も謀略的に歪められている面が多々ある分けです。
ですから一定の年齢に達して、自分で判断する能力が付いてきたら、
既存の論理の嘘やおかしさを考え直すことが不可欠であるような気がします。
そうやって、物事を根底から考え直す癖を付ければ、
マスコミなんかに騙される危険も最小限に減らせるでしょうね。

14闇夜の鮟鱇★:2004/03/01(月) 19:20 HOST:60.net219106195.t-com.ne.jp
★★★チャンスの女神について★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877101/bbs_plain?base=286&range=1

□ 286 New Re:僕の場合 29 Jul (Tue) 10:16 返信する
From:闇夜の鮟鱇 URL:http://www2.tba.t-com.ne.jp/a-z/
何だ、手のこんだ広告か……。
因みに私はチャンスだの成功だのって言葉、嫌いです。

他人を蹴落として幾ばくかの小金を手に入れ、
それを『成功』と呼ぶアメリカ的な軽薄さ。
そうした価値観に何の疑問も持てずに、
ただ追随するだけの日本人も少なくないですが。

『チャンスの女神には後髪がない』なんて格言を好んで振り回すのも、
大体アメリカナイズされた軽薄な日本人に多いですね。
実際問題として、そんな奴に限って『あなただけに当たりました』
なんてインチキ商法にきっと引っかかるんです。

むしろ私は『後髪のない女神は本当のチャンスではない』
という立場です。
一つ目のチャンスは慎重に見定め、悠然と見送れば良いのです。
本当のチャンスなら必ず二度目・三度目がありますから。

160.net218219036.t-com.ne.jp

15闇夜の鮟鱇★:2004/03/01(月) 19:27 HOST:60.net219106195.t-com.ne.jp
★★★ネット上の掲示板で議論するコツについて★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容からの抜粋です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_plain?base=317&range=1

すみません、暫く雑用が忙しくて御無沙汰してしまいました。
ただ……私の主義として『自分が腹を立てている間は、書き込みしない』ということにしてます。
そうしないと不毛な感情的対立に巻き込まれるだけですから……。
これは、掲示板で議論する場合のコツとして、皆さんにも是非おすすめしたいと思います。

その意味で、腹が立つと一週間位は見ないことがざらですし、
大体、今までの私の書き込みのペースは週に一回位のものでしょ!?
あまり頻繁なやりとりは、感情的になるという以上に中身が薄くなるので、私の好みではありません。

16闇夜の鮟鱇★:2004/03/10(水) 21:49 HOST:207.net061211183.t-com.ne.jp
★★★レトリックの使い方について★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_plain?base=1008&range=1

1008 補足――レトリックの使い方について 闇夜の鮟鱇 2004/03/03 20:54
227.net061198124.t-com.ne.jp
皆さん『子ほめ』という落語を知ってますか!?
褒美をもらう為に『子供のほめ方』を教わった与太郎(だったかな!?)が、
状況も分からずに、教わった通りの言い方を繰り返すものだから、
大笑いになるんですよね。

結局ね、格言とかレトリックとか言うものは、ご存じの通り、
お互いに矛盾するものだって珍しくないんです。
言わば、それは『人間社会の一面を切り取っている』という意味で
『一面の真理』ではあるのですが、普遍的な真理とは違うんですよ。
例えば『人間はいつか死ぬ』とか『1たす1は2』とかいうのは普遍的な真理だから、
どんな場面でも無条件で通用するんですが、一面の真理というものは、
それを使う時と場合を間違えると、子ほめの与太郎と同じことになるんですよね。

『人間はみな悪魔である』というのも、そうしたレトリックの一つなんです。
ですから例えば教会の日曜ミサか何かで、それを言えば感謝されるかもしれませんが、
オーム真理教に殺された人の葬式に行って『人間みな悪魔なんですから、
麻原を責めるのはやめましょう』なんて言ったら、間違いなく張り倒されますよね。
『はてはて』さんのここの主張も、時と状況を全くわきまえていないという意味で、
子ほめの与太郎と同じレベルなんじゃないでしょうか!?

無論、一面の真理にもそれなりの価値はありますよ。
ですから例えば、麻原によるサリン・テロも、
『それが奴隷社会に対する抵抗運動であった』という側面を認められるなら、
将来は減刑や恩赦の対象に十分なり得ると私は思いますけどね。
それにしたって、一通り罪を認め裁かれて、十分反省した後の話でしょうね。
共産主義による犯罪にしても『人間みな悪魔』だからと減罪されるのは、
その罪を全て認めて裁かれた上で、十分反省することが大前提でしょうね。

17闇夜の鮟鱇★:2004/03/12(金) 10:57 HOST:80.net061211188.t-com.ne.jp
★★★言葉狩りについて★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容からの抜粋です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877101/bbs_plain?base=397&range=1

  >人をけなして、ストレス発散しないでください。
私はいわゆる言葉狩りが嫌いなので、あのように書いたまででです。
もし『シーザー(猫の缶詰)』さんが傷ついたのなら、御愁傷様です。
ただ、こうした言葉狩りをする人々には、
何か大きな誤解があるように思います。
つまり、ある言葉が人を傷つけるとすれば、
それは言葉自体よりも、むしろ、その背後にある悪意なんですよ。

ですから、たとえ『デブ』を禁止したとしても、うまくやれば
『ポッチャリ』してると言って傷つけることだって出来るんですよ!?
たまたま、悪意を持つ人間が多用する言葉を禁止したとしても、
その背後にある悪意を何とかしない限り、
真の問題解決にならないばかりか、
かえって問題を潜行させ、こじらせてしまうことにもなるんです。

結局、真の問題は今の腐った世の中に、
悪意を持つ人間が多すぎる点にあるんです。
こうした所に押しかけて来る赤犬連中にしたって、
奴らは人を傷つけて追い詰め、
洗脳することを生き甲斐にしてるんですからね。
こいつらを叩きつぶさない限り、
今の腐った世の中を変える事も、
そうした悪意を減らすことも出来ないと思います。

18闇夜の鮟鱇★:2004/03/26(金) 10:33 HOST:8.net219096022.t-com.ne.jp
  ★★★削除キーについて★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_plain?base=1056&range=1

1056 Re:管理人さーーーーーーーーーん! 闇夜の鮟鱇 2004/03/22 19:42
160.net219117086.t-com.ne.jp
  >何やったか知らないけどもう諦めれば?
結局ね、私はこうした掲示板に付いてる削除キーなんて無用だと思うんですよ。
例えば、普段の会話で誰かに発した言葉というものは口に戻すことは出来ませんよね!?
こうした掲示板だって、結局はそれと同じことなんですよ。
一度書いたものは、誰かが見た瞬間にその人のPCにログが残りますし、
そのログがたまたま失われたとしても、読んだ人の記憶には残る分けですよね。

ですから、こうした掲示板に何かを書く以上、
取り返しの付かないことをしている点では、口からでる言葉と同じなんです。
『掲示板から削除すれば取り消せる』なんて考えること自体が大甘なんですよ。
ですから、前から『腹が立っている間は決して書くな』と言ってるわけで、
腹立ちまぎれに何か書いても結局、後で後悔することが多いんですよね。

19闇夜の鮟鱇★:2004/04/13(火) 20:44 HOST:225.net219117086.t-com.ne.jp
  ★★★真理と説得について★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容からの抜粋です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877100/bbs_plain?base=1040&range=1

  >私は説得できないのは場所の問題と…話し方じゃないかなぁ?
  >って思ってるよ
それから、説得云々に関してですが……
例えば『悟るとはどういうことか』などで私が言ってる内容は、
あくまで『普遍的な真理』として主張しているつもりなんです。
で、前にも言いましたけど、普遍的な真理という奴は、
誰がどんな場合に言おうと真実なんですよね。

つまり、大悪人が言ったとしても『人間いつかは死ぬ』というのは真理なんです。
ですから、私が自分のサイトやここで言ってる話にしても、
単純に真理か真理でないか二つに一つなんです。
その意味で、私の人柄がどうとか私の話し方がどうとか言う問題は、
基本的に無関係だろうと思います。


因みに、共産主義の場合は少し違いますよね。
彼らは決して『普遍的な真理』というものを認めません。
例えば、資本家の思想と労働者の思想とは別物であって、
永遠に交差することのない平行線だと言う分けです。
難しい言葉で言えばイデオロギー論という奴ですね。

ですから、赤犬連中にとっては、きっと説得と人間性とは不可分なんでしょう。
例えば、宗教を布教する場合なんか、布教者の人格が大きな意味を持ちますけど、
共産主義の説得も宗教と同列なのかもしれませんね。

20闇夜の鮟鱇★:2004/04/13(火) 20:57 HOST:225.net219117086.t-com.ne.jp
  ★★★母子相姦に関して(その一)★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容を修正したものです。)
http://bbs8.otd.co.jp/877101/bbs_plain?base=619&range=1

□ 619 New Re:水玉さんへ 05 Apr (Mon) 09:29 返信する
From:闇夜の鮟鱇 URL:http://www2.tba.t-com.ne.jp/a-z/

大分、過激な論争になっているようなので、久々に書き込ませていただきます。
  >この世に「ゆるし」というイデオロギー(思想傾向)が消えない以上、
  >犯罪も加害も、絶対になくならないように思います。
これは『処罰を重くしさえすれば、犯罪をなくせる』という発想だと思いますが、
ちょっとバランスを欠く発想ではないでしょうか!?
キリスト教式の『右を頬を打たれたら左の頬を』といった『過大寛容』は私も大嫌いですが、
重く罰すれば、誰も犯罪を犯さなくなるという考えも狭過ぎると思います。
例えば、飢えた子供がパンを盗んだら『子供よりも社会が悪い』と言いますよね!?
私は『セックスに飢えた少年が母親を襲う』のも似たようなものではないかと思います。

  >レイプ、この重み、男性には伝わらないのかな。
  >女性にしてみれば、自殺するか、自殺未遂を繰り返して一生を過ごすくらい、
  >常に苦しみ抜くことなんですが・・。
確かに、そうした苦しみは男には永久に理解不可能かもしれませんね。
でも、逆に言うと、若い男がどれほど凶暴な性欲に痛めつけられているか、
あなたは考えたことがありますか!? あの太股丸出しの女子高生の挑発が、
どれほど彼らを傷つけているか、考えたことがありますか!?
レイプされた女の苦しみが男には永遠に分からないというのなら、
女にもそうした男の苦しみは永遠に分からないのかもしれませんね。

21闇夜の鮟鱇★:2004/04/13(火) 21:01 HOST:225.net219117086.t-com.ne.jp
  ★★★母子相姦に関して(その二)★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容からの抜粋です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877101/bbs_plain?base=650&range=1

結局、私なりにまとめを言わせてもらえば、
こんな所にポルノまがいの書き込みをする奴もする奴なんだけど、
それに対し、自殺しろだの親子心中しろだのという水玉さんの言い方は、
やはり、ちょっと穏当さを欠いているんじゃないでしょうか?

だって、この親子が水玉さんや他人に何か迷惑をかけたわけじゃないでしょ!?
女性という立場で母親に一方的に肩入れているようだけど、
この場合、母親は全くの他人じゃないわけだし、この親子にとっては、
こうしたやり方も一種の緊急避難だったんじゃないでしょうか。
少なくとも、外に出て赤の他人をレイプしたり刃物で切り付けたりするより、
ずっと増しなんじゃないかと思います。

確かに世間のモラルから外れたことをしているのは事実ですからね、
『困った親子』だと言う位は構わないでしょうけどね。
でも、彼らは彼らなりに、事態の重さは分かっているんじゃないですか!?
  >自分の罪を掲示板に書き込み誰かに話すことで、気が紛れました。
  >大勢の人に、死ねとかクズとか罵られることで少しは罪を償える気がしています。
もし『自分の価値観に合わないから死ね』というのなら、
同性愛者に対しても『お前ら気に入らないから死ね』なんて言うんですか!?

22闇夜の鮟鱇★:2004/04/13(火) 21:08 HOST:225.net219117086.t-com.ne.jp
  ★★★母子相姦に関して(その三)★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容からの抜粋です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877101/bbs_plain?base=703&range=1

  >>もし『自分の価値観に合わないから死ね』というのなら、
  >>同性愛者に対しても『お前ら気に入らないから死ね』なんて言うんですか!?
  >そんなこと誰も言ってないでしょう。
まあ、同性愛者の場合はあくまで双方合意の上でしょうからね、
多少、使った例が悪かったかもしれません。
ただ、少なくとも当初のあなたの発言には、加害・被害という関係を越えて、
両方とも死ねみたいに言ってるような所がありましたよね。
  >あなた達は人間じゃない。間違いなくもう、化け物・鬼畜ですよ。
  >この世から消えてください。

全体的に水玉さんは『男にはレイプという行為の重さが分かっていない』
みたいな言い方をしますよね。確かに、男には『レイプされた女の気持ち』
は永遠に分からないのかもしれませんが、だからと言って男が、
レイプという犯罪を軽く見ているということは決してないと思います。
例えば、自分の娘や恋人がレイプされた男は、
きっと相手の男を殺そうと思うんじゃないですか!?
レイプがそれ位ひどい行為であることは、男だって重々承知なんですよ。
それでも、色々な状況の下では、
何かの弾みでそうなる場合があるのかもしれませんよね。
私には経験がないので良く分かりませんが。(^^;)

  >私達は第三者である以上、まずこの母親を、
  >「意思を奪われた被害者」と解釈すべきだと思います。
確かに、そういう見方も可能かもしれませんね。
それなら、仮にあなたがよしさんの母親を見つけ出すことが出来たとして、
彼女に『犯罪者の息子を警察に突き出しなさい』とか、
『自分で息子を刺し殺しなさい』とか説得したい分けですか!?

この母親の場合『浮気して離婚された』みたいですから、
大分、分が悪くなりましたけどね、私としては、
必ずしも、このケースだけに限定して議論する気はありません。
議論の対象は、母親に全く落ち度がないケースでも良いと思います。
でも、たとえそうだとしても、自分の息子を警察に突き出したり、
殺したりする母親はいないんじゃないですか!?

ならば次の問題としては『母親が受けた傷をどうしてくれるんだ』
ということになるでしょうね。
それは本当に大変な問題だと思いますけどね、
残念ながら『目の前に悲惨を見ながらどうしようもない』
ということは今の世界では、決して珍しくないんじゃないですか!?

例えば、中東の方では今日だってどこかで爆弾を抱えた人が、
自爆テロなんかしてるわけですよね。
本当にどうしようもなく悲惨な話だと思うんですが、
今の歪んだ世界の中では我々が今すぐどうしろとか言っても、
どうしようも無いわけでしょ!?

ですから、仮にあなたがレイプされたとかいう仮説が本当だとして、
(私は決して勧めませんが)あなたが相手の男を殺すというのも、
十分可能な選択肢なんじゃないかと思います。
何しろ死ぬよりひどい目にあったんですからね、
相手を殺してから自分も死んだって構わないわけでしょ!?

  >そんなどうしようもない性欲なら、性器を切断してください。
  >そんなもんのために、女性は自殺したり自殺未遂を考えて
  >一生を終えたりすべきなのですか?
確かに、それも一つの選択肢かれしれませんね。
でも、そうした男の性器なしには、
今のあなたの存在自体が無かったわけでしょ!?
人類なんか滅亡しても良いというのなら話は別ですが、
そうでない限り、余り賢い選択肢とは言えないんじゃないですか!?

結局、男がレイプにまで追い詰められるのは、
それなりの原因とそれなりの状況があるんだろうと思います。
ですから、冷静に考えて必要なことは――
自爆テロにせよレイプにせよ、そうした悲惨を無くす為に重要なことは、
この狂った世の中を変えるべく努力することなんじゃないんですか!?
今の世の中が狂ってしまった真の原因は、
悪魔が共産主義を通じて世界を操っていることにあるんですから。
残念ながら、ここでは余り謀略論を展開する余裕はありませんけどね。

23闇夜の鮟鱇★:2004/04/13(火) 21:13 HOST:225.net219117086.t-com.ne.jp
  ★★★母子相姦に関して(その四)★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容からの抜粋です。)
http://bbs8.otd.co.jp/877101/bbs_plain?base=729&range=1

で、前の話がすっかり飛んじゃったみたいなんですけど、
もう少し言い足りなかった点があるので補足して置きます。
  >そんなどうしようもない性欲なら、性器を切断してください。
この点で思い出したんですけどね、アフリカの方では、
むしろ女性性器を切除してしまう文化が今でもあるらしいですね。

それで一部の人権団体は、人権侵害だとか言って騒いでますけど、
私から見れば、余計なお世話なんじゃないですかね!?
大体、この人権団体なんて『人権を守る』ことが目的じゃなくて、
『実際は共産主義に洗脳されないとまともに生きられない奴隷制社会に、
あたかも人権が存在しているかのように装う』為にあるんですからね。
……ちょっと脱線しましたかね。(^^;)

結局、何が言いたいのかというと『制御不能の性欲』という意味では、
むしろ、男より女の方がひどいんじゃないか、ということなんですよ。
まあ、男と女の両方の経験を持たない限り、
両者を厳密に比較することなんか不可能でしょうけどね。
いろんな話を総合すると、そういうことが言えるような気がするんです。

男の性欲が自動的に発生するのに比べ、
女の性欲は後発的に生まれるという大きな違いはありますが、
一度その快楽を知ってしまった後では『自分の性欲を制御することが、
難しい』のは男よりもむしろ女の方なんじゃないですか!?
アフリカでそういう文化が残っているのも、実は、
こうした事情が背景にあるんじゃないかという気がするんですけどね。
ただ、男の場合と違うのは『外性器を切除しても、
生殖能力に問題はない』という点でしょうね。


例えば、もう大分昔の話になりますが『東電OL事件』というのがありましたよね。
普段、まじめに働いていたOLが殺される事件があって、警察が調べた結果、
実は夜、いかがわしい所に通っていたという事実が判明したらしいですね。
確か、それを詳しく報じた週刊誌が、人権侵害で訴えられたんでしたよね。
この事件なんかも『一度、男を知ってしまった女が、
結局、自分の性欲を制御できなくなって、トラブルに巻き込まれた』
というケースなんじゃないでしょうか。

で、最近気になるのは、自殺掲示板なんかでやたら多いリストカットなんです。
私の考えでは、これも付きあっていた男に捨てられた女が、
自分の性欲を制御できなくなった結果じゃないかと思うんですけどね。
まあ、そこまで詳しい事情を打ち明ける人は中々いませんから、
これは、まだ私の想像に過ぎないんですけどね。
でも、リストカットって、大体が少年ではなくて少女でしょ!?
この点に関して、何か思い当たる方がいらっしゃいましたら、
匿名でもなんでも、返事を頂けると大変嬉しいんですが……。

24闇夜の鮟鱇★:2004/06/18(金) 09:23 HOST:85.net061198121.t-com.ne.jp
  ★★★絶対服従の罠について★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs3.otd.co.jp/379419/bbs_plain?base=2933&range=1

2933 New Re:死にたい 2004/06/08 21:12 返信する
From:闇夜の鮟鱇 URL:http://www2.tba.t-com.ne.jp/a-z/
  >第二次世界大戦を唯一反対したのは、日本共産党です。
それがつまり『人々を騙す為の偽りの顔・ペテン』
ということなんですよ、私に言わせれば……。

  >思想については、あまりラインを引かない方が、無難ですよね…
私があんな言い方をしたので、多分『ならば、あなたの思想が、
間違ってないと、どうして断言できるんですか!?』
という反論が来るだろうと思ってました。

まあ『何が間違いで何が正しいか』には色々な観点があるでしょうが、
私が一番言いたいことは結局、人々を絶対服従させるような組織は、
駄目だということなんですよ。
例えばオーム真理教にしたって、その理想自体は美しいもんですよね。
何しろ『生きとし生けるものは全て救おう』という分けでしょ!?
でも、その運動が何故あんな犯罪を犯すことになるかと言えば、
それは結局、その構成員が自分で考えることを棚上げして、
全てを麻原に預けてしまった点に最大の問題があると思います。

共産主義の場合も、その点では全く同質なんですよね。
上が命令することには最終的に逆らえない分けでしょ!?
つまり、自分の人生を上位の誰かに丸無げしてしまう点では、
共産主義とオーム真理教は全く同じことなんです。
実際問題として、世界は無限に複雑ですからね。
当初はどんなに立派な理想から出発したとしても、常に現実を見て、
軌道修正をして行かないと、とんでもない間違いを犯すことになるんです。

結局、常に自分の頭で考えて、
最終的に自分の責任で行動するようにしないと、
決して、真実に近づくことは出来ないということなんです。
つまり、誰かに命令されて動いている限り、
その視野は明らかに限定され、操作されますから、
もはや真実を見ることは不可能ということですよ。
現代の共産主義が悪魔の道具として利用されているのも、
まさにそういう事情によるんじゃないですか。

少なくとも私は、誰かを絶対服従させようとは思ってませんからね。
私と共産主義との最も大きな違いはその点にあるだろうと思います。

208.net061198123.t-com.ne.jp

25闇夜の鮟鱇★:2004/06/27(日) 17:53 HOST:61.net219117108.t-com.ne.jp
  ★★★掲示板と恐怖感★★★

これは多分、掲示板に投稿したことのある人なら、
誰でも一度は経験があるんじゃないかと思うんですが……、
つまり、自分が投稿した後で、次の日とか暫く後に、
その掲示板を開く時、すごい恐怖感を感じませんか!?
2CHのような荒れやすい所なら尚更でしょうが、そうでなくても、
ごく普通の掲示板でも、やはりそうした恐怖感は免れないように思います。

掲示板では良く『一回だけ記入して、それっきり』という人が珍しくないですよね。
あれは結局『とにかく書き込んではみたものの怖くて開けなかった』とか、
『一応は開いてはみたものの、二度と書き込む勇気が出なかった』とか、
そういうケースが多いんじゃないでしょうかね!?
で『この恐怖感の正体は一体なんなんだ?』と私も随分前から考えていたんですが、
……最近ようやく一つの結論にたどり着きました。


例えば、皆さんの中で中学や高校の弁論大会に出たことがある人はいませんか!?
もっとも最近は、弁論大会なんて余りはやりませんかね。
ならば、学級委員とか生徒会の役員なんかになって、
大勢の人前で話す経験をした人はいるんじゃないですか?
そういう人はきっと分かると思うんですが、
ああいう風に不特定多数の人を前にしてしゃべるというのは、
ものすごく勇気がいるものなんですよね。

そういう事を何度も経験している人でも、いざ人前で話すという直前になると、
やはり、ものすごい恐怖感に襲われるのが常ではないかと思います。
少し話は変わりますが、例えば歌手が大勢の前で歌を歌う場合とか、
俳優が劇場で芝居をする場合なんかでも、彼らの話を聞く限り全く同じみたいですね。
彼らの場合は一応プロですからね、そういうことはしょっちゅうやってる分けでしょ!?
それでも実際に出演する直前ともなると、恐怖感から逃れられないみたいですね。

で、こうした恐怖感の本質は何かということなんですが、
結局『生身の自分を不特定多数の人間の目にさらす』ことに由来するように思うんです。
その点、例えばメールの場合だと、それほど恐怖感はありませんよね。
まあ未知の人に送る場合ならともかく、知り合いに送る限りは、
そういう恐怖感を感じる人は少ないだろうと思います。


その点で、最近一つ面白い経験をしたんです。
つまり、あるサイトに初めて一文を投稿したんですが、
例によって、再びそのサイトに行く時はかなりの恐怖を感じました。
ところが少し後になって、実はそこのサイト主が自己紹介の頁で、
自分の写真を公開していることに気付いたんです。
で、その写真を見た途端、なにか急に肩の力が抜けたみたいな気がしたんです。
というのも、その写真の人が全くのナイスガイという感じだったからなんですよね。

ということは結局、あの恐怖感の源が『姿が全く見えない人間』
に対する恐怖感にあったんじゃないか、と気付いた分けです。
まあ『不特定多数の前で演説や公演をする』場合なら、
『相手の姿が全く見えない』ということはないと思いますが、
それでも不特定多数が相手だと、何といっても
相手の素性が分からない点で不安が付きまとうんじゃないでしょうか。


この点から逆に言うと、結局『通常の生活で他人と付き合う場合に、
我々が相手の姿から得ている情報がいかに多いか』
ということになるんじゃないでしょうか。
つまり、その容姿や顔形から、性別・年齢を判断したり性格を予想したりして、
『この人ならきっと、こういう考え方をしてこういう反応をするんじゃないか』
と事前にかなりの予想が立つんじゃないでしょうかね!?
盲人の場合なんか、それが出来ないかもしれませんが、
その代わり、相手の声を聞くだけでも相当のことが分かるんじゃないですか!?
我々でも、性別と年齢くらいならすぐ分かりますよね。

その点、ネット社会というのは、文字が全てのわけでしょ!?
相手の姿は勿論、声すら聞こえない分けですから、これは
そうとう特殊な人間関係と言っていいんじゃないでしょうか。
その意味では『自分のサイトへの投稿が少ない』とか悩んでいる人は、
『あえて自分の姿をさらす』というのも一つの手かもしれませんよね。
無論、ネット以前の現実社会でも、これだけ欲望と悪意が氾濫してる分けですから、
『それをやる場合、一定の危険が伴う』という覚悟は必要でしょうけどね。
実を言うと、私の場合も姿を公開したいのは山々なんですけどね……
色々と複雑な事情がありましてね。
ですから、もしやるとしても、まだかなり先の話になるような気がします。(^^;)

26闇夜の鮟鱇★:2004/08/08(日) 11:33 HOST:143.net219117109.t-com.ne.jp
  ★★★幼虫移行症について★★★
(以下は、私がよその掲示板に書いた内容の再録です。)
http://bbs3.otd.co.jp/379419/bbs_plain?base=3287&range=1

3287 New Re:砒素で寄生虫は死ぬの? 2004/08/05 09:33 返信する
From:闇夜の鮟鱇 URL:http://www2.tba.t-com.ne.jp/a-z/
幼虫移行症って恐い病気なんですね。
  http://www3.johac.rofuku.go.jp/infection/parasite/larva.html
  http://idsc.nih.go.jp/kansen/k02_g2/k02_42/k02_42.html
何かの生食とかペットとの接触で感染するらしいけど、繁殖はしないみたいですよ。
要するに、他の動物の寄生虫で人体内では(エイリアンみたいに)繁殖できないから、
幼虫のまま死ぬまで這いずりまわるらしいですね。
運悪く変な所に侵入されればお陀仏だし、
運が良ければその前に虫が死ぬということでしょうね。

今の西洋医学では、ほとんど手の打ちようがないみたいですが……
もし私がかかったら、多分いわゆる東洋医学に頼って、
全身の抵抗力を高めるような治療を試みるでしょうね。
無論、普段の生活も、なるべく無理をしないようにして、
肉体的な消耗を避けるのが利口だろうと思います。
ご参考までに、これは東洋医学に関して私が少し前に見つけた情報です。
  http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/3729/1070068634/9

216.net061198124.t-com.ne.jp

27ナスネダ:2004/11/01(月) 17:59 HOST:ZQ221024.ppp.dion.ne.jp
少し 拝見していましたら 中々 学ぶ事も多いようなので
長い時間をかけて 拝見するつもりです。

28闇夜の鮟鱇★:2004/11/01(月) 19:03 HOST:145.net220148224.t-com.ne.jp
  >>27 長い時間をかけて 拝見するつもりです。
沢山期待して、お待ちしております。(^^;)

それから『ナスダネゴニャ』っていうロシア語の意味、
もしよろしければ、次回のついでで結構ですから、ぜひ教えて下さい。
例の自殺掲示板でも、どこかで答えていらっしゃったような気がしますが、
あの掲示板はログを検索するのが大変なんですよね。(^^;)

29闇夜の鮟鱇★:2005/03/28(月) 10:59:51 HOST:56.net220148175.t-com.ne.jp
  ●●●『あいのり』と若さの関係●●●

この番組は、よそでもちょこっと引用したことがあるんですが、
最近のTVの中で私が唯一、毎週録画して見ている番組なんですよね。
  http://bbs3.otd.co.jp/379419/bbs_plain?base=1528&range=1
で、何が面白いのかというと、一つにはその貧乏旅行でしょうね。
既に色々書いてますけど、私も似たような貧乏旅行をした経験がありまして、
その中で行きはぐったインドやブラジルには未だに未練があるんです。(^^;)

もう一つは、この番組のテーマであるところの男女の恋愛のありようですね。
『男と女は一体どういう風にして、くっついたり離れたりするものか』
ということが、自分の乏しい経験だけでは十分に分からないんですよね。
その意味では、ドラマを見るという手もありますけど……
ドラマの場合は、あくまでも脚本家の主観による作り物ですからね。
実際問題としても嘘臭い展開が多過ぎるし、全く気に入らないというか、
信頼するに値しないということを痛感した分けです。(^^;)

ただ『あいのり』もTV番組である以上は、
ある程度の脚色というか、演出は避けられないでしょうね。
その上『意図された演出』とは別次元の問題として、
『全国放送で全てが衆人環視の元に行われる』という要因が大きいですよね。
つまり、参加者の一挙手一投足がテレビで公開されている以上、
ここでは、うっかりいい加減な行動は取れない分けですね。
それは、一方では『ええかっこしい』みたいな、きれいごとにもなりますが、
女性側からすると、うっかり騙される心配がないのが大きな利点ですよね。


例えば、最近は良く知りませんが一時期、
これをまねた企画をネットなんかで募集していたことがありましたよね。
その場合、最大の問題は『それが衆人環視にさらされていない』
ということにあるんじゃないでしょうか。

つまり、たとえ誰かがどんなに悪質な振る舞いをしても、
それをチェックする第三者の目がない分けですから、
参加者はそれに対する警戒心を持たざるを得ないし、
その結果として、恋愛ドラマの進み方自体が、
テレビの場合とは本質的に違って来るはずなんですね。
その意味で、そうした『ものまね企画』は結果的に、
余りうまく行かなかったんじゃないかという気がするんです。

ただ、そうした問題を差し引いても、
この番組の内容は、基本的に生のドキュメンタリに近いですからね、
ドラマなんかに比べたら、遥かに得ることが多いんですよね。
他方では、実に多種多様なタイプの男女が出て来て、
様々な恋愛の様相を見せてくれますから、
その意味でも色々と興味が尽きないように思います。
(続く)

30闇夜の鮟鱇★:2005/03/28(月) 11:02:21 HOST:56.net220148175.t-com.ne.jp
(続き)
で、実はそうした中で、前々から一つ気になっていたことがあるんです。
というのは、もう大分前のことですが、この番組のヒットにあやかって、
似たような企画を中年男女でやったことがあるんですよね。
つまり今度は、あいのりと似たワゴン車で、
日本国内を旅行するというシリーズだったんですが……
その内容ときたら、まるで昼のワイドショーという感じで、
その落差の激しさが、ほとんど衝撃的に感じられたんです。

ですから、その時以来『少し年齢がずれただけで、
どうしてこんなに差がでるのか』と考え込んでしまったんですよね。
先ず考えたのは、国内旅行と国外旅行の差ということですが……
それは余り関係ないんじゃないでしょうか。
国内旅行は、確かにカルチャーショックがない分、
全体にぬるま湯のようになりがちではあるでしょうけどね。
それだけでは、あの大きな落差は説明できないような気がしました。

むしろ本当の差は『中年男女の場合、過去に多くの人生経験を経て、
酸いも甘いも知り尽くしている』という点にあるんじゃないでしょうか。
実際問題としても『離婚経験者で、しかも子供がいる』
ということが珍しくない分けで、既に生活の臭いがプンプンする分けです。
ですから、これから恋愛するという段になっても、
すぐに金の問題とか生活の問題が顔を出して来て、
それでどうしようもなく、昼のワイドショー的になる分けですよね。


それに比べ、本物の『あいのり』の方は何が違うのかというと、
第一に、若さに伴う未熟さということがありますよね。
そこから生じる様々な試行錯誤の苦しさを見せられて、多くの視聴者は、
自分の青春時代の『せつなさ』をそこに重ね合わせるんだろうと思います。
無論、ここで試行錯誤という場合には、男女関係への戸惑い以外に、
初めての外国で遭遇する未知の文化に対する試行錯誤が加わる分けですね。
貧乏旅行であるが故に、そうしたカルチャーショックは、
ますます生のままで、のしかかって来るんだろうと思います。

第二に見逃せないのは、やはり『若さ=可能性』ということですね。
もう大体、人生航路が決まってしまった中年男女に比べると、
彼らは、まだ海の物とも山の物ともつかないというか、
大化けする可能性を秘めている分けですからね。
もっとも実際には、それほどの天才が出現する可能性は低いでしょうけど、
でも、少なくとも言えるのは、ほんの短い旅の間に、
どんどん変わって行く人が少なくないというか……
むしろ、変わらない奴はほとんどいませんよね。

それは『参加当初の写真と終わり頃の写真とを比べると、
面構えが全く違っている』ということからも良く分かると思うんです。
その意味で、この番組のもう一つの面白さは、単なる恋愛ということを越えて、
『若者の挫折と成長のドラマを生のまま見られる』という点にあると思います。
結局まとめると、衆人環視の貧乏旅行における恋愛模様が一方にあり、
そこに、若さに伴う未熟さから来る挫折と試行錯誤とが加わって、
見応えのある人間の成長ドラマになっているということではないでしょうか。
その意味で、やはり中年版あいのりは及びも付かないんでしょうね。

31ナスネダゴニャ:2005/04/20(水) 05:02:03 HOST:ZH080233.ppp.dion.ne.jp
私の 暴力的な言葉に対し 何時も 丁寧なお返事有難う御座います。
私の操作 という言葉は 理性ということに直結していますので、
そこら辺の感情の翻訳を間違えたみたいです。
私は人間としゃべるのには酷く疲れるんです 
まずその人の持っている価値観を自分なりに
図ることからはじめ 見えない規則を見つけ出し ルールの上で
自分の要求するような言葉を他人から上手く引き出すこと、
 多分これだけ言えば 一目十行な彼方なら私のことが分かるでしょうし

ロボットとはよくおっしゃいますが、そうと知らない人 知りたくない人
そうされているのが楽な人 対外の民衆は自分の生活以外のことは考えない
というのが常だそうですから、そういう 方面の人たちからしたらロボットでいたほうが
楽が出来るし 金が入るので 歪んで言えば それこそが正義で常識だ
という人が多いのではないでしょうか ムシロ 明かりを照らし、それの詳細
正体を見ることこそが 悪であると 捕らえる人が多いのではないか
と思ったり ウーン お馬鹿さんなので なんとなく私は
合点が外れているような気がしますが...

ナスネダゴニャ とはTATUの曲にあります
ロシア語では ダグナーチ =理解する という意味に
ニャット が付いて 理解をしない という意味で使っているそうですが
直訳すると ”「追いつけない」 「捕まらない」だそうな
( 理解されない 理解をしようとはしない
関心を示さない 他人と物事を共有することをしない  
自分の足場のみで顔を上げない) ”
ということを 「追いつけない」を繰り返すことで
いくつにも 受け取ることが出来ます。
TATUの歌は 解釈を聞くほうに任せているので、押し付け が無い分
私にとって 心から 自由に口づさむことの出来る歌です。

政治について書いてあるような詩もあって、私は大好きです。
こっから下は、暇がなかったら とばしてください、

ピエロたち/クローウヌィ」
  作詞:ヴァレリイ・ポリエンコ
  作曲:E・クリーツィン


私を頼りなさい
私を頼りなさい
私を頼りなさい

いつものともし火が
消えて失せると
ただランプのみが無関心に
揺れてゐるだけだ

どんな考へも余計で
無駄で 陳腐であり
浮世ばなれしたものだ
ぜんまいじかけのピエロたちよ

ぜんまいじかけのピエロたち
青ざめて、紅潮した
ぜんまいじかけのピエロたち
どんな言葉も虚しい

私を頼るがよい、そして
新しく目覚めるのだ
力に満ちて目覚めるのだ
私だけを頼りなさい

私を頼りなさい

青ざめて、紅潮し
ばらばらで、虚しい
紅潮して、青ざめた
全く力のない者たち

きはめて陳腐で
きはめて古臭い
心動かさぬ操り人形たち
ぜんまいじかけのピエロたち

四方では四人ともみな左を向き
そして五番目にもピエロたちだ
ぎこちない人形たちだ

私を頼るがよい、そして
新しく目覚めるのだ
力に満ちて目覚めるのだ
私だけを頼りなさい

私を頼りなさい

                       おじゃましました。ナスネダ

32闇夜の鮟鱇★:2005/04/21(木) 11:54:32 HOST:80.net220148239.t-com.ne.jp
  >ナスネダゴニャ とはTATUの曲にあります
  >直訳すると ”「追いつけない」 「捕まらない」だそうな
なるほどね、TATUの歌が元ネタだったんですか。
良く分かりました、どうもありがとう。

33闇夜の鮟鱇★:2006/01/31(火) 12:01:22 HOST:118.net220148237.t-com.ne.jp
  ●●●最近聞いた笑い話(^^;)●●●

マフィアのボスが臨終の床に最愛の孫を呼んで言った。
ボス『形見として私が大切にしている拳銃をお前にやろと思うがどうか。』
孫『お爺さん、それならむしろローレックスの時計にして下さい。』
ボス『孫よ、お前はまだ何も分かっていないな。
お前はこれから沢山の金を稼ぎ、大きな家を建てるだろう。
そうしたら、美人の嫁さんをもらって、可愛い子供も沢山出来るだろう。
そしてある日、仕事から帰って来ると、
美人の嫁さんは見知らぬ男を連れ込んでいるかもしれない。
その時、お前はローレックスの時計を見て、
「さあ、そろそろ時間ですよ」と言うのか!?』

60闇夜の鮟鱇★:2006/07/06(木) 12:41:54 HOST:85.net220148173.t-com.ne.jp
  ●●●MXTVで聞いたジョーク●●●

入院中、ひまにあかせて色々なTVを見ていたんですが、
ひとつ面白いジョークを聞いたので、またまたご紹介します。
何と言っても、笑いは『副作用のない最上の薬』ですからね。(*^^)v
  夏やせと ひとに答えて ほろりと涙 捨てられましたと 言えもせず
  夏やせと ひとに答えて ほろりと涙 うつされましたと 言えもせず

これは、いわゆる都々逸(どどいつ)という奴ですが、
上段が元歌、下段がそのパロディですよね。
『最近は、色々と怖い病気もはやっているようですから、皆さんも、
うっかりうつされないように注意しましょう』というお話でした。(^^;)

MXTVというのは東京ローカルのUHF局で、日曜の朝6時から、
『談志・陳平の言いたい放題』という番組をやってたんですね。
  http://www.mxtv.co.jp/danchin/060628_index.html
例の自殺掲示板と同じ名前である点は、なにやら謀略臭もしますが……。
さっきの都々逸も、この番組の中で談志が紹介していたんですが、
その時の談志がなんと『ビン・ラディンの顔入りTシャツ』
を着ていたのには思わず笑っちゃいました。


皆さん御存じかどうか知りませんけど、例の911テロの直後に、
談志は『愉快・痛快』と一人ではしゃいでたんですよね。
  「ぎゅーん、どかーん! 気持ちいいったらなかったねエ。
  TVは楽しい、酒は上手い。やりゃあがったねエ」。
その時のビデオ画像が、まだネットでは流通してるようです。
  http://kodansha.cplaza.ne.jp/hottopics/danshi/index.html
  http://kodansha.cplaza.ne.jp/danshi/kodan/vol108/index.html
  http://kodansha.cplaza.ne.jp/danshi/kodan/vol108/danshi108.asx

でも、いくらなんでも何千人も死んだ事件ですし、
日本国内にも被害者はいたわけですからね。
『幾らお笑い芸人とは言え、言って良いことと悪いことがあるんじゃないか』
と私なんか思いましたが……この件で顰蹙(ひんしゅく)をかって、
談志はもう干されているんじゃないかと思ってたら、
あにはからんや、まだ健在だったという分けですね。(^^;)

そんなら、小泉首相もプレスリーの館でブッシュにゴマなんかすってないで、
この時の談志のビデオをプレゼントしてやれば、男が上がっただろうし、
もう『ブッシュのプードル』なんて言われなくても済んだのに……
なんて考えるのは、私だけの『真夏の夜の夢』なんでしょうか。

67闇夜の鮟鱇★:2008/11/23(日) 12:08:09 HOST:54.net059086085.t-com.ne.jp
¥¥¥¥¥¥ 書き込み大賞の詳細 ¥¥¥¥¥¥

万有サロンの社会的認知度を上げ、かつアクセス数を増やす為、
このほど『書き込み大賞』をとり行うことになりました。
その第一回分の細則は以下の通りです。

  1)最優秀書き込み賞
  ――1人
  2)賞金
  ――1万円
  3)評価対象となる書き込み
  ――万有サロンのスレッドに、下記の日付で書き込まれた全ての文章。
  ――但し『ゴミ溜め』と『trash box』への書き込み、
    及び、私がそこに移動した書き込みは除外されます。
  ――また今回は、書き込み内容を日本語に限定するので、
    『GuestBook』への書き込みも対象外とします。
  4)実施期間
  ――本日2008年11月23日より、2009年3月31日まで。
  ――但し、書き込んだスレッド内に表示される日付が基準となります。
   (2009年3月31日の23時59分に投稿しても、日付が翌日になれば駄目。)
  5)参加資格
  ――日本国内の銀行や郵便局から振込可能な口座をお持ちの方。
    (海外送金はいたしません。)
  ――年齢・性別・居住地・国籍などは一切、問いません。
  6)賞金受け取りの手順
  ――選考結果は、来年の四月上旬に、このスレッド(無差別級)と、
    万有サロンの先頭(『簡単な使い方(1)』の上段)で発表します。
  ――選ばれた方は、入金に必要な口座情報を、
    以下の宛て先にメールでお知らせ下さい。
    aaa-zzz@tba.t-com.ne.jp
  ――口座が分かり次第、振込手数料は私持ちで賞金1万円を振り込みます。

(参考情報)
書き込みへの評価は、あくまで私の独断と偏見によりますが、
『万有サロンの社会的認知度とアクセス数の増加』が主眼なので、
その主旨に沿った書き込みをした人が、有利になるのは当然です。
万有サロンの内容をどれだけ深く理解しているか、も問われると思います。

期間内に同一人物が何度、書き込んでもかまいませんが、不愉快な記入や、
スレッドの主旨と無関係な記入は、いつもの基準でゴミ溜めに移動します。
ひとつの書き込みが一回分の文字数上限(約4000バイト)を超す場合は、
私のように(1/3)(2/3)……などと続けて書き込んでもかまいませんが、
選考対象は、あくまで一回分の書き込みとします。

ただ、同じ人物による複数回の書き込みがあった場合、
それら全体の寄与度が考慮される可能性はあると思います。
何しろ、今回は初めての試みで、想定外の事態も予想されるので、
最終的には『私の独断と偏見による選考』としたいと思います。
ハッキリしている事は、私が突然死しない限り、(^^;)
条件に合う書き込みをした人一人に、一万円が渡るということです。


これは一つのヒントですが『今まで、私があちこちに書き散らした、
謀略説』をまとめる余裕がなくて困っているので、
それをうまく整理してくれると、かなり評価が高くなると思います。
もっとも、あくまで『うまく整理』できた場合の話ですからね、
これはちょっと、ハードルの高すぎる注文かもしれません。(^^;)
もっと気軽に書き込んでくれてかまいません。

他方、書き込み大賞の第二回以降については今の所、未定ですが、
もし第一回がうまく行った場合、第二回・第三回と続く可能性があります。
本当は賞金額をもっと多くできると良かったんですが、
これだけ株が下がって、私も相当ダメージを受けていますからね。(-_-;)
まあ今回の所はこんなもので、いかがでしょうか。

¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥

68闇夜の鮟鱇★:2008/12/07(日) 13:33:07 HOST:72.net059086080.t-com.ne.jp
¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥

  ●●●ホンダの株主優待券を差し上げます●●●(1/2)

これは、書き込み大賞の関連という分けでもないんですが、実は、
使わない株主優待券が余っているので、欲しい人に提供します。(^^;)
  ホンダの株主優待券
  http://www.honda.co.jp/investors/stockholder/?size=1#compliment
この優待券では、鈴鹿サーキット・ツインリンクもてぎ・多摩テックで、
本人と同伴者の計五名までが様々なサービスの割引を受けられます。
また、優待券の使用期限は2009年07月10日となっています。

条件は、書き込み大賞でも説明した条件に合う書き込みをすることですが、
今回は『早い者勝ち』ということにします。
その場合、この『無差別級』では、
原則的に何を書いても構わない分けですから、
『優待券くれーーー』でも良いことになりますね。(^^;)

当選は、ここで発表するので、それを見たら、
メールで送り先の住所を通知してくれれば、
普通郵便ですが、送料は私持ちで送る予定です。
その場合、第二の条件として、送った品が届いた時に、
『届いたよ』とここに書き込める人に限定したいと思います。
届いたかどうかが分からないと私自身、不安ですし、
『私が嘘を言っている』とかんぐる人もいるでしょうからね。


因みに、この優待券は自分で使わなくとも、
ヤフオクに持ち込めば多分、千円前後で売れると思います。
  http://search.auctions.yahoo.co.jp/jp/search/auc?p=%A5%DB%A5%F3%A5%C0%B3%F4%BC%E7%CD%A5%C2%D4%B7%F4&auccat=0&alocale=0jp&acc=jp
実を言うと、以前には何でも自分で出品していたんですけどね、
最近は色々と忙し過ぎて暇がないので、捨てていたのでした。

それから、この際ヤフオクについて簡単に紹介しておきましょうかね。
あのう、私みたいに『物を捨てるのが苦手』という人にとっては、
このヤフオクというのは、中々利用価値が高いだろうと思います。
というのも『もう不用になったが、もったいなくて捨てられない』
という品がある場合、ヤフオクに持ち込むと、
誰かが使ってくれるという以上に、結構な値段で売れるからです。

何故なら、ヤフオクというのは何と言っても売り手市場なんですね。
例えば、あなたが何かを質屋に持っていくとするでしょ!?
そうすると、質屋はあなたから安く勝った品物を、
第三者により高い値段で売って儲けを得る分けですね。
で、ヤフオクでの相場が質屋の買値と売値のどちらに近いかというと、
これは間違いなく、売値の方に近いんです。


結局、出品というのは何かと手間がかかるので、
どうしても出品者より、落札者の方が多くなるんでしょうね。
例えば、これは私が実際に経験したことですが、
以前に東武動物公園の優待券を手に入れた時、
金券屋に電話を入れて、幾らで買うか聞いたんですね。

すると、その時は300円とか言われたんですが、暫くして、
実際に持ち込んでみると『その優待券は必要なだけ集まったから、
もういらない』とか言われてしまったんですね。(-_-;)
念の為、店頭でその優待券の売値を見ると600円でした。
この差額が金券屋の儲けという分けですね。

でその後、仕方なくヤフオクに持ち込んだ所、
これが何と、1500円で売れたのでした。(*^^)v
実は、金券屋では、東武動物公園の優待券だけ買うと言われたんですが、
ヤフオクでは、その他の部分にも値段がついたようですね。
というのも、この東武鉄道の株主優待券には、
デパートやホテルの割引券などが色々付属していたからなんです。

69闇夜の鮟鱇★:2008/12/07(日) 13:35:35 HOST:72.net059086080.t-com.ne.jp
  ●●●ホンダの株主優待券を差し上げます●●●(2/2)

或いは、もっと賢い別のやり方として、
『宝石とかブランド品の洋服やバッグなどは、
ヤフオクで買ってしばらく使い、飽きたらまたヤフオクで売る』
なんていう手があって、これだと只同然で品物を使えるそうです。

私の場合、ブランド品には全く興味がないので、
実際にやったことはありませんが、この場合、
偽物をつかまされる危険があるので、少し注意が必要でしょうね。
つまり『買う時は本物の値段、売る時は偽物の値段』
ということでは当然、割に合わないですからね。(^^;)

最後に、ヤフオク出品のこつを少し伝授しておきましょうかね。
出品登録では、自分で品物の説明文を作る必要がありますが、
先ず、検索に引っ掛かり易い単語を、沢山並べることです。
ヤフオクにはオークション・アラートというシステムがあって、
そこの検索では、この説明文の全体を検索するみたいですからね。
その意味で、説明文はなるべく詳しく書いた方が、
検索に掛かり易くなると思います。


もう一つのこつとしては、1円スタートとすることですね。
というのも、ヤフオクの画面内検索で安い順の表示をやると、
何と言っても1円のものが先頭に出るからなんです。
たとえ1円スタートにしても、優待券みたいなものは、
私の経験では、その相場を割ることは先ずないようですね。

ブランド品や宝石みたいに一定のコストがかかっている場合、
本当に1円で落札される危険もありますから、やめた方が無難ですが、
不用品の処分なら、たとえ1円でも惜しくはないでしょ!?
何しろ、一件も入札がないと繰り返し出品する手間が面倒ですが、
1円スタートだと目に付き易いので大体、一発で片が付きます。

他方、説明文を入れる時の注意ですが、一応、
HTMLコードの基礎知識があった方が良い分けですね。
先ず、文章の各行の末尾には、必ず『<br>』という改行記号を入れます。
そうしないと、改行が無視されてひどく読みにくくなります。
他に、太文字『<b>文字列</b>』、斜体文字『<i>文字列</i>』、
下線つき文字『<u>文字列</u>』なども使えます。


更に、文字を赤色にしたい時は『<font color=red>文字列</font>』、
文字を大きくしたい時は『<font size=5>文字列</font>』、
などとしますが、使える文字サイズは最小1から最大7までです。
ひとつ例を上げると、例えば一行を次のように書く分けですね。
  ここが<font color=red>大切</font>な所です。<br>
この例のように字下げ(行頭の空白)を入れたい時は、
半角の空白は無視されるので、全角の空白を入れる必要があります。

それから、背景の色を変えたい場合は、表形式を使う分けですが、
文章全体の先頭行と末尾行に、次のように書けばOKです。
  <table width=100% height=100% border=0 bgcolor=#0000FF><tr><td>
  ……………………………………………
  ……………………………………………
  ……………………………………………
  </td></tr></table>
ここで『#0000FF』というのは青を示す色コードですが、
好きな色コードを捜すには、このサイトが便利でしょうね。
  http://uic.to/support/topic/cgi/color.html
  色見本

もうひとつ、ヤフオクではデジカメ写真の使用も定番ですけどね。
ただ、これまた優待券に限った話ですが、入札参加者の間では、
その素性が知れ渡っていて、相場もほぼ決まっていますから、
写真無しでも、それほど不利にはならないだろうと思います。
それから、ネット・オークションを本格的にやりたいという人には、
こんなサイトが役に立つかもしれませんね。
  http://www.auclinks.com/
  [おーくりんくす] 無料☆オークション便利ツール/商品説明テンプ

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70闇夜の鮟鱇★:2009/01/15(木) 10:59:27 HOST:237.net059086083.t-com.ne.jp
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  ●●●ダイエーと商船三井の株主優待券を差し上げます●●●

ホンダの優待券にはまだ、希望者が現れないようですが……『はした金で、
自分の住所をさらす危険は犯したくない』という分けでしょうかね。(^^;)
まあ、このサイトを見る人がまだまだ少な過ぎることも一因なんでしょう。
で、実は他にも色々優待券があるので、
この際ついでに、それらも提供することにしました。

本当なら、こういう話はもっと早く書くべきなんですが……
何しろ私も色々忙しくて、ついつい後回しになってしまうんですよね。
一つ目は商船三井のクルーズ優待券という奴で、今年一杯有効ですが、
各種のクルーズが一割引き(一部は3%引き)になるそうです。
  http://search5.auctions.yahoo.co.jp/jp/search/auc?p=%BE%A6%C1%A5%BB%B0%B0%E6+%A5%AF%A5%EB%A1%BC%A5%BA%CD%A5%C2%D4%B7%F4&amp;auccat=2084043920&amp;alocale=0jp&amp;acc=jp
まあ、これはヤフオクでもせいぜい200〜300円程度の代物なので、
大した価値はないかもしれません。

もう一つはダイエーの優待カードですが、
これはダイエーの店舗が近くにある人にとっては、
それなりの価値があるんじゃないでしょうか。
ヤフオクでも、4〜5000円の値が付くようですしね。
  http://search5.auctions.yahoo.co.jp/jp/search/auc?p=%A5%C0%A5%A4%A5%A8%A1%BC+%B3%F4%BC%E7%CD%A5%C2%D4&amp;auccat=2084043920


まあ、ヤフオクで売るともなると、色々と手間がかかりますが、
時間と余裕がある人にとっては、ちょっとした小遣い稼ぎにはなるでしょうね。
このカードは一応、譲渡禁止ということになっているようですが、
ヤフオクの様子を見ても、カード裏面の欄に自分の名前を書いてしまえば、
それ以上は、余り詮索されることはないんじゃないかと思います。
その辺の詳しいことは、私も良く知りませんが……。(^^;)

因みに、このカード自体に有効期限はありませんが、
私がダイエーの株を売ると、暫く後で無効になります。
現時点で確実に使えるのは、2009年5月31日までですが、
総額100万円までの買い物について、5%の割り引きを受けられます。
ですから、最高で5万円の得をする分けですね。(^^;)

今年2月末まで株を持っていると、期限が2009年11月30日まで伸びて、
その半年の間に、また総額100万円までの優待を受けられるようです。
実際にいつ売るかは、株価の動きにもよるので私にも分かりません。
すぐに売ってしまう可能性もあるし、ひょっとすると、
更に数年持っている可能性もある、ということですね。(^^;)
まあ売った時には一応、ここで報告するつもりですけどね。


それから、実際にヤフオクをやっている人の場合など、
優待券を三つとも欲しい、という欲張りな人もいると思いますが……
この際、うるさいことは言わず、それもOKということにします。
まあ、私の方も発送する手間が省けますしね。(^^;)
その意味で、どの優待券が欲しいかを明示して下さい。
当選者の選定は、ホンダの優待券の所で書いたのと同じです。

最後に、少し先回りして当選後の手順に関してですが、
これは『書き込み大賞』も含めて、次のようにしたいと思います。
先ず、当選者の発表後は、所要のデータを私あてにメールで送る分けですが、
その場合、メールの末尾に必ず一つ、適当な合言葉を書いておいて下さい。
そして、メール送信から1時間以上たったら、
このサイトにメールの送信時刻と合言葉を一緒に書き込んで下さい。

後から合言葉を知っても、時刻を逆上ってメールは送れませんから、
これで、偽物による成りすましは防げますよね!?
こうして確認してからでないと、偽メールに引っかかる心配があるので、
私もうっかり郵送や送金をできない分けです。(^^;)
後は皆さんがここへ書き込む時に、例のトリップを使えば完璧でしょうね
トリップについては『簡単な使い方(1)』に書いた通りです。

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71闇夜の鮟鱇★:2009/01/20(火) 13:32:40 HOST:252.net059086091.t-com.ne.jp
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  ●●●平和不動産の株主優待券を差し上げます●●●

実は、株主優待券がもう一つあったのを、うっかり忘れていました。(^^;)
  http://www.priceman.jp/cid97953/d/4655495.html
これはホテルの割引券なんですが、以前にヤフオクで売って600円位でした。
こういうものは貰った後、なるべく早めに出品しないと、
期限が近づくと共に、どんどん相場が下がってしまうようですね。
まあ当然と言えば当然ですが、ヤフオクも中々うまく出来ているようです。
因みに、今回も先ずヤフオク内を探したんですが……
たまたま該当データが無くて、代りにこのサイトを見つけたんですね。
でも、このpricemanはオークションの相場を知るのに便利そうです。(*^^)v

ところで書き込み大賞ですが、最低あと二回はやることになりそうです。
詳細についてはまた、その時点で発表するつもりですが、今の予定では、
第二回を4月1日〜6月30日、第三回を7月1日〜9/30日として、
各々の賞金はやはり、1万円にしたいと思いますのでお楽しみに。(*^^)v
もっとも昨年に開始した第一回は、未だに一件も応募がないようですね。
これまでの記入内容は、いわゆるゴミ溜め行きばかりですからね。
まあ私も忙しくて、一々自分で宣伝して回らないせいもありますが……。

で、仮にもしこのままの状態で期限を迎えた場合、
第一回の賞金額は、そのまま第二回の賞金に上乗せされます。
となると、9/30には3万円まで積み上がる可能性もありますかね!?
それから念の為に書き添えますと、優待券に関するやりとりは、
もしあったとしても、書き込み大賞の選考対象からは、
除外したいと思いますので、あしからず。(^^;)

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72闇夜の鮟鱇★:2009/04/07(火) 10:48:00 HOST:127.net059086082.t-com.ne.jp
  ■書き込み大賞(第1R)の総括と書き込み大賞(第2R)の詳細■(1/2)

¥¥¥¥¥¥ 書き込み大賞(第1R)の総括 ¥¥¥¥¥¥

第1Rの応募者は結局、ゼロだったようですが……
まあ、ここは焦らずに、じっくり構えることにしましょう。
しかし、これだけ不況だなんだと騒いでいる最中に、
金をやると言っても、いらないという人ばかりな分けですから、
日本人はどこまでも謙虚なんでしょうかね。(^^;)
さて、そこで改めて第2Rをスタートしますが、
今回はルールが大幅に変わったので御注意下さい。

¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥



¥¥¥¥¥¥ 書き込み大賞(第2R)の詳細 ¥¥¥¥¥¥

万有サロンの社会的認知度を上げ、かつアクセス数を増やす目的で、
書き込み大賞の第2Rをスタートします。その細則は以下の通りです。

  1)賞金総額
  ――4万円
  2)優秀書き込み賞
   a)1人〜4人
   b)先ず、今回は当選について、新たな条件をもうけます。
   ――4万円ともなると、無競争でさらわれるのはしゃくですからね、
     期限内に有効な書き込みをした人が、5人以上いなかった場合、
     当選者は無しとして、賞金は次回に持ち越すことにします。
   ――その場合、どこで別人と見分けるかが自明ではないんですが……
     その点も考慮して、なるべく多めの方の参加を期待しています。
   ――よって賞金を狙う人は是非、友人も誘って書き込んで下さい。(^^;)
   c)他方では、ヤフオクの即決価格に似た仕組みを導入します。
   ――つまり『3ヶ月も待てない』という人もいると思うので、
     期限は一応もうけますが、たとえ期限前であっても、
     私が『一定のレベルを超えている』と判断した場合、
     その書き込みをした方に即時、賞金1万円を進呈します。
   d)このような期限前の賞金は、最大3回までとしますので、
    期限到来時の賞金は1万円〜4万円ということになります。
   ――つまり、一定レベルに達する書き込みがなかった場合、
     期限到来時の賞金は4万円となりますが、
     期限内に3人当選すれば、1万円まで減ってしまいます。
   e)ヤフオクの即決価格と違って基準があいまいですが……
    私をうならせるような書き込みを期待しています。(^^;)
   ――その場合、一回目より二回目、二回目より三回目と、
     当選のハードルをどんどん上げる予定ですから、
     期限前当選を狙う方は是非、早めに書き込んで下さい。
  3)評価対象となる有効な書き込み
   a)万有サロンのスレッドに、下記の日付で書き込まれた全ての文章。
   ――但し『ゴミ溜め』と『trash box』への書き込み、
     及び、私がそこに移動した書き込みは除外されます。
   b)今回は、英文の書き込みも評価対象としますので、
    『GuestBook』への書き込みも有効となります。
   ――但し、この大賞の規定について当面、英文を作る予定はないので、
     少なくとも、ここの日本語を理解できる方、又は、
     理解できる方から説明を受けた方に限られると思います。
   ――因みに、私が理解できないような難しい英文を書いても、
     結果的に評価が低くなりますので、あしからず。(^^;)
  4)実施期間
  ――2009年04月01日より、2009年6月30日まで。
  ――但し、書き込んだスレッド内に表示される日付が基準となります。
   (2009年6月30日の23時59分に投稿しても、日付が翌日になれば駄目。)

73闇夜の鮟鱇★:2009/04/07(火) 10:51:06 HOST:127.net059086082.t-com.ne.jp
  ■書き込み大賞(第1R)の総括と書き込み大賞(第2R)の詳細■(2/2)

  5)参加資格
   a)年齢・性別・職業・居住地・国籍などは一切、問いません。
   b)今回は、国内送金を含め、あらゆる合法的な送金手段に応じますが、
    振込以外の場合、送金にかかる費用は賞金から差し引きます。
   ――特に海外送金の場合、私はやり方を良く知らないので、
     実際の送金時に、その合法的な手順を教えて下さい。
  6)賞金受け取りの手順
   a)選考結果は、期限内当選の場合は随時、期限末当選の場合は、
    期限日の翌月上旬に、このスレッド(無差別級)と、
    万有サロンの先頭(『簡単な使い方(1)』の上段)で発表します。
   b)選ばれた方は、入金に必要な情報と適当な合言葉をメールに書いて、
    『aaa-zzz@tba.t-com.ne.jp』まで送信して下さい。
   c)そして、一時間以上たってから、ここ(無差別級)へ、
    メールの送信時刻と合言葉を書き込むという手順になります。
   d)それで本人と確認できた時点で、送金を実行します。

(参考情報)
書き込みへの評価は、あくまで私の独断と偏見によりますが、
『万有サロンの社会的認知度とアクセス数を上げる』ことが主眼なので、
その主旨に沿った書き込みをした方が、有利になるのは当然です。
万有サロンの内容をどれだけ深く理解しているか、も問われると思います。
期間内に同一人物が何度、書き込んでもかまいませんが、
不愉快な記入や、スレッドの主旨と無関係な記入は、
いつもの基準でゴミ溜め、又はTrashBoxに移動します。

他方、前回と違って、今回は『一回分の書き込み』だけでなく、
『連番の付いた一続きの文章』をも選考対象とします。
ひとつの書き込みが一回分の文字数上限(約4000バイト)を超す場合、
私のように(1/3)(2/3)……などと連番を付けて、
それらが一続きの文章と分かるように書き込んで下さい。

結局、一回分の文字数で書ける内容はごく限られますから、
期限内当選を目指す場合、どうしても長くなるかもしれません。
但し、長ければ評価が高くなるということは全くなくて、
だらだら長くて読みにくい文章よりは、むしろ、
簡潔で中身の濃い文章の評価が高くなると思います。


これは一つのヒントですが『今まで、私があちこちに書き散らした、
謀略説』をまとめる余裕がなくて困っているので、
それをうまく整理してくれると、かなり評価が高くなると思います。
もっとも、あくまで『うまく整理』できた場合の話ですからね、
これはちょっと、ハードルの高すぎる注文かもしれません。(^^;)
もっと気軽に書き込んでくれてかまいません。

同一人物による複数の書き込みがあった場合、
期限末当選では、それら全体の寄与度も考慮されますが、今回も、
最終的には『私の独断と偏見による選考』としたいと思います。
もし期限前当選があった場合、その当選した分の書き込みは、
期限末の評価からは除外しますが、書き込み人数には含めます。

という分けで、以上の条件を満たす書き込みをした方(1〜4人)には、
私が突然死しない限り、総額四万円の賞金が渡ることになります。
最後にひとつお断り。優待券を差し上げると何度か書きましたが、
その内、ダイエーカードについては、取り消させていただきます。
というのも、その後の調べで、このカードから、
私の個人情報がもれる危険がある、と分かったからです。

¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥

74闇夜の鮟鱇★:2009/07/05(日) 13:28:28 HOST:154.net220148116.t-com.ne.jp
  ■書き込み大賞(第2R)の総括と書き込み大賞(第3R)の詳細■(1/2)

¥¥¥¥¥¥ 書き込み大賞(第2R)の総括 ¥¥¥¥¥¥

第1Rに続き、第2Rの応募者も実質ゼロで、いよいよ第3Rのスタートです。
まあ、やつらも必死で、大不況の次は豚流感という分けですからね、
次は何か、大事故か大災害でも仕組んで来るんでしょうか。(-_-;)
因みに、第3Rのルールは賞金が上がったこと以外、第2Rとほぼ同じです。

¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥



¥¥¥¥¥¥ 書き込み大賞(第3R)の詳細 ¥¥¥¥¥¥

万有サロンの社会的認知度を上げ、かつアクセス数を増やす目的で、
書き込み大賞の第3Rをスタートします。その細則は以下の通りです。

  1)賞金総額
  ――10万円
  2)優秀書き込み賞
   a)1人〜4人
   b)先ず、今回も当選については、最低条件があります。
   ――期限内に有効な書き込みをした方が、5人以上いなかった場合、
     当選者は無しとして、賞金は次回に持ち越すことにします。
   ――その場合、どこで別人と見分けるかが自明ではないんですが、
     その点も考慮して、なるべく多めの方の参加を期待しています。
   ――よって、期限到来時の賞金を狙う方は是非、
     友人・知人を誘って書き込んで下さい。(^^;)
   c)他方、ヤフオクの即決価格に似た仕組みは今回も続行します。
   ――つまり『3ヶ月も待てない』という方がいると思うので、
     期限は一応もうけるものの、たとえ期限内であっても、
     私が『一定のレベルを超えている』と判断した場合、
     その書き込みをした方に即時、賞金2万円を進呈します。
   d)このような期限内の賞金は、最大3回までとしますので、
    期限到来時の賞金は4万円〜10万円ということになります。
   ――つまり、一定レベルに達する書き込みがなかった場合、
     期限到来時の賞金は10万円となりますが、
     期限内に3人当選すれば、4万円まで減ってしまいます。
   e)ヤフオクの即決価格と違って基準があいまいですが……
    私をうならせるような書き込みを期待しています。(^^;)
   ――その場合、一回目より二回目、二回目より三回目と、
     当選のハードルをどんどん上げる予定ですから、
     期限内当選を狙う方は是非、早めに書き込んで下さい。
  3)評価対象となる有効な書き込み
   a)万有サロンのスレッドに、下記の日付で書き込まれた全ての文章。
   ――但し『ゴミ溜め』と『trash box』への書き込み、
     及び、私がそこに移動した書き込みは除外されます。
   b)今回も、英文の書き込みを評価対象としますので、
    『GuestBook』への書き込みも有効です。
   ――その場合、私が理解できないような難しい英文を書いても、
     結果的に評価が低くなりますので、あしからず。(^^;)
  4)実施期間
  ――2009年07月01日より、2009年9月30日まで。
  ――但し、書き込んだスレッド内に表示される日付が基準となります。
   (2009年9月30日の23時59分に投稿しても、日付が翌日になれば駄目。)

75闇夜の鮟鱇★:2009/07/05(日) 13:30:33 HOST:154.net220148116.t-com.ne.jp
  ■書き込み大賞(第2R)の総括と書き込み大賞(第3R)の詳細■(2/2)

  5)参加資格
   a)年齢・性別・職業・居住地・国籍などは一切、問いません。
   b)国内送金を含め、あらゆる合法的な送金手段に応じますが、
    銀行振込以外の場合、送金にかかる費用は賞金から差し引きます。
   ――特に海外送金の場合、私はやり方を良く知らないので、
     実際の送金時に、その合法的な手順を教えて下さい。
  6)賞金受け取りの手順
   a)選考結果は、期限内当選の場合は随時、期限末当選の場合は、
    期限日の翌月上旬に、このスレッド(無差別級)と、
    万有サロンの先頭(『簡単な使い方(1)』の上段)で発表します。
   b)選ばれた方は、入金に必要な情報と適当な合言葉をメールに書いて、
    『aaa-zzz@tba.t-com.ne.jp』まで送信して下さい。
   c)そして、一時間以上たってから、ここ(無差別級)へ、
    メールの送信時刻と合言葉を書き込むという手順になります。
   d)それで本人と確認できた時点で、送金を実行します。

(参考情報)
書き込みへの評価は、あくまで私の独断と偏見によりますが、
『万有サロンの社会的認知度とアクセス数を上げる』ことが主眼なので、
その主旨に沿った書き込みをした方が、有利になるのは当然です。
万有サロンの内容をどれだけ深く理解しているか、も問われると思います。

また、今回も『連番の付いた一続きの文章』を選考対象とします。
ひとつの書き込みが一回分の文字数上限(約4000バイト)を超す場合、
私のように(1/3)(2/3)……などと連番を付けて、
それらが一続きの文章と分かるように書き込んで下さい。

結局、一回分の文字数で書ける内容はごく限られますから、
期限内当選を目指す場合、どうしても長くなるかもしれません。
但し、長ければ評価が高くなるということは全くなくて、
だらだら長くて読みにくい文章よりは、むしろ、
簡潔で中身の濃い文章の方が、評価が高くなると思います。


一つのヒントですが『今まで、私があちこちに書き散らした、
謀略説』をまとめる余裕がなくて困っているので、
それをうまく整理してくれると、かなり評価が高くなると思います。
もっとも、あくまで『うまく整理』できた場合の話ですからね、
これはちょっと、ハードルの高すぎる注文かもしれません。(^^;)
もっと気軽に書き込んでくれてかまいません。

期限内に同一人物が何度、書き込んでもかまいませんが、
不愉快な記入や、スレッドの主旨と無関係な記入は、
いつもの基準でゴミ溜め、又はTrashBoxに移動します。
また、同一人物による複数の書き込みがあった場合、
期限末当選では、それら全体の寄与度も考慮されますが、今回も、
最終的には『私の独断と偏見による選考』としたいと思います。

他方、期限内当選があった場合、その当選した分の書き込みは、
期限末の評価からは除外しますが、書き込み人数には含めます。
という分けで、以上の条件を満たす書き込みをした方(1〜4人)には、
私が突然死しない限り、総額10万円の賞金が渡ることになります。

¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥

76闇夜の鮟鱇★:2009/10/07(水) 09:50:12 HOST:188.net220148118.t-com.ne.jp
  ■書き込み大賞(第3R)の総括と書き込み大賞(第4R)の詳細■(1/2)

¥¥¥¥¥¥ 書き込み大賞(第3R)の総括 ¥¥¥¥¥¥

う〜〜ん、中々重苦しい展開ですが、奴らの粘り腰がどこまで持つか、
ちょっとした見物でしょうかね。(;^_^A
でも……『たかがネットの書き込みに10万円』というのも破格ですが、
逆に言うと『たった10万円で世界を変えられるなら、
これほど安い買い物はない』とも言える分けですからね。

ただ、誰も賞金を取りに来てくれないとなると、ちょっと困りましたね。
何が困るかと言うと、つまり私の場合、お金が余って困る分けですね。
↑↑↑↑↑こういうことを、一度は言ってみたかった!(*^^)v↑↑↑↑↑
というのも、私の場合、大抵の買い物は100円ショップで済ましますから、
幾ら使っても金が中々減らない分けなんです。

ところで、今までの展開によって『この世界が赤犬で満ちあふれている』
ということが、誰の目にも既にハッキリしたんじゃないかと思います。
その場合『自爆テロをやるような人物は赤犬ではないだろう』ということは
多分言えますし、おぎゃーと生まれたばかりの赤ん坊が赤犬でないことも、
また確実ですよね。誰も赤犬として生まれて来る人はいない分けですから。

残る問題は日本語は勿論、英語も全く理解できない人々が少なくないことと、
ネットに接続できない人が、まだまだ多いだろうということでしょうかね。
そこで、いよいよ第4ラウンドの開始ですが、今回も賞金総額が上がる一方、
実施期間が2倍になるなど、ルールが大幅に変わる点にご注意下さい。

¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥



¥¥¥¥¥¥ 書き込み大賞(第4R)の詳細 ¥¥¥¥¥¥

万有サロンの社会的認知度を上げ、かつアクセス数を増やす目的で、
書き込み大賞の第4Rをスタートします。その細則は以下の通りです。

  1)賞金総額
  ――20万円
  2)優秀書き込み賞
   a)4人〜7人
   b)先ず、今回も当選については、最低条件があります。
   ――期限内に有効な書き込みをした方が、10人以上いなかった場合、
     当選者は無しとして、賞金は次回に持ち越すことにします。
   ――その場合、どこで別人と見分けるかが自明ではないんですが、
     その点も考慮して、なるべく多めの方の参加を期待しています。
   ――よって、期限到来時の賞金を狙う方は是非、家族や親戚、更には、
     ネットや実社会の友人・知人までをも巻き込んで書き込んで下さい。
   c)他方、ヤフオクの即決価格に似た仕組みを今回も続行します。
   ――つまり『半年も待てない』という方がいると思うので、
     期限は一応もうけるものの、たとえ期限内であっても、
     私が『一定のレベルを超えている』と判断した場合、
     その書き込みをした方に即時、以下の賞金を進呈します。
   ――実は、私もネット通信の詳細については良く知らないんですが、
     ありとあらゆる意味での妨害があり得るでしょうね。
   ――その意味で、最初に書き込む人はより多くの困難に直面すると思うので、
     そのことへの努力賞も含め、今回は一人目の当選賞金を10万円、
     二人目を4万円、三人目を2万円としたいと思います。
   d)よって、期限到来時の賞金は4万円〜20万円になりますが、
    一定レベルに達する書き込みがなかった場合、今回は、
    ベスト4の方々に、それぞれ5万円の賞金を出すことにします。
   ――期限内に1人当選した場合は、残るベスト4に2.5万円づつ、
     期限内に2人当選した場合は、残るベスト4に1.5万円づつ、
     期限内に3人当選した場合は、残るベスト4に1万円づつとなります。
   ――ヤフオクの即決価格と違って期限内当選の基準はあいまいですが、
     今回も、私をうならせるような書き込みを期待しています。(^^;)

77闇夜の鮟鱇★:2009/10/07(水) 09:50:57 HOST:188.net220148118.t-com.ne.jp
  ■書き込み大賞(第3R)の総括と書き込み大賞(第4R)の詳細■(2/2)

  3)評価対象となる有効な書き込み
   a)万有サロンのスレッドに、下記の日付で書き込まれた全ての文章。
   ――但し『ゴミ溜め』と『trash box』への書き込み、
     及び、私がそこに移動した書き込みは除外されます。
   b)今回も、英文の書き込みを評価対象としますので、
    『GuestBook』への書き込みも有効です。
   ――その場合、私が理解できないような難しい英文を書いても、
     結果的に評価が低くなりますので、あしからず。(^^;)
  4)実施期間
  ――2009年10月01日より、2010年3月31日まで。
  ――但し、書き込んだスレッド内に表示される日付が基準となります。
   (2010年3月31日の23時59分に投稿しても、日付が翌日になれば駄目。)
  5)参加資格
   a)年齢・性別・職業・居住地・国籍などは一切、問いません。
   b)国内送金を含め、あらゆる合法的な送金手段に応じますが、
    銀行振込以外の場合、送金にかかる費用は賞金から差し引きます。
   ――特に海外送金の場合、私はやり方を良く知らないので、
     実際の送金時に、その合法的な手順を教えて下さい。
  6)賞金受け取りの手順
   a)選考結果は、期限内当選の場合は随時、期限末当選の場合は期限日の翌月上旬に、
    このスレッド(無差別級)と、万有サロンの先頭(『簡単な使い方(1)』の上段)で発表します。
   b)選ばれた方は、入金に必要な情報と適当な合言葉をメールに書いて、
    『aaa-zzz@tba.t-com.ne.jp』まで送信して下さい。
   c)そして、一時間以上たってから、ここ(無差別級)へ、
    メールの送信時刻と合言葉を書き込むという手順になります。
   d)それで本人と確認できた時点で、送金を実行します。

(参考情報)
書き込みへの評価は、あくまで私の独断と偏見によりますが、
『万有サロンの社会的認知度とアクセス数を上げる』ことが主眼なので、
その主旨に沿った書き込みをした方が、有利になるのは当然です。
万有サロンの内容をどれだけ深く理解しているか、も問われると思います。

また、今回も『連番の付いた一続きの文章』を選考対象とします。
ひとつの書き込みが一回分の文字数上限(約4000バイト)を超す場合、
私のように(1/3)(2/3)……などと連番を付けて、
それらが一続きの文章と分かるように書き込んで下さい。

結局、一回分の文字数で書ける内容はごく限られますから、
期限内当選を目指す場合、どうしても長くなるかもしれません。
但し、長ければ評価が高くなるということは全くなくて、
だらだら長くて読みにくい文章よりは、むしろ、
簡潔で中身の濃い文章の方が、評価が高くなると思います。


一つのヒントですが『今まで、私があちこちに書き散らした、
謀略説』をまとめる余裕がなくて困っているので、
それをうまく整理してくれると、かなり評価が高くなると思います。
もっとも、あくまで『うまく整理』できた場合の話ですからね、
これはちょっと、ハードルの高すぎる注文かもしれません。(^^;)
その意味で、もっと気軽に書き込んでくれてかまいません。

期限内に同一人物が何度、書き込んでもかまいませんが、
不愉快な記入や、スレッドの主旨と無関係な記入は、
いつもの基準でゴミ溜め、又はTrashBoxに移動します。
また、同一人物による複数の書き込みがあった場合、
期限末当選では、それら全体の寄与度も考慮しますが、今回も、
最終的には『私の独断と偏見による選考』としたいと思います。

他方、期限内当選があった場合、その当選した分の書き込みは、
期限末の評価からは除外しますが、書き込み人数には含めます。
という分けで、以上の条件を満たす書き込みをした方(4〜7人)には、
私が突然死しない限り、総額20万円の賞金が渡ることになります。

¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥

78闇夜の鮟鱇★:2010/04/03(土) 15:37:16 HOST:198.net220148124.t-com.ne.jp
  ■書き込み大賞(第4R)の総括と書き込み大賞(第5R)の詳細■(1/2)

¥¥¥¥¥¥ 書き込み大賞(第4R)の総括 ¥¥¥¥¥¥

私も色々と忙しいので、今回は手抜きすることにしました。(*^^)v
その意味で、第5Rは日付を半年ずらすこと以外、
前回と全く同じルールということにします。
よって、前回のルールを読んで分かっている人は、
今回のルールを改めて読み直す必要はありません。
ただ、日付の所を書き替えただけですからね。

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¥¥¥¥¥¥ 書き込み大賞(第5R)の詳細 ¥¥¥¥¥¥

万有サロンの社会的認知度を上げ、かつアクセス数を増やす目的で、
書き込み大賞の第5Rをスタートします。その細則は以下の通りです。

  1)賞金総額
  ――20万円
  2)優秀書き込み賞
   a)4人〜7人
   b)先ず、今回も当選については、最低条件があります。
   ――期限内に有効な書き込みをした方が、10人以上いなかった場合、
     当選者は無しとして、賞金は次回に持ち越すことにします。
   ――その場合、どこで別人と見分けるかが自明ではないんですが、
     その点も考慮して、なるべく多めの方の参加を期待しています。
   ――よって、期限到来時の賞金を狙う方は是非、家族や親戚、更には、
     ネットや実社会の友人・知人までをも巻き込んで書き込んで下さい。
   c)他方、ヤフオクの即決価格に似た仕組みを今回も続行します。
   ――つまり『半年も待てない』という方がいると思うので、
     期限は一応もうけるものの、たとえ期限内であっても、
     私が『一定のレベルを超えている』と判断した場合、
     その書き込みをした方に即時、以下の賞金を進呈します。
   ――実は、私もネット通信の詳細については良く知らないんですが、
     ありとあらゆる意味での妨害があり得るでしょうね。
   ――その意味で、最初に書き込む人はより多くの困難に直面すると思うので、
     そのことへの努力賞も含め、今回は一人目の当選賞金を10万円、
     二人目を4万円、三人目を2万円としたいと思います。
   d)よって、期限到来時の賞金は4万円〜20万円になりますが、
    一定レベルに達する書き込みがなかった場合、今回は、
    ベスト4の方々に、それぞれ5万円の賞金を出すことにします。
   ――期限内に1人当選した場合は、残るベスト4に2.5万円づつ、
     期限内に2人当選した場合は、残るベスト4に1.5万円づつ、
     期限内に3人当選した場合は、残るベスト4に1万円づつとなります。
   ――ヤフオクの即決価格と違って期限内当選の基準はあいまいですが、
     今回も、私をうならせるような書き込みを期待しています。(^^;)

79闇夜の鮟鱇★:2010/04/03(土) 15:40:43 HOST:198.net220148124.t-com.ne.jp
  ■書き込み大賞(第4R)の総括と書き込み大賞(第5R)の詳細■(2/2)

  3)評価対象となる有効な書き込み
   a)万有サロンのスレッドに、下記の日付で書き込まれた全ての文章。
   ――但し『ゴミ溜め』と『trash box』への書き込み、
     及び、私がそこに移動した書き込みは除外されます。
   b)今回も、英文の書き込みを評価対象としますので、
    『GuestBook』への書き込みも有効です。
   ――その場合、私が理解できないような難しい英文を書いても、
     結果的に評価が低くなりますので、あしからず。(^^;)
  4)実施期間
  ――2010年04月01日より、2010年09月30日まで。
  ――但し、書き込んだスレッド内に表示される日付が基準となります。
   (2010年09月30日の23時59分に投稿しても、日付が翌日になれば駄目。)
  5)参加資格
   a)年齢・性別・職業・居住地・国籍などは一切、問いません。
   b)国内送金を含め、あらゆる合法的な送金手段に応じますが、
    銀行振込以外の場合、送金にかかる費用は賞金から差し引きます。
   ――特に海外送金の場合、私はやり方を良く知らないので、
     実際の送金時に、その合法的な手順を教えて下さい。
  6)賞金受け取りの手順
   a)選考結果は、期限内当選の場合は随時、期限末当選の場合は期限日の翌月上旬に、
    このスレッド(無差別級)と、万有サロンの先頭(『簡単な使い方(1)』の上段)で発表します。
   b)選ばれた方は、入金に必要な情報と適当な合言葉をメールに書いて、
    『aaa-zzz@tba.t-com.ne.jp』まで送信して下さい。
   c)そして、一時間以上たってから、ここ(無差別級)へ、
    メールの送信時刻と合言葉を書き込むという手順になります。
   d)それで本人と確認できた時点で、送金を実行します。

(参考情報)
書き込みへの評価は、あくまで私の独断と偏見によりますが、
『万有サロンの社会的認知度とアクセス数を上げる』ことが主眼なので、
その主旨に沿った書き込みをした方が、有利になるのは当然です。
万有サロンの内容をどれだけ深く理解しているか、も問われると思います。

また、今回も『連番の付いた一続きの文章』を選考対象とします。
ひとつの書き込みが一回分の文字数上限(約4000バイト)を超す場合、
私のように(1/3)(2/3)……などと連番を付けて、
それらが一続きの文章と分かるように書き込んで下さい。

結局、一回分の文字数で書ける内容はごく限られますから、
期限内当選を目指す場合、どうしても長くなるかもしれません。
但し、長ければ評価が高くなるということは全くなくて、
だらだら長くて読みにくい文章よりは、むしろ、
簡潔で中身の濃い文章の方が、評価が高くなると思います。


一つのヒントですが『今まで、私があちこちに書き散らした、
謀略説』をまとめる余裕がなくて困っているので、
それをうまく整理してくれると、かなり評価が高くなると思います。
もっとも、あくまで『うまく整理』できた場合の話ですからね、
これはちょっと、ハードルの高すぎる注文かもしれません。(^^;)
その意味で、もっと気軽に書き込んでくれてかまいません。

期限内に同一人物が何度、書き込んでもかまいませんが、
不愉快な記入や、スレッドの主旨と無関係な記入は、
いつもの基準でゴミ溜め、又はTrashBoxに移動します。
また、同一人物による複数の書き込みがあった場合、
期限末当選では、それら全体の寄与度も考慮しますが、今回も、
最終的には『私の独断と偏見による選考』としたいと思います。

他方、期限内当選があった場合、その当選した分の書き込みは、
期限末の評価からは除外しますが、書き込み人数には含めます。
という分けで、以上の条件を満たす書き込みをした方(4〜7人)には、
私が突然死しない限り、総額20万円の賞金が渡ることになります。

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80闇夜の鮟鱇★:2010/09/23(木) 11:23:54 ID:???0
  ■書き込み大賞の詳細告知移動のお知らせ■

次回の書き込み大賞(2010年10月1日スタートの第6R)より、
大賞の詳細告知は、以下の専用スレッドで行います。
  ●●●書き込み大賞・賞金総額?万円●●●
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1285206953

81闇夜の鮟鱇★:2011/06/01(水) 11:15:05 ID:???0
  ●●●大和三山歌1200年の疑問と論争に決着をつける道●●●(1/3)

『書き込み大賞』で専用のスレッドを用意した結果として、
この無差別級のスレッドがようやく空きましたので、暫くの間、
ここを古典講読用の書き込みに使うことにしたいと思います。
で、その古典講読ですが、今年度は万葉集の講読が始まりましたね。

私の知る限り、この放送枠で万葉集を扱うの始めてのような気もしますが、
今回の講師はその話し方にメリハリが効いていて、中々の名演ですね。
今までの私の印象としては、古典の講師というのはどうしても、
眠くなるような話し方をする人が少なく無いですからね。(^^;)

さてそれで早速、本題ですが先日行われた六回目の放送では、
大和三山の歌に関して詳しく触れられていましたね。
その中で、この三山についての長歌をどう解釈するかに関し、
長い間、論争が続いている、という話が耳に残りました。


因みに、長歌というのは短歌が主流として定着する以前に、
万葉時代の日本ではやった古代詩型の一つで、575757……と続くわけですね。
  親魄に逢う蔵書
  http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/26707985.html
  香具山は 畝傍を愛しと
  耳成と 相争ひき
  神代より かくにあるらし
  古も しかにあれこそ
  うつせみも 妻を争ふらしき

ここでは『香具山と耳成山が畝傍山を巡って三角関係の争いを繰り広げる』
という大和三山を擬人化した物語が取り扱われている分けですが、
その場合『香具山と耳成山が男で、女の畝傍山を取り合う』という説と、
逆に『香具山と耳成山が女で、男の畝傍山を取り合う』という両説が、
古くからあって、論争の的となっているんだそうです。
その辺の具体的な話としては、例えばこんなサイトが参考になりますね。
  三山歌「雄男志」考
  http://www.ic.daito.ac.jp/~hiyo/soturon/WordFORM.doc

その点では他にも様々な説があるようですが、因みに、つい最近、
私が見た能の演目で『三山(みつやま)』というのがあったんですね。
そこでは何と、香具山が男で耳成山と畝傍山が女という設定でした。
その場合、香具山は最初、二人の女を愛人にして二股を掛けていたんですが、
その内、若い畝傍山にばかり通い、耳成山には行かなくなったんだそうです。


その結果、耳成山は嫉妬に狂い、池に身を投げて死ぬという展開でした。
後は、能の展開の通例として、その耳成山の女が亡霊となって現れ、
畝傍山の亡霊と女の争いを繰り広げますが、上人が霊を弔った結果、
夜明けと共に亡霊は成仏して消える、といった話だったと思います。

まあ、大和三山の三角関係の脚色は色々あり得るということでしょうかね。
で話を元に戻しますが『万葉時代の女は、その後の時代よりずっと強かった』
という観点から、民俗学者などは女性上位的な発想に立ち、ここはあくまで、
『二人の女が一人の男を取り合っている』と考えたいのかもしれません。

ただ、問題は更にあって、この長歌には二つの反歌が続く分けです。
反歌というのは有名な57577の形式で、後に独立して短歌となる分けですね。
  香具山と 耳成山と 闘(あ)ひし時 
      立ちて見に来(こ)し 印南国原(いなみくにはら)
  海神(わたつみ)の 豊旗雲(とよはたぐも)に 入日さし 
      今夜(こよい)の月夜(つくよ) あきらけくこそ

82闇夜の鮟鱇★:2011/06/01(水) 11:17:19 ID:???0
  ●●●大和三山歌1200年の疑問と論争に決着をつける道●●●(2/3)

但し、第二反歌の末尾については様々な読み方があって、
これまた混乱を極めているようです。
古典講読では、ここを『さやけかりこそ』と読んでいましたけど結局、
何が問題かというと、いわゆる万葉仮名というのが徹底していなくて、
その大半は表音文字なのに、一部では表意文字を使っている分けなんですね。

最初から全て表音文字で統一すれば、こんな混乱は起こり得ない分けですが、
今更、万葉人に苦情を言っても始まりませんかね。(^^;)
具体的にいうと、元の表現は『清明己曽』となっていて、
後半の『己曽』は表音文字で『こそ』となるのに対し、
前半の『清明』が表意文字なので、読み方が人によってまちまちな分けです。

次のサイトでは斎藤茂吉の文章を縦書きで表示していますが、
制×F3キーで検索窓を開き『とよはたぐも』を入れると詳しい解説が出ます。
あとはマウスのグリボタン(第三ボタン)で前後に流せますよね。
  万葉秀歌 斎藤茂吉
  http://www.utakura.com/textworks/manyoshuka.htm


その場合、先ず第一反歌は『播磨国風土記』という古文書にある逸話で、
『出雲の阿菩大神(あぼのおおかみ)が、大和三山の争いを仲裁しに行った所、
印南国原に差しかかる頃には争いが終わったので、その場所に鎮座した』
という言い伝えを踏んでいると解釈するのが通例のようです。

そして、第二反歌は、それだけ独立しても良く知られていますが、
例の『朝鮮半島の百済を助ける為に日本が出兵し、
唐と新羅の連合軍と戦って敗れた』という白村江の戦にあたって、
中大兄(なかのおおえのおうじ)、即ち後の天智天皇が、
出陣前の船上で詠んだというのが、今では定説になっているそうです。

問題は、先の長歌と第一反歌が大和三山の話を扱っているのに、
どうして突然、こんな海の歌が出てくるんだという点にあって、
そもそも、万葉集にこの歌を採録した人自身が理解できずに、
『二つ目の反歌は、反歌として相応しくない』とか書いている分けですね。


でも……第二反歌が出陣の歌であるとそこまで分かっているのなら、
後は素直に読めば、簡単に解決がつく問題のように私には思われます。
つまり、長歌と第一反歌に重心をおいて、
第二反歌を解釈しようとするから、分けが分からなくなる分けですね。

ここはむしろ、第二反歌に重心をおいて全体を見直せば、
三つの歌の関係は、自ずから明らかになるのではないでしょうか。
というのも、第二反歌が白村江の戦に向けて出帆する時の歌であるとすると、
最初の長歌は戦争肯定論、ないしは戦争不可避論として読めますよね。

つまり、朝鮮半島への影響力をめぐって日本と中国が争う構図を、
畝傍山を巡って香具山と耳成山が争う構図に重ねて見ている分けですね。
そして『こういう争いは昔からあったのだから、現代においても、
この戦いは不可避なんだ』と主張していると解釈できる分けです。

83闇夜の鮟鱇★:2011/06/01(水) 11:20:03 ID:???0
  ●●●大和三山歌1200年の疑問と論争に決着をつける道●●●(3/3)

とすると、第一反歌の方は『本当は誰か仲裁してくれるといいんだが……
仲裁に来てくれないかな』という密かな願望と解釈すべきでしょうね。
つまり、もう戦う前からそういう弱気な心理だった分けですから、
『この戦争は、やる前から負けると決まっていた』
と見ることも出来そうですよね。(-_-;)

ただ、当時の唐は、言うまでもなく日本より遥かに巨大な国で、
しかも、文明はずっと進んでいた国と知られていた分けでしょ!?
その大唐を敵に回して、当時の日本が戦うとなれば、
多少の迷いやためらいがない方が不思議とも言えるでしょうね。

で、仮に長歌をそうした戦争不可避論と見なす場合、
『畝傍山が男である』なんていう説は当然、却下でしょうね。
というのも、戦争をするのは大体が男と相場が決まっていますから、
ここはどうしても、男同士の香具山と耳成山が、
女である畝傍山を取り合う、と解釈する必要がある分けです。
これで長年の論争も、一件落着ではないでしょうか。(*^^)v


ところで話は更に飛びますが……この大和三山に関しては、
『天の香具山は天から降った来た』という逸話があるそうですね。
  釈日本紀に引用する伊豫国風土記逸文
  http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/21.htm
  倭に天加具山あり(やまとに あめのかぐやまあり)。
  天より天降りし時(あめより あもりしとき)、
  二つに分れて(ふたつに わかれて)
  片端は倭の国に天降り(かたはしは やまとのくにに あまくだり)
  片端はこの土に天降りき(かたはしは このくににあもりき)。
  因りて天山と謂ふ(よりて あめやまといふ)。

で、私が昔から疑っているのは、この三山が実は自然の山ではなく、
人工の山なんじゃないかということなんですね。
言い換えると、それらは有史以前の古代の大王が残した、
古墳群ではないかということなんです。

その点では、例えばエジプトでも古代の王が残したピラミッドが、
今知られている他にも色々あるんじゃないかと疑われていて、
それで大がかりなX線解析装置を砂漠に持ち込んで捜す、
という試みが行われているという話を聞きました。


ですからもし私に十分な資力があったら、
大和平野にそうしたX線解析装置を入れて、
大和三山を照射してみたいところですね。

そうしたら、内部の石棺が透視されるんじゃないかと、
私は密かに期待している分けですが……
日本古代史のロマンとして、まだまだ尽きない魅力を、
この地域は抱えているのではないでしょうか。

もっとも今、改めてwikipediaで調べてみると、耳成山に関しては、
既に『古代大君の御陵と伝わる上円下方墳』という説がある一方で、
畝傍山は『火山岩が侵食されて、その一部のみが残存した侵食地形』
とかあって、問題は思ったほど単純ではないのかもしれません。(^^;)

84闇夜の鮟鱇★:2011/07/13(水) 09:36:35 ID:???0
  ●●●宇宙の外側に何があるのか?●●●(1/4)

そろそろ夏休みということで、今回は少し高級な話をしようと思います。
もっとも、いつも話していることだって結構、高級な話なんですが、
その辺のことは、もうお分かりの方は既にお分かりですよね。(^^;)
さて、例の『ごきげんよう』の番組で小堺一機が、
宇宙の外側の話をしていたのは、確か二年前の夏頃でしたかね。

書こう書こうと思っている内に色々とゴタゴタが続いて、
とうとう、こんなに遅くなってしまいました。
その時『宇宙が丸い形をしている』とか言う話題に関して、
『ならその外側には何があるんだろう』と疑問を呈していた分けですね。
で、今回のテーマは、その場合、真の問題は何かということなんです。

その場合、何が問題かというと、本当の問題は宇宙の構造にではなく、
『そういう疑問を出す脳味噌』の方にあるんですね。(^^;)
今では既に使い古されて、手垢のついた言葉になりましたが、実は、
『パラダイムの転換』ということが、この問題の核心にある分けなんです。
別の言い方をすると『そういう疑問を出す脳味噌では、未だに、
パラダイムの転換が済んでいない』ということになります。


で、問題の出発点は『空間が歪んでいるという状況を理解することが、
我々の脳味噌では、大変に困難である』ということにあります。
でも、それは素人に限らず、専門家にしても全く同じことなんですね。
つまり、物理学者にしても数学者にしても、そうした状況を、
数学的な類推に頼って理解しているに過ぎません。

例えば平面にコンパスで半径rの円を描くと、その面積が、
πr^2になるということは、最近は中学位で知ってますかね。
(ここで『r^2』と書いたのは、rの二乗という意味です。)
そこで今、仮にサッカーボールの表面に円を描くとどうなるでしょうか。
その場合の面積がπr^2よりも小さいことは、
サッカーボールを作る工場の工員なら体験的に知っているでしょうね。
というのも、ボールを丸める過程では余った皮を切り捨てるからです。

さて、そこで次の問題として、馬の鞍の上に円を描く場合はどうでしょうか。
これまた、馬の鞍を作る工場の従業員なら自明でしょうけど、
あの形にするには、平面の皮に少し皮を継ぎ足す必要があるわけですね。
実際は、皮を継ぎ足す代りに、周囲の革を叩いて引き延ばす、
なんていう作業をやっているかもしれませんが……。


という分けで、サッカーボールのように歪んだ面では、
円の面積が平面よりも小さくなり、馬の鞍のように歪んだ面では、
円の面積が逆に平面よりも大きくなることが分かったと思います。
そこで次は、同じことを空間についても考える分けです。
今度は、空間の中にrという直径を持つ球体を作り、その体積を考えます。

そして仮に、空間も歪むことがあると仮定すると、少なくとも数学的には、
ここでもボール型に歪んだ空間と、馬の鞍型に歪んだ空間があり得ます。
その時、rという直径の球体の体積は、平らな空間と比較した場合、
ボール型の空間はより小さく、馬の鞍型の空間はより大きくなります。
問題は、我々が住んでいる実際の宇宙空間がどうなっているかなんですが、
少なくとも原理的には、これも数学的な類推から結論を導くことが出来ます。

具体的には『仮に宇宙の星が空間に一様に分布していると仮定し、
直近の空間でその密度を求めたら、ある半径の中にある星の数を数えて、
その空間の体積を推計する』という手続きを踏むと、我々の宇宙空間が、
実際、どういう歪み方をしているかが分かることになります。
なら、我々の住んでいる実際の宇宙がどうなのかという点に関しては、
まだ最終結論は出ていなかったと思います。

85闇夜の鮟鱇★:2011/07/13(水) 09:38:38 ID:???0
  ●●●宇宙の外側に何があるのか?●●●(2/4)

で、良くSFなどでは『仮にボール型の宇宙であった場合に、
同じ方向にどこまでもどこまでも真っ直ぐに進んで行くと、
いつかは元の場所に帰ってくるはずだ』なんていう話をする分けですね。
それは、たとえばサッカーボールのような二次元の面上を、
蟻が同じ方向に歩いて行くと、いつかは必ず元に戻ってくる、
ということの類推で考えれば良い分けです。

さて、そこで問題は最初に戻る分けですが、
仮に我々の宇宙が、ボール型に歪んでいたとして、
『そのボールの外には何があるんだ』という疑問が、
何故生じるかということなんですね。

それは結局、我々の感覚に深く刷り込まれた認識の仕方が問題なわけで、
『宇宙が丸い形をしている』という話を聞いた時に、
自動的に『平らな空間の中に丸い宇宙をおいて考える』
ということをしているわけですね。


つまり、平らな空間というものが実在するという無言の前提に立ってしか、
我々はものごとを考えられなくなっている、ということなんですね。
それは結局、我々が生まれてから今までに経験した空間というものが、
ほぼ完全に平らな空間だからなんですね。

ところが、宇宙というものをその巨大なスケールにおいて観察する時は、
もはや、その常識が通用せず、歪んだ空間を考える必要が生まれます。
しかし、我々は歪んだ空間を直感的に体験する機会がないから、
空間はいつでも平らなものだ、と思い込んでしまっている分けです。

でも、仮に我々の住む宇宙が歪んでいるということが事実であるなら、
もはや『平らな空間の中にボールのような宇宙を置いて考える』
ということ自体、意味がないことなんですね。
問題は、全ての存在を平らな空間の中に置いて考えようとする、
旧式な脳味噌にある分けです。


つまり、単に我々の住む宇宙が歪んだ空間なのであって、
それ以上でもそれ以下でもないというか……
宇宙と言う存在が歪んでいる以上、
その外に何があるか、と問うことは無意味なんです。

平らな空間というものは、確かに数学的にはあり得ますが、
現実にはどこにも存在しないのだということ、
よって『我々の住む宇宙の外』という概念は無意味である、
ということを理解する必要が有ります。
それが分かって始めて、我々の脳は近代物理学の世界を理解し、
パラダイムの転換を果たした、と言えることになる分けです。

(因みに、今持ち出した『数学的な平らな空間』というものは、
三次元の歪んだ宇宙をその中に置いて考える以上、
正確には四次元以上の空間を想定する必要があります。
この辺も、我々の脳味噌の直感では理解しがたいことですよね。)

86闇夜の鮟鱇★:2011/07/13(水) 09:40:54 ID:???0
  ●●●宇宙の外側に何があるのか?●●●(3/4)

実をいうと、そういう旧式な脳味噌を持っていて、
間違った考え方をする人は、一般の素人だけでなく、
偉い哲学者にもいる(いた)分けですね。
例えば、カントという哲学者は『純粋理性批判』という書物の中で、
空間というものを『先験的存在』と考えました。

つまり、彼の場合は、神の存在を信じて疑いませんから、
経験に先立って神が存在すると考える分けです。
それと同じレベルで『真っ直ぐに広がる空間』がある、
と主張する分けですが、そういう脳味噌で考えると、
当然『丸い宇宙の外側には何があるんだ』ということになりますね。

その点『我々の経験の外には何もないのだ』ということを、
イギリスの経験主義哲学では主張する分けですが、
私もそれが正しいと思います。
その意味で、平らな空間という概念にしても、
『我々がオギャアと生まれて以降、経験した全ての事象』
から生み出される仮の認識に過ぎないと言えます。


似たようなことで言うと、数学においては、
『1たす1が何故2になるのか』という問題がありますね。
これは経験に先立つ普遍的真理なんでしょうか!?
私は、これまた生まれて以来の経験の総体から生み出される、
経験則の一つに過ぎないと思います。

例えば、小学校の先生が生徒に算数を教える場合、
『林檎がここに一つあり、隣にもう一つある、
この一つとあの一つを合わせると二つの林檎になる、
だから1たす1は2だ』という教え方をしますよね。
結局、それが全てなんですね。

そうした経験を何度となく繰り返し、
膨大な記憶がわれわれの中に蓄積される中で、
『1たす1は2である』という確信が、
われわれの頭の中に生まれてくる分けです。


これは実は『数学は自然科学であるか否か』
という哲学上の大問題とも関係する分けですが、
少なくとも私の立場では『数学は間違いなく、
自然科学の一部である』ということになります。

数学が自然科学ではないと主張する人は、
結局『1たす1が2である』ということを、
経験に先立つ絶対的な真理とみなすわけですから、
カントと同じ先験主義の過ちを犯すことになりますね。
因みに『真っ直ぐに広がる空間が、
経験に先立つ宇宙のあり様である』という主張は、
歪んだ宇宙という観測的事実によって、具体的に否定されます。

例えば、ブラックホールの回りでは空間が歪むので、
星の光がレンズを通すように曲がって届くという話は、
最近のニュースではもうお馴染みですよね。
それに対し『1+1=2が経験に先立つ真理である』
という主張を否定する場合、それなら、
『1+1=2でない世界』があり得るのか、
という疑問が生じると思います。

87闇夜の鮟鱇★:2011/07/13(水) 09:43:00 ID:???0
  ●●●宇宙の外側に何があるのか?●●●(4/4)

その場合、一番考え易いのは、固体が存在しない世界ですかね。
液体と気体だけからなる世界では、一つ二つと数えること自体、
余り意味がなくなるでしょうからね。
無論、一滴二滴と数えることは出来ますが、その場合、
『一滴たす一滴は一滴』ということになりますよね。(^^;)

つまり、1+1=2という公理的な認識自体が実は、
固体のようなものが存在する世界での経験から導かれた、
一つの経験則であるということになると思います。

ところで最近、見た映画に『メトロポリス』というのがありましたが、
これは戦前のドイツ映画で、無声映画の傑作とされる作品でした。
私には、それほど大騒ぎするほどの代物とも思えなかったんですが、
実は、監督のフリッツ・ラングというのが改宗ユダヤ人だそうですから、
それで、例のユダヤびいきがあるのかもしれませんね。


ただ、この映画で私がひとつ気になったのは、
『頭と手をつなぐものは心でなければならない』という表現でした。
実は、これはこの映画の中心テーマに他ならなくて、
頭としての資本家と、手としての労働者の和解を描く物語は、
ヒットラーの受けも良かったそうです。

まあ単純に考えれば、そのテーマの意味する所は、
感覚的には、我々にも何となく分かりますよね。
つまり『資本家と労働者が対話を通じて相互理解する』
ということを『頭と手を心でつなぐ』と表現したんでしょうね。

その場合『資本家は頭、労働者は手』という単純化も、
少し引っ掛かりますが、それはともかく、我々日本人からすると、
頭・手・心という三分法が何とも不可解な感じがした分けです。
まあ、近代では日本人も肉体と精神という二分法には慣れたので、
頭(精神)と手(肉体)を対置する発想は無理なく受け入れられると思います。


でも、頭と心を対置して考えるという発想はどうなんでしょうか。
頭を理性、心を感情と言い換えれば、少しは分かり易いですが、
理性と感情は脳の二つの機能ではあっても、頭と心を、
二つの実体と見なす発想は、日本人には余り馴染みがないでしょうね。

つまり、我々の常識では脳の働きとして理性と感情の二面がある分けで、
理性(頭)と感情(心)を独立した別個の存在として把握するのは、
かなり無理があるように見えます。
実はこの映画の脚本家が、フリッツ・ラングの妻であるドイツ人なので、
ここにはドイツ的な発想が濃厚に反映されているのかもしれません。

つまり、頭・手・心という三分法がドイツ的な形而上学であるというか、
その辺の形而上学的な理解の仕方が、いかにもドイツ的という感じですね。
ヨーロッパでは、大陸の合理主義と英国の経験主義という分け方をしますが、
東洋でも大陸の中国が合理主義で、島国の日本は経験主義という二分法が、
大体は当てはまるような気がします。
この辺にはやはり、地形的な影響があるのかもしれませんね。

88闇夜の鮟鱇★:2011/07/19(火) 09:53:35 ID:???0
  ●●●放射線ホルミシス効果は天才を産むか?●●●

最近、ビデオで『カエサル −「ローマ人の物語」より−』
という演劇を見ましたが、これはローマの英雄、
ユリウス・カエサルの年代期を、ほぼ忠実に辿ったドラマでした。
でも、演劇として見た場合、それ自体は大したことがないというか……
西洋史の一つの転換点とも言えるカエサル暗殺という大事件に関し、
取り立てて新しい視点を提供してはいるようには見えませんでしたね。

で後から、古代ローマ史を改めて少しひも解いてみたわけですが、
結局、カエサルが元老院による支配を滅ぼしたことは『ある意味で、
先進的だった当時の共和制政治の、終わりの始まり』だったようですね。
つまり、ここからローマは帝政へとすべり落ちて行った分けです。
ただ……こうして共和制の起源を調べている内に、
それが始まった紀元前6世紀末という時代が、
孔子やブッダが活躍した頃と重なるという事実に気づいた分けです。

中国とインドの遠く離れた場所で、
同時期に天才が出現した偶然については、
既に、色々な人が注目していますけどね。
実はローマの共和制も、同じ頃に始まっていたとなると、
これは単なる偶然では済まないような気がした分けです。
そう、もう一人、ギリシャでピタゴラスが活躍したのも、
ほぼ同時期ですよね。


で、一つの可能性として私が思いついたのは、
ひょっとすると、当時は何らかの原因で、
地上に降り注ぐ放射線が特に多かったのではないか、ということでした。
『妊娠中に適度な放射線を浴びた母親からは、健康で頭の良い子が産まれる』
とか例の稲氏が言っていたのが、頭に引っかかっていた為かもしれません。

でも、そうした放射線によるホルミシス効果の結果として、
当時の世界では、人間の知的レベルが全体的に向上し、
ローマに共和制が出現する一方で、インドや中国においては、
孔子やブッダのような天才が出現した、と考えるのは面白い仮説ですよね。
そこから更に思い至ったのが、第二次大戦後の状況でした。

あの時代の音楽では、ビートルズに始まって、日本を含めた全世界で、
多くの天才が出現した分けですが、その後の停滞と比べると印象的ですよね。
今までの私は、あの時代の文化的興隆を『ユダヤ主義による洗脳支配が、
戦後の混乱期に一時的に緩んだ結果だろう』位に考えていた分けですね。
でも……今回の発想からすると、ひょっとしてあれもまた、
放射線のホルミシス効果によるものではないか、と気づいた分けです。


その場合、原水爆実験による放射線のピークが1960年前後なのに対し、
ポール・マッカートニーやジョン・レノンは大戦中の生まれですからね。
彼らの母親ではなく、彼ら自身がその成長期に浴びた放射線の影響が、
大きいという風に考える必要があるでしょうね。
つまり、その成長期に適度な放射線を浴びると、
ホルミシス効果によって天才が生まれ易い、と言うべきかもしれません。
で、こうなると気になるのが『紀元前6世紀末頃の自然放射線が、
本当に多かったのかどうか』ということですよね。

それを知る手がかりが何かないかと思うんですが、
良いアイデアはありませんかね。(^^;)
近年は、考古学でも『炭素14による年代測定』だの、
『標準年輪曲線による年代決定』だのと、
様々な科学的手法が編み出されていますよね。
それと同様に、過去の自然放射線の増減についても、きっと、
それを知る手がかりが、どこかにあるだろうと思うんですが……。

他方、もし放射線ホルミシス効果に関するこの仮説が正しいとすると、
ユダヤ主義がホルミシス効果をやっきになって否定する真の狙いも、
ひょっとすると、この辺にあるのかもしれませんね。
つまり、少し前には『原発反対運動を盛り上げて、
共産主義シンパをオルグする』のが狙いだろうと書きましたけどね。
むしろ、ユダヤ主義がこうしたホルミシス効果のことを知った上で、
『その効果により、世界的に人間の知的レベルが向上したり、
天才がどんどん輩出する状況が、ユダヤ支配には不都合である』
と考えている可能性も、否定できないのではないでしょうか。

89闇夜の鮟鱇★:2011/08/03(水) 11:07:26 ID:???0
  ●●●血みどろの明日香●●●(1/2)

万葉集の古典講読も、そろそろ佳境に入って来ましたが、
最近の第16回では、吉野の歌が色々と取り上げられていましたね。
その中で、天武天皇の有名な歌が出て来たんですが、
それが六皇子盟約の時に作られた、という話が少し意外でした。
  淑人乃(よきひとの)
  良跡吉見而(よしとよくみて)
  好常言師(よしといひし)
  芳野吉見与(よしのよくみよ)
  良人四来三(よきひとよくみつ)

因みに、最後の部分を『よきひとよくみ』として命令形に取り、
『現代の良き人も良く見なさい』と解釈していたのが気になりました。
私が覚えていた形だと、ここは『よきひとよくみつ』だったはずで、
歌の格からしても、それには遠く及ばない気がします。
つまり『過去の良き人は良く見たのだよ』と、
前半の内容を繰り返す方が、歌として遥かに味が出る分けですね。
近年の研究で、何か『よくみつ』を廃すべき理由が見つかったのかと思い、
ネットを色々あさってみましたが、これといったデータは出ませんでした。

ところで、天武天皇というのは、以前に引用した天智天皇の実弟で、
天智天皇の死後に即位するはずだった大友皇子に対し、
壬申の乱を仕掛けて、権力を奪取した人物である分けですね。
その彼が、自分の後継候補である6人の皇子を集めて、
『今後は争いをやめよう』と誓約させたのが、
問題の六皇子盟約であるようです。


でも……自分は武力で権力を奪取しておきながら、
自分の後継者たちには『仲良くしろ』と誓約を迫るのは、
いかにも虫の良過ぎる話のような気もしますよね。(^^;)
実際にも、彼の死後にはすぐに争いが起きてしまい、
最有力の後継者だった草壁皇子への脅威と見なされた大津皇子が、
謀叛の疑いで自殺させられる分けですね。

実はその頃、大津皇子の母は既に亡くなっていたので、
真相は『草壁皇子の母(後の持統天皇)が画策した謀略によって、
大津王子は、はめられのだ』という見方が根強いようです。
その場合、自分の息子を確実に皇位に付ける為に、
彼が邪魔だったと解釈するのが通説ですね。
何しろ、この持統天皇という女帝は相当のやり手で、
そもそも、壬申の乱の原因にしても『夫をそそのかして、
実際に仕組んだのは彼女だった』という説がある位ですからね。

仮に天武天皇が、その手のお人好しだったとすれば、
あんな歌を作って六皇子盟約を結ばせた経緯も、
案外、納得が行くような気がします。(^^;)
その歌からしても、天武天皇という人は繊細というよりは、
豪快な人物のように思えますし、となると、
ねちねちと陰謀を巡らすには相応しくないような気がします。


例の六皇子盟約自体、持統天皇を六人の皇子の母親と位置づけて、
天武の死後は彼女を中心にまとまるようにと指示している点など、
彼女の意図が色濃くにじんでいるようにも読めますね。
そうした点から、大津皇子の謀殺説も出てくるのでしょうが、
ただ、彼女が残した万葉歌を色々読み直してみると、
そこまでの悪女と考えるのは、私は気が進まなくなりました。(^^;)

ただ、そうは言っても『親子兄弟が血で血を洗う権力闘争』が、
この明日香という時代に、日常的に繰り返されていたのは事実のようですね。
その点では、例えば明日香にある酒船石にしても、あれは恐らく、
『生贄を殺して、その血をあの水路に流す』みたいな血なまぐさい儀式に、
使われたものではないか、というのが私の印象なんですけどね。

結局、既に西暦538年には日本に仏教が伝来していたとは言え、
その教義が実際に浸透するまでには、かなりの時間を要したんでしょうね。
つまり、奈良時代に仏教の地獄極楽思想が広まると共に、凶悪犯罪が激減し、
平安時代には死刑すら必要としない時代になった、という分けですけどね。
政争による死刑は、810年の薬子の乱で藤原仲成が殺されるまで続き、
その後、盗みに対する死刑を廃止したのが818年と言われますから、
仏教伝来から数えると丁度、280年かかったことになりますね。

90闇夜の鮟鱇★:2011/08/03(水) 11:10:18 ID:???0
  ●●●血みどろの明日香●●●(2/2)

それから、これはもう大分前になりますが、第11回の時に、
平城京の大通りを歌った旋頭歌を取り上げていましたね。
旋頭歌というのは577・577という形式の和歌で、
短歌に比べると7文字多いことになります。
  うちひさす 宮路に逢ひし 人妻故に
  玉の緒の 思ひ乱れて 寝る夜しぞ多き

気になったのは、これをナンパの歌と解釈し、
大阪の引っかけ橋まで引き合いに出していたことです。
つまり『この歌の作者は、都大路で出会った女性に声を掛け、
話をした結果、彼女が人妻と知った』みたいな解釈ですね。
ならば、平城京の時代に既に自由恋愛があったということになりますが、
いくらなんでも、それは少し無茶な解釈のように思われました。

というのも、次の平安時代になると、女は男の前には、
一切、顔をさらさなくなるわけですからね。
例えば、清少納言などは、自分の部下の不手際により、
男たちに自分の姿を見られた時、ひどく憤慨していますからね。
その意味で、平安時代の恋というのは、実際の姿に恋をするというより、
『どこそこの娘は美人だそうだ』という噂に恋する時代だった分けですね。


源氏物語にしても、男が女の姿を直接目にするのは、
ごくごく稀な偶然に過ぎないわけでしょ!?
例えば、突然の風が吹いたり、飼い猫が紐を引っ張ったりして、
御簾(みす)がめくれあがる場合に過ぎない分けですからね。
そこから逆に考えると、平城京のあの歌が出来た経緯にしても、
決して『人妻に直接、声を掛けた』なんていうことではなくて、
大通りで輿(こし)か何かに乗った人妻を偶然、見かけたんでしょうね。

恐らく当時は、まだ女の側のガードが甘く、平安時代のようには、
男の目から完全に隔離されては、いなかったのではないでしょうか。
色々調べてみると、奈良時代にはまだ牛車は無かったようですから、
その点でも男の目には触れやすかったのかもしれません。
当時の移動手段は、貴人の場合は人が担ぐ輿に乗ったようですが、
後は驢馬に横座りで乗るか、歩くかするしかなかったみたいです。

その場合、その女性が人妻であるかどうかということは多分、
その服装や化粧の様子から、十分に分かったのではないでしょうか。
でも、こうして見初めた人妻に男がちょっかいを出すトラブルが続発し、
そうしたことがひとつの切っ掛けとなって、次の平安時代には、
女が完全に姿を隠すようになったのではないか、という気がします。


何と言っても、いわゆる自由恋愛なんていうものは、
近代日本でも戦後になってからのことですからね。
大昔にそれがあったというのは考えにくいでしょうね。
その場合、ならば以前に私が引用した柿本人麻呂の歌などは、
一体どう解釈するのか、ということになるかもしれません。
  http://jbbs.livedoor.jp/study/3729/storage/1162001315.html#4
  恋するに 死にするものに あらませば
  我が身は千たび 死にかへらまし

一つの問題としては、田舎と都会との落差がありますね。
多分、田舎で泥まみれで働く農民の場合は、まだ直接、
声を掛けるチャンスもあったのではないでしょうか。
でも、都会で洗練された暮らしをするようになると、
そういったチャンスは、どんどん減っていくような気がします。

ただ……田舎には大した美人はいないでしょうし、人麻呂の相手が、
そうした農民たちだったと考えるのは、やはり難しいでしょうね。
実は、彼が活躍した時期は、ほぼ持統朝と重なりますから、
或いは、そうした女帝の時代には、宮廷周辺で女漁りをすることも、
案外、許されていたと考えるべきなのかもしれませんね。(^^;)

91闇夜の鮟鱇★:2011/09/30(金) 10:37:12 ID:???0
  ●●●東歌の起源について●●●(1/3)

さて、久々に古典講読の万葉集についてですが、今回は先ず、
東歌の由来について、私が感じたことを書いてみようと思います。
この東歌に関しては、当時の民謡であるとか、労働歌であるとか、
様々な人が様々な意見を言っているようですけどね。
でも先ず、ハッキリしていることは、それを民謡だとか、
労働歌だとか考える説は、全く駄目だろうということです。

なぜなら、もしそれが本当の民謡や労働歌であるなら、
57577という短歌形式におさまるはずがないからです。
近代の民謡や労働歌にしたって、57577にはなっていないでしょ!?
で、私が最近、考え始めているのはこういうことです。
結局、今までの私は『和歌が時間と共に東国へと伝播して行って、
その結果、東国の各地では自然発生的に和歌が作られていたが、
それを、誰かが収集・採録したものが東歌である』
という風に考えていた分けですけどね。

でも、今回の講読の内容を色々聞くにつけ、どうも、
そうではないんじゃないかと気がついた分けです。
むしろ、これは割と短い期間に、狭い地域内において、
一気に作られた作品群と考えるのが良いように思います。
使われている方言にバラエティが少ないという事実にしても、
そうしないと、うまく説明できないですしね。


他方、この東歌というものは私が少し調べた限りでは、
短歌ばかりで、長歌は見当たりませんね。
(旋頭歌については、あったのかもしれませんが、
一々語数を数えなかったのでハッキリしません。(^^;))
もし、東歌が東国で自然発生的に作られていたものなら、
その中に長歌がないというのは、何とも不自然ですよね。

で、そうした疑問を解決する為に、次のように考える分けです。
例えば、梁塵秘抄を編纂した後白河院の例もあるように、
いつの時代にも、文芸好きの天皇がいた可能性がありますよね。
その時、東国にくだる役人が万葉集編纂の話を聞きつけて、
『東国の人々も和歌を作って天皇に献上するように』
と命令したとか、或いは推奨したのではないでしょうか。

その場合、当時の東人は、まだまだ生活の為の労働に手一杯で、
和歌なんてものにはまるで縁がなかったのでしょう。
ですから、役人は『短歌というものはこうやって作るんだよ』
と言って、自分で幾つかを作って見せたのではないでしょうか。
冒頭の五首は『方言も少なくて都の人が作ったとも見られる』と言いますが、
その五首がまさに、役人が例示した作品ではないかという気がします。


例えば、その三首目にある『自分は絹の下着も持っているけれど』
なんていう所は、実際に絹の下着を着た経験のある、
都の貴人でないと、なかなか出て来ない発想ですよね。
  http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/mny1401.htm
  筑波嶺の 新桑繭の 衣はあれど 君が御衣し あやに着欲しも

そういう分けで、この東歌というものは、
案外短い期間にまとめて作られたものであり、それを実際に作った人々も、
役人の出先期間の周辺に住む人々に限定される、と考えるわけです。
これなら、その方言にバラエティが少ないことも説明できますし、
東歌に長歌がひとつもないことも、納得が行きますよね。

で、仮にそう考える場合、東人たちが短歌を作らされるにあたって、
自分たちの持つ知識を総動員したであろうことは、想像に難くないですよね。
つまり、短歌の材料として、当時はやっていた民謡や労働歌、更には、
誰もが知っている伝説などを利用したのはしごく当然でしょうね。
ですから、形式は57577であっても、内容的には民謡みたいだったり、
労働歌みたいだったりするものが沢山あるんでしょう。

92闇夜の鮟鱇★:2011/09/30(金) 10:41:31 ID:???0
  ●●●東歌の起源について●●●(2/3)

東歌の次のテーマとして、今度は防人の歌が取り上げられていますが
実は、その防人の大半も東国の出身で、その歌は東国を立ってから、
難波の港を出るまでに作られたものだという話が出ていました。
とすると、そうした防人の歌が作られたのは、
短歌を作る習慣が東国に根付いた後の時代、つまり、
例の東歌が作られた後の時代と考えないと辻褄が合いませんよね。

その意味では、両者の時間的な前後関係が気になりますが、
実は、その防人の歌を採録したのが大伴家持なんだそうです。
彼は万葉集の中でも最後尾にあたる第四期の歌人ですから、
防人の歌にしても、万葉集の中では最も新しい部類に属すると見れば、
その点でも、矛盾が生じることはないように思います。
  防人の歌(万葉集を読む)
  http://manyo.hix05.com/shomin/shomin.sakimori.html

つまり、東歌が採録された後、東国にも次第に和歌が定着する中で、
東国出身の防人には、和歌の心得のある者がいたということになりますね。
その防人には、インテリが多いという話も出ていましたが、
当然ながら、和歌を作る素養があるとなれば、作者の多くは、
防人の中でも、将校クラスの人物ということになるんでしょうね。


ところで、東歌ではひとつ疑問が出されていましたね。
  竹取翁と万葉集のお勉強
  http://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/6de132e85416ba04782fbc54bc61a24e
  筑波祢尓(つくばねに)
  由伎可母布良留(ゆきかもふらる)
  伊奈乎可母(いなをかも)
  加奈思吉兒呂我(かなしきころが)
  尓努保佐流可母(にのほさるかも)
(筑波山に雪が積もったのかなあ。いや、そうではなくて、
いとしいあの子が、沢山の布を干したのかなあ。)

その場合、これは実景として『雪』を見ているのだという説と、
『干した布』を見ているのだという説と、二説が対立しているそうです。
その意味では『かも』が両方に付いているのがポイントかもしれません。
ですから、どっちが実景でどっちが譬喩か区別がつかなくなる分けですね。
でも、更に良く見ると、雪につく『かも』に関しては、
『雪ではないかもしれない』としか解釈のしようがありませんが、
布につく『かも』に関しては、布自体ではなくて、
布を干している人にかかる、と見る手がありますよね。

つまり『布ではないかもしれない』と解釈する代りに、
『実際に白い布が干してあるが、それを干したのは、
いとしいあの子ではないかもしれない』とする分けですね。
そういう風に解釈すれば、この歌はやはり雪が幻想で、
布が実景とみる方が自然ということになりますが……
これは、ちょっと無理なこじつけでしたかね!?(^^;)


それから、少し前になりますが、熊野に関する歌で、
例の柿本人麻呂が作った歌が紹介されていましたね。
  三熊野之(みくまのの)
  浦乃濱木綿(うらのはまゆふ)
  百重成(ももへなす)
  心者雖念(こころはおもへど)
  直不相鴨(ただにあはぬかも)
(み熊野の海岸に咲く浜木綿が百重をなして咲くように、
私の心も幾重にも重ねて、あなたのことを思っているのに、
どうしても、直接あなたに逢えないのはつらいことです。)

>>90 では『柿本の人麻呂の恋の相手は、農民でなく貴族だろう』
と書きましたが、この歌の内容からしても、
こうして簡単に逢えない相手というのは、
やはり、貴族以外にはありえないでしょうね。
で、更にその周辺でデータを漁る内に、
人麻呂刑死説というのを発見しました。
  柿本人麻呂:熊野の歌
  http://www.mikumano.net/uta/hitomaro.html

万葉集の中では、彼の死去が『死』と表現されているので、
江戸時代の学者は、彼の身分を六位以下と考えたそうですね。
というのも、三位以上の死は『薨』、四位と五位の死は『卒』
と表現するのが、当時の習わしだったからです。
ところが、様々な証拠からすると、彼の身分は決して、
そんなに低くはないはずだ、と考えたのが梅原猛氏で、
その結果、彼は人麻呂の死を刑死とする説を唱えたそうです。
刑死の場合、身分に関わらず『死』と表現されるからですね。

93闇夜の鮟鱇★:2011/09/30(金) 10:45:10 ID:???0
  ●●●東歌の起源について●●●(3/3)

彼が死にのぞんで作ったという歌の詞書きに『臨死自傷』
という表現があるのも、その傍証であるという話が出ていました。
因みに、これが梅原猛氏の説の一部なのか、このサイトの人の意見なのか、
日本語の文章表現が甘いので良く分からない点がネックですけどね。
こうなると、気になるのはその刑死の理由ですよね。(^^;)
私が前に書いた内容と照らし合わせると、これはやはり、
女性問題以外にあり得ないだろう、というのが私の印象です。

実は『人麻呂は持統・文武の両天皇に仕えた』
と同じサイトに書いてあります。
ということは、つまり『女帝の持統天皇の時代に、宮女を相手に、
恋を繰り返していた人麻呂が、次の文部天皇の時代になっても、
その女癖が抜けなかった』と考える手がありますね。

その結果、うっかり文武天皇の女に手を出してしまい、
それが元で刑死した、考えると辻褄があうように思います。
ひょっとすると、前述した歌の『ただにあはぬかも』の女が、
文武天皇の宮女だったのではないでしょうか。(^^;)


因みに、古典講読では、その熊野の歌に関して、熊野船というのが、
当時は特別な意味を持っていたことが語られていましたね。
日本の各地で、その熊野船が用いられていて、
遠くから見るだけで、熊野の船と分かったんだそうです。

ということは恐らく、当時の明日香に渡ってきた渡来人の中で、
造船技術を持つ技術者が熊野地方に定着したのではないでしょうか。
そして彼らが大陸の先進的な造船技術を用いて作ったのが、
問題の熊野船である、と考えるのが良いように思います。

その意味で、熊野船は古来からある日本の船とは、
構造的にも外形的にもかなり違っていたんでしょうね。
そうしたすぐれた造船技術や操船技術が熊野にもたらされたことが、
平家物語の時代に熊野水軍が活躍した一因なんでしょう。


それから、更に少し前の古典講読では、有馬皇子の作品が出てきましたね。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%96%93%E7%9A%87%E5%AD%90
  磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む
  家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
その場合、私が昔から気になっているのは、
特にこの二首目の歌が、良く教科書に出てくる事なんですね。
はっきり言って、一首目はまだしも、二首目の歌は、
どこからどうみても下らない、というか何の技巧も工風もない歌ですよね。
『だから何なんだ』といった感じの愚作ですから、わざわざ教科書に、
どうしてこんな下手な歌を乗せるのか、私は理解に苦しみました。

まあ、彼が刑死に向かう途中、その旅のわびしさを詠んだ、
と見れば多少の感慨も沸くんでしょうけど、この歌は、
万葉集全体で見ても一二位を争う駄作でしょうね。
近頃は小学生だって、もう少しましな短歌を作りますからね。
実は、このサイトに『これらの歌が実は、彼自身の作ではなく、
後世の人が有馬皇子に仮託して詠んだものである』
とする折口信夫の説を見つけたんですけどね。

でも、以上の点を考えると、私には全く賛成できません。
なぜなら、もし後世の人が仮託して作ったものなら、
その人には、少なくとも最低限の歌の素養があったはずで、
こんな駄作を作るとは思えないからです。
つまり、こんな駄作がそのまま残されているということ自体、
『当人が作った歌だったから』という以外の理由は考えられませんよね。
この有馬皇子という人も、大した人物ではなかったんでしょう。

94闇夜の鮟鱇★:2011/11/04(金) 10:35:23 ID:???0
  ●●●万葉集の極彩色●●●(1/6)

私の周辺は例によってゴタゴタ続きで余裕をなくし、それで、
また少し書き遅れていますが、久々に万葉集についてです。(^^;)
今回は遣唐使というか、遣新羅使の歌から始めますが……
この時代の外交使節として、有名な遣隋使や遣唐使以外に、
遣新羅使や遣渤海使があったというのは、少し意外でしたね。
その場合、その手の遣何々使といった渡航使節全体を現す、
適当な呼び名がないのが、また何とも不便な気がします。

例えば、近代には遣欧使なんていうのがありましたから、
それに対置させて、遣亜使なんてのはどうでしょうか。(^^;)
さて、それでさっそく本題に入りますが、
実を言うと、今までの私は万葉集の世界を、何か、
色のない白黒の世界のように感じていたんですね。
ところが、今回その遣新羅使の歌を聞いていて、突然、
目の前に鮮やかなカラーの世界が開けたように思ったのでした。

まあ、それは一つにはこの講師の功績と言うべきでしょうね。
というのも、彼の焦点の当て方はかなり独創的ですからね。
以前に明日香の所で出てきた山部赤人の歌にしてもそうですが、
今回の講読で、万葉集には私が今まで一度も聞いたことがない歌にも、
まだまだ素晴らしいものが沢山ある、ということを知りました。


但し、その解釈の仕方に関しては、少なからず異論があります。
例えば『遣亜使は何度もあったはずなのに、資料が沢山残る所と、
何も残らない所があるのは何故か』という疑問に関して、
『戦乱などで失われてしまう偶然性』を挙げていましたけどね。
私としては、むしろ必然性の方を敢えて強調したい所なんです。

例えば、日本の物語文学としては、色々な歴史の資料から、
源氏物語以前にも沢山の物語があったことが知られているわけですね。
ところが、残念ながらそれらの多くは失われてしまっていて、
今残されているのは、宇津保物語とかほんの一握りに過ぎないわけです。
その場合、当然ここでも戦乱などで失われたものが多いのでしょうが、
私は、失われたものにはそれなりの理由があると考えたい分けです。

つまり、もし本当に面白くて価値がある物語なら、それは、
次々と沢山の人々によって書写されて行くはずですよね。
ですから、仮にその多くが戦乱や大火で失われてしまったとしても、
一部は必ずや、どこかに残されて行くに違いないと思います。
その意味で、歴史の中で消え去ってしまうものには、
それなりの必然性がある、というのが私の考え方なんですね。


その場合、以前に少し触れましたが、歴史資料に関しては、
家康が頼朝暗殺の記録を抹殺したような例もある分けですから、
そうして意図的に消される場合は、また別と見るべきかもしれません。
  http://jbbs.livedoor.jp/study/3729/storage/1102295096.html#120
ただ……その点で言うと歴史上、最も有名な事件として、
秦の始皇帝による焚書坑儒というのがあった分けですね。

あの場合、実用書以外の書物は全て焼き捨てられ、
460人以上の儒者が生き埋めにして殺されたそうですけどね。
それにも関わらず、現代の我々が論語を読めるというのは、
よくよく考えて見ると不思議な気がしませんか!?
だって、実用書以外は全て燃やしちゃったはずでしょ!?

答えを言うと、この場合、生き残った弟子たちが、
記憶に頼りつつ、論語全体を復元したんだそうです。
まあ、論語読みは今でもそうかもしれませんが、
暗唱できる位にまで読み込んでいますから、
そうした復元も案外、難しくは無いんでしょう。
ただ、今残されている論語を読むと、その一部には、
焚書坑儒に伴う傷が残っているのが分かります。

95闇夜の鮟鱇★:2011/11/04(金) 10:38:04 ID:???0
  ●●●万葉集の極彩色●●●(2/6)

と言うわけで、この例ひとつとっても『大切な書物というものは、
たとえどんなことがあっても、それを支持する人々により、
時代を越えて残されていく』ということが良く分かりますよね。
その意味で、ある文献が残るか残らないかという問題には、
単なる偶然性という以上に、後世の評価というものが、
多かれ少なかれ関わってくると私は思う分けです。

ですから、遣亜使の資料の残り方についても、
それと全く同じように考えて良いのではないでしょうか。
つまり、遣亜使がどれだけ沢山あったとしても、
彼らが残した歌が後世に残るかどうかという問題は、
結局、その中にどれだけ優れた歌があったかによって、
決まってくると言えるような気がします。

その意味で、遣新羅使の歌が万葉集に一括して残っているとすれば、
それは、その中に優れた歌人がいたからに違いないんですね。
その遣新羅使の歌ですが、万葉集第15巻の前半にあるのがそれですね。
  訓読万葉集 巻15
  http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/manyok/manyok15.html


その場合、冒頭に並ぶ11首の贈答歌について、講師がそれを、
『編者によって意図的に編集されたもの』としていたのも引っかかりました。
その末尾には『右の十一首は、贈答』とハッキリ書いてありますし、
私としては、それを素直に受け取っても良いんじゃないかと思った分けです。
一体どういう理由で、敢えて『贈答歌を装って編者が作り上げたもの』
と見なすのか、その点が説明不足というか納得が行きませんでした。

私は、この11首は文才に長けたある男女の贈答歌そのものと見なせるし、
後に出てくる関連歌2首(3615-6)にしても、私の考えでは、
同じ作者(男)によるものと考えて、間違いないだろうと思います。
と言うのも、才能のある歌詠みがそんなに沢山いるはずがないですし、
霧を恋人の息と見立てる点も、余人の思いつかない独創的な発想ですからね。

それにも関わらず、この男女の名前が一切記されていないというのは、
恐らく、よほど身分が低い人物だったんでしょう。
例えば、貴族の乗組員の下の世話をする下男とかね、
そういう人物なら、敢えて名前を記さないのも当然でしょうね。
実際の船上に、そんな下男がいたのかどうかは良く知りませんが……。


もう一つ付け加えると、この遣新羅使の特殊性があるかもしれません。
というのも、遣唐使などに比べると、その路程はずっと短い上に、
海路での難所も、玄界灘を渡るところだけですからね。
その意味で、遣唐使などに比べれば遥かに安全で、
気楽な旅だったのではないかという気がします。

その意味で案外、物見遊山の気分が強く、あちこちで道草したり、
宴会ばかり開いたりして、タラタラ旅したんじゃないですかね。(^^;)
何しろ、出かける時は『秋にはまた会える』とか歌っているのに、
実際のその秋には、まだ往路の九州にいたようですからね。

人麻呂の歌を沢山、引用しているのも気の緩みとも見えますし、
それで、自分たちが歌を作る余裕もたっぷりあったんでしょう。
運悪く、壱岐の島で使節団の一人が病死してしまい、
彼を悼む挽歌が沢山作られていますが、その後も、
対馬の『竹敷の浦』という所に長逗留して、
遊女を呼んで宴会をやったりしている分けですね。

96闇夜の鮟鱇★:2011/11/04(金) 10:40:49 ID:???0
  ●●●万葉集の極彩色●●●(3/6)

ただ、一つ気になったのは、その後に新羅で作った歌が一首もなく、
3718番から突然、帰途の歌に転ずることなんですね。
ですから私は最初、ひょっとして彼らは目的を果たすことなく、
途中で引き返したんじゃないか、とさえ思いましたが……
色々調べてみると、彼らが新羅まで行ったのは事実のようです。

実は、この使節団が行った先の新羅でも、戻った後の日本でも、
その直後には疫病がはやったので『彼らは行路の途中で疫病にかかり、
行く先々でそれを広めたのではないか』とも疑われているようです。
因みに、この時の大使と副使も、帰途に病没したそうですね。

他方、これらの歌の素性に関して、ここに面白い説を見つけました。
  遣新羅使の歌(万葉集を読む)
  http://blog.hix05.com/blog/2007/07/post_304.html
  万葉集に収められた一群の歌は、
  この船旅を記録した歌日記のようなものだ。
  だがそれは使節団の成員一人ひとりの歌を集めた
  アンソロジーというようなものではなく、ある特定の人物が、
  自分の歌を中心にして、時折他の人々の歌を交え、
  全体として旅の雰囲気が伝わるようにと纏め上げたものである。


つまり、遣新羅使の歌は特定の人物の旅日記だ、という分けですが、
もしこの見方が正しいとすると、作者名があるのは他人の歌で、
無署名の部分は全て、当人の創作ということになるんでしょうね。
(因みに、このサイトでも冒頭11首は贈答を装った創作としています。)
こうして、ひとりの人物が書き残した旅の歌日記が、
何らかの形で見いだされて、そっくり万葉集に取り入れられた、
と考えるのが案外、妥当な解釈かもしれません。

その場合、玄界灘の向こうで作られた作品が一つもないことは、
ひょっとすると、この人だけ半島に渡らずに残ったのかもしれません。
それなら、玄界灘の向こうの作品が全くないのも、納得がいきますよね。
例えば、彼も同じ伝染病にかかってしまった結果、
その地で療養することになり、帰途に合流したと考える分けです。

或いは、3718番からの歌はたった5首しかなくて、全て無署名ですから、
むしろ、帰途は使節団とは別途に帰った可能性が高いですかね。
仮に、帰途に使節団と合流したのなら、
大使や副使の病没に関する挽歌があっても良いですしね。


因みに、そもそも遣唐使とは別に、遣新羅使がなぜ必要なのか、
その存在理由が私には、もう一つ良く分からなかったんですね。
新たな文物を手に入れる為なら、遣唐使で十分のような気もしますが、
敢えて、新羅や渤海に使者を送る意味は何だったのかということです。

考えて見れば、少し前に戦争をしたばかりの唐や新羅に使者を送り、
親しくつき合うというのも、現代からはもう一つ解せない所ですよね。
実際問題として、白村江の戦いに大敗した後『唐と新羅の連合軍が、
その余勢を駆って日本まで攻め込んでくるんじゃないか』
と心配したからこそ、防人による防衛を固めたわけでしょ!?

でも実を言うと、こうした遣亜使には他国の情勢をさぐったり、
国際関係を修復して日本への脅威を減らす役割があったみたいですね。
ですから、遣亜使の主眼が新たな文物の入手になるのは、むしろ、
そうした国際緊張が和らいだ結果である、というのが真相に近いようです。

97闇夜の鮟鱇★:2011/11/04(金) 10:44:38 ID:???0
  ●●●万葉集の極彩色●●●(4/6)

それから、遣亜使に関しては、その船の構造の話も色々ありました。
帆船に詳しくない人は『帆船というものは、ただ風上から風下に、
風まかせで流されていくだけ』と思っているかもしれませんが、
実際の帆船は、必ずしもそうではないわけですね。
ヨット競技をする人は良く御存知でしょうが、
ヨットは風上に向かって斜め前方に進める分けですね。

ですから、先ず風上に対して右斜めに前進し、次は、
帆と梶を切り替えて、左斜めに前進するという繰り返しで、
ジグザグに進めば、幾らでも風上に行ける分けなんです。
これを英語ではタッキング、日本語では間切り走りと言います。
その場合、本質的に重要なのは、帆が可動式であることと、
船底に横滑りを防ぐ、滑り止めがあることの二点である分けです。

その点、古来の日本の船というのは、底が平らな上、
帆も固定されていて、風上には行けなかったみたいですね。
例えば、七福神が乗っている宝船なんかがその典型ですが、
あの場合の帆は、その中心が帆柱に固定されてますよね。
ですから、帆の角度を切り替えてジクザグに風上に進む、
なんていう芸当は、できるはずがない分けです。


その意味では、例の熊野船の場合も、もし大陸式の作りなら、
そうした可動帆を備えていたのではないでしょうか。
例えば、中国式のジャンク船みたいなもっだったかもしれませんね。
でも日本というのは不思議な国で、外国から進んだ技術が入っても、
敢えてそれを捨ててしまうようなところがある分けです。

例えば、江戸時代の日本では、鉄砲を禁止する一方で、
大井川に橋をかけることすら、許さなかった分けですね。
それは全て、徳川幕府が日本を統治するのに都合がよかったからで、
それと同じ意味で『鎖国政策を推進する幕府が、
外洋航海が可能な帆船を禁止する為に、
可動帆の船を造らせなかった』という説があります。

その点では、中国などに出かけて海賊行為を働いた倭寇の場合も、
彼らの帆船は固定帆だったので『東シナ海を渡るのにひと月もかかる』
とか言って、明時代の中国人に馬鹿にされたという話がありました。
  遣唐使船の構造的欠陥
  http://www.kougakutosho.co.jp/mathematics/mathematics_73.htm
但し、倭寇というのは鎌倉から室町時代の話ですから、
この場合の固定帆は、鎖国政策のせいとはいえないでしょうけどね。


ただ、倭寇はともかく、例の鑑真和尚を日本に送り届ける際にも、
敢えて、そんな危険な固定帆の船を使ったんでしょうかね。
その点が、どうも私には解せない所なんですが……。
因みに、江戸時代後期には弁財船(べざいせん)というのが発達し、
これは間切り(ジグザク)帆走をやったようですし、
時代と共に改良されて、性能もどんどん上がったらしいですね。
ですから外洋船を禁じたのは、江戸時代初期の話かもしれません。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%89%8D%E8%88%B9

弁財船という名は、恐らく七福神が乗った宝船になぞらえて、
縁起を担いだんでしょうけど、特に弁財天の名を選んだのは、
元々、弁財天が河の神様であることに由来するんでしょうね。
その意味では、弁財船の帆が宝船と良く似ているのは当然ですが、
ポイントは宝船の場合、帆を固定する横棒が上下にあるのに対して、
弁財船の場合、横棒は上に一本あるだけで、下にはない所ですね。
  http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/zusetsu/C20/c2023.jpg

ですから、帆の下側を綱で操作して、間切り走りが出来たようです。
但し、一説によるとヨットが風上に対して45°の角度まで進めるのに比べ、
弁財船は60°が限界で、しかも強風には対応できなかったそうです。
ヨットのような三角帆と違って、弁財船のような帆の形だと、
高い位置で風を受けますから、強風で不安定になるのは当然でしょうね。

98闇夜の鮟鱇★:2011/11/04(金) 10:47:53 ID:???0
  ●●●万葉集の極彩色●●●(5/6)

さてそれで漸く短歌の話ですが、この辺の歌を読むと、
生活に密着したその歌いぶりは素晴らしいですね。
これに比べ、平安時代以降の短歌は、より洗練されてはいますが、
まるで生活感にかける気取った歌ばかりですからね。
万葉の短歌は生活感にあふれ、バラエティに富んでいる点で、
現代から見ると、遥かに価値が高いような気がしてきました。

最初の贈答歌11首(3578〜3588)は『女男女男女男女男男女男』
という構成になると思いますが、冒頭二首などは、
何やら、かなりの年の差カップルを思わせますね。
  武庫の浦の 入江の洲鳥 羽ぐくもる 君を離れて 恋に死ぬべし
  (むこの浦の入り江にいる州鳥が親鳥に育てられるように、
  私を育ててくれたあなたから離れた私は、恋しくて死にそうです)
  大船に 妹乗るものに あらませば 羽ぐくみ持ちて 行かましものを
  (遣新羅使の大船にあなたを乗せて良いものなら、
  今まで通り、羽根に包むようにして連れて行きたいのだが……)
  
例えば、光源氏が紫上を誘拐して来て育て上げ、自分の妻にしたように、
幼い頃から育てた上げたみたいな印象を受けますよね。
その場合、作者を単なる下男と見なす発想はちょっとそぐわないですから、
ここでも、歌日記説による解釈の方が辻褄があうかもしれません。


この後に続く3〜4首目が、例の霧の歌ですね。
  君が行く 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ
  (旅先の海辺の宿で霧が立ったら、私が嘆く息だと思ってください)
  秋さらば 相見むものを 何しかも 霧に立つべく 嘆きしまさむ
  (秋にはまた会えるのに、どうして嘆息が霧になるほど嘆くのですか)

これに対置する形で、安芸国の風速(かざはや)の浦の歌がある分けですね。
  我がゆゑに 妹歎くらし 風速の 浦の沖辺に 霧たなびけり
  (私を思って恋人が嘆いているらしい、風速の浦の沖に霧が流れている)
  沖つ風 いたく吹きせば 我妹子が 歎きの霧に 飽かましものを
  (沖風がもっと強ければ、恋人が嘆く息の霧を飽きるほど吸い込めるのに)

その後の5〜6首目に海路の安全を祈る歌があって、
それに続く7〜8首目が色々と意味深でしたね。
  別れなば うら悲しけむ 吾が衣 下にを着ませ ただに逢ふまでに
  (別れたら悲しくなるでしょうから、
  また直接会うその時まで、私の下着を身につけていて下さい)
  我妹子が 下にを着よと 贈りたる 衣の紐を 吾解かめやも
  (彼女が下着として身につけるようにとくれた衣の紐は、決して解くまい)


ここでは、女が『再会する時まで着ていて下さい』と下着を男に与えると、
男は『その下着の紐を絶対に解かない』と約束するというわけです。
何カ月もの間、洗濯もせずに同じ下着をつけるというのは、
現代では考えられないですが、その点では、防人の歌にも、
垢がつくまで同じ着物を着ている、という話がありましたね。
当時はまだ虱なんてものは、余りいなかったんでしょうかね!?

講師はここを男女共通の歌と解釈し、下着の紐を解かないことを、
相手を裏切らないことのように言っていたと思いますけどね。
ただ、この場合の下着の紐というのは、
西洋でいう所の貞操帯の鍵とは大分、違うでしょうね。
結局、この時代の下着が、どんなものだったかが問題ですが、
当時、ブラジャーだのパンティだのがあったはずがないですよね。
そんなものなら、男が身につけることも出来ませんしね。(^^;)

そう言えば『関東大震災の時、デパートの窓から飛び降りた女性は、
お尻がむき出しになった』という有名な話がありましたね。
当時の女性は、着物の下にパンツなんてものは着けてなくて、
それをはくようになったのは、これ以降だという説がありました。
ですから、江戸時代以前は言うまでもありませんが、
奈良時代ともなれば、尚更でしょうね。

99闇夜の鮟鱇★:2011/11/04(金) 10:51:35 ID:???0
  ●●●万葉集の極彩色●●●(6/6)

結局、当時の下着と上着の差は、その材質や厚さの違いだけで、
さしたるデザインの違いがあったわけではないんでしょう。
多分、下着としては、無地で柔らかい物を身につけ、
上着の方は、厚くて模様が付いていたりするわけでしょうね。
その場合、金持ちほど沢山の着物を重ね着する分けで、
その発展形が平安時代の十二単になるのかもしれませんね。

その場合、下着の紐を解くということには少し別の意味があるわけです。
これはもっと後の平安時代の話ですが、男女が共寝をする時には、
互いの着物を下に敷いたり掛けたりして、夜具の代わりにしたそうですね。
空蝉の場合も、夜具代わりの着物を残して逃げ出したわけですしね。

つまり、当時はまだ専用の寝具などというものはなくて、
互いの着物を夜具の代りにしていたようですね。
その意味では、起き出す時に間違えて相手の下着を着る、
ということもあったでしょうし、男女が下着を交換するという風俗も、
現代人が考えるほど不自然な事ではなかったんでしょう。


遣新羅使の後に並ぶのは、中臣宅守と狹野茅上娘子の相聞歌ですね。
この場合も、狹野茅上娘子は宮女で、二人の関係に怒った天皇が、
中臣宅守を越前に流刑にしたんだそうです。
その場合、流刑にする時は当然、女を同行することが許されないのに、
二人の手紙のやり取りを仲介するのが許されたのは、不可解ですけどね。

一説によると、万葉時代の後半には重婚を禁止する傾向が強まり、
この場合も、中臣宅守はその禁を犯したのだという話がありました。
  中臣宅守と狹野茅上娘子:天平の悲恋
  http://blog.hix05.com/blog/2007/04/post_180.html
当時の天皇は仏教に深く帰依した聖武天皇ですから、或いは、
邪淫を禁ずる仏教思想に影響された面があるのかもしれません。

ただ、流刑になったのが739年であるのに対し、763年には、
彼が都で出世した記録があるそうですから、少なくとも24年後の、
淳仁天皇の時代には、都に帰っていたことになりますね。
その場合、彼の流刑が許された理由が気になりますが、
天皇が変わったせいというよりも、狹野茅上娘子と交わした恋歌が、
一定の評価をされた結果である、と考えるのが良いような気がします。
その場合、これまた一種の歌徳説話ということになりますね。(^^;)


それから、以前に書いた件でちょっと気になることがありました。
例の人麻呂の熊野の歌で百重成を『ももへなす』と読みましたが、
前後のつながりからして、ここは『ももへなし』とすべきでしたね。
つまり『みくまのの うらのはまゆふ』は百重を導く枕詞で、
『ももへなし こころはおもへど ただにあはぬかも』と続く、
と見る方が、歌としては自然でしょうからね。

最後の『だだにあはぬかも』の『かも』を『鴨』と書いた点からして、
もし、ここを敢えて『ももへなす』と読ませたければ、
百重成でなく百重茄と書いたんじゃないでしょうか。(^^;)
あるいは、百重梨とすればむしろ、誤解が無かったでしょうね。
当時、茄や梨があったかどうかが問題かもしれませんが……。
因みに、鴨なんていう字を当てた所は少しふざけている感じもあり、
キョンキョンあたりが聞いたら喜びそうな気がしますね。

実を言うと昔、あの人が言っていたことなんですが、
気象観測システムのアメダスという名前を子供の頃に聞いて、
『何をふざけた名前をつけてるのか』と思ったそうですね。
ところが、大人になって、それがAMeDAS、つまり、
『Automatic Meteorological Data Acquisition System』
の省略形であると知って納得したそうですが……
実を言うと、この手の省略名なんていうものは、
本当の所はどうにでも、でっちあげる事ができるんですよね。
ですから、これはやはり当初、ふざけていると考えたのが、
むしろ、アタリだったんじゃないでしょうか。(^^;)

100闇夜の鮟鱇★:2011/12/11(日) 12:03:07 ID:???0
  ●●●万葉解釈とタミル語起源説●●●(1/4)

また少し間があきましたが……人麻呂刑死説に関しては、
古典講読の第31回で、更に決定的な証拠が出てきましたね。
持統天皇の伊勢行幸の時、人麻呂が都で留守居役をしたようですが、
その時に彼が詠んだ『伊勢留京歌』というのが、三首ありました。

その三首の内の最後のものが、これなんですね。
  http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/one/m0042.html
  潮左為二(しおさひに)
  五十等兒乃嶋邊(いらこのしまべ)
  榜船荷(こぐふねに)
  妹乗良六鹿(いものるらむか)
  荒嶋廻乎(あらきしまみを)
  (うしおが騒ぐ中、伊良虞島の付近を漕いで行く小舟には、
  あの子も乗っているだろうか、島の回りは波が荒いはずだが。)

三首とも宮女に関する歌ですが、ここはそれを妹(いも)と表現してますから、
『宮女の中に人麻呂の恋人がいた』と見て間違いないのではないでしょうか。
講師は何故か、そうした見方を敢えて否定していたようですけどね。
という分けで、私としては色々と空想を巡らすことになったわけですが……
一つの可能性として、次のようなことが考えられると思います。


前にも少し書きましたように、女帝の持統天皇時代には、
宮女もある意味で、暇と体を持て余していたんでしょうね。(^^;)
ですから、人麻呂が後宮に入り込むことが黙認されていた可能性があり、
その結果、この歌が示すように、人麻呂の恋人がいたと考えられます。

ところが、持統天皇が譲位して文武天皇に代替わりすると、
後宮への出入りが厳しく制限されるようになって、その結果、
人麻呂は彼女に会えなくなってしまったのではないでしょうか。
例の『ただにあはぬかも』の歌は、その辺の事情の表現とも思われます。

ひょっとすると、その歌自体、人麻呂が彼女との密会を画策して、
こっそりと彼女に送った歌と考えるべきかもしれませんね。
その手紙がばれたか密会現場を直接、抑えられたかは知りませんが、
このことが原因で、人麻呂は刑死したと考える可能性があります。


仮にそうだとすると、例の鴨の当て字にしても、単に『ふざけている』
という以上に、何か密会の現場を暗示する符丁かと最初は思いました。
つまり、鴨と言えば二人にはピンと来る場所があったということです。
でも、色々調べた結果、助詞の『かも』に鴨という字を当てる書き方は、
人麻呂が作った他の歌にもあって、この発想は駄目のようです。(^^;)

因みに、直不相鴨(ただにあはぬかも)という全く同じ表現が、
万葉集には、もうひとつあるのを発見しました。
この歌は人麻呂よりも後代の歌ですから、この場合は、
人麻呂の歌の表現をそっくり借用したのかもしれませんけどね。
  http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/68.htm
  安太人乃(あだひとの)
  八名打度(やなうちわたす)
  瀬速(せをはやみ)
  意者雖念(こころはもへど)
  直不相鴨(ただにあはぬかも)

全く同じ表現と言えば、以前に引用した人麻呂の歌とそっくりの歌が、
第35回の笠女郎が大伴家持に贈った歌に出てきたのには驚きました。
  思ふにし 死にするものに あらませば
  千たびぞ我は 死に還らまし
以前に引用したのは次の歌ですが、発想や表現が酷似していますから、
これまた、人麻呂のパクリと考えるのが自然のような気がします。
  http://jbbs.livedoor.jp/study/3729/storage/1162001315.html#4
  恋するに 死にするものに あらませば
  我が身は千たび 死にかへらまし

101闇夜の鮟鱇★:2011/12/11(日) 12:06:58 ID:???0
  ●●●万葉解釈とタミル語起源説●●●(2/4)

実は、笠女郎の歌には、他にも人麻呂の歌に良く似たのがありますね。
先ず、壬申の乱の英雄・高市皇子の死に際して、
人麻呂が詠んだ歌がありましたが、その格調の高さは、
万葉集の中でもピカイチですから、私が好きな歌の一つです。
因みに、ここでも最後の『かも』は鴨となっていました。(^^;)
  ひさかたの 天知らしぬる 君故に 日月も知らず 恋ひ渡るかも
  (昇天して、ひさご形の天空を支配なさっているあなたですから、
  私は時間が経つのも忘れ、ひたすら思い焦がれています。)

それに比べ、次は笠女郎が大伴家持に贈った歌の一つですが、
先の例ほどではないにせよ、これまたかなり似ていますよね。
ここでも、笠女郎が人麻呂の歌を参考にしたような気がします。
  朝霧の 鬱(おほ)に相見し 人故に 命死ぬべく 恋ひ渡るかも
  (朝霧の中で見るように、かすかに見初めたあなたでしたが、
  今の私は死んでしまいそうなほど深く恋し続けています。)

ところで、私も古典は素人なので凡ミスをやらかしたようですが、
『……ませば……まし』は、いわゆる反実仮想という奴ですから、
『恋重荷』の所で付けた訳は、大分ずれていたことになりますね。
つまり『もし、恋するたびに狂い死にする宿命にあるのなら、
私は千回死んで、千回生まれ変わろう』と訳しましたけどね。
最後のましが反実仮想なら、後半部は決意表明ではなく、
『私は千回死んで、千回生まれ変わっただろう』となりますね。


結局『もし恋で死ぬものなら、私は千回生まれ変わったはずだが、
実際はそんなことはなかった』ということですよね。
ですから、この歌の主張は恋重荷の歌とは正反対になります。
その時『千人に恋をした』と見なすなら、大分軽い内容になって、
『柿本人麻呂はプレイボーイだった』ということになるかもしれません。
しかし、あの歌が例の恋人に送った歌であり、
同じ人に対して千回分の恋をしたと解釈するなら、
必ずしも軽いとは言えないことになるでしょうね。

笠女郎の歌にしても『自分はあなたに千回分も恋をしたのだ』
という主張でしょうから、それなりに重いですよね。
実は昔、人麻呂の人物像を探ろうとして万葉集をあさっている時、
人麻呂歌集の中にこの歌を見つけたのでした。
当時から『人麻呂歌集の歌は必ずしも人麻呂自身の歌ではない』
という説があるのは知っていましたが、自己流解釈に基づいて、
人麻呂の歌で間違いないだろうと考えていたのでした。

でも、こんなに似た歌があるとなると、あの歌自体、
人麻呂の作ではないという可能性が出て来ましたかね。
万葉集という作品も、中々一筋縄ではいかないようです。(-_-;)
無論、時間的に言えば人麻呂歌集の方が古い分けですから、
笠女郎の歌を人麻呂歌集の真似と見ても良い分けですが、
更に古い古謡のようなものがあって、両方とも、
そこから取ったと見なす方が自然でしょうか。


それから、例の伊勢留京歌の第三首に出てくる伊良虞の島を、
伊良虞岬と解釈するのが現代では通例のようですが、私の考えでは、
それはむしろ、岬の手前にある神島のことではないかという気がします。
というのも、当時の交通事情の悪さを考えると、
宮女たちの行動半径は、余り広くないだろうと思われるからです。
例えば、一首目の歌に出てくる『あみの浦』を『あごの浦』と読んで、
『英虞湾』と解釈する立場があるらしいですが、
当時の交通事情からすると、それは到底ありえませんよね。

彼らが鳥羽までどういう方法で行ったかは良く知りませんが、
鳥羽から『英虞湾』に回るとしたら、それ自体が大旅行ですからね。
というのも、当時は山中を行く道が整備されていなくて、
海岸伝いに海を行くのが普通だったらしいからです。
その意味で『あみの浦』というのはやはり、
鳥羽駅の最寄りにある湾(鳥羽湾)内の地名だろうと思います。
先ずはそこで浜遊びをしてから、小舟に乗って、
二首目に出てくる答志島に渡ったと思われます。

となると、次の三首目の舟遊びにしても『伊良虞岬まで、
わざわざ海峡を越えて行く』とは考えにくいので、
その途中にある神島を一巡りした、と考える方が、
旅程としては自然のような気がする分けです。
それなら、島を強引に岬と読み替える必要もありませんしね。
無論、その場合には『伊良虞岬の手前にある神島を、
当時は伊良虞の島と呼んでいた』と考える必要があります。
その証明が出来ないと、仮説の域を出ませんけどね。

102闇夜の鮟鱇★:2011/12/11(日) 12:13:18 ID:???0
  ●●●万葉解釈とタミル語起源説●●●(3/4)

第32回では武市黒人の歌を取り上げていましたが、
その中で『あけのそほ船』というのが話題になっていましたね。
  http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/25995464.html
  客為而(たびにして)
  物戀敷尓(ものこひしきに)
  山下(やましたの)
  赤乃曽保船(あけのそほぶね)
  奥榜所見(おきにこぐみゆ)
  (旅の途中でふと、もの恋しい気分になっていると、
  山下にあった赤土を塗った船が、沖へと漕いでいくのが見えた)

『あけのそほ船』というのは『赤土を塗った船』のことで、
赭土(そほ、赤い土)というのが、魔よけだとか、官船の印だとか、
更には船食虫を防ぐ為だとか、様々な説があるそうですけどね。
私としては、ここはやはり魔除けと考えたい所なんです。
その場合、どうして魔除けをする必要があったのかが問題ですが……
私の考えでは、これは葬送の船と見るのが良いような気がします。

つまり、遣新羅使のところでも色々書きましたが、
当時はしょっちゅう伝染病がはやっていて、
伝染病で死ぬことは日常茶飯事だったわけですね。
その時、伝染病の死者はうっかり地上には葬れないですから、
海に捨てるというか、水葬したのではないかという気がします。
そしてその水葬の船には、伝染病のこれ以上の拡散を防ぐという意味で、
魔よけのおまじないとして、赤土を塗っていたのではないでしょうか。


その後の第33回では、戯れ歌が取り上げられていましたが、
その中で『意味の通らない歌を作る』という話がありました。
でも『単にでたらめな歌を作るだけなら誰にでもできるはずで、
そんな歌に2000文もの賞金を与えるのはおかしい』
というのは、次のサイトの主が言う通りだと思います。

その場合、二つ目の歌については男性器の暗喩だという話があったので、
少し気になって捜し回ると、出て来たのがこのサイトなんです。
ここの話によると、でたらめに見えるあの歌には実は裏の意味があって、
タミル語の語彙を使って解釈すると、良く分かるというんですね。
  万葉集難解歌の解読
  http://homepage3.nifty.com/umoregi/sakusaku/1_1.htm

日本語の起源がタミル語にある、とする説には聞き覚えがありましたが、
それがこんな所で出てきたのには、私もビックリしました。
『万葉時代の和語には、タミル語由来の言葉が沢山あったが、
その時代に中国語が入って来た結果、その多くが死語になった』
と考えると、これらの歌の持つ二重の意味がわかるらしいです。


ただ……幾つか疑問に思える点もあって、例えば、
なぜ褌(ふんどし)をピンクに染めるのかが解せませんでした。
そんなものに何故、わざわざ染色する手間をかけるのかということです。
で思い至ったのは、前に書いた男女が下着を交換するという話ですね。
その時は、その下着を襦袢みたいなものだろうと考えていたんですが、
後になって、着物をとめるのは紐ではなく帯じゃないかと気になり出し、
紐でとめるなら、むしろ褌みたいなものかもしれないと気づいた分けです。

実際問題として、女性が生理の時に身につける褌みたいなものがあり、
男の褌はそこから派生したものであるという説を聞いたことがあります。
仮にそうだとすると、下着の交換というのは『経血に染まった褌を、
男女で実質的に共有していた』ということなのかもしれません。
男の褌がピンク色だったというのも、それなら納得が行きます。
何しろ、当時の布は大変な貴重品である一方、
衛生状態の悪さは、現代からは想像もつかないレベルですからね。

他方では『吉野が桜の名所だから、桜のピンクに、
褌のピンクをかけたのだ』という点もひっかかりました。
古典講読の講師によると『吉野が桜の名所になるのは後世のことで、
吉野のイメージは明日香時代は川、奈良時代は雪』だそうですからね。
それでも尚『吉野には万葉の時代から自生した桜が多かった』、
つまり『名物になるほど有名ではなかったにせよ、
春には山が赤く染まっていた』と考えることは可能でしょうか。
あるいは……経血で染まった褌なら、むしろ桜の花ではなく、
紅葉に染まった吉野に掛けていると見るべきでしょうかね。

103闇夜の鮟鱇★:2011/12/11(日) 12:17:35 ID:???0
  ●●●万葉解釈とタミル語起源説●●●(4/4)

ただ……こうした解釈の最終的な信憑性に関しては、
タミル語の専門家でない素人には、判断のしようがありません。
それを支持する学者にしても、日本には数名しかいないんだそうです。
実際問題として、タミル人が住むのはインド南部ですし、
その顔だちも、日本人と共通性があるようには見えませんからね。
それでも、私の考えでは、この説は一般に思われているほど、
突飛なものではないんじゃないか、と言う気がします。
というのも、私が以前から考えていることとして『日本人の祖先は、
何万年か前には中国大陸にいたんじゃないか』と思うからです。

例えば、例のブータン人と日本人が良く似ている件ですけどね。
ついこの間も、国王夫妻が国賓として来日していましたが……
あまりに日本人と似過ぎていて、威厳をそがれた感もありました。
つまり、ブータンの国王は、日本では例えば、
その辺の長屋に住んでいるあんちゃんみたいな風貌ですからね。(^^;)
他方では、日本人とモンゴル人の類似性もあったわけですが、
そうしたことを総合的に考えると『何万年か前には、
日本人の祖先が、今の中国大陸に住んでいた』と考えると、
色々なことの説明がし易いように思う分けです。

そこへ中国人が後から侵入して来たので、日本人は東へ、
モンゴル人は北へ、ブータン人やタミル人は南へと、
それぞれ弾き飛ばされたんじゃないか、という気がします。
つまり、ブータン人と日本人が似ている原因として、
南海方面を経由して日本人の祖先が渡ってきたと考えるより、
この方が、ずっと自然に両者の関係を説明できるでしょ!?
似たようなことで言うと、インド北部のアーリア系インド人も、
数千年前に、インドに渡ってきたことが知られている分けですね。
多分インド人の祖先は今のヨーロッパ大陸にいて、
そこでの争いに敗れた結果、東に逃れ来たんでしょうね。


ですから、インド人にとっての憧れの理想郷が、
西にある(つまり、西方浄土)のもその帰結と思われます。
中国人の場合、そのインド人よりも更に古い昔に、
やはり、西から逃れて来たのではないかという気がします。
もしそうなら、それ以前の先史時代の中国大陸に日本人やモンゴル人、
更にはブータン人やタミル人がいたとしても、不思議はないですよね。
日本語とタミル語が同じ言語から分離したという説も、
そうした展開の中で見れば、それほど不自然ではないと思う分けです。

そうした日本語のタミル語起源説に関しては、
以前から私が一つ気になっていることがあります。
万葉集では『まくらをまく』という表現が良く出てきますよね。
その場合、まくらという言葉の語源は『まく』という動詞に、
接尾語の『ら』が付いて名詞化したものではないかと思う分けです。
それと同様に、似た表現で『さくらがさく』というのがありますよね。
この場合も『さく』という動詞に『ら』という接尾語が付いて、
さくらという名詞になったのではないか、
というのが私が受ける印象であるわけです。

更に言うと『もぐる��もぐら』や『あぶる��あぶら』があるし、
『あぐら』も似たように説明できるかもしれませんよね。
だとすると、この『ら』という接尾語がタミル語では、
一体どう解釈できるのかが気になる所なんです。
それがうまく行けば、タミル語起源説の補強因子になりますよね。


他方では、日本語と朝鮮語の近縁関係を言う説がありますから、
朝鮮語の位置づけをどうするのかも一つの焦点でしょうね。
例えば『海の幸・山の幸とは言うのにどうして、
畑の幸とは言わないのか』という問題があります。

この場合、さちの語源が朝鮮語のサルであって、
そのサルが矢尻を意味するという話がありました。
つまり、海の幸は漁の獲物、山の幸は猟の獲物というわけで、
共に、モリとか矢とかで仕留める生き物のことなんですね。
ですから『畑でとれる作物は畑の幸とは言わない』というわけです。

そうした朝鮮語と日本語の近縁関係を考えるなら、
朝鮮語の古語もタミル語から説明できないとおかしいですよね。
もしそれがうまく行けば、日本語のタミル語起源説も、
今より遥かに信憑性が高まるのではないでしょうか。

104闇夜の鮟鱇★:2012/03/30(金) 11:29:58 ID:???0
  ●●●書き言葉の衝撃と万葉人の責任感●●●(1/6)

ちょっと間が空き過ぎて、うまくまとまる自信がありませんが……
今回は、先ず『さつや』の話から始めようと思います。
以前に『何故、海の幸・山の幸と言って畑の幸と言わないのか』
という話をしましたが、それに関し、笠金村の歌には驚きました。
それは古典講読の第44回に出てきた志貴皇子の挽歌でしたが、
その冒頭付近に『ますらをの さつやたばさみ』とあった分けですね。

訓読表記の場合、ここの『さつや』を『幸矢』と書く人が多いですが、
原文を探すと、何とそこが『得物矢』となっていたんですね。
これだと『幸』が『獲物』を意味することは、ほぼ自明ですね。(^^;)
  志貴皇子,笠金村,白毫寺,萩
  http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/108.htm

因みに、志貴皇子が葬られた高円山は、皇子の別荘があった所らしいですが、
実は、この山は奈良の大文字焼で火床となることでも有名のようですね。
つまり、大の文字に薪を並べる為の台座が置かれている山だった分けです。
更には、以前にビデオ評で取りあげた映画『殯の森』にしても、
この高円山を舞台にしていた、という話が出て来てびっくりしました。


志貴皇子と言えば、何と言っても新古今集の歌が有名ですよね。
  岩そそぐ たるひの上の さ蕨の 萌えいづる春に なりにけるかな
いかにも新古今集にはぴったり、という感じのキラキラした感性ですが、
そんな斬新な感性を持つ人が、これほど昔の人だったというのも驚きでした。
彼は天智天皇の第七皇子でしたが、権力が天武天皇の系列に移った結果、
生臭い政治の世界からは身を引いて、専ら歌の世界に没頭したようです。

そうした点を考えると私は、例の東歌が献上された相手というのも、
他ならぬこの志貴皇子だったんじゃないか、という気がし始めています。
結局、一般論として言えるのは、こうした文学というものが権力者よりも、
権力から疎外された人々によって担われることが多い、ということですね。
ただ志貴皇子の場合、彼の存命中は傍流に落ちたかもしれませんが、
結果的には、その後も政治的キーパーソンであり続けたわけですね。

というのも、後々になって天武系の血筋が途絶えた時に、
彼の息子が光仁天皇として即位し、その血筋が、
平安時代へと受け継がれて行くことになったからです。
ひょっとすると、彼の歌人としての名声も、
そうした復権に寄与したんでしょうか。


政治的な疎外という点で言うと、大伴旅人や山上憶良にしても同様ですね。
恐らく当時、都で権力を独占しつつあった藤原氏にとっては、
彼らが煙たい存在だったからこそ、この二人を左遷して、
太宰府のような遠隔地に追いやったのではないでしょうか。

その結果、筑紫歌壇とか筑紫文学圏と言われる状況が現出した分けですが、
第45回に取り上げられていた『酒を讃むる歌』などを読むと、
旅人のかなり鬱屈した心情が反映されているように感じられます。
  大伴旅人・酒を讃むる歌
  http://www.h6.dion.ne.jp/~jofuan/myhaiku_065.htm

例えば、次の歌などは都の藤原氏へのあてこすりと見る説がありましたが、
それは多かれ少なかれ、当たっているのではないでしょうか。
つまり、都でまじめくさって政治を取り仕切っている藤原系の人々を、
猿に見立ててあざけっているとも読めますよね。(^^;)
  あな醜く 賢しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似む
  (ああ嫌だ。大切な仕事があるとかいって、
  酒を拒む人の顔を良く見ると、猿にそっくりな気がする。)

105闇夜の鮟鱇★:2012/03/30(金) 11:32:16 ID:???0
  ●●●書き言葉の衝撃と万葉人の責任感●●●(2/6)

他方では、笠金村を調べている最中に、とんでもないものを見つけました。
旅の途中で見かけた美女を一夜妻として迎えた、という長歌ですが、
もし本当なら、現代の男から見ても垂涎の体験でしょうね。(*^^)v
  平成万葉歌仙三十「秋の百夜」の巻〜起首
  http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/60718606.html

  三香の原 旅の宿りに 玉桙の 道の行き逢ひに
  天雲の よそのみ見つつ 言問はむ 由の無ければ
  心のみ 咽(む)せつつあるに 天地の 神事依せて
  敷栲の 衣手交へて 己妻と 恃(たの)める今夜
  秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも
  (美香の原で旅宿した折り、道中で偶然見かけた美女を、
  遠くから見るばかりで、何もできなかったのを悔いていた所、
  天地の神々の御加護か、一夜の妻として迎えることが出来た。
  この春の短夜が秋の百夜分あれば、と願ったことだった。)

但し……この旅というのが個人的な旅ならともかく、
実は、天皇の行幸にお供した時の話のようですからね。
本当にそんなうまいことが出来るのか、と疑問が生じるのも当然で、
『この歌は、あくまで夢想の産物である』と見なす説がありました。


でも、ドン・ジョバンニのレポレッロとか、光源氏の惟光とか、
昔の貴族には、その意を受けて働く部下がいた分けですからね。
こういうおいしい話が絶対なかった、とも言い切れないでしょうね。
ですから、この歌を味わう現代人の立場としては、やはり素直に、
書いてある通りの事実として、受け取りたいような気がします。(^^;)

以前の記述に関する話で、もうひとつ言うと、
例の霧の歌の連作に関しては、その作者が一体誰なのかが気になりました。
というのも、もし遣新羅使の歌群が特定の人物の歌日記なのだとすると、
万葉集の大歌人の一人として、彼の名を加える必要がありそうですからね。

それで、後から読み直す内に気づいたんですが、仮にこれが歌日記なら、
その作者は、3589番歌の作者として名が見える人物、
つまり、秦間満(はだのはしまろ)ではないんでしょうか。
  万葉集 巻15-3589夕さればひ… | NipponArchives 万葉集
  http://www.podcast.tv/video-episodes/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86-%E5%B7%BB15-3589%E5%A4%95%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%B0%E3%81%B2%E2%80%A6-13404631.html
  夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてそ吾が来る 妹が目を欲り
  (夕方になるとひぐらしが鳴いてうるさい生駒の山々を、
  私はとうとう越えてきてしまったよ、あの子の目を見たいばっかりに。)


当時の遣亜使の船旅では、正式な出航前に何日か海上に出て、
訓練のようなことをしたと講師が言っていましたね。
そうした訓練期間中に、二人の間で取り交わされたのが、
例の冒頭の11首の贈答歌だったと思われます。
で、この3589番歌はその贈答歌の直後にある分けですが、
作者はその訓練の途中、抜け出して家に帰ったみたいですね。

『こんなに時間が余るのなら、もっと彼女と一緒にいればよかった』
なんていう歌も3594番にはありましたしね。
  潮待つと ありける船を 知らずして 悔しく妹を 別れ来にけり
  (潮待ちで船が出航できないことを知らなかったばっかりに、
  私は残念にも、あの子と早々に別れて来てしまったことよ。)

ここ以外には彼の名は一切、出てきませんが結局、この位置に名前を出せば、
後は繰り返して書く必要を感じなかった、ということではないんでしょうか。
因みに、ひぐらしが鳴くのは6月下旬から9月中旬と言われますから、
『春に出て秋には帰る』という当初の旅程からすると、
何かの事情で随分、出発が遅れていたということになりますかね。


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